コンピュータは計算機ですから、考え方のフレーム(枠組み)が決まっている世界では人間をはるかに超えた力を発揮します。私がそれを強く感じるのは将棋の世界です。

かなり以前に、プロの将棋指し(棋士・きし)が将棋ソフトに負けるようになったというニュースは聞いていました。そしてプロもソフトを使って研究を進めているということも聞いていました。

私はたまたま1年ほど前から将棋を見始めたのですが、そこでは驚きの世界が広がっていました。
将棋の戦い方が、昔とはまるっきり変わってしまっていたのです。


私が高校生ぐらいまで指していた頃は、お互いに自分の王将(玉・ぎょく)をガッチリ囲った後に「さあ開戦」となっていました。敵陣を崩すパターンがあって、どうやってそこに持ち込むかを競っていたような気がします。

しかし今はいきなり戦いが始まって、最後まで気が抜けない攻防が続きます。
昔は攻城戦だったものが、今は白兵戦・ゲリラ戦になった感じです。
そして一手一手が驚きなのです。

「エッ!ここで桂馬が跳ねちゃうの?」
「こんな歩が最後まで取れないとは」
「両取りかけると気持ちいいけど、それをやると攻めが遅れて負けてしまう『毒饅頭』のようだ」


また昔は飛車角で王手されると、何か駒を打って防ぐことが多かった気がします(間駒・あいごま)。
しかし今はそれが第一選択ではないようです。
王様がヒラリと躱してしまい、なるべく持ち駒を使いません。
駒を使ってしまうと玉の逃げ道も限定され、反撃に転じた時の選択肢が狭まるからでしょう。
「裸の王様」が相手の攻撃を読み切って、正確なステップで詰みを逃れる姿は感動的です。


将棋は持ち駒をいくら失っても、相手玉を先に詰めてしまえば勝ちです。
だから駒損(こまぞん=自分の駒を性能が劣る相手の駒と交換したり、枚数を減らしてしまうこと)しても、「相手玉を先に詰める」という勝利条件に向かっているのであれば戦略的には正しいわけです。
詰めるには最低2枚必要ですから、極端に言えば自分が最初持っている20枚の駒を渡したり奪ったりしながら差し引き18枚まで失っても良いという計算になります。

だから今の将棋は、飛車・角でもどんどん切ります。
形を乱し、相手玉が逃げられない状況に追い込みます。
ソフトのおかげで人間の思い込みや儀礼的手筋が排除され、本質剥き出しの勝負になった気がするのです。



昔であれば、将棋を勉強する方法は対局と本しかありませんでした。
今はデータベースが整備され、最新の戦法・対応策・勝率などが一目瞭然です。
主要な対局がネットで配信され、一手一手がソフトで評価されます。
「ここから先の変化は難しいな」と思っても、プロ棋士や視聴者が教えてくれます。
将棋系ユーチューバーという人々がいて、詳しく評価や解説をしてくれます。
ネットを使っていつでも対局ができます(対人・対コンピュータともに)。
学習方法や楽しみ方が、まるっきり変わってしまったのです。

面白いのは、プロの中にもそのような変化に対応できている人とそうでない人がいること。通常は衰えてもおかしくないはずの四十代棋士がトップクラスで踏ん張り、ソフトも真っ青の鬼手を放ったりします。
逆に将来を嘱望されていた若手や中堅が、対応できずにランキングを落としたりします。
ソフトによって将棋はより純粋な形を見せ始め、プロたちはそれに近づこうと絶えず努力をしているのです。

そのような人間の努力が、ソフトをさらに進化させます。
指した瞬間はソフト評価値が低かった手が、時間をかけて読ませると最善だったことが後でわかったりします。
これはソフトが完全ではなく、人間の読みの方が優れている要素があるということです。
それはいったい何であるのか、いまこの瞬間にも研究が進んでソフトに応用されていることでしょう。


将棋のようにフレームが明確な世界では、人間とコンピュータの二人三脚で方法論が急速に発展します。
投資の世界は複雑なので将棋ほど目覚ましくはありませんが、それでも同じようなことが起きています。

コンピュータは人間が作るのですから、局地的に人間がコンピュータに追い抜かれることはあっても、全体として抜かされることはないのでしょう。その点については筆者である新井さんと同意見です。



しかしこの流れに追いつけない人はいるはずで、むしろそちらが多数派のはず。
プロ棋士の世界ですら相対的な優劣が出来るのですから、他の世界ではもっと大きな差になることでしょう。
それが大きな社会問題を引き起こす可能性が高いのです。



(続く)