日々これ精進

2024年08月31日

結婚にまつわるたったひとつの条件

「ああ結婚」
ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ。
わたしたちの時代では平成天皇と美智子様のご結婚がおさな心にも鮮烈な印象がありますが、ダイアナ妃とチャールズ皇太子のご結婚も印象的です。
が、しかししかし、そんなことよりも自分の結婚のほうが鮮烈だろう、とはあたりまえの話ですがまずそれが一等最初でなければ人生なにかが狂っていると揚げ足を取られてしまいますね。😁

そう、結婚。
人生はひとりでは生きられない。生きられるかもしれないが、あまりにもやるせない。共に人生を歩むには何か決定的な瞬間がなければならない。しかし、そうは言っても人生は往々にして単純なもの。

いつも花ばかり送ってつまらないのですが、人生もまた、単純なものなんですね。

これはハイネの言葉だったか?

単純な人生。
しかし私たちは単純であることを笑えない。波乱万丈の人生は傍目には面白そうでも当人にとっては波間で翻弄される小型船のようにぐうらぐうらと船酔いののような人生であることはなかなかに骨が折れるもの。
さて、シンプルであること。シンプルと味気無いはまた違う。
味気ない結婚生活というものも一方にはある。噛んでも噛んでも味が染み渡る。そんな結婚を夢見るにはお互いの相性が決定的である。
この相性というものを深く考えて見るにつけ、なかなかに一筋縄ではいかない。
男と女の相性は、突き詰めて言えば謝ることだとわたしは思うのです。結婚生活は二つの異なる個性のぶつかり合い。ついつい腹をたてること、行き違い、娯解、思い過ごし、疑念。

わたしたちは小さな個性。ちいさな人格。ちいさき人。
相手を思いやれば何事につけまずは自分から謝ること。結婚生活は勝ち負けではない。相手の嫌がることをしてしまうのが自分。相手だって心ならずも嫌なことをしてしまう。だから、最初に謝ったほうが勝負は引き分け、引き分けに持ち込むことが結婚生活の大事な要諦。

さて、そんなわたしもまた、一度とならずつまらないことで腹を立て、家内を悲しませたことがあります。その深い反省の上に立ってこんな事も言えるのですが、いつも花ばかり送ってつまらないのですが、All my loving そう、花すら送らない人生はさらに単調でつまらない。








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2024年06月16日

リフォーム工事は今が佳境

数年前に新築工事を請け負わせていただいたお客様のご実家のリノベーションです。
お客様が子どもの頃に暮らした二階二部屋プラスに台所、トイレ、洗面台をまとめて2Kプラスユニットバスを付けて賃貸住宅に貸し出そうという計画です。
一階はこれまで通りお客様のご家族が利用するとして、さいわい二階が外階段で別になっています。
築四十年以上の住宅ですが平屋として建てられたその後に下駄を履かせて二階を載っけた住まいですから水道ガスが結構複雑です。

さて、すべての道はローマに通ず。
昔の建築は手が込んでいます。毀すのもなかなか容易じゃない。壁はすべてが真壁、そうして内壁はことごとく左官仕上げ。間柱はなく、貫で拵えた壁はなかなか頑丈で、左官の下塗りも厚くしっかりと拵えてあります。
つくづく昔の建築の頑健さに頭が下がります。

下地材も太く、しみじみ現在の木造工法とは違ってしまったものだと思いますが、現在の建築にはまた違った意味で頑健さが備わっているので一概にはどうこう云えません。ただ、昔の大工さんはテニヲハに忠実であったとは言えそうです。

今では大工も修行の機会が少なく、なにより建築基準法の厳格化で増築がほとんど不可能、増築がないと大工も勉強する機会がありません。腕を磨こうにもいきおい機械に頼った「ゲンゾウ大工」に向かうのも宜なるかな。

ああ、そうか。何事も、千里の道も一歩から。

さあリフォーム工事、今週が佳境です。

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2024年05月11日

底をつく大工

日々これ精進とは云えども精進する建築工事がすでに人の手を離れようとしている。
建築工事はこれからますますプレファブ化していくのではないか。
職人不足はわたしたちの住まいを画一化し、人の手を離れて中性化するのではなかろうか?

今更職人気質と言ってもすでに手遅れ。
いつでしたか、あのホリエモンが寿司職人をして、寿司を握るのに十年修行するのは馬鹿と言って憚らず、職人の修行の価値を貶めたときは心底驚き以外の何物でもありませんでした。

彼にとって、職人はすでに無用の長物だったのでしょう。
それは職人の本質を見誤っているからで、職人の対価を金銭でしか測れないから技術の深淵について思いが及ばないのです。
職人はお米を握るときにすでに何物かを感知している。この握り方で良いのだろうか?手に水を浸したとき、少し水分が多いのでないか?それがなにか寿司の旨さに影響するだろうか?

職人は考えるのです。そんなつまらないことにも技術の進歩はあるかもしれない。ないかもしれない。今日より明日のほうがうまく握れるかもしれない。
大工もまた考えます。
ノコギリの使い方は切って切ってまた切って、木に触れ、木に向かい合い、そうして少しわかる時がある。わからないときもある。
しかし、職人仕事もまた株価のチャートを見るように、日々その素材は違っている。

職人仕事を偉大です。昨日と今日の間に違いはないけれども、いえ、違いは微差であるけれども、その違いに思いを馳せる人間はすでに昨日と違っているのです。
そうして極める世界がある。
お金の問題ではなく、お金を超越した技術の深淵がある、信念がある。

美しさはすでにその深淵の縁に宿っている。それを職人は手にしたいと念じているのです。

建築行為はそうした人々の孤独な戦いのはてに薄っすらと見えてくるものなのです。
機械も道具も携えて、たわからこそ勤勉にとって硬すぎる壁はないのです。

そう、わたしたちは信じている。




さて、今日もフラメンコです。
先日ご紹介したローレ・モントーヤの若かりし日々。
あのアラブ歌謡を熱唱したローレのフラメンコです。



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2024年03月18日

転勤の季節だッ(恋の季節)?

三浦海岸では河津桜もすでに葉桜、一時の活気もとおに去り、京急沿線沿いの桜通りも静かな様子を見せはじめると、さて卒業シーズンがやって来ます。かと思うと転勤の報せも届いてお世話になった営業マンが去り、また新しい若い人が赴任してあらたな出会いがあります。

人の移動は新鮮な刺激をもたらしてくれますが、近頃あれこれと商品選びにあちこちからカタログを取り寄せ、ふむふむ🤨えっ?こんな商品があるんだと、これもまたびっくり仰天、アンテナを錆びつかせてはなりませんな、と、暫し反省。

商品開発も生き馬の目を抜く激しい闘いがあるもんです。
設備機器と云えばTOTO、INAXの時代が当たり前に永くつづき、ほかを探してみるかという情熱もなく、せいぜいが輸入品を当たるくらい、しかしまてよっと、改めて足元を探ってみると新たな視点で商品開発に取り組む弱小メーカーがいろいろあるもので(失礼な物言いでごめんなさい)、そのコンセプトをみると目から鱗。なるほどと思ったり、目は付け所なんですね。
そうかと思えば昔からある輸入サッシと云えばアメリカ製のアンダーセン。
以前は大手商社が手掛けていたのが次々と撤退、あらたに参入した地方の商事会社がチョット目線を変えて売り込みをかけます。その視点もまた同じものを売るにしても付加価値の付け所が違うものです。

建築の世界もいつまでも自然素材だ、無垢だ、手作りだでアピールしても時代はすでに先を行っている。
そんなことは当たり前、その先のストーリーを切り開かないことには誰も関心を持たない。
時代に迎合するのではなく、時代を先取りしつつ新たな価値観を提示する。生やさしいことではないけれど、この新たなストーリーが建築の地平線を切り開くことになります。

さて、それは奈辺にあるのだろうか?
それは家族にこそあります。
家族の構成の変化。家族の価値観の変化。もしかすると夫婦のあり方の変化にこそあるのかもしれません。
一世を風靡したあの「二世帯住宅」も家族の構成に目をつけた商品開発であったのかもしれません。

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2024年02月02日

What'd I Say

三浦市内に最近できた古本屋さん。メインストリートにあるわけでもなく、山のように本が積まれてあるわけでもなく、自分の好きな本だけをならべてこじんまりと、控えめに。その潔い覚悟がこの空間に満ちている。まだ若い、三十代? 本好きにはたまらない背表紙の色褪せた佇まい。こういうお店を開きたい、というその願望を叶えてしまう。古家を借り、シンプルに徹した内装から彼、彼ら(ご夫婦)の生活が垣間見える。その古本屋さんの名前は「汀線」さん。ご興味がおありでしたら覗いてあげてくださいな。→ 三浦市南下浦町菊名493

当社も負けず劣らず本好きが昂じてショールームを「三浦文庫」と名付けてジャンルに構わず好きな本だけ並べています。一に建築二に読書。しかし、良い家を建てるのなら、「一に読書、二に建築」かな。そう、住まいは無造作に建ててはなりません。自分と家族を見つめるなかでほんとうに建てたい家が見つかるでしょう。そのためにも読書に励み、己を磨き、自分を見つめてふさわしい住まいの佇まいを手に入れることです。

さて、そんな年初の新しい人々の発見も素敵でしたが、一昨日は市内に住むという若者がお昼時、ひょっこり訪ねてきました。ちょうど昼食時だったのですが、「本をみせてもらってよろしいでしょうか」と聞かれてノーとは言えない。笑
若いご夫婦で、たまたま書棚の小野洋子さんの本を見つけたことからビートルズの話になり、そこから会話があっちいったりこっちいったり。若い奥さんの実家が高知県で、父親が大工さんだったり、実はその彼も大工になりたいと仕事を探しているという話し。
あいにくウチでは未経験の大工志望者を抱える余裕がなく、話しを聞くほどに応援してあげたい気持ちが募るですが、勢いだけで人を抱えるわけにもいかず。

ただ、その、なんと言うか、What'd I say . そう、レイ・チャールズの心境と言えば言えなくもない。
思わず熱を帯びた建築談義に発展したのもこの若いふたりの真摯な姿勢の為せる技。
帰りしな、若い奥さんのお腹が心なしかふっくらして、そうか、おめでた?
自分の息子より若い二人を、なんだか愛おしく、思わず抱きしめたい心境にかられたのも不思議とありがたいものだなあ、と、うん、うん、ありがとう。
こんな気持ちになることは滅多にない。





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2024年01月07日

あたらしい人

早いもので新年も今日で七日。七草粥をいただくまでに進んでくると春はもうすぐそこまで。
えっ?ちと早すぎますか?😁

秋の七草は山上憶良。憶良の歌にあるように、なくて七癖、転んで八島。(ナンノコッチャ?)

 秋の野に咲きたる花をおよびおり かき数ふれば七種の花(ななくさのはな)

万葉集の歌はそのリズムが素晴らしいですね。古今かぎらず詩歌は声に出して口ずさむところにその醍醐味があります。現代は不幸なことに流行り歌から見捨てられた時代。昭和の歌謡曲や50年代のロックンロール、60年代のポップス、70年代のロック。歌は世につれ世は歌につれ。デジタルの時代はAIの時代を経てわたしたちは何に自分を映せば良いのか?分からない。
分からないのは信じるものが無いからなのか?
若かりし頃、よく詩歌を声に出して読んだものです。アルチュール・ランボー、中原中也、寺山修司、アポリネール。

さて、今日は春の七草、秋の七草の副産物ではあるまいに春の七草は七草粥。

セリ、なづな、ハハコグサ、コハコベ、シソ科のホトケノザ 、キク科のコオニタビラコ、「すずな」はカブ、「すずしろ」はダイコン。

これらをお粥にして、そうね、梅干しを添えてしずしずといただく。ああ、日本に生まれてよかった。

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七草粥に無病息災を願う。
しかし日本人はいつでもどこでも何にでも願いをかける。路傍の石にも手をあわせ、何を叶えたいのかわからないが、手を合わせることが大事なような気がする。
では、コモハウスは今年は何を願うのか?
美しい住まいづくりに終着駅はない。どこまでも、どこまでも、見上げるだけでは美しい住まいには手が届かない。
いつまでも、いつまでも。見上げなければ美しい住まいには近づけない。


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2023年12月30日

師走の風、人生の風

師走の風が身体に響く。冷たい。

冷たくしないで。これはエルビス・プレスリー。

今の人はもちろんエルビスなんて知らない。
エルビスが歌手で、まさに元祖スーパースター。わたしたちはそんなでっかい存在に常に癒されてきた。こんなことを思うのも、世の中に大きなコアがなくなってしままったなあ、という感慨、いや、慨嘆か?
エルビスしかり、長嶋茂雄しかり、王貞治、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木しかり。サルトル、カミュ、三島由紀夫。大鵬、柏戸、アラン・ドロン、畑は違えど田中角栄、そして極め付けはビートルズ。
数えあげれぼ綺羅星のごとくならぶその道のスーパースターたち。それはわたしたちの人生のお手本と言ってもいい。
お手本を横において、真っ白い和紙に文鎮を置き、筆をかまえ、筆先に墨をはしらせる。お手本通りにはいかない。字をまっすぐに引けない。そこから駄目。
線をまっすぐに引けない。しかし、線をまっすぐに引くには思いの外技術が必要なことにわたしたちは気がつかない。
「線をまっすぐに引くには十年かかる」といったのはパブロ・ピカソ。
さらに彼は、
「子どものように自由に線をはしらせるにはさらに十年かかる」と言ったような?

わたしたちの仕事に即して言えば、ノコギリを真っ直ぐ挽くには十年かかる。
のこぎりで自在に切り刻むには二十年かかる、かしら? ほんとうに。
なにごともプロの世界は極北の氷の壁のように高く、厳しく、近寄りがたい。しかし、

「勤勉にとって硬すぎる壁はなく、勇気にとって近寄りがたい深淵はない」ノーヴァリス

今年は今更ながらにこの仕事のむずかしさを胸に刻んだ日々はなかった。圧倒的なお手本はもうわたしたちの周りには無いのだろうか?
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

今からでも遅くはない。古の歴史に学び、古建築の優美さに近づきたい。

今年もお世話になりました。
一年はあっという間。一年の計は元旦にあり。明日は総決算のお正月。さて、おつりはくるでしょうか?来る年が皆様にとって良い年でありますように。
新年九日からの仕事始めです。






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2023年09月30日

再録:思案投首

実はこのブログ、四年前の10月に投稿した記事の焼き直しです。いえ、焼き直しどころかそっくりそのまま再録です。なんでそんなことをするかというと、前回の「秋でもないのに、、、」を投稿したあと偶然この昔の投稿が目に入り、「な〜んだ、おれってちっともかわっていないんだな〜」笑
いやはや三つ子の魂百までも。人は変わらない、変われない!そんな実例を一つ笑ってやってくださいな。


いつでもそうなのですが、最初にお客様とお会いしていろいろなご要望をお聞きして、住まいにかける思いを聞くにつけ、「さて」と、思い悩むことになります。
残念なことに、コモハウスはなんでもできる建築会社ではないのです。
何にもできない建築会社、という方が当たっているかも??? そう。とても器用な建築会社とは呼べない、だからと言ってけっして不器用ではないのです。やろうと思えばなんでもできる。およそコモハウスの辞書に不可能の文字はない。笑
それなのに、それなのに、私たちは会社の間口を広げたくないのです。むしろ間口を狭めて深い地点にたどり着きたい、と思うのです。あぁ、な〜んて一人悩ましく身悶えしても、所詮会社の本質は変わらない?(笑)。。。。。

あれもダメ、これもダメ。あれはやりたくない、これは嫌。会社の「ポリシー」と言えば聞こえは良いのですが、やりたくないことが多すぎる昨今の住まいづくりの「常識」が気に入らないのですね。
そう、例えば、庇のない家づくり。これはまあ、どうしたことでしょう。すっきりしたデザイン?小洒落た洋風の住まい?まるでスペインか地中海の青い海、青い空に真っ白い外壁?
もうダメです。これはいちばん避けたい住まいづくりですね。(ご免なさい、私も昔そのような家を作ったので大きな顔はできませんが、)
スペインが大好きな私としては、まずその、彼我の風土の違いをよくよく考えて欲しいと思うのです。ドン・キホーテは傘を持たない。サンチョ・パンザは長靴を履かない。そう、ラ・マンチャに雨は降らない。軒がなくとも、庇がなくとも、雨で外壁が汚れる心配はないのです。外壁に雨が当たると当然汚れます。私たちのお国では、家にとっては雨は天敵。軒はできるかぎり延ばした方が良い。ひさしはできる限りあった方が良い。
その外壁でどうしても避けたいのは窯業系サイディングと呼ばれる外壁材です。建築は素材です。何を、どこに、どう使うか?頭を捻るのは、その素材の生かし方ひとつにかかっています。そして、その素材はできる限り自然の素材が望ましい。劣化に耐えうるのは自然の素材に限るのです。もちろん自然の素材も退化します。後退します。人が歳を重ねて髪の色が白くなり、シワが目立ち、シミができる。それでも人は歳を重ねることで増す魅力があるはずです。人生に重ねたシワの一本一本に経験のふかい刻印が刻まれる。
だからこそ自然の素材は人にいちばん近い素材と言えるかもしれません。劣化した工業製品は、残念ながら見るに耐えない。
もう一つやりたくない素材に「キッチン・パネル」があります。タイルでは目地が汚れて嫌だ、と言われる方がいらっしゃいます。そう?目地は汚れるものです。目地に限らず、住まいは汚れやすいものです。キッチン前だから、タイルだから、そうでしょうか?そうかもしれません。しかし、だからこそ、住まいをいつまでも美しく手を入れたくなる、そんな愛される住まいづくりこそが私たちの最大の課題なのです。
磁器タイルの美しさは台所を彩るもう一つのアイテムです。スペインや北アフリカのモロッコなど、まさにタイルの故郷と呼んでもいい。色鮮やかなタイル、滋味豊かなタイル、何を選んでも絵になるその素材。ま、そういったお話をして、それでもキッチン・パネルを選ばれるのならそれはそれで必然なのでしょう。

様々な素材を駆使して住まいはその骨格を表します。
彼ら、彼女らが新築されたその真新しい住まいに落ち着いた時、そんな彼らに深い感動を与えることができるだろうか?彼らの要望を聞き入れて住まいを拵えてみても、それは「良い住まい」にはならない。
もちろん、彼らが満足するならそれで良い。と、そう単純に思えるのなら、建築会社はやらない。
そう。私たちには「抽斗」が限られている。限られた「抽斗」を最大限に生かす術を私たちは心得ている。

風の家




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2023年07月15日

夏の建築、あれやこれや

一気に暑さが増したこの一週間でした。
お天気に右往左往されずに仕事が進められるのはありがたいことですが、突然の夏は迷惑でしょうか?笑

さても仕事はコツコツコツコツ。コッツウォルズに負けるなまけるな。

外壁は細かい部位を除いておおむね終了です。
左官壁は西洋漆喰パヴィスタンプの「ローブル」色と「グラファイト」。

実はもう一色、西側のロフトの窓の周りに「タバコ」も使っています。
これがなんだか「深窓の令嬢」か?

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細かい内部の造作が進みます。
これはこれはの連続ですが、千里の道も一歩から。
大工が頑張る。

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2023年02月10日

人生の不意打ち

なにごとも思い通りにはならない。
朝起きるとすべてが薔薇色で、マベビベビバラバラ!
朝目が覚めて、幸せを噛みしめる。そんな人生にいちどでいいから お目にかかりたい。噛みしめる程に惨めな自分もいやですが、薔薇色の人生も楽しいのかしら?

バラ色でもなんでもないけれど、昨日発売された週刊文春。
ついに出た。安倍首相暗殺事件の闇。
題して「疑惑の銃弾」。
このでたらめな暗殺事件の報道が覆され、真実が白日のもとにさらけ出せればと願うばかり。
しかし、往々にして真実は恥ずかしり屋さん。
はたしてわたしたちの国は独立国たり得るのか? 
これは正念場。
もしかすると、これは最後の正念場。

 

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2023年01月30日

愛情一本、ヴェテラン・ロッカー

時代はまるでメリーゴ〜ラウンド。
わたしたちが古臭いと思っていた古(いにしえ)の流行が若い人には新鮮な美しい仕上げに見えてくる。
なんでも巡り巡ってあたらしい感性が違った魅力を引きずり出してくるものです。
私もいつの間にか、この世界ではベテランと呼ばれる立場に立つ世代。ベテランというキャラクターを演じる立ち位置にいますが、居心地はすこぶる悪い。笑

どの世界でも新しい感性が足元に忍び寄って、うかうかすると弾き出されてしまう。若い感性は古い屍を乗り越えていきます。いえ、け散らかされていく、と言った方が適切か?どうか?
新しい視線が古い地平線を押し広げ、新しい世界を指し示すのです。
さて、そこで、ベテランは自分の役目を終え、静かに消え去るのが正解でしょうか?
否。建築は古い感性が経験に裏打ちされて、まるでカンナをかけるように瑞々しい若さを取り戻すことができる稀有な世界でもあります。
住まいは人間に似ています。皺ができ、白髪が生え、人生を語るように静かに手を取ることができる、そういう大事な 役割が建築にはあるのです。
優れた建築家は晩年にこそ傑作を残します。住まいには、その建築にたずさわる者たちの人生が投影されます。オーナーと建築会社のコラボレートが住まいをかけがえのない唯一無二の立ち位置に押し上げます。 

住まいはもっと、もっと美しくなる。コモハウスはいつだってそう考えているのです。

 
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2023年01月16日

地盤は大事 地球も大事

思えば昔は地盤調査なんぞあらためてなかった。ズブズブの田んぼに家を建てないかぎり、地盤は良いものと相場が決まっていた。根拠もなく、家を建てる人の絶対数が少なかったことも在るのでしょう、それに昔はそもそも平屋が多かった。ウワモノが軽いから心配するほどのこともなかった。
あのバブルの真っ盛りの最中でも、設計士が地べたに棒を突き刺して、「大丈夫!」。なんて言ってたものですからお里が知れる。しかし、あのバブル期の狂乱の中でついに家が傾いた、床のゴルフボールが勝手に転がっていく、引き戸が閉まらない、滑りが硬い、要は、不同沈下の問題がにょきにょきと頭をもたげてきたというわけです。
そりゃあそうです。日本人は時々くるったように血眼になって、ハメルンの笛に導かれて見境がなく狂奔する性格がある。このときは猫も杓子も家々家。理由はない。隣が建て替えるから建てるんだ。金利だってこれだけ低いんだ、今が旬だろう。?
それだって立派な家づくりの動機。はて、面妖な?
土地がなければあの沼を、あの池を、あの田んぼを、あの海岸を埋め立てろ!あの山を削れ! 

あれから三十年。動機が曖昧な家は建て替えの対象になりやすい。愛情がないからすぐに別れる。別れなくても心の隙間に風が吹き抜け、荒れ果てた我が家はみすぼらしさを超えて、、、、

思えばあの時代、家は建てばそれでありがたかった。にわか大家の出現でバラ色の未来はバラ色の雲のように輝いていた。(しかし、バラ色の雲ってあるの?)

さてその後、何にでも後日譚はあるもの。バブルもすぎると不況風と共に阪神大震災がやってきた。日本中で活断層なんて言葉がとびかい、さあ、あなたの地盤は大丈夫?大丈夫じゃな〰い?そこでスエーデン式サウンディング試験なんてものが導入され、地層を調べ、あくまで簡易式ですがこれが世を席巻してSS調査は建築の必須となりました。

あれからもうすぐ三十年、思えばあの時代、家ってなんだろうっていうちっちゃな疑問が芽生えてきて、胸のなかを焦がすのです。嗚呼、青春の光と影。
いえいえ、そこで立ち止まるのも大事なステップ。
家は人生そのもの。
家ってなんだろう?わからないですよね、考えたこともないし、雨風しのげればそれでたくさん?
間違いではありません、それで家は建っちゃうから。地盤も大丈夫だったから俺の一生これで安泰。
かもね?

永く地盤調査といえばSS式サウンディング試験があたりまえのように通用していた世間の常識。しかし、二年前に立て続けにその調査の結果が思わしくなく、結果地盤改良を施したのですが、お施主さんが永くこの地に住みつづけて「うちの地盤は絶対大丈夫」と自信を持っていたいらしてその結果にとても驚かれていたのです。たまたまですがそういう事例が三件つづき、しかもつづけて四例目が「要改良」と出たとき、ちょっと待てよ、と考えたのです。地盤改良や杭打ち工事はけっして安くはありません。SS式の調査は優れているけれど、5ポイントのうちたまたま一箇所が思わしくなく、不同沈下のおそれありとなるとそうかも知れない。しかし、5箇所のポイントだけでよいのかと考えてしまったのです。
そこで出会ったのが表面波探査法という調査方法でした。

さあ、ここまでお読みになった方で家造りにこれまでと違う興味を抱かれた方。ご相談ください。考えるきっかけがわたしたちの大事な仕事。
もちろん地盤は大事です。と同時に、地盤よりもなによりも、なぜ家を建てるのか?
それはさらに大事かもしれない。そしてその答えがここにある、とは申しませんが、少なくともその答えを求める方程式はご用意できるかもしれない。
永遠のコードを求めて旅立ったわたしたちだから、住まいはもっと美しくなる。

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丸い円柱状の「R2D2」?がゆるい地震を起こします。すぐ側に立つと地面が震えているのがわかります。その振動が近くに立てた二本の感知器に到着する時間の誤差で地盤の強度を図るわけです。
思いっきりかんたんに説明すると、ですが。
「震度1」程度の揺れは起こせるということでした。嗚呼、人工地震!

さて、その結果が数値化されて車の中のパソコンに落とし込まれて行きます。





 





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2022年12月26日

お正月休みのお知らせ

クリスマスも終わると街はいっきに年の瀬モード。なんとなく、なんとなく。
師匠も走り廻る年の瀬の喧騒。なんたったって三崎は魚の街。もしかして、お正月料理には魚が似合う?おかげさまで今日辺り、じわりと車が増えてまいりました。儲かりまっか?
しかし、この時期はまた、こまわり君の歳末取締り月間にご注意ください。

というわけで、?、コモハウスの年末年始は12月30日(金)から1月9日(月)までお休みをいただきます。
来年の仕事始めは1月10日(火)から。今年も一年お世話になりました。
きたる新年が幸多い歳でありますように。

師走の今日も救急車が走り回る、まるでメリーゴーラウンドのように、夢は乗せず、ワクチン患者を乗せて地獄めぐり。みなさん、チカラを合わせてこの茶番を終わらせましょう。未来はわたしたちのもの、わたしたちの希望。わたしたちののぞみ、わたしたちの夢。さあ、ご一緒に。

 

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2022年12月24日

メリークリスマス!

今日はクリスマス・イブ。
サンタは町へやってくるのでしょうか?マスクして?笑

たいへんな一年でした。コロナがたいへんなのではなく、(そういえばコロナはどこへ行ったの?近ごろ聞かないし、そのうえ気にもならないし、)そんなことよりワクチンが大変なのですが、ワクチンの副反応が大変で、巷を走り回る救急車の喧しいこと。そこのけそこのけ救急車様だーい!

この時期、喪中葉書が例年の倍は舞い込んできます。驚いたのは、七月に義母が亡くなり、八月に母が、同じ月に奥様が。身内が三人も亡くなられたとの知らせに絶句。高齢者がバタバタと亡くなられていく。
そして安倍総理の不可解な暗殺事件。一年を振り返るのも嫌になる。そして誰もいなくなる、のか?
景気は?陽はまたのぼるのか?なんて言い出すとほんとうに寂しい。

今宵はクリスマス・イブ。サンタが町にやってこなくても心のなかにひとつのともし火。
今日は家内がとっておきのクリスマス・ケーキを作ってくれました。
日本人にとって、クリスマスはクリスマス・ケーキのこと。ほんの少し前まではこの時期は町はケーキ屋さんの売り娘が路上で大声でケーキを売り、そこに押すな押すなの人だかりができて、二重三重の輪のなかで飛び交う千円札がまるで黄金の紙吹雪、ああ日本の「Xmas!」。
儲かりまっか!

新しい時代のXmasはどんな顔をしているのでしょうか?えっ?マスクでよくわからない?笑

Smile Away!笑い飛ばせ!
笑う門には福が来る。もういくつ寝るとお正月?今年もお世話になりました。
新しい年が良い年でありますように。

メリー・クリスマス!







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2022年12月01日

十二月、師走

同業者の皆さんと話していると、皆さん異口同音に、この業界の悲観的な将来についてため息を漏らします。それはべつに、わたしたちの業界に限らないのかもしれませんが、明るい展望が開けないのは住まいづくりに確固たる芯がないからなのか?それとも単なる不景気のせいか?
建築会社に芯が要るのか、という声も聞こえてきますが、建築会社は家を建てるロボットではありえない。職人の叡智を結集するには建築会社の軸がこそ大事になる。

先日のニュースで、大阪府が子育て支援で一律お米十キロを配るというのです。
十キロか!
安いお米なら二千円なにがしで買えます。家族四人で何日分?わたしたちのお国はそれほどまでに落ちぶれたのか?わずか二千数百円。焼け石に水。仕事がない。パートの時給が千円。アメリカでは犬の散歩に一時間四千円。
産業がすべて中国に吸い取られて、企業がこぞって中国に取り込まれ、工場がなし崩しに安い労働力のアジア地域に持っていかれ、やがて国内は空洞化。業績の上がらない会社は中国やアメリカのハゲタカに買い叩かれ、小突き回され、労働者は技術者ではなく、単純労働の派遣社員と化してやがて捨てられていく。
何が間違っていたのか?
何が足りなかったのか?
小泉や竹中の派遣法が諸悪の根幹なのか?
自民党をぶっ壊す!
あのとき、小泉に騙されたわたしたちが馬鹿だったのか?
ぶっ壊されたのは日本だったのか?
郵政が民営化されて、なにが変わったのか?改革の名のもとに美しい伝統が破壊されていく。
オバマの「チェンジ!」といっしょ。

仕組まれたバブルがその後のツケを傷口に塩を揉み込むように蹂躙していく。プラザ合意という巧妙に仕組まれたワナ。宮沢さんは見事に嵌められたわけです。
1986年。その頃勤めていた建築会社の次長が、来年は忙しくなるぞ!この低金利では目の回るような忙しさでぼやぼやしてられないぞ。
そのとおり、バブルの狂乱物価と日本中が飲めや歌えの大騒ぎ。エライコッチャエライコッチャよいヨイヨイヨイ!
やがて目が冷めたときの酔い醒ましの強烈な頭痛。
私たちは何を間違えたのだろうか?

ちょうどその頃、新潟からアエロフロートのヒコーキでハバロフスクへ飛び、そこからシベリア鉄道でイルクーツクへ。途中あちこち寄り道しながらシベリアの大地でソビエト崩壊直後のロシアの悲惨な現状を目のあたりにして、国家の崩壊とはこのようにむごたらしいものなのかと唖然としたものでした。食べるものがなにもなかった。ホテルの食事が黒パン一切れとまずいチーズ。
その頃わたしたちのお国は浮かれに浮かれ、平家にあらずんば人にあらず。
日本の春。バブルの春は永遠につづくかと思われた1992年。
ところが、ソビエト崩壊直後に政権の座についたクリントン政権が、次は日本だッ、と目標を定めたと聞いたとき。
えっ?
すべてはレールが敷かれている。
バブル崩壊から三十年。次は日本だ、った。

これが世界のハゲタカの現実?
日本をぶっ壊す!それはわたしたちの精神の破壊から始まった。

日本再興はまず自分たちの国を愛することから。
「日本を取り戻す」
暗殺された安倍さんの「美しい国、日本」とはそいうことだったのか。






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2022年10月08日

巨匠とマルガリータ

フラメンコが好きで、ひと頃かなり入れ込んだ時期があります。
フラメンコだけでなく、いわゆるフォークロア、民族音楽というやつにドップリハマってさあ大変、その頃は音楽に限らずガルシア・マルケスの「百年の孤独」やホセ・ドノソの「夜の淫らな鳥」 にハマってラテン・アメリカ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、アラビア。
「巨匠とマルガリータ」もまた、ロシアのフォークロア。
毎日が兼高かおる、世界の旅。笑 (もう知らないかな?)

フラメンコには独特のコンパスがあります。言葉で説明するのはとても難しいのですが、大好きなパコ・デ・ルシアの演奏をご紹介します。これは1970年頃の映像と思われます。ルンバはフラメンコじゃない、と言われていた頃に果敢に取り上げる若きパコ。圧巻です!

 

実はフォークロアがコモハウスに与えた影響は計り知れないものがあります。 
フォークロアはありていに言えば「民俗」の意で、おもにラテン・アメリカ地方を指す場合が多いですね。
この民俗。民俗学といえば柳田國男。遠野物語と言えばみなさんも、ああと得心がいかれるのではあるまいか。もう少し平たく考えると、民芸の世界が、日本で言えば柳宗悦の陶芸の世界に通ずるものがありますが、建築を民俗の視点から眺めるとそこにデザインの新たな地平が垣間見えてくるではないですか。
焼き物を焼くように家を建てる?
手触りだとか、視覚を意識して住まいを考えることは大事なことだと思うのです。

思えば昨今の建築は手触りが感じられない。
スペインを旅して感じたことはその圧倒的な手触り感でした。スペインは音楽の国ですからフラメンコがその手触りを代表しているのですが、食べ物にしても、ワインにしても、まさに話す言葉の喧(かまびす)しさもこれでもかこれでもかという人間の手触りがビシビシと感じられる。
美しすぎるものにはご用心。住まいもまた、美しすぎてはならない。
その手加減は、まず素材選びから。
そこから古きを訪ねて新しきを知る。自然素材も手づくりの家造りも、その手触りをもとめて遥かな旅に出ることになったのです。家づくりの羅針盤はいちまいの古地図。
 
わたしたちは渾沌の渦のなかにいますが、住まいづくりは自分さがしの旅。かけがえのない自分を発見するとき、ふるえるような感動が在るはず。
その感動こそが家造りなのだ、と自戒して。

嗚呼。

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2022年09月11日

昨日は中秋の名月

日中はまだまだ暑い日々がつづきますが、朝晩はようやく涼しくなりましたね。

暑さ寒さも彼岸まで。

昔の人はうまいことを言います。
秋の彼岸を前にすると必ず目にするもの、それは、彼岸花。
なぜか必ず時期を間違えずにあっと気がつくと咲いています。路傍の片隅で、ひっそりと咲いています。その毒々しい真っ赤な花弁が思わずあっと息を呑むほどに美しい。
美しいものは毒がある?のか、ないのか?

(あっと、路傍の片隅と書いて、しかし路傍がすでに道のハズレですからさらに片隅、と書くのは間違いかしら?笑)

昨日は早く仕事が上がったので家内と月見団子を買ってからソレイユの丘の周辺を走らせてあるものを仕入れに行きます。あるもの?そう。それは「すすき」です。十五夜のお月見といえば「団子」と「すすき」。そのすすきがないことにはセレモニーは実現しません。
さて、走らせること15分。えっ?これが、ない。見あたらない。家内にはこういう情報が頭のなかにインプットされていて、あそこの道の脇には絶対生えているから。そこになければあの丘の上に、、、しかし、ない。とっておきの秘伝コースを走らせてもみあたらないのです。
少ししょげた表情で一箇所だけ見つけた最初の場所に戻って、それは見るからに貧相な、去年咲いた穂が散り散りになった枯れすすきよりももっと無残な忘れな草の「すすき」をもいでトボトボとご帰還です。長浜海岸を回ってようやく自宅そばに来たときに、「あった!」と叫ぶ家内の喜びよう。

あったのです。ほんの僅かに数本の「すすき」が。
いやしかし、今年はなぜすすきが目につかないのか?

しかし、その貴重なすすきを飾ってみると、ああ、十五夜に「すすき」はなんてお似合いなんだろう、と、しみじみと日本人の感性の豊かなことに驚かされます。

「すすき」のいさぎよい姿かたちは満月のお月さまと対峙してこれほど調和するとは。
ふふ。しかも、団子まであるとは。嗚呼、至福の団子、至福のお月見。生きていてよかった。

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2022年08月01日

夏草だって、

暑い!
熱い!

強者(ツワモノ)でなくても、この暑さはたまりません。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、、、。

陛下のお言葉、あれから幾犀星。すでに七十有余年。そうか、まだ耐えねばならんのか。 
安倍さん暗殺事件を見ていると、あの敗戦の結果がここまで及んでいる。

いつか私たちは真の独立を手にすることが出来るだろうか?

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事務所の裏の郵便箱の上に置いた温度計。
日陰で43°cをさしています。
日差しの下では47°cでした。うわああ〜!




 

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2022年07月28日

夏休みのお知らせです。

さて今年も早いものでもうすぐ夏休み。
今年の酷暑に負けないで、コモハウスも夏休みをいただきます。

今年の夏は8月6日(土)から8月14日(日)までの10日間をお休みとさせていただきます。

仕事の都合が重なってチョッピリ早い夏休みをいただくことになりました。
暑さ厳しき折 、みなさまお身体に十分お気をつけてお過ごしください。

2022年盛夏


 

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2022年07月03日

好きこそものの上手なれ

人生なかなか思うようにならない。
思い通りの人生をおくれたら、と、誰しも思うものですが、 そうは問屋が卸さない。

 我ことにおいて後悔せず 

宮本武蔵、晩年の有名な言葉ですが、つまりは、武蔵の人生は後悔の連続であった。
あの時ああすれば、こうすれば。小次郎が剣を上段に構えた時、あのときオレが、、、

幸せな人生は思い通りの人生ではなく、好きなことになりふり構わず取り組んでいるその瞬間、その刹那にこそあります。
何年か前、ある雑誌社の編集者の女性と住まいづくりについて話していたら、突然なにを思われたか、
「三井さんは建築がお好きなんですね」
と言われて、? 。
「話しのはしばしから分かりますよぉ。うれしそうにお話されるんですもの」

思い通りの建築はとても出来ない。できない守備範囲を少しづつ広げて、いつか広々とした草原に出くわすことが出来たらボクは幸せだろう。

つい先だって、大工と手を留めて話していたら、
「だけど、三井さん、楽しそうですよね」

そう。大工と話していると、なんだか嬉しい。
ここをこうやってくれ、もうチョット、ほら、あと一寸伸ばしてくれる、。
そう、そこ。
痒いところに手が届くように、大工はすぐにその意図するところを察して手を入れてくれる。
彼とはもう二十年近い付き合いで、その若い頃からもう充分棟梁気取りで、つまりは人は気構えで自分の道を切り拓いていく、ということなのでしょう。

それは、好きということ。
むずかしく考えることはありません。
好きになること。ひとは好きなことにしか夢中になれない。
好きになること。そのためにこそ勉強しなさい。
勉強して、その奥深さがわかるほどに好きになるでしょう。

 勤勉にとって硬すぎる壁はなく
 勇気にとって近寄りがたい深淵はない

 ノーヴァリス

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2022年03月20日

長いトンネル

人生楽ありゃ苦もあるさ
今朝のニュースを見ていると、ONKYOの子会社2社が破産申請、と言う記事が目に入りました。
ONKYOと言えばオーディオファンにはたまらない響きがあるのですが、今や時代はすっかり変わり果て、誰も音にまで拘らなくなったということでしょうか?
オーディオばかりではなく、CDすら売れない時代。歌は世に連れ世は歌に連れ。笑
そう、それは笑い話になってしまいました。
とある有名バンドのリーダーが、もうアルバムは作らない。作っても誰も買わない。コピーされて市場に出回ってそれでおしまい。もう誰もアルバムなんて欲しがらないのさ。

世は歌には連れない。すべては使い捨て。大事なものは何も無い。夜、枕を抱えてひとりで抱きしめる思い出は、それはたったひとりの個人的な思い出。その思い出はだれとも共有されることはなく、古ぼけた茶色い壁にピンで止められ📌、埃にまみれてシミになるだけ。
それが時代だとは思わない。わたしたちの孤立が時代の必然だとは思わない。
何かが足りない。何かが。それは何だろうか?

デジタルの時代は便利になりました。便利さの追求が幸せの追求ではなかったことに今更ながら気付かされた私たちは、しかし此処で立ちどまることが出来ない。
もう家など建ててはいられない。住まいは最後の拠り所。此処を去ればもう逃げ場はない。
そんな覚悟を悲壮にならず、あかるく広めていければいい。
だれかのために。だれの為でもなく。
住まいはわたしたちの最後の希望。

 さてここに来て、ウッドショックの大波を蹴散らすように新たなるウエーブはノッテケノッテケウクライナに乗ってけとばかりにロシアからのウッドショック療法だっ!
いやはや、ロシアは産油国ばかりでなく、一大木材産地でもあり、その供給をストップするからにはさあこれは大変だ。 時代は変わるのだろうか?

破滅的な戦争はけっして来ないだろう。わたしたちが強くなれば。

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2022年02月27日

静謐な家

住まいをどう拵えるのかは永遠のテーマですが、不要なものは何なのかと自問して見ると少しもつれた糸がほぐれてくる気がします。

不要なもの。

人生は足し算なのか、引き算なのか?
住まいもまた、足し算で考えるのか引き算で考えるのか?

住宅会社とそれにまつわる住宅産業はさまざまなツールを用意して「これがあると便利ですよ、あれは使い勝手が最高です」と売り込みに躍起。
便利なもの。
それはとても厄介なもの。便利と厄介は紙一重。

わたしたちは便利なものに背を向けているわけではありません。
ただ、便利なものに積極的でないだけなのです。
わたしたちは住まいに何を求めているのでしょうか?
新しくなれば良い?
それだけ?
それだけという思い切りも大胆なもの。
しかし、実は、それだけという決断が住まいを逆に引き締めるのかもしれません。

生活のなかで不要な物はたくさんあります。もしかするとわたしたちは不要な物の洪水の中で暮らしているのかもしれません。
便利なものに囲まれていると安心していたら、いつのまにか不便な生活を強いられている、かもしれない。

不要な物。
不要な物とは実におそろしい定義と言えば言えなくもありません。

たとえば片づけ上手。三ヶ月使わないものは一年使わない。一年使わないものは三年使わない。 三年使わない物は一生使わない。
そう決断して 、三ヶ月でどんどん物を捨てるように心がけたことがありました。それはそんなに間違ってはいなかったけれど、家族には不評でした。(苦笑)

住まいについて考えてみると、そこは実に深い水を満々とたたえて、その深さに思わずたじろいでしまいます。
住まいについて考える人は幸かな。
わたしたちはそんな幸なる人の澪つくし。

幸せが平和と同義語なら、オイラは平和を売る建築会社なのさ!

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2022年02月20日

人生のピーク

人生は短いようで長い。長いようで短い。
結果を求めて精進しても必ずしも思うようにはならない。

さて、十代。その昔、美しい十代、という流行歌がありました。
えっ?知らない?三田明?し、しらない?笑

そうか、ま、ね。時代は変わる。しかし、はたして十代は美しいのか?それが問題だ!
子どもの頃、十代はけっして美しくはなかった。思い通りにならない結果に身悶えし、悔しい思いでなんど枕を濡らしたことか。うん。ま、ね。理想があるから結果が伴わない。十代で結果を残すには五歳で何ごとかを始めなければなりません。結果がでるまでには十年かかるのです。

では五歳でおのが道を歩み始めるには何が必要で、なにを捨てなくてはならないのか?

そんなことを考えるのも、北京オリンピック、例のワリエワ選手のドーピング問題で金メダル候補があえなく敗れて涙にくれるシーンを見ると、15歳で人生のピークを迎えることの幸福と不幸をあらためて考えてしまいます。
ロシアオリンピック委員会が彼女に内緒で薬を飲ませていたと考えるのは笑止千万。彼女は知っていて飲み続けた。なぜ?金メダルがほしいから。金メダルを取れば億単位のお金が手に入るから。たぶん。それがあの国の現実なのでしょう。

ソヴィエト崩壊直後のロシアをシベリア鉄道を乗り継いで旅をした思い出があります。
どこに行ってもロシアは貧しかった。食べるものも固くなった黒パンが少しに不味いチーズが一切れ。少女たちは売春をし、公営団地はどこも崩れかかった灰色のコンクリートの塊。しかし、人々はそこで暮らし、素朴な笑顔は悲しいけれど美しかった。列車のなかで乗り合わせた男の子に持っていたカップヌードルをあげると満面の笑みで「ママ、もらっていい?」と目で尋ねる。母親がうなずくと、少年はほんとうに嬉しそうにスパシーボ、スパシーボ。

 ロシア人は歌を唄い、自らを慰める

15歳のワリエワ選手のドーピングを責めることはできない。世界はわたしたちが思う以上に病んでいる。責められるべきはワリエワ選手の出場を認めたIOCにこそあります。IOCもまた世界の縮図。バッハ会長のどこがクリーンだというのか?オリンピック自体が金まみれで、もうわたしたちは「スポーツの祭典」を信じないほうが良い。

しかし、それでも十年、スケートに人生をかけることの意味は大きい。練習に明け暮れた日々は帰らない。その代償はきっと彼女を強く鍛え上げたに違いない。

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2022年01月18日

ささら桁階段を作る Part3

さて、3回に渡った「ささら桁」シリーズの最終回。

印象に残る階段は数多くあれど、国立西洋美術館のあの玄関?ホールのスロープ状の階段。
そう言えば、大分の磯崎新さんの県立図書館のアプローチのスロープ状の階段もコルビジェの影響かも知れませんが、しかし、こども心に強烈な印象が今も消えません。

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「ル・コルビジェ」 国立西洋美術館 1959  奥にスロープがつづら折りで登っていく

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「磯崎新」 大分県立図書館 1966  玄関のスロープ状の階段
子どもの頃、なんど上り下りしたことか。実はこのスロープ下の地下にはかって円形のコロッセオのような駐輪場がありましたが、今は埋め立てられて影も形もありません。あの頃のわたしの思い出も埋め立てられて、、、

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「コモハウス」 愛友の家

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「コモハウス」 ジャックと豆の木

階段こそが私たちの人生のアレグレット。喜びも悲しみもいく歳月。
階段を上るとき、わたしたちはしらずに知らずに時を駆け巡る。踏段を上るごとに人生の爪を研ぐ。だからわたしたちは階段をつくる。明日をつなぐために階段を作る。

ジョジョの奇妙な冒険、エジプト篇で、ポルナレフは宿敵ディオの待つ館の階段をのぼる。二階にディオがいる。ポルナレフは大きな螺旋状の階段を一歩、一歩と足を運ぶ。その刹那、ポルナレフがディオの気配を感じたその刹那、ポルナレフの一歩進めたその足が、一段下がっている。
ああ、階段はそのようにしてある。

さて、ささら桁シリーズ part3 で階段は完結します。

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「コモハウス」 おおきな木

階段は人生の縮図。喜びも悲しみも、階段はあなたのそばであなたを抱きしめる。


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2022年01月15日

ささら桁階段を作る part 2

階段はどう作るかという問題は、とりもなおさず階段にどういう意味を与えるかという作る側の姿勢にこそあります。

二階があるから作るんだ、では建築会社とは言えません。
上れなくちゃ仕方がないからどこかにいるよね。
では失格です。
そこに積極的な意味を込めて、住まいの全体像から眺めわたして、だからここにこそ階段がいる。という明確な動機付けが必要です。

一階から二階へ、というこの人生の橋渡しを、わたしたちはドラマチックに拵えます。なぜなら、そこにはドラマがあるからです。普段の何気ない生活のなかで、階段だけはハレの日です。喜びも悲しみも、人は人生でつまずく場合でさへ階段を上ったり下りたりする。万感の思いで階段をのぼる。その階段をどう位置づけるのか?

あたら疎かに出来るものではありません。

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まだ仮置です。
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ここからじつは次の展開がありました。
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ローマは一日にして成らず。てへへ。
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2022年01月11日

ささら桁階段 how to?

階段にもいろいろ在りまして、人生の階段からつまづきの階段まで。
わたしたちはさすがに人生にタッチするわけにはまいりません。
そこで建築会社に出来ること。 

鉄砲階段、まわり階段、 らせん階段。
実は、階段はとても大事です。
階段を無造作に作ってはなりません。 
階段はただの昇り降りの道具ではありません。 

階段は人生のように。
で、コモハウスで作る階段はまさにコレが多いですね。
ささら桁階段。
最近ではストリップ階段なんて呼ばれることが多いのかしら? 
つまり、わたしたちは人と人のつながりを拵えている。

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はい、先ずはこんな風に3mmのウスベニヤで型板から作ります。
こちらは踊り場から2階までの「ささら板」の型板です。
お次は1階から踊り場まで。
ささら板は松です。四寸厚の梁材を二つ割りに挽いて型板のように加工します。

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2022年01月06日

しずしずと仕事初め

お正月休みも終わってしまえば春の雪。
最近は天神社で初詣が習わしになりましたが、こじんまりとした良い神社です。
参拝客も例によってあいも変わらぬマスクマスクですが、今年こそはマスクから解放されたいですね。笑

さて、そこで私は今日から仕事。
一年の計は元旦にあり。

仕事始めにみなさまにご挨拶。
あらためて今年もよろしくお願いいたします。

お正月休みは当社のスマホサイトづくりで大忙し。
いやこれが根がいる。
あと一歩、あと一歩。そのあと一歩が永いのですが、なんとか10日までには完成に近づけたいとねじり鉢巻でがんばります。とほほ。いえいえ、ここはキリリッ、が正解かな?

今年は「もう一歩」がテーマです。

人は、いえ、わたしは、なかなか「もう一歩」が踏み出せない。
あらゆるシーンでもう一歩。もう半歩。
それはなんなのか?
なにが邪魔するのか?
自分の内にあるもう一歩を邪魔するこころのかけら。
もう半分のわたし。
それは子どもの頃からわたしを邪魔していたのか?

そう。もう一歩。


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2021年12月28日

突貫工事中

突貫工事は突貫工事ですが、じつは暮れも押し詰まった今頃になって、三日ほど予定が空いたので以前から気になっていたホームページの改造におっとり刀で乗り出した、というわけ。
ま、今更感はありますが、改むるに憚ることなかれ、でんな。

昨今サイト訪問者の圧倒的多数がスマホから来ているのに、あいも変わらずパソコン用のサイトだけでは ニーズを満たせないのは自明の理。

当社がホームページを開設したのは2002年と、わりと早かったのですが、その後3回か4回大幅に作り替えていますが、最後に大掃除をしたのが実は2015、16、か、2017年のこと。
その後、世界はあっという間にパソコンからスマホへ置き換わり、当社はこの流れにまったく出遅れてしまいました。当世ではだいたい皆さん、スマホは持っていてもパソコンは持っていない。この現実に気づくのが遅かった。(泣)

実はホームページは一等最初からすべて自前で作っているのですが、(のめり込みやすいタイプなんです)けっこうエネルギーがいる為ついつい億劫になって目は宙を舞う、あの悲しい状態。😁
しかし、そのおっとり刀のわたくしも、今年の初め、とある女性から資料のご請求があり、そのごなんどかのやりとりがあり、(俗に言う、見込み客というアレです)ある時お電話での話しの流れから「ホームページあります?」と聞かれてお教えすると、なにやら電話の向こうでスマホをあやつる気配。そしてひとこと、ぼそりと、
「ああ、ピーシーねっ!」
久しぶりに女性に肘鉄を喰らったときのあの絶望感。( i _ i )
これは応えました。自分が如何に遅れているか?周回遅れのトップランナーの🏃‍♂️哀しみよ君知るか。

ま、ね。人はこうして成長するのかもしれません。
その後、この一年を通じてずっと肩が重いといいますか、頭が重いといいますか?まるで船酔いのような、「青い影」状態?分かってもらえるかしら?
原因はわかっているのです。そこで周回遅れのトップランナー🏃‍♀️は一念発起、今に見ていろ、勝つと思うな思えば負けよー。

ホームページも4、5年タッチしていないと今浦島で、さてどこから?HTMLなんてわかんない?
さあしかし、わかんないでは始まらない。
幸いなことにスマホサイトは軽自動車に似てデザインは限られています。あのちっちゃな画面に詰め込める世界は限られています。
幸いなるかな山のあなたのスマサイト。😏
で、ただ今これが、「突貫工事中👷‍♀️」。

トップページが八割がたできて、しかし先はまだまだ長いのですが、ヨーソロー! 
お正月は🎍抜きだな。 泣




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2021年12月25日

お正月休みのお知らせ

年内の営業は12月28日(火)までとなります。


【お正月休み】 2021年12月29日(火)〜 2022年1月5日(水)


2021年1月6日(木)から通常営業となります。


上記期間中にいただきましたお問い合わせへのご返答は1月6日以降となります。

ご不便をおかけしますが何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

コモハウス




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2021年12月14日

月見草はひまわりを超えたのか?

早いもので野村克也さんが亡くなられてもうすぐ二年。
小学生の頃から野村ファンで、野球は南海、杉浦、野村。
その野村さんを偲ぶ会がコロナ禍で繰り延べされていたのがようやく先一昨日の十一日、神宮球場で大勢の関係者を集めて執り行われたそうです。
子どもの頃からのヒーローの旅立ちに涙して二年。
「ボヤキの野村」と言われますが、現役時代はとにかく喋らなかった。昔のスポーツ選手はおしなべて喋らなかったですが、野村選手はしゃべるときもボソボソと聞こえづらく、そのぼそぼその裏側で(知性の)刃を研いでいたとは誰も知らなかった。
阪急ブレーブスで監督をされていた西本さんが、二シーズン制を敷いた最初の年に阪急南海決戦で大方の予想を覆して南海が優勝したとき、新聞に載ったコメントが今でも忘れられません。
「野村くんは非凡だ」

野村選手といえば月見草。球界のスーパースター、「ひまわり」の長島、王をむこうに回して強烈な自我意識をアッピール。それも野村さんですからあくまで小声でボソボソと。
その非凡な野村さんが一生を全うしたとき、彼はついに「ひまわり」を超えたのだろうか?

あらためて野村克也さん。ありがとうございました。あなたのいないこの世界は、少しく寂しいものになりました。


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