国法の形式

2007年03月15日

条例による罰則 最高裁昭和37年5月30日大法廷判決


判例
S37.05.30 大法廷・判決 昭和31(あ)4289 大阪市条例第六八号違反(第16巻5号577頁)


判示事項:
一 憲法第三一条の趣旨―刑罰はすべて法律そのもので定めなければならないか。

二 地方自治法第一四条第五項およびこれに基づく昭和二五年大阪市条例第六八号第二条第一項の合憲性。


要旨:
一 憲法三一条はかならずしも刑罰がすべて法律そのもので定められなければならないとするものでなく、法律の授権によつてそれ以下の法令によつて定めることもできると解すべきで、このことは憲法七三条六号但書によつても明らかである。

二 地方自治法第一四条第五項およびこれに基づく昭和二五年大阪市条例第六八号「街路等における売春勧誘行為等の取締条例」第二条第一項は、憲法第三一条に違反しない。


参照・法条:
  憲法31条,憲法73条6号,憲法94条,地方自治法2条2項,地方自治法2条3項1号,地方自治法14条1項,地方自治法14条5項,昭和25年大阪市条例68号,昭和25年大阪市条例2条1項,売春防止法附則4項,売春防止法附則5項


内容:
 件名  大阪市条例第六八号違反 (最高裁判所 昭和31(あ)4289 大法廷・判決 棄却)
 原審  大阪高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
         
理    由

 弁護人秋山英夫の上告趣意一について。

 わが憲法の下における社会生活の法的規律は、通常、基本的なそして全国にわたり劃一的効力を持つ法律によつてなされるが、中には各地方の自然的ないし社会的状態に応じその地方の住民自身の理想に従つた規律をさせるためこれを各地方公共団体の自治に委ねる方が一層民主主義的かつ合目的的なものもあり、また、ときには、いずれの方法によつて規律しても差支えないものもあるので、憲法は、地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定めるべく(憲法九二条)、これに議会を設置し、その議員、地方公共団体の長等は、その住民が直接これを選挙すべきもの(同九三条)と定めた上、地方公共団体は、その事務を処理し行政を執行する等の権能を有するほか、法律の範囲内で条例を制定することができる旨を定めたのである(同九四条)(昭和二九年(あ)第二六七号同三三年一〇月一五日大法廷判決、刑集一二巻一四号三三〇六頁参照)。すなわち、地方公共団体の制定する条例は、憲法が特に民主主義政治組織の欠くべからざる構成として保障する地方自治の本旨に基づき(同九二条)、直接憲法九四条により法律の範囲内において制定する権能を認められた自治立法に外ならない。従つて条例を制定する権能もその効力も法律の認める範囲を越えることはできないけれども、法律の範囲内にあるかぎり、条例はその効力を有するものといわなければならない(昭和二六年(あ)第三一八八号同二九年一一月二四日大法廷判決、刑集八巻一一号一八七五頁参照)。

 第一審判決認定事実に適用され原審が合憲合法とした条例は、昭和二五年一二月一日公布施行にかかる大阪市条例第六八号街路等における売春勧誘行為等の取締条例(以下本件条例という)二条一項であつて、右条項は、売春の目的で街路その他公の場所において他人の身辺につきまとい又は誘う行為に対し五千円以下の罰金又は拘留に処すべき旨を規定するのてあるところ、地方自治法二条二項、三項は風俗又は清潔を汚す行為の制限その他の保健衛生、風俗のじゆん化に関する事項を処理すること(同三項七号)ならびに、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること(同項一号)が普通地方公共団体(以下地方公共団体という)の処理する行政事務に属する旨を明定するとともに、同法一四条一項、五項は、地方公共団体は法令に特別の定があるものを除く外、その条例中に、条例違反者に対し二年以下の懲役若しくは禁錮、十万円以下の罰金、拘留、科料又は没収の刑を科する旨の規定を設けることができると定めており、被告人の本件行為当時本件条例二条一項所定の事項に関し法令に特別の定がなかつたことは明らかである。

 論旨は、右地方自治法一四条一項、五項が法令に特別の定があるものを除く外、その条例中に条例違反者に対し前示の如き刑を科する旨の規定を設けることができるとしたのは、その授権の範囲が不特定かつ抽象的で具体的に特定されていない結果一般に条例でいかなる事項についても罰則を付することが可能となり罪刑法定主義を定めた憲法三一条に違反する、と主張する。

 しかし、憲法三一条はかならずしも刑罰がすべて法律そのもので定められなければならないとするものでなく、法律の授権によつてそれ以下の法令によつて定めることもできると解すべきで、このことは憲法七三条六号但書によつても明らかである。ただ、法律の授権が不特定な一般的の白紙委任的なものであつてはならないことは、いうまでもない。ところで、地方自治法二条に規定された事項のうちで、本件に関係のあるのは三項七号及び一号に挙げられた事項であるが、これらの事項は相当に具体的な内容のものであるし、同法一四条五項による罰則の範囲も限定されている。しかも、条例は、法律以下の法令といつても、上述のように、公選の議員をもつて組織する地方公共団体の議会の議決を経て制定される自治立法であつて、行政府の制定する命令等とは性質を異にし、むしろ国民の公選した議員をもつて組織する国会の議決を経て制定される法律に類するものであるから、条例によつて刑罰を定める場合には、法律の授権が相当な程度に具体的であり、限定されておればたりると解するのが正当である。そうしてみれば、地方自治法二条三項七号及び一号のように相当に具体的な内容の事項につき、同法一四条五項のように限定された刑罰の範囲内において、条例をもつて罰則を定めることがてきるとしたのは、憲法三一条の意味において法律の定める手続によつて刑罰を科するものということができるのであつて、所論のように同条に違反するとはいえない。従つて地方自治法一四条五項に基づく本件条例の右条項も憲法同条に違反するものということができない。

 同二について。

 論旨は街頭での売春勧誘行為の如きはこれを取り締るか否かを定めることは国の事務であると主張し憲法九四条違反をいうが、およそ法的規律には法律によるべきものと、法律によつてもまた政令、条例によつても差支えないものもあること前点説示のとおりであり、売春防止法成立前にあつては、右のような行為につき取締罰則を定めた法令はなく、当時としては各地方公共団体はかような行為を地方自治法一四条により罰則付条例をもつて取り締ることができたものというべく、従つて、かような時期に大阪市の制定した本件条例には所論のような違法、違憲はなく、論旨は理由がない。

 同三について。

 論旨は、売春防止法成立前には売春勧誘行為を処罰することは当時の法意識、換言すれば法秩序に反するものである旨を主張し、これを前提として、本件条例二条一項は憲法の罪刑法定主義の原則に違反するというが、右前提は独自の見解で容認するにたりないから、違憲の所論は前提を欠き採ることをえない。

 よつて刑訴四〇八条に従い主文のとおり判決する。

 この判決は裁判官藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同奥野健一の補足意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。

 裁判官入江俊郎の補足意見は次のとおりである。

 弁護人秋山英夫の上告趣意一について。

 一 憲法三条は、いわゆる罪刑法定主義の根拠たる法条であつて、刑罰を科する手続規定を法律をもつて定めなければならないばかりでなく、犯罪とされる行為の内容および刑罰の種類、程度等、罪刑の実体規定をも法律をもつて定めなければならないことを趣旨とし、また、これを国会の議決を経た国法たる法律で定めることとした所以のものは、いかなる行為が犯罪とされるか、これにいかなる刑罰を科するかという刑罰権の基本は、国家主権の権能に属するものであることを前提としているのであつて、基本的人権保障という民主的要請からいつて、極めて重要な規定である。しかし、罪刑に関する手続規定、実体規定の一切を直接法律をもつて定めることは、必らずしも実情に副わず、事宜に適したものといい難いので、前記民主的要請に反しない限度において、その例外を認めることはやむを得ないところであり、憲法は七三条六号但書において、「特にその法律の委任がある場合」には、政令で罰則を設けることができる途を認めている。そして、右罰則委任は、憲法上の重要な罪刑法定主義に対する例外であるから、前記「特にその法律の委任がある場合」というのも厳格に解釈されており、一般的ないし包括的委任は許されず、個別的ないし限定的委任であることを必要とし、すなわち罰則委任をするそれぞれの法律において、違反行為に当る事項を限定し、これに科せらるべき刑罰の程度を示して、委任しなければならないものと解されているのである。蓋し、憲法三一条が罪刑については国会の議決を経た法律で定めることとした以上は、法律以外の形式の法令に罰則を委任しようとするならば、それは、そのような例外を認めるにつき必要な限度においてはじめて許さるべきものであるから、その委任の形式は一般的であつてはならず、常に個別的なものでなければならないことは当然というべきであろう。二 ところで、憲法は右のごとく、明文をもつて法律による政令への罰則委任を認めたが、憲法の趣旨とするところは、いわゆる委任命令をこの場合だけに限るとしたものではなく、ひろく委任命令の制度を認容しているものであり、罰則委任も、政令以外の法令への委任を禁じたものではないと解されている(国家行政組織法一二条四項参照)。なお、わたくしは、法律で規定すれば、地方公共団体の条例に対しても、罰則を委任することを得ると解するものであり、条例を地方公共団体の自主立法と認めて、その制定権を根拠づけた憲法九四条等の法条が、地方公共団体に固有の刑罰権を認めた趣旨を包含するものとも、また罪刑法定主義を定めた前記憲法三一条の規定の特例をなすものとも、到底考えられないから、わたくしは条例で罰則を規定するにも、必らず法律の委任が必要であると思うのである。

 そして、わたくしは、法律が政令以外の法令に罰則を委任する場合においても、政令に対すると同様に一般的委任は許されず、個別的委任たることを要するものと解するのであり、それ故にこそ憲法施行とともに、明治二三年法律第八四号(命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件)は廃止され、また平和条約発効とともに、昭和二〇年緊急勅令第五四二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)が廃止されるに至つたことは、憲法上の当然の要請であつたというべきであつて、このことは条例に罰則を委任する場合においても、また同様でなければならぬと思う。或いは、これに対し、条例は、公選による議員をもつて組織される地方議会の議決を経るもので、政令等行政府のみで制定する法令と異なり、地方公共団体の自主立法として、民主的性質を有するものであるから、条例に罰則を委任する場合は一般的委任で差支えないと説く者もある。しかし、この場合論者は、しからば前記の明治二三年法律第八四号や、昭和二〇年緊急勅令第五四二号のごとき委任の仕方でも、条例への罰則委任は許されるというのであろうか。条例が論者のいうように、制定過程において民主的なものであり、憲法の認めた地方公共団体の自主立法であることはわたくしも充分承認するけれども、それだからといつて、条例への罰則委任が、そのような一般的委任(一般的委任という言葉は、普通は、そのような形式の委任を指すものとして使われていると思う。)でよいという考え方には賛同しかねるのである。

 ただ、ここでわたくしの指摘しておきたいことは、ひと口に個別的委任といつても、条例への委任の仕方と、政令等行政府のみで制定する法令への委任の仕方との間に、若干差異があつてもよいということである。すなわち、条例は、公選による議員をもつて組織する地方議会の議決を経た地方公共団体の民主的な自主立法である点において、条例への罰則の委任の仕方は、政令等行政府のみで制定する法令に対する委任の場合に比較して、より緩やかなものであつてもよいと思うのである。勿論それは、基本的人権保障という民主的要請に反しない限度においてであり、また、憲法上認められている地方公共団体の自主立法たる条例の性格に適合する限度においてではあるが。そして、その委任の仕方がどの程度に個別的であればよいかは、法律がどのような規定の下に罰則を条例に委任しているかを具体的に検討して結論を出さねばならない。三 そこで、まず、地方自治法の規定をみると、条例への罰則委任の根拠規定は同法一四条五項の規定であることは明らかであるが、この規定だけをみると、刑罰の範囲は限定されてはいるけれども、その委任の仕方は恰かも前記明治二三年法律第八四号に類するものであり、憲法の認めない一般的委任であるかのごとく解されないことはない。しかし、この規定のほか、地方自治法には一四条一項、二条二項、三項の規定があり、これら諸規定は、相まつて適用されることになるのである。すなわち、同法二条二項は条例の規定事項の範囲を定めるとともに、同条三項は、極めて具体的、詳細にその事項の内容を例示している。条例は、結局例示されたそれらの具体的、詳細な事項につき規定を設け、これに必要な取締りを定めることとなるのであつて、それらの取締りに違反した者に対し、同法一四条五項の委任による刑罰が科せられることとなるのである。ことに本件においては、同法二条三項七号、一号に挙げられた相当具体的な内容の事項に関する条例につき、罰則の範囲も限定されている同法一四条五項が適用されるのである。しからば、条例への罰則委任の規定である右一四条五項は、同条一項、同法二条二項、三項と相まつて、個別的罰則委任の規定に外ならないと解することを得るのであつて、この程度に個別的であれば結局、条例において違反行為とされる事項は、法律上相当具体的に示されており、科せられるべき刑罰には限度が附せられており、地方公共団体の自主立法である条例への罰則委任として妥当というべく、憲法三一条にいう法律の定める手続によつて刑罰を科するものということを得ると考える。

 わたくしは、本件判決理由を以上の趣旨において理解し、これに賛成するものである。

 裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

 私は多数意見と結論を同じくするが理由を異にする。刑罰法規は国会の制定した法律でなければならないという原則は堅持すべきである。ただ憲法九四条は例外的に条例による罰則の制定を制限付で認容している。憲法は、政令には特定の「法律の委任がある場合を除いては罰則を設けることができない」と規定するに反し、条例は、単に「法律の範囲内で」という広い制限の下にこれを制定することができることを認めている。地方自治法一四条五項は、これを受けて、条例を制定しうる範囲についての一般的制限を設けたのである。だからこの制限は、政令への委任の場合と異り、広く包括的な、一般的なものであつても違憲ではない。単に条例も政令も法律の下位法だという点のみを捉えて同一に論ずるのは正確でなく、それなら条例を自治立法というほどのことはない。これが私見の要旨である。(1) 憲法三一条は次の意味を含む、曰く「いかなる行為ないし事実があつたときは人に対しいかなる刑罰(法益剥奪)その他同様の不利益処分を科することができるかを定める実体法も国民の総意による承認ともいうべき国会の定めた法律でなければならない」と。

 本件条例はそれ自体に罪となるべき行為とこれに対する法定刑とを定めているので、一個充全の刑法的規範であるが、法律でない。

 憲法は、地方公共団体というものがなければならない、その組織、運営に関する事項は地方自治の本旨に基いて法律でこれを定める(九二条)、それには議会を設置し地方公共団体の長、議会の議員等はその住民が直接選挙する(九三条)、地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有するほか、法律の範囲内で条例を制走することができる(九四条)、と定める。右によると、地方公共団体なるものは、憲法上必要不可欠のものであると同時に、法律によつて始めて創設組織され、その住民、その議会及びその議員、地方公共団体の長その他の吏員ができ、その議会及び行政機関の運営に関する基本事項が定まる。

 そして、普通地方公共団体の処理すべき事務は万般の事にわたるのみならず、地方事情や各地住民の意向の相違、時代の変遷に従い必ずしも一様でなく、また、その事務の多くの部分を国が自己の事務として負担遂行するにおいてはそれが実情と民意に適せず徒らに国の負担の過大を来すのみならず、地方自治の本旨に副うゆえんてない。かような見地から、地方自治法二条二項が普通地方公共団体の処理しうべき事項を広く定めたことは当然だと思う。同条三項各号はかなり事務を明確に限定しているようであるが、一号だけは「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」という、極めて一般的、抽象的な規範であつて、条例ではこれに当る事務として恐らく何でもを定めることができるであろう。かくては単に「占領目的阻害行為」や「反民主主義行為」を処罰する規定のように、「住民、滞在者の福祉阻害行為」を処罰すべきことを定める罰則も一見地方自治法二条二項、三項一号に基づいて定めうることとなろうが、かような罪となるべき行為を明確に定めない抽象的な罰則はいかなる具体的所為が罪となるのかを明確にしない点で論旨のいう如く憲法三一条違反を来すものといわなければなるまい。(2) けれども私は地方自治法一四条五項、二条二項、三項は憲法三一条に違反しないと考える。その理由は次のとおり。

 憲法は次のように規定するのである。地方公共団体は、法律でそのなしうべき事務として定められた事務を、法律に従つて、自己の欲するとおり、自己の手で行うことができ、そして、直接公選される議員で組織する自己の議会の議決により法律を逸脱しない範囲内で住民の総意の表明ともいうべき自主的立法である条例を制定する権能を有する(憲法九二条ないし九四条)、と。これによつて、地方事情に通じ、利害関係の最も深い住民は、地方の実情及び特色と自分らの創意とに従いここに理想郷を実現するため、法律の特別の委任がなくとも、法律の範囲内でありさえすれば罰則を含む条例を制定することができる、そして、地方公共団体は自己ないしその住民の利益を保護防衛するため、住民でなくとも自己の区域内に入り来る滞在者の利益のためにも、また滞在者に対しても適用されるべき条例を定めることができる(住民が他の地方公共団体の区域内に入つたときはその地方公共団体の条例に服することは全国の地方公共団体相互間でお互い様である)、と憲法はするものと解される。条例が民主的自主血法であり、かつ、その効力は当該地方公共団体の区域内に限られることに鑑みれば、地方公共団体がかなり自由に条例の罰則を制定できると憲法が定めても、国民若しくは住民の総意によることなく行政機関の非公開手続によつて定められる政令等と異り、非民主的であることによる過誤、弊害は少いであろうと憲法はみたので、法律の範囲内で条例を制定することができるとした訳だと考える。

 更に、憲法九五条を見ると、同条はある地方公共団体が法律の規定しない分野の事項について条例を制定したのに、国会がこれを不当とし、その地方公共団体にのみ適用される右条例と異る特別法律を制定しようとするような場合には、その地方公共団体の住民投票による同意を得なければならないとする。この規定は地方自治の本旨としていかに住民の総意が重視されるべきかを示すものといえよう。

 政令、命令と条例とを文理解釈によつて比較してみよう。

 憲法七三条は、内閣は左の事務を行う、「この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。」(六号)とし、これを受けて国家行政組織法一二条も「各大臣は……法律若しくは政令を実施するため、又は法律若しくは政令の特別の委任に基いて命令(総理府令又は省令)を発することができる。」(一項)、右「命令には、法律の委任がなければ、罰則を設け、又は義務を課し若しくは国民の権利を制限する規定を設けることができない。」(四項)と規定する。(これらの規定は刑罰法規は国会の制定する法律でなければならないという憲法三」条の原則に忠実なものである。)

 右によつて明らかなように政令は憲法なり特定の法律なりを実施するために制定される従属的なもので、その罰則は当該特定法律の特別委任がある場合のほか設けることができないのを原則とし、命令も法律若しくは政令を施行するため、又は、法律若しくは政令の特別の委任に基づいてのみ発することができ、それには法律の直接委任がなければ罰則を設けることができないのである。

 これに反し、条例は政令、命令とは選を異にし憲法上「法律の範囲内で」あれば特定の法律の委任を要せず、これを制定しうるものである。そこで地方自治法一四条五項は条例に罰則を設けうる「法律の範囲」を一般的、包括的に設定した訳である。従つて条例は、他の法律の規定や地方自治法の規定に反しない範囲内で、いかなる行為を犯罪と規定しても、地方自治法一四条一項の範囲を超える重い法定刑を定めないかぎり合法、合憲となるのである。

 要するに、法律(法律の委任)なくして政令の罰則はないが、法律なきところ、若しくは法律の禁止なきところにも条例の罰則はあるのである。(多数意見が冒頭に引用する判例の後者は以上の私見と同様のように思える。)

 すなわち、条例制定権は憲法九四条末段から直接与えられたもので、それにはただ「法律の範囲内で」という制約が付されているにすぎない。(これは憲法三一条の「法律」とは「国会の制定する法律」であるべきことの例外として憲法自身が認めたものである)。それは、条例が元来国に直接利害関係のない事項について罰則を設けるとしても、条例が民主的自主立法であつて、その区域内にのみ施行されるものである点に鑑みれば、条例が法律の範囲を逸脱しないなら条例て罰則をも制定しうるとしても前示のとおり過誤、弊害は少いであろうとの考慮に出でたものと考えられる。これが、わが国の民主化のために、憲法立法者の意図した地方自治の本旨である。のみならず、若し地方自治法一四条五項、二条二項、三項がないとすれば、地方公共団体が法律の規定のない分野の事項についての条例に罰則を設けようとする場合に、法律の委任を取りつけようとするなら、地方公共団体は、未だ条例が自己の議会を通過するか否か未定の時期に予めその条例案若しくはその要旨を国会に示して特別の委任法律の制定をえなければなるまいが、こんなことをすることは地方自治の本旨にもとり、不合理でもあるので、普通法たる地方自治法一四条五項は条例を以て如何なる行為を犯罪とするかの点では広く同法二条二項、三項の枠を示すに止めたものであるといつてよい。(この場合、この枠の範囲内て特別法が委任しても越権というよりは丁寧だというにすぎまい。)若しそれ条例の罰則自体が不合理不適正なら憲法三一条に含まれる別の精神から違憲とされるべきである。

 裁判官藤田八郎は右垂水裁判官の補足意見に同調する。

 裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。

 弁護人秋山英夫の上告趣意一について。

 論旨は本件大阪市条例の違憲無効のほか本条例の授権規定である地方自治法一四条は憲法三一条に違反し無効であると主張する。

 よつて案ずるに、憲法三一条が刑罰を科する手続は法律によらなければならないと規定していることは当然に刑罰の実体規定も法律によらなければならない趣旨を意味するものと解する。しかし、同条は法律を以つて、法律以下の法令に罰則を設けることを委任することを絶対に禁止しているものと解すべきではない。

 固より法律の委任を以つてしても、無条件に一般的白紙委任的形式によつてこれが委任をすることは許されないと解すべきであるが、法律を以つて一定の制限の下に一定の基準を設けて法律以下の法令にこれを委任することは必ずしも憲法三一条に反するものではないと考える。このことは憲法七三条六号但書に法律の委任のある場合に政令て罰則を設けることを許しているところよりも肯認することができる。もつとも、憲法七三条六号但書は「特にその法律の委任がある場合」に限り政令に罰則を設けることを許し、一般的委任を認めていない。これは行政権による刑罰権の濫用を防止する趣旨から、特に個別的法律委任を必要とすることを定めたものと解せられる。然るに条例は地方公共団体の住民の代表機関てある議会によつて制定せられるものであるから、これに罰則を設けることを委任する場合には、必ずしも右七三条六号但書の如く個別的に法律の委任を必要とするものと解すべきではない。

 地方自治法一四条五項は、地方公共団体は条例を以つて、条例に違反した者に対し一定の刑罰を科する旨の規定を設けることができる旨の一般委任を規定しているのであるが、元来条例は制定された地方団体の区域に限り行われる法令であり、条例を以つて規定することができる事項は地方自治法によつて限定されており、また同条は罰則の限度を二年以下の懲役若しくは禁錮、十万円以下の罰金、拘留、科料又は没収の刑に限定しておるのであるから、右刑罰の委任規定は一定の制限の下に一定の基準を設けてなされた法律の委任ということができる。従つてかかる一般的委任立法を以つて憲法三一条に反するものということはできない。

 固より右地方自治法一四条五項の委任により、条例を以つて定められる罰則規定自体において、犯罪構成要件及びこれに対する刑罰が明確でなければ罪刑法定主義の原則に違反することになることは勿論であるが、本件大阪市条例第六八号がこの点において罪刑法定主義の原則に違反するものでないことは多数意見のとおりである。よつて所論は採るを得ない。

 なお、附言するに多数意見は地方自治法二条三項七号及び一号の事項が同法一四条五項の授権規定の委任の範囲に属するものの如く解し、従つてこれに関する限り右一四条五項の刑罰授権規定は具体的事項の委任であつて、一般的な委任規定でないと判示するものの如くであるが、右一四条五項は一般的に、地方公共団体は条例を以つて、条例に違反した者に対し一定の刑罰を科する旨の規定を設けることができると規定しているのであつて、これを具体的事項の委任規定であると解することは到底不可能であり、一般的授権規定という外はない。(すなわち、右に「条例に違反した」とは、広く条例で定め得る事項について規定した一切の条例に違反した場合を指称するのであつて、例えば同法二条三項一号の「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること」と言うが如きは極めて広汎な漠然とした内容を持つ事項であるが、本号に基づくいわゆる公安条例違反事件について、当裁判所は既に前記授権規定の適憲であることを前提として、屡々判決を下しているのである。要は、罰則を定めた各個の条例において処罰の対象となる犯罪の構成要件たる事項が具体的に示され、且つその事項が条例で規定し得る事項であれば足りるのである。)

 また、垂水裁判官の補足意見によれば「憲法九四条は例外的に条例による罰則の制定を制限付で認容している。そして地方自治法一四条五項は、これを受けて条例を制定しうる範囲についての一般的制限を設けたのである」という。その趣旨は、刑罰法規は憲法三一条により法律でなければならないのが原則であるが、憲法九四条は例外として条例で罰則規定の制定を認めておるのであつて、右地方自治法一四条五項はその範囲を法律で制限したことになるという説の如くである。そうすると、右一四条五項がないと仮定すれば、条例で刑罰法規を自由に制定して死刑以下あらゆる種類の刑罰も科し得ることになるというのであろうか。しかし、憲法九四条は条例で刑罰法規を制定し得ることを認めているものと解すべき何らの根拠はなく、刑罰法規は人権保障のうえから国会の制定する法律によらなければならないものとしたのが同法三一条の趣旨であつて、ただ前述のように法律によつて条例にこれを委任することが許されると解せられ、地方自治法一四条五項は正にこの委任規定であつて、この授権規定によつて始めて条例て刑罰規定を設けることができるのであり、これなくしては地方公共団体は本来刑罰法規を制定することができないものと考える。

  昭和三七年五月三〇日
     最高裁判所大法廷
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    池   田       克
            裁判官    垂   水   克   己
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    高   木   常   七
            裁判官    石   坂   修   一
            裁判官    山   田   作 之 助
            裁判官    五 鬼 上   堅   磐
 裁判官斎藤悠輔は退官につき署名押印することができない。
         裁判長裁判官    横   田   喜 三 郎



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条例制定請求権の意義 練馬区長準公選事件 東京地裁昭和43年6月6日判決

昭和42年(行ウ)第213号行政処分取消請求事件
行集19巻6号991頁、判時519号22頁



       主   文

 原告が昭和四二年九月二五日付でした練馬区長候補者決定に関する条例制定請求代表者証明書の交付申請に対し、被告が同年一〇月七日付練総総収第一九七六号をもつてした右証明書交付拒否処分を取り消す。
 訴訟費用は被告の負担とする。


       事   実

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求原因及び被告の主張に対する反論として、次のとおり述べた。
(行政処分の存在)
一、原告は練馬区に居住し、同区選挙人名簿に記載されているものであるが、同区の住民として、地方自治法(以下「法」という。)第二八三条第一項、第七四条第一項の規定により練馬区長候補者決定に関する条例の制定を請求すべく、地方自治法施行令(以下「令」という。)第九一条第一項により、その代表者として、被告に対し、昭和四二年九月二五日、別紙文書をもつて条例制定請求代表者証明書(以下「代表者証明書」という。)の交付を申請した。
 しかるに、被告は、同年一〇月七日付練総総収第一九七六号をもつて、「原告が条例で規定しようとする事項は、法で許された条例制定事項ではない、特別区の区長選任に関する法第二八一条の三第一項ならびに令第二〇九条の七の規定は、区長は区民の意思の代表者、代弁者である区議会が直接選任するという趣旨であつて、たとえその候補者決定の段階といえども、区議会の意思決定については他のいかなる外的拘束ないし制約を受けるべきではない。」との理由のもとに右証明書の交付を拒否する処分をした。
二、右拒否行為の処分性につき、被告は、原告の本件申請が法令上認められた申請権の行使たる実質を有しないから、その拒否行為は処分でないと主張するが、本件申請が法令上認められたものかどうかは、実体判断の対象となる事項であり、申請が適法か否かによつて拒否行為の処分性が左右されるものではない。
(本件処分の違法事由)
 被告の主張によれば、条例制定(改廃)請求手続においては、代表者証明書交付の段階において制定(改廃)請求をする条例案が法律に適合するかどうかを長が実質的に審査しうるものであり、本件では、右審査の結果、原告の制定請求をする条例案の内容が条例制定事項でないと認められたので、代表者証明書の交付を拒否したというのである。
一、しかし、代表者証明書交付の段階で条例案に対する長の実質審査権を認めることは誤りである。
(一)法第七四条にもとづく令第九一条第二項によれば、請求代表者から代表者証明書の交付申請があつたときは、長は選挙管理委員会に対し、当該請求代表者が選挙人名簿に記載された者であるかどうかの確認を求め、その確認があつたときは、これに右証明書を交付しなければならないと定められている。すなわち、右申請を受けた長のなすべきこと、また、なしうることは、右申請を同条第一項の要件(請求の要旨があるか、それが千字以内であるかなどの外形的要件)を具えているかどうかを形式的に審査することの外は、右代表者が選挙人名簿に記載された者であるかどうかの確認を求めることのみであつて、その確認があつたときは、なんらの裁量の余地なく代表者証明書を交付しなければならず、長が条例案の内容につき実質的審査をして代表者証明書の交付を拒否することなど全く予定していない。代表者証明書の交付は、これから住民が条例制定(改廃)の直接請求をすべく署名を求める前提手続として行なわれるものであり、もし右証明書の交付が拒否されれば、請求代表者は以後一切の行動ができなくなり、住民が直接請求制度を利用することは不可能になる。
 そもそも、直接請求制度は、長あるいは議会による通常の自治体の運営活動の外に、とくに法が住民に対し直接その運営に参画しうる手段として保障するものであるが、何故法がかかる住民の条例制定(改廃)の直接請求権を認めたかというと、そこには住民と長や議会との間になんらかの政治的不一致が存在し、住民の意思が長や議会に反映しない場合があることを予想し、かかる場合の調整のために特に設けた制度である。したがつてかかる制度は、住民と長や議会との政治的不一致ないし対立のある場合にはじめて有効に機能するものなのである。しかるに、もし被告の主張するように、長の判断水準において明らかに条例非制定事項にあたるかどうかを決定せしめるのであれば、住民と政治的対立関係にある長の判断が住民の判断に優越することを許し、したがつて、対立的当事者の一方の判断により、他の者の基本的な権利の行使が禁圧ないし阻害されることになる。すなわち長は自己の見解(法律的見解を含む)に合致しないという主観的な理由で、直接請求手続の進行を事前に禁圧阻害しうる結果となり、かくては法の趣旨と全く背馳するに至ること明らかである。
 他方、請求にかかる条例案の内容については、いまそれはいまだ「案」なのであり、所要の署名が得られた場合に議会において十分に審議が行なわれるべきものである。その際も、長は、議会が議決した条例が違法であると判断すれば、これを再議に付することができ、更に再度の議決があれば、知事に審査を申し立てうるのである(法第一七六条)。このように、長は、その条例の内容の判断については後に十分その権限と機会が保障されているにも拘らず、条例制定(改廃)のための直接請求の最初の手続段階において、その条例「案」の内容を長が実質的に審査して、その判断によつて、住民の地方自治直接関与の方途を全く失わせるごときことはとうてい法の許容するところではない。
 かようにして、代表者証明書交付の際の長の審査権は形式的審査権に限られ、条例案の内容についての実質的審査権はないと解すべきであるが、かりに審査の範囲を右の限度から拡張しうるとしても、それは当該条例によつて規制しようとする事項が地方公共団体の事務に属さないものであること又は法がとくに条例制定請求事項から排除したものであること(現在は法第七四条に定める地方税の賦課徴収並びに分担金使用料及び手数料の徴収に関するもののみである)が、通常人にとつて一見明白であり、その瑕疵を補正することが不可能である場合に限定せられるべきである。ただし、これも、請求の趣旨を外形的、形式的に審査して容易にかかる結論に到達する場合にのみ例外的に是認されるのであつて、条例案の内容の当否に審査権が及びえないのはもちろん、もし地方公共団体の事務の事務なのかどうか、また法第七四条の制限事項に該当するかどうかが疑問とされる余地が若干でもあれば、長はすべからく証明書を交付すべきものと解すべきである。
(二)以上のことは次にのべるような住民の条例制定(改廃)の直接請求による一連の立法過程全体の法律的性格に由来するものである。
1 代表者証明書交付申請は住民の発意(イニシアテブ)によつて開始される立法過程の最初のステツプである。その後選挙権を有する住民の総数の五〇分の一以上の連署を得たうえ、地方公共団体の長に条例の制定を請求し、長はこれを受理してから二〇日以内に議会を招集し、意見を附けてこれを議会に付議することとなる。そしてこれが議会で可決せられてようやく条例になるのである(法第七四条)。
 そして条例の議決は、議会に与えられた固有の権能であつて、制定段階における政治的、法律的討議を経てなされるのであり、かかる立法過程の途中で他のいかなる機関からもその権能を制限されるべきものではない。すなわち、立法手続の端緒である条例制定(改廃)請求手続において、行政機関たる長が条例案の内容を審査し、その独自の判断によつて代表者証明書交付を拒否し手続の進行を阻止することは、地方公共団体の行政の長が立法過程に介入するのを認めることとなり、住民の直接請求権及びこれに連らなる議会の条例制定(改廃)の権能を事前に規制する結果を招来するものであるから、違法といわなくてはならない。
 このことは法の規定からも論理的に結論されるところである。すなわち法が右にのべた立法過程に長が関与することを認めているのは、二つの機会のみである。一は、条例制定(改廃)請求に必要な署名が集つた段階で長が議会に付議する際の長の請求に対する意見であり、二は、議会が当該条例を制定した場合の再議に付する権限である。行政の長が立法過程に関与するのは三権分立の建前からいつて異例なことであるから,限定的に解しなければならない。ことに、条例案が議会で議決される前において、法は長に対しては意見をのべることしか認めていない。この段階で長は条例案の内容の適否や適法、適憲性についての政治的法律的意見をのべることができるが、その意見は議会に対して重要な資料たりえても、法律上なんら優越的地位が与えられてはいない。長が条例案について反対であつても、その理由如何にかかわらず、この立法過程の進行を阻止するような権限、地位は与えられていない。
 ところが、被告のように解すれば、立法過程の最初のステツプで長が介入することができ、その法律的意見が条例制定(改廃)直接請求者の意見に優越することとなる(被告が代表者証明書を交付しなければ手続は全く進行しえない)。これは明らかに法の趣旨に反する。 
2 以上のような立法手続の実体はまた条例案の討議討論、採決の各段階を経て流動的である。とくに討論にあらわれる諸々の政治的・法律的要因の影響をうけ、あるいは条項の加除訂正、あるいは文言の変更等原案に対する修正は立法過程として当然予想されるところである。
 代表者証明書の交付申請書に添付された条例案なるものがそのまま条例として制定されるとは限らないのであるから、これをあたかも確定的なものとして判断の対象とすることは無意味であるとともに、法律上容認することのできない所以でもある。
 かりにこの段階における条例案になんらかの瑕疵の疑いあるとしても、それは前述のとおり議会内の諸活動をとおして変容をとげ、それが是正される可能性があり、またそこにこそ議会構成員の存在理由があるのであるから、被告が「条例案の議会の審議自体はじめから無駄である」とか「公務員の徒労や税金の濫費以外には、なんら得るところがない」などというのは間違いである。代表者証明書の交付申請は立法過程の最初の段階であり、その際の条例案の内容について確定的な判断を地方公共団体の行政の長がすること自体がこの手続の立法過程たる性格を見落している独断論である。
 現に、練馬区議会においても、その会議規則第一七条は、「修正の動議は、その案をそえ、法第一一五条の二の規定によるものについては、所定の発議者が連署し、その他のものについては三人以上の賛成者とともに連署して議長に提出しなければならない。」として、修正手続を定めて修正を可能としている。
 なお、条例案に対する議会の修正権については、それが無制限のものであるか、或いは一定の限界があるかの問題はあるが、条例発案権者がなにびとであつても、議会が修正権を有することは明らかである(法第一一五条の二)。そして修正制限説によつても、それは法令に反する修正や付議された条例の目的、性格等その本質を変更して同一性を失わせるような修正は認められないとするだけであつて、その程度に至らない修正は、当然に可能なのである。
3 代表者証明書交付申請手続において記載が要求されている請求の要旨に対しては長の実質的審査権が及ばないことは被告も認めるところであり、たとえば「請求の要旨が間違いである場合であつても、条例の制定又は改廃が可能な限りは、代表者証明書は交付しなければならない。元来、請求の要旨については当該地方公共団体の長において審査することはできないのであるから、極端にいえば、文字だけ並んでいても請求の要旨ではあるということもできよう。また、請求の要旨が千字を超えている場合、千字以内で末尾を切捨てても請求の要旨たりうるのである。」などと解されている。
 被告は、地方自治法施行規則(以下「規則」という。)第九条が請求書に制定請求に係る条例案の添付を求めていることに実質審査権を肯定する根拠を置いているようであるが、施行令の定める要件である請求の要旨について右のように解されている以上、規則が条例案の添付を求めているからといつて、これをもつて逆に条例案の内容の審査権を長に認める趣旨であるとすることができないのは当然である。この点に関し、被告は、請求の要旨とは、制定(改廃)請求に至つた理由ないし動機の要約にすぎず、条例案の方がより重要であるから、これには長の実質審査権が及ぶと主張するが、「要旨」とは、「大体の内容」、「述べられた事の大事な筋」という意味をあらわす言葉であつて、理由ないし動機などという意味でないことは文義的にも明らかであるうえ、前記のとおり請求の要旨は政令の要求するところであるのに対し、条例案の添付はその下位規範たる規則の定める要件にすぎないから、上位規範の定める要件について実質審査権が及ばない以上、当然下位規範のそれについても同様であるべきであり、被告の主張は法的に倒錯しているものといわなければならない。実質的に考えても、請求の要旨には長の審査権が及ばないが、条例案には及ぶというのは、いかにも無理な主張である。
 以上のとおり、請求の要旨の形式的審査によつて、地方公共団体の事務でないこと又は法第七四条の条例制定非請求事項であることが一見明白でない本件において、被告のなした実質的審査にもとづく代表者証明書交付拒否処分は違法とされるべきものである。なお、本件に類似する長の解職請求手続について、最高裁判所はすでに「町選挙管理委員会が代表者から解職請求者署名簿の署名につき証明を求められた場合委員会は解職請求理由の内容の当否について審査権限を有するものではない」旨判示しており(昭和二八年一二月四日第二小法廷判決、民集七巻一二号一三七〇頁)、この趣旨は条例制定請求手続である本件にも同様に適用されるべきである。
(三)1 被告は原告が主張する「通常人にとつて一見明白」という基準が出てくる理由が判然としないという。
 しかし、ある行為の法律上の瑕疵が外観上明白であるかどうかという基準は、瑕疵の重大性と並んで講学上(とくに行政法上)十分に熟している概念であるし、また、判例的にもしばしば慣用的に用いられるところである。たとえば最高裁砂川判決(昭和三四年一二月一六日大法廷、刑集一三巻一三号三二二五頁)は、高度に政治的問題に関し内閣や国会がなした行為に対する裁判所の司法審査権の及ぶ限界について、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、司法審査権の範囲外のものであつて……」と論じている。これは三権分立の理論にもとづき、いわゆる政治問題について司法権の介入の限界を示したものであるが、むしろ本件のような立法過程に行政機関の長が介入しうる限界を考えるときにこそ、この趣旨は十分参考にされるべきである。
2 また、被告は条例制定の権能に長が種々の形で関与しうべき場合があるとして、提案権等を例示し、しかるが故に直接請求の最初の段階で長が代表者証明書の交付を拒否しうると解することが合理的解釈であるとするけれども、右例示のうち、法第一七七条は収支に関する議決に関するもの、第一七九条は専決処分の定めであつて、条例と全く関係がなく、また、第一六条はすでに成立した条例の公布の規定であり、制定権能とは別異である。
 ところで長の条例提案権(第一四九条第一号)、直接請求を受理した場合の意見を附けて議会に付議する義務(第七四条第三項)また付再議権能(第一七六条)についての各規定が、直接請求をチエツクしうるいかなる根拠になるというのであろうか。すでに述べたように、長や議員の提案権の発動を期待しえないからこそ住民は直接請求の手続を利用せざるをえないのであり、また、それ故にこそ、いつたん請求を受理した以上、一定期間内に議会を招集してこれを付議し、またその結果を通知、公表する義務が長に課せられているのであつて、これは直接請求を実効あらしめる保障規定と解されることこそあれ、被告の主張を理由づけるなんらの根拠とはならない。また、右の際長が意見を附けるべきことや議決を再議に付すことが認められていることは、かえつて最初の段階では長に直接請求事項についての優越的審査権能を法が認めていないことの証左とみるべきことは前記のとおりである。
3 被告は、長の右判断(実質的審査にもとづく判断)が誤つていると考えれば、訴訟によつて裁判所の判断を仰げばよいとするが、立法を必要とする社会的基盤は常に流動的であり、立法過程というのはダイナミツクなものであるから、長の専断的処分により直接請求の手続が中断すれば、後に時を経て司法的救済が得られたとしても、それではもはや所期の目的を達成できない場合が少くないのである。
 それのみか、被告のいうように長の審査権が条例の内容に及ぶとする以上、右の訴訟における裁判の対象も当然条例内容の判断にならざるをえないこととなるが、このような判断を認めると、立法過程の途中において裁判所が条例案について合法、違法の宣言をするのと同一に帰し、かくては裁判所がこれから制定されようとする抽象的法規(いな法規ですらなく、法規となる契機、動機にすぎないもの)について、いまだ事件性もないのに拘らず、抽象的合法、違法を宣言する予備審査的、勧告的判決をすることとなり、司法裁判所に権限外の作用を強いる結果ともなるといわなければならない。
二 次に、本件条例案の内容について被告が条例の非制定事項であるとするのも誤りである。
(一)原告が制定を請求しようとする条例の内容は別紙条例(案)のとおりであつて、区長選任に区民の意思をできるだけ反映させようというものであり、これを条例の非制定事項とするなんらの規定はないし、(法第一四条第一項、第二条第二項、第三項、第九項参照)、むしろ「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選任する」との憲法第九三条第二項及び地方自治の本旨にもかなうものである。
 住民の意思をできる限り区議会に反映しようとする右条例の内容を、区議会の意思を制約するものとする被告の見解こそ、基本的に地方自治の本旨を正解しないものといわねばならない。
(二)被告は、特別区長の候補者の決定権は当該特別区の議会に属し、それは他のいかなる外的拘束ないし制約を受けるべきものではないのに、本件条例案の内容は区民投票により区議会の決定権をなんらかの程度において外的に拘束し、あるいは制約するものであるから、明らかに違法な条例案であるというのであるが、その理由のないことは以下のとおりである。
1 ある事項の決定権者が一定の基準や指針を設け、他の人の意見を公的に聴取して参考とし、意思決定をすることは、なんら拘束ないし制約というべきものではない。法第二八一条の三第一項の趣旨も区議会の区長選任決議が無基準、恣意的になされることを保障したものではない。まして、上位法たる憲法第九三条と右法第二八一条の三第一項の規定とが絶対的に矛盾対立するものでない以上、憲法の趣旨を尊重しつつ法を運用するように定めることは、いささかもこれを制限制約と解すべきものではない。
 ところで本件条例案第二条は、「………区議会が………区長の候補者を定めるに当つては区民の投票の結果に基づいてこれを行うものとする。」として、区議会の区長候補者決定方法を定めているのであるが、これが意味するところは、区議会が区長候補者の決定をする際に、憲法にいう地方自治の理念に即し、また間接民主制は議会が選挙民の意見を絶えず吸い上げ、審議にその意見を反映させることにより、はじめて正常に機能しうるとの認識に立つて、区民の意思が奈辺にあるかを知り、これを指針ないし重要な参考意見にしようとの趣旨であり、区議会の選任権を否定するものではない。本条例案によれば、区議会が区民投票の結果を尊重することを期待しているが、万一そのとおりの決定をしないことが生じたとしても、政治的に妥当、不妥当の問題が生ずることは格別、区長候補者の決定が法律的に無効となるものではないのである。その意味で本条例案第二条は政治的規範であつて、司法的規範ではない。
 ちなみに、「………の議に基づき」というように「基づき」が法令用語として使用される場合には、その意味するところは「………の意見を聞き」とか「………にはかつて」というのと同様に、審議機関等の議決を事実上尊重すべきではあつても、これにそのままの形では法的に拘束されないものとみるのが通常の用法と解されている。したがつて、本件条例案が、区民投票の結果に拘束されることを定めたと解するのは明らかに誤りである。

 かりにもしこの用語が被告のいうように解釈されるから不適当であると区議会の多くの議員が考えるならば、その審議において他の用語(たとえば「参考として」等)に修正される可能性も十分存する。かかる字句修正は、立法過程が流動的であり可塑性に富むことから、原告を始めとする条例制定請求者の予想するところであるとともに、このような修正、変更はいまだもつて当初の条例案の同一性をそこなうものでもない。被告のように「基づいて」を一方的に解釈し、これによつて違法であると断定することは、まさに独断のそしりを免れないし、被告にかかる断定をする権限は全く存しない。
2 本件条例案の意味するところは右のとおりであるが、他面、右条例案の制定請求に必要な署名数が得られて、議会で原案どおりの条例が制定された場合を考えてみても、それは議会自らの審議によつて、かかる条例案を正当かつ必要とした場合にのみ可決され条例となるのであるから、これをもつて第三者が外部的に議会の決定権を制約し拘束するなどと目すべきものでないことは明らかである。
 現に区議会が区長候補者を決定するに当つて、区長候補者を一般に公募し、公募に応じたものの中から候補者を決定するという、いわゆる公募方式を採る特別区が、港区、台東区等をはじめとして一四区もの多数にのぼつている。被告の論法によれば、これは応募者以外の者を候補者とすることができないという意味で、区議会の意思を外部的に拘束するものと考えられるのであるが、このような現実については自治省も部もなんらその廃止の勧告等をなしていない。このことは、区議会が自己の意思決定をなすについて、自ら一つの規準や方式を選択し、これによることが、議会の自律でこそあれ、議会の意思決定を外部的に拘束したり、制約したりするものというべきではないということを自治省や都自体も認めていることの証左である。
 被告は、公募方式は本件条例案と異なり、第一に当該区議会の意思にもとづいてなされること、第二に区議会は必ずしも応募者の中から区長候補者を決定することの拘束を受けるものではないとの理由から適法であるというが、本件条例案も条例として制定されるか否かは区議会の意思にかかつているのであり、一方現在まで公募方式を採用した区で、区議会が応募者以外の者を区長に選任した実績も存しない。応募者以外の者を選任することも法的に可能であるからといつて、「応募」のもつ政治的社会的の事実上の効果ないし区議会への影響力は否定できない(それも全くないというのなら公募方式自体全然無意味である)。
 したがつて、「区議会の意思決定について他のいかなる外的拘束ないし制約を受くべきでない」という被告の前提は、公募方式を是認する限り自己矛盾であり、また、右のような事実上の拘束・制約という意味では原告請求の条例案と、現在行なわれている公募方式の機能との間には決定的な差異は見出せない。公募方式も、本条例案の定める方式も、いずれも議会が自己の決定権を行使する際の方式を内部的に自律したものとして第三者による外部からの決定権の制約・拘束とみるべきでないことは同様である。
3 練馬区においては、区議会における区長候補者の決定が区議会内部の各政党間の対立と思惑のため円滑に行なわれず、前区長が昭和四二年六月二一日に任期中途で辞職して以来区長不在の区政がすでに八箇月余にも及んでおり、ために行政事務が渋滞し、区民は甚しく迷惑を蒙つているのが実情である。
 同様の理由による区長の長期不在が東京都内において、練馬区以外にも文京、新宿、江東、品川、江戸川の五区に見られ、区議会は区長候補者の決定について本来期待された機能をもはや果しえなくなり区政に重大な停滞と障害をもたらしている。
 このような実情等を考慮したうえ、本件条例案は区民の意思を徴して議会がこれを指針ないし参考資料とすることにより、現状の混乱を合理的に解決し区長候補者の円滑な決定を可能にすべく立案されたものである。それは区議会の決定権の制約であるどころか、むしろ現に失われている区議会の機能の回復を目ざしているのである。したがつて、本件条例案は、法の規定と地方自治尊重の憲法の精神とをできる限り調和的に機能させることを目的としてつくられているものであり、なんら現行地方自治法の規定を無視するものではない。被告は内閣総理大臣の候補者についての国民投票の例などひいているが、全く憲法上の前提と立法事実が違つているのであつて、これを無視して言葉の上だけの類似性を求めるのは不当である。
 ひつきよう、被告の見解は区長選任に関する法の規定を、いかなる外部の制約も認められない絶対的な区議会の自由を認めたかのごとく杓子定規に解し、他方、本件条例案の「基づいて」という用語についても絶対的な法的拘束性を意味すると独断して、その間の矛盾を論じているのであつて、法解釈の態度として正当でない。
三 以上の理由により、被告の本件代表者証明書交付拒否処分は令第九一条に違反するものであるから、その取消しを求める。
 被告指定代理人は、本案前の申立てとして、「本件訴えを却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を、本案の申立てとして、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案前の申立ての理由及び本案についての答弁並びに主張として、次のとおり述べた。
(本案前の申立ての理由)
一 一般に抗告訴訟の対象となりうる処分とは、行政庁の公権力の行使にあたる行為であつて、国民の権利義務に影響を与えるものをいう。行政庁による申請の拒否行為が処分と認められるのは、これによつて法令上国民に認められた申請権が害される場合のみである。また、申請権が法令上認められている場合であつても、具体的な申請行為が、法令上認められた申請権の行使たる実質を有しない場合には、行政庁が当該申請を拒否しても、これによつて申請人の申請権が害されたということができないのであるから、右拒否は処分に該当しないものと解される。たとえば地方税、分担金の減額のように、明らかに条例制定直接請求の対象たりえない事項に関する条例の制定請求代表者証明書の交付申請に対し、地方公共団体の長がこれを拒否した場合などがこれにあたる。
二 原告の本件申請は、後に詳述するように、明らかに条例をもつて規定しえない事項に関する条例の制定請求代表者証明書の交付を求めるものであるから、以上述べた理由により、右申請を拒否した被告の行為は、抗告訴訟の対象たる処分の性質を有しないものである。また、かりに処分であるとしても、以上述べたところから、本訴が訴えの利益を欠くことは明らかである。
 したがつていずれにしても、本件訴えは不適法であるから、却下さるべきである。
(請求原因に対する答弁及び主張)
一 原告の地位及び本件代表者証明書交付拒否行為にいたるまでの経過は、右証明書交付申請の内容が別紙文書のとおりであることも含めすべて認めるが、その余の主張は争う。被告が代表者証明書の交付を拒否したのは、原告の制定請求に係る条例案の内容が条例をもつて規定しえない事項に関するものであることが明らかであつたからである。
二 令第九一条第一項の規定は、制定(改廃)請求に係る条例案の内容が、当該地方公共団体の条例をもつて規定しえない事項に関するものであることが明らかな場合においては、長は代表者証明書の交付を拒否しうるとの趣旨であつて、その限りにおいて長に条例案の内容の適否を判断する権限を与えたものと解すべきである。
(一)原告は、「もし右証明書の交付が拒否されれば、条例制定請求代表者は以後一切の行動ができなくなり、住民が法に定める直接請求制度を利用することは不可能となる。」と主張しているが、一定の場合に、住民をして地方自治に直接関与させるという直接請求制度の趣旨からすれば、条例として制定されうる事項について住民の制定請求を認めれば、制度の目的は十分に達せられるはずであり、もともと条例をもつて規定できないことが明らかな事項についてまで、住民の条例制定請求を認める必要はないのである。したがつて、右のような条例案の直接請求に関して、長が代表者証明書の交付を拒んでも、それは当然の措置であり、そのことによつて区民の直接請求制度の正当な利用は、いささかも妨げられたことにならないのは当然である。かような条例案に係る代表者証明交付申請に対してまで、法が長に対し、盲目的・機械的に証明書の交付を義務づけているとはとうてい解しえない。代表者証明書交付の段階で、条例案の内容が条例規定事項でないとして代表者証明書の交付を拒否された場合でも、請求代表者は、条例案の内容が条例制定事項であると思えば、これを理由として、拒否処分の取消しを訴求することができることはもちろんであり、その結果請求者の主張が認められれば、請求者は以後の行動を続けることが可能なのである。
 もし右の点について、原告のような見解をとるとすれば、たとえば地方税の賦課徴収や、分担金・使用料・手数料の徴収に関する条例など、直接請求の対象たりえないことが明らかな事項(条例非請求事項)とか、日本国憲法の改正手続を定める条例など、明らかに地方公共団体の条例をもつて規定しえない事項(条例非制定事項)に関する条例の制定を請求するために、代表者証明書の交付申請がなされた場合においても、長には当然に代表者証明書を交付する義務が存することになり、かくては、当初より全く無駄とわかつている条例制定請求のため、当該地方公共団体の有権者総数の五〇分の一以上の者の署名を集めるべく、個別訪問や街頭宣伝その他の方法による運動が区域全体にわたつてくりひろげられることになる。右運動の働きかけを受ける有権者の数は、最低必要署名数の数倍以上に及ぶと想像され、練馬区の場合であれば、少くとも数万の区民が迷惑をこうむることになる。かりにこのようなことが都条例に関し、東京都の区域内において行なわれることになれば、被害者の数はおそらく数百万人にも及ぶものと考えられる。
(二)令第九一条第一項は、代表者証明書の交付申請にあたり、条例制定(改廃)請求書の添付を要求し、この規定をうけた施行規則第九条は、同請求書に、制定(改廃)請求に係る条例案の添付を求めている。
 すなわち、必要な署名が集まり、選挙管理委員会の証明が出た後になされる条例制定(改廃)の本請求にあたつては、条例制定(改廃)請求書及び条例案等が長に提出される(令第九六条第一項参照)のであるが、これに先だち、代表者証明書交付申請の段階で、重複的に条例案の提出が義務づけられているのである。このことは、現行法令の規定が、代表者証明書交付申請の段階で、長が条例案の内容を審査し、明らかに条例非請求事項又は条例非制定事項に係る直接請求であることが判明すれば、代表者証明書の交付を拒みうることを予定していることを示すものである。けだし、条例案の内容いかんを問わず、長は必ず機械的に代表者証明書の交付を義務づけられているとすれば、後に本請求の際に提出される条例案を、代表者証明書交付申請の段階でも法が要求するはずはないからである。

 もつとも、法は、代表者証明書交付申請にあたり、条例案のほかに請求の要旨の添付を求めている。ここにいう「請求の要旨」とは、なぜ当該直接請求をなすに至つたかの理由ないし動機の要約を意味する。そして請求の要旨は署名簿に綴り込まれて(施行規則別記様式備考欄参照)住民の参考に供せられるにすぎないのであるから,条例案に比し、二次的な重要性をもつものにすぎない。常に一律に千字以内にまとめるべきものとする無雑作な規定の在方も、このことを示している(しかし、いやしくも住民の参考に供するものである以上、文字だけ並んでいればよいなどというのは独自の見解であつて、採用の限りではない)。
 これに対し、いかなる条例を制定請求しようとするのか、当の住民自体正確には判らない(又は住民に正確に知らせる必要がない)というのはナンセンスであるから、当初の条例案の内容は極めて重要である。これを請求の要旨と同様に考えて、当初の条例案の内容がどうでもよいなどというのは、本末てん倒の議論である。請求の要旨は、直接請求をなすに至つた理由ないし動機にすぎないから、そこまで長の実質的審査権を及ぼす必要がないことはいうまでもない。 
 この点について、原告は、「請求の要旨」は政令で定められているのに対し、条例案の方は規則により規定されているのであるから、上位の規範による前者に対して長の実質審査権が及ばない以上、下位の規範による後者にも審査権が及ばないのは当然であると主張する。
 なるほど、かりに「請求の要旨」と条例案とが同一内容または内容的に重複するものであれば、原告の主張にも一理がある。しかし、「請求の要旨」とが内容的に重複するとすれば、両者を共に条例制定請求者署名簿に綴り込んで住民に供覧する(施行規則別記様式参照)必要性はとぼしいように思われるし、長の解職請求や議会の解散請求等の場合に要求される「請求の要旨」が、共に事件案そのものの要約ではなく、請求をするに至つた理由ないし動機の要約と解される(これらの場合、要件案の内容の要約ということは意味をなさない。また施行規則第一一条及び第一二条により、事件案そのもの及び「請求の要旨」の両者の添付が要求されている)関係上、原告のように解すると、「請求の要旨」の解釈が、条例制定請求の場合と、その他の場合とで、区々になつてしまう結果となる。
 ちなみに、原告自身が提出した本件条例制定請求書に記載されている「請求の要旨」の内容自体、主として条例制定請求をするに至つた背景・動機・理由等について述べているのであり、少くともこれをもつて条例案の要約とはとうてい解しえないものである。
 かりに「請求の要旨」の意味を原告のように解するとすれば、これに対しては、条例案に対すると同様に、長の実質的審査権が及ぶものと解しなくてはならない。
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法律と条例制定権の範囲 徳島市公安条例事件 最高裁昭和50年9月10日大法廷判決

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法律と裁判所規則 最高裁昭和30年4月22日第2小法廷判決


判例
S30.04.22 第二小法廷・判決 昭和28(あ)539 公務執行妨害、傷害(第9巻5号911頁)

判示事項:
刑事訴訟に関する手続を法律で定めることと憲法第七七条。

要旨:
法律により刑事に関する訴訟手続を規定することは憲法第七七条に違反しない。


参照・法条:
憲法77条


内容:
 件名  公務執行妨害、傷害 (最高裁判所 昭和28(あ)539 第二小法廷・判決 棄却)
 原審  東京高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
     当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
         
理    由

 弁護人満園勝美の上告趣意は別紙記載のとおりである。

 論旨は要するに、訴訟に関する手続は、憲法第七七条によりすべて最高裁判所規則で定めるべきものであつて、法律で定めるべきものではないのであるから、法律をもつて規定した刑事訴訟法は憲法に適合しないものであり、原判決がこの法律を適用したことを以て違憲であると主張するに帰する。然し、法律が一定の訴訟手続に関する規則の制定を最高裁判所規則に委任しても何等憲法の禁ずるものでないことは当裁判所の判例の示すところである(昭和二四年(れ)第二一二七号、同二五年一〇月二五日大法廷判決、昭和二五年(れ)第七一八号、同二六年二月二三日第二小法廷判決参照)。そして右判例が、法律により刑事手続を定めることができるものであることを前提としていることはいうまでもないところである。従つて、刑事訴訟法が適憲であることも亦おのづから明らかであるといわなければならない。論旨は理由がない。その他記録を調べても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない。
 よつて同法四〇八条、一八一条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
  昭和三〇年四月二二日
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    栗   山       茂
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    谷   村   唯 一 郎
            裁判官    池   田       克




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立法の委任(3) 委任の範囲 最高裁平成3年7月9日第3小法廷判決


判例
H03.07.09 第三小法廷・判決 昭和63(行ツ)41 面会不許可処分取消等(第45巻6号1049頁)


判示事項:
一 監獄法施行規則(平成三年法務省令第二二号による改正前のもの)一二〇条及び一.二四条の各規定の法適合性

二 拘置所長が未決勾留により拘禁された者と一四歳未満の者との接見を許さなかつたことにつき国家賠償法一条一項にいう過失がないとされた事例


要旨:
一 監獄法施行規則(平成三年法務省令第二二号による改正前のもの)一二〇条及び一二四条の各規定は、未決勾留により拘禁された者と一四歳未満の者との接見を許さないとする限度において、監獄法五〇条の委任の範囲を超え、無効である。

二 拘置所長が監獄法四五条に違反して未決勾留により拘禁された者と一四歳未満の者との接見を許さない旨の処分をした場合において、右処分は監獄法施行規則(平成三年法務省令第二二号による改正前のもの)一二〇条に従つてされたものであり、かつ、右規則一二〇条及びその例外を定める一二四条は明治四一年に公布されて以来長きにわたつて施行され、その間これらの規定の有効性に実務上特に疑いを差し挟む解釈がされなかつたなど判示の事情があるときは、拘置所長が右処分をしたことにつき国家賠償法一条一項にいう過失があつたということはできない。


参照・法条:
  監獄法45条,監獄法50条,監獄法施行規則(平成3年法務省令第22号による改正前のもの)120条,監獄法施行規則(平成3年法務省令第22号による改正前のもの)124条,国家賠償法1条1項

内容:
 件名  面会不許可処分取消等 (最高裁判所 昭和63(行ツ)41 第三小法廷・判決 破棄自判)
 原審  S62.11.25 東京高等裁判所


主    文

     原判決中上告人敗訴の部分を破棄する。
     第一審判決中上告人敗訴の部分を取り消す。
     前項の取消部分に関する被上告人の請求を棄却する。
     第一項の破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却する。
     訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
         
理    由

 上告代理人菊池信男、同森脇勝、同金子泰輔、同小林義弘、同大田黒昔生、同中山弘幸、同山口晴夫、同山田文夫、同澤村佳夫、同富山聡、同森幸夫の上告理由について

 一 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

 1 被上告人は、爆発物取締罰則違反等により起訴され、昭和五〇年七月から東京拘置所(以下「拘置所」といい、その長を「所長」という。)に勾留されているが、昭和五四年一一月一二日第一審で死刑の判決を、昭和五七年一〇月二九日控訴審で控訴棄却の判決を受けた。

 2 被上告人は、昭和五八年四月一四日、岩手県に居住するAと養子縁組をした。右養子縁組は、死刑廃止運動に賛同したAが被上告人を自己の養子にしたいと決意しその旨を申し入れたことから成立した。したがつて、被上告人とA一家とは従前生活を共にしたことはないが、それぞれが可能な範囲・方法で接触を保つように努力しており、現にA及びその長女Bは何回となく被上告人に面会に来ていた。

 3 ところで、従来、拘置所では、在監者と一四歳末満の者(以下「幼年者」という。)との面会をかなり広く認めていた。しかし、昭和五三年後半ころ、特定の事件の支援者らが、子供を同伴した上在監者と接見し、その後子供と共に拘置所内でシュプレヒコール等をしたので、拘置所側がこれを排除しようとしたところ、子供の身体に危険が生じたことがあった。そこで、拘置所は、そのころから在監者と幼年者との面会を全面的に禁止した。昭和五四年八月二日、拘置所は、この取扱いを改め、在監者と幼年者との面会は、(ア) 在監者の処遇上必要がある場合、及び、(イ) 勾留が長期にわたっていること、面会の相手が在監者の実子であること、進学、進級等子供の教育上必要があるか配偶者の病気、入院等子供の成育上必要があるなど特別の事情があること、年二回程度であることという条件をすべて具備した場合、にのみこれを許可することとした。そして、同日以降この取扱いが定着し、幼年者との面会を希望する在監者は、事前に所長に対し面会の許可の申請をしている。

 4 被上告人は、養子縁組の成立前からBの長女C(昭和四八年八月二六日生)と文通をしていたので、何回となく所長に対しCとの面会の許可申請をし、その申請書に被上告人とCとの関係、被上告人がCに面会したい理由等を記載したが、毎回不許可となった。被上告人は、昭和五八年五月三〇日、同年四月二七日にしたCとの面会許可申請が不許可となったので、その取消しを求めて法務大臣に情願書を提出し、A、B及びCは、所長に上申書を提出するなどした。

 5 被上告人は、昭和五九年四月二七日、所長に対し、Cとの面会の許可の申請をしたところ、所長は、翌二八日監獄法施行規則(以下「規則」といた。)一二〇条によりこれを許可しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、同年五月二日被上告人に対し本件処分を告知した。

 そして、Cは同月四日、七日母Bと共に所長に対し当時未決勾留中であった被上告人との面会の許可の申請をしたが、所長はCと被上告人との面会を許さなかった。

 二 右事実関係の下において、原審は、所長のした本件処分につき裁量権の範囲を超え又はこれを濫用した違法があり、かつ、国家賠償法一条一項にいう「過失」があると判断した上、被上告人の請求のうち慰謝料五万円及びこれに対する昭和五九年五月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める部分を認容した第一審判決を相当であるとして控訴を棄却し、かつ、被上告人の附帯控訴に基づき弁護士費用一万円の支払請求を認容し、その余の請求を棄却した。

 三 しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

 1 未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものである。そして、未決勾留により拘禁された者(以下「被勾留者」という。)は、(ア) 逃亡又は罪証隠滅の防止という未決勾留の目的のために必要かつ合理的な範囲において身体の自由及びそれ以外の行為の自由に制限を受け、また、(イ) 監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で身体の自由及びそれ以外の行為の自由に合理的な制限を受けるが、他方、(ウ) 当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障される(最高裁昭和四〇年(オ)第一四二五号同四五年九月一六日大法廷判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁、同昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。

 2 ところで、被勾留者の接見に関する法律の定めは、次のとおりである。

 (一) 刑事訴訟法八〇条は、勾留されている被告人は弁護人等同法三九条一頃に規定する者以外の者と法令の範囲内で接見することができるとしている。

 (二) そして、監獄法(以下「法」という。)四五条一頃は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と規定し、同条二項は、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス」と規定し、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者」以外の在監者である被勾留者の接見につき許可制度を採用することを明らかにした上、広く被勾留者との接見を許すこととしている。

 右に前記1で説示したところを併せ考えると、被勾留者には一般市民としての自由が保障されるので、法四五条は、被勾留者と外部の者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外的に、これを許すと支障を来す場合があることを考慮して、(ア) 逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合にはこれを防止するために必要かつ合理的な範囲において右の接見に制限を加えることができ、また、(イ) これを許すと監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で右の接見に合理的な制限を加えることができる、としているにすぎないと解される。この理は、被勾留者との接見を求める者が幼年者であっても異なるところはない。

 (三) これを受けて、法五〇条は、「接見ノ立会:::其他接見‥‥‥ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し、命令(法務省令)をもって、面会の立会、場所、時間、回数等、面会の態様についてのみ必要な制限をすることができる旨を定めているが、もとより命令によって右の許可基準そのものを変更することは許されないのである。

 3 ところが、規則一二〇条は、規則一二一条ないし一二八条の接見の態様に関する規定と異なり、「十四歳末満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と規定し、規則一二四条は「所長ニ於テ処遇上其他必要アリト認ムルトキハ前四条ノ制限ニ依ラサルコトヲ得」と規定している。右によれば、規則一二〇条が原則として被勾留者と幼年者との接見を許さないこととする一方で、規則一二四条がその例外として限られた場合に監獄の長の裁量によりこれを許すこととしていることが明らかである。しかし、これらの規定は、たとえ事物を弁別する能力の夫発達な幼年者の心情を害することがないようにという配慮の下に設けられたものであるとしても、それ自体、法律によらないで、被勾留者の接見の自由を著しく制限するものであって、法五〇条の委任の範囲を超えるものといわなければならない。

 原審は、規則一二〇条(及び一二四条)は幼年者の心情の保護を目的とするものであり、これに対する具体的な危険を避けるために必要な範囲で監獄の長が幼年者と被勾留者との接見を制限することを認めた規定であるという限定的な解釈を施した上、法はそのような制限を容認していると解する余地があるとして、右各規定が法五〇条の委任の範囲を超え、無効であるということはできないと判断した。しかし、前記のとおり、被勾留者も当該拘禁関係に伴う一定の制約の範囲外においては原則として一般市民としての自由を保障されるのであり、幼年者の心情の保護は元来その監護に当たる親権者等が配慮すべき事柄であることからすれば、法が一律に幼年者と被勾留者との接見を禁止することを予定し、容認しているものと解することは、困難である。そうすると、規則一二〇条(及び一二四条)は、原審のような限定的な解釈を施したとしても、なお法の容認する接見の自由を制限するものとして、法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものというほかはない。

 そうだとすれば、規則一二〇条(及び一二四条)は、結局、被勾留者と幼年者との接見を許さないとする限度において、法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものと断ぜざるを得ない。

 4 以上によって本件をみるのに、原審の確定した事実関係によれば、被上告人とCとが接見したとしても、(ア) 被上告人が逃亡し又は罪証を隠滅するおそれが生ずるとも、(イ) 監獄内の規律又は秩序が乱されるおそれが生ずるとも認められないというのであるから、所長は、法四五条の趣旨に従い、被上告人とCとの接見を許可すべきであったといわなければならない。ところが、所長は、本件処分をし、これを許可しなかったのであるから、本件処分は法四五条に反する違法なものといわなければならない。

 これと異なる見解に立つ上告理由第一点は、採用することができない。

 5 そこで、進んで、国家賠償法一条一頃にいう「過失」の有無につき検討を加える。

 思うに、規則一二〇条(及び一二四条)が被勾留者と幼年者との接見を許さないとする限度において法五〇条の委任の範図を超えた無効のものであるということ自体は、重大な点で法律に違反するものといわざるを得ない。しかし、規則一二〇条(及び一二四条)は明治四一年に公布されて以来長きにわたって施行されてきたものであって(もっとも、規則一二四条は、昭和六年司法省令第九号及び昭和四一年法務省令第四七号によって若干の改正が行われた。)、本件処分当時までの間これらの規定の有効性につき、実務上特に疑いを差し挟む解釈をされたことも裁判上とりたてて問題とされたこともなく、裁判上これが特に論議された本件においても第一、二審がその有効性を肯定していることはさきにみたとおりである。そうだとすると、規則一二〇条(及び一二四条)が右の限度において法五〇条の委任の範囲を超えることが当該法令の執行者にとって容易に理解可能であったということはできないのであって、このことは国家公務員として法令に従ってその職務を遂行すべき義務を負う監獄の長にとっても同様であり、監獄の長が本件処分当時右のようなことを予見し、又は予見すべきであったということはできない。

 本件の場合、原審の確定した事実関係によれば、所長は、規則一二〇条に従い本件処分をし、被上告人とCとの接見を許可しなかったというのであるが、右に説示したところによれば、所長が右の接見を許可しなかったことにつき国家賠償法一条一項にいう「過失」があったということはできない。

 上告理由第二点は、所長に国家賠償法一条一頃にいう「過失」がなかったことを主張する限りにおいて理由がある。

 6 以上によれば、前記のとおり被上告人の請求を一部認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。そして、右に説示したところによれば被上告人の請求は理由がないから、原判決中上告人敗訴の部分を破棄し、第一審判決中上告人敗訴の部分を取り消した上、右取消部分に関する被上告人の請求を棄却し、かつ、右破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却すべきである。

 よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    園   部   逸   夫
            裁判官    坂   上   壽   夫
            裁判官    貞   家   克   己
            裁判官    佐   藤   庄 市 郎
            裁判官    可   部   恒   雄





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立法の委任(1) 犯罪構成要件の再委任 最高裁昭和33年7月9日大法廷判決


判例
S33.07.09 大法廷・判決 昭和27(あ)4533 酒税法違反(第12巻11号2407頁)

判示事項:
一 酒税法(昭和二三年法律第一〇七号による改正前のもの)第五四条と憲法第七三条第六号。

二 酒税法施行規則(同年政令第一四八号による改正前のもの)第六一条第九号の規定は右酒税法第五四条の委任の趣旨に反するか。

三 酒税法第六五条および第五四条の規定の趣旨。


要旨:
一 酒税法(昭和二三年法律第一〇七号による改正前のもの)第五四条により帳簿記載事項の詳細を定める権限を行政機関に賦与しても憲法第七三条第六号に違反しない。


二 酒税法施行規則(同年政令第一四八号による改正前のもの)第六一条第九号の規定は、前記酒税法第五四条の委任の趣旨に反しない。

三 酒税法六五条によれば、同法五四条の規定による帳簿の記載を怠つた者等は、所定の罰金、科料に処される旨規定しているから、同六五条の規定は、罪となるべき事実とこれに対する刑罰とを規定したいわゆる罰則規定であり、同五四条の規定は、その罪となるべき事実の前提要件たる帳簿の記載義務を規定したものということができる。


参照・法条:
  憲法73条6号,酒税法(昭和23年法律107号による改正前のもの)54条,酒税法(昭和23年法律107号による改正前のもの)65条1号,酒税法65条,酒税法54条,酒税法施行規則(昭和23年政令148号による改正前のもの)61条9号


内容:
 件名  酒税法違反 (最高裁判所 昭和27(あ)4533 大法廷・判決 棄却)
 原審  広島高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
         
理    由

 弁護人裾分正重、同松岡一章の上告趣意(冒頭の所論中破棄差戻判決に関する点は、上告理由とは認められないし、また、原判決の告知に関する点は、単なる訴訟法違反の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。)第一点について。

 所論は判例違反をいうが、所論引用の判例は本件に適切でないばかりでなく、所論は原判決の判示に副わない事実関係を前提とするものと認められるから、その前提を欠き刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

 同第二点について。

 酒税法(昭和二三年法律一〇七号による改正前のもの)五四条は、「酒類、酒母、醪若ハ麹ノ製造者又ハ酒類若ハ麹ノ販売業者ハ命令ノ定ムル所ニ依り製造、貯蔵又ハ販売ニ関スル事実ヲ帳簿ニ記載スヘシ」と規定し、同法六五条一号は、「左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ三万円以下ノ罰金又ハ科料処ス。一、第五四条ノ規定ニル帳簿ノ記載ヲ怠り若ハ詐り又ハ帳簿ヲ隠匿シタル者」と規定し、また、酒税法施行規則(昭和二三年政令一四八号による改正前のもの)六一条九号は、「酒類、酒母、醪又ハ麹ノ製造者ハ左ノ事項ヲ帳簿ニ記載スヘシ、九、前各号ノ外製造、貯蔵又ハ販売ニ関シ税務署長ノ指定スル事項」と規定している。右酒税法六五条によれば、同法五四条の規定による帳簿の記載を怠つた者等は、所定の罰金、科料に処される旨規定しているから、同六五条の規定は、罪となるべき事実とこれに対する刑罰とを規定したいわゆる罰則規定であり、同五四条の規定は、その罪となるべき事実の前提要件たる帳簿の記載義務を規定したものということができる。しかるに、同五四条は、その帳簿の記載等の義務の主体およびその義務の内容たる製造、貯蔵又は販売に関する事実を帳簿に記載すべきこと等を規定し、ただ、その義務の内容の一部たる記載事項の詳細を命令の定めるところに一任しているに過ぎないのであつて、立法権がかような権限を行政機関に賦与するがごときは憲法上差支ないことは、憲法七三条六号本文および但書の規定に徴し明白である。そして、前記酒税法施行規則六一条は、その一号ないし八号において、帳簿に記載すべき事項を具体的且つ詳細に規定しており、同条九号は、これらの規定に洩れた事項で、各地方の実状に即し記載事項とするを必要とするものを税務署長の指定に委せたものであつて、前記酒税法施行規則においてこのような規定を置いたとしても、前記酒税法五四条の委任の趣旨に反しないものであり、違憲であるということはできない。それ故、原判決は、結局正当であつて、論旨は、採るを得ない。

 よつて、刑訴四〇八条に従い、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

  昭和三三年七月九日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    田   中   耕 太 郎
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    垂   水   克   己
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    奥   野   健   一




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2007年03月10日

占領法規 最高裁昭和28年7月22日大法廷判決

判例
S28.07.22 大法廷・判決 昭和27(あ)2868 昭和二五年政令第三二五号違反(第7巻7号1562頁)

判示事項:
所謂アカハタ及びその後継紙、同類紙の発行停止に関する指令についての昭和二五年政令第三二五号違反被告事件は講和条約発効後は免訴すべきか。


要旨:
所謂アカハタ及びその後継紙、同類紙の発行停止に関する指令についての昭和二五年政令第三二五号違反被告事件は、講和条約発効後においては刑の廃止があつたものとして免訴すべきである。

参照・法条:
昭和20年勅令542号,昭和25年政令325号前文,昭和25年政令325号1条,昭和25年政令325号2条,昭和25・6・26附及び昭和25・7・18附マツカーサー書簡,刑訴法337条2号,刑訴法411条5号,昭和27法律81号,昭和27法律137号2条6号,昭和27法律137号3条1項,憲法39条,憲法21条


内容:
 件名  昭和二五年政令第三二五号違反 (最高裁判所 昭和27(あ)2868 大法廷・判決 破棄免訴)
 原審  仙台地裁


主    文

     原判決及び第一審判決を破棄する。
     被告人を免訴する。
         
理    由

 裁判官真野毅、同小谷勝重、同島保、両藤田八郎、同谷村唯一郎、同入江俊郎及び裁判官井上登、同栗山茂、同河村又介、同小林俊三の意見は、本件は原判決後に刑が廃止されたときにあたるとするにあるから、刑訴四一一条五号、四一三条但書、三三七条二号により主文のとおり判決する。

 裁判官田中耕太郎、同霜山精一、同斎藤悠輔、同本村善太郎は反対意見である。

 裁判官真野毅、同小谷勝重、向島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎、同入江俊郎の意見は次のとおりである。

 弁護人上田誠吉の上告趣意第三点について。

 昭和二〇年勅令第五四二号は、わが国の無条件降伏に伴う連合国の占領管理に基いて制定されたものである。世人周知のごとく、わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした。その結果連合国最高司令官は、降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を有し、この限りにおいてわが国の統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなつた(降伏文書八項)。また、日本国民は、連合国最高司令官により又はその指示に基き日本国政府の諸機関により課せられるすべての要求に応ずべきことが命令されており(同三項)、すべての官庁職員は、連合国最高司令官が降伏実施のため適当であると認めて、自ら発し又はその委任に基ぎ発せしめる一切の布告、命令及び指令を遵守し且つこれを実施することが命令されておる(同五項)。そして、わが国は、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約すると共に、右宣言を実施するため連合国最高司令官又はその他特定の連合国代表者が要求することあるべき一切の命令を発し且つ一切の措置をとることを約したのである(同六項)。さらに、日本の官庁職員及び日本国民は、連合国最高司令官又は他の連合国官憲の発する一切の指示を誠実且つ迅速に遵守すべきことが命ぜられており、若しこれらの指示を遵守するに遅滞があり、又はこれを遵守しないときは、連合国軍官憲及び日本国政府は、厳重且つ迅速な制裁を加えるものとされている(指令第一号附属一般命令第一号一二項)。それ故連合国の管理下にあつた当時にあつては、日本国の統治の権限は、一般には憲法によつて行われているが、連合国最高司令官が降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる関係においては、その権力によつて制限を受ける法律状態におかれているものと言わねばならぬ。すなわち、連合国最高司令官は、降伏条項を実施するためには、日本国憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本官庁の職員に対し指令を発してこれを遵守実施せしめることを得たのである。

 かかる基本関係に基き前記勅令第五四二号、すなわち「政府ハポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ連合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為、特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ為シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得」といふ緊急勅令が、降伏文書調印後間もなき昭和二〇年九月二〇日に制定された。この勅令は前記基本関係に基き、連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。(昭和二四年(れ)第六八五号、同二八年四月八日言渡大法廷判決参照)。

 本件で問題となつている昭和二五年政令三二五号「占領目的阻害行為処罰令」(以下政令三二五号という)は、その前身である昭和二一年勅令三一一号「連合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する勅令」と共に、前記勅令五四二号に基き「連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する為」制定せられた命令(以下ポツダム命令という)であつて、その制定当時においてはこれまた前同様に憲法外における法的効力を有するものと言うべきである。本件に必要な関係を有する範囲においては、政令三二五号は「占領目的に有害な行為」をした者に対して刑罰を科する罰則を設けたものである。そして、その「占領目的に有害な行為」の実質は、一般的・概括的な規準に従つて解釈上定められると言うのではなく、この政令自体の中において「占領目的に有害な行為」とは、(イ)連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為、(ロ)その指令を施行するために連合国占領軍の軍、軍団又は師団の各司令官の発する命令の趣旨に反する行為、及び(ハ)その指令を履行するために日本国政府の発する法令に違反する行為をいう、と列挙的・限定的に定められているのである。そこで、原審の認定した本件の事実関係は、前記(イ)連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為をなし、占領目的に有害な行為をなしたというのであつた。それ故、ここでは政令三二五号をこの指令違反の点に限局して論述することとする。

 この政令三二五号の罰則は、その犯罪行為の実質的内容を政令自体において直接的・自給自足的に特定することなく、いわば抽象的な形式的内容に過ぎない「連合国最高司令官の日本国政府に対する指令の趣旨に反する行為」という表現をもつて、ただ間接的・他依存的犯罪行為の実質的内容を特定し得べからしめたものに過ぎない。言いかえれば、まず連合国最高司令官の指令の存在とその内容を探求することによつてのみ、間接的に政令三二五号の犯罪構成要件の具体的な実質的内容は、初めて特定せられ明らかならしめられるものである。そして、この罰則は、単に連合国最高司令官の発した指令の趣旨に違反する行為を処罰することとしているのであつて、その指令がいかなる事項に関するものであるか、またその指令がいかなる内容のものであるか、等については、何等の制限をしていない極めて広範なものである。すなわち、網羅的にすべての指令違反が処罰の対象とされているわけである。この連合国最高司令官の指令が誠実に遵守せらるべきことは、すでに冒頭において述べたとおり降伏文書及び一般命令においても特に明定されているところであり、占領という特殊な状態において、最高司令官がその意思を実現し、その権威を発揚し、もつて占領目的を達成するがためには、最も必要な前提要件であり、また最も大切な基盤であると言わねばならぬことは多言を要しないところである。それ故に、この要件を充実し、この基盤を完成するためにこそ、そしてそのためにのみ政令三二五号及びその前身である昭和二一年勅令三一一号は定められたと見るべきである。かくて、この罰則は、その本質において全く最高司令官の占領目的達成のための手段たるに過ぎないものであるから、占領状態の継続ないし最高司令官の存続を前提としてのみ、その存在の価値と意義を有するに過ぎないものと言うべきである。別の言葉でいえば、この罰則は、その本質上占領状態の終了従つて最高司令官そのものの解消と共に、当然その効力を失うべきものであると言わなければならない。

 さて、昭和二七年四月二八日「日本国の平和条約」は、その効力を発生し、日本国と平和条約を締結批准した各連合国との間の戦争状態は終了し、平和は克復せられ、連合国の占領は撤廃せられ、「日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権」は承認せられ、もつてわが国は独立国家の地位を恢復したのである。かくて、平和条約発効後においては、「占領」がないのであるから、「占領目的に有害な行為」が発生存在する余地がないのは当然である。また、「連合国最高司令官」は解消したのであるから、「連合国最高司令官の指令」が発生存在する余地もなく、したがつて「連合国最高司令官の指令違反行為」が発生存在する余地がないのも当然自明の理である。それ故、指令違反を処罰する政令三二五号は、前にも述べたとおり平和条約発効後においては、その効力を保持する余地がなく、当然失効したものと言わなければならない。

 ただ、昭和二七年法律八一号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(平和条約発効の日である昭和二七年四月二八日施行)は、昭和二〇年勅令五四二号を廃止すると共に、「勅令五四二号に基く命令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、この法律施行の日から起算して百八十日間に限り、法律としての効力を有する」と規定している。ついで、昭和二七年法律一三七号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く法務府関係諸命令の措置に関する法律」(昭和二七年五月七日施行)は、政令三二五号を廃止すると共に、「この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による」旨を規定した。一般にポツダム命令は、前記法律八一号により平和条約発効と同時に原則として「法律としての効力を有する」と定められたのであるから、いやしくもその内容が憲法の規定に違反していない限り、平和条約発効後においても効力を持続すると見るべきであるが、政令三二五号の罰則は、他の一般ポツダム命令のごとくその命令自体において犯罪行為の実質的内容を具体的に特定したものではなく、前に詳しく述べたように単に最高司令官の指令違反を犯罪とし処罰するのであるから、その本質上平和条約の発効と同時に当然失効するのである。平和条約発効と同時に政令三二五号に法律としての効力を与えー従来現存する各指令の内容そのものに法律としての効力を与えたのでなくー単に指令違反を犯罪とし処罰することを定めるのは、法律の内容として現実に不可能なことを定めるものであつて結局憲法に違反するわけである。したがつて、前記法律八一号の制定されたことは、平和条約発効と同時に政令三二五号が当然失効することを妨げるものではない。(もし前記法律八一号の立法が、従来現存する各指令の内容そのものに対して法律としての効力を与えたものならば、各指令の内容について一々憲法適否の審査をする必要があるが、同立法は他の一般ポツダム命令に対すると同様に政令三二五号に対しても、ただ単にその政令の内容すなわち指令違反行為そのものの処罰に法律としての効力を与えたに過ぎないものであつて、各指令の内容そのものに対して法律としての効力を与えたものではないから、一々指令自体の内容について憲法適否を審査することを要しないし、また当該指令の内容の憲法適否にかかわりなく、前に述べたとおり指令違反を処罰せんとする限りにおいて前記法律八一号は違憲無効である。)

 かように、政令三二五号は、昭和二七年四月二八日平和条約発効と同時に失効したものであるから、右失効後昭和二七年五月七日に施行された前記法律一三七号が、右失効前になされた行為に対しても罰則の適用につき従前の例によると定めたものとすれば、すでにひとたび失効して効力のなくなつた政令三二五号の罰則をさらに復活させて、事後において過去の行為に遡及適用せしめようとするいわゆる事後立法ということになり、憲法三九条の趣旨に違反し無効であると言わなければならない。

 なお、政令三二五号は、平和条約の発効と同時に効力を失うべきものとしても、同令は占領下の臨時的必要に対処するため制定された臨時立法であるから、いわゆる限時法的性格を有し、その失効後も行為当時の同令を適用して処罰すべきであるとの見解をとる者がある。しかしながら、政令三二五号は、前にも述べたように占領という特殊な状態において、連合国最高司令官がその意思を実現し、その権威を発揚し、もつて占領目的を達成するための手段として制定されたに過ぎないものであるから、占領下に同政令において違法とされた行為の違法性及び可罰性は、占領終了と共に当然消滅するものと言わなければならぬ。すでに占領が終了し、日本国が独立を恢復し、日本国憲法が完全な支配を及ぼすに至つた今日において、占領下における最高司令官の指令に違反した行為を処罰すべきであるとすることは、占領終了の後においても、なお最高司令官の権威の存在を認め、その指令の効力の存続を承認し、「占領目的に有害な行為」の持続を是認しようとするものであつて、かくのごときは到底憲法の容認しないところというべきである。されば、憲法違反の故に失効した罰則を、現時法的理論によつて存続せしめようとする見解の誤りであることは明白らかである。

 そこで、本件についてみるに、原審の適用した罰則である政令三二五号は、平和条約発効と同時にその効力を失つたのであるから、犯罪後の法令により刑が廃止された場合にあたるものとして、被告人に対し免訴の言渡をするを相当とする。論旨は結局理由があり、本件はその余の上告趣意に対する判断をまたずこの点において原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

 裁判官井上登、同栗山茂、同河村又介、同小林俊三の意見は次のとおりである。

 弁護人上田誠吉の上告趣意第三点及び第四点について。

 昭和二五年六月二六日附及び同年七月一八日附連合国最高司令官の指令は、アカハタ及び連合国最高司令官によつてアカハタの同類紙又は後継紙と認定された出版物を、編集、印刷、頒布又は運搬し若しくは頒布の目的を以て所持することを禁止する趣旨を含んでいる。被告人はこの指令の趣旨に違反して占領目的に有害な行為をしたものであるとの理由によつて昭和二五年政令第三二五号一条、二条一項により処断せられたのである。

 昭和二五年政令第三二五号は、昭和二〇年勅令第五四二号に基き制定されたいわゆるポツダム命令であつて、連合国最高司令官の指令の趣旨に違反する行為等を処罰することを規定するものであるが、右勅令第五四二号が憲法外において法的効力を有していたことは当裁判所の判例(昭和二四年(れ)第六八五号同二八年四月八日言渡大法廷判決)の示すとおりであるから、従つてまた右政令第三二五号も、たといその内容をなす指令に憲法違反の部分を含んでいても、占領期間中は憲法にかかわらず全面的に有効であつたことを認めなければならない。しかしながら占領終了によつて日本が独立を回復し、憲法がその効力を完全に発揮するに至つた後においては、憲法違反の法規の存在を容認することはできないから、これを有効な国法として存続させることができるかどうかはこの観点から厳正な検討をしなければならない。

 思うに占領が終了し、連合国最高司令官の地位がなくなり、従つてその指令も指令に対する服従義務もなくなつたからといつて、平和条約発効後は、右政令第三二五号が当然全面的にわが国法として存続する内容も効力ももち得ないということはできない。すなわち右政令第三二五号の内容となつている指令といつても、単に連合国又は占領軍の利益のためにのみ発せられたものばかりではなく、わが国の秩序を維持し公共の福祉を増進するために発せられたものも存在する。このような内容をもつ指令は、連合国最高司令官から発せられたというだけの理由で、これを内容とする政令第三二五号がわが国の有効な国法となり得ないとはいえない。従つて指令の内容において合憲なるものは平和条約発効後においても、その指令のかぎりにおいてわが国は右政令第三二五号をわが国法として存続させることはその自由とするところである。そこで昭和二七年法律第八一号は、昭和二〇年勅令第五四二号に基く命令は、別に法律で廃止又は存続に関する措置がなされない場合においては、平和条約効力発生の日から一八〇日間に限り、法律として効力を有する旨を規定したのであるから、この中に含まれる政令第三二五号もその内容とする指令が合憲なるかぎり、右法律により有効なわが国法として存続することになつたのである。

 また右政令第三二五号の定める罰則は、禁令の具体的内容を右政令自体に定めているのではなく、時に応じて行われる最高司令官の指令等をその基本とするのであるから、かかる不確定が存続するかぎりこれを国法とすることは多くの疑義が存するところであるが、すでに平和条約発効と同時に既存の指令等はそのまま確定し、右政令が当時仮りに白地法規の性質をもつていたとしても、その空白はすでに充足せられたのであるから、指令等が合憲なるかぎりこれをわが国法として存続せしめることを妨げる理由とならない。

 そこで本件被告人が違反したと認あめらた前記指令の内容が合憲であるかどうかを考えて見るに、憲法二一条は基本的人権として言論の自由を保障し、殊にその二項は明らかに検閲を禁止している。検閲とは公表されようとする言論に対して、官憲がこれを事前に審査しその容認するもののみの公表を許すことである。しかるに前記指令は、アカハタ及びその同類紙又は後継紙について、これを掲載されようとする記事が国家の秩序を紊り又は社会の福祉を害するというような理由の有る無しを問わず、予じめ全面的にその発行を禁止するものであり通常の検閲制度にもまさつて言論の自由を奪うのであるから、憲法二一条に違反するものであることは明らかであつて、右政令第三二五号もまたこの指令に対する違反を罰するかぎりにおいて憲法に違反するといわなければならない。従つて占領中は政令第三二五号により右指令の趣旨に違反した行為として処罰されなければならなかつたとしても、占領終了し日本国憲法が完全にその効力を発揮することになつた後においては、裁判所は憲法違反の法規の効力を容認することはできないから、右政令第三二五号は前記指令を適用するかぎりにおいて、わが国のこれに関する立法の如何にかかわらず(すなわち法律第八一号によつても)平和条約発効と同時にその効力を存続せしめることができないものと断じなければならない。

 さらに昭和二七年五月七日公布と同時に施行された法律第一三七号は、その二条において右の政令第三二五号を廃止し、その三条において「この法律の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による」と定めている。しかし憲法違反の故にすでに効力を失つている法規を有効なものとして復活せしめようとする規定は、そのかぎりにおいて違憲であるから、右三条も前記指令に関するかぎりその効力を生ずるに由なきものである。また右の政令第三二五号に限時法として効力を認めようとする説は、憲法違反の故に失効した法規を限時法の理論によつて存続させることは不可能であるから首肯することはできない。

 以上述べたように、政令第三二五号は前記指令に関するかぎり平和条約発効と共に失効したのであるから、それ以後は右指令の趣旨違反を理由として処罰することができなくなつたのである。されば本件は原判決後の法令により刑の廃止があつた場合に準ずべきものと解するのを相当とする。或は刑の廃止には国家意思の表示が必要であつて、本件の場合前記法律第一三七号は明らかに「従前の例による」という規定を置き、刑の存続を認めているという説があるけれども、憲法は国の最高法規であるから、憲法の条規に違反する罰則は立法があつたからといつて、その効力を有することができないことは憲法九八条で明らかである。

 よつて本件は原判決後に刑の廢止があつた場合にあたるからその余の上告趣意に対する判斷をするまでもなく原判決及び第一審判決を破棄し、被告人を免訴すべきものである。

 裁判官河村又介の補足意見は次のとおりである。

 私の意見は大体前掲のとおりであるがなお次の点を明らかにしておきたい。

 旧憲法下において制定された法令については、それが一旦法的に有効に成立したものである以上、新憲法に定めるところとは異なつた機関や手続によつて制定されたものであつても、その法令の定めている内容が新憲法下で許されないようなものでない限り、当然無効とはならない。憲法九八条一項はこのように解すべきであること、すでに曾て述べたとおりである(最高裁判所昭和二五年(れ)第七二三号、同二七年一二月二四日大法廷判決における補足意見参照)。右の法理は本件の政令第三二五号のように憲法施行後制定された法令についても同様であつて、その規定している内容が憲法に違背しない限り、平和条約発効によつて憲法が全面的に効力を発揮するようになつたからとて、当然に効力を失う筈はない。従つて昭和二七年法律第八一号は、この当然の事理を前提として、右の政令の有効期間を平和条約発効後一八〇日間に限つたものであつて、本来平和条約発効と共に消滅すべき筈であつたものがこの法律によつて始めて存続することになつたのではないと解する。

 裁判官田中耕太郎、同霜山精一、同斎藤悠輔、同本村善太郎の本件についての意見は次のとおりである。

 弁護人上田誠吉の上告趣意第一、二点並びに第四点について。

 昭和二〇年勅令五四二号は、わが国の無条件降伏に伴う連合国の占領管理に基いて制定されたものであること、連合国最高司令官は降伏条項を実施するためには、日本国憲法にかかわりなく、法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり、日本の官庁職員及び日本国民に対し指令を発してこれを遵守せしめることを得るものであること、されば、同勅令は、日本国憲法にかかわりなく、同憲法施行後も同憲法外において法的効力を有し、従つて、同勅令に基く政令三二五号もまた無効といえないこと、並びに、右勅令にいわゆる「特ニ必要アル場合」とは、所論のように日本政府が法律案を作りこれを国会に提出するいとまがないような場合を指すものでなく、従つて、同政令が同勅令所定の要件を具備しない無効なものといえないことは、すべて当裁判所大法廷判決の趣旨に照し明らかなところである。(昭和二四年(れ)六八五号同二八年四月八日宣告大法廷判決中弁護人森長英三郎の上告趣意第二点、第三点についての判断参照)それ故、前記勅令並びに政令を無効であるとする論旨第一、二点並びに論旨第四点中右政令所定の指令の一つである本件アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行停止を命じた最高司令官の指令が憲法一九条、二一条に違反するとの点は、いずれも採用することはできない。なお、平和条約が発効したからといつて、右指令が憲法に反するか否かを判断すべきでないことは、論旨第三点についての説明によつて了解すべきである。

 同第三点について。

 本件第一審判決の確定したところによれば、被告人の本件犯行は、昭和二六年一月二日頃から同年同月二五日頃までに行われたものであるから、被告人の所為は、前論旨に説明したとおり、右犯行当時法的に有効に存在した昭和二五年政令三二五号一条に違反し、同二条一項に該当すること明白であつて、被告人は、同条項所定の処罰を免れないものといわなければならない。しかるに、所論は原判決後に刑の廃止があつたから免訴の判決をなすべき旨を主張する。

 しかし、刑訴四一一条五号にいわゆる「判決があつた後に刑の廃止があつたこと」とあるのは、刑訴三三七条二号にいわゆる「犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。」と同義であつて、犯罪後の法令により、積極的に明示又は少くとも黙示を以て既に発生、成立した刑罰権を特に放棄したとき、すなわち、特にこれを廃止する国家意思の発現あつたときを指すものである。なぜなら、罪刑法定主義を採用した法治国においては、犯罪者が行為時法によつて処罰されるのは当然の約束であつて、行為時法によつて既に発生、成立した刑罰法規の効果である刑罰は、その後における大赦又は法令に因つて特に消滅又は廃止されない限り、存続するのは当り前であるからである。刑の廃止は、行為時法によつて発生、成立した刑罰権の放棄であるから、行為時法により刑罰権が一旦有効に発生、成立した以上、行為の後その刑罰権を発生、成立せしめる原因となつた法規が単に将来に向つて廃止され又は消滅したからといつて、既に発生、成立して終つた既成の法律効果を同時に放棄、廃止する国家意思の表現がない限り、法律効果そのものが当然消滅する道理がない。たゞ犯罪行為の後これを成立せしめた或る法規が廃止され又は消滅した場合に、その廃止又は消滅の理由が同時に立法者において既に発生、成立した刑罰権をも暗黙に放棄したと認むべき場合があるに過ぎないのである。特に犯罪後の立法によつて或る刑罰法規を廃止した場合に、その廃止の理由が立法者の側における法的観念、刑法的価値判断に変更を生じ、従前認められていた刑罰法上の可罰性を認むべきでないとするような理由であるときは、その廃止と同時に既成の刑罰権をも暗黙に放棄したと推定するに過ぎないのである。これに反し、いわゆる限時法の場合、特にその立法と同時に予め法規失効後も失効前の違反行為に対し罰則を適用する旨の明文を設けた場合(昭和六年法津四〇号重要産業ノ統制ニ関スル法律附則参照)のように、法規の廃止又は消滅が、立法者の法的観念又は刑法的価値判断の変更によるものでなく、単に事情の変更乃至時間の経過に因るに過ぎないときは、法規の廃止又は消滅後も寧ろ立法者か既成の法律効果を放棄じない国家意思であると見るべきである。そして、本件政令三二五号占領目的阻害行為処罰令はその名の示すとおり初めから占領中のみに限り有効に存在し、占領の終了と同時にその効力を失うべき性格の政令であること論を俊たないから、いわゆる限時法に属するものと解すべきこと多言を要しない。

 されば、本件政令の基本法である昭和二〇年勅令五四二号並びにこれに基く本件政令三二五号が原判決があつた(昭和二七年四月二八日言渡)後、同日午後一〇時三〇分連合国と日本国との平和条約発効と同時に失効したとしても、既成の同政令二条一項の刑罰を廃止したと認むベき法令に因る明示又は、黙示の国家意思は認められないし、(特に本件指令の趣旨に反する同令違反につき大赦がなかつたことは顕著な事実である。)、また、同処罰令の前示のごとき限時法たる性格上刑罰を廃止したものと見ることもできない。しかのみならず、昭和二七年法律八一号、同法律一三七号の一連の法律は、(同法律八一号が新らたな国内法律として有効であるか否かは別として)却つてその刑罰を特に廃止しない旨の明確な国家意思を表明しているのであるから、所論刑の廃止の主張は、いずれの点から見ても採用できない。

 なお、前述のごとく、刑の廃止は、行為時法によつて有効に発生成立した刑罰権の放棄であるから、一旦有効に成立した刑罰権を特に放棄しない趣旨の立法は、畢竟刑訴三三七条二号若しくは四一一条五号のごとき訴訟法又は刑法六条のごとき例外規定が適用のないことを明確にした立法に外ならないのであつて、一旦失効した刑罰法規そのものを失効後再び有効な法規としてこれを復活させるものでない。それ故、憲法三九条の事後立法又は二重処罰とは何の関係もない全く自由な立法政策上の問題であること多言を要しない。されば、前記法律一三七号就中同八一号を目して法律の内容として不可能なことを定めるもので違憲であるとの説又はすでに失効した罰則を復活させて事後において過去の行為に遡及適用せしめるものであるという説のごときは、法規そのものの将来に対する廃止又は失効とその廃止又は失効前に法規適用の結果発生した法律効果とを混同するものといわなければならない。また、既に平和条約発効前たる昭和二六年一月中有効に発生、成立した本件政令二条一項の犯罪の前提となる指令の内容が平和条約発効後において憲法二一条に違反するとの説は、裁判時において行為時法そのものが必ず存続していなければならないということを前提とするものであるが、限時法の場合に行為時法を適用するのは、一旦失効した刑罰法規そのものを失効後再び有効な法規としてこれを復活存続せしめることでないことは、前に説明したとおりであるから、その前提において既に失当である。仮りに該指令の内容が憲法二一条に違反していると仮定しても(後述のごとく、本件指令は、アカハタ及びその後継紙等が、日本の政党の合法的な機関紙ではなく、国外の破壊勢力の道具であるという事実を証明しているということに立脚しているのであるから、立法問題としては、要するに思想乃至表現の自由の問題ではなく、むしろ、一種の暴力である国外からの破壊活動そのものを内容としており、従つて、国民の基本的権利に関する憲法一九条、二一条等違反の問題を生ずる余地のないこと明白である。されば、これを憲法二一条違反であるとの説は、前示指令の内容に全然副わない平穏無事な事実関係を想定しこれを前提とするもので、賛同できない。)それは、昭和二七年法律八一号が有効な法律とは認められないこと、従つて、同法律によつて新らたに処罰できないことを説明し得ても、既に右法律前発生、成立した本件政令違反に対する刑罰が放棄、廃止されたことの説明とはなり得ないこというまでもない。

 同第五点乃至第八点について。

 昭和二五年六月二六日附及び同年七月一八日附連合国最高司令官のアカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し課せられた停刊措置に関する指令によれば、アカハタは、日本の政党の合法的な機関紙ではなく、日本国民の間に、特に今回は日本にいる多数の朝鮮人の間に、人心をかく乱して公共の安寧と福祉とを侵害することを目的とした、悪意のある、虚偽のせん動的な宣伝を広めるために用いられる国外の破壊勢力の道具であるという事実を証明していると認めている。従つて、同指令は、アカハタ及び連合国最高司令官によつてアカハタの後継紙又は同類紙と認定された出版物を、一般人に宣伝、播布するためにする一切の行為を禁止するものであつて、その編集、印刷、頒布又は運搬若しくは頒布の目的を以て所持することをも禁止する趣旨を含んでいることは、同指令自体で明白である。そして、本件「平和のこえ」が右「アカハタ」の後継紙と認定された出版物であつて、被告人がこれを知りながら直接又は間接に頒布してその発行行為をしたものであることは、原判決の是認した第一審判決が証拠により適法に確定したところである。されば、所論第五点乃至第七点は、連合国最高司令官の指令の解釈又は原判決の認定を非難するに帰し、また、同第八点は、量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴四〇五条の上告理由として採用することはできない。続きを読む

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明治憲法前の法令の効力 最高裁昭和36年7月19日大法廷判決

判例
S36.07.19 大法廷・判決 昭和32(あ)2247 強盗殺人(第15巻7号1106頁)


判示事項:
一 明治六年太政官布告第六五号の効力。

二 死刑の宣告は憲法第三一条に違反するか。

三 現在の死刑の執行方法の合憲性。


要旨:
  一 明治六年太政官布告第六五号絞罪器械図式は、現在法律と同一の効力を有するものとして有効に存続している。

二 絞首刑たる死刑を宣言することは、憲法第三一条に違反しない。

三 現在の死刑の執行方法が所論のように明治六年太政官布告第六五号の規定どおりに行われていない点があるとしても、それは右抗告で規定した死刑の執行方法の基本的事項に反しているものとは認められず、この一事をもつて憲法第三一条に違反するものとはいえない。


参照・法条:
  刑法11条,憲法31条,明治6年太政官布告65号,明治6年太政官布告第65号

内容:
 件名  強盗殺人 (最高裁判所 昭和32(あ)2247 大法廷・判決 棄却)
 原審  名古屋高等裁判所


主    文

     本件各上告を棄却する。
         
理    由

 被告人Aの上告趣意について。

 論旨は事実誤認、単なる訴訟法違反及び量刑不当の主張に帰し、適法な上告理由にあたらない。

 被告人Bの上告趣意について。

 論旨もまた事実誤認及び量刑不当の主張に帰し、上告適法の理由とならない。

 被告人Aの弁護人天野敬一の上告趣意第一点について。論旨は絞首によつて執行される死刑が憲法三六条に違反すると主張するのであるが、その理由なきことは当裁判所の判例(昭和二六年(れ)第二五一八号同三〇年四月六日大法廷判決)に照らして明らかである。

 同第二点は事実誤認の主張、同第三点は量刑不当の主張に帰し、いずれも適法な上告理由とならない。

 同第四点について。

 原判決はその判文自体でわかるように、死刑にならないなら重罪を犯してもかまわない、という考え方を、法秩序を無視する思想とし、かかる動機を犯情の一つとして量刑に参酌したに外ならぬ。所論違憲の主張は原判決の誤解に出たものであるから採用することができない。

 第四点中のその余の論旨は事実誤認の主張であつて適法な上告理由とならない。

 同第五点は事実誤認ないし量刑不当の主張に帰し上告適法の理由とならない。

 同第六点について。

 論旨は、死刑の執行方法について法律の定めがないに拘らず、その方法を特定することなく敢えて絞首刑たる死刑を宣告したことは、憲法三一条、三六条に違反すると主張する。

 しかし死刑の執行方法に関する事項を定めた所論明治六年太政官布告六五号は、同布告の制定後今日に至るまで廃止されまたは失効したと認むべき法的根拠は何ら存在しない。そして同布告の定めた死刑の執行方法に関する事項のすべてが、旧憲法下また新憲法下において、法律をもつて規定することを要する所謂法律事項であるとはいえないとしても、同布告は、死刑の執行方法に関し重要な事項(例えば、「凡絞刑ヲ行フニハ……両手ヲ背ニ縛シ……面ヲ掩ヒ……絞架ニ登セ踏板上ニ立シメ……絞縄ヲ首領ニ施シ……踏板忽チ開落シテ囚身……空ニ懸ル」等)を定めており、このような事項は、死刑の執行方法の基本的事項であつて、死刑のような重大な刑の執行方法に関する基本的事項は、旧憲法下においても法律事項に該当すると解するを相当とし(旧憲法二三条)、その限度においては同布告は旧憲法下において既に法律として遵由の効力を有していたものと解するを相当とする。けだし、旧憲法前の法令は、その名称の如何を問わず、旧憲法下において法律をもつて定むべき事項を定めたものは、法律として遵由の効力を有していたからである。(旧憲法七六条一項。この理は、同布告自体が旧憲法下において一回も改正される機会がなかつたことによつても、何ら異なるところはない。)更に新憲法下においても、同布告に定められたような死刑の執行方法に関する基本的事項は、法律事項に該当するものというべきであつて(憲法三一条)、検察官はその答弁書において、右布告の内容は法律事項ではなく、死刑執行者の執行上の準則を定めたものに過ぎないから、現行法制からみれば法務省令をもつて規定しうるものであるというが、当裁判所は、かかる見解には賛成できない。将来右布告の中その基本的事項に関する部分を改廃する場合には、当然法律をもつてなすべきものである。なお、昭和二二年法律七二号「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」は、新憲法下において法律をもつて規定することを要するとされている事項を定めた従前の命令の規定につき、その新憲法下における効力を定めたものであつて、旧憲法下において既に法律としての効力の認められた法令(例えば本件明治六年太政官布告六五号のごとく旧憲法七六条により法律として遵由の効力を認められたと解されるもの、または旧憲法八条による緊急勅令であつて帝国議会の承諾を得たもの等)については、触れるところはない。それ故、右布告は、右法律によつて昭和二二年一二月三一日限り効力を失つたものであると解する余地はなく、新憲法下においても、法律と同一の効力を有するものとして存続しているのである。そして、現行死刑の執行方法が憲法三六条の「残虐な刑罰」に当らないことは、上記論旨第一点についての説明中に引用した当裁判所の判例の示すとおりであるから、右布告は新憲法下において、法律と同一の効力を有するものとして有効に存続しているといわなければならない(憲法九八条一項)。

 しからば、死刑に関する現行法制としては、刑法一一条、監獄法七一条一項、七二条、刑訴法四七五条ないし四七八条等の法律の規定があるほか、憲法上法律と同一の効力を有すると認められる明治六年太政官布告六五号の規定が有効に存在し、これらの諸規定に基づきなされた本件死刑の宣告は、憲法三一条にいう法律の定める手続によつてなされたものであることは明らかである。また、現在の死刑の執行方法が所論のように右太政官布告の規定どおりに行われていない点があるとしても、それは右布告で規定した死刑の執行方法の基本的事項に反しているものとは認められず、この一事をもつて憲法三一条に違反するものとはいえない。それ故、右布告が既に失効したものであることを前提とする憲法三一条、三六条違反の主張は採るを得ない。

 被告人Bの弁護人伊藤静男の上告趣意について。

 論旨中には、被告人を死刑に処するのは憲法一三条に違反し、また被告人Bと共犯者Aと量刑を同じくするのは憲法一四条に違反するとの主張がある。しかしこれらの論旨はその余の論旨をも含めてすべて結局実質は量刑不当の主張に帰するから採用することができない。

 被告人Bの弁護人野本俊の上告趣意について。

 論旨第一は、原判決は憲法三八条三項に違反すると主張するが、原判決は被告人Bの自白を唯一の証拠として同被告人の有罪を認定したのではなく、その自白の真実性を保障するに足る補強証拠を列挙していること判文上明白であるから論旨は理由がない。

 論旨第二は事実誤認の主張、同第三は量刑不当の主張であつて、いずれも上告適法の理由とならない。

 なお記録を調べてみても刑訴四一一条を適用すべき事由は認められない。

 よつて刑訴四一四条、三九六条、一八一条一項但書により主文のとおり判決する。

 この判決は、被告人Aの弁護人天野敬一の上告趣意第六点につき裁判官斎藤悠輔、同藤田八郎、同奥野健一の補足意見及び裁判官島保、同河村又介、同池田克、同石坂修一の意見あるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

 被告人Aの弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官斎藤悠輔の補足意見は、次のとおりである。

 論旨は、死刑の執行方法については法律の定めがないに拘らず、その方法を特定することなく敢えて絞首刑たる死刑を宣告したことは、憲法三一条、三六条に違反すると主張する。

 しかし、原判決は、被告事件につき証明あつたものと認め、刑法二四〇条後段を適用して所定刑中死刑を選択した上これを言渡したに過ぎないものであること記録上明白である。そして、刑訴法は、被告事件について犯罪の証明があつたときは刑訴三三五条所定の要件を示して刑の言渡をしなければならない旨規定するに止り、所論のごとくその執行方法を特定しなければならないことを規定していない。死刑の執行方法については、刑法一一条、刑訴法四七五条以下、監獄法七一条、七二条等において別に規定しており、判決の作成、言渡等の関するところでないこというまでもない。されば、所論は、原判決に何ら影響を及ぼさない刑の執行方法につき独自の見解を述べるに過ぎないものというべく、上告適法の理由と認め難い。

 弁護人天野敬一の上告趣意第六点に関する裁判官藤田八郎の補足意見は次のとおりである。

 憲法三六条は「残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずる」と規定する。刑法の規定する死刑は、今日の社会環境、国民感情から見て、一般に、直ちに憲法三六条にいわゆる残虐な刑罰に該当するものと云えないことは、つとに当裁判所大法廷判決(昭和二三年三月一二日大法廷判決―刑集二巻三号一九一頁)の判示するところであるけれども、「死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて、人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」ことは、また右大法廷判決の判示するところである。されば残虐な方法による死刑の執行は憲法の絶対に禁ずるところであり、残虐な方法による死刑の執行を受けないことは憲法の保障する国民の権利というべきであつて、死刑の執行の残虐にわたらないことの担保に関する事項は、少くとも新憲法上、法律をもつて規定すべきいわゆる法律事項に該当するものといわなければならない。

 刑法は死刑は絞首して之を執行することを規定している(一一条一項)けれども、絞首といつても、その方法のいかんによつては残虐にわたるおそれのあることは勿論であつて、(往年、満州国において行われた絞柱式による絞首刑執行の方法のごときは、今日の国民感情から見て、これを「残虐な刑罰」と称してあやまりないであろう。)刑法の外、刑訴法、監獄法にも死刑の執行方法に関する規定があるけれども、これら諸規定は未だもつて残虐にわたらないことを担保するものとして十分であるとは云えない。

 本件において問題となつている太政官布告六五号は、死刑の執行方法に関する精細な規定であつて、死刑の執行方法が残虐にわたらないことを担保する内容を有するものである。そして同布告がいわゆる法律事項に関するものであり、しかも旧憲法下において法律と同一の効力をもつものとせられたことは多数意見の説くとおりである。なお、同布告中、絞縄解除の時間に関する点は、当初同布告に二分間と定められていたのであるが、後、旧監獄則三七条二項により五分間に改められ、さらにこれを法律に改めたのが現行監獄法七二条である。現行監獄法は明治四一年に制定施行された法律で、主として自由刑の執行の方法に関するものであるが、当時、囚人の権利保障に関する事項は命令に委ねるべきでなく、法律をもつて規定せよとの要望に応えたものであつた。(自由刑執行の方法が法律をもつて規定されたのは、わが監獄法が世界最初のものであるという。)しかも、同法は死刑執行の方法に関してはほとんど規定するところなく、七条に「死刑の執行は監獄内の刑場に於て之を為す」と規定するの外、七二条に前記絞縄解除の時間に関する規定あるのみである。そして、同七二条は太政官布告六五号の二分を五分と改めたものであることは前叙のごとくであつて、即ち監獄法の右の規定は死刑の執行方法に関し、同布告の規定を補足するものであり、同布告は監獄法と一体を為して、刑の執行の方法に関し、行刑法体系を形成していたものというべきであつて、この点から見ても同布告は旧憲法下において法律と同一の効力をもつものとして取扱われていたことはあきらかである。従つて昭和二二年法律第七二号一条の適用とは無関係であつて、現在法律として有効に存続しているものと解すべきことは多数意見の説くとおりである。(昭和二四年四月六日大法廷判決―刑集三巻四号四五六頁。同三四年七月三日第二〜小法廷判決―刑集一三巻七号一〇七五頁参照)

 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。

 一、死刑(絞首刑)といえどもその執行方法は多種多様であり、絞首の方法如何では残虐な刑となる可能性がある(例えばかつて満州で行われたという一本の小棒と一本の縄により首をしめ上げる絞首の執行方法の如きは或は残虐な刑ということになろうか)のみならず、苟も生命を奪う方法は基本的人権の最も重要な生命に関する重大事項であるからその手続は憲法三一条の「法律の定める手続」に該当するものであつて、同条は単に判決を言渡すまでの手続のみならず刑罰の執行手続をも包含するものと解すべきである。そして死刑の執行手続が法律事項であることは新憲法のみならず、旧憲法の下においても同様であり、広い意味において旧憲法二三条の「処罰」に包含せられるものと解するから死刑の執行方法の大綱は「法律」に依つて定められるべきものと考えるのであつて、単に執行官の自由裁量に委ねたり、行政府の単なる規則に委ねることは許されないところであるというべきである。すなわち、絞首刑の執行方法に関する刑具の構造、使用方法、被執行者の取扱方法等の基本的事項は旧憲法の下でも、新憲法の下でも共に法律事項であるといわねばならない。

 二、太政官布告六五号は明治三年一二月二日頒布の新律綱領に定められた絞首刑の執行方法である絞柱式を改め、絞架式とするため、その刑具とその使用方洗を図解し、また、絞縄解除の時間を定めたものであるが、新律綱領および改定律令が明治一五年旧刑法の施行により廃止されたものと解すべきものとしても、右布告はこれに附随して当然に失効することなく旧刑法の死刑(絞首刑)の執行方法を定めたものとしてなおその効力を有し、更に旧刑法が廃止され、新刑法が施行された後もその死刑の執行方法を定めたものとして有効に存続していたものと解すべきことは、その間同布告を廃止する旨の何らの法令も発せられず、また、これに代わるべき法令の制定もなかつたことによつても明白である。

 三、元来太政官布告は法令の形式からいえば法律、命令等あらゆる形式の法令に該当するものを含み、実質的内容からいえば法律事項であるものと法律事項でないものとを含むものであるから、単に形式からいつて太政官布告六五号が法律として効力を有するのであるか、法律以外の法令として効力を有するものであるかは必ずしも明白でないのであるが、前記布告の内容が生命を剥奪する絞首刑の執行方法であつて基本的人権に重大な関係を有する事項を規定したものであるから、その名称の如何を問わず旧憲法下においても法律を以つて定むべき事項を定めたものであると解すべきことは前記のとおりであり、従つて旧憲法七六条一項により法律として遵由の効力を有していたものと解すべく、また、新憲法の下においても、右布告六五号の内容は憲法の条規に反しないものであり、同法九八条により法律として効力を有しているものと解すべきであるから、昭和二二年法律七二号一条の適用を受けないものというべきである。従つて右布告は現に法律と同一の効力を有するものとして有効に存続しているものと解する。

 四、現に行われている地下絞架式の執行方法は前記布告六五号の図解するところに比し、むしろ被執行者の精神的苦痛を軽減し、執行の公開主義から密行主義への推移に沿う合理性を備えているものであつて、右布告六五号に準拠していないとは言いえない。

 果して然らば、死刑(絞首刑)の執行方法について現に何ら法律の定がないから憲法三一条、三六条に違反するとの論旨は理由がない。

 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官島保の意見は次のとおりである。

 死刑の執行は、適正に行われ不当に人権を害することのないよう、その手続は、法律によつて定められなければならないことはいうまでもない。ところでわが法律によれば、死刑の執行は監獄内の刑場において絞首によつて行われ(刑法一一条、監獄法七一条)その執行は法務大臣の命令がなければ行われず、その執行には検察官、検察事務官及び監獄の長又はその代理者が立ち会い、死刑の執行に立ち会つた検察事務官は執行始末書を作り検察官及び監獄の長又はその代理者とともにこれに署名押印しなければならず(刑訴四七五条、四七七条、四七八条)、死刑の言渡を受けた者の心身の状態によつては法務大巨の命令によつてその執行を停止すべきことが定められており(刑訴四七九条)、その手続が残虐であつてはならないことは憲法三六条の保障するところである。以上のように法律によつて死刑執行の手続の基本的事項が定められており憲法によつて保障されている以上、憲法三一条の要請は満たされているものと解すべきであるから死刑執行手続の細部を定めた明治六年太政官布告六五号が今日においても法律としての効力を有するか否かを問うまでもなく所論のような憲法三一条、三六条の違反は存しないものというべきである。

 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官河村又介の意見は次のとおりである。

 憲法三一条の違反を主張する論旨は採用し難いとする点において、私は多数説と結論を同じくするけれども、その理由については見解を異にし、島裁判官及び池田裁判官と大体において同じ意見である。すなわち死刑の執行方法については、現行の刑法、刑訴法、監獄法等における諸規定をもつて、憲法三一条の要請は充たされており、それ以上の細目は法律によつて定めることを必要としないものと信ずる。従つて明治六年太政官布告六五号の規定は、本来法律を以て規定することを要する法律事項を規定したものとは考えない。多数説は、それが法律事項を規定したものであつて、明治憲法下において法律として遵由の効力を有するものとされていたのであるから、昭和二二年法律七二号にかかわりなく現に法律と同一の効力を有するものとして存続している、というが、私はかかる見解には承服しかねる。

 私の信ずるところによれば、明治六年太政官布告六五号に規定するような死刑執行方法の細目は、明治憲法下において法律事項とは認められていなかつたものであり、従つて右の布告は命令として効力を有していたものであつた。そしてそれは新憲法においても法律事項とされたものではないから、右の布告は昭和二二年法律七二号にかかわりなく命令としての効力が存続するものと認めるべきである。若し右の布告が多数説のいうように法律事項を規定したものであるとするならば、右の法律七二号一条の文理から考えても、その立法精神に照らしてみても、同法律によつて昭和二二年一二月三一日限り失効したものと解するの外なく、論旨は理由あるに帰するであらう。

 なお藤田裁判官の補足意見においては、右太政官布告中、絞縄解除時間を二分間とした規定が、監獄法によつて五分間と改められたことをもつて、右の布告が法律と同一に取扱われていたと認める一つの理由とされているが、右の意見中にも述べられてあるとおり、この改正は、最初明治二二年勅令九三号をもつて改正された監獄則三七条二項によつてなされたものである。明治二二年は明治憲法施行前であつて、国会の議決を経たか否かによつて法律と命令との区別をすることはできなかつたけれども、近く憲法が施行されることを予想し、憲法上国会の議決を必要とする事項の規定には、「法律」という名称がつけられた時期である。そのような時期に、法律でなくて勅令たる監獄則をもつて所論の改正がなされたことは、むしろそれが立法事項でないと認められていたことの証左となるものではなかうか。問題は、その事項に関する法規の制定改廃に憲法が国会の議決を必要条件としているか否かであつて、国会の議決を経ることが妥当か否かにあるのではない。国会の議決を経ることが政策上どんなに望ましいことであろうとも、それを憲法が法規成立の必須条件として要請しているのでない限り法律事項ではないことを銘記すべきである。

 弁護人天野敬一の上告趣意第六点についての裁判官池田克の意見は次のとおりである。

 憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、刑罰を科せられない」と規定する。その趣旨が、単に刑罰を科する裁判を言い渡すまでの手続にとどまらず、刑罰を科する裁判の執行についても、これを法律事項とすべきものとするに在ることは、いうをまたないところであり、その必要は、極刑たる死刑の執行について特にしかりということができる。そして、法律において、その手続が慎重且つ公正に行われるように、また、就中執行の中心をなす生命を奪う方法が残虐にわたることのないように担保されなければならないものと解釈されるのも、右の意味から理解されるところである。

 しかし、それだからといつて、死刑の言渡を受けた者を死に至らしめる方法を定めた規定が法律事項としての要件をそなえているかどうかの問題を重視して事を論ずるに急なるの余り、刑法、刑訴法、監獄法が死刑の言渡を受けた者の処遇並びに死刑執行に関する重要事項を定めている諸規定を過少評価すべきではなく、これら一連の諸規定と併せて全体的綜合的に解釈をした上、右に述べた手続の慎重、公正、残虐にわたらないことの諸点が確保されている限り、右憲法の要請を充足しているものと解するのを相当とする。

 そこで、この見地に立つて右法律の定める一連の諸規定を通観すると、左記のとおりである。

 (一)死刑の言渡を受けた者は、その執行に至るまでこれを拘置監に拘置するものとして(刑法一一条二項、監獄法一条一項四号)、刑事被告人に準ずるの処遇を認めている。

 (二)死刑の執行は、特に法務大臣の命令によるものとして(刑訴四七五条一項)、手続が慎重に行われることを期している。

 (三)法務大巨の執行命令は、判決確定の日から六ケ月以内にこれをしなければならないのであるが、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しないものとして(刑訴四七五条二項)、一方においては、不当に長く死の恐怖を与えないための配慮をすると共に、他方においては、生命を尊重する趣旨を明らかにしている。

 (四)死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態にあるときは、法務大臣の命令によつて執行を停止すべきものとし、死刑の言渡を受けた女子が懐胎しているときも同様であるとして(刑訴四七九条)、一面においては、死刑の執行が単にその者の社会からの除去を意味するにとどまらず倫理的意義をも内包するものであることを明らかにすると共に、他面においては、死刑の執行がその者の生命を絶つことによつて、やがて出産する罪のない胎児の生命を奪うことまで許容するものでないことを明示している。

 (五)死刑の執行は、監獄内の刑場において絞縄を用い絞首して行なうものとし(刑法一一条一項、監獄法七一条一項、同七二条)、且つ、その執行には、検察官、検察事務官及び監獄の長又はその代理者が立ち会い、検察事務官は、執行始末書を作り、検察官及び監獄の長又はその代理者と共にこれに署名押印しなければならないものとして(刑訴四七七条一項、同四七八条)、簡潔ではあるが、死刑の言渡を受けた者の生命を直接に奪う方法が斬殺、銃殺その他の手段と異なる所以の本義を明規し、且つ、その方法の実施が公正になされることを担保している。

 (六)そして、なお刑場には、検察官又は監獄の長の許可を受けた者でなければ、入ることができないとして(刑訴四七七条二項)、ヒユウマニズムの立場から死刑執行が厳に非公開の下に行われるべきものとしている。

 以上の記述を要するに死刑執行に関する現行法律制度としてみると、現行法制に力強く脈をうつているものは、人権・生命尊重の大趣旨であり、死刑執行の手続が慎重に公正に行われ、且つ残虐にわたることのないようにするための法的規制が整えられているということができる。執行の命令者、時期、場所、方法、立会者及び記録作成等に関する規定は、まさに相互に作用し合つて全体として憲法三一条の要請を充足しているものというべきであつて、所論の如く、また、多数意見及び補足意見の如く、明治六年太政官布告六五号が現在法律として有効に存続しているものと解すべきか否については、論議を要しないものといわなければならない。論旨は理由がない。

 なお、「現在わが国の採用している絞首方法が他の方法(斬殺、銃殺、電気殺、瓦斯殺等)に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない」ことは、すでに当裁判所大法廷判決(昭和二六年(れ)二五一八号、同三〇年四月六日大法廷判決―刑集九巻四号六六三頁)の判示するところであることを附記しておく。

 裁判官石坂修一は、池田裁判官の右意見に同調する。

 検察官 村上朝一、同山内繁雄公判出席

  昭和三六年七月一九日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    横   田   喜 三 郎
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    入   江   俊   郎
            裁判官    池   田       克
            裁判官    垂   水   克   己
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    下 飯 坂   潤   夫
            裁判官    奥   野   健   一
            裁判官    高   橋       潔
            裁判官    高   木   常   七
            裁判官    石   坂   修   一




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明治憲法下の法令の効力 最高裁昭和27年12月24日大法廷判決


判例
S27.12.24 大法廷・判決 昭和25(れ)723 銃砲火薬類取締法施行規則違反(第6巻11号1346頁)


判示事項:
鉄砲火薬類取締法施行規則第四五条と昭和二二年法律第七二号「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」第一条。


要旨:
鉄砲火薬類取締法施行規則第四五条の規定は、昭和二二年法律第七二号「日本告憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」第一条により昭和二三年一月一日以降は国法としての効力を失つたものである。


参照・法条:
憲法98条1項,鉄砲火薬類取締法(明治43年法律53号)14条,鉄砲火薬類取締法施行規則22条,鉄砲火薬類取締法施行規則45条,「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法律72号)1条,命令ノ条項違反ニ関スル罰則ノ件(昭和23年法律84号)


内容:
 件名  銃砲火薬類取締法施行規則違反 (最高裁判所 昭和25(れ)723 大法廷・判決 破棄免訴)
 原審  福岡高等裁判所


主    文

     原判決を破棄する。
     被告人を免訴する。
         
理    由

 弁護人阿比留兼吉、同佐々木日出男、同早田福蔵及び同佐々木日出男の各上告趣意について。

 本件において火薬類の所持を処罰したのは、明治四四年勅令一六号銃砲火薬類取締法施行規則(以下施行規則という)二二条、四五条を適用したものである。

 同規則は日本国憲法施行前制定された命令であるが、日本国憲法施行前の命令の新憲法施行後における効力については、昭和二二年法律七二号日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(以下法律七二号という)が制定され、この法律は日本国憲法施行の日から施行された。そして、その一条においては、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するものは、昭和二十二年十二月三十一日まで、法律と同一の効力を有するものとする」と定めている。右規定にいわゆる「法律を以て規定すべき事項」とは、旧憲法下におけるものではなく、新憲法下において法律を以て規定すべき事項を意味するものと解するを相当とする。しかるに、憲法七三条六号によれば、法律の規定を実施するために政令を制定する内閣の権限を認めると共に、「政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない」と定めている。別の言葉でいえば、実施さるベき基本の法律において特に具体的な委任がない限り、その実施のたあの政令においては罰則を設けることを得ないのである。すなわち、罰則を設けることは、特にその法律に具体的な委任がある場合を除き、新憲法下においては法律を以て規定すべき事項であつて、従つて、また法律七二号一条にいわゆる「法律を以て規定すべき事項」に該当するのである。

 さて、本件前記施行規則において実施を定めている基本法律である明治四三年法律五三号銃砲火薬類取締法一四条二号においては、「銃砲、火薬類ノ取引、授受、使用、運搬、貯蔵、其ノ他ノ取扱」に関し必要な規定は命令を以て定める旨を規定している。そして、この委任に基ずき、前記施行規則二二条は、特に列挙した例外の場合を除き、原則として火薬類の所持を禁止した。そして、同四五条は、この二二条の規定に違反し火薬類を所持する者は、一年以下の懲役又は二百円以下の罰金に処する旨を規定しているのである。しかしながら、このように命令で罰則を規定し得るがためには、新憲法下においては、基本たる法律において具体的に委任する旨の規定の存在することを必要とすることは上述の通りであるが、前記取締法一四条二号の規定による命令、すなわち前記施行規則二二条に違反した者に対し命令を以て罰則を設けることができる旨を特に委任した規定は、基本法である法律の中のどこにもこれを発見することができない。(なお、前記施行規則四五条の罰則は、明治二三年法律八四号命令の条項違犯に関する罰則の件の委任によつて設けられたものと認められる。しかし、右法律八四号は広範な概括的な委任の規定であつて新憲法下においては違憲無効の法律として新憲法施行と同時に失効したものということができるし、また現実に明文をもつて法律七二号三条で新憲法施行と同時に廃止されている。それ故、新憲法施行後においては、前記施行規則四五条の罰則を設けることについては法律の委任は全然存在していないのである。)

 よつて、前記施行規則四五条で火薬類の所持に対し罰則を設けている規定は、法律七二号一条にいわゆる「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するもの」に該当するわけであり、従つて昭和二二年一二月三一日までは法律と同一の効力を有するが、昭和二三年一月一日以降は国法として効力を失うものと言わなければならぬ。されば、弁護人佐々木日出男の上告趣意第二点については判断するまでもなく、本件火薬類の所持については、その行為当時(昭和二一年七月上旬頃ないし同二二年一月中旬頃)及び第一審判決当時(昭和二二年七月二九日)には前記施行規則四五条という刑罰法規が存在していたが、原判決当時(昭和二三年七月二七日)においては該刑罰法規は失効し犯罪後の法令により刑の廃止ありたるときに該当するから、原審は旧刑訴三六三条二号、四〇七条により免訴の言渡をすべきにかかわらず有罪の言渡をした違法がある。論旨は理由があり、原判決は破棄さるべきである。

 よつて旧刑訴四四七条により原判決を破棄し、同法四四八条により更に判決すべきものであるが原判決の確定した銃砲火薬類取締法施行規則違反の事実については、前叙のように犯罪後の法令により刑の廃止があつたものであるから旧刑訴四五五条三六三条二号によつて主文のとおり被告人に対し免訴の言渡をなすべきものである。

 この判決は裁判官斎藤悠輔の反対意見を除き裁判官全員一致の意見によるものである。裁判官斎藤悠輔の反対意見は、次のとおりである。

 憲法九八条一項の規定は、旧憲法時代の法律、命令等の内容、実質が新憲法の条規に反する場合はその効力を有しないことを規定したにとどまり、その法律、命令等の制定の形式が新憲法の条規に反する場合を含まないものであることは、既に当法廷屡次の判例である。されば、明治二三年九月一八日法律八四号「命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件」が「命令ノ条項ニ違犯スル者ハ各其ノ命令ニ規定スル所ニ従ヒ二百円以内ノ罰金若ハ一年以下ノ禁錮(明治四一年一〇月一日刑法施行後は、刑法施行法一九条一項但書により「一年以下ノ懲役又ハ禁錮」に変更)ニ処ス」と規定して、憲法七三条六号と異る立法形式の規定を制定してあつたからといつて、その規定は一憲法施行と共に当然失効するものということはできない。また、同法律によつて既に成立した本件明治四四年勅令一六号銃砲火薬類取締法施行規則四五条も同様失効するものと見ることはできない。

 なるほど右施行規則の基本法である明治四三年法律五三号銃砲火薬類取締法一六条、一七条等には、同法一一条、一二条等の規定による命令違反の場合に対し罰則を設けているが、同法一四条の規定による命令違反の場合に対しては同法に罰則を設けていないこと並びに同法において特に罰則を設くべきことを命令に委任した明文のないことも事実である。従つて、同法一四条就中同条二号の規定に基く同施行規則二二条に違反した場合には、同法中の罰則によらずに、同施行規則四五条の罰則の適用を受けることゝなるのである。この点に関し、多数説は(必ずしも意見が一致せず且つ特に言明を避け、従つて、明確を欠くけれども、)同施行規則二二条は、同取締法一四条の委任に基く法律と同一の効力を有する規定であるが、同四五条は、法律の具体的な委任がなく、前記法律八四号のような広汎な概括的な委任の法律に基くから、新憲法上無効であるという考から出発するようである。しかし、そのような戦後派的考え方は、わが国の従来の立法形式を理解しない、極めて浅薄な考え方といわなければならない。なぜなら、本件についていえば、銃砲火薬類取締法がその一六条以下に罰則を設け、就中、一六条、一七条、一八条において、同法五条若は一一条、一二条、一〇条二項の規定による命令に違反した場合の刑罰を規定したにかかわらず、特に、同法一四条の規定による命令に違反した場合にだけ同法中に刑罰を設けなかつたのは、同法立法の際前記法律八四号の規定のあることを当然の前提とし、同取締法に刑罰を設けない命令違反行為(同法一四条参照)については、暗黙に、右法律八四号による刑罰の制定をその命令(すなわち同施行規則)に委任し、特に同法律八四号所定の刑罰よりも重く処罰する必要ある場合(同法一六条、一七条参照)又は特に軽く処罰するを以て足る場合(同法一八条参照)に限り明文を以て刑罰を同取締法自体に規定したものと解するのを相当とするからである。従つて、前記施行規則四五条のごときも立法の形式からいえば特に前記取締法の委任によらず、前記法律八四号だけによつたように見えるけれども、その実質は、既に明治四三年四月一三日制定された同取締法の暗黙の具体的な委任による立派な法律と同一の効力を有する規定と解すべきものであつて決して、昭和二二年法律七二号の対照となるべき命令と見るべきものではないのである。多数説は、前述のごとく法律八四号の規定をば広汎な概括的な委任の法律で、あたかも、かつての総動員法に類するがごとく考えているようであるが、前記法律八四号は、一種の委任立法形式に過ぎないものであつて、同法律があるからといつて行政庁が得手勝手に罰則を制定し得るものではなく、実際の運用上多くは各法律制定の際その法律中に命令を以て定むべき事項を定め、その命令に違反した場合には前記法律八四号を当然の前提として暗黙にこれによつて刑罰を定むべきことを命令に委任し、且つ、現実に罰則制定の際には少くとも司法省(勅令の場合には法制局)に協議して慎重を期していたものであることは顕著な事実である。ところが、新憲法に基く地方自治法一四条五項は、「普通地方公共団体は、法令に特別の定があるものを除く外、その条例中に、条例に違反した者に対し、二年以下の懲役若しくは禁錮、十万円以下の罰金、拘留、科料又は没収の刑を科する旨の規定を設けることができる。」と規定して、ほんのちつぽけな地方公共団体に対してさえ前記明治二三年法律八四号よりも二倍以上の広汎にして概括的な罰則の制定を許容しているのである。しかるに、この新らしい自治法の規定に目を蔽い、ひたすら彼の旧い法律八四号だけを非難するがごときは、驚くべき偏見であり、笑うべき自己矛盾というべきである。

 しかのみならず、多数説は、同規則二二条のごとき禁止命令規定は、同法一四条の委任に基く法律と同一の効力を有する規定であるが、同規則四五条のごとき罰則規定は、昭和二二年法律七二号の命令整理の法律の中に含まれ昭和二二年一二月三一日まで法律と同一の効力を有しその以後は当然失効するというのである。しかし、同一の施行規則が分割され、一部の罰則規定だけは、或る期限で失効し、一部の禁止命令規定だけは、その後も依然法律と同一の効力を以て存続し、かくて制裁の伴わない禁止命令だけを徒らに空しく叫び続けるというようなことは、常識からいつても、また、右法律七二号を熟読玩味しても、到底了解することはできない。新憲法の施行に伴う法律というものは、斯くのごとく国民に解らないものであらうとは思われない。故に、多数説は、無理であり、曲解であると断定せざるを得ない。

 なお、多数説は、「該刑罰法規(施行規則四五条)は失効し犯罪後の法令により刑の廃止ありたるときに該当する。」といつて、旧刑訴三六三条二号を引用している。しかし、訴訟法に「犯罪後の法令により刑の廃止ありたるとき」というのは、犯罪後の法令により積極的に、すなわち明示又は黙示を以て、既に成立した刑罰を特に廃止するときを指すものである。なぜなら、罪刑法定主義に基く法治国である以上、犯罪者が行為時法によつて、処罰されるのは当然であつて、行為時法によつて既に成立した刑罰法規の効果である刑罰は、その後における大赦又は法令に因つて特に消滅廃止されない限り、存続するのは当り前であるからである。しかるに、銃砲火薬類取締法並びに同法施行規則は、本件犯罪後何等廃止又は変更されることなくして存続し、ことに、昭和二五年五月四日法律一四九号火薬類取締法(同年一一月三日施行)は、その附則において、銃砲火薬類取締法を廃止すると共に新法施行前にした行為に対する罰則の適用についてはなお従前の例による旨規定したばかりでなく、多数説が失効したと称する旧法施行規則四五条(二二条)に相当する新法五九条(同条二号、二一条)の規定は、その刑罰を却つて強化しているのである。

 されば、仮りに多数説のいうがごとく施行規則二二条に違反し同規則四五条に該当する罰則の部分が自然に失効したとしても、立法者が既に成立した刑罰を廃止する意思などは到底看取することができないのである。従つて、多数説がこれを旧刑訴三六三条二号に該当すると判断すること自体が訴訟法の解釈を誤つたものといわなければならない。

 それ故、いずれの点よりするも多数説には反対せざるを得ない。

 裁判官河村又介同入江俊郎の補足意見は次のとおりである。

 斎藤裁判官の反対意見の中には、多数説は、銃砲火薬類取締法施行規則の「四五条は、法律の具体的委任がなく、明治二三年法律八四号のような広汎な概括的な委任の法律に基くから、新憲法上無効であるという考から出発するようである」と述べてあるけれども、私共が多数説に賛成したのは、そうした見解をとつたためではないのであるから、その点を明らかにしておきたい。

 成程私共は明治二三年法律八四号が定めるような包括的な委任に基いて命令に罰則を設けることは新憲法の下においでは許されないものと信ずる。従つて新憲法施行後そのような委任に基いて設けられた命令の罰則は無効である。しかし新憲法下においで新に設けられたこのような罰則が無効であるということと、旧憲法下において設けられたこのような罰則が新憲法下において無効になるか否かということとは、別箇の問題である。

 斎藤裁判官も述べているとおう、憲法九八条一項の規定は、旧憲法時代の法律、命令等の内容、実質が新憲法の条規に反する場合はその効力を有しないことを規定したにとどまり、その法律、命令等の制定の形式が新憲法の条規に反する場合を含まない。その意味は、ある法令が新憲法に定めているのとは異なつた機関や手続によつて制定されたものであるにしてもその法令の定めている内容が新憲法下で許されないようなものでない限り、当然無効とはならないということである。(明治二三年法律八四号は新憲法下では許されないような規定を内容とするものであるから無効である。この点も斎藤裁判官は誤解している。)しかるに銃砲火薬類取締法施行規則四五条は、これを制定した機関や手続が新憲法下におけるものとは異なつていたというだけであつて、同条の規定する内容が新憲法下において許されないようなものなのではないから、新憲法の施行と共に当然無効となるものではない。なお明治二三年法律八四号が失効したからとて、その委任に基いて設けられた銃砲火薬類取締法施行規則四五条がそのために当然失効するという理由もない。

 以上述べたように、銃砲火薬類取締法施行規則四五条は新憲法の施行と共に当然失効したのではなく、昭和二二年法律七二号一条の規定の結果、昭和二二年一二月三一日限り有効であつて、その以後効力を失つたものと解すべきこと、多数説に示されているとおりである。

 検察官 安平政吉関与
  昭和二七年一二月二四日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    田   中   耕 太 郎
            裁判官    霜   山   精   一
            裁判官    井   上       登
            裁判官    栗   山       茂
            裁判官    真   野       毅
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    岩   松   三   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    谷   村   唯 一 郎
            裁判官    本   村   善 太 郎
            裁判官    入   江   俊   郎



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法令交付の時期 最高裁昭和33年10月15日大法廷判決


判例
S33.10.15 大法廷・判決 昭和30(あ)871 覚せい剤取締法違反(第12巻14号3313頁)


判示事項:
官報による法令公布の時期。


要旨:
  法令を官報により公布する場合において、その法令を掲載した官報が、印刷局から発送され、一般希望者において右官報を閲覧し、または購読し得る場所である東京都官報販売所または印刷局官報課のうちのいずれかに最初に到達したときは、右法令は、おそくとも、右最初に到達した時までには公布せられたものと解すべきである。


参照・法条:
  憲法7条1号,憲法39条,法例1号,旧公式令12条


内容:
 件名  覚せい剤取締法違反 (最高裁判所 昭和30(あ)871 大法廷・判決 棄却)
 原審  広島高等裁判所


主    文

     本件上告を棄却する。
     当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
         
理    由

 弁護人星野民雄の上告趣意について。

 成文の法令が一般的に国民に対し、現実にその拘束力を発動する(施行せられる)ためには、その法令の内容が一般国民の知りうべき状態に置かれることを前提要件とするものであること、またわが国においては、明治初年以来、法令の内容を一般国民の知りうべき状態に置く方法として法令公布の制度を採用し、これを法令施行の前提要件とし、そしてその公布の方法は、多年官報によることに定められて来たが、公式令廃止後も、原則としては官報によつてなされるものと解するを相当とすることは、当裁判所の判例とするところである(昭和三〇年(れ)第三号、同三二年一二月二八日大法廷判決、集一一巻一四号三、四六一頁以下参照)。

 ところで官報による法令の公布は、一連の手続、順序を経てなされるものであるが、これを本件につき職権をもつて調査すると、(一)昭和二六年法律第二五二号覚せい剤取締法二条、一四条、四一条等を改正した昭和二九年法律第一七七号覚せい剤取締法の一部を改正する法律(以下本件改正法律と略称する。)を掲載した昭和二九年六月一二日付官報は、同日午前五時五〇分、第一便自動車が東京駅(関東、東海、近畿方面)、新宿駅(山梨方面)の順序で一台、上野駅(北海道、東北、北関東北陸方面)、両国駅(千葉方面)の順序で一台、同時に印刷局から発送され、そして最終便は同日午前七時五〇分、東京駅(中国、四国、九州方面)、東京官報販売所の順序に積下すため、印刷局から発送された、(二)右官報が全国の各官報販売所に到達する時点、販売所から直接に又は取次店を経て間接に購読予約者に配送される時点及び官報販売所又は印刷局官報課で、一般の希望者に官報を閲覧せしめ又は一部売する時点はそれぞれ異つていたが、当時一般の希望者が右官報を閲覧し又は購入しようとすればそれをなし得た最初の場所は、印刷局官報課又は東京都官報販売所であり、その最初の時点は、右二ケ所とも同日午前八時三〇分であつたことが明らかである。

 してみれば、以上の事実関係の下においては、本件改正法律は、おそくとも、同日午前八時三〇分までには、前記大法廷判決にいわゆる「一般国民の知り得べき状態に置かれ」たもの、すなわち公布されたものと解すべきである。そして「この法律は、公布の日より施行する」との附則の置かれた本件改正法律は、右公布と同時に施行されるに至つたものと解さなければならない。しかるに原審の確定したところによれば、本件犯行は、同日午前九時頃になされたものであるというのであるから、本件改正法律が公布せられ、施行せられるに至つた後の犯行であることは明瞭であつて、これに本件改正法律が適用せられることは当然のことといわねばならない。それ故所論は採るを得ない。

 また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。よつて、同四一四条、三九六条、一八一条により主文のとおり判決する。この判決は裁判官藤田八郎、同入江俊郎、同奥野健一の補足意見及び裁判官池田克、同河村大助の少数意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。裁判官藤田八郎の補足意見は次のとおりである。自分は、入江裁判官の補足意見に同調する。ただ少しばかり自分の意見を附加したい。

 法令の公布があつたと見るべき時期については、入江裁判官の挙げた(1)ないし(4)の考え方の外に、日本国憲法七条は、法律、政令の公布をもつて、天皇の国事行為としているところから、天皇の国事行為たる公布の完了したときをもつて、公布のあつたときと解する考え方もあるかも知れない。以上いずれの説をとるにしても、程度の差こそあれ、フイクシヨンは免れないのであつて、法令の公布をもつて、一般国民が法令の内容を知り得べき状態におかれることをいうとしながら、実は、国民周知の理想からは程遠いと云わなければならない。が、要はいかなる時点をもつて、公布の時と解することが最も妥当であるかによつて決するの外ないことは入江裁判官の意見に解明するとおりである。

 そして法例一条は法律は原則として公布の日から起算して満二〇日を経て施行せられることを定めているのであつて、若しすべての法律がこの原則どおり施行せられるならば、公布の時期をいかように決めるとしても、国民周知の状態においた上で法は施行せられるという理想は達せられるものといつてよいのである。(今日通信、交通の機関、新聞ラヂオ等の発達している状態から見れば法例一条の二〇日の期間はむしろ長きに過ぎるといつてよいかも知れない)しかるに、この原則に対して、同条但書によつてこれと異る施行時期が定められ、甚しきは公布の即日施行せられるという立法の形式が往々にしてとられるために問題となるのである。殊に刑罰法規を含む法令について公布即日施行という立法をすることは極めて不当であつて、かかる立法の形式は極力避けるべきであると考える。

 そこで、かくのごとく、公布即日施行というがごとき立法の形式をとられた刑罰法規については、公布の時期に関し、多分にフイクシヨンを用いて、その時期を決める以上、その法律適用の面において十分の考慮をめぐらすの要あること、また入江裁判官の説くとおりである。公布の時期を決するに多分のフイクシヨンを用いながら「法の不知を宥恕せず」という法則を余りに厳格に適用することは、結局、国民をだまし討ちにするにも似た結果を生ずるのであつて、この点に関する従来の大審院以来の態度は十分に検討しなければならないと思う。少くとも、法の不知が本人の責に帰すべからざる理由に基いている場合、即ち違法の認識を欠くことが本人の過失に帰せしめることのできない場合は、罪責を肯定すべきでないとの見地に立つべきであると思う。(昭和一六年(れ)一〇六〇号同年一二月一〇日大審院刑事第三部判決参照)

 本件においても、被告人は本件犯行の当時、過失なくして本件改正法律を知らなかつたであろうことは推測するに難くないけれども、本件改正法律は、本件に関するかぎりただ法定刑を変更したに過ぎないのであるから、この法律を知らなかつたことをもつて、行為の違法性の認識を欠くものとすべきでないことは勿論であつて、もとより、刑訴四一一条の適用を考慮すべき場合ではないのである。

 裁判官入江俊郎の補足意見は、次のとおりである。わたくしは、本件犯行が、本件改正法律施行後の犯行であるとして、本件上告を棄却した多数説に賛成であるが、多数説はその理由とするところが簡略であり、又本件改正法律施行の前提要件たる公布が、いかなる時点においてなされたものと解するかについても積極的な説示をしていない。よつて、わたくしは右多数説に賛同するに至つたわたくしの思考の経過につき意見を表示して、左のとおり補足する。

 官報による法令の公布は一連の手払、順序を経てなされるものであるから、右一連の手続、順序のうち、いかなる段階のいかなる時点をもつて当該法令が一般国民の知りうべき状態におかれ、法令施行の前提要件たる公布がなされたと解すべきかが、重要な問題であり、従来の学説、判例共未だ定説というべきものを見ないようである。しかし、法令の公布は当該法令の内容が一般国民の知りうべき状態に置かれたことを必要とするのであるから、国民一人一人が実際にこれを知つたことは必要としないのであつて、従つて、公布に関する一連の手続、順序がどの程度まで進行したならば、法令施行の前提要件としての公布があつたとみるかは、結局法令を施行するには、その前提要件として、公布を必要としている近代民主国家における法治主義の要請を勘案し、或程度の擬制(フイクシヨン)を許容して、最も妥当な時点を採用する外はないように思う。そして普通の場合、「公布の日より起算して、何日を経過した日から施行する」というような規定が置かれており、且つ強いて公布の時点を確定せずとも、その何日間かの期間内に公布のなされたことが疑のない場合であれば、公布の日として示された日を起算点として所定の日数を計算し、施行の日を確定すれば足りるのであるが、本件のように、「公布の日より施行する」と定められた場合には、公布の日として示された日の午前零時に施行されたと解することは、前記公布の性質からいつても無理であつて、よろしくその公布の時点を確定すべく、その時点をもつて施行の時点と解するほかはない。

 (尤も、この場合でも、その法令の内容が専ら国民に権利、利益を附与するものであるか、又は国民の権利義務に何ら関係のないものである場合には、その法令の施行は右にのべたとおり公布の時点からと解すべきであるが、その適用は公布の日として示された日の午前零時に遡及する趣旨と解する余地はあるかもしれないが、傍論であるからこの点にはこれ以上触れない。)そこで、わたくしは、右のような考え方を基礎におきながら、次にのべるごとく、この時点を定めるにつき考えうべき諸説を検討した結果、結局現行法制下における解釈論としては、当該法令を掲載した官報が、官報普及頒布機構として国家の認めた組織である各地方の官報販売所又は印刷局官報課若しくは国家刊行物サービスセンターにおいて一般国民がこれ

 を閲覧し又は購入しようとすればそれをなし得る状態となつた最初の時点に、公布がなされたものと解するを相当とし、従つて本件改正法律は、これを掲載した昭和二九年六月一二日付官報が、当時一般の希望者がこれを閲覧し又は購入しようとすればそれをなし得た最初の時点である同日午前八時三〇分において公布がなされたものであり、右法律は右公布と同時に全国一律に施行せられたものと解するのである。

 そこで、右の見解と異なる諸説につき考えてみると、

 (1)先ず、当該法令を掲載した官報を、印刷局から地方の各官報販売所へ向けて発送する手続の全部が完了した時点をもつて、公布の時であるとする考方があり、従来下級裁判所の判例には、往々にして右と同趣旨のものが見受けられた。しかし、印刷局が官報の発送手続を完了したということは、法令を一般国民の知りうべき状態に置くための手続の一部を完了したというだけのことであつて、その段階においては、官報はいまだ運搬中の包装貨物たるに止まり、一般国民は何人も正当にこれを閲覧し又は購入することができないのであつて、発送手続を完了したというだけで当該法令が一般国民の知りうべき状態に置かれたものであるということは、明らかに不可能な事柄を可能であるというにひとしく、到底これを認めることができない。

 (2)次に、官報が各地方の官報販売所に到達し、その販売所において一般国民がこれを閲覧し又は購入しうる状態となつた時点を、各官報販売所毎に確定し、その時点をもつて、その官報販売所が官報の配送につき所轄する当該区域毎(実際においては、原則として都道府県の区域毎)に公布がなされたものと解する考方がある。

 法令の施行は法令の公布の時を基準とするから、右の考方によると、法令の施行も各地方毎に区々となるわけであつて、結局法令の異時施行を認めることとなるのであるが、立法論としてはとも角、解釈論としては、法令の施行につき、現行法制が同時施行主義を原則としていることに鑑んがみ、また法令は国民生活を劃一的に規律することを目的とするものであることから考えても、法令の異時施行の原則を認めることは、別段の規定を待たない以上、単なる解釈論としては、容易に賛成し難いのである。(なお、現行法制が、法令の同時施行主義の原則に立つものであることにつき概説すれば、明治初年以来成文法令は、その施行に先だちこれを一般に周知せしめる方法ー一定期間適宜の場所に掲示する等ーを採ることを要するものとせられ、これがため、各地方への法令の到達期限、周知期限、施行時期等につき種々の規定がなされ、各府県毎の異時施行主義が原則とされていたが、明治一六年に至り、法令の施行が法令の周知徹底を前提要件とすることとし、従前の各地方への到達期限、周知期限を短縮すると共に、例外として即時施行される法令もあることを明定し−明治一六年五月二六日太政官布告第一七号及び同年同月同日太政官布達一四号参照ー、その後、明治一九年に至り従来の諸規定を集成して、同年勅令第一号公文式が設けられ、その一〇条に「凡ソ法律命令ハ官報ヲ以テ布告シ官報各府県到達日数ノ後七日ヲ以テ施行ノ期限トス但官報到達日数ハ明治十六年五月二十六日第十四号布達ニヨル」とありー官報は既に明治二八年に創設されたが、明治一八年に至り同年太政官布達第二三号をもつて、布告、布達は官報に登載することを公式とすることになつていたー、同一一条は「天災地変ニ依リ官報到達日数内ニ到達セサルトキハソノ到達ノ翌日ヨリ起算ス」となつており、同一三条は「法律命令ノ発布ノ当日ヨリ施行セシムルコトヲ要シ又ハ特ニ施行ノ日ヲ掲ケタルモノハ第十条、第十一条、第十二条ノ例ニ依ラス」と定め、そして右一〇条にいう明治一六年の布達には各府県毎に到達日数が法定せられていた。ところが、明治二三年法律第九七号法例一条は「法律ノ公布アリタル日ヨリ満二十日ノ後ハ之ヲ遵守ス可キモノトス但法律ニ特別ノ規定アルモノハ此限ニ在ラス」と規定し、法律については、従前の異時施行主義の原則を廃して、同時施行主義の原則を採用し、従つて前記公文式一〇条、一三条等は、右法例一条によつて変更を受けることとなり、次いで明治三一年法律第一〇号法例一条は、「法律ハ公布ノ日ヨリ起算シ満二十日ヲ経テ之ヲ施行ス但法律ヲ以テ之ニ異リタル施行時期ヲ定メタルトキハ此限ニ在ラス、台湾、北海道、沖縄県其他島地ニ付テハ勅令ヲ以テ特別ノ施行時期ヲ定ムルコトヲ得」と規定し、前記明治二三年の法例一条の同時施行主義を踏襲したーなおこの経過については、公文類聚第二十二編、明治三十一年巻二十八中の法例修正案参考書参照ー。また命令については、明治四〇年勅令第六号公式令一二条により法令の公布は官報をもつてする旨を定めると共に、同一一条は「皇室令、勅令、閣令及省令ハ別段ノ施行時期アル場合ヲ除クノ外公布ノ日ヨリ起算シ満二十日ヲ経テ之ヲ施行ス」と定め、命令についても従前の異時施行主義を廃して同時施行主義の原則による旨を定めたのである。そしてこのような改正の行われた所以は、法律と命令とでその改正の時期に差はあるにせよ、法令は国民生活の劃一的規範として一律にその効力を発生せしめることが適当であり、各地方毎に区々に施行する異時施行主義は、国家活動の統一性を保持する上からも考慮の余地があるとの考方に立脚したものと考えられるのであつて、以上の経過を通覧すれば、明治初年以来認められた法令の異時施行主義は、法律については明治二三年法例一条により、命令については明治四〇年公式令一一条により廃せられ、爾来現行法制は、個々の法令自体で別段の規定を置かない限り法令の同時施行主義を採用していると解すべきである。かような次第であつて、解釈論として異時施行主義の原則を認めて、本件改正法律の各府県毎の異時施行を認めることは困難といわなければならない。

 (3)或いは、各地方の官報販売所毎に、一般国民が官報を閲覧し又は購入しうる状態になつた時点をそれぞれ確定した上、その中で最後の時点をもつて公布の時であるとする考方もありうるであろう。この考方は、法令の同時施行主義を原則とする現行法制の立前に立つものではあるが、既に全国の大部分の都道府県において一般国民の知りうべき状態になつているにかゝわらず、いずれかの地方において最後においてこの状態が完了する迄は、法令の公布を認めず、従つて法令の施行も認めないこととなり、却つて種々の弊害も予想せられ、適当な解釈ということはできないように思われる。

 (4)或いは、原則としては現行法制の法令の同時施行主義を認めるけれども、本件のごとく「公布の日より施行することあるような特別の場合においては、当該法令の内容を一般の国民が知りうべき状態に置かれた最初の時点に公布がなされたというのは、いかにも国民に無理を強いることとなり、不利益を強制することとなつて常識にも合しないものがあるから、

 その場合だけは、特別の例外的解釈として、前記(2)説又は(3)説を採るとの考方もありうるであろう。しかし、法令は必ずしも国民に対し新たな義務を課し、刑罰を科しその他不利益を与えるもののみではなく、国民に対し新たに権利を認め、義務を減免しその他利益を与えるものも多数あるのであつて、そのような法令については、その適用を遡及せしめる規定を置くことも可能であり、従つて、その公布の時を一般国民が知りうる状態となつた最初の時点であるとして、これをもつて、当該法令施行の前提要件としたからといつて、特段の不都合があるとは考えられない。問題は、国民に不利益を与えるような法令について存するのであるが、それはたとえ(2)説、(3)説を採用しても、依然として残る問題であつて、そのような場合に生ずることのある不都合を匡正することは、法令の公布又は施行の問題としてでなく、むしろ、具体的各場合における個々の事案についての、当該法令の適用の問題として取り上げるべきであり、法は不可能を強いるものではないとの原則に立つて、例えば刑法三八条一項の犯意の解釈により、又は同条三項の法の不知に関する解釈等により妥当適切な結論を得るよう解釈につとめ、なお足らざるところは立法によつてこれを補正すべきものであると考える。

 要するに、わたくしは現行法制の下における解釈論としては、結局、本件改正法律はこれを掲載した昭和二九年六月一二日付官報を一般国民が閲覧し又は購入しうる状態となつた最初の時点である同日午前八時三〇分をもつて公布せられ、その

 公布と同時に施行せられたものと解することが最も妥当であり、そして、これに伴つて生じうべき各種の不都合は、前記のごとく、法律の公布又は施行の問題としてでなく、法律の適用に関する問題として解決すべきものであるとの結論に到達したのである。

 なお、本件犯行は、本件改正法律によりはじめて犯罪行為とせられたものではなく、従前の覚せい剤取締法によつても違法行為とせられていたものであり、唯罰則に関して本件改正法律は、従前の「三年以下の懲役又は五万円以下の罰金」を、「五年以下の懲役又は十万円以下の罰金」に改めたのであつて、従つて被告人の本件行為が法の禁ずるものであることは、被告人も十分知つていた筈であり、被告人が本件において処せられた刑罰は、懲役一年である。よつて、これらの事実を勘案すれば、被告人の住所が広島県下にあり、本件改正法律の内容を知るにつき所論のような事情が認められるとしても、本件に刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

 わたくしは以上のような趣旨において、多数説に賛成するものである。

 裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。

 多数意見は「本件改正法律はおそくとも同日午前八時三〇分までには、前記大法廷判決にいわゆる「一股国民の知り得べき状態に置かれ」たもの、すなわち公布されたものと解すべきである」と判示し、公布時期についての判示が、漠然とし、明確を欠く憾があるから、この点について、補足意見を附する。

 成文法律は、公布によつて国民に対し、その拘束力を生ずるのであつて、公布とはその法律の内容を一般国民に知らしめるための表示行為をいう。すなわち、公布は右の如く法律の内容を国民に知らしめるための表示行為であるから、国民の知り得べき状態におかれることを要する。そして、公布は、官報に掲載してこれをなすものであることは当裁判所の判例(昭和三〇年(れ)第三号同三二年一二月二八日大法廷判決)とするところであるから、当該法律が官報に印刷されただけ又はその官報が印刷局より発送されただけでは、未だ、公布があつたものということを得ず、一般国民がこれを閲読し得る状態におかれることを要する。しかし、すべての国民が、周くこれを閲読し得る状態におかれることは必要でない。すなわち、この意味において法律が官報に印刷され、その官報が一般に販売、頒布された最初の時期を以つて、その法律の公布があつたものと解すべきものと考える。従つて、本件においては、右官報が印刷局官報課又は東京都官報販売所で、一般の希望者が、これを閲覧又は購入し得た最初の時点である昭和二九年六月一二日午前八時三〇分が本件公布の時期であると考える。

 裁判官池田克、同河村大助の少数意見は次のとおりである。

 法令の公布は、制定された法令を一般国民に周知させることを目的とするものであるから、その公布があつたというためには、当該法令を一般国民の知り得べき状態に置かなければならないことはいうまでもない。とくに刑罰法規はこれを掲載した官報が各地方に到達してその地方人民がその公布されたことを知り得べき状態に置かれたのでなければ、その地方人民に対しては公布があつたということを得ない、従つて、その地方人民を右罰則法規で拘束することはできないものと解するを相当とする。

 しかして、公布を通知行為の一種と見るときは、その性質上相手方に到達することによつて効力を生ずるものというべきであるが、元来法令の公布は私法上の意思表示と異り不特定人に対してなされる表示行為であり、かつ通常官報に掲載して行われるものであるところ、その官報は一般国民の悉くが購読するものでないという制約もあつて、国民の一人一人に知らしめるような徹底した到達主義を実行し得ない現状にあることは顕著な事実である。従つて「国民をして知り得べき状態に置く」というための基準を何れに求むべきかは実際上困難の問題であるが、少くとも地方人民に対してはその地方に官報が到達しなければ公布の目的は達せられないと謂わなければならない。特に「公布の日から施行する」旨定められた法令は、官報配布の慣行と照し合せ、各地末端の官報販売所又は取次所(具体的配布機関についてその地域を判定するの外はない)にその官報が到達して配布を開始した時、当該地方人民はこれを知り得る状態に置かれたものとして同時に法の拘束力も発生するものと解するを妥当とする。本件は後に述べるように広島市に居住する被告人に対し改正法律の罰則が何時から適用されるかの問題であるから、右法律を掲載した官報が広島市所在の官報販売所に到達しその配布を開始した時に広島市民に対し公布の効力を生じたものと見るべく、即ちその時から被告人も該法律に拘束されるものと解するを相当とする。

 この見解に対しては、国の法令が各地方により時を異にして施行されるようになることは、一律に国民を拘束することを目的とする同時施行主義に反するとの非難が存する。我国は明治初年以来法令の異時施行主義を採つたのであるが、法律については明治二三年法律九七号及び明治三一年法律一〇号法例一条で同時施行主義の原則を採り「法律ハ公布ノ日ヨリ起算シ満二〇日ヲ経テ之ヲ施行ス。但法律ニ於テ之ニ異ナリタル施行期日ヲ定メタルトキハ此限ニ在ラス」と定められたのである。(命令については明治四〇年の公式令制定迄は明治一九年の公文式即ち異時施行主義が残つていた)かくの如く施行に一定の猶予期間を置くことの原則に従うときは同時施行主義を採つても実際上の不都合は生じないと思うが、同条但書によつて右と異る施行期日を定める場合特に公布即日施行というような異常な立法については、国民に対する周知を保障する意味において、異時施行の例外を認めても同条の精神に反するものではないと解せられる。のみならず各地方によつて、施行の時期が異るといつてもその地域差の現象は当初の数日間の問題であるに止まり、数日経過後においては全国に亘り、もれなく施行の効力を生ずることになるのであるから、実際上の不都合を生ずることは殆どないといつてよいではなかろうか。ことにかかる異時施行を認めなければならないのも、公布即日施行という好ましくない立法措置から起る止むを得ない現象であつて、しかも同時施行主義を貫くために、知らしめない刑罰法規で国民を処罰するような不当な犠牲の生ずることを極力避けようとする考慮に出でたものに外ならないのである。更に又本意見のような到達時説の外印刷局発送時説(原判決はこの説をとる)若くは最初の発売開始時説等があつて、いずれの説によるも現実に地方人民に知らせることにはならず、そこには法令が周知されたとみなすべき若干の擬制を取り入れざるを得ないという共通の問題を含み、所詮は五十歩百歩であるとの説を聞く、しかし「法の不知は責を免れない」との法原則も法律を国民の知り得べき状態に置くことを必須の条件となすものであるから、できる限り国民への周知を保障するための努力が払われるべきは当然のことである。しかるに前者の発送時説の如きは所謂発信主義と異るところなく「国民の知り得べき状態に置く」こととは凡そ縁遠いものであつて、印刷局を発送しただけで列車にも積み込まず即ち未だ地方に到達しない以前に、早くも地方人民に知り得る状態に置いたとして、公布の効力を認めようとすることの如何に不合理極まるものであるか、多言を要せずして明らかであろう。更に又発売開始時説は概ね東京における最初の発売開始の時となるのであろうが、未だ地方発送も完了しない時に、東京はおける販売開始の一事で地方人民に対し公布の効力を認むることの不合理は前者と異るものではない。これに反し、その官報が広島市の官報販売所に到達して、その配布を開始した時(この時期には市民は閲覧することも可能である)を以て広島市民の知り得べき状態に置いたと解することは、前段諸説の不合理を著しく緩和合理化するものであつて、近代法治主義の原則にも適応するものであると信ずる。

 本件において原判決の認定と職権により調査したところによれば、昭和二九年法律一七七号覚せい剤取締法の改正法律(公布の日より施行)が昭和二九年六月一二日付官報に掲載され、その官報が同日午前七時五十分大蔵省印刷局を発送され(中国、四国、九州方面)、東京駅発九時三十分の汽車に積み込まれたこと、東京における最初の発売開始は午前八時三十分であつたこと、広島市方面への到達は翌一三日又は一四日と推定されたこと及び被告人の広島市における本件犯行は一二日午前九時頃であつたこと等の各事実が認められる。従つて被告人の広島市における犯行時には改正法律を登載した官報が未だ同地方に到達せず即ち施行の効力を生じていないのであるから、右犯行に対し改正法律を適用処断することはできない。

 多数意見は前記被告人の犯行時には既に改正法律が公布施行になつたものと断定しながら、法令の公布及び施行の時点をいずれに求めるのが正当であるかについての理由を欠き、適従するところを知らしめないのを遺憾とする。またその結論にも賛同し兼ねる。

 以上の理由により原判決が被告人の犯行に対し、改正法律を適用したのは誤りであるから、破棄するを相当と思料する。

 検察官 安平政吉公判出席
  昭和三三年一〇月一五日
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    田   中   耕 太 郎
            裁判官    小   谷   勝   重
            裁判官    島           保
            裁判官    斎   藤   悠   輔
            裁判官    藤   田   八   郎
            裁判官    河   村   又   介
            裁判官    池   田       克
            裁判官    垂   水   克   己
            裁判官    河   村   大   助
            裁判官    奥   野   健   一
 裁判官 高橋潔裁判官入江俊郎は、海外出張のため署名押印することができない。
         裁判長裁判官    田   中   耕 太 郎



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