
●緑の公園に佇む慰霊堂と復興記念館
JR両国駅東口から清澄通りを北に歩いて約10分。通り沿いに江戸東京博物館、日大1中・1高、高層の第一ホテル両国が続き、その北隣に公園がある。この公園を含む一帯は旧陸軍の被服廠跡(2万坪強=約6万7千平方メートル)で、買収した東京市(当時は15区で構成)は運動場のある大きな公園を造成中だった。
緑あふれる南門から入ると、左手に鐘楼がある。釣鐘は「幽冥鍾」といい「震災犠牲者追悼のため中国仏教徒から贈られた」という。
正門に立つと、中央にがっしりとした神社様式の「東京都慰霊堂」がそびえる。内部は集会場で椅子が並べられ、賽銭箱と線香・蝋燭台が置かれている。大震災の遭難死者約5万8千人の遺骨と、東京大空襲(1945年3月10日)などの殉難者合わせて約16万3千体の遺骨が安置され(奥に納骨堂がある)、毎年9月1日と3月10日に慰霊大法要が行われている(公園のパンフレット)。
公園の北側にあるのが「東京都復興記念館」だ。大震災の実態と復興事業の成果を後世に残すため1931(昭和6)年8月に開館した、延べ床面積1177平方メートルの鉄筋コンクリート造り。1階は大震災と復興事業の経緯、避難や救護活動を、2階は東京大空襲の被害と復興事業などを展示している。平日で入館者は少なかった。
復興記念館の展示は簡潔だが、中身は衝撃的だ。針が振り切れた地震計の波形記録や6回も起きた強い余震、被災地の人的・物的損害を説明するパネル、焼け焦げたタイプライターや置時計、警察手帳、そして火災旋風で浮き飛ばされ木に絡みついたトタン板(避難者を殺傷した)など、胸が詰まる被災物が並んでいる。
●犠牲者約10万5千人のうち約9割が焼死
大地震の発生時刻は1923(大正12)年9月1日午前11時58分44秒。地震の規模はM7・9(一説にはⅯ8・1)で、現在の震度等級では震度6~7に相当する。震源地は神奈川県相模湾の海底。東北地方太平洋沖地震(Ⅿ9・0、東日本大震災)と同じ海溝型地震だった。伊豆半島伊東に12メートル、鎌倉の海岸に3メートルの津波が押し寄せた。
だが、犠牲者の大半は火災によるものだった。地震発生がお昼だったから家庭や料理屋から出火し、工場や学校、病院などの薬品類からも火が出た。運の悪いことに能登半島沖に低気圧(台風)があり、関東地方は10メートル以上の南風が吹き荒れていた。
「大火災は9月1日正午に始まり9月3日午前6時まで続いたが、東京市の43・5%に達する1048万5474坪という広大な地域が焼き払われた」(吉村昭『関東大震災』文春文庫)。
東京府と4県(神奈川、埼玉、千葉、静岡)を中心に、死者・行方不明者は10万5385人に達し、約9割の9万1781人が焼死(窒息死を含む)だった。とくに東京市と横浜市の犠牲者が多かった。倒壊・焼失などによる住宅被害は全体で37万2659棟(武村雅之・名古屋大学減災連携センター特任教授調べ=同館のパネル)。
●「被服廠跡」の悲劇はなぜ起こったか
恐怖におびえた住民は、上野公園や皇居前広場、須崎(埋立地)、靖国神社などに逃げ込んだ。被服廠跡には約4万人が押し寄せた。
そこへ火災旋風が襲った。生き残った目撃者によると、両国駅付近から黒い雲が沸き上がり、轟轟と音をたてて炎の柱(火災旋風)が吹き荒れた。午後2時ごろから数時間のうちに95%約3万8千人が焼死し、生存者はわずか2000人余りだった(『関東大震災』)。
これほどの犠牲者を出したのは、東京市の人口密度が現在の2倍と高く、木造住宅が密集していたこと。また道路は狭く水道施設が破壊されて消火活動ができなかったほか、人々が燃えやすい家財道具を持ち出していたーと、パネルやパンフレットは指摘している。
●「東京は再び地震に弱い街になった」
復興記念館のパネルでも紹介した名古屋大学の武村雅之特任教授は5月22日、日本記者クラブで講演し「東京は再び地震に弱い街になった」と指摘した。その理由として、①解消されていない木造密集地域②ゼロ・メートル地帯③高速道路による水辺・河川の破壊④容積率緩和による高層ビルの乱立⑤海岸埋め立て地での高層住宅(タワーマンション)の脆弱さーを取り上げた。
東京都心南部でⅯ7・3の直下地震が起きた場合、建物の損害は最大約61万棟、犠牲者は最大2万3千人。経済的被害は約95兆円に達するとの試算がある(2022年12月、内閣府中央防災会議のワーキンググループ最終報告)。
この際、筆者は改めて「地震予知の研究をあきらめない」と「地震発生時の流言飛語の取り締まり」の2点を国・自治体に求めたい。
とくに流言飛語対策は、ヘイトクライム(憎悪犯罪)が柱だ。非常時には人種や民族、宗教など特定の個人や集団に対して、嫌がらせや暴行などを行う人が出がちだ。横網町公園内にある「朝鮮人犠牲者追悼碑」は、100年前の悲劇の反省と教訓を現代に告げている。

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