2017年04月24日

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」なんぞ解散してしまえ!

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 靖國神社春季例大祭当日祭の21日、超党派の議員連盟「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」のメンバー95人が靖國神社へ集団参拝した。

 国会議員約720人いる中でたった95人でも「みんなで・・・」なんて言って参拝して悦に入ってるのだから罪がない(苦笑)

 数年前には保守ブームもあり、平成以降最多の168人が参拝したのも束の間、ここ数年は90人余り、要は保守ブームに陰りが見えてきた証左でもある。

 保守派の取り込みを狙ったパフォーマンスでしかないが、こんなことでは靖國神社の国家護持は愚か、陛下の御親拝などは夢のまた夢だ。

 世間では首相の参拝を熱望する声が絶えないが、安倍首相は今では恒例となった真榊奉納で事を濁した。だが、悲しい哉、抑々、総理や国務大臣が靖國神社への参拝することは現憲法20条違反に問われ兼ねない行為なのだ。

 靖國神社の存在を否定し、首相や閣僚の参拝に反対し、また石破茂を筆頭に所謂「A級戦犯分祀論」を唱える政治家は後を絶たないが、これもまた靖國神社側への政治介入並びに威圧行為であり、同じく憲法20条第三項に違反する行為であるのは最高裁の判例が示す通り。

 高市大臣が参拝したことで、菅官房長官が頻りに「個人的参拝」を強調するのも、現憲法に抵触するとの認識を共有しているからに他ならない。

 だが、国家の為に尊い命を投げ出された英霊に対し、国民の代表である政治家が感謝の誠を捧げるのは当たり前のことであり、議論の余地などないし、誰かに慮る必要も中米韓の内政干渉に屈する必要もない。

 靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」によって、解体や焼き打ちが検討された。だが、当時の関係者らは智慧を絞り、GHQの目を逸らす為に一時的に別な御祭神を祀り、「一宗教法人」として存続を図った。

 本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」格を取っ払い国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢と無作為でそれをも成されずに現在に至っている。

 石破茂ら戦犯分祀論派議員らは、憲法20条に抵触しない様にと、「陛下が参拝できるように、靖國神社側が自ら静謐な環境をつくることが望ましい」などと言って国民を誑かしているが、それを言うなら「御親拝遊ばされる環境」だろう。

 こうした言辞でも石破らの胡散臭さが顕れているが、御親拝に向けて静謐な環境を整備することには異論はないが、分祀論などの政治介入や威圧行為に違和感を覚えると共に、靖國神社側がそれに応じることはない。

 靖國神社は現在「宗教法人」となっているが、これは前述した通り、GHQが国家と神道の分離を謀った「神道指令」下、靖國神社の護持に苦慮した当時の関係当局の「緊急避難行為」であり、実態は宗教ではない。

 宗教というのは新興宗教でも分かる様に、「教祖・経典・布教活動」の三要素を必須不可欠とするが、靖國神社にはその一つも無く、唯、祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているに過ぎない。

 尤も、過去の総理大臣の参拝に見られる様に、二拝二拍手一礼が強制されてる訳でもなく、参拝者の意志や宗派を尊重している。

 靖國神社の国家護持を図る上では、この「宗教法人」を見直すことが肝要であり、先ずは靖國神社の宗教法人格を外すことから進めるべきだろう。

 自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして、「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。政権政党として至極当然の認識と政策であろう。

 だが、自民党は過去に幾度も安定多数の議席を確保しながらもその公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了による廃案以来、この「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。これ即ち、自民党のやる気の無さの現れでもある。

「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」が真に英霊の顕彰を図るなら、超党派の議員で「靖國神社法案」を提出し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝に向けての道筋を付ける為に政治生命を賭けよ。

 そうしたことも出来ないなら、「みんなで靖國神社へ参拝する国会議員の会」なんぞ早々に解散してしまえ!

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2017年04月21日

明治維新の戦いで斃れた全ての戦没者の合祀を図るべし

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 本日から靖國神社では春季例大祭が斎行される。ここ数年、退っ引きならない事情で参加してないが、心参して感謝の誠を捧げたい。

 安倍総理は今や恒例となった私費での真榊奉納で保守層を誑かすのか。何れにしても総理や政治家らが参拝することで靖國が騒がしくなるなら、政治家なんぞ靖國にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑を米国のアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑を創ればいいし、政治家はそっちに参じればいい。それでも多くの国民は靖國神社に詣で感謝の誠を捧げるだろう。

 いい加減、靖國神社へのアホ臭い議論はもう終わりにして貰いたいし、米中韓の不当な内政干渉に何時まで屈するつもりか。

 首相の公式参拝は当然のことであるが、現憲法下でそれが赦されていないのならば参拝は控えるべきで、「私的参拝」ほど英霊を愚弄する行為はない。また首相や閣僚の参拝を批判する勢力も憲法を蹂躙していることに気付くこともない。

 世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。例えば、米国の歴代大統領は、アーリントン国立墓地の囁きに触れ、オバマ前大統領は「負けた戦争」であるベトナム戦争も取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。

 米国に比べ、日本は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているのだが、皮肉なことに国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少ない。

 こうした政治家の怠慢と不作為が、国民精神の頽廃を招いている元凶であると言っても過言ではなく、愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそこに起因している。

 首相や閣僚の参拝を合法化するならば靖國神社の「宗教法人格」を外し、国家で管理すればいいだけの話しなのだが、自民党や保守派は「靖國法案」を提出することもなく、参拝のパフォーマンスばかりで全く遣る気が無い。

 政治家の参拝なんぞどうでもいい話で、何より大事なのは陛下の御親拝の実現を図るであり、御親拝によってこそ英霊は安らかに眠れるのである。

 また「鎮霊社」なる死者の選別も見直すべきだろう。それには戦後政治の総決算と同じく、明治新政府による様々な不条理も検証するべきであり、靖國神社こそその不条理の代表的な事例であろう。

 我が故郷の二本松藩や会津藩は「朝敵」と断じられ続けているが、抑々「朝敵」なんていう言葉はない。我が祖先は「東軍」である。

 この「朝敵」と差別され続けている方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと、朝敵をも本殿に祀ることと、そのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

 やはり「朝敵」と蔑視され続ける方々を祀り、名誉の恢復を図ることこそ大事であり、死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。明治維新の戦いで斃れた全ての戦没者の合祀を図るべし。

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2017年04月20日

仁侠道の精神が欠落してる暴力団を排除しよう!

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 今や右翼の99%は暴力団の傘下になったりヤクザと関わりがある。個人的な付き合いを否定するものではないが、資本主義の申し子というべきヤクザに、反資本主義であるべき右翼が随うというのは如何なものか。

 愚生の場合、ヤクザの知り合いもいるし、一盞を傾けることもあるが、「暴力団は仁侠道に立ち返るべき」と暴力団追放を主張している(笑)

 警察やマスコミは、「犯罪の背後には必ず反社会勢力の存在がある」と断じ、暴力団の壊滅を目指すべきだと主張するが、反社会勢力が「悪」だというのなら、極左や日本共産党、民進党も立派な反社会勢力だろう(笑)

 暴力団=ヤクザ=任侠ではない。仁侠というのは江戸時代、口入(くちいれ)家業を生業にした肥後の武士で町奴・幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)が祖とされている。

 仁侠とは、「仁」に狂うことこそ大事で、「狂う」とは陽明学でいうところの「本気でやる」とか「一途に打ち込むこと」をいうが、つまり「仁侠」が本来の「仁に狂う」ならば暴力団に成り下がることはない。

 親分に狂い、兄貴分に狂う。本気で仕え、ホンモノの男であろうと修行するものだが、それが最近は「振り込み詐欺」に見られる様に老人や弱者を食い物にしてカネに狂ってるから始末が悪い。これの何処が任侠なのか。

 「仁」とは己に克ち、他人を労わり、思い遣ることであり、つまり男気に熱く、弱い者を思い遣って助け、悪事を働く強き者を挫き、義の為には命を惜しまない気風を仁侠というが、それなら余っぽど愚生の方が仁侠だ(笑)

 昭和が終わり、平成になりバブルなどもあって、ヤクザは男を売る稼業から「カネも器量のうち」などと、カネこそが器量だという風潮になってしまった。

 山口組三代目の田岡一雄組長も四代目の竹中正久組長も、在日外国人は「若頭」や「若頭補佐」などの幹部には登用しなかったという。

 これは、朝鮮人ヤクザに日本古来の武士道精神や古事記に登場する須佐之男命を理解させるのは至難の業、到底無理だと分かってたからだという。

 況してや天皇陛下を敬うと云うのは論外であり、仁侠道と雖も朝鮮人ヤクザの「民族の団結」の前には軽く一蹴されてしまう。

 日本人ヤクザというのは確かに義には篤いが、如何せん金儲けというのは下手なのが多い。その点、朝鮮人というのは商才に長けた者が多く、平成に入り、昭和の時代の古き好きヤクザは廃り、営利至上主義的暴力団が席捲して行く。

 「暴力団撲滅」というが、資本主義の世の中でその資本主義の弊害というべき暴力団を排除するのは困難だろう。今の警察のやり方では益々暴力団化、或いはマフィア化していくのではなかろうか。

 ヤクザもヤクザで、老人や弱い者を騙して仁侠だとは厭きれるばかり。やはり、暴力団も「暴力団」と断じられてる悪因悪果を自戒すべきだ。

 ヤクザになる目的がカネが欲しいからというのも寂しい限り。確かにカネはあれば便利だが、カネよりも男気を求め家業入りした初心の思いを忘れることなく、ヤクザ本来の「仁侠道」の精神に立ち返るべきだろう。

 社会も「暴力団=恥ずかしい」とか「暴力団☓、仁侠〇」だとか、昔の町奴の様な粋で鯔背なホンモノの任侠が増えれば社会も明るくなるかもよ。呵呵。

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2017年04月19日

陸上自衛隊、国際連合南スーダン共和国ミッションから撤収開始

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 南スーダンで国連平和維持活動(PKO)に邁進して来た陸上自衛隊は撤収を開始、2012年から5年に及ぶ活動は一旦幕を閉じる。

 我が国の国際的活躍は世界が認めるところであり、中でも自衛隊によるPKOの貢献は我が国の誇れる活動であろう。

 南スーダンのPKOには、地元の陸上自衛隊郡山駐屯地からも派遣され、国際連合南スーダン共和国ミッションに参加している。

 以前、郡山市の会報で、南スーダンでのPKO活動に参加した女性自衛官の幸田麻美さんと佐藤志絵梨さんの二人が紹介されたことは記憶に新しい。

 国際連合南スーダン共和国ミッションとは、2011年に独立した南スーダン共和国を支援する為に発足されたPKO活動で、翌年から自衛隊を派遣し、インフラ整備などを行って来た。二人は取材にこう応じる。

「世界には、支援を必要とする発展途上国が数多く存在します。テレビなどで報じられる現状を見て、私達にでも出来ることがあるのではと思い今回の任務に参加しました」

「私達が行った活動は日本から派遣された隊員の炊事です。派遣から3ヶ月が経った頃、郡山市から激励品としてあさか米が寄贈されたときは嬉しかったです。久しぶりに食べる故郷のお米は、隊員の間でも好評でした」

「現地での活動を通して、発展途上国への支援の必要性を改めて実感しました。途上国の多くは、インフラの整備が不十分で、多くの道に歩くのが困難なほどの大きな穴が開いています。雨が降ると水が溜まり、そこから蚊が大量に発生して、マラリアなどの感染リスクを増加させます」 

「派遣中、戦争孤児の施設を訪れる機会があり、折り紙やけん玉などで交流をしました。無邪気な笑顔を振りまく子供達と触れ合い、私達が出来る支援とは何かを改めて考えさせられました」

「任務に参加することで、日本に居ては分からない世界の現状や、国際支援活動の重要性を知ることが出来ました。今後もこの様な機会があれば参加したいです。私達の活動が世界の平和に繋がることを願います」

 どうだろう。幸田さんも佐藤さんも、安全保障関連法案で騒いでたあのSEALDsの若者と同年代だ。日本人として何故にこうも違うのか。

 マスコミはSEALDsを持ち上げ、安保関連法案を「戦争法案」とのレッテルを貼り、自衛隊の活動は全てが戦争に繋がると扇動したが、彼女らの活躍でも解る様にPKO活動は平和維持がその主たる目的である。

 安全保障関連法案も、日本国と国民を護る為のものだけではなく、自衛隊員を守る為のものであるというのは言うまでもない。

 南スーダンでの日報を破棄したと稲田大臣の対応を責め、南スーダンで戦闘行為があったのではないか、自衛隊員が万が一犠牲になったらどうするのかだとか、然も自衛隊員を心配しているが、実に白々しい。

 過去にはPKO活動で亡くなられた日本人もいるし、「武力衝突」だろうが「戦闘行為」だろうが、そんな言葉遊びに意味はない。

 稲田にしろ安倍にしろ、堂々と「平和というのは創り出さねばならない。その為に自衛隊員に若しもの事があれば国家としてどう慰霊し顕彰していくかということを考えなければならない」と何故に国民に堂々と訴えられないのか。

 自衛隊員も警察予備隊発足から1870名以上の自衛官が殉職されている。本来、こうした犠牲者は英霊として靖國神社へ祀るべき存在にも係わらず、そうした議論もせずに自衛隊員へにその職務の遂行のみを強いて、また日頃、自衛隊を蔑視していながら自衛隊員の犠牲を語るとは実に烏滸がましい。

 朝鮮戦争当時、自衛隊発足が間に合わず、極秘裏に派遣された海上保安庁の掃海艇を派遣、その内の一隻が触雷沈没し1名が犠牲となった。

 これは海上保安庁の職員ではあるが、事実上の戦死にも拘らず未だに戦死と認められていない。南スーダンでの自衛隊員に犠牲が出れば、同じ様に殉職死が無駄死となってしまうことを危惧せざるを得ず、官邸筋が「死傷者が出れば政権が吹っ飛びかねない」というのはそういうことだろう。

 軍隊とは任務の為なら死をも厭わぬ集団である。国家・国民の為に犠牲となれば国民挙って感謝の誠を捧げるのは当然であり、国民の義務でもある。

 政府や国会は殉職自衛隊員を如何に慰霊し、顕彰して行くかという根本的議論が抜けているのだ。国民不在の不毛な議論を何時まで続けるつもりか。

 二人の女性自衛官の話に戻すが、佐藤さんは、幼少期から空手を習っていて、派遣時には他国の隊員と共に空手の稽古を行い交流を謀ったという。二人の素晴らしい行動力は、郡山市民としても、日本国民としても実に頼もしく誇らしい。

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2017年04月18日

米朝一触即発、北朝鮮の民主化と朝鮮半島の安定化に繋がるか

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 北朝鮮は一昨日、弾道ミサイル発射を強行するも直後に爆発。失敗は米国によるサイバー攻撃とも言われているが、発射すれば米国からの攻撃は避けられず、発射しなけりゃしないで金正恩のメンツに関わるし、米朝の駆け引きは続きそうだ。

 北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」だが、民主主義でも人民の国でもなく「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家である。

 日本人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したヤクザ国家というのが正しい。

 何百万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔していたのは誰もが知るところ。

 今正に、一触即発の状況だが、金正恩体制の北朝鮮を殲滅し、民族統一を図り、朝鮮半島を真の民主主義に建て替える好機となるのだろうか。

 我が国は拉致問題もあり、過去のミサイル発射や核実験などに対抗する措置として対北朝鮮への経済制裁を実行している。「経済制裁」とは「宣戦布告」と同じあり、戦争状態でもあるのだがそうした認識に乏しい。

 先の大戦直前、我が国は米国、英国、中華民国、オランダから所謂「ABCD包囲網」によって経済封鎖に追い込まれ、これが我が国が自存自衛の為に大東亜戦争に突入した要因になった。

 北朝鮮への経済制裁も、米国への忠誠も、先の大戦直前の我が国と同じ状況を作っているとの認識と覚悟を持つべきだろう。

 そうした危機感の無さが、国民不在の国会審議となり、相変わらず森友学園だとか、今村環境大臣が~ってな不毛な議論が繰り返されている。

 原子力空母カール・ビンソンが朝鮮半島に睨みを効かせてる中で、北朝鮮にしても下手な挑発は出来ないだろうし、失敗して我が国に着弾となれば、米軍はここぞとばかりに総攻撃を仕掛けるだろう。

 そこまでの一線は超えないだろうと普通は思うが、金正恩のことだから何をするか分からない。一歩間違えば我が国に被害が及ぶのは避けられない状況ではあるが、考え様によっては金正恩体制を崩壊させる千載一遇の好機でもある。

 拉致問題は、国際的な分析の甘さと北朝鮮に対する甘やかしと認識不足による中途半端な弱腰軟弱外交が未解決の元凶であるが、米国支援を表明した以上、我が国も犠牲覚悟で臨まなければならない。

「政治とは血を流さない戦争であり、戦争とは血を流す政治である」と言ったのは毛沢東だが、我が国も、政治にしろ外交にしろ、血を流さないが「戦争である」という気概を持たなければ多くの諸問題の解決は図れまい。

 安倍首相は「戦後70年、我が国は平和国家としての道を歩んで来た」と胸を張ったが、その実は日米安保条約により米国の軍事力の庇護の下でのまやかしの平和を享受して来ただけに過ぎない。

 シリアへの空爆や中東などでの米軍支持や、NATO諸国への後方支援は、我が国も戦争に参加して来たという紛れもない事実である。

 いい加減、キレイゴトは止めるべきで、北朝鮮と米国が戦争となれば、我が国も強力に米国を支え、拉致された邦人の救出に全力を注ぐと共に、北朝鮮の民主化と朝鮮半島の安定化に寄与するべきだ。

 いつまでも党利党略から不毛な国会議論をしている場合ではないぞ。

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2017年04月16日

人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っているが

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 アドルフ・ヒトラーはこう訓える。

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」

 正義や良識というのは己の価値観であってそれが正しいかというとそうでもない。特に正義となればその正義は真逆な場合が多い。

 米国の行動を正しいと思う人もいれば、リビアや北朝鮮の様に米国の圧政を不正義だと思ってる国も在れば、中共の弾圧で苦しむ国には正義という行動さえも容易に敢行出来ない国も在る。

 愚生の場合、己の意見が万人に正しいものだとは思ってはいない。右翼を自任する者として、日本国民であるならばこう考える、こう行動しなければならないというものであって、それを絶対無謬で右翼共通のものだとの驕りもない。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。SNSの世界も同じで、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりする。だが、固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものでもある。

 意見の隔絶してる者を翻意させることなど到底無理なことなのだが、それにも気付かずに意味の無い論争をしている様子は気の毒にも思う(笑)

 論争で理論的な間違いは指摘出来ても、相手側がこちらに「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も、相手に通ずることも受け容れることはない。

 左翼というのは確信犯だから翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者にはこの手が多く、聞く耳を持たず、偏狭な屁理屈を垂れる輩が多い。

 まぁ、右でも左でも、どっちにしても、人というのは「好きか嫌いか」が重要であって、「正しい」とか「間違ってる」という基準もまた「好きか嫌いか」であり、好きなものは精神的に正しいと思い込んでいるに過ぎない。そんな嫌われてる相手に幾ら熱く語ったところで疲れるだけだ。

「生理的に合わない」とか「以心伝心」というが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいる相手は、向こうも同じ様に感じているものだ(笑)

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかない。

 意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極めることが大事で、相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意味はないし通じることもない。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても、相手に思い当たる様に仕向けることが出来れば上出来。相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが親切心であり、本来、意見とは斯く在るべきなのだ。

 人は「好きか嫌いか」であるというのは実に正鵠を射たもので、喩え声を大にして正論を吐いたところで、相手に通じないのは世間から忌み嫌われているということ。要は好きじゃないということに尽きる(笑)

 まぁ、立派な主張が通じないのは理論よりも人柄や人格に問題があるとしたら、その性格や人となりを磨くのは容易なことではない。呵呵大笑。

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2017年04月14日

徒然なるまゝに、その日暮らしシリーズ

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 最近は活動家としての政治批評のブログよりも、食べ歩きのブログやどうでも地元ネタのブログ方が好評なのはチョッと複雑(笑)

 まぁ、政治の問題というのは余り興味もないし、同じ様な内容の記事をしょっちゅうアップしてると、近くの神社や寺を有難く思わないのと同じで軽く思われるのは仕方ない。有料会員にするとか、勿体付けた方がいいのかもなぁ(笑)

 相変わらず算段に余念がないが、講演依頼も無く、暇を持て余してるから精精ブログの更新が関の山。もう活動家というより貧乏ブロガーだな(笑)

 我が国の収入(歳入)を家計に喩え分かり易く説明すればこうだ。

 年収が500万円(歳入約50兆円)ほどだが、生活費が年に1000万(100兆円)ほどかかる。借入金は1億円(1000兆円)余り。その借入は友人知人から借りて月々の利息は払っているが、その利息分をまた借り入れる悪循環。

 尤も、年収が500万あれば、借金の1億円くらいはなんてことはない額だと感じるのは愚生だけだろうか(笑)

 愚生の場合、震災以降、年収が100万円も満たない年が続いている。

 「出れば出銭」ということもあり、付き合いはなるべく最小限にしているが、それでも借金に借金が殖え年間約500万円ほどの赤字になる。

 このまま行けばギリシャの二の舞だが、そんなギリシャにも支援の手が差し伸べられるのだから、愚生も悲観はしていない(笑)

 震災前には結構あった借金も減り、どうにか返済に目途が立ったと思いきや、震災で先行きが怪しくなった。

 それでも、僅かな支援者や貸し手がいるから未だ救われている。

 まぁ、マジメに働いて返すのが一番だし、働いてた方が余計なことを考えないで済むので楽だとは自覚しているがその簡単なことが中々出来ない。

 都合のいい右翼人には成りたくないと思っているし、単なるプライドだろうが、浪人としてもホンモノで在りたいと思っている。

 今の時代、何の職業でもそうだが、「らしい」人やプロ意識、職人気質が乏しくなってしまった様に感じる。

 サラリーマンでも公務員でも議員でも、或いはパートのおばちゃんでも誰でも、報酬を貰えばプロだ。

 だが、「雇われている」というより「働いてやっている」という意識が強く、また単なる時間潰しで就職している者も少なくない。

 給料とは昔でいう俸禄であり、侍(さぶら)うという自覚もない。

 「侍う」とは「仕える」という意味だ。

 自分の夢がありながら、目先の生活に困窮し、或いは分不相応な生活を望んで、結果、目先の「食える」職業を選択する。

 「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐えながら必死に生きればいいが、今の時代、夢なんぞ二の次で、アルバイト程度で食えてしまうから始末が悪い。

 これではプロやホンモノは育たない。

 目先の仕事にあり付いて、食えることを優先するというのは、それは単なる自分自身への誤魔化しであり、畢竟、プロやホンモノへの侮辱でもある。

 ボクサー・辰吉丈一郎を20年間追いかけたドキュメンタリー映画「ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年」が公開されるという記事が出てたので読んでみた。

 辰吉も今や45歳。原則的に日本人ボクサーの「定年」は37歳だそうだ。その歳をとうに過ぎても尚現役に拘る辰吉の思いと魅力が、インタビューによって引き出されていく。

 この映画について、某雑誌のインタビューに応える辰吉の言葉が実に好い。

 現在の収入は?

 辰吉:まったくない。無収入。

 無収入? 生活は?

 辰吉:いうても僕、3回も世界チャンピオンになってますから(笑)。ファイトマネーを無駄遣いしてこなかったし、リングに立って稼いでいるわけではない以上は、貯金をおろして生活するしかないでしょ?

 過去には、数千万単位のCM出演を断ったとの伝説もあります。

 辰吉:うん。だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで。ボクサーがCMって違うと思うんで。小銭ならいいですよ? でも、何千万というお金を稼いではダメだと思った。

 後悔は?

 辰吉:一切ない。

 テレビを見ればプロのスポーツ選手が毎日の様にタレントの如くに出演し、CMにも登場するのは当たり前の時代、「だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで」とは中々言えた言葉ではない。

 これぞプロ中のプロだと思う。

 自分の生き方がありながら、目先のカネに飛び付いて、本業ではない仕事で食えることを優先するというのはプロとしての覚悟が乏しい証拠。

 インタビューは続く。

 世間からは「もう十分だろ」との声も届いていると思うのですが?

 辰吉:まがいものというのか、ひねくれているというのか。デビューの頃から僕は、普通が嫌やったんですよ。

 紛い物ではないこれぞホンモノ。捻くれている様にも見えるが、「普通が嫌だった」というこの気持ちと男の痩せ我慢は大いに共感出来る。

 ボクサーだろうが、サラリーマンだろうが、右翼だろうが、どんな仕事に就いて様が、あっちにコロコロ、こっちにコロコロと、要領のいい生き方をしてるヤツよりも、愚生はこうした信念のある削げ者が好きだ。

 愚生が右翼に入った昭和50年代というのは右翼ブームで、暴走族らが挙って入隊し、マスコミには「インスタント右翼」などと揶揄されたものだ。

 愚生も何百何千の右翼を見て来たが、殆ど残ることはなく、熱が醒めると去って行き、残ったのはホンの僅か。

 その残った者がホンモノかというとそうでもない。

 最近はそんなインスタント右翼時代よりも気軽に出入り出来る様になったし、右翼とサラリーマンの境もなくなった。

 これが好いことなのか、悪いのかは分からない。

 右翼と自称・愛国者とのボーダーラインが無くなったのは確かだろう。それと比例して右翼は怖さが無くなったし、何より牙がなくなった。

 今の保守ブームが去れば、自称・愛国者らも去って行くのは明らか。

 政治の世界も同じで、結局はホンモノとホンモノのぶつかり合い。大衆はどちらにも動くし、大衆の意見というのはそういうもの。

 我が国の不幸は、滅私奉公を忘れ、次の選挙や保身のことばかりで、ホンモノの政治家がいないことに尽きる。

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2017年04月13日

新聞社に公正を求めることは最早無理なのかも知れない

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 30年程愛読した地元紙を止めて産経新聞を一年間購読するも、地元の情報が無いので再度地元紙を購読する様にした。

 別の保守的な論評を求めている訳ではないが、せめてリベラルを自任するなら公正な報道に努めて頂きたいもの。

 だが、相変わらずリベラルを穿き違え、リベラルとは程遠い、左翼の主張と違わない世論誘導にしか思えない論説が目立つ。

 リベラルとは自由主義であり、自由主義とは個人の価値や人格の尊厳性を重んじることではあるが、そこには郷土愛や祖国愛がなくてはならない。

 新聞という公共的なものであれば中立を重んじ、意見の解れる問題に関しては公正の立場で報じるべきで、公正とは是と非、表と裏である。

 如何せん、昨今のマスコミは反安倍の立場を強調する余り反体制的な読者の投稿を利用し、またそうした読者に阿る主張を垂れ流す。

 地元紙の投稿欄である「みんなのひろば」には、仄々とした記事は兎も角、政治的なものは共産党支持者ではと思いたくなる常連ばかり(笑)

 ここの所多いのは教育勅語への批判。森友学園を例に挙げ「教育勅語を肯定・閣議決定不適切」という投稿が載っていた。こうした方々の主張は共産党の機関紙・赤旗やビラに書かれている内容と酷似してるのは気の所為か(笑)

 教育勅語を否定してる一番の理由は「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」で、これを「戦争があったら天皇の為に死ね」と曲解する。

 「戦前の子供はこれを暗誦し死んで行った」などと断じるが、教育勅語が渙発されたのは明治23年であり、ならば日清・日露戦争を戦った明治・大正時代の国難の時代を生き抜いた方々もそうだったのか。

 教育勅語は「滅私奉公」の前振りだと断じているが、国民として滅私奉公は当然のことで政治家にこそ求められる奉仕の心だろう。

 義勇公に奉じることを天皇や皇室に結び付けてるが、国家の為に犠牲を覚悟で戦うことが何故にダメなのか。自分達の国や愛する者の為に戦うのは当たり前のことだろう。それとも敗戦国の日本は未来永劫、米国に助けを求めろというのか。

 一方で、安っぽい平和主義を掲げ、国家の大本である防衛を担っている駐留米軍を批判するアホ左翼らの言い分には厭きれるしかない。

 現憲法13、14条では「信教の自由」「思想・信条の自由」が保証されている。政府が教育勅語を使用することを否定しないのは憲法を順守している結果であり、否定することこそが憲法20条第3項違反であることを認識すべき。

 福島県の新聞社ということもあり、被害者を演ずる余り、反原発の記事が多い。先の今村大臣の発言に対しての意見も、作為的な内容の記事を鵜吞みにした軽々しく幼稚な内容で、読んでて気の毒にも思えなくもない。

 最早、新聞社に公正を求めることは無理なのかも知れない。何故なら新聞社と雖も株式会社であり、広告主と読者に諂った意見を綴ることで営業が成り立ってる一面もあり、正義を振り翳してはいるが所詮は営利主義なのだ。

 何より、戦後、米国が徹底した戦後民主主義教育にどっぷり漬かった読者と、GHQによるマスコミへの言論統制の呪縛から解放されていない現状を見れば偏向するのは致し方無く、公正な報道を期待する方が無理というものか。 

 斯くいう愚生も投稿している。なるべく右翼的な主張は控えめしているつもりだが、投稿への反論や主張が通ることはめっきり無くなった。

 「岩代小浜の歴史と文化を護る会の取り組み」「原発再稼働・我が国の技術力を信じよう」「稀勢の里の優勝は日本人らしい判官贔屓」と、三回連続でボツでした。数日前に送った「米軍、シリアを攻撃」は採用されるだろうか(笑)

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2017年04月10日

自称・自主避難者に見る朝鮮人強制連行説との共通性

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 安倍総理は一昨日、今月1日に避難指示が解除された福島県双葉郡富岡町を訪れ、今村復興大臣の発言について「大臣から既に謝罪をしているところでありますが、私からも率直にお詫びを申し上げたい」と述べ謝罪した。

 今村発言については、マスコミの作為的切り貼り報道に因って、国民の多くが福島県民を貶めたという捉え方をしてるが、「福島はこれからもずっと人の住めない土地であり、国が援助するのは当然だ」と執拗に繰り返して質問や雑言を浴びせ、被災地である福島を貶めてたのは今村大臣ではなく左翼活動家の自称・フリージャーナリストだろう。

 安倍や今村らにすりゃ言いたいことは山ほど在るが、パレルモ条約締結に向け「テロ等準備罪」などの重要法案審議を控えてる中で、要らぬ論争で無駄な時間を費やしたくないとの思惑が感じられるが、安易な謝罪は相手側にとって更なる譲歩を引き出す口実になるということも自覚した上での謝罪だったのか疑問が残る。

 今村に食って掛かった自称・フリージャーナリストの西中誠一郎は、中核派らと共に「反原発」「反基地」「従軍慰安婦支援」等等を謀る名うての左翼活動家である。

 西中の「福島はこれからもずっと住めないから国が責任を取れ」という言い分は、正しく「我々は強制連行させられた可哀想な民族であるから優遇されるのが当り前」という在日朝鮮人の言い訳と同じである。

 こうした悪質な質問に対し、法案成立優先から安易に謝罪したことで、自称・自主避難者らは国に対し更なる強要を強いるのは明らか。

 韓国や北朝鮮がいう「強制労働」とは、昭和13年の国家総動員法に基付く「徴用例」を指しているが、戦中の日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場などの施設に動員され生産に従事した。

 日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、日本の統治によって多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、これに協力する義務があったことは言う迄もない。

 戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じて来たもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者は極少数である。

 国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮や朝鮮人への適用は差し控え、昭和19年9月に初めて実施された。それも、朝鮮人徴用労務者が奉仕した期間は翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間だった。

 日本人も台湾人も朝鮮人も等しく戦時徴用されていたのであり、韓国や北朝鮮が主張する「強制連行」とは、それこそ「徴用令」への無理解と我が国の歴史の捏造であるが、終戦後の昭和20年8月から翌年3月までに政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還している。

 北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者の内75%が帰還しているし、戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地に馴染みが薄い為、終戦後、残留した者は極少数である。

 これらの調査が行われた昭和34年、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人に過ぎず、 現在、日本国内に居住している朝鮮人は自由意思によって在留したものである。

 自由意思によって日本に住んでいながら「強制連行」を振り翳し、被害者を演じて特権の恩恵に預かっている在日朝鮮人と同じく、自由意思で県外に住んでる「自主避難者」からの国に対する強要は更に節操の無いものになるだろう。

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2017年04月09日

米軍、シリアに対しトマホークミサイル攻撃

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 米軍はシリアのアサド政権軍が化学兵器による空爆を行ったと断定し、シリア中部のシャイラト空軍基地に対し、巡航ミサイル・トマホークによるミサイル攻撃を断行した。

 これに驚いたのは米中首脳会談で訪米中の習近平だろう。米国パームビーチのトランプ大統領の別荘で夕食会が行われてる最中の攻撃は、様々な憶測と外交戦略が見え隠れする。

 以前、イラクに大量破壊が存在すると脅威を煽った米国は、シリアのサリンなどの化学兵器使用に対しても「非人道的であり、国際法違反である」と、然も軍事介入は当然だとの認識を示しその正当性をアピールした。

 だが、オバマ前大統領はロシアに慮って攻撃を躊躇した。オバマは「世界の警察」という立場を緩めたが、トランプ政権はまた世界の警察としての立場を鮮明にする道を選んだ様だ。

 シリアの後見人でもあるロシアのプーチン大統領はこの攻撃を受け「国際法違反」と反発しているが、常任理事国の国際法違反は毎度の事だ。

 安倍首相はシリア攻撃を受け、トランプ政権を支持する旨の表明をしたが、ロシアとの関係悪化は避けられず、我が国の外交の稚拙さを露呈した。

 今後はシリアの内戦が激化し、トランプ政権が更に北朝鮮に対する強硬姿勢を示せば朝鮮半島や世界情勢が一気に緊迫した状況に追い込まれ、我が国も外交的に難しい局面を迎えることだろう。

 今や、米国の自己中心的不正や非道に苦しむ非西欧諸国は、「世界の警察」を気取っている米国を唯一最大の外敵であり脅威と考えている。オバマ政権時にはその「世界の警察」という立場を緩めたものの、トランプ政権はまた世界の警察としての立場を鮮明にする道を選んだ。

 欧米が自己中心的正義の名の下に更なる弾圧や軍事介入が続けば、米国への反発とテロの連鎖は止むことはなく、真にテロの根絶と世界平和を願うなら、圧政に呻吟する民族の解放と独立をさせる以外にない。

 しかしそれは、言い換えれば政治体制の崩壊を意味しており、米国然り、中共、ロシア、中近東然り、北朝鮮もまた然り、それはゲリラやテロリストの根絶以上に不可能なものなのだ。

 諸文明が鎬を削り合う時代、我が国が為さねばならぬことは米国への忠誠ではなく、米国からの自立であり、「米国のポチ」としていつまでも従属させられている場合ではない。

 我が国が中共と米国の何れに擦り寄れば擦り寄るほど、米中の覇権争いに巻き込まれ、最終的には再び、極東アジアとアジア全体に不幸を齎すことは火を見るより明らかなのだ。

 アジアの動乱の多くに米国人が係ったことは歴史が証明している。20世紀は正に、キリスト教徒の望んだプロレタリア独裁を標榜する中国共産党と米国が世界の脅威となったのを忘れたのか。

 政界ではくだらない森友学園問題や今村大臣の言葉尻を論い、国民を巻き込んでの大騒ぎだが、北朝鮮のミサイル発射なんぞ何処吹く風。

 我が国の政治家に真に国益を守ろうなどという気概など全く感じることはなく、頭の中は選挙の事だけ。自民党にしろ野党にしろ、連中が守りたいのは己らの議員としての立場と気楽な現在の体制を維持したいだけなのだ。

 米国も、世界には日本の様な「イエスマン」ばかりでなく、米国の不正義の下で呻吟している人々が多くいることを思い知るべきだろう。

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2017年04月07日

福島県や自称・被災者を慮っている様に装う反原発派にはうんざり

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 今村雅弘復興相が、福島県から自主避難を続けている住民への国の責任を巡る記者との遣り取りで激しい言い合いとなり、記者に対し「出て行きなさい」などと記者に激高したことが問題となっている。

 野党は「資質に欠ける」と一斉に反発。共産党の小池晃に至っては「被災地の皆さんは怒っているだろう」と辞任を要求したが、福島県民の多くが迷惑だと思ってるのは、福島県を慮っているかの様に装う反原発派であり、それに与する自称・被災者や自主避難者である。

 今村大臣に対し、自主避難者への対応を繰り返し質問した記者は西中誠一郎。フリーの記者という肩書だが、中核派や韓国極左系労組と共謀し、「反原発」「反基地」「従軍慰安婦支援」運動やレイバーネットで活動している名うての左翼活動家であり、秘密保護法違憲訴訟の原告でもある。

 質問も「福島はこれからもずっと人の住めない土地であり、国が援助するのは当然だ」との認識から、執拗に繰り返しており、被災地である福島を貶めてたのは今村大臣ではなく左翼活動家の西中だろう。

 野党のクソ共は「自主避難されている皆さんの心をどれだけ傷つけたか。怒りを覚える」というが、風評被害や止まぬ福島県民への差別は極左や反原発派が放射線の危険を殊更に煽ったことが一因でもある。

 反原発派や自称・自主避難者らによって垂れ流される流言蜚語によって福島県民がどれほど迷惑しているか考えたことがあるのだろうか。

 例えば、福島市内でライブハウスを経営していた木村雄一も自主避難者の一人。震災後に福島から佐賀県に逃亡した木村は、反原発を訴える為に緑の党から参院選に出馬し、公示日には九州電力本店前で第1声を上げた。

「頭が2つある子、生まれてますよ。後は、無脳症の子どもも生まれてます」と被害を装う。更に「チェルノブイリの再来」だと煽り、「それを言うために僕は立候補したんです」と悦に入った。正にキチガイと言う他はない。

 こういう自主避難者が政府の政策に同意することはなく、如何にも自主避難者が大変だと言わんばかりに、執拗に「国の責任」を求める無礼な質問に対し激怒するのも分からなくもない。

 木村に限らず、福島の地を捨てた自称・被災者が故郷である福島を貶めてるケースは後を絶たず、彼らは被害者ぶってはいるが、その生活は災害救助法に則り避難した自治体から保障され、最終的には東電からも賠償金や和解金が支払われる。

 そうした自主避難者に対し、そろそろ自己責任を求めるのは当たり前ではないのか。国にしろ自治体にしろ何時までも甘やかしてる余裕は無い。

 自称・被災者らは「故郷に帰れない私達の気持ちをカネで解決出来るのですか?」だとか「故郷を昔の様に戻してくれ!」などと無理難題をいう。

 ならば、いつの時代まで遡れば好いのか。原発が設置され、生活が潤っていた時代か、それとも原発が建設される前か?

 原発周辺地域の多くは原発や東京電力関連企業など、原発関係の仕事に従事していた方が多く、廃炉に向かって進んでいる中で、昔の様な生活を要求するというのは到底無理だし、それこそ強要だろう。

 高度成長に入る時代というのは何処の家庭も裕福ではなく、極貧に喘いでいた訳で、それを考えれば一から出直すのは容易いことだ。起きてしまった事故のことを恨んでも仕方がないが、連中の強欲は尋常ではない。

 自主避難者というのは、簡単に言えば原発事故を利用したアルバイトの様なもの。愚生もどうせ仕事もやることもないし、被災者を騙って自主避難しとけば6年で2000万以上の貯蓄が出来たと思うと羨ましくもある(笑)

 政府も、被災者に気を遣うのは止めて、感情的ではなく現実的な施策の実現を図るべきであり、東京電力福島第二原発の再稼働を否定せず、被災者の働き先を確保するなどの環境整備を図ることも大事ではなかろうか。

 自主避難者にしろ自称・被災者にしろ、いい加減、今住む場所で骨を埋める覚悟を決めるとか、故郷に戻り復旧・復興に努力すべきだ思うが、それも出来ないというならなら、せめて福島を貶める様な反原発運動に与する言行は止めなさい。

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2017年04月06日

道徳教育とは体育の授業と同じ。行動や実践が伴わなければ意味はない

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 読書量を自慢し、本棚に並ぶ本の多さに悦に入ってる人がいる。斯くいう愚生も、若い時分にはそういうこともあった様にも思うが(笑)

 だが、読書量を誇ったところで意味はなく、本の中身の感ずる処を書き記し、自ら実践してみることが何より大事なことである。

 実践すれば失敗する。その失敗を反省し、その理由を探り、失敗を次に繋げる糧とすることが貴重なのだ。失敗しない成功に意味はない。

 国士舘の創立者・柴田徳次郎先生が教える「読書」「体験」「反省」「思索」の四徳目とはそういうことだ。

 保守陣営などからは、「教育勅語」を道徳教育の指導原理と成し、また戦前の「修身」復活の声も聞こえるが、これらを幾ら教え諳んじたところで、その教えを実践しなければ単なる画餅に帰すだけだ。

 道徳教育とは体育の授業と同じで、理論を教えることは大事ではあるが、喩え頭で考えても行動や実践が伴わなければ意味はない。

 嘗ての我が国は、「教育立国」として明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故であろう。

 悲しい哉、現在の我が国を見渡せば、自己中心性の欲望だけは留まる処を知らず、日本人の美徳である勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴さを失い、高邁さは忘れ去られてしまった。

 高邁な魂を喪失した国民に最も大事なものは、将来を担う子供達への教育を如何に充実させるかは大事ではあるが、道徳教育や「修身」復活を願うなら、先ずは政治家自らが実践して模範を示すことだ。

 修身を復活するというが「おたけがめくらのてをひいて」の「めくら」は差別用語でもあり、放送禁止用語でもあるが、こうした差別用語が羅列されてる「修身」の復活は無理ではあるまいか(笑)

 愚生の敬愛する評論家というか現代の思想家でもある新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、差別を逆説的にこう述べる。

「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」。哲学的ではあるが実に示唆に富んでいる。

 愚生は読書よりも映画が好きで、ジャンルは問わず毎日何かしら観ている。中でも日本映画の、例えば「座頭市」や「眠狂四郎」とかの古い映画ってのは、放送禁止用語がバンバン飛び交ってて実に面白く興味深い。

 盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)なんてのは台詞の中でしょっちゅうが飛び交っている。マスコミのくだらない倫理観によって規制されてるのは逆差別にも感じてしまう。

 古い日本映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、実に実践した教育である。

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2017年04月05日

筋金入りの反日派・文在寅が次期韓国大統領に就くという意味

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 朴槿恵の罷免に伴う次期大統領選に、韓国最大野党「共に民主党」代表の文在寅が党公認候補に選出され、事実上の次期大統領が決まった。

 文在寅は、韓国歴代大統領の中でも徹底した「反日」政策を実行した故廬武鉉の側近中の側近で、慰安婦像と握手したそのパフォーマンスと反日ぶりは廬武鉉をも凌ぐもので、その精神的異常さが垣間見れる。

 北朝鮮は「親北派」の文在寅就任を見込み、日米韓の同盟分断を謀るかの様に在日米軍基地へのミサイル攻撃を示唆しているが、米国の動向次第ではミサイルが発射される可能性は否定出来ない。

 韓国は、文在寅新政権発足後は反日を徹底し、北朝鮮への忠誠を誓うが如く米国とも一線を画し、竹島に続き長崎県対馬の領土主権を主張して反日を徹底し韓国世論を扇動するのではあるまいか。

 我が国政府は、文在寅就任を見越して駐韓大使を帰任させたが、これを韓国側は譲歩と見るのは明らか。慰安婦像なんぞ、日本にとって別に恥ずかしいものではなく、売春婦の銅像を駐韓大使館前に設置し続けることは国際条約違反でもあり、世界から恥をかくのは韓国自身である。

 「反共」国家ならいざ知らず、今や反共は存在せず「反日」を国是とする韓国との善隣友好には無理があり、国交断絶とは言わないまでも、今後はある程度は距離を置いて外交交渉を進めることだ。

 我が国にとって韓国との友好親善が滞っても何ら困ることはない。我が国と交流が滞ることで韓国は中共に頼るだろうが、対日本の様には行かず、その時初めて日本との善隣友好の有難さを知るだろう。だが、そうなった時点で時既に遅しだ。

 「反日と反共」を国是としたのは初代大統領の李承晩だが、韓国の反共を捨て去り、リベラルの金大中でさえやらなかった異常ともいえる「反日」を徹底し、「反日無罪」を生み出したのは廬武鉉だった。

 2002年、韓国16代大統領に就いた盧武鉉は歴史の見直しに強い意欲を示し、約100年前の日韓併合や日本統治時代の親日派、朝鮮戦争時代の韓国軍による民間人虐殺、軍事政権下での人権抑圧事件の真相究明を主張した。

 韓国国会では過去清算の立法を進め、真相究明や責任の追及、補償を行う為に「過去史整理基本法」を成立させる。

 更には日本統治時代の親日派の子孫を排斥する為「親日分子取締法」を施行し、「親日派」とする李完用元首相ら9人の子孫が所有する財産36億ウォンと相続した土地を没収。2006年には、全斗煥元大統領ら170人の叙勲を取り消す暴挙も行っている。

 その後、「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」に基き発足した「親日・反民族行為者真相究明委員会」は、406名を「親日派・反民族分子」と断定し追加公表した。

 廬武鉉政権下で実行されたこれらの事後法は文明の原則である、法の「不遡及の原則」に反しており、まともな国際社会では許されるものではない。この時の大統領秘書室長が文在寅であり、その反日ぶりは筋金入りだ。

 こうした事実をしても韓国と胸襟を開いて付き合うなどとは笑止千万。友好親善を続けるならば、先ずは韓国側にこの恥ずべき「親日分子取締法」の撤廃を条件にすべきで、慰安婦像の撤退如きで譲歩する様なことがあってはならない。

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2017年04月04日

「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である!

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 靖國神社境内の「迅雷桜(じんらいざくら)」が咲き出すと「開花宣言」が出され、約一週間後には満開になる。東京は既に桜満開とのこと。

 安倍首相も秋季例大祭への真榊奉納という御為倒し(おためごかし)より、夫人と共にふらっと靖國神社の桜を愛でに行けば好いのにな。

 例年、この時期には靖國神社に詣でていたが、ここ数年は諸般の事情で儘ならず。毎年四月の第一土曜日には「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」が催される。今年は一昨日に行われた。

 今年は桜満開でしかも最高の日和ということもあり、人出も大賑わいでごった返したことだろう。日本人の桜好きもあるが、自然発生的に靖國神社に集う日本人の多さを見れば、未だ未だ日本も大丈夫だと感じる。

 靖國神社に詣でると先ずは本殿左手に在る「鎮霊社」に参ずるのが恒例で、鎮霊社には賊軍とされた会津藩や我が故郷の二本松藩、西郷隆盛などの悲運の運命を辿った方々が小さな社に祀られている。

 明治天皇の思し召しにより建立されたその趣旨を鑑みれば、賊軍とされた先人の名誉回復こそが先ではないかとの思いが募る。

 未だに名誉回復は愚か本殿への合祀が成されないのは、靖國神社の創立に長州藩が大きく係っていたことが要因であるが、戦後政治の総決算もいいが、明治開国の諸矛盾に対しても考察すべきであると考える。

 靖國神社とは正に長州閥が産んだ歪な追悼施設でもある。敷地のど真ん中に「大村益次郎」の銅像が、それをよく示している。

 因みに、大村は上野に在る西郷隆盛の銅像を睨んで建っていることを以前、タクシーの運転手に聞いた時は思わず膝を打った。

 「靖國神社の桜の花の下で『同期の桜』を歌う会」は、その大村益次郎の銅像下の特設ステージで行われる。

「海ゆかば」が流れる中、英霊に対し黙祷を捧げ献杯、女性コーラス隊が登壇し愈々「歌う会」という名の大軍歌大会が始まる。

 間髪を容れず次々と歌われて行くが、大声で、立ちっぱなしで歌っていると結構疲れる。ということで、中座し、直会に向かうのが恒例。というか、直会という名の飲み会が目的でもある(笑)

 桜を愛でるにもやはり酒は欠かせない。靖國神社の近所では九段下の「政寿司」が好い。贔屓にしてる浅草小島の「秀鮨」はネタや握りも然ることながら、江戸っ子の秀さんの粋を愉しめる。

 事務所の在った田園調布界隈では、長嶋茂雄終身名誉監督が足繁く通う「鳥鍈」にも行きたいな。その近所の「平八」の鰻も好い。

 鰻といえば石川台の「鰻家」が好い。ここの鰻は絶品だが、鰻の前に焼き鳥や茶碗蒸しで一杯やるのが好い。特に茶碗蒸しは珠玉の味わい。

 浅草なら「飯田屋」。「駒形どぜう」が有名だが、飯田屋が好い。飯田屋の後には「神谷バー」。赤羽の「米山」も御無沙汰してるが、久しぶりに奥村さんと一献やりたいな。あの呑みっぷりの良さは惚れ惚れします(笑)

 何だかんだと言いながら愚生の場合、桜より一献か(笑)

「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心ものどけからまし(在原業平)」

「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花(本居宣長)

「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行法師)」

「風誘う 春よりもなお我はまた 春の名残りをいかんとはせん(浅野内匠頭)」

「散る桜 残る桜も散る桜(大愚良寛)」

 日本人にとってて花いえば桜。桜は死に際の潔さで昔から武人、軍人精神に好まれた花でもある。九段の桜、同期の桜、愛国の桜。陸軍の徽章は桜、海軍は桜に錨。靖國神社の紋は菊に一重桜。

「桜」は正に日本人の心の文化と美意識の真髄である。

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2017年04月03日

「勅語とは天皇が臣下に対して発する言葉で憲法違反」ならば現憲法は無効だな(笑)

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 民進党代表の蓮舫は、安倍内閣が教材に教育勅語を使用することを否定しない答弁書を閣議決定したことについて「正直驚愕した」と語った。だが、蓮舫の二重国籍に対して驚愕してるという声の方が大きい(笑)

 また上西小百合とかいう馬鹿な政治家は「勅語とは天皇が臣下に対して発する言葉で憲法違反」だとして批判してるが、ならば現憲法も昭和天皇の御詔勅により制定されてるのだから無効ということか(苦笑)

 教育勅語は、明治23年10月30日に煥発された当時の教育理念であり、何故に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」ばかりが強調され否定されるのか。

 別に天皇の為に死ねと言ってる訳でもなし、国家の為に犠牲を覚悟で戦うことが何故にダメなのか。自分達の国や愛する者の為に戦うのは当たり前のことで、それとも未来永劫、米国に助けを求めろとでもいうのか。

 義勇公に奉じを批判する一方で、国家の大本である防衛を担っている駐留米軍を批判するアホ左翼らには厭きれるしかない。少なくとも多くの国民は、一旦緩急になれば身を挺して愛する者を護るだろう。

 教育勅語は憲法違反というが、現憲法13、14条では「信教の自由」「思想・信条の自由」が保証されている。

 つまり、明治天皇の詔勅である教育勅語を信じるのも思想信条の自由であり、憲法違反に問われることはない。

 政府が教育勅語を使用することを否定しないのは憲法を順守している結果であり、否定することの方が憲法20条第3項違反であろう。

 護憲派らは事在る毎に「憲法違反」を叫ぶが、彼奴等こそが憲法を理解していないのは明らか。つまり護憲派とは「誤憲派」というのが正しい。

 現憲法は最早、国の最高法規として機能しておらず矛盾だらけのクソ憲法と化している。矛盾の最たるものが第9条だろう。

 第9条第1項で「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」としながら、第2項では「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」とは理解に苦しむ。

 これに従えば、悲しい哉、自衛隊の存在は本来は認められず、憲法違反であるし、日本国憲法前文の「諸国民の公正と信義」を重んじていれば悪人は存在せず、つまりは警察も要らないということになるが、現実は違う(笑)

 歴代首相の靖國神社への参拝が第20条違反なら、「A級戦犯分祀論」は靖國神社への圧迫行為であり、教育勅語否定と同じく20条第3項違反に問われる。

 私学助成金制度は第89条違反である。森友学園は補助金不正に係わっており、現憲法がそれほどまでに大事なら、くだらない議論をしてる暇があるなら、私学助成金制度の廃止を決定したら如何か(苦笑)

 田中角栄が日中国交条約を締結した際「日華国交条約」を破棄したが、第98条には「いかなる理由があろうとも、日本が締結した条約は破棄してならない」とあり、国際条約の破棄は明らかな憲法違反だったのだが、誤憲派やマスコミが異を唱えたことはない。

 第96条に「国会議員の3分の2以上が発議し国民の過半数の同意」により憲法改正は出来ると記されてあるが、これに基付き発議すれば第99条の「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」に抵触し、改憲発議自体、憲法を遵守していないとして第99条違反に問われる。

 要は、最早現憲法というのは国の基本法として体を成しておらず、矛盾だらけのクソ憲法であり、亡国憲法というのが正しい。

 教育勅語を否定するなら、明治神宮には参拝するべきではないが、明治神宮は毎年参拝者数は日本一。つまりは多くの国民は教育勅語を自然に受け容れており、違和感を唱える連中にこそ違和感と嫌悪感を覚える。

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2017年04月02日

韓国歴代大統領の不正は道徳的価値観に乏しい民族性に起因する

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 朴槿恵前大統領が収賄容疑逮捕された。韓国大統領の不祥事は別に毎度の事なので別に驚きもしないが、その民族性には厭きれるばかり。

 男尊女卑が未だ色濃く残り、儒教の国でもある韓国で女性大統領に誕生し、時代は変わったのかと思いきや、その民族性は変わるどころか益々酷くなるばかり。

 韓国の歴代大統領の末路というのは実に不幸なものばかり。絶対的権力が集中する大統領制ということよりも、人品に劣る民族性からか、朝鮮人特有の異常な金銭欲と権力欲が不正に奔らせるとしか思えない。

 大韓民国が建国され米国の傀儡として初代大統領に就任した李承晩は、絶大な権力を握りながらも独裁色が度を越して反感を買い、大統領選の不正で学生らのデモで退陣に追い込まれ、ハワイに亡命した後に病死した。

 韓国の国是である「反共」も「反日」も、そして竹島の不法占拠も、初代大統領に就いた李承晩の影響​であり、これこそが悪害となって未だ治まることはない。

 その後に就任した朴正煕大統領は北朝鮮による「暗殺計画」によって夫人を失い、その五年後自らも暗殺された。

 全斗換大統領は、国際的にも認められない事後法の反乱首謀容疑で「死刑判決」を受けるも、その後に恩赦を受け無期懲役に処せられた。

 その後就任した盧泰愚大統領も不正献金事件で逮捕され、反乱と内乱の罪などで懲役17年に処せられるもその後に特赦。

 二人の大統領の逮捕後に就任した金永三大統領も、不正融資事件で次男や側近などが逮捕され退陣を余儀なくされた。

 波乱の人生を送りながら大統領にまで昇りつめた、韓国初のノーベル賞を受けた金大中も、最後は不正資金事件で次男と三男が逮捕され退陣した。

 その後に就任した盧武鉉も不正資金供与の疑いで身内が逮捕されると、自らの逮捕を恐れて自殺したが、この盧武鉉の「反日」は酷いものだった。

  近年の「反日」世論を形成したのは、金大中より廬武鉉に因る処が大きく、中でも廬武鉉が施行した「親日分子取締法」は親日派を一掃する悪法となった。

 歴代大統領の中でも廬武鉉ほど反日を徹底した大統領はおらず、親日分子の対象者には朴正煕もいるが、朴槿恵は父親の汚名返上の為にも「親日分子取締法」を廃止すべきだと思ったが、父親の名誉回復より反日の世論に迎合した。

 韓国国民は、こうした事後法という国際的にも恥ずべき幼稚な法律を「愛国的」なものだと信じ、反日こそが愛国心だとているのだから始末が悪い。

 廬武鉉の後に就任した李明博も、不資金事件で実兄が逮捕され四面楚歌に陥ると、反日のパフォーマンスで竹島へ上陸し、陛下への雑言を浴びせるも退陣。

 こうなると大統領に権限が集中し過ぎることの反作用というより、道徳的価値観に乏しい民族性の問題だと断じられても仕方なかろう。

 何か己に問題が起こる毎に「歴史認識」や「靖國問題」「慰安婦問題」などを持ち出し反日のポーズで矛先を逸らすが、何れにせよ、韓国民こそが自らの責任と歴史的事実を真正面から見詰め直す時期に来ている。

 尤も、五百年も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐をも責める国に、人間としての高貴で雅量在る偉大な言葉や行動を期待する方が間違い。韓国とは関わらないのが一番。

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2017年04月01日

プロ野球開幕。選手団は靖國神社へ参拝し感謝の真を捧げよ!

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 プロ野球が開幕した。東北地方というと昔はジャイアンツ戦しか中継も無かったし、熱烈的な長嶋茂雄ファンなのでどうしてもジャイアンツが気になってしまう。

 開幕戦の相手は中日ドラゴンズ、主軸の活躍もあって快勝。熱狂的ドラゴンズファンでもある横浜の友人の悔しそうな顔を思い浮かべてほくそ笑んだ(笑)

 野球が当たり前にやれなかった時代がある。

 先の大東亜戦争では多くのプロ野球選手も尊い命を投げ出されていることを、プロ野球ファンならずとも国民は知っているだろうか。

 愛する野球をやれるという当たり前のことを再認識する為にも、プロ野球選手団は、開幕前に靖國神社に参拝し、犠牲となられた先輩方に首を垂れ、顕彰することを熱望しているが未だ実現はしていない。

 参拝することで平和の尊さと、野球がやれる有難さを実感すれば選手としての思いもまた違ってくるだろうし、プロ野球人気も高まるだろう。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、我々が想像している以上に多く、試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還し、再び出征して終には戦場に斃れた方など、実に69名もいる。

 中でも有名なのは、東京巨人軍(読売ジャイアンツ)の澤村榮治投手だろう。澤村投手がどんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。

 澤村榮治は野球だけではなく、普段の何事に対しても真摯な態度で挑む人で、実に立派な方だったという。

 背番号「14」は永久欠番となっているが、ベーブルースを三振にしたくらいで永久欠番になる訳はなく、プロ野球選手として志し半ばで出征し、異国の地で散華されたその崇高な精神を忘れない為のものである。

 名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)の石丸進一投手と朝日軍(現・横浜DeNA)の渡邉静内野手は、特攻作戦で散華されている。

 石丸投手は鹿児島県の海軍鹿屋基地から出撃の直前、最後のキャッチボールをして飛び立っていったという。

 どんな思いでキャッチボールをされたのか、これこそが渾身の悩みであり、その心中を察するに余りある。

 渡邉静命も鹿屋基地から沖縄へ出撃した。

 渡邉選手は、夢見て憧れて入団したプロ野球人生での打席はたった二度。戦争が悲しい現実を彼に与えてしまった。

 彼らは野球への情熱を「特攻」というカタチで尊い命を捧げ、沖縄を、そして祖国日本を死守すべく散華されたのだ。

 自らの命を犠牲にすることで、国や家族、愛するものを守るという彼らの至高の精神を、今を生きる我々は決して忘れてはならない。

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2017年03月31日

民進党「流言飛語を基にした事実無根の記事だ」として産経新聞に対し抗議文

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 森友学園問題に関する産経新聞の「辻元清美への3つの疑惑」記事に対し、民進党は「確認取材という報道取材の基本を欠いた流言飛語を基にした事実無根の記事だ」として産経新聞に対し抗議文を出した。

 日頃「知る権利」を翳しながら、都合の悪い記事には説明責任を果たさずに事実無根とするその根拠も軽薄なもので反論にもなっていない。

 産経側にすれば、「確認取材という報道取材の基本を欠いた」と詰られればジャーナリズムとしてのメンツも立たないし、今後は徹底して取材するのではあるまいか。自ら墓穴を掘った民進党の慌てぶりが愉しみだ(笑)

 産経が報じた辻元に関する「3つの疑惑」とは、1つ目は、籠池諄子が安倍昭恵夫人とのメールの遣り取りの中に書かれていた「辻元が幼稚園に侵入しかけ私達を怒らせようとしました」と記載されてた内容。

 これに対して辻元本人も民進党も事実無根「行ったこともない」としているが、先月の記者会見で辻元本人が「幼稚園に参りました」と答えてるシーンが出てるのは、要は捏造だと言うことか?

  2はつ目の疑惑は、瑞穂の國記念小学院の建設現場に、辻元の関係する会社の作業員を「送り込んだ」という疑惑。

 3の疑惑は、学園の小学校建設地に隣接する「野田中央公園」での国有地払下げでの関与があったのかどうかという疑惑。この三点に対し、産経新聞は辻元事務所に質問状を出しているが返答は無かった。

 先ずは3つの疑問に対してきちんと回答すべきものを、「確認取材」という報道取材の基本を欠いた記事だとして抗議文を送るのは如何なものか。

 籠池泰典の言葉を信じながら、都合の悪い部分は事実無根だという。どこまで都合の好い解釈なのか。国民の知る権利をそれこそ妨害し、それこそ流言飛語を垂れ流してるのは民主党ではないか。

 因みに「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙だ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書くが、昭恵夫人証人喚問を謀る野党はゴキブリそのもの。

 原発事故後、反原発派により放射線の恐怖が語られ、「福島の農家は汚染物を作りバラ撒き続けている」とか、「福島の人達は命に怯えながら生きている」「頭が二つある子や無脳症の子も生まれてます」「福島の人とは結婚しない方がいい」「今後、福島での発がん率が上がり、奇形児が発生する懸念がある」という流言蜚語が飛び交ったのは誰もが知るところ。

 原発事故後、福島県民はその流言蜚語で差別を受け、未だ風評被害は留まる処を知らない。また避難先でイジメを受けてる子供達がいる。

 原発事故による風評被害を拡大させ、差別を助長したのは当時の民主党政権下での不作為に反原発派が便乗し、流言蜚語を垂れ流した結果でもある。

 民進党は、そうした流言蜚語に対し苦言を呈したことはあるか。共闘する野党や反原発の活動家らに対し、福島への差別に繋がる流言蜚語を止めろと言ったことはあるか。苦言どころか放射線の恐怖を殊更に煽っていたではないか。

 ネットやSNSでの森友学園問題での民進党批判の記事の多くは、異常なまでに昭恵夫人の証人喚問に拘りながら、事が民進党に及ぶと事実無根だと主張する不公平さと不正義、性悪さに対する苦言とは思えないのか。

「昭恵夫人はFacebookではなくてメディアの前に出てきて自身の口から説明することが大事ではないか」とは民進党。だが疑惑を持たれた辻元清美は説明どころかホームページで「このようなデマにくれぐれも惑わされないようにお願いいたします」とコメント。これってどういうこと(笑)

 正にブーメランの真骨頂だが、辻元清美にしろ民進党というのは否定から入り、その否定を正当化しようという言い訳がブーメランとなって跳ね返る。

「言い訳は見苦しいばかりじゃなく同じ過ちを繰り返す」とは思想家・徳富蘇峰の言葉であるが蓋し名言。

 己らの言行に責任も持たず、「流言飛語を基にした事実無根の記事だ」とは、正に福島原発事故に託けて被災地差別を正当化した反原発派の連中と全く同じ精神構造であり、民進党の幼稚な反論こそが流言蜚語そのものである。

 辻元が送り込んだという作業員にしても、テレビでは顔が出てもいないのに否定した根拠は何なのか。作業員にしろ、生コン会社にしろ、建設ユニオンにしろ、辻元とは昵懇の間柄だというが、そうした事もきちんと説明した上で否定すれば好いだけの話だろう。

 大阪という土地柄もあって生コン会社は在日だとか、同和だとか囁かれているが、如何にも怪しげで事実を知りたいものだ。建設ユニオンもまた共産党系で極左暴力集団の大きな資金源と言われる存在である。

 国有地の払い下げや、公的な補助金が充てられる建設工事や公共事業に、こうした怪しげな組織が入り込み、その資金から、反国家、反安倍の活動が成されているとしたら、民進党の反論は本末転倒である。

 抑々、森友学園問題は、国有地払下げで政治家の「関与」があったかどうかだが、政治家の関与は無かったことは明らかになったのにも拘らず、その「関与」の意味を拡大解釈して、昭恵夫人の「忖度」こそが「政治関与」だと騒いでるだけ。国有地払下げで関与があったのはそれこそ辻元清美だろうに。

 疑問に思うことは証人喚問前、福島瑞穂や山本太郎、共産党の小池ら野党4党が籠池泰典の自宅で面会したことだ。これを軽挙妄動と言わずして何という。

「面会内容は非公開の約束」というが、事の重要性を鑑みれば何が話し合われたのかを公表すべきで、証人喚問前に証人と召喚する側が非公表の面会をしたことも問題だが、この非公開の面談が籠池発言を庇う事態になっているのだとしたらそれこそが大問題ではないのか。

 森友学園と籠池を断じて赦せないのは、森友学園が運営する塚本幼稚園はホームページで、「昭和天皇陛下には、(1986年5月)全国植樹祭の途次、当園に御臨幸賜り、園児より紅白のカーネーションをお渡し致しました」として、畏れ多いことに昭和天皇や陛下の行啓などを利用したことだ。これだけでも万死に値する。

 愛国ビジネスに奔る籠池も籠池なら野党も野党で、初めは辻元らが「愛国教育は怪しからん」として批判していながら、次にはこうした人品御粗末な輩の発言に踊らされ、或いは利用してる民進党を始めとするボケ野党と、それに与して世論を煽る朝日新聞を始めとする売国マスコミも御粗末過ぎる。

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2017年03月30日

東京電力福島第二原発を再稼働し復興を加速せよ!

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 関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分について、大阪高裁は福島第一原発事故後に策定された原子力規制委員会の新規制基準の合理性を認め運転禁止を取り消す決定を下した。

 極めて妥当な決定だろう。抑々、大津並びに福井地裁での摩訶不思議な判決こそが、電力喪失による国力低下を狙った左翼勢力による革命暴力の一環であったと断じても過言ではない。

 高浜原発や大飯原発訴訟では、地震対策に「構造的欠陥がある」「主張及び説明を尽くしていない」として運転差し止めの決定が下されたが、この裁判長の認識こそが個人的イデオロギー且つ公正を失した愚かな判断でしかなかったのだ。

 大津並びに福井地裁の裁判官は、原子力規制委員会の審査基準を否定したが、ならば何を基準にすればいいのか。司法の判断が優先されるなら、原子力規制委員会とはどういう存在なのかと疑問を抱いた国民は少なくない。

 地裁での訴訟では、関電側の耐震設計の基準地震動の目安となる1.8倍の1260ガルまでは過酷事故には至らないとする主張に対し、「それを超える地震が来ない根拠はない」とか「発電の効率性を甚大な災禍と引き換えには出来ない」と巨大地震の発生を危惧していたが、そこに科学的根拠はなく、単なる裁判長の言いがかりに過ぎず、「事故が起これば取り返しのつかないものとなるだろう」とは己の妄想の押し付けである。

 高浜原発にしろ、大飯原発にしろ、炉心溶融(メルトダウン)までの時間の想定や冷却機能の確保も原子力規制委員会の審査でクリアしている訳で、地裁の判決は反原発派に与する実に安っぽいセンチメンタリズムによる愚かな判決が、高裁で覆ったことは司法の良識と言えよう。

 起きてしまったことをいつまでも悔やんでいても意味はない。福島原発事故を教訓に、収束技術と研究を怠らず、放射線での正確なデータを集積して、今後に役立てることこそが大事なのは言うまでもなく、福島県民の犠牲を無駄にすることがあってはならない。

 抑々、福島原発の事故は地震による「天災」ではない。大津波の想定をしていなかった為に発電所内の電源が全て失われ、原子炉冷却に関わるバルブが操作不能になったのが要因であり、更には外国人からの不法献金がバレ、四面楚歌だった菅直人がパフォーマンスを優先し、現場視察を強行した為に被害が拡大した「人災」だったということを忘れるな。

 マグニチュード9の巨大地震にも耐え抜いた「女川原発」に注目すれば、さらに地震に強い原発を造ることは可能だろうに、何故に原発停止ありきなのか。福島第二原発にしても何ら問題はないし、復興を加速し、県内外に非難している周辺住民の生業を戻す意味でも福島第二原発を再稼働をするべきだ。

 原発を無くすことや再稼働を停止させることが根本的な解決策ではない。原発事故の「人災」を猛省し、原発の安全確保は万全に、原発の様々な問題点を考究し、世界に誇れる日本の技術力を愈愈高めて行くことこそが大事である。

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2017年03月29日

実践の伴わない道徳教育より「神道」という随神の道を教えよ!

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 全国に神社は沢山在るが、神様とは何か、神道とは何かを知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。

 その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)」としての天皇とは何か、祭祀とは何故に重要かということを教わることも、知ろうともしない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるから愉しもうというだけで、そこには神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。

 当たり前の様に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、また教えるべき者もいない。

 戦後、住民と神社(神道)との分断を謀ろうと各地に集会所なるものが建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内で行われることが多かったが、戦後は集会所で行われることとなり住民と神社との距離が遠いものになってしまった。

 これもまた戦後占領政策の一環である「神道指令」による弊害であるが、住民は祭りでは盛り上がるが、その神社の祭主の何たるかを、また神道とは何かという日本人としての根本の教えを理解することはない。

 自然は、人智の及ばない大いなる存在である。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。

 人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに、先人は共生することを選び、我々もその道を選んできた。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を与えたりもするが、同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。

 そこで人々は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来た。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは森、川、泉、石ころや水・・・、全てのカタチある物やそして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 我が国固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。

 人は彼等の暮らす土地の神「産土神(うぶすながみ)」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 古の人々は神々の世界に対し、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し、「神」を感じとっていたのだろうと推測する。

 だが、戦後の日本人は余りにも神道の教えというものを知らなさ過ぎるのではなかろうか。実践の伴わない道徳教育より神道という随神の道を教えよ。

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2017年03月28日

大相撲春場所は稀勢の里の奇跡的且つ感動的優勝で幕を閉じたが

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 大相撲春場所は新横綱・稀勢の里の奇跡的とも言える逆転優勝で幕を閉じた。

 千秋楽翌日の昨日、記者会見した稀勢の里は「一生の思い出になる場所だった」と喜びを語ると共に、「15日間万全の状態で務め上げるというのが使命。見苦しいテーピングをしてしまった」と反省を口にした。

 来場所は東の正横綱に座るが、これは途中休場した白鵬や10勝5敗という為体な三横綱の御蔭であって、13勝という数字は立派なものではなく、怪我をしながらも勝利したという日本人らしい判官贔屓に過ぎない。

 「怪我をしないことが一番」と自覚出来たことは大きな収穫だろう。焦ることなく怪我を治して万全の状態で来場所に臨んで貰いたいものだ。

 大相撲というのは我が国の固有の教えでもある神道と深い結びつきがあるのは言うまでもない。明治維新後、「断髪令」が出ても丁髷の伝統を貫き、戦後も表彰式で国歌「君が代」を斉唱し続けてきた保守の牙城ともいうべき存在でもある。

 相撲は千五百年以上の歴史を有し、古来より、五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事でもあり、現在の大相撲は、平安時代に天覧相撲である「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われたことが始まりとされている。

 本場所初日の前日には、「鎮め物」として、萱(かや)の実、勝栗、スルメ、昆布、塩、洗米といった神饌が土俵中央に納められ、立行事が祭主を務め、「土俵入り」が行われる。使用した御幣は、神の降臨の証しとして四色の房に飾られる。

 力士が「四股」を踏むが、これは地面に潜む邪悪なものを封じ込める為のもので、「塩撒き」も土俵の邪気を祓い、神への祈りであり、「力水」や「力紙」は清めの作法。

 清めを終えた力士は、「蹲踞(そんきょ)」から「揉み手」「柏手(かしわで)」し、両腕を開く「塵手水(ちりちょうず)」と続く。

「揉み手」は古来は雑草の露で手を清めていた所作の名残りで、「柏手」は神に拝する際に打つ動作である。「塵手水」は手に武器を持たないことを表すものだ。

 力士が勝ち名乗りを受ける際に「手刀(てがたな)」を斬るが、これは左が「神産巣日神(カミムスヒノカミ、カムムスビノカミ)」、右が「高御産巣日神(タカミムスビノカミ)」、真ん中が「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」三神への感謝である。

 力士は神の遣いであり、横綱とはその中の最高峰。やはり勝敗に拘るのもいいが、その所作や風格が大事であるというのは言うまでもない。

 千秋楽の終了後、「神送りの儀式」があり、御幣を抱えた新弟子力士らが胴上げすることで相撲の神々は昇天する。

 こうしたことを理解した上で大相撲を観戦すればまた楽しいのだが、日本人というのは当たり前に在るものは当たり前だと思っているが深く考えることはない。

 近所の神社がいい例だろう。何気に存在している神社に何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少ない。

 戦後、住民と神社の分断を謀ろうと各地に集会所なるものが建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内で行われることが多かったが、戦後は集会所で行われることとなり住民と神社との距離が遠いものになってしまった。

 これもまた戦後占領政策の一環である「神道指令」による弊害であるが、住民は祭りでは盛り上がるが、その神社の祭主の何たるかを、また神道とは何かという日本人としての根本の教えを理解することはない。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは岬、谷、森、石、水・・・、そして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万の神である。 我が国固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。

 神と共にあるから「惟神(カンナガラ)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(ワケミタマ)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神「産土神(ウブスナガミ」の御陰を被って誕生し、産土神や、その他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には、産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 国民は余りにもそうした神道の教えというものを知らなさ過ぎるのではなかろうか。実践の伴わない道徳教育より神道という随神の道を教えよ。

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2017年03月27日

私は間違っているが世間はもっと間違っている(ヒトラー)

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 大相撲春場所は新横綱稀勢の里の劇的な二場所連続優勝で幕を閉じた。

 前日の照ノ富士と大関復帰を目指す琴奨菊との一番は、照ノ富士の変化であっけなく終わり、稀勢の里は前々日の日馬富士との一番で怪我をして満身創痍。

 そんな中で出場を決めるものの案の定相撲にならず、照ノ富士の優勝は決まった様なもの。ということで、昨日は笑点を観ていたら、Twitterのニュースに「優勝決定戦へ」との記事が目に留まり、急遽大相撲中継に切り替えた。

 肩に巻かれたサポーターが痛々しい。柏手を打つも力が入っていない。どう見ても照ノ富士が有利だが、逆に照ノ富士は取り難いだろう。

「待ったなし!」軍配が返りいざ勝負。もろ差しから一気に土俵際へ追い込まれるも、逆転の右からの小手投げが決まった。

 表彰式で君が代が流れると胸を張り斉唱する稀勢の里。だが、途中で涙が溢れ肩を震わす。高安も兄弟子の努力精進を思い出してか男泣き。

 前日の照ノ富士の相撲には興覚めもいいとこで、観客から怒号を浴びせられたのは当然のこと。ガチンコ相撲を期待したファンの落胆は隠せなかったが、勝負よりも相撲に拘る稀勢の里の姿に相撲ファンならずとも感動したに違いない。

 閑話休題。「熱狂した大衆だけが操縦可能である」とはヒトラー。一億総評論家時代と言われて久しいが、森友学園騒動はその典型。

 何でも腐すマスコミとそれに便乗する民衆。マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、上から目線で「自分達の主張こそが正義である」と居丈高に振り翳して国民を煽動し続けているが、そこに正義や公正さはない。

 森友学園問題での安倍の対応は正しく大衆迎合主義。マスコミに煽られた国民の視線を気にし過ぎで、それ故に身の潔白を強調する。

 ワイドショーに煽られた平均的意見が国民目線らしいがその平均値が正しいとは限らない。そんな雑音を気にしてどうなるの。

 民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、大衆に媚びることでもないが、正に民主主義とは衆愚政治であることを痛感する。

 マスコミが作為的な記事で国民を誑かし、ソシオパスの輩の噓に踊らされる国会こそが危機管理能力の欠落であり、政権が崩壊することがあろうとも、万が一にも国家が滅ぶことがあってはならない。

 それにしても、一億総評論家時代の昨今、然も自分が政治家になったつもりであ~だこ~だと嘆いている。愚生もだが(笑)

「私は間違っているが世間はもっと間違っている(ヒトラー)」

 悲しい哉、こういう大衆が有権者であり、その一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しないのは当たり前で、現在の政治家にバカが多いのはこういうこと。政治家に期待する方がバカだ(笑)

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2017年03月26日

徒然なるまゝにその日ぐらしシリーズ

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 昔は春はどこかウキウキして大好きな季節だったが、花粉症になってからは大嫌いになった。春彼岸でここ数日外出した為に症状が酷い。眼は痒いし、充血してるし、鼻水は垂れるし、咽喉はいがらっぽいし、耳まで痒いし、頭はボ~っとしてくるし、やっぱ引籠ってるのが好い(笑)

 まぁ、桜が満開になれば症状は治まるし、もう少しの辛抱。でも、来月解禁となる渓流釣りで山に入るとまた花粉症がぶり返すんだよなぁ(笑)

 閑話休題。「居の安きを求むるは真の志士に非ず(吉田松陰)」。「一日一生」と言いながら積立保険に入ってたり、サラリーマン右翼やマイホーム主義者の様に居の安きを求める都合のいい右翼にだけはなりたくないと右翼浪人を気取っているが、実態は悲惨なもので、もう直ぐ4月になるというのに支援金は微々たるもの。酒代にもならない。ってか、酒は上等なのを仕入れてますが何か(笑)

 浪人という生き方は、借金の返済など算段さえ心配しなけりゃ気楽なものだが、これが儘ならなず、月々数十万の借金が殖えて行く。

 学生時代から所属してた団体を辞し蟄居してたこともあり、またそれに加え、先の大震災の影響でめっきり支援者も減ってしまったというのもあるが、要は慢性的不如意の現状は自分自身の努力不足と悪因悪果でもある(自嘲)

 だが、一維新者として志は失ってはいない。

「貧すと雖も浮雲の富を求むる勿れ 窮すと雖も丈夫(すまらお)の志を屈する勿れ 矯々龍の如く沈々虎の如し 身を潜め名を隠し 当に一陽来復の時を待つべし(坂本竜馬)」(貧しくても僅かばかりの目先の金儲けに奔るな、困っても挫けるな。眼を据える龍や草叢に身を潜める虎の如くじっと耐え、いつか来るであろう時を待て)。こうした気構えで日々を送っている。ってか、カッコつけ過ぎ(笑)

 暇を持て余し過ぎて、遣ってることといえばブログの更新。政治批評と右翼としての思想信条や地元の悪漢どものスキャンダルネタと、そして福島県内のグルメ放浪記と4つやってるが、これじゃ右翼浪人ではなく単なるブロガー。それも食べ歩きブログに至っては人気ブロガーだから笑える。

「艱難は愉しむものなり」と言ったのは西郷隆盛。

 エリート路線を歩んで来たと思いきや、自殺未遂、二度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だった。真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。

「何時死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、どんな時も開き直って生きている様な処があったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、自分の死に際でさえ実に潔い人物だった。

 苦難というものは苦痛ではあるが、実は吾等の敵ではなく味方であり、一番親身に吾が身の為を思って与えてくれる正義の友である。

 苦難は人を殺す為のものではない。人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるの大慈悲でもある。

「憂きことの なほ積もれかし 限りある身の力ためさん」とは、豪傑・山中鹿之助。山中に籠り「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたという。この辺が精精家に籠り、果報を寝て待つ俗物の愚生と違うところ(笑)

 幸福と苦難は表裏一体であり、苦難の本質を弁えれば人生の苦難は「天の与えた試練」と考えるべきなのだ。と、カッコイイことを綴れども、この慢性的不如意はどうにかならないものか。

 不如意で沈むか、一旦緩急で義勇公に身を捧げられるか、扨てどっちが先か。まぁ、ここまでどうにか生きて来たんだし、何とかなるだろう。呵呵大笑。

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2017年03月25日

昭恵夫人の証人喚問を要求するボケ野党四党と世論を煽るマスコミ

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 相変わらずボケ野党四党(民進、共産、社民、自由)は、鬼の首でも獲ったかの様に「昭恵夫人の証人喚問」を要求する。マスコミはそれに応じるかの様に「安倍首相、夫人の喚問拒否」という記事が躍る。

 野党四党にとって安倍昭恵首相夫人の証人喚問というのは審議拒否の付けたりに過ぎない理由で、狙いは所謂「共謀罪」と言われる、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」を継続審議や廃案に追い込むことに在る。

 昭恵夫人は左翼人士と交流したり、沖縄ヘリパッドを視察したり、「大麻に興味がある」と語ったり、都内で居酒屋を経営したり、福島県喜多方市の酒蔵と提携して酒を造ったりと、自分らしく、破天荒な生き方を実践している女性でもある。

 だが、首相夫人としてはどうかと言えば隙だらけ。人の好さに付け込まれ易く、立場的に相手に利用されるという警戒心に乏しく、軽挙が目立つ。

 野党の政治的パフォーマンスと党利党略とはいえ、近隣諸国の情勢が緊迫してる中で、重要法案が自身の軽挙と不徳によって審議が遅れているということを重く受け止めて、これを機に猛省しなければいけないと思う。

 噓八百で固めた籠池が自己保身から名指しした人物を、一々国会に呼び付けるということ自体が国会の軽視以外の何物でもないが、それでも野党が昭恵夫人の証人喚問をあくまでも要求するなら応じれば好いし、蓮舫にしろ、疑惑を持たれてる国会議員も喚問申請して証言台に立たせれば好い(笑)

 昨日の参院予算委員会で維新の会の議員が言ってた様に「許認可申請をしている段階で三通の虚偽の申請書が発覚し、申請が取り下げられ、顧問弁護士も不正の事実を知り辞任しているということを参院の先生方は冷静に受け取るべきだ」というのが、良識の府として真っ当な言葉だろう。

 籠池の証人喚問で明らかになったのは、森友学園の国有地売却に政治家の不正な関与はなく、地下埋設物8億円の根拠も正当な試算と国の瑕疵担保責任免責事項を含めた適正な時価売却だったということ。

 それを世論誘導し、恰も安倍夫人の関与を騒ぎ立ててるマスコミと野党は、単なる反政府運動、安倍政権倒壊を目論んでいるだけに過ぎない。

 全ての問題の原因は、嘘の申請書と偽造した契約書で、大阪府の私学審議会に「認可適当」を出させた籠池自身の悪因悪果でしかない。

 松井大阪府知事が証人喚問されるというし、籠池の不正と野党四党のアホさ加減が明らかになるだろうし、そろそろ大阪地検特捜部も動くのではあるまいか。

「屋上屋を架す」という言葉がある。屋根の上に屋根を造る、屋上の上に家を建てるというのは無駄なことという喩えで、失敗を取り繕おうとしてまた失敗を繰り返してしまうというのは人間の性でもある。

 また「恥の上塗り」というのもあるが、籠池のやってることは正しくコレで、昭恵夫人のメールではないが、籠池夫人も「今はじっと我慢の時です」との言葉を重く受け止めて時が過ぎるのを待てば、また違った展開になったかも知れないが、自分の行動や言葉を正当化しようと屋上屋を架し嘘で固めようとしたことが抑々の間違い。

 武田信玄が「風林火山」を旗印に掲げたことは有名だが、肝心なことは攻撃を中断する時は林の如く静かにして次の機会を待ち、山の如く動かないでじっと構えてることが大事だと訓えている。

 動いてならぬ時に動いて失敗するというのは往往にして在ることで、「風林火山」とは動いてならぬ時の軽挙妄動を戒めているのだが、籠池というのは愛国者ぶってるはいるが、歴史の造詣にも疎い様だ。

 それにしても、籠池夫人のメールは興奮した様子が窺えるもので、昭恵夫人へのストーカーメールにも感じなくはない。いっそのこと昭恵夫人も籠池夫人も、序に蓮舫も証人喚問すりゃ好いんじゃないの。どうせ参議院なんぞ初めから良識なんて持ち合わせていないんだから。呵呵大笑。

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2017年03月24日

スキャンダル国会にはうんざり。劣化する国会と週刊誌化する新聞

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 地元紙の一面は森友学園の籠池理事長の証人喚問の記事。地元紙に限らず、今日は籠池一色で、「首相夫人」とい言葉が躍り、如何にも安倍首相が国有地払下げで関与したかの様な作為的な記事だが、タイトルは仰々しいが、中身はテレビ中継を観てれば分かることで目新しいものはなく羊頭狗肉。新聞記者ならもっと自分で調べて裏を取り、公平・公正な記事を心掛けるべきだろう。

 証人喚問は、ハッキリ言って籠池の異常さと堅白同異の弁が目立ち、「オレは愛国教育を推進している保守派なのに、松井大阪知事らに裏切られた」「安倍信者だったオレが何故にこんな仕打ちを」という恨み節にしか聞こえなかったが、野党やマスコミはチト感覚が違う様だ(笑)

「ならば昭恵夫人を巻き込んでやろう」ということで、「安倍晋三からです」と言ったらしい100万円の寄付と講演料10万円を持ち出して、恰も安倍や昭恵夫人が森友学園と瑞穂の國記念小学院の設立に熱心であったかの様に繕ったのだのだろうが、発言する籠池もそれを信じる野党も余りにも軽薄過ぎる。

 証人喚問を受けて、昭恵夫人は早速、Facebookで疑惑を否定し事実を公表するも、民進党代表の蓮舫や野党、マスコミは「更に疑惑が深まった」と昭恵夫人の証人喚問を招請したが、問題は国有地の払下げが妥当かどうか、政治家の関与があったのかどうかで、籠池の「昭恵夫人に相談してから何か大きな力が動いた」という単なる牽強付会に過ぎない言葉を信じて、日本国の総理大臣夫人の言葉を信じないとはどういうことか。

 況してや二重国籍の疑惑が深まっても説明責任を果たさずに、言い訳と嘘ばかりで逃げ切りを謀った蓮舫が「疑惑が深まった」というのも国民をバカにしてないか。問題となってるのは国有地の払下げで、寄付問題ではないし、自民党の葉梨代議士がパネルで示した様に、森友学園だけがこうした国有地の格安な払下げを享受したという訳ではない。

 昭恵夫人と籠池夫人との遣り取りにしても、「昭恵夫人から口止めとも取れるメールが届いた」と恰も100万円の寄付が事実であるかの様に騙り、国有地の定値借地契約の期間延長に関しのファックスにしても、明らかな物証かと思いきや単なる断りのファックスで、これを物証というのは嗤うしかない。

 畏れ多いことに陛下が学園を訪問遊ばされたとしたホームページの内容を聞かれた籠池は、「天皇国日本」という言葉を出して質問の矛先を変え論点を摩り替えていたが、ありもしない陛下の学園訪問を騙ったことは万死に値する。籠池は保守に非ず、正しくこれを愛国教育ビジネスと言わずして何という。

 籠池が保守派を気取り、「このままでは憲法改正は出来ないのではないかという疑念を抱いた」とか「天皇国日本」と宣えば宣うほど、保守のイメージが貶され、国民の保守派に対する疑念を抱くだろう。野党やマスコミが籠池を利用するのも、籠池の狙いもそこにあるのではなかろうか。

 国や自治体からの補助金目当てに偽装した三枚の工事請負契約書については「刑事訴追の可能性がある」として回答は避けたが、これに対しても、設計事務所からのアドバイスであると自身の責任を否定したが、何処をどう見ても愛国者としての風格はなく、単なる卑怯な愛国ビジネスの守銭奴にしか見えなかった。

 孔子の言葉に「巧言令色鮮矣仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」という教えがある。

 その意味は、「言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けている」というものだが、多弁を弄し自己保身に奔る籠池は正しくコレで、教育者としては実に不適格、バレるのが遅過ぎた(笑)

「訳の分からない空気、訳の分からない力が、何か動いていて、その力によって物事が進み、(学校計画が)なくなっていってしまうんじゃないかなあ、と思う」と籠池はいう。だが、一番訳の分からないのは籠池自身であり、こうなったのも己の悪因悪果、因果応報という他はない。

 補助金目当ての工事請負契約書偽造で逮捕されるのは時間の問題。いつまでもこんなくだらんことを国会でやってるのか。国会の劣化は目に余るが、それにしても最近の新聞は週刊誌化して派手な見出しの割には中身が空っぽ(苦笑)

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2017年03月23日

憲法の精神を軽んじる護憲派と語るに落ちる左翼勢力(笑)

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 所謂「共謀罪」が閣議決定され国会に提出される。この法案は「共謀罪」という名称ではなく、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」だが、野党や左翼マスコミらは敢えて「共謀罪」と騒ぐことでその危険性を煽る。

 安倍のやることは何でも反対の民進党は、「権力の乱用の可能性を排除出来ない」と法案を廃案に追い込むという。

「権力の乱用」を危惧するが、要は、自分達なら権力を乱用するから危険なんだという同一性虚言が生む妄想に過ぎない(嗤)

 左翼の巣窟である日弁連も「主体がテロ組織に限定されておらず、市民団体や労働組合にも適用される余地がある」と反対している。

 沖縄を始めとした市民団体の多くは極左の関わる組織も在り、労働組合にもセクトは少なくない。出来ればこうした組織にも適用すれば好いのにと思うが、この法案は残念なことに左翼を取り締まるものではない。

 法案に反対するのは御決りの護憲派だが、日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義」を重んじているのは言うまでもない。

 つまり、多くの国民は悪事を働くことはなく、何事も悪意を以て行うことはないとの性善説を重んじているのだが、要は、護憲派こそ憲法の精神である諸国民の公正と信義を軽んじてるのではあるまいか(苦笑)

 死刑廃止論者である日弁連の人権派弁護士らは、死刑廃止の理由に性善説を用いてその正当性を訴える。ならば安倍政権にもその性善説を当て嵌めるべきと思うが、それだけは絶対に認めることはない。

 要は、対象によって基準をコロコロと変える得意のダブルスタンダードだが、左翼やなんちゃって人権派はホントこんなのばっか(笑)

 安倍首相は過日の衆院本会議の代表質問に於いて「条約を締結できなければ、2020年東京五輪・パラリンピックを開催出来ないと言っても過言ではない」と強調したが、この条約とは「パレルモ条約」のこと。 

「パレルモ条約」とは「国際組織犯罪防止条約」のことで、テロや組織犯罪に対応する目的で、2000年に国連総会で採択された。イタリア・シチリア島の都市名から「パレルモ条約」という通称が付いた。

 この条約を批准するには今回の所謂「共謀罪」の成立は不可避なのだが、共産党や民進党、自称・平和主義者や人権派などのクソ勢力らが「平成の治安維持法」などと国民を誑かして反対している。

 アホ左翼やインチキマスコミが執拗に反対してるということは、恐らくは一般人には無害であり、好い法案なのだろうと思ってしまう(笑)

 先の「安保関連法案」の際にも「戦争法案」などとレッテルを貼って「戦争に巻き込まれる」だとか、「あの暗い時代に逆戻り」などといったどれも愚にも付かない理由をこじつけて反対したのは記憶に新しい。

 また「特定秘密保護法案」に際しては、法案に反対する左翼マスコミやインチキジャーナリストらは「知る権利」を翳し国民を煽動したが、法案成立で、何の、どんな影響や被害があったのかと言えば全く無い。

 法案に反対する勢力は国民の不安を煽り、あり得ない事例を挙げて国民世論を扇動しようと躍起になっている。何処をどう読んでもテロ組織を取り締まるものであるのだが、要は、左翼勢力は国家と対峙する組織犯罪だと認めて、自分達への適用を恐れているのだろうが、語るに落ちるとは正にこのこと(笑)

 パレルモ条約には世界187国が締結しマネーロンダリングなどの組織犯罪を防いでいる中で、我が国が締結しないことで国際的な非難の対象になるのは必至。

 条約を締結することで、捜査共助や犯罪人引き渡しの条約を結んでいない国に対しても捜査協力を依頼出来るようになるし、国内で犯罪を犯し逃亡してる犯人を追い込むことが出来るのは好いことではないか。

 この条約には驚くことに北朝鮮も締結してるというし、可能性は少ないが日本国内で拉致監禁事件を犯した犯人の引き渡しを要求することが出来るというでもあり、拉致問題解決の糸口にもなるのではあるまいか。

 我が国もパレルモ条約締結に向け法整備を粛々と整えよ。

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2017年03月22日

社会の木鐸としての挟持や矜恃が決定的に欠落しているジャーナリズム

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 森友学園騒動をウオッチングしてると、如何にも胡散臭げな菅野完(かんのたもつ)という自称・フリージャーナリストの名前が出てくる。

 何やら、出版差し止めになった「日本会議の研究」の著者で、被差別部落の出身で自身も部落解放同盟に所属してたとか、元シバキ隊だとか、婦女暴行罪で裁判中だとか、実に胡散臭げな人物だということが分かる。

 本人はこの騒動で、自著「日本会議の研究」が第十刷の版だと笑いが止まらない。話題になりさえすればそれで好し。安倍を貶すのも要は正義とか、そういう類ではなく単なる目立ちたがりと上昇志向。

 こういう不良がジャーナリストを自称すればそれで通るのも凄いが、此奴の発言や主張を検証したり裏を取ることもせずに信じ込み、否、視聴者を信じ込ませようと疑いもなく報道してるマスコミというのは、社会の木鐸としての挟持や矜恃が在るとも思えない。

 「木鐸」とは「世人に警告を発し教え導くこと」にあるが、どうみてもジャーナリストというより、サラリーマン生活にどっぷり漬かった彼らにそうした自負心はなく、仕事に誇りを持てというのも酷だろう(笑)

 菅野自身も取材をろくろくせずに、フィクションとしての「日本会議の研究」を上梓したから出版禁止になったのだが、取材もしないで伝聞や身近な情報などで書き上げるのは左翼や不逞の輩が得意とするところでもある。

 有名なところでは大江健三郎の「沖縄ノート」だろう。大江はこの本を上梓するに当たり、関係者への取材は全くせず、沖縄タイムスの「沖縄戦記・鉄の暴風」などの記事を基に書き上げた。

 言ってみれば大江の妄想が入ったフィクションなのだが、摩訶不思議なことにこの本が、沖縄での集団自決に軍が関与したとの「軍命令」の証拠となり、摩訶不思議な判決が下されている。

 これも我が国司法の正義が欠落した一つの事例でもあるが、同時に我が国のジャーナリズムの崩壊と言っても過言ではない。

 マスコミも、ここぞとばかりに安倍を引き摺り下ろそうと必至だが、自分で調べもせずに、都合の好い記事や発言ばかりを切り貼りして世論誘導していることを恥じ、襟を正したら如何か。

 マスコミというのはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと未だに錯覚している。問題が出ればその萌芽は日本や政府に在ると貶し、それを野党やマスコミ御用達のインチキ言論人が煽り立てる。

 森友学園騒動はその典型であるが、森友学園騒動に狂騒してるこうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが、政治を正すことにも繋がり、日本再生へも繋がるだろうことは言うまでもない。

 我が国の政治が三流と言われる最大の原因は、進歩の無いマスコミの影響があるというのは言わずもがな。傍若無人な礼儀を欠いた報道が我が国の品格を貶め、国民の倫理意識をも低下させ続けている元凶である。

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2017年03月21日

反日活動家&売国奴でありながら国家公安委員長に就いた岡崎トミ子死去

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 恥かしながら福島県福島市出身で、ラジオ福島や東北放送アナウンサーを経て、宮城選挙区から旧日本社会党の候補として衆院議員に出馬し初当選。その後は数々の反日活動を評価され、反日同士の菅政権下でなんと国家公安委員長に就くという離れ業を成し遂げた岡崎トミ子が死んだ。

 岡崎の反日的言行は枚挙に暇無し。平成13(2001)年の参院選の際には、朝鮮学校を運営する朝鮮籍の理事長と、パチンコ店を経営する韓国籍の会社社長から寄附を受けていたことがバレ、政治資金規正法違反の疑いを持たれるも頬っ被りして逃げ切りを謀った。

 これは大震災が起こる前の菅直人も野田佳彦や前原誠司らも同じで、外国人からの不法献金を授受したが、岡崎の前例を模し逃げ切った。

 現在、森友学園への寄付騒動で安倍夫婦が矢面に立ってるが、違法行為の反日外国人からの献金に説明責任を果たさず沈黙していながら、ここぞとばかりに違法行為でもない寄付行為を論ってるのも嗤える話し。

 故人を貶すことは本意ではないが、岡崎トミ子は日本の政治家と言うより、中韓朝の走狗と化した売国議員の代表的な人物だった。

 日本の戦争責任を検証することを目指す政策勉強会「日本の歴史リスクを乗り越える研究会」の発起人になり、支那で起きた平頂山事件について日本政府に公式謝罪を求める議員団に参加し活動を展開した。

 また、所謂、従軍慰安婦という名の売春婦に対し、謝罪と賠償を求める戦時性的強制被害者問題に狂奔し、平成15年(2003年)韓国で、元慰安婦関係者が毎週水曜日に行う日本大使館へ対する恒例の抗議行動(通称水曜デモ)に、国費を使って反日デモ参加し、国民から総スカンを喰らった。

 永住外国人地方参政権付与の取り組みも熱心で、こうした反日・自虐史観にどっぷり嵌ったバカ左翼の権化を、事もあろうに国家公安委員長に就任させたことは菅直人の売国性を如実に顕していた。

 そう思う時、最悪の政権の時に最悪の災害が起こってしまったのだが、東日本大震災とは正に天譴(てんけん)だったのではあるまいか。

 日本は民主主義国家であり、どの政党をどの政治家を支持しようが批判しようが自由だが、反自民、反安倍ありきから安っぽい平和主義や科学的データを無視して反原発などを叫んでる連中の気が知れない。

 安倍を持している訳ではないが、安倍は他の政治家よりは国家観があるとは思う。野党が唯単に安倍難きから、己らの力量不足を棚に上げて揚げ足取りばかりしていれば安倍政権の独壇場は続くだろう。

 山川草木、存在する全てのものに八百万の神が宿っている日本という国に生を享け、その国を愛し、祖国日本の歴史や伝統、文化を護りたいと思うのは日本人なら当然だろうが、岡崎や菅を始めとした反日活動家やクソ野党やその支持者というのは愛国心というより大和心が決定的に乏しい。

 岡崎もあの世で、土井たか子や多くの反日活動家や売国奴と共に幼稚な正義感からの生き方と軽挙妄動を猛省して欲しいものだ。ってか、馬鹿は死ななきゃ治らないというが、左翼や売国奴は死んでも治ることはない(笑)

 愛国者らは楠正成、正季兄弟が遺した「七生報国」という言葉を好むが、売国奴の彼奴等にしてみりゃ「七生売国」ということか。呵呵大笑。

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2017年03月20日

「御用学者」と罵るなら、人体実験を買って出てその危険性を実証すれば好いのに(笑)

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 原子力安全・保安院が「(東京電力福島第一原発事故での)放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍」とする試算を公表し、それをマスコミは然も危険かの様に大きく報じたことは記憶に新しい。

 反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田教授に拠れば、「全く意味のない数字だ」とし、「広島でセシウムによって死んだ人はいない。広島の死者は熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるもの。セシウムの放射線はそれほど強いものではなく、今の日本で起きているのは集団ヒステリー状態だといえる」と喝破した。

 この「集団ヒステリー」との揶揄は正鵠を射た意見だろう。未だに起こりもしない放射線被害を煽り、それに怯えているだけ。

 因みに高田教授は、チェルノブイリ原発事故の現地調査の際、自分自身でセシウムに汚染したきのこを食べ人体実験を行い、その結果、セシウム137(半減期30年)は人体に入った場合、体外に半分が排出される生物半減期は100日であることを実証している。

 反原発派らが「御用学者」と罵るならば、「セシウムは危険」と煽る学者や反原発派の連中も、高田教授に倣って人体実験を買って出て、その危険性を実証すれば反原発派の英雄になれるのに(笑)

 尤も、人体実験をすれば低放射線の無害性と高田教授のデータの正当性を逆に実証することになるだろうからやる訳はない(笑)

 高田教授は大震災後の翌月から、福島県内で住民の甲状腺検査もボランティアで実施し、その結果、チェルノブイリの事例(最大50シーベルト)と比べて福島原発事故は千分の1以下であり、その線量から計算すると「福島県民が甲状腺がんになるリスクは年間で1千万人あたり1人以下。といっても福島県の人口は約200万人。つまり、誰も甲状腺癌にはなりません」と結論付けた。

 反原発派の御用医師ともいうべき輩らは、「福島県内の子供の甲状腺癌の疑いが他の県の子供に比べ異常に高い」などと煽るっていが、診療対象者が増えれば疑われる対象者も比例して増えるのは当たり前のことで、原発事故での被曝に因るものとはちと強引過ぎる。

 原発事故から6年も経ちながら、未だに放射線への理解が深まらないのは、中核派を始めとした反原発運動の成果であり、これに因って除染などの反原発利権が行われているのが実情(苦笑)

 放射線への誤った認識から始められた除染にしても、中間処理場も出来ていない中での除染作業は県内各地にゴミを殖やすだけの結果に終わり、「福島県は除染をしないと住めない」といった風評が全国に広がったことで、復興は愚か復旧をも阻害した。

 約5兆円といわれる巨額除染費用は事故前に不況に喘いでいたゼネコンと一部の建設業者らが潤っただけ。あんな除染なんぞより、原発の象徴ともいえる電柱の地中化やインフラ整備などに充てた方が福島の為になっただろうに、返す返すも残念なことだ。

 避難区域でもない福島市や郡山市などの地域から逸早くトンズラした「自主避難者」らは被害者ぶってはいるが、その生活は避難した自治体から保障され、東電からも和解金が渡される。

 要は原発事故を利用したアルバイトの様なものだ。愚生もどうせ収入も無いんだし、早々に自主避難しとけば6年で2000万以上の貯蓄が出来たなと思うと、返す返すも惜しいと思う(笑)

 放射線被害なんていうのは付けたりに過ぎない理由で、いい加減、故郷に戻り復旧・復興に努力すべきだ思うが、それも出来ないというのならなら、せめて福島を貶める様な反原発運動に与するのは止めなさいな。

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2017年03月19日

いい加減、福島県民は被害者意識を棄てよ!

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 東京電力福島第一原発事故で福島県から群馬県に避難した自称・福島県民が損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁は国と東電の過失を認めた。

 この中には避難区域外の住民が半数近くいるが「生活基盤を失い、慣れない土地で精神的苦痛を受けた」というならとっとと戻って来れば好いものを、要は原発事故を利用した錬金術と反原発運動でしかない。

「巨大津波を予見出来た」という。先の大震災で亡くなった人は大津波によるもので、ならば福島県に限らず、宮城や岩手県でのスーパー堤防や防潮堤の整備を中止した当時の民主党政権こそその責任を負うべきで、然も安倍政権の責任かの様に喜んでる反原発派の頭の構造は理解不能。

 原発再稼働での裁判でも反原発派に与するボンクラ裁判長によって摩訶不思議な判決が下されているが、今回の判決を逆から見れば、「巨大津波を想定した対策を講じれば再稼働は可能」ということだが、幾ら対策を講じようとも同じ様に横槍が入るのは明らか。

 福島第一原発の事故は、原発事故調査委員会からは「人災」と結論付けられている。事故前に外国人からの不法献金を糺され四面楚歌だった菅直人は、この事故を利用し「現場視察」というパフォーマンスを強行し、政権存続への執着から起死回生の一発勝負に出た。

 この現地視察で即座に取るべき一連の現場の措置対応に要らぬ混乱を招き、それに因って被害が拡大し、大震災当日から炉心溶融という最悪のシナリオを予測していたのが現実のものとなってしまった。

「首相を被曝させない」ことを優先する余り、炉圧を低下させる為の「ベント」と呼ばれる応急措置が遅れたのが事実で、「人災」を決定付けた当時の最高責任者であった菅直人こそその責任を問われるべきだ。

「巨大津波を予見出来た」というが、不作為で起きた原発事故の責任は国や東電だけではあるまい。

 その責任は設置を容認した県や地方自治体にも、原発設置によりその恩恵を受けてた住民らにも在る訳で、中でも原発事故の対応の拙さと混乱を生んだ当時の民主党政権の責任は重い。

 未だに原発事故を論い、その責任論を然も当然であるかの様に振り翳すが、生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで過去ばかりをふり返ってその場に立ち止まっていて恥ずかしいとは思わないのか。

 現実に原発構内で命懸けで収束しようと頑張っている方々が存在し、また、この教訓を活かそうと懸命に努力している方々が存在する。

 事故の責任を問うのは法治国家では当然であろうが、ならば当時の最高責任者だった菅直人を拘束して刑務所に入れなさい(笑)

 既に起こってしまった事を論い、原発事故から6年も経った今頃になって過失認定したところで今後の教訓になるとも思えない。

 それよりも大事なことは、二度とこの様な過ちを繰り返さない為にはどうすべきか、また事故の教訓をどう活かすかだ。

 国内に限らず、いつか起こるであろう韓国や中共、或いは世界の原発事故に対しても、福島原発事故の収束技術と正確な科学的データが活かされることこそ福島のこの地に住み続ける我々の願いでもある。

 福島県民はその魁となるべきで、いい加減、被害者意識を棄てよ!

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2017年03月18日

「瑞穂の國記念小学校」の瑞穂って、福島瑞穂の瑞穂じゃあるまいな(笑)

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 連日騒がれている森友学園の籠池理事長は、参議院予算委員会の視察団に対し「安倍首相から100万円の寄付があった」と応えるも、野党四党の調査では領収書なども存在せず、籠池理事長の言ったもん勝ち(笑)

 国会での証人喚問で真相が明らかになるが、この籠池理事長を見れば見るほど、知れば知るほど胡散臭さばかりが際立ってしまう。

「(小学校を)造り上げようとしたのは皆さんの御意思があってこそ」と然も自分がやってやったかの様に恩着せがましく強弁する。

 神道系の学校を創るという志は素晴らしいことだと思うが、書類を偽造し、私学助成金制度や補助金制度を利用して教育という名の下に私腹を肥やそうとしたことは教育者としては不適格と言わざるを得ない。

 こうしたことに政治家が介入し、学園側に有利な働きをした見返りとして不正なカネが政治家に還元していたら政治家として万死に値するが、神道系の学校創立の趣旨に賛同し、ポケットマネーから寄付をしたのであれば別に寄付そのものを否定する必要もないと思うのだが、野党やマスコミは何故か鬼の首でも獲ったかの様なはしゃぎぶり。

 安倍が「私や妻、事務所が関わっていれば、首相も国会議員も辞める」と啖呵を切った事を理由に、マスコミは「安倍首相、森友学園に100万円寄付」と大騒ぎし、辞任必至の報じ方だが、安倍が言ったのは国有地の売却について「森友学園側に有利になる様に働きかけたことはない」として、こう述べただけのこと。

 教育者が政治家や実業家と交流し、また支援して貰うのは別に構わないことだろう。愚生の母校である国士舘も創立者の柴田徳次郎先生は、財閥の渋沢栄一や右翼の巨頭・頭山満と交流を深め、「青年大民団(後の国士舘)」創立に漕ぎ着けた。

 これは早稲田の福沢諭吉や慶応の大隈重信然り。教育とは如何にして将来を担う子供達を国の宝として育むかという志が大事である。

 籠池理事長の教育理念にそうした高い志はなく、神道や安っぽい愛国ブームに便乗し、私学助成金や補助金目当ての営利主義に他ならない。

 問題は土地の不正取得に政治家の働きかけがあったのかという疑惑も然ることながら、憲法違反の疑いの濃い、私学助成金制度や私学への補助金の在り方を検証すべきだが、日頃、護憲を訴えてる勢力からはこうした違憲状態である私学助成金制度の問題が提起されたことはない。

 それにしても、安倍夫人にしても他の政治家らにしても、この籠池理事長を見て胡散臭さを感じなかったのだろうか。

 人を見る目というのは人生哲学の集大成の様なもので、己を持ち上げてくれさえすれば相手がどんな人物だろうがホイホイと付いて行く政治家というのは、人を見る目が無いという証でもある(苦笑)

 テレビやネットで籠池理事長が登場すると、画像の様な国旗・日の丸の前でのシーンや拉致問題解決の印であるブルーリボンのバッチなどが映し出されるが、これこそ印象操作にしか見えない。

 籠池理事長の自宅前で共産党の小池や社民党の福島と一緒に籠池理事長が映っていたが、人相風体共に違和感がなかった。ひょっとすると「瑞穂の國記念小学校」の瑞穂って、福島瑞穂の瑞穂じゃあるまいな。呵呵大笑。

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2017年03月17日

「退位」という共産党の造語が皇室典範附則が置かれる不思議

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 「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が、「天皇陛下の退位検討会議」や「天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議」などに変更され、恰もその目的が「退位」であるかの様に作為的に報じ国民を誑かした。

 本来ならば憲法に明記されてる天皇の国事行為の軽減を図ることこそその目的であった筈だが、いつの間にか「退位」がその目的となった。

 連日、天皇の「退位」を巡る記事が躍っているが、抑々この「退位」という表現は共産党用語であり、「譲位」という文言ではなく、皇室の家憲である皇室典範の付則に「退位」という不敬極まる表現が加筆される事を許してはいけない。

 因みに、唐突に出て来た「生前退位」にしろ、天皇を制度と看做す「天皇制」とい用語も、今では地方自治では定番となった「協働」なども同じで、「女性宮家」も皇統断絶を謀る共産主義者による造語である。

 皇位継承順位は、今上天皇→皇太子殿下→秋篠宮殿下→悠仁親王殿下、とここまで事実上決まっているが、何故に「女性宮家」なのか。

 女性宮家を創設するというが、究極は「女性天皇」、つまりは今上陛下→皇太子殿下→愛子内親王への布石であるが、女性宮家の創設となれば対象は真子内親王と佳子内親王の御二人であり、皇位継承者には成り得ない。

 公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というが、「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は、憲法第4条の第2項よる委任か、摂政のみ可能であり、「公務」の代行は皇太子殿下のみ可能。

 つまり、女性皇族は何も代行できないのが真実であり、公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」というのは国民を騙す詭弁である。

 年々増え続けている陛下の御公務の内、各種式典、民間行事等への御臨席を軽減するのは宮内庁の務めであるが、宮内庁は陛下が重要視されている「祭祀」の簡素化や取止めなど本末転倒の策を講じていることは正に国賊、獅子身中の虫。

 天皇は憲法以前の御存在であり、現憲法に瑕疵があることが明白な中で皇位継承や国事行為を語ることに違和感を覚える。

 明治憲法並びに明治皇室典範こそが我が国の正統な国法である。現憲法の破棄と明治憲法への復元が直ぐには叶わないなら、皇室の家訓である皇室典範は直ちに陛下へ奉還することこそ図るべきである。

 現皇室典範もまた現憲法同様に法体系上も法律上も重大な瑕疵があり、その皇室典範の下で譲位論を語り、「譲位は一代限り」「一部分の改正に留める」との詭弁を弄し、事実上の皇室典範の再改悪を謀るなど言語道断である。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」であるが、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、現皇室典範には「大嘗祭」の規定は存在しない。

 現憲法は、GHQの国體破壊の目論見が反映され、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定しており、天皇の「国事行為」については、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが「公的行為」は明文化されていない。

 これ即ち、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左であるが、皇統断絶勢力に与する宮内庁は、陛下の御負担の軽減というまやかしの大義名分を振り翳し、重要な祭事である「暁の儀」の取り止めや代拝や拝礼のみという簡素化を謀っていることは看過出来るものではない。

 「女性宮家」ではなく、旧宮家の皇族復帰こそが、皇統を盤石の安きに置く上で必要な対応策であって、女性宮家創設は皇統断絶の策謀である。

 「女性宮家」や「皇室典範改正」を執拗に強要してるのが民進党や共産党、社民党、生活の党の連中ということでもその売国性を理解出来よう。

 男系男子皇族は皇太子殿下と秋篠宮殿下、悠仁親王殿下しかおられないが、万一に備えるにはGHQに強制的に臣籍降下させられた元皇族の皇籍を復帰させれば好い事で、それにより若年皇族は15名に増え皇統は盤石なものとなる。

 皇籍離脱をされた旧宮家は、北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し、今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされる正当な皇統に属する方々であり、何の違和感があるというのか。

 また、女性宮家を叫んでる連中は「内親王の尊称保持」ということも訴えている。これは女性宮家創設に繋げる為の手段であるが、日頃尊称ではなく「愛子さま」だとか「さま」付で呼んでいながら「尊称保持」とはホント嗤わせてくれる。

 如何にも陛下の高齢や体調を慮った様な世論誘導による「退位」こそ反天皇運動の極みであり、神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世の共産主義者らの策謀に因って断絶の危機の序章にしてはならない。

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2017年03月16日

国家の大本である教育の中身を論ずることなく教育を語る勿れ

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 森友学園騒動は、野党にしてみれば安倍政権を糾弾する千載一遇の好機と捉えている様で収まる気配はない。それにしても稲田朋美というのは見ていて情けない。ホント自称保守というのはこういう時に心根と覚悟が現れる。まあ、安倍も第一次政権の頃はこんなヘタレ感じだったが(笑)

 森友学園の遣り過ぎを庇うつもりはないが、神道系の学校であればば教育勅くらい教えるのは当然で、教育勅語に問題があるというのなら、日本一の参拝客を誇る明治神宮の教育勅語普及への取り組みも断じられるべきだろう。だが、明治神宮を詰る者など出ることはないし、日本人であれば教育勅語は教育の根本原理であることは理解している。要は、単なる党利党略からの政争に過ぎない。

 森友学園の問題なのは教育理念より私学助成金を詐取した疑いがあることで、大阪府は刑事告発を検討しているが、国会側は学制の基本となってるこの私学助成金制度を再考するべきであり、同時に国立や公立の学校の現状やバラ撒き制度などを検証し、国家の大本である教育そのものを正すべきではなかろうか。

 この「私学助成」とは、国及び地方公共団体が行う、私立の教育施設の設置者、及び、私立の教育施設に通う在学者(在学者が未成年者である場合は保護者)に対する助成のことであるが、これは明らかな憲法違反。

 日本国憲法89条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と在り、この条文に抵触しているのは明らか。

 だが「私学助成」を廃止すれば私学の多くが破産するのは明らかで、そういうこともあって温情から、政府見解では私立学校の事業は「公の支配」に属し、これに対する公費からの助成についても「憲法89条に反しないもの」と解釈している。

 私学と雖も公の支配下に在るということで誤魔化しているのだが、私学助成でもこうした憲法解釈は行われており、憲法9条を楯に安保関連法案改定に反対し、集団的自衛権などを騒ぎ立てる左翼や護憲派というのは何故か私学助成金制度の憲法違反には沈黙を極め込む。

 教育勅語や国旗・国歌に拒否反応は示す彼らだが、カトリック系の学校を始め、宗教系の学校では「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」だとして教えているが、それは問題ではないのか。

 まさか真顔で「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」というの信じて、国旗国歌を重んじることで「また太平洋戦争の頃の様な暗い時代に逆戻り」などと言うのではあるまいな。

 時代が戻るなら、江戸時代の様な丁髷を結って刀を差して歩く様な時代にもなるということか。或いは縄文・弥生時代の再来もあり得るのか。そんなバカげた発言をいつまで繰り返すつもりなのか(笑)

 ならば問うが、米英や或いは中共の旗は平和の旗か?

 抑々、カトリックとは、アフリカ、アジア、アメリカ大陸への殺戮と掠奪の先兵ではなかったのか。残虐の全てはキリスト教の教義の下、初めはスペイン・ポルトガル王(カトリック)、後にはイギリス・オランダ王(プロテスタント)の命令で行われたのではなかったのか。

 教義の下であれば、その殺戮と掠奪さえ赦されるというのなら、あのオウム真理教も同じ様にその罪は赦されるべきではないのか(苦笑)

 侵略主義のヨーロッパ諸国の国旗・国歌には反対せず、また近隣諸国への蹂躙や武力による弾圧を続ける中共を批判することなく、我が国の国旗・国歌だけを否定し、神道系の学園だからと執拗に断じることは矛盾と詭弁に他ならず、そこには公平・公正さは愚か正義の微塵も感じない。

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2017年03月14日

戦後民主主義の多い団塊の世代への再教育の場を設けたいものだ(笑)

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「最近の若者は・・・」というのはよく聞いた言葉だが、昔の人ほど最近の大人は言わなくなった様な気もする。

「戦前の少年犯罪(管賀江留郎著)」に拠れば、現在の子供たちは道徳的にどんどん向上しているといい、子供が殺される様な事件は減少し、未成年の犯罪は戦後最低を記録しているという。

「未成年者による犯罪が殖えてる」などというのは全くのデマで、外国人犯罪は殖えているが少年犯罪は減少している。

 少年法は昔の様に15歳以下にすべきだと思っているが、治安悪化を理由にするなら外国人犯罪者を厳罰に処すべきだろう。

 昭和25年の未成年の犯罪は448人で、人口比率にすれば2.55%。昭和35年は人口比率は2.19%。平成18年では比率0.59%

 未成年の強姦犯の検挙数も昭和34年には4649人が検挙されてるが、平成18年では113人。要は戦前に生まれ、戦後教育を受けた人間の時代の連中が一番悪かったということだ。

 この未成年者犯罪の多かった時代を生きた人には「進歩的文化人」と称する戦後民主主義者が多く、彼らの多くは日本を卑下するが、日本を貶めて来たのはそれこそこの団塊の世代の連中でもあるのだ。

 治安が悪くなったと感じるのは、観光立国の愚策により入国する外国人に比例して外国人の犯罪が殖えた影響であり、事実を捻じ曲げてまでも我が国を貶める輩が蔓延っているのは嘆かわしいことだ。

「未成年者による犯罪が殖えてる」かの様なデマに荷担し、自国を貶め反日的言説を弄して喜んでいる自称保守派や自称愛国者が殖え、マスコミもまた凄惨なニュースばかりを垂れ流す。

 恰も最近の若者はサイコパスが多いといイメージだが、凄惨な事件は昔の方が酷く、サイコパスも今と変わらない。唯、マスメディアが発達していなかったから知らされてなかっただけのこと。

「最近の若者は」確りしている人が多く、確りして貰わなきゃいけないのは大人、それも70歳過ぎのオッサンらだろう(笑)

 愚生はよく公衆浴場に行くが、この年代のオッサンらというのはマナーがなっていない人が多く、洗い場でもサウナでも周りの迷惑なんぞ考えない自己チューばかり。その度に注意はしてるが聞く耳もない。

 マナーにしろ、ルールにしろ、国家観にしろ、戦後民主主義者の多いこの団塊の世代への再教育の場を設けたいものだ(笑)
 
 それにしても、連日垂れ流されるくだらない報道や番組にはうんざり。事実をありの儘に報じるべきでマスコミ御用達のインチキコメンテーターらの安っぽい私感は要らない。それよりも、もっと世の人を励まし、世の中を明るくする様なニュースを多く報道出来ないものか。

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2017年03月13日

神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世を境に・・・

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 地元紙のトップは、天皇陛下の退位を巡り、衆参両院の正副議長が、皇室典範附則に陛下一代限りの特別法を明記し、皇位継承の安定化を図る為の最終調整に入ったとの記事が載っている。

 今や退位は避けられない情勢だが、突然に「生前退位」という言葉が躍り、陛下の激務を慮るかの様に「陛下の意思を尊重する」と国民世論を誘導し、政府も呼応し、有識者会議なるものを創設した。

 だが、天皇陛下の御意向により天皇位の退位が可能ならば、同時に皇位継承者(皇太子殿下)の御意向により、即位を辞退出来ることも可能になるということも我々は知らねばならない。

 「天皇制廃止運動」の戦略は、「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」「女性天皇論」「女性宮家」など様々なカタチで実行されているが、皇族を脅迫し、退位させ、即位を辞退させ天皇位を廃止させるということも共産党や反天皇主義者らによる策謀の一つであるのだ。

 この有識者会議の正式名称は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」であり、本来ならば憲法に明記されてる天皇の国事行為の軽減を図ることこそその目的であった筈だが、いつの間にか「退位」がその目的となった。

 陛下の御発露を受けて、如何に国事行為や御公務を減らし、天皇としての祭事を如何に優先させるべきかを考えるべき好機であったが、国事行為の軽減を図るどころか、軽々しく皇統を論ずることに不快感を覚える国民は少なくない。

 売国マスコミはそうした陛下の国事行為の事は無視し、「天皇陛下の退位検討会議」や「天皇陛下の生前退位を巡る有識者会議」など称し、恰もその目的が退位であるかの様に作為的に報じ国民を誑かした。

 衆参両院の正副議長は「皇族減少対策を含む皇位継承安定化」の検討を要請したが、これは暗に「女性宮家」創設を示唆しているのだろうが、皇籍離脱させられた旧皇族の方々の皇籍復帰こそ図るべきである。

 旧皇族の皇籍復帰を決断しないことは、国體破壊を実行したGHQの非理非道を認めることであり、真の主権回復をも阻むものだ。

 旧皇族の皇籍復帰こそは真の主権国家としての精神の再生であり、皇籍復帰を実現させることは我々日本国民の義務でもある。

 GHQにより臣籍降下が強制されたが、悲しい哉、それを忠実に実行したのが政府であり、大蔵省(当時)である。

 中でも大蔵省は、臣籍降下した11宮家に予算を計上しない「兵糧攻め」を強制し、皇室財産の90%以上を没収したことは不敬極まる行為であり、占領下とはいえ恥ずべき蛮行であったと断じざるを得ない。

 在位期間が62年、宝算87年という長寿であらされた昭和天皇は、敗戦・占領という亡国の縁にあっても御退位遊ばされなく、御不例の中では国事行為や祭祀を当時の皇太子殿下であった今上陛下が代行なされた。

 陛下が摂政を置くことに否定的なのは、昭和天皇を輔佐した御自らの経験上のものであり、喩え臥しても天皇は天皇で在るとの御覚悟の顕れである。

 先の東日本大震災での政府式典には両陛下ではなく秋篠宮殿下同妃殿下が御臨席遊ばされたが、国事行為ではなかったにせよ皇太子殿下や秋篠宮殿下が陛下を輔佐することは可能であり、何故に退位なのか。

 昭和天皇が崩御遊ばされ、大嘗祭を経て即位なされた今上陛下は「昭和天皇のこころをこころとされる」とその決意を国民に語られた。昭和天皇の御公務や祭祀に照らしても「退位」は整合性に欠けている。

 如何にも陛下の高齢や体調を慮った様な世論誘導や、過去に前例のない形での譲位に違和感を覚えると共に、神武肇国から続く万世一系の皇統が平成の世を境に崩れて行くのではなかろうかとの危機感を感じる。

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