名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ

地震・津波で大きな被害を受けた名取市閖上(ゆりあげ)の状況をお知らせし、支援していくブログです。閖上(ゆりあげ)出身の私、荒川がお伝えします。

2011年03月

ニューマシン

18日(金)

朝、寒くて起きた。
いつもならこのタイミングで暖房をつけるが、今はしっかり布団をかければ大丈夫と思い節約。

起きてPCを開くとこんな動画が
http://www.youtube.com/user/kisekaedoubutsu#p/a/u/0/DecneAoIvx0 

まずはロロ事務所へ向かい池さんが東京から送ってくれた物資を受け取りに行く。
街中はやはり交通量は少なく、ダイエーの人の列も昨日よりは少なかった。
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事務所に着くとKさんがPCに向かい仕事をしてた。
東京からは仕事のメールがバンバンくるらしい・・・これが現実・・・。

いろいろ話してるとこの地震でリストラされる人もたくさんいるようだ。仕事がないのは分かるけど・・・きびしい現実。
早く普通の生活に戻ってお金を使って経済を回さないとね。そのまえにすることは山ほどあるけど。 

さて、物資を見てみるとさすが池さんセンスがいい!
スープ・電池・ウェットテッシュ・缶詰・カップラ・充電器。 最高です。
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 そして今日からニューマシン登場!
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これはジャイロ。物はたくさん運べるし、メットなしでも乗れるし、マサトさんありがとう。

物資を積み、乗り方の簡単なレクチャーを受け、いざ名取へ。

文化会館に着き、まず感じたことは物が増えていた。
他の避難場所の 状況はあまり把握していないが、おそらくここは(名取文化会館)恵まれていると思う。
ただ長期的にみるとまだまだ・・・家がないからね・・・。

父は今日も遺体安置所に行ってきた。いなかったらしい。
避難時の目撃情報も少しあり、推測すると母・弟が生存している確率は低いと思う。改めて家族間で確認はしないがおそらく父・兄もそう思っているのではないか。
せめて遺体だけでも見つかってほしい。これが今の正直な気持ち。

だって市役所にはこれだけ連絡がまだつかない方達がいるのだから・・・
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避難所にいろいろな人がいる。
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ずっとコロコロしてるよくみると癒し系のぽっちゃり君

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何が目的なのか、東京からやってきて写真やインタビューをとる。あやしい輩

この災害をビジネスチャンスと考えるのはいいが、被災者を食いものにしないでほしい。



さて今日は5時に家に帰り、用意をしN家にお風呂を借りに行った。
一週間ぶりのお風呂は実に気持ち良かった。飯もごちそうになったし、また元気をもらった。
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食べる前に取るの忘れた。

さぁ明日はチャリを届に行くぞ!

あ、今日私は花粉症の症状が出てきました。鼻水止まりません。避難してる人にも必ずひるだろうなぁ。薬! 



昨日もコメントたくさん頂きました。

福島のみんなも気をつけるんだぞ!

イズありがとね。親父マジで同じこと何回も言うんだ。

春ちゃん風邪ひいたべ。 

一週間

17日(木)

今日は朝から雪が降っていた。
止みそうになったり、吹雪いたり。どっちだよ!と思っていたらお昼頃急に晴れた。

そのすきにと思い昨日島コに頂いた新品のタオルやらパンツ・靴下を入りきれないほど詰め込み和さんカブで家を出た。
もちろん目指すは父・兄のいる名取市文化会館。

バイパスを通っていると昨日とは違いガソスタ渋滞がなかった。並んでもやってないものはやってないと悟ったのか。一か所名取のトライアルにはめちゃくちゃ並んでた。

到着するとちょうど昼飯を食っていた。そこで持ってきた味噌汁やお茶漬けを出したら予想以上に喜ばれた。反響があると嬉しいものだ。

もうひとつ人気おすすめ物資があった IMG_0154[1]

「ヒートテックのももひき」だ!
父が「これがあるとぜんぜん違う」と7回は同じことを言っていた。

この避難所には衣類などの物資が多く、だんだん物が多くなってきたように思う。
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みなさんが避難している人達を思い善意で持ってきてくれたものも多い。ありがたい。
一方で窃盗や強盗をする人・赤の他人に家の物をかき集めて持ってきてくれる人。ふり幅ハンパない。

しばらくするとヨウコちゃんが帰ってきた。ゆりあげの半壊している家に行ってきたらしい。それほど荷物を持っていなかったが、取れる荷物はそのぐらいだったのだろう。私は信じていないが、本人いわく50万円するネックレスを3個持ってきたと言っていた。

そしてひろ子さん夫婦も帰ってきた。
話し始めるとこの人たちは止まらない。午後に支給されたミスドを囲んで始まった。
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議題は

これからの家

補助(お金的な)

母避難経路(予想)

だった。

全壊の家は300万円
大規模半壊は250万円
が国から支給されるみたいだが、うちは半壊に入るのか?みたいなことも聞こえてきたな。 
やはり家がなくなってしまった人達はこれから自分たちがどこに住むことになるのか、自力で用意するべきなのか、ここにはどのくらいいれるのか、不安なことは山ほどあるのだ。

夕方になり帰ろうと思ったら雪だ。
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止むのを待っていたら、夜飯の支給時間に。
放送が入るとすぐにこの行列が出来た。
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今日はカレーだ(すき家の)

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食欲のあるみんなを見ると安心する。


今日は母・弟の情報はなかったが、同中の井原さん、大ちゃん、樋口も家族の安否がわからないと聞いた。
私と同じ境遇の同級生もたくさんいるのだ。泣いてばかりいられないと、少し気持ちを強く持つことが出来たような気がした。


最後に
たくさんの着るもの、靴などありがとう春ちゃん
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体育会系で暑いところ・・・好きです!

あとAミートの息子もカップラありがとう!おまえんち跡形もないのに。 

舟木さんもたくさんの服ありがとう。

豪快に登場した私を温かく迎えてくれたN事務所のみなさんもありがとう。

東京から物資を送ってくれた池さんもありがとう。写真ピント合ってなくてイ
ラついてないですか?

両親と連絡がつかないのに心配してTELをくれた大ちゃんありがとう。

心にしみるメールをくれたズミさんありがとう。ちょっとは痩せた?

ブログにコメントくれたラソのみんなありがとう。気持ち届いたよ。

アイスマウンテン、にいやん、かずさん、ぬまちゃん頼りになる先輩たちありがとう。

ロロのみんなありがとう。


他にも今日だけでたくさんの方に「ありがとう」と言いたい!本当に温かいみんながいるから救われる。本当に本当にありがとう。


もう読み返さないで投稿します。変な文章あったらごめんなさい。
まだ、3回しか更新してないがけっこう書ききれないものだなと思った。

明日はN家でお風呂に入る予定。髭そろ。
 

男3人

続きから今日まで

市役所に着くと避難者名簿を見る人で溢れていた。

ベンチに座り目を閉じていても、耳から入ってくる喜び・悲しみの声が胸を締め付ける。

通りがかる知り合いに声をかけられるたび、状況を説明する。そのたびに声が震え、涙がこぼれる。

ここにいても堕ちていくだけだと、市役所の手伝いは出来ないかと思い係りの 方に自分なりに出来ることを提案してみた。
その結果、手書きの避難者名簿をフォーマットに落とし込む作業を任された。 どうやら人手が足りていない模様。

その日は夜中まで作業し、隣の名取市民会館の避難所に寝た。

朝、地元の親友コウジュ君が父を見たと起こしに来た。父とは地震の日携帯で話してから連絡が取れずにいたのだ。

父と福島からタクシーで駆けつけた兄が車で寝泊まりしていたところへ行くと、私を見るなり父は泣いた。
男は父親の涙をめったに見ない。もちろん荒川家でも。

母・弟の姿を探し回り、ついに探す場所がなくなった父・長男・次男。
話し合い、待つことにした。


そして今日7時先輩シモンのTELで起きる。

雪の予報だったが降っていない。

すぐに和さんに借りたスーパーカブで父からのリクエスト(5本指ソックス・パンツ・T-シャツ・ひげそり)を届に向かった。

文化会館到着
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所狭しと並べられた毛布。

父の姿はなく、兄に物資を渡した。しばらくすると父が帰ってきた、遺体確認が出来るらしくさっそく3人で名取空港ボウルへ向かった。

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中には棺が何個も並べられ、電気が通っていないここは数少ない明りで独特の雰囲気だった。

親族2人しか入れず私は外で帰りを待った。
その間にも続々と運び込まれる遺体。IMG_0139[1]


自衛隊の方達も大変だ。

そんなことを思っていると父と兄が出てきた。表情は何とも言えない感じだが、いなかったのはゆっくりした足取りからすぐに分かった。

帰りの車中、父が私に中の説明をし始めた。すると兄が「そんなこと聞きたくないかもしれないから言うな」と父に。

父が声を荒げて返した。
もう止まらない。
今までの不安や絶望、我慢、不満すべてのタガが外れて泣きながら喧嘩した。それを泣きながら止める私。
我が家の男達の間に絶妙に入り、すべてのバランスを取っていた母がいないのだ。こうなるのは必然かもしれない。
「もういい、顔も見せんな!一生現れんな」 父が言ってはイケない言葉を口に出した。残った男3人力を合わせるのは難しいかもしれない・・・。

市民会館に着くと兄と私をおろし、父はどこかえ。
私は母の友人ヨウコちゃん、ひろこさんに事情を話し気持ちを落ち着けた。しばらくして帰らない父を捜しに行く。

探し出すのは難しくなかった。雪・残り少ないガソリン。駐車場の車の中に父はいた。
関係のない携帯の使い方を説明する。
徐々に激しくなる雪。
車から出られず今後のこと、 仕事のことなどいろいろ話した。
その中で声が震え、おそらく泣きながら言っていたことはこうだ。

「毎日ふたりで、あの大きいテレビを見るのが楽しみだった」

「太陽がいなくなった」

涙がとまらず、2人で雪がやむまで泣いた。

「戻ろう」私がそう言うとめずらしく素直に父がうなずいた。

母の友人に囲まれ、持ってきた髭剃りですっきりすると食欲の出てきたよう。話を聞くと昨日もあまり寝ていなかったようだ。

私が帰る頃にはすっかりいつもの姿に戻っていた。兄とは話していなかったが・・・。


父がぎりぎりがぶれているキャップ(笑) IMG_0149[1]


奥にいるのはやさしく、泣き虫のひろ子さん。

とちらはおしゃべり、さばさばようこちゃんIMG_0144[1]

電気は通ったもののまだまだ物資が足りていないと思う。
食糧ではなく、下着や、靴下のリクエストが多かった。


明日も和さんのスーパーカブで物資を運ぶ。そして遺体確認。

にいやんのポット寄付しちゃった(笑)
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今日は随分長くなってしまいましたが、最後にみなさんの力を貸して下さい。
募金 http://coupon.senpon.jp/

遺体身元確認名簿 http://www.city.natori.miyagi.jp/news/node_10374 

地震から5日

東北地方太平洋沖地震が起きてから2日後我が家に向かった。

まだ連絡が取れない母・弟の手掛かりはないかと思い、朝6時M氏にゆりあげまで車で送ってもらった。 

車を降りて歩いて我が家へ向かう。5分と経たずに涙があふれてきた。変わり果てた街の姿を目の当たりにし自然とあふれてくるのだ。車、木片、船ありとあらゆるものがそこには散乱していた。

足を進めるたびに絶望感に包まれた。そこにはとてもじゃないがなんの希望ももてない。

我が家へ続く道が閉ざされていて、仕方なく隣の道路を進む。ちょうど裏手と思われるところまで来た。 
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屋根から屋根へ飛び移りようやく見渡せた。

古い家が多いのだが、我が家は築3年目なのでしっかりとそこに建っていた。しかし、周りの光景はありえないものだった。 IMG_0085[1]


その屋根の上で我が家を見つめて30分は立っただろうか、ようやく決心をしゆっくりと急な屋根の斜面を下りた。

1階には木片やらが入り込んで進めず。

2階へ上がる階段には泥のあり跡が。どうやら父が来ていたようだ。

2階の足元まで水が来ていたのが分かる。母を呼びながら部屋を探したがいるわけがない。

外には母の車が木片に埋もれてあった。救助隊の方がいたので中を確認してもらったが、いなかった。
 
これが2階から見た景色だ。IMG_0097[1]


確かにここには家が立ち並んでいたのに・・・。

絶望感に包まれたまま歩いて名取市役所へ向かった。

現地へ向かう消防車・救急車・自衛隊・放送局の車とすれ違いながら。市役所へ着いたころには涙は枯れていた。

今日はここまでにさせて頂きます。

未だ母・弟の安否確認は取れていません。このブログを読んだ方で

荒川 八千代

荒川 孝行

を見かけたなど小さな情報でもかまいません。コメント下さい。 
Youhei Arakawa


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沢山のご協力ありがとうございました。売り上げの全額はゆりあげ復興の義捐金として全額寄付致しました。

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