2004年11月03日

ウェザー・リポート『テール・スピニン』ライナーノーツ

1995年、ウェザーのアルバムがまとめてCD化されたときのもの。
僕はこれと、『ドミノ・セオリー』を執筆しました。そちらものちほどアップします。

●『テール・スピニン/ウェザー・リポート』ライナーノーツ
                          
                              

 ウェザー・リポートが解散して、今年でもう10年になる。そういえば、このライナーノーツを書いている95年1月の段階で、4月に日本武道館で行われるナラダ・マイケル・ウォルデンのスペシャル・コンサートの中で、ウェザーのリユニオンが実現する、というアナウンスがされているのだった。ナラダのキャリアを回顧するそのコンサートでは、『ブラック・マーケット』(ナラダは2曲に参加している)時代のウェザーが、ただしウェイン・ショーター抜きという不完全な形で再現されるらしい。もちろん僕はそれを観に行くつもりだが、ザヴィヌルとショーターが主導する、より本格的なウェザーのリユニオンの企画も持ち上がっているという噂もあるので、やはりそちらに期待したいところだ。
 それはともかく、リアルタイムで追いかけていたころには分からなかったウェザーの本質が、このごろやっと見えてきたような気がし始めたのは、単に僕が鈍いから、なのだろうか。それは、「ウェザー・リポートというバンドは、結成から解散に至るまで、徹頭徹尾ジョー・ザヴィヌルのバンドだった」という、実に単純なことであるのだが。
 よく知られているように、71年にウェザー・リポートが誕生した時点では、ウェザーはザヴィヌル〜ショーター〜ミロスラフ・ヴィトウスの3人が中心となり、そこにドラマーとパーカッショニストを加えて演奏活動を行う……という形態のグループだった。ジャズ界でのキャリアとしては、ショーターが最もビッグ・ネームだったこともあり、最初の数年間はショーターがウェザーのリーダーだ、と思っていたファンも少なくなかったのではないか。73年の『ミステリアス・トラヴェラー』の途中でヴィトウスが脱退したころには、さすがにザヴィヌルがこのバンドの音楽のきわめて大きな部分を担っている、という事実に気づかない者はいなくなったが、それでも「ウェザー・リポートはザヴィヌルとショーターの双頭バンドである」という認識が、85年にショーターが脱退するまで(少なくとも82年の『ウェザー・リポート』が出るころまで)は一般的だったはずだ。
 しかし、それは違うのだ。当人たちがどう思っていたかは別として、10年という時間が与えてくれた距離をとって、冷静にウェザーのアルバムを聴き直してみれば、ショーターの作る曲もサックスの演奏も、ザヴィヌルの音楽的な意思によって、「ウェザー・リポート」という彼の作品の中でふさわしい位置を与えられていたのだ、ということが分かるだろう。もちろん、ショーター、そしてジャコ・パストリアスというまぎれもない天才二人がザヴィヌルに与えた刺激と摩擦によって、ウェザーの音楽はあれだけのスリルと重層性を持ち得たに違いないのだが、おそらくはそのことさえもが、ジョー・ザヴィヌルによってプログラミングされた「ウェザー・リポートというシステム」の中に織り込まれていたのではないのだろうか。
 そうした意味で、ウェザーはキング・クリムゾンによく似ている。イギリスのロック・シーンとアメリカのジャズ・シーンという出自の違いはあるにせよ、ほぼ同時代に活動し、複雑な構成と即興との関係について独自の解答を与え、それまでのロックやジャズにはなかった「物語の毒」を感じさせるミステリアスなアルバム作りを行い、スタジオ・レコーディングで比類ない完成度の高さを保ちつつも、きわめて水準の高いエキサイティングなライヴ・パフォーマンスを実現したこの二つのバンドは、ロバート・フリップとジョー・ザヴィヌルという、それぞれ強烈な音楽的意思と構想を持ったミュージシャンによって統御されていたのだから。
 そして、80年代の新生クリムゾンとウェザー解散後のザヴィヌル・シンジケートが、どちらも非常にクォリティの高い音楽を創造している割に、かつてのような強烈な影響力を持ち得ていない、という点でも、この二人の軌跡は類似しているようだ。そのことがどういう意味を持ちうるのか、たとえばザヴィヌルやフリップのような強力な「ディシプリン」による音楽は、今の時代には合わないのか、といった設問に答える準備は、残念ながら今の僕にはない。確実に言えるのは、「ジャズにおける70年代」とは、ウェザー・リポートが大きな影響力をもって活躍していた10年間のことである、ということだけだ。
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 本作『テール・スピニン(幻祭夜話)』は、1975年にリリースされた、彼らの5枚目のオリジナル・アルバム(ただし、日本のみで発売された、72年の『ライヴ・イン・トーキョー』を入れると6枚目)である。スペイシーで硬質な感触と、フリー・ジャズ寄りと言っていい集団即興演奏を特色としていたウェザーは、3作目の『スウィート・ナイター』(73年)あたりから、徐々にファンキーなビートの反復を前面に押し出すようになってきた。続く74年の『ミステリアス・トラヴェラー』の録音中にミロスラフ・ヴィトウスが脱退し、腰の据わった乗りのいいプレイを得意とするエレクトリック・ベーシスト、アルフォンソ・ジョンソンが加入してから、ウェザーの「ファンク・ビート化」はますます顕著になっていくのだが、『テール・スピニン』は、その傾向が完全に定着したアルバムであるとともに、それまでどちらかというと「宇宙」をイメージさせるサウンドを構築してきたウェザーが、ラテン・アメリカやアフリカ的なものをはじめとする、よりプリミティヴで地に足の付いたサウンドを指向するようになった作品である……と要約することができるだろう。
 このアルバムの録音は、75年の1月から2月にかけてのことだが、74年の9月に、ウェイン・ショーターはリーダー作『ネイティヴ・ダンサー』を、ブラジルのシンガー=ソングライターであるミルトン・ナシメントの全面的な協力を得てレコーディングしている。おそらくショーターの最高傑作である『ネイティヴ・ダンサー』は、熱帯の優雅な陶酔感が匂いたつ、たとえようもなく美しいアルバムだが、『テール・スピニン』から感じられるブラジル〜ポルトガル的なフレーヴァーは、この時期のショーターのブラジル指向をザヴィヌルが自分の中に取り込んで再構築した結果なのだろう。こうした、カラフルでメロディックな「熱帯指向」のサウンドは、次作『ブラック・マーケット』で、完璧な「ザヴィヌル=ウェザー・リポート・ミュージック」として完成されることになる。
 ウェザーが『ブラック・マーケット』の時期から、よりカラフルでメロディックな、そしてまるでビッグ・バンド・アンサンブルのように構成されたサウンドを聴かせるようになった、ということについては、テクノロジー的な側面からの解釈も可能だ。オーバーハイムを始めとするポリフォニック・シンセサイザーが開発されたことによって、ザヴィヌルは自らのイメージするサウンドの幅を、飛躍的に拡げることができたのではないか。そしてそれが、ショーターのブラジル指向、アルフォンソ・ジョンソンのファンキーなグルーヴと有機的に結びついたときに、『ブラック・マーケット』に聴かれるような、自由闊達でありながら立体的に構築されたサウンドが実体化したのだろう。ちなみにこの『テール・スピニン』の段階では、ザヴィヌルはまだオーバーハイムのポリフォニック・シンセを使用していない。ここで彼が使っているシンセサイザーは、アープの2600と、Centaur Productions によって作られたTONTOという名称のものだ。そのせいもあって、ここに聴かれる、どことは特定できない「熱帯」の甘酸っぱい香りを持つ、躍動感と色彩感にあふれたサウンドは、『ブラック・マーケット』との共通点を感じさせつつも、よりストレートでシンプルな印象を与えるものになっている。
 「マン・イン・ザ・グリーン・シャート(緑衣の老人の舞踊)」は、ザヴィヌルがヴァージン諸島のセント・ジョン島で、スティール・ドラム・バンドに合わせて踊る緑のシャツを着た老人を見て作った曲だという。続くショーターの「ルシタノス」とはポルトガルにある丘の名前で、「股間からの光景」は、ザヴィヌルによるニューオリンズのマルディグラの光景だ。LPのA面に当たる3曲で、ウェザーは世界のあちこちを飛び回り、足を踏み鳴らして踊りだしたくなるような、不思議な高揚を覚える音楽を提示してみせる。「緑衣の老人の舞踊」の、スピーディに疾走するリズム・セクションとチャーミングなショーターのソプラノ・サックス、ショーターらしい屈折した旋律が味わい深い「ルシタノス」、ファンキーなリフとサックスをフィーチュアしたフォービート部が対比される「股間からの光景」。それぞれが異なった雰囲気をたたえつつも、この3曲はきわめて「ハッピー」な音楽である、という点でよく似ている。さまざまなレヴェルで重層的に織りあげられた音楽であるくせに、聴き手に与える印象が明快であり、聴いているうちに幸福感が押し寄せてくるのだ。
 4曲目の「バディア」は、のちのちまでライヴの重要なレパートリーとなったザヴィヌルの曲。バディアとは、エチオピアにある宮殿の名前だとのこと。ここではショーターは参加せず、さまざまな楽器を駆使するザヴィヌルを中心として、神秘的なサウンドが展開される。ザヴィヌルのワードレス・ヴォーカルも効果的だ。「フリージング・ファイア」は、レオン・チャンクラーの迫力あるドラムから始まるショーターの曲。同じリズミック・パターンを反復するベースの上での長音によるシンプルなテーマ、という、この時期以降のショーターによくある構造の曲だ。「ブラック・マーケット」を思わせるペンタトニック・スケールを使ったザヴィヌルのシンセ・ソロ、イマジネーションにあふれたショーターのソプラノ・ソロ、どちらもすばらしい出来だ。そして最後の「ファイヴ・ショート・ストーリーズ」はザヴィヌルとショーターのデュオ。クラシックの室内楽曲のような、繊細で内省的な雰囲気の演奏で、ピアノ、オルガン、シンセサイザーによって形づくられた枠組みの中で、きわめてデリケートに吹くショーターのテナー・サックスが美しい。
                         [January,1995 村井康司]




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この記事へのコメント

1. Posted by grandtrick920   2004年11月19日 01:51
村井さん、初めまして。1つ質問をさせてもらっていいですか?ウェザー・リポートのアルバムはどれも本当に素晴らしいですが、1番好きなアルバムを強いて1枚選ぶとしたら何ですか?ちなみに僕は「Mr.GONE」です。

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Profile
Cosey Murai
音楽評論家(ジャズ全般、最近70年代ぐらいまでのロックの仕事もときどき)。
編集者(国語辞典と単行本いろいろ)。
俳人(このごろさぼり気味。いかんなあ)。
1958年函館生まれ。pisces,AB.