今から50数年前、小生が中学三年の夏のことである。当時大郷体育協会では大松沢中学校で、柔道教室を開催していたので、一週間ほど中学校に通った。その時の講師が渥美氏であった。当時渥美氏は天理大学の3年生で、夏休みに帰郷した際に町内の中学生に柔道を教えていたのである。
 柔道教室の最後の日に試合が行われ、大松沢中の村井選手と対戦して大内刈り返しで一本勝ちをした。その時に渥美先生から柔道5級をもらった。まだまだ柔道を始めたばかりなので直接指導は受けなかったが、柔道の基本を教えていただいた。
 翌年黒川高校に進学して柔道部に入り、初段に合格した。その年の夏に明星中学で町の柔道教室が開かれ、その時も渥美先生が講師として指導を受けた。そのときは渥美先生と直接稽古をすることができた。小生は10分ほどで根を上げてしまった。渥美先生から「昨年と比べて大分強くなったね」と褒められた。
 その次の年東京オリンピックが開催され、新たな種目として柔道が入った。当時の柔道の話題は、宮城県出身の神永選手対オランダのヘーシンクの対戦であった。当時の日本柔道は誰が出場しても軽量級は間違いなく金メダルと言われていた。
 当時、我が家にもオリンピックを見るために白黒テレビが入った。日本柔道はオリンピックの出場選手選考会の軽量級の試合を放映していた。この大会に優勝すれば間違いなくオリンピック代表になり金メダル間違いなしと言われていた。
 準決勝の試合に渥美選手が登場したのである。当時天理大学四年生参加選手四十数名を勝ち抜いて、あと一歩でオリンピック出場も夢ではない重要な試合であった。相手はやはり金メダルを取った松田選手で、僅差で渥美選手は敗れてしまった。あの時勝利していれば大郷町始まって以来の快挙だったのにと非常に残念だった。
 二年後の東京オリンピックでは、渥美選手と同じ大松沢出身の母を持つ荻野公介選手がその雪辱を晴らし、水泳で金メダルを採ってくれることであろう。