思いは遥か
2026年07月14日
この時代に家を建てる意味
貧しさに負けた?いいえ、世間に負けた。日本人は世間に負けてそこから密かに這い上がり、やがては掴むかもしれない成功の二文字。その青春の蹉跌の途上で何かを見つけ、人は大切な場所に自分自身を刻む。外国人はどうだろうか?彼らは世間に負けない。世間に対峙し、世間に復讐の刃を研ぐ。他人を殺さなければ自分が殺される。彼らの貧しさは民族の悲哀。信じるものは民族の絆。そして民族は地べたに従属する。地べたは限られている。限られた地べたの分捕り合戦。
わたしたちのこの国は瑞穂の国。万葉の昔からわたしたちはこの国を大事に守り育ててきた。それなのに分別のない外国人に切り刻まれて良い訳がない。安倍さん暗殺事件以来わたしたちの国は暗殺者の勢力に押し込められ、もう後がない。
わたしたちはこの国を護りたい。護るんだという強い意志を表明したい。

2026年04月22日
遥かなる西班牙
日本も大きく変わりましたが彼の国もまた激しい変化があったことでしょう。初めてスペインに入った時、あれは地中海の海岸沿いにレ・ボーからペルピニャンそして沿岸沿いの沼地が広がるジプシーの多く住む湿地帯、カマルグ地方を抜けてバルセロナを目指したのですが、列車がフランス領からスペインに入った途端(列車内が税関に早変わり)車両の扉がグワアラリ!と乱暴に叩き開げ、国境警備兵が2名、大声で鋭く、巻き舌で「パスポルテ‼️」。1人は自動小銃を構え眼光鋭く乗客を睨みつける。な、な、何事だ?!
もちろん事情に疎いわけではなく、パリにいる時からスペインの民主化運動の話は知っていましたから驚きではなかったのです。ファシズム政権打倒を目指す若者たちの人民戦線がパリを中心に反フランコの闘いを繰り広げていました。
ちょうどフランコ総統が亡くなって直2年後でしたからスペインも激動期に入ったのか街はピリピリしていました。そうした事情の片鱗がこの列車での国境の厳しい取り締まりにも見てとれたのです。
コレはコレは、書き始めた以上どうにか締めなければカッコがつかない。
スペインにしても中東にしても、もちろん日本も、グローバル化する以前の世界はこんなにも自由で人間味に溢れていた。違いを認め合い、不自由をかこち、思いやりが孤独と一線を引いていた。
嗚呼!孤独。この言葉もすっかり死語になりましたね。孤独を嘆くこともなくなった代わりに、しかし人は逆に孤独に陥っていく。
わたしたちは病気なのかもしれない。私たちのこの時代が病気なのです。グローバルな世界は国境がなく、国境がないから違いを認めず、すべてかボーダーレスに水増しされて個性は認められない。自由であることは不自由を超えて、自由さへも不自由と何ら変わらない。つまり、自由の価値が貶められ、手に入れたと思った自由は不自由そのものであった。
ありとあらゆる病気が蔓延して、すると信じ難いことに希望ですら病気のもうひとつの顕現かもしれないと思えてくるこの異常な時代。
2026年02月02日
散歩でひぐらし
それでも住まいづくりに終点はない。しかも歳を重ねる程に家づくりは深く巧妙に、確かに確信へ近づいているという実感がある。これは奇妙なことで、普通は音楽でも絵画でも文学でも若い感性が作品に圧倒的な存在感と未来を本能的に捉えて有無を言わさぬ力技をふるって周囲を平伏させるものです。若者こそが芸術の未来を切り拓く試練を与えられ、歳を取るほどにその感性は衰えていく。残念なことにこれは歴史が証明する事実なのです。
それにもかかわらず、建築は歳を経ることが欠点にならない稀有の表現形態と言っても良い。建築は年寄りにこそ相応しいのかもしれない、と考えると、それは有り難いようで多少むず痒い恍惚と不安のふたつ我に有り。笑
さて、私も去年より確実にひとつ馬齢を重ねて去年より今年のコモハウスに乞うご期待。そんなふうに考えると人生まんざら捨てたもんじゃない。
いやあ、建築って、ホン〜トにおもしろいですね。それではご一緒に楽しみましょう、サヨナラ、サヨナラ、さよなら。
2025年04月22日
散る日本
さて、職人の復権は日本人のモノづくりへの情熱を取り戻す以外にありません。モノづくりへの情熱を掻き立たせるには子どもたちの遊び心に火をつける以外にあり得ません。お母さんたちに大事なことは、子どもをほっておきなさい。ありったけの愛情を注げばあとは野となれ山となれ。
それでいい。愛情さへ注げば子どもは道を踏み外さない。信じること。大きな愛情でつつんであげれば子どもはなにごとかを始めるでしょう。
子どものやる気を育てるのは親の愛情です。他には何も要らない。
今のご時世大人のチマチマした干渉が子どもをいびつに歪めてしまっている。私たち大人がもっともっと大らかに、山のようにドッシリと構えることが求められている。
それ以外に日本の復活はない。
2025年04月05日
旭に匂う山桜花
永遠♾️は見えなくともせめて日本の先行きくらいは覗いてみたいもの。それというのも我々の仕事にしても職人不足が叫ばれてなんとはなし重苦しい気分がジワーッと背中にのしかかってきます。
職人は足りないのでしょうか?
足りているとはとても言えませんが、要は大工がいない、コレに尽きるのでしょう。長い間大工の偉大さを軽視してきた付けが回ってきた、と言って良いのでしょう。それは複合的な要因が重なり合って今日の事態をまねいたわけですから一朝一夕には解決しない。
先ず学校制度の改革が急務です。それは価値観の見直しです。汗水流して働くことの意味を子どもたちが考えて欲しい。いえ、考えるのは後からでいい、体を使ってなにごとかを成す、その喜び、その達成感を体で感じること、そこから始まります。小さなことをコツコツコツコツ、そう、小さなことから始めましょう。
わたしたちの周りの生活を見直すことも急務です。食事の時のいただきます。ご馳走様。食べ歩きはしない、買い食いはしない。こうした昔は当たり前に家庭で躾けられた行いが蔑ろにされてしまう。
勤勉とは何か、勇気とは何か?
「勤勉にとって固すぎる壁はなく、勇気にとって近寄り難い深淵はない」ノーバリス
こども心に父に教えられたこの言葉が今でも頭のどこかで鳴り響いています。たったひとつの教えを子どもに残す。それさへも私は成し得ただろうかと今更ながらに忸怩たるものがあります。
だからこそ、教育なのでしょう。
そのためには、まず親が人間の幸福と不幸について考う直す必要があります。
男は男らしく、女は女らしく。男子校や女子校の復活はもっと真剣に考えた方良い。昔は工業高校や商業高校が普通高校がありました。みんなが大学に行く必要はありません。その大学からして今ではただの遊学大学ではありませんか。大学の荒廃と教育の衰退。
かつて女子教育の重要性を訴えられた津田梅子女子。子育ての最前線で頑張るお母さんを正しく導く教えを女子教育が担っていた日本の教育制度。
女子を女子たらしめる教育。男子を男子たらしめる教育。
この教育の根幹が無惨に打ち捨てられたのはいったいどこに問題があったのでしょうか。
男女平等という悪き理想。男女不平等が許されるわけはありません。しかし、男女不平等の反対が男女平等ではありません。そこを履き違えた教育が今の教育の荒廃を生んでいる、と私には思えてなりません。
大工不足の原因は奥の深いものがありますが、まず大工は徹底した個人主義という点にその難しさがあります。大工職を極めるにはまるで求道精神の如く道を極める、そこに極意があっては誰も成り手は集まらない。ではもっと緩い精神で良いのかと問い詰められればこれもまた言葉がありません。
その中間でというほど世の中は甘くない。
しかし、そこに横たわる日本のものづくりの精神は、なるほど今風前の灯と言って言えなくもない。
いや、これはこれは今日のテーマが重すぎました。しかし、もっともっと考えなくては日本の明日は、日本の建築の明日は、住まいづくりの明日はない。
大工不足を嘆いていたら話はあらぬ方向へ。
ふふふ
2025年02月09日
薄れゆく伝統
わたしたちの仕事はハウスメーカーとは違います。トコロテンのように押し出されてくる家が悪いわけではありません。しかし、それは、あえて云えば住まいづくりではない。無機質な家はわたしたちの家づくりではありえない。
2025年01月18日
なぜ家を建てるのか?
コルビュジエが「住むための機械」と言い切ったのは、それは同時代に住まいの定義があまりにも曖昧にあり過ぎたことへのアンチテーゼでもあったのでしょう。
現代の我々のまわりを見渡してもそれはズシリとした重い感慨を醸しだします。三千万円の買い物には、それに見合う動機があっていい。しかし、住まい造りの相談をうけるとき、わたしたちはなんと曖昧に家を夢想していることでしょうか?わたしはよく言うのですが、新しくなった住まいのそのお気にいりの一角で椅子に腰掛け、住まいの全体を見渡したとき、あなたは深い感慨とともに何を思うのでしょうか?
その空間になにを見出すか?それはわたしたちの永遠の課題なのです。その課題をご一緒に追い求めることで美しい住まいを手に入れることができるのではないでしょうか、と。
ル・コルビュジエは「建築をめざして」のなかでこうも言います。
「情熱は生命なき木や石で劇をつくりあげる」と。
「石材を、木材を、セメントを工事に移して家屋や宮殿をつくる。これは建設である。知性の働きだ。
しかし、突然わたしの心を捉え、わたしに良いことをしてくれ、わたしは幸福となり、これは美しいと言ったとしたら、それは建築である。芸術がここにある。」
住まいづくりは対話です。施主と、造り手であるわたしたちとの対話であり、物言わぬ語らいは材料を通して形となり、職人を架け橋にして虹をつくる。
わたしたちの住まいづくりは唯一無二の経験と言っても良い。
さあ、素晴らしい経験をご一緒に。
2024年05月01日
日本の住まいは変わるのか?
「建築の作法、不作法」は建築会社の日々の記録ですからここで先の大戦に口を挟むのはそれこそ無作法というもの。今でも世界のあちこちで戦争が続いているのは人間様はあまり利口ではない証拠かしら。
戦争とは比べるべくもありませんが、日本の住まいの変遷にも残念な動機があるものです。
2024年03月01日
明治村へ行って来た。
先日九州に帰省するおり、途中名古屋で下車して名鉄線とバスを乗り継ぎ念願の明治村へ行ってきました。目的はただひとつ。あのフランク・ロイド・ライトの設計になる「旧帝国ホテル」を見たい、というその一念。
ついに念願叶う日がやってきたのです。
じつは名古屋は初めて。あの河村市長を生んだ名古屋です。さぞ個性的なんだろうな、と覚悟を決めていざ見参。名鉄線の電車の中で🚃興味津々、まるでオノボリさん。良い意味で名古屋という地方色豊かな土地柄がひと目でわかるようです。そうやって電車の中でもキョロキョロキョロキョロ。すると、あっ、いた、なんとも言えず個性が破れたような奴が。🤪
平日の午前9時台。まばらな乗客。四十前のちょっと摩訶不思議なサラリーマン風情のお兄さん🧑💼。下車するときの立ち居振る舞いがなんと言いましょうか?
いえいえ、とても私ごときの筆力であの破れかぶれの信長みたいな男性を描写することは叶わない。やすしきよしのやすしみたいな奴、と言ってもあたらない。う〜ん!兎に角可笑しい。ちょっとした仕草が笑っちゃう。愛らしいとも言えますが、いや、ここは、、、止めておこう!🤪
このままいくと明治村に辿り着かないかもしれません。
さて、気を取り直して明治村、その全体が見応えのある博物館?と呼べるでしょうが、いくつかのエリアに分かれていて、一日で回りきるのはちょっと難儀です。
幸いなことにこの日は快晴、風もなくまるで小春日和。真冬の寒い日はちょっと辛いな、なんてほくそ笑みながらニタリ。(笑)
山を切り開いてできた場内ですから自然の坂や階段もあり、東京ディズニーランドのようなわけにはまいりません。TDLが海っペリにできたのはそういう訳もあるかもね?ユニバーサルジャパンも海岸っペリ?
子どもたちには坂は向かない、では年寄りには坂は向いてるの?と、これは憎まれ口。🤪
さてさて、そのアップダウンをハチマキ捻ってテキトーに端折りながらも匍匐前進、とても制覇とまでは口が裂けても言えませんが、そこそこ堪能しながらも、いい按配でお昼です。するとまた、そんな時間にそんな場所に都合よく昭和のレストランがあるんです。明治村とはいえさすがに明治のレストランはありえない。それでも昭和の味を楽しみながら、制覇した古い建物にチェックをいれ、ああだこうだとウンチクを傾けて、さあ、お腹も満腹、さて、いよいよ佳境、汽笛一声新橋を。いざ、旧帝国ホテルは目と鼻の先、レッツゴー!
明治村を俯瞰してみれば、その配置の白眉が帝国ホテルであることは一目瞭然、その圧倒的な佇まい。わたしたち建築に携わる者にとって永遠の見果てぬ夢、尽きぬ泉、嗚呼、これが帝国ホテルなのか。
さすがに天井は低い。地を這うようにベターっと低空飛行を強いられて、そしてまた一転してダイナミックな吹き抜けの空間が、その対比が素晴らしい。そしてまた、石積みの壁に施された鮮やかなデザインとその意匠。よくぞここまで、とため息の出るその人間技に、根気良く伴走したライトの執念に脱帽です。デザインを考えるのは仕事ですから、しかし、それを実現させるのは人と人のぶつかり合いです。
建築会社をやっていると人を動かすことの困難さにイヤでもぶつかります。ライトはまなじりを決して百万人といえども我行かん!
嗚呼、その覚悟や如何に。
明治村の旧帝国ホテルはライトが実現した帝国ホテルの全貌のわずかに玄関ロビー部だけなのです。
かけがえのない宝物は夢のまた夢。
また行きたいな。
建築は偉大だなぁ.
2023年11月05日
Now And Then
わたしたちの時代は遥かな昔、ヒッピーや地下演劇、アングラ、サイケ。極彩色の時代は価値観の転倒、何が善で何が悪か 、情報が初めて表に飛び出して、疑いを知らなかった子どもたちもふと立ち止まる。真実は他にあるかもしれない?
できないと思っていたこともやってみろよ!やってみる?
もしかしたらやれるかもしれない。こんなひ弱な自分でも、大切なことは自分を信じること。地平線を切り開くのはどこかの誰かさんじゃない、自分自身なんだ。
そのことを教えてくれたのがビートルズでした。価値観がガラガラと音をたてて崩れ落ち、瓦礫な中で新しい価値を打ち建てる。大袈裟なことでもなんでもなく、ただ自分の足で立つこと。そうして外の世界へ背伸びして乗りだすと何かしら心がときめき、昨日までの自分と何かが違ってくる。
すべてを疑う必要はないかもしれないけれど、信じるに足る自分を見つけることはこんなエキサイティングなことはない。そしてそれは、結局はジョン・レノンに尽きるのです。それらのすべてはジョンが教えてくれた。
ビートルズ最後のレコードが発売されました。カセットテープに残されたジョンの未発表のデモテープからジョンの声だけを取り出し、三十年前にポール、ジョージ、リンゴが取り組んだ試みもテープの音が悪すぎて 断念したものを最新の録音技術で完成にこぎつけた正真正銘のビートルズ最後の新曲です。
正直なところそれほど期待したわけではありませんでした。
11月3日、全世界同時発表。 半分やれやれ、といった重い気持ちでYouTubeでビデオを見ました。つまらなかったらどうしよう?
おそるおそる聴いた初めてのビートルズの新曲。そんなバカな!素晴らしいじゃないか!👍
全世界が固唾を飲んで見守る中、期待に違わぬ作品を創り出す。これはこれは。
ああ、これですべてが終わったのだろうか?有終の美というものがあるのだとビートルズが教えてくれた。
そう、これが最後のわたしたちのテーマ。これからはこの「有終の美」 を自分なりに考え、見つめ、人生を全うしたいと、今あらためて思う。
ありがとう。
2023年11月04日
改修奇譚
2023年09月26日
秋でもないのに、、、
いやあ、忙しかった。とんでもなく忙しかった。こんな忙しい思いはもうたくさん、ってくらい忙しかった。
盆休みもなく、青春を返してくれッ!ってちょっと厚かましい話ですな。てへへ。
しかし、人間忙しいのが幸せか?暇を持て余してごろっと横になり、手のやり場に困ってハナクソをいじくるのが幸せか?
もう若くはないのだから。充分にシニアな私は幸いなことに好きな仕事がある。
わたしたちの会社はチョット変。いや、かなり変。😆
建築会社は家を建てたいと思うお客さんの忠実な僕しもべ。客が右向きゃ建築屋も右を向く。嗚呼、それなのに、わたしたちコモハウスは左を向いて天として恥じない。わたしたちにはわたしたちの建築がある。
住まいはもっと美しくなる。信じてもらえるだけの執念をうちに秘めて。わたしたちはわたしたちの執念を研ぎ澄ますしか道はない。
しかし、美しい住まいを求めるのなら、コモハウスは決っしてお客さまを裏切らない。
2023年04月30日
ボブ・ディランと伝説
四月十六日、日曜日。東京公演の最終日。物々しい警戒があるわけでもなく、大聴衆が集まったわけでもなく、会場の外の電光掲示板と云おうか、このご時世では大きなデジタル・スクリーンに映し出されたツアーの広告が他の広告と入れ替わりながら映し出されていく。
大音量でもなく、程よい音量でミスター・タンブリンマンが会場のビルの内外で流れているので、そうか、これからボブ・ディランのコンサートが始まるんだと改めて気づかされ、人ごとのようにも思われたりする。
だがしかし、ボブ・ディラン。
私にとっては二度目のボブ・ディラン。もう二十年も前に見たディランもやはり三月だったか四月だったか? 時代は変わる。ディランが歌ったように、シニカルに時代は変わってしまった。変わり果てた時代は、ではわたしたちが望んだように変わったのかと言えば答えはNOだ。60年代の夢は見窄らしく風に吹かれているのだろうか?
いや、それも違う。わたしたちは少しくたびれ果てたが、今でも夢がある。今でも変わらぬ夢がある。
それを、風に逆らっても高く掲げて運びつづけ、前を向いて歩いていく。
2023年04月09日
伝統は電灯の如く(笑)
電信柱は電線をつないで家々に灯りを点し、家庭に幸福を運ぶ黄色いハンカチ。
昔は電信柱はとても意義深い、文明の利器、電線を辿れば山のアナタの空遠く、幸住むと人の言う伝説の愛の調べ。
ところで皆さんはテフロン加工のフライパンを御存知ですよね。だれしもお聞きになったことがあると思います、例のフッ素加工された焦げ付きにくいフライパンとして絶大の人気がありますが、フッ素加工の危険性にはあまり関心が向けられません。同じように、フッ素樹脂入りの歯磨きチューブも危険極まりないものがあります。
このフッ素樹脂加工品で多くの特許を持つのがスイスのデュポン社です。デュポン社は様々な分野に進出して私たちの日常に深く関わっています。つまり、穿った見方をすると、とても危険な香りがする誘惑的な企業、とも言えるかもしれません。
建築の分野にもデュポンの製品がさまざまあります。外壁の防水紙「タイベック・ハウスプラス」や屋根の熱気を緩和する「タイベック・シルバー」があります。昨今では外壁の下地にデュポンの防水シートを貼るのは一種のステータスとも言える位置を占めています。
コモハウスも御多分に洩れず、デュポン社のステータスに惑わされた建築会社のひとつでした。 この防水紙に何が使われているのかは誰も知らない。原料はポリエチレンです。透湿性があり、防水性に優れているとされていますが火災時に何が放出されるかは不明。
ケミカル製品の分野で大きな一角を占めるデュポン社の闇は決っして小さくはありません。
映画「ダークウォーターズ」はアメリカ・ウエストバージニア州のデュポン社の工場から長年たれ流されてきた工場廃液から広大な牧場でおこる牛の異変、癌の多発、まるで水俣病やチッ素の大規模訴訟を思い起こさせる現代アメリカの病理の一側面なのです。
こうした事実をデュポンは知らなかったわけではなく、知っていた。テフロン加工の技術が負の技術であったにもかかわらず、今でも私たちはテフロン加工のフライパンをありがたがって使っている。高温で熱したフライパンの表面から有毒物質が私たちを襲う。
コモハウス・サイトへ
2023年03月06日
家づくりの動機、動悸、同期。
夢なんてない、という現実一辺倒の方はお引き取りください。😙
2023年01月01日
あけましておめでとうございます
2022年09月27日
2022年07月10日
不可解な暗殺事件
これが例外ではなく、普段からこの程度なのでしょう。
2022年05月15日
五月の風、五月の風邪?
ところが昨日から今日にかけて、いやあよく降りました。
いやあ、この飛躍が見事ですね。雨が降れば雨に願かける。その不屈の精神がお見事!
そんな流行り歌も今は昔。
GWは長かったけれど、衝撃的だったのは例のイーロン・マスクの、「このままでは日本はいつか消滅してしまうだろう。それは世界にとって大きな損失だ。」
男も女も、剥き出しの裸顔て愛を唄え。大切なことは人と人の出会い。いえ、出逢い。
男は女を、女は男を。見つめあう恋。嗚呼、そんなときめきをマスクなんかしていちゃ永遠にときめかないだろう。 わたしたちはなんて不幸なんだ。
「恋をしようよ」
「抱きしめたい」
「恋の終列車」
「あなたに夢中」
「恋する二人」
昭和の時代の流行歌は愛だ恋だ失恋だ。朝から晩までめくるめく愛欲の狭間でのたうち回り、愛のために死のうと本気で思い詰めたものでした。その情熱が一億三千万人の日本を作り上げた原動力だったのです。
boys be ambitious 青年よ 大志を抱け!
しかし、これからは、
boys be love LOVE 若者よ 愛にどん欲たれ!
産めよ増やせよ!殖産興業?ん?ちょっと違う?
ま、しかし、結論は同じ。笑
愛することに希望が持てないのなら、わたしたちは何処かで道を踏み間違えたのかもしれない。
書を捨て、街へ出て、好きなあの子を見つけたらあとは行けいけドンドン、です。
男と女のラブゲーム❤️ 日本の未来は愛こそがすべて。
さて、これからの建築会社の住まいづくりは「愛の棲家」 の家づくり。そう愛の逃避行。
いやあ、しかし、この映像は素晴らしいですね。むかしのテレビ・マンは気合いが入っています。
2022年04月11日
夢をもとう
だって、ねえ、世界最高の人材が集ってマスクを必要としないということは、パンデミックが終息したのか、そうでなければマスクに効果が認められないかどちらかでしょう。
古い話、もう半世紀に近い古い話ですが、「疫病流行記」という芝居がありました。
疫病患者の出た家の扉は、
新しい世界がはじまっていたのだ。
アントナン・アルトーという人が「ペストと演劇」という論文の中でね。
ようするにあのね、非常に大量な人間がペストで死んだという歴史的な事件を、
こう例に引きながら、その死体をその調べてみたら、
彼らはペストに罹ったという幻想にとりつかれて集団で死んでしまったという。
しかし、その夢の正体がマスクをしていてよくわからない。目をこすり、首を振り、もういちど眺め回してもその本質がよくわからない。なんとなく息苦しい。口の周りがふわふわしている。むせるような、生暖かい空気が顔のまわりで淀んでいる。
疫病流行記にこんな台詞がある。
「あたしはあなたの病気です。」
2022年01月01日
謹賀新年
本年も変わらぬご支援ご鞭撻のほど よろしくお願い申し上げます
2021年12月24日
聖夜
それって、とってもドラマチックじゃない?
ドラマチックは漫画じゃないのさ。
「きよしこの夜」誰でも知っているこの歌に「7時のニュース」をかぶせるだけで世界は違って見えるもの。この豊かな想像力に脱帽です。
2021年12月16日
今年のブルーフレームは合格かな。
魔法のランプを思い出す。ランプをこすると思い出す。
しかし、今年はどうだろう?
え?何の話かって?
このストーブは1975年製です。手に入れてもう二十年以上になります。
どこかの町工場で使われていたのか、油汚れで真っ黒、それをホースで水をかけながらタワシでゴシゴシ洗い、それこそ灯油タンクの中まで洗って天日干し。さすがに芯は変えました。
独特の構造なので煤が溜まるととたんに匂いがします。
しかし、手をかけてあげるとしっかり応えてくれます♪ 。
去年はうっかりしまう時に前年の灯油が残っていたのが災いして、部屋中煤が舞い、匂いがこもって大変な思いをしました。
さて、そこで今年はしまう時に念入りに灯油を抜き、乾燥させたのが功を奏し、炎が真っ青なブルー。そう、これがブルーフレームです。アラジンはこの炎に赤い火が混ざるバツです。匂いがします。
そんな不自由な石油ストーブですが、ブルーフレームを眺めているてとなんとも言えず癒されます。
そこには不思議な魔法が働くのでしょう。
便利なストーブではありませんが、精神安定剤としてこれほど癒されるストーブはほかにしりません。
2021年09月26日
大事にしたい
2021年09月17日
不思議なフーマ
実は先は長いのですが、端折ってそれからさらに四年後が今。
で、今回は 、お風呂と洗面所とトイレのリフォームとなりました。
で、実は、A様宅には愛犬がいるのですが、その愛犬がなんと「もん」 ちゃんです。
ン?「もん」 くん、かな。
そう、その名も 「もんじろう」くんの「もん」ちゃん。
えー!先日このブログにご登場願った「レモン」 ちゃんとは従兄弟になります。
なんて、そんなことはないか?笑
不思議のフーマはそんな勝手なつながりから。え?やれやれ?
2021年04月17日
「再録」古きを訪ねて
千年家。そう呼ばれる古い家がわずかに一軒、二軒。その家はいつからあるのか誰も知らない。遥かな時間を紡ぎながら、千年家はそこにある。
私たちの家づくりは千年の時に耐えきれない。千年の時間に佇む家が織りなす骨格はどういうものだろう、と考えてみる。設計図面は驚くほど単純であるべきだ。玄関、食堂、寝室。他はいらない。しかし、それは機能としての側面で、空間は驚くほど豊かであるべきだ。千年の時はあらゆる体験に耐えねばならない。自然災害、戦争、略奪、ねたみ、そねみ、愛と憎しみ。もしかすると、セシウムにも耐えなければならないかもしれない。
途方もない千年の時間。
わたしたちは、一年刻みで家を考えてしまう。せいぜいが想像力を逞しくしても10年保証だ20年保証だとなんともみみっちい世界で家づくりを捉えることしかできない。しかし、しかし、家づくりはまた、心の新築工事でもあります。まっさらな計画を前にして、図面に線を引くのは心に爪をたて、家族への想いを疑似体験し、彼らの心のひだに分け入って新しい生活を立て直す。そんな小さなおどろき、愉快な発見。喧嘩もするかもしれない。でも仲直り、子供の寝顔を見ながら「幸せについて考える」そんな一瞬を組み立てて、そこで彼らがどう動くのか?心の琴線はどこで触れ合うのか?廊下?居間?
そんな風にして、まず玄関をどこに置こうか?と考える。車が一台。どんな車?もしも彼らが古いビートルを持っているとしたら、車と玄関の関係に一石を投じることになるかもしれない。玄関ホールは要るのだろうか?天井を見上げると吹き抜けている?吹き抜けた二階の先に満天の星空が見えたなら。星々の煌めきに、誰かさんの笑顔が見えるかもしれない。そう。家づくりは心のつながり。
家族の心のつながり。心をつなげる桁が松でできている。桁と母屋をつなぐ心の柱は東濃檜。
さあ、このあたりから思いは具体的な構造へと飛躍していく。
構造が家族を繋ぎ、愛情が空間をつつむ。嗚呼、千年家。
夢を見たら譫言(うわごと)を言いませう、
退屈したら欠伸をしませう、
腹が立ったら怒鳴りませう、
しかしだ、萩原朔太郎君、
古心を得たら古語を語りませう。
柱や鴨居に古色塗料「久米蔵」を塗布。
思わず背筋が伸びます。ニンニン。
2021年03月06日
春雨じゃ、濡れていこう
2020年11月01日
ダブル・ファンタジー
2020年06月25日
beautiful obsession
2020年05月14日
沈黙は金?銀?メッキ?
喩えて云えば、寡黙な工務店と雄弁な工務店。どっちが良いのかは別にして、では当社はどっちかと考えると、ま、とても雄弁とは呼べない。(泣)時代の寵児は雄弁でなくてはならない。現代の雄弁は必ずしも喋り倒すのではなく、ネットに乗ってサーフィンよろしくドンブラコ、どんぶらこ。多くを語る必要はなく、ツィーターかインスタ映えの、超短編かショートショート。語るほどに馬脚を現す、だから、なるべく語らない。
しかし、語ってる風に見せつける。
ホリエモンや橋本さんを思い浮かべるとなんとなくわかるかしら?聞いてる方は何にもわかっちゃいないんだから、口数が多いと疲れて寝てしまいます。 だから、ツィート、疲れさせない程度にね。ただ、このツィートを機関銃のように繰り出さなければなりません。忘れられないように。
さて、建築会社はこの時代、どのように在るべきなのか?家を建てるのが私たちの仕事。それ以上でも以下でもない。しかし、ある時、ジョナサンは考えました。ほかのカモメたちと空を飛びながら、ふと考えたのです。
飛ぶだけがボクたちの仕事じゃない。
心温まる家づくりは 、技術の問題だけじゃない。そう。素材の選択から始まって、その素材をどう見せるか?素材はひとつだけじゃない。その素材に何をぶつけて、何を引き出すのか?

































