2017年07月24日

巨大な洗脳装置がマスコミであり、国民が愚民政策の体現者でもある

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 仙台市長選が行われ、大方の予想通り民進党と共産党が支援・支持する郡和子が当選した。この結果を受けて、新聞には「政権への影響は不可避」などとの見出しが躍るが、自民党も末期的なら民進党も同じ。

 自民党が組織票欲しさに公明党と連立を図っている様に、民進党も共産党との支援欲しさに連帯すれば追々共産党に併呑されてしまうだろう。

 国益なんぞ二の次で、党利党略からこうした選挙協力が続いていることが国民の不幸であり、マスコミの誘導に因って勝敗も決まるのならば選挙の意味もない。それが投票率の低下という形で顕れている。

 大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。声の大きい者や頻繁に接する物に、人は「正しいもの」「魅力のあるもの」として誘導される。

「テレビショッピング」がその好い例で、視聴者に都合の良い部分だけを繰り返し何度も見せて、タレントや有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりすることで、視聴者は大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまう。

 テレビショッピングは一種の洗脳番組だが、毎日の様にやれ「加計学園がどうたら」「安倍首相はこうたら」なそという報道が繰り返されれば、否が応でも反自民に靡くのは当然の成り行き。

 売国マスコミにとって執拗に報道するものが見せたいものであり誘導したいものであり、報道しないものが国民には知らせたくないものなのだ。

 巨大な洗脳装置がマスコミであり、くだらない芸能ニュースやお笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者でもある。

 我が国の政治が三流と言われる一因には進歩の無いマスコミの影響がある。というか、一因どころか元凶と言っても過言ではない。

 マスコミはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと未だに錯覚している。

 マスコミやインチキジャーナリズムというのは国民の安直な正義感に利用し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し国民を誑かす。

 国民もまたマスコミの垂れ流す報道を疑いも無く信用し、利用されていることさえも分からずに幼稚で安っぽい主義主張に迎合する。

「大衆の多くは無知で愚かである」「熱狂する大衆のみが操縦可能である」と言ったのはアドルフ・ヒトラー。要は、簡単に言えば多くの有権者というのは熱し易くバカで利用し易いということだ(笑)

 こういう幼稚で始末の悪い大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しない。

 今回仙台市長に当選した郡も「夫婦別姓」を支持してる無自覚左翼であり、民主党政権下、宮城県を訪れた松本龍復興大臣が村井知事に高圧的な発言をした際にも、「松本大臣は当たり前のことを指摘したまで」と松本に諂い「復興の妨げになるので、この問題を大きく取り上げるべきでない」として擁護した大バカ者だ。

 現在の選挙制度で当選した政治家にバカが多いのは当然の結果であり、そんな政治家に期待する方がバカという他はない(笑)

 政治家は大衆に媚び諂い、「国民目線、市民目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に迎合し平均的な国民を生み出すことではない。

「国民目線」とは国民の平均値のことを指すが、平均値で国の政を行うことは余りにも危険。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 民主党の政権交代にしろ、その圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、安倍人気にしても、熱狂した国民の安っぽい風潮からホンのチョッとの間だけ支持されただけのこと。

 言い換えれば民衆の一時の気紛れの結果でしかなく、熱し易い国民は覚め易く、人気を博した安倍人気の凋落がそれを好く現している。

 売国マスコミが元凶の衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ国民が目覚めることも無い。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 08:23|PermalinkComments(0)

2017年07月23日

自衛隊の日報隠蔽より、原発事故でSPEEDIの数値を隠蔽した事の方が遥かに悪質

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 稲田朋美防衛大臣が、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題で窮地に追い込まれている。この問題の本質は南スーダンで一体何が起こっていたかということであり、日報の隠蔽云々で騒いでるのは本末転倒。

 今年2月、衆院予算委員会で、自衛隊の南スーダンでのPKOを巡り、民進党議員が、廃棄したとされる陸上自衛隊部隊の日報が見つかった問題を取り上げ、「政府軍と反政府勢力の大規模な衝突が起き、戦車も繰り出され死傷者数百人が出た。戦闘が生起した」という記述について政府の認識を質した。

 この質問に対し稲田大臣は「一般的な用語では戦闘だが、法的な意味では戦闘ではなく武力衝突」と説明し、「憲法9条上の問題になるので『戦闘』ではなく『武力衝突』という言葉を使っている」との表現で事を濁そうとしたことで屋上屋を架す事態に陥った。

 実に平和ボケを象徴する様な質疑応答だが、こうした不毛の議論というのは平和を創出する為に命懸けで行ってる自衛隊員に対する冒涜であり、平和維持活動と雖も戦闘は起こるし、結果的に殺し合うことにもなる訳で、いい加減、机上論でのキレイゴトは止めるべきだ。

 過去にはPKO活動で亡くなられた日本人もいるし、「武力衝突」だろうが「戦闘行為」だろうが、そんな言葉遊びに意味はなく、日報の隠蔽がどうたらこうたらと、党利党略の議論にはうんざり。

 軍隊や軍人へ敬意を払うことは世界の常識なのだが、日頃自衛隊を否定しながら如何にも自衛隊を慮ってるかの様に振る舞うクソ野党と口ばっかりのインチキ保守。自衛隊に感謝や敬意どころか互いにクソ憲法を優先し、くだらない国民不在の政争を繰り返し、それに便乗する売国マスコミ。

 隠蔽が大問題というなら、こんなPKOの日報よりも、東日本大震災に因り東京電力福島第一原子力発電所が損壊するという危機の中で、民主党政権下でSPEEDIの数値を隠蔽した事の方が遥かに悪質だろう。

 本来であれば、SPEEDIの数値を参考に避難指示や避難命令を出すべきところ、科学的データを無視して「原発周辺20キロ圏内」避難命令を出した。

 この根拠のない数値に基く避難命令で、動かしてはいけない双葉病院の患者44名の死亡重篤な患者を強制的に移動させ死亡させた。

 放射線の数値が少ない地域の強制的な避難指示に因って町を崩壊させたのも、未だに帰還困難者が居るのも、当時の災害対策本部長の菅直人が元凶であり、SPEEDIの数値の公表が遅れたのは、この「原発周辺20キロ圏内」という根拠の無い避難指示を正当化する為に隠蔽を謀ったからだ。

 マスコミは自衛隊の日報隠蔽を論うが、原発事故での菅政権の行った「原発周辺20キロ圏内」という根拠の無い避難指示とSPEEDIの数値の隠蔽を糾弾したかというと、売国マスコミは拱手傍観を極め込んだ。

 福島の復興は愚か復旧をも阻害してるのは、菅政権の不作為が元凶である。自衛隊の日報隠蔽なんぞ、菅直人のやった事に比べれば屁の様なもの。稲田ももっと堂々とすりゃ好いものをキョドッてるから足元を見られ、クソ野党に付け入れられるのだ。まあ、与党も野党も末期症状だからどうでも好いか。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:53|PermalinkComments(0)

2017年07月20日

政治家へのテロを容認すれば少しは真面目にやるかもよ(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 上西小百合衆院議員が殺人予告で警察に相談という記事を見た。こんなのがニュースになるのだからホント平和そのもの。みんな死ねば好いのに(苦笑)

 何やら、浦和レッズとドイツのドルトムントとのサッカー親善試合が行われた試合後、上西小百合がTwitterで吠えた。

「浦和酷い負け方。親善試合は遊びなのか」「サッカーの応援してるだけのくせに何かやった気になってるのムカつく。他人に自分の人生乗っけてんじゃねえよ」などと投稿し、ネットは大炎上。

 上西議員のTwitterには脅しや殺害予告までが届き、上西は警察に被害の相談。釣りでツイートしときながら、釣られたサポーターによって炎上したら警察に相談ってのはホント嗤える。

 政治家の発言や一挙手一投足は国民に注目されるのは当然の事で、煽ったツイートをすれば過激な応えが来るのは当たり前で、それを承知で面白がってやってたんじゃないんかいな。

 上西は浦和レッズに面会を申し入れし「(サポーターと)会って話がしたい」とのことらしいが、要はこれが目的か。騒動を利用してサッカーファンの票欲しさの話題作りとしか思えない。

 政治家とは国民の模範となるべき立場であり、どんな些細な発言や行動にも責任を持つべきで、その発言や行動が国民の怒りに触れ天誅となったなら、それはそれで諒とすべきだ。

 三島由紀夫は嘗て政治家の怠慢を比喩的にこう表現した。

「喩えば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける」

 我が国の政治家が無責任になった大きな要因には「テロ」がある。どんな事をしようが、暗殺されるという恐怖が無いから売国奴が増殖するのだ。

 国益を忘却し、党利党略、私利私欲に狂奔する政治家に「天誅」とは言わないまでも、一発、ポカン!と食らわしたいと思ってる市井の戸は少なくないではなかろうか。

 だが現実には、国会議員の要人に対する警備は過剰で、テロは疎か野次さえもロクロク飛ばせない状況だ。

 こうした過剰警備が、政治家が真剣に政治をやらなくなった原因であると断じても過言ではない。

 政治家の警備に当たるSPは、その昔、大日本愛国党の書記長だった筆保泰禎が、佐藤栄作元総理の葬儀告別式の際に葬儀委員長の三木総理を殴打した事件をきっかけに創設されたものだ。

 あわや浅沼稲次郎暗殺を彷彿させたが、筆保書記長は取り調べで「容共的な三木に猛省を促すのが目的だった」と述べている。

 以前、筆保書記長に、この事件の逸話を聞いたことがある。

 筆保書記長が三木を殴打した際に、三木が発した言葉は「犯人はコイツだ」と言ったそうだ。そんなことはテレビ中継もされてたし、誰もが分かることだ(笑)

 昔の政治家ならば、「話せば分かる」とか、「男子の本懐」ってなことになるのだろうが、三木の小物ぶりを示すものだろう。

 筆保書記長は、「右翼も確かに小さくなったが、政治家はもっと小者になった」と自嘲気味に語っていたのを思い出す(笑)

 こうした小者の政治家を物々しく警備をするから、政治家は、然も自分が大物にでもなったと勘違いしてしまうのだ。

 国益を重んじて政治を真剣にやらなければ暗殺されるという恐怖が無くなってしまったことが、政治家の堕落と怠慢を生んだ。

 一般人を巻き込んだテロに大義はないが、国益無視で党利党略や私利私欲に奔る政治屋へのテロを容認すれば少しは真面目に働くかもよ。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 09:34|PermalinkComments(0)

2017年07月19日

横綱・白鵬の勝ちに拘る相撲を観ながら大相撲を憂う

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 大相撲名古屋場所で横綱白鵬が、千代の富士の持つ通算1045勝に並び、魁皇の通算記録を今場所中に破ることは確実となった。

 日本人横綱不在の中で、外国人力士、特にモンゴル人力士の活躍は大相撲人気を支え、中でも白鵬は日本人以上に日本人らしく振る舞っていたのも事実だろう。

 日本人女性と結婚し、子供を日本人として育てている立派な日本人だと思うが、未だ白鵬を外人とする風潮は止むことはない。

 白鵬自身も「平成の大横綱」として、千代の富士や二代目貴乃花らの様に一代年寄りを与えられる資格はありながら、国籍に拘り、「モンゴルの国籍の儘でも一代年寄りを貰えないのは可笑しい」と言って憚らない。

 この発言は、我が国の歴史や伝統を軽視するもので、その言い分は身勝手なものと断じざるを得ず、白鵬を庇い続けて来た愚生でも違和感を覚える。

 最近の白鵬は相撲に拘りは無く、勝ちに拘り、醜い相撲が目立つ。大関・横綱と伸上がって来た頃の様な堂々とした相撲ではない。

 最近は「張り差し」と変化ばかり。張り差しとは、張り手をして自分の形に組む立会いで、白鵬は張り手から「かち上げ」、そしてまわしを掴んでというパターンか、立ち合いの変化から勝負に持ち込むパターン。

「張り手」というのは下位力士は番付上位の相手にはやらない。況してや横綱となれば失礼になるのでやらないことが暗黙の了解。

 横綱にしてみれば相手は下位の力士であり、「張り差し」をするのは当たり前かも知らないが、自分だけしかできない技を、下位力士にすることは狡いし、卑怯だし、観ていて実に醜い。

 横綱は相手が同じ横綱同士以外は「張り差し」はやらないのが相撲界の仕来りであり慣例だったが、白鵬の「張り差し」は下位相手、上り調子の若手や初顔合わせとなると必ずと言っていいほどやってくる。

 白鵬の相撲は今や横綱として正々堂々とした相撲では無い。単に勝利数を重ねることで相撲界の慣例を打破し、国籍無視の一代年寄りを享けようと謀っているのではと思うのはちょっと穿ち過ぎか。

 大相撲は、明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、国技を自任し、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、天皇賜杯を戴く保守の牙城とも言うべき存在である。

 この大相撲を目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼勢力が、「賭博」やら「八百長」やらを執拗に煽り立て、糾弾したことは記憶に新しい。

 恐らくは、こうした大相撲を目の敵にする勢力から、「通算勝利記録と歴代一位の優勝回数を誇る一代年寄りを白鵬に与えないのは、日本人差別社会の現象である」とのキャンペーンが張られ、長年守って来た大相撲の伝統と慣例が破られることになるのではあるまいか。

「蟻の穴から堤も崩れる」ではないが、大相撲ファンの一人として、白鵬の勝ち星に拘る卑しい相撲を観ながら、その裏では大相撲の存続にも影響しかねない怪しい何かが蠢いている気がしてならない。杞憂なら好いのだが。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:15|PermalinkComments(0)

2017年07月18日

石破茂の安倍批判は小池百合子との連帯への布石か(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 石破茂の安倍批判が止まない。石破の発言を持ち上げてるのは、朝日新聞を始めとする反安倍のマスコミばかりというのも何かを況や。

 回り諄い物言いで尤もらしく語ってはいるが、安倍憎しからの僻みにしか聞こえないし、反安倍、反自民に利用されてるのが分からないのか。

 まあ、ポスト安倍に成れない石破にしてみれば、自民党からの除名は願ったり叶ったり。各政党を渡り歩いた石破の前歴を鑑みれば、今や大ブームの小池百合子都知事との連帯への布石だろうか(笑)

 その昔「政治倫理の確立」を訴え、理路整然と憲法を語り、国防を論じる石破茂に衝撃を覚え、こうした国家観を持った政治家の出現を嬉しく思ったものだ。

 だが、その後、自民党を離党し「改革の会」に参加した辺りから鍍金が剥がれ始める。「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を経て「新進党」結成に参画したものの、結局は古巣の自民党に復党した。

 こうなったのも小沢との確執とも言われているが小沢と共通する部分も多く、支那に阿ることに於いては小沢を凌ぐのではなかろうか。

 石破は「国防」が得意分野ということで「タカ派」のイメージを持っている人が多いが、その実は戦後民主主義にどっぷり浸かった無自覚左翼というのが正しい。

 所謂「田母神論文」が問題にされた際には、田母神に対して異常ともいえる反論を行ったが、支那への批判は赦さず、中共に阿る姿は尋常ではない。

 第二次世界大戦は日本による「侵略戦争」と断じ、大東亜共栄圏が「侵略戦争遂行の為の詭弁でしかなかった」との認識を示しているのは周知の事実で、こんなのが何故に保守か。保守したいのは己の立場だろう。

「今迄に靖國神社には参拝したことがないし、これからも参拝するつもりはない」と公言し、内閣総理大臣の靖國神社参拝に反対を表明した。

 靖國神社の政治利用に異論はないが、石破の反対理由は詭弁であり、主張する「A級戦犯分祀」も実に胡散臭げでしかない。

 石破は「A級戦犯の分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用し詭弁を弄するが、我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」という呼称はない。

 我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日の講和条約が発効した翌年の第16国会の議決により、「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されているのだ。

 連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称され、靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。

 石破が公然と「戦犯」と呼称していること自体が、政治家として国会決議を無視してる証左であり、イカサマ保守というのが正しい。

 今迄にも中曽根康弘や小沢一郎、前原誠司ら曲学阿世の大馬鹿者が、韓国や中共の内政干渉に屈し、A級戦犯と呼称した挙句、英霊を戦争犯罪人と断じ「分祀論」を提言して国民を撹乱しているが、こうした「分祀論」こそ、国を誤る最も危険な愚論でもあるのだ。

 こうした売国的主張が左翼ではなく、保守を標榜する議員から発せられること自体、実に悪質且つ危険なものと断じざるを得ず、石破が偉そうに安倍を批判しようがポスト安倍に成り得ることは無いだろう。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:24|PermalinkComments(0)

2017年07月17日

「二重国籍を明らかにしろ」とはレイシストや差別主義者の言い分らしい

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックに御協力下さい!〉

 本日は「海の日」。「国民が海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」とされ、ハッピーマンデーの祝日の一つでもある。だが本来の「海の日」の意味は、その「海の恩恵に感謝する」という趣旨とは全く違うものだ。

 戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで國全体が保たれるのならばと己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

 明治9年、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた明治天皇が、「明治丸」で横浜に帰港された日が7月20日である。

 この20日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。この巡幸の目的が戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。

 出発は6月2日、馬車で福島から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇も各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。

 弘前に在る「東奥義塾」では外国人教師による英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され、ウェブスター辞書を買う代金にと一人につき金五円を下賜された。

 また或る地方では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。

 どの逸話も明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体、東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。

 この東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだ。「海の日」は20日だからこそ意味がある。

 閑話休題、今日の地元紙の一面トップには「内閣支持率 最低35.8%」「続落 不支持率53.1%と逆転」との共同通信社による世論調査の記事が躍る。

 二年前、安保関連法案がマスコミや野党により「戦争法案」などと煽られた結果、内閣支持率が37.7%、不支持率は51.6%となり、「安倍政権発足から初めて支持と不支持が逆転」との仰々しい記事が躍ったのを思い出す。

 安倍内閣の支持率が発足以来最低の数字を叩き出したのは、連日垂れ流された加計学園問題などの作為的なマスコミ報道による結果である。

 加計学園問題は、マスコミは前川喜平・前文部科学事務次官の言い分ばかりを垂れ流し、国民世論を誘導した。

 だが、先日の国会での参考人招致を見ても、加戸守行愛媛県前知事の発言こそ正論であり、行政が歪められたのではなく、行政が糺されたというのが正しく、その経緯と真実を知れば安倍への批判も沈静化されるだろう。

 内閣支持率というのは大した意味はないが、マスコミや野党が騒いでる割には冷静に見ている国民が多いということは、ある意味、日本人のバランス感覚の好さを示している数字でもある。

 中でも嗤えるのは政党支持率で、自民党が下がるのは分かるが、民進党の支持率も下がっているのは、安倍内閣より危機的状況だろう(笑)

 これをしても日本での二大政党制というのは不可能であり、国民性にも合致しない事が窺える。小選挙区制なんぞ止めてしまえ。

 民進党が国民の支持を得られないのは、旧社会党よりも酷い政府与党への批判のみで、対案を示さない事に尽きるが、蓮舫代表の表情も余裕もなく、般若の様な人相は見ていてもどこか痛々しい。

 民進党の不支持の一因には蓮舫代表の二重国籍問題があるが、蓮舫はこれについて「戸籍は個人のプライバシーに属するものであり、積極的に、或いは排外主義者・差別主義者の方達に言われて公開することは、絶対にあってはならない」と述べた。

 蓮舫に言わせれば「二重国籍を明らかにしろ」とはレイシストや差別主義者の言い分らしいが、こういう横柄且つ傲岸不遜な態度が嫌われるのだ。

 同じく「二重国籍」問題が騒がれた自民党の小野田紀美参院議員がこの問題を「国籍法14条の義務である日本国籍の選択を行ったかどうかは戸籍謄本にしか記載されません」とし、分かり易くこう述べている。

「公職選挙法及び国籍法に違反しているかどうか、犯罪を犯しているかどうかの話をしています。日本人かそうでないかの話ではない。合法か違法かの話です」

 蓮舫が小野田議員の様に戸籍謄本を開示しない限り、公職選挙法及び国籍法違反という疑いが消えることはない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックに御協力下さい!〉

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:20|PermalinkComments(0)

2017年07月16日

「死刑」は他人を犠牲にした犯罪への相当の審判であり「死刑制度」とは死刑囚への大慈悲である

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックに御協力下さい!〉

 平成3(1991)年、兵庫県姫路市と京都市でスナックの女性経営者四人を殺害したとして死刑判決を受けた警察庁指定119号事件の西川正勝と、平成23(2011)年に岡山市で元同僚の女性を殺害した住田紘一の死刑が執行された。

 西川正勝に及んでは命惜しさから再審請求が成されているが、再審請求中の執行は異例。だが、明らかな誤審ならいざ知らず、執行逃れの延命の為の再審請求は身勝手な姑息な行為と言わざるを得ない。

 御決りの人権団体はこの再審請求中の執行に一斉に反発し批判してるが、人権団体を自任するならこんな身勝手な死刑囚なんぞより、一昨日亡くなった劉暁波の中共政府に因る弾圧に対しても批判したら如何か。

 新聞には、ここ十年の法務大臣と死刑執行の数が載っている。十年で18人という大臣というのも嗤えるが、民主党政権下の柳田稔、仙谷由人、江田五月、平岡秀夫、田中慶秋(殆ど任期は無かったが)、滝実、安倍政権下では松島みどりの執行人数は0。これを職務怠慢と言わずして何という。

 刑事訴訟法では、死刑確定から六ヵ月以内の執行を定めており、何れも六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならない。と定められている。

 法務大臣の心情なんぞ関係なし、法務大臣の任を享けたのならば覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきで、それも出来ないのなら法務大臣の就任は拒否するべきで、大臣なら頂いておこうとという気持ちが卑しい。

 我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布され、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が80%以上もいるのは、国が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならない。

 死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見は殆ど聞かない。

 死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見は少なくない。いつも思うことだが、この「世界では」とか「どこそこでは」という屁理屈は、実にいい加減で胡散臭げなものが多い。

 死刑廃止の理由として挙げられる理由は「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」とか、「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」という性善説など様々だ。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、そういう疑いのある事件は再審対象にすればいいだけの話し。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんなものに与する方が間違いだ。

 左翼人士や自称・人権派弁護士などにも、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また無神論者でありながら都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや再審請求を利用して執行停止を謀るなど笑止千万。「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、前述した通り、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無いし、犯罪が減るとも思えない。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。大事にしなければならないものは肉体より魂、精神性である。

 死生観の違いといえばそれまでだが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証され、のうのうと生きてるというのも如何なものか。

「死刑」は他人を犠牲にした犯罪への相当の審判であり、無駄に生き長らえて来た人生にピリオドを打つ為の優しさでもあり、「死刑制度」とは死刑囚への大慈悲である。私感を抜きに法律に基いて粛々と執行すべし。 

 にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
〈ブログランキング応援クリックに御協力下さい!〉

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:19|PermalinkComments(0)

2017年07月15日

死んでも尚、光彩を放ち続けることだろう。合掌

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 中共政府の一党独裁の廃止こそ人民を救うという信念で活動を続けていた、ノーベル平和賞受賞者でもある劉暁波が幽冥境を異にした。

 中共政府からの弾圧と制裁を受けながらも、共産党一党独裁の廃止こそ人民を救うという信念の基に民主化運動に取り組んできた姿勢と信念、勇気と良心は賞賛且つ尊敬に値する。活動家とは斯く在りたいものだ。

 1989年6月4日の天安門事件で民主化運動の扇動者として「反革命宣伝扇動罪」で逮捕・投獄された。

 他の民主活動家が病気治療の名目で国外に移住した中で、劉暁波は国内に留まり刑期を満了。しかし、2008年12月、共産党の一党独裁体制廃止を明記した「0八憲章」を起草・公表した為に更に11年の刑に服することとなった。

 刑期中病気が悪化。我が国の人権団体が沈黙する中で、欧米各国や全世界の人権団体は中共政府に釈放を求めるも拒否。今年五月に末期癌と診断され病院に移送されたが当局の監視は続いていた。

 服役中の2010年12月、基本的人権確立の為に非暴力で中共政府と闘争して来たことが評価されノーベル平和賞を受賞した。

 支那人初のノーベル賞受賞者が獄中の活動家というのが如何にも中共らしいが、中共政府の圧政に呻吟している人民や近隣諸国にとっても。劉暁波のノーベル賞は快哉であった。

 中共での平和賞の受賞は、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が1989年に受賞して以来二人目。

 度重なる中共政府の圧力や抗議に屈せず、劉暁波に平和賞を授与し圧政と人権侵害に警鐘を鳴らしたノーベル賞委員会もまた称賛に値する。

 それに比べて、民主活動家のノーベル平和賞受賞により中共政府の人権侵害が浮き彫りになる中で、中共に阿る我が国は拱手傍観を続けたことは情けないというより、恥かしい。

 我が国に先の大戦の責任が在るとすれば大東亜戦争に敗北し、共産主義の跋扈と中共の驕逸を許した事だろう。その償いは共産主義を撲滅すこと以外にはなく、正しく劉暁波が起草した「0八憲章」の実行は我が国の国益にも適うものだ。

 中共が共産主義を捨て去った時こそ自由と平和、民主主義を齎し、我が国を始めとした国々と真の友好関係が築き上げられる。

 だが、未だ共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、信仰の自由も集会、結社、出版、言論、表現の自由という基本的人権が無い国との友好など単なる妄想に過ぎない。

 満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」と主張する中国共産党こそ、今世紀最大の「帝国主義国」である事を忘れてはならない。

 中共には劉暁波以外にも隠れた英雄達が中共の圧政で呻吟している人民を救う為に命懸けで戦っている。

 中共には「愛国無罪」というものがあるが、劉暁波らこそ真の愛国者であり、死んでも尚、光彩を放ち続けることだろう。合掌

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:06|PermalinkComments(0)

2017年07月14日

安倍が自民党を劣化させたのではなく、自民党が劣化していることに気付いていない

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 文芸春秋の「安倍が自民党を劣化させた」との記事が目に留まり読んでみた。誰が言ってるのか、自称か分からんが「ミスター自民党」らしい村上誠一郎。諫言というからには、大所高所から俯瞰した苦言が呈されてるのかと思いきや、所詮は目先の加計学園問題や安倍の一挙手一投足に対する批判。

 都議会戦最終日、秋葉原には反自民党勢力や左翼らが結集して「反安倍」を叫び、安倍自民党を罵る。これに対し安倍は「こういう人達には負ける訳には行かないんです」と訴えるも、マスコミは妨害に来た勢力に与し安倍を批判する。

 反対勢力の妨害に乗っかった安倍も確かに軽いが、演説というのは同調者の拍手より、反対派からのヤジというのは有難いもので、それだけ相手に響いているということでもあるのだ。まあ、安倍も余裕が無くなったのは確か。

 愚生も新橋で、幕末から明治近代史や大東亜戦争に至った経緯などを演説してると、よく朝鮮人らしき人に「この噓吐き」とヤジられたものだが、ヤジが出ない仲間内だけの演説なんぞやらない方が好い(笑)

 要は「安倍が自民党を劣化させた」のではなく、自民党が劣化していることさえもに気付いていなかっただけのこと。何が「ミスター自民党」か。所詮は自民党の陋習であり、仰々しく「ミスター自民党」を自任するならこういう旧態依然の批判ではなく、自民党がやるべき大義を国民に示すべきだろう。

 我が国の政治の不幸は、自民党以外の保守政党を選べないことに尽きるが、その自民党が保守政党と言えるのかといえばそれも疑問で、唯、保守票欲しさに保守のカタチを取り繕っているだけに過ぎない。

 選挙制度にも問題がある。小沢一郎が謀った二大政党へ向けての小選挙区制という二者択一は、中庸を重んずる国民性からも向いてはおらず、早々に中選挙区制や一県全土での大選挙区制を導入すべきではあるまいか。

 自民党か民進党かと問われるが、どちらも支持してなければ棄権するしかない。だが、昔の中選挙区や、大選挙区、つまり全県で例えば10人となれば弱小政党にもチャンスは巡って来るし、有権者の選択肢も増える。

 何れにしても自民党のこの世の春の終焉は近いが、それより民進党が崩壊する方が早いだろう。そして自民党VS国民ファーストの構図が形成され、同じ様な衆愚政治と大衆迎合主義が繰り返されて行く。

 自民党綱領には、自主憲法制定は取り除かれ「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として次の様に明記されている。

【私たちは国民一人ひとりが人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。・・・教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】

 実にいい内容だが、何一つ実行していないではないか。

「教育に惜しみない資源を配分し」とは、高校教育の無償化や給食費の無料化だとすれば本末転倒。教育の中身を論ずることなく教育を語る勿れ。

 アベノミクスなその財政再建や社会保障も大事だが、経済至上主義ではなく、日本国民としての普遍的規範を身に付け、家族、仲間との絆を深め、共に支え合って地域と国家に尽くす日本人を如何にして育むことこそ大事なことだ。

 男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、協働・共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは女性天皇容認論と女性宮家の創設など次から次へと策謀を重ねている。

 こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは悲しい哉、共産党ではなく、保守を自任する自民党だったというのは実に御粗末という他はない。

 自民党の「立党宣言」にはこう明記されてるのを知っているか。

【社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである】

 自民党が保守政党を自任するならば今こそ立党精神に立ち返り、過去の容共的愚策の実行という過ちを糺すと共に、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動とすべからく対峙すれば自ずと支持率も恢復するだろうし、日本再生もそこの成否に懸かって来る。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:18|PermalinkComments(0)

2017年07月12日

従軍慰安婦をユネスコ世界記憶遺産へ登録申請し慰安婦博物館建設へ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 韓国の鄭鉉栢女性家族部長官は、旧日本軍の慰安婦被害者が共同生活を送る施設「ナヌムの家」(京畿道広州市)を訪れ、被害者と面談し、ソウル市内に慰安婦博物館を建てる方針を表明した。

 博物館建設より先立って、慰安婦関連資料の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界記憶遺産への登録推進を謀ることも明らかにした。

 余程のバカじゃない限り、朝鮮人が主張している様な「何十万人という朝鮮の乙女が強制連行され慰安婦にされた」などとの虚言を信じている人はいない。

 嘘も吐き続けると真実になるとはよく言ったもので、これらの虚言に何ら反論もせず、揚句に同調する日本人がいることに開いた口が塞がらない。

 鄭長官は「戦争が齎した人権侵害について記憶し、注意を喚起するメッカの役割を果たすことが出来る」と述べ、「慰安婦問題は最早、韓日間の問題ではなく国際的問題だ」と悦に入る。

 ならば、国際的問題である「ライダイハン」に向き合ったら如何か。ベトナム国民は、韓国軍の蛮行を決して忘れはしないし赦すことはない。

 統一後のベトナムでは、ライダイハンは「敵国の子」とされ迫害の対象となった。1987年に米国政府は戦争責任からか混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、韓国側は今迄に一度たりとも謝罪もせずに沈黙を続けている。

 慰安婦問題で我が国政府が公式・非公式に謝罪し、しなくてもいい補償までしているのとは対照的で、我が国を見倣って、韓国もベトナムに謝罪と賠償を行ってみては如何か。ってか、そんな度量もないか(苦笑)

 韓国人は、安っぽい「反日」から、然も愛国者気取りで日本に憎悪を剥き出しにする。だが、国家の過ちを批判し糺すのが愛国者であって、国際法を無視してまで反日に奔る韓国には真の愛国者や憂国の士はいない。

 尤も、我が国にも「反韓」「反中」を叫んで「親安倍」を標榜してる自称・愛国者らがうじゃうじゃいるが、そう考えればどっこいどっこいか(笑)

 自国の過ちを我が国に責任転嫁することは容易いが、他所の国を批判する前に、自国の歴史を冷静に公平・公正な目で学ぶべきだろう。

 韓国の歴史認識は「反日」から発したものばかりだが、米国の占領政策によって自虐史観を植え付けられた我が国の戦後民主主義者や珍左翼と同じで、未だ洗脳から目覚めることはないというのも気の毒とも言える。

 韓国は憲法前文で「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。だが「大韓民国臨時政府」は国際的にも認められておらず、サンフランシスコ講和条約への署名も認められなかった。

 国際的な常識を無視し、「独立を我々の手で勝ち取った」という神話を捏造してしまったところが韓国の悲劇と言えるが、そうしたウソを認識し、改めない限り、世界からも取り残されて行くだろう。

 今回の慰安婦博物館にしても記憶遺産への登録にしても、国際的な約束を反古にし「やられたくなければ要求を呑め!」との言い分だが、単なる強請りタカり。こうした牽強付会の説がいつまでも通用するものではない。

 慰安婦問題に於いて韓国人を付け上がらせたのは、我が国の歴代政権の弱腰外交と甘やかしであることは言うを俟たない。

 歴代の日本政府が譲歩して来た結果が、更なる不当な要求を生んでいるのだが、強請り、タカり、恩知らずの韓国というのは、文化の違いというより、人品の違いという一言に尽きる。

 人品に悖る韓国人には言葉足らずの日本的美風は通じない。500年も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責める韓国には、論拠を示し、毅然と対応するべきだが、一番効果的なのは己が気が付くまで無視してるのが好い。

 因みに無視することを「シカト」と言うが、これは花札の十月の札の絵柄の鹿が横を向いていることから、鹿(シカ)の十(トオ)からそう呼ばれるが、対韓外交はやはりシカトが好い。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:06|PermalinkComments(0)

2017年07月11日

爆発五郎、渓流釣りとラーメンで英気を養う(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 日曜日は幼馴染で釣りの師匠でもある(今は愚生の方が上手いが:笑)哲ちゃんと三年の禁漁が明けた飯豊山系の新潟県実川に出没して来た。

 午前三時前に自宅に迎えに来て貰いイザ出発。片道約二時間半の道のりを、まだ薄暗い中、満月を追いつ追われつ現場に向かう。

19905283_1182838848487867_2110848781973659726_n
 現場に着いた頃はもう明るくなっている。身支度を整えていつものポイントに下りる。大きな石が流されてて流れが以前の景観とはビミョーに変わっている。

 哲ちゃんは奥の岩場に、愚生は下の岩場で竿を出す。直ぐに愚生に当たりが。慎重に手繰り寄せ一匹目ゲット。27センチの綺麗なイワナ。取り敢えず魚籠に入れとく。続いて20センチ。二匹ともリリース。

 結局、ここでは哲ちゃんにヒットなし。上流には車数台が入ってるので下流のポイントに移動。30メートル程の崖を慎重に下りる。

19894952_1182838911821194_2969282522627007351_n
 イザ実釣。釣れるわ釣れるわ、20センチ程の小さいのが3匹程続いた次に28センチを釣り上げる。リリースしようと思ったら哲ちゃんが「欲しい」というので譲る。結局、このポイントでは7匹と戯れた。

 哲ちゃんの魚籠を覗くと25センチ程のイワナ2匹と、20センチ程のイワナ2匹。リリースしなさいっての(笑)

 次のポイントに移動しようと下りた崖を攀じ登る。体力に乏しい愚生にはこれがしんどい。息は上り、心臓がバコバコ言ってる中でどうにか這いずり上がった。次のポイントに行くと、さっきより高い(笑)

 崖を下りるのも枝を持ったり草にしがみついたり、慎重に下りないと危険。以前来たことはあるが岩場が好い感じで、大物が釣れそうな予感。哲ちゃんは、胸ほど浸かりながら川を渡り対岸へ移動した。

 早速、愚生にヒット。かなりの大物だったが上げる手前でバラす。激流なので錘を重くするも、これが災いして二回続けて底の石に飲み込まれ仕掛けがダメに。

 タックルボックスを見れば針も無いし、餌も残り僅か。哲ちゃんは対岸にいるので貰いにも行けないし、哲ちゃんの釣りを鑑賞することに。

 すると間もなく哲ちゃんの竿にアタリが。しなりからするとかなりの大物、岩場に強引に抜き上げるも掴む寸前でバラした(笑)

19884086_1182838935154525_6027294932756387692_n
 暫くするとまたアタリが。今回も竿が好い感じでしなってる。イワナがジャンプして針を外そうと身体を捩るも、哲ちゃんのテクニックに完敗。おお~、尺上の35センチゲット(バンザ~イ)

 太陽の日差しが強くなって来たので撤収することに。哲ちゃんはイワナの腸を処理。愚生は50メートル程の崖を見上げて憂鬱な気分になる(笑)

 帰りは、数年前まで喜多方に在った名店「さゆり食堂」の系列店「ラーメン伊藤」で昼食。ここのラーメンは煮干しの風味が強く、チャーシューもトロトロで美味いんです。渓流釣りの帰りの食べ歩きも醍醐味の一つ。

19787208_1182917751813310_917778620421412480_o
 哲ちゃんはラーメン大盛り。愚生が食べたのは「背脂ラーメン」。汗をかき過ぎて血液がどろどろだろうに、自殺行為だわな(笑)

 源流釣行はきついが楽しい。久しぶりの気晴らしとなったが、今朝は案の定筋肉痛。今日も暇だし、仕掛けを作って次に備えとこう(笑)

 釣りは釣ってる時も、釣りに行く前も、釣りが終わってからも愉しい。「人生を楽しみたいなら釣りを覚えなさい」とは、蓋し正論。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:32|PermalinkComments(0)

2017年07月10日

福島市の荒川が「水質が最も良好な河川」として7年連続で「日本一」に輝いた!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 国土交通省は、全国の一級河川の水質調査結果を発表し、福島市の荒川が「水質が最も良好な河川」に選ばれ、7年連続で「日本一」に輝いた。

 原発事故後、右翼のカリスマ・野村秋介の遺した「友よ山河を滅ぼす勿れ」との言葉を利用して原発反対を叫ぶ活動家がいる。

 反原発や脱原発を訴えるのは勝手だが、「美しい福島の自然は破壊された」などと、福島の現実を無視して嘘を垂れ流すのは迷惑千万。

 福島市を流れる一級河川「荒川」は、原発事故前の平成17年と18年連続で「日本一」に輝くも19年には受賞を逃した。

 だが、翌年20から沿岸の住民や市内の企業による「クリーンアップ大作戦」などの努力もあり、7年連続で「日本一」を維持して清流を保っている。

 原発事故後も福島の地は汚れてはいないが、これでも何故に「福島が滅んでる」などと言い張るのか。我が故郷を貶めること勿れ。

 沿岸の破壊された光景は大津波によるもので、それは宮城県や岩手県も同じこと。放射線への過敏な反応の元凶は左翼による煽動であり、大衆がプロパガンダに騙されているに過ぎない。

「原発周辺が破壊されているじゃないか」とか「県内外に避難している被災者は原発事故の最大の被害者」だともいう。

 こうした誤解は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク(SPEEDI)の数値を無視し、「原発周辺20キロ圏内」という根拠のない​避難指示に拠るところが大きく、SPEEDIの隠蔽はこの誤った避難指示の正当化である。

 原発の北側に在る浪江町や飯館村、葛尾村の放射線量が多いのを知っていな​がら「原発周辺20キロ圏内」に拘った為に被害が拡大し、要らぬ避難やそれに伴う補償をせざるを得なくなった。

 早々に撤回し、SPEEDIに因る科学的データに基いて対応してれば混乱は最小限に抑えられただろう。要は「原発周辺20キロ圏内」という意味不明な避難指示を撤回する​ことを躊躇した菅直人と民主党政権の責任は重い。

 抑々「半径20キロ圏内」という線引きで避難させられた原発南側の楢葉町や広野町の放射線数値は然程高くはない。川内村に至っては避難先となった郡山市より低いのを知ってるだろうか(笑)

 正に原発事故というのは、反原発派であり、再生可能エネルギーの普及に躍起になった菅直人による我田引水的マッチポンプに他ならない。

 民主党政権下で行われた避難指示にしろ、過敏な放射線数値にしろ、それに伴い実行された意味のない除染にしろ、悉く意味のないものばかりで、復興は愚か復旧をも阻害してるのはこうした愚策に因るところが大きい。

 福島第二原発は全く被害は被っておらず、事故対策を万全にし、全国に先駆けて再稼働させることこそ復旧と復興にも大きく貢献するだろう。

 何より、現在避難している被災者は原発関連で働いていた人が少なくなく、原発を廃炉にしながら、帰還命令を出したところで働き先はなく、それこそ「戻れ!」というのは無責任極まる措置でもある。

 原発稼働停止により、全国的に買い漁られた土地が切り崩され、太陽光パネルが敷き詰められてる光景にこそ営利至上主義そのもの。

 福島原発事故を詰るなら、原発事故を利用して、営利に狂奔する悪徳資本家に対してこそ「山河を滅ぼす勿れ」と断じるべきだろう。

 太陽光エネルギー事業で伐採された森林は、バブル崩壊で荒れたゴルフ場となったのと同じく、麗しい緑豊かな森が元の姿に戻ることはない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:44|PermalinkComments(0)

2017年07月08日

「盧溝橋事件」から80年。未だ国内に蔓延する明らかな誤謬

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 7月7日は「支那事変(日支事変、日中戦争)」の引き金となった「盧溝橋事件(七七事変)」が起きた日であり、昭和12(1937)年に勃発した盧溝橋事件から80年が経つ。

「日中戦争は、我が国の侵略戦争だ」という認識が蔓延しているがこれは明らかな誤謬であり、無知と自虐史観による処が大きい。

 我が国は、「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのだが、盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのは中国共産党の方だった。

 上海でも日本人保護の為に合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、戦争は本格化したが、何れも中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は我が国ではなく中国共産党である。

 戦争勃発前は果たしてどういう状況だったかというと、支那の新聞の大勢は「対日主戦論」が幅を利かせていたことは言うまでもない。当時の主戦論には、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループ。

 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っており、特に、共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていたことは歴史的事実で、これは現在も引き継がれている。

 昭和6年(1931年)11月には、江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国が、毛沢東の名により日本に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で日本への攻撃が起っても不思議ではない状況の下で昭和12年(1937年)7月7日に事件が起ったのだ。

 実は共産党にとって当時の状況は深刻で、西安事件により蒋介石は共産党攻撃を中止し、共産党と協力関係を作ることを約束した。しかし、その後、蒋介石は共産党に対し次々に厳しい条件を突き付けた。

 この窮地に大博打を打って出たのが毛沢東率いる共産党だった。国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に反日を煽り、それに紛れて7月7日22時40分に発砲事件を起こした。

 発砲事件の翌8日に、共産党は中央委員会の名で長文の電報を蒋介石や全国の有力者、新聞社、団体に発信している。

 実は日本軍は、8日午前5時30分に初めて反撃を開始した。当時の通信事情からしても8日に初めて反撃されたのに、8日に公式電報を作成し発信することなど絶対的に不可能である。その証拠が存在する。

 支那派遣軍情報部北平(北京)支部長秋富大佐は、「事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学構内と思われる通信所から延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受。そこには「成功した」と3回連続反復送信していたという。

 その時はこれが何を意味するものか解らなかったとが、今ではそれが「盧溝橋事件」の明らかな証拠とされている。つまり、謀略が成功したことを延安に報告し、延安では電文作りが行われたのだ。

「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、共産党が盧溝橋事件を起こしたことは今や100%明らかな事実である。

「日中戦争は日本の侵略だった」などという中共や国内の共産主義者らのプロパガンダをいつまで信じ続けるつもりなのか。

 戦争の発端となったこの事件の「事実」を知れば、自ずと真相は白日の下に曝されるだろう。だが、悲しい哉、日本人というのはたった一度の敗戦からこうした歴史の事実すら知ろうとせずに現実逃避を続けている。

 歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるものなのだ。「中国四千年」の歴史にしろ、朝鮮の輝ける歴史にしろ、かの国での歴史とは、新しい王朝が如何に正当性を持つかという謂わば創作物に過ぎない。

 安倍にしろ、政治家は歴史認識を問われると「歴史は歴史家に任せる」などとキレイゴトを言うが、それは言い方を変えれば議論を避けるということであり、逃げるここと同義である。

 彼らにとって優秀な歴史家というものは、自国の正当性を如何に論じられるかだけで、捏造してでも真実と言い張れるかなのだ。

 捏造には全力でカネで買収し、銅像や記念館を建て既成事実化するのが常套手段。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」という大嘘も、我が国が毅然と反論して行かなければ、時代が経つにつれ真実になってしまうだろう。

 歴史は歴史家が考えればいいというものではない。歴史の問題は国の存亡に係わる一大事であり、国民もいつまでもプロパガンダや自虐史観という洗脳の留めなき淵に漬かり込んでる場合ではない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 10:20|PermalinkComments(0)

2017年07月07日

再生可能エネルギーの普及と「再エネ発電賦課金」の負担増

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 相馬市の磯部地区に東北最大級のメガソーラー発電所が完成した。一般家庭16660世帯分の年間消費電力を発電すると胸を張る。

 完成に当たり、立谷相馬市長は「磯部地区の復興のシンボルとして、また再生可能エネルギーと本市の美しい環境を守る重要性を考えるきっかけとなるものと大きな期待を寄せている」と祝辞を寄せている。

 この沿岸に造られた巨大なメガソーラーが、美しい環境を守るどころか、環境を破壊しているとは思わないのだろうか。

 県内をドライブすると大規模な太陽光パネルや巨大な風力発電の風車を目にする。福島空港メガソーラーや郡山の布引山、会津の背炙山の巨大風車は正に圧巻だが、自然の風景と最先端技術の融合は見る者にとっては異様な光景である。

 原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。結果は地上げ屋が跋扈し山林が売買され森が伐採されて行く。

 緑豊かな森も荒れ地となった田畑も空地という空き地には人工的な太陽光パネルで敷き詰められ自然の景観を損なっている。正に、バブルで浮かれて森林を破壊しゴルフ場やスキー場を開発しまくったのと同じ構図だ。

「友よ山河を滅ぼすなかれ」と、野村秋介の言葉を曲解して反原発を訴える新右翼には、森林を破壊してまで造られる太陽光パネルや山頂や沿岸部に建てられる風力発電の巨大風車などは環境破壊とは感じないらしい(苦笑)

 原発事故以来、原発への拒否反応から太陽光発電などの再生可能エネルギーが全国各地に設置されることとなった。

「原発は思ってた以上にコストがかかる」という理由から、太陽光や風力による発電こそが環境に優しいかの様な作為的な世論が形成された。

 原発事故を殊更に論い、脱原発や反原発から再生可能エネルギー普及を謀り、国は電力会社に太陽光などで発電した電気の買い取りを義務付けた。

 その一方で、月々の電気料金に上乗せすることを認める。それが「再エネ発電賦課金」というもので、賦課金(ふかきん)とは、税金などの様に国民に割り当てられて負担する金のことをいう。

 つまりメガソーラーと呼ばれる大規模な太陽光発電所の電気も、住宅の屋根に太陽光パネルを載せて発電している電気も結局は電力会社ではなく、我々一般家庭が買っているのが現実だ。

 正に、再生可能エネルギーの普及とは、国家の基幹エネルギーを無視したその場凌ぎの原発事故に便乗した政治的策謀でもあるのだ。

 太陽光や風力による発電は安価で、家庭に安く提供出来るということだったが、今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は2兆円を超える。

 平成24年7月1日、太陽光発電など再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が始まったが、同時に電気の利用者が負担することとなる。

 当初は、月々50円程度だった負担金は年々増え続け、今や一般家庭(電気料金は月額6000円程度)でも700円を超える。

 国は、こうした現実を無視して2030年度には発電全体の22~24%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げている。

 目標達成の為には、多くの企業に磯部地区のメガソーラー発電所の様な施設を乱立させるしかない。つまりは、太陽光発電所が出来れば出来るほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」の負担金は殖え続けるということでもある。

 それでも原発よりは好いというなら負担金増は致し方無いが、「原発はコストがかかる」という裏側には、再生可能エネルギーで儲ける輩らが暗躍していることも理解しておくべきだろう。

 ということで、愚生の場合、福島の復興と東北再生には東京電力福島第二原発と女川原発の再稼働を熱望しております。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:24|PermalinkComments(0)

2017年07月05日

安倍よ、「みたままつり」に詣で英霊に首を垂れよ!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 今月13日~16日、靖國神社では「みたままつり」が斎行される。春秋の例大祭などの鯱張った祭りと違い堅苦しさもなく、英霊の方々に対する畏敬や欽仰を靖國神社らしく祝う祭りだ。

 こうした行事に触れる度に、正に我が国は随神(かんながら)の道を歩んで来た世界にも稀有な国だと痛感する。 

「みたままつり」は盆行事ということもあって、それこそ御霊の囁きに触れるいい機会であり、詣でてみては如何でしょう。

 昨年から露店の出店が中止となった。理由は報道された様に参拝客のマナーの悪さで、露店で未成年が飲酒して騒いだり、若者の間では「ナンパ祭り」などと呼ばれていたというから厭きれるばかり。

 ここ数年の愛国ブームで参拝客はかなり増え、ネットで意気投合した方々が靖國で「合コン」ばりの集会を催したりしている。

 靖國神社を愛国のシンボルと捉え、靖國参拝こそが愛国者であるかの様な風潮は贔屓の引き倒し以外の何ものではない。

 8月15日の所謂「終戦記念日」のあの左右入り乱れての喧騒は頂けない。「反天連」によるデモや集会は有無を言わさず不許可にすべし。

 左翼や誤(護)憲派は、現憲法の「言論の自由」や「集会の自由」を振り翳すが、闇雲に認められると思ったら大間違い。それらの自由も、道交法や条例、刑法という法律の中で認められてるのだ。

「大日本帝国憲法」第二十九條にはこう在る。

「日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス」

 この「法律ノ範圍内ニ於テ」というのが大事で、「表現の自由」や「集会の自由」を叫べば何でもかんでも赦される訳ではない。勘違いするべからず。

 デモや集会もマナーが大事で、行儀よくしないなら、露天が出店中止になった様にやらせなきゃいいだけ。簡単なことだが、警察は警備予算が欲しいのか、それとも単なる警備の訓練か、不敬なデモを許可し続けている。

 九段の地での混乱が続けば、陛下の御親拝は永劫叶うことはない。そういう意味では、不敬なデモを許可し続ける警察組織も反天連と同列である。

 8月15日は本来は「戦没者を追悼し平和を記念する日」であり「終戦記念日」ではない。8月15日は、静謐な中で遺族の方々が心静かに参じ、陛下が御親拝遊ばされる環境を作らねばならないと痛感する。

 陛下の御親拝こそ正に聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはない。畏れ乍ら、陛下に於かせられては、譲位の前に是非とも靖國神社へ御親拝遊ばされる事を切に願う。

 翌日の8月16日に行ったことがあるだろうか。前日の喧騒が嘘の様な静けさで、靖國神社の本来の姿がそこに在った。

 安倍も8月15日の参拝なんぞに拘ってるのが間違い。何故に敗戦した日(玉音放送があった日)に靖國参拝なのか。英霊の遺書の多くも、桜咲く季節に逢いに来てくれと書かれてあるではないか。

 尤も「心ならずも戦場で斃れ」だとか「多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」と宣ってる安倍だもの、靖國神社なんぞ保守票取り込みの施設くらいしか思っていない。

「盂蘭盆」に合わせ開催される「みたままつり」は、祖先霊を供養し、苦しんでいる亡者を救う祭りでもあり、支那でも古くから行われている風習と同じ。参拝したところで近隣諸国に批判される謂れは無い。

 安倍も、東京都議会選挙の惨敗を受け「みたままつり」に詣でたら如何か。英霊に首を垂れることで、政権は安定し、畢竟、国家安寧に繋がることだろう。ってか、そりゃ無いか。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:48|PermalinkComments(0)

2017年07月03日

「都民ファーストの会」の圧勝は旧態依然の自民党政治の終わりの始まりか

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 東京都議会選挙が行われ、大方の予想通り、自民党が34議席減らし23議席にと止まり大敗を帰し、小池百合子率いる「都民ファーストの会」が49議席増の55議席を確保して圧勝した。

 マスコミは作為的に「加計学園」や「共謀罪」の強行採決への批判の現れだと論ずる。ならば民進党も議席を伸ばして然りだが、議席数を減らしていることをしても、旧態依然の既成政党に対する批判と見るべきだろう。

 嗤えるのは自民党都連幹部で、自民党東京都連会長の下村が「予想以上の厳しい結果だ」と悔しい表情を滲ませていたが、こんな結果になるのは余程の選挙音痴じゃない限り予想出来たこと。

 抑々、自民党員だった小池百合子が東京都知事選挙出馬を表明すると、自民党都連は小池出馬に難色を示し、自民党員ではない増田寛也を推薦した。

 女の恨みは強烈なもので、小池は「都議会の冒頭解散」を打ち出し、都政改革の必要性を訴えた。豊洲市場の移転問題も共産党の宇都宮健児と連帯して政局に持ち込む。尤も、この共産党との申し合わせが後々事をややこしくしたが、対自民党の選挙戦では分かり易い構図だった。

 東京都知事は石原慎太郎が禅譲した猪瀬直樹、舛添要一と二人続けて任期途中で辞任するに至ったが、都議会と自民党東京都連は、猪瀬のスキャンダルを取り上げて辞任に追い込み、その後に就任した舛添知事の公私混同疑惑問題を何ら追求することなく他人事を極め込んだ。

 小池は、こうした自浄能力皆無の都議会と旧態依然の自民党東京都連を都政改革の元凶(抵抗勢力)と捉え、都政改革を訴えると共に、世論を味方に「都政を(都民に)取り戻す」をスローガンに選挙戦を戦い、結果、自民党候補に圧勝した。

 都政最大のガンは既得権益を仕切るボス(内田茂)政治だった。小池が自民党政治を「忖度政治」と揶揄したが、内田茂自民党都連幹事長は、既得権益の権化として都議会に10数年君臨してきた正しく都議会のドンである。

 都知事選の結果を受け内田は引退を表明。自民党もこれを機に小池との和解を図れば好いものを、驕れる自民党はくだらんメンツを優先し小池批判を滔滔と繰り返した。都民や国民にも小池批判は醜く映った。

 抑々、自民党員だった小池を自民党として推薦しておけば、こんな無様な結果に襲われることは無かっただろう。既得権益を独占しようという旧態依然の手法に執着した結果がこれなのだから自業自得と言えばそれまで。

 旧態依然の自民党への批判は何も東京だけではなく全国的な流れだろう。愚生の地元を見渡してもミニ内田的な利権に集る自民党幹部が目に付く。

 郡山市議会の元議長の渡辺隆弘なんてのはその典型で、ああいう自民党のなんちゃってドンがのさばってる限り、自民党の未来は無い。

 都民ファーストのブームは当分の間続くだろう。都議選の結果を見れば、公明党が全23議席確保し、共産党が2議席微増の19議席。民進党に至っては2議席減の5議席と自民党の受け皿に成り得ず。今後は、創価学会公明党や共産党などの組織は別に、既成政党無用論が全国的に波及して行くのは明らか。

 近々、衆院選挙になり、都民ファーストの会が全選挙区に立候補となれば、既成政党は大きく議席を減らすだろうが、所詮は「でもしか政党」であり、国民の不幸はここに極まれり。自民党よ、確りせい!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:23|PermalinkComments(0)

2017年07月01日

強制起訴された勝俣恒久元東電会長ら旧経営陣三被告への茶番劇

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 東京電力福島第一原発事故の刑事責任を巡り、検察審議会の起訴議決に基づき、業務上過失致死傷で強制起訴された東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣三被告の初公判が開かれた。

 正に茶番。東京裁判での東条英機らを、何が何でも死刑に持ち込もうとした連合国側と同じ復讐劇にすら見えてくる。

 裁判では、津波の危険性を予見出来たかどうかということが争われてるが、喩え予見出来てたとしても、防潮堤などの対策を講じたか講じなかったかは東電だけの問題ではなく、国や自治体の責任にも及んで来る。

 福島原発事故の放射線被害で亡くなられた方はいない。多くは津波で亡くなられた方々だ。その数は福島だけではなく宮城や岩手三県で実に18456名に及ぶ。それらも勝俣らの責任か?

 大津波を勝俣会長らが予見出来たと断定するなら、国や地方自治体の避難計画や防災対策に於いて、そうした対策が何故に講じられていなかったか責任が問われて然りで、東電元幹部だけに大津波を予見出来たかどうかとその責任を擦り付けるのは公正に失するし、正義とも言えない。

 事故調査委員会は今回の福島原発事故を「人災」と結論付けている。ならば東電元幹部だけではなく、その「人災」を決定付けた当時の最高責任者であった菅直人こそ、その責任を問われなければならない。

 抑々、福島原発の事故は地震による「天災」ではない。ハリケーン型原発を過信し、大津波の想定をしていなかった為に発電所内の電源が全て失われ、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのが要因だった。

 更には外国人からの不法献金がバレ退陣已む無し、四面楚歌だった菅直人は、この事故を利用しようと「現場視察」というパフォーマンスを強行し、起死回生の一発勝負に出た。

 東日本大震災当日から炉心溶融という「最悪のシナリオ」を予測していながら、菅が強く望んだ現地視察で、事故後に即座に取るべき一連の措置に遅れが生じたことは明らかだった。

 当時、政府担当者からの要請により「首相を被曝させない」ことを優先する余り、1号機の炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れた事実は既に報じられている通り。

 この菅の現場視察が、原発事故の現場の対応に要らぬ混乱を招き、被害が拡大したことは明らかで、正に菅直人こそ業務上過失致死傷で起訴され、刑務所に送り込まねばならない大悪党だったのだ。

 原発事故の責任は何も東電だけではあるまい。その責任は東電は然ることながら、国にも、県にも、設置を容認した自治体にも在る訳で、中でも原発事故の対応の拙さと混乱を生んだ当時の民主党政権の責任は重い。

 強制起訴訴状の中には、強制避難による影響で亡くなられた双葉病院の患者44名の死亡も東電の責任として問われている。

 しかし乍ら、本来、SPEEDIの数値を参考に避難指示や避難命令を出すべきところ、科学的データを無視して「原発周辺20キロ圏内」避難命令を出した。

 この根拠のない数値に基く避難命令に因って、動かしてはいけない重篤な患者を強制的に移動させたのは、東電元役員らではなく、当時の災害対策本部長であった菅直人であり、SPEEDIの数値の公表が遅れたのは、この「原発周辺20キロ圏内」という根拠のない避難指示の隠蔽を謀ってたからだ。

 勝俣元会長らを庇うつもりは毛頭ないが、当時の最高責任者であり、混乱と更なる被害の拡大を生んだ最高責任者である菅が逮捕されないのは我が国司法の歪さの現れであり、そこに正義は存在しない。

 未だに原発事故を論い、その責任論を然も当然であるかの様に振り翳すが、生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで、過去ばかりをふり返って、その場に立ち止まっている訳には参らないのだ。

 現実に今も凄惨な事故現場に於いて、命懸けで収束しようと頑張っている方々が存在し、また、この教訓を活かそうと懸命に努力している方々が存在する。

 自己責任を問うのは法治国家では当然であろうが、それよりも大事なことは、二度とこの様な過ちを繰り返さない為にはどうすべきか、また事故の教訓をどう活かすか、如何に技術力を高めるかということが大事なのだ。

 国内の原発事故に限らず、いつか起こるであろう世界の原発事故に対して、福島原発事故が教訓となり、収束技術と正確な科学的データがそこに活かされることこそが福島の地に住み続ける我々県民の願いでもある。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:56|PermalinkComments(0)

2017年06月30日

稲田朋美の軽々しさはあのファッションセンスからも窺える

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 稲田朋美防衛相が都議選の応援で「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」と支援を求めた発言が問題にされ、稲田大臣はその日の内に発言を撤回した。もっと堂々としてりゃ好いものをキョどった態度も見苦しい。

 発言を聞いてみたが、挨拶の流れの中でつい聞き逃してしまうくらいの些細な内容だが、別に稲田が挨拶するということは、防衛大臣としてであり、態々「防衛省、自衛隊」などと名前を出さなくても分かるだろうに。

 日教組の議員が文科相になり、選挙の集会で「日教組、文科省としてお願いしたい」と言うのと同じで、ホント軽々しい。

 稲田は安倍の「秘蔵っ子」とされ、安倍同様にタカ派的な発言で保守層に人気だが、その保守も安倍と同じく胡散臭げなもので保守票欲しさのパフォーマンス優先に奔ってる政治家の一人。

 稲田朋美は政調会長時代に、GHQによる占領政策や極東軍事裁判(東京裁判)などを検証するグループ創設を模索した。

 戦後の不当性や不条理の基となったGHQの占領政策や、憲法制定の過程を検証することは国益にも適うことでもあるが、全く実行する気配もない。

 真にGHQの戦後政策の検証を図るならば、先般の陛下の退位に関する特例法案でも皇室典範を旧皇室典範に戻し陛下に奉還すべきだったろうに、そんなことは御首にも出さない。要は尊皇無きインチキ保守と同列。

 愚生と同年代でその言行に大いに期待もしたが、その国家観は流行りの営業保守と変わりなく、正統保守としては既に鍍金が剝がれた。

 大体、あのファッションセンスは何なんだ。個性的といえば個性的だが、今回の発言や行動と同じく重みが感じられず安っぽい。

 政治家というのは国民の模範であり、シンプルな中に気品を感じる様な服装が好い。その点、小池百合子防衛大臣と比べてもその差は大きく、まあ、外見より中身をもっと磨き上げるべきだろう。

 都議選では稲田大臣の失言を見るまでもなく、マスコミの誘導もあり、自民党は議席数を大きく減らすだろう。

 これは小池の都民ファーストが優れているということではなく、メンツに拘り、口を開けば小池バッシングに明け暮れる旧態依然の自民党に多くの都民が嫌気が差してるからに他ならない。

 そんなに小池が憎いなら、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃないが、小池が環境相時代に実行したクールビズに反対し、ネクタイ着用に戻せば好いだろうに。

 大体、政治家がネクタイしないとだらしなし、収賄罪などで逮捕され東京拘置所に収監される犯罪者にしか見えないし。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:56|PermalinkComments(0)

2017年06月29日

「このハゲーーーーーっ!!!」って怒鳴り立てたくもなるかもなぁ(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 政策秘書に対する暴言・暴行問題でバッシングを受け、離党届を提出した豊田真由子衆院議員だが、その原因となったのが当の秘書に因る高速道路の逆走未遂だったらしく、これが事実なら思わず烈しい口調で「このハゲーーーーーっ!!!」と怒鳴り立てたくなる気持ちも分からなくもない(笑)

 秘書は50代だというし、年下の豊田の口調に長幼の序は微塵も感じないが、この秘書も秘書で、積み重なる恨み辛みからか、態と逆走を謀り、暴言や暴行を引き出し録音までしていたとしたらその手口は巧妙で狡猾過ぎる。

 今朝のワイドショーは「あるんでちゅか~」と、豊田が秘書に赤ちゃん言葉で応じてたとのタイトルが躍っているが、ある時はドSとドMの関係、ある時はツンデレ、二人でプレイを愉しんでる様にも思える。ってか、一生やってろ(笑)

 人に意見してその人の欠点や間違いを正すというのは間違いではないが、その意見を受け容れるにも、意見してくれる相手に敬が無ければ、そうした意見を素直に受け容れることはない。

 愚生の経験上、「ハイ、分かりました」と返事の早いヤツは、素直に聞き入れた振りをしてるだけで、同じ過ちを繰り返す。返事の好いヤツというのは少年院や鑑別所などの経験があり、上の目を気にして要領よく立ち回っているだけで、ホントはよく理解してはいない。

 そんなヤツに何度も言い聞かせたところで効果は無く、血圧が上がって体調にも悪いし疲れるだけ。そんなのには鉄拳で、或いは小便チビるくらいヤキを入れて身体、本能に問い掛けて記憶させてやるのが好い(笑)

 要は、豊田の秘書は仕える代議士への敬が乏しく、逆に意見や苦言を逆恨みしただけで、それは豊田の器量の無さと不徳の致すところ。ってか、いい歳こいた男性秘書も暴行で警察に相談っていうんだもの、この代議士にこの秘書あり。

 斯くいう愚生も偉そうに語ってはいるが、未だ人間が出来てはいないし、小さな事で腹を立てることもしょっちゅう。自分なりに相手を慮って苦言を呈してるつもりだが、どうしても怒りを抑え切れずに豊田の様に声を荒げてしまう。

 未だ修行不足の一言に尽きるが、人への意見や苦言というのは実に単純なことなのだが、これが意外と難しい。

 それを愚生の座右の書でもある「葉隠」では分かり易くこう教えている。

「葉隠」は、親鸞の「歎異抄」と共に、学徒出陣で戦地に赴いた学生達に最も読まれた本であり、「歎異抄」が「死の平安」を語り、「葉隠」が「死の覚悟」を語ったものだったから、戦後は危険な書として否定された。

「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」だけが独り歩きしているが、中身を知る人は少ない。嘗て三島由紀夫は自著「葉隠入門」で、「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っていることでも日本人必読の書でもある。

 その、例えば意見の仕方だが、こう教える。

「『人に意見してその人の欠点を直す』ということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけの事と同じ結果になってしまう」

「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向ける処から始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良い処を褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直すというのが意見というものである」

 なんと細やかな心遣い、これ程の気遣いをする現代人はいないだろう。

 豊田議員は頭脳明晰らしいが、政治家というより人としての行動が軽々しい。更年期障害か生理のイライラか、何れにしても離党を諒とし、これを機に人間の道徳規範の書である「葉隠」を熟読し、身に付ける努力をしたら如何か。

 尤も、豊田に限らず、「葉隠」は優れた道徳規範と処世術を教えてくれる日本人必読の名著であり、皆さんも一読、否、熟読為れたい。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:40|PermalinkComments(0)

2017年06月27日

勝って驕らず。藤井聡太四段が破竹の29連勝!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 中学生棋士・藤井聡太四段が、長い歴史を持つ将棋界に於いて快挙を成し遂げた。勝って驕らず、対戦相手への敬意と感謝を忘れない姿は実に立派なものだ。これからも益々目が離せない。

 戦後GHQは、日本弱体化の為にあらゆるものを監視し規制した。将棋もその一つで、軍国主義と結びつけ「こんな危ないゲームは無くすに限る」と日本将棋連盟(当時は将棋大成会)に連絡し、担当者を呼び出した。

 将棋大成会会長の木村義雄は、「将棋の危機を救うのは升田しかない」と升田幸三・実力制第四代名人を送り出す。

 将棋を知らない人でも大山康晴は知ってるだろうが、地味で派手さがなく、つまらぬ将棋で強過ぎる大山とは対照的に、大山の兄弟子で当時、升田は将棋ファンには大人気であった。

 升田の全盛期は短かったが、棋風も言動も兎に角豪快で、大山の前の名人である木村を相手に「名人なんてのはゴミみたいなもんだ」と発言し、「名人がゴミなら君はなんだ」と反問され「ゴミにタカるハエよ」と言い返したという逸話もある。

 升田は兵隊の時に、ポナペ島で星空を見上げては宿敵木村名人を倒すことばかり考えていたという。そんな彼の目の前から、戦後処理で将棋が指せなくなる危機が生じたのだ。

 升田は将棋を指すが如く熟慮し、作戦を練ってGHQの牙城である皇居前の第一生命ビルに向かった。

 升田、開口一番「酒を飲ませろ」

 将校は驚きながらも缶ビールを差し出した。

 缶ビールを知らない升田は「不味いなぁ、これは本物のビールか」

 これには将校も呆気に取られた。

 酒を出させたのは強がりではない、ビールを飲めば小便が近くなり、難しい質問なら便所に駆け込んで考えようという升田の緻密な作戦でもあった。

 将校は升田に「我々のチェスと違って、日本将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使う。これは捕虜の虐待であり人道に反するではないか」と吹っ掛けて来た。升田は、すかさず切り返す。

「貴方方は頻りに民主主義を振り回すが、チェスなんてなんだ。王様が危うくなると女王を盾にして逃げるじゃないか。レデイーファーストとは聞いて呆れる。古来から日本の武将は落城にあたっては女や子供を間道から逃し、然る後に潔く切腹したもんだ。敵の駒も自分のものとするのは、駒の能力を尊重してのことだ。適材適所だ。これが本当の民主主義なのだ。民主主義をバカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋を勉強して政治に活かしたらどうだ」

 酔った勢いで喋り倒し敵を圧倒。斯くして将棋は生き残った。

 将棋では駒を動かすことを「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。駒の欠点を周りで補いながら、駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることで勝ちに繋がるもので、これは会社の経営や組織を率いることでも同じこと。

 上司は部下を無闇やたらに「動かす」のではなく、「動」に「人」をプラスして、如何に「働かす」かことが肝要となる。

「働かす」のが下手な上司の下では、部下の長所や個性を引き出されることはなく、自分の持ってる好い部分にも気付くこともない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:33|PermalinkComments(0)

2017年06月25日

朝鮮戦争と日本国憲法と自衛隊

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 我が国が未だGHQの占領下だった1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮が突如として南朝鮮のソウルに侵攻する。これを機に同じ民族同士が相討つ戦争となり、数百万人が犠牲となる大惨事となった。

 これを遡ること1945年8月9日、ソ連は「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し参戦。その三日後には朝鮮半島北部に侵攻した。

 朝鮮への侵攻準備が出来ていなかった米国はこれに慌て、急遽、ソ連との間で朝鮮占領の協議が行われ、結果、38度線で分割する事で合意した。  

 北朝鮮でソ連は、日本人の軍人・行政官・警察官を抑留すると共に親日派を一掃し、共産主義者を中心に人民委員会を組織させ委譲。1946年2月、ソ連の傀儡として、重慶に亡命していた金日成を首班とする政権を誕生させた。

 一方、南朝鮮では、米国に因って総督府の残留朝鮮人官吏を活用し軍政権を敷く。1946年1月に、間接選挙による「過度立法議院」を構成させ翌年の2月、安在鴻を長官とする過度政府を発足させた。

 ヤルタ協定では1948年3月迄、国連の信託統治を予定していたが、米ソの対立で全ての協議が決裂する。

 1948年8月、米国は反日活動家の李承晩を初代大統領に据え、大韓民国を建国させる。そしてソ連は翌月に朝鮮民主主義人民共和国を建国させた。

 北朝鮮では金日成の支配下で着々と国政の整備が進んだのに対し、韓国は官僚や亡命先からの帰国者、米国の措置で監獄から解放された共産主義者が入り乱れ、政権は安定せず、労働組合によるストライキが多発し、社会混乱が加速した。

 1946年10月以降、それまで容共的だった米国は次第に共産党の抑圧政策に転じ、米国の傀儡李承晩は、日本と共同歩調を執ろうとした呂運亮を暗殺し大統領に就くと「反日・反共」を国是としたのである。

 李承晩が最初にやった仕事は親日派の追放であり、その結果、日本に育てられた優秀な官僚は次々と追放されていった。

 現在の文在寅大統領がやろうとしている事は、この李承晩の行った親日派の追放の完遂であり、「反日と反共」であった国是が、いつの間にやら容共となり、「反日」のみとなってしまっているのが 現在の韓国である。 

 こうして、米ソの対立に因って朝鮮戦争が勃発すると、韓国で指揮を執るマッカーサーは吉田茂首相に、国内警察力と海上警備力の強化を促す書簡を送った。こてが所謂「マッカーサー書簡(文書)」である。

 これはマッカーサーが実質、日本国憲法の破棄を促したものだ。このマッカーサー書簡から一ヶ月後には「警察予備隊令」が決定、翌日公布、即日施行というスピードで準備が整えられ、自衛隊の前身たる警察予備隊が誕生した。

 当時は、警察予備隊は「軍隊」ではないとする為に「師団」を「管区」、「歩兵」を「普通科」、「砲兵」を「特科」、「兵器」は「武器」、「戦車」に至っては「特車」という御粗末なものだった。

 安倍首相は、自衛隊を「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」にすると語っているが、この認識こそが占領下時代の警察予備隊の儘なのだ。

 我が国が主権回復した年の昭和27(1952)年8月1日、警察予備隊と海上警備隊を統合し「保安庁」が設置される。政府は「保安庁法」」を提出するも、野党は「憲法9条」を楯に政府を攻撃。この不毛な議論の構図は今も変わらない。

 吉田茂はその答弁で、「戦力とは近代戦を実行する力であり、保安隊、警備隊にその力はない」と詭弁を弄す。その結果、自衛隊は永い間「戦力なき軍隊」と言われたまま、今もその呪縛に囚われて続けている。

 吉田が日本国憲法を遵守を明言したことで、我が国が朝鮮戦争やベトナム戦争に駆り出されなかったのは事実だろう。だが、「マッカーサー書簡」が送られたのを機に憲法を破棄していれば、我が国はまた違った国になっていたに違いない。

 当時の吉田茂の判断が良かったかどうかなど議論したところで意味はないが、この時の憲法解釈が未だに大きく圧し掛かっているのは紛れもない事実だろう。そして今、安倍政権下、姑息な憲法改正が謀られようとしている。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 11:34|PermalinkComments(0)

2017年06月24日

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 6月23日は「沖縄戦終結の日」。我が国の平和や繁栄が、先人の犠牲の上で成り立っていることを決して忘れてはならない。

 昭和20年4月1日、米軍はついに沖縄に上陸。それを迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員。更には「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の沖縄防衛戦を展開した。

 本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動。更には「回天」等の特攻作戦を展開するも、決死の戦闘空しく、同年6月23日組織的沖縄戦は終結した。

 それを遡ること昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊と連合軍の沖縄への上陸と本土決戦を阻止しようと「神風特別攻撃隊」が編成される。

 祖国を守る為に死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきもので、「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。

 沖縄戦に於いては特攻部隊が重要な役割を果たし、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で若き命を散らしている。

 鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1021名、合わせて3002名が散華された。

 特攻は航空だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など劣勢を覆す為の攻撃が行われ、この特攻作戦で実に3972名もの若者が尊い命を捧げた。

「戦艦大和」の出撃も沖縄戦だった。彼らはどうにか沖縄に辿り着き、海岸に乗り上げ、全力を挙げて砲撃戦を行う予定であったのだが、出撃後の4月7日、鹿児島沖の海に沈んだ。

 船内には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。これつまり、沖縄と沖縄の人々を必死に護ろうとした何よりの証明と云えよう。

 沖縄を始め国内では未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか、「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダや自虐史観が蔓延っているが、いい加減、被害者意識を捨てて歴史の事実に目を向けたらどうだろう。

 被害者ぶるのも結構だが、そこからは何も生まれない。純粋に沖縄を護る為に国の未来の為に尊い命を捧げてくれた英霊に対し、今を生きる我々が一体どんな顔向けが出来るというのか。

 沖縄戦で散華した大田少将は自決前、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した。

 この一文からも分かる様に、沖縄を死守すべく先人達は戦い、力及ばず敗戦の憂き目を見るが決して沖縄を見捨てた訳ではない。

 戦後、沖縄県民の負った犠牲は気の毒だが、ソ連の残虐非道、鬼畜の如き蛮行により故郷の地を追われた北の島々の方々の想いに比べれば、占領したのが米国で未だマシだったとは思えないか。

 戦争に負けるとはそういうものであり、先に大戦は一旦始めたた戦争は決して負けてはならないという重要な教訓を遺した。

 政治家共は「平和を守る」と口にし、先の大戦を侵略戦争であり間違った戦争であったと反省を口にする。

 戦争というのは政治や外交の延長であり、国際法上も認められた行為である。先の大戦が間違いというのなら、軍部よりも政治と外交の責任こそが問われるべきではないのか。

「平和」というもの守れば存在するものではない。現代に於いては平和とは命懸けで創り出さなくてはならないものなのだ。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:46|PermalinkComments(0)

2017年06月23日

毒ガス弾は日本軍が遺棄した兵器ではなく旧ソ連が接収したものである

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 オランダ・ハーグにある化学兵器禁止機関(OPCW)は21日、支那各地の90カ所以上で旧日本軍が遺棄したとされる化学兵器約5万6000発が見つかり、うち約4万6000発の破壊を確認したと発表した。

 OPCWは、吉林省ハルバ嶺に埋められたとみられる33万発は含まないとしている。化学兵器禁止条約は、旧日本軍の遺棄化学兵器について、日本が処理に関する技術や費用を負担するよう定めている。

 この処理事業は2022年での完了を目指すというが、2022年後も中共政府がこの事業を手放すとは思えず、あれやこれやとの理由をこじつけては引き伸ばしに掛かるだろう。それだけオイシイ事業なのだ。

 遺棄化学兵器の処理は1997年発効した化学兵器禁止条約に基付き2000年から実施しているが、この処理事業はODAに代わる朝貢外交というべきもので、本来、我が国が負担するべき処理事業ではない。

 この事業を決めたのは国賊・河野洋平に因るもの。村山亡国内閣で外相を務めた河野は、「化学兵器の開発、生産、貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約」の発効に伴い、旧日本軍が遺棄したとされる毒ガス弾の処理を確約した。

 抑抑、科学兵器(毒ガス弾)は「遺棄」ではなく「接収」というのが正しい。広辞苑には「遺棄」とは「捨てること」「置き去りにすること」であり、「接収」とは「国家等が所有物を取り上げること」と在る。

 所謂、日本軍が遺棄したとされる科学兵器は、旧満州に駐屯した日本軍(関東軍)が残したものとされているが、明らかな誤解と誤謬であり、日本政府が莫大な処理費用を拠出する義務はない。またその数にも疑問が残る。

 中共政府は「毒ガス弾は日本軍が遺棄した兵器だ」と主張し、その処理と被害の補償を日本政府に要求しているが、問題の兵器は毛沢東の共産軍(八路軍)と蒋介石の国民党軍が、旧ソ連から接収、継承したもので、その管理責任が中共政府に在るのは歴史的経緯からして明らかだ。

 日本軍(関東軍)は、昭和20年8月9日未明に、日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻した旧ソ連軍に降伏し武装解除されたのであり、日本軍は兵器を「遺棄」したのではなく旧ソ連軍に「接収」されたというのが事実だ。

 継承された瞬間から国際法上、現在の管理責任は中共政府に在り、日本が本来責任を取る謂れはない。要は遺棄科学兵器の処理費用はODAに代わる、中共の強請り、タカリの打出の小槌というのが正しい。

 我が国が中共へ供与している政府開発援助(ODA)は1979(昭和54)年から始まり、過去に遡ると、有償、無償を含め3兆6千億円以上支払われている。

 日本国民の血税であるODAを、中共政府は先の大戦での賠償として捉え、日本や日本国民に対して感謝する気持ちは皆無。

 ODAとは巧く考えたもので、中共側に流れたODAの中から一体幾ら日本側へキックバックされたのかは想像するに余りある。

 今や経済大国となった中共へのODAが見直しされる中で、遺棄化学兵器処理事業という新たな朝貢が河野洋平らに因って謀られたのだ。

 こうしたODA事業に営利至上主義に狂奔する売国企業と政治家が群がっている現状は、我が国の政治家と経済界が真っ赤に染まっている証左である。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:32|PermalinkComments(0)

2017年06月22日

憲法第九条に「その二」を新設するという姑息さ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 自民党憲法改正推進本部は、安倍晋三の意向を忖度し、現行の第九条とは別立てで「九条の二」を新設し、「我が国を防衛する為の必要最小限の実力組織」であると自衛隊の存在を明文化するという。

 九条の二の二項には、首相が内閣を代表して自衛隊の最高指揮官権を有するとする文民統制(シビリアンコントロール)も明確化するという。

 抑々、日本国憲法が制定された当時、既に軍隊は解体され全ての国民は文民だった訳で、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」との第六十六条は、単なるGHQの錯覚に因るものである。

 所詮は、安倍自民党政権下で実行を謀る憲法改正は、過去の自民党政権下での苦し紛れの憲法解釈と自衛隊法というまやかしの正当化であり、国家の大本である国防を担う自衛隊並びに自衛隊員に対する冒涜である。

 現憲法九条第二項で「陸海空の戦力を保持しない」と明記されてるのに、自衛隊の存在を条文に入れることで違憲状態を無くすというが、安倍はつまり「我が国の自衛隊は法的には軍隊ではない」という認識であり、歴代内閣と同じく、自衛隊は巨大な警察機構と見做しているということだ。

 憲法九条改正や加憲が大事だと思ってる安倍は、九条の会などの護憲派と同じレベルであり、九十六条の改憲条項の緩和にしても、「取り敢えず改憲派」がやろうとしている憲法改正に危機感を抱かざるを得ない。

 自衛隊の存在を憲法の解釈ではなく、もっと踏み込んで現憲法の制定の過程と自衛隊の設立過程というものについて問題提起し、そして議論し、国防の在り方を国民に問いかけるべきで、九条をそのまま遺して、新たに自衛隊の存在を「必要最小限の実力組織」などと規定しようとは何事か。

 嘗て三島由紀夫は「檄」に於いて「最も名誉を重んずるべき軍が、最も悪質な欺瞞の中に放置され・・・国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。

 未だに自衛隊とは三島が憂いた通り、「警察の物理的に巨大なものとしての地位」の立場の儘であるのだ。安倍はそれを不条理と認識せずに過去の過ちを正当化するが如く現憲法に附帯しようとしてるのだ。

 安倍は度々「国民の生命と安全を守る」と口にする。だが、「国民の生命と安全」を守るのは本来警察の仕事であり、国防を担い、国軍としての自衛隊が護るべきは国體であり国柄である。

「国防」とは三島の言う通り、「それを失えば日本では無くなってしまうことを死守することである」。つまり、領土防衛だけではなく、我が国の歴史・伝統・文化を守ることであり、畢竟、皇統を死守することに在る。

 自衛隊が「国軍」であり「皇軍」で在らねばならないというのはこういうことで、何が、九条第二項をそのまま遺して自衛隊の存在を明記するだ。結局、自衛隊は巨大な警察機構の儘ではないか。こうした保守票欲しさのパフォーマンスにはうんざり。

 野党も野党で、護憲派の票欲しさから安倍批判を繰り返し、蓮舫に至っては「安倍の、安倍による、安倍の為の憲法改正だ」と揶揄し、歴史にその名を遺そうとしてると批判する。

 これでは支持率は下がる一方だが、そうした自覚は無く、「安倍一強」が怪しからんとばかりに安倍への恨み節に終始しているが、安倍政権を許せないのであればまともな対案と政策で対峙するべきではないのか。

 安倍の傲岸不遜はこうしたボケ野党の存在の賜物であり、安倍政権の支持率低下にしろ、野党の支持率の無さに比べれば依然高支持率だろう。

 安倍がこうした姑息な手段ではなく、「現憲法は国の最高法規として機能していない」と国民に訴え、声高らかに「現憲法は無効である」と宣言でもしたらそれこそ歴史に名を遺すだろうが、安倍にそんな器量も度胸もない。

 安倍が実行を謀る安易な改憲によって、万が一に革命政権樹立されれば第一項からなる天皇条項を破棄することも容易になるという危険を顧みずに、それを実行しようする安倍は陛下の退位特例法案に続き歴史にその悪名を遺すだろう。

 取り敢えず改憲派にしても、九条絶対の護憲派にしても、所詮は国體破壊の同じ穴の狢というのが正しく、安倍政権下で実行された皇統断絶の序章である天皇退位特例法案がその売国性を如実に現している。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法に何故拘るのか。明らかに違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに何を、何に躊躇し誰に憚るというのか。

 姑息な「九条の二」附帯は我が国の採るべき道に非ず。蔓延する全ての捩れや不条理は国の基本法である日本国憲法が元凶である。現憲法は国の基本法としての体を成しておらず、早々に明治欽定憲法に再改正し、真の主権回復を図るべし。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 07:03|PermalinkComments(0)

2017年06月20日

国道289(八十里峠)開通と只見線の鉄路復旧が待ち遠しい

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 地元紙の一面トップは、平成23(2011)年7月の新潟・福島豪雨によって橋梁が崩壊し不通となっている只見線の会津川口~只見駅間の鉄路復旧が、JR東日本と県は正式に合意し来年度早々に着工するとの記事が躍る。

 平成23年といえば3月に東日本大震災に見舞われた年でもある。震災直後、福島原発事故によって放射線被害ばかりが騒がれ、要らぬ除染作業によって数兆円規模の莫大な復旧費用が費やされた。

 これを考えれば、只見線の復旧費は高々81億円程度、奥会津や南会津の観光資源や経済効果を考えれば、もう少し早く復旧予算を拠出することは出来なかったものだろうか。

 運行再開は四年後の2021年。また只見~燕三条に抜ける国道289号線(通称八十里峠)の開通予定も2022年を予定しており、待ち遠しい。

 只見といえば、幕末の英傑・河合継之助終焉の地。幕末の英雄といえば坂本龍馬や吉田松陰などを挙げる人は多いが、愚生にとっての歴史上で尊敬する人物は河合を於いて他にはいない。

 慶応4(1968)年1月3日(新暦1月27日)、鳥羽伏見の戦いが勃発。西軍は次第に勢力を強めて、3月には江戸城開城、上野寛永寺の戦いなどにも勝利し、最大の目標である会津を目指し北上する。

 7月、北越の地にも西軍が迫る。長岡藩は継之助の下、藩内を統一し「非武装中立」を貫こうとするも、西軍の岩村精一郎との会談が決裂する。

 若造の傲岸不遜な対応に継之助は東軍勢力として戦うことを決意し、その後、奥羽列藩同盟に加わり「北越戦争」へと突入して行く。

 長岡藩兵は近代的な訓練と最新兵器の武装を施されており、継之助の巧みな用兵により、開戦当初では新政府軍の大軍と互角に戦った。

 しかし、圧倒的物量を有する西軍に比べ、絶対的な兵力に劣る長岡軍は徐々に押され始め、5月19日(同7月8日)長岡城を奪われる。

 6月2日(同7月21日)、今町の戦いを制して逆襲に転じると、7月24日(同9月10日)夕刻には敵の意表を突く「八丁沖渡沼作戦」を実施し、翌日に長岡城を再び奪還することに成功する。

 だがこの奪還の代償は大きく、奪還を果たした当日、継之助は左膝下に被弾、重傷を負った。これにより長岡藩の士気が下がり、戦線は次第に後退、戦局は益々不利となり、継之助の傷も化膿が酷く、破傷風に罹ってしまい、已む無く会津での捲土重来を期すこととなった。

 会津へは国境の「八十里峠」を超えなければならなかったのだった。

 歴史に「もし」はないが、継之助と岩村の対談が敬を以て相対していれば、また西軍が岩村の様な小僧ではなく、山縣有朋(狂二)や板垣退助、或いは西郷隆盛らが対応していれば「会津戦争」は避けられ、維新後の我が国の歴史も大きく変わっていたことだろう。

 只見には作家の開高健ら太公望が足繫く通った「銀山湖(只見ダム)」がある。そこには40センチオーバーの大イワナが棲んでいるという。また、只見町内には本を定価の5分の1で買い取り、只見町の森林や土地と交換してくれる古本屋「たかもく」が在る。

 部屋の本が邪魔でしょうがない愚生としたら一石二鳥。本を売って、右翼人としての終の棲家は只見町の銀山湖の近くに住みたいなと思ってる。それとも只見町内で「相模屋分店」でもやろうかな。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:55|PermalinkComments(0)

2017年06月19日

安倍内閣の支持率の高さは無能な野党の責任でもある。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 今日の地元紙のトップは、共同通信社の行った世論調査による結果を仰々しく載せ「安倍内閣支持率急落44%」のタイトルが躍るが、何のことはない、先月までの51.7%という数字が高かっただけのこと。敢えて44.9%を45%ではなく、44%と少しでも低く見せよう書くところが反安倍を標榜するマスコミらしい(笑)

 安倍というのはベターなだけで、悉く保守派の期待を裏切ってきた安倍が未だに44.9%もの支持率があることは、他のポスト安倍の石破にしろロクなヤツはおらず、自民党に替わる健全野党がいないことの裏返しでもある。

 自民党が「でもしか政党」と揶揄される様に、所詮は「安倍より他はいない」程度のものでそれに期待しているのが間違い。野党が支持されないのはその「でもしか政党」よりも始末が悪いからに過ぎない。それにしても、県内の安倍不支持率が51.7%もあるのはある意味嗤える数字である。

 ブログなどでも幾度となく、「新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍を見ていると、吾、疑心暗鬼どころか、屋上屋を架す大馬鹿者だと断言せざるを得ない!」と安倍を評してきた。

 過去の国会答弁を見ても分かる様に、安倍は「河野談話」や「村山談話」と同じ歴史認識を披歴しており、戦没者追悼式に於いても「心ならずも戦場で斃れ」だとか「多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」と語っていたのは自称保守派も知るところだろう。

 安倍の掲げる「戦後レジームからの脱却」なんぞ、自称・保守派を誑かし、保守票を取り込む画餅に過ぎないのだが、未だに安倍を信奉する自称保守派らは、安倍批判は保守分断を謀るものだと信じて止まない(苦笑)

 安倍は「喩え正論であっても、それを言ってしまえば政治家としては失格」との信念を持ち、それを憚って止まない。要は己の信念を貫き通す様な覚悟に乏しい、曲学阿世の旧態依然の政治家だということだ。

 野党に下り、捲土重来を期していた安倍は、第一次政権下での靖國不参拝を問われ、その想いを「断腸の思い」とその悔しさを滲ませた。そういう安倍の無念さに国民は共鳴し支持したのだが裏切られ続けている。

「断腸の思い」と言ってる割には、いけしゃあしゃあと「とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」などという戯言を抜かす。

 この認識は、損害と苦痛を強いたのは靖國の英霊だと言ってる様なもので、戦前戦中の政治の責任を感じ「戦後レジームからの脱却」と公言してるなら、戦後、GHQに謀られたあらゆる不条理に立ち向かうべきではないのか。

 安倍の言行は、靖國など見向きもしない政治家より悪質で始末が悪い。

 長期に亘り権力の座に就くというのは傲りを生む。安倍政権の驕り高ぶりを止めたいのなら野党もスキャンダル国会を猛省し政策論で立ち向かうしかないが、これもまた不可能というものだろう。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 08:08|PermalinkComments(0)

2017年06月15日

「共謀罪」は革命政権が樹立した場合にその危険性を露わにする

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が参院本会議で成立する。

 この法案に反対する理由を聞けば、「国民生活から自由が無くなる」だとか「内心の自由に踏み込む危険」「思想信条の自由を奪う」「息苦しい社会になる」だとか被害妄想か、薬物中毒者のフラッシュバック(笑)

 自民党政権下に於いて、この法案を拡大解釈し国民が理不尽な弾圧を受けることになれば即ち政権の崩壊を意味する。

 だが、これが若し共産党などの革命政権下であれば今回反対した理由の如く反対勢力は弾圧され、国民が監視社会を体現することになるだろう。

 要は、共産党らが反対するのは、政権の使い方によってこの法案の危険性を承知してるからで、自民党政権下では問題が無くとも、革命政権が樹立されることになれば危険性を孕んでいることは免れない。

 この法案の成立に合わせるかの様に全国各地で「世界に誇る平和憲法を守り、思想信条の自由を奪う共謀罪に反対」なそというデモが行われた様だが、恥ずかしいから「世界に誇る」などというのは止めて欲しいものだ。

 現憲法の基となったのは第二次大戦後の「不戦条約」であり、「不戦条約」は我が国を始め米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。

 しかし、戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉なことに条約の理想とは全く正反対の道を歩んで往った。

 憲法で「平和主義」を謳っている国は何も日本だけではない。実に80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。

 護憲派のいう「世界で唯一の平和憲法」という賛美は、これこそ日本人の奢りであり、無知以外の何ものでもない。

「護憲」とは正に「誤憲」であり、つまり「護憲=無知」というのが正しい(笑)

 護憲派を自負するなら、日本国憲法前文に明記されてる「諸国民の公正と信義」の精神をもっと信用したら如何か(苦笑)

 反対派は、「共謀罪は過去にその危険性を指摘され否決されている」という。だが、年々犯罪は巧妙化しまた国際化しており、過去に倣うには無理がある。

 2000年、国連総会に於いてテロや組織犯罪に対応する目的で「国際組織犯罪防止条約」が採択された。国内での組織犯罪を未然に防ぐには現行法では不備があり、我が国も国際社会の一員として倣うのは当然のこと。

「国際組織犯罪防止条約」は、総会が行われたイタリア・シチリア島の都市名から「パレルモ条約」という通称が付いた。

「パレルモ条約」は世界187国が締結し、マネーロンダリングなどの組織犯罪を防いでいる中で、先進国のリーダーたる我が国が締結しないことは国際的な非難や嘲笑の対象になるのではあるまいか。

 この条約を我が国が批准するには「組織犯罪処罰法改正」は不可避なのだが、「平成の治安維持法」などと国民を誑かして猛反対するのは、我が国が国際社会の一員としての努めを果たすことを許さないということでもある。

 共産党や福島瑞穂らクソ野党やアホ左翼、インチキマスコミが執拗に反対してるということは、恐らくはこの法案は一般人には無害なのだろう。そういう意味ではアホ共が騒いでくれることで実に分かり易くもなるというもの(笑)

「安保関連法案」の時も「戦争法案」などとレッテルを貼って「戦争に巻き込まれる」だとか、「あの暗い時代に逆戻り」などといったどれも愚にも付かない理由をこじつけて反対したのは記憶に新しい。

「特定秘密保護法案」にしても、反対する左翼マスコミやインチキジャーナリストらは「知る権利」を楯に国民を巻き込もうと煽り立てるも、一般の多くの国民には全く関係のない法案ということは百も承知で騒ぎを興覚めして観てた。

「知る権利」を翳したマスコミは「知る権利」どころか、己らとは違う意見は抹殺し、国民の「知りたい権利」を阻害し続けている。

「テロ等準備罪」は、テロ組織を取り締まるもので左翼を取り締まるものではない。要は自ら左翼は組織犯罪だと認めて自分達への適用を恐れている証左だろうが、ならばその期待に応えてやれば好い(笑)

「パレルモ条約」は北朝鮮も締結してる。それはつまり、日本国内で拉致監禁事件を犯した犯人の引き渡し要求も可能になるということでもある。まさか、反対派は北朝鮮の様な監視社会になって自由が奪われると思ってたりして。呵呵。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:35|PermalinkComments(0)

2017年06月13日

右翼や活動家はアジテーター(扇動者)で在らねばならない

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 毎日の様に備忘録と暇潰しを兼ねて、徒然なるまゞに彼是と綴っている。政治的獅子吼もあれば、地元の企業や経営者のスキャンダルもあれば、趣味の釣りやパイプの話や自戒を込めた記事だったりと色々。

 10年程前、コジマ電気で100円パソコンを購入しmixiをやり始めた頃は、自分と違う意見や批判に対し論争し、論破するのが好きだったが、最近はFacebookでもTwitterでも討論はしなくなった。

 というのも、左翼らや似非平和主義者、幼稚な反原発派と話すと、自分達こそ正義と思い込み過ぎて言葉が通じないことが多く、文章の一部や言葉を論い、己の偏狭な視野で断定されるのも悲しいものだ。

 直接会って話すれば互いの人となりも言わんとすることも、その人の表情などで理解も出来るというものだが、取り繕った上辺の文章だけで伝えるのは至難の業。況してや、言葉が通じない人との遣り取りほど無意味なものはないと今更ながら悟ったからだ(笑)

 相手側の理論的な間違いを文章で指摘出来ても、相手側が此方に「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることはなく、相手が左翼人士となると尚更に始末に負えない。

 それだけ固定観念や先入観に囚われてる輩の屁理屈というものは実に厄介なもの。左翼は確信犯だから間違いを指摘されても翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者には聞く耳を持たず、屁理屈を垂れる輩が多い。

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも、千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラーだが、蓋し正論。

 愚生は文筆家ではない。どちらかと言えば演説家であって、右翼浪人の今でも活動家としての気概は失ってはいない。文筆家というのは見えない相手に訴えるだけで、その反応や反対意見もまた文章によってだが、演説家というのは話しながら相手の反応を窺い知ることが出来るから分かり易い。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするものだが、これが文章でやるのは至難の業で、やはり言葉での遣り取りが好い。

「偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、寧ろ演説家(扇動者)の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かし得るということだからである」とはアドルフ・ヒトラー。

 これは、田中角栄がその好い喩えだろう。我が国の政治家が偉大な指導者とは言い難いし演説家は見当たらないが、理論に長けてる政治家というのは所詮は官僚や役人の延長でしかなく、指導者として上に立つ器量に乏しい。

 右翼もまた理論武装宜しく「反共右翼からの脱却」などと悦に入ってるが、右翼の基本は行動であり、演説もアジテーター(扇動者)としてのもので在らねばならない。つまり、そこの貴方の演説は、単なる受け売りの丸暗記の文章を上手に喋ろうとしてるだけだから相手に通じない。呵呵。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:52|PermalinkComments(0)

2017年06月12日

行動右翼の雄としての防挺の活躍が全く聞こえて来ない寂しさ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 昭和54年に国士舘大学に入学し、縁あって防共挺身隊・羽田支部に入隊した。その防共挺身隊(防挺)を辞めたのは平成21年6月のこと。

 約30年間、微力ではあるが愛国活動に邁進し、「防挺の良識」などと言われもしたが、活動家として力及ばず、長年行動を共にしてきた盟友と袂を分つた。

 その月末に 「右の者、民族活動家として上下の礼節を弁えず(略)理由は如何を問わず交友等は一切堅くお断りします」などと書いた除籍通知が全国の右翼や友好団体、そして愚生の支援者らにも出された。

 右翼活動家として恥じることは何一つないが、長年側近として、そして団体の活動の責任者として任せて来た男が「礼節を弁えず」などと世間に曝すことは、己の器量不足を認めている様なものだろう。

 面白いもので、そうした除籍通知を気にして愚生との付き合いを周りに知られない様にしていた大物右翼がいたが、ああいう人は右翼というより政治家と同じく、余生を無難にと保身しか考えない(苦笑)

 四代目の総隊長になった愚生が、実態の無い執行部から通知が出されるのも可笑しな話しだが、当時の防挺は三代目総隊長が名古屋の広域暴力団幹部と縁を持ち稼業入り。その兄貴分で、いつぞや登別温泉で射殺された某ヤクザが仕切ってたので然もありなん。

 右翼の巨頭・頭山満翁はその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂い、明治12年に設立したばかりの「向陽社」を解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。

 流石は大物、除籍通知を出したり、それを気にする今時の右翼の先生方とはエライ違いだが、国士とは斯く在りたいものである。

 防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並び、右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた行動右翼のパイオニアである。

 愚生が入隊した頃の防挺は未だ愚連隊的なところも残っていて、フィクサーと言われた児玉誉士夫も笹川良一も現役だったということもありヤクザからも一目置かれていたのも事実。

 だが、そうした右翼の大物らが亡くなると次第に右翼がヤクザから見下される様になり、商法改正や機関紙の購読料などの資金源が断たれたことで、反資本主義であるべき右翼が、資本主義の落とし子の様なヤクザに諂い次々とヤクザの傘下組織になって行く。

 仲間や久しぶりに会う右翼人との会話でも天下国家や時局の話しよりもシノギのことばかり。そんなヤクザにも成り切れない、なんちゃって右翼らに絶望していた時期に除籍されたのは天祐だったのかも知れない。

 爾来、蟄居しつつも正統右翼浪人を自任し日々を送っているが、三代目総隊長だった盟友も愚生が団体を辞めた年末に幽冥境を異にし、以来、行動右翼の雄としての防挺の活躍が全く聞こえて来ないのは寂しくもある。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:01|PermalinkComments(0)

2017年06月11日

退位特例法案は共産主義者による巧妙な「天皇制廃止運動」である

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 天皇陛下の退位への特例法案が参院で全会一致で可決し成立した。新聞には「次世代皇室の幕開け」との文字が躍り好意的に報道しているが、これぞ共産主義者の目指した「開かれた皇室論」の結実でもある。

 政府は天皇の在り方をこの法案によって「先例に成り得る」と悦に入るが、我が国の皇統の歴史に先例の無い汚点を遺したのは明らか。

 今回の一連の報道にしても皇室への無礼極まる報道は目に余る。売国マスゴミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内に蔓延し、天皇陛下への尊崇や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている。

 1932年、ソ連共産党から日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されたのは歴史的事実である。

 その中で、天皇を制度として捉える共産党は「天皇制廃止運動」として、昭和の「戦争責任・退位論」に始まり、「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」、そして平成に入り「女性宮家創設論」や「女性天皇論」として巧妙に継続されている。

「美智子さま」「雅子さま」「紀子さま」「愛子さま」「眞子さま」「佳子さま」「悠仁さま」「皇太子さま」「秋篠宮さま」という「さま」付けの呼称は、親しみ易さと言うよりも、国民が気付かない儘に共産党の命令書を忠実に遂行していることと同じ言っても過言ではない。

 本来の日本国民ならば「皇后陛下」「皇太子妃殿下」「秋篠宮妃殿下」「敬宮殿下」「眞子内親王殿下」「佳子内親王殿下」「悠仁親王殿下」「皇太子殿下」「秋篠宮殿下」と称するべきで、こうした共産主義者らが謀った「開かれた皇室論」から、我が国の伝統文化や美徳が喪失し、皇統断絶が謀られて行くということを自覚しなくてはならない。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家であり、この国體の精華は万邦無比である。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、日本国民として節度ある敬意を表するべきである。

 明治の先覚者は尊皇の精神を重んじ、また欧米の真似をすることなく外来語を全て新漢字に翻訳した。その後の我々日本人が、日本語を学ぶことで西洋文化を知ることが出来たことは偉大なことであろう。

 現代人の様に外来語をそのまま羅列した軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概と高い見識を伺い知ることが出来よう。

 先達は日本に生まれたことに感謝し、日本語に自信を持ち、外交にしても日本語で主張し、日本文化を重んじ貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならなず、英語を学ぶことがイコール国際化社会ではない。

 今や世界では数千万人以上の人々が日本語を学び始めている。そうした中で日本語文化を世界に普及し、日本人の精神でもある「和」の心を伝えることによって世界平和の実現に繋がる可能性を秘めており、その為にも現代の日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事である。

 日本人が日本語を正しく使わずして、国際化社会などとは痴ましい。そうした意味からも蔓延する皇族方への軽々しい呼称は改めなくてはならない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:52|PermalinkComments(0)

2017年06月10日

敬称・敬語不使用運動に与してながら呼称や称号を論ずる愚かさ

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 天皇陛下の退位への特例法案が参院で全会一致で可決し成立した。新聞には「次世代皇室の幕開け」との文字が躍り好意的に報道しているが、これぞ共産主義者の目指した「開かれた皇室論」の結実でもある。

 特例法案を巡って、政府は頻りに憲法との整合性を訴えているが、陛下の御意向が今回の特例法案に繋がり、政治が動いたとなれば天皇の政治利用であり、憲法違反と断じられても致し方ない。

 官房長官は「譲位」を用いなかった理由を「今回は陛下が意志により皇位を譲るものではない」と説明する。今回の特例法案は、年々増え続ける国事行為を全う出来ないことから「生前退位」などという言葉が躍り、陛下が恰も退位の御意向を示されたということから始まっている。

 抑々、この認識が間違っているのだ。天皇が重んじるものは祭祀であり、国事行為が多忙なら国事行為や公的行事は皇太子殿下や秋篠宮殿下が代行すれば好いだけの話で、天皇の地位は御自身の意志が反映されたり、それを忖度したり、また国家権力によって左右されることがあってはならないのだ。

  陛下が摂政を置くことに否定的なのは、昭和天皇を輔佐した御自らの経験上のものであり、喩え臥しても天皇は天皇で在るとの御覚悟の顕れであり、「退位」や「生前退位」を望まれたという解釈は無理がある。

 昭和天皇が崩御遊ばされ、大嘗祭を経て即位なされた今上陛下は「昭和天皇のこころをこころとされる」とその決意を国民に語られた。

 昭和天皇の御公務や祭祀に照らしても、また陛下の御不例に当たっても、皇太子殿下と秋篠宮殿下は国事行為と祭事を輔佐した実情を鑑みても、「退位」は整合性に欠けている。

 先の御発露は「生前退位」の報が一人歩きしていることを危惧された陛下が、そうした天皇としての想いを語られたと理会する。

 その陛下の御言葉を曲解し、不敬極まる「退位特例法案」成立を謀るとは言語道断。況してや皇位継承を確保する為に女性宮家創設とは何事か。

 政府は女性宮家創設を「皇族方の御年齢からしても先延ばし出来ない重要な課題である」とするが、女性宮家を創設したところで陛下の国事行為や祭祀を代行することは出来ず、精精、皇室外交くらいなもの。

 また、退位後の敬称を「上皇」と「上皇后」とするが、呼称するのであれば正式な「太上天皇」と称するべきで、況してや皇太子殿下となるべき秋篠宮殿下を皇統の歴史にも無い「皇嗣(こうし)殿下」とするとは何事か。

 要は、女性宮家創設を急ぐのは、男系男子の皇統の歴史に楔を打ち込み、憲法第二条の世襲を強行し、愛子内親王殿下を即位させ皇統断絶を完遂しようという共産主義者に因る反天皇運動の策謀に他ならない。

 秋篠宮殿下を「皇太子」として、そして次の皇位継承者である悠仁親王殿下の後のことを考えるのであれば、昭和天皇が最後まで反対なされたGHQに因り皇籍離脱させられた旧皇族の皇籍復帰こそが皇統を盤石の安きに置く善後策である。

 安倍は9条改正に唯ならぬ執着を見せるが、党利党略と政権存続への固執から特例法案をその駆引きに使ったのであれば正に万死に値する。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:56|PermalinkComments(0)

2017年06月09日

安倍にしろ野田にしろ、インチキ保守が日本を滅ぼす!

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 天皇陛下の退位の実現を謀る特例法案が、良識の府であるべき参院本会議でも可決され、成立することとなった。

「天皇制廃止」を綱領に据える共産党や、「生理的に嫌だ。ああいう人達というか、ああいうシステム、ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない。もの凄く気持ち悪い」と言って憚らなかった辻元清美を始め、陛下が皇太子の折、沖縄を訪問した際に火炎瓶を投擲した左翼活動家を社民党として推薦した福島瑞穂らが賛成してることをしても、如何にこの特例法案が国體護持や皇統維持を成す上で危険であるかが分かろうというもの。

 女性宮家創設を言い出したのは民主党政権時の野田佳彦だが、安倍総理は政権存続から憲法改正との駆引きから、この法案での女性宮家創設や皇室典範の改悪に含みを残しているが断じて赦されるものではない。安倍にしろ野田にしろ、こうしたインチキ保守が日本を滅ぼす。

 衆院本会議では、亀井静香が「天皇陛下の地位は、御自身の意志や国家権力によって左右されるものではない」と反対票を投じた。参院ではこうした良識的な意見が多いのかと思ったが、全会一致とは情けない。

 参議院とは「貴族院」の名残りであり「勅選議員」でもある。言い換えれば天皇に選ばれし議員ということでもあるのだ。

 旧帝国憲法下では、満30歳以上の男子で国家に勲功がある者や学識のある者の中から勅任された。だが、悲しい哉、現在の参院議員に、天皇に選ばれたという意識など毛頭無い。

 抑抑、参議院を「良識の府」というのは、衆院での欠陥や問題点を示唆して糺す事がその務めであり、その良識とは政治的良識であり、そしてそこには政治的良心が備わっていなければならない。

「衆議院の暴走を食い止めるには二院制は必要」との声も聞くが、現在の参院は正に衆院のカーボンペーパーであり、衆議院のチェック機関として機能しておらず廃止するのが賢明だろう。

「共謀罪反対」「戦争法案廃止」というなら、愚生は声高らかに「参院を廃止」「特例法案粉砕」と叫びたい。

 選挙公約では画餅的に「議員定数の削減」を公約に掲げる政党は在るが、「参議院の廃止」を訴える政党はいない。

 過去には、日本維新の会の橋下が「一院制」を訴えていたが、いつの間にやらダンマリを極め込んで、維新の残党らも特例法案に賛成する始末。何が「維新」か。尊皇精神皆無の政党が「維新」とは嗤わせるな。

「維新」とは「維(こ)れ新(あr)なり」。江戸末期、水戸藩士の思想家・藤田東湖が示した「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」こそ維新の崇高な精神である。

 何故に今、特例法案や女性宮家創設なのか。皇室典範も明治欽定憲法も、そして教育勅語も、神武肇国から古来より尊重され護られて来た教えを、倒幕運動の指導者でもあった長州藩の井上毅が中心となり成文化したものである。

 これらを歪曲して国民を誑かしているのが現存の憲法学者であり、左翼マスコミだが、その日本の宝とも言うべき皇室典範に「退位」を附帯し、皇室典範の実質的改悪を同じ長州出身の安倍が行うことは、先人への冒涜であり、天を畏れぬ蛮行と断じる他はない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:46|PermalinkComments(0)

2017年06月08日

「袴田事件」で弁護側のDNA型鑑定の有効性を否定する報告書を高裁に提出

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 昭和41(1966)年6月30日 、「王こがね味噌橋本藤作商店」の専務宅が放火され、焼跡から専務と妻、次女、長男の計4人の他殺死体が発見された。

 7月4日、清水警察署は工場及び二階の従業員寮を捜索し、当時、従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。

 8月18日、警察は袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕した。これが所謂「袴田事件」である。事件の証拠品は、微量の血痕が付着したパジャマのみ。長時間の過酷な取調べによって袴田は自白してしまう。

 物的証拠が乏しい中で一審の公判中の昭和42年8月31日、何故か工場内の味噌タンクの中から麻袋に入っていた血痕の付着した衣類が発見された。証拠品はパジャマから一転し、この衣類が決定的な証拠となった。

 パジャマの血痕、発酵する味噌タンクに一年も入っていたとは思えない「5点の衣服」、そして犯行時に使用したとする小刀(切り出しナイフ)など、誰が見ても不可思議な物的証拠だった。

 犯行着衣とされた「5点の衣類」で、弁護側は「サイズから見て被告人の着用は不可能」と疑問を呈すも、検察は「1年間近く、味噌漬けになってサイズが縮んだ」と主張しているが、味噌樽に漬けてて縮むとは思えない。

 袴田の実家を家宅捜査した際に犯行着衣と同じ共布を発見。これが犯行を裏付ける証拠として採用されたが、2010年9月に検察が一部開示した証拠を弁護側が検証したところ、共布発見の8日前と6日後の2度に渡り、捜査員がズボン製造元から同じ生地のサンプルを入手していたことが判明している。

 袴田容疑者は、事件を担当した紅林麻雄刑事による過酷な取り調べにより自供したが、その後は一貫して無罪を主張し、平成26年再審が決定し釈放された。実に逮捕から48年を有した。

 事件を担当した紅林刑事は拷問による尋問、自白の強要、懐柔、供述調書の捏造、自己の先入観、固定観念による違法捜査、違法な取り調べは夙に有名で、「二俣事件」「幸浦事件」「小島事件」など、紅林が過去に主導した数多くの捜査でもその行き過ぎが指摘されている。

「袴田事件」も、自白調書全45通の内、44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの等の理由で任意性を認めず証拠から排除していることでも、紅林の拷問に因る自白の強要や違法捜査や証拠品の捏造は明らか。

 再審を決定した村山浩昭裁判長は、その理由を「無罪である可能性が相当程度明らかになった現在、これ以上拘置を続けることは正義に反する」と述べた。この判断は遅きに失したが司法の正義と言って好かろう。

 然し、東京高裁は再審決定の根拠となった弁護側のDNA鑑定が再現可能かどうかを検証する実験をする方針を決定し、依頼を受けた大阪医大の鈴木広一教授が弁護側のDNA型鑑定の有効性を否定する報告書を高裁に提出した。

 検察もメンツを重んじるのはいいが、DNAの鑑定を疑問視し「科学的に信用出来ない」と主張するが、多くの国民は当時の警察による違法捜査と捏造こそ問題視し、検察や高裁を信用していない。先ずは違法捜査を認めた上でDNAの鑑定の有効性を検証すべきだろう。

 今の時代は科学捜査が当たり前になっているが、一昔前には信じられない様な驚く鑑定が相次いだのも事実。例を挙げれば、昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で妻が何者かに咽を斬られ殺された事件が起きた。

 捜査によって近所に住む那須隆という男が逮捕され、彼の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定された。彼は犯行を否認するも起訴され、「反省も無い」との理由から情状は認められず15年の刑を務めることになった。 

 だが、那須さんが釈放されて間もなく、「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と、滝谷福松という男が名乗り出た。滝谷の証言によれば、教授宅はミシン修理に行って面識もあり、犯行時の詳細を供述し、紛れもなく滝谷の犯行だったことが明らかになった。那須氏は早速仙台高裁に再審請求するが、何故か高裁は棄却した。

 その2年後、那須さんが再審請求すると今度はあっさり受理され、直ぐに無罪判決が出た。鑑定の結果、当時証拠とされた着衣の血痕は別の人物のものだったという。何を今更だろう。

 そんな証拠の信憑性の無さは誰もが判りきっていたにも拘らず、何故に2年前には再審請求が却下されたのか。何のことはない、捜査で血液鑑定を行った古畑種基東大教授が未だ生きていたという理由から、その古畑教授のメンツを守る為に却下されただけのこと。

 要は、事件の事実解明よりも、科学捜査研究所所長も務め、文化勲章を授与された古畑教授の名誉とメンツが優先されたのだった。

「袴田事件」も同じで、死刑判決という重い判断をした裁判官を庇う為だけのもので、DNA鑑定に関する有効性の否定も、単なる司法のメンツでしかない。

 法の正義を重んじるなら「疑わしきは罰せず」の大義から袴田氏への無罪の確定を言い渡すべきであろう。いつまでこんな不条理を続けているのか。

 冤罪を生む元凶は捜査に携わる警察や検事の驕りや傲慢さ、過ちを文(かざ)り、間違いを認めず、屋上屋を重ねることでの最悪の結果だが、こうした冤罪によって真犯人を取り逃がすことになることこそ最悪の結果であろう。

 冤罪は不当逮捕された当人にしても最悪だが、被害者遺族にとってもその無念が晴れることは無く、断腸の思いであることは言うまでもない。

 喩え司法と雖も過ちは犯すもの。その過ちを素直に認め改めることこそ、法の正義を守る上では最も大事なことだと思うが、警察にしろ裁判所にしろ未だにメンツを重んじる風潮は消えることはない。

「過ちて改めざるこれを過ちという」「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」と訓えるが、司法に携わる連中のメンツなんぞどうでもいいことで、くだらんメンツを重んじて正義を失うことがあってはならない。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 05:20|PermalinkComments(0)

2017年06月07日

亡国の危機と不安を煽り、それを「信」じる「者」がいるから「儲」かる(笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 新聞に冨士大石寺顕正会の折込チラシが入ってたので興味深く読んでみた。日蓮宗は宗教というより日蓮大聖人の教えであり、軍人や右翼の中でも信奉者は多く、括目する言葉は多い。

 愚生は別に日蓮宗の信者ではないが、日蓮上人が立派だと感じるのは、流罪になっても決して挫けることなく、その信念を通し続けたことだ。

 日蓮といえば「立正安国論」が有名だが、上人が流罪となった51歳の時に書き上げた「開目抄」は、文字通り開眼の書である。

 時、恰も蒙古襲来の直前。未曽有の国難を予言した日蓮は、辻説法による戦闘的な布教活動を展開する。

 この説法により幕府から弾圧され流刑となるのだが、激しい使命感と捨て身の覚悟が、偉大な宗教家たらしめたのは言うまでもない。

「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」

 我が国が未曽有の国難に直面しているのであれば、右翼にしろ、左翼にしろ、活動家に求められるのは、この開目抄的決意と覚悟と信念を以て活動すること以外にはないと痛感する。

 宗教に関する本というのは、反創価学会の顕正会にしても、その池田太作の「人間革命」にしろ、坂本龍馬などの偉人が憑依するという幸福の科学にしろ、オウム真理教にしろ、読んでて参考になる部分は少なくない。

 これらの宗教の教えを訝しがって読めば胡散臭さしか残らないが、要は、読み手側が感ずる部分を読み取って、己の生き方の参考に出来るか否かが大事で、何事も信じ過ぎる、信奉し過ぎるとロクなことはない。

 日本人というのは大らかというか実にいい加減で、墓参りはすれど自分の宗派が何だったのか分からなず、戒名も何の為に貰うのかも知らない人は実に多い。家紋も同様で先祖からの家紋も無い家系は怪しい(笑)

 戒名というのは、死んでこれから「貴方(御釈迦様)の弟子になります」というもので、生きてる時に仏の道なんぞ知りもしなかった者が、死んだら釈迦牟尼の弟子になって極楽浄土に行こうだなんて都合好過ぎだろう(笑)

 戒名にしろ墓参りにしろ、江戸幕府が邪宗門とされたキリスト教や不受不施派を締出し、宗教を統制する為に行った「寺受制度」の名残であり、「寺受制度」があって葬式仏教に成り下がったクソ坊主や葬儀屋が儲かる。

 明治維新で江戸幕府が滅んだのにこの制度だけは今も有り難がっているのは、極楽や地獄という有難い噓に対する畏怖の裏返し(笑)

 江戸幕府の寺受制度を継承するなら、邪教の一掃や宗教への優遇制度を改めるべきだとも思うが、今や邪教の創価学会は政府中枢にまで入り込んだ。

 顕正会の折込チラシの日蓮大聖人の教えは括目するに値するが、この会長が政治を語ると仏の道に繋げたい思いから頓珍漢なものとなる。

 チラシの最後には「日本は亡国を招かんとしている」として不安を煽る。結局、新興宗教の悪い処は、こうした人の不安を煽り人の心に付け込むことだ。

  尤も、こうしたことを「信」じる「者」がいるからこそ「儲」かる。これは何も宗教に限らず、昨今の亡国の危機などと不安を煽って売文してる営業保守や営業右翼などにも言えることでもあるが。呵呵大笑。

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 04:48|PermalinkComments(0)

2017年06月05日

安倍は保守政治家に非ず自民党もまた保守政党に非ず

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

 陛下の御負担軽減という理由で「女性宮家」創設を急ぐのは、皇太子殿下~秋篠宮殿下~悠仁親王殿下の流れを阻止する策謀であり、「女性宮家」の創設とは共産主義者による反天皇制廃止運動というのが正しい。

 そうした謀を見抜けずに法案成立を進める自民党は最早保守政党とは言い難く、左翼勢力以上にこうしたインチキ保守が国を滅ぼす。

 国民は自民党が良くて支持している訳ではない。民進党然り、共産党然り、他に碌な政党がいないから支持してるだけの「でもしか政党」でしかない。

 安倍の様な似非保守が自民党に巣食っている限り自民党に明日は無い。安倍は正に曲学阿世の政治家である。だが、安倍の他といえばこれといった政治家はおらず、こうしたことが安倍の傲りを増長させる。

 曲学阿世と言えば中曽根康弘を思い出す。中曽根の大罪を列記すれば、先ず、支那人就学生10万人計画に拠って日本を支那人の犯罪天国にし、日本の刑務所を支那人犯罪者で満員にしたこと。

 歴代続いた靖國神社への公式参拝を、支那・韓国のイチャモンに屈し取止め、その後の内閣の不参拝の前例になり、現在に至っている

 当時の藤尾文相の発言が韓国のイチャモンで問題化するや直ぐに罷免。こうした韓国への譲歩は後の内閣での更なる譲歩に繋がり、その後の奥野文相や永野法相が対中・対韓発言を理由に辞職するのが恒例となった。

 現在の対中・対韓の屈辱的土下座外交は中曽根が元凶であり、大勲位としてタカ派として気取ったところで中身は空っぽ(苦笑)

 安倍も中曽根以上のなんちゃって保守であり、言葉は勇ましいがやってることは親米であり親中派であり、国家観も実に乏しく、単に、他の政治家が安倍よりもっと御粗末だから何となく保守に見えてしまってるに過ぎない。

 安倍は憲法改正も目論んでいるが、安易な改正は誤憲よりも危険であるとの認識にも乏しい。万が一、革命政権が樹立した暁にはこれらの手法を模倣し、再改正を謀るだろうことは火を見るよりも明らか。

 また組織犯罪処罰法改正(共謀罪)に共産党が反対するのは、その危険性を承知してるからで、自民党政権下では問題が無くとも、革命政権下ではこの法律を楯に徹底して反対勢力を弾圧するだろう。

 そして、菅官房長官が表明した通り、皇統の歴史に前例のない特例法が悪しき先例となり、皇統断絶が謀られることだろう。

 そうした危険性を孕んでいるのに、安倍は自己顕示欲の深さと総理へ執着からこれらの愚策の実行を謀るが、未来永劫に亘り自民党政権が続くとの思いから急いでるのだとすればそれこそ傲りと無知以外の何ものでもない。

 安倍を批判するとなんちゃって保守から「利敵行為だ」と批判されそうだが、日頃、御真影を待ち受け画面にしたり、陛下や皇室を褒め称えてる自称保守派や尊皇なき愛国陣営から退位の特例法案や女性宮家に対する抗議は聞こえて来ない。

 戦後、国民の多くはマスコミを通じ、共産主義者らが謀った反天皇運動の「開かれた皇室」論から陛下や皇室に親しみを感じ、同じく「敬称・敬語不使用運動」に与し、皇族方を「さま」付けで呼んでいる。

 こうしたことは自称保守派や自称愛国者らにも見られるし、怪しからんことに右翼にもいる始末。こんなんだもの、特例法施行により、また女性宮家創設で皇統断絶の危機が眼前に迫っていることなど微塵も感じてはいないわな。

 日頃、愛国者ぶって皇室や陛下を軽々しく話題にしているが、要は、反天皇勢力も自称保守派も同じ穴の狢というのが正しい(苦笑)

にほんブログ村 政治ブログ 政治思想へ
にほんブログ村←ブログ応援クリック御協力ありがとうございます!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
cordial8317 at 06:09|PermalinkComments(0)