こらそん保育園

自家製のベーコン、生ハム、ソーセージがある

京都一乗寺の『焼肉屋いちなん』のブログ。

もりもり寿しにて。

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金沢が本店の『もりもり寿し』がこの夏に四条河原町へ出店して、これでもう3回目である。こんなにうれしいことはない。この店がまだ関西になかったころ、ここの寿司だけを目当てに母と金沢まで一泊旅行に出かけたことがある。「ただの回転寿司でしょ」とあまり期待していなかった母が大いに気に入り、帰る日にも連続で訪れてたらふく食べたことも懐かしい。10年前の夏のことだ。

その後、滋賀の竜王に支店ができたことを知ると、ふたり喜びあって何度も名神を往復したものだ。また、母が倒れたのちは久御山のイオンにできた支店に通うようになる。駐車場からも近く車椅子でイオンの店内を見たり、帰りにスタバでコーヒーを買うのが私たちの楽しみになった。そして、先月には車で10分の四条河原町に『もりもり』ができたのである。

この日は絵画教室で凛ちゃんがお世話になっている、トキ先生とごいっしょさせていただいた。中高の同窓であり、半世紀近くも私が憧れ続けているお方である。私を励まそうと彼女は気遣ってくれたのだろうが、まさかこの店で彼女と乾杯できるとは、私には白日夢のようだった。死ぬ前に母が買ってくれた赤いシャツを私は着た。母の好物だった白海老やガス海老の唐揚げを前に、いくらでも酒が入る。好みの味のガリと一番安い赤い皿のネタだけで、私はじゅうぶんに満たされた。

酔って店を出るときに、初老の板長が愛想よく「毎度おおきに!」と挨拶してくださった。ピンとこない私が「どこかほかの支店でお会いしましたか」と聞くと「竜王にもよくいらっしゃいましたね」と微笑まれたので驚いた。こんどここへ来るときは、手土産にふたばの豆餅でも下げていくつもりだ。そして、母がどれほどこの店を愛していたかを彼にも聞いてもらいたい。

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お通夜の日のこと。

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南山の経理部でかつて働いておられたTさんと、ドルフでモーニングコーヒーをごいっしょしたあとは、下鴨中学の1年で同じクラスだった辻隆司くんと会うために、彼の自宅まで向かった。この盆こそはぜひゆっくり会おう、千葉に住む彼とそう約束をしていたのだ。

家に着くと母上が先に出て来てくださった。「孫くんのお母さんもお変わりなく?」と聞かれたので、じつは明日が葬儀でして、と伝えると「そんなたいへんな日に」と絶句された。死んだ母と二つ違いだそうだが、若々しくてびっくりした。椎茸昆布でも炊けたら、ぜひおひとり暮らしの母上にお届けしたい。また、とくに驚きもせずいつどうして、などの質問もしないのが、いかにも辻くんらしくていいなとも思った。

数年前に少し立ち話をしたことはあったが、彼とはほとんど卒業以来40数年ぶりの再会といっていい。家がすぐ近所だったことや、生真面目すぎるくらいの性格に惹かれてよく遊んだものだ。だが、私はサッカーに辻くんは地質学にそれぞれ熱中したからだろう、中2以降はずっと疎遠になっていた。

思い出話の中で、やはり同級だったまゆみちゃんから無言で差し出されたハートのペンダントが、ふたつに割れたデザインだったことと、その渡し方が怒っているように見えたことから、何かのいやがらせだろうかと相談したのが辻くんだったことも、彼の証言から判明したのだ。その日はバレンタインデーだったらしいが、当時はその意味も知らぬ、私は奥手の13歳だった。

そして、当のまゆみちゃんを私は電話でprinz(プリンツ)まで呼び出し、このエピソードでいつものように彼女をからかいながら、昼酒にお付合いいただいたのである。彼女は今はうちの大事な常連さんなのだ。ところで、こうして今日私がくつろぐことができたのは、通夜や葬儀の段取り一式をすべて私以外のきょうだいや、甥姪たちがお世話してくれているからだった。感謝せねば。

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神さまはほんとうにいらっしゃる、と思えるとき。

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近所に新しくできた春巻のお店で飲んでいたら、コロンバ姉さんから電話が入り「今から神父さまとオモニを訪ねるところです」とおっしゃるので、急いで帰り私も同行をした。病人を癒すためにみんなで祈り聖書を読み、聖油を額に塗りご聖体を拝領する、以前は臨終の間際に行っていた儀式をしてくださるという。突然のありがたいお申し出であったが、母は恭しくその秘跡を授かり心から喜んでいるように見えた。だが、私は遠い昔に父方の祖父が危篤の状態で受けた『終油の秘跡』というカトリックの儀式の情景を思い出さずにはいられなかった。

神父になる前の修行中、何度も母の手料理を振る舞われ励まされたという、この済州道出身の若い神父さまが再び日本にもどってこられたので、さっそくコロンバ姉さんが案内してくださったというわけだった。「痛いとかツラいとか、オモニの口から聞いたことはいちどもない。こんなに我慢強いひとを私は知りません」。姉さんはそう褒めてくださった。「そして、どんなときでも私たちを笑って迎えてくださるのよ」。まことに母は絶望とは無縁のひとだと私も思う。

お帰りに元気なところを見ていただこうと、歩行器を使って玄関までいっしょに歩いたのだが、不思議なことにお見送りをした後、母はそのまま部屋まで一度も休まずにもどったのだ。途中のソファで休憩せずに往復できたのはここ数ヶ月で一度もなかったことである。だが、母は興奮する私をただぽかんと眺めているだけだ。たまには教会へ行って祈らねば、私は少しだけそう思った。

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本日の差し入れ。

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ソルロンタン(牛骨スープ)の出来がいつもよりよかったので、それでクッパを作って母に届ける。細かく切った牛スジ煮込みを入れて片栗粉で少しトロミをつけた。

いただきものの花山椒の佃煮と、胡瓜のキューちゃんも添えた。下鴨中学同窓会の役員会が昨日お店であったのだが、その折に鞍馬に住む同窓生からもらったものだ。どちらもとても美味しかったので、ぜひ作りかたを教えてもらうつもりだ。

そして、還暦の年に迎える同窓会は9月17日。絶対に行くものかとずっと決めていたが、その日は休業にして出席しようかとも迷い始めている。

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今朝のこと。

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いちなんライブに招待した土曜日以外、このGW中は少しも母のところへ行けず、歩行練習もだからまったくできなかった。大好きなアントニオバンドの演奏は真剣に聴き入っていたが、その後の食事では好物の玉子クッパも焼肉のゴマの葉包みにも母はほとんど手を付けないうえに、お茶だけで何度もむせた。

その日も歩行器を使って出かけたのだが、脚の調子はいい時と比べて40%くらい。「ほれ見ろ、お前がなまけると母はこうなるのだ」という声が頭にこだまして、母をホームへ送り届けた後も私の気持ちは沈みがちだった。

ところが、今朝の母は二日前とは見違えるほど元気がよく、抹茶オーレを少しもむせずに飲み干すと、別のところへ届けるつもりの菓子パンを見つけてぺろりと平らげて、もうひとつないのかと聞く。歩行練習の調子もよく「不思議に今日は身体が軽いわ」と本人も驚くほど、ここ最近でいちばんの安定度だったのである。こんな一喜一憂を繰り返し味わえることにも感謝である。

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虹と狐。

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一昨日、ホルモンを仕入れて帰る車中から、東の空に大きな虹がかかるのを私も見た。店にもどり着くと私は急いで屋上に駆け上がり、何枚か写真を撮った。その後しばらくその虹を眺めていたのだが、またぞろまぶたの裏に狐の面を被った三人の親子が現れて、その姿が頭から離れなくなった。

1月の始め、外で昼食を済ませ母をホームへ送って行った折に、数年ぶりに玄関先で妹の家族と会った。私もそうだったが、妹夫婦とその娘はさら驚いたことだろう。そろって面会に来たのに、留守なので帰ろうとしたところで、憎い兄に会ってしまったのだ。三人は母に新年の挨拶だけをしてすぐに去った。もちろん、私に何か話しかけてくることもない。ほんの数分のことだったが、妹一家の狼狽ぶりは気の毒なほどだった。

その数分前に、母と私は岩倉の踏切辺りできれいな虹を見て「これはラッキー、なにかいいことがあるといいですね」と喜び合ったばかりだった。以来、私は虹を見ると妹一家のあの日のことを思い出すようになった。しかも、その三人はなぜか揃いの狐の面を付けて私を凝視してくるのである。

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兄の店で昼食をいただく。

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いちなんか比叡平かお昼はどっちがいいですか?車の中でそう聞いたところ「比叡平」と母は即座にそう答えたので、そまま久しぶりに山に向かったのである。途中で私が電話を入れようとすると、いたずら心の衰えぬ母は「いや、急に行って驚かせよう」と言った。

店に着き車椅子の母と私が玄関にいるのを見つけると、兄は確かに驚いて「おおっ!」とだけ言って厨房にもどり、しばらくしてあらため出てきて母に挨拶をしたのだった。ランチのお客で店も賑わっていたのである。

ピビンパ、蒸し豚、キムチ、ソルロンタン、サラダ、鍋焼きうどん、どれもこれも高水準で私のよりはるかに美味しい。母ももりもりと食べる。途中からランチ営業を終えた兄夫妻も加わり、賑やかな食卓になった。食材や料理法についての情報交換もでき、楽しく有意義だった。母の創作した味付けを忠実に守りながら、さらに洗練させていく兄夫妻の努力には素直に頭が下がる。我の強い自分流を好む私は正直完敗である。

料理もすべてごちそうになったうえに、土産に一升瓶を2本ももらって店をあとにした。帰りの車中で母は饒舌になり「本当においしかった、何もかもよかった。あのキムチとナムルは習いに行きなさい、頭を下げて必ず教えてもらいなさい」。何度もそう繰り返すのだった。

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昼飲みバースデー。

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週2か3の頻度でいちなんに来てくれる松っちゃんは、私も贔屓にしている北山の美容室のオーナーだ。彼の誕生日が今年はちょうど月曜日なので、それならぜひ久御山の『もりもり寿司』で昼飲みをしよう、と誘ったのである。

家が近所なこともあり、店がヒマな夜はつい「今からおいでよ」とメールで呼び出してしまうほど、私は彼のことを愛している。新メニューができたら彼に味見をさせて意見を聞くし、なにかのイベントに出展するときは、必ずその相談に乗ってもらう。料理には辛口のコメントをくれることの方が多いが、たまに評価してくれることもあり、そんなときは私は有頂天である。

職業柄か、あらゆる分野に精通している物知りで、記憶力もいいので話題には事欠かない。サッカー経験はないくせに業界事情に異様に詳しく、彼のサッカー談義を聞くのも私は好きだ。3階の大画面でいっしょにサッカー観戦することもあるが、その解説がまた的を得ていてすばらしい。

北海道の実家から大量の珍しい食材が届くと、そのまま持ってきて振る舞ってくれる。それどころか、メニューにして換金しろとさえ言う。ひと回り若い同じ酉年の彼のことを、どうやら私は26年前に死んだ弟のように思っている節がある。1970年の3月生まれだから、学年では松っちゃんと同じなのだ。

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賑やかな日。

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北白川教会の信者さんが母を見舞いたいとお電話をくださったので、道案内を兼ねて私も同行した。母の寒中見舞いを受け取ってくださった黒飛さんと、そのお嬢さんだった。

部屋に入ると、伯母と鐘大兄さんご夫妻が面会にいらしていて、母と歓談中だった。「出町のおばちゃん」と呼ぶ母の姉と、そのご長男夫婦である。伯母にはずっとご無沙汰しているのに「ああ、恵文ちゃん」と大きな声で私を呼ばれたので驚いた。鐘大兄さんご夫妻と会うのも久しぶりだった。

お嫁さんは「うちに何か送ってくださるのは、お願いですからもうやめてください」とおっしゃった。暮れにお送りするご挨拶を遠慮したい、お会いするたびにそう懇願されるのだ。私はいつも叱られたような気分になり当惑するが、年に一度の粗品を快く受け取っていただく、なにかいい方法はないだろうか。

母より7歳上の伯母が、ひとりでしっかりした足取りで歩かれるのにも感嘆したが、別れ際に「あんたがここに入院してるの?」と私に聞かれたことも衝撃だった。「体は元気なのにこれだから、目が離せないんだ」。鐘大兄さんは笑ったが、同居されている夫妻のご苦労を思うと本当に頭が下がる。

伯母ご家族がお帰りになった後は、黒飛さん母娘としばし時間を過ごし、こんどは母も歩行器を頼りに玄関までおふたりをお見送りした。午前よりはるかに調子がいいのは、お見舞いがエネルギーになったからだろう。母と伯母のツーショットを撮り忘れたことが悔やまれた。

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お客さまをお見送りした後、部屋にもどる
。脚の調子はいいようだ。

補聴器用の電池を買いに来て。

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補聴器用の電池を求め、たまたま入ったお店がビンゴ 。母の補聴器もその電池も、前任の介護責任者はこのお店で購入していたことが偶然にわかったのだ。電池代は想像していた額の3分の1で、掃除と点検は無料サービス。さらに「お母さまはお元気でいらっしゃいますか」とスタッフから挨拶を受け、心が温かくなる。心配ごとがこれでひとつ解決した。

「今後はわざわざ連絡もしないようにします。聞かれたらお答えするのでよろしくです」。「息子として私からの重荷を引き継いでもらえたらありがたいです」。前任者はこんなメッセージを兄と私に送り、約3年半務めた母の介護役を年明けに突然辞した。「重荷」はオモニの誤変換かとも思ったが、どうやら母の介護責任をこれ以上負うことが、彼女には本当に耐えられなかったようだ。

ちょうどそのお店を出るとき、大分県中津市の叔父から私の携帯に電話が入った。母の近況を知らせたハガキを受け取ったというお礼である。父の弟だが、40年以上も前に共同経営する事業で揉め、兄弟同士で民事訴訟を起こしてその関係は絶える。以降、ついに父は一度も自分の弟と会わず6年前に他界した。

「感無量です。義姉さんにありがとうを何度でも伝えてください」。叔父はそう繰り返した。調整を終えた補聴器を届けに行った折にそのことを伝えると、母は穏やかな表情で「本当にありがとう」と言った。まさか裁判で争うまでにはなるまいが、それでもいつか私と姉にもこんな日が訪れるのだろうか。

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