April 10, 2006

We shall move on.

それは突然やってきた。

ここ数日、なんとなく頭の隅で感じてはいたのだけれど、はっきりと感じたのは、昨日の夜、出張帰りの飛行機の中だった。

私の何かが「修了」したのだ。
自分の中で、一つのステージが終わった。

これまで、この“ブログ”という場所を使って、自分自身のことを考えてきた。Sと一緒に暮らすようになって、自分のアイデンティティを再度考え直したいということと、同性パートナーシップについて考えている人たちと少しでもつながれたらということだった。

それから、私たちと同じ、外国人と同性パートナーを持っている人たちを必死になって探し求めた。世界にたった“二人ぼっち”のような孤独感がたまらなくて、仲間を求めてネットをさまよった時期もあった。

Sの滞在ビザのこと、心の風邪のこと、そして乳がんが見つかって手術を乗り越えたことなど、あらゆる場面において本当にたくさんの方々の励ましをいただいた。

みなさんの暖かいメッセージがなければ、私はここまで来ることはできなかったと思う。この場を借りて、心から感謝をしたいと思います。
本当に、本当に、ありがとうございました。

一昨年の夏から書き始めて、ほぼ毎日のようにA4の1ページを埋める作業をし続けて、今日の投稿でエントリー数が623。2年弱で623だから、ほぼ毎日のように書き続けたことになる。それは、自分の心の中を見つめる作業であったり、静かに日常を見つめ直すことであったり、同じように悩んでいる人たちのことを知って、“一人ではない”という勇気をもらうことでもあった。

不惑の年を迎えて、ちょうど7ヵ月がたった昨日、4月9日、飛行機の中で、突然、「そうだ、私は40なんだ」ということが、初めて、すとんと、落ちた。
それはとても静かで落ち着いた、そして湖のように澄んだ気持ちだった。

別の言葉で言うならば、言いたいことは言い尽くしたということだろうか。考えるだけ考えて、悩むだけ悩んで、吹っ切れたというか。もう、言うことがなくなったというか。

だから、突然ではありますが、一区切り、とさせていただきたいと思います。

私たちも元気で歩いていきます。みなさんも、元気で歩いていってください。
またいつかどこかでお目にかかれますように。

Have a wonderful life!
  
Posted by conjunto at 20:26Comments(20)ひとりごと

April 08, 2006

コートの反省

私が出張に出かける時には、いつもSと言い争いになる。
「寒いんだから、コートを着て」
「だって、南に行くんだよ。誰もコートなんて着てないよ」
「他の人はいいの。夜が寒いんだからコートを着て」

薄手のスプリングコートを着ようとしたら、Sがどうしても許してくれない。
「だったら、姉が持ってきたスペインのハーフコートを着てよ」
「わかったわ・・・」

しぶしぶ着ていったおしゃれなコート。でも、やっぱりどう見ても冬物だ。
「絶対に着ないのに。荷物になるのに」と、ぶつぶつ独り言を言いながら東京を出た木曜日。

昨日いた南の町は、見事な快晴で桜が満開。みな春の服を着ていて、コートなんて誰もいやしない。昨夜は新幹線を乗り継いでさらに南の街に来たけれど、夜の街でさえコートを着て歩いていたのは私一人だった。

しかも、昨日の仕事の後に、「お土産ですから持って行ってください」と手渡されたのは、摘みたてのイチゴの大箱、二つ。
「あ、ありがとうございます(汗)」
「お持ちになってご家族とお食べくださいね」
「はあ」

いただいたものの、そのまま東京に帰るのであればまだしも、私の出張は日曜日まで続く。

ということで、昨夜は新入社員歓迎会で街に人が群れをなしている中を、キャスターつきのかばんをゴロゴロひっぱり、大きくて重たいトートバックとイチゴが二箱(といって本当に大きな箱!)の紙袋、そしてコートをもこもこ着たまま、ホテルにたどり着いたのが9時半だった。一日中立ちっぱなしで疲れた足をお風呂に浸して、気絶するように寝た。

今朝も快晴。街には颯爽と春の服を着て歩く女性たちでいっぱいだ。
ああ、やっぱりコートなんて持ってくるんじゃなかった。

イチゴは今日会う人に全部あげてしまおう。それからコートは、明日着て帰るしかない。

日曜日の東京が寒い夜でありますように(笑)。
  
Posted by conjunto at 08:17Comments(3)TrackBack(0)work

April 07, 2006

海路の日和はあるか

家探し、思った以上に難航しています。いや、当然に、というべきか。
この間いやになるほど不動産屋と話し、電話をかけ、状況を説明し、で、徐々にわかってきた賃貸のしくみ。

昨日もある担当者と話した。要するに、「友人可」という場合には、それぞれに保証人を立てて(多くの場合入居者の親)、それで審査をするという。「婚約者であってもそれぞれに保証人を立ててもらいます。結婚していればダンナさんだけでいいんですけどね。ですから、ご友人の場合は、両者に保証人がないと難しい」

なるほど。結婚制度はこうした意味で“保障”なのね。日本人の私は、「ったく家族制度のしばりがきつくて」と考えるが、ヨーロッパ人であれば「結婚したことの市民権の一つ」としてとらえるのだろう。それこそ、Sと私が結婚していれば何の問題もなくなるわけで。

しかも、Sの会社の保障人は私であるという複雑な状況であるから、なおさら現状はややこしくなる。

「ご友人に日本人の保証人をつけてくださってもいいですよ。でも、それも日本国籍に限りますが」と、担当者はつけ加えた。ふと親身になってくれる在日の友人の顔が浮かんだけれど、「日本国籍に限る」となるとまたもや却下になることが目に見える。

ということで、同性同士、そして一方が外国人ということで、いくつもの壁にぶちあたり結構めげている私。ま、覚悟の上だったとはいえ、これほどまでに難しいとは思わなかった。特に、「ペット可」のものは、もともと物件の数が少ないために、余計にハードルが高く感じられる。

わんちゃんを考えなければ、もう少し楽かもしれない。でも、これだけはSのために絶対に条件をはずしたくないものだから、死守してもがんばるつもり。

不動産屋で話をしていると、隣のカウンターで女性が話をしていた。担当者が大家さんに電話をして、「で、実は中国籍ですがダメでしょうか」と最後に切り出して、そして却下される様子を見ていた。

国籍差別、同性パートナー差別。それでも私たちは「女性同士」ということで、まだいいみたい。男性パートナーでしかも一方が外国人の場合は、もっと大変そうだということを、別のサイトで読んだことがあったから。

私は昨夜から出張で東京を離れているため、再度動き出せるのは来週の月曜日。

ここはじっと待てということか。待てば海路の日和ありを信じなきゃ。
  
Posted by conjunto at 07:00Comments(4)TrackBack(0)ひとりごと

April 05, 2006

自転車二人乗り

手術からちょうど4週間がたった。昨日はちょっと帰りが遅くなったら、外でSがニコニコして待っていてくれた。
「どうしたの」
「へへ、見て。自転車に乗ったよ」、と、胸を張る。
「おめでとう。回復してきたね」

痛みがあるのと怖いのとで、ずっと自転車に乗ることができなかったS。昨日からやっと、自転車に乗ろうという気持ちになったようだ。

私が小走りで歩き、その後をSが追いかけてきた。
「後ろに乗ってよ。ロマンチックな記念日として」
大丈夫かなあと不安だったけど、よっしゃと言って後ろに座った。腰をぎゅっと抱きしめたら、Sのダウンジャケットがモコモコして前が見えない。
「怖いんだけど」
「大丈夫、大丈夫」
そんな風にして家まで自転車で二人乗りして帰った。久しぶりだった。

4月の最終週から放射線治療が始まり、6週間は毎日病院まで自転車通いになる。その予行演習をしなきゃ、と言っていたところだった。

さて、ここ数日口内炎で痛がっていた私を見て、「あなたの胃のためよ」と野菜スープを準備してくれていたS。いつもは出来上がったものを食べるのだけれど、今回はSが野菜スープをミキサーで作るのを初めて見た。

実は、Sが料理をするところを私はなるべく見ないようにしている。日本人的感覚だと、あまりにも衛生上よくないと思って、やたらと口を挟んでしまうからだ。Sもそうだけど、ヨーロッパ人は買ってきた野菜をしっかり洗うことをしない。袋から出してそのままサラダにするとか、ほうれん草もすぐになべに入れてしまうとか。手拭のタオルと台フキンとお皿用のフキンがごっちゃになるし。

でも、もう慣れた。

S流ポタージュの作り方は、床にべったり座って、大きなポットから野菜を入れてミキサーにかける。結局スープがこぼれて床が緑色にそまり、私が床掃除をするはめに。

泣きそうになるSの顔が面白くって、私はずっと笑っておりました。
  
Posted by conjunto at 07:04Comments(2)TrackBack(0)diary

April 04, 2006

引越しはどうなる

東京に来てから、どれくらいの数の不動産屋を回っただろう。自分の引越しだけでも6回、事務所の引越し、友人の引越しを合わせると軽く10回は越えている。

賃貸不動産に関しては、本当にいいお店を探すのが難しい。都心の新しい会社は若いスタッフがいて一生懸命で親切だけれど、ローカルな物件というのは大体がその地域の地主さんみたいな人がやっていて、当たりハズレが本当に大きい。

以前も車椅子の友人のために、町中の不動産屋をめぐって探し回った。彼女がいい場所を見つけた後も、車椅子だということで大量の書類を準備させられ、親類の会社の謄本まで取りよせられ、挙句の果てに「理由は申し上げられませんが、審査は通りませんでした」と却下された苦い経験がある。

昨日も仕事の後に「ここなら」と思った所に行った。最初は「犬は大丈夫です」と言われたのに、内見を申し込んだら、「ダンナさんはいいと言ったのに、奥さんがダメだということで」と、見事に却下。
「はあ、わかりました。ありがとうございました」
と、その場を後にしたけれど、本当に悲しい気持ちになった。

自分の住んでいる街であれば、どの不動産屋さんが親切でどこが悪いとわかるのだけれど、知らない土地だとまったくもってわからない。入ってから社長の顔を見て、「ああ、失敗した」と感じると、もう最悪。窓越しに気難しそうなおじいさんが見えたら、まずはアウトと思っておいたほうがいい。

そんな私たちの苦労を知って、知人のダンナがさっそく、「おっしゃ、探したる」と乗り出してくれた。彼も外国籍。苦労を知っているもの同士の、言葉抜きの親切。彼自身も日本に住むことにとっても苦労したから、同じように外国人と共に暮らそうとする私の苦労を共感してくれて。

ありがたいことだ。

ちなみに海外でも部屋を借りたことがあるけれど、海外では大体が家具つきの部屋だ。ベッドや冷蔵庫は当たり前。だから、日本では本当に空っぽの部屋を借りるということを知って、Sは本当に驚いている。

さてさて、嵐に巻き込まれたような引越し劇。一体どうなることやら。
  
Posted by conjunto at 07:01Comments(2)TrackBack(0)私たちのこと

April 03, 2006

歩いた日曜日

午前中は心に決めていた物件の内見をしに行った。電話で話した担当者は若いお兄ちゃんで、私と一緒にSが入ってきたのを見てちょっとぎょっとしていたけれど、それでも丁寧に色々と説明してくれた。

「いいな」と思っていた物件は、なんと前日に申し込みが入ったと。
そんなものよね。いいものはすぐに売れてしまう。移動の時期を過ぎたといえ、まだ物件の回転率は早い。

がっかりして、それからお兄ちゃんの出してくれる他の物件を見て、そして2つほど実際に見に行った。

Sにとっては初めての不動産体験。
「スペインではどうなの?」
「友だちの友だちの知り合いが空きマンションを持っている、みたいな口コミか、新聞広告よ。最近は不動産が増えてきたけれど、日本ほどじゃない」
「なるほど。ここは完全に不動産経由ばかりだわ」

なんていいながら、2つほど物件を見た。私たちが女性二人ということに担当者は引っかかるみたいで、「友人可」という物を強力に薦められた。
「どうして、友人同士だとダメなの」
とSが聞くので、お兄ちゃんに説明してもらった。一方が出て行って保証人がいなくて家賃が払えなくなるとかがあるから、と。

「あれはね、公式回答よ」
駅で車を降りてから、私はSに説明した。
「要するに日本は家族かシングルが絶対なのよ。前は、友人入居なんて物件さえなかった。今でこそ増えたけれど、私たちは友人だし、一人は外国人だし、もう一人はシングル女性だしで、かなりハンディが大きいの」

気を取り直して午後からはハイキング。公園から公園へ、「○○の道」みたいな、地域の隠れ家的な道を、二人でずうーっと歩いた。東京にこんなに緑があったのかと驚くくらい、そこは本当に美しかった。子どもたちが遊び、バーベキューをしている家族があり、大人たちもサッカーをしていて。

ベンチに座って、風に吹かれながら二人で風景を見ていた。
ゆっくり、まったりした日曜日。本当に貴重な週末だった。
  
Posted by conjunto at 06:59Comments(4)TrackBack(0)私たちのこと

April 02, 2006

契約は6月まで

久しぶりの週休二日。昨日は絶好のお花見日よりだったので、大量の洗濯物を干して、それからSと一緒に近くの公園まで出かけることにした。

公園に行こうよ、という私の誘いには実は理由があった。ペット可の物件がその町にあって、せっかくだからついでに見てみたい、ということだったのだ。静かな駅を出て、てくてく歩いていくと、神社があって、そして目指す物件のマンションがあった。

「いいじゃない、ここ。静かで」
「うん、いいねえ」
二人で周りを歩きながら、周辺の道を歩いた。そこから目指す公園までは歩いて10分程度。緑が多くて畑もあって、本当に静かでいいところだった。

実はペット可の物件を、いくつかSにナイショで見てきている。全部、音がうるさかったり、値段が高すぎたり、駅から遠すぎたりで、イマイチだったけれど、ここは結構ぴんと来た。周りに緑があって犬の散歩道がたくさんある。今住んでいる町とは比べ物にならないくらい静かで何もない。でも、Sも私も“静けさ”が選択基準のトップにあるから、ここだったらいけるかも。

それから公園に行った。春休みの週末だったから、公園はどこもかしこも家族連れで一杯だった。桜の木の下には大勢の人が座り込んで、お酒を飲みながら歌っていた。
「おやおや、これが有名な日本の桜の風景ね」
「ちょっと人が多すぎるわよ」、と私はプンプン。
Sは面白がって、見事に咲いた桜の木とその下の人だかりを写真に撮っていた。

家に戻って、今住んでいるアパートの契約書をひっぱり出した。
契約が切れるのは確か9月くらいじゃなかったっけ、だったら7月くらいから引越しを考えよう、と思いながら契約期限を見たら、なんと契約期限は6月10日。

え・・・。契約書を見つめたまま、しばらく呆然。6月初めかぁ。ということは、5月中に引越しってこと?まだまだ家探しは先でいいやとのんびり構えていたけれど、急に引越しがリアルなものになった。

去年の暮れから引越しするんだと騒いでいて、いよいよ本当に移動することになりそう。Sは、「きっと本当に準備ができたのよ」と言ってくれるけど。

しかし、こんなにすぐになるとは。ちょっぴり焦っております。
  
Posted by conjunto at 07:10Comments(8)TrackBack(0)私たちのこと

March 31, 2006

花冷えの月末

Sの体が少しずつ回復してきた。最初の2週間くらいは痛くてたまらなかったのが、丸3週間が過ぎたあたりから痛みが少しずつ和らいできたという。

「ほら」
そう言ってガッツポーズをしてくれたり、使えなかった右腕でぎゅっと私をハグしてくれたり。
「強いでしょ、私」
そう言って、笑ってみせる。

散歩するスピードも元通りになってきた。ゆっくり、ゆっくりとしか歩けなかったけど、今はほぼ以前のスピードで歩いている。毎日4、5キロを目標として歩いているから、仕事の帰りに桜を見ながら二人で歩いた。

この数日は花冷えで、まるで冬に戻ったみたいに寒い。昨日は二人で真冬のダウンジャケットを着て、ぴったりくっついて歩いた。毎年のことだけど、この時期の街は本当に美しい。ピンクのもやがかかったみたいで、大通りが桜のトンネルとなる。

昨日はあまりにも寒くて、夕方にはすっかり人影がたえてしまい、テレビの取材をしている人たちも、ひとどおりの少ない桜並木の前で凍えながら立っていた。きっと、「桜は見事ですが花冷えで人通りがありません」とかなんとか、ニュースに流れたのかも。

昼に友人AとランチをしたことをSに話した。Aのお母さんも胃がんの初期だから、二人でガン治療についてずっと話をしていたこと。

医療が進歩してもガンの死亡率はそれほど変わらない。もしかしたら、もっと違う治療の仕方もあるのかも、とか、放射線治療は体力を落とすから本当に免疫力をつけるようにしたほうがいいよ、とか、お客さんでいっぱいのイタリアンで、二人でずっとごにょごにょ話していたのよ、と。

そうしたらSが突然、
「私の場合原因がはっきりしている病気でよかったのかもしれない。悪い部分をすっぱり取ってしまって、後は治療だから。原因不明の病気や進行の早いガンでなくて、本当によかった」
そうだよね、と私もうなずいて。

さて週末前の金曜日。今日は都心まで仕事の打ち合わせに行ってきます。
  
Posted by conjunto at 07:10Comments(2)TrackBack(0)diary

March 30, 2006

ラテンの血

Sの親友のBが来月来日することになった。
Bは妊娠5ヶ月。表向きはSの放射線治療の看病に、本当の理由は現在の彼とうまくいっていなくて、別れようかどうしようかの傷心旅行らしい。

「大丈夫かなあ・・・」
「ドクターは6ヶ月前まで大丈夫と言っているらしいけど」
「うーん」

Sの友人たちの、くっついたり別れたりのストーリーは様々で、私が2年前にスペインに行ったときには、Bは別の彼と別れる最中だった。その彼とBと、私たちは四人で食事をして、私が帰国して数週間後に別れたわけだ。

Bは典型的な“ラテンの血”の人。気性が激しく恋多き女性で、しっかり者で喧嘩っ早い。強い者とは徹底的に闘うけれど、弱い者には優しくて情が深くて、私も彼女のことは大好きだ。Sが日本に来てからも、ずっとメールと電話で変わらず連絡を取り続けてきてくれたのはBだけである。

Bの話を聞くといつも、“次の男を用意して別れる”という女性たちを思い出す。負け犬グループにもいろいろあって、本当に“縁のない”人(私のような)と、次から次へと恋を重ねてボーイフレンドに困らない人がいる。

Sも私も“おくて”の人間で、だからお互いこの年になって出合ったのだと思う。慎重で、本当に好きになるまで絶対に走ることなく、本気になってからつきあい始める。

一方Sのお姉さんは色気があって、「あのドクターはハンサムだ」とか「日本の男ははげてないからいい」とか、シモネタに花が咲いた。
担当医が“ハンサムだ”といったのもお姉さんで、
「Sのお姉さんは、先生のこと腕もいいけどハンサムで素敵だと言っていました」、と伝えたら、
「さすがスペイン人ですね」、と先生は照れ笑いをしていた。

“ラテンの血”といっても、スペイン人の全てがそうであるわけではもちろんない。SとBとの性格は全く対照的で、見ていて面白い。Bは激しくSは静か、Bは長女でSは末っ子。そんな二人だから、お互いにないものを保管しあって長い間親友でいられたのだろう。

今度は楽しみ。Sが元気になるといいな。
  
Posted by conjunto at 09:12Comments(0)TrackBack(0)diversity

March 29, 2006

スペインから電話

最近はやたらとSに電話がかかってくる。お姉さんを始めとして、Sの友人たちから、「どうしてる?」と心配しての電話だ。

お姉さんは先週末に北部のお母さんのところまで行き、Sのことや実は日本に行ったことを伝えてきた。お母さんは色々と難しい人だから、電話で伝えるのではなく面と向かって言葉で伝えたほうがいいという二人の判断で、お姉さんがその使命を果たしたのだ。

そうしたら、今度はお母さんや懇意にしているおじさんやいとこたちからも、じゃんじゃん電話がかかってくるようになった。
「病気になったほうが、健康なときより家族としゃべっている」とSは笑う。

先日も散歩の最中に、子どもの頃からお父さんに代わってSをかわいがってくれたというおじさんから電話があって、
「元気にしているか」
「わあ、おじさん、ありがとう。何とかやっているよ」
その後、彼は自分でも何を言って言いのかわらず、「しっかりやるんだよ」とだけ言って、すぐに電話を切ったらしい。

昔かたぎでぶっきらぼうで、そして愛情をいっぱい持っている人たち。そんな村の人たちが、遠い国に暮らすSを心配してくれている。

都会にはなくなってしまった村社会の人間関係が、今もSの生まれた村には存在している。村の人たちが「あそこの娘さんは日本でガンになって」と話して、そして心配して電話をかけてくるような。家族を大事にし、それぞれの家族のストーリーを誰もが知っているような、そんな濃厚な村社会が。

私の父が認知症で大変なことを、母は近所に隠している。“恥ずかしいこと”と、一人でひっそりと父の面倒を見続けている。きっとSの村だったら、外に出る父を村の人が色々と声をかけてくれるだろうに。母の世話をしに来てくれるだろうに。

実家を飛び出して東京に来たのは、それでも色濃い人間関係がうっとうしかったから。誰にも干渉されない都会の無機質な人間関係やコミュニティが私には居心地よくて、そしてもう20年近くこの地に住んでいる。

それでも。
Sの村の人たちのそんな優しさが、電話の向こうにほの見えて、心があったかくなった。
  
Posted by conjunto at 06:57Comments(0)TrackBack(0)Sのこと

March 28, 2006

ドクターと相談

午前中は放射線治療のための説明を受けに病院へ行った。徒歩だと30分くらいの道。その道に咲き始めた桜や木蓮の花を見ながら、春の光の中を二人でゆっくりと歩いた。

到着後すぐにSの診察となり、ドクターから説明を受けた。
「患部を見せて」
Sが上半身をぬいで見せたら、
「とってもいい状態よ」
そうドクターが言って励ましてくれた。

始まる前までかなり緊張気味だったSも、ドクターの真摯な様子にほっとして。放射線治療が始まるのは4月後半。週に5日間、毎日、放射線治療を受けることになるそうだ。

ちなみに放射線医師は女性。これまでもそうだったけれど、Sがかかった女性のドクターは例外なく、全員何とかSと英語で意思疎通をしようと努力してくれた。以前かかった内科の先生、皮膚科の先生、そして今回の放射線科の先生。みなとっても独立心旺盛な強い女性たちで、必ずSと直接話そうとしてくれた。

ちなみに男性のドクターたちは優しくて、通訳を私に任せて、距離を置いて日本語で話をする。

どうしてなのだろう。こんなところにジェンダーの差って表れるのかしら。それともたまたまそうだっただけなのだろうか。病気を客観的に見ようとするのが男性医師とすれば、私たちが出会った女性医師はすべて患者と直接向き合おうと努力してくれた。

そんなちょっとしたことが、私たちにとっては嬉しいわけで。

診察室前には緑の木や花が置いてあり、音楽が流れていた。
「あれ、ちょっと他の診察室前と違うよ」
「あそこにいた患者のほとんどが、ガン患者でしょ。だからそんな風に違う雰囲気を作っているのかもね」、とS。

4月後半から毎日通うことになるのか。毎日通って2ヶ月から3ヶ月かかる。治療が終わる頃には、次のビザの更新の時期に重なる。

ああ、気を抜く暇もないや。

近くの大通りのサクラが満開になりつつある。今日は夕方Sと花見の散歩に出かけよう。
  
Posted by conjunto at 07:15Comments(5)TrackBack(0)闘病生活

March 27, 2006

旅立ちの心理

「カバンを買うのは旅立ちの心理だと言うよ」
週末の仕事先で、バッグを3個も買ってしまったことを話したら、そう教えてくれた。

旅立ち、というと、もしかして引越しのことかしらん。
実は今年中に引越しを考えているのだと話すと、急に話が盛り上がった。
どこに行きたいのか、予算はいくらか、どんな環境がいいのかと、スタッフ2人とそんな話で盛り上がり。

「○○市はいいよ」と一人が言う。
「緑が多いし、近くに川があるし。子育て環境にはバツグン」
「へえ」
「それにね、外国人に優しいの」

彼女の夫も日本人ではなくて家探しがものすごく大変だったから、外国人に偏見のないその町がすっかり気に入って住むことを決めたのだという。

翌日、彼女は町の地図と写真集を持ってきてくれた。
「これは、地域の人が撮った写真集。いいでしょ、いいでしょ」
見せてくれたのは、原っぱや公園や花の写真。緑がいっぱい。
「周りになーんにもないから、静かだよ」

Sはスペイン北部の村の出身。私も南の田舎者。だから、二人のこれからの住む場所を考えると、優先順位は「静けさ」だとSは断言する。

その写真集を昨日家に帰ってSに見せたら、
「こんなに緑が多くあるのはすごい。でも高いでしょ」
「ううん。駅の周辺の方が高くって、お店がない地域だと家賃が安くなるの」
「へえ、私は反対だと思っていた。都市部の方が安いのかと」

ヨーロッパでは郊外の緑の住宅地は高級住宅街と決まっている。もちろん東京も都心部では違うのかもしれないけれど、大体駅から徒歩何分と便利さが最優先される。

カバンの話から引越しの話へ。春は移動の季節。出会いや別れの季節だからなのだろうか、すっかり頭がお引越しモードになってしまった。

とはいえ、すぐではありません。夏までのお話。ゆっくり考えましょう。
  
Posted by conjunto at 06:34Comments(2)TrackBack(0)diary

March 26, 2006

映画つれづれ

ここのところ映画づけの日々。映画といってもいわゆる“感動モノ”と呼ばれるものは、Sが「泣くのはダメ」と言うのでパス。ということで、最近はもっぱらコメディとかアクションとか。

yumemiru
最近のヒット作は、『夢見る頃を過ぎても』というコメディ映画。日本で劇場公開されなかったらしいけど、キャシーベイツが好きな私たちにとっては結構当たりの作品だった。

ゲイと障害者と普通の中年主婦の、ごく当たり前のマイノリティたちのコメディ。それぞれの役どころが光っていて、キャシーはもちろん、「小人」役としての女優にSはすっかり夢中になった。

ストーリーはやや強引なところがあるけれど、観終わったらたっぷり幸せな気分になれる作品だ。私たちはストーリーも何もまったく知らないで観たので、余計によかったかも。

さて、昨夜はスカパで、『フラッシュダンス』をやっていた。主役はジェニファービールス。『The L Word』のベット役の方でおなじみの私たちは、フラッシュダンスのアレックスというよりも、“20年前のベット”として彼女の顔を見つめていた。

ジェニファービールスの23年前。彼女が19歳のとき。幼くて純真な表情で、今のベットほど円熟した演技ではないけれど、私たちの“ベット”がそこにいた。

「きゃあ、ベットがかわいい!」
「でしょう」
初めて見た私はちょっと興奮気味。Sがそばで笑っている。

20年前かあ。ベットとあまり年齢の変わらない私も、自分も20年前というとこんなにあどけない顔をしていたのかなあとしみじみ感じる。今のジェニファーを知っているからこそ、余計に20年前の彼女がなんともいとおしくなる。

同年代の女優たちを見ると、どのように年齢を重ねてきたのかが見えてくる。40代といえば円熟した時。ジェニファーもいろいろとあったろうけれど、『The L Word』の最中に子どもを産んで、人生をますます豊かなものにしている。

私たちも円熟した豊かな40代を過ごしたいと、彼女を見ながら思った。
  
Posted by conjunto at 06:41Comments(2)TrackBack(0)私たちのこと

March 25, 2006

バッグにはまっています

Sの入院や手術の間、ストレス解消になっていたのは、カバンだった。
自分のためのトートバッグがほしいなと思って探し始めて、そして、はまった。はまったのは、あるカバン専門のサイトを見てからで、それ以来完全はまり状態が続いている。

ということで、最初は黒、次にオフホワイトを買い、そして昨日は一目ぼれして買ったブラウンのショルダーバッグが届いた。

「いいじゃない」とSがほめてくれる。
「あなたの人生、黒以外の色を取り入れなくちゃ」
「うん・・・」

バッグはとっても素敵。でも自分の中では、明らかにストレス状態が見え見えだから自分が恥ずかしいのだ。手作りの革のカバン、一つひとつのお値段は結構張るので、この間3つも買ったから出費も半端ではないわけで。

仕事用のカバンはこれで10年買わなくてすむ、と、自分の中で妙な理屈をつけて納得する。それから新しいバッグに保革クリームを丁寧にぬった。革の臭いが本当によくて思わず何度も吸い込んでしまう。

ブランド物を私はどうしても持つことができない。とっても恥ずかしくてだめなのだ。バッグに目が行くようになったら、街にはルイヴィトンを始め、ブランド物バッグがあふれているのに気づいた。しかし、私は数年前まで、アニエス・ベーも読めず、フェラガモを聞いて、「何、それ鳥の名前?」と言って友人に爆笑されたくらいのブランド音痴だった。

ちなみに、Sは私よりももっとブランド物を知らない。
お姉さんが来た時は、コーチのトートバッグを持っていて、私は「あれは絶対ブランド物だ。何だっけ」と気づいたけれど、Sは全く気づきもしなかった。お姉さんは、スペイン南部のお金持ちの人と結婚したから、持っているコートもバッグも、絵に描いたようにユーロピアンブランドスタイルだった。

Sにお土産よ、と、スペインの高価なブランド物コートを持ってきたら、
「こんな高いもの、いらない」とはねつけて、「もらいなさい!」というお姉さんとけんかになっていたっけ。

ちなみに、Sはもらったコートは一度も着ず、相変わらずZARAの男物のダウンと男物のスポーツパンツを着て歩いている。そんな二人だから、普段はとても経済的です。
  
Posted by conjunto at 06:38Comments(4)TrackBack(0)diary

March 24, 2006

あと数年

スタッフの一人が仕事を減らしたいという話をしてきた。理由は色々あるけど、「あと5年と考えたら私50歳でしょ。それじゃ、人生残りの時間が短すぎる。変えるなら早い方がいい」。

気持ちは、よーくわかった。

以前も、30代最後で「これが人生変える最後のチャンス」と、転職をする女性たちを見てきた。40代も後半にもなったら、仕事を変えるにも土地を変えるにも、本当に後がない気がするのも当然だと思う。

子どもがいたりすれば、やれ小学校だの中学校だの、入学だの卒業だのと、子どもの人生を自分の人生と重ね合わせて、忙しさにかまけて駆け抜けるのだろうけれど、悲しき「負け犬」(古いか)、自分の人生やキャリアのことを考える時間はたっぷりある。

私自身もSと日本に留まるのか別の地に行くのか、心はまだ定まっていない。今は仕事がひと段落つくまで、などという理由を自分の中に作ってずるずると日本にいるけれど、いつかは二人で言葉のわかる場所に行くのだという気持ちは変わらない。

40も後半になると、体力的にも気力的にも土地を移る元気がなくなりそうだから、変えるとしたら40代前半までかなあ。そうしたらあと5年、いや、あと3年か。

「あなたが日本に来たのは、人生を変える最後のチャンスだと思った?」
つれづれ思いながら、昨夜はそんなことをSにも尋ねた。

「自分に与えられた最後のチャンスだと思ったよ。二人の関係がうまくいかなければ、スペインに戻るつもりだった。来日して落ち着くまで1年くらいと思っていたら、それからうつになり、そして今はガンになり・・・。全然落ち着かないわ」

二人の関係について、お互いの迷いはない。これからもずっと二人で生きていこうということだけは、心に決めている。
しかし、どこで、となると、さっぱり先が見えないわけで。

先のことは見えなから、とにかく一日、一日を大切に生きようと、結局同じ結論に至るのだ。

一つ。今年中には引越しをする。邪気はすべてここに残して、犬の飼える家に住むんだ。それは、絶対に、しよう。
  
Posted by conjunto at 06:19Comments(2)TrackBack(0)ひとりごと

March 23, 2006

鍼の先生

体の免疫力をつけるために、昨日は夕方からおひげの鍼の先生のところに行った。いつもは寡黙な先生なのだが、Sの「乳がんで2週間前に手術をしました」という話を聞いて、Sの現在の食生活やら来日前の体調などを色々と問診し、しっかりと治療をしてくれることになった。

鍼の先生は先生なりの哲学を持っていて、マクロビオティック的な“陰陽”の食べ方をすすめてくれた。
でも日本食だけではなく、
「スペイン北部の出身だというのなら、出身地のローカルな料理を食べたらいいよ」
そうアドバイスをしてくれて、私は内心ほっとした。

「先生の言うこと全てに同意しなくていいからね」、と私がこっそり言ったら、
「でも父はよく、地域のものを全体で食べろと。少量食べて、間食はするなと、よく言っていたから話はわかる」
治療の合間にそんな話をひそひそしながら、横になっていた。

手術から2週間。Sにとっては長い2週間だったと思う。病院での治療方針もまだ定まらないし、抗がん剤を使うのかどうかもわからない。そんな不安を抱えながら、それでも前向きに日常生活を生きていこうと努力している。

私の鍼のすすめも、彼女の免疫力をつける必要性を感じたからだけど、実はS自身は、病院での細胞検診の針の思い出がつらくて、「針はいやだ」と言い続けていた。その彼女を、「痛くないから」と説得して連れて行ったのだ。Sは以前、スペインで中国鍼というのを受けたことがあって、猛烈な痛みに「二度と鍼を受けない」と言っていたから。

「どうだった?」と聞いたら、
「全然痛くなかったよ。もちろん私の精神的な“針”への恐怖があるから、多分次回まで怖いと思うかもしれないけれど、多分大丈夫」

手術の傷跡の痛みそのものよりも、背中や腰の痛みがうそのように取れて、昨日の夜はぐっすりと眠ることができたと、今朝はいい笑顔を見せてくれた。

しばらくは病院での化学治療とあわせて、体内を鍛えることにしようと思う。Sは毎日4キロ前後歩いているから、体力は徐々に回復している。
空気もやわらかくなってきた。桜のつぼみもふくらんでいる。
Sの体が早くラクになるといいな。
  
Posted by conjunto at 09:47Comments(2)TrackBack(0)闘病生活

March 22, 2006

春の香り

昨日は朝早くから出張に出た。新幹線に乗って南へ。お彼岸でしかもWBCで盛り上がっているときに仕事かぁ、とため息をつきつつ、眠っているSにキスして出かけた。

今週末に仕事はあるけれど、大きなものは昨日で最後。来週の週末はなんと2日間ばっちりお休みできる。これから2週間くらい、ちょっとゆっくりの時間を過ごすことができるから、帰り道はなんだかウキウキしていた。

Sはしばらくお迎えができなかったけれど、数日前から、駅までお迎えの日課に戻った。Sが駅前で手を振って私を迎えてくれた。午後の早い時間に戻ってこられたので、二人でゆっくりと散歩がてらにカフェに入った。

「ハイ、おみやげ」
私が手渡したのは、出張先のお店で見つけたミニチュアのお花。日本風の花瓶に桜の枝と菜の花が飾ってある。
「おお、すごくきれい」
Sの顔がぱっと明るくなった。

出張すると最近はミニチュアグッズを探すようになった。Sもこの間右手が使えずつらそうだったけど、やっと少しずつドールズハウスの製作に取り組み始めた。
「これって、本物の焼き物みたい。いくらだったの?」
「ひみつ」

ミニチュアグッズって、小さい割にはお値段が張る。でも、Sの嬉しい顔見たさに、ついつい買ってしまった。これって、子どものためのお土産をいつも買っちゃうお父ちゃんみたいじゃない(笑)。

flower4
それからお花屋さんでお花を買った。
私たちのキッチンには色とりどりの花が咲くようになった。お花を見ていると心が和む。入院中にもらった花がとってもよかったから、それ以来部屋に花が絶えず咲いている。

今はアネモネとマーガレット。アネモネがかわいくて、二人して花屋で思わず手に取ったものだ。
キッチンは一足先に春の香りで明るい。
  
Posted by conjunto at 06:49Comments(2)TrackBack(0)diary

March 21, 2006

痛いは言ったほうがいい

「おっぱいが痛い」とSが言う。手術のあとの胸の奥が、歩くたびに痛むし、触っても痛いとつぶやく。

「痛いよね」
「うん・・・」
「痛いの、痛いの、飛んでけ〜」
うふふ、と、Sは笑う。

痛みや体のつらさはできるだけ口に出しておいたほうがいいと、私自身は思っている。お姉さんに心配してほしくないからか、手術後もSは「痛い」ということはほとんど言わなかったし、入院中も猛烈に心配しているお姉さんの気持ちを気遣っていて自分の気持ちは横に置いておいたみたいだから。

だから、今、いっぱい言うほうがいい。
そうSに伝えて、ベッドでずっとハグをしていた。

痛みを聞くのが耐えられないと言う人もいるけれど、私自身は平気みたいだ。ま、長年体の障害を持つ人のそばにずっといたから、聞くのに慣れてしまった部分もあるけれど、でも“言わなかった”ことのつけの方がずっと大きいのを知っているから。

友人Uが子どもを産んだときのこと。
彼女は帝王切開で出産し、私とUのダンナがそばについていた。ダンナも私も友人Uの「痛い」をずっと黙って聞き続けてきて、何とか無事退院した。

1年くらいして、Uが、「私、また子どもを産もうかな」とつぶやいたとき、
「ダメ。絶対に無理だよ」
そう言ったのはダンナの方だった。
「君があんなに痛い思いをするのを、僕は耐えられない」

あんなに痛い思いをするのはもうこりごり、と思っていたのは、そばにいたダンナ。U自身は、出産の痛みはすっかり忘れていた。そんなものなのね、と、私は理解した。

Sの痛みはしばらくすれば癒えるはず。だからこそ、今のうちにいっぱい言っておいた方がいい。体の痛み自体よりも心の痛みの方がしんどいのだ。
体の痛みにかこつけて、この間のつらい気持ちをたっぷり吐き出しておきなよ、ね。
  
Posted by conjunto at 06:19Comments(3)TrackBack(0)Sのこと

March 20, 2006

久しぶりの「L Word」

久しぶりに『The L Word』を観た。Sの手術の前から後まで、ずっと観るのを控えていたものだ。

シーズン3は悲しいストーリーが入っていて、どうしてもSのことと重なって観ることができないでいた。おととい仕事から帰ってみたら、コンピューターの様子がいつもと違う。

ピンときて。
「Lを観たでしょ」
「観てないよ」
「観たでしょ。絶対に」
「観てないってばあ」
という押し問答の後、
「ちょっとだけ、観た」
「じゃあ、ストーリーの展開を観たのね」
「うん」

仕方がない。悲しい話にSが過剰に反応してつらくなるんじゃないかという私の心配はよそに、S自身は結構興味深くストーリーを追ったと言うので、昨夜は久しぶりに「L」を二人で観ることにした。

「L」を観るときはキッチンに座り、二人でたわいもないおしゃべりをしながら観る。ということで、見損ねていた第8章から追うことにした。

やっぱり、いい。ビアンの世界にどっぷりつかるのは。当たり前の人間関係があって、それぞれに悩んでいて。美しいビアン女性たちの人間ドラマを見ると日常の葛藤を忘れられる。二人で、あーだ、こーだと話をしながら十分に楽しんだ。

S自身は、手術が終わって転移もなく大丈夫だったということで、やっと「L」を観る気持ちになれたらしい。むしろ手術前の方が、ずっと不安だったようだ。もちろん術後の治療はこれからだけれど、それでも「開いてみるまでわからない」という不安に比べれば、事実を知ったことは大きな安堵だった。

「去年はうつで、今年はガン。この2年間は、父が亡くなった年と並んでつらい年だったわ。あなたとのことが幸せである分、余計につらかった」

でも、スペイン語で「悪いことも三度まで」ということわざがあるという。
「だから、悪いことも今回までね」と言って、ちょっぴり笑った。
  
Posted by conjunto at 06:29Comments(2)TrackBack(0)私たちのこと

March 19, 2006

大家さん

うちのアパートの大家さんは、多分70歳も後半の女の人で、アパートの一角で一人暮らしをしている。以前も、彼女が大きな手術をした時、色々と話を聞いたことがあった。

先日Sと二人で道をゆっくりと歩いていたら、向こうから大家さんが歩いてきた。しばらくぶりですねと挨拶すると、「実は腸閉塞になって病院にいました」と話が始まった。

最近の若い者は(私の世代も含めて)、こんな話をあまり好まない。お年寄りのお話は病気の話や家族の話で、「つまんないし、かかわりたくない」と思っている場合が多いから。多分うちのアパートでも、大家さんに話しかけるのは私たちくらいではないかと思う。

Sはこんな近所のお年寄りと話をするのが得意な人だ。この日も大家さんの話を(私の通訳を通して)じっくり聞いて、「それは大変でしたね」と共感して、「何かあったらいつでもご連絡ください」と伝えていた。

S自身も現在しんどい思いをしているからだろう、家に戻って、そして「大家さんにカードを書きたいのだけれど」と言った。
「どうするの?」
「お大事にというメッセージを伝えてあげたい」

ということで、花柄のカードを買って、Sは長い手紙を書いた。お一人で心細いでしょう、とか、自分も入院して回復に時間がかかっていること、時間がかかるけどお互い大事にしましょう、とか。

そんなことをスペイン語と日本語で書いて、大家さんのポストに入れた。

そしたら昨日、仕事中に大家さんから留守テルにメッセージが残っていた。
「心温まる手紙を本当にありがとう。Sさんにお伝えください」とあった。

都会に住む、「ひとりもん」の悲しみと、優しさが、ふと交差するとき。

何気ない日常と、そこにあるちょっとした人の係わり合いの大切さを、Sは教えてくれる。仕事を理由に猛スピードで走っていると、季節が過ぎるのさえ気づかない。でも、Sがいつもの三分の一くらいのペースで歩くのにつきあっていると、思いもかけないことに遭遇したりするのだ。
そんなことにも感謝の日々。

やっと春がめぐってきた。
  
Posted by conjunto at 06:15Comments(0)TrackBack(0)diary

March 18, 2006

自分の中の嫌悪に向き合う

昨夜はSと長い話をした。お姉さんがいた10日間の間、私たちが何を感じていたのか、お互いの関係性にどんな影響があったのか、などなど。

Sは「二人の関係性」を何よりも大事にする。なぜなら、Sが日本にいるのは、すべて私たちのためだから。なぜここにいて、どう生きるのかについては、Sの中では二人の関係が全ての土台にある。

だからお姉さんがいた間、私の気持ちが揺らいでいたことを二人できちんと話をしておきたいのだとSは言った。

ドクターの前でも看護師の前でも、Sの髪をなで、頬に触れ、優しく抱きしめてあげることについては何の抵抗もない。いつも腕を組んで歩くし一緒にいるから、日々の生活においてそれほど「隠す」ということを考えたことはなかった。

ところが、Sの家族の前では違った。
Sが手術室から出てきたとき、お姉さんの手前どれくらい髪をなでていいのか、頬に触れていいのか。Sが立ち上がったときハグをするのかしないのか。家族の前では腕を組むこともなく、触れることもなくなる。

そんな自分がほとほといやになっていたこと。

ルームメイトとしてふるまうためには、精神的にもルームメイトにならない限り、私自身はその場にいることができない。だから、家族がいなくなった時、すぐに日常に戻ることは、私にとってはめちゃめちゃ難しかったのだ。

「私、自分がゲイであることを、まだ認めていないのだと思う」、と私。
「そっか・・・。私もそうかも」。Sもうなずく。

女であること、アジア人であること、日本人であること、そのことに対して、私は一ミリの卑屈さも嫌悪もない。胸を張って自分は○○だと言うことができるし、そのことに対して100%の誇りを持っている(つもり)。

だのに、ゲイであるかも、ということには、自信も誇りもあっという間に崩れ去る。だから、家族の前でこれほど揺れ、自分の立ち位置に迷い、そしてそうした自分を嫌悪した。

家族との関係でくっきりと見えた自分のホモフォビア。これには時間がかかりそうだ。
  
Posted by conjunto at 06:29Comments(6)TrackBack(0)ひとりごと

March 17, 2006

回復しています

朝一番で病院に行き、退院後初めての外来診察をした。担当のOドクターもSの元気そうな顔を見てにっこりと笑って。
「見せてください」。傷をチェックし、「全く問題ありませんね」と笑った。
Sは本当にほっとした顔をして、
「よかったです」

ドクターも、Sにガンの検査結果を告げる時と、手術が無事終わって悪い結果でなかったことを告げるときとの顔は、やっぱり違う。彼にとっても患者に告知する行為はしんどい作業に違いないと、二人を見ながらふと考えた。

Sの手術あとの傷は順調に回復している。今回は乳首を残して乳房を温存できたので、本当に小さな傷ですんだ。その意味では、Sも私もドクターにとっても感謝している。

放射線治療は、傷が完治してから始めることになると言う。
「残っているかもしれないガン細胞を殺します。抗ガン剤を使うかどうかは、検査結果を見て判断します」
「わかりました。よろしくお願いします」
放射線治療と次回の外来の予約を入れて、診察は終わり。二人で頭を下げて、診察室を出た。

春風が吹く道を、二人でゆっくりと歩いて帰った。梅の花が本当にきれいに咲いていて、木蓮のつぼみも膨らんでいる。いつのまにか、春になった。

昼から職場に戻り、後は一日カンヅメ。でも、腎臓ガンの治療をしている知人が、今月に再入院となったというニュースを聞き、そして、『The L Word』でも悲しいニュースがあるらしいという情報を手に入れ、なんだか複雑な気持ちになる。

『The L Word』のシーズン3は、今はつらすぎて観ることができない。先日も何気なく借りてきたDVD、『天国の口、終わりの楽園』をSの退院後に3人で観て、最後に主人公の女性がガンで死ぬということになり、これにはマジで参った。今はこうしたことにまつわる映画を観ることができないでいる。

やっぱり思った以上に精神的には打撃が大きいのかも。

でも、昨日強烈に思ったことがある。
時間を無駄にする暇はない。命は本当に限られているのかもしれないから。だからこそ、Sを大事にして二人の時間を大切にしたいと。
心からそう思った。
  
Posted by conjunto at 06:30Comments(3)TrackBack(0)闘病生活

March 16, 2006

食べ物に注意

日本人であれば、そして私のように少々東洋医学や食養をかじった人間だと、養生は食事からということで、食べ物に気をつける。玄米を食べ、陽性の野菜中心に食べ、そしてカフェインも乳製品も果物も控える。

体を冷やさないように冷たいものは避けて、玄米コーヒーやタンポポコーヒーを飲んで、なるべくオーガニックのいいものを食べようとするだろう。

ところが、お姉さんが帰ったあと冷蔵庫は肉の山。しかも輸入牛肉の赤いやつのパックが山のように入っている。退院したときも、「スペインでは体力をつけるために肉のスープを食べるのよ」と言って、牛肉と牛の骨で煮込んだスープをたっぷり作ってくれた。それから、Sが大好きなスペインの豚肉やソーセージを、夕食に出してくれて。

お姉さんもSもコーヒーにお砂糖をたっぷり入れるし、フレッシュビタミンを取るのだとオレンジジュースを飲み果物を毎日食べる。

お姉さんの目から見ると、肉を食べない菜食の私は不思議な人種に違いない。オーガニックやら玄米やら、なんてものは、“新興宗教”のクレイジーな人々のことだと思っていたのではないかしらん。

Sは昨日からやっと本当にぐっすりと眠ることができている。お姉さんが無事に帰国して、緊張が解けたのもあるだろうし、やっと思う存分甘えられるということもあるのかも。昨日は11時間くらい、朝までぐっすり眠っていた。

とにかく体力が回復することが第一。まだまだゆっくりとだけれど、毎日4,5キロくらいは歩くようにしているという。術後に3つもできていた大きな口内炎も、やっと昨日から小さくなった。

「口内炎だったら、食べる量を減らして胃を休めなきゃ」という私と、
「口内炎も何も、体力をつければ直る」と言って、肉や魚のタンパクをたくさん勧めるお姉さんと。

食べ方の違いは文化の違い。何がいいのかはやっぱり本人の体に尋ねるしかなくて、日本人のように、Sの体は穀類を消化するようにはできていないようで。だから、Sの食べ物は、「本人が満足するように」と、あんまり私はとんちゃくしていない。

でもねえ、私だったら気をつけるけど・・・。ジュースは控えようよ、ね。
  
Posted by conjunto at 06:44Comments(3)TrackBack(0)闘病生活

March 15, 2006

二人の生活に戻る

朝9時過ぎの電車に乗って、Sのお姉さんを送りに行った。
エクスプレスを待っていると、
「本当に、すべて、ありがとう。状況を知ることができて安心しました」
真剣に顔を見ながらお姉さんが話しかけてきた。

「いえいえ、こちらこそ、日本にまで来てくださってありがとうございました」
ドギマギしながら、なんとかカタコトで返事をする。
「大丈夫、Sのことは面倒見ますから」
「よろしくね」。お姉さんの目頭が赤くなった。

遠い日本に住む妹のことを、今回彼女はどんな風に理解して帰ったのだろう。なぜわざわざ日本に住み続けているのかは、きっとわからずじまいだったろうけれど。

「無事、お姉さんは帰ったよ」
そう、Sには伝えたけれど、なんだかすぐに帰ることができずに、事務所のための買い物をしたり、友人Aとランチをしたり。

Sに会えなかったのは、「一体どういう顔をして会えばいいのよ」という戸惑いがあったから。お互いの関係を隠していて、そして家族がいなくなったらすぐにもとに戻るというほど、今回は短い期間ではなかったから。

帰ってきた私に、Sがキスをしようとしたときに、これまでのクセでほっぺを出そうとして、「どうしてキスをしてくれないの」と怒られた。
「少し時間が必要なのよ。ちょっと待って」
としか言うことができなかった。

がんの不安、入院、手術、家族のこと、そうしたことがいっぺんに来て、そして自分の立ち位置もグラグラ揺れた。この1週間、Sのことを「S」と呼び、ルームメイトとしてふるまい続け、一緒にいたくてもいられなかったから、気持ち的にも彼女とは“ルームメイト”としての距離を取るしかなかった。「家族がいなくなったから」とすぐに元通りになるほど、私にとっては簡単なことではなかったのだ。

夕方から一緒に散歩に行って、ご飯を作って、ビデオを見て、色んな話をしているうちにやっと気持ちが溶けてきた。ぎこちなく私はSの髪をなで、そして二人で長い間ハグをした。暖かいSの体を抱いていると、涙がこぼれそうになった。

やっと二人の生活に戻ることができる。
  
Posted by conjunto at 06:54Comments(2)TrackBack(0)私たちのこと

March 14, 2006

家族の歴史

先週の今日は手術の日だったなあ、と思うと、なんだか色々と考えてしまう。お姉さんは今日帰国する。朝、私が一緒に行って、エクスプレスに乗せてあげることになっている。Sは駅で見送り。平日の電車にはまだどうしても乗る気がしないと言うから、私が送っていくことにしたのだ。

Sは顔色もよくなって、昨日はずいぶんと元気になった。ちょうど1週間たったから、体の痛みが楽になってきたのだ。お姉さんはSの体を心配して、山のような食材を買ってきて冷蔵庫を食べ物で一杯にした。
「これがスペイン式冷蔵庫。いつも食べ物で一杯なの」、とSは笑う。

今回は家族の歴史を考えた。Sの家族ががんで何人も亡くなっているという事実は、本当に大きいんだと思う。とりわけお父さんはSが14歳のときに壮絶な闘病生活の末に亡くなったから、遠い異国で妹ががんになったと聞いて、いても立ってもいられず駆けつけたお姉さんの気持ちもよくわかる。

Sが闘病生活をこれほど怖れるのも、お姉さんが手術中に泣き出したのも、お父さんをめぐる家族の歴史があるからなのだろう。Sの家族の歴史が病気の向こうにくっきりと見えて、そのことに私は言葉を失ってしまう。

私自身は、むかし福祉や医療の現場にいたし、家族の入院、ゴッドドーターファミリーの入院、障害を持つ人たちとの長年のかかわりで、病気や障害と共に生きていくことについてはかなり慣れっこになっている。

慣れていなかったのは、ホモフォビアにどう対処していいのか、ということに尽きた。

お姉さんとの関係の中で、二人のことを隠して生活すること、そしてSが一番大変なときに「血縁家族」が出てきて、Sのそばにいることができなかったこと。

そうしたことの気持ちの対処は初めての経験だったので、本当にそれには四苦八苦した。自分の立ち位置が悲しかったし、日本にいることの意味を考えたし、Sと一緒に寝ることができない自分のふがいなさを情けなく思った。

今朝お姉さんは安心して帰るけど、今回直面したホモフォビアに対しては、目を背けずに考えていきたい。自分の中にこれほどまでの恐怖や怖れが潜んでいることにも、ちゃんと向き合っていきたい。
お姉さん、お疲れさま。そしてありがとう。
  
Posted by conjunto at 06:23Comments(3)TrackBack(0)ひとりごと