名取市閖上(ゆりあげ)復興支援のブログ

地震・津波で大きな被害を受けた名取市閖上(ゆりあげ)の状況をお知らせし、支援していくブログです。閖上(ゆりあげ)出身の私、荒川がお伝えします。

7年

7年 Part 2

今日で東日本大震災から7年。


死者
15,895人

行方不明者
2,539人

震災関連死
3,647人


現在もプレハブ仮設住宅で暮らす方は、宮城県内だけでも
3,225人


改めて数字でみると、本当に信じられない。



7年前の11日に、これだけの方が犠牲になったのだ。


この事実と、あの日の光景を忘れてはいけないし、後世に伝えていかなければならないと改めて感じている。



今日は朝に閖上に行ってきた。

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お墓に行くと、すでに花が供えてあった。

誰だろ。。。



「お墓もだいぶ多ぐなったな~」

と、父が周りを見渡して言う。



風が強くて線香に火をつけるのが毎回大変だ。


手を合わせ、どうか安らかに見守っていてくださいと心から言葉がでてくる。

どんなに苦しんで亡くなったかっを考えると、安らかに・・・、ただそれだけだ。





今日は震災関係の報道が多く目に入ってくる。


閖上は報道される度に、行政と住民と対立して復興が2年3年遅れた・・・。

などと紹介される。


実際はそんな単純な話ではないし、当時は本当に苦しい思い、選択の連続だった。

未だにそのしこりが残っていると感じることもたまにあるが、今はいいまちを造っていこうと行政も住民も前を向いているように思う。


津波にのまれ、なにもかもなくなったまちを復興させるということは、時間がかかって当然のはず。

他の地域と一概に比較できることでもない。


将来的に持続できる、安全で、活気のあるまちができるはずだと信じてる。






昨日は、閖上地区に新たに建設された復興公営住宅の入居者へ、鍵の引渡しが行われた。

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3月11日前ということもあり、報道陣が多かった。


しかし、来賓席の前に壁のように立ち並ばなくてもよくない。。。



入居する方は

「やっとだ~」

「もうここさ行ぐごどにしたのわ~」

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といってどこに入るか教えてくれた。


全て納得して行くわけではないが、選択しなければならない時期にきて、仕方なく決めた方もいる。


被災者はもとにもどることのできない中で、7年経ってまた引っ越すことになる。

仮設から出れるとしても、新たな生活を不安に思うのは当然だ。




そこから帰ると

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威圧感のある方が!

父の同級生で、私の後援会長だ。


「いや~、食ったごどもね~ものけされんだ」(食わせられる)

「俺はマヨネーズかげで食いでんだげども、まさが目の前ででぎねべ」


二人とも嫁に気を使いながら生活しているようだ。。。




その後、父が明らかに元気になった様子が見てとれた。

やはり、昔からの人に囲まれて暮らすのが、心地いいんだなと思う。



閖上に戻れるのは今年の夏頃、暮らしなれた思い出の詰まった場所に戻り、穏やかに過ごしてもらいたい。








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7年

2018年1月某日、荒川家の土地の引渡しが行われた。

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東日本大震災後、父の思いを尊重し、また閖上に家を再建しようと決めた。

それからまもなく7年。

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長かったーーーーーー。



今の閖上はというと

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盛り土もほぼ完了し、戸建や集合の復興公営住宅も入居がはじまり、集団移転先には家を再建した人も増えてきた。

私の後援会長も昨年、家を再建し一足先に閖上に戻った。

ひ孫も産まれ、大きな家で家族でゆったりと過ごすことができているようだ。



荒川家は来月から本格的に建築がはじまり、夏頃には入居できる予定。

まだまだ生活利便施設はできておらず、買い物や病院もない。

そして、沿岸部の防風林が流されたこともあって、非常に風が強い。

まちとして機能するには今しばらくかかる。



それでも父にとっては住み慣れた閖上に戻れることは楽しみな様子で、なにより狭いアパートの窮屈な暮らしから開放されることが嬉しいようだ。



今の父のことを少し報告


父は昨年仕事を引退し、友人の会社でお手伝い程度に働いている。

今でも朝起きてすることは、母と弟の小さな仮の仏壇的(ただのテーブル)なところに水とお茶とご飯を供えて線香をあげることだ。


身体はいたって健康なようだが、最近は同級生の死も続き、元気がないようにも見受けられる。


有名人の突然死のニュースを見ながら、

「人なんていつ死ぬかわがんねーなー」

といって、ため息をついたりもする。


以前から悩みの種になっている、寝ている時にうなされる頻度は少し減ったが、まだときどきある。

ときには

「うわーーーーー」

と、大きな声でうなされる。


急いで、

「親父!親父!」

と、起こす。


以前も書いたように、大きく体を動かし足をテーブルにぶつけたりしないことだけが心配で、私も妻も心臓がバクバクする。。


いつまで続くのやら・・・





ふとした時、父の携帯の待受画面を見た。

そこには母の顔があった。

父はあの日からずっと母と共に生きてる。

少し嬉しくて、あまりにアップの写真で恥ずかしくて、改めてそんな父を尊敬できた。






今は家族3人で暮らしている荒川家に待ちに待った出来事が!!

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結婚して約6年、ようやく子供が出来た!

父もなるべく妻に負担をかけないように気遣ってくれている。

言葉にはあまり出さないが、相当嬉しいようだ。



子供が出来て私は、

「お母!孫ができたよ!」

と、そっと心の中で報告した。

6月、無事に産まれてきてくれることだけを、ただただ願うばかりだ。




震災から7年、ようやく荒川家の止まっていた時計が動き出す、そんな気持ちだ。


ほんと、長かった。。。





最後に今日は閖上中学校の最後の卒業式だった。

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素晴らしい送辞に、胸にぐっとくる答辞。

卒業生の合唱は、あの日から歩んできた生徒の気持ちが込められていて、心に響いた。

歌詞を聞いていて、あの日からこれまでの出来事がページをめくるように蘇ってきて、胸が熱くなった人も多かったはずだ。

「証」




「あたりまえの温もり 失くして 初めて気づく寂しさ 噛み締めて 歩みだす勇気 抱(いだ)いて

溢れだす涙が 君を遮(さえぎ)るまえにせめて笑顔で“またいつか”・・・」



flumpool・・・めちゃくちゃいい曲あるやん!!




なぜ最後の卒業式かというと、閖上小学校・中学校は来月閖上地区に小中一貫教育の義務教育学校「閖上小中学校」として復旧することになるからだ。


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市内全域から通学することができ、私が確認した時点で134人が入学予定(現在は数人増えているかも)。

来月7日に開校式が開かれる。


閖上の復興はゆっくりではあるが、着実に進んでいる。



続きは3月11日に更新しようと思う。







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Youhei Arakawa


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