書きたいことを書く!

自由に思いついたコトとかを不定期で書いています。

人のせいではなく人のおかげ

先週秋葉原で痛ましい事件が起きてしまい、
多くの方が悲しみに落とされました。

容疑者は、xxが悪いということを理由に
しきりに自分は悪くないを繰り返す。

でも、これは幼少環境とネット環境を
考えれば、そうなっていっても
仕方ない環境だとは思います。

ニュースでは、一方的に容疑者が悪いと
決め付ける一般の方々も多かったですが、
それは自分は関係ないと思い込んでる人も
同じようなものだと思うんですよね。

なんでも自分の力で生きてきたみたいな
顔で、相手を批難するような人も多い…

でも、実は
人って他人に生かされているんですよね。

社長は社員に生かされ、
社員は社長に生かされ
経営者は消費者に生かされ
消費者は経営者に生かされ
子は親のおかげで生かされ
親は子のおかげで生かされ

へんな話ですが、
詐欺師だって騙される人がいるから生かされ
警察も犯罪者がいるから生かされ
政治家は国民がいるから生かされている。

まあ、政治家がいなくても
国民は生きていけますが(笑)


人は絶対に一人では生きていけない。
たえず、他人の影響を受けながら
生きているんですよね。

なのに、さも自分がやってきたから
今があるんだという顔をする人も多い。

その今ある環境は、その道を与えて
くれた人がいて、その道を否定され
なかったから歩いてこれた。

それは親であり、回りの方々…

絶対に一人でじゃない。

今は個人が持てはやされる時代ではあるけど、
今の自分という固体が出来上がったのは
自分よりも他人のおかげの方が大きい。

なのに、
それに感謝しようという人は少ない。


それはやはり幼少の頃の育てられ方
親の愛情と躾の良し悪しなど、
知らないうちに植えつけられた心

なので、これも仕方ないのかもしれません。

その中の極端な例が
「xxのせい」なのかもしれませんしね。


人には、右悩人間・左脳人間・バランス型
とがあるように、感性に優れたものもいれば、
計算が得意なものもいる。

吸収の早い人もいれば、遅い人もいる。

その人がどんな方向に向いているか、
それを見極めることは
自分で分かる人ばかりではないはずです。

そう思い込んでいる人もいるでしょうが、
個人を見抜いて、道を与えてくれた人が
いたからこそ、今の自分がある。
それと、そういう道は与えてくれなかった
としても、普通に生かしてくれたから、
その道に進めたとも言えると思う。

そういった人達に感謝出来る人に
なれるようになりたいですね。


中には、悪いことに引きづりこまれて
しまった人もいるかもしれないけど、
もしそれに不満があるとしたら、
それこそ本人が悪いと言えますね。

天運、地運、人運

昔の人は、
自分の成功を自分の力にしなかった。

自分のがんばりの結果が
神様に認めてもらえたのだとした。

失敗した時は、自分の責任とし、
次の成功を夢みて、
失敗の経緯を改めて考えてみた。


天運は天から与えてもらった運。

地運はその場所に秘められた運。

人運はその人が本来持つ運。


ものごとを自分ありきで考える人は
一切、神仏的なことを嫌うというが
見えざるものを一つ心に持つことで
戒めとなったり、支えになったり、
自分自身との自問自答をしたりと、
心の安定にもつながるもの。


もちろん、成功した場合は
実際にその人の実力ではあり、
それは否定しない。

しかし、
全てを自分の実力とすることで、
何か重大なミスや考え違いをして
いたとしても、
ひとつでも成功してしまうと
もう実力があるという
勘違いや意識が出来てしまい、
思わぬところで足をすくわれる。


特に現代は短絡的に物事を考えがちで
すぐに結果が出ないとダメという
傾向にあるが、そういう結果が、
一部では自然破壊や環境汚染などの
人災も呼び起こしているとも思う。

また、急激な変化は不満を呼び、
いじめや万引きなどの負の行動へ
人を動かすこともある。


また、すぐに結果が出せない人は
みな、脱落者かのような扱い。


人を差別することで、自分を保って
いるという傾向が強いんではないかな…


国のため、会社のため、自分のため、

見えるものがすべてになってしまうと
すべてが直線的な考え方になる。


運のせいにするという言い方は
おかしな話ではあるが、
これを意識することで、

ひとつの成功はステップでしかない。

ひとつの失敗はステップでしかない。

自分を必要以上に責めないようにしたり、
有頂天にならないようにしたり…


こういう捉え方が出来るんじゃないかな。


一つの成功で自分は何でも出来ると
思ってしまったり、一つの失敗で
何やってもダメだと落ち込んだり、
短絡的な人の方が多いから、
昔の人は、心の支えとして運という
ものを取り入れて考えてきたのだろう。

バランス感覚2

自分のせいにする
相手のせいにする

自分ばかり擁護する
相手ばかり擁護する

思いつめる
楽天家になる

攻める
守る


不運


これらは、
どちらに偏りすぎても人は壊れる。

相手がいるから自分がいる。
なのに人は、自分を中心に考える。

もちろん、自分が優先でも
それがその人の中芯であれば、
そこからバランスを取れればいい。

でも、多くは
騙される方が悪い
自分は楽がしたい
バレなきゃいい
謝ればいい

そういう自分中心。
そんな状態を繰り返していれば、
騙した方、騙された方双方とも
そこから、どんどんバランスが
壊れていくだろう。


極端な例で
一番分かりやすいのが
政治家や詐欺師。

金がないなら
頑張って稼いで政治家を潤せ、
しっかり騙されて詐欺師の懐を
潤せという世の中になってしまい、
心が薄くなってしまった世の中。


金銭面でいくら潤いを求めても、
心が付いてきていないと、
それは表面からにじみ出てしまう。
今の政府が良い例だろう。


本当に全体を良くしようと思ったら
時間がかかっても、バランスを取って
持ち上げていくしかない。

偏りの大きすぎる物事ややり方は、
必ずどこかで破綻をきたす。

1企業の成長破綻くらいであればいいが
日本全体を壊してしまうやり方は
やはりもう少しバランスを考えるべきだろう。

嫌いを好きになる方法

−嫌いを好きになる方法−

好きになれないものは、人にはいくらでもある。
でも、嫌いなものが少しでも少なくなれば、
それは自分にとって苦手意識が減ることになる。

でも、苦手や嫌いは好きになることは難しい。


ならば…
おいしいものは後に取っておいて
嫌いなものから食ってみればいい。

これが一番。


学校でも仕事でも異性でもスポーツでも…

特にやれないと思い込んだものは
出来るまでやってみるのもありだが、
とりあえずやってみるという
さわりだけでも経験するという方法がある。

でも、それでもダメな時にムリはいけない。

人には時期というものがある。
子供には苦手な野菜があるけれど、
それは時が経てば食べられるようになる。

大人になっても食べられないのは、
他人や親の押し付けであったりする。
頑なに閉じてしまった心は開かない。


何事も自然体が一番いい。
無理やりはいけない。

でも、触れられる時には触れてみる。


触れることで変わっていくことは
いくらでもあるのだから。

怒る時は怒れ

−怒る時には怒れ−

人は、怒りたくてもなかなか怒れない人もある。
腹に溜め込むだけ溜め込んで爆発する人もある。
顔に出せずに感情を殺してしまう人もある。

でも、人は喜怒哀楽で生きているもの。

どれかひとつでも欠ければ、
感情のバランスを崩し、どこかで不調になる。

それは自分に対して向けられることもあれば、
他人に対して向けられることもある。
自分に向けられるものは、異常な負の感情で
あったり、リスカなどもあれば、
他人に向かえば、いじめなどの陰湿なものや
ひどくなれば、ひったくり、万引きなどの犯罪
極限までになると異常犯罪・異常殺人や
になることだってあるかもしれない。


どうしようもない怒りは、
気の知れた友達と言い合うことでもいいし…
まあこれは、親友クラスでないと出来ないな♪
ブログで怒りをぶちまけるだけでもいいし、
家族と殴り合いや武器の持ち出しさえなければ、
言い合うこともいいと思う。


いつも怒ってばかりでもいけないし、
悲しんでばかりでもいけない。
楽しんでばかりいてもダメだし、
喜ばしいことばかりが起こることもない。


人は、生きている以上、
いろいろな感情に左右されるわけで、
それをうまくコントロールする必要もある。

それが出来なくなる人というのは、
創り上げた自分という仮面を
外せないからなんだろうな。

若いは運、老いは経験

−若いは運、老いは経験−

若いうちは頭も回り運もある。
このツキ(運)というのは個人個人の鋭い感覚
なのかもしれないが、ある人とない人はある。

何でも自分の思い通りになってきた
若い頃より、老いてくると勢いは落ちるが、
その代わり、今までの蓄積があるものは、
それを武器にすることが出来る。


逆に若い頃運がない人でも、
やれることをやり続け、
着々と実力を付けてきたものにとっては、
後半に花が開くというのは、
こういうことなんだろうと思う。


いくら人生の前半で成功したとしても、
自分の実力を過信すれば、能力の精度は
気付かずにどんどん鈍るもの。

最初から運があってそれを実力と過信し、
最後まで勝ちを続けなければいけない人生と
苦労して実力を付け、後半盛り返す人生では、
どちらが、本当に幸せかは分からない。


どちらにしても、
あれをやってもこれをやっても
何でもすぐに逃げ出す人生を繰り返すことは
運も経験も
どちらも逃すことになるのは間違いない。

バランス感覚

−バランス感覚−

負け続けて腐る
勝ち続けて有頂天になる

これはどちらも危険な状態。

物事にはリズムがあり、
勝っている時に、その状態を
さらに高いものにしようと思えば、
一歩引いて考えることが必要であり、

負け続けている時に、
どうでもいいと腐って投げ出してしまう
状況は、与えられた物事を完成させると
いう使命を放棄してしまうことになる。

勝っている時、うまくいっている時も
その状態がいつまでも続くことはなく、
負けている時、うまくいかない時も
その状態がいつまでも続くことはない。

しかし、両極端な状況というのは
人の判断を鈍らせてしまう。


何事も見えざる手に試されている。

これを考えられるかどうか。。。

もちろん、神様、仏様なんていうもので
ないのかもしれないし、
それが守護霊やご先祖かもしれなければ、
もしかすると悪霊・悪魔なのかもしれない。

見えないものを「ある」と仮定して考えられる
ということは、何も空想的なものを
肯定したり否定したりしろと言うのではなく
自分自身が自ら課題を作り出し、その課題を
考えられる気持ちを持てるかどうか
ということ。

肯定出来る人であれば、受け入れて考え、
出来なければ、また違った方法で考える。
その人にあった方法なんて、いくらでもある。


人の意思の弱さに飲み込まれてしまって
冷静な判断が出来にくくなっている状態は、
プラスな状況でもマイナスな状況でも
危険な状況…それを自分の意思と経験で、
切り開いていく力は身に付けたいものです。
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