2017年11月18日

「皇室会議」に反天皇運動に与する菅直人が選出される異常さ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 衆議院運営委員会は、皇位継承順位の変更などを審議する「皇室会議」の予備議員の一人に、先の大戦を侵略戦争と断じ、「天皇は逮捕されるべきだった」と言って憚らない菅直人が選出された。

 極左でもあり、反天皇論者である菅直人の皇室会議へ参加は不適格と断じざるを得ず、菅を選任した衆院議会運営委員会の国民意識と乖離した非常識は赦されるものではなく、国民感情も許さない。

 運営委員会には「反天皇」の急先鋒でもある辻元清美も入っており、菅直人が推薦されても不思議ではないが、皇統に関わる問題までも悪しき議院の慣例で決められることに違和感というより怒りを覚える。

 菅直人に留まらず、戦後、昭和天皇の戦争責任論は止むことはなく、「陛下は、所謂戦争責任についてどの様なお考えであるか」などと、記者の立場を利用した「吊し上げ」は日常茶飯事だった。

 欽定明治憲法下に於いては国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下には法的に責任はない。

 しかし、道義的に最も責任を痛感された昭和天皇は、終戦の勅諭で「五内為ニ裂ク」と仰せられた通り、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

 戦後、天皇廃止運動は昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まった。左翼マスコミは「開かれた皇室論」の急先鋒となり、週刊誌などで陛下や皇族方を登場させては、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。

 そして平成に入り「女系天皇論」や「女性宮家論」として、所謂「反天皇制運動」は今も尚、巧妙に継続されている。

 菅は戦争責任を「少なくとも歴史的に言えば負ける戦争をやった将軍は例えば戦国時代でいえば腹を切るんです」と偉そうに語っているが、菅は福島原発事故での「人災」の責任を取ることはなく、頬っ被りしてトンズラした(苦笑)

 昭和22年、GHQはこの皇室典範を改悪し、畏れ多くも陛下を法律の配下に置いたのは歴史が証明するところ。だが、天皇とは憲法や法律制定以前の御存在であり、法治国家を取り違え、皇統を法律で論ずることがあってはならない。

 現在の「皇室会議」は皇族2名と衆参両院正副議長、最高裁長官、宮内庁長官ら非皇族8名の10人で構成されている。

 明治皇室典範に於ける「皇族会議」は、成年男子皇族20名によって組織された機関であり、非皇族は内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名となっていた。

 現在は男子皇族が皇太子殿下と秋篠宮殿下、悠仁親王殿下の3名。成年皇族が少ないのは戦後、GHQに強制的に11宮家が臣籍降下させられたことが原因であり、皇統を盤石の安きに置くなら旧皇族の復帰を成すべきなのだ。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。旧宮家が復帰すれば男子成年皇族は15名になる。

 旧ソ連のコミュンテルンテーゼを信奉し、反天皇と国體破壊を目指す勢力は旧皇族の復帰は認めず「女性宮家」論で世論を誑かしているが、旧・皇族の皇籍復帰こそは真の主権国家としての精神の再生でもある。

 現皇室典範下での「皇室会議」に正統性はない。GHQが改悪を謀った現皇室典範を奉還し、現在の皇室会議を廃止すると共に、旧皇族の男系男子を中心とした「皇族会議」に戻すことは国民の義務でもある。

「皇室典範」とは、明治22年の紀元節にて大日本帝国憲法発布の勅語と同時に発布された皇室典範制定の勅語に由来する「皇家の憲法」である。

【天佑ヲ享有シタルし我ガ日本帝国ノ寶祚ハ万世一系歴代継承シ以テ朕ガ躬ニ至ル 惟フニ祖宗肇國ノ初大憲一タヒ定マリ昭ナルコト日星ノ如シ 今ノ時ニ當リ宜ク遺訓ヲ明徴シ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ 此処ニ枢密顧問ノ諮詢ヲ経 皇室典範ヲ裁定シ朕ガ後嗣及ビ子孫ヲシテ遵守スル所アラシム】

 即ち、皇室典範とは、神武肇国以来明らかに定まっている皇家の遺訓を成典にしたものであり、「法律」ではなく、「天皇家の家訓」であるというのが正しく、それを臣民である政治家やインチキ有識者如きが論ずることが不敬の極み。

「天皇」は天皇であって制度ではない。また「天皇制」とは共産党の造語である。「譲位」ではなく「退位」も同じく共産主義の言葉であり、そういう共産主義の反天皇運動に与する菅直人が皇室会議に入るとは何事か。

 安倍亡国内閣は、退位法案が可決され皇室典範にその旨を付帯した。種子法廃止法案の成立然り、保守を標榜する安倍が就任して以降、神武肇国から続く万世一系の皇統や国柄が破壊されつつあることは決して杞憂ではあるまい。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:17|PermalinkComments(0)

2017年11月17日

社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 GHQに因る占領統治が終わり、我が国が主権回復した約3年後の昭和30年11月15日、日本民主党と自由党が合併し「自由民主党」が誕生した。

 党是は「自主憲法制定」何故に自主憲法制定を目指したのかといえば、占領下にまで遡る。現憲法の公布は昭和21(1946)年11月3日。

 我が国が占領下だった昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮(韓国)に侵攻する。

 これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり、1953年7月27日の休戦に至るまで数百万人が犠牲となる大惨事となった。

 朝鮮戦争が勃発するとマッカーサーは吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送る。所謂「マッカーサー書簡(文書)」というものである。

 これはマッカーサーが実質、日本国憲法の破棄を促したものだが、吉田は日本国憲法の改正は行わないことを明言した。

 当時の吉田の判断により、我が国が米国に利用され、朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。

 だが、朝鮮戦争を機に憲法を破棄し旧帝国憲法に戻していれば、安保関連法案など未だに続く不毛空論の議論が繰り返されることはなかっただろう。

 我が国の主権回復は昭和27年4月28日。だが朝鮮戦争はその翌年まで続いていたことで、憲法改正の機を失った。

 昭和30年になって、国内では日本国憲法の見直しなどの機運が高まり、鳩山一郎の「日本民主党」と吉田茂の「自由党」が合併し「自由民主党」が誕生する。

 現自民党が掲げる新綱領では「自主憲法の制定」ではなく「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を育む」として次の様に明記されている。

【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】

 安倍首相がやるべきことは、教育の無償化などという代物ではなく、「日本人に生まれたことに誇りが持てる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育を目指す」ことであり、「世界一安心・安全な社会を創る」という党綱領の実行である。

 また自民党の「立党宣言」にはこう綴られてある。

【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】

 自民党よ、そして自民党員よ、保守政党や保守派を自任するならば今こそ立党精神に立ち返り、過去の容共的愚策の実行という過ちを糺すと共に、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動とすべからく対峙すべし。

 ってか、無理だわな(苦笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:07|PermalinkComments(0)

2017年11月16日

横綱・日馬富士、平幕力士をビール瓶で殴打!?

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 横綱・日馬富士が先月下旬、巡業先の鳥取県内で開かれたモンゴル人力士らの酒席で、後輩力士の貴ノ岩にビール瓶で殴るなどの傷害事件を起こしてたことが発覚した。大相撲ファンの一人として非常に残念なことだと思う。

 日馬富士の傷害事件が十月下旬なのに相撲協会のこの対応の遅れは何なのだろう。過去の力士へのしごきに因る暴行致死事件や、朝青龍の暴行事件などの教訓が活かされていないのは危機管理の無さの現れでもある。

 それにしても、酒が入ってる時にビール瓶で殴られたら普段より血が流れる。愚生の場合、所属していた団体の事務所で支部長にオールドパーの角で頭を殴られた先輩の出血が尋常ではなかったことを思い出した(笑)

 テレビや新聞では、日馬富士の酒癖の悪さばかりが報じられているが、事件の発端は長幼の序や礼節に欠けていた貴ノ岩や、そうした相撲界の昔からの仕来りを指導する親方や協会にも責任は在ると感じる。

 最近の相撲協会は営利優先からチケットの販売や相撲人気を高めようと、日本の国技というよりも単なるスポーツイベントの様相を呈していて、稽古も然ることながら角界の常識を教える場が足らないのではなかろうか。

 下積みが長ければそうした事は自然と覚えるだろうが、入門して直ぐに頭角を現す力士というのは親方や周りもチヤホヤして甘やかしがちになる。

 力士も勝てさえすれば好いという感じで、横綱が張り差しや、変化なども平気でやる様な不様な取り組みも目に付く。上に立つ者がこういう相撲を取っていれば、下位の者も先輩や上位力士への尊敬も薄れるのは確かだろう。

 日馬富士が怒るのは組織に居た人間なら分かるし、愚生も態度の悪い後輩に苦言を呈し、言っても分からないヤツには実力行使して本能に教えた。

 上の者が話してる途中でスマホを弄れば怒られるのは当然だし、貴ノ岩が日馬富士ら横綱に向かって「もうあなたちの時代は終わった」と言ったということも報じられてるし、諫めようとした日馬富士の気持ちも理解出来る。

 だが、意見するにしても、尊敬されていなければ聞く耳は持たないということを日馬富士には理解出来ず、身体が先に反応してしまったのだろう。

 今どきの若者といえばそれまでだが、要は、貴ノ岩の礼節の無さ、長幼の序の欠落というより、日馬富士の人徳の無さに尽きる。

 人に意見してその人の欠点を直す』ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、それが受け入れられなければ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまうのだ。

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直すというのが意見というものである」とは「葉隠」の教えである。

 大相撲は歌舞伎と同様、閉じられた社会で磨き上げられ、鍛えられた伝統文化である。明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し国技を自称して来た。

 この「保守の牙城」でもある大相撲を潰したい勢力は存在してる訳で、日馬富士も相撲という仕事への敬意があれば酒に呑まれることは無かっただろう。

 横綱としての自覚に欠けていたことは事実で、正に不徳の致すところ。横綱という前に一人の男の誇りと名誉の為に即刻引退した方が好い。

 マスコミや国民は横綱に、力士の最高の地位としての品格や礼節を求めるが、ならば政治とは最高の倫理であり、最高の道徳であるならば、即刻引退しなきゃならない政治家はわんさといるな。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:52|PermalinkComments(0)

2017年11月15日

安倍亡国政府、現憲法を理由に譲位儀式の簡素化を検討!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 安倍亡国政府は、畏れ多くも天皇譲位を謀った上に、現憲法に抵触する恐れがあると譲位の儀式を簡素な形式で執り行う方向で検討に入った。

 簡素化する理由を、譲位の際に陛下の命令でもある「宣命(せんみょう)」が、天皇の政治的な関与を禁じた憲法第4条違反に問われかねないからだと説明しているが、畏れ多くも天皇は憲法以前の御存在である。

「天皇の政治的関与」とはどういうことか。陛下の国会の開会式への御臨席、国会の解散と国会の召集、大臣への認証、その他、の御公務や各種式典、民間行事等への御臨席も全てが政治的関与の一貫ではないか。

 譲位儀式の簡素化は、恰も陛下の御意向であるかの様に謀っているが、陛下が重要視されている「祭祀」の簡素化や取止めなどを講じて来た宮内庁幹部の反天皇運動の一環であり、正に国賊の所業である。

 現憲法や現皇室典範に瑕疵があることが明白な中で、皇位継承や国事行為を語ることに違和感を覚える国民は少なくない。

 GHQは国體破壊の目論みで現憲法を与え、皇室典範の改悪を謀った。そうした中で宮内庁は「譲位は一代限り」「一部分の改正に留める」などとの詭弁を弄しているが、その実は現皇室典範を現憲法同様に正当化するものである。

「譲位」ではなく「退位」という言葉を使用してることをしても、政府中枢や宮内庁に入り込んだ共産主義者による反天皇運動は根深い。

 歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、現皇室典範には「大嘗祭」の規定は存在しない。つまり、皇太子殿下が即位する際に行われる即位の儀式である大嘗祭も憲法違反に問われかねない。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇の「国事行為」のみで「公的行為」は明文化されていない。

 大嘗祭も皇室の公的行事であり、政府がこれを主催することは現憲法を無視した違法行為として、反天皇運動を謀る共産主義者らが騒ぎ立てるだろう。

 どちらにせよ、反天皇運動を謀る連中が納得する訳はなく、こういう雑音を排し、伝統に則った儀式を採り行い、陛下の大御心に報いよ。

 現憲法を有り難がり、GHQが謀った占領政策の一つである「神道指令」に怯え、「皇室典範に退位の儀式に関する規定はない」として、大化の改新から伝承された「宣命」の儀式を採り止めるとは何事か。

 皇統断絶勢力に与する宮内庁幹部らは、陛下の国事行為の御負担の軽減というまやかしの大義名分を振り翳し、重要な祭事である「暁の儀」の取り止めや代拝や拝礼のみという簡素化を謀って来た。

 如何にも陛下の高齢や体調を慮った様な世論誘導による「退位」こそ反天皇運動の極みであり、神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世の共産主義者らの策謀に因って断絶の危機の序章になる可能性は少なくない。

 明治憲法並びに明治皇室典範こそが我が国の正統な国法である。安易な憲法改正は明治憲法への復元・改正を限りなく不可能にするものであり、現皇室典範下で行われる儀式は我が国の正統性を限りなく損なうものだ。

 皇室の家訓である皇室典範は直ちに陛下へ奉還せよ。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:30|PermalinkComments(0)

2017年11月14日

ステーキなんぞより茶屋で芸者遊びに興じた方がトランプもさぞかし喜んだだろう(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 安倍首相はトランプ大統領とゴルフを愉しみ、昼にハンバーガーを、夜は銀座の高級鉄板焼きを振る舞ったというが、そんなステーキなんぞより高級料亭や茶屋で芸者遊びに興じた方がトランプもさぞかし喜んだだろう(笑)

 今どきの政治家が接待で料亭を使うものなら「料亭政治」などと批判されるのがオチだろうが、政治家が小者になったのは、ゴルフやキャバクラ、SMバーだとか小者の遊びしか知らなくなった所為でもある(笑)

 同じタマころがしでも夜のタマころがしの方が好い。いつの時代でも重要な決め事というのは、夜の会合や座敷で決められることの方が断然多い。

 芸者遊びというが、単に酒を呑んで芸者と遊ぶというものではなく、極上の酒と料理、持て成す方も一流なら客も粋さが無ければダメだ。

 この花柳界(かりゅうかい)を「はなやぎかい」と読んだりする時代だもの、花柳界の用語なんて知らなければ、興味もないか。でも日本の伝統でもあり、文化でもあり知ってて損はないだろう。

 例えば「花街(かがい)」とは芸者町のこと。 置屋と料亭の営業を許可された地域で、「はなまち」ではなく「かがい」と読むのが正しい。

「(お)出先き」は芸者の入る待合、料理屋のことをいう。京都で「(お)茶屋」と呼ばれる場所がそうだ。

 格式のある茶屋とか銀座の高級クラブというのは「一見(いちげん)」さんお断り。つまり、初めての客は入れない。馴染みの芸者や担当のホステスを持つというのは一流を目指すなら必要不可欠なことでもある。

 芸者には「自前」といって「看板」(営業権)を持って独立している妓と、「抱っ子」と呼ばれる使用人の妓がいる。

 東京では「芸者」、関西では「芸子(げいこ)」。因みに「芸妓(げいぎ)」は、明治以降の法令文書等に使われていた書き言葉。

「半玉(はんぎょく)」とは芸子(芸妓)の見習いで修行段階の者を指し、東京や関東地域での年少芸妓の呼称。京都では「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

「お座つき(おざつき)」「お座敷をつける」とは宴席に入っている芸者衆が、お座敷の途中で披露する季節の踊りや小唄振りなどの踊りのこと。 演目の予約を受けて特別に見せる出し物は「余興」と言われる。

 芸者が寝泊まりしている家を「芸者屋」といい、芸者が寝泊まりしないで、そこに籍を置いて通って来る店を「置屋(おきや)」とされている。

 京都などの確りした土地には「見番(けんばん)」という組合事務所が在り、芸者も出先きも、その進退や「玉代」の精算などはこの見番を通す仕組みになっていて、芸者が出先きでトラブルがあると「籍止め」される。

「玉代(ぎょくだい)」とは芸者を呼ぶのにかかる料金で「花代(はなだい)」ともいう。 江戸時代に「線香何本分」と、線香の燃える時間を目安にした名残から、年配の芸者は今でも「線香代」と言うこともある様だ。

「出」の着物というのは芸者の正装で裾を引いてるものがそうだ。その裾を広げて上に載せての性行為が「孔雀の舞い」といい、帯を締めたまま行為に及ぶのが「コブ巻き」など色々な隠語がある。

 座敷で直ぐに「転ぶ(寝る)」芸者は「不見転(みずてん)芸者」といって、いい玉ではない。銀座でも「特攻隊」などと呼ばれているホステスがいるが、まぁ愚生的には嫌いじゃない(笑)

「お茶っ挽(ぴ)き」とはよく飲み屋で聞くが、暇な芸者がお茶の葉を臼で挽かされたことが語源で、暇な事を意味する。

「幇間(ほうかん)」とは宴席で主や客の機嫌を取り、自ら芸を見せ、更に芸者(半玉、舞妓)を助けて場を盛り上げる専門職。所謂、太鼓持ちのこと。

 最近は政治家の世界でも相手の顔色を窺って機嫌を取るのに必死なのがいるが、安倍のトランプへの諂いぶりは正に幇間そのものだった。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:08|PermalinkComments(0)

2017年11月13日

終身保険に入ってて「一日一生」ってのもどうなのよ(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

「覆水盆に返らず」という言葉がある。原義は「一度別れた夫婦は元には戻らない」という意味。なってしまったことは悔やんでも仕方ない。くよくよしてみたところでどうにもならないということだ。

 イエス・キリストは「一日のことは一日にて足れり」と言う。つまりは「一日主義」、カッコいい言葉でいうと「一日一生」。右翼人には「一日一生」とカッコつけながら終身保険に入ってるなんてのも多いですが(笑)

 今日のことは今日、全力を挙げてやり通す。昨日のことは過ぎたことと諦めて今日一日に全力を尽くす。明日からのことを思い煩ってる場合でもない。

「杞人の憂い」という言葉がある。意味は「昔、杞の国の人が年中心配ばかりしていた。天が落ちて来たらどうしよう。地が裂けたらどうしようという具合に、大袈裟な心配ばかりして暮らしていた」ということから「杞憂(きゆう)」という。

 現実に有り得ないことを大袈裟に心配していることを「杞憂」という。要は「取り越し苦労」ということだ。

 失敗や体験したことを思索したり考えを廻らすことは好いが「馬鹿の考え休みに似たり」とか「案ずるより産むが易し」ともいう様に、考えたところで好い案が浮かばないなら時間の無駄でしかない。

 悩みなんぞ自分が考えてるよりも重いものでもなく、意外とどうにかなるものだ。悩みも「不幸は幸福の源泉」と思えば道は必ず拓ける。

 難問題が山積みで、幾ら考えても打開策が見出せないのならば、パ~っと酒でも呑んで寝てしまうのが好い。陽気に飲んで騒いで寝てしまえば、翌朝には案外と好い案が浮かんで来るというのはよくあることだ。

「何かやらなければ」「何か考えなければ」と焦っていると、余計に解決策が浮かばないものだ。便所や風呂で一息ついてる時やふとした時に、「何か閃いた」なんてことはよくあることだ。

 悩みや壁にぶち当たったと思ったら慌てないこと。失敗してもくよくよしないことが大事。こうしたことは試練というより、人生の好い勉強だと思えばいい。悪いことなどそうは続かないものなのだから。

「これを転機に、俺の人生もいい方向へ向かうのだ」と言い聞かせて努力前進することこそが大事なことでもある。

「男はつらいよ」の歌に「男というもの辛いもの、顔で笑って、顔で笑って腹で泣く、腹で泣く」という一節があるが、アレは好い。

 辛い時、泣きたい時には笑うに限る。その笑いは、クスッとニヤケたものではなく、高笑い。この高笑いに男の甲斐性を垣間見る。

 因みに「ニヤケ」とは「若男」と書く。本来の意味は、男が艶めかしい様子をすること。男色の相手をいう。または肛門を指す。そう、ニヤケるというのはゲイやホモがその笑顔を見て勘違いしてるかもよ。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:10|PermalinkComments(0)

2017年11月12日

情けは人の為ならず 巡り巡って己が為

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

「情けは人の為ならず」という格言を「情けをかけることは、結局その人の為にならない」という意味だと思っている者が多い。だが「情けは人の為ならず」には「巡り巡って己が為」と続く。ここまで教えれば間違えることはない。

「借りたカネは忘れるな!貸したカネは忘れろ!」とは田中角栄。角さんはカネを借りに来た人にはその貸すカネにプラスして渡したという。

「くれたと思ったらそれは死に金。余分に渡すことでそのカネが生きたカネとなる」という信念を持っていた。田中角栄の政治家としての正否はどうあれ、あれだけの気遣いを出来る男というのはそうはいない。

 料亭政治の先駆けともいうべき政治家だが、飲む際には女将や料理人は勿論のこと、仲居や下足番にまで「心づけ」を渡した。その際には必ず「ありがとう」の言葉を添えたという。

 その昔、池波正太郎の「男の作法」を読んで、鮨屋や食事の作法、書かれてる一挙手一投足を真似したいと思ったもので、都内の老舗を始め池波正太郎が通ったという店にも随分と通ったものだ。銀座数寄屋通りのクラブにも行ったなぁ(笑)

「男の作法」は、今の時代には合わない個所もあるが、三十代までには読んでおくべき名著だと思う。

 池波正太郎の書生だった佐藤隆介も池波直伝の「男の心得」を著しているが、アレも中々面白い。何事も尊敬する人や好きな人の仕草、立ち居振る舞いを真似てみるというのも大事なことだと思う。

 心づけでいうと、鬼平犯科帳の長谷川平蔵の何気ない渡し方が完璧で、アレは池波正太郎の普段の姿をダブらせたものだろう。

 鬼平犯科帳の処世術は実に参考になる。例えば、礼金にしても「相手が恐縮する程の金を渡さなければ意味はない」というのには刮目した。

 愚生の周りには、世話になりながらボランティアだと思っている人や、僅かな礼金で事を済ませ様とする輩が多いが、過分な礼金を払うことで相手への感謝と敬う気持ちが伝わるのだと思うが如何だろう(笑)

 愚生も長谷川平蔵や角さんほどの真似は出来ないが、慢性的不如意でも財布にはポチ袋を3個ほどは持ち歩く様にはしている。

 何処の店でも渡す訳ではないが、雰囲気が好い店や、接客などが丁寧な店では勘定した後にコソっと渡す様にはしている。

 心づけを渡したくもない店もあるし、渡しても何も感じ入ることのない感謝に乏しい店も在るのも確かで、そんな店には足が遠退き、店も寂れる。

 高が「心づけ」だが、意外に渡すのは難しいもので、これを偉そうにではなく、何気に渡すことが出来ればもう男としても飲兵衛としても一丁前だ。

「お釣りは要らないよ!」とか、これ見よがしにチップを渡している社長さんなどを見かけるが、アレは野暮、不粋というもの。

 釣り銭は有難く貰った後で、別に準備しておいたポチ袋に入れた心づけを手渡す、これが好い。喩え千円、二千円の僅かな心づけでも悪い気はしない。

 心づけは相手に対しての感謝の記しと気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した(次に行った)際には此方を覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。

「情けは人の為ならず」ではないが、その心づけという気遣いや気配り、感謝の気持ちが「巡り巡って己が為」となって返ってくる。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:40|PermalinkComments(0)

2017年11月11日

昭和19年11月8日、神風特別攻撃隊に続いて回天特攻が実戦に投入された

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 昭和19年11月8日、神風特別攻撃隊に続いて回天特攻が実戦に投入された。祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は正に祖国愛の極致である。

「菊水隊」の12基が、山口県の大津島基地から敵主力基地が在る西カロリン諸島のウルシー泊地とパラオに停泊中の敵艦隊を目指して出撃した。

 回天は搭乗員1名が魚雷を操縦して必中を期す、所謂「人間魚雷」で、出撃すれば生きて還ることはない。特攻艇の搭乗員は、航空隊員であった学徒兵や予科練習生などが中心だった。

 特攻艇には、小型の合板製高速モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する特攻艇「震洋」というものもあった。

 特攻作戦では神風特別攻撃隊を始めとして、様々な作戦に因り3972名もの若者が尊い命を捧げた。現在の我が国の平和や繁栄は、あの時代に生きた純真無垢な若者の尊い犠牲の上にあることを我々は決して忘れてはならない。

 昭和20年4月1日、米軍はついに沖縄に上陸。それを迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員、更には、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開した。

 本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動、更には「回天」等の特攻作戦を展開するも決死の戦闘空しく、同年6月23日組織的沖縄戦は終結した。

 沖縄戦では特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻などの特攻部隊が重要な役割を果たし、鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で実に1036名が散華された。この数は特攻戦死者3972名の実に76%に当たる。

 沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダが蔓延っているが、いい加減県民も被害者意識を捨て歴史の事実に目を向けたらどうだろう。

 回天を四基搭載した「伊三七潜」が爆雷により悲惨な最期を遂げ、日本軍約1万1千人が玉砕したパラオに二年前、天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされ御霊を鎮められた。特攻作戦を始め、南洋のパラオで草生す屍となった英霊と遺族にとっての感激と光栄これに優るものはなかった。

 数年前、戦跡慰霊を兼ね九州を放浪した。長崎県佐世保の上田崇仁先輩の車で諫早へ向かう途中、南方からの引き揚げ者が降り立ったという川棚町南風港に立ち寄り、この地から出撃した回天特攻の慰霊碑に首を垂れた。

 その後は、鹿児島県の万世、知覧の二つの特攻平和記念館を訪れて英霊に感謝の誠を捧げ、宮崎では、畏友に回天特攻の訓練地だった南郷湾内に建つ慰霊碑に案内された。慰霊碑から望む湾の光景を忘れることはない。

 この涙悲しく 留まりて零れることなし。合掌。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:13|PermalinkComments(0)

2017年11月10日

食べ物を大事にしないということは命を大事にしていないこと同じ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

「食べ物を大事にしないということは命を大事にしていないこと同じ」との某老女性料理家の言葉を思い出す。食を軽んじるということは、命を軽んじることに繋がるというのは何となく理解出来る。

 箸をまともに握れないのも、鯔のつまり、食というものを軽んじ、腹に押し込めば好いくらいにしか考えていないからだろう。

 愚生も料理は好きでジャンルは問わず色々作る。自己流だが料理はストレス解消にもなるし、コンビニやファミリーレストランとかの化学調味料だらけの食べ物よりは美味しいし健康的だと思っている。

 レトルト食品やインスタントラーメンでも、ちょっとでも美味しく食べようと工夫してみることは脳の活性化にも好い。

 美味しいという味覚は、やはり美味しい料理を知らなけりゃダメで、それには偶には食べ歩きをしなきゃセンスは磨かれまい。

 毎日、安い外食をするなら、自宅でおにぎりや弁当を作って持っていけば昼飯代は浮くし、それが500円なら一週間で3500円になる。3500円あれば寿司にしろ贅沢な昼飯を食べられるだろう。

 そうやって自分に投資して、自分を高めに置こうとする努力は若い頃には必要で、貯金なんぞ30~40歳から考えれば好い。

 始めて会う人の嗜好は、その人が行く料理屋で分かるし、食事の作法でその人が育った環境や人となりが窺い知ることが出来る。

 別に安くても好い焼鳥屋や酒場とかは在るもので、それを初対面でいきなり大手居酒屋チェーンなんかに連れてかれたら興醒めだし、そんな大人と付き合っても意味はない。

 男子たるもの贔屓の店の2.3軒は無くてはならないし、行きつけのバーや好きなジンの銘柄くらい知ってて損はない。

 始めて行く様な高級料理屋に行ったところで、見せかけだけの上っ面だけでその人の人となりなんぞ分かるまい。

 特に女性がその男性を知りたいなら、馴染みの店に連れてって貰うことだ。その男性に対する店側の対応やその人の嗜好や振舞いを観察すれば凡そのことは知ることが出来るだろう。

 男女の仲は価値観が似ているというのが好いが、食の好みが合うというのが一番。性の相性なんぞ若い頃だけで、SEXしてるうちは本物の夫婦愛ではない。子供が出来たら仕事とSEXは家庭に持ち込むな(笑)

「これが最後の食事だと思って食べろ」とは池波正太郎。やはり「食」は一期一会、真剣勝負であらねばならないのだ。

 愚生の人生も終盤に差しかかった。これからの残りの人生でどれだけの「食」に出会うか知らないが、「これが最後の食事かも」との人生観を以て清々しく生きて行きたいものである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:25|PermalinkComments(0)

2017年11月09日

韓国政府、晩餐会に元UN専属の慰安婦を招待し竹島産の海老を提供(失笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 韓国政府主催の晩餐会に元慰安婦が招待され、竹島(韓国名・独島)の名前を冠した「独島エビ」を提供したという。

 韓国というのは何故にこうも国際的常識が欠落しているのだろう。それ程までに日本が難いなら、米国の意向なんぞ関係なしに、日本との国交を断絶すれば好かろう。日本との国交断絶は我が国にとっては願ったり叶ったり。

 慰安婦という元売春婦を晩餐会に招待し、然も日本軍に騙された可哀想なオモニ達なんだということをアピールしたかったのだろうが、1951年から61年にかけ「東亜日報」にUN軍相手の慰安婦募集の記事が載っている。

 韓国に駐留する国連軍に韓国が国家として慰安婦の提供をしていた事実を報じたものだが、韓国こそ国ぐるみで他国の軍隊に慰安婦を斡旋している。

 今回招待された元慰安婦の婆さんは88歳だという。戦後72年経つが、つまりこの婆さんは15歳より前から慰安婦だったということだが、ということは日本の軍人ではなく、戦後のUN軍や米兵相手の慰安婦じゃね~の(苦笑)

 慰安婦がトランプにハグをし、トランプも応じる。トランプもまさかこの婆さんが元売春婦だとは思ってもみなかったのではあるまいか(笑)

 トランプの隣で文在寅が満面の笑みでしてやったりの顔をしていたが、己らの無知と厚顔さを世界にアピールした様なものだろう。そうした恥を、恥と思わないところが韓国人の人となり、性悪さを現している。

 晩餐会の料理は激辛の朝鮮料理ではなく宮廷料理が提供された。竹島産の海老はチャプチェで提供されたというが、画像では茹でただけの様に見える。まあ、変な調理をするくらいならシンプルな茹で海老が美味しい(笑)

 元々朝鮮半島というのは支那の支配下に在り、李氏朝鮮の創設者・李成桂は明の武将。手柄を立て朝鮮半島を譲り受けた。従って、中国料理の流れを汲む宮廷料理が本来の韓国料理で、激辛の唐辛子を使った料理は日本の影響が大きい。

 文字も古くは韓国内では漢字が使用され、ハングルは使用禁止。このハングルを朝鮮民族の文化だとして復活させたのは福沢諭吉ら日本の先人達だ。

 支那の属国だった韓国が、習近平やトランプへの二股主義を採るのは当然で、我が国は日米同盟を重視すれば好いだけで、日米韓となれば別な話し。韓国が対北朝鮮に対して足並みを乱すなら、韓国はスパイ国と見做し同盟国から排除すべき。

 万が一、北朝鮮が韓国に軍事侵攻し、核攻撃という事態になれば朝鮮半島から多くの難民という密入国者が押し寄せるだろうが、戦後の悪しき前例を教訓に、人道的措置ではなく、難民救済は断固として拒否するべきだだろう。

 それにしても、未だに慰安婦は日本からの無心の打ち出の小槌の如くカネになると思っているが、「ライダイハン問題」を抱えながら、ベトナムに対して謝罪も補償もしない韓国に、慰安婦問題で我が国を責める資格など無い。

 嘗て「反共」を国是とした朴正煕政権下では、ベトナムでのこうした蛮行も犯罪ではなく英雄的行為とされた。共産主義者との戦いと弾圧は熾烈さを増した厳しいもので、女性子供であろうが情けは無用との認識だったのだ。

 韓国が日本の残虐性をアピールしようと慰安婦問題を取り上げる度に、韓国がベトナム人に行った残虐行為と破廉恥行為が世界に広まって行く。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:02|PermalinkComments(0)

2017年11月08日

更なる米国依存、更なる米国への忠誠を示す安倍亡国内閣

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 来日中のトランプ大統領との日米首脳会談が迎賓館で行われ、対北朝鮮への圧力強化や対日赤字解消の為に米国製武器の購入で合意し、安倍も自慢げに「嘗てないほど、日米関係の絆が深まった」と悦に入る。

 戦後、領土防衛という大本を米国に依存し、まやかしの平和を享受して来た我が国が、今更、米国抜きで対北朝鮮や対中、対韓外交をやれる筈もなく、歪ではあるが日米軍事同盟というカタチには異論はない。

 反米右翼は日米安保条約の即時解消を訴え、対米自立を叫んでいるが、日清・日露や第二次世界大戦時にも日英同盟や日独伊三国同盟などもあった訳で、軍事戦略上は日米同盟も間違ってはいない。

 安保条約に基いて米軍が日本国内に駐留しようが、米軍によって日本という国柄が壊されることはない。

 それよりも、モリカケ問題の陰で可決された「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」並びに「農業競争力強化支援法」や、戦後、米国が謀った対日弱体化工作の方が遥かに問題だ。

 確かにヤルタポツダム体制打倒は訴えてはいるが、都会に住んでるからか彼らの口から我が国の農業が語られることはなく、国柄の崩壊を招く「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」より、出来もしない領土防衛に主眼を置く。

 国家の大本は「国防」と「教育」であるが、国防とは単に領土主権の防衛のみならず、未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度を護り抜くことであり、畢竟、それは皇統を死守することだ。

 自衛隊を巨大な警察機構として存在を明らかにするのではなく、皇統を護る上でも国軍とすべきであり、国軍とは皇軍で在らねばならないのだ。

 教育にしてもカネの分配ばかりで教育の中身が論じられることが無く、米国製の教育委員会を有り難がり、戦後教育の誤りを一向に改めようともしない。

 教育荒廃の元凶である日教組も、日本国憲法 28条の労働基本権の理念に基き制定された「労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)」に従って設立したものだが、これも米国に因る策謀である。

「労働者の保護」という目的で労使関係を規定し対等的労使関係の基礎となっているが、その実は、労働三法に因って守られた労働者によるストライキによって日本企業の生産低下を狙ったものというのが真意だった。

 だが、その結果は嗤えることに、全国に労働組合が乱立し、米国が作った法律で守られた労働者らが、あろうことか今では「反米」「反基地」を唱える始末で、労働三法は反米闘争の闘士を育ててしまうという皮肉な結果となった。

「飼い犬に手を咬まれる」とはこのことだろう(笑)

 その昔、親米右翼の大日本愛国党総裁・赤尾敏は「アメリカは日本の番犬だ。番犬にはエサは必要で、いい番犬ほど金はかかるものだ」とアジっていたのを思い出す。今やその番犬も高齢となり、ヨボヨボでボケ始め、エサばかり欲しがってる。飼い犬に噛まれてからではもう遅い(笑)

 米国という国は何事も自分達の利益だけを考える国であり、喩え今日の夕刻までは友人であっても明日の朝にはもう敵となってしまっても、それを少しも不条理とも不道徳とも恥とも思わぬ国だ。まあそれが国益というものでもあるが(笑)

 トランプが安倍を友人であると持ち上げるのは、それが米国(自分)の為に有利であるからで、日米安保条約も米国にとってアジアの戦略上、日本という国と地域が必要なだけで、その他の如何なる大義名分も付けたりに過ぎない。

 安倍が、トランプの御機嫌を採る為に米国製の武器を購入するのは勝手だが、米国への忠誠として我が国が古来より培ってきた種子を廃止して米国に丸投げし、米国企業の参入を謀ったことは万死に値する。

 豊葦原瑞穂の国という国柄が崩壊する危険性を孕んでいる種子法の廃止を、日米同盟の為に何故にそこまでやる必要があるのだ。安倍がやってることは単に米国依存体制の強化であり、米国への更なる忠誠、否、対米追従に他ならない。

 いつまでも「米国のポチ」であってはならないが、かといって中共の犬はもっと酷い。ポチはまだペットだが、中共の犬は食用犬だろう(苦笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 08:00|PermalinkComments(0)

2017年11月07日

大体「右(right)」というのは、ヨーロッパの言葉では「正しい」という意味なんだから(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 正統右翼浪人を気取り、由無し事を徒然なるままに偉そうに綴ってはいるが、大学卒業以来就職もせずにいる単なるプータローに過ぎない。

 中学時代に右翼に興味を持ち、高校時代に国士舘大学三年生で国防青年体の廣瀬某が当時の首相だった大平正芳の殺人未遂事件を起こし、翌日の新聞に「インスタント右翼」などと揶揄した記事がデカデカと載った。

 この事件で国士舘大学~右翼団体に入ろうと決意。出来ることなら総会屋にも興味があり、出来ることなら、当時、愚連隊右翼で総会屋の世界でも名を馳せていた防共挺身隊に入隊したいとも思っていた。

「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもので、入学するといつも同じ授業に出席してるフケてるおっさんがいた。名前は上田崇仁、皇族の様な名前だが工学部の四年生で、防共挺身隊羽田支部の隊員だった。

 この上田が愚生の右翼人生を決定付けた張本人といっても好いだろう。その上田は四年で卒業出来ずに中退し、故郷の長崎で実家の建設会社に就職。その後は地元の町会議員にもなった。

 愚生も死んだ親父には「政治に興味があるなら天野光晴(元建設相)の秘書でもやって勉強すれば市会議員くらいにはなれんだぞ」と諭されもしたが、その頃は幼い正義感もあって右翼こそが真の日本人だと確信していた。

 まあ、右翼団体に入ってみたら、それこそヤクザにもなれないハンパものばかり。総会屋になる夢も大学四年生の時に商法が改正され頓挫。時代といえばそれまでだが、運の無さは生まれもってのものだろう(笑)

 それでも人生なんぞ短いもので、一旦決めたことは何があろうが遣り抜こうと決心し、団体は辞したが現在に至る。

 現在の右翼の世界は頭でっかちというか、志士を気取りながら安定した生活を追う様になって面白味が無くなった。昔の愚連隊時代に戻って欲しいものだと思っているが、このままじゃ右翼そのものが淘汰されて行くだろう。

 そういやその昔、三島由紀夫は右翼についてこう語っている。

「筋の通ったことを言えば、皆右翼と言われる。大体『右』というのは、ヨーロッパの言葉では『正しい』という意味なんだから(笑)」

「右翼」というと、日本ではイコールヤクザとかバカと捉えられる。ネット右翼の連中は我こそが愛国者なるぞと、既成右翼を「朝鮮右翼」と詰るが、右翼を批判する連中が右翼というものを真に理解していないからそうなる。

 三島でなくても「オーライ(all right)」は、「よろしい」とか「差し支えはない」「任せろ」という意味になる。要は、全ての日本人が右翼になれば、正しくて好ましい国になるということか(笑)

 まあ、簡単にプータローというが、愚生のこの慢性的不如意と多額の借金を気にしたら普通の人なら自殺するだろうな。そういう意味では、理論武装というよりも日々精神的鍛錬を実践している様なものか。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:46|PermalinkComments(0)

2017年11月06日

「十五夜」は知ってても「十六夜」というのは余り知られてはい

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 何も用事なければ夜の8時には寝て4時前後に起きる。最近は日の出が遅いので明るくなるまで布団の中でスマートフォンを弄っていることもある(笑)

 こうした生活を「早いですね!」「健康的ですね」などと嗤われもするが、10時に寝て6時に起きる人と睡眠時間は同じだろう。古来、暗くなれば一日が終わり、日の出と共に一日が始まるというのが日本人の生活だった。

 遅くまで起きてて、くだらないニュースやテレビを観ては悲歌慷慨している人がいるが、だったら見なきゃ好いのにとも思う(笑)

 反原発派や自称自主避難者らは愚生を見倣って、早寝早起きして無駄な消費電力を減らす努力を実践すべき。序に言わせてば「少子化対策」も、早寝早起きというか強制停電すれば効果絶大に違いない(笑)

 昨夜は「十六夜(じゅうろくや、いざよい)」。十六夜とはその名の通り、十五夜の満月の次の日の月。新月から数えて16日目の月をいう。

 こうした神々しい月を盃に映して月下独酌と浸りたいが外は薄曇り。それよりも昨夜もいつもの様に心地好く酔っ払い早々に寝てしまった(笑)

 秋の満月というのは何処か寂しげで好い。でも、「十五夜」は知ってても十六夜は余り知られていない。十五夜にしても「中秋の名月」ばかりで、他の月にも十五夜はあるが何故か重宝されない。

 十五夜を見た人は十六夜を見ないと、それは「片目月」といって縁起が悪いらしいが、要は十五夜と翌日も酒呑んで愉しめということか(笑)

「天高く馬肥ゆる秋」というが、秋の空気はとても澄んでいて空が高く見える。これは夏に比べて湿度が低く水蒸気が少ないことがその理由。冬も空気も澄んではいるが、月の位置も更に高く気候的にも寒いので外で月を愛でるには不向き。

「実りの秋」という様に、秋は収穫を迎える時期であり、収穫を太陽や月に感謝するという日本人にとって中秋の満月は豊穣の象徴でもあったのだ。

 秋には皇室では収穫を祝う神嘗祭が行われるが、一般家庭でも団子や里芋などを備え、今年の実りに感謝し、宴を催したともの自然に感謝する日本人の現れであり、現代ではそんな風習は消え去り、ハロウィンに現を抜かしている。

 中秋の満月は旧暦の8月15日とされている。今年は10月4日だったが、満月だったのは正式には翌日の10月5日だった。

 昔は、十五夜や十六夜の他にも十九夜、二十三夜、二十六夜などの満月を待ちながら宴を催したという。江戸時代には月を神仏の信仰にした「月待講」というのもあったらしく、宴会好きは日本人のDNAらしい(笑)

 こうしたことでも日本人は太陽だけではなく、月と共に暮していたことが窺い知ることが出来るし、四季折々の季節を愉しんだ。

 旧暦というのは月の満ち欠けで1ヶ月を現した。月が地球の周りを1周するサイクルが29.5日ということで、1ヶ月は29日か30日。つまり、四年に一度の閏年と同じで1年が13月になることもあった。

 明治5年(1872年)、新政府はそれまでの月の満ち欠けを中心にした太陰暦を切り替えて、太陽暦のグレゴリオ暦(西暦)を採用し、当時の12月3日を明治6年の「元日」と決めた。

 月の満ち欠けで表してた旧暦が1ヶ月間が30日や31日、2月に至っては28日で4年に一回は29日と、一年が12ヶ月と決められたのだから大きな混乱や支障が生じただろうことは想像するに余りある。

 月の満ち欠けで1ヶ月を表した旧暦は実に太古の浪漫を感じさせる。現代人も西暦ばかりではなく、月齢などと共に生きるとまた違った日々が見えて来るかも知れない。ってか、それより最近、空を見上げてますか?

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:33|PermalinkComments(0)

2017年11月05日

武道や芸事の世界では「守・破・離(しゅ・は・り)」の意味を重視する

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 茶人・山内宗二が記した「茶湯年来稽古」というのがある。

「十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデハ我ガ分別ヲ出ス。四十ヨリ五十マデ十年間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスル也。其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師ノ如クスル也。名人ノ所作ヲ万手本ニスル也。七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也」

 凡その意味は、15歳から30歳迄は師の教えを忠実に守り、30歳からは自分なりに思索し、40歳からは師の教えとは逆にやってみる必要があるということ。50歳からは師の如く振る舞うことで己も名人の域になれるということだ。

 この教えの基となっているのが、宗二の師である千利休の「守・破・離」の心である。武道や芸事の世界ではこの「守・破・離」の意味を重視する。

「守(しゅ)」とは「修める」ことであり、師の教えや古からの教えを学び、修行によって技芸を身に付けること。

「破(は)」は、そうした今迄の既存の概念や枠組み、秩序というものを破壊してみること。要は、固定観念を棄てること。

「離(り)」とは、師匠や既存の教えから離れて、自分で思索して自身の型を創造してみること。この新しい発想が未来へ繋がる。

 つまり、伝統を重んじる武道や芸事とあろうと、単に伝統を守り伝えようとするだけでは、結局のところ伝統を守れなくなってしまうということでもある。

 今に伝えられてることは、古より先人が失敗に失敗を積み重ねた中で、思索して厳選して遺したことでもある。

 こうした先人の当時の悩みや困難を少しも考えずに学ぶということは、大きな失敗もせずに近道で辿り着こうとしているということでもあり、そんな楽な修行で好い筈があるまい。

 況してや師の教えだけ学んだところで、師や先人が辿り着いた処からは先へ進むことは出来ないだろう。ここで初めて「破」と「離」が必要となってくる。

「温故知新」という言葉があるが、古きを訪ねて新しきを知るには、やはりそこから突き抜ける努力が必要なのだ。

 伝統に学び、根本的な精神を後世に存続させて行くには、新しい息吹を注入する必要があり、そうすることで伝統が再生し、更なる伝統となって受け継がれて行くのである。伊勢の遷宮である「床若(とこわか)」という教えがそれである。

 唯、闇雲に新しいことをやれば好いというものでもなく、古に学び、習得し、それを確り護るというのが大事。武道や芸事に限らず、何事も確りした土台がなければ、伝統を後世に存続させて行くことは出来ない。

 現在の我が国の政治に欠けているのも古の教えであり、安倍を筆頭に未来志向の新自由主義者ばかり。国家というのは未来が全てではなく、過去を振り返り、そこから学び、未来に生かすことこそ大事。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものであるが、我が国の保守派の過去というのは精々戦前まで。だから国家観が安っぽくなる。

 我が国の保守派に足らないのは正に守破離の教えである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:58|PermalinkComments(0)

2017年11月04日

「文化の日」は第二の「憲法記念日」と言うのが正しい

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 11月3日は「文化の日」であり、その趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」として制定された祝日である。皇居では文化勲章が下賜され、順次、旭日大綬章などが授与される。全国では文化に功労が著しい方々が叙勲される。

 だが「文化の日」のその実は、昭和21(1946)年に日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨めるの日なら理解もするが、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは正に戦後占領政策の忠実な実行と詭弁以外の何ものでもない。

 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述がある。だが「平和を愛する」という感情と現実的に平和を守るというのは違う次元であり、護憲派を筆頭に、現在の我が国の平和は現憲法に因る処が大きいと奉るが、現憲法こそが平和を阻害する元凶となっている。

 日本国憲法は、建前上は日本人自身による新憲法の制定となっているが、事実は大日本帝国憲法(欽定憲法)の改正によって創られたものだ。

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

 上記の大日本帝国憲法第七十三条により日本人自身が制定したこととなっている。昭和21年11月3日、帝国議会に於いて昭和天皇は次の様に下賜された。 

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」

 だが、当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの「押し付け憲法」と言われる所以でもある。

 本来、11月3日は「天長節」であり、戦前には国民挙って奉祝した日本人の記念日に敢えて現憲法を公布させたということに「未来永劫、大事に奉りなさい」という米国の如何わしい意図が窺える。

 占領統治時代にはこうしたことが度々実行されている。例えば、昭和21年に開廷された「東京裁判」で、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは、同年4月29日の「天長節」だった。そして、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日を選んで東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を明治天皇の誕生日に、そして大東亜戦争の責任を取らされた英霊の死刑執行を現在の天皇誕生日に選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。

 保守派や愛国団体の中には、本日を「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。

「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しい神社であるかといえばまたそれも疑問である。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。しかし、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し営利目的から一宗教法人となった。

 明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 だが、それは詭弁であり見苦しい言い訳に過ぎず、神社庁での主導権争い確執の末の離脱というのが真相で、これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左である。

 全愛国者は戦後占領政策の様々な欺瞞と不条理を検証し、真の主権国家の創造を急ぐと共に天皇国日本を盤石の安きに置く歴史的使命を果たそうではないか。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:35|PermalinkComments(0)

2017年11月03日

国の為 たふれし人ぞ あるこそを 今の若人 育ち来らん(山口二矢)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢の命日である。生きていれば74歳、麻生太郎財務相より3歳も若い。現在の右翼陣営の低迷を鑑みれば、山口烈士や野村秋介の様な指導者がいないことが悔やまれる。

 天皇国日本を盤石の安きに導く使命を有するのは右翼陣営であり、活動家らを扇動するカリスマ右翼指導者の出現を待望して止まない。

 二矢は、昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名した。崇拝している人物はアドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、二矢は大日本愛国党に入党。だが赤尾総裁のパフォーマンス的運動方針に疑義を感じ、翌年5月に同党先輩だった吉村法俊、中堂利夫らと愛国党を脱党し、防共挺身隊総隊長の福田進を頼り、身を寄せる。

 後に、銀座・鳩居堂の二階に吉村、中堂らと「結成した全アジア反共青年連盟」の事務所を構える。団体の後見人として福田進が資金面などを支援した。浅沼稲次郎刺殺事件後は、吉村・中堂の二人は右翼から退き、後に共に人気作家となった。

 同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく、唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。

《辞世》

【国の為 神州男子晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路】
【大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ】
【千早ぶる 神の御世代とこしえに 仕えまつらん 大和男子は】
【国の為 たふれし人ぞあるこそを 今の若人 育ち来らん】
【しきしまの 大和男子と生まれなば 進まん道ぞ 一ツなりける】

 テロ行為を否定するが、若し、二矢が警鐘を鳴らさねば日本社会党の勢いは止むことなく、多くの国民が浅沼らの美辞麗句に騙され、社会主義の犠牲者になってただろう。今や日本社会党は消え去り、残党である社民党も風前の灯火。この現実こそが、二矢の憂国の至情が間違いで無かったことの証でもある。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれる。この行動こそが正に正気の狂気である。すめらみこといやさか。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:30|PermalinkComments(0)

2017年11月02日

我が国の収穫祭も祝わないのにハロウィンに浮かれてる不思議

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 世の中、何処も彼処もハロウィンが流行している様だが、日本人として何の収穫を祝い、何の悪霊を追い払うのか全く以て意味不明という他はない。

「流行とは本来は病気という意味である」とは蓋し正論。ハロウィンなんぞホントバカげてるとしか言い様がないが、収穫を祝うというより、流行に便乗して仮装パーティで憂さ晴らしをしてると思えば合点も行く。

 10月17日の「神嘗祭(かんなめさい)」は、天皇陛下がその年の新穀を皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉ら神恩に感謝される大祭であり、我が国の収穫祭である。

 この奉られた新穀を天神地祇に供え、陛下御自身も召し上がる神事が、今月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」である。

 GHQの策謀により11月23日は「勤労感謝の日」となってはいるが、その意味は、労働(勤労)に感謝することではない。その勤労によって生み出される農作物を始めとした万物の生産を祝い、神の恵みに感謝するという趣旨である。

 豊葦原瑞穂の国という国柄を考えれば、「勤労感謝の日」というより、「新嘗祭」という名称こそが相応しい。

「種子法廃止」は日本古来の種子の廃止であり、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章であるといえるものだったが、安倍亡国内閣は続いて「農業競争力強化支援法」の成立を謀った。

 種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度であるが、種子法廃止により、日本古来の種子は廃止となり、米国モンサント社の独壇場となる。

「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通ったが、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであるが、驚くことに外資等の規制はしていない。

 つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を伴うということでもある。

 こうした我が国農業の崩壊と食糧安保の放棄という大問題に、農本主義を重んじるべき右翼民族陣営から抗議の声すら聞こえて来ないのは、ハロウィン同様、米国の戦略に載せられてしまっている証左である。

 日米安保条約には拒否反応を示す連中も、「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」には沈黙するのは何故なのか。

 対米自立を訴えるなら、日米安保条約廃棄同様「種子法廃止法案」や「農業競争力強化支援法」の危機感を共有すべし。

「何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」という格言がある。ハロウィンくらいなら未だマシだが、種子法廃止法案や農業競争力強化支援法成立という現実は「何でもないこと」ではない。

 米国で、イスラム原理主義を盲信するテロリストがハロウィンの仮想パレードに車で突入して轢き殺したというテロ事件があったが、これも米国の不正義と傲慢さに耐え難い苦痛を味わってる人々の心の叫びでもあるのだ。

 関係のない一般市民を標的にするテロ行為を正当化することなど出来ないが、そうした一方で、自分勝手な正義を押付け、我が物顔で世界を伸し歩く傲慢不遜な態度を改めない限り、こうしたテロは治まることはないだろう。

 今や米国の自己中心的不正非道に苦しむ非西洋諸国の多くが、米国を唯一最大の外敵であり脅威と考えている。

 圧倒的な軍事力を背景に政治、経済、外交とあらゆる面で強圧的な対外政策を執って来た結果、米国は傲慢となり、世界から反発を招く結果となっている。

 だが、米国自身が「無法者の超大国」だと気付くことは無く、テロ根絶の名の下に更なる弾圧が続けば、悪の連鎖は果てしなく続くだろう。

 あの「9.11同時多発テロ」は、傲慢な米国へのウサマ・ビン・ラディンらによる警鐘乱打であり、米国の不正義の下で呻吟している人々の多くがは9.11テロを涙と歓声で賞賛したことを忘れてはならない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:18|PermalinkComments(0)

2017年11月01日

「天皇を頂く我が国こそが世界の中心である」

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 仏教に「須弥山(しゅみせん)思想」というものがある。須弥山とは世界の中心に聳え立つ高山で、その頂上には帝釈天が住むという世界観である。

 輪廻にかかわる世界全体を表す「三界」と呼ばれる世界の最も上位にある「無色界」の更に最上位の非想非非想天と呼ばれる領域を「有頂天」という。

 我が国の「神国思想」は、この空想的な世界観である須弥山思想を日本に当て嵌めることによって、「天皇を頂く我が国こそが世界の中心である」という教えに導き、人々も日本こそが特別な神の国と信じる様になった。

 鎌倉時代末期、当時、全世界規模で支配力を強めていたモンゴル帝国が日本に襲来した際も、二度の台風によってモンゴル軍を敗走に導いたのは台風を「神の吹かせた風(神風)」と解釈したことで一層流布した。

「神国思想」では、国土を「神州」、国民を「神裔=神の子孫」、国権を「神授=神から委託された権利」というが、国民は神の子として「子が親に孝養を尽くす様に、国民が国に尽くすのは真剣な感情である」との教えに辿り着く。

 教育勅語も正にこの教えであるが、この神国思想を否定する左翼勢力や反皇室活動家らはこうした根本的な教えも拒絶する。

 何故に拒絶するのかといえば先の大戦と神国思想を結び付けてるからだが、これは戦後の米国に因る民主主義教育という洗脳が大きく影響している。

 遡れば、長州閥の明治新政府が、殊更に天皇と「神国思想」を政治的に利用した反動というのも一因に挙げられよう。

「日本は神の国」とする思想は伝統的なもので、「古事記」や「日本書紀」でもこの点を事実として強調している。

 地上とは違う超現実的な世界を想定する神国思想は仏教だけではなく、キリスト教やイスラム教などの教えでもあり人類普遍のものでもある。

 我が国の神国思想は、これらの考えとは一線を画し、「日本という地上世界そのものが神の国である」とする処が特殊である。

 以前、森元総理が「日本は天皇を中心とした神の国」と発言してバッシングを受けて早々に退陣したが、米国でも「日本はアマテラスの神の国」と教えているのに日本ではタブーなのは嗤うしかない(笑)

 明治4年7月、江戸時代の藩を廃止して府県を置く「廃藩置県」が施行され中央集権的統一国家が確立された。因みにこの「県」とは「あがた」と読み、古代の皇室の料地、つまり県とは「神の土地」という意味を持つ。

 現在、地方自治の確立という理由の下で、この「県」を廃止して「道州制」を導入しようという計画が進められている。こうしたことも政府中枢に入り込んだ左翼や反皇室活動家が国柄破壊の為に謀っている気がしてならない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:28|PermalinkComments(0)

2017年10月31日

ビラ貼りは右翼活動家ならば基本中の基本でビラの内容から多くを学んだ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

DM-KL3zVAAEJwXw
 Twitterで懐かしい電柱のビラを見つけた。愚生が所属する前の防共挺身隊の「恐怖!共産政権」のビラである。

 防共挺身隊こそが街宣右翼のパイオニア。現在の軍歌を流すスタイルは、初代総隊長の福田進が都知事選に立候補した際に目立つ方法はないかと「チャンチキおけさ」を流した。それを赤尾敏がパクリ軍歌を流しそれが全国に広がった。

 今でこそ街宣右翼というとそれこそ「朝鮮右翼」と詰られるが、戦後の様々な右翼の活動も知らずして偉そうに語るなっての(爆)

 ビラも愛国党と防共挺身隊の二団体が図抜けていた。日の丸をイメージした愛国党の蘊蓄が書かれてあるビラよりも目立ち、黄色と黒のビラには「このビラを剥がすと憲法19条並びに21条に抵触し罰せられます」との一文にセンスを感じた。 

 ビラ貼りは右翼活動家ならば基本中の基本で、ビラの内容から多くを学んだ。当時は電柱に貼り付けてパクられても3000円程度の科料ということもあり、活動家は競ってビラを貼り、逮捕歴を自慢したものだ(笑)

 最高裁で電柱へのビラ貼りが思想信条の自由と表現の自由であると無罪判決が下されると、東京都を始めとした自治体は条例を制定。それにより罰金も高額となってビラ貼りも廃れて行った。

 昭和40年代から50年代初頭の防共挺身隊のビラは秀逸で、中でも若い女性を洗脳し、共同生活を送っていたイエスの方舟(千石イエス)がバッシングされてる中で、「おっちゃん頑張れ!」とのビラは、信教の自由を侵す護憲派であるマスコミへの痛烈な嫌味だった(笑)

 田中角栄が日中国交を回復し、パンダを友好の証として中共政府から贈られる際には「パンダ一匹200億」とのビラが都内に貼り出された(笑)

 皇族が千葉の御料牧場で狩りに講じていることに国民意識との隔絶を感じ、「国民は飢えておるぞ!」とのビラを貼ると、それによって御料牧場での狩りが控えられることとなったということも耳にした。

 愛国党のビラでも、靖國神社に御親拝しない陛下へ苦言を呈したものもあったと思ったが、そういう意味では最近の自称愛国者や保守派の尊皇も親しみばかりを強調する皇室論も何処か穿違えている様に感じてならない。

 当時のビラの記載責任氏は桶忠(通称・おけちゅー)参謀。桶さんは日大中退のインテリで、愚生が入隊してからも運動の責任者として活動していたが、初代総隊長の引退と共に退いた。

 当時、桶さんは若手右翼活動家として雑誌などにもよく登場していて、座右の書はアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」。愚生にもあれは面白いよと言ってたので購入して読んではみたが、さっぱり分からなかったっけ(笑)

 当時の本部道場は世田谷区砧に在り、本部に住み込んでた先輩の同郷には後にたけし軍団に入るガダルカナルタカやつまみ枝豆が居候してた時期もある。

 初代総隊長が引退して二代目体制になり、桶さんの後継に川口支部のKさんが行動隊長として運動の責任者に就いていたが資金が渇し先細りに。

 二代目の早坂光夫総隊長の下、後に三代目総隊長となる對馬則政が行動隊長に就くと、愚生の下に「運動の責任者として週に二日、やってくれないか」と声が掛かり、毎週木・金曜日に官公庁への抗議と新橋駅前での街頭演説を始める。

 この時、愚生31歳。その後行動隊長を経て総隊長代行、49歳の時に四代目総隊長に就くも前任者周辺との蟠りもあって間もなく除籍になった。その後は郡山市で蟄居しつつ、正統右翼浪人として右翼の在るべき姿を追及している。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:29|PermalinkComments(0)

2017年10月30日

殉職自衛隊員を靖國神社に合祀する議論を進めよ!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 安倍首相は28日、防衛省市ヶ谷駐屯地内での自衛隊殉職隊員追悼式に参列し「強い使命感と責任感を持ち、職務の遂行に全身全霊を捧げた皆様は国の誇りだ。遺志を受け継ぎ、国民の命と平和な暮らしを守り抜く」と追悼の辞を述べた。

 だが、国民の命と平和な暮らしを守るのは自衛隊ではなく警察の仕事であり、悲しい哉、その「国の誇り」である自衛隊は未だに違憲の存在である。

 平成10年、防衛省の六本木から市ヶ谷への移転に伴い、敷地内に自衛隊殉職者慰霊碑が建立され、毎年、御遺族、内閣総理大臣、防衛大臣以下高級幹部などが参列し追悼式が行われている。

 防衛省はその性格上、一般国民が足を踏み入れることは出来ない。だが、国家国民を護る為に殉職された自衛隊員に感謝の誠を捧げ、如何にして慰霊と顕彰を行うべきか、我々は考えたことがあるだろうか。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、東日本大震災を始めとした災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練で1870名もの自衛官が殉職されていることを知っているだろうか。

 昨年は、陸上自衛隊員14名、海上自衛隊員が11名が訓練中に亡くなっている。先日も海上自衛隊鹿屋基地所属の小型ヘリコプターが墜落し3名が死亡。昨日も訓練中に行方不明になっていた第16普通科連隊の隊員が遺体で発見された。

 北朝鮮の核武装と朝鮮半島の混乱と緊張、中共の覇権的海洋進出と日米安保の形骸化など、我が国周辺の安全保障環境は益々厳しいものとなりつつある現代に於いて、一旦緩急の有事やそれに伴う自衛隊員の犠牲などを想定して万全の体制を整えるのが政治の務めであろう。

 防衛大臣が、南スーダンでの戦闘行為を武力衝突だと誤魔化して、また日頃から自衛隊に感謝もしない共産党やクソ野党が日報隠蔽を殊更論い如何にも自衛隊員の安全を慮った物言いは正に党利党略の詭弁でしかなく、こんな国民不在の不毛の議論をしている場合ではないのだ。 

 近い将来、アジアや世界の平和・安定の為に、自衛官の「戦死」が生じた場合、彼らを慰霊し顕彰するのはやはり「靖國神社」を於いて他にない。

 然し乍ら、英霊の靖國神社への合祀をも反対する勢力が自衛隊員の靖國合祀に賛成する筈もなく、仮に自衛隊殉職者慰霊碑を千鳥ヶ淵墓苑に移そうものなら、そこが新たな追悼施設にされる危険性を孕んでいる。

 国軍や軍人へ敬意を払うことは世界の常識であるが、我が国は未だ平和ボケの真っ只中。そうした常識が欠落し、与党も野党も自衛隊に感謝や敬意をするどころか自衛権をも否定しているクソ憲法を国民不在の政争の道具に利用し続ける。

 我が国と国民の精神的貧困の元凶は日本国憲法である。

 今こそ、国防をも否定する亡国憲法を破棄し、国民の生命財産と安全な生活を守る為に日夜活躍している自衛隊を国軍としてその存在と必要性を明確にすると共に、誤謬に満ちたこの国の陋習を糺さなくてはならない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:04|PermalinkComments(0)

2017年10月29日

死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 極楽浄土や天国なんてのは釈迦牟尼やキリストが死への恐怖を取り除く為の嘘だ。人間死んだら終わり。全てが「無」だと思っている。

 極楽浄土とは現世に在り。だからこそ自分の持っているものを惜しみなく与え、悩んでいる者や、自分より劣る者、難渋している者を如何に助けてあげるかが大事で、それこそが極楽浄土だと思っている。

 死というものは人に平等に与えられたもので悲しいものではない。別れも宿命であり、運命なのだから現実を諒として受け入れれば好いだけの話し。

 宮本武蔵の「独行道」に「いづれの道にもわかれ(別れ)をかなし(悲し)まず」という一条が記されてある。「何れの道にも別れを悲しまず」というと、血も涙も無い冷血漢だったのだろうかも思ってしまうが、そこは違うだろう。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」とか、タバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かないし、書いても意味もない。

「飲みたい」「吸いたい」と思うが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ他人に訴え、響くものがあるのではないか。

 そう思う時、武蔵は寧ろ人一倍感情豊かな熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら涙を見せまいと努力した男だったに違いない。

 また武蔵の兵法書に「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という教えがある。武蔵が修業の中で確立した思想の根本でもある。

「万里一空(ばんりいっくう)」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方である。

 解釈としては「何事も動揺せずに、常に冷静な気持ちで事に当たること」「一つの目標に向かって精進すること」との意味だ。

 何か事が起これば冷静さなど忘れ右往左往。大したことのないことに怯えてる様子はこの心境とは程遠い。何事も成る様にしかならないのだから、身構えず自然体で、間合いというのが大事ということだ。

 斯くいう愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し、聞き齧った様な私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや、正体不明の輩との喧々諤々の議論なんぞに何の意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、眼前に起こる危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えと行動力を涵養することこそ、男の修業の極致というものである。

 また「人事を尽くして天命を待つ」というが、人事を尽くせば好い事が待っているとも限らない。ってか、思ってる様な結果にならないのが殆どだ。

 そうやって誰もが死んでいく。愚生の場合、死んだら「無」だと思っているし、葬式はやらず、仏教徒でもないので戒名なんぞ必要ない。愚妻には、死に顔は誰にも見せないで棺桶を閉じて早々に焼いてくれと伝えている。

「年忌法要」や「偲ぶ会」などもやって欲しくないので身内や友人らにも申し入れしている。守らないヤツには化けて出るつもりだ(笑)

 愚妻や倅だけに言ってたところで、日頃付き合いもない親族や知人から「何でやらないんだ」と文句を言われるだろうから、親戚や知人にも予め言っているが、追追、文書(最後について)で伝えておこうと思っている。

 仏教徒ではないが般若心経くらいは諳んじられる。中でも最後の「羯諦(ギャーテー)羯諦(ギャーテー)波羅羯諦(ハラギャーテー)波羅僧羯諦(ハラソーギャーテー)菩提薩婆訶(ボージーソワカ)般若心経」というラップ調の響きが好きだ。聞いてても、唱えていても心地好い(笑)

 意味は「さぁ皆一緒に真の幸せの世界に行こうではないか」という呼びかけだが、死の世界から戻った者はおらず、意外と好い世界なのかもよ。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:04|PermalinkComments(0)

2017年10月28日

これを一大転機として 我が一億皇民の心構えを一回転せずんば 正に何れの時を期すべきぞ(徳富蘇峰)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 麻生太郎副総裁兼財務相が、先の総選挙の結果について「北朝鮮のおかげもある」と述べたことが問題にされている。

 新聞のタイトルでは作為的に「北朝鮮のおかげ」と(も)を消して断定されて書かれているが、よくよく読めば「不適切な発言だと指摘を受ける可能性もある」との予想記事というか野党に質問して貰いたいのだろう(笑)

 緊迫する朝鮮半島情勢の中で党利党略に明け暮れて、安倍批判とモリカケ問題ばかりを叫んでる野党に国を任せることなど出来ないと思うのは当たり前。その結果が自民党の大勝だった訳で、これつまり北朝鮮のお陰でもある。

 希望の党の小池代表は、前原民進党と合流する上で「安全保障と憲法観」で選別したというが、どう見ても安全保障を真剣に訴えてたとは思えない。

 願って希望の党の公認を貰っておきながら、選挙結果を受けて、縋った小池を吊るし上げてるのを見てると、小池が「排除」したのが悪いというより、小池の排除の仕方が全く足らなかったとしか思えない(笑)

 相変わらず政界は全くといって好いほど緊張感が見えない。出来ることなら我が国に北朝鮮のミサイルが一発撃ち込んで欲しいものだ(笑)

 昭和20年正月の毎日新聞に、国民の厭戦(えんせん)気分を嘆く徳富蘇峰(とくとみそほう)の記事が掲載された。

 厭戦とは戦争を嫌うこと。今で言うところの「反戦・平和」の思想である。

 徳富蘇峰とは、民友社を創立し「国民之友」「国民新聞」を刊行。第二次世界大戦期には大日本言論報国会会長となる。著書の中でも「近世日本国民史」は日本人必読の書といえる名著である。

 思想家としても多くの金言を遺している。中でも「忙しいとは怠け者の遁辞である」は愚生のお気に入りの格言の一つでもある。

 毎日新聞の昭和20年の正月に掲載された論説は「国民の気持ちを引き締めるには東京に爆弾が落とされた方がいい」との内容だった。

「これを一大転機として、我が一億皇民の心構えを一回転せずんば、正に何れの時を期すべきぞ」

 当時は痛罵されたというが、隻眼ともいえる記事だろう。それに比べて「北朝鮮のおかげ」だとの記事を書いてる記者の御粗末さに厭きれるばかり。

 現在の我が国も、北朝鮮や中共から一発喰らう様な大きな衝撃がなければ、我が一億皇民の心構えを一回転することはなく、平和を愛する諸国民も保身ばかりの政治家共も、戦後の惰眠から目覚めることが出来ないのではなかろうか。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:40|PermalinkComments(0)

2017年10月27日

「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」は豊葦原瑞穂国という国柄崩壊の序章である

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 戦後の日本は米国の経済戦略に乗せられ、資本主義や自由主義こそが正義であるかの様に洗脳された。これはある意味、戦後民主教育を受けた者が自虐史観から目覚めないのとどっこいどっこいなのだ。

 現在の我が国は、豊葦原瑞穂の国の誇りも何処へやら。農耕民族としての自覚を喪失し、「農」をも営利至上主義で勘定し、最早「農本主義」などは国民の殆どが理解していない。

 我が国は戦後GHQの策謀によって、農本主義的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌ったまま、米国の価値観が我が国の価値感だと錯覚してしまった。

 その典型といえるものが「モリカケ問題」の陰で成立した「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」である。この法案は、別名「モンサント法案」とも言われていることは余り知られていない。

 種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 モンサント社は拙ブログでも度々登場しているが、ベトナム戦争に於いて枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し「ダイオキシン」を撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 この法案により、我が国は米国というかモンサントに食料を依存することになるが、つまり、種子を輸入する国が不作になった場合や種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。

 つまり、我が国の農業はモンサントに握られてしまったということで、モンサントと提携する前経団連会長で住友化学工業の米倉弘昌は正に売国奴。こうした経済界の策謀に与した安倍もまた一蓮托生である。

「種子法廃止」は日本古来の種子の廃止であり、食の安全と食料安全保障を廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章であるといえるものだったが、何故か保守派や自称愛国者らも「モリカケ問題」ばかりだった。

 更には追加法案として「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通ったが、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであるが、驚くことに外資等の規制はしていない。

 つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を伴うということでもある。

 軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、我が国の農業をも他国に委ねる御粗末さで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 現在の日本の食料自給率はカロリベースで38%。農水省は生産額ベースで68%と誤魔化すが、それでも深刻な数字だ。我々は米国主導の市場原理というものに身を委ねているうちに、日本人としての大切な基盤を喪失してしまったのだ。

 同じ島国の英国ですらカロリーベースで70%を超える。独国は約90%、仏国と米国は120%を超える。こうした国々は、農業への保護政策が行われているのもあるが、「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 政府は、減反制度を見直し、米生産拡大によって競争力を強化する方向へ入り、「消費者のニーズに対応した農協を創り、所得倍増を目指したい」と表明してる。だが、消費者のニーズとは一体何なのか。

 スーパーで安かろう不味かろう米や値段が安いからと輸入物を買い漁る姿が、消費者のニーズとはとても思えない。

「グローバル経済」とか「農業改革」とは、自国の文化や歴史を置き去りにせずきちんと捉え、文化などを伝承しながら他国の文化も理解して行かなければ意味はなく、その前に先ずは日本人の文化でもある箸使いを徹底して教えたら如何か。 

 日本人なら箸の作法までとは言わないまでも箸の持ち方くらい徹底すべきだと思っているが、安倍首相を筆頭に箸使い一つ出来ない人が氾濫していることは、日本文化の崩壊の序章であると言っても過言ではない。

 豊葦原瑞穂の国に生まれた者として、米を主食にした正しい食卓を再興することは大事なこと。食文化の乱れが箸使いにも表れてるなら、ごはんを主役にした食卓を再興することが大事なのではないかと考える。

 因みに、箸をきちんと握れないというのは幼い頃に楽して覚えてしまったからで、要は親に甘やかされた裏返し(笑)

 ということで、箸使いもロクに出来ない貴方が、我が国の将来を憂いて立派な事を言ったところで真実味はありませんよ。呵呵。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:45|PermalinkComments(0)

2017年10月26日

迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北(無着道忠禅師)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 修行の仕方には色々あるのだろうが、手っ取り早いのは歩くことだと思っている。兎に角歩く。30分、1時間とかではなく半日くらい歩く。

 初めこそ歩きながら頭に過った由無し事をあれやこれやと考えるが、そのうち考えることも忘れて無心になる一瞬がある。これも座禅でいうところの無の境地というものなのではあるまいか。

 四国巡礼のお遍路が人気で、寺を回って御朱印集めが目的の様になってるが、歩くことで過去の自分と向き合い、あれやこれやと想いを巡らせているうちに歩くことに集中しそれが修行となる。

 四国巡礼のお遍路が被る笠には次の言葉が書かれてある。

 迷故三界城 (迷うが故に三界は城なり)
 悟故十方空 (悟るが故に十方は空なり)
 本来無東西 (本来東西は無く)
 何処有南北 (何処んぞ南北有らんや)無着道忠禅師

 同行二人

 その意味は「迷いがあるから、まるで城に閉じ込められているかの如く愚劣な考えに縛られて自らを苦しめている。悟りを得ると大宇宙の如く自由自在な境地を得ることが出来る。この世には本来、東も西もない。拘りを捨て、ゆったりと世の中を渡って行こう」。「同行二人」とは、いつも弘法大師と共にあるということ。

「徒然草」三十八段には「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」とある。

 その意味は「世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだ。財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である」という訓えである。

 また「葉隠」には「自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。

 こうしたことを真似している訳ではないが、団体を辞して以来、家に閉篭って、成るが儘に身を委ねている。簡単に蟄居というが、働きもせずに浪人として生きていくことは他人が考えるよりかなりの修行だと思っている(笑)

 最近は山歩きも御無沙汰だが、山を歩いてると苦しい中にも何かを感じることがある。一人で野営し、当たり前ではない日常をたった一日過ごしただけでも日々の見え方が違うし、例えば布団で寝れるという当たり前なことが有り難くも感じる。

 渓流釣りでもそうだが、愉しい中にも崖を攀じ登ったり激流を超えたりと、苦しさがあるからこそ実に清々しい気持ちになる。

 これもまた、自然の偉大さを感じながらも自然と対峙することで「無の境地」に近付くからではあるまいか。来月からはワカサギ釣りが解禁されるが、座ったままで単純な動作を繰り返すあの釣りもまた修行に近い(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:13|PermalinkComments(0)

2017年10月25日

小池の「排除」発言を利用した立憲民主党や左翼マスコミ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 政策無き野党の間隙を突いた安倍の絶妙ともいえる解散だったが、希望の党が旗揚げし、そこに民主党合流で俄かに雲行きが怪しくなるも、小池のナイスフォローというか、安全保障と憲法観という踏み絵によって民進党内左派の焙り出しに成功し、これが結果的に安倍自民党を有利にした。

 小池を批判する声が多いが、別に側近の若狭勝が負けたくらいで実力ある議員は当選してる訳で、マスコミが騒ぐほどボロ負けしている訳でもなかろう。若狭の惨敗はモリカケ問題を出して安倍批判をし過ぎた自業自得。

 小池の構想は、程程に勝って首班指名に石破茂か野田聖子辺りを推挙して自公連立に揺さぶりをかけ、首相に色気のある石破はこれに飛び付いて自民党を分裂させるという妄想だったのではあるまいか。

 それが、前原が民進党を実質的に解党し合流したことで当初の予定を偏向せざるを得なくなった。また小池も「もしかしたら」という大いなる勘違いをしてしまったというのが真相だろう。

 政権交代するにしても民進党内の左派が邪魔。そういうこともあって「排除します」との発言に至る。この発言が後々選挙に響いたかの様に言われてるのは、立憲民主党や左翼マスコミらがこの言葉を利用したからに他ならない。

 小池を持ち上げ、希望の党こそが自民党に替え得る新党であるかの如くに報じていたマスコミが、党内左翼を「排除する」と言った途端に小池を詰り、枝野らこそが「筋を通した」などと転じたのは立憲民主党にシンパシーを感じたからだ。

 小池を批判する前に、先ずは党内を纏めることなく合流を決めた前原の軽挙妄動こそ批判されるべきで、解党せずに民進党として戦っていれば自民党の批判の受け皿としてそこそこ勝ってただろうし、野党再編が進んだかも知れない。

 要は、解散は安倍の傲慢ともいえるもので時期尚早かと思えたが、その後の野党のドタバタ劇で、安倍の当初の目論み通りに事が進んだということで、安倍の強運はここでも発揮されたカタチになった。

 県内の五選挙区は自民党が三勝、無所属二勝。無所属二人の内の一人は三区の玄葉光一郎で、もう一人は一区の金子恵美。金子は実質的には立憲民主党で、共産党が候補者擁立を見送り、社民党の支持を得て自民党候補者に勝利した。

 金子や支持者ら反原発派らは、復旧・復興での安倍自民党の対応を批判していたが、批判されるべきは当時の民主党政権であり、己が推薦を受けた立憲民主党の枝野や菅直人だろう。こんなことに騙される福島県民って大丈夫か。

 東京電力福島第一原発事故は、民主党政権下で起こった人災である。当時、官房長官だった枝野は根拠のない「強制避難命令」を発令した張本人。「立憲民主党が躍進」などと持ち上げられて本人も調子に乗ってるが、福島県民の多くは安倍よりも枝野ら旧民主党への拒否反応は大きい。

 事故後、枝野は「直ちに人命に関わる影響は無い」と頻りに放射線の被害の沈静化を謀ったが、本人は現場視察で重装備していたのは忘れていない(笑)

 地震発生5時間後には燃料の損傷が始まり、16時間後には燃料の殆どが原子炉圧力容器の底に溶け落ちたにも係わらず、菅は翌日、颯爽と福島原発を訪れる訳だが、その時、既に原発構内ではメルトダウンの危機に瀕していたのだ。

 震災前、国会で外国人からの不法献金を糺され四面楚歌だった菅は、事故を利用し現場視察のパフォーマンスを強行し、起死回生の一発勝負に出た。この現場視察が、現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかだった。

 東電側では、東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していたが、菅が強く望んだ現地視察によって、事故後に即座に取るべき「ベント」と呼ばれる応急措置などが遅れ、それに因って建屋が吹き飛んだ。

 当時の民主党政権は、報道規制を敷いて国民には安全であるかの様に偽装した。事故直後にメルトダウンを起こしていながら、民主党政権下で「メルトダウン」を発表したのは、事故後、ナント二ヶ月も経ってからだった。

 事故後、民主党政権下で発令された科学的根拠もない「半径20キロ圏内」という「強制避難命令」によって、双葉病院の重篤な入院患者が退避の為に連れ廻され、結果、数十人の命が亡くなったのを忘れてはいないか。

 放射線の健康被害を避ける為に退避命令を出したつもりが、科学的根拠のない要らぬ避難命令で逆に命を奪ってしまった訳だが、これは民主党政権下で行われた殺人行為だったといっても過言ではない。

 菅の現場視察強行や、SPEDDIの数値隠蔽に因る強制避難や無意味な除染作業など、復旧と復興の遅れは民主党政権下での愚策が尾を引いている。

 なのに何故か、菅も枝野も民主党も叩かれずに安倍が批判され、その枝野の推薦を受けた金子恵美が当選するという不思議さにホトホト厭きれるばかり。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:59|PermalinkComments(0)

2017年10月24日

同じ志を共有する政党、政治家と連携し「道義国家・日本」を創造せよ!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 総選挙の結果は選挙前の世論調査の予想通り自民党の圧勝、自公連立で3/2を超える与党安定多数の構図は変わることがなかった。

 総選挙前、マスコミ各社は「希望の党」を持ち上げ、政権選択選挙と煽るも、小池のオウンゴールで政権選択とは程遠い野党選別の選挙となった。

 希望の党がダメだと見るや、マスコミは「立憲民主党」を野党第一党に躍進すると持ち上げて、反自民勢力の結集を呼びかける。

「自民党圧勝」を連日報じ判官贔屓効果を狙うも、過去の民主党政権に騙された有権者はそうした作為的報道に騙されることはなかった。

 新聞には「立憲民主党躍進」とのタイトルが躍るが、改選前、民進党の議席は88議席。内56名が希望の党、残りが無所属と立憲民主党に分裂。

 要は、改選前99議席(希望の党所属議員含)だった議席数が、希望の党49名、立憲民主党54名の103名となり、改選前より4名殖えたに過ぎず、「立憲民主党躍進」というのはチョッと大袈裟だろう。共産党惨敗は間違いないが(笑)

 小池を批判する声が多いというが、小池は始めから政権奪取は考えてはいなかっただろう。そこそこ勝って、自民党に影響を与えられれば好し程度だったのが、前原らが勝手に合流し日本新党ブームの再来を妄想しただけのこと。

 合流する上で小池が「安全保障と憲法観」との条件を出したことで、立憲民主党という左翼勢力を焙り出すことに成功したことをしても功績は大きい(笑)

 保身から希望の党という泥船に飛び乗った議員共は、今後は立憲民主党に流れるだろう。だが、所詮は過去最低数の弱小野党。政策なんぞ二の次で、安倍憎しからギャーギャー騒ぐしか出来ないだろう。

 この自民党圧勝という現実を「信じられない」と嘆いているのは「脱原発」を訴えてるアホ連中だが、愚生には民主党政権下での原発人災事故を忘れて、枝野や菅らを支援しているという方が気が知れない。

 新聞には「改憲勢力増 憲法議論加速」との見出しも見えるが、抑々、公明党は「改憲」には反対の立場であり、「日本が右傾化にならない様に」と表明していることをみても、自公連立がこのまますんなり進むとは思えない。

 今後は、更に分裂するであろう希望の党内の良識派と日本維新の会などの改憲勢力が自民党と連立を組み、公明党が排除されることを願うばかり。

 大体、公明党は戦後民主主義的であり、且つ反天皇や反靖國など反国家的な組織であることをしても自民党というより枝野らとの連帯が似合う。

 この際、反安倍で枝野らと共闘して議席数を半減した共産党も解党し、左派勢力の大結集を呼びかけりゃ好いのに(笑)

 そうなれば、良くも悪くも保守か革新(革新とは程遠く、戦後民主主義的左翼か)かの、小選挙区の理想でもある二大政党制に近付くぞ(嗤)

 小池は合流前「安全保障と憲法観が大事」と宣って民進党左派から顰蹙を買ったが、大事なのは安全保障や憲法観より「国家観」である。

 安倍首相は自公連立に拘らず、国家観と同じ志を共有する政党、政治家と連携し「道義国家・日本」の創造を図って頂きたいものだ。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:19|PermalinkComments(0)

2017年10月23日

「JAPAN」は「NIPPON」と表記させるべきではなかろうか

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 多くの日本人は日中関係は「同文同種」とか「一衣帯水」という認識を持ち、「四書五経」のイメージで支那への憧れを膨らませ、忠誠を誓うかの様に「中国」と呼称している。

 だが、日中関係が樹立されたのは20世紀に入ってからであり、未だその関係は100年ほどしか経っていない。

 607年、聖徳太子は小野妹子を隋に派遣し対等外交に踏み切ると、後に蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子らが645年「大化の改新」を実現する。

 天智2(663)年、唐・新羅連合軍に攻撃された百済は日本に救援を求めると、我が国はこれに応じて出兵した。これが世にいう「白村江の戦い」である。

 応援に出た日本軍はこの海戦で大敗を喫し、捕虜として捕らえられた。我が国はこの敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 それから約1200年後の明治4(1871)年、「日清修好条規」を結んだ相手は満州人の清朝であり、支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は、更に明治45(1915)年の「中華民国」誕生まで待たなければならなかったのだ。

 中華人民共和国は戦後、我が国を属国、朝貢国と見做しており、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせることで「北京が世界の中心だ」ということを暗に認めさせているということだ。

 中共から理不尽な言い掛かりが始まったのは、戦後の混乱期の昭和21年6月に遡る。形式上、連合国の一員で戦勝国であった中国共産党は、その力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要した。

 外務省はそれを従順に受け容れ「外務省次官・局長通達」として、「理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬこと」と言論機関などにこれを強制し、国民も疑いもなく「中国」を使い続けている。

 尊皇愛国の書として有名な山鹿素行の「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」と日本主義を主張しているが、「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味で「国民国家」を意味するものではない。

 山鹿素行は、陸奥国会津若松城下生まれで「山鹿流軍学の祖」として知られ、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人であり、赤穂浪士の精神的支柱でもあった。素行の談話を筆記した「山鹿語類」は日本人必読の著である。

 愚生は常々「中華人民共和国」を「中国」と呼ぶのは国際的にも間違いで「支那」と呼ぶことが正しいと考えていたが、それは間違いと気付いた。

「支那」は最初の統一王朝「秦」に由来している。「支那」を漢字にしたのは新井白石でイタリア語の「チーナ」を翻訳したもので、岡倉天心は「新」に由来していると説く。新しいことをして支那とはチト飛躍し過ぎだろう(笑)

「支那」とは、易姓革命によって政権・王朝が代わっても、その基底にある大陸の自然・民族・文化を意味する名称として使われてきた国名でもあり、「支那」の二文字には歴史や浪漫や憧憬を感じる言葉である。

 共産党一党独裁の近代国家を「支那」と呼ぶのは実に分不相応。やはり中華人民共和国は共産党一党独裁の「中共」と呼ぶのが相応しい。

 余談だが、日本を「ジャパン」と呼ぶが、本来は「ニッポン」と言うのが正しく、国際会議やオリンピックなどの国際大会などで「JAPAN」との表示は「NIPPON」と表記させるべきではなかろうか。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:42|PermalinkComments(0)

2017年10月22日

習近平の一強体制は「安倍一強」どころの話じゃないぞ(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 先日、中国共産党(中共)大会が開かれ、習近平総書記(国家主席)は軍拡路線を強固にし、「反腐敗」の名の下に政敵を排除抹殺し「一強体制」を盤石にして、毛沢東や鄧小平らに並ぶ個人崇拝を進めるという。

 我が国を見渡せばアホ野党やマスコミは「安倍一強」を頻りに断じるが、安倍が野党を抹殺する訳でもなし、習近平に比べれば可愛いものだろう。

 圧倒的軍事力を備えた「社会主義の現代化」を目指して、米国に伍にする覇権への野望を剥き出しにして東・南シナ海への海洋進出を視野に入れる。

 その上で習近平は「我が国の社会主義制度を否定する一切の言動に断固反対しなければならない」と、共産党一党独裁に批判的な勢力へ敵意を剥き出しにした。これは我が国に向けたものでもある。

 日頃「中国4000年の歴史」などと宣って憚らない中共だが、習近平の演説でも分かる様に高々68年程の歴史しかない新興国なのだ。

 つまり、第二次世界大戦後に建国された一党独裁の中国共産党政権が半世紀以上も続き、戦勝国である国連常任理事国に就いていることに驚く他なく、これ正に世界の珍現象といっていいだろう。

 共産主義や毛沢東理論を最高原理として崇め、神仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由や集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無いのは言うまでもない。

「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、筆舌に尽くし難い弾圧を加えて、共産主義と漢民族化を強制している。

 清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しよう謀るが、武力を以て国土を拡大して来た国は中共一国のみだということを忘れるな。

 そんな国と友好関係を維持しようなどということ自体が抑々の誤り。

「日中平和条約」には「両締結国は、善隣友好の精神に基きかつ平和及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されているが、努力して譲歩し続けてるのは我が国だけだ。

【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】

 これは自民党の立党宣言である。自民党が保守政党を自任するならば今こそこの初心でもある立党精神に立ち返り、我が国柄を壊す共産主義とすべからく対峙することこそが主権回復への道であり、日本再生に繋がる。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:21|PermalinkComments(0)

2017年10月21日

我が国の戦後体制の諸矛盾や不条理の元凶は長州閥の明治新政府に在る

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 靖國神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭。秋季例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行された。

 春季例大祭と同様、当日祭には天皇陛下の勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上される。

 当日祭後は、第二日祭、第三日祭と当日祭同様の祭儀が執り行われ、最終日には、例大祭が無事に終了することを感謝する「直会」が執り行われる。

 終身正会員らが順次招待されるが、愚生は「第二日祭」に呼ばれる。今回は体調が優れず心参ということで許しを乞うた。

 例年、午前10時、宮司以下本殿の座に著き、国学院吹奏楽部による伴奏に合わせ国歌斉唱が奏じられる。様々な式典で国歌斉唱を聴くが、この例大祭での君が代斉唱より敵うものなし。

 權宮司以下により神事が斎行されているが、聞こえるのは小鳥の囀りと宮司の唱える祝詞、そして社頭で参拝する方々の柏手の音。

 その後、国学院大学混声合唱団と共に「鎮魂歌」並びに「靖國神社の歌」を合唱。宮司玉串奉奠に続き、参拝者が本殿に進み拝礼、英霊に感謝の誠を捧げ、そして退出。式典は約1時間で終了。

 華美さはないが実にいい祭礼である。だが、本殿には未だに死者が選別され、賊軍の名の下にその汚名が灌がれることはない。

 靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社であることは誰もが知るところ。

 その合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」に限られている。

 この三条公の祭文の原則がある限り、また見直さない限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者などが祀られることはなく、未来永劫 、西郷軍や東軍は「賊軍」の儘なのだ。

 愚生も大学入学以来、靖國の地は幾度となく詣でているが、先ず赴くのは「鎮霊社」。だが、例大祭の期間はここは閉門されている。いつになったらこの不条理を払拭出来るのであろうか。

 戊辰の役(戦争)では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「皇軍」という名の「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。因みに「賊軍」とは、維新後、明治新政府によって作られた造語である。

 何故に官軍と賊軍になってしまったのか。何故に江戸城開城後もその恨みを抱えた儘に会津や函館を攻め入ったのか。

 歴史に「もし」は無いが、もし、勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を諒としたことを以て徳川幕府が崩壊したのなら、その後の東北や会津での戦いに意味があったとは思えないし、あの時点で止めることが出来ていたならその後の日本も変わっていたかも知れない。

 幕府唯一の神道であった会津が何故に朝敵として責められなければなかったのか、単に蛤御門の変(禁門の変)での敗戦の遺恨であり、とても明治維新が尊王攘夷という大義ある代物とは思えないのだ。

 そんな経緯もあって幕末の偉人の中で勝海舟はどうも好きになれない。福沢諭吉も、約百年前上梓した「やせ我慢の記」で、敵方である薩摩・長州中心の新政府から優遇を受け、大臣や公爵にまで昇りつめた勝海舟らを批判している。

「勝海舟は、只管講和を主張し官軍と一戦も交えず開城したのは要素たる士風を損なった。例え内乱が国家にとって無益大害の極みであっても抵抗するのが武士の意気地ではないか」

 勝が「江戸城開城を以て明治維新は終了し、以後の争いは避けるべし」と諫言出来なかったのは、福沢諭吉ではないが、明治新政府での厚遇を期待していたからだろうは穿ち過ぎではなかろう。榎本武揚も然り。

「榎本武揚は必敗覚悟で五稜郭に立て篭もり官軍に反抗したのは功名といえるが、降伏後に立身出世を志したのはその過去を傷つけるもので、両人共、敵味方のケジメをつけ、野に下ることこそ取るべき道であった」

 福沢諭吉の諫言こそ蓋し正論。現下の我が国を鑑みれば、政治家を筆頭に「義」を守る者が余りにも少なく、私利私欲に狂奔し、カネに群がる不逞の輩ばかりで、精神的貧困の方が深刻と言えよう。

 我が国の戦後体制の諸矛盾や不条理の元凶は、「ヤルタポツダム体制」は然ることながら、勝海舟ら士風を損ねた幕閣共と遺恨の末の明治開国という大義無き尊王攘夷を謀った長州閥の明治新政府に在ると考える。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:36|PermalinkComments(0)

2017年10月20日

昭和19(1944)年10月20日、神風特別攻撃隊が編成された

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 本日は皇后陛下の御生誕日、謹んで御祝詞申し上げます。戦前は「地久節(ちきゅうせつ)」として国民挙って御祝い申し上げた日であります。

「10月20日」という日は臣民として実にめでたい日であるが、歴史的にも我々日本人が決して忘れてはならない特別な日でもある。

 昭和19(1944)年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、大日本帝国海軍は起死回生の反撃、更には連合軍の沖縄への上陸、本土決戦を阻止する為に大西瀧次郎中将の指令下「神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)」が編成された。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきものであり、「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証である。

 昭和20年4月1日、米軍はついに沖縄に上陸。それを迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員、更には、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開した。

 本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動、更には「回天」等の特攻作戦を展開するも決死の戦闘空しく、同年6月23日組織的沖縄戦は終結した。

 この様に、沖縄戦では特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華された。

 特攻は航空部隊だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、劣勢を覆す為の特攻作戦でも3972名と、実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げられたのだった。

 特攻作戦をを「無駄死」だとか「可哀想」だとかいう声を散見するが、現在の道徳観や倫理観で生死を語るなど笑止千万。

 我が国の現在の平和や繁栄は、純真無垢な彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを現代に生きる我々は決して忘れてはならない。

 また平成5年10月20日には、新右翼のカリスマ的指導者だった野村秋介が朝日新聞社で壮絶な死を遂げた。何故にこの日を選んだのか?

「地久節の日に・・・」との声も無い訳ではないが、この日が「特攻作戦と若者の命」という深い意味が込められていたからである。

 理論家であり、行動派であり、押しも強く、幅広い人脈を持つ野村秋介の死は、新右翼に限らず右翼陣営全体にとっても大きな痛手であり、右翼陣営にとって指導者不足という課題が大きく伸しかかっている。

 10月20日というこの日の思いが吾が脳裏に去来する。

 すめらぎいやさか、すめらみこといやさか。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:27|PermalinkComments(0)

2017年10月19日

「排除」という言葉を使わなかったら今頃、自民党と競っていた

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 元汚職県知事の佐藤栄佐久の娘婿でもある玄葉光一郎が、希望の党から出馬している福島四区の小熊慎司の応援で「排除という言葉を使わなかったら、今頃、自民党と競っていた」と、ここに至って小池代表への恨み節をぶつけた。

「排除する」という言葉が党勢の低迷の原因だとしているが、小池の目的は端から「政権選択選挙」だとは考えてはおらず、民進党内の左派を追い出すことが目的だったとすれば、玄葉の考えこそは浅はかでしかない。

 抑々、民進党代表選を追えたばかりの前原が、希望の党との合流こそが自民党への対抗措置であると慌てて飛び乗ったことが大きな間違い。

 小池が希望の党の代表に就くも、首相候補として衆院選に出馬しなかったことをしても、小池は政権奪取など毛頭なかっただろうに、前原らが勝手にそう思い込み、小池を勝手に持ち上げて勘違いしただけ。

 小池新党へ一縷の望みを持って民進党を離党した細野豪志や長島昭久、松原仁らが少数で保守政党を目指そうと思っていたところに、そこに割り込んでクソもミソも一緒に公認して貰おうなどとは余りにも都合が好過ぎ。

 世論調査の結果を受けて「こんな筈じゃなかった」と悔やんでるのは、選挙で劣勢が伝えられてい松原仁だろう。松原にしてみりゃ、小池の排除の論理より、前原が合流しクソもミソも一緒になってしまったことだろう(笑)

 民進党を解党せずに民進党として闘っていれば、総選挙後はまた別な新しい政界の流れを創れたかもしれないが、希望の党を選挙互助会にしてしまったのは、前原や玄葉などのそれこそ「しがらみ」が大きい。

 小池が頻りに安倍自民党を批判し「しがらみ政治」だと腐しているが、希望の党こそが政治を生業とする選挙しがらみ互助会でしかない。

 玄葉も今頃になって小池を批判してどうなるというのだ。総選挙後の再分裂を見越してのことなら余りにも有権者をバカにしていないか。

 少なくとも沈没間近な泥船の民進党から真っ先に逃げ出して、希望の党という船に大きな希望を見出したのは確かで、そこも泥船になってしまったのは前原の決断に因るところが大きい。

 小池の排除の論理を詰るのなら、あの時点で合流を解消すれば好かっただけ。選挙に突入し、世論調査の結果を見て泣き言とはホント情けない。

 希望の党に代わり立憲民主党は漁夫の利から野党第一党に就く可能性を秘める。立憲民主党の思想信条は別にして、これは希望の党へ掌を返したクソらと比較して、有権者には枝野らが信念のある政治家に見えてるからだ。

 今回の選挙で分かる様に国民が期待するのは保守の二大政党制であるが、理想と現実は違う。自民党に替わる政権が出来たとしてもそれは小自民党的な政党であり、また共産党やリベラルという名の左翼勢力が消えることはない。

 中庸を重んじ、判官贔屓の強い民族性を考えれば、イエスかノーか的な二者択一の小選挙区制は合わない。比例制を廃止して、例えば愚生の住む福島県なら浜通り、中通り、会津地方といった三選挙区などの大選挙区に直すべきだ。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:43|PermalinkComments(1)

2017年10月18日

文科省通達を無視して「子ども」表記を続ける自民党議員(苦笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 文科省は平成26年6月、国会での議論を経て、巷に散見する「子ども」表記を是正する為に、漢字表記の「子供」に統一する通達を出しているが、未だに改められることはなく、マスコミを中心に「子ども」表記を使用し続けている。

 今朝の地元紙の折込に入っていた選挙公報を見てたら、自民党二区の候補者で自民党幹部の根本匠もこの「子ども」表記をしていた。

 恐らくは無自覚左翼の秘書や側近が作成したのだろうが、「子ども」表記を改めていないということは、文部省通達を遵守していないということで、チェックもせずに「政治家は王道を目指せ」という言葉が白々しい。

 その点、日本維新の会から出馬してる西村えみは「子供に明るい未来を!」と、漢字表記にしていることは好感が持てる。

 何気ないことだが、こういう細かい事に気遣いも出来なくて、大きな仕事や、大きな志を達成出来るとは到底思えない。

 左翼やマスコミなどは確信的にこの「子ども」表記を続けているが、自民党の幹部でさえこうなのだから然もありなん。ってか、右翼の大先生と言われてる人でも、疑いもせずに「子ども」使ってるのもチラホラ見かけますが(笑)

 左翼やマスコミらが率先して「子ども」表記を使うのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

 誰が子供を親へのお供え物だと連想するのか不思議でならないが、そうしたマヌケなことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似てる根本匠を始めとした自民党員や自称・保守派というのもまた嗤うしかない。

 こうした「お供え物」「お供する」などとキチガイ的屁理屈を並べているのは、政府中枢に入り込んだ全共闘世代や共産主義に阿るアホンダラ左翼やジェンダーフリーの性的変質者共であることは言うを俟たない。

 こうした愚策に、保守派であるべき自民党などが違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ活動家らの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つだ。

 これは漢字研究者の諸橋轍次(もろはしてつじ)が、後漢の時代に書かれた「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 前出の性的変質者とキチガイ共が飛び付いて「婦人は差別」だと叫び、抹殺した。しかし、間もなく諸橋轍次の説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。

 また今は「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶが、この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だという。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼らが、その意味も分からず、「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足し、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることは実に滑稽でもある。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、国柄の解体を目指している亡国的組織を解体すれば、消費税増税をせずとも教育費や社会保障費、防衛費の予算計上を図れますよ。呵呵。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:35|PermalinkComments(0)

2017年10月17日

神嘗祭に日本人としての「農」を考えてみよう!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 本日は神嘗祭。誠におめでとうございます。

「神嘗祭(かんなめさい)」は、五穀豊穣の感謝祭であり、宮中及び伊勢神宮では祭祀が行われる。古来、旧暦の9月17日に行われて来たが、明治以降は10月17日に行われることとなった。

「神嘗祭」では、天皇陛下がその年の新穀を、皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉られ神恩に感謝される大祭である。

 その新穀を天神地祇に供え陛下御自身も召し上がる日が新嘗祭(にいなめさい)。それが何故か「勤労感謝の日」として、日本人にとって重要な祭日の趣旨が失われている。

「勤労感謝の日」というと何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。

 つまり、神の加護による農作物を始めとした天の恵に感謝し合う日なのだが、その意味を穿違えている国民は少なくない。

「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」とするならば、国策としての農業振興と、食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務である。

 だが、悲しい哉、農耕民族としての自覚も無く、今回の総選挙にしても、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならないが、我が国の農業政策は営利が優先される。

 世界各国では農業の保護政策が行われているが、それは「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 我が国は、GHQの弱体化政策によって「農本主義」的国家観は排除されてしまい、農産物の大輸出国でもある米国の戦略上から、日米安保同様に今や農業そのものも米国依存となってしまっている。

 その最たるものが「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」で、モリカケ問題の陰でこの別名「モンサント法案」とも言われている亡国法案が成立してしまったことは余り知られていない。

 種子法は米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度であるが、種子法廃止により、日本古来の種子は廃止となる。

 モンサント社は、ベトナム戦争に於いて枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し「ダイオキシン」を撒き散らした会社で、遺伝子組み換え作物と除草剤を、世界中にセット販売し年間売上高100億ドル以上、世界シェア90%を独占する世界最大のバイオ化学会社である。

 モンサント社は遺伝子組換え種子の特許を持っており、収穫物からの種採りを認めておらず、種採りをすると特許権の侵害として訴えられる。

 モンサント社は、種子の特許によって世界中の食料支配を謀っており、仮に我が国でモンサントの遺伝子組み換えの苗の栽培が始まれば、日本古来の在来種が汚染されて絶滅してしまう危険を孕んでいる。

 TPPを謀った経団連前会長の米倉弘昌は、住友化学工業と同社の系列企業であるベーラントUSA社とモンサントと長期契約を結んでいる。

 住友化学工業では、モンサントが生産する強力な除草剤「Roundup(ラウンドアップ)」に、耐性を持つ遺伝子組み換え種子をセットで販売するが、種子法廃止はこうした国賊企業に対する忖度であり便宜であることは明らか。

 こうしたことでも安倍というのは保守とは程遠く、保守政党であるべき自民党が大企業や米国の言いなりで亡国法案を率先して可決し、食料安保という国民の食の安全をも軽視したことは万死に値する。

 この法案により、我が国は最終的に他国に食料を依存することになるということであるが、輸入国が不作になった場合や種子の売り控えということになれば、我が国の農業そのものが崩壊するだろう。

「種子法廃止」は、日本古来の種子の廃止であり、食の安全と食料安全保障を廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章である。

 種子法廃止法案に続き「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通ったが、これも種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであるが、驚くことに外資等の規制はしていない。

 つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を伴うということでもある。

 軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を、単なる経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したと断じられても致し方ない。

「平成の農本主義」を構築する為には我々は何を成すべきか。神嘗祭の今日、豊葦原瑞穂国に生まれた日本人として、その生命の根幹に関わる「農」という大問題に目を向けてみたいものだ。

 すめらぎいやさか、すめらみこといやさか。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:48|PermalinkComments(0)

2017年10月16日

過ぎたるは猶及ばざるが如し!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 衆院選挙はイマイチ盛り上がらない。テレビを観ても、希望の党を始めとした野党は安倍自民党批判ばかりで、一体どんな政策を実行するのか全くと言っていいほど聞こえて来ない。

「アベノミクスで景気回復を実感しますか?」と高齢者にインタビューする。案の定、応えは「全く実感出来ていません」。こうした世論誘導的な報道を垂れ流して恥しくはないのだろうか。

 アベノミクスの細かい所を論ったところで意味はなく、事実として民主党政権下では40兆円に満たなかった歳入を約55兆円に伸ばし、国債発行を抑えたことをしても、アベノミクスの実績は認めるべきではあるまいか。

 消費税増税は民主党政権からの継続事項であり、総選挙で信を問うのは当然のこと。だが、闇雲に認めるべきものではなく、日本維新の会が「消費税増税は議員定数の削減や報酬カット、役所の改革をした上で」とは正しく。「政治家は隗(かい)より始めよ!」とはそういうことだ。

 共産党は「増税するなら富裕層と大企業に負担を求めるべきだ」と訴えてるが、共産党幹部の生活は富裕層そのもので、如何にも貧困層や労働者の見方の様に振る舞ってるが、彼奴等の邸宅や生活は正にブルジョア。

 過日、不破哲三の都内の自宅がスクープされたが、あんな豪邸に住んでて何が共産主義か。資本家の搾取は許さないと言いながら、その実は末端の共産党員や労働者からの搾取によって成り立っている。

 立憲民主党の支持が伸びているのは、民進党支持者の中には左翼も多く、党分裂でその党内左派が枝野支持に流れているだけのこと。枝野が代表で、菅直人が最高顧問だというのだから嗤うしかない。

 希望の党の政策を見ても「反原発」を前面に出してるが、これは恩師でもある小泉純一郎への気遣いにも思えなくもないが、反原発が票になると読んでのことだとしたら小池のセンスの無さも嗤うしかない。

 それにしても民進党代表だった前原の姿が見えて来ない。尤も、民進党を分裂させた前原が前面に出てくればマイナスの要素が大きく、今回、希望の党の惨敗となればその責任は前原の政治力の乏しさに因るところが大きい。

 前原にとって希望の党は希望そのものだったのだろうが、合流を急ぐ余り、合流後、そして選挙後の政界再編の動きが全く見えず、結局は安倍自民党やアベノミクスを批判することしか出来ないのが現状。

 前原や福島三区の玄葉光一郎、松原仁などは松下政経塾出身。彼らの多くは新保守、新自由主義志向を示しているが民進党内では埋没し、松下政経塾の後輩でもある福山哲郎といった左翼が党内を席巻するに至った。

 要は、松下政経塾出身者の多くのお坊ちゃんらは、温室育ちで打たれ弱く、喧嘩に弱い連中ばかり。魑魅魍魎渦巻く政治の世界に順応出来ず、結局は逃げ出すか、相手に諂うしかなくなる。

 希望の党も、小池を代表に細野豪志や長島昭久ら少数派が小さな流れを創り出してから次に繋げれば好かったものを、何を勘違いしたのか、政権選択選挙であるといきなり大きなうねりを生み出そうとしたのが抑々の間違い。

 要は「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という様に、己らの器量を弁えない行為、つまりはやり過ぎというのはダメだということだ(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:37|PermalinkComments(0)

2017年10月15日

トランプ大統領に倣い、我が国もユネスコから脱退せよ!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 米政府は、イスラエルへの対応が改まらないとして、国連教育科学文化機構(ユネスコ)からの脱退を表明した。

 マスコミは、トランプ大統領の米国第一主義を危惧し、教育や文化を通じて平和に貢献しているユネスコへの政治的圧力だと批判するが、果たしてユネスコが教育文化を公平に扱っているかといえば疑問だらけ。

 二年前、ユネスコの世界遺産委員会で、我が国が申請していた「明治日本の産業革命遺産」の登録可否が、審議寸前での韓国側の反対で先送りされたのは記憶に新しい。

 委員会では「明治日本の産業革命」の登録可否の前に、韓国の「百済歴史地区」の世界文化遺産への登録審査が行われ、日本を含む21委員国の全会一致で決定している。

「百済歴史地区」は、韓国中西部の3地区にある百済王朝の8資産で構成するもので、これについては日韓外相会談で、我が国の「明治日本の産業革命遺産」と共に両国が登録に協力することで一致していた。

 外相会談の合意を受けて事務レベルで協議していたが、審議寸前で韓国に裏切られることとなった。直ちに日韓両国の話し合いが持たれ、結局、日本側が戦時徴用を認めることで世界遺産登録が認められた。

 その後、ユネスコは中共が登録申請していた「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録したと発表。今年になって韓国は、慰安婦関連資料のユネスコ世界記憶遺産への登録推進を謀っているが、これも登録される可能性は大きい。

「南京大虐殺」の案件は、新規登録の可否を判断する国際諮問委員会(IAC)からユネスコ事務局長のイリナ・ボコヴァに勧告され、ボコヴァが追認した。これは、ボコヴァが率先して認可したというのが正しい。

 ボコヴァは嘗て、ブルガリア共産党の党員でもあり、東欧革命後もブルガリア社会党員であり続けたことでもその品性が分かるというもの。

 トランプ大統領はユネスコというより、この共産主義者のヴコヴァに対する抗議の色合いが強いのだ。ユネスコにはこうした左翼人士が中国共産党などと結託し、我が国を貶めることに奔走しているのが実情である。

 ユネスコは国連の一機関に過ぎず、国連機関に公正・公平を求め、平和的中立や幻想を抱くのは間違いである。

 所詮「国連」とは「戦勝国」の集まりであり、戦勝国にとって我が国やナチスドイツというのは未来永劫「悪」で在り続けなければならないのだが、そこに戦勝国でもない中共がのさばってるから始末が悪い。

 こうしたことをトランプ大統領風に言えば、「ユネスコは反日的」であるのだが、悲しい哉、我が国はカタチだけの抗議で事を濁し、拒否していた38億円も、結局はユネスコの顔色を伺って作年末に支払った。

 我が国も、文化対話を通じた平和構築とは程遠い反日的姿勢を続けるユネスコの現状に警鐘を鳴らす意味でも、米国に倣い拠出金の支払いを停止し、ユネスコからの脱退も視野に入れるべきである。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:29|PermalinkComments(1)