百選掲載外の重要判例

2010年02月13日

砂川市有地神社訴訟(違憲判決) 平成22年1月20日

- 1 -
主 文
原判決を破棄する。
本件を札幌高等裁判所に差し戻す。
理 由
第1 事案の概要
1 本件は,砂川市(以下「市」という。)がその所有する土地を神社施設の敷
地として無償で使用させていることは,憲法の定める政教分離原則に違反する行為
であって,敷地の使用貸借契約を解除し同施設の撤去及び土地明渡しを請求しない
ことが違法に財産の管理を怠るものであるとして,市の住民である被上告人らが,
上告人に対し,地方自治法242条の2第1項3号に基づき上記怠る事実の違法確
認を求める事案である。
2 原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 神社施設の現在の所有関係等
市は,第1審判決別紙第1不動産目録記載の各土地(以下「本件各土地」とい
い,同目録記載の土地を個別に摘示するときは,その番号に従い「本件土地1」な
どという。ただし,文脈により明らかなときは「本件」を省略する。同様の表記に
つき,以下同じ。)を所有している。
本件各土地上には,第1審判決別紙第2及び第3のとおり,地域の集会場等であ
るS会館(以下「本件建物」という。)が建てられ,その一角にS神社(以下「本
件神社」という。)の祠が設置され,建物の外壁には「神社」との表示が設けられ
ている。また,本件土地1上には,鳥居及び地神宮が設置されている(以下,上記
の祠等をそれぞれ「本件祠」,「本件神社の表示」,「本件鳥居」及び「本件地神

- 2 -
宮」といい,これらの4物件を併せて「本件神社物件」という。)。
本件建物及び本件神社物件の所有者は,S連合町内会(以下「本件町内会」とい
う。)であり,市は,本件町内会に対し,本件各土地を無償で本件建物,鳥居及び
地神宮の敷地としての利用に供している(以下,市が本件各土地を本件神社物件の
ために無償で提供していることを「本件利用提供行為」という。)。
(2) 本件神社物件の形状及び配置状況
本件鳥居は,本件土地1上の国道12号線に面する部分に設置され,台石の上に
置かれた,堅固な構造を有する神明鳥居(幅約4.5m)で,その上部正面に「S
神社」の額が掲げられている。本件建物には,鳥居の正面に当たる部分に,会館入
口とは別に,「神社」と表示された入口が設けられ,さらにその入口を入った正面
に祠が設置されている。鳥居の脇には,「地神宮」と彫られた石造の地神宮が設置
されているが,鳥居,神社入口及び祠は一直線上に配置され,また,祠内には御神
体として天照大神が宿るとされる鏡が置かれている。
(3) 本件神社の現在の管理状況等
ア 本件神社は,宗教法人法所定の宗教法人ではなく,神社付近の住民らで構成
される氏子集団(以下「本件氏子集団」という。)によってその管理運営がされて
いる。本件氏子集団は,総代及び世話役各10名を置き,祭りの際には寄附を集
め,その会計を町内会の会計とは別に管理している。しかし,組織についての規約
等はなく,氏子の範囲を明確に特定することはできず,本件氏子集団を権利能力な
き社団と認めることはできない(そのため,前記のとおり,本件神社物件も,法的
には町内会の所有と認められる。)。
イ 本件町内会は,S地区の六つの町内会によって組織される地域団体で,本件

- 3 -
氏子集団を包摂し,各町内会の会員によって組織される運営委員会が本件建物の管
理運営を行っている。建物の主要部分を占める集会室の内には,机,いす,黒板,
カラオケ機器等が置かれ,ふだんは使用料を徴収して学習塾等の用途に使用されて
いる。
本件町内会及び本件氏子集団は,市に対し,本件各土地又は本件建物において本
件神社物件を所有し又は使用していることについて,対価を支払っていない。氏子
集団による建物の使用については,氏子総代が町内会に年6万円の使用料を支払っ
ている(本件記録によれば,この6万円は,後記ウの祭事の際の建物使用の対価で
あることがうかがわれる。)。
ウ 本件神社においては,初詣で,春祭り及び秋祭りという年3回の祭事が行わ
れている。初詣での際には,A神社から提供されたおみくじ,交通安全の札等が販
売され,代金及び売れ残ったおみくじ等はA神社に納められている。また,春祭り
及び秋祭りの際には,A神社から宮司の派遣を受け,「S神社」,「地神宮」など
と書かれたのぼりが本件鳥居の両脇に立てられる。秋祭りの際には,本件地神宮の
両脇に「奉納 地神宮 氏子中」などと書かれたのぼりが立てられて神事が行わ
れ,「秋季祭典 奉納 S神社」などと書かれた看板が地域に掲げられる。なお,
毎年8月のA神社の祭りの際には,本件神社にA神社のみこしが訪れ,かつては巫
女が舞を舞っていたこともある。
(4) 本件神社の沿革
ア S地区の住民らは,明治25年ころ,五穀豊穣を祈願して,現在の市立S小
学校(以下「本件小学校」という。)の所在地付近に祠を建てた。その後,同30
年,地元住民らが,神社創設発願者として,上記所在地付近の3120坪の土地に

- 4 -
ついて,北海道庁に土地御貸下願を提出して認められ,同所に神社の施設を建立し
た。同施設には同年9月に天照大神の分霊が祭られて鎮座祭が行われ,地元住民の
有志団体であるS青年会がその維持管理に当たった。
イ 明治36年に上記施設に隣接して本件小学校(当時の名称は公立B郡C小学
校)が建設されたが,昭和23年ころ,校舎増設及び体育館新設の計画が立てら
れ,その敷地として隣地である上記土地を使用することになったため,上記土地か
ら神社の施設を移転する必要が生じた。そこで,S地区の住民であるDが,上記計
画に協力するため,その所有する本件土地1及び4を同施設の移転先敷地として提
供した。同施設は,そのころ,同土地に移設され,同25年9月15日には同土地
上に本件地神宮も建てられた。
ウ Dは,昭和28年,本件土地1及び4に係る固定資産税の負担を解消するた
め,砂川町(同33年7月の市制施行により市となる。以下「町」という。)に同
土地の寄附願出をした。町は,同28年3月の町議会において,同土地の採納の議
決及び同土地を祠等の施設のために無償で使用させるとの議決をし,同月29日,
Dからの寄附に基づきその所有権を取得した。
エ 本件町内会(当時の名称はS部落連合会)は,昭和45年,市から補助金の
交付を受けて,本件各土地上に地域の集会場として本件建物を新築した。これに伴
い,本件町内会は,市から本件土地1及び4に加えて本件土地3(同土地は同年9
月に地元住民であるEらから市に寄附された。)を,北海土地改良区(以下「改良
区」という。)から本件土地2及び5を,いずれも本件建物の敷地として無償で借
用した。そして,建物の建築に伴い,本件土地1及び4上にあった従前の本件神社
の施設は,本件祠及び地神宮を除き取り壊され,建物内の一角に祠が移設され,本

- 5 -
件土地1上に本件鳥居が新設された(なお,従前存在した鳥居は取り壊されたこと
がうかがわれる。)。
オ 平成6年,市は,改良区から,本件土地2及び5をそれぞれ代金500万2
321円及び143万8296円で買い受けた。
カ 以上の過程を経て,本件各土地は,すべて市の所有地となり,現在,本件建
物,鳥居及び地神宮の敷地として無償で提供されている。
3 原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判示して,上告人が本件
町内会に対し本件神社物件の撤去請求をすることを怠る事実が違法であることを確
認する限度で被上告人らの請求を認容すべきものと判断した。
(1) 本件神社物件及び本件建物は宗教施設としての性格が明確で,本件利用提
供行為は,市が特定の宗教上の組織との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持
つものであり,一般人に対し市が特定の宗教に特別の便宜を与えているとの印象を
もたらすものであって,我が国の社会的,文化的諸条件に照らして相当とされる限
度を超え,憲法20条3項にいう宗教的活動に当たり,同項に違反し,憲法20条
1項後段及び89条の政教分離原則の精神に明らかに反するものというべきであ
る。
(2) 被上告人らは,上告人が本件利用提供行為に係る使用貸借契約を解除して
本件建物及び本件神社物件の収去及び土地明渡請求をしないことが違法であると主
張するところ,上記の憲法違反の状態は,上記契約を解除しなくとも,本件神社物
件を撤去させることによって是正することができるものであるから,上記契約を解
除するまでの必要は認められないが,市が本件町内会に対しその撤去を請求しない
ことは,違法に本件土地1及び2の管理を怠るものというべきである。

- 6 -
第2 上告代理人新川生馬,同朝倉靖の上告理由について
論旨は,本件神社物件の宗教性は希薄であり,町又は市が本件土地1及び2を取
得したのは宗教的目的に基づくものではないなどとして,本件利用提供行為は政教
分離原則を定めた憲法の規定に違反するものではないというものである。しかしな
がら,本件利用提供行為は憲法89条に違反し,ひいては憲法20条1項後段にも
違反するものであって,論旨は採用することができない。その理由は,次のとおり
である。
1 憲法判断の枠組み
憲法89条は,公の財産を宗教上の組織又は団体の使用,便益若しくは維持のた
め,その利用に供してはならない旨を定めている。その趣旨は,国家が宗教的に中
立であることを要求するいわゆる政教分離の原則を,公の財産の利用提供等の財政
的な側面において徹底させるところにあり,これによって,憲法20条1項後段の
規定する宗教団体に対する特権の付与の禁止を財政的側面からも確保し,信教の自
由の保障を一層確実なものにしようとしたものである。しかし,国家と宗教とのか
かわり合いには種々の形態があり,およそ国又は地方公共団体が宗教との一切の関
係を持つことが許されないというものではなく,憲法89条も,公の財産の利用提
供等における宗教とのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,
信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超え
るものと認められる場合に,これを許さないとするものと解される。
国又は地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地としての用に供する行
為は,一般的には,当該宗教的施設を設置する宗教団体等に対する便宜の供与とし
て,憲法89条との抵触が問題となる行為であるといわなければならない。もっと

- 7 -
も,国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されているといっても,当
該施設の性格や来歴,無償提供に至る経緯,利用の態様等には様々なものがあり得
ることが容易に想定されるところである。例えば,一般的には宗教的施設としての
性格を有する施設であっても,同時に歴史的,文化財的な建造物として保護の対象
となるものであったり,観光資源,国際親善,地域の親睦の場などといった他の意
義を有していたりすることも少なくなく,それらの文化的あるいは社会的な価値や
意義に着目して当該施設が国公有地に設置されている場合もあり得よう。また,我
が国においては,明治初期以来,一定の社寺領を国等に上知(上地)させ,官有地
に編入し,又は寄附により受け入れるなどの施策が広く採られたこともあって,国
公有地が無償で社寺等の敷地として供される事例が多数生じた。このような事例に
ついては,戦後,国有地につき「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に
関する法律」(昭和22年法律第53号)が公布され,公有地についても同法と同
様に譲与等の処分をすべきものとする内務文部次官通牒が発出された上,これらに
よる譲与の申請期間が経過した後も,譲与,売払い,貸付け等の措置が講じられて
きたが,それにもかかわらず,現在に至っても,なおそのような措置を講ずること
ができないまま社寺等の敷地となっている国公有地が相当数残存していることがう
かがわれるところである。これらの事情のいかんは,当該利用提供行為が,一般人
の目から見て特定の宗教に対する援助等と評価されるか否かに影響するものと考え
られるから,政教分離原則との関係を考えるに当たっても,重要な考慮要素とされ
るべきものといえよう。
そうすると,国公有地が無償で宗教的施設の敷地としての用に供されている状態
が,前記の見地から,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相

- 8 -
当とされる限度を超えて憲法89条に違反するか否かを判断するに当たっては,当
該宗教的施設の性格,当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至
った経緯,当該無償提供の態様,これらに対する一般人の評価等,諸般の事情を考
慮し,社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解するのが相当である。
以上のように解すべきことは,当裁判所の判例(最高裁昭和46年(行ツ)第6
9号同52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁,最高裁平成4年
(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁等)の
趣旨とするところからも明らかである。
2 本件利用提供行為の憲法適合性
(1) 前記事実関係等によれば,本件鳥居,地神宮,「神社」と表示された会館
入口から祠に至る本件神社物件は,一体として神道の神社施設に当たるものと見る
ほかはない。
また,本件神社において行われている諸行事は,地域の伝統的行事として親睦な
どの意義を有するとしても,神道の方式にのっとって行われているその態様にかん
がみると,宗教的な意義の希薄な,単なる世俗的行事にすぎないということはでき
ない。
このように,本件神社物件は,神社神道のための施設であり,その行事も,この
ような施設の性格に沿って宗教的行事として行われているものということができ
る。
(2) 本件神社物件を管理し,上記のような祭事を行っているのは,本件利用提
供行為の直接の相手方である本件町内会ではなく,本件氏子集団である。本件氏子
集団は,前記のとおり,町内会に包摂される団体ではあるものの,町内会とは別に

- 9 -
社会的に実在しているものと認められる。そして,この氏子集団は,宗教的行事等
を行うことを主たる目的としている宗教団体であって,寄附を集めて本件神社の祭
事を行っており,憲法89条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に当たるものと
解される。
しかし,本件氏子集団は,祭事に伴う建物使用の対価を町内会に支払うほかは,
本件神社物件の設置に通常必要とされる対価を何ら支払うことなく,その設置に伴
う便益を享受している。すなわち,本件利用提供行為は,その直接の効果として,
氏子集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にしているものということ
ができる。
(3) そうすると,本件利用提供行為は,市が,何らの対価を得ることなく本件
各土地上に宗教的施設を設置させ,本件氏子集団においてこれを利用して宗教的活
動を行うことを容易にさせているものといわざるを得ず,一般人の目から見て,市
が特定の宗教に対して特別の便益を提供し,これを援助していると評価されてもや
むを得ないものである。前記事実関係等によれば,本件利用提供行為は,もともと
は小学校敷地の拡張に協力した用地提供者に報いるという世俗的,公共的な目的か
ら始まったもので,本件神社を特別に保護,援助するという目的によるものではな
かったことが認められるものの,明らかな宗教的施設といわざるを得ない本件神社
物件の性格,これに対し長期間にわたり継続的に便益を提供し続けていることなど
の本件利用提供行為の具体的態様等にかんがみると,本件において,当初の動機,
目的は上記評価を左右するものではない。
(4) 以上のような事情を考慮し,社会通念に照らして総合的に判断すると,本
件利用提供行為は,市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが,我が国の社会

- 10 -
的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関
係で相当とされる限度を超えるものとして,憲法89条の禁止する公の財産の利用
提供に当たり,ひいては憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権の付
与にも該当すると解するのが相当である。
第3 職権による検討
1 本件は,被上告人らが地方自治法242条の2第1項3号に基づいて提起し
た住民訴訟であり,被上告人らは,前記のとおり政教分離原則との関係で問題とさ
れざるを得ない状態となっている本件各土地について,上告人がそのような状態を
解消するため使用貸借契約を解除し,神社施設の撤去を求める措置を執らないこと
が財産管理上違法であると主張する。
2 本件利用提供行為の現状が違憲であることは既に述べたとおりである。しか
しながら,これを違憲とする理由は,判示のような施設の下に一定の行事を行って
いる本件氏子集団に対し,長期にわたって無償で土地を提供していることによるも
のであって,このような違憲状態の解消には,神社施設を撤去し土地を明け渡す以
外にも適切な手段があり得るというべきである。例えば,戦前に国公有に帰した多
くの社寺境内地について戦後に行われた処分等と同様に,本件土地1及び2の全部
又は一部を譲与し,有償で譲渡し,又は適正な時価で貸し付ける等の方法によって
も上記の違憲性を解消することができる。そして,上告人には,本件各土地,本件
建物及び本件神社物件の現況,違憲性を解消するための措置が利用者に与える影
響,関係者の意向,実行の難易等,諸般の事情を考慮に入れて,相当と認められる
方法を選択する裁量権があると解される。本件利用提供行為に至った事情は,それ
が違憲であることを否定するような事情として評価することまではできないとして

- 11 -
も,解消手段の選択においては十分に考慮されるべきであろう。本件利用提供行為
が開始された経緯や本件氏子集団による本件神社物件を利用した祭事がごく平穏な
態様で行われてきていること等を考慮すると,上告人において直接的な手段に訴え
て直ちに本件神社物件を撤去させるべきものとすることは,神社敷地として使用す
ることを前提に土地を借り受けている本件町内会の信頼を害するのみならず,地域
住民らによって守り伝えられてきた宗教的活動を著しく困難なものにし,氏子集団
の構成員の信教の自由に重大な不利益を及ぼすものとなることは自明であるといわ
ざるを得ない。さらに,上記の他の手段のうちには,市議会の議決を要件とするも
のなども含まれているが,そのような議決が適法に得られる見込みの有無も考慮す
る必要がある。これらの事情に照らし,上告人において他に選択することのできる
合理的で現実的な手段が存在する場合には,上告人が本件神社物件の撤去及び土地
明渡請求という手段を講じていないことは,財産管理上直ちに違法との評価を受け
るものではない。すなわち,それが違法とされるのは,上記のような他の手段の存
在を考慮しても,なお上告人において上記撤去及び土地明渡請求をしないことが上
告人の財産管理上の裁量権を逸脱又は濫用するものと評価される場合に限られるも
のと解するのが相当である。
3 本件において,当事者は,上記のような観点から,本件利用提供行為の違憲
性を解消するための他の手段が存在するか否かに関する主張をしておらず,原審も
当事者に対してそのような手段の有無に関し釈明権を行使した形跡はうかがわれな
い。しかし,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段があり得ること
は,当事者の主張の有無にかかわらず明らかというべきである。また,原審は,本
件と併行して,本件と当事者がほぼ共通する市内の別の神社(T神社)をめぐる住

- 12 -
民訴訟を審理しており,同訴訟においては,市有地上に神社施設が存在する状態を
解消するため,市が,神社敷地として無償で使用させていた市有地を町内会に譲与
したことの憲法適合性が争われていたところ,第1,2審とも,それを合憲と判断
し,当裁判所もそれを合憲と判断するものである(最高裁平成19年(行ツ)第3
34号)。原審は,上記訴訟の審理を通じて,本件においてもそのような他の手段
が存在する可能性があり,上告人がこうした手段を講ずる場合があることを職務上
知っていたものである。
そうすると,原審が上告人において本件神社物件の撤去及び土地明渡請求をする
ことを怠る事実を違法と判断する以上は,原審において,本件利用提供行為の違憲
性を解消するための他の合理的で現実的な手段が存在するか否かについて適切に審
理判断するか,当事者に対して釈明権を行使する必要があったというべきである。
原審が,この点につき何ら審理判断せず,上記釈明権を行使することもないまま,
上記の怠る事実を違法と判断したことには,怠る事実の適否に関する審理を尽くさ
なかった結果,法令の解釈適用を誤ったか,釈明権の行使を怠った違法があるもの
というほかない。
第4 結論
以上によれば,本件利用提供行為を違憲とした原審の判断は是認することができ
るが,上告人が本件神社物件の撤去請求をすることを怠る事実を違法とした判断に
は,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。そこで,原判決を職権
で破棄し,本件利用提供行為の違憲性を解消するための他の手段の存否等について
更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官今井功,同堀籠幸男の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意

- 13 -
見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官藤田宙靖,同田原睦夫,同近藤崇晴の
各補足意見,裁判官甲斐中辰夫,同中川了滋,同古田佑紀,同竹内行夫の意見があ
る。
続きを読む

cooshot5693 at 20:17|PermalinkTrackBack(0)clip!

2007年02月28日

君が代伴奏拒否訴訟 平成19年2月27日 最高裁判所第3小法廷判決

事件番号 平成16(行ツ)328
事件名 戒告処分取消請求事件
裁判年月日 平成19年02月27日
法廷名 最高裁判所第三小法廷
裁判種別 判決
結果 棄却
判例集巻・号・頁

原審裁判所名 東京高等裁判所
原審事件番号 平成16(行コ)13
原審裁判年月日 平成16年07月07日

判示事項
裁判要旨 市立小学校の音楽専科の教諭に対して校長がした入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする職務上の命令が憲法19条に違反しないとされた事例




主 文

本件上告を棄却する。上告費用は上告人の負担とする。

理 由

1 本件は,市立小学校の音楽専科の教諭である上告人が,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わなかったことを理由に被上告人から戒告処分を受けたため,上記命令は憲法19条に違反し,上記処分は違法であるなどとして,被上告人に対し,上記処分の取消しを求めている事案である。2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

 (1) 上告人は,平成11年4月1日から日野市立南平小学校に音楽専科の教諭として勤務していた。

 (2) 南平小学校では,同7年3月以降,卒業式及び入学式において,音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきており,同校の校長 (以下「校長」という。)は,同11年4月6日に行われる入学式 (以下「本件入学式」という。)においても,式次第に「国歌斉唱」を入れて音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」を斉唱することとした。

 (3) 同月5日,南平小学校において本件入学式の最終打合せのための職員会議が開かれた際,上告人は,事前に校長から国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう言われたが,自分の思想,信条上,また音楽の教師としても,これを行うことはできない旨発言した。校長は,上告人に対し,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じたが,上告人は,これに応じない旨返答した。

 (4) 校長は,同月6日午前8時20分過ぎころ,校長室において,上告人に対し,改めて,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じた (以下,校長の上記 (3)及び (4)の命令を「本件職務命令」という。)が,上告人は,これに応じない旨返答した。

 (5) 同日午前10時,本件入学式が開始された。司会者は,開式の言葉を述べ,続いて「国歌斉唱」と言ったが,上告人はピアノの椅子に座ったままであった。校長は,上告人がピアノを弾き始める様子がなかったことから,約5ないし10秒間待った後,あらかじめ用意しておいた「君が代」の録音テープにより伴奏を行うよう指示し,これによって国歌斉唱が行われた。

 (6) 被上告人は,上告人に対し,同年6月11日付けで,上告人が本件職務命令に従わなかったことが地方公務員法32条及び33条に違反するとして,地方公務員法 (平成11年法律第107号による改正前のもの)29条1項1号ないし3号に基づき,戒告処分をした。3 上告代理人吉峯啓晴ほかの上告理由第2のうち本件職務命令の憲法19条違反をいう部分について

 (1) 上告人は,「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており,これを公然と歌ったり,伴奏することはできない,また,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ,このような考えは,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきでないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできず,上告人に対して本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が,直ちに上告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないというべきである。

 (2) 他方において,本件職務命令当時,公立小学校における入学式や卒業式において,国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することは困難なものであり,特に,職務上の命令に従ってこのような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であるといわざるを得ない。本件職務命令は,上記のように,公立小学校における儀式的行事において広く行われ,南平小学校でも従前から入学式等において行われていた国歌斉唱に際し,音楽専科の教諭にそのピアノ伴奏を命ずるものであって,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。

 (3) さらに,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかんがみ,地方公務員法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し,同法32条は,上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定するところ,上告人は,南平小学校の音楽専科の教諭であって,法令等や職務上の命令に従わなければならない立場にあり,校長から同校の学校行事である入学式に関して本件職務命令を受けたものである。そして,学校教育法18条2号は,小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について,正しい理解に導き,進んで国際協調の精神を養うこと。」を規定し,学校教育法 (平成11年法律第87号による改正前のもの)20条,学校教育法施行規則 (平成12年文部省令第53号による改正前のもの)25条に基づいて定められた小学校学習指導要領 (平成元年文部省告示第24号)第4章第2D (1)は,学校行事のうち儀式的行事について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めるところ,同章第3の3は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは,これらの規定の趣旨にかなうものであり,南平小学校では従来から入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきたことに照らしても,本件職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできないというべきである。

 (4) 以上の諸点にかんがみると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である。なお,上告人は,雅楽を基本にしながらドイツ和声を付けているという音楽的に不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家としても教育者としてもできないという思想及び良心を有するとも主張するが,以上に説示したところによれば,上告人がこのような考えを有することから本件職務命令が憲法19条に反することとなるといえないことも明らかである。以上は,当裁判所大法廷判決 (最高裁昭和28年 (オ)第1241号同31年7月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年 (あ)第1501号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁及び最高裁昭和44年 (あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号1178頁)の趣旨に徴して明らかである。所論の点に関する原審の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができない。
 
 4 その余の上告理由について論旨は,違憲及び理由の不備をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。よって,裁判官藤田宙靖の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

 なお,裁判官那須弘平の補足意見がある。

 裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
 私は,本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見にくみするものであるが,その理由とするところについては,以下のとおり若干の補足をする必要があると考える。
 1 学校の儀式的行事において国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,一般的には上告人の有する「君が代」に関する特定の歴史観ないし世界観と不可分に結び付くものということはできず,国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする職務命令を発しても,その歴史観ないし世界観を否定することにはならないこと (理由3 (1)),客観的に見ても,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるものであって,その伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明する行為であると評価することが困難であること (同3 (2))は,多数意見のとおりである。しかし,本件の核心問題は,「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりであるとしても,上告人の場合はこれが当てはまらないと上告人自身が考える点にある。上告人の立場からすると,職務命令により入学式における「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,上告人の前記歴史観や世界観を否定されることであり,さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなるものではないかと思われる。この点,本件で問題とされているピアノ伴奏は,外形的な手足の作動だけでこれを行うことは困難であって,伴奏者が内面に有する音楽的な感覚・感情や知識・技能の働きを動員することによってはじめて演奏可能となり,意味のあるものになると考えられる。上告人のような信念を有する人々が学校の儀式的行事において信念に反して「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,演奏のために動員される上記のような音楽的な内心の働きと,そのような行動をすることに反発し演奏をしたくない,できればやめたいという心情との間に心理的な矛盾・葛藤を引き起こし,結果として伴奏者に精神的苦痛を与えることがあることも,容易に理解できることである。本件職務命令は,上告人に対し上述の意味で心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点で,同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ,ひいては思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。したがって,本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては,上告人が上記のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提として,これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷えんして述べる必要があると考える。

 2 上記の点について,多数意見が挙げる憲法15条2項 (「全体の奉仕者」),地方公務員法30条 (「全体の奉仕者」として「公共の利益」のために勤務),32条 (法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)等の規定と,上告人のような「君が代」斉唱に批判的な信念を持つ教師の思想・良心の自由との関係については,以下のとおり理解することができる。第1に,入学式におけるピアノ伴奏は,一方において演奏者の内心の自由たる「思想及び良心」の問題に深く関わる内面性を持つと同時に,他方で入学式の進行において参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する行為である。その内面性に着目すれば,演奏者の「思想及び良心の自由」の保障の対象に含まれ得るが,外部性に着目すれば学校行事の一環としての「君が代」斉唱をより円滑かつ効果的なものにするに必要な行為にほかならず,音楽専科の教諭の職務の一つとして校長の職務命令の対象となり得る性質のものである。このような両面性を持った行為が,「思想及び良心の自由」を理由にして,学校行事という重要な教育活動の場から事実上排除されたり,あるいは各教師の個人的な裁量にゆだねられたりするのでは,学校教育の均質性や組織としての学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こし,ひいては良質な教育活動の実現にも影響を与えかねない。なお,学校の教師は専門的な知識と技能を有し,高い見識を備えた専門性を有するものではあるが,個別具体的な教育活動がすべて教師の専門性に依拠して各教師の裁量にゆだねられるということでは,学校教育は成り立たない面がある。少なくとも,入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動 (必ずしも参加者の画一的・一律の行動を要求するものではないが,少なくとも無秩序に流れることにより学校行事の意義を損ねることのない態様のものであること)が必要とされる面があって,学校行事に関する校長の教職員に対する職務命令を含む監督権もこの目的に資するところが大きい。第2に,入学式における「君が代」の斉唱については,学校は消極的な意見を有する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが,他方で斉唱することに積極的な意義を見いだす人々の立場をも十分に尊重する必要がある。そのような多元的な価値の併存を可能とするような運営をすることが学校としては最も望ましいことであり,これが「全体の奉仕者」としての公務員の本質 (憲法15条2項)にも合致し,また「公の性質」を有する学校における「全体の奉仕者」としての教員の在り方 (平成18年法律第120号による全部改正前の教育基本法6条1項及び2項)にも調和するものであることは明らかである。他面において,学校行事としての教育活動を適時・適切に実践する必要上,上記のような多元性の尊重だけではこと足りず,学校としての統一的な意思決定と,その確実な遂行が必要な場合も少なくなく,この場合には,校長の監督権 (学校教育法28条3項)や,公務員が上司の職務上の命令に従う義務 (地方公務員法32条)の規定に基づく校長の指導力が重要な役割を果たすことになる。そこで,前記のような両面性を持った行為についても,行事の目的を達成するために必要な範囲内では,学校単位での統一性を重視し,校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。

 3 本件職務命令は,小学校における入学式に際し,その式典の一環として従前の例に従い「君が代」を斉唱することを学校の方針として決定し,これを実施するために発せられたものである。そして,入学式において,「君が代」を斉唱させることが義務的なものかどうかについてはともかく,少なくとも本件当時における市立小学校においては,学校現場の責任者である校長が最終的な裁量権を行使して斉唱を行うことを決定することまで否定することは,上記校長の権限との関係から見ても,困難である。そうしてみると,学校が組織として国歌斉唱を行うことを決めたからには,これを効果的に実施するために音楽専科の教諭に伴奏させることは極めて合理的な選択であり,その反面として,これに代わる措置としてのテープ演奏では,伴奏の必要性を十分に満たすものとはいえないことから,指示を受けた教諭が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務としてこれを行わせる形を採ることも,必要な措置として憲法上許されると解する。この場合,職務命令を受けた教諭の中には,上告人と同様な理由で伴奏することに消極的な信条・信念を持つ者がいることも想定されるところであるが,そうであるからといって思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することを許していては,職場の秩序が保持できないばかりか,子どもたちが入学式に参加し国歌を斉唱することを通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め,学習意欲を高めるための格好の機会を奪ったり損ねたりすることにもなり,結果的に集団活動を通じ子どもたちが修得すべき教育上の諸利益を害することとなる。入学式において「君が代」の斉唱を行うことに対する上告人の消極的な意見は,これが内面の信念にとどまる限り思想・良心の自由の観点から十分に保障されるべきものではあるが,この意見を他に押しつけたり,学校が組織として決定した斉唱を困難にさせたり,あるいは学校が定めた入学式の円滑な実施に支障を生じさせたりすることまでが認められるものではない。

 4 上告人は,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま,「君が代」を歌わせることは,教師としての職業的「思想・良心」に反するとも主張する。上告人の主張にかかる上記職業的な思想・良心も,それが内面における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが,学校教育の実践の場における問題としては,各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認められるにしても,すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく,それぞれの学校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い,総合的統一的に整然と実施されなければ,教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理である。殊に,入学式や卒業式等の行事は,通常教員が単独で担当する各クラス単位での授業と異なり,学校全体で実施するもので,その実施方法についても全校的に統一性をもって整然と実施される必要があり,本件職務命令もこの観点から事前にしかも複数回にわたって校長から上告人に発出されたものであった。したがって,南平小学校において,入学式における国歌斉唱を行うことが組織として決定された後は,上記のような思想・良心を有する上告人もこれに協力する義務を負うに至ったというべきであり,本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した措置であって,これを違憲,違法とする理由は見いだし難い。裁判官藤田宙靖の反対意見は,次のとおりである。私は,上告人に対し,その意に反して入学式における「君が代」斉唱のピアノ伴奏を命ずる校長の本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないとする多数意見に対しては,なお疑問を抱くものであって,にわかに賛成することはできない。その理由は,以下のとおりである。

 1 多数意見は,本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を,上告人の有する「歴史観ないし世界観」 (すなわち,「君が代」が過去において果たして来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であるととらえ,このような理解を前提とした上で,本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,この歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできないとして,上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が,直ちに,上告人のこの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないとし,また,このようなピアノ伴奏を命じることが,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,特定の思想の有無について告白することを強要するものであるということはできないとする。これはすなわち,憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には (例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものということができよう。しかし,私には,まず,本件における真の問題は,校長の職務命令によってピアノの伴奏を命じることが,上告人に「『君が代』に対する否定的評価」それ自体を禁じたり,あるいは一定の「歴史観ないし世界観」の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるのではなく (上告人が,多数意見のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っていること自体は,既に本人自身が明らかにしていることである。そして,「踏み絵」の場合のように,このような告白をしたからといって,そのこと自体によって,処罰されたり懲戒されたりする恐れがあるわけではない。),むしろ,入学式においてピアノ伴奏をすることは,自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり,それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるように思われる。そうであるとすると,本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」としては,このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価 (従って,また,このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・信条に反する行為 (本件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても,改めて検討する必要があるものといわなければならない。このことは,例えば,「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く,従って,例えばオリンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること自体については抵抗感が無くとも,一方で「君が代」に対する評価に関し国民の中に大きな分かれが現に存在する以上,公的儀式においてその斉唱を強制することについては,そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし,また現にこのような考え方を採る者も少なからず存在するということからも,いえるところである。この考え方は,それ自体,上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信念・信条そのものに対する直接的抑圧となることは,明白であるといわなければならない。そしてまた,こういった信念・信条が,例えば「およそ法秩序に従った行動をすべきではない」というような,国民一般に到底受け入れられないようなものであるのではなく,自由主義・個人主義の見地から,それなりに評価し得るものであることも,にわかに否定することはできない。本件における,上告人に対してピアノ伴奏を命じる職務命令と上告人の思想・良心の自由との関係については,こういった見地から更に慎重な検討が加えられるべきものと考える。

 2 多数意見は,また,本件職務命令が憲法19条に違反するものではないことの理由として,憲法15条2項及び地方公務員法30条,32条等の規定を引き合いに出し,現行法上,公務員には法令及び上司の命令に忠実に従う義務があることを挙げている。ところで,公務員が全体の奉仕者であることから,その基本的人権にそれなりの内在的制約が伴うこと自体は,いうまでもなくこれを否定することができないが,ただ,逆に,「全体の奉仕者」であるということからして当然に,公務員はその基本的人権につき如何なる制限をも甘受すべきである,といったレヴェルの一般論により,具体的なケースにおける権利制限の可否を決めることができないことも,また明らかである。本件の場合にも,ピアノ伴奏を命じる校長の職務命令によって達せられようとしている公共の利益の具体的な内容は何かが問われなければならず,そのような利益と上記に見たようなものとしての上告人の「思想及び良心」の保護の必要との間で,慎重な考量がなされなければならないものと考える。ところで,学校行政の究極的目的が「子供の教育を受ける利益の達成」でなければならないことは,自明の事柄であって,それ自体は極めて重要な公共の利益であるが,そのことから直接に,音楽教師に対し入学式において「君が代」のピアノ伴奏をすることを強制しなければならないという結論が導き出せるわけではない。本件の場合,「公共の利益の達成」は,いわば,「子供の教育を受ける利益の達成」という究極の (一般的・抽象的な)目的のために,「入学式における『君が代』斉唱の指導」という中間目的が (学習指導要領により)設定され,それを実現するために,いわば,「入学式進行における秩序・紀律」及び「 (組織決定を遂行するための)校長の指揮権の確保」を具体的な目的とした「『君が代』のピアノ伴奏をすること」という職務命令が発せられるという構造によって行われることとされているのである。そして,仮に上記の中間目的が承認されたとしても,そのことが当然に「『君が代』のピアノ伴奏を強制すること」の不可欠性を導くものでもない。公務員の基本的人権の制約要因たり得る公共の福祉ないし公共の利益が認められるか否かについては,この重層構造のそれぞれの位相に対応して慎重に検討されるべきであると考えるのであって,本件の場合,何よりも,上記の1「入学式進行における秩序・紀律」及び2「校長の指揮権の確保」という具体的な目的との関係において考量されることが必要であるというべきである。このうち上記1については,本件の場合,上告人は,当日になって突如ピアノ伴奏を拒否したわけではなく,また実力をもって式進行を阻止しようとしていたものでもなく,ただ,以前から繰り返し述べていた希望のとおりの不作為を行おうとしていたものにすぎなかった。従って,校長は,このような不作為を充分に予測できたのであり,現にそのような事態に備えて用意しておいたテープによる伴奏が行われることによって,基本的には問題無く式は進行している。ただ,確かに,それ以外の曲については伴奏をする上告人が,「君が代」に限って伴奏しないということが,参列者に一種の違和感を与えるかもしれないことは,想定できないではないが,問題は,仮に,上記1において見たように,本件のピアノ伴奏拒否が,上告人の思想・良心の直接的な表現であるとして位置付けられるとしたとき,このような「違和感」が,これを制約するのに充分な公共の福祉ないし公共の利益であるといえるか否かにある (なお,仮にテープを用いた伴奏が吹奏楽等によるものであった場合,生のピアノ伴奏と比して,どちらがより厳粛・荘厳な印象を与えるものであるかには,にわかには判断できないものがあるように思われる。)。また,上記2については,仮にこういった目的のために校長が発した職務命令が,公務員の基本的人権を制限するような内容のものであるとき,人権の重みよりもなおこの意味での校長の指揮権行使の方が重要なのか,が問われなければならないことになる。原審は,「思想・良心の自由も,公教育に携わる教育公務員としての職務の公共性に由来する内在的制約を受けることからすれば,本件職務命令が,教育公務員である控訴人の思想・良心の自由を制約するものであっても,控訴人においてこれを受忍すべきものであり,受忍を強いられたからといってそのことが憲法19条に違反するとはいえない。」というのであるが,基本的人権の制約要因たる公共の利益の本件における上記具体的構造を充分に踏まえた上での議論であるようには思われない。また,原審及び多数意見は,本件職務命令は,教育公務員それも音楽専科の教諭である上告人に対し,学校行事におけるピアノ伴奏を命じるものであることを重視するものと思われるが,入学式におけるピアノ伴奏が,音楽担当の教諭の職務にとって少なくとも付随的な業務であることは否定できないにしても,他者をもって代えることのできない職務の中枢を成すものであるといえるか否かには,なお疑問が残るところであり (付随的な業務であるからこそ,本件の場合テープによる代替が可能であったのではないか,ともいえよう。ちなみに,上告人は,本来的な職務である音楽の授業においては,「君が代」を適切に教えていたことを主張している。),多数意見等の上記の思考は,余りにも観念的・抽象的に過ぎるもののように思われる。これは,基本的に「入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然たる活動が必要とされる」という理由から本件において上告人にピアノ伴奏を命じた校長の職務命令の合憲性を根拠付けようとする補足意見についても同様である。

 3 以上見たように,本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて,更に詳細な検討を加える必要があり,また,そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については,本件事案の内容に即した,より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。このような作業を行ない,その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につき改めて検討させるべく,原判決を破棄し,本件を原審に差し戻す必要があるものと考える。

 (裁判長裁判官 那須弘平 裁判官 上田豊三 裁判官 藤田宙靖 裁判官堀籠幸男 裁判官 田原睦夫)

最高裁リンク

cooshot5693 at 20:03|Permalinkclip!