こらそん保育園

自家製のベーコン、生ハム、ソーセージがある

京都一乗寺の『焼肉屋いちなん』のブログ。

虹と狐。

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一昨日、ホルモンを仕入れて帰る車中から、東の空に大きな虹がかかるのを私も見た。店にもどり着くと私は急いで屋上に駆け上がり、何枚か写真を撮った。その後しばらくその虹を眺めていたのだが、またぞろまぶたの裏に狐の面を被った三人の親子が現れて、その姿が頭から離れなくなった。

1月の始め、外で昼食を済ませ母をホームへ送って行った折に、数年ぶりに玄関先で妹の家族と会った。私もそうだったが、妹夫婦とその娘はさら驚いたことだろう。そろって面会に来たのに、留守なので帰ろうとしたところで、憎い兄に会ってしまったのだ。三人は母に新年の挨拶だけをしてすぐに去った。もちろん、私に何か話しかけてくることもない。ほんの数分のことだったが、妹一家の狼狽ぶりは気の毒なほどだった。

その数分前に、母と私は岩倉の踏切辺りできれいな虹を見て「これはラッキー、なにかいいことがあるといいですね」と喜び合ったばかりだった。以来、私は虹を見ると妹一家のあの日のことを思い出すようになった。しかも、その三人はなぜか揃いの狐の面を付けて私を凝視してくるのである。

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兄の店で昼食をいただく。

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いちなんか比叡平かお昼はどっちがいいですか?車の中でそう聞いたところ「比叡平」と母は即座にそう答えたので、そまま久しぶりに山に向かったのである。途中で私が電話を入れようとすると、いたずら心の衰えぬ母は「いや、急に行って驚かせよう」と言った。

店に着き車椅子の母と私が玄関にいるのを見つけると、兄は確かに驚いて「おおっ!」とだけ言って厨房にもどり、しばらくしてあらため出てきて母に挨拶をしたのだった。ランチのお客で店も賑わっていたのである。

ピビンパ、蒸し豚、キムチ、ソルロンタン、サラダ、鍋焼きうどん、どれもこれも高水準で私のよりはるかに美味しい。母ももりもりと食べる。途中からランチ営業を終えた兄夫妻も加わり、賑やかな食卓になった。食材や料理法についての情報交換もでき、楽しく有意義だった。母の創作した味付けを忠実に守りながら、さらに洗練させていく兄夫妻の努力には素直に頭が下がる。我の強い自分流を好む私は正直完敗である。

料理もすべてごちそうになったうえに、土産に一升瓶を2本ももらって店をあとにした。帰りの車中で母は饒舌になり「本当においしかった、何もかもよかった。あのキムチとナムルは習いに行きなさい、頭を下げて必ず教えてもらいなさい」。何度もそう繰り返すのだった。

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昼飲みバースデー。

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週2か3の頻度でいちなんに来てくれる松っちゃんは、私も贔屓にしている北山の美容室のオーナーだ。彼の誕生日が今年はちょうど月曜日なので、それならぜひ久御山の『もりもり寿司』で昼飲みをしよう、と誘ったのである。

家が近所なこともあり、店がヒマな夜はつい「今からおいでよ」とメールで呼び出してしまうほど、私は彼のことを愛している。新メニューができたら彼に味見をさせて意見を聞くし、なにかのイベントに出展するときは、必ずその相談に乗ってもらう。料理には辛口のコメントをくれることの方が多いが、たまに評価してくれることもあり、そんなときは私は有頂天である。

職業柄か、あらゆる分野に精通している物知りで、記憶力もいいので話題には事欠かない。サッカー経験はないくせに業界事情に異様に詳しく、彼のサッカー談義を聞くのも私は好きだ。3階の大画面でいっしょにサッカー観戦することもあるが、その解説がまた的を得ていてすばらしい。

北海道の実家から大量の珍しい食材が届くと、そのまま持ってきて振る舞ってくれる。それどころか、メニューにして換金しろとさえ言う。ひと回り若い同じ酉年の彼のことを、どうやら私は26年前に死んだ弟のように思っている節がある。1970年の3月生まれだから、学年では松っちゃんと同じなのだ。

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賑やかな日。

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北白川教会の信者さんが母を見舞いたいとお電話をくださったので、道案内を兼ねて私も同行した。母の寒中見舞いを受け取ってくださった黒飛さんと、そのお嬢さんだった。

部屋に入ると、伯母と鐘大兄さんご夫妻が面会にいらしていて、母と歓談中だった。「出町のおばちゃん」と呼ぶ母の姉と、そのご長男夫婦である。伯母にはずっとご無沙汰しているのに「ああ、恵文ちゃん」と大きな声で私を呼ばれたので驚いた。鐘大兄さんご夫妻と会うのも久しぶりだった。

お嫁さんは「うちに何か送ってくださるのは、お願いですからもうやめてください」とおっしゃった。暮れにお送りするご挨拶を遠慮したい、お会いするたびにそう懇願されるのだ。私はいつも叱られたような気分になり当惑するが、年に一度の粗品を快く受け取っていただく、なにかいい方法はないだろうか。

母より7歳上の伯母が、ひとりでしっかりした足取りで歩かれるのにも感嘆したが、別れ際に「あんたがここに入院してるの?」と私に聞かれたことも衝撃だった。「体は元気なのにこれだから、目が離せないんだ」。鐘大兄さんは笑ったが、同居されている夫妻のご苦労を思うと本当に頭が下がる。

伯母ご家族がお帰りになった後は、黒飛さん母娘としばし時間を過ごし、こんどは母も歩行器を頼りに玄関までおふたりをお見送りした。午前よりはるかに調子がいいのは、お見舞いがエネルギーになったからだろう。母と伯母のツーショットを撮り忘れたことが悔やまれた。

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お客さまをお見送りした後、部屋にもどる
。脚の調子はいいようだ。

補聴器用の電池を買いに来て。

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補聴器用の電池を求め、たまたま入ったお店がビンゴ 。母の補聴器もその電池も、前任の介護責任者はこのお店で購入していたことが偶然にわかったのだ。電池代は想像していた額の3分の1で、掃除と点検は無料サービス。さらに「お母さまはお元気でいらっしゃいますか」とスタッフから挨拶を受け、心が温かくなる。心配ごとがこれでひとつ解決した。

「今後はわざわざ連絡もしないようにします。聞かれたらお答えするのでよろしくです」。「息子として私からの重荷を引き継いでもらえたらありがたいです」。前任者はこんなメッセージを兄と私に送り、約3年半務めた母の介護役を年明けに突然辞した。「重荷」はオモニの誤変換かとも思ったが、どうやら母の介護責任をこれ以上負うことが、彼女には本当に耐えられなかったようだ。

ちょうどそのお店を出るとき、大分県中津市の叔父から私の携帯に電話が入った。母の近況を知らせたハガキを受け取ったというお礼である。父の弟だが、40年以上も前に共同経営する事業で揉め、兄弟同士で民事訴訟を起こしてその関係は絶える。以降、ついに父は一度も自分の弟と会わず6年前に他界した。

「感無量です。義姉さんにありがとうを何度でも伝えてください」。叔父はそう繰り返した。調整を終えた補聴器を届けに行った折にそのことを伝えると、母は穏やかな表情で「本当にありがとう」と言った。まさか裁判で争うまでにはなるまいが、それでもいつか私と姉にもこんな日が訪れるのだろうか。

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1月23日のこと。

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1月23日は凛ちゃんの誕生日だが、若い友人の命日でもある。凛ちゃんは、彼が自死を選んだ同じ日に生まれた。だから、毎年この夜はお祝いと追悼のいつも不思議な宴になり、私は痛飲する。彼を偲ぶために欠かさず来る人もいるのだ。

9年前のこの日は一日中大騒ぎだったように思うが、モユル君のことも彼の死にまつわる一連の出来事も、だんだんと記憶から遠のいていく。薄情のようだが仕方のないことだ。だけど、乾杯と献杯を交互にするこの奇妙な集まりは、これからもずっと続くだろう。

凛ちゃんの好物のチキンを焼き、シチューを土鍋で温め、凛ちゃんとモユル君のために集まってくださったみなさんといただいた。

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お恥ずかしい話。

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昨年の8月より、母は左京区岩倉の介護付ホームに入り、今もそこでお世話になっている。環境もスタッフの方々も申し分なく、母も満足しているように思う。

母の入居に当たっては、ふだんは疎遠にしている4人のきょうだいが、各自の費用分担や役割をどうするかについて、グループメッセージを使って協議を重ねた。これは実際に会って話すよりも、冷静に意見を交換でき記録も残るので、たいへんいい方法だった。事実、初期の入居費用は4人が等分に出し合い、ホームでの生活費用は兄と私の二人が毎月支払う。同時に介護責任者を、姉(楠本貞愛)から兄または私に変更する、ということですんなりと意見の一致をみた。

ところが、母が無事に入居した途端に、介護責任者の変更を姉が頑に拒否をする。ひと月前に自ら提案しておきながら、なにか不都合でも生じたのか、介護責任者は自分以外には務まらぬ、という侮辱的な物言いで前言を覆したのだ。

兄と私は大いに戸惑ったが、これまでも姉からは理不尽で病的ともいえる手紙やメールを数え切れぬほど受け取ってきているので、またかという気持ちで静観することにした。すると、年明けに今度はホームの施設長からこう伝えられたのだ。「お姉さまが介護責任者を交代したいと申し出られました。変更手続きをしていただけますでしょうか」。

いったい彼女にどのような心境の変化、あるいは新たな事情が生じたのか。私はすぐその真意を本人にメールで尋ねたのだが、姉はすでに署名捺印した変更書類を兄に届けただけで、私には「関わりたくない」の一点張りで経緯の説明はおろか返事すらしないのである。はてさて、すべて思い通りにことが進み、私の姉は今ごろ呵呵大笑しているのだろうか。ただ精神の安定を祈るのみである。

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谷口先生宅でご馳走になる。

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今日は谷口加代子先生のお宅に招かれて、昼食をごちそうになった。下鴨小学校1年生で担任していただいた先生と、今でも気軽にお会いできるのはこの上なく幸せなことだ。それにしても、半世紀以上前に1年間だけ学んだ先生から、なぜこれほどの情けを受け続けるのか。これは私の積年の疑問だったが、今日伺ったお話で、初めて得心できた気がしたのだ。

それは私が1年生の時だから、父が大分県中津市でレストランを創業する直前のことだ。先生ご夫妻は私の両親から、南座近くの高級レストランで接待を受けたとおっしゃるのだ。まだ30代の父は「九州で私はこんな店をやってみます」と先生ご夫妻に披露したという。肺結核の療養を終えた父が、伝道師から経営者に転身する、それは復活の宣言でもあったのだろう。

翌年の5月、私たち一家は大分県中津市に転居したのだが、先生ご夫妻は夏休みになるとさっそく京都から中津まで、二日間をかけて車で来てくださったのだ。高速もカーエアコンもない時代、1965年8月のことである。同世代に当たる、教え子の両親の生き方にまずご関心を持ってくださったというわけだ。以来、今にいたるまで先生ご夫妻は常に私の身を案じて、ことあるごとにご連絡をくださるのだ。父と母に感謝である。

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白菜キムチ。

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スーパーなかむらのネギトロ細巻き4切れ、うどんと豆腐入りソルロンタン150cc、白菜キムチ30g、カフェラテ2杯300cc、温かいドゥングレ茶100cc。以上が今日の昼食だ。

切れていたご飯の代わりに、うどんと豆腐を入れて玉子とじにしたスープには「美味しくない」とのダメ出しをいただいた。だけど、最近少しは腕を上げたと自負している白菜キムチは、合格をもらった。

施設にもどってからの歩行練習は、なぜか絶好調。片道約110歩の距離の往復だが、右脚が一度も床に引っかかることなく今日は歩けたのだ。退院後は初めてのことである。明日は用事で来れないのだが、1日空くとやはりダメなのだろうか。

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やよい寿司さん。

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「昨日はお昼ご飯をまったく召し上がりませんでした。お疲れが出たようです」。今朝母の面会に行ったところ、施設長さんが来てそうおっしゃった。昼食の前に私とやった、いつもの歩行練習がその原因だということらしい。もう少し軽い目にされてはどうでしょうか、とも言われたのだ。

部屋で母に聞いてみると、「疲れたのではなく、ここの食事が食べたくないのよね」と申し訳なさそうに言うのだった。それならと、店に連れ帰りいつものソルロンタンと出前の寿司を用意したところ、巻きと握りを全部で8貫、人参入りの牛骨スープを300cc、それに食後のコーヒーを、母はむせもせずに食べた。「お元気そうでなによりです」。配達に来た馴染みの寿司屋さんが、そう言って母の手を握ってくれたことも母は喜んだ。

施設の方々にはたいへんよくしていただき感謝のほかないが、お昼ごはんはできるだけいちなんで食べてもらうこと、歩行訓練を欠かさぬようにすることが、私の務めだと思っている。食事の前には、母や私の生まれ育った下川原町辺りの路地を巡り、母の小学校の同期とおっしゃる懐かしい方を訪ねたり、鴨川で歩く練習をしたり、気に入りのベンチでぼーっとしたりして過ごした。

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