COOL LADY’S PARADE

人生はレビューです。マンガ、本、ライブ、DVD、CDなど、色んなものをレビューします。
タイトルは “COOL LADY’S PARADE”。
JUNKな文章なので、お気軽に読んで行って下さい。

センチメントの季節

センチメントの季節 8巻 ―2度目の冬の章―

インターネットの世界では心だけで繋がっていた二人が、
リアルの世界で出会ったら、体だけの関係になった。
少年少女の性を描いた問題作の最終章です。
週刊ビッグコミックスピリッツ’01年9~18号連載。
作/榎本ナリコ。

高校生の岩崎ノボルは、たまたま開いたインターネット上の掲示板に、
“NOBODY”というハンドルネームで書き込みをした。
すると管理人の“R”から、すぐにレスが返って来た。
この人は、今ここにいる。Rの飾らない言葉とその単純な事に感動し、
ノボルはNOBODYとして、Rと個人的に交流をするようになった。

“生きている実感がない”“でもキミには心があるでしょう”
現実の知人には口に出せないそんな青臭い会話でも、Rとなら真剣に
交わせた。何気なく、“R”の由来を訊いてみた。答えが返って来た。
「REAL」──。
ノボルはRに、会いたくなった。

待ち合わせ場所に来た現実のRは、男という予想に反し、
大人の女性だった。Rはノボルをホテルに誘った。
それ以来、突然呼び付けられては体を要求されるようになった。
拒めなかった。ノボルは“自分は自分が蔑んでいた、援交している
同級生の桐島マユ子と同じだ”、と思うようになった。

テーマはまたも心と体の分断です。今度はインターネットです。
10年近く前の作品ですが、当時はまだ割と新しい題材だったであろう
インターネットが、かなり上手く話に取り入れられています。
これほどこのテーマに相応しい素材はないでしょう。
インターネットこそ、人が完全に、心だけになれる場所なのですから。

心と心で会話をしていた筈なのに、現実に出会ったRは、
無言でノボルの体だけを求めます。ネットでは心だけ、
現実では体だけの関係になるのです。その時のRは命令口調で、
『これ何のプレイだよ』と笑ってしまうところもあります。

Rとの関係に悩んでいたノボルは、ふとしたきっかけでマユ子と
親しく話をするようになります。彼女から、Rに指定されて
ノボルが設定していた待ち合わせ用の着メロは、ピノキオの曲だと
指摘されます。自分は彼女の人形なのか。ノボルの心は傷付きます。

体だけの存在になる事を何とも思っていなかったマユ子も、ノボルに
刺激されて、今まで何とも思っていなかった事に傷付くようになります。
自分は人形じゃない。二人は心の叫びを抑えられなくなります。
しかし、意外な正体を持つR自身もまた、人形なのでした。

これまでも観念的、哲学的な内容が多かったのですが、
これは最も観念的で、このシリーズで繰り返し扱われてきた
心と体というテーマの集大成のようになっています。
抽象的なモノローグが多く、内容的に難しいと同時に、
面白さという点ではいまいちパッとしない、地味な話でした。

センチメントの季節 7巻 ―2度目の夏の章―

吹く風に秋の冷たさが混じり始めた9月下旬。
大学生の伊藤ミツルは、もうすぐ二十歳を迎えようとしていた。
彼のアパートを、突然夏子と名乗る女子高生が訪れた。
彼女は遠い地方にある筈の、伊藤が出た高校の制服を着ていた。
’00年38〜47号週刊ビッグコミックスピリッツ連載。
作/榎本ナリコ。

伊藤はクールでモテそうな外見ですが、見かけによらず、
文芸部という地味なサークルに所属し、短歌を発表していました。
しかしその短歌は今作ったものではなく、高校生の頃に書き溜めた
作品を、さも今書いたように小出しにしていただけでした。
彼はもう、新しい短歌を作れなくなっていたのでした。

付き合っているような関係の秋本とホテルに行っても勃ちません。
伊藤は自分を“老人のようだ”と思います。高校生から酒も煙草も
セックスも、当たり前のように楽しんでいた。早く大人になろうとした。
早く大人になり過ぎて、19歳にして枯れ果ててしまった。
もうすぐ二十歳。法律的にも、決定的に、大人になってしまう──。

そんな時、自分が卒業した高校の制服を着た夏子が現れました。
伊藤はまず時を止め、室内に永遠の夏を作り出そうとします。
続けて時計を巻き戻し、16歳に戻ろうとします。
それは狂気です。少年少女のままでいようとする事は、こんなにも
おぞましいものなのだと突きつけられたような気がしました。

16歳で犯した罪が、伊藤の疵になっていました。その罪悪感を蘇らせ、
且つ掻き消して、あの夏をやり直させてくれるのが夏子でした。
教室で、震えながらキスをする。一度もした事がない筈なのに、
何故か切なく懐かしい、存在しない思い出。夏子は伊藤に、
そんな“存在しない思い出”を思い出させてくれる女でした。

伊藤は夏子を監禁し、彼女と毎日朝から晩までセックスに耽ります。
秋本では勃たなかった伊藤は、夏子とだったらできました。
伊藤は夏子を失う事を怖れます。
それはまるで、16歳の自分にしがみつこうとしているかのようです。
夏子を失う事は、それを失う事だと思っているかのようです。

やがて夏子の監禁は、秋本と、近所の中学生の知るところとなります。
が、夏子を救おうとした中学生を、夏子は冷酷に拒絶します。
伊藤は秋本を追い返します。秋本に事情を聞いた文芸部の仲間も、
心配して夏子の素性を調べ始めました。
果たして夏子は何者なのか――。

伊藤は季節の移ろいに時の流れを実感し、脅えます。
短歌は16歳の伊藤の魂そのものでした。
伊藤が少しずつ狂っていく、それを表現する演出は見事だし、
夏子の正体は、ちょっとしたミステリーです。

伊藤と夏子は全く違う場所にいて、逆方向から同じものを
求めていました。こういう構造も、
伊藤の心を象徴する細々とした道具の使い方もとても上手いし、
最初から最後まで、ストーリーの構成が素晴らしいです。

秋本もまた、焦って早く大人になろうとし過ぎた女でした。
それはこれまでこの作品に出てきた少女のなれの果てのようでした。
伊藤の時を戻し、そこに留めてくれるのは夏子。
過ぎてしまった時を表すのが秋本。恐らくそのように
意図したのであろうこのネーミングは、非常に象徴的です。

そしてラストシーンでは、私は号泣しました。
夏子は私でした。(体型以外は)夏子は私そのものでした。
夏子がしようとした事は、私の願望そのものでした。

泣けるマンガはいっぱいあるし、5巻でも涙ぐんだし6巻の時は
思わず嗚咽を漏らしたけれど、こんなにも涙を流し泣き伏せり、
“号泣した”とはっきり言える作品は、これまでの人生で
数え切れないくらい読んできたマンガの中でも、この7巻だけでした。

やり直せるならやり直したい。誰もが思っている事でしょう。
でも、過ぎてしまった時は二度と戻らないのです。
大人になってしまったら、もう二度と少年少女には戻れないのです。

どれだけ抗おうと、人は大人になってしまう。
それは受け止めなければいけない。もし逆らえば、心が殺されてしまう。
圧倒的な哀しみの後に、そんな事を思わせてくれた作品でした。

センチメントの季節 6巻 ―2度目の春の章―

会社員の根津は、通勤電車で出会った女子高生とホテルに行った。
その息子の裕貴は、彼女のクラスメートだった。
彼女・水野晶は、校内で有名な、誰にでもやらせる女だった。
週刊ビッグコミックスピリッツ’00年17〜27号に連載されていました。
作/榎本ナリコ。

地味で平凡で仕事に疲れた根津父は、水野と肉体関係を結びます。
根津の息子の裕貴は、水野にいいよと言われても、怖気付いて
拒否します。水野を挟み、親子が対照的な関係を築きます。
自分達がそんな関係にある事を、当事者達は互いに何も知りません。

根津家はごく普通の三人家族です。中年太りをして口うるさい
母親の良枝は、息子の世話ばかり焼いて息子の裕貴にウザがられ、
父親の根津は、誰からも関心を払われず、家族といても孤独です。

この章では、根津家の空気を表す象徴として、
“食卓”が非常に効果的に、印象的に使われています。
始めは朝も夜も根津が一人でぼそぼそと食事をし、
その食事もチンしたものばかりで、家族の為に懸命に働いているのに
こんな扱いを受けるなんて可哀相、と根津に同情していました。

しかし根津が水野と出会ってからは、根津の帰宅は遅くなり、
裕貴も部屋に閉じ籠もって出てこないので、
今度は良枝が一人ぼっちの食卓で孤独を噛み締める事になります。
根津と水野と裕貴の関係が発覚すると、良枝は家を出てふらふらと
街を彷徨い、遂に食卓には誰もいなくなります。

裕貴はおどおどしていて学校では軽くいじめられていて、
でも家では虚勢を張って威張っている、ごく一般的な少年です。
水野は男は皆自分と“しよう”とするのにしようとしない裕貴を
不思議に思い、彼の中に自分の大切な何かを見出そうとします。
二人の少年少女が懸命に自分を探そうともがいている様は、
切なく、美しくさえあります。

水野は無表情でどんな男にでもやらせる人形のような女の子です。
何をされても無抵抗な彼女からは、心がある、生きている人間という
実感が感じられません。しかし読者にそう見えるのは当然です。
リストカットを繰り返す彼女自身が、それを感じていないのですから。

何故彼女がそのように育ったのか、作中では一切触れられていません。
が、家庭の背景などを描かなかった事は正解だと思います。その事で
彼女の透明感、生命力の乏しさ、儚さが強調されているからです。
それがより一層、彼女を心のない人形のように見せています。
何故彼女がそうなったのかなどは、どうでもいいのです。

あの頃は、憧れの人に声を掛ける事も出来なかった。
でも今は、こんな事もできてしまう。根津は水野との出会いで
自分が失っていた自分の中の“少年”を思い出し、揺さぶられます。

根津はそんな自分を哀しむようになり、水野を捜して毎晩
同じ時刻の同じ電車に乗ります。夫や父や会社という“役割”ではない、
ただの個としての自分だった、“あの頃”を水野が
取り戻させてくれると期待しているかのように。

「それは私の名前でもあるんだよ」。息子の名を呼ぶ水野を
懐かしむような目で見て根津が思うシーンは感動的でした。
制服の少女に自分の名前を君付けで呼んで貰える季節なんて、
大人になれば遥か遠く、二度と戻ってこない季節なのです。

前半では口うるさい母親としか思えなかった良枝は、
根津に女の陰を感じ取ってからは、急激に物語の中心に踊り出ます。
このコミックスを買ったばかりの頃は読んでも何とも思わなかった、
“ぶくぶく太ったおばさんになってしまった”と良枝が泣き喚く
2つのシーンで、私は不意に嗚咽に襲われて、堪えられなくなりました。
良枝の気持ちに共感できるくらい、私も歳を取ってしまったのでしょう。

それにしてもよくこんな地味な話を連載させてくれたものです。
スピリッツの読者層と言えば、下は高校生くらいからでしょうか。
その世代の少年少女達は、やはり水野や裕貴に自分を重ねてこれを
読むでしょう。しかし、10年、20年後にこの同じ話をもう一度
読めば、彼らは根津夫妻の気持ちも理解できるようになる筈です。

この章の主役は、根津と裕貴と水野と良枝の4人全員です。
子供世代の2人の視点はその半分に過ぎず、大人2人の気持ちも
分かってこそ、この物語は一つの物語として完全に理解できるのです。
歳を追うごとに見方が変わり、深く心に沁み透ってくる、非常に
心揺さぶられる、感動的な話だと思います。(※但しエロいです。)


センチメントの季節 5巻 ―2度目の秋の章―

1999年8月。世界は滅亡しなかった。サヨコは16歳になった。
女子高生のサヨコとミキと、サヨコを巡る男達の哀しい性の物語。
少年少女の性を描いた全8巻の5巻目は、シリーズ初の長編です。
週刊ビッグコミックスピリッツ’99年42〜51号に連載されていました。
作/榎本ナリコ。

沢村サヨコはクラスメートの黒木と成り行きでセックスしようとして
失敗した。自分の体は変なのか。ちゃんとセックスできるのか。
不安になって、援交で処女を捨てた。誰でも良かった。

ラブレターをくれた田口先輩と付き合った。息苦しくて別れた。
エロ漫画家の灰島ヒカルと知り合って、彼の家に入り浸るようになった。
クラスメートの北原ミキが少女漫画家時代のヒカルの
ファンだったと知ると、サヨコはミキをヒカルに紹介した。
サヨコとは体だけの関係。ミキとヒカルは、心だけの関係になった。

この頃にはもうスピリッツは読んでいなかったので、
この話を読んだのは、コミックスを買って読んだ時が最初でした。
1〜4巻の各章で四つの季節を描き終えて、作者はそれで終わりと
思っていたそうですが、人気があるので続けてくれと言われたようで、
今度は長編として季節をもう一巡する事になったそうです。

サヨコはコギャルでもなければ茶髪ですらない、ごく普通の外見の
女の子です。サヨコは最初は“自分は大人になれるのか”と脅えている
子供でした。しかし一旦“大人”になってからは、堰を切ったように、
あっという間に自分から体で男を誘う“女”へと生まれ変わります。

そこには言葉で言うと感じるような、嫌らしさはありません。
彼女は今まで知らなかった新しい世界を謳歌し、
身軽になって、伸び伸びとしているように感じられます。
が、やがて体で誰かと繋がれば繋がるほど孤独を感じるようになり、
体はあるのに心がそこに無い、と痛切に知るようになります。

サヨコがどれだけ男と体だけの関係を重ねていても、私にはサヨコを
批難する気持ちは起きませんでした。彼女は苦しみ、傷付いているし、
心理描写はきめ細かく、そういう彼女の感情、心の流れが、
共感できるものとして自然に描かれているからです。

三者三様に苦しむサヨコの周りの男性陣の心理描写も繊細です。
気まずさと負い目と恥ずかしさの裏返しでサヨコに強がる
黒木の態度は、いかにもこの世代の少年だと思いました。

サヨコと田口は一見ごく普通の恋人同士としか思えない関係ですが、
サヨコがそれを“抜け出せない牢獄”と感じたのにも共感できました。
真面目な田口が変わってしまい、真面目さ故に壊れた姿は衝撃的で、
胸が締め付けられるように重く、切なく感じられるものでした。

サヨコとはヤりまくっていてもミキには指一本触れないヒカル。
これも男にはこういう面もあるのだろうと、納得してしまいました。
大事な女(ひと)だからこそやれない事を、他の女とやるのです。
“性”を背負わせる女性と、“聖”を背負わせる女性を分けているのです。

創作活動をしている胡散臭い男の部屋に出入りする女子高生、という
シチュエーションは、1話完結の話の方にも何度か出てきました。
それらのエピソードと同様、この章の灰島ヒカルも、
作者の実体験を基にしてそのイメージを広げた存在なのでしょう。

体なんていらない。心だけの存在になりたい。ミキが思っているのと
同じ事を、ミキと同じ年の頃に私も思っていました。高校時代に
この作品に出会いたかった。そうすれば、私も楽になれたのに、
と思います。ああ、私と同じ事を考えている人がいたんだ、と。

心と体。これは全8巻を通して何度も出てくるテーマです。
一人の男を中心に、二人の少女に心と体の役割を分断させている
この章では、そのテーマに本格的に、真正面から取り組んでいます。
遠慮のない、あからさまなセックスシーンを描きながら、その命題を
こんなにも真剣に考えている作品は、これ以外には無いでしょう。

とは言え、基本的にはエロ漫画です。本当に真面目な人が、真面目な
作品なのかと勘違いして読んだらびっくりしてしまうと思います。
私はエロマンガには耐性がある方ですが、冒頭は見開きカラーで
いきなりサヨコの全裸の0721シーンで、さすがにびっくりしました。
この作品が持つ本質の真面目さと、その表現の不真面目さ。
そのギャップが、妙に惹き付けられるこの作品の魅力なのだと思います。

センチメントの季節 1〜4巻

’97〜’01年に週刊ビッグコミックスピリッツに断続的に
連載されていた作品です。全8巻で、前半の1〜4巻は、それぞれ
<秋/春/夏/冬の章>と名付けられた1話完結の物語、
<2度目の秋/春/夏/冬の章>と名付けられた後半の5〜8巻は、
1巻で一つの話が完結する、オムニバス形式の物語になっています。
後半の4巻は、1巻分ずつ別々に記事を書いていきます。
作/榎本ナリコ。

何をきっかけに読み始めたのかは全く記憶に無いのですが、
私は’90年代後半の一時期、スピリッツも読んでいました。
それまでもあすなろ白書を立ち読みしたりはしていたのですが、
いいひと東京大学物語、月下の棋士、HAPPYなどの
ドラマ化もされた連載陣の中で、私が妙に心を捉えられ、唯一
コミックスまで買ってしまったのが、このセンチメントの季節でした。

大判で、カバーは光沢の無い紙でできている高級そうな仕上がりです。
各巻の1話目の冒頭はオールカラーで収録されています。
タイトル部分はレリーフのように少し盛り上がっています。
特殊な装丁をして貰っているだけに、定価920円と、
コミックスとしてはかなり高めの価格に設定されています。

1巻に付き10話収録。何故かキャラの顔はエヴァのキャラに
似ています。終わった夏を惜しむというような話もありますが、
季節的には概ね各巻のタイトルに即した時季の話になっており、
雑誌連載時には、一つの季節が終わるごとに暫く休載を取って、
10話分ずつが連載されていました。

前半の40話分のエピソードには、同じ登場人物は1人もいません。
そして出てくる高校生や中学生が、セックスや自慰をする話が
延々と続きます。援交しているヒロインが多いのですが、
シチュエーションは様々です。教師と生徒、平凡なサラリーマン、
幼馴染。視点も男視点の話と女の子視点の話の、両方があります。

全て異なる設定で描かれているエピソードは、どれも1話で綺麗に
纏まっており、一つ一つが非常に良くできています。
それらは文学的、哲学的でさえあります。
何しろ1巻の2話目から、コギトなのですから。

纏めて読むと“行為”の描写はワンパターンだったりするのですが、
陰毛や結合部分まではっきり描いている青年誌のエロなので、
18歳未満は多分読んではいけません。また、違う理由で
現在少年少女そのものである人向きではない作品でもあります。
ここで描かれる性はどこか物悲しく、寂しげで、大人になってしまう
事への胸を掻き毟られるような切なさを感じさせるものだからです。

それは単に男性読者の性欲を満たす為だけに描かれた、扇情的な
エロマンガとは一線を画しています。性描写は露骨だけれど、
雰囲気は突き放したように、残酷に見えるほどに静かです。
少年少女達は性を謳歌しているのでは全く無く、後ろめたさと
そこはかとない苦味を噛み締めています。それは“自分はもう大人に
なってしまったんだ”という、子供時代の自分への惜別の情です。

思春期に性に出会うという事は、子供時代の自分が死ぬという事です。
それは人に永遠に失ってしまってもう二度と取り戻せないという、
圧倒的な喪失感を感じさせます。

そして、自分の中にその欲求があると気付く事は、
成長過程に於いて心の傷にもなります。
性欲の赴くまま、何の葛藤も無く生きてきた人なら
何も感じないでしょうが、真面目な人ほどその傷は、
胸の奥の大事な部分にひっそりと潜んでいます。

作者はあとがきで、はっきりと“その傷をこじ開けるつもりで描いた”
と宣言しています。登場人物は少年少女が多いですが、この作品は、
既に充分に大人になってしまった30代,40代が読んでこそ
理解できるものでしょう。自分はもう若くないと思っている男女が
これを読めば、自分が失ってしまったものに対して、
胸を切り裂かれるような痛みを感じさせられると思います。

エピソードには、作者の体験談をヒントにしたものもあるそうです。
作者はお世辞にも明るく健康的とは言えない、捻くれた少女時代を
送ったようです。しかしそれが作者の創作活動に於いて
プラスに働いたのであろう事は、何ら疑う余地がありません。

あとがきから察するに、作者は私の5歳くらい上の世代です。
この作品の雰囲気は、この世代だからこそ表現できた物だと思います。
ホントのエンコー世代の女なら、もっと性にオープンでしょう。
高校生で恋人がいても当然で、SEXをしても当然な
彼・彼女らの世代には、こんな話は絶対に描けません。
後ろめたさや後ろ暗さの無い性なんて、面白くも何ともないのです。

連載が始まる何年か前からブルセラや援助交際という言葉が広まり、
自分の肉体を切り売りする少女が巷に溢れているかのような
報道がなされていました。実際にはそれらは別にその時代に
急に始まった事ではなく、一昔前の時代なら、そういう事は、
長いスカートを穿いたスケ番みたいな女の子達がやる事でした。

それを外見で区別が付かない“普通”の娘がやっているという事が、
驚きを持って社会に受け止められました。この連載はそういう
時代背景から生まれたものです。当時読売新聞の家庭欄で10代少女の
性をレポートした連載があり、この作品が取り上げられていたのを
覚えています。スピリッツ読者という狭い範囲ではなく、
それなりに広く話題を呼んだ作品だったのだろうと思います。

センチメントの季節 (2)

センチメントの季節 (3)

センチメントの季節 (4)
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HN : COOL LADY
1973年生まれ みずがめ座
女性 独身 神奈川県出身

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