累卵塔 001

 

東京亀戸天神社の累卵塔

 

五歳菅公像の後方に累卵塔と額刻り(がくぼり)し、その下にお盆らしき物の上に卵を七個積み重ねた線画が入っている碑があります。累卵とは、卵を積み重ねることで、崩れやすくきわめて危険な状態をたとえていう言葉で、明治20年3月に明治天皇の主事医を務めた千葉愛石が天神様を崇敬するとともに人命の危うき事を示そうとして献納しました。


 この碑の裏面には大政奉還を行った15代将軍徳川慶喜公と深く関わった“幕末の三舟“と称された勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の名前が刻まれています。中でも、勝海舟は本所亀沢町に生まれ、幕臣として官軍の西郷隆盛と会談のうえ、江戸を戦火から救うという大任を果たし、江戸城無血開城の立て役者としても知られています。
 1990年には東京都江東区有形文化財(歴史資料)として登録されました


 *亀戸天神社・・正保3年(1646年)九州大宰府天満宮の神官である菅原大鳥居信祐公は、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰の広宣のため社殿建立の志をもって諸国を巡ったあげく、江戸本所亀戸村に着き神像を祀りした。

当時、徳川幕府は江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の復興の地を当地と定めた。天神様を信仰していた第4代将軍家綱は、その鎮守の神として祀るよう当地を寄進した。