思いは遥か

2022年05月15日

五月の風、五月の風邪?

五月の風はトパーズ色。
ところが昨日から今日にかけて、いやあよく降りました。
あめあめ降れふれもっと降れ、あちこち水浸しで駐車場がプール状態。
わたしの良い人連れてこい。

「雨の慕情」

いやあ、この飛躍が見事ですね。雨が降れば雨に願かける。その不屈の精神がお見事!
そんな流行り歌も今は昔。
GWは長かったけれど、衝撃的だったのは例のイーロン・マスクの、「このままでは日本はいつか消滅してしまうだろう。それは世界にとって大きな損失だ。」
 去年は一年間で六十万人の人口減だったそうです。えっ?コロナ禍で?いいえ、少子高齢化。
明るい未来が描けないわたしたちのこの閉塞感。
それは愛の喪失が問題なのです。街を歩いていてもマスクマスク、マスクなんかしてるとコロナなんかよりももっと大事な愛が雲散霧消してしまう。

男も女も、剥き出しの裸顔て愛を唄え。大切なことは人と人の出会い。いえ、出逢い。
男は女を、女は男を。見つめあう恋。嗚呼、そんなときめきをマスクなんかしていちゃ永遠にときめかないだろう。 わたしたちはなんて不幸なんだ。
移民なんてクソ喰らえだッ!(いえいえ、わたし、けっして人種差別主義者ではありません)
愛しかない時。人を愛する心。この国を愛する心。
大事なことは愛しかない。

「恋をしようよ」
「抱きしめたい」
「恋の終列車」
「あなたに夢中」
「恋する二人」
「骨まで愛して」

昭和の時代の流行歌は愛だ恋だ失恋だ。朝から晩までめくるめく愛欲の狭間でのたうち回り、愛のために死のうと本気で思い詰めたものでした。その情熱が一億三千万人の日本を作り上げた原動力だったのです。 
boys be ambitious   青年よ 大志を抱け!
しかし、これからは、
boys be love LOVE   若者よ 愛にどん欲たれ!

産めよ増やせよ!殖産興業?ん?ちょっと違う?
ま、しかし、結論は同じ。笑
愛することに希望が持てないのなら、わたしたちは何処かで道を踏み間違えたのかもしれない。
書を捨て、街へ出て、好きなあの子を見つけたらあとは行けいけドンドン、です。
男と女のラブゲーム❤️ 日本の未来は愛こそがすべて。

さて、これからの建築会社の住まいづくりは「愛の棲家」 の家づくり。そう愛の逃避行。
あっ、いえいえ。トホホの五月はトパーズ色。
そう。わたしたちには愛しかないのです。


 
阿久悠さんの才能に乾杯!あなたの不在のせいで、わたしたちから歌が(愛が)こぼれ落ちていく。
いやあ、しかし、この映像は素晴らしいですね。むかしのテレビ・マンは気合いが入っています。
 




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2022年04月11日

夢をもとう


つい先日の G7 の会合では各国の首脳は全員ノーマスク。我が岸田さんも当然のようにノーマスク。パンデミックは終了したのでしょうか?(えっ?最初からなかっ、、、?笑)

その岸田さんも帰国すると何を考えているのかしっかりとマスクマスクマスク。
それって、ダブル・スタンダード?
コロナって何なんでしょうか?
わからない?

それにしても日本人のこの従順な羊の有様はなんなのでしょうか?そのうち赤ちゃんもマスクをつけて産まれてくるのではなかろうかと心配にもなろうかというもの。。ワクチンで死ぬ人がいて、コロナで死んでしまう人もいるでしょう。ただ、マスクに有効性が無いことは世界が認めているのかな?
だって、ねえ、世界最高の人材が集ってマスクを必要としないということは、パンデミックが終息したのか、そうでなければマスクに効果が認められないかどちらかでしょう。 

いやはやこんなことを書くと睨まれるのでしょうが、このままいくと人と人の関係が徐々に蝕まれていく。お客様とお会いしてもお顔がわからない。これはこれは。

いつでも夢を
夢は夜ひらく
夢のなかへ

古い話、もう半世紀に近い古い話ですが、「疫病流行記」という芝居がありました。

 疫病患者の出た家の扉は、
 すべて釘付けにされた。
 そして、釘付けにされた扉の中では、
 新しい世界がはじまっていたのだ。
 (デフォー)

わたしたちはいつも何かに囚われている。自分を解き放つ自由の鐘を求めて、その自由の前でうなだれ、決してその鐘を打ち鳴らしたりはしない。

 演劇というものは伝達するんじゃなくて、
 伝染させていくということは可能だろうか?
 アントナ
ン・アルトーという人が「ペストと演劇」という論文の中でね。
 ようするにあのね、非常に大量
な人間がペストで死んだという歴史的な事件を、
 こう例に引きながら、その死体をその調べてみ
たら、
 誰一人ペスト菌というものをもっていなかったと。
 彼らはペストに罹ったという幻想にとり
つかれて集団で死んでしまったという。
 寺山修司「疫病流行記」

しかし、その夢の正体がマスクをしていてよくわからない。目をこすり、首を振り、もういちど眺め回してもその本質がよくわからない。なんとなく息苦しい。口の周りがふわふわしている。むせるような、生暖かい空気が顔のまわりで淀んでいる。
人生はこんなふうにムカつくような不快な表情をしていたのかしら?
もうずっと前から私たちの人生は死んだ魚のような目をしているのかしら?
これが人生?

そんなバカな!と、私は叫びながらマスクを放り捨てる。
そう、自分を取り戻すために。
夢をもとう!
人間は捨てたもんじゃない。
今からでも遅くはない。

疫病流行記にこんな台詞がある。
「あたしはあなたの病気です。」 

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2022年01月01日

謹賀新年

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あけましておめでとうございます

旧年中はたいへんお世話になりました
本年も変わらぬご支援ご鞭撻のほど よろしくお願い申し上げます

今年は良い年になりますように。
年のはじめにこんな動画をシェアしたいと思います。

建設途中のサグラダ・ファミリア教会です。
すごいですね。
いやしかし、建築途中で足場もなく、大変ですね、なんて思ったら、高層建築で足場なんかありますか?
そうですよね。
とはいえ、外部も手の込んだ作りでしょうから職人はどうやって作業するのか気になるところ。
あの曲面は、左官屋さんも命がけ?
だって、ぜ〜んぶ手作りでしょう?

しかし、見てみたいっ!

サグラダ・ファミリアから見る初日の出も!





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2021年12月24日

聖夜

今年も時は流れて行き、今宵はクリスマス・イブ。
過ぎかた一年を偲ぶにはクリスマスこそふさわしい。

楽しかったことも苦しかったことも、悲しかったことも寂しかったことも、その一瞬までも思い出してみましょう。一年をふりかえるのは至難の業。今年は何があったかな?おや、待てよ。そういえば、、、
楽しかったことは、苦しかったことは?すると、意外とそれは少ないもの。いえいえ、それは私だけかしら?
生活にドラマがない。、、、(苦笑)
でも、それはとっても寂しいこと。
そうか、寂しいのは人生か、なんて思い出すとそれはとっても苦しいもの。

波乱万丈の人生よりも、ランマーで均された薄っぺらい人生のほうが心も気持ちもとっても楽。?
ドラマチックな人生が素晴らしいわけじゃなし。(ヤケのヤンぱち、だァ)
そうさ。たったひとつのかけがいのないもの。

それは私の生活。私の孤独。私の愛。
今宵はたった一人の愛する人と、見つめあってみるのもきよしこの夜。
それって、とってもドラマチックじゃない? 
ドラマチックは漫画じゃないのさ。 

メリー・クリスマス。



「きよしこの夜」誰でも知っているこの歌に「7時のニュース」をかぶせるだけで世界は違って見えるもの。この豊かな想像力に脱帽です。
 


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2021年12月16日

今年のブルーフレームは合格かな。

毎年冬が来ると思い出す。
魔法のランプを思い出す。ランプをこすると思い出す。
しかし、今年はどうだろう?
え?何の話かって?
そう、じつは、例のアラジンの魔法のランプならぬ、魔法の石油ストーブ、「アラジン」のことでした。
これが実に手強い。 蒼い炎がとても綺麗、ですが、お手入れには細心の注意が必要です。
このストーブは1975年製です。手に入れてもう二十年以上になります。
どこかの町工場で使われていたのか、油汚れで真っ黒、それをホースで水をかけながらタワシでゴシゴシ洗い、それこそ灯油タンクの中まで洗って天日干し。さすがに芯は変えました。
独特の構造なので煤が溜まるととたんに匂いがします。
しかし、手をかけてあげるとしっかり応えてくれます♪ 。
去年はうっかりしまう時に前年の灯油が残っていたのが災いして、部屋中煤が舞い、匂いがこもって大変な思いをしました。
さて、そこで今年はしまう時に念入りに灯油を抜き、乾燥させたのが功を奏し、炎が真っ青なブルー。そう、これがブルーフレームです。アラジンはこの炎に赤い火が混ざるバツです。匂いがします。
そんな不自由な石油ストーブですが、ブルーフレームを眺めているてとなんとも言えず癒されます。
そこには不思議な魔法が働くのでしょう。
便利なストーブではありませんが、精神安定剤としてこれほど癒されるストーブはほかにしりません。

さて、今宵も、炎の向こう夢があるかもしれないと、ん?ちょっと眠くなってきたかな。

arajin


 

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2021年09月26日

大事にしたい

なんだか世の中が水増しされたように、情報の洪水のなかでアップアップしていると、あれ、ここは何処?ワタシはだーれ?
情報化社会というけれど、情報は瞬時に消えて残されたものは常に曖昧な記憶。情報を詰め込めば詰め込むほど、情報は希薄になり、手触りが消え、アタマの中は白いモヤで霞んでしまう。
そんな状態に陥いるわたしはとっても危険な状態の一歩手前。
つまり、何を言いたいかというと、ネットの社会は情報が溢れてはいるけれど、それはとても便利ではあるけれど、便利である分わたしたちの皮膚感覚は衰え、人間の持つ本能が薄れていく。いえ、それだけではないような気がします。わたしたちの接点はマウス。人と人のつながりが失せて、マウスとタッチスクリーンが関係を繋ぐキーパーソンだって?
欲しい物がすぐ手に入る、スマホがあれば何でも検索して何でも頼めて、そして何でもすぐに居乍らにして手にすることができる。(しかし、幸せは注文できない。笑)
それは果たして幸福なことなのでしょうか?

そういえば、わたしたちが子供の頃、欲しいものは何も手に入らなかった。欲しい物を夢に描いて、空想の中で手に入れる自分を思い描いて身悶えした。え?大げさ?
かもしれません。大げさかもしれませんが、それほどわたしたちが手にするものは少なかった。
夢を持つということは、ほんとうに小さなことから始まって、そうして少しづつ大きくなって、やがては大きな夢に近づいていける、かもしれない。そう。わかりません。わからなくてよいのです。手に入らないことが重要だとさえ言えるのです。人間はアンビヴァレンツな存在です。矛盾した存在です。
思えばアップルのiTunesが出てきた頃から一気に音楽が陳腐なものなってしまいました。簡単に手に入ることが音楽の持つ存在意義を減じさせてしまった、とも言えます。しかもこれがタダでダウンロードできてしまう。

わたしたちは幸せな時代を生きているのでしょうか?
住まい造りにも同じことが言えます。
便利な器具が増えてきました。お風呂も洗面所もトイレも台所も。便利な機能が増えてきましたが、今日のシステムは明日の陳腐。どんなに便利になっても食事の支度は代わりがいない。
顔を洗うのは自分の仕事。代わりに洗ってくれる機械はない。お風呂だって入るのは自分。洗うのも自分。
お風呂場の汚れを落とすのも結局は自分。キッチンの汚れを落とすのも結局は自分。

設備機器は便利なものよりも単純なものがいい。機能は最低限でもシンプルで美しいものが良い。
手には入らなかったたくさんのものを補う想像力がその住まいの中に息づいている。
そんな住まい造りを応援したい。

洗い出しの玄関







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2021年09月17日

不思議なフーマ

10年来お付き合いをさせていただいているA様です。 
最初の出会いはまだ当社が津久井浜に事務所を構えていた頃のこと、通りかかって以前から気になっていたとの事で、住まいのあちこちを直したいというご相談から始まりました。気になっていたコモハウスさんにまずはともあれということでお越しいただいたのですが。

その、先ずはが、既成のシステム・キッチンから作り替えていくというのがわたしたちの共同作業の始まりでした。既成のよくあるキッチンをそのままに 、あえて壊さずに扉と引き出しを外してそこからまるで無垢の木を使ってまるで最初から自然素材のキッチンでした、というリモデリングなわけなのでした。

その最初の手始めは。はいこれです。

AR2

こんなふうに変わりました。

AR3

それから半年後。

AR1
これがこんな風に。

AR4
それから三年後。

実は先は長いのですが、端折ってそれからさらに四年後が今。
で、今回は 、お風呂と洗面所とトイレのリフォームとなりました。
で、実は、A様宅には愛犬がいるのですが、その愛犬がなんと「もん」 ちゃんです。
ン?「もん」 くん、かな。
そう、その名も 「もんじろう」くんの「もん」ちゃん。
えー!先日このブログにご登場願った「レモン」 ちゃんとは従兄弟になります。
なんて、そんなことはないか?笑

不思議のフーマはそんな勝手なつながりから。え?やれやれ? 

 


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2021年04月17日

「再録」古きを訪ねて

古傷を思いだすと、胸がチクタク痛む。古きを訪ねても、心の傷は癒えない。人間は悩ましい。
千年家。そう呼ばれる古い家がわずかに一軒、二軒。その家はいつからあるのか誰も知らない。遥かな時間を紡ぎながら、千年家はそこにある。

私たちの家づくりは千年の時に耐えきれない。千年の時間に佇む家が織りなす骨格はどういうものだろう、と考えてみる。設計図面は驚くほど単純であるべきだ。玄関、食堂、寝室。他はいらない。しかし、それは機能としての側面で、空間は驚くほど豊かであるべきだ。千年の時はあらゆる体験に耐えねばならない。自然災害、戦争、略奪、ねたみ、そねみ、愛と憎しみ。もしかすると、セシウムにも耐えなければならないかもしれない。
途方もない千年の時間。
わたしたちは、一年刻みで家を考えてしまう。せいぜいが想像力を逞しくしても10年保証だ20年保証だとなんともみみっちい世界で家づくりを捉えることしかできない。しかし、しかし、家づくりはまた、心の新築工事でもあります。まっさらな計画を前にして、図面に線を引くのは心に爪をたて、家族への想いを疑似体験し、彼らの心のひだに分け入って新しい生活を立て直す。そんな小さなおどろき、愉快な発見。喧嘩もするかもしれない。でも仲直り、子供の寝顔を見ながら「幸せについて考える」そんな一瞬を組み立てて、そこで彼らがどう動くのか?心の琴線はどこで触れ合うのか?廊下?居間?
そんな風にして、まず玄関をどこに置こうか?と考える。車が一台。どんな車?もしも彼らが古いビートルを持っているとしたら、車と玄関の関係に一石を投じることになるかもしれない。玄関ホールは要るのだろうか?天井を見上げると吹き抜けている?吹き抜けた二階の先に満天の星空が見えたなら。星々の煌めきに、誰かさんの笑顔が見えるかもしれない。そう。家づくりは心のつながり。
家族の心のつながり。心をつなげる桁が松でできている。桁と母屋をつなぐ心の柱は東濃檜。
さあ、このあたりから思いは具体的な構造へと飛躍していく。
構造が家族を繋ぎ、愛情が空間をつつむ。嗚呼、千年家。

  夢を見たら譫言(うわごと)を言いませう、
  退屈したら欠伸をしませう、
  腹が立ったら怒鳴りませう、
  しかしだ、萩原朔太郎君、
  古心を得たら古語を語りませう。
  そうではないか、萩原朔太郎君。

  「佐藤春夫詩集」より

古心を得たら古語を語る。そんな家づくりができたらなあと、私はいつでも考えているのです。


 2017年2月5日のブログから
 昔のブログを読んでいたら、なんだかあらためてしみじみと、、、。

japaneseroom1

凛とした和室。
和室二間のつづき部屋をリフォーム。正しくは、お色直しが正解かな。
柱や鴨居に古色塗料「久米蔵」を塗布。
仕上げに柿渋でツヤを出します。壁は古い漆喰を剥がしてあらたに塗り直しました。
畳と亭主はあたらしい方が良い。笑
思わず背筋が伸びます。ニンニン。











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2021年03月06日

春雨じゃ、濡れていこう

今朝は昨夜からしとしとしとしと、降るアメリカに袖は濡らさじ。
一雨ごとに春が来る。
三浦市では恒例の河津桜まつりが(今年はひっそりと、)開かれていますが、もうそろそろピークは過ぎて葉桜がちらほら見受けられます。今年はこの季節、無情にも春の嵐に見舞われて花が散るのが早いですね。
なんだか可愛そうですが、人生、思うようにはならない。

コロナコロナで緊急事態宣言はいつ解除されるのか?
はあ?
緊急事態なの?

私のまわりでは誰もコロナにかかったという話を聞きません。風邪ひきさんはちらほらいても、コロナは皆無。死者なんてそれこそ一人だにおりません。ああ、それなのに緊急事態とはこれ如何に。
パンデミック?
わっはっは!
パンデミックではないっ!
それなのに街を歩けばマスクマスク。車に乗ってもマスクマスク?
はあ?
車の中は一人っきり。それでもご丁寧にマスクマスク。
三浦市なんか人口密度も少ないのに、それでも歩くとマスクマスク。農道を歩いてもマスクマスク。すれ違う輩なんて一人もいなくてもマスクマスク。
遠慮なく、本音を言わせてもらえば、馬鹿じゃないの!
でもこんな事を言うと国賊扱い。???

一年も経つのにもうそろそろ気がついてもいい頃じゃないのかしら?
これはプランデミックなんだと。

なあ〜んてブツブツ言いながらも、人前に出るとこの私もマスクマスク?
頭の中を疑問がぐるぐるまわりながらも、ふるアメリカに袖は濡らさじ。

嗚呼!

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十年ぶりに訪れたN邸。なんだか新築みたい、です。







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2020年11月01日

ダブル・ファンタジー

六本木ソニーミュージアム 「ダブル・ファンタジー」展 2020.10.9~21.1.10

すでに遠い日の思い出。
初めての子供がまだお腹の中で命の誕生を迎えたばかりの頃、家内は切迫流産で絶対安静、年若いわたしたち夫婦は気が動転、辛い辛い毎日でした。寒い季節でした。
その3ヶ月くらい前の夏頃から、日本のマスコミでも彼のカンバックの噂やら、新曲の発表やらがつづいて、いよいよ噂はホンモノらしいという期待と興奮で東京の街がにわかに騒がしくなったものでした。賑々しさを通り越して、井の頭線の渋谷駅では駅のホームに右に左にズラッーっと二人のポスターがこれでもかこれでもかというくらい張り出されて満艦飾。
そうなんだ、ついに彼が帰ってくるんだ。でも、ちょっと早いな。十年くらい帰らないのかと勝手に思い込んでいた私には、この思わぬ帰還におお喜びして、毎朝早朝、電車に乗って仕事に向かうのもなんだかウキウキ。
そう。だって、彼が帰ってくるんだぞ。それはなんとも言えない興奮と期待と、ちょっぴりの不安も抱えて、でもこんな嬉しいことはない。 
そんな季節の12月。私たち夫婦には初めての子供が切迫流産でうろたえておろおろ、しかも仕事は忙しくてその何日か前に出たばかりの新譜のLPレコードも聞く暇がなく、それこそ2、3回聞いたくらいの慌ただしい毎日。
いつものように早出の出勤で品川駅に着き、バスに乗って一番うしろの席にどっかと座り、発車を待つあいだ、ほっと一息何の気なしに前席の人が広げた新聞の見出しをひょいと見るともなしに見ると、紙面に踊る「、、、射殺さる」のでっかい文字。
慌ててバスを飛び降りて、駅の売店で買い求めた新聞の無情なニュース。
ヘナヘナと崩れ落ちて、えっ?なんだって?射殺ってなんなんだ?それで、まさか、死んだのか?死んでないよな?死ぬわけないよな?そんな馬鹿な話を信じられるか?ふざけるな、冗談じゃない。
その日の長いながい一日を、私は今でも忘れない。
あれから四十年。あの一日に比べると、この四十年は永かったのか短かったのか?

良い仕事をしたいと思うのは、彼の仕事を見てきたから。彼に笑われない仕事がしたい。
できるなら、彼のように、人々に喜んでもらえるような仕事がしたい。
それは一瞬の瞬きにも似て、永遠というものが信じられる瞬間を私にあたえてくれたから。

仕事に行き詰まったとき、アイディアが枯渇して情けなくて自棄になったとき、ふと振り返ると、彼がいるような気がする。
「がんばれよっ」
透きとおるような青い空。
そう、頑張ろう!


ダブル・ファンタジー








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2020年06月25日

beautiful obsession

住まいづくりの難しい点は、そのテーマをなにに絞るか、にあります。
この一点にこそある、と言って過言ではないのかもしれません。
お客様のご要望はたくさんあります。初めての家造りであればなをのこと、ひとつひとつ確認して、それらを集約して、そしてなにを残し、なにを捨て去るか。ご要望をすべて実現すれば良い家になるとは限らない。この家にはなにが大切か?
なにをこそ残すべきか?
そしてさらに、それをお互いの立場から眺めやり、実生活に即してアレンジを施していく。その過程でこの建物をどう理解してもらうか?

beatifulone

ご夫婦おふたりで住まわれる住宅です。思い切った選択と集中。下駄箱はこれでいい、というその選択。
ご夫婦で二十二足の靴がはいります。それ以上は持たない。それもまた勇気のいる決断です。
けっして大きいとは言えない住まいですが、大きすぎる吹き抜けが玄関を入るとすぐにあります。
その中央に天までとどけとばかりに母屋にまで刺さる六寸の大黒柱。

Take It Where You Find It

居室の天井高を抑え、吹き抜けの開放感とのアンサンブルをその対比で表現します。
 
玄関に向かうとき、帰宅したその瞬間、大きすぎる石英岩の黒とざっくりと埋めた白い目地とのコントラスト。

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わたしたちはなにを選び、なにを捨て、なにを残したのか。これで良かった、と思っていただけたのならありがたいのですが。

beautiful obsession 











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2020年05月14日

沈黙は金?銀?メッキ?

寡黙な大工と雄弁な大工。
喩えて云えば、寡黙な工務店と雄弁な工務店。どっちが良いのかは別にして、では当社はどっちかと考えると、ま、とても雄弁とは呼べない。(泣)時代の寵児は雄弁でなくてはならない。現代の雄弁は必ずしも喋り倒すのではなく、ネットに乗ってサーフィンよろしくドンブラコ、どんぶらこ。多くを語る必要はなく、ツィーターかインスタ映えの、超短編かショートショート。語るほどに馬脚を現す、だから、なるべく語らない。
しかし、語ってる風に見せつける。
ホリエモンや橋本さんを思い浮かべるとなんとなくわかるかしら?聞いてる方は何にもわかっちゃいないんだから、口数が多いと疲れて寝てしまいます。 だから、ツィート、疲れさせない程度にね。ただ、このツィートを機関銃のように繰り出さなければなりません。忘れられないように。

さて、建築会社はこの時代、どのように在るべきなのか?家を建てるのが私たちの仕事。それ以上でも以下でもない。しかし、ある時、ジョナサンは考えました。ほかのカモメたちと空を飛びながら、ふと考えたのです。
飛ぶだけがボクたちの仕事じゃない。
心温まる家づくりは 、技術の問題だけじゃない。そう。素材の選択から始まって、その素材をどう見せるか?素材はひとつだけじゃない。その素材に何をぶつけて、何を引き出すのか?
心温まる家づくりのために、私たちは選択と集中を繰り返す。
完成するまでわたしたちは考えます。ここはああしよう、こうしよう。しかし予算もあるからあれは出来ないこれも出来ない。ちょっとこうすれば格段に良くなるけど、どうしよう?どうしよう?
建築は無慈悲です。しかし、この無慈悲を深く噛みしめる工務店と、まったく噛み締めない工務店と、その違いこそが雄弁な工務店と寡黙な工務店を分ける分水嶺なのです。


松の太い桁材をくり抜いて陶製の手水鉢を埋め込んでいます。給水と排水を通すのも実はけっこう大変でした。しかも、その器具を締め付けるのも水道屋泣かせでしたね。(ゴメンナサイ)

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2020年04月13日

わたしたちはボイジャー

わたしたちは百姓。宇宙を旅する百姓さ。来る日も来る日も満天下に鍬を振り下ろす。一歩づつ一歩づつ。
焦らないことです。しかしこれが、そうそう鷹揚に構えてもいられない。
陽は満天下にジリジリと。
コツコツコツコツ、大工は仕事に汗を流す。気がつくと、住まいは少しづつ形を成している。

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コモハウスのオリジナル玄関庇が出来てきました。わたしたちはこの庇を「スペイン風のマルケシーナ」と呼んでいます。このオリジナルがこれで四作目。少しずつ手を入れて、今は自家薬籠中の物になりました。道行く人が立ち止まって、和風ですか?
差に非らず。コモハウス風です。 
ま、それより、ささ、内へなかえ。

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見上げる大黒柱は六寸角の無節のヒノキ、六メートルものが天井を突き抜けて母屋まで突き刺さる。最初の計画ではこれが三本。さすがに予算が許さなかった。涙。いや、笑。

しかしこの一本を大事に大事に表現する。それもまた腕の見せ所さ。

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木の手触りにうっとりするコモハウス代表。え?只のオタク?

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その大黒柱に刺さるおなじく六寸成の化粧梁。この梁に並行して一尺一寸の桁があるのですがこれは今回はお見せできません。そう。ケチなんです。笑

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ケチが背中を向けてなにやらうろうろうろうろ。探しものでもあるのかしら?

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おや?R2D2、こんなところで何をしているの?断熱材の宇宙に囲まれて、さぞや快適なことでしょうね。お、おいおい、そっちに行くなよ、、、そっちは、、おい、、、。


さて、わたしたちの冒険の旅はまだまだつづく。乞うご期待のその全貌があらわになるのは六月かな?二階の屋根は二寸五分の勾配ですが、二寸でも良かったのですがここは悩ましい判断でした。室内二階はすべて勾配天井になります。その勾配は二寸です。

そう。わたしたちはボイジャー。未知の世界に旅立つフロンティアのボイジャー。








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2020年03月14日

ガンバロー?

新型肺炎の事ばかりではありません。
日本の人口一億二千六百万人。そのうちの千人がコロナに罹患したといって明日をも知れぬこの国の行方。戦争なんかしなくったって風評被害で国はガタガタ。
これはいったい誰が仕組んだ戦争なのでしょうか?

しかし今日はコロナよりもっと寂しいお話しです。
それは去年の秋のことでした。

九州に帰省した折、甥っ子とお昼を食べに行き、来年就職だと聞いて何気なく、今初任給いくらぐらいなの?と聞くと、「18万くらいかなぁ」とボソッと呟くのを聞いて、いや、こちとら、心底驚きました。
嘘だろう🤯?
18万って、そりゃ、俺が結婚した頃がそんなもんだぞ。あれから三十数年、嘘だろう🤯?
嘘でなければ狂ってるぞ。なんなんだ、この国は?それが本当だとするとこの国の劣化はいったい全体どういうことなんだっ! 
誰が儲けているんだっ?どこにお金を隠しているんだっ?誰だ?カルロス・ゴーンか?(笑)
昔は一億総中流を誇ったものですが、何のことはない今は一億総貧乏?

私たちはどこで間違えてしまったのか?
この国はどこで間違えてしまったのか?

昔はテレビに出る奴は二流、出たがる奴は三流、と言われたものでした。
今や一億総三流でだれも恬として恥じない。
子供たちが手本とする人格がない。小手先の器用な輩がしたり顔でもっともらしいことを宣う。
あのテレビという箱の中で。 

私たちは騙されている。
騙している奴はどこのドイツだっ!





 


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2020年02月29日

大分川球場の野村克也

私たちの少年時代、男の子は三人集まれば野原で野球。バットとボールとグローブと。グローブは一つあればなんとかなる。
九州は大分の生まれですが、九州でも少年の贔屓チームはジャイアンツが一番でしたね。ま、七割方はジャイアンツ、次が流石に九州ですから西鉄ライオンズが2番手かな?三番手は各自てんでバラバラ。
西鉄ライオンズはピッチャーの稲尾が別府の出身ですから結構人気がありました。別府の漁師の息子で小さい頃から櫓を漕いで肩を鍛えたと言われたものでした。神様仏様稲尾様。怪物中西と二枚看板で、その強力な西鉄を向こうに回して南海ホークスは杉浦と野村。子供の頃、何かの雑誌で見開きの大きな写真に杉浦と野村がにっこり写って、見出しが今でも覚えています。
「西鉄何するものぞ!」

杉浦投手のアンダースローの流れるような投球ホームが美しかったなあ。ラジオの野球中継も南海戦はめったになく、たまに放送されるとかじりついて聞いたものですが、1対0で南海リード、8回裏ピッチャー杉浦、もう一球一球放るたびに居ても立っても居られない。耳をふさいだり、寝転がったり、ああ、俺、聞いていると必ず逆転されるんだよな。わっ。もう聞くの止そう。スイッチを消して、でもまたすぐに気になってスイッチオン。ああ、まだ打たれていない。わっ!ああ!

今でもあの時の暗い部屋の夕暮れ時の息詰まる瞬間が忘れられない。

三角ベースで野球をやるとき、大分川の土手が外野スタンドで、「じゃあお前広瀬やれよ、オレ野村。」あの頃の南海は個性派揃いのクセモノが多く、鶴岡監督の「グラウンドにゼニが落ちとる」は有名な言葉。目の色を変えてゼニを拾う選手を束ねて南海の黄金時代はその後のヤクルトの黄金時代を彷彿させる古き良き時代だったのです。

野村、杉浦、スタンカ、皆川、広瀬、穴吹、寺田、ハドリ。

「円城寺あれがボールか秋の空」

嘗て、二シーズン制を敷いたパリーグで、前期優勝の南海が後期は三位ながらもプレーオフで宿敵阪急を三勝二敗で破ってリーグ優勝を飾った時、新聞の見出しに載った阪急西本監督の談話。
「野村君は非凡だ」
非凡ってどういう意味?辞書を引いてその意味を知った時、そうか、野村は非凡なんだ。
野球と書いて野村と読む。非凡であり続けた野村克也は、腰痛と戦うために逆療法で退治したと何かの本で読んだ記憶があります。野村の戦いのその本質を私はまだ知らない。非凡であり続けた野村克也の孤独な戦いを。

ありがとうございました、ほんとうにありがとうございました、野村さん。
ご冥福を心よりお祈りいたします。








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2020年01月10日

光と陰

青春にかぎらず、人生は光と影の織りなすあや。
そのあやに足を取られて時には泣きたい思いに囚われたり、喜びで有頂天になったりと人生は忙しい。その忙しさがやがて穏やかな夜を迎え、足音も遠ざかり、ため息ががひとつ、さて。
ここからが人生の醍醐味。
谷間を覗き、吹き上げる風に抗い、私たちは持ちこたえなければなりません。
幾つになってもこれで良い、という瞬間はやってこない。

まるで家づくりのように、どこまでいっても終着点はこない。
ひとつひとつ、もう少し高い頂を求めて、明日にはもしかして手が届くかもしれない。

ふふふ。

shadow

当社のカメラマンはカメラウーマン。変幻自在に対象を手玉にとって「そうかっ」と唸るような瞬間を捉えてくれます。
ややや。




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2019年12月25日

imagine

一年のたつのは早いもの。
十年一昔といったのはいつの頃まででしょうか?

今日はクリスマス。我が家では毎年この夜に imagine を聞きます。初めて聞いてからもうずいぶんの日々が過ぎてしまいました。近頃では一年に一度、クリスマスの夜にしか聞かなくなってしまいましたが、本当に美しい歌だと思います。心が洗われ、嫌なことを忘れ、自分に対して謙虚になれる、そんな歌を私は他に知らない。

また明日がある。yes と、すべてを肯定できる。そして、皆様に、Happy  Xmas !

                                          







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2019年12月14日

メジャーを持って旅にでよう

旅の恥はかきすて。
昔、無頼派でならした作家の檀一雄 は、旅に出る時は必ず正装で、知らない土地で見知らぬ人間がお邪魔をして迷惑をかけるのだから身なりくらいはしっかりして土地の人に不快な思いをさせては申し訳ない、と語ったものでした。
さて、私たちは建築屋ですから、旅に出ると目に入るのはその土地その土地のさまざまな建築物。どうしたって気になるのはその意匠の納まり、そしてその寸法なのです。 
プロポーションは殊に大事で、ドアを見ては高さが気になり、天井を見てはその勾配が気になってしまう。
メジャーさえあれば、その秘密の一端は明らかになるかもしれない?かもね?

oldceiling

古い幼稚園の園舎の天井です。格子に組んだsteelbeamが秀逸です。
私たちは家なき子。わずかな時間を惜しんで旅に出る。忙しい毎日では休みも遣り繰りですから明日は暇だと分かれば飛んでいく。
旅のツバクロはオイラのことさ。

olddistributionboard

これは傑作です。そうか、昔はこんな分電盤だったんだね。味がある。必要で最小限のその機能が素晴らしい。

oldboard

この板の使い込まれた様子に、ヒデキ、感激。笑
旅はまた、明日への序章。新しい建築の家づくりのヒントを求めて、少年ジェットは今日も行く。







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2019年11月06日

金閣寺

三島由紀夫の小説に、「金閣寺」という作品があります。
昭和25年に炎上した金閣寺の放火事件を題材にした小説です。ラスト、その金閣寺が燃え上がる場面で、放火した寺の僧侶が燃え上がる金閣を小高い山の上から見下ろして、

「、、、ポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。」

三島らしい人を喰った不条理な台詞なのですが、金閣寺に放火するという精神は確かに不条理以外の何物でもない。

日本の建物は、その文化的価値の高い建物は全て木造です。徹底した火災対策を施さなければこれからも価値ある木造の建物が次々と消失してしまうでしょう。
ノートルダム寺院が焼け落ちたのはつい昨日のこと。
首里城の喪失は沖縄の人々には耐え難いものがあるでしょう。
あまりにずさんな管理というと管理している方々に申し訳ないのですが、失われた建物は戻ってこない。
ノートルダム寺院も首里城も、不条理ゆえに燃えたのではありません。ずさんな管理ゆえに燃えたのです。そこが時代の不幸といえば言えなくもない。
法隆寺は大丈夫でしょうか?桂離宮は大丈夫でしょうか?
法隆寺も桂離宮も自衛隊の一個中隊が二十四時間体制で守るくらいのことが必要ではないかと老婆心ですがそう思います。(笑われるかもしれませんが。)

kinnkakuji




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2019年09月07日

住まいの基本

ここにきてまた厳しい残暑が続きます。
だいたい九月に入るともう残暑とは呼ばない。しかし、この暑さは、、、
さて今日は棟上げの第二日目。暑さの中を大工が頑張って、まさに「大工よ、屋根の梁を高く掲げよ」。

家づくりの基準をどこに置くかは人それぞれ、建築会社のさじ加減も加わって、「住まいの基本」はともすれば経済の基本に置き換えられてしまう。
簡素な住宅を建てたい。
基本が背伸びをして、その基本だけで建つ住宅を建てたい。

「自然は人工よりも美しい。簡素と軽快は複雑よりも美しい。
建物の広さにしても、材料にしても、節約は浪費より美しい結果を生む。」

これはフランク・ロイド・ライトとともに帝国ホテルの設計のために来日して、そのライトの元を離れても日本で建築を設計し続けたアントニン・レーモンドの言葉です。

建築会社はお客様あっての建築です。お客様がいなければ家は建たない。しかし、だからと言ってお客様の言い成りになっても良い家は建たない。全力で、私たちの家づくりを理解していただいて、私たちが良かれと思う方向にお客様を導いて、その結果が喜ばれるのであればこんな建築屋冥利につきる喜びはない。しかし、それはとても難しい。

今日は久しぶりにCDを買いました。これがSHM-CDという高音質のCDで、噂に聞いてはいましたが、確かに音が素晴らしい。こんな高音質で聴きたかったのはムーディー・ブルースの「メランコリーマン」。
ムーディー・ブルースで思い出すのはその昔、大昔ですが、ユーゴスラヴィアのどこの町だったか、田舎町の路地を迷いながら歩いていると、角を曲がって狭い石畳の路地のその先の小さな古い民家から聞こえてきたオルガンの音。そのオルガンを誰が弾いていたのか?それはムーディー・ブルースの「サテンの夜」だったのです。まるで雷に打たれたように立ち止まって、あの頃の共産国の暗い現実の中でまるで「サテンの夜」が私たちの心を明るく照らし出す一条の光のように感じられたのです。あんな美しい音楽を聴いたことはこれまでなかった。オルガンの簡素な音が何より美しい。
こんな風に家を建てたい。









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2019年08月13日

ハスに構える

餅は餅屋のお話は先日いたしました。
何事もその持ち場に置くと自ずと才能が溢れるもので、実は今日はそんな一例を。
弊社には類稀なるカメラマンが一人います。
写真はつくづくその捉え方だな、と思い知らされるのは、彼女の写真を見てそれが確信に変わるからです。写真はまさに心の目。何を、どの角度から、どう捉えるか?
今日はそんな彼女の写真を何枚かご覧ください。

angle3

angle2

angle4

angle1

まだ仕上げの真っ最中で雑然としているのですが、それでも私が撮ると決してこんなアングルは思いつかない。
S邸もいよいよ佳境。いえ、ほんとうに佳境なんです。
そのほんま者の佳境を迎えていよいよ彼女のお出ましです。

Ladies and gentlemen The CAMERAMUSUME!






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2019年06月06日

いい加減にしろ!NHK ‼️

NHKがネットで常時同時配信を年内に開始するそうです。
いずれはネットにも課金しようという魂胆が丸見えです。ふうっ!

なんて言うか?これは国民の見たくない自由を奪う、基本的人権の蹂躙、横暴と言ってもいい。(えっ?大げさ?笑)
我が家にはテレビがありません。テレビ放送のレベルがあまりに低いので結婚してこのかたテレビを持ったことがないのです。
と言いながらも、実は短い期間でしたが、子どもたちが小さい頃、学校で話題についていけないと可哀想だと思い、買ったことがあります。ルールを決めて見たい番組が終わったら消すということを徹底して、それである時、お友達の家で何人かで見ていたのですが、終わるとうちの子がスッと立って行ってパチンと切ったもんだからさあ大変。

その後、またテレビは処分して今日に至るのですが、何年か前にNHKがやってきて、テレビのご契約がされていないのですが。ありません、なんなら上がって探して見ますか?あ、いえ、それは、、、携帯はお持ちですか?ありますよ。それ、テレビ映りますよね!え?あ、映る。それじゃあ払ってください。

いやあ、この時は腹が立ちました。あの受信が不安定な携帯で誰がテレビなんか見るものか!頭にきてその場でアンテナをへし折ったら集金人は慌ててしどろもどろになって帰っちゃいましたね。
今はお陰様でiPhoneなので誰憚ることなく大手を振って歩けますが、またぞろネットにまで課金となるとNHKはどこまで強欲なのでしょうか!

この携帯電話のテレビ受信機能も実は NHK の深謀遠慮で、シャープや日立やパナソニックにはNHKの天下りが結構いて、彼らを通じて携帯事業にテレビ受信機能を開発させて、それもその開発費はそっくりMHKが面倒を見ているというのですから何をか言わんや。

昔、三公社五現業というシステムがありました。三公社とは平たく言えば、今のJR、NTT、日本たばこ産業の三つです。五現業は郵便局他造幣局とかありましたが、産業を育成するための親方日の丸の過保護企業でした。今はご存知のようにすべて民営化されて解体されましたが、その三公社五現業の裏側でヌクヌクと肥え太っていったのが同じような庇護のもと、NHKなのです。だからと言ってNHKの存在を否定する訳ではありません。
ただ、それでも、テレビを見たくない自由を奪わないで欲しいのです。
先日、機会があって例の「白い巨塔」を見ましたが、酷(ひど)かったですね。まるで漫画。手術室に運ばれる患者をその家族がドタバタと追いかけて(医者と一緒になって病院の廊下を走り回るのです)、挙句は執刀する医者にあれこれ指図をして、もう漫画以前。
ドラマとは何なのか?という基本がまるで分かっていない。役者がまず演じることの奥行きを理解していない。薄っぺらな演技で満足して、人物を掘り下げて理解する能力に欠けている。寺尾聡、岸部一徳、ただただぼぉっと突っ立って、シラーっとした地を出すだけでそれこそがリアルだと勘違いする役者も不幸だけど、しかしこれも役者以前の脚本がダメ、そんな脚本にダメを出さない演出家がダメ。それが日本のテレビの現実なのでしょう。

だからわたしはテレビなんか見たくない。 テレビなんか見て残りの人生を無駄にしたくない。
俺の人生を返してくれ! NHK ‼️(まあまあまあ、、、)




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2019年06月04日

夭折の画家

事務所の模様替え、と言ってもいくつかの新しい棚を設置して在庫になった金物やら何やらを綺麗に収めようという魂胆でした。
しかし、これがやり出すとけっこう大変で、あっちに動かしこっちに動かし。で、結局はもとの木阿弥。(笑)
事務所の広さは変わらないんだから、所詮は無理がある。 そのことに気がつかされた永い1日だったと言う訳。お疲れ様。いや、ご愁傷様かな?でも、ま、ちょっぴり整理は整頓されましたとさ。
あ〜😩つかれた。

闘い済んで日が暮れて。 ソファに脚をなげだして、嗚呼、このソファー🛋はMUJIで買ったんだよなぁ。あの頃と変わらないのはこのMUJIのソファーと特注で拵えた大きな、少し変形したテーブルと。その大きなテーブルも今では何だかありふれて、どうせならもっとデッカいテーブルにしとけば良かったかな?

painter1

そんなコモハウスの短くもなく長すぎるとまでは言えない悪戦苦闘の日々をいっしょに伴走してくれたソファーとテーブルと、そして一枚の絵。
この額縁にはいった一枚の絵は家内の郷里の古い友人から事務所の開設祝いにと贈られた、その友人のご主人の作品なのです。 
仕事の節目節目に疲れた時、ふと見るともなく眺めていると、実に不思議な作品だなあと思われて、いつしかその作品と心の中で会話をし始めている自分がいる。

painter2


「ねえ、この住まいの階段、お収まりはどうですか?」「綺麗に見えるますか?」「上りきった隅の収まりは、変?」「この勾配天井の四寸は、もうちょっと高い方が良かったかなあ、、、」

絵画は微動だに動かない。深い藪のなか。それは、彼 ( 実は作者のその彼に会ったことは一度もないのです、) の心のなかの心象風景としての茫漠とした森なのです。 
わたしたちは誰でも、このような大きな森をこころの中に持っているのかもしれない。
わたしたちはそんな森と闘いながら、ときには敗れ、ときには互角の闘いを強いられて、そうしてこの森に帰っていく。
森はそんなわたしをやさしく受けとめてくれるだろうか? 

まだいちども会ったことのない画家は、画布の向こうで森を見ているのだろうか?森は彼に安らぎを与えてくれるだろうか? 

夭折の画家は、石井一俊。
版画に刷られた三行詩。 

「 一九八九
 諫早
  泉町
  デンワ
 ナシ 」





 

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2019年04月17日

ノートルダムのせむし男

こんな事があるなんて、それはフランス人には涙も枯れてしまう愁嘆場。
私たちのお国で法隆寺が燃えたら、それは考えただけで恐ろしい。

以前にも書いた覚えがありますが、このような唯一無二の建築物が灰と化すのは残念なことにたいていが修復工事の最中なのですね。これはもう、建築会社の責任が問われて仕方がないでしょうが、洋の東西を問わず、なぜ文化財の修復でこれほど火災が起こるのか?

原因を早急に探す必要はないのですが、しかし真っ先に思い浮かぶのは例によって電気系統です。(まさかタバコの火の不始末などはありえないでしょう。)電気系統は徹底して安全策を二重三重に、いえ四重五重六重七重に施しても、それでも千年の重みには耐えきれるかどうか。
地球上に遥かな人類の息吹を伝えるのは建造物と偉大な自然のみ。

「ノートルダムのせむし男」はヴィクトル・ユーゴーの小説ですが、原題はシンプルに「ノートルダム・ド・パリ」。失われたコードを求めて。

建築は不思議ですね。世界中の名所旧跡を訪ねてわたしたちの心は癒されるのですが、歴史の重みは取りもなをさずその建築物の存在に委ねられています。
私たちの仕事は小さい小さいそれこそ取るに足らない建築物ですが、それでもその建物に家族が癒される。
私たちの仕事はその最小単位の家族を癒すだけの責任を負っている。

さあ、明日は上棟です。

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2019年03月21日

りんごの芯

春のお彼岸。

何事もイノベーションを起こすことほど手に負えないものはありません。
(リノベーションなら得意なのですが、、、)
私たちは建築屋ですから、おそらくは一万年は続いている家づくりの、その上っ面の上澄みを啜って、しかもほんのちょっぴり伝統を踏襲して、そしてさらにそこにほんの少しだけ新奇なものを加えてみる、と、その程度のことにしたって、それにしたって、それも実は新規でもなんでもなく、毎度のことながら、
「太陽の下では新しいものは何もない」
という一言に尽きるのです。新規の発見と思っても独り善がりの独善に過ぎない。そうか、「独り善がり」って、「独善」って書くんだ。(笑)

それだけに、今更ながらスティーブ・ジョブズの想像力には頭が下がります。思いつきなら誰でもできる。思いつきに形を与え、現実を新たに形作っていく。
何事も、形を与えられて初めて人はそこに体験という二字を刻む。それは経験となり、やがては新しい体系が生まれる。
形を与えることは、まさに建築屋の本分です。が、往々にして与える形は決まりきったルーティンワーク。だからと言ってただ新奇なものを追い求めてもいけない。新しい発見は経験の裏付けがなくてはなりません。たくさんたくさん失敗を繰り返して、繰り返して繰り返してその先に産まれるもの。しかし悲しい哉、私たちは、それほどまでに繰り返す失敗の前例を持たない。

建築屋ってなんなんだろう?「屋」と「家」と「士」。しかし建築屋と書くとなんだかそこらへんのゴロツキ然としておるのですが、これが建築家と「や」が「か」に転げるだけでなんだか風格が漂って(や、か、ましくなるのでしょうね。えっ?だから、や、か、でやかましく、、、)、しかもこれがさらに「し」に転がり込むとなにやら侍然として上げ膳据え膳、おもわず、「先生っ!」「おう。蕎麦屋かあぁ!」
う〜ん。これを知っている方はもう少ないでしょうね。少なくとも、いま家を建てたいと思っていらっしゃる方には、おられないでしょう。まま。

そういえばサンドイッチマンのコントに「建築士」という傑作なコントがあります。みなさん、ぜひ You Tube で、ぜひご覧になってみてください。傑作ですよ。(笑)

 

今日はなんだかまとまりがつかない話になってしまいました。

そんな春ももうすぐそこまで。急に話は変わりました。
暖かかった昨日、数年前にお引き渡ししたS様邸にお伺いしました。
駐車場のすぐ脇に懐かしいS様邸が姿を現します。木造、というか、木造り、というべきか。
そう、木造りの二階建て。
外壁はレッドシダーの縦張りで、仕上げはリボスです。ところどころ禿げてきたのは、いえ、剥がれてきたのは流石に年月の速さを感じます。(このハゲーっ!なんて言ってはいけません)

postman























屋根はシングル・ルーフィング。
上の小さい鎧窓は、ま、ロフトかな?ここに手紙がどっさりと入ります。ん?
下の大きなドアが蝶番が錆びついてちょっと滑りが良くありません。
こちらはリビングです。個包や大きい荷物が入りますよ。

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塗装の具合がちょうど良い。はいこれは、絶品の二階建ポストでした。(笑)
私たちはこれを、The Posthouse Deux と呼んでいます。オイオイ。

deux があるなら、un もある。そして trois もね。






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2019年03月05日

嵐が丘

町から本屋さんが失くなったことはほんとうに寂しいですね。
お肉屋さん(八百屋さんも)が失くなったことも寂しいですが、しかし何と言ってもレコード屋さんが失くなったのは愕然とするほど寂しかったです。
このレコード屋さんもいつとは定かではないのですが、気がついたら町にレコード屋さんが見当たらない。なんにでも予兆はあるもので、その何年か前からすでにレコードを買うこと自体が少なくなってきた。レコードからCDにフォーマットが変わった頃からいつしか次第に興味が薄れ、つまりそれは、蒐集の興味が薄れたことが原因のような気がします。優れたアーティストがいなくなってしまったのです。(私にとっては、ですが。)圧倒的な存在が見当たらなくなってしまった。
振り返ると、コールドプレイの三部作(X&Y 、Viva La Vida)くらいが最後のような気がします。
では、本屋さんにはなぜ行かなくなったのか?
子供の頃は貸本屋さんの棚のいちばん上にずらっと並んだ少年探偵団、怪人二十面相、明智小五郎。もう夢中になって読んだものですが、それから小学校の高学年頃からシャーロック・ホームズにはまり、中学では太宰治から夏目漱石まで、そして、外国文学では、あの「嵐が丘」と「漂白の魂」。

ま、そんなよくある読書歴ですが、コモハウスの建物に名前をつけるようになったのは、そんな子供の頃の読書遊び(?)の延長で、建築中の最も印象に残った出来事や発想や、そこからの想像力で勝手に名前をつけているのです。(お施主様、ごめんなさい)

Wuthering Heights


「嵐が丘」は家の名前としては決して無難な名前ではありませんね。(笑)もしかすると失礼かもしれない。これは、海を望むロケーションと、上棟直後の嵐のせいに違いありません。
わたしたちはこの建物を、「ワザリングハイツ」と読んでいるのです。

ワザリングハイツで思い出すのは、その昔、バブルの頃、初めてモンゴルを訪れたときのことでした。ウランバートルのはるか北方、北の方、テレジといったか、行けども行けどもどこまでもつづく草原の只中にある、まるで民宿か旅籠のような安ホテルで知り合ったオランダから来たというご夫婦。(小さい自閉症の娘さんを連れて、オランダからモスクワ、イルクーツクと列車を乗り継ぎ、会社から長期休暇を取って世界を旅して回っているという話でしたが、娘さんの病気治療もあったのでしょう。)その奥さんが、モンゴルの大草原を見ながら、「以前若い頃、イギリスのヨークシャーを旅してこのような美しい荒涼とした荒野を見たことがあります。」と、身振り手振りで微に入り際にうがって熱心にちょっと興奮気味にわたしに説明してくれるのです。その話を黙って聞きながら、わたしは思わず、「ああ、ワザリングハイツ、、、」。と言葉が口を突いて出ると、彼女はパッと顔を紅潮させて身を乗り出し、「そうそう、それです、ワザリングハイツです。エミリー・ブロンテの。」
私たちは同じような年頃だったのです、子供の頃に読んだ嵐が丘が、世界の東と西の果てで生まれも育ちも違う人間が、モンゴルの草原で嵐が丘を前に心を通わせている。

今更ながらにこんなことを思い出したのも、実は自宅の一室を図書室にしようと本棚のレイアウトを考えていたら、家内がたまたま「嵐が丘」の単行本を持ち出してきて、ああ、また読みたいなあ、と心すでに此処にあらず。で、パラパラと拾い読みしだしたら、これがなんと、憚りながらその訳文が気に入らない。(笑)ごめんなさい、翻訳者さま。
私が昔読んだ「嵐が丘」は子供心にもっと素晴らしかったぞっ!となんの根拠もないのですが。(やれやれ)

そこで色々と調べてみると「嵐が丘」には様々な訳文があり、もちろん私が子供の頃読んだ訳者が誰なのか皆目検討はつかないのですが、それでも調べるうちに永川 玲二さんの訳文が評判がいいけれども、しかしすでに絶版。アマゾンで調べると中古本で出ているのを発見。これだ。

明日くらい、とどくかしら?

今日はあんまりお天気が良かったので荒崎公園に寄ってきました。海が光って綺麗でした。ああ、もう春だな。

長井の海










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2019年02月25日

祝 ボヘミアン・ラプソディ

「ボヘミアン・ラプソディ」がアカデミー賞の主演男優書に輝いたのは本当に快挙です。
ラミ・マレックの演技は素晴らしかったですものね。
フレディを演じるなんて、フレディ自身が虚構のような存在なのに、その本人をどうやって演じるの?
ラミ・マレックはどんな魔法を使ったの?

この映画の素晴らしさは、フレディの人生を描くことに他の三人が熱中して、自分たちのことよりもフレディへの愛を表現した。これに尽きると思うのです。こんなバンドはクィーンしかない。

今日は余計なことは言わずにこの受賞を喜びたいですね。

  







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2019年01月18日

バカもやすみやすみ言え!

徒然なるままに日暮らし。えっ?その日暮らし?

なあんてね。(笑)

バカも休み休み言え。この言い回しは秀逸ですね。馬鹿を立て板に水で宣(のたま)うと、聞いている方はたまりません。疲れます。昨今のどこかのお国との角突き合わせがこれに当たりますかしら。(笑)
 
しかしまあ、平成最後の年を迎へ、新しい御代を迎えるにあたって、考えて見るに万世一系のわたしたちの天皇譜系図は風前の灯、どう考えても次の代、その次の代は明るくはない。男子がいなくなれば女子がいるさ。そう?ほんとうに?二千年間繋いできた類い稀なる伝統を此処で断ち切るなんて、断腸の思いでは済まないでしょう。
時々ね、柄にもなく日本はどうなるんだろう?と考えるととても辛い。
 
稀勢の里が引退して、日本人横綱はまた居なくなった。それより何より、白鵬鶴竜の相撲を見ているととても横綱相撲じゃあない。バタバタと、なんだか破れ太鼓の音が抜けたような土俵の風情に引退は稀勢の里一人ではなく、白も鶴も危ないなあと、まあレベルの低い相撲内容に一体相撲はどうなってしまうんだろう?あの日馬富士の暴行事件とその後の大騒動と貴乃花の引退からまさかの貴野岩の引退まで、一方の当事者である白も鶴も心の底では深く傷ついたのかもしれません。

それにしても、、、。 
日本中で、いえ、世界中であらゆる風景の質が落ちている、と感じるのは私だけ?😔この劣化はどうしたことでしょうか。
 
今日はカインズホームでお買い物。駐車場を歩いていると女子高生が二人、アイスクリームを舐めながらこれ見よがしに歩いている。あゝため息が出ます。
私たちが子供の頃は「食べ歩きはしない」「買い食いはしない」と教えられたものでした。
中学生の時、お昼休みに友達三人で学校の外でパンを買って食べたのですが、終業後、担任の先生に呼ばれて理科の実験室に連れて行かれ、(担任の遠藤先生は理科の先生でした。いつも白衣を着ている、そんな先生でした)教室の床に三人並んで座らされて、思い切り殴られました。先生は泣きながら私たち三人を殴ったのです。
なんて言えば良いのか?What'd I Say .
「買い食いのどこが悪い」と今の人は言うのかもしれません。どこが悪いのか、それは自分で考える事です。そう、どこも悪くはないのかもしれない。ただ、人間には、大事にしなければならない品格というものがあるのです。
それは教えられて初めて気がつくものなのです。身をもって教える。横綱が身をもって教える相撲道。教えるという行為は事ほど左様に崇高なものなのでしょうね。
だからと言って私に品格が備わった、などとはとても言えませんが、ただ私は遠藤先生の教えを大事にしたい、と今でも思うのです。

2019年の台所リフォーム

新年最初の仕事始め。台所リフォームが完了しました。明るい台所は良いですね。
新しい年に明るい未来が。








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2019年01月01日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜りありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

今年は初日の出を拝みにソレイユの丘へ。
朝焼けの太陽は美しかったですね。
今年が良い年でありますように、心の中でそっとお願い。

さて、2019年。コモハウスの新しい年はどんな年になるのでしょうか?美しい家づくりは成就するのでしょうか?乞うご期待。新年の仕事始めは一月七日から。改めて本年もよろしくお願いいたします。

2019 happynewyear






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2018年12月19日

帰り道

帰り道がわからなくなると、人は北を目指します。
北極星を目印に、極北の大地を目指すわけですが、家づくりがわからなくなると、私たちは古典に帰ることになります。
古(いにしえ)の住まいにその原点を探るわけです。私たちが生きたこの僅かの時間の中で目指すべき北極星を見つけた人は幸運と誦んでもいい 。ありがたいことに私たちには法隆寺があります。

法隆寺は百三十を超える建物群から構成されています。

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柿食えば 鐘がなるなり法隆寺

正岡子規がはたして法隆寺を眼前にしてこの句を詠んだのかどうか、わかりません。境内の茶店で出された柿を食べていてこの句を詠んだとありますが、もちろんそれほど単純ではないでしょう。もしかすると、火鉢にあたりながらミカンを剥き、この句を思いついたのかもしれない。(笑)
鐘をならすのはどこがいいのか?万寿寺か、高野山か、まてよ、浅草寺はどうだろう?
しかし、子規は法隆寺を選んだ。
子規が法隆寺を選んだとわたしは今のいままで思っていたのですが、 もしかすると法隆寺が子規を選んだのかもしれません。子規はすでに抗えなかった。子規には法隆寺をはずことなどできなかった。
私たちが古典を持つということはそういうことなのかもしれません。日本人は法隆寺に大きな恩恵を負っています。飛鳥の工人に大きな恩恵を負っている、と言い換えても良いのでしょう。

houryuuji4


あの様な比類ない美しい建造物群をこしらえた人々の情熱と汗と涙。私たちにはとてもかなわない。叶わないのは未来を見据える視線といってもいいかもしれない。おそらく飛鳥の工人たちは法隆寺が千三百年の未来にも輝き続けるであろうことを見通していた。戦乱に焼き払われる可能性はもちろんあるにしても、時代を超えてこの建物群の持つ美しさは微塵も変わらない。
建築中に、彼らはそれを信じて疑わなかった。
私たちにはとても敵わない。

houryuuji3

壁の左官仕事も法隆寺で見ると自ずと違って見えてくるものです。この左官仕事はそれほど古いわけではないでしょうに。

houryuuji2

見上げれば五重の塔。ああ法隆寺。








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