300 細谷直英と幕別町の高木姉妹

 昨日の冬季オリンピックで高木姉妹の金メダルが放映され、日本全国高木姉妹の活躍で沸き返っている。姉妹の地元北海道幕別町は、一躍全国区になりこれから多くの観光客で沸き返るであろう。kこの町の基礎を作った人は細谷直英である。
 細谷は戊辰戦争では仙台藩の藩士として烏組を結成して官軍を散々悩ませた英雄でもある。敗戦後は北の北海道に大きな望みをかけて幕別町に入植したのである。入植後は嘗ての烏組の部下たちと、原野に挑みその指導力を存分に生かして原野を開梱して、内地からの入植者を募り幕別町の発展に大きな役割を果たしたのである。
 戊辰戦争の盟友二ノ関源治は函館戦争で亡くなったが、細谷は北海道の開拓というおお仕事を成し遂げたのである。今は仙台の寺に眠っているが、北海道では高木姉妹の先祖と北の大地に鍬を振るったのでは、あの世で二人の活躍を喜んでいるのではないだろうか。「幕別町」の画像検索結果

299 二関源治の顕碑式(2)

細谷直英は両氏の霊前に進み額兵隊星恂太郎、見国隊二関源治の顛末を述べたるに榎本氏始め一座今昔の感に堪えずして当時を追憶せし。

明治30年12月5日清酌時差の典を以って故額兵隊菅野半左衛門、見国隊南条武蔵之助以下戦死者諸氏の霊を祭る。回願すれば光陰矢よりも速くすでに30年当時憂国の至情溢れ賊名を被るも今日の人民立憲政治の下に棲息するを得るもの偏に我が真の抵抗に基因し西南人士に初志を翻さしめたるや、計に曰く若し瞑眩をせしんば其の病意と即ち諸君が怒を凌ぎ,雪山に超え硝煙弾雨の間を駆逐して生命を損したる賜ものと謂わざるを得ず,直英等当時を共にし尚余生を偸みて今日に至る其の事蹟の煙滅せんを恐れ茲に同志と相謀り記念碑を建設して頻藻を供えて其の霊を祭る尚來続けよ。

明治30年12月5日

 

細谷直英      

天保11年、仙台藩の禄高50石の大番士の家に生まれる。豪放な性格で武芸に秀で、人心の掌握にたけた。鋳錢方、普請方などを務める。戊辰の役では当初、偵察方として各地に潜行したが、5月の白河口の攻防の際、博徒や農民、猟師らからなる鴉組を組織し、西軍を苦しめた。敗戦後は北海道開拓や士族授産事業に携わる一方、西南の役、日清戦争に従軍するなど、多方面で活躍したが、明治36年に仏門に入り、仙台市小平町の龍雲院住職となる。明治40年68歳で死去

記念碑建設発起人総代勲六等 細谷直英再拝「細谷直英」の画像検索結果

298 二ノ関源治の建碑式

星恂太郎・二関源治建碑式

額兵隊星恂太郎・見国隊二関源治の建碑式は予記の如く一昨5日午前10時より当市榴ケ岡天神社構内に於いて行なわれる。天神社の右側には星恂太郎氏の碑(榎本武楊子題・大槻文彦氏撰文)左側広場には二関源治及び両隊戦死者(三百数十名)の碑(大鳥圭介氏題字永沼秀実氏撰文)建立されぬ,式場には慢幕を張り球電を掲げ碑旗を建て碑前には神祭式の装飾あり。

 定刻に至や正實たる星・二関両隊長の遺族,戦死者の遺族次に榎本子爵・佐和正氏、大槻如電氏、佐々木文枝氏、遊佐隼人氏、矢野大尉、遠藤庸冶氏始め旧藩士一同川路書記官、田所参事官、黒田署長各県会議員、発起人細谷直英、遠藤陸郎、荒井悟、針生惣助、中島嵩諸氏約三百余名参列するや、音楽の吹奏あり祭主清水数正は他の神官と共に祭式を行われ先には星氏次にニノ関氏戦死者の祭式なりしが、今其の次第を記さんに祭主祓式をなし次に神官一同祓祠を修め進んで祓の技を行い終わりて降神次に斎主清水数正招魂を白し神銀を供し次に斎主は祭文を白し次に榎本子爵は恭しく霊前に進みて左の祭文を白さる。

 思い回らせば早29年の昔とはなりぬ、実に歳月は速きが如く亦遅きが如く、今日亡友星二関両氏の建碑式に会い今昔の感想を夢の如く覚える。夢か夢にあらざるなり、鬚髪皓然六十余齢の身霜風涼乎一百里程境遥か来たり親しく頻藻を進湯冥路隔たると謂えとも願わくば吾意を諒せられよ

 明治30年12月5日於仙台躑躅が岡

              子爵 榎本武揚敬白

「仙台市躑躅ヶ丘...」の画像検索結果仙台躑躅ヶ丘天満宮

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