法の下の平等

2007年02月07日

国籍法の性差別とその救済方法 東京高裁昭和57年6月23日判決

・概略
原告は米国籍を有する父と日本国籍を有する母の間に生まれたが、旧国籍法の下では父系優先血統主義をとっていたため日本国籍を認められず、また父も米国籍を認められなかったため無国籍者となった。原告は父母いずれかが日本国民である子は日本国籍を取得するものと合憲解釈すべきとし、日本国籍を有することの確認を求める訴訟を提起した。

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地域による取扱いの差異と地方自治 最高裁昭和33年10月15日大法廷判決

判例
S33.10.15 大法廷・判決 昭和29(あ)267 売春等取締条例違反(第12巻14号3305頁)

判示事項:
地方公共団体が制定する売春取締に関する条例の合憲性。

要旨:
地方公共団体が売春の取締について各別に条例を制定する結果、その取扱に差別を生ずることがあつても、憲法第一四条に違反しない。

参照・法条:
憲法14条,憲法94条,地方自治法14条1項,地方自治法14条5項,地方自治法2条3項1号,地方自治法2条3項7号

内容:
 件名  売春等取締条例違反 (最高裁判所 昭和29(あ)267 大法廷・判決 棄却)
 原審  東京高等裁判所


主    文

本件上告を棄却する。
         
理    由

 弁護人別府祐六の上告趣意について。
 社会生活の法的規律は通常、全国にわたり劃一的な効力をもつ法律によつてなされているけれども、中には各地方の特殊性に応じその実情に即して規律するためにこれを各地方公共団体の自治に委ねる方が一層合目的的なものもあり、またときにはいずれの方法によつて規律しても差支えないものもある。これすなわち憲法九四条が、地方公共団体は「法律の範囲内で条例を制定することができる」と定めている所以である。地方自治法は、憲法のこの規定に基き、普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて、その事務に関し、条例を制定することができる旨を規定し(同法一四条一項)、その事務として、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」(同法二条三項一号)や「風俗又は清潔を汚す行為の制限その他の保健衛生、風俗のじゅん化に関する事項を処理すること」(同条同項七号)等を例示している。そして条例中には、法令に特別の定があるものを除く外、「条例に違反した者に対し、二年以下の懲役若しくは禁錮、十万円以下の罰金、拘留、科料又は没収の刑を科する旨の規定を設けることができる」(同法一四条五項)としているのである。本件東京都売春等取締条例は前記憲法九四条並に地方自治法の諸条規に基いて制定されたものである。(同条例は、昭和三一年法律一一八号売春防止法附則四項、一項但書により昭和三三年四月一日効力を失つたが、同法附則五項により、その失効前にした違反行為の処罰については、その失効後も、なお従前の規定によることとなつている)。

 論旨(一及び二の後段)は、売春取締に関する罰則を条例で定めては、地域によつて取扱に差別を生ずるが故に、憲法の掲げる平等の原則に反するとの趣旨を主張するものと解される。しかし憲法が各地方公共団体の条例制定権を認める以上、地域によつて差別を生ずることは当然に予期されることであるから、かかる差別は憲法みずから容認するところであると解すべきである。それ故、地方公共団体が売春の取締について各別に条例を制定する結果、その取扱に差別を生ずることがあつても、所論のように地域差の故をもつて違憲ということはできない。論旨は理由がない。

 その余の論旨(二の前段)は単なる訴訟法違反ないし事実誤認の主張に帰し、適法な上告理由とならない。(原判決の維持した第一審判決摘示の各事実は同判決の挙示する各証拠によつて認めることができる)。

 なお記録を調べてみても刑訴四一一条を適用すべき事由は認められない。

 よつて同四〇八条により裁判官下飯坂潤夫、同奥野健一の補足意見があるほか裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

 裁判官下飯坂潤夫、同奥野健一の補足意見は次のとおりである。
 論旨一及び二の後段について、多数意見は「しかし憲法が各地方公共団体の条例制定権を認める以上、地域によつて差別を生ずることは当然に予期されることであるから、かかる差別は憲法みずから容認するところであると解すべきである。それ故、地方公共団体が売春の取締について各別に条例を制定する結果、その取扱に差別を生ずることがあつても、所論のように地域差の故をもつて違憲ということはできない。」と判示している。

 しかし、憲法九四条は「地方公共団体は……法律の範囲内で条例を制定することができる」と規定し、条例制定権は、法律の範囲内で許されることを規定している以上、法律の上位にある憲法の諸原則の支配をも受けるものと解すべきことは当然であつて、各公共団体の制定した条例も、憲法一四条の「法の下に平等の原則」に違反することは許されないものと解する。すなわち、憲法が自ら公共団体に条例制定権を認めているからといつて、その各条例相互の内容の差異が、憲法一四条の原則を破るような結果を生じたときは、やはり違憲問題を生ずるものというべきであつて、例えば、同種の行為について一地域では外国人のみを処罰したり、他の地域では外国人のみにつき処罰を免除するが如き各条例は、特段の合理的根拠のない限り、憲法一四条に反することになろう。これを要するに、憲法が各地方公共団体に、条例制定権を認めているからいつて、当然に、各条例相互間に憲法一四条の原則を破る結果を生ずることまでも、憲法が是認しているものと解すべきではなく、各条例が各地域の特殊な地方の実情その他の合理的根拠に基いて制定され、その結果生じた各条例相互間の差異が、合理的なものとして是認せられて始めて、合憲と判断すべきものと考える。多数意見が「憲法が各地方公共団体に条例制定権を認める以上、地域によつて差別を生ずることは当然予期されることであるから、かかる差別は憲法みずから容認するところである」として、無条件に地域的差別取扱を合憲とする趣旨であるとするならば、私どもの遽に賛同し得ないところである。また、弁護人主張の如く売春取締に関する法制は、必ず法律によつて全国一律に、統一的に規律しなければ憲法一四条に反するとする所論も採るを得ない。すなわち、全国的に統一した法律の制定されていない時期においては、各地方公共団体が憲法九四条、地方自治法に基き各公共団体が売春取締に関する条例を制定すること自体は、何ら違憲ということはできない。(ただ、各地方公共団体の制定した条例相互の内容の差異が、憲法一四条に反する結果を生じたとき始めて違憲の問題が生ずるに過ぎないのであつて、上告人は地域について具体的に差異の生じたことについて何ら主張がないのである)

  昭和三三年一〇月一五日

     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    田   中   耕 太 郎
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    島           保
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    垂   水   克   己
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫
 裁判官 奥野健一裁判官入江俊郎は海外出張のため署名押印することができない。
         裁判長裁判官    田   中   耕 太 郎


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所得税の不平等 サラリーマン税金訴訟 最高裁昭和60年3月27日大法廷判決

判例
S60.03.27 大法廷・判決 昭和55(行ツ)15 所得税決定処分取消(第39巻2号247頁)

判示事項:
一 租税法の分野における所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区号と憲法一四条一項適合性の判断

二 所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)九条一項五号と憲法一四条一項

要旨:
一 租税法の分野における所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、憲法一四条一項に違反するものということはできない。

二 給与所得の金額の計算につき必要経費の実額控除を認めない所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)九条一項五号は、憲法一四条一項に違反しない。



主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人らの負担とする。
         
理    由
 上告代理人山田近之助の上告理由について
 一 所論は、要するに、本件課税処分の根拠をなす昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(昭和二二年法律第二七号。以下「旧所得税法」という。)中の給与所得に係る課税関係規定(以下「本件課税規定」という。)は、次のとおり、事業所得者等の他の所得者に比べて給与所得者に対し著しく不公平な所得税の負担を課し、給与所得者を差別的に扱つているから、憲法一四条一項の規定に違反し無効であるとの前提に立つて、本件課税規定を合憲と判断した原判決を非難するものである。

 1 旧所得税法は、事業所得等の金額の計算について、事業所得者等がその年中の収入金額を得るために実際に要した金額による必要経費の実額控除を認めているにもかかわらず、給与所得の金額の計算については、給与所得者がその年中の収入金額を得るために実際に要した金額による必要経費の実額控除を認めず、右金額を著しく下回る額の給与所得控除を認めるにとどまるものである。

 2 旧所得税法は、事業所得等の申告納税方式に係る所得の捕捉率に比し給与所得の捕捉率が極めて高くなるという仕組みになつており、給与所得者に対し所得税負担の不当なしわ寄せを行うものである。

 3 旧所得税法は、合理的な理由のない各種の租税優遇措置が講じられている事業所得者等に比べて、給与所得者に対し過重な所得税の負担を課するものである。
 二 まず、給与所得に係る必要経費の控除の点について判断する。

 1 旧所得税法は、所得税の課税対象である所得をその性質に応じて一〇種類に分類した上、不動産所得、事業所得、山林所得及び雑所得の金額の計算については、それぞれその年中の総収入金額から必要経費を控除すること、右の必要経費は当該総収入金額を得るために必要な経費であり、家事上の経費、これに関連する経費(当該経費の主たる部分が右の総収入金額を得るために必要であり、かつ、その必要である部分が明瞭に区分できる場合における当該部分に相当する経費等を除く。以下同じ。)等は必要経費に算入しないことを定めている。また、旧所得税法は、配当所得、譲渡所得及び一時所得の金額の計算についても、「その元本を取得するために要した負債の利子」、「その資産の取得価額、設備費、改良費及び譲渡に関する経費」又は「その収入を得るために支出した金額」を控除することを定めている。

 一方、旧所得税法は、給与所得の金額はその年中の収入金額から同法所定の金額(収入金額が四一万七五〇〇円以下である場合には一万七五〇〇円と当該収入金額から一万七五〇〇円を控除した金額の一〇分の二に相当する金額との合計額、収入金額が四一万七五〇〇円を超え七一万七五〇〇円以下である場合には九万七五〇〇円と当該収入金額から四一万七五〇〇円を控除した金額の一〇分の一に相当する金額との合計額、収入金額が七一万七五〇〇円を超え八一万七五〇〇円以下である場合には一二万七五〇〇円と当該収入金額から七一万七五〇〇円を控除した金額の一〇分の〇・七五に相当する金額との合計額、収入金額が八一万七五〇〇円を超える場合には一三万五〇〇〇円)を控除した金額とすることを定めている(この控除を以下「給与所得控除」という。)。ところで、給与所得についても収入金額を得るための必要経費の存在を観念し得るところ、当時の税制調査会の答申及び立法の経過に照らせば、右の給与所得控除には、給与所得者の勤務に伴う必要経費を概算的に控除するとの趣旨が含まれていることが明らかであるから、旧所得税法は、事業所得等に係る必要経費については、事業所得者等が実際に要した金額による実額控除を認めているのに対し、給与所得については、必要経費の実額控除を認めず、代わりに同法所定額による概算控除を認めるものであり、必要経費の控除について事業所得者等と給与所得者とを区別するものであるということができる。

 2 そこで、右の区別が憲法一四条一項の規定に違反するかどうかについて検討する。

 (一) 憲法一四条一項は、すべて国民は法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない旨を明定している。この平等の保障は、憲法の最も基本的な原理の一つであつて、課税権の行使を含む国のすべての統治行動に及ぶものである。しかしながら、国民各自には具体的に多くの事実上の差異が存するのであつて、これらの差異を無視して均一の取扱いをすることは、かえつて国民の間に不均衡をもたらすものであり、もとより憲法一四条一項の規定の趣旨とするところではない。すなわち、憲法の右規定は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、合理的理由なくして差別することを禁止する趣旨であつて、国民各自の事実上の差異に相応して法的取扱いを区別することは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではないのである(最高裁昭和二五年(あ)第二九二号同年一〇月一一日大法廷判決・刑集四巻一〇号二〇三七頁、同昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁等参照)。

 (二) ところで、租税は、国家が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてでなく、その経費に充てるための資金を調達する目的をもつて、一定の要件に該当するすべての者に課する金銭給付であるが、およそ民主主義国家にあつては、国家の維持及び活動に必要な経費は、主権者たる国民が共同の費用として代表者を通じて定めるところにより自ら負担すべきものであり、我が国の憲法も、かかる見地の下に、国民がその総意を反映する租税立法に基づいて納税の義務を負うことを定め(三〇条)、新たに租税を課し又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要としている(八四条)。それゆえ、課税要件及び租税の賦課徴収の手続は、法律で明確に定めることが必要であるが、憲法自体は、その内容について特に定めることをせず、これを法律の定めるところにゆだねているのである。思うに、租税は、今日では、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調整等の諸機能をも有しており、国民の租税負担を定めるについて、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、課税要件等を定めるについて、極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかである。したがつて、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである。そうであるとすれば、租税法の分野における所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず、これを憲法一四条一項の規定に違反するものということはできないものと解するのが相当である。

 (三) 給与所得者は、事業所得者等と異なり、自己の計算と危険とにおいて業務を遂行するものではなく、使用者の定めるところに従つて役務を提供し、提供した役務の対価として使用者から受ける給付をもつてその収入とするものであるところ、右の給付の額はあらかじめ定めるところによりおおむね一定額に確定しており、職場における勤務上必要な施設、器具、備品等に係る費用のたぐいは使用者において負担するのが通例であり、給与所得者が勤務に関連して費用の支出をする場合であつても、各自の性格その他の主観的事情を反映して支出形態、金額を異にし、収入金額との関連性が間接的かつ不明確とならざるを得ず、必要経費と家事上の経費又はこれに関連する経費との明瞭な区分が困難であるのが一般である。その上、給与所得者はその数が膨大であるため、各自の申告に基づき必要経費の額を個別的に認定して実額控除を行うこと、あるいは概算控除と選択的に右の実額控除を行うことは、技術的及び量的に相当の困難を招来し、ひいて租税徴収費用の増加を免れず、税務執行上少なからざる混乱を生ずることが懸念される。また、各自の主観的事情や立証技術の巧拙によつてかえつて租税負担の不公平をもたらすおそれもなしとしない。

旧所得税法が給与所得に係る必要経費につき実額控除を排し、代わりに概算控除の制度を設けた目的は、給与所得者と事業所得者等との租税負担の均衡に配意しつつ、右のような弊害を防止することにあることが明らかであるところ、租税負担を国民の間に公平に配分するとともに、租税の徴収を確実・的確かつ効率的に実現することは、租税法の基本原則であるから、右の目的は正当性を有するものというべきである。

 (四) そして、右目的との関連において、旧所得税法が具体的に採用する前記の給与所得控除の制度が合理性を有するかどうかは、結局のところ、給与所得控除の額が給与所得に係る必要経費の額との対比において相当性を有するかどうかにかかるものということができる。もつとも、前記の税制調査会の答申及び立法の経過によると、右の給与所得控除は、前記のとおり給与所得に係る必要経費を概算的に控除しようとするものではあるが、なおその外に、(1) 給与所得は本人の死亡等によつてその発生が途絶えるため資産所得や事業所得に比べて担税力に乏しいことを調整する、(2) 給与所得は源泉徴収の方法で所得税が徴収されるため他の所得に比べて相対的により正確に捕捉されやすいことを調整する、(3) 給与所得においては申告納税の場合に比べ平均して約五か月早期に所得税を納付することになるからその間の金利を調整する、との趣旨を含むものであるというのである。しかし、このような調整は、前記の税制調査会の答申及び立法の経過によつても、それがどの程度のものであるか明らかでないばかりでなく、所詮、立法政策の問題であつて、所得税の性格又は憲法一四条一項の規定から何らかの調整を行うことが当然に要求されるものではない。したがつて、憲法一四条一項の規定の適用上、事業所得等に係る必要経費につき実額控除が認められていることとの対比において、給与所得に係る必要経費の控除のあり方が均衡のとれたものであるか否かを判断するについては、給与所得控除を専ら給与所得に係る必要経費の控除ととらえて事を論ずるのが相当である。しかるところ、給与所得者の職務上必要な諸設備、備品等に係る経費は使用者が負担するのが通例であり、また、職務に関し必要な旅行や通勤の費用に充てるための金銭給付、職務の性質上欠くことのできない現物給付などがおおむね非課税所得として扱われていることを考慮すれば、本件訴訟における全資料に徴しても、給与所得者において自ら負担する必要経費の額が一般に旧所得税法所定の前記給与所得控除の額を明らかに上回るものと認めることは困難であつて、右給与所得控除の額は給与所得に係る必要経費の額との対比において相当性を欠くことが明らかであるということはできないものとせざるを得ない。

 (五) 以上のとおりであるから、旧所得税法が必要経費の控除について事業所得者等と給与所得者との間に設けた前記の区別は、合理的なものであり、憲法一四条一項の規定に違反するものではないというべきである。

 三 次に、所論は事業所得等の捕捉率が給与所得の捕捉率を下回つていることを指摘するが、その趣旨は、捕捉率の著しい較差が恒常的に存する以上、それは単に徴税技術の巧拙等の事実上の問題であるにとどまらず、制度自体の欠陥を意味するものとして、本件課税規定を違憲ならしめるものである、というのである。

 事業所得等の捕捉率が相当長期間にわたり給与所得の捕捉率を下回つていることは、本件記録上の資料から認められないではなく、租税公平主義の見地からその是正のための努力が必要であるといわなければならない。しかしながら、このような所得の捕捉の不均衡の問題は、原則的には、税務行政の適正な執行により是正されるべき性質のものであつて、捕捉率の較差が正義衡平の観念に反する程に著しく、かつ、それが長年にわたり恒常的に存在して租税法制自体に基因していると認められるような場合であれば格別(本件記録上の資料からかかる事情の存在を認めることはできない。)、そうでない限り、租税法制そのものを違憲ならしめるものとはいえないから、捕捉率の較差の存在をもつて本件課税規定が憲法一四条一項の規定に違反するということはできない。

 四 また、所論は合理的理由のない租税優遇措置の存在をいうが、仮に所論の租税優遇措置が合理性を欠くものであるとしても、そのことは、当該措置自体の有効性に影響を与えるものにすぎず、本件課税規定を違憲無効ならしめるものということはできない。
 五 以上のとおり、本件課税規定は憲法一四条一項の規定に違反しないから、原審の判断は結論において是認することができる。論旨は、憲法三二条違反をいう部分を含め、判決の結論に影響を及ぼさない点について原判決を非難するものであつて、いずれも採用することができない。

 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官木下忠良、同伊藤正己、同谷口正孝、同木戸□久治、同島谷六郎、同長島敦の各補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
 私も、法廷意見と同様に、給与所得に係る必要経費について、実額控除を認めず、概算控除を設けるにとどまる本件課税規定は、給与所得者を事業所得者等と区別するものではあるが、それ自体としては憲法一四条一項の規定に違反するものではないと解する。そして、そのように解する理由についてもまた、法廷意見の説示するところに全く異論はない。しかし、本件は、租税についての国民の公平かつ平等な負担という租税法と憲法との関係にかかわるものであることにかんがみ、次の二点について補足的に意見を述べておくこととしたい。

 一 法廷意見の説くように、租税法は、特に強い合憲性の推定を受け、基本的には、その定立について立法府の広範な裁量にゆだねられており、裁判所は、立法府の判断を尊重することになるのであるが、そこには例外的な場合のあることを看過してはならない。租税法の分野にあつても、例えば性別のような憲法一四条一項後段所定の事由に基づいて差別が行われるときには、合憲性の推定は排除され、裁判所は厳格な基準によつてその差別が合理的であるかどうかを審査すべきであり、平等原則に反すると判断されることが少なくないと考えられる。性別のような事由による差別の禁止は、民主制の下での本質的な要求であり、租税法もまたそれを無視することを許されないのである。しかし、本件は、右のような事由に基づく差別ではなく、所得の性質の違い等を理由とする取扱いの区別であるから、厳格な基準による審査を必要とする場合でないことは明らかである。

 二 本件課税規定それ自体は憲法一四条一項の規定に違反するものではないが、本件課税規定に基づく具体的な課税処分が常に憲法の右規定に適合するとまではいえない。特定の給与所得者について、その給与所得に係る必要経費(いかなる経費が必要経費に当たるかについては議論の余地があり得ようが、法廷意見もいうように、給与所得についても収入金額を得るための必要経費の存在を観念し得る。)の額がその者の給与所得控除の額を著しく超過するという事情がみられる場合には、右給与所得者に対し本件課税規定を適用して右超過額を課税の対象とすることは、明らかに合理性を欠くものであり、本件課税規定は、かかる場合に、当該給与所得者に適用される限度において、憲法一四条一項の規定に違反するものといわざるを得ないと考える(なお、必要経費の額が給与所得控除の額を著しく超過するような場合には、当該所得が真に旧所得税法の予定する給与所得に当たるかどうかについて、慎重な検討を要することは、いうまでもない。)。

 この点を本件についてみるに、本件における必要経費の額が本件課税規定による給与所得控除の額を著しく超過するものと認められないことは、原判決の説示に照らして明らかであるから、本件課税規定を適用して本件課税処分をしたことに憲法一四条一項違反があるということはできない。

 裁判官木下忠良、同長島敦は、裁判官伊藤正己の補足意見第二項に同調する。

 裁判官谷口正孝の補足意見は、次のとおりである。
 給与所得者について必要経費の実額控除を認めず旧所得税法所定の給与所得控除しか認めないことは、事業所得者等について必要経費の実額控除を認めていることとの対比において均衡を欠き、憲法一四条一項に違反するという上告人らの主張を排斥する法廷意見を補足して伊藤裁判官の敷衍して説示されているところには、私もまた、同じ考えを持つ者として同調する。しかし、それは同条項違反の有無を論ずる場面に限定してのことである。すなわち、そこでは、給与所得者が給与を得るについての必要経費の額が前記給与所得控除の額を著しく超える場合について、事業所得者等の必要経費の実額控除を認める制度と比較しての差別取扱いが論じられており、そのような場合については、旧所得税法の適用上憲法一四条一項違反の問題を生ずるとしたわけである。ところが、給与所得者の必要経費の額が右の給与所得控除の額を超過することが明らかであるが、その程度が著しいとまではいえない場合については明言されていない。私は、その場合については、もとより同条項違反の問題は生じないものと考える。そのことは、同条項について法廷意見の展開している合理的差別容認の考え方の系列の中に十分包摂し得るところであるからである。

 しかし、給与所得者について給与所得控除の額を超える必要経費が存する場合には、その超過が明らかである限り、その程度が著しい場合であると否とを問わず、当該超過部分については実質上所得がないことになるのではないかが改めて問われてよい。なるほど、給与所得を得るについての必要経費の額をいかなる基準により算定するかについては多分に政策的考慮の働くことは認めざるを得ないであろう。だが、このような政策的考慮を認めるにせよ、給与所得者について必要経費の存在することは否定し難いところであり、しかも、その中には所得を得るために不可避的に支出しなければならない経費であつて、政策的考慮を容れる余地のないものがあることも承認せざるを得ない。法廷意見もまたこのことを前提としているものと思われる。してみると、給与所得者について給与所得控除の額を明らかに超えて必要経費の存する場合を想定し、これに論及する必要があることは当然である。もつとも、この場合にも給与所得として計上されるべきものが存する以上、その所得者に対し名目上の給与額に応じて課税することも立法府の裁量の問題として処理すれば足りるという見解もあろう。しかし、私はこのような見解は到底採用し得ないものと考える。けだし、前述のごとく必要経費の額が給与所得控除の額を明らかに超える場合は、その超過部分については、もはや所得の観念を容れないものと考えるべきであつて、所得の存しないところに対し所得税を課する結果となるのであり、およそ所得税賦課の基本理念に反することになるからである。

 そして、所得と観念し得ないものを対象として所得税を賦課徴収することは、それがいかに法律の規定をもつて定められ租税法律主義の形式をとるにせよ、そして、憲法一四条一項の規定に違反するところがないにせよ、違憲の疑いを免れないものと考える。

 もつとも、本件において具体的に支出された必要経費の額が給与所得控除の額を超過するものと認められないことは、記録上明らかであるから、この問題は争点として取り上げるべきことではない。

 裁判官木戸口久治の補足意見は、次のとおりである。
 旧所得税法中の給与所得に係る課税関係規定自体が憲法一四条一項の規定に違反するものでないことは、法廷意見において説示するとおりであつて、私もこれに賛成するものである。

 しかし、給与所得に係る課税関係規定が法的評価において憲法一四条一項の規定に違反するものでないとしても、一般に、給与所得者が、事業所得者等よりも重い租税負担を課せられているという不公平感を抱いていることも、否定し得ないところである。

 本件記録上の資料によると、本件係争年度である昭和三九年度において、所得の種類別の所得者数に対する納税者数の割合は、給与所得者(一年を通じて勤務した民間給与所得者)にあつては七九・三パーセント、農業所得者(専業農家及び第一種兼業農家)にあつては七・二パーセント、農業以外の事業所得者にあつては二四・九パーセントであり、また、国民所得に対する課税所得の割合は、給与所得にあつては七六・三パーセント、農業所得にあつては六・九パーセント、農業以外の事業所得にあつては二七・〇パーセントであり、これらの係数は、本件係争年度の前後数年においても大幅な変化のないことが認められる。さらに、近年における所得の種類別の所得者数に対する納税者数の割合が、給与所得者(前に同じ)にあつては約九〇パーセントに達しているのに対し、農業所得者(前に同じ)にあつては約一五パーセント、農業以外の事業所得者にあつては約四〇パーセントにとどまつていることは、周知のところである。このような納税者割合、課税所得割合の較差のある程度の部分が実質的な所得の差に基づいていることは否定できないとしても、その少なからぬ部分は、源泉徴収及び申告納税という徴税方式の違いを主因とする所得捕捉の不均衡や、各種の租税優遇措置によるものと考えられるのであつて、右に述べた較差から、事業所得者の租税負担が給与所得者のそれよりもかなり低くなつており、しかもそれが特定年度における特異な現象ではなく、相当長期にわたつて継続しているものということができ、この点が給与所得者に対し租税負担の不公平感を抱かせる原因となつているものと考えられる。

 憲法一四条一項の命ずる租税公平主義は、租税法の制定及びその執行につき、合理的理由なくして、特定の者を不利益に取り扱うことを禁止するのみでなく、特定の者に対し特別の利益を与えることをも禁止するものである。右に指摘したように事業所得の捕捉率が低いということは、それだけ、事業所得者が租税負担を不当に免れていることを意味するのであり、また、各種の租税優遇措置も、それが当該立法目的に照らして合理性を欠くに至つたときは、事業所得者に不当な利益を与えることとなる。このような所得の捕捉漏れや不合理な租税優遇措置による事業所得者と給与所得者との実質的な租税負担の較差が恒常的となり、かつ、それが著しい程度に達したときは、かかる事態は憲法一四条一項違反の問題となり得るものと考える。右の較差が実際にどの程度に達しているかは必ずしも明らかであるとはいえないが、先に述べたように、事業所得者の租税負担が給与所得者のそれよりもかなり低くなつていることは現実であり、租税負担について給与所得者層の持つ不公平感は無視し得ないものとなつているのが実状であつて、その是正に向けての早急かつ積極的な努力が払われなければならないものと考える。

 以上、給与所得課税に対する幅広い不公平感の存在が亡Aの提起した本件訴訟の背景をなしているものと思われることにかんがみ、補足的に意見を述べた次第である。
 裁判官島谷六郎の補足意見は、次のとおりである。

 上告人らは、旧所得税法が事業所得者等に必要経費の実額控除を認めながら、給与所得者にこれを認めないのは不公平である、と主張する。

 給与所得者に認められた給与所得控除には必要経費を概算的に控除する趣旨が含まれていることは、法廷意見の説示するとおりであり、本件の場合には、具体的に支出された必要経費の実額が旧所得税法所定の給与所得控除の額を超えるものと認められないことが、原判決の説示に徴して明らかである。

 しかしながら、一般論としては、給与所得者の必要経費の実額が給与所得控除の額を超える場合の存する可能性がないとはいえず、超過の程度が著しいときは、給与所得に係る課税関係規定の適用違憲の問題が生ずることになると考えられるのであつて、私は、この点において、伊藤裁判官の補足意見第二項に同調するものである。

 また、右の超過の程度が著しいとはいえないときであつても、超過額の存する限り所得のないところに課税が行われる結果となり、それが直ちに違憲の問題を生ぜしめるものではないとしても、純所得課税という所得税の基本原則に照らし、安易に看過し得ないものとなるといわなければならない。

 したがつて、右のような課税が行われることがないよう、給与所得者にも必要経費の実額控除を認め、概算控除と実額控除とのいずれかを任意に選び得るという選択制の採用の問題をも含めて、給与所得控除制度についての幅広い検討が期待されるところである。

     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    寺   田   治   郎
            裁判官    木   下   忠   良
            裁判官    鹽   野   宜   慶
            裁判官    伊   藤   正   己
            裁判官    谷   口   正   孝
            裁判官    大   橋       進
            裁判官    木 戸 口   久   治
            裁判官    牧       圭   次
            裁判官    和   田   誠   一
            裁判官    安   岡   滿   彦
            裁判官    角   田   禮 次 郎
            裁判官    矢   口   洪   一
            裁判官    島   谷   六   郎
            裁判官    長   島       敦
 裁判官藤萬里は、退官のため署名押印することができない。
         裁判長裁判官    寺   田   治   郎

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同性愛者に対する公共施設の宿泊拒否 東京都青年の家事件 東京高裁平成9年9月16日判決

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傾向経営と政治的信条を理由にする解雇 日中旅行者事件 大阪地裁昭和44年12月26日判決

主   文
 被申請人は、本案判決確定に至るまで、申請人らをいずれもその従業員として仮に取扱い、かつ昭和四二年三月二七日から、申請人P1に対しては一カ月金二万五、七三二円の、申請人P2に対しては一カ月金二万五、五〇八円の各割合による金員をいずれも前月二一日から当月二〇日までの分につき毎月二五日限り仮に支払え。
 申請人らのその余の申請をいずれも却下する。
 訴訟費用は被申請人の負担とする。
 事   実
 第一、当事者双方の求める裁判一、申請人ら
 被申請人(以下、会社ともいう。)は、本案判決確定に至るまで、申請人らをその従業員として仮に取扱い、かつ昭和四二年三月二七日から、申請人P1に対しては一カ月につき金二万九、〇七二円を、申請人P2に対しては一カ月につき金二万七、四七七円を、いずれも毎月二五日限り、仮に支払え。二、被申請人
 申請人らの申請をいずれも却下する。第二、申請人らの主張および答弁一、申請の理由(一)会社は、昭和三九年四月二五日から同月二七日までの間に開催の日本中国友好協会(以下、日中友好協会という。)第一四回全国大会における「日中両国民間の貿易、経済、文化の交流を発展させ相互理解を深め日中友好をより増進させるために訪中友好視察団の旅行斡旋、団体、個人の訪中斡旋を行うことを目的として旅行社をつくる。」旨の決定に基づき同年九月一一日に設立された株式会社で、肩書地に本店を、昭和四〇年六月一日以降大阪市<以下略>内に関西営業所を置いてきたものであり、申請人P1は昭和四一年二月一四日会社に雇用され同年四月一日正社員となり同年七月一日以降同社関西営業所(以下、関西営業所という。)に勤務して主に渡航手続業務に従事し、申請人P2は昭和四〇年一一月一日会社にアルバイトとして雇用され、昭和四一年四月一日正社員となり同年七月一日以降同営業所に勤務して総務、渡航手続、募集等の業務に従事していた者である。(二)会社は昭和四二年三月二六日付内容証明郵便を以て申請人らに対し、「経営不振に加え、日本国際貿易促進協会関西本部(以下、関西国貿促という。)から関西営業所について渡航斡旋業者の指定を取消され、今後同営業所において中国渡航斡施業務を取扱うことが事実上不可能となつたので同営業所を昭和四二年三月二六日限り閉鎖することを決定し、営業所長P3をはじめ所員である申請人らおよびP4の全所員を同日解雇する。」旨の意思表示(以下、本件解雇という。)をなすとともに、予告手当名下に金二万三、〇〇〇円をそれぞれ送付し、翌二七日以降申請人らの就労を拒否し、かつ賃金を支払わない。(三)右解雇の意思表示は後記二の理由によつて無効である。(四)申請人らは毎月二五日に会社から一カ月分の賃金の支払を受けていたもので、昭和四一年一〇月から昭和四二年三月まで六ケ月間の平均賃金月額(賞与は含まない。)は、申請人P1について金二万九、〇七二円、申請人P2について金二万七、四七七円であるが、申請人らはいずれも会社から受ける賃金を唯一の収入源とする労働者で他に資産収入はなく、本案判決の確定を待つていては回復し難い損害を蒙る。二、本件解雇の無効理由本件解雇は次の理由によつて無効である。(一)日中友好協会の分裂
 昭和三九年二月一三日本邦各界の代表的な人物二五氏によつて「日中国交回復の呼びかけ」がなされこれによつて日中友好協会の運動方針が決定されたが、昭和四一年九月二六日右二五氏のうち一部の者が半数以上の者を意識的に排除し、新に本邦各界の知名人三二氏を糾合のうえ前記呼びかけを引継ぐものとして「内外の危機に際し再び日中友好の促進を国民に訴える」という呼びかけ(以下、「三二氏の呼びかけ」という。)をなし、同年一〇月一二日北京においてこれに基づいて日中友好協会中華人民共和国成立一七周年祝賀代表団と中国日本友好協会(以下、中日友好協会という。)代表団との共同声明に調印された。右共同声明は日中友好協会において事前の打合わせがなく代表団によつて無権限に調印されたものであつたため、同月二五日開催の同協会第一三回常任理事会において右共同声明の全員一致の承認が得られない情勢となつたことから、その一部の者らは議事半ばで退場して記者会見し、同協会の別組織を結成することおよび既に用意していた新事務所の所在地等を公表し、ここに日中友好協会正統本部(以下、正統本部という。)なる分裂組織が誕生し、同年一一月二七日には日中友好協会大阪府連合会常任理事会においても理事長P5はじめ一部の者らは共同声明を支持しない者とは一緒にやれないと退場し正統本部大阪府本部をつくつた。(二)右分裂と本件会社
 会社の取締役会長P6、取締役社長P7、常務取締役P8、取締役P5ら殆んどの取締役は正統本部に走り、会社は昭和四一年一〇月末の常務会において、共同声明および正統本部を支持し日中友好協会とは一切の関係を断つことを決定した。(三)右分裂と申請人ら
 申請人らはいずれも昭和三七年四月日中友好協会に入会し、同協会が同年設立した日中友好学院の普通部および高等部に学び、会社の取締役であり右学院の院長であつたP5の推薦により会社に入社した者で、右分裂後このことに関しては一定の見解を持つていたが、従業員としては会社の業務方針に従うという態度で従来どおり担当業務に専念してきた。(四)申請人らに対する思想改造工作1 会社は昭和四一年一二月上旬申請人らほか全従業員に対し業務命令として共同声明に関するレポートの提出を命じた。2 関西営業所長P3は同月二六日申請人ら外一名の全所員に対し日中友好協会を脱会して正統本部に入会し登録するように勤めた。3 正統本部大阪府本部事務局員P9は昭和四二年一月九日関西営業所において申請人ら外一名の全所員に対し正統本部への登録申込書を交付して登録を促した。4 前記P3は同月一一日申請人P1に対し重ねて右登録を勧めた。5 右P3は同年二月七日関西営業所会議の席上、会社の基本方針として同営業所に正統本部の班をつくることを提唱した。6 会社の常務取締役P8は同月二〇日関西営業所において、申請人らが日中友好協会員であることを確認し、会社の方針を侮辱している同協会から出ないことには会社としても放置できないから近く常務会において結論を出すことになる旨言明した。7 会社の取締役P5は同月二一日日中友好学院の院長としての資格で教え子である申請人らに話したいと前置きして、「日中友好協会に入つているのは誤りであるから、よく考えて正統本部に入らなければこれが最後の機会になる。」と語つたのに対し、申請人らは、「日中友好協会に入つているのは入社以前からのことであり、会社の業務にはその方針に従つて忠実に働いている。」と答えたところ、激怒して席を立つた。8 前記P8は同日申請人らに対し、同日のP5の話、前日の自分の話についての見解をレポートにして翌二二日に提出することを命じたので、申請人らは大要、「P8、P5らの述べた政治的見解については社員として意見を述べる必要はないものと考える。今後とも社員として会社の営業方針には異議なく従つて業務を遂行する。」旨のレポートをそれぞれ提出した。9 P8は同年三月二日P5ら数名立会の下に申請人らおよびP4に対し、(1)直ちに各自担当業務を営業所長に引継ぐこと、(2)引継完了次第自宅で「三二氏の呼びかけ」と共同声明を学習するため休職を命ずること、(3)学習の結果をレポートにして同月一〇日までに郵送すること、(4)レポートを検討したうえ常務会で出す指示に従うこと、等を申渡した。10 P8は同月七日申請人らおよびその所属する大阪商業労働組合幹部と団体交渉をした際、(1)申請人らに対する休職は教育休職でいわば自宅勤務の業務命令であるから賃金は全額支給する、(2)教育休職を必要とする理由は、申請人らが会社の営業方針に従うと言いながら、日中友好協会の会員であり、このことによつて会社の存立が脅かされ客に不安を与えるからである旨言明した。11 P8は同月一四日の第二回団体交渉において、(1)関西営業所は今後とも閉鎖しない、(2)申請人らの労働条件、身分等に著しい変更を行う場合は予め組合と協議する、(3)この争議解決のために暴力は一切使わない、(4)休職中の学習テキストは共同声明、日中両国人民の友好貿易促進に関する議定書、中国通信とし、レポートは書いても書かなくてもよい、との諸点を明らかにし、第三回団体交渉を同月二八日に開くことを申合わせた。(五)関西営業所の偽装閉鎖1 関西営業所長P3は右団体交渉の継続中である同月二五日夕刻会社の委任状を携えて同営業所の事務所を賃借している大興ビルの管理者と秘かに会つて同事務所の賃貸借契約を合意解除し、敷金一三〇万円の返還を受けこれを一切の備品什器とともに何処かに運び去り、翌二六日同営業所を閉鎖した。2 会社の取締役会長P6は前記「三二氏の呼びかけ」に名を連ねたうえ正統本部の顧問、取締役P10は右「呼びかけ」に名を連ねたうえ共同声明に調印した日中友好協会代表団長で正統本部理事長、取締役P5は正統本部大阪府本部理事長、取締役社長P7は正統本部全国理事、取締役P11、同P12、同P13、同P8ら取締役の殆んどが正統本部常任理事で、いずれも正統本部の結成に中心的な動きをした者である。3 以上、会社の役員は殆んど正統本部を支持しその主要役員となつているものであるが、同じく正統本部を支持する関西国貿促がたやすく関西営業所について渡航斡旋業者としての指定を取消す筈がない。4 会社の独自の企画による訪中参観団募集は会社創立以来一貫して行われており、関西国貿促と無関係な団体が主催する大型訪中参観団については昭和四一年以来関西営業所で渡航斡旋業務を行なうことになつており、同営業所の閉鎖は会社に大損失をもたらすものである。5 してみると、関西営業所の閉鎖は申請人らを教育休職によつて日中友好協会支持から正統本部支持へと思想転換させようとした会社がその不可能であることを知つたことから、同人らを解雇で企業外に排除することを企て、これを一見理由あらしめるために偽装してなしたものである。(六)本件解雇の無効
 以上、会社は申請人らが自己と異なる思想信条を有することの故を以て同人らを解雇できないことを十分に知つていたため、営業所の閉鎖を偽装してこれをなしたものであるところ、元来労働者の思想信条は使用者のそれと異なる場合においてもその自由は保障されなければならないものであつて、このことは憲法一四条、労働基準法(以下、労基法と略称する。)三条に照らし明らかであるから、本件解雇は右各法条に違反し公序良俗に反するものというべく無効である。三、被申請人主張の解雇事情に対する反論関西国貿促の関西営業所に対する渡航斡旋業者としての指定取消の実情は次のとおりである。(一)右指定取消は専ら申請人らが日中友好協会に所属し同協会の方針を支持する立場にあることを理由とするものであつて、このことは右指定取消の通告書に、「貴社関西営業所職員の中の三名は口で日中友好を唱えながら実際には日中友好の発展を妨害し、日中関係を破壊している反中国団体のいわゆる日中友好協会なるものに属し、反中国活動を積極的に推進している立場にあるので当方会員をはじめ利用者に不安を与えている。」旨述べていることからも明らかである。(二)右指定取消の原因の一つとして日中青年大交流に参加予定者の名簿が関西営業所から日本共産党大阪府委員会に洩れたことを挙げるが、右は真の原因ではない。もともと右名簿の漏洩は申請人らと何の関係もなく、その不在中に右名簿が机の上に開かれていたのを日頃よく出入りしていた同党大阪府委員会のP14がこれを写して帰つたものであるが、このことについては本件指定取消の決定をするまでに関西国貿促において事実の調査をした形跡はなく、したがつて右決定をなすについてこれが問題としてとり上げられていたことはないのであつて、本件仮処分申請後会社において右指定取消を理由づけるために持出したものである。(三)関西国貿促は正統本部と密接な関係があり、また正統本部支持の会社とも不即不離の関係にあるのであるが、会社は関西営業所を多大の犠牲を払つて開設し、昭和四二年度からようやく営業成績も好転し将来の発展を期待できるまでになつていたものであるから、会社と右関係にある関西国貿促が関西営業所の発展を妨げ会社に不利益をもたらす指定取消を真実なす筈がない。果して右指定取消後間もない同年八月一五日同営業所の身代わり企業として「株式会社日中観光」なる商号で設立準備会を発足させ業務担当者に関西営業所長のP3を充て、設立登記前に早くも本件会社発行名義の「新中国の旅」と題するパンフレツトを店頭に備えて営業活動を開始し、その後同年一一月一七日商号を「株式会社関西国際旅行社」と変更して設立登記して現在に至つている。(四)しかも右指定取消は関西国貿促の正規の意思決定機関の決定によることなく、その権限を有しない友好商社部会の常任理事会の決定によつてなされている。
 以上の事実を総合すると右指定取消なるものは、申請人らの思想信条を理由に同人らを企業から排除するための関西営業所の偽装閉鎖を理由づけようとして、会社が日中問題について密接な関係にある関西国貿促内の一部積極分子と共謀してなしたものであつて真実のものではない。四、抗弁に対する答弁
 抗弁事実はすべて争う。会社の定款によると、その事業目的は、(1)海外から日本を訪問する者の旅行の斡旋、(2)海外および国内旅行の斡旋、(3)人事往来に伴う施設の経営、(4)日本および中国事情紹介のための文化センターの経営、(5)中国事情紹介のための出版、販売、(6)観光土産品の輸出入、(7)保険の代理業、(8)以上各項に付帯する事業、となつているのであるが、右(1)は殆んど行つておらず、(2)のうち国内旅行の斡旋、(3)、(4)と(5)のうち出版はいずれも行つておらず、(2)の海外旅行の斡旋は中国以外は殆んど扱つていないのであるから、仮に中国渡航の斡旋業務ができなくなつたとしても、他の事業目的に力を傾けることによつて存立を続けることができる筈である。また関西営業所の昭和四一年一月から同年一二月までの間における中国渡航斡旋は春秋各季広州交易会、経済友好代表団等一四一名、会社独自の企画または関西国貿促と無関係のもの七三名と、数の上では経済界即ち関西国貿促関係のものが多いが、営業収益の面からみると、前者は二割にみたず、後者は七割を超えるものと考えられるのであつて、同営業所の関西国貿促への依存度は特に大きくはないのであるから、これを中国渡航斡旋業務だけについてみても、仮に関西国貿促およびその関係商社等から不信をかつたとしても、会社の存立を脅かされる程に重大な影響があるものとは認められない。五、被申請人の法律上の主張に対する反論
 労働力の取引につき労働者をその思想信条によつて差別することは憲法一四条、労基法三条に照らして許されないところであるから、政党加入の有無およびその活動状況等を雇用契約の要素としてはならないし、またこれを重視することが許されないのであるが、ただ例外としてこれが許される場合がある。政党本部や支部の職員または宗団職員の雇用契約においてはその性質上、政治的または宗教的信条をその要素とせざるを得ないからである。しかしながら右例外的取扱はこの限度にとどめるべきである。そして右例外の場合においてもその信条を以て差別的取扱をなし得るためには右契約中に信条が従業員の資格要件として明定されていることが必要であるとされなければならない。これを本件についてみるに、会社は営利を目的とする株式会社であつて右にいう政治団体や宗教団体でなく、しかもその従業員の資格要件として政治的信条が明定されているものでもないから、申請人らをその政治的信条を理由に解雇することは前記各法条に照らして許されない。第三、被申請人の答弁および主張一、申請理由に対する答弁(一)申請理由(一)の事実中、申請人P2の関西営業所勤務の始期を除き、すべて認める。右始期は昭和四一年七月一日以前である。(二)同(二)の事実は認める。(三)同(三)の事実は後記二のとおり否認する。(四)同(四)の事実中、申請人らが毎月二五日会社から賃金の支払を受けていたことは認めるが、その余は否認する。申請人らの基本給は一カ月金二万三、〇〇〇円であつた。二、解雇の無効理由に対する答弁(一)無効理由(一)の事実中、昭和四一年九月二六日P6、P15、P16ら三二氏によつていわゆる「三二氏の呼びかけ」がなされたこと、同年一〇月一二日北京においてこれに基づき日中友好協会中華人民共和国成立一七周年祝賀代表団と中日友好協会代表団との共同声明に調印されたこと、正統本部およびその大阪府本部ができたことはいずれも認めるが、その余は争う。共同声明については日中友好協会第一三次代表団が出発する前の同年九月二七日右協会の常務会議でこれを出す方針は討議ずみであり、賛成九、反対一を以て決定されていた。同年一〇月二五日同協会の第一三回常任理事会において右共同声明の承認が求められた際、大多数の常任理事四三名がこれを承認したにもかかわらず、表面では日中友好を唱えながら裏面では反中国活動をなし、日中友好を阻害することを意図する日本共産党の追随分子であるごく一部の常任理事一三名がこれに反対したため、創立以来の伝統を正しく受け継ぎ総国民的立場から日中友好運動を推進して行こうと願う者らが反対者を排除し右共同声明の線に副つて大同団結を目指し正統本部を結成した。したがつてこのようにして排除された共同声明の反対者らは日中友好協会の名を僣称しているが、実際は日中友好を妨害する反中国集団として残存しているにすぎない。また正統本部大阪府本部を組織したのは会長P17、副会長P18、理事長P5、事務局長P19をはじめ常任理事の主な者らであり大阪において日中友好運動の伝統を正しく継承できる者達であつた。(二)同(二)の事実は認める。会社は国交未回復の状態の下で中国側の渡航斡旋業務取扱に関する国営機関である中国国際旅行社総社と特約を結び真の日中友好を基本として日中両国民の相互理解と友誼を増進し文化経済の交流と貿易の発展を促進し日中両国人民間の旅行従来を発展させるため双方が同意して相互の間に団体および個人の旅行斡旋を行つているのであるから、日中友好運動の成果に立つて両国双方の友好協会の間で調印発表された共同声明を会社の営業活動の指針として採択し正統本部支持の立場をとり日中友好協会と一切の関係を断つたのである。(三)同(三)の事実中、申請人P1がP5の推薦によつて入社したことは認めるが、日中友好協会の分裂後申請人らが会社の業務方針に従つて従前どおり担当業務に専念してきたことは否認し、その余は不知。(四)同(四)の各事実中、1 その1の事実は認める。申請人らからは共同声明を支持する旨の意見の表明があつた。2 同2の事実は認める。3 同3事実は不知。4 同4の事実は認める。5 同5の事実は認める。6 同6の事実中、P8常務において申請人らが日中友好協会の会員であることを確認したことは認めるが、その余は争う。P8は日中友好を経営の基本方針とする会社にとつて日中友好はその存立にかかわる重大問題であるところ、日中友好協会は表面では日中友好を唱えながら裏面では反中国活動を行い、日中友好を阻害する組織であるため申請人らもこの点をよく理解してもらわねば困る旨述べたのである。7 同7の事実は不知。8 同八の事実中、P8が申請人らに対してレポートの提出を命じたことは認めるが、申請人らの提出したレポートの内容は否認する。P8は申請人らが先に共同声明を支持する旨の意思を表明しながら、共同声明に反対の立場をとる日中友好協会の会員であることは矛盾するのでその見解を質したのに対し、申請人らはどこの会に加入していようとそれは勝手であるとして会社の営業の基本方針に対して反対の意見を持つことを明らかにした。9 同9事実は認める。P8は関西国貿促から関西営業所に対する渡航斡旋業者としての指定取消通告について、それが会社の存立にかかわる重大なものであることを強調して説明し、会社の営業方針と真の日中友好について理解を深めてもらうため自宅勤務の業務命令を出した。10 同10の事実中、P8が昭和四二年三月七日申請人らおよびその所属組合の幹部と団体交渉をしたこと、休職中賃金を支払う旨言明したことは認めるが、その余は争う。自宅勤務の業務命令を必要とする理由として、会社の営業方針、真の日中友好、中国事情、前記指定取消による会社の重大な経営危機等について十分勉強してもらうものである旨述べた。11 同11の事実中、P8が同月一四日に第二回の団体交渉を持つたこと、自宅勤務中のテキストとして申請人ら主張の資料を挙げたこと、第三回の団体交渉を同月二八日に開くことを申合わせたことは認めるが、その余は争う。その際P8は、関西営業所は閉鎖しないように努力したいが、会社の経営上やむを得ない場合のあることをほのめかした。当時関西国貿促に対して指定取消の撤回について種々運動中であつたが見通しは極めて困難であつた。申請人らの身分変更等について組合と事前協議する旨の約束はしていないし、この争議解決のための暴力は使わない旨言明した事実はない。同月二日の自宅勤務申渡直後申請人らは所属組合の組合員ら約三〇名とともに関西営業所に押し寄せ数時間に亘り同所を占拠し、翌三日同じく数十名の者らが同所を占拠して団体交渉を迫り布団を持ち込み長期占拠の構えを示し、その後事実を曲げて誇大宣伝ビラの配布を始め、同月一四日の団体交渉においては当初実力を以て正統本部員で会社の嘱託P9を席上から押し出す等暴力行使の兆が見えたので、暴力を使わない旨申請人らや組合員に確約させたのである。自宅勤務中のテキストは中国事情を知るための資料として例示したにすぎない。(五)同(五)の各事実中、1 その1の事実中、同月二六日関西営業所を閉鎖したことは認める。2 同2の事実は認める。3 同3の事実は否認する。4 同4の事実中、会社独自の企画による訪中参観団の募集が行われていたことは認めるが、その余は争う。右募集は関西営業所の業務全体からみれば微々たるものであつた。5 同5の事実は否認する。三、本件解雇に至つた事情(一)日中友好協会の設立と運動経過および本件会社の設立1 日中友好協会は昭和二五年一〇月一日、(1)日本国民の誤つた中国観を反省しその是正に努力する、(2)日中両国民の相互理解と協力の下に文化交流に努力する、(3)日中両国の経済建設と人民生活の向上に資するため日中貿易促進に努力する、(4)日中両国民の友好提携により相互の安定と平和を図り世界平和に貢献する、ことを目的とし一党一派に偏した狭い範囲の国民に限らず階級、職業、政治的信条を問わず会員になり得るものとして設立された。2 その後日中友好協会は全面講和、日中貿易の促進、文化学術の交流等に積極的にとり組み、日中関係は国交未回復のまま民間ベースにおいて注目すべき進展を遂げたが、岸内閣の対中国政策と長崎における中国国旗侮辱事件発生等のため日中貿易も一時中断した。3 しかしながら日本間の友好を期待する中国は日中関係打開の方法として、(1)中国を敵視しないこと、(2)二つの中国をつくり出す陰謀に加担しないこと、(3)日中国交回復を妨げないこと、といういわゆる政治三原則を日中友好協会代表者に示し、この立場に立つた貿易三原則と政経不可分の原則による友好貿易を提唱したので、日中友好協会をはじめ日中貿易促進会、日中国際貿易促進協会等は右諸原則を承認した友好的な貿易商社を中国国際貿易促進委員会に紹介し、ここにこれらの商社によつていわゆる友好貿易という形で日中貿易が再開された。そして右友好貿易は次第に発展し、その後いわゆるLT貿易協定も結ばれるに至り、右友好貿易とLT貿易とによる日中間の貿易は年間総額六億ドルを超え、貿易高による相手国順位では米、加、豪に次いで第四位となつた。4 ところで昭和三九年一月中仏間の国交樹立が契機となり同年二月一三日本邦各界の代表的人物二五氏によつて日中国交回復の呼びかけがなされ、これに副つて日中友好協会の同年度の運動方針が決定され、同年九月中国訪問希望者が友好的に中国を訪問できるよう旅行斡旋の組織をつくることとなり本件会社が設立された。(二)日中友好協会分裂の経緯と実情1 日本共産党は昭和四一年四月同党P20書記長の訪中帰国後、対中国方針に急激かつ決定的な変更をなし、党本部支部の建物から毛沢東の肖像を撤去し、中国映画の上映禁止、中国関係雑誌の購読禁止、同年度に実施予定の第二次日中青年大交流の実施妨害、中国青年代表団の入国妨害等の反中国活動をなし、これによつて原水禁大会および日中貿易に波瀾を生ぜしめるとともに、当時全国に四〇〇支部、六万会員を擁する日中友好協会内においても運動妨害を始めた。ここにおいて右事態を憂慮する者らによつて前記「三二氏の呼びかけ」がなされた。2 中国各界の五二氏は同年一〇月五日右「呼びかけ」を支持する声明をなし、同月一二日には日中友好協会と中日友好協会との共同声明がなされ、次いで日中友好協会内で同月二五日右共同声明承認のための常任理事会が開かれるや、日本共産党系の常任理事一三名は議事妨害を重ね、四三名の常任理事が承認するにもかかわらず採決反対を怒号し、ここに日中友好協会は分裂した。3 日本共産党はその後ますます反中国路線を強力に推進し、北九州、名古屋両市における中国展を妨害し、中国研究に対する妨害活動を強化し、学術交流にも不当な干渉を加え、日中間の交流を妨害するため中国への渡航者に対しては極力これを阻止することに努め、正統本部に登録した者には除名の制裁を加えるなどしたが、一方同党所属分子の残存団体となつた日中友好協会も本件会社で取扱中の第一次教職員訪中参観団員一三名に対して旅行の取消を強制するほか、会社で編成実施を計画中の訪中参観団に対して妨害活動をしたため岐阜県既製服業者外一七団体による訪中参観団の編成実施ができなくなり、会社は甚大な損害を蒙つた。このような日本共産党の反中国路線は遂に昭和四二年二月二八日から同年三月二日にかけて東京善隣学生会館における同党員の在日中国人学生に対する暴力による流血事件を惹起するに至つた。(三)関西国貿促の関西営業所に対する渡航斡旋業者としての指定取消1 関西国貿促とその所属の友好商社は、対中国貿易および旅行斡旋が前記諸原則を承認する友好的な企業に限つて中国から認められている状態の下で、日中間の貿易や人事の交流を拡大するについて、表面では日中友好を装いながら日本共産党の反中国路線に同調し反中国活動を支持推進している日中友好協会に関西営業所勤務の申請人らが所属していることを重視した。2 昭和四一年夏の第二次日中青年大交流に際し、これに参加予定の日中友好学院代表団および関西各界青年代表団の渡航申込者名簿が関西営業所の従業員から日本共産党大阪府委員会に洩れるという事態が発生した。同党はその立場上右渡航者に対し渡航妨害の措置に出ることは十分に予想されるのであるから、右名簿についてはこれが同党に洩れたりしないように十分注意をしなければならないにもかかわらず、これが洩れたということについて、関西国貿促は関西営業所の中に同党に同調し日中友好協会に所属する申請人らのいることが問題であると考えた。3 よつて関西国貿促は昭和四二年三月一日関西営業所について中国渡航斡旋業者としての指定を取消した。(四)関西営業所の業務内容と経理状態1 関西営業所は開設以来欠損を続け、昭和四〇年六月から昭和四一年三月までの間金二六七万六、九六七円、同年四月から昭和四二年三月までの間金二九二万一、五四七円の赤字を計上した。2 右営所業所開設初期の欠損はやむを得ないとしても、第三年度を迎え日中友好の基本的方針に立つて中国国際旅行社総社、日本国内の友好商社、対中国関係貿易団体諸機関等の信頼と支持を得て採算のとれる営業活動を行わなければならない時期にさしかかつていた。3 右営業所の業務内容は、関西国貿促関係の経済人等の渡航斡旋と個人の渡航斡旋とに大別できるが、前者は参観団客、渡航手続客を合わせて全体の約六八パーセント、営業収益の面からみると五〇パーセントを越えていたばかりでなく、毎年春秋の広州交易会に参加する客および経済視察団等を取扱つていたが、それは何時渡航希望者があるか判らない一般の客と異なり特定した固定客であり、しかも年を追つて増加し、近い将来同営業所収益の大部分を占めるものとみられていた。(五)前記指定取消の関西営業所に及ぼした影響1 前記指定取消により関西国貿促友好商社部会訪中代表団の渡航斡旋業務は停止となり、春季広州交易会渡航斡旋業務は取消され、取扱予定の天津科器展参観団、友好商社部会参観団の斡旋も不能となり、よつて金五八五万八、五六二円の営業収益を失つたほか、昭和四二年度訪中参観団の特色をなすものとみられていた業種別参観団の編成計画もすべて実施不能となり、同営業所が関西国貿促関係の渡航業務を主に取扱つていたところから、右取消によつて受ける経済的打撃は決定的であり、その社会的信用の失墜も大きく、もはやその存立は不能とみられるに至つた。2 会社も全般に経営基盤が弱く当時収支がようやく償う程度であつたところから、将来大きな負担となる同営業所を抱えていくことは困難であつた。(六)関西営業所の閉鎖1 会社は前記指定取消が同営業所にとつてその存立にかかわる重大事であるところから、関西国貿促にその意図のあることを知つた昭和四二年二月末頃関西国貿促に対し申請人ら従業員に対する教育や、特に問題となつていた申請人P1の担当換によつて不信の念を除去してもらうように働きかけ、また取消問題の発端となつた友好商社部会の役員にもP8常務をして働きかけ、東京の国貿促にも口添えを頼み、指定取消にならないように、また取消後はその撤回方を懇請し、同営業所の存続には努力を傾けたが、遂に右指定取消を撤回させるに至らず、やむなく閉鎖することとなつた。2 会社は当時日中関係の団体である日中貿易促進会においてその解散後従業員によつて事業場が占拠され、また大阪の友好商社である東邦商会においても倒産後従業員によつて事業所が占拠されたことを聞知しており、右閉鎖決定の事実が外部に洩れると、申請人らやその所属の労働組合員によつて事務所を占拠せれることが確実であると考えられたので、やむなく抜き打ち閉鎖の措置をとつた。3 そして会社は各取引先に対して右閉鎖の旨を通知するとともに、陸運局に対して営業所廃止の届出をした。(七)申請人らの解雇
 会社が関西営業所の閉鎖によつて申請人らを東京本店に配置転換することなど解雇以外の措置をとらず同人らを解雇したのは次の事情による。1 申請人らは勤務態度が悪く業務に不熱心であつた。申請人らは友好商社である東邦商会から受領した金一七万円の小切手につき直ちに呈示の手続をとらず同商会の倒産後まで放置していたため取立不能となり会社に損害を与えた。また業務上の秘密である昭和四一年夏の第二次日中青年大交流に参加予定の日中友好学院代表団および関西各界青年代表団の詳細な資料を日本共産党大阪府委員会統一戦線部員P14に洩らして同党の渡航妨害に便宣を与え、更に資料の郵送依頼をしてきたP21が正統本部に属していることを依頼発信人名義から察知して同党に通報して同党の同人に対する除名処分の根拠を与えるなどして、会社の信用を失墜させた。2 東京本店では申請人らを受け入れる余裕がなく、また同人らを本店に配置換すると国貿促、関西国貿促および友好商社等から東京本店についても中国渡航斡旋業者としての指定を取消される危険が極めて大きかつた。事実、日綿実業ではその直後東京本店について渡航斡旋業者の指定から外して他の旅行社に切換えた。3 中国側においても中国国際旅行社総社が渡航斡旋業者であつた株式会社富士国際旅行社に非友好的な行動があつたとして昭和四二年四月同社との間の渡航業務に関する特約を破棄しており、国交未回復の下での対中国関係諸団体はその従業員に非友好的言動があればとうていその存立は不可能であり、申請人らを東京本店に配置換すると会社についても中国国際旅行社総社から右措置に出られる恐れが大きかつた。4 会社には中国渡航斡旋以外の事業目的もあつたが、そのいずれも未だ現実にはこれに着手しておらず、将来主たる事業活動が充実安定しある程度の蓄積ができた後これに着手する予定であつたのにすぎないから、申請人らを東京本店において中国渡航斡旋以外の業務に就かせるという措置をとることもできなかつた。四、抗弁
 仮に、本件解雇が申請人ら主張のとおり、日中友好協会に所属する申請人らを会社から排除するため関西営業所の閉鎖を偽装してなされたものであるとしても、右解雇は次の理由によつて有効である。(一)会社は前記のとおり、元来日中両国間の友好関係を深めることを目的として設立されたもので、その目的からして反中国的言動をとることは許されず、また事実上中国渡航斡旋の専門企業で、右渡航斡旋は中国の国営企業である中国国際旅行社総社との間に特別な契約を締結してはじめて可能であり、しかも右契約は日中間のいわゆる政治三原則、貿易三原則および政経不可分の原則を承認したうえその基盤の上に成立しているものであるから、その後右各原則を敷衍した共同声明を支持することもまた右契約を存続させるために欠くことのできないものである。もし右立場をとらないならば右立場をとる中国渡航者から渡航斡旋の依頼を受け得ないだけでなく、中国国際旅行社総社から契約を破棄されることは必定で、その存立は全く不能である。したがつて会社としては中国との友好を目的とし前記諸原則および共同声明を承認支持する正統本部を積極的に支持していかねばならず、これがその存立の条件である。(二)よつて会社は申請人らを含めその従業員を雇用するに際しては、右趣旨を説明し十分納得させて雇用しているのであるから、その従業員においても反中国的言動をしたりまた反中国的団体を支持することは許されない。しかるに申請人らは、昭和四一年四月のP20書記長の訪中帰国以来中国の文化大革命に対し独自の評価をして反中国路線をとり日中間の交流について妨害をなし中国に離反した日本共産党の党員であり、また日中友好協会の分裂後は正統本部に所属せず同党傘下の一団体となつて中国から敵視されている日中友好協会に残留している。(三)会社はその特殊な目的、形態、存立基盤からして、右各団体に所属することによつて関西国貿促その他日中友好を建前とする団体、商社等から不信をかつている申請人らをそのまま受け入れておくことは事業の遂行に支障を来すというにとどまらず、その存立自体を脅かされるものであるから、自らの存立を全うするために同人らを排除することには合理的理由があるものということができる。五、法律上の主張
 申請人らは、申請人らが日中友好協会を支持し正統本部の方針や行き方に反対するのは憲法一四条および労基法三条にそれぞれ定められた信条に該当するので、このことを理由に解雇するのは右各法条に違反する旨主張するのであるが、右見解は正当でない。(一)そもそも信条は主として宗教的な信仰ないし信念を意味するものであるが、そのほかにも社会ないし世界に関する根本的な考え方、見方即ち世界観または人生観といわれるような信念をも含むものである。民主主義は個人の尊厳をその根本原理とするものであるから、その根本的な考え方、見方はそれが宗教的信仰に基づくものであると否とを問わずそれをどこまでも尊重すべきものとしそれを理由とする差別的取扱を不合理とみるのである。しかし信条についてはそれ以上に出て政治的意見即ち個々の具体的な政治問題についての意見ないし主張をも含むものと解すべきではない。各人は政治的な信念の自由を有し、また政治的意見の自由を有するが、政治的意見は人生観や世界観と違つて常に国の具体的な政治の方向について実践的な志向を有するものである。したがつて特定の政治的立場をとる憲法体制はその政治的立場そのものを破壊しようとする政治的意見を持つ者に対しては自らの存立を防衛するために多かれ少なかれ差別的取扱をする必要に迫られることがある。その場合にそうした政治的意見を信条に含まれると解し、それによる差別的取扱が全面的に禁止されると解することは、憲法そのものを暴力で破壊しようとする意見を主張する者を国の統治組織から排除することさえできなくなるのであつて、これは憲法の自殺を要求することにほかならず、極めて不条理である。そして憲法一四条の直接適用を受ける公務員関係を律する国家公務員法二七条および地方公務員法一三条によると、そこでは信条と政治的意見とを区別し、信条についてはその差別的取扱を全面的に禁止するが、政治的意見については原則として差別的取扱を禁止し、ただ憲法またはその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、またはこれに加入した者については官職につく能力がないものとして例外的に差別的取扱を認めているのであつて、このことは信条の中には政治的意見は含まれず、したがつて政治的意見による差別も合理的理由がある限り許されるものとする立法者の態度を明らかにするものであり、右態度は憲法一四条に適合し是認されるべきである。これを要するに憲法一四条にいう信条とは専ら宗教的倫理的ないしは政治的な基本的信念を指すものであつて政治的意見はそれに含まれないと解すべきであり、したがつて合理的な理由がある限り政治的意見による差別は憲法上許される。そして右差別はこれを禁止すべきであるか、またどのような方法と程度において禁止するかはすべて立法に委ねられているものと解すべきである。(二)労基法三条は憲法一四条の定める法の下の平等の原理を私人間の関係としての労働関係に適用したものであるから、特別な理由のない限り、そこに規定された信条は憲法一四条所定の信条と同一であり、原則として政治的意見を含まないと解すべきである。そしてその理由は前記国家公務員法および地方公務員法(以下、両公務員法という。)の場合よりも一層強いものである。それは、まず両公務員法においては前記のとおり例外を認めながらも原則としては政治的意見による差別的取扱を禁ずる旨を定めているが労基法には政治的意見による差別的取扱を禁ずる旨の規定がないこと、そして私人間の関係である労働関係においては労働者の政治的意見の自由が尊重されるべきであるのと同じく使用者の政治的意見の自由も尊重されなければならず、ここでは労働者の政治的意見の自由と使用者のそれとが矛盾衝突する場合を生ずるが、私人間の雇用関係は契約に基づく結合であるから、労働者と使用者との間にそうした矛盾衝突を生じた場合には一方を尊重して他方を否定することによつてではなく、双方を等しく尊重することによつて、即ちこの場合についていえば解雇の方法を以て双方を隔離することにより解決するほかはないこと等によつて明らかである。


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女性の再婚禁止期間の合理性 最高裁平成7年12月5日第3小法廷判決

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嫡出性の有無による法定相続分差別 最高裁平成7年7月5日大法廷判決

判示事項:
  民法九〇〇条四号ただし書前段と憲法一四条一項

要旨:
  民法九〇〇条四号ただし書前段は、憲法一四条一項に違反しない。



参照・法条:
  憲法14条1項,民法900条

内容:
 件名  遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告 (最高裁判所 平成3(ク)143 大法廷・決定 棄却)
 原審  東京高等裁判所


主    文

     本件抗告を棄却する。
     抗告費用は抗告人の負担とする。
         
理    由
 抗告代理人榊原富士子、同吉岡睦子、同井田恵子、同石井小夜子、同石田武臣、同金住典子、同紙子達子、同酒向徹、同福島瑞穂、同小山久子、同小島妙子の抗告理由について
 所論は、要するに、嫡出でない子(以下「非嫡出子」という。)の相続分を嫡出である子(以下「嫡出子」という。)の相続分の二分の一と定めた民法九〇〇条四号ただし書前段の規定(以下「本件規定」という。)は憲法一四条一項に違反するというのである。
 一 憲法一四条一項は法の下の平等を定めているが、右規定は合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではない(最高裁昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、最高裁昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁等参照)。
 そこで、まず、右の点を検討する前提として、我が国の相続制度を概観する。
 1 婚姻、相続等を規律する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない旨を定めた憲法二四条二項の規定に基づき、昭和二二年の民法の一部を改正する法律(同年法律第二二二号)により、家督相続の制度が廃止され、いわゆる共同相続の制度が導入された。
 現行民法は、相続人の範囲に関しては、被相続人の配偶者は常に相続人となり(八九〇条)、また、被相続人の子は相続人となるものと定め(八八七条)、配偶者と子が相続人となることを原則的なものとした上、相続人となるべき子及びその代襲者がない場合には、被相続人の直系尊属、兄弟姉妹がそれぞれ第一順位、第二順位の相続人となる旨を定める(八八九条)。そして、同順位の相続人が数人あるときの相続分を定めるが(九〇〇条。以下、右相続分を「法定相続分」という。)、被相続人は、右規定にかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるものとし(九〇二条)、また、共同相続人中に、被相続人から遺贈等を受けた者(特別受益者)があるときは、これらの相続分から右受益に係る価額を控除した残額をもって相続分とするものとしている(九〇三条)。
 右のとおり、被相続人は、遺言で共同相続人の相続分を定めることができるが、また、遺言により、特定の相続人又は第三者に対し、その財産の全部又は一部を処分することができる(九六四条)。ただし、遺留分に関する規定(一〇二八条、一〇四四条)に違反することができず(九六四条ただし書)、遺留分権利者は、右規定に違反する遺贈等の減殺を請求することができる(一〇三一条)。
 相続人には、相続の効果を受けるかどうかにつき選択の自由が認められる。すなわち、相続人は、相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない(九一五条)。
 九〇六条は、共同相続における遺産分割の基準を定め、遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする旨規定する。共同相続人は、その協議で、遺産の分割をすることができるが(九〇七条一項)、協議が調わないときは、その分割を家庭裁判所に請求することができる(同条二項)。なお、被相続人は、遺言で、分割の方法を定め、又は相続開始の時から五年を超えない期間内分割を禁止することができる(九〇八条)。
 2 昭和五五年の民法及び家事審判法の一部を改正する法律(同年法律第五一号)により、配偶者の相続分が現行民法九〇〇条一号ないし三号のとおりに改められた。すなわち、配偶者の相続分は、配偶者と子が共同して相続する場合は二分の一に(改正前は三分の一)、配偶者と直系尊属が共同して相続する場合は三分の二に(改正前は二分の一)、配偶者と兄弟姉妹が共同して相続する場合は四分の三に(改正前は三分の二)改められた。
 また、右改正法により、寄与分の制度が新設された。すなわち、新設された九〇四条の二第一項は、共同相続人中に、被相続人の事業に関する労務の提供又は財産上の給付、被相続人の療養看護その他の方法により被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額から共同相続人の協議で定めたその者の寄与分を控除したものを相続財産とみなし、法定相続分ないし指定相続分によって算定した相続分に寄与分を加えた額をもってその者の相続分とする旨規定し、同条二項は、前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、同項に規定する寄与をした者の請求により、寄与の時期、方法及び程度、相続財産の額その他一切の事情を考慮して、寄与分を定める旨規定する。この制度により、被相続人の財産の維持又は増加につき特別の寄与をした者には、法定相続分又は指定相続分以上の財産を取得させることが可能となり、いわば相続の実質的な公平が図られることとなった。
 3 右のように、民法は、社会情勢の変化等に応じて改正され、また、被相続人の財産の承継につき多角的に定めを置いているのであって、本件規定を含む民法九〇〇条の法定相続分の定めはその一つにすぎず、法定相続分のとおりに相続が行われなければならない旨を定めたものではない。すなわち、被相続人は、法定相続分の定めにかかわらず、遺言で共同相続人の相続分を定めることができる。また、相続を希望しない相続人は、その放棄をすることができる。さらに、共同相続人の間で遺産分割の協議がされる場合、相続は、必ずしも法定相続分のとおりに行われる必要はない。共同相続人は、それぞれの相続人の事情を考慮した上、その協議により、特定の相続人に対して法定相続分以上の相続財産を取得させることも可能である。もっとも、遺産分割の協議が調わず、家庭裁判所がその審判をする場合には、法定相続分に従って遺産の分割をしなければならない。
 このように、法定相続分の定めは、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて、補充的に機能する規定である。
 二 相続制度は、被相続人の財産を誰に、どのように承継させるかを定めるものであるが、その形態には歴史的、社会的にみて種々のものがあり、また、相続制度を定めるに当たっては、それぞれの国の伝統、社会事情、国民感情なども考慮されなければならず、各国の相続制度は、多かれ少なかれ、これらの事情、要素を反映している。さらに、現在の相続制度は、家族というものをどのように考えるかということと密接に関係しているのであって、その国における婚姻ないし親子関係に対する規律等を離れてこれを定めることはできない。これらを総合的に考慮した上で、相続制度をどのように定めるかは、立法府の合理的な裁量判断にゆだねられているものというほかない。
 そして、前記のとおり、本件規定を含む法定相続分の定めは、右相続分に従って相続が行われるべきことを定めたものではなく、遺言による相続分の指定等がない場合などにおいて補充的に機能する規定であることをも考慮すれば、本件規定における嫡出子と非嫡出子の法定相続分の区別は、その立法理由に合理的な根拠があり、かつ、その区別が右立法理由との関連で著しく不合理なものでなく、いまだ立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えていないと認められる限り、合理的理由のない差別とはいえず、これを憲法一四条一項に反するものということはできないというべきである。
 三 憲法二四条一項は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する旨を定めるところ、民法七三九条一項は、「婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによつて、その効力を生ずる。」と規定し、いわゆる事実婚主義を排して法律婚主義を採用し、また、同法七三二条は、重婚を禁止し、いわゆる一夫一婦制を採用することを明らかにしているが、民法が採用するこれらの制度は憲法の右規定に反するものでないことはいうまでもない。
 そして、このように民法が法律婚主義を採用した結果として、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との区別が生じ、親子関係の成立などにつき異なった規律がされ、また、内縁の配偶者には他方の配偶者の相続が認められないなどの差異が生じても、それはやむを得ないところといわなければならない。
 本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に嫡出子の二分の一の法定相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとしたものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される。これを言い換えれば、民法が法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものであると解される。
 現行民法は法律婚主義を採用しているのであるから、右のような本件規定の立法理由にも合理的な根拠があるというべきであり、本件規定が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一としたことが、右立法理由との関連において著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって、本件規定は、合理的理由のない差別とはいえず、憲法一四条一項に反するものとはいえない。論旨は採用することができない。
 よって、本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとし、裁判官園部逸夫、同可部恒雄、同大西勝也の各補足意見、裁判官千種秀夫、同河合伸一の補足意見、裁判官中島敏次郎、同大野正男、同高橋久子、同尾崎行信、同遠藤光男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
 裁判官可部恒雄の補足意見は、次のとおりである。
 私は、非嫡出子の相続分についての本件規定が憲法一四条一項に違反する旨の所論は理由がないとする多数意見に与する者であるが、右規定をもって違憲とする個別意見に鑑み、多数意見に付加して、以下に若干の所見を述べておくこととしたい。
 一 民法は法律婚主義を採り、しかも一夫多妻ないし一妻多夫を禁ずる一夫一婦制を採用している。現実の社会における男女の結付きの態様は様々で、国により時代により多くの変遷のあることが伝えられるが、なお、法が一夫一婦制による法律婚主義を採用していること自体については、我が国においても、今日、格別の異論を見ないところといってよいであろう。いま問題とされているのは、法律婚主義の是非ではなく、婚姻制度が法律婚主義による場合、必然的に生ずべき婚外子と婚内子との相続分割合の当否にほかならない。
 およそ資産を有する者は、何びとであれ、これを生前に贈与し、遺贈し、又は相続分の指定をすることができるが、かかる措置が採られない場合の補充的規定として本件規定を含む相続分に関する定めが置かれ、法定相続人の第一は被相続人の配偶者とされている。配偶者が子と共同で相続する場合につき、その法定相続分は、かつての三分の一から昭和五五年法律第五一号による改正により二分の一に増大された。それでは残余の二分の一を相続する者は誰か。それは相続人の筆頭者として、また多くの場合、老後の生計を被相続人の遺産によることを余儀なくされる配偶者として、最大の関心事とならざるを得ない事項であろう。欧米諸国に比し、不動産価格が異常に高額に上る我が国の現状において、遺産の主たるものが居住用不動産である場合を想起すれば、まことに無理からぬことといえる。
 配偶者が二分の一とされる法定相続分の、残余の二分の一の相続人として予定される者は、もとより被相続人の子であるが、この場合、一夫一婦制による法律婚主義を採る以上、配偶者に次ぐ相続人となるべき者が婚内子であることは、法の当然に予定するところというべきであろう。もとより社会の実情として、被相続人の子が婚外子として出生する現実の可能性を否定することはできず、法律婚の外で出生した者も被相続人の子としてその相続人たることは否定されるべきではない(我が国においては、欧米におけると異なり、婚外子による相続を否定する考えに乏しいといってよい)。しかし、相続分の割合に至るまで婚内子(嫡出子)と一律平等でなければならないとすることは、被相続人との間に法律婚による家庭を築いた配偶者の立場からしても、たやすく容認し難いところであろう。
 以上の所見に対しては、嫡出子と非嫡出子との相続分に差等を設けても婚外子(非婚出子)の出生を妨げることはできないとする議論がある。しかし、今ここで論ぜられているのは、この両者の扱いを必ずしも同等にしない(相続分に差等を設ける)ことが、果たして法律婚を促進することになるかという、いうなれば安易な目的・効果論の検証ではなく、およそ法律婚主義を採る以上、婚内子と婚外子との間に少なくとも相続分について差等を生ずることがあるのは、いわば法律婚主義の論理的帰結ともいうべき側面をもつということなのである。
 二 次に、特段の言及を要するのは「家」の制度との関係である。
 戦後、日本国憲法の制定施行に伴い、旧民法の「家」の制度は廃止され、家族は「戸主」の下における生活共同体ではなく、両性の合意のみに基づいて成立した婚姻による夫婦を中心とするものに変容した。
 もっとも、正当な法律婚による夫婦も必ずしも子に恵まれるとは限らず、この場合、法の予定するところは「養子」の制度であるが、血統の継続を尊重する立場からは、婚内子であると否とを問わぬ血統の承継者が要求されることになる。その背景をなすのが「家」の制度であって、血統の承継の要求は男系たると女系たるとを問わない。本件がそのよい例である。
 この事案において、亡aは一人娘(長男死亡のための一人子)であって、a家の後継者としての婿養子選びのための試婚が繰り返された挙句、婚姻に至らなかった相手方甲との間に出生した子乙の相続人の一人が被相続人aの遺産につき遺産分割の申立てをしたものであるが、aが後に迎えた婿養子との間に子がなければ、形式上婚外子となった乙がaの家系を継ぐことになったであろう。これが「家」の制度であって、「家」の制度は、むしろ血統の維持・承継のため婚外子を尊重するものであり、嫡出子と非嫡出子との間の相続分についての差等の問題が、「家」の制度と無関係であることは、大陸法系諸国のそれと対比するまでもなく明らかなところである。
 三 本件規定の合違憲性を論ずるに当たっては、内外の法制を比較検討するにとどまらず、我が国の社会事情の下における紛争の実態として、本件規定が憲法一四条一項所定の平等条項違反を現実に招来せしめているか、を事案に即して観察する必要がある。ここで特に指摘すべきものは、本件と同時に審理される別件(平成五年(ク)第三〇二号)にみる如き事案である。以下にその概略を記すこととする。
 この事案において、被相続人甲には、非嫡出子としてA女、B男、C男の三名、嫡出子として前妻乙の連れ子を養子としたD男、E男及び乙との間に出生したF女の六名があったところ、B男が乙の妹と婚姻して家業を継ぎ、一家の中心的存在となっている。甲の死亡により遺産相続の問題を生じたが、A、C、D、Eの四名はそれぞれの法定相続分をB男に譲渡して同人の側に与したため、F女は一人孤立した形で、相続分もB男が九分の七、F女が九分の二となったところ、原審は、F女の申立てにかかる遺産分割事件において、B男の居住する土地建物を分割することなく、B男よりF女に相応の調整金を支払うべきものとした。
 これに対し、B男から、甲の子六名は嫡出子たると非嫡出子たるとを問わず、その法定相続分はそれぞれ一律に六分の一(すなわち一八分の三)であるべきにかかわらず、F女の相続分を、これを超える九分の二(すなわち一八分の四)として算出された右調整金の支給は、憲法一四条一項に違反するとして特別抗告に及んだ、というのが別件であって、平等条項違反の論旨は、右にみるような具体的紛争にそぐわないものとするほかはない。
 四 本件ないし別件にみるような紛争の実態については前述のとおりであるが、一般に、男女の結合、婚姻の実情については千差万別というべきものがあろう。しかし、立法の実際においては、婚外子に相続権を認めるべきか否か、これを認めるとして婚内子(嫡出子)と一律平等の扱いを是とすべきか、もし相続分において差等を設けるとすれば幾許を可とすべきか、千差万別の実情の中においても、立法として一律画一的な線を引くことを余儀なくされる。
 いま本件において論ぜられているのは、しばしば引用されるアメリカの判例に見られるような、非嫡出子(婚外子)に被相続人の子としての権利それ自体を否定した立法の当否ではなく、婚外子をも被相続人の相続人の一に加えることを当然の前提とした上での、相続分割合の当否をいうものにほかならない。
 これを要するに、一夫一婦制による法律婚主義を採用し、これを維持すべきものとする前提に立つ以上、生前贈与、遺贈又は相続分の指定のない場合の補充的規定としての相続分に関する民法の定めにおいて、嫡出子の一に対し非嫡出子をその半ばとした本件規定の当否は、もとより立法裁量の範囲内に属し、違憲の問題を生ずべき実質を有しないものといわなければならない。
 裁判官大西勝也の補足意見は、次のとおりである。
 私は、本件規定による非嫡出子の相続分の定めが、合理的理由のない差別として憲法一四条一項に違反するものとはいえない、とした多数意見に同調するものであるが、その理由として考えているところを若干補足することとしたい。
 一 現行民法が法律婚主義を採用している以上、婚姻関係から出生した嫡出子と婚姻外の関係から出生した非嫡出子との間に、親子関係の成立や相続に関する規律において、何らかの差異が生じたとしてもやむを得ないし、また、正当な婚姻関係とこれによって形成された家族を保護するとともに、非嫡出子の保護をも図ったとされる本件規定の立法理由に合理的根拠があると考えられることは、いずれも多数意見のいうとおりである。
 本件規定は、旧法制定当時の同様の規定が昭和二二年の改正の際にもそのまま維持されたものであって、いずれもそれぞれの時点における我が国の社会的諸条件の下においては、それなりの合理性を有していたものといえるであろう。
 二 しかし、その後の我が国の社会事情、国民感情等の変化には著しいものがある。
 まず、相続財産は、かつては多くの場合、子孫の生活手段としての家産であったが、職業の世襲が例外的になった現在では、そのような意味はほとんど失われようとしており、家族資産の意義の変化に伴い、相続の根拠に関する社会の意識にも変化が見られることは明らかであって、昭和五五年に行われた配偶者相続権の拡大等もこの変化に沿ったものということができる。
 家族についてみても、かつては数世代が共同して生活を営むことにより構成するのが通常であったが、現在では少子、高齢化が進むとともに、一世代か二世代の小人数の家族が多数を占め、さらには、いわゆるシングルライフも次第に増加しつつあるし、婚姻についても、事実婚ないし非婚の増加の傾向を指摘する向きもある。
 このように、相続及び相続と密接な関連を有する婚姻、親子ないしは家族の形態とこれらの点についての国民の意識は、激しく変化してきたし、現在もなお流動を続けている。
 三 我が国を取り巻く国際的な環境の変化もまた見逃すことはできない。
 市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号)二四条は、すべての児童は、出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置についての権利を有する、とし、同二六条は、法律は、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する、と定め、さらに、児童の権利に関する条約(平成六年条約第二号)二条は、児童に対し、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する、と規定している。
 また、ヨーロッパ諸国の大部分は、非嫡出子の増加現象が一つの契機となって、おおむね一九六〇年代ころまでに、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分と同等とする法改正を行ったし、最近でも、嫡出家族保護の伝統が強くて平等化を図る法改正が実現しなかった国もあるが、完全な平等には至らないとしても、配偶者や嫡出子の権利との調整を図りながら、平等化に向かっている国も存在する。
 四 以上のように、本件規定の対象とする非嫡出子の相続分をめぐる諸事情は国内的にも国際的にも大幅に変容して、制定当時有した合理性は次第に失われつつあり、現時点においては、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えているとまではいえないとしても、本件規定のみに着眼して論ずれば、その立法理由との関連における合理性は、かなりの程度に疑わしい状態に立ち至ったものということができる。
 五 しかし、民法は、私人間の諸利益の調整の上に成り立っているから、一つの利益だけを他の利益と切り離して考察するのは相当ではない。相続に関する規律は、取引行為におけるような純然たる財産的利益に関するものとはいえないにしても、身分関係に関する強行規定とは異なり、結局は被相続人の財産を誰にそしていかに分配するかの定めであり、しかも、本件規定は、被相続人の明示の意思としての遺言等がない場合に初めて適用される補充的な規定にすぎない。相続の根拠については、種々の考え方があるとしても、推定される被相続人の意思を全く無視することはできないし、ある者に対し相続によって得る利益をより強く保障することが、他の者が従来有していた利益にいかなる影響を及ぼすかの観点からする検討も必要である。本件規定の合理性を検討するに当たっては、非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分と平等とした場合、配偶者その他の関係人の利益を保護するための措置が必要かどうか等を含め、相続、婚姻、親子関係等の関連規定との整合性をも視野に入れた総合的な判断が必要であるといわなければならない。
 以上の点を考慮すると、立法政策として改正を検討することはともかく、現時点においては、本件規定が、その立法理由との関連において、著しく不合理であるとまでは断定できないというべきである。
 裁判官園部逸夫は、裁判官大西勝也の補足意見に同調する。
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尊属殺重罰と法の下の平等 尊属殺重罰規定判決 最高裁昭和48年4月4日大法廷判決

判例
S48.04.04 大法廷・判決 昭和45(あ)1310 尊属殺人(第27巻3号265頁)


判示事項:
刑法二〇〇条と憲法一四条一項


「目録:刑法二〇〇条と憲法一四条一項」


要旨:
  刑法二〇〇条は、憲法一四条一項に違反する。


参照・法条:
  憲法14条1項,刑法199条,刑法200条「目録:憲法14条1項,刑法199条,刑法200条,刑法203条」


内容:
 件名  尊属殺人 (最高裁判所 昭和45(あ)1310 大法廷・判決 破棄自判)
 原審  東京高等裁判所

主    文
     原判決を破棄する。
     被告人を懲役二年六月に処する。
     この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
         
理    由
 弁護人大貫大八の上告趣意中違憲をいう点について

 所論は、刑法二〇〇条は憲法一四条に違反して無効であるから、被告人の本件所為に対し刑法二〇〇条を適用した原判決は、憲法の解釈を誤つたものであるというのである。

 よつて案ずるに、憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、同項後段列挙の事項は例示的なものであること、およびこの平等の要請は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでないかぎり、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和三七年(オ)第一四七二号同三九年五月二七日・民集一八巻四号六七六頁)の示すとおりである。そして、刑法二〇〇条は、自己または配偶者の直系尊属を殺した者は死刑または無期懲役に処する旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基づき、同法一九九条の定める普通殺人の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重した、いわゆる加重的身分犯の規定であつて(最高裁昭和三〇年(あ)第三二六三号同三一年五月二四日第一小法廷判決・刑集一〇巻五号七三四頁)、このように刑法一九九条のほかに同法二〇〇条をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるというべきである。そこで、刑法二〇〇条が憲法の右条項に違反するかどうかが問題となるのであるが、それは右のような差別的取扱いが合理的な根拠に基づくものであるかどうかによつて決せられるわけである。

 当裁判所は、昭和二五年一〇月以来、刑法二〇〇条が憲法一三条、一四条一項、二四条二項等に違反するという主張に対し、その然らざる旨の判断を示している。もつとも、最初に刑法二〇〇条が憲法一四条に違反しないと判示した大法廷判決(昭和二四年(れ)第二一〇五号同二五年一〇月二五日・刑集四巻一〇号二一二六頁)も、法定刑が厳に過ぎる憾みがないではない旨を括弧書において判示していたほか、情状特に憫諒すべきものがあつたと推測される事案において、合憲性に触れることなく別の理由で同条の適用を排除した事例も存しないわけではない(最高裁昭和二八年(あ)第一一二六号同三二年二月二〇日大法廷判決・刑集一一巻二号八二四頁、同三六年(あ)第二四八六号同三八年一二月二四日第三小法廷判決・刑集一七巻一二号二五三七頁)。また、現行刑法は、明治四〇年、大日本帝国憲法のもとで、第二三回帝国議会の協賛により制定されたものであつて、昭和二二年、日本国憲法のもとにおける第一回国会において、憲法の理念に適合するようにその一部が改正された際にも、刑法二〇〇条はその改正から除外され、以来今日まで同条に関し格別の立法上の措置は講ぜられていないのであるが、そもそも同条設置の思想的背景には、中国古法制に渕源しわが国の律令制度や徳川幕府の法制にも見られる尊属殺重罰の思想が存在すると解されるほか、特に同条が配偶者の尊属に対する罪をも包含している点は、日本国憲法により廃止された「家」の制度と深い関連を有していたものと認められるのである。さらに、諸外国の立法例を見るに、右の中国古法制のほかローマ古法制などにも親殺し厳罰の思想があつたもののごとくであるが、近代にいたつてかかる思想はしだいにその影をひそめ、尊属殺重罰の規定を当初から有しない国も少なくない。そして、かつて尊属殺重罰規定を有した諸国においても近時しだいにこれを廃止しまたは緩和しつつあり、また、単に尊属殺のみを重く罰することをせず、卑属、配偶者等の殺害とあわせて近親殺なる加重要件をもつ犯罪類型として規定する方策の講ぜられている例も少なからず見受けられる現状である。最近発表されたわが国における「改正刑法草案」にも、尊属殺重罰の規定はおかれていない。

 このような点にかんがみ、当裁判所は、所論刑法二〇〇条の憲法適合性につきあらためて検討することとし、まず同条の立法目的につき、これが憲法一四条一項の許容する合理性を有するか否かを判断すると、次のように考えられる。

 刑法二〇〇条の立法目的は、尊属を卑属またはその配偶者が殺害することをもつて一般に高度の社会的道義的非難に値するものとし、かかる所為を通常の殺人の場合より厳重に処罰し、もつて特に強くこれを禁圧しようとするにあるものと解される。ところで、およそ、親族は、婚姻と血縁とを主たる基盤とし、互いに自然的な敬愛と親密の情によつて結ばれていると同時に、その間おのずから長幼の別や責任の分担に伴う一定の秩序が存し、通常、卑属は父母、祖父母等の直系尊属により養育されて成人するのみならず、尊属は、社会的にも卑属の所為につき法律上、道義上の責任を負うのであつて、尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値するものといわなければならない。しかるに、自己または配偶者の直系尊属を殺害するがごとき行為はかかる結合の破壊であつて、それ自体人倫の大本に反し、かかる行為をあえてした者の背倫理性は特に重い非難に値するということができる。

 このような点を考えれば、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。そこで、被害者が尊属であることを犯情のひとつとして具体的事件の量刑上重視することは許されるものであるのみならず、さらに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもつてただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはできず、したがつてまた、憲法一四条一項に違反するということもできないものと解する。

 さて、右のとおり、普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲であるとはいえないのであるが、しかしながら、刑罰加重の程度いかんによつては、かかる差別の合理性を否定すべき場合がないとはいえない。すなわち、加重の程度が極端であつて、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なものといわなければならず、かかる規定は憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならない。

 この観点から刑法二〇〇条をみるに、同条の法定刑は死刑および無期懲役刑のみであり、普通殺人罪に関する同法一九九条の法定刑が、死刑、無期懲役刑のほか三年以上の有期懲役刑となつているのと比較して、刑種選択の範囲が極めて重い刑に限られていることは明らかである。もつとも、現行刑法にはいくつかの減軽規定が存し、これによつて法定刑を修正しうるのであるが、現行法上許される二回の減軽を加えても、尊属殺につき有罪とされた卑属に対して刑を言い渡すべきときには、処断刑の下限は懲役三年六月を下ることがなく、その結果として、いかに酌量すべき情状があろうとも法律上刑の執行を猶予することはできないのであり、普通殺の場合とは著しい対照をなすものといわなければならない。

 もとより、卑属が、責むべきところのない尊属を故なく殺害するがごときは厳重に処罰すべく、いささかも仮借すべきではないが、かかる場合でも普通殺人罪の規定の適用によつてその目的を達することは不可能ではない。その反面、尊属でありながら卑属に対して非道の行為に出で、ついには卑属をして尊属を殺害する事態に立ち至らしめる事例も見られ、かかる場合、卑属の行為は必ずしも現行法の定める尊属殺の重刑をもつて臨むほどの峻厳な非難には値しないものということができる。

 量刑の実状をみても、尊属殺の罪のみにより法定刑を科せられる事例はほとんどなく、その大部分が減軽を加えられており、なかでも現行法上許される二回の減軽を加えられる例が少なくないのみか、その処断刑の下限である懲役三年六月の刑の宣告される場合も決して稀ではない。このことは、卑属の背倫理性が必ずしも常に大であるとはいえないことを示すとともに、尊属殺の法定刑が極端に重きに失していることをも窺わせるものである。

 このようにみてくると、尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点(現行刑法上、これは外患誘致罪を除いて最も重いものである。)においてあまりにも厳しいものというべく、上記のごとき立法目的、すなわち、尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない。

 以上のしだいで、刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役刑のみに限つている点において、その立法目的達成のため必要な限度を遥かに超え、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効であるとしなければならず、したがつて、尊属殺にも刑法一九九条を適用するのほかはない。この見解に反する当審従来の判例はこれを変更する。

 そこで、これと見解を異にし、刑法二〇〇条は憲法に違反しないとして、被告人の本件所為に同条を適用している原判決は、憲法の解釈を誤つたものにほかならず、かつ、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、所論は結局理由がある。

 その余の上告趣意について

 所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 よつて、刑訴法四〇五条一号後段、四一〇条一項本文により原判決を破棄し、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決することとする。

 原判決の確定した事実に法律を適用すると、被告人の所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱の状態における行為であるから同法三九条二項、六八条三号により法律上の減軽をし、その刑期範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、なお、被告人は少女のころに実父から破倫の行為を受け、以後本件にいたるまで一〇余年間これと夫婦同様の生活を強いられ、その間数人の子までできるという悲惨な境遇にあつたにもかかわらず、本件以外になんらの非行も見られないこと、本件発生の直前、たまたま正常な結婚の機会にめぐりあつたのに、実父がこれを嫌い、あくまでも被告人を自己の支配下に置き醜行を継続しようとしたのが本件の縁由であること、このため実父から旬日余にわたつて脅迫虐待を受け、懊悩煩悶の極にあつたところ、いわれのない実父の暴言に触発され、忌まわしい境遇から逃れようとしてついに本件にいたつたこと、犯行後ただちに自首したほか再犯のおそれが考えられないことなど、諸般の情状にかんがみ、同法二五条一項一号によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、第一審および原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととして主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官岡原昌男の補足意見、裁判官田中二郎、同下村三郎、同色川幸太郎、同大隅健一郎、同小川信雄、同坂本吉勝の各意見および裁判官下田武三の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

 
裁判官岡原昌男の補足意見は次のとおりである。

 一、本判決の多数意見は、刑法二〇〇条が普通殺のほかに尊属殺という特別の罪を設け、その刑を加重すること自体はただちに違憲とはいえないけれども、その加重の程度があまりにも厳しい点において同条は憲法一四条一項に違反するというのであるが、これに対し、(一)刑法二〇〇条が尊属殺という特別の罪を設けていることがそもそも違憲であるとする意見、および(二)刑法二〇〇条は、尊属殺という罪を設けている点においても、刑の加重の程度においても、なんら憲法一四条一項に違反するものではないとする反対意見も付されているので、わたくしは、多数意見に加わる者のひとりとして、これらの点につき若干の所信を述べておきたい。

 二、右(一)の見解は、要するに、刑法二〇〇条は、(1)親子のほか、夫婦、兄弟姉妹その他の親族の結合のうち、卑属の尊属に対する関係のみを取りあげている点、および(2)日本国憲法の基本理念に背馳する特異な身分制道徳の維持存続を目的とすると認められる点において、憲法一四条一項の許容する合理的差別を設けるものとはいえないとするのである。

 しかし、まず(1)についていえば、本件で当裁判所のなすべきことは、本件具体的争訟における憲法上の論点、すなわち現行の実定法たる刑法二〇〇条の合憲性についての判断であつて、親族間の殺人につきいかなる立法をすることがもつとも適切妥当であるかの考察ではない。多数意見は、このことを当然の前提とし、あえて同条の立法政策としての当否に触れることなく、同条の合憲性のみを検討したうえ、同条の設ける差別は、憲法上、それ自体としてまつたく正当化できないものとはいえないとするにとどめたのである。(1)の点を、実定法の合憲性が争われている本件憲法訴訟における判断の理由に加えることは適切でないものと考える。

 つぎに、(2)で説かれる諸点は、いずれも正当であり、わたくしも、刑法二〇〇条が、往時の「家」の制度におけるがごとき尊属卑属間の権威服従関係を極めて重視する思想を背景とし、これに基づく家族間の倫理および社会的秩序の維持存続をはかるものたる性格を有することを認めるにやぶさかでない。しかしながら、わたくしは、刑法二〇〇条のかかる性格は、尊属殺なる罪を設け、その刑を加重するところに示されているのではなく、その法定刑が極端に重い刑のみに限られている点に露呈されていると考えるのであり、多数意見が、尊属殺の法定刑は「尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしてはこれにつき十分納得すべき説明がつきかねる」としているのもまた同様の見地に立つて言外にこの理を示すものにほかならないと解する。換言すれば、(2)を論ずる各意見の趣旨にはいずれも賛同を惜しまないけれども、これをもつて刑法二〇〇条が尊属殺を設けること自体の違憲性の根拠とすることは当たらず、同条の法定刑の不合理性の根拠として取り扱うべきものと考えるのである。

 三、さらに、(二)の反対意見は、主として、刑法二〇〇条の法定刑は極端に重いものと解すべきか否かの点で多数意見と見解を異にするのであるが、その論述のうち、立法の沿革および裁判所の憲法判断のあり方等についての言及に関して一言したい。

 同意見の指摘する立法の沿革は歴史的事実として明らかなところである。また、国の立法権は国権の最高機関たる国会に属すること(憲法四一条)、および国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負う(憲法九九条)から、立法府たる国会は法律の制定にあたり憲法に適合するようその内容を定めているはずであり、旧憲法下において制定された法律中、今日まで改廃されていない規定についても、立法府は暗黙のうちにこれらが日本国憲法に適合すると判断しているものと考えて然るべきことも右意見が説くとおりである。そして、裁判所は、具体的争訟において特定の法規の合憲性が争われた場合に、これにつき審査をする権限を有するのであるが、当該法規の内容の当否が立法政策の当否の問題であるにとどまると認められるかぎり、かかる法規を違憲とすることが許されないこともちろんである。さらに法規の内容の当否が立法政策当否の範囲にとどまるか否かを判断するにあたつては、裁判所は前記のような憲法適合性についての立法府の判断を尊重することが三権分立制度の下における違憲立浅審査権行便のあり方として望ましいということができよう。

 しかし、ことがらによつては、憲法上の効力が争われる特定の法規の内容が、立法の沿革、運用の実情、社会の通念、諸国法制のすう勢その他諸般の状況にかんがみ、かなりの程度に問題を有し、その当否が必ずしも立法政策当否の範囲にとどまらないのではないかとの疑問を抱かせる場合がないとはいえない。さらにまた、たとえば刑法のように社会生活上の強行規範として価値観と密接な関係を有する基本法規にあつては、時代の進運、社会情勢の変化等に伴い、当初なんら問題がないと考えられた規定が現在においては憲法上の問題を包蔵するにいたつているのではないかと疑われることもありうるところである。このような場合、裁判所は、もはや前記謙抑の立場に終始することを許されず、憲法により付託されている違憲立法審査の権限を行使し、当該規定の憲法適合性に立ち入つて検討を加えるべく、その結果、もし当該規定の不合理性が憲法の特定の条項の許容する限度を超え、立法府の裁量の範囲を逸脱しているものと認めたならば、当該規定の違憲を宣明する責務を有するのである。

 本判決の多数意見が、刑法二〇〇条の合憲性に関する当裁判所の先例のほか、同条の立法の沿革、諸外国立法例、近時の立法傾向等に触れ、これらの点にかんがみ、同条の憲法適合性につきあらためて考察する旨を述べたのち、はじめて実質的な判断に入つているのは、右のような見地に立つて、専断恣意を排除しつつ慎重な検討が加えられたことを示すものにほかならない。また、多数意見が、同条を違憲とするにあたり、その法定刑につき「十分納得すべき説明がつきかねる」としているのは、説明できないゆえんを説明するの煩を避けたもので、ことがらの性質上やむをえないところであるのみならず、その言外に含蓄するところは前述のごとくであつて、その判断は十分な根拠を有するものと解すべく、決して軽々に違憲の判断がなされたものではないのである。

 反対意見が多数意見と結論を異にしたことは、立脚点の相違に基づき、やむをえないとしても、多数意見をもつて慎重を欠く判断であるかのごとくいう点には、必ずしも承服しがたいものがある。
裁判官田中二郎の意見は、次のとおりである。

 私は、本判決が、尊属殺人に関する刑法二〇〇条を違憲無効であるとして、同条を適用した原判決を破棄し、普通殺人に関する刑法一九九条を適用して被告人を懲役二年六月に処し、三年間刑の執行を猶予した、その結論には賛成であるが、多数意見が刑法二〇〇条を違憲無効であるとした理由には同調することができない。すなわち、多数意見は、要するに、刑法二〇〇条において普通殺人と区別して尊属殺人に関する特別の罪を定め、その刑を加重すること自体は、ただちに違憲とはいえないとし、ただ、その刑の加重の程度があまりにも厳しい点において、同条は、憲法一四条一項に違反するというのである。これに対して、私は、普通殺人と区別して尊属殺人に関する規定を設け、尊属殺人なるがゆえに差別的取扱いを認めること自体が、法の下の平等を定めた憲法一四条一項に違反するものと解すべきであると考える。したがつて、私のこの考え方からすれば、本件には直接の関係はないが、尊属殺人に関する刑法二〇〇条の規定のみならず、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項、尊属遺棄に関する刑法二一八条二項および尊属の逮捕監禁に関する刑法二二〇条二項の各規定も、被害者が直系尊属なるがゆえに特に加重規定を設け差別的取扱いを認めたものとして、いずれも違憲無効の規定と解すべきであるということとなり、ここにも差異を生ずる。ただ、ここでは、尊属殺人に関する刑法二〇〇条を違憲無効と解すべき理由のみについて、私の考えるところを述べることとする。それは、次のとおりである。

 一 日本国憲法一三条の冒頭に、「すべて国民は、個人として尊重される」べきことを規定しているが、これは、個人の尊厳を尊重することをもつて基本とし、すべての個人について人格価値の平等を保障することが民主主義の根本理念であり、民主主義のよつて立つ基礎であるという基本的な考え方を示したものであつて、同一四条一項に、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定しているのも、右の基本的な考え方に立ち、これと同一の趣旨を示したものと解すべきである。右の条項には、人種、信条、性別などが列記されているが、多数意見も認めているように、これらの列記は、単にその主要なものの例示的列記にすぎず、したがつて、これらの列記事項に直接該当するか否かにかかわらず、個人の尊厳と人格価値の平等の尊重・保障という民主主義の根本理念に照らして不合理とみられる差別的取扱いは、すべて右条項の趣旨に違反するものとして、その効力を否定すべきものと考えるのである。

 近代国家の憲法がひとしく右の意味での法の下の平等を尊重・確保すべきものとしたのは、封建時代の権威と隷従の関係を打破し、人間の個人としての尊厳と平等を回復し、個人がそれぞれ個人の尊厳の自覚のもとに平等の立場において相協力して、平和な社会・国家を形成すべきことを期待したものにほかならない。日本国憲法の精神もここにあるものと解すべきであろう。

 もつとも、私も、一切の差別的取扱いが絶対に許されないなどと考えているわけではない。差別的取扱いが合理的な理由に基づくものとして許容されることがあることは、すでに幾多の最高裁判所の判決の承認するところである。問題は、何がそこでいう合理的な差別的取扱いであるのか、その「合理的な差別」と「合理的でない差別」とを区別すべき基準をどこに求めるべきかの点にある。そして、この点について、私は、さきに述べたように、憲法の基調をなす民主主義の根本理念に鑑み、個人の尊厳と人格価値の平等を尊重すべきものとする憲法の根本精神に照らし、これと矛盾抵触しない限度での差別的取扱いのみが許容されるものと考えるのである。したがつて、本件においては、尊属殺人に関し、普通殺人と区別して特別の規定を設けることが、右の基準に照らし、果たして「合理的な差別」といえるかどうかについて、検討する必要があるわけである。

 二 ところで、多数意見は、(1)尊属殺人について、普通殺人と区別して特別の規定を設けることには合理的根拠があるから、憲法一四条一項には違反しないとし、ただ、(2)刑法二〇〇条の定める法定刑があまりにも厳しすぎる点において、憲法一四条一項に違反するというのである。しかし、右の(1)の見解は果たして正当といい得るであろうか、これはすこぶる問題である。また、かりに、(1)の見解が是認され得るとした場合において、(2)の見解が果たして十分の説得力を有するものといい得るであろうか。この点についても、いささか疑問を抱かざるを得ないのである。順次、私の疑問とするところを述べることとする。

 (1) 刑法二〇〇条の尊属殺人に関する規定が設けられるに至つた思想的背景には、封建時代の尊属殺人重罰の思想があるものと解されるのみならず、同条が卑属たる本人のほか、配偶者の尊属殺人をも同列に規定している点からみても、同条は、わが国において旧憲法時代に特に重視されたといわゆる「家族制度」との深い関連をもつていることを示している。ところが、日本国憲法は、封建制度の遺制を排除し、家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を確立することを根本の建前とし(憲法二四条参照)、この見地に立つて、民法の改正により、「家」、「戸主」、「家督相続」等の制度を廃止するなど、憲法の趣旨を体して所要の改正を加えることになつたのである。この憲法の趣旨に徴すれば、尊属がただ尊属なるがゆえに特別の保護を受けるべきであるとか、本人のほか配偶者を含めて卑属の尊属殺人はその背徳性が著しく、特に強い道義的非難に値いするとかの理由によつて、尊属殺人に関する特別の規定を設けることは、一種の身分制道徳の見地に立つものというべきであり、前叙の旧家族制度的倫理観に立脚するものであつて、個人の尊厳と人格価値の平等を基本的な立脚点とする民主主義の理念と抵触するものとの疑いが極めて濃厚であるといわなければならない。諸外国の立法例において、尊属殺人重罰の規定が次第に影をひそめ、これに関する規定を有していたものも、これを廃止ないし緩和する傾向にあるのも、右の民主主義の根本理念の滲透・徹底に即応したものということができる。最近のわが国の改正刑法草案がこの種の規定を設けていないのも、この流れにそつたものにほかならない。

 私も、直系尊属と卑属とが自然的情愛と親密の情によつて結ばれ、子が親を尊敬し尊重することが、子として当然守るべき基本的道徳であることを決して否定するものではなく、このような人情の自然に基づく心情の発露としての自然的・人間的情愛(それは、多数意見のいうような「受けた恩義」に対する「報償」といつたものではない。)が親子を結ぶ絆としていよいよ強められることを強く期待するものであるが、それは、まさしく、個人の尊厳と人格価値の平等の原理の上に立つて、個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべき道徳であつて、決して、法律をもつて強制されたり、特に厳しい刑罰を科することによつて遵守させようとしたりすべきものではない。尊属殺人の規定が存するがゆえに「孝」の徳行が守られ、この規定が存しないがゆえに「孝」の徳行がすたれるというような考え方は、とうてい、納得することができない。尊属殺人に関する規定は、上述の見地からいつて、単に立法政策の当否の問題に止まるものではなく、憲法を貫く民主主義の根本理念に牴触し、直接には憲法一四条一項に違反するものといわなければならないのである。

 (2) 右に述べたように、私は、尊属殺人に関し、普通殺人と区別して特別の規定を設けること自体が憲法一四条一項に牴触するものと考えるのであるが、かりに、多数意見が説示しているように、このこと自体が憲法一四条一項に牴触するものではないという考え方に立つべきものとすれば、尊属殺人に対して、どのような刑罰をもつて臨むべきかは、むしろ、立法政策の問題だと考える方が筋が通り、説得力を有するのではないかと思う。

 多数意見は、「尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない」としながら、「尊属殺の法定刑は、それが死刑または無期懲役刑に限られている点においてあまりにも厳しいものというべく、(中略)尊属に対する敬愛や報恩という自然的情愛ないし普遍的倫理の維持尊重の観点のみをもつてしては、これにつき十分納得すべき説明がつきかねるところであり、合理的根拠に基づく差別的取扱いとして正当化することはとうていできない」というのである。しかし、もし、尊属殺害が通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとしてこれを処罰に反映させても不合理ではないという観点に立つとすれば、尊属殺害について通常の殺人に比して厳しい法定刑を定めるのは当然の帰結であつて、処断刑三年半にまで減軽することができる現行の法定刑が厳しきに失し、その点においてただちに違憲であるというのでは、論理の一貫性を欠くのみならず、それは、法定刑の均衡という立法政策の当否の問題であつて、刑法二〇〇条の定める法定刑が苛酷にすぎるかどうかは、憲法一四条一項の定める法の下の平等の見地からではなく、むしろ憲法三六条の定める残虐刑に該当するかどうかの観点から、合憲か違憲かの判断が加えられて然るべき問題であると考えるのである。

 三 日本国憲法の制定に伴つて行なわれた刑法の改正に際し、「忠孝」という徳目を基盤とする規定のうち、「忠」に関する規定を削除しながら、「孝」に関する規定を存置したのは、憲法の根本理念および憲法一四条一項の正しい理解を欠いたためであると考えざるを得ない。そして、昭和二五年一〇月一一日の最高裁判所大法廷判決(刑集四巻一〇号二〇三七頁)が、尊属傷害致死に関する刑法二〇五条二項は憲法一四条に違反しない旨の判断を示した(その趣旨は刑法二〇〇条にもそのままあてはまるものと解される。)のも、私には、とうてい、理解することができない。ところで、右に述べたような最高裁判所の指導的判決のもとで、刑法二〇〇条が実際上どのように運用されてきたかということも、右の規定の存在意義を反省するうえに若干の参考となるであろう。

 そこで、尊属殺人事件についての第一審判決の科刑の実情をみるに、統計の示すところによれば、昭和二七年から昭和四四年に至る一八年間の尊属殺人事件総数六二一件のうち、死刑の言渡がされたものは僅かに五件(〇・八一%)、無期懲役刑の言渡がされたものは六一件(九・八二%)にすぎず、大多数は減軽措置により一五年以下の懲役刑の言渡がされており、なかでも、五年以下の懲役刑の言渡がされたものが一六四件(二六・四%)に達し、最高の率を示している。このことは、多数意見が、尊属殺人は一般殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとしているのにかかわらず、現実には、本件の場合ほど極端な例はないにしても、やむにやまれぬ事情のもとに行なわれた犯行として強い社会的道義的非難を加えることの妥当でない事例が少なくないことを示している。のみならず、刑法二〇〇条の存在が具体的事案に即した量刑を著しく困難にし、裁判官を苦慮させ、時には、あえて、同条の違憲無効を断ぜざるを得ない破目に陥らせているのが実情である。最高裁判所自体も、昭和三二年二月二〇日の大法廷判決(刑集一一巻二号八二四頁)において、冷遇に苦しめられ、亡夫の父母等を殺害しようとした未亡人に刑法二〇〇条を適用した原判決を破棄し、同条の「配偶者の直系尊属」とは現に生存する配偶者のそれを指すものとし、刑法二〇〇条の適用を否定せざるを得なかつたのである。その結論は妥当として支持すべきものであろうが、同条の解釈としては問題のあるところで、右の結論を引き出すためには、根本に立ち帰つて、刑法二〇〇条そのものの合憲性について検討を加えるべきではなかつたかと思う。たしかに、尊属殺人のなかには、天人ともに許さない悪逆非道なものがあり、極刑をもつて臨まざるを得ないような事案もあるであろう。しかし、それは、必ずしも尊属殺人なるがゆえをもつて特別の取扱いをすることを根拠づけ又はこれを合理化するものではなく、同様の事案は普通殺人についても、しばしば、みられるのであるから、その処罰には普通殺人に関する法定刑で事足りるのであつて、改正刑法草案が尊属殺人に関する規定を廃止しているのも、こういう見地に立つものにほかならない。

 四 多数意見が尊属殺人について合理的な程度の加重規定を設けることは違憲でないとの判断を示したのは、それを違憲であるとする判断を示すことの社会的影響について深く憂慮したためではないかと想像されるが、殺人は、尊属殺人であろうと普通殺人であろうと、最も強い道義的非難に値いする犯罪であることはいうまでもないところであつて、尊属殺人に関する規定が違憲無効であるとする判断が示されたからといつて、この基本的な道徳が軽視されたとか、反道徳的な行為に対する非難が緩和されたとかと、受けとられるとは思わない。それは、むしろ、国民の一般常識又は道徳観を軽視した結果であつて、杞憂にすぎないといつてよいであろう。

 五 最後に、下田裁判官の反対意見について、一言附け加えておきたい。

 下田裁判官の反対意見は、その結論および理由の骨子ともに、私の賛成しがたいところであるが、そのことは、すでに述べたところがら明らかであるから、ここに重ねて述べることを省略し、ここでは、下田裁判官のとられる裁判所の違憲審査権に関する考え方についてのみ私の意見を述べることとする。

 右の点に関する下田裁判官の意見は、国民多数の意見を代表する立法府が制定した実定法規はこれを尊重することが「憲法の根本原則たる三権分立の趣旨にそう」ものであり、裁判所がたやすくかかる事項に立ち入ることは、「司法の謙抑の原則にもとる」こととなるおそれがあるという考え方を基礎とするもので、刑法二〇〇条についても、昭和二二年に刑法の一部改正が行なわれた際、ことさらにその改正から除外されたのであつて、右は、「当時立法府が本条をもつて憲法に適合するものと判断したことによると認むべきである」とされ、その後種々の論議が重ねられたにかかわらず、「今日なお同条についての立法上の措置を実現していないことは、立法府が、現時点において、同条の合憲性はもとより、立法政策当否の観点からも、なお同条の存置を是認しているものと解すべきである」とし、「かかる経緯をも考慮するときは、司法の謙抑と立法府の判断の尊重の必要は、刑法二〇〇条の場合において一段と大であるといわなければならない」とされ、さらに、立法論としても、「将来いかなる時期にいかなる内容の尊属殺処罰規定を制定あるいは改廃すべきかの判断は、あげて立法府の裁量に委ねるのを相当と考えるものである」と述べておられる。

 私も、事柄の性質によつては、立法府に相当広範な裁量権が認められる場合があること、そして、その裁量権の範囲内においては、立法政策の問題として、裁判所としても、これを尊重することを要し、これに介入することができないものとすべき場合が少なくないことを認めるに吝かではないし、裁判所が安易にそのような事項に立ち入つてその当否を判断すべきでないことも、下田裁判官の主張されるとおりであると思う。また、立法府が制定した法律の規定は、可能な限り、憲法の精神に即し、これと調和し得るよう合理的に解釈されるべきであつて、その字句の表現のみに捉われて軽々に違憲無効の判断を下すべきでないことも、かねて私の主張してきたところで、当裁判所の判例のとる基本的な態度でもあるのである。ところが、下田裁判官の意見は、「憲法の根本原則たる三権分立の趣旨」と「司法の謙抑の原則」をふりかざし、立法府の裁量的判断に委ねられるべき範囲を不当に拡張し、しかも、立法府が合憲と判断した以上、これに対する裁判所の介入は、もはや許されるべきでないかのごとき口吻を示されている。その真意のほどは必ずしも明らかではないが、本件について下田裁判官の主張されるところに限つてみても、私には、とうてい、賛成することができないのである。

 およそ立法府として(行政府についても同様のことがいえる。)、その行為が違憲であることを意識しながら、あえてこれを強行するというようなことは、ナチ政権下の違憲立法のごとき、いわば革命的行為をあえてしょうとするような場合は別として、わが国においては、通常、あり得ないことであり、また、あつてはならないことである。しかし、現実には、立法府の主観においては合憲であるとの判断のもとにされた立法についても、これを客観的にみた場合に、果たして合憲といえるかどうかが問題となる場合もあり得るのであつて、その場合の合憲か違憲かの審理判断を裁判所の重要な権限として認めようとするのが裁判所の違憲立法審査制の本来の狽いなのである。したがつて、裁判所の違憲立法審査権が明文で認められている現行憲法のもとでは、立法府自体が合憲であると判断したということは、裁判所の違憲立法審査権の行使を否定しこれを拒否する理由となし得るものでないことはいうまでもない。殊に、現在のように、基本的人権の尊重確保の要請と公共の福祉の実現の要請とをどのように調整すべきかの問題について、政治的・思想的な価値観の対立に基づき、重点の置きどころを異にし、利害の対立もからんで、見解の著しい差異が見られる時代においては、国会の多数の意見に従つて制定された法律であることのゆえのみをもつてただちに常に合憲であると断定するわけにはいかないのである。もちろん、法律には、一応、「合憲性の推定」は与えられてよいが、それが果たして合憲であるかどうかは、まさに裁判所の審理判断を通して決せられるべき問題にほかならない。したがつて、司法の謙抑の原則のみを強調し、裁判所の違憲立法審査権の行使を否定したり、これを極度に制限しようとしたりする態度は、わが現行憲法の定める三権分立制の真の意義の誤解に基づき、裁判所に与えられた最も重要な権能である違憲立法審査権を自ら放棄するにも等しいものであつて、憲法の正しい解釈とはいいがたく、とうてい賛成することができないのである。

 裁判官小川信雄、同坂本吉勝は、裁判官田中二郎の右意見に同調する。

 裁判官下村三郎の意見は、次のとおりである。

 わたくしは、本判決が、原判決を破棄し、刑法一九九条を適用して、被告人を懲役二年六月に処し、三年間刑の執行を猶予した結論には賛成であるが、多数意見が原判決を破棄すべきものとした事由には同調し難いものがあるので、次にその理由を述べる。

 憲法は、その一四条一項において、国民に対し法の下の平等を保障することを宣明した。これは、国民が、それぞれ平等の立場において、相互に敬愛し、扶助し、協力して平和な国家の建設に貢献すべきことを期待したものであるということができる。そして、その趣旨に従つて、民法においては、家、家督相続、戸主等の制度が廃止されるなど、各法律にも所要の改正が加えられたが、刑法二〇〇条のような規定もなお残存しており、その存置を支持する者も多く、当裁判所も、従来、尊属殺人と普通殺人とを各別に規定し、尊属殺人につき刑を加重していることは、身分による差別的取扱いではあるが、合理的な根拠に基づくものとして憲法一四条一項に違反するとはいえないと判断して来たのである。しかし、その後の時世の推移、国民思想の変遷、尊属殺人事件の実情等に鑑みれば、尊属卑属間の相互敬愛、扶助、協力等の関係の保持は、これを自然の情愛の発露、道義、慣行等に委せるのが相当であり、尊属殺人について特別の処罰規定を存置し、尊属殺人の発生を防遏しようとする必要は最早なくなり、かような規定を存置することが却つて妥当な量刑をする妨げとなる場合もあるに至つたといわなければならない。かように解すれば、普通殺人に対し特に尊属殺人に対する処罰規定を存置し、その刑を加重することは、その合理的な根拠を失なうこととなり、刑法二〇〇条は憲法一四条一項に違反し無効なものというべきである。したがつて、刑法二〇〇条は憲法に違反しないとして被告人の本件所為に対し刑法二〇〇条を適用している原判決は、憲法一四条一項の解釈を誤つたものにほかならず、かつ、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、これを破棄すべきものとすべきであると考える。

 
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