で?
ってよく言われる。今回もそんな話。



文化の発展は、エロが支えている。
と、いう名言は誰が言ったか定かじゃないが、確かに!と腑に落ちた覚えがある。
昭和のAV(オーディオビジュアル)機器の普及は、まさにAV(アダルトビデオ)のおかげだろう。世のオヤジ達が家庭にビデオを購入する大きな動機であったことだろう。

話はザックリ飛ぶが、少子化の要因はスマホである。
適齢期の男は、お洒落をし、酒を覚え、会話を磨き、車を買い、音楽を聴いて、夢を語り…背伸びをして少しでも自分を大きく見せようと頑張ったものである。消費行動の元になる「欲」のうち、ファーストモチベーションとして性欲があった。
時代は変わり、「自分らしさ」や「自然体」が流行った。「ありのままの自分」なんて言葉に幻想を抱いた。そしてインターネットが普及し、スマホを手に入れたら、1人で欲望を満たせるようになった。

インターネットは、人と人とを繋ぐ、距離や時間を短くするツールであったはずだが、なぜか本末転倒が起きている。
自分の部屋に1人でいて、ほとんどすべての欲望が満たされてしまうため、半径5メートル以内に他人が存在しないのである。

さて。

それでは、文化の発展もなく、少子化に歯止めもかからず、仕事はAIに奪われ、お先真っ暗だ。昔は良かった。近頃の若い奴は…

ではない。そうじゃない。
経験に学び、今を見て、先に進めばいいじゃん!と思ったほうがよくないか?
たかだか2000年の歴史でそんなに人間の本質は変わるもんじゃなく、種の持つ特性や資質には類似があるんじゃなかったのか?
つまり、人間の生きるための欲求と、科学では未だ解明できない幸せという概念や、文化への欲求のままに生きればよいだけだと考えている。

色々と考えると、個と社会、自由と平和、明るい未来、確かに幻想でしかないかもしれない。でも、あーでもないこーでもないと、イタチごっこを繰り返す人間社会というものは、一歩ひいて眺めてみると自分を含めてかなり面白い。

思春期の頃からおっかなびっくり自分探しをしてきたが、最近やっと見えてきた。
経験してみる、感じてみる、考えてみる、伝えてみる、そういった毎日が自分にとって幸せなんだなと思う。
自然の壮大さや不思議に心をうたれると、それを誰かに伝えたくなる。本を読んだり映画を見て創作物の世界に浸る幸せも感じる。それはやはり、人との関わりの中に価値を感じているということだと思う。

先に進むということは、幻想を抱くということではなく、今を積み重ねることだと理解できただけでも年をとったかいがあったなあと。そして、命の危険を感じることなく、嫌なことも含めて色々と経験できていることは楽しいなあと。

40代、エロは減ったし髪も薄くなり、なんだかいろんな細胞がすり減ってるような気はするけど、僕の欲望はなかなかつきない。
そして、こんなふうに、誰に伝えるでもなく自分の意見を発表できるし、よい世の中になったなあと思うよ。

って僕は誰に伝えたいんだか。
そういえば、こないだ学生さん達とニコ動の話をして思ったのは、この辺り。
文化の価値観も変わりつつあるんだね。名誉欲や自己顕示欲ってのが手軽に満たされる時代になったのねと。
その分、実際の物体というか生物というか個体との距離感の慣れにおいて経験値が不足しがち。と、いうことは日本人、やっぱりボディタッチは苦手なままなんだろうなあ。もしくは、西洋化するのか?

西洋人のボディタッチについて、そりゃ触覚は大切だし、いいんだろうけどさ、
異性との1メートル、触れるか触れないかの距離感とか、楽しいねんけどなあ。ベタベタ触らんからこそドキドキできていいんやけどなあ。
やっぱり今後も日本文化は「間」が「美」で、空間のエロスというか、そういうわかりにくーいドキドキであってほしいなあと。