精神的自由

2007年02月15日

公安条例の明確性 徳島市公安条例事件  最高裁昭和50年9月10日大法廷判決


判例
S50.09.10 大法廷・判決 昭和48(あ)910 集団行進及び集団示威運動に関する徳島市条例違反、道路交通法違反(第29巻8号489頁)


判示事項:
一 集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号、五条と道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号との関係

二 刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するかどうかの判断基準

三 集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号の「交通秩序を維持すること」の意義とその犯罪構成要件としての明確性

四 集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号、五条の集団行進者に交通秩序の維持に違反する行為をするようにせん動した所為と道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号の警察署長の付した道路使用許可条件に違反してだ行進をした所為との罪数

「目録:集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号、五条と道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施工細則一一条三号との関係

刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するかどうかの判断基準

集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号の「交通秩序を維持すること」の意義とその犯罪構成要件としての明確性

集団行進及び集団示威運動に関する条例三条三号、五条の集団行進者に交通秩序の維持に違反する行為をするようにせん動した所為と道路交通法七七条一項四号、三項一一九条一項一三号、徳島県道路交通施工細則一一条三号の警察署長の付した道路使用許可条件に違反してだ行進をした所為との罪数−いわゆる徳島市公安条例違反事件−」


要旨:
一 道路交通法七七条一項四号は、その対象となる道路の特別使用行為等につき、各地方公共団体が、条例により地方公共の安寧と秩序の維持のための規制を施すにあたり、その一環として、これらの行為に対し、道路交通法による規制とは別個に、交通秩序維持の見地から一定の規制を施すことを排斥する趣旨を含むものではなく、集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号の規制と道路交通法七七条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則による規制とが一部重複しても、道路交通法による規制は条例の規制の及ばない範囲においてのみ適用されるものと解すべく、右条例三条三号、五条の規定が、道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号に違反するものではない。

二 刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによってこれを決定すべきである。

三 集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号が、集団行進等についての遵守事項の一として「交通秩序を維持すること」を掲げているのは、道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解され、このように解釈した場合、右規定は右条例五条の犯罪構成要件の内容をなすものとして憲法三一条に違反するような不明確性を有するものではない。

四 被告人が、先頭集団直近の隊列外に位置して、だ行進をしたり、笛を吹いたり、両腕を前後に振って合図する等して、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、集団行進者がだ行進をするようせん動した場合において、集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和二七年徳島市条例第三号)三条三号、五条の集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動した所為と、道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号の警察署長の付した道路使用許可条件に違反してだ行進をした所為とは、観念的競合の関係にある。


参照・法条:
  昭和27年徳島市条例3号(集団行進及び集団示威運動に関する条例)3条3号,昭和27年徳島市条例3号(集団行進及び集団示威運動に関する条例)5条,道路交通法77条1項4号,道路交通法77条3項,道路交通法119条1項13号,徳島県道路交通施行細則(昭和47年徳島県公安委員会規則1号による改正前のもの)11条3号,憲法31条,刑法54条1項前段「目録:集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和27年徳島市条例第3号)3条3号,集団行進及び集団示威運動に関する条例(昭和27年徳島市条例第3号)5条,道交法77条1項4号,道交法77条3項,道交法119条1項13号,徳島市道路交通施工細則11条3号,憲法31条,刑法54条1項前」


内容:
 件名  集団行進及び集団示威運動に関する徳島市条例違反、道路交通法違反 (最高裁判所 昭和48(あ)910 大法廷・判決 破棄自判)
 原審  S48.02.19 高松高等裁判所


主    文

     原判決及び第一審判決を破棄する。
     被告人を罰金一万円に処する。
     被告人において右罰金を完納することができないときは、金一〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
     第一審における訴訟費用は被告人の負担とする。
         
理    由

 検察官の上告趣意について

 第一 本事件の経過

 本件公訴事実の要旨は、「被告人は、日本労働組合総評議会の専従職員兼徳島県反戦青年委員会の幹事であるところ、昭和四三年一二月一〇日県反戦青年委員会主催の『B五二、松茂・和田島基地撤去、騒乱罪粉砕、安保推進内閣打倒』を表明する徳島市藍場浜公園から同市新町橋通り、東新町、籠屋町、銀座通り、東新町、元町を経て徳島駅に至る集団示威行進に青年、学生約三〇〇名と共に参加したが、右集団行進の先頭集団数十名が、同日午後六時三五分ころから同六時三九分ころまでの間、同市a丁目藍場浜公園南東入口から出発し、新町橋西側車道上を経て同市a丁目b番地豊栄堂小間物店前付近に至る車道上においてだ行進を行い交通秩序の維持に反する行為をした際、自らもだ行進をしたり、先頭列外付近に位置して所携の笛を吹きあるいは両手を上げて、前後に振り、集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者が交通秩序の維持に反する行為をするようにせん動し、かつ、右集団示威行進に対し所轄警察署長の与えた道路使用許可には『だ行進をするなど交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと』の条件が付されていたにもかかわらず、これに違反したものである。」というのであり、このうち被告人が「自らもだ行進をした」点が道路交通法(昭和三五年法律第一〇五号)七七条三項、一一九条一項一三号に該当し、被告人が「集団行進者にだ行進をさせるよう刺激を与え、もつて集団行進者がな通秩序の維持に反する行為をるようにせん動した」点が「集団行進及び集団示威運動に関する条例」(昭和二七年一月二四日徳島市条例第三号、以下「本条例」という。)三条三号、五条に該当するとして、起訴されたものである。

 第一審判決は、道路交通法七七条三項、一一九条一項二二号該当の点については被告人を有罪としたが、本条例三条三号、五条該当の点については、被告人を無罪とした。右無罪の理由とするところは、道路交通法七七条は、表現の自由として憲法二一条に保障されている集団行進等の集団行動をも含めて規制の対象としていると解され、集団行動にりいても道路交通法七七条一項四号に該当するものとして都道府県公安委員会が定めた場合には、同条三項により所轄警察署長が道路使用許可条件を付しうるものとされているから、この道路使用許可条件と本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」の関係が問題となるが、条例は「法令に違反しない限りにおいて」、すなわち国の法令と競合しない限度で制定しうるものであつて、もし条例が法令に違反するときは、その形式的効力がないのであるから、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」は道路交通法七七条三項の道路使用許可条件の対象とされるものを除く行為を対象とするものと解さなければならないところ、いかなる行為がこれに該当するかが明確でなく、結局、本条例三条三号の規定は、一般的、抽象的、多義的であつて、これに合理的な限定解釈を加えることは困難であり、右規定は、本条例五条によつて処罰されるべき犯罪構成要件の内容として合理的解釈によつて確定できる程度の明確性を備えているといえず、罪刑法定主義の原則に背き憲法三一条の趣旨に反するというのである。

 原判決は、本条例三条三号の規定が刑罰法令の内容となるに足る明白性を欠き、罪刑法定主義の原則に背き憲法三一条に違反するとした第一審判決の判断に過誤はないとして、検察官の控訴を棄却した。

 検察官の上告趣意は、原判決の右判断につき憲法三一条の解釈適用の誤りを主張するものである。

 第二 当裁判所の見解

 一 本条例三条三号、五条と道路交通法七七条、一一九条一項一三号との関係について

 道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的として制定された法律であるが、同法七七条一項は、「次の各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について」所轄警察署長の許可を受けなければならないとし、その四号において、「前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーシヨンをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしょうとする者」と規定し、同条三項は、一項の規定による許可をする場合において、必要があると認めるときは、所轄警察署長は、当該許可に道路における危険を防止しその他交通の安全と円滑を図るため必要な条件を付することができるとし、同法一一九条一項一三号は、七七条三項により警察署長が付した条件に違反した者に対し、これを三月以下の懲役又は三万円以下の罰金に処する旨の罰則を定めている。そして、徳島県においては、徳島県公安委員会が、右規定により許可を受けなければならない行為として、徳島県道路交通施行細則(昭和三五年一二月一八日徳島県公安委員会規則第五号)一一条三号において、「道路において競技会、踊、仮装行列、パレード、集団行進等をすること」と定めており、本件集団示威行進についても、主催者から所轄徳島東警察署長に対し、道路交通法七七条一項四号、徳島県道路交通施行細則一一条三号により道路使用許可申請がされ、徳島東警察署長から、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足又はおそ足行進、停滞、すわり込み、先行てい団との併進、先行てい団の追越し及びいわゆるフランスデモ等交通秩序を乱すおそれがある行為をしないこと」等四項目の条件を付して、道路使用許可がされている。

 他方、本条例は、一条において、道路その他公共の場所で集団行進を行おうとするとき、又は場所のいかんを問わず集団示威運動を行おうとするときは、同条一号、二号に該当する場合を除くほか、徳島市公安委員会に届け出なければならないとし、三条において、

 「集団行進又は集団示威運動を行おうとする者は、集団行進又は集団示威運動の秩序を保ち、公共の安寧を保持するため、次の事項を守らなければならない。

 一 官公署の事務の妨害とならないこと。

 二 刃物棍棒その他人の生命及び身体に危害を加えるに使用される様な器具を携帯しないこと。

 三 交通秩序を維持すること。

 四 夜間の静穏を害しないこと。」と規定し、五条において、三条の規定等に違反して行われた集団行進又は集団示威運動(以下、「集団行進等」という。)の主催者、指導者又はせん動者に対し、これを一年以下の懲役若しくは禁錮又は五万円以下の罰金に処する旨の罰則を定めている。

 本件一、二審判決は、憲法九四条、地方自治法一四条一項により、地方公共団体の条例は国の法令に違反することができないから、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」とは道路交通法七七条三項の道路使用許可条件の対象とされる行為を除くものでなければならないという限定を付したうえ、本条例五条の罰則の犯罪構成要件の内容となる本条例三条三号の規定の明確性の有無につき判断しているのであるが、まず、このような限定を加える必要があるかどうかを検討する。

 道路交通法は、前述のとおり、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ること等、道路交通秩序の維持を目的として制定されたものであり、同法七七条三項による所轄警察署長の許可条件の付与もかかる目的のためにされるものであることは、多言を要しない。

 これに対し、本条例の対象は、道路その他公共の場所における集団行進及び場所のいかんを問わない集団示威運動であつて、学生、生徒その他の遠足、修学旅行、体育競技、及び通常の冠婚葬祭等の慣例による行事を除くものである。

 このような集団行動は、通常、一般大衆又は当局に訴えようとする政治、経済、労働問題、世界観等に関する思想、主張等の表現を含むものであり、表現の自由として憲法上保障されるべき要素を有するのであるが、他面、それは、単なる言論、出版等によるものと異なり、多数人の身体的行動を伴うものであつて、多数人の集合体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とし、したがつて、それが秩序正しく平穏に行われない場合にこれを放置するときは、地域住民又は滞在者の利益を害するばかりでなく、地域の平穏をさえ害するに至るおそれがあるから、本条例は、このような不測の事態にあらかじめ備え、かつ、集団行動を行う者の利益とこれに対立する社会的諸利益との調和を図るため、一条において集団行進等につき事前の届出を必要とするとともに、三条において集団行進等を行う者が遵守すべき事項を定め、五条において遵守事項に違反した集団行進等の主催者、指導者又はせん動者に対し罰則を定め、もつて地方公共の安寧と秩序の維持を図つているのである。

 このように、道路交通法は道路交通秩序の維持を目的とするのに対し、本条例は道路交通秩序の維持にとどまらず、地方公共の安寧と秩序の維持という、より広はん、かつ、総合的な目的を有するのであるから、両者はその規制の目的を全く同じくするものとはいえないのである。

 もつとも、地方公共の安寧と秩序の維持という概念は広いものであり、道路交通法の目的である道路交通秩序の維持をも内包するものであるから、本条例三条三号の遵守事項が単純な交通秩序違反行為をも対象としているものとすれば、それは道路交通法七七条三項による警察署長の道路使用許可条件と部分的には共通する点がありうる。しかし、そのことから直ちに、本条例三条三号の規定が国の法令である道路交通法に違反するという結論を導くことはできない。

 すなわち、地方自治法一四条一項は、普通地方公共団体は法令に違反しない限りにおいて同法二条二項の事務に関し条例を制定することができる、と規定しているから、普通地方公共団体の制定する条例が国の法令に違反する場合には効力を有しないことは明らかであるが、条例が国の法令に違反するかどうかは、両者の対象事項と規定文言を対比するのみでなく、それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾牴触があるかどうかによつてこれを決しなければならない例えば、ある事項について国の法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、当該法令全体からみて、右規定の欠如が特に当該事項についていかなる規制をも施すことなく放置すべきものとする趣旨であると解されるときは、これについて規律を設ける条例の規定は国の法令に違反することとなりうるし、逆に、特定事項についてこれを規律する国の法令と条例とが併存する場合でも、後者が前者とは別の目的に基づく規律を意図するものであり、その適用によつて前者の規定の意図する目的と効果をなんら阻害することがないときや、両者が同一の目的に出たものであつても、国の法令が必ずしもその規定によつて全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨ではなく、それぞれの普通地方公共団体において、その地方の実情に応じて、別段の規制を施すことを容認する趣旨であると解されるときは、国の法令と条例との間にはなんらの矛盾牴触はなく、条例が国の法令に違反する問題は生じえないのである。

 これを道路交通法七七条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則と本条例についてみると、徳島市内の道路における集団行進等について、道路交通秩序維持のための行為規制を施している部分に関する限りは、両者の規律が併存競合していることは、これを否定することができない。しかしながら、道路交通法七七条一項四号は、同号に定める通行の形態又は方法による道路の特別使用行為等を警察署長の許可によつて個別的に解除されるべき一般的禁止事項とするかどうかにつき、各公安委員会が当該普通地方公共団体における道路又は交通の状況に応じてその裁量により決定するところにゆだね、これを全国的に一律に定めることを避けているのであつて、このような態度から推すときは、右規定は、その対象となる道路の特別使用行為等につき、各普通地方公共団体が、条例により地方公共の安寧と秩序の維持のための規制を施すにあたり、その一環として、これらの行為に対し、道路交通法による規制とは別個に、交通秩序の維持の見地から一定の規制を施すこと自体を排斥する趣旨まで含むものとは考えられず、各公安委員会は、このような規制を施した条例が存在する場合には、これを勘案して、右の行為に対し道路交通法の前記規定に基づく規制を施すかどうか、また、いかなる内容の規制を施すかを決定するヒとができるものと解するのが、相当である。そうすると、道路における集団行進等に対する道路交通秩序維持のための具体的規制が、道路交通法七七条及びこれに基づく公安委員会規則と条例の双方において重複して施されている場合においても、両者の内容に矛盾牴触するところがなく、条例における重複規制がそれ自体としての特別の意義と効果を有し、かつ、その合理性が肯定される場合には、道路交通法による規制は、このような条例による規制を否定、排除する趣旨ではなく、条例の規制の及ばない範囲においてのみ適用される趣旨のものと解するのが相当であり、したがつて、右条例をもつて道路交通法に違反するものとすることはできない。

 ところで、本条例は、さきにも述べたように、道路における場合を含む集団行進等に対し、このような社会的行動のもつ特殊な性格にかんがみ、道路交通秩序の維持を含む地方公共の安寧と秩序の維持のための特別の、かつ、総体的な規制措置を定めたものであつて、道路交通法七七条及びこれに基づく徳島県道路交通施行細則による規制とその目的及び対象において一部共通するものがあるにせよ、これとは別個に、それ自体として独自の目的と意義を有し、それなりにその合理性を肯定することができるものである。そしてその内容をみても、本条例は集団行進等に対し許可制をとらず届出制をとつているが、それはもとより道路交通法上の許可の必要を排除する趣旨ではなく、また、本条例三条に遵守事項として規定しているところも、のちに述べるように、道路交通法に基づいて禁止される行為を特に禁止から解除する等同法の規定の趣旨を妨げるようなものを含んでおらず、これと矛盾牴触する点はみあたらない。もつとも、本条例五条は、三条の規定に違反する集団行進等の主催者、指導者又はせん動者に対して一年以下の懲役若しくは禁錮又は五万円以下の罰金を科するものとしているのであつて、これを道路交通法一一九条一項一三号において同法七七条三項により警察署長が付した許可条件に違反した者に対して三月以下の懲役又は三万円以下の罰金を科するものとしているのと対比するときは、同じ道路交通秩序維持のための禁止違反に対する法定刑に相違があり、道路交通法所定の刑種以外の刑又はより重い懲役や罰金の刑をもつて処罰されることとなつているから、この点において本条例は同法に違反するものではないかという疑問が出されるかもしれない。しかしながら、道路交通法の右罰則は、同法七七条所定の規制の実効性を担保するために、一般的に同条の定める道路の特別使用行為等についてどの程度に違反が生ずる可能性があるか、また、その違反が道路交通の安全をどの程度に侵害する危険があるか等を考慮して定められたものであるのに対し、本条例の右罰則は、集団行進等という特殊な性格の行動が帯有するさまざまな地方公共の安寧と秩序の侵害の可能性及び予想される侵害の性質、程度等を総体的に考慮し、殊に道路における交通の安全との関係では、集団行進等が、単に交通の安全を侵害するばかりでなく、場合によつては、地域の平穏を乱すおそれすらあることをも考慮して、その内容を定めたものと考えられる。そうすると、右罰則が法定刑として道路交通法には定めのない禁錮刑をも規定し、また懲役や罰金の刑の上限を同法より重く定めていても、それ自体としては合理性を有するものということができるのである。そして、前述のとおり条例によつて集団行進等について別個の規制を行うことを容認しているものと解される道路交通法が、右条例においてその規制を実効あらしめるための合理的な特別の罰則を定めることを否定する趣旨を含んでいるとは考えられないところであるから、本条例五条の規定が法定刑の点で同法に違反して無効であるとすることはできない。

 右の次第であつて、本条例三条三号、五条の規定は、道路交通法七七条一項四号、三項、一一九条一項一三号、徳島県道路交通施行細則一一条三号に違反するものということはできないから、本条例三条三号に定める遵守事項の内容についても、道路交通法との関係からこれに限定を加える必要はないものというべく、したがつて、この点に関する原判決の見解は、これを是認することができない。

 二 本条例三条三号、五条の犯罪構成要件としての明確性について

 次に、本条例三条三号の「交通秩序を維持すること」という規定が犯罪構成要件の内容をなすものとして明確であるかどうかを検討する。

 右の規定は、その文言だけからすれば、単に抽象的に交通秩序を維持すべきことを命じているだけで、いかなる作為、不作為を命じているのかその義務内容が具体的に明らかにされていない。全国のいわゆる公安条例の多くにおいては、集団行進等に対して許可制をとりその許可にあたつて交通秩序維持に関する事項についての条件の中で遵守すべき義務内容を具体的に特定する方法がとられており、また、本条例のように条例自体の中で遵守義務を定めている場合でも、交通秩序を侵害するおそれのある行為の典型的なものをできるかぎり列挙例示することによつてその義務内容の明確化を図ることが十分可能であるにもかかわらず、本条例がその点についてなんらの考慮を払つていないことは、立法措置として著しく妥当を欠くものがあるといわなければならない。しかしながら、およそ、刑罰法規の定める犯罪構成要件があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反し無効であるとされるのは、その規定が通常の判断能力を有する一般人に対して、禁止される行為とそうでない行為とを識別するための基準を示すところがなく、そのため、その適用を受ける国民に対して刑罰の対象となる行為をあらかじめ告知する機能を果たさず、また、その運用がこれを適用する国又は地方公共団体の機関の主観的判断にゆだねられて恣意に流れる等、重大な弊害を生ずるからであると考えられる。しかし、一般に法規は、規定の文言の表現力に限界があるばかりでなく、その性質上多かれ少なかれ抽象性を有し、刑罰法規もその例外をなすものではないから、禁止される行為とそうでない行為との識別を可能ならしめる基準といつても、必ずしも常に絶対的なそれを要求することはできず、合理的な判断を必要とする場合があることを免れない。それゆえ、ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法三一条に違反するものと認めるべきかどうかは、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるかどうかによつてこれを決定すべきである。

 そもそも、道路における集団行進等は、多数人が集団となつて継続的に道路の一部を占拠し歩行その他の形態においてこれを使用するものであるから、このような行動が行われない場合における交通秩序を必然的に何程か侵害する可能性を有することを免れないものである。本条例は、集団行進等が表現の一態様として憲法上保障されるべき要素を有することにかんがみ、届出制を採用し、集団行進等の形態が交通秩序に不可避的にもたらす障害が生じても、なおこれを忍ぶべきものとして許容しているのであるから、本条例三条三号の規定が禁止する交通秩序の侵害は、当該集団行進等に不可避的に随伴するものを指すものでないことは、極めて明らかである。ところが、思想表現行為としての集団行進等は、前述のようにへこれに参加する多数の者が、行進その他の一体的行動によつてその共通の主張、要求、観念等を一般公衆等に強く印象づけるために行うものであり、専らこのような一体的行動によつてこれを示すところにその本質的な意義と価値があるものであるから、これに対して、それが秩序正しく平穏に行われて不必要に地方公共の安寧と秩序を脅かすような行動にわたらないことを要求しても、それは、右のような思想表現行為としての集団行進等の本質的な意義と価値を失わしめ憲法上保障されている表現の自由を不当に制限することにはならないのである。そうすると本条例三条が、集団行進等を行おうとする者が、集団行進等の秩序を保ち、公共の安寧を保持するために守らなければならない事項の一つとして、その三号に「交通秩序を維持すること」を掲げているのは、道路における集団行進等が一般的に秩序正しく平穏に行われる場合にこれに随伴する交通秩序阻害の程度を超えた、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為を避止すべきことを命じているものと解されるのである。そして、通常の判断能力を有する一般人が、具体的場合において、自己がしょうとする行為が右条項による禁止に触れるものであるかどうかを判断するにあたつては、その行為が秩序正しく平穏に行われる集団行進等に伴う交通秩序の阻害を生ずるにとどまるものか、あるいは殊更な交通秩序の阻害をもたらすようなものであるかを考えることにより、通常その判断にさほどの困難を感じることはないはずであり、例えば各地における道路上の集団行進等に際して往々みられるだ行進、うず巻行進、すわり込み、道路一杯を占拠するいわゆるフランスデモ等の行為が、秩序正しく平穏な集団行進等に随伴する交通秩序阻害の程度を超えて、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為にあたるものと容易に想到することができるというべきである。

 さらに、前述のように、このような殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為は、思想表現行為としての集団行進等に不可欠な要素ではなく、したがつて、これを禁止しても国民の憲法上の権利の正当な行使を制限することにはならず、また、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為てあるかどうかは、通常さほどの困難なしに判断しうることであるから、本条例三条三号の規定により、国民の憲法上の権利の正当な行使が阻害されるおそれがあるとか、国又は地方公共団体の機関による恣意的な運用を許すおそれがあるとは、ほとんど考えられないのである(なお、記録上あらわれた本条例の運用の実態をみても、本条例三条三号の規定が、国民の憲法上の権利の正当な行使を阻害したとか、国又は地方公共団体の機関の恣意的な運用を許したとかいう弊害を生じた形跡は、全く認められない。)。

 このように見てくると、本条例三条三号の規定は、確かにその文言が抽象的であるとのそしりを免れないとはいえ、集団行進等における道路交通の秩序遵守についての基準を読みとることが可能であり、犯罪構成要件の内容をなすものとして明確性を欠き憲法三一条に違反するものとはいえないから、これと異なる見解に立つ原判決及びその維持する第一審判決は、憲法三一条の解釈適用を誤つたものというべく、論旨は理由がある。

 よつて、刑訴法四一〇条一項本文により第一審判決及び原判決を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。続きを読む

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情報公開と知る権利  最高裁平成6年1月27日第1小法廷判決


判例
H06.01.27 第一小法廷・判決 平成3(行ツ)18 行政処分取消(第48巻1号53頁)


判示事項:
一 大阪府知事の交際費に係る公文書の大阪府公文書公開等条例(昭和五九年大阪府条例第二号)八条四号又は五号該当性

二 大阪府知事の交際費に係る公文書の大阪府公文書公開等条例(昭和五九年大阪府条例第二号)九条一号該当性


要旨:
一 大阪府知事の交際費に係る債権者の請求書、領収書歳出額現金出納簿及び支出証明書のうち、交際の相手方が識別され得るものは、相手方の氏名等が外部に公表、披露されることがもともと予定されているものなどを除き、大阪府公文書公開等条例(昭和五九年大阪府条例第二号一において公文書の非公開事由を定めた八条四号又は五号により公開しないことができる文書に該当する。

二 大阪府知事の交際費に係る債権者の請求書領収書歳出額現金出納簿及び支出証明書のうち、交際の相手方が私人で識別され得るものは、交際内容等が一般に公表披露されることがもともと予定されているものを除き、大阪府公文書公開等条例(昭和五九年大阪府条例第二号)において公文書の非公開事由を定めた九条一号により公開してはならない文書に該当する。



参照・法条:
大阪府公文書公開等条例(昭和59年大阪府条例第2号)8条4号,大阪府公文書公開等条例(昭和59年大阪府条例第2号)8条5号,大阪府公文書公開等条例(昭和59年大阪府条例第2号)9条1号

内容:
 件名  行政処分取消 (最高裁判所 平成3(行ツ)18 第一小法廷・判決 破棄差戻)
 原審  H02.10.31 大阪高等裁判所


主    文

     原判決を破棄する。
     本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
         
理    由

 上告代理人井上隆晴、同青本悦男、同中山義英、同橋詰庄治、同芝池幸夫、同有正修の上告理由及び上告代理人色川幸太郎、同石井通洋、同阿多博文の上告理由について

 一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

 1 被上告人らは、昭和六〇年一〇月一四日、大阪府公文書公開等条例(昭和五九年大阪府条例第二号。以下「本件条例」という。)七条一項に基づき、本件条例の実施機関である上告人に対し、昭和六〇年一月ないし三月に支出した大阪府知事の交際費についての公文書の公開(閲覧及び写しの交付)を請求した。

 ところで、本件条例八条には、同条各号所定の情報が記録されている公文書は公開しないことができる旨が規定され、その一号に、法人等に関する情報や事業を営む個人の当該事業に関する情報であって、公にすることにより、当該法人等又は当該個人の競争上の地位その他正当な利益を害すると認められるもの、四号に、府の機関等が行う企画、調整等に関する情報であって、公にすることにより、当該又は同種の事務を公正かつ適切に行うことに著しい支障を及ぼすおそれのあるもの、五号に、府の機関等が行う交渉、渉外、争訟等の事務に関する情報であって、公にすることにより、当該若しくは同種の事務の目的が達成できなくなり、又はこれらの事務の公正かつ適切な執行に著しい支障を及ぼすおそれのあるものがそれぞれ規定されており、また、九条には、同条各号所定の情報が記録されている公文書は公開してはならない旨が規定され、その一号に、個人の思想、宗教等の私事に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)であって、特定の個人が識別されるもののうち、一般に他人に知られたくないと望むことが正当であると認められるものが規定されている。

 そして、上告人は、昭和六〇年一〇月二九日、右請求に対応する公文書としては、経費支出伺、支出命令伺書、債権者の請求書、領収書等の交際費の執行の内容を明らかにした文書及び歳出予算差引表がこれに当たるとし、そのうち経費支出伺、支出命令伺書及び歳出予算差引表を公開したが、債権者の請求書、領収書等の交際費の執行の内容を明らかにした文書(以下「本件文書」という。)については、そこに記録されている情報が前記八条一号、四号、五号及び九条一号に該当するとして、これを公開しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

 2 本件文書は、具体的には、債権者の請求書及び領収書(以下「債権者請求書等」という。)、歳出額現金出納簿並びに支出証明書であり、そこに記録された支出内容は、(1) 慶弔、見舞い等に関するもの、(2) 各種団体及びその主催行事等への賛助、協賛に関するもの、(3) 餞別に関するもの、(4) 懇談に関するものに分けられる。

 債権者請求書等は、知事が懇談会等で外部の飲食店等を利用した際の請求書等が主なものであり、懇談の日時、場所、出席人数並びに料理等の単価及びその合計額が記録されており、懇談等の名称、出席者の氏名等は原則として記録されていないが、府の担当者により出席者の氏名がメモ書き等の形で記録されたものもある。歳出額現金出納簿は、現金の出納状況を、年月日、摘要、金員の受払い状況とその残額とに分けて記録し、摘要欄には交際の相手方、使途等を具体的に記録している。債権者請求書等及び歳出額現金出納簿のいずれにも、懇談の内容は全く記録されていない。また、支出証明書は、お祝い、香典等領収書が得られないような支出について、支出年月日、支出金額、支出先、支出の目的を記録した書類であり、特に決まった様式はない。

 二 原審は、右の事実関係の下で、次のとおり判断した。

 1 本件文書のうち懇談に関する支出内容が記録された文書の本件条例八条四号該当性については、当該懇談が同号所定の企画、調整等の事務(以下「企画調整等事務」という。)に関して行われた場合であっても、債権者請求書等及び歳出額現金出納簿には、懇談の内容は全く記録されていないため、右文書が公開されても、特段の事情がない限り、当該又は同種の企画調整等事務を公正かつ適切に行うことに著しい支障を及ぼすおそれがあるとはいえない。そもそも、懇談の相手方にとっては、知事と懇談等を行うことは社会通念上名誉でこそあれ何ら不名誉ないし嫌悪すべきことではなく、これを公開するとしても、そのために懇談等を回避することは考えにくく、さらに、知事の行動も、当該行政事務が遂行された後においては、これを公開しても、通常は、同種の行政事務の公正かつ適切な遂行に著しい支障を及ぼすようなことはないというべきである。本件においては、右特段の事情を認めるべき証拠はない。

 2 本件文書のうち懇談に関する支出内容が記録された文書の本件条例八条五号該当性については、当該懇談が同号所定の交渉、渉外、争訟等の事務(以下「交渉等事務」という。)に関して行われた場合であっても、債権者請求書等及び歳出額現金出納簿には、懇談の内容は全く記録されていないため、右文書が公開されても、特段の事情がない限り、当該又は同種の交渉等事務の公正かつ適切な執行に著しい支障を及ぼすおそれはない。本件においては、右特段の事情を認めるべき証拠はない。

 また、懇談以外の慶弔、見舞い、賛助、協賛、餞別に関する知事の儀礼的な接遇、交際等は、それ自体が広い意味での交渉等事務に含まれると解することができ、この内容、程度を逐一明らかにすることは、府の相手方に対する評価、位置付けを明らかにすることになるから、相手方の中には、これに不満を抱き、府に対して非協力的な態度を採る者も出ることが全く考えられないではない。しかし、府の政治的、経済的、社会的な地位を考慮すると、そのような事態が右の交渉等事務の公正かつ適切な執行に著しい支障を及ぼす程度にまで出現するとは考えられない。

 3 本件文書の本件条例九条一号該当性については、そこに記録されている情報は、いずれも知事の公的交際に係るもので、相手方にとって純粋に私生活上の事柄であるとはいえず、また、知事との交際の事実が社会通念上相手方にとって公開を欲しない事柄であるともいえない。

 4 本件文書のうち本件条例八条一号該当性が問題になるのは、債権者請求書等のみであるが、そこには、当該飲食店を経営する業者の営業上の秘密、ノウハウ等が記録されているわけではないので、これが公開されたとしても、それによって、当該飲食業者の競争上の地位その他その有する正当な利益が害されることは考えられない。

 5 以上によれば、本件文書には、本件条例八条一号、四号、五号、九条一号のいずれかに該当する情報の記録はなく、これを非公開とすべき理由はないので、本件処分は違法である。

 三 しかしながら、原審の右判断のうち、本件文書に本件条例八条一号に該当する情報が記録されていないとする点は是認することができるが、同条四号、五号、九条一号に該当する情報が記録されていないとする点は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

 1 知事の交際費は、都道府県における行政の円滑な運営を図るため、関係者との懇談や慶弔等の対外的な交際事務を行うのに要する経費である。このような知事の交際は、懇談については本件条例八条四号の企画調整等事務又は同条五号の交渉等事務に、その余の慶弔等については同号の交渉等事務にそれぞれ該当すると解されるから、これらの事務に関する情報を記録した文書を公開しないことができるか否かは、これらの情報を公にすることにより、当該若しくは同種の交渉等事務としての交際事務の目的が達成できなくなるおそれがあるか否か、又は当該若しくは同種の企画調整等事務や交渉等事務としての交際事務を公正かつ適切に行うことに著しい支障を及ぼすおそれがあるか否かによって決定されることになる。

 本件においては、知事の交際事務のうち懇談については、歳出額現金出納簿に懇談の相手方と支出金額が逐一記録されており、また、債権者請求書等の中にも府の担当者によって懇談会の出席者の氏名がメモ書きの形で記録されているものがあることは前記のとおりであり、これ以外にも、一般人が通常入手し得る関連情報と照合することによって懇談の相手方が識別され得るようなものが含まれていることも当然に予想される。また、懇談以外の知事の交際については、歳出額現金出納簿及び支出証明書に交際の相手方や金額等が逐一記録されていることは前記のとおりである。

 ところで、知事の交際事務には、懇談、慶弔、見舞い、賛助、協賛、餞別などのように様々なものがあると考えられるが、いずれにしても、これらは、相手方との間の信頼関係ないし友好関係の維持増進を目的として行われるものである。そして、相手方の氏名等の公表、披露が当然予定されているような場合等は別として、相手方を識別し得るような前記文書の公開によって相手方の氏名等が明らかにされることになれば、懇談については、相手方に不快、不信の感情を抱かせ、今後府の行うこの種の会合への出席を避けるなどの事態が生ずることも考えられ、また、一般に、交際費の支出の要否、内容等は、府の相手方とのかかわり等をしん酌して個別に決定されるという性質を有するものであることから、不満や不快の念を抱く者が出ることが容易に予想される。そのような事態は、交際の相手方との間の信頼関係あるいは友好関係を損なうおそれがあり、交際それ自体の目的に反し、ひいては交際事務の目的が達成できなくなるおそれがあるというべきである。さらに、これらの交際費の支出の要否やその内容等は、支出権者である知事自身が、個別、具体的な事例ごとに、裁量によって決定すべきものであるところ、交際の相手方や内容等が逐一公開されることとなった場合には、知事においても前記のような事態が生ずることを懸念して、必要な交際費の支出を差し控え、あるいはその支出を画一的にすることを余儀なくされることも考えられ、知事の交際事務を適切に行うことに著しい支障を及ぼすおそれがあるといわなければならない。したがって、本件文書のうち交際の相手方が識別され得るものは、相手方の氏名等が外部に公表、披露されることがもともと予定されているものなど、相手方の氏名等を公表することによって前記のようなおそれがあるとは認められないようなものを除き、懇談に係る文書については本件条例八条四号又は五号により、その余の慶弔等に係る文書については同条五号により、公開しないことができる文書に該当するというべきである。

 2 また、本件における知事の交際は、それが知事の職務としてされるものであっても、私人である相手方にとっては、私的な出来事といわなければならない。本件条例九条一号は、私事に関する情報のうち性質上公開に親しまないような個人情報が記録されている文書を公開してはならないとしているものと解されるが、知事の交際の相手方となった私人としては、懇談の場合であると、慶弔等の場合であるとを問わず、その具体的な費用、金額等までは一般に他人に知られたくないと望むものであり、そのことは正当であると認められる。そうすると、このような交際に関する情報は、その交際の性質、内容等からして交際内容等が一般に公表、披露されることがもともと予定されているものを除いては、同号に該当するというべきである。

 したがって、本件文書のうち私人である相手方に係るものは、相手方が識別できるようなものであれば、原則として、同号により公開してはならない文書に該当するというべきである。

 四 原審は、以上に判示したところと異なる見解に立ち、本件文書のうち交際の相手方が識別され得るものについても、その支出内容等が外部に公表、披露されることがもともと予定されているものであるか否かなど、前記のような交際事務に対する支障の有無の点を個別、具体的に検討することなく、本件文書には本件条例八条四号、五号に該当する情報は一切記録されていないとし、また、知事の交際に関する情報はすべて本件条例九条一号に該当しないとし、本件処分をすべて違法として取り消しており、この判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ず、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、以上判示したところに従って、本件文書に記録された情報が本件条例八条四号、五号、九条一号に該当するか否かについて更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    大   堀   誠   一
            裁判官    味   村       治
            裁判官    小   野   幹   雄
            裁判官    三   好       達
            裁判官    大   白       勝









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わいせつの概念の再構築 「四畳半襖の下張」事件 最高裁昭和55年11月28日第2小法廷判決

S55.11.28 第二小法廷・判決 昭和54(あ)998 わいせつ文書販売



判例
S55.11.28 第二小法廷・判決 昭和54(あ)998 わいせつ文書販売(第34巻6号433頁)

判示事項:
一 文書のわいせつ性の判断方法

二 刑法一七五条にいう「猥褻ノ文書」にあたるとされた事例

「目録:文書のわいせつ性の判断方法

刑法一七五条にいう「猥褻ノ文書」にあたるとされた事例−いわゆる四畳半襖の下張事件−」

要旨:
一 文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」といえるか否かを決すべきである。

二 男女の性的交渉の情景を扇情的筆致で露骨、詳細かつ具体的に描写した部分が量的質的に文書の中枢を占めており、その構成や展開、さらには文芸的、思想的価値などを考慮に容れても、主として読者の好色的興味にうつたえるものと認められる本件「四畳半襖の下張」は、刑法一七五条にいう「猥褻ノ文書」にあた
る。

参照・法条:
  刑法175条「目録:刑法175条」

内容:
 件名  わいせつ文書販売 (最高裁判所 昭和54(あ)998 第二小法廷・判決 棄却)
 原審  東京高等裁判所


主    文

     本件各上告を棄却する。
         
理    由

 弁護人中村巖の上告趣意第一点について

 所論は、憲法二一条違反をいうが、原判決は、所論のように、本件「四畳半襖の下張」を春本と断じたものでないことがその判文上明白であるから、所論は、原判決の結論に影響を及ぼさないことの明らかな点に関する違憲の主張であり、適法な上告理由にあたらない。

 同三宅陽の上告趣意第一について

 所論は、原判決の解釈が憲法二一条に違反するというが、結局のところ、原判決が刑法一七五条の合憲性を肯定したことを論難するに帰するものであつて、その理由のないことは、わいせつ文書の出版を同法条で処罰しても憲法二一条に違反しないとする当裁判所大法廷判例(昭和二八年(あ)第一七一三号同三二年三月一三日判決・刑集一一巻三号九九七頁、同三九年(あ)第三〇五号同四四年一〇月一五日判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁)の趣旨に徴し明らかである。

 弁護人中村巖の上告趣意第二点、同三宅陽の上告趣意第二について所論は、憲法三一条違反をいうが、刑法一七五条の構成要件は、所論のように不明確であるということはできないから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

 なお、文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決参照)といえるか否かを決すべきである。本件についてこれをみると、本件「四畳半襖の下張」は、男女の性的交渉の情景を扇情的な筆致で露骨、詳細かつ具体的に描写した部分が量的質的に文書の中枢を占めており、その構成や展開、さらには文芸的、思想的価値などを考慮に容れても、主として読者の好色的興味にうつたえるものと認められるから、以上の諸点を総合検討したうえ、本件文書が刑法一七五条にいう「わいせつの文書」にあたると認めた原判断は、正当である。

 弁護人佐藤博史の上告趣意について

 所論のうち、刑法一七五条の規定がその構成要件の不明確性の故に憲法三一条、二一条に違反するという点は、刑法一七五条の構成要件が所論のように不明確であるということのできないことは、すでに説示したとおりであるから、所論は前提を欠き、原判決には手続的にも憲法三一条違反があるという点は、実質は単なる法令違反の主張であり、その余の違憲(憲法三一条、三二条違反)をいう点は、原判決の結論に影響を及ぼさないことの明らかな点に関する違憲の主張であり、いずれも適法な上告理由にあたらない。

 よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

  昭和五五年一一月二八日
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    栗   本   一   夫
            裁判官    木   下   忠   良
            裁判官    塚   本   重   頼
            裁判官    監   野   宜   慶
            裁判官    宮          梧

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営利的な広告の自由の制限 最高裁昭和36年2月15日大法廷判決

S36.02.15 大法廷・判決 昭和29(あ)2861 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法
違反



判例
S36.02.15 大法廷・判決 昭和29(あ)2861 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法違反(第15巻2号347頁)

判示事項:
一 きゆうの適応型として神経痛、リヨウマチ、胃腸病等の病名を記載したビラの配布とあん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法第七条違反罪の成立。

二 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復法第七条の合憲性。

要旨:
一 きゆう業を営む被告人がその業に関しきゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約七〇三〇枚を判示各所に配布した所為は、あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法第七条に違反する。

二 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復法第七条は、憲法第一一条ないし第一三条、第一九条、第二一条に違反しない。

参照・法条:
あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法7条,あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法14条,あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復法7条,憲法11条,憲法12条,憲法13条,憲法19条,憲法21条

内容:
件名  あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法違反 (最高裁判所 昭和29(あ)2861 大法廷・判決 棄却)
 原審  大津簡易裁判所


主    文

    本件上告を棄却する。
    当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
         
理    由

 被告人の上告趣意について。

 あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法七条は、あん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し、いかなる方法によるを問わず、同条一項各号に列挙する事項以外の事項について広告することを禁止し、同項により広告することができる事項についても、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならないものとしている。そして本件につき原審の適法に認定した事実は、被告人はきゆう業を営む者であるところその業に関しきゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約七〇三〇枚を判示各所に配布したというのであつて、その記載内容が前記列挙事項に当らないことは明らかであるから、右にいわゆる適応症の記載が被告人の技能を広告したものと認められるかどうか、またきゆうが実際に右病気に効果があるかどうかに拘らず、被告人の右所為は、同条に違反するものといわなければならない。

 論旨は、本件広告はきゆうの適応症を一般に知らしめようとしたものに過ぎないのであつて、何ら公共の福祉に反するところはないから、同条がこのような広告までも禁止する趣旨であるとすれば、同条は憲法一一条ないし一三条、一九条、二一条に違反し無効であると主張する。しかし本法があん摩、はり、きゆう等の業務又は施術所に関し前記のような制限を設け、いわゆる適応症の広告をも許さないゆえんのものは、もしこれを無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためであつて、このような弊害を未然に防止するため一定事項以外の広告を禁止することは、国民の保健衛生上の見地から、公共の福祉を維持するためやむをえない措置として是認されなければならない。されば同条は憲法二一条に違反せず、同条違反の論旨は理由がない。

 なお右のような広告の制限をしても、これがため思想及び良心の自由を害するものではないし、また右広告の制限が公共の福祉のために設けられたものであることは前示説明のとおりであるから、右規定は憲法一一ないし一三条及び一九条にも違反せず、この点に関する論旨も理由がない。

 よつて刑訴四一四条、三九六条、一八一条に従い主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官垂水克己、同河村大助の補足意見、裁判官斎藤悠輔、同藤田八郎、同河村又介、同奥野健一の少数意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである

 裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

 心(意思)の表現が必ずしもすべて憲法二一条にいう「表現」には当らない。財産上の契約をすること、その契約の誘引としての広告をすることの如きはそれである。アメリカては憲法上思想表現の自由、精神的活動の自由と解しこれを強く保障するが、経済的活動の自由はこの保障の外にあるものとされ、これと同じには考えられていないようである。

 本法に定めるきゆう師等の業務は一般に有償で行われるのでその限りにおいてその業務のためにする広告は一の経済的活動であり、財産獲得の手段であるから、きゆう局的には憲法上財産権の制限に関連する強い法律的制限を受けることを免れない性質のものである。この業務(医師、殊に弁護士の業務も)は往々継続的無料奉仕として行われることも考えられる。しかし、それにしても専門的知識経験あることが保障されていない無資格者がこれを業として行うことは多数人の身体に手を下しその生命、健康に直接影響を与える仕事であるだけに(弁護士は人の権利、自由、人権に関する大切な仕事をする)公共の福祉のため危険であり、その業務に関する広告によつて依頼者を惹きつけるのでなく「桃李もの言わねども下おのづから蹊をなす」ように、無言の実力によつて公正な自由競争をするようにするために、法律で、これらの業務を行う者に対しその業務上の広告の内容、方法を適正に制限することは、経済的活動の自由、少くとも職業の自由の制限としてかなり大幅に憲法上許されるところであり、本法七条にいう広告の制限もかような制限に当るのである。そのいずれの項目も憲法二一条の「表現の自由」の制限に当るとは考えられない。

 とはいえ、本法七条広告の制限は余りにも苛酷ではなかろうか、一般のきゆう師等の適応症を広告すること位は差支ないではないか、外科医に行かず近所の柔道整復師で間に合うことなら整復師に頼みたいと思う人には整復師の扱う適応症が広告されていた方がよいのではないか、といつたような疑問は起こる。また、本法七条が適応症の広告を禁止した法意は、きゆう師等が(善意でも)適応症の範囲を無暗に拡大して広告し、広告多ければ患者多く集まるという、不公正な方法で同業者または医師と競争し、また、重態の患者に厳密な医学的診断も経ないで無効もしくは危険な治療方法を施すようなことを防止し、医師による早期診断早期治療を促進しようとするにあるようにも思える。とすれば憲法三一条に違反する背理な刑罰法規ともいえないのではないか。

 とに角、本法七条広告の禁止は憲広二一条に違反しない。むしろ同条の問題ではない。だから、この禁止条項が適当か否かは国会の権限に属する立法政策の問題であろう。

 裁判官河村大助の補足意見は次のとおりである。

 原判決の確定した事実関係の要旨は、被告人はきゆう業を営むものであるところ、きゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ約七〇三〇枚を配付し以て法定の事項以外の事項について広告したというのである。

 そこで右認定の証拠となつた押収の広告ビラ(特に証二、五号)を見るに(一)a町の大野灸と題し、施術所の名称、施術時間等あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法(以下単に法と略称する)第七条一項において許された広告事項の記載が存するの外(二)きゆうの適応症として数多くの疾病が記載され更にその説明が附記されている。例えば「灸の効くわけ」として、「○熱いシゲキは神経に強い反応を起し、体の内臓や神経作用が、興奮する○血のめぐりが良くなり、血中のバイ菌や病の毒を消すメンエキが増へる○それ故体が軽く、気持が良くなりよく寝られる、腹がへる等は灸をした人の知る所である◎(注射や服薬で効かぬ人は灸をすると良い)」「人体に灸ツボ六百以上あり、病によつてツボが皆違ふ故ツボに、すえなければ効果はない」等の説明が附記されている。しかして右のようにきゆう業者の広告に適応症としての病名やその効能の説明が(一)の許された広告事項に併記された場合には、その広告は法第七条二項の「施術者の技能」に関する事項にわたり広告したものということかできる。蓋しきゆうは何人が施術するも同様の効果を挙げ得るものではなく、それぞれの疾病に適合したツボにすえることによつて効果があるものであるから、施術者又は施術所ときゆうの適応症を広告することは、その施術者の技能を広告することになるものと解し得るからである。されば本件広告は法第七条二項に違反するものというべく、この点の原判示はやや簡略に過ぎる嫌いはあるが、要するに本件ビラの内容には適応症及びその説明の記載があつて施術者の技能に関する事項にわたる広告をした事実を認定した趣旨と解し得られるから、同法七条違反に問擬した原判決は結局相当である。

 広告の自由が憲法二一条の表現の自由に含まれるものとすれば、昭和二六年法律第一一六号による改正に当り法第七条一項において一定事項以外の広告を原則的に禁止するような立法形式をとつたことについては論議の余地があろう。しかし、同条二項は旧法第七条の規定の趣旨をそのまま踏襲したものであつて、即ち施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項は、患者吸引の目的でなす、きゆう業広告の眼目であることに着眼し、これを禁止したものと見られるから、第一項の立法形式の当否にかかわりなく、独立した禁止規定として、その存在価値を有するものである。そこで本件被告人の所為が既述の如く右第二項の施術者の技能に関する広告に該当するものである以上本件においては、右第二項の禁止規定が表現の自由の合理的制限に当るかどうかを判断すれば足りるものと考えられる。ところで右第二項の立法趣旨は、技能、施術方法又は経歴に関する広告が患者を吸引するために、ややもすれば誇大虚偽に流れやすく、そのために一般大衆を惑わさせる弊害を生ずる虞れがあるから、これを禁止することにしたものと解せられる。されば右第二項の禁止規定は広告の自由に対し公共の福祉のためにする必要止むを得ない合理的制限ということができるから、憲法二一条に違反するものではない。その他右規定が憲法一一条ないし一三条、一九条に違反するとの論旨も理由がない。

 裁判官斎藤悠輔の少数意見は、次のとおりである。

 わたくしは、あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法七条の立法趣旨は、多数説と同じく、「もし広告を無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞があり、その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来することをおそれたためである」と解する。従つて、広告が同条違反であるとするには、ただ形式的に同条一項各号に列挙する事項以外の事項について広告したというだけでは足りず、さらに、現実に前記のごとき結果を招来する虞のある程度の虚偽、誇大であることを要するものといわなければならない。すなわち薬事法三四条とほぼ同趣旨に解するのである。

 しかるに、原判決の確定したところによれば、本件広告は、きゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したというだけであつて、虚偽、誇大であることは何等認定されていないのである。そして、きゆうがかかる疾病に適応する効能を有することは顕著な事実である。従つて、本件は、罪とならないものと思う。

 多数説は、形式主義に失し、自ら掲げた立法趣旨に反し、いわば、風未だ楼に満たなのに山雨すでに来れりとなすの類であつて、当裁判所大法廷が、さきに、「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法一二条、一四条が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのは、人の健康に害を及ぼす虞のある業務所為に限局する趣旨と解しなければならない」旨判示した判例(昭和二九年(あ)二九九〇号同三五年一月二七日大法廷判決判例集一四巻一号三三頁以下)の趣旨にも違反するものといわなければならない。もし、前記七条一項各号に列挙する事項以外の事項を広告したものは、その内容の如何を問わず、すべて処罰する趣旨であると解するならば、奥野裁判官らの説くかごとく、同規定は憲法二一条に反し無効であるというべきである。因に、前記七条と同形式の医療法六九条、七〇条の規定は、漢方医たる標示を禁止するもののごとくであるが(A著東洋医学とどもに一一六頁以下参照)、もし然りとすれば、かかる規定もまた憲法二一条違反と解すべきである。

 裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。

 「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」七条は、

 あん摩業、はり業、きゆう業若しくは柔道整復業又はこれらの施術所に関しては、何人も、いかなる方法によるを問わず、左に掲げる事項以外の事項について、広告をしてはならない。一 施術者である旨並びに施術者の氏名及び住所二 第一条に規定する業務の種類三 施術所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項四 施術日又は施術時間五 その他厚生大臣が指定する事項

 前項第一号乃至第三号に掲げる事項について広告をする場合にも、その内容は、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならない。と規定している。

 同条が、広告の内容が施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたることを禁止していることは、合理的な理由なしとしないであろう。しかし、単なるきゆうの一般的な適応症の広告のごときは、それが虚偽誇大にわたらないかぎり、これを禁止すべき合理的な理由のないことは奥野裁判官の少数意見の説くとおりである。されば同法同条も、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたらないかぎり、単なる一般的な適応症の広告はこれを禁じていないものと解すべきである。若し、多数意見のごとく同条は同条所定以外一切の事項の広告を禁ずるものと解するならば、同条は憲法の保障する表現の自由をおかすものとならざるを得ないことまた奧野裁判官の説くとおりである。

 しかるに、本件の起訴にかかる事実、また本件第一審判決の認定する事実は「きゆうの適応症であるとした神経痛、リヨウマチ、血の道、胃腸病等の病名を記載したビラ」「を配布し」たというのであつて、かかるきゆうの一般的な適応症の記載のごときは本法七条の禁止するところでないと解すべく、従つて本件公訴事実は同条違反の犯罪事実を構成しないものであつて、本件に関するかぎり、同法七条の合憲なりや違憲なりやを論ずるの要はないものというべきである。本件の処理としては、第一審判決を破棄して無罪の言渡をすべきであると思う。

 裁判官奥野健一の少数意見は次のとおりである。

 広告が憲法二一条の表現の自由の保障の範囲に属するか否かは多少の議論の存するところであるが、同条は思想、良心の表現の外事実の報道その他一切の表現の自由を保障しているのであつて、広告の如きもこれに包含されるものと解するを相当とする。広告が商業活動の性格を有するからといつて同条の表現の自由の保障の外にあるものということができない。しかし、表現の自由といえども絶対無制限のものではなく、その濫用は許されず、また公共の福祉のため制限を受けることは他の憲法の保障する基本的人権と変らない。従つて、広告がその内容において虚偽、誇大にわたる場合又は形式、方法において公共の福祉に反する場合は禁止、制限を受けることは当然のことである。

 あん摩師、はり師、きゆり師及び柔道整復師法七条は、きゆう業を営む者はその業に関しきゆう等の適応症について一切広告することを禁止している。すなわち、虚偽、誇大にわたる広告のみならず適応症に関する真実、正当な広告までも一切禁止しているのであつて、これに反する者を刑罰に処することにしているのである。

 (明文上同条が正当な適応症の広告は禁止していないと解することは到底できない。)そもそも、本法はきゆう等の施術を医業類似の行為として一定の資格を有する者に対し免許によりこれを業とすることを許しているのである。すなわち、きゆう等の施術が何らかの病気の治療に効果のあることを認めて、その業務につき免許制を採用しているのである。従つて、その施術が如何なる病気に効能があるか、真実、正当に世間一般に告知することは当然のことであつて、かかる真実、正当な広告まで全面的に禁止しなければならない保健、衛生上その他一般公共の福祉の観点からもその理由を発見することができない。これは正に不当に表現の自由を制限しているものという外はない。

 多数意見は、「もしこれ(広告)を無制限に許容するときは、患者を吸引しようとするためややもすれば虚偽誇大に流れ、一般大衆を惑わす虞がある」というのであるが、単に広告が虚偽誇大に流れる虞があるからといつて、真実、正当な広告までも一切禁止することは行き過ぎである。成程、取締当局としては予め一切の広告を禁止しておけば、虚偽、誇大にわたる広告も自然防止することができるであろうが、かくては正当な広告の自由を奪うものであつて、取締当局の安易な措置によつて、正当な表現の自由を不当に制限するものである。これは恰も集団示威行進が時として公安を害する危険性を包蔵するからといつて、公安を害する直接、明白な危険もないのに、予め一切の集団行進を禁止するのと同様であつて、到底是認することができない。このことは人命、身体こきゆう等より重大な影響を持つ医薬品についてさえ薬事法三四条が虚偽又は誇大な広告のみを禁止しているのと対比して考えても、きゆう等について特に医薬品と区別して正当な広告までも一切禁止しなければならない合理的根拠を発見することができない。また、多数意見は「その結果適時適切な医療を受ける機会を失わせるような結果を招来する」というのであるが、若し然りとすれば、むしろ当初からきゆう等の施術の業務を禁止すべきであつて、既に医業類似行為として病気治療上効果のあることを認めて、その業務を免許しておきながら、その施術を受けると適時適切な医療を受ける機会を失わせるとの理由で、正当な広告までも禁止することは、それ自体矛盾であるという外はない。

 なお、一切の適応症の広告が禁止されている法制を前提として、これを甘受して自ら進んで免許を受けた者であるから、今更適応症の広告禁止の違憲を主張することは許されないのではないかという疑問もあるが、かかる憲法の保障する表現の自由の制限を免許の条件とするが如きことは許されざるところどあるから、かかる議論も成り立たない。

 これを要するに、本法七条が真実、正当な適応症の広告までも一切禁止したことは不当に表現の自由を制限した違憲な条章であつて無効であると断ずるの外なく、同条に則り被告人を処罰せんとする第一審判決は違憲であるから破棄を免れない。

 裁判官河村又介は、裁判官奥野健一の右少数意見に同調する。

 検察官清原邦一、同村上朝一公判出席
  昭和三六年二月一五日
     最高裁判所大法廷
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    池   田       克
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    高   橋       潔
            裁判官    高   木   常   七
            裁判官    石   坂   修   一
 裁判長裁判官田中耕太郎、裁判官小谷勝重は退官、裁判官垂水克己は病気につき署名押印することができ
ない。
            裁判官    島           保







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屋外広告物条例と表現の自由 最高裁昭和43年12月18日大法廷判決

S43.12.18 大法廷・判決 昭和41(あ)536 大阪市屋外広告物条例違反



判例
S43.12.18 大法廷・判決 昭和41(あ)536 大阪市屋外広告物条例違反(第22巻13号1549頁)

判示事項:
昭和三一年大阪市条例第三九号大阪市屋外広告物条例第一三条第一号第四条第二項第一号第三項第一号と憲法第二一条

要旨:
昭和三一年大阪市条例第三九号大阪市屋外広告物条例第一三条第一号、第四条第二項第一号、第三項第一号は、憲法第二一条に違反しない。

参照・法条:
憲法21条,屋外広告物法1条,屋外広告物法2条,大阪市屋外広告物条例1条,大阪市屋外広告物条例13条1号,大阪市屋外広告物条例4条2項1号,大阪市屋外広告物条例3項1号

内容:
 件名  大阪市屋外広告物条例違反 (最高裁判所 昭和41(あ)536 大法廷・判決 棄却)
 原審  大阪高等裁判所


主    文

     本件各上告を棄却する。
         
理    由

 被告人らの上告趣意について。

 第一審判決によれば、その確定した罪となるべき事実は、被告人両名は、法定の除外事由がないのに、原審相被告人AおよびBと共謀のうえ、右AとB、被告人両名の二組に分かれて、「四十五年の危機迫る!!国民よ決起せよ!!C会本部」などと印刷したビラ合計二六枚を大阪市屋外広告物条例(昭和三一年大阪市条例第三九号)によりはり紙等の表示を禁止された物件である大阪市内の一三箇所の橋柱、電柱および電信柱にのりではりつけたというのであり、右各所為に対し刑法六〇条、大阪市屋外広告物条例一三条一号、四条二項、三項各一号等を適用し、被告人Dを罰金八、〇〇〇円に、被告人Eを罰金五、〇〇〇円に処しているのである。

 論旨は、まず、原判決は、なんら営利と関係のない純粋な思想・政治・社会運動である本件印刷物の貼付に大阪市屋外広告物条例の右各条項を適用した第一審判決を是認したが、右各条項は憲法二一条に違反すると主張する。

 よつて、右論旨を検討すると、前記大阪市屋外広告物条例は、屋外広告物法(昭和二四年法律第一八九号)に基づいて制定されたもので、右法律と条例の両者相待つて、大阪市における美観風致を維持し、および公衆に対する危害を防止するために、屋外広告物の表示の場所および方法ならびに屋外広告物を掲出する物件の設置および維持について必要な規制をしているのであり、本件印刷物の貼付が所論のように営利と関係のないものであるとしても、右法律および条例の規制の対象とされているものと解すべきところ(屋外広告物法一条、二条、大阪市屋外広告物条例一条)、被告人らのした橋柱、電柱、電信柱にビラをはりつけた本
件各所為のごときは、都市の美観風致を害するものとして規制の対象とされているものと認めるのを相当とする。そして、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であるから、この程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要且つ合理的な制限と解することができる。従つて、所論の各禁止規定を憲法に違反するものということはできず(当裁判所昭和二四年(れ)第二五九一号同二五年九月二七日大法廷判決、刑集四巻九号一七九九頁、昭和二八年(あ)第四〇三〇号同三〇年三月三〇日大法廷判決、刑集九巻三号六三五頁、昭和二八年(あ)第三一四七号同三〇年四月六日大法廷判決、刑集九巻四号八一九頁、昭和二八年(あ)第一七一三号同三二年三月一三日大法廷判決、刑集一一巻三号九九七頁、昭和三七年(あ)第八九九号同三九年一一月一八日大法廷判決、刑集一八巻九号五六一頁参照)、右と同趣旨に出た原判決の判断は相当であつて、論旨は理由がない。

 その余の論旨は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて(記録を調べても、被告人らの所論供述の任意性を疑うべき点は見出されない。)、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

 よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

  昭和四三年一二月一八日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    横   田   正   俊
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    長   部   謹   吾
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    石   田   和   外
            裁判官    田   中   二   郎
            裁判官    松   田   二   郎
            裁判官    岩   田       誠
            裁判官    下   村   三   郎
            裁判官    大   隅   健 一 郎
            裁判官    松   本   正   雄
            裁判官    飯   村   義   美

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ビラはりと表現の自由 最高裁昭和45年6月17日大法廷判決

S45.06.17 大法廷・判決 昭和42(あ)1626 軽犯罪法違反等



判例
S45.06.17 大法廷・判決 昭和42(あ)1626 軽犯罪法違反等(第4巻6号280頁)

判示事項:
  軽犯罪法一条三三号前段と憲法二一条一項

要旨:
  軽犯罪法一条三三号前段は、憲法二一条一項に違反しない。

参照・法条:
  軽犯罪法1条33号前段,憲法21条1項

内容:
 件名  軽犯罪法違反等 (最高裁判所 昭和42(あ)1626 大法廷・判決 棄却)
 原審  名古屋高等裁判所


主    文

     本件各上告を棄却する。
         
理    由

 弁護人桜井紀(名義)、同大矢和徳、同前島(現原山)剛三の上告趣意について。
 第一審判決によれば、その確定した罪となるべき事実は、被告人両名は共謀のうえ、いずれも県道上に敷設された、A電力株式会社の所有にかかりB興業株式会社一宮営業所長の管理する稲沢幹線六一号電柱ほか一〇本、および日本電信電話公社の所有にかかりC共済会東海支部電柱広告課長の管理する電柱一二本、ならびにD農業協同組合組合長の管理する電柱一四本に、それぞれ電柱の所有者または管理者の承諾を得ず、正当な事由がないのに、「第一〇回原水爆禁止世界大会を成功させよう、愛知原水協」などと印刷したビラ(縦五四センチメートル、横一九・五センチメートルの紙)合計八四枚を、糊を使用して裏面が全面的に密着する方法ではりつけたというのであり、右所為に対し刑法六〇条、軽犯罪法一条三三号前段等を適用し、被告人両名を各拘留一〇日に処しているのである。
 論旨は、まず、原判決は、軽犯罪法一条三三号前段は、結局公共の福祉を保持することを目的とするものであるから、右法条が憲法二一条一項に違反するものということはできない旨判断しているが、軽犯罪法の右法条をこのように解釈すべきものとすれば、国民の表現の自由の正当な行使であり、かつ、労働者の正当な権利の行使である本件のごときビラはり行為も一律に禁止されることになるから、右法条は憲法二一条一項に違反すると主張する。
 よつて、右論旨を検討すると、軽犯罪法一条三三号前段は、主として他人の家屋その他の工作物に関する財産権、管理権を保護するために、みだりにこれらの物にはり札をする行為を規制の対象としているものと解すべきところ、たとい思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは、もとより許されないところであるといわなければならない。したがつて、この程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であつて、右法条を憲法二一条一項に違反するものということはできず(当裁判所昭和二四年(れ)第二五九一号同二五年九月二
七日大法廷判決、刑集四巻九号一七九九頁、同二八年(あ)第三一四七号同三〇年四月六日大法廷判決、刑集九巻四号八一九頁参照)、右と同趣旨に出た原判決の判断は正当であつて、論旨は理由がない。
 次に、論旨は、軽犯罪法一条三三号前段は憲法三一条に違反すると主張するが、右法条にいう「みだりに」とは、他人の家屋その他の工作物にはり札をするにつき、社会通念上正当な理由があると認められない場合を指称するものと解するのが相当であつて、所論のように、その文言があいまいであるとか、犯罪の構成要件が明確でないとは認められないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、採用することができない。
 その余の論旨は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
 よつて、刑訴法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
  昭和四五年六月一七日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    石   田   和   外
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    草   鹿   浅 之 介
            裁判官    長   部   謹   吾
            裁判官    城   戸   芳   彦
            裁判官    田   中   二   郎
            裁判官    松   田   二   郎
            裁判官    岩   田       誠
            裁判官    下   村   三   郎
            裁判官    色   川   幸 太 郎
            裁判官    大   隅   健 一 郎
            裁判官    松   本   正   雄
            裁判官    飯   村   義   美
            裁判官    村   上   朝   一
            裁判官    関   根   小   郷



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立看板と表現の自由 最高裁昭和62年3月3日第3小法廷判決

S62.03.03 第三小法廷・判決 昭和59(あ)1090 大分県屋外広告物条例違反



判例
S62.03.03 第三小法廷・判決 昭和59(あ)1090 大分県屋外広告物条例違反(第41巻2号15頁)

判示事項:
  大分県屋外広告物条例三三条一号、四条一項三号を適用しても憲法二一条一項に違反しないとされた事例

「目録:大分県外広告物条例三三条一号・四条一項三号を適用しても憲法二一条一項に違反しないとされた事例(補足意見がある)」

要旨:
  大分県屋外広告物条例で広告物の表示を禁止されている街路樹二本の各支柱に、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とするいわゆるプラカード式ポスター各一枚を針金でくくりつけた所為につき、同条例三三条一号、四条一項三号の各規定を適用してこれを処罰しても憲法二一条一項に違反しない。

参照・法条:
  大分県屋外広告物条例(昭和39年大分県条例71号)4条1項3号,大分県屋外広告物条例(昭和39年大分県条例71号)33条1号,憲法21条1項「目録:昭39大分県条例71条,昭39大分県条例4条1項3号,昭39大分県条例33条1号,憲法21条1項」

内容:
 件名  大分県屋外広告物条例違反 (最高裁判所 昭和59(あ)1090 第三小法廷・判決 棄却)
 原審  S59.07.17 福岡高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
         
理    由

  弁護人河野善一郎、同岡村正淳、同安東正美、同古田邦夫、同指原幸一の上告趣意のうち、憲法二一条一項違反をいう点は、大分県屋外広告物条例は、屋外広告物法に基づいて制定されたもので、右法律と相俟つて、大分県における美観風致の維持及び公衆に対する危害防止の目的のために、屋外広告物の表示の場所・方法及び屋外広告物を掲出する物件の設置・維持について必要な規制をしているところ、国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右の程度の規制は、公共の福祉の止め、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるから(最高裁昭和二三年(れ)第一三〇八号同二四年五月一八日大法廷判決・刑集三巻六号八三九頁、同昭和二四年(れ)第二五九一号同二五年九月二七日大法廷判決・刑集四巻九号一七九九頁、同昭和四一年(あ)第五三六号同四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁参照)大分県屋外広告物条例で広告物の表示を禁止されている街路樹二本の各支柱に、A党の演説会開催の告知宣伝を内容とするいわゆるプラカード式ポスター各一枚を針金でくくりつけた被告人の本件所為につき、同条例三三条一号、四条一項三号の各規定を適用してこれを処罰しても憲法二一条一項に違反するものでないことは、前記各大法廷判例の趣旨に徴し明らかであつて、所論は理由がなく、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。

 よつて、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
 一 法廷意見は、その引用する各大法廷判例の趣旨に徴し、被告人の本件所為について、大分県屋外広告物条例(以下、「本条例」という。)の規定を適用してこれを処罰しても、憲法二一条一項に違反するものではないと判示している。私も法廷意見の結論には異論がない。しかし、本件は、本条例を適用して政治的な情報の伝達の自由という憲法の保障する表現の自由の核心を占めるものに対し、軽微であるとはいえ刑事罰をもつて抑制を加えることにかかわる事案であつて、極めて重要な問題を含むものであるから、若干の意見を補足しておきたい。

 二 本条例及びその基礎となつている屋外広告物法は、いずれも美観風致の維持と公衆に対する危害の防止とを目的として屋外広告物の規制を行つている。この目的が公共の福祉にかなうものであることはいうまでもない。そして、このうち公衆への危害の防止を目的とする規制が相当に広い範囲に及ぶことは当然である。政治的意見を表示する広告物がいかに憲法上重要な価値を含むものであつても、それが落下したり倒壊したりすることにより通行人に危害を及ぼすおそれのあるときに、その掲出を容認することはできず、むしろそれを除去することが関係当局の義務とされよう。これに反して、美観風致の維持という目的については、これと同様に考えることができない。何が美観風致にあたるかの判断には趣味的要素も含まれ、特定の者の判断をもつて律することが適切でない場合も少なくなく、それだけに美観風致の維持という目的に適合するかどうかの判断には慎重さが要求ざれるといえる。しかしながら、現代の社会生活においては、、都市であると田園であるとをとわず、ある共通の通念が美観風致について存在することは否定できず、それを維持することの必要性は一般的に承認を受けているものということができ、したがつて抽象的に考える限り、美観風致の維持を法の規制の目的とすることが公共の福祉に適合すると考えるのは誤りではないと思われる。

 当裁判所は、本条例と同種の大阪市の条例について、法廷意見も説示するように、国民の文化的生活の向上を目途どする憲法の下においては、、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する所以であり、右条例の規定する程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許されだ必要かつ合理的な制限と解することができるとし、右大阪市の条例の定める禁止規定を違憲無効ということができないと判示しているが(昭和四一年(あ)第五三六号同四三年一二月一八日大法廷判決・刑集二二巻一三号一五四九頁)、これも、前記のような通念の存在を前提として、当該条例が法令違憲どいえない旨を明らかにしたもので、あり、その結論は是認するに足りよう。しかし、この判例の示す理由は比較的簡単であつて、その考え方について十分の論証がされているかどうかにういては疑いが残る。美観風致の維持が表現の自由に法的規制を加えることを正当化する目的として肯認できるとしても、このことは、その目的のためにとられている手段を当然に正当化するものでないことはいうまでもない。

 正当な目的を達成するために法のとる手段もまた正当なものでなければならない。右の大法廷判例が当該条例の定める程度の規制が許されるとするのは、条例のとる手段もまた美観風致の維持のため必要かつ合理的なものとして正当化されると考えているとみられるが、その根拠は十分に示されていない。例えば、一枚の小さなビラを電柱に貼付する所為もまたそこで問題とされる大阪市の条例の規制を受けるものであつたが、このような所為に対し、美観風致の維持を理由に、罰金刑とはいえ刑事罰を科することが、どうして憲法的自由の抑制手段として許される程度をこえないものといえるかについて、判旨からうかがうことができないように思われる。

 このように考えると、右の判例の結論を是認しうるとても、当該条例が憲法がらみて疑問の余地のないものということはできない。それが手段を含めて合憲であるというためには、さらにたちいつて検討を行う必要があると思われる。

 三 そこで、本件で問題となつている本条例についてその採用する規制手段を考察してみると、次のような疑点を指摘することできる。

 (1)本条例の規制の対象となる屋外広告物には、政治的な意見や情報を伝えるビラ、ポスター等が含まれることは明らかであるが、これらのものを公衆の眼にふれやすい場所、物件に掲出することは、極めて容易に意見や情報を他人に伝達する効果をあげうる方法であり、さらに街頭等におけるビラ配布のような方法に比して、永続的に広範囲の人に伝えるごとのできる点では有効性にまさり、かつそのための費用が低廉であつて、とくに経済的に恵まれない者にとつて簡便で効果的な表現伝達方法であるといわなければならない。このことは、商業広告のような営利的な情報の伝達についてもいえることであるが、とくに思想や意見の表示のような表現の自由の核心をなす表現についてそういえる。簡便で有効なだけに、これらを放置するときには、美観風致を害する情況を生じやすいことはたしかである。しかし、このようなビラやポスターを貼付するに適当な場所や物件は、道路、公園等とは性格を異にするものではあるが、私のいうパブリツク・フオーラム(昭和五九年(あ)第二〇六号同年一二月一八日第三小法廷判決・刑集三八巻一二号三〇二六頁における私の補足意見参照)たる性質を帯びるものともいうことができる。そうとすれば、とくに思想や意見にかかわる表現の規制となるときには、美観風致の維持という公共の福祉に適合する目的をもつ規制であるというのみで、たやすく合憲であると判断するのは速断にすぎるものと思われる。(2) 思想や意見の伝達の自由の側面からみると、本条例の合憲性について検討を要する問題は少なくない。人権とくに表現の自由のように優越的地位を占める自由権の制約は、規制目的に照らして必要最少限度をこえるべきではないと解されており、原判決もこの原則を是認しつつ、本条例が街路樹等の「支柱」をも広告物掲出の禁止対象物件にしていることには合理的根拠のあること、それが広告物掲出可能な物件のすべてを禁止対象にとりこみ、屋外広告物の掲出を実質上全面禁止とするに等しい状態においているとすることができないこと、行政的対応のみでは禁止目的を達成できないことなどをあげて、本条例が必要最少限度の原則に反するものではないと判示している。しかし、右のような理由をもつて本条例のとる手段が規制目的からみて必要最少限度をこえないものど断定しうるであろうか。「支柱」もまた掲出禁止物件とされることを明示した条例は少ないが、支柱も街路樹に付随するものとして、これを含めることは不当とはいえないかもしれない。しかし例えば、「電柱」類はかなりの数の条例では掲出禁止物件から除かれているところ、規制に地域差のあることを考慮しても、それらの条例は、最少限度の必要性をみたしていないとみるのであろうか。あるいは、大分県の特殊性がそれを必要としていると考えられるのであろうか。また、行政的対応と並んで、刑事罰を適用することが禁止目的の達成に有効であることはたしかであるが、刑事罰による抑制は極めて謙抑であるべきであると考えられるから、行政的対応のみでは目的達成が可能とはいえず、刑事罰をもつて規制することが有効であるからこれを併用することも必要最少限度をこえないとするのは、いささか速断にすぎよう。表現の自由の刑事罰による制約に対しては、その保護すべき法益に照らし、いつそう慎重な配慮が望まれよう。(3) 本条例の定める一定の場所や物件が広告物掲出の禁止対象とされているとしても、これらの広告物の内容を適法に伝達する方法が他に広く存在するときは、憲法上の疑義は少なくなり、美観風致の維持という公共の福祉のためある程度の規制を行うことが許容されると解されるから、この点も検討に値する。街頭におけるビラの配布や演説その他の広報活動などは、同じ内容を伝える方法として用いられるが、これらは、広告物の掲出とは性質を異にするところがあり一応別としても、公共の掲示場が十分に用意されていおり、禁止される場所や物件が限定され“これ以外に貼付できる対象で公衆への伝達に適するものが広く存在しているときには、本条例の定める規制も違憲とはいえない之思われる。しかし、本件においてこれらの点は明らかにされるところではない。また、所有者の同意を得て私有の家屋や塀などを掲出場所として利用することは可能である。しかし、一般的に所有者の同意を得ることの難易は測定しがたいところであるし、表現の自由の保障がとくに社会一般の共感を得ていない思想を表現することの確保に重要な意味をもつことを考えるとこのような表現にとつて、所有者の同意を得ることは必ずしも容易ではないと考えられるのであり、私有の場所や物件の利用可能なことを過大に評価することはできないと思われる。

 四 以上のように考えてくると、本条例は、表現の自由、とくに思想、政治的意見や情報の伝達の観点からみるとき、憲法上の疑義を免れることはできないであろう。しかしながら、私は、このような疑点にもかかわらず、本条例が法令として違憲無効であると判断すべきではないと考えている。したがつて、大阪市の条例の違憲性を否定した大法廷判例は、変更の必要をみないと解している。本条例の目的とするところは、美観風致の維持と公衆への危害の防止であつて、表現の内容はその関知するところではなく、広告物が政治的表現であると、営利的表現であると、その他いかなる表現であるとを問わず、その目的からみて規制を必要とする場合に、一定の抑制を加えるものである。もし本条例が思想や政治的な意見情報の伝達にかかる表現の内容を主たる規制対象とするものであれば、憲法上厳格な基準によつて審査され、すでにあげた疑問を解消することができないが、本条例は、表現の内容と全くかかわりなしに、美観風致の維持等の目的から屋外広告物の掲出の場所や方法について一般的に規制しているものである。この場合に右と同じ厳格な基準を適用することは必ずしも相当ではない。そしてわが国の実情、とくに都市において著しく乱雑な広告物の掲出のおそれのあることからみて、表現の内容を顧慮することなく、美観風致の維持という観点から一定限度の規制を行うことは、これを容認せざるをえないと思われる。もとより、表現の内容と無関係に一律に表現の場所、方法、態様などを規制することが、たとえ思想や意見の表現の抑制を目的としなくても、実際上主としてそれらの表現の抑制の効果をもつこともありうる。そこで、これらの法令は思想や政治的意見の表示に適用されるときには違憲となるという部分違憲の考え方や、もともとそれはこのような表示を含む広告物には適用されないと解釈した上でそれを合憲と判断する限定解釈の考え方も主張されえよう。しかし、美観風致の維持を目的とする本条例について、右のような広告物の内容によつて区別をして合憲性を判断することは必ずしも適切ではないし、具体的にその区別が困難であることも少なくない。以上のように考えると、本条例は、その規制の範囲がやや広きに失するうらみはあるが、違憲を理由にそれを無効の法令と断定ずることは相当ではないと思われる。

 五 しかしながら、すでにのべたいくつかの疑問点のあることは、当然に、本条例の適用にあたつては憲法の趣旨に即して慎重な態度をとるべきことを要求するものであり、場合によつては適用違憲の事態を生ずることをみのがしてはならない。本条例三六条(屋外広告物法一五条も同じである。)は、「この条例の適用にあたつては、国民の政治活動の自由その他国民の基本的人権を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と規定している。この規定は、運用面における注意規定であつて、論旨のように、この規定にもとづいて公訴棄却又は免訴を主張することは失当であるが、本条例も適用違憲とされる場合のあることを示唆しているものといつてよい。したがつて、それぞれの事案の具体的な事情に照らし、、広告物の貼付されている場所がどのような性質をもつものであるか、周囲がどのような状況であるか、貼付された広告物の数量・形状や、掲出のしかた等を総合的に考慮し、その地域の美観風致の侵害の程度と掲出された広告物にあらわれた表現のもつ価値とを比較衡量した結果、表現の価値の有する利益が美観風致の維持の利益に優越すると判断されるときに、本条例の定める刑事罰を科することは、適用において違憲となるのを免れないというべきである。

 原判決は、その認定した事実関係の下においでは、本条例三三条一号、四条一項三号を本件に適用することが違憲であると解することができないと判示するが、いかなる利益較量を行つてその結論を得たかを明確に示しておらず、むしろ、原審の認定した事実関係をみると、すでにのべたような観点に立つた較量が行われたあとをうかがうことはできず、本条例は法令として違憲無効ではないことから、直ちにその構成要件に該当する行為にそれを適用しても違憲の問題を生ずることなく、その行為の可罰性は否定されないとしているように解される。このように適用違憲の点に十分の考慮が払われていない原判決には、その結論に至る論証の過程において理由不備があるといわざるをえない。

 しかしながら、本件において、被告人は、政党の演説会開催の告知宣伝を内容とするポスター二枚を掲出したものであるが、記録によると、本件ポスターの掲出された場所は、大分市a商店街の中心にある街路樹(その支柱も街路樹に付随するものとしてこれと同視してよいであろう。)であり、街の景観の一部を構成していて、美観風致の維持の観点から要保護性の強い物件であること、本件ポスターは、縦約六〇センチメートル、横約四二センチメートルのポスターをベニヤ板に貼付して角材に釘付けしたいわゆるプラカード式ポスターであつて、それが掲出されだ街路樹に比べて不釣合いに大きくて人目につきやすく、周囲の環境と調和し難いものであること、本件現場付近の街路樹には同一のポスターが数多く掲出されているが、被告人の本件所為はその一環としてなされたものであることが認められ、以上の事実関係の下においては、前述のような考慮を払つたとしても、被告人の本件所為の可罰性を認めた原判決の結論は是認できないものではない。したがつて、本件の上告棄却の結論はやむをえないものと思われる。

  昭和六二年三月三日
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    安   岡   満   彦
            裁判官    伊   藤   正   己
            裁判官    長   島       敦
            裁判官    坂   上   壽   夫



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駅構内でのビラ配布と表現の自由 最高裁昭和59年12月18第3小法廷判決

判例
S59.12.18 第三小法廷・判決 昭和59(あ)206 鉄道営業法違反、建造物侵入(第38巻12号3026頁)

判示事項:
一 鉄道営業法三五条及び刑法一三〇条後段を適用しても憲法二一条一項に違反しないとされた事例

二 鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」の意義

三 刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」の意義

四 鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」及び刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」にあたるとされた事例

「目録:鉄道営業法三五条及び刑法一三〇条後段を適用しても憲法二一条一項に違反しないとされた事例

鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」の意義

刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」の意義

鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」及び刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」にあたるとされた事例(一につき、補足意見がある)」

要旨:
  一 駅係員の許諾を受けないで駅構内において乗降客らに対しビラ多数を配布して演説等を繰り返したうえ、駅管理者からの退去要求を無視して約二〇分間にわたり駅構内に滞留した被告人らの所為につき、鉄道営業法三五条及び刑法一三〇条後段の各規定を適用してこれを処罰しても憲法二一条一項に違反しない。

二 鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」とは、鉄道の営業主体が所有又は管理する用地・地域のうち、直接鉄道運送業務に使用されるもの及びこれと密接不可分の利用関係にあるものをいう。

三 刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」とは、人が事実上管理・支配する建造物をいう。

四 構造上駅舎の一部で鉄道利用客のための通路として使用されており、また、駅の財産管理権を有する駅長が現に駅構内への出入りを制限し又は禁止する権限を行使している本件駅出入口階段付近(判文参照)は、鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」にあたるとともに、刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」にあたる。

参照・法条:
  鉄道営業法35条,刑法130条,憲法21条1項「目録:鉄営法35条,刑法130条,憲法21条1項」

内容:
 件名  鉄道営業法違反、建造物侵入 (最高裁判所 昭和59(あ)206 第三小法廷・判決 棄却)
 原審  東京高等裁判所


主    文

     本件各上告を棄却する。
         
理    由

 弁護人山口紀洋の上告趣意第一について

 所論は、憲法二一条一項違反をいうが、憲法二一条一項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであつて、たとえ思想を外部に発表するための手段であつても、その手段が他人の財産権、管理権を不当に害するごときものは許されないといわなければならないから、原判示井の頭線吉祥寺駅構内において、他の数名と共に、同駅係員の許諾を受けないで乗降客らに対しビラ多数枚を配布して演説等を繰り返したうえ、同駅の管理者からの退去要求を無視して約二〇分間にわたり同駅構内に滞留した被告人四名の本件各所為につき、鉄道営業法三五条及び刑法一三〇条後段の各規定を適用してこれを処罰しても憲法二一条一項に違反するものでないことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二三年(れ)第一三〇八号同二四年五月一八日判決・刑集三巻六号八三九頁、昭和二四年(れ)第二五九一号同二五年九月二七日判決・刑集四巻九号一七九九頁、昭和四二年(あ)第一六二六号同四五年六月一七日判決・刑集二四巻六号二八〇頁)の趣旨に徴し明らかであつて、所論は理由がない。

 同第二について

 所論は、判例違反をいうが、所論引用の判例は、鉄道地内への侵入が問題となつている事案であつて、本件とは事案を異にし適切でないから、適法な上告理由にあたらない。

 なお、鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」とは、鉄道の営業主体が所有又は管理する用地・地域のうち、直接鉄道運送業務に使用されるもの及びこれと密接不可分の利用関係にあるものをいい、刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」とは、人が事実上管理・支配する建造物をいうと解すべきところ、原判決及びその是認する第一審判決の認定するところによれば、被告人四名の本件各所為が鉄道営業法違反及び不退去の各罪に問われた原判示井の頭線吉祥寺駅南口一階階段付近は、構造上同駅駅舎の一部で、井の頭線又は国鉄中央線の電車を利用する乗降客のための通路として使用されており、また、同駅の財産管理権を有する同駅駅長がその管理権の作用として、同駅構内への出入りを制限し若しくは禁止する権限を行使しているのであつて、現に同駅南口一階階段下の支柱二本には「駅長の許可なく駅用地内にて物品の販売、配布、宣伝、演説等の行為を目的として立入る事を禁止致します京王帝都吉祥寺駅長」などと記載した掲示板三枚が取り付けられているうえ、同駅南口一階の同駅敷地部分とこれに接する公道との境界付近に設置されたシヤツターは同駅業務の終了後閉鎖されるというのであるから、同駅南口一階階段付近が鉄道営業法三五条にいう「鉄道地」にあたるとともに、刑法一三〇条にいう「人ノ看守スル建造物」にあたることは明らかであつて、たとえ同駅の営業時間中は右階段付近が一般公衆に開放され事実上人の出入りが自由であるとしても、同駅長の看守内にないとすることはできない。したがつて、これと同旨の原判断は正当として是認することができる。

 よつて、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

 一 被告人らの本件各所為について、鉄道営業法三五条及び刑法一三〇条後段の各規定を適用してこれを処罰しても、憲法二一条一項の規定に違反するものではないとする法廷意見に対して、私は異論がない。しかし、本件は、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所においてビラを配布するという表現の自由の行使のための手段にかかるものであつて、憲法上検討すべき問題を含むものであるから、若干の意見を補足しておきたい。

 二 憲法二一条一項の保障する表現の自由は、きわめて重要な基本的人権であるが、それが絶対無制約のものではなく、その行使によつて、他人の財産権、管理権を不当に害することの許されないことは、法廷意見の説示するとおりである。しかし、その侵害が不当なものであるかどうかを判断するにあたつて、形式的に刑罰法規に該当する行為は直ちに不当な侵害になると解するのは適当ではなく、そこでは、憲法の保障する表現の自由の価値を十分に考慮したうえで、それにもかかわらず表現の自由の行使が不当とされる場合に限つて、これを当該刑罰法規によつて処罰しても憲法に違反することにならないと解されるのであり、このような見地に立つて本件ビラ配布行為が処罰しうるものであるかどうかを判断すべきである。

 一般公衆が自由に出入りすることのできる場所においてビラを配布することによつて自己の主張や意見を他人に伝達することは、表現の自由の行使のための手段の一つとして決して軽視することのできない意味をもつている。特に、社会における少数者のもつ意見は、マス・メデイアなどを通じてそれが受け手に広く知られるのを期待することは必ずしも容易ではなく、それを他人に伝える最も簡便で有効な手段の一つが、ビラ配布であるといつてよい。いかに情報伝達の方法が発達しても、ビラ配布という手段のもつ意義は否定しえないのである。この手段を規制することが、ある意見にとつて社会に伝達される機会を実質上奪う結果になることも少なくない。

 以上のように、ビラ配布という手段は重要な機能をもつているが、他方において、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所であつても、他人の所有又は管理する区域内でそれを行うときには、その者の利益に基づく制約を受けざるをえないし、またそれ以外の利益(例えば、一般公衆が妨害なくその場所を通行できることや、紙くずなどによつてその場所が汚されることを防止すること)との調整も考慮しなければならない。ビラ配布が言論出版という純粋の表現形態でなく、一定の行動を伴うものであるだけに、他の利益との較量の必要性は高いといえる。したがつて、所論のように、本件のような規制は、社会に対する明白かつ現在の危険がなければ許されないとすることは相当でないと考えられる。

 以上説示したように考えると、ビラ配布の規制については、その行為が主張や意見の有効な伝達手段であることからくる表現の自由の保障においてそれがもつ価値と、それを規制することによつて確保できる他の利益とを具体的状況のもとで較量して、その許容性を判断すべきであり、形式的に刑罰法規に該当する行為というだけで、その規制を是認することは適当ではないと思われる。そして、この較量にあたつては、配布の場所の状況、規制の方法や態様、配布の態様、その意見の有効な伝達のための他の手段の存否など多くの事情が考慮されることとなろう。

 三 ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となつてくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといつてもよい。一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを「パブリツク・フオーラム」と呼ぶことができよう。このパブリツク・フオーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。道路における集団行進についての道路交通法による規制について、警察署長は、集団行進が行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、また、条件を付することによつてもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限つて、許可を拒むことができるとされるのも(最高裁昭和五六年(あ)第五六一号同五七年一一月一六日第三小法廷判決・刑集三六巻一一号九〇八頁参照)、道路のもつパブリツク・フオーラムたる性質を重視するものと考えられる。

 もとより、道路のような公共用物と、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所とはいえ、私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあつても、パブリツク・フオーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と所有権、管理権とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。本件に関連する「鉄道地」(鉄道営業法三五条)についていえば、それは、法廷意見のいうように、鉄道の営業主体が所有又は管理する用地・地域のうち、駅のフオームやホール、線路のような直接鉄道運送業務に使用されるもの及び駅前広場のようなこれと密接不可分の利用関係にあるものを指すと解される。しかし、これらのうち、例えば駅前広場のごときは、その具体的状況によつてはパブリツク・フオーラムたる性質を強くもつことがありうるのであり、このような場合に、そこでのビラ配布を同条違反として処罰することは、憲法に反する疑いが強い。このような場合には、公共用物に類似した考え方に立つて処罰できるかどうかを判断しなければならない。四 本件においては、原判決及びその是認する第一審判決の認定するところによれば、被告人らの所為が行われたのは、駅舎の一部であり、パブリツク・フオーラムたる性質は必ずしも強くなく、むしろ鉄道利用者など一般公衆の通行が支障なく行われるために駅長のもつ管理権が広く認められるべき場所であるといわざるをえず、その場所が単に「鉄道地」にあたるというだけで処罰が是認されているわけではない。したがつて、前述のような考慮を払つたとしても、原判断は正当というほかはない。

  昭和五九年一二月一八日
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    木 戸 口   久   治
            裁判官    伊   藤   正   己
            裁判官    安   岡   滿   彦
            裁判官    長   島       敦









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街頭演説の許可制 最高裁昭和35年3月3日第1小法廷判決

S35.03.03 第一小法廷・判決 昭和34(あ)1540 道路交通取締法行違反



判例
S35.03.03 第一小法廷・判決 昭和34(あ)1540 道路交通取締法行違反(第14巻3号253頁)

判示事項:
道路において演説をなし人寄をする場合を許可制とした道路交通取締法令の合憲性。

要旨:
道路において演説をなし人寄をする場合を許可制とした道路交通取締法第二六条第一項第四号、第二九条第一号、同法施行令第六九条第一項および昭和二九年北海道公安委員会規則第一二号道路交通取締法施行細則第二六条第八号の各規程は、憲法第二一条に違反しない。

参照・法条:
道路交通取締法26条1項4号,道路交通取締法29条1号,道路交通取締法施行令69条1項,昭和29年北海道公安委員会規則12号道路交通取締法施行細則26条8号,憲法21条

内容:
 件名  道路交通取締法行違反 (最高裁判所 昭和34(あ)1540 第一小法廷・判決 棄却)
 原審  札幌高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
         
理    由

 弁護人中田直人の上告趣意及び被告人らの上告趣意各第一点について。
 憲法二一条は表現の自由を所論のいうように無条件に保障したものではなく、公共の福祉の為め必要あるときは、その時、所、方法等につき合理的に制限できるものであることは当裁判所の夙に判例(昭和二四年(れ)第二五九一号、同年九月二七日大法廷判決、刑集四巻九号一七九九頁、昭和二八年(あ)第四〇三〇号、同三〇年三月三〇日大法廷判決、刑集九巻三号六三五頁各参照)とするところであつて、今これを変更する要を見ない。そして、道路において演説その他の方法により人寄せをすることは、場合によつては道路交通の妨害となり、延いて、道路交通上の危険の発生、その他公共の安全を害するおそれがないでもないから、演説などの方法により人寄せをすることを警察署長の許可にかからしめ、無許可で演説などの為め人寄をしたものを処罰することは公共の福祉の為め必要であり、この程度の制限を規制した所論道路交通取締法規、すなわち道路交通取締法二六条一項四号、同二九条一号、道路交通取締法施行令六九条一項、道路交通取締施行細則(昭和二九年一二月二七日北海道公安委員会規則一二号)二六条八号及びこれら法規に則つてなされた原判決は憲法二一条に抵触するものとは認められない、そしてこの理は当裁判所昭和二六年(あ)第三一八八号、同二九年一一月二四日の大法廷判決(刑集八巻一一号一八六六頁以下参照)が趣旨として夙に示しているところと解するを相当とする。所論る述の要旨はひつきよう叙上と相容れない独自の見解に立脚するものであつて、採るを得ない。

 弁護人中田直人の上告趣意第二点について。
 しかし、所論判決と原判決を対比すれば、両者のあいだに趣旨において相背馳するものを認められない。故に所論も採用できない。

 同第三点について。
 しかし、本件公訴の提起及び処罰が権力による被告人らの政治活動に対する弾圧である旨の事実は、記録上これを首肯せしめるに足る何らの資料もないから、(一)の所論違憲の主張はその前提を欠くものであり
、同(二)ないし(四)は違憲をいうが、その実質は単なる訴訟法違反、事実誤認の主張を出でないものであつて、いずれも刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

 同第四点について。
 所論も違憲をいうが、原審が所論のような偏見に基いて処罰したという事実は記録に徴しこれを首肯させるに足る何らの資料もないから、所論もその前提を欠くものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない.


 被告人らの上告趣意第二点について。
所論は事実誤認、単なる法令違反の主張を出でないものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
 よつて、刑訴四〇八条に従い裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
  昭和三五年三月三日
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    高   木   常   七


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電話の傍受と通信の秘密 最高裁平成11年12月16日第3小法廷判決

H11.12.16 第三小法廷・決定 平成9(あ)636 覚せい剤取締法違反、詐欺、同未遂被告事件


判例
H11.12.16 第三小法廷・決定 平成9(あ)636 覚せい剤取締法違反、詐欺、同未遂被告事件(第53巻9号1327頁)

判示事項:
平成一一年法律第一三八号による刑訴法二二二条の二の追加前において検証許可状により電話傍受を行うことの適否

要旨:
平成一一年法律第一三八号による刑訴法二二二条の二の追加前において、捜査機関が電話の通話内容を通話当事者の同意を得ずに傍受することは、重大な犯罪に係る被疑事件について、罪を犯したと疑うに足りる十分な理由があり、かつ、当該電話により被疑事実に関連する通話の行われる蓋然性があるとともに、他の方法によってはその罪に関する重要かつ必要な証拠を得ることが著しく困難であるなどの事情が存し、犯罪の捜査上真にやむを得ないと認められる場合に、対象の特定に資する適切な記載がある検証許可状によって実施することが許されていた。(反対意見がある。)

参照・法条:
憲法13条,憲法21条2項,憲法31条,憲法35条,刑訴法128条,刑訴法129条,刑訴法197条1項,刑訴法218条1項,刑訴法218条3項,刑訴法218条5項,刑訴法219条1項,刑訴法222条1項,刑訴法222条の2

内容:
件名  覚せい剤取締法違反、詐欺、同未遂被告事件 (最高裁判所 平成9(あ)636 第三小法廷・
決定 棄却)
 原審  H09.05.15 札幌高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
当審における未決勾留日数中八〇〇日を第一審判決の懲役刑に算入する。
         
理    由

 一 弁護人佐藤義雄外三名の上告趣意のうち、憲法違反をいう点について

 1 所論は、電話の通話内容を通話当事者双方の同意を得ずに傍受すること(以下「電話傍受」という。)は、本件当時、捜査の手段として法律に定められていない強制処分であるから、それを許可する令状の発付及びこれに基づく電話傍受は、刑訴法一九七条一項ただし書に規定する強制処分法定主義に反し違法であるのみならず、憲法三一条、三五条に違反し、ひいては、憲法一三条、二一条二項に違反すると主張する。

 2 電話傍受は、通信の秘密を侵害し、ひいては、個人のプライバシーを侵害する強制処分であるが、一定の要件の下では、捜査の手段として憲法上全く許されないものではないと解すべきであって、このことは所論も認めるところである。そして、【要旨】重大な犯罪に係る被疑事件について、被疑者が罪を犯したと疑うに足りる十分な理由があり、かつ、当該電話により被疑事実に関連する通話の行われる蓋然性があるとともに、電話傍受以外の方法によってはその罪に関する重要かつ必要な証拠を得ることが著しく困難であるなどの事情が存する場合において、電話傍受により侵害される利益の内容、程度を慎重に考慮した上で、なお電話傍受を行うことが犯罪の捜査上真にやむを得ないと認められるときには、法律の定める手続に従ってこれを行うことも憲法上許されると解するのが相当である。

 3 そこで、本件当時、電話傍受が法律に定められた強制処分の令状により可能であったか否かについて検討すると、電話傍受を直接の目的とした令状は存していなかったけれども、次のような点にかんがみると、前記の一定の要件を満たす場合に、対象の特定に資する適切な記載がある検証許可状により電話傍受を実施することは、本件当時においても法律上許されていたものと解するのが相当である。

 (一) 電話傍受は、通話内容を聴覚により認識し、それを記録するという点で、五官の作用によって対象の存否、性質、状態、内容等を認識、保全する検証としての性質をも有するということができる。

 (二) 裁判官は、捜査機関から提出される資料により、当該電話傍受が前記の要件を満たすか否かを事前に審査することが可能である。

 (三) 検証許可状の「検証すべき場所若しくは物」(刑訴法二一九条一項)の記載に当たり、傍受すべき通話、傍受の対象となる電話回線、傍受実施の方法及び場所、傍受ができる期間をできる限り限定することにより、傍受対象の特定という要請を相当程度満たすことができる。

 (四) 身体検査令状に関する同法二一八条五項は、その規定する条件の付加が強制処分の範囲、程度を減縮させる方向に作用する点において、身体検査令状以外の検証許可状にもその準用を肯定し得ると解されるから、裁判官は、電話傍受の実施に関し適当と認める条件、例えば、捜査機関以外の第三者を立ち会わせて、対象外と思料される通話内容の傍受を速やかに遮断する措置を採らせなければならない旨を検証の条件として付することができる。

 (五) なお、捜査機関において、電話傍受の実施中、傍受すべき通話に該当するかどうかが明らかでない通話について、その判断に必要な限度で、当該通話の傍受をすることは、同法一二九条所定の「必要な処分」に含まれると解し得る。

 もっとも、検証許可状による場合、法律や規則上、通話当事者に対する事後通知の措置や通話当事者からの不服申立ては規定されておらず、その点に問題があることは否定し難いが、電話傍受は、これを行うことが犯罪の捜査上真にやむを得ないと認められる場合に限り、かつ、前述のような手続に従うことによって初めて実施され得ることなどを考慮すると、右の点を理由に検証許可状による電話傍受が許されなかったとまで解するのは相当でない。

 4 これを本件についてみると、原判決及びその是認する第一審判決の認定によれば、本件電話傍受の経緯は、次のとおりである。

 (一) 北海道警察旭川方面本部の警察官は、旭川簡易裁判所の裁判官に対し、氏名不詳の被疑者らに対する覚せい剤取締法違反被疑事件について、電話傍受を検証として行うことを許可する旨の検証許可状を請求した。警察官の提出した資料によれば、以下の事情が明らかであった。すなわち、犯罪事実は、営利目的による覚せい剤の譲渡しであり、その嫌疑は明白であった。同犯罪は、暴力団による組織的、継続的な覚せい剤密売の一環として行われたものであって、密売の態様は、暴力団組事務所のあるマンションの居室に設置された電話で客から覚せい剤買受けの注文を受け、その客に一定の場所に赴くよう指示した上、右場所で覚せい剤の譲渡しに及ぶというものであったが、電話受付担当者と譲渡し担当者は別人であり、それらの担当者や両者の具体的連絡方法などを特定するに足りる証拠を収集することができなかった。右居室には二台の電話機が設置されており、一台は覚せい剤買受けの注文を受け付けるための専用電話である可能性が極めて高く、もう一台は受付担当者と譲渡し担当者との間の覚せい剤密売に関する連絡用電話である可能性があった。そのため、右二台に関する電話傍受により得られる証拠は、覚せい剤密売の実態を解明し被疑者らを特定するために重要かつ必要なものであり、他の手段を用いて右目的を達成することは著しく困難であった。

 (二) 裁判官は、検証すべき場所及び物を「日本電信電話株式会社旭川支店一一三サービス担当試験室及び同支店保守管理にかかる同室内の機器」、検証すべき内容を「(前記二台の電話)に発着信される通話内容及び同室内の機器の状況(ただし、覚せい剤取引に関する通話内容に限定する)」、検証の期間を「平成六年七月二二日から同月二三日までの間(ただし、各日とも午後五時〇〇分から午後一一時〇〇分までの間に限る)」、検証の方法を「地方公務員二名を立ち会わせて通話内容を分配器のスピーカーで拡声して聴取するとともに録音する。その際、対象外と思料される通話内容については、スピーカーの音声遮断及び録音中止のため、立会人をして直ちに分配器の電源スイッチを切断させる。」と記載した検証許可状を発付した。

 (三) 警察官は、右検証許可状に基づき、右記載の各制限を遵守して、電話傍受を実施した。

 右の経緯に照らすと、本件電話傍受は、前記の一定の要件を満たす場合において、対象をできる限り限定し、かつ、適切な条件を付した検証許可状により行われたものと認めることができる。

 5 以上のとおり、電話傍受は本件当時捜査の手段として法律上認められていなかったということはできず、また、本件検証許可状による電話傍受は法律の定める手続に従って行われたものと認められる。所論は、右と異なる解釈の下に違憲をいうものであって、その前提を欠くものといわなければならない。

 二 弁護人佐藤義雄外三名の上告趣意のうち、その余の点は、単なる法令違反の主張であり、被告人本人の上告趣意は、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

 よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条により、主文のとおり決定する。この決定は、裁判官元原利文の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

 裁判官元原利文の反対意見は、次のとおりである。

 私は、電話傍受が本件当時捜査の手段として法律上認められていなかった強制処分であり、本件電話傍受により得られた証拠の証拠能力は否定されるべきであるから、これを肯定した原判決は破棄すべきものと考える。以下にその理由を述べる。

 一 電話傍受は、憲法二一条二項が保障する通信の秘密や、憲法一三条に由来するプライバシーの権利に対する重大な制約となる行為であるから、よしんばこれを行うとしても、憲法三五条が定める令状主義の規制に服するとともに、憲法三一条が求める適正な手続が保障されなければならない。電話傍受は、多数意見のいうとおり、検証としての性質をも有することは否めないところであるが、傍受の対象に犯罪と無関係な通話が混入する可能性は、程度の差はあっても否定することができず、傍受の実施中、傍受すべき通話に該当するか否かを判断するために選別的な聴取を行うことは避けられないものである。多数意見は、そのような選別的な聴取は、刑訴法一二九条所定の「必要な処分」に含まれると解し得るというが、犯罪に関係のある通話についてのみ検証が許されるとしながら、前段階の付随的な処分にすぎない「必要な処分」に無関係通話の傍受を含めることは、不合理というべきである。電話傍受に不可避的に伴う選別的な聴取は、検証のための「必要な処分」の範囲を超えるものであり、この点で、電話傍受を刑訴法上の検証として行うことには無理があるといわなければならない。

 二 電話傍受にあっては、その性質上令状の事前呈示の要件(刑訴法二二二条一項、一一〇条)を満たすことができないのはやむを得ないところであるが、適正手続の保障の見地から、少なくとも傍受終了後合理的な期間内に処分対象者に対し処分の内容について告知をすることが必要であるというべきである。また、電話傍受は、情報の押収という側面を有するから、違法な傍受が行われたときは、処分対象者に対し原状回復のための不服申立ての途が保障されていなければならない。ところが、検証については、郵便物等の押収に関する処分対象者への事後通知(同法一〇〇条三項)のような規定はなく、また、「押収に関する裁判又は処分」として準抗告の対象とすること(同法四二九条一項、四三〇条一項、二項)も認められていない。このように事後の告知及び不服申立ての各規定を欠く点で、電話傍受を刑訴法上の検証として行うことは、許されないというべきである。多数意見は、右の点を理由に検証許可状により電話傍受を行うことが許されなかったとまで解するのは相当でないというが、適正手続の保障への配慮が不十分であり、賛同することができない。

 三 以上の二点において、電話傍受を刑訴法上の検証として行うことはできないと解され、他に本件当時電話傍受を捜査の手段として許容する法律上の根拠が存したと認めることもできない。そうすると、電話傍受は本件当時捜査の手段として法律上認められていなかったものであり、検証許可状により行われた本件電話傍受は違法であるといわざるを得ない。そして、右違法は、法律上許容されない令状に基づき強制処分を行ったという点において、令状主義の精神を没却するような重大な違法に当たることが明らかであるから、本件電話傍受により得られた検証調書等の証拠能力は否定されるべきである(最高裁昭和五一年(あ)第八六五号同五三年九月七日第一小法廷判決・刑集三二巻六号一六七二頁参照)。よって、右証拠の証拠能力を肯定した原判決は法令に違反し、その違法は判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

(裁判長裁判官 金谷利廣 裁判官 千種秀夫 裁判官 元原利文 裁判官 奥田昌道)


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