「喪に服する」とは門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず・・・日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶにふさわしい国である(中朝事実)

2023年12月18日

武道や芸事の世界では「守・破・離(しゅ・は・り)」の意味を重視する

「十五ヨリ三十マデ万事ヲ師ニマカスル也。三十ヨリ四十マデハ我ガ分別ヲ出ス。四十ヨリ五十マデ十年間ハ師ト西ヲ東ト違ッテスル也。其ノ内、我流ヲ出シテ上手ノ名ヲトル也。又、五十ヨリ六十マデ十年ノ間ハ師ノ如クスル也。名人ノ所作ヲ万手本ニスル也。七十ニシテ宗易ノ今ノ茶湯ノ風体、名人ノ他ハ無用也」

 上の教えは、茶人・山内宗二が記した「茶湯年来稽古」のものである。その意味は、15歳から30歳迄は師の教えを忠実に守ること。30歳からは自分なりに思索してみること。40歳からは師の教えとは逆にやってみる必要があるという。50歳からは師の如く振る舞うことで己も名人の域になれるということ修行の極意である。

 この教えの基となっているのが、宗二の師である千利休の「守・破・離」の心の大切さである。武道や芸事の世界ではこの「守・破・離」の意味を重視する。

「守(しゅ)」とは「修める」ことであり、師の教えや古からの教えを学び、修行に拠って技芸を身に付けること。修行を始める上での基礎となるものである。

「破(は)」は、そうした今迄の既存の概念や枠組み、秩序というものを破壊してみること。要するに固定観念を棄てることが、その上を目指す意味で重要となる。

「離(り)」とは、師匠や既存の教えから離れて自分で思索して自身の型を創造してみること。この新しい発想と失敗や思索と経験が未来へ繋がって行く。

 伝統を重んじる武道や芸事とあろうと、単に伝統を守り伝えようとするだけでは、結局のところ行き詰まり、伝統を守れなくなってしまうということでもある。

 今に伝えられてることは、古より先人が失敗に失敗を積み重ねた中で、思索して厳選して遺した教えである。こうした先人の当時の悩みや困難を少しも考えずに学ぶということは、大きな失敗もせずに近道で辿り着こうとしているということだ。

 師の教えだけ学んだところで、師や先人が辿り着いた処からは先へ進むことは出来ない。修行とはそんな楽なことではない。そこで「破」と「離」が必要となる。

「温故知新」という言葉があるが、古きを訪ねて新しきを知るには、そこから突き抜ける強烈な努力が必要となるのだ。修行不足では古き教えに気が付かない。

 伝統を受け継ぐには、先ず伝統に学び、根本的な精神を後世に存続させて行くには、新しい息吹を注入する必要がある。そうすることで伝統が再生し、更なる伝統となって受け継がれて行くのである。伊勢の遷宮である「床若(とこわか)」がそう。

 唯唯、闇雲に新しいことをやれば好いというものでもない。古に学び、習得し、それを確り護るというのが何より大事なことである。武道や芸事に限らず、何事に対しても確りとした土台がなければ、伝統を後世に存続させて行くことは出来ない。

 現在の我が国の政治に欠けているものも古(先人)の教えであり、保守派を気取る議員の多くが、未来志向の新自由主義者ばかり。国家というのは未来が全てではない。過去を振り返り、そこから学び、古人の教えを未来に活かすことが必要となる。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見に拠って未来を創造して行くものである。我が国の保守政治家は先人や過去を軽んじ過ぎだ。政治こそ守破離の教えを実践するべきである。

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cordial8317 at 07:50│Comments(0)

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