2008年10月29日

食料を本当に大切にしている国

一時帰国中、両親とQさま!!というクイズを見る機会があった。学会の準備や当日は本当に忙しかったんだけど、その分親友と1回会った以外は誰とも会う時間がなかったから、逆に毎晩家でご飯を食べることができて、そういう意味ではとても良かった。両親とご飯を食べながら話をしたり、クイズを見ながら答えを言い合ったりするのはとても楽しくて、ああ、家族ってこんなものだったんだなぁと思う。私が実家に住んでいた頃は、両親は本当に忙しくて、ご飯をのんびり一緒に食べる機会はほとんどなかったんだけど。だから、初めての一家団欒だったとも言えるかもしれない。

ともあれ、そのクイズを見ていて衝撃的なことを知ったんだけど、その前に、帰国前にちょっと考えたことを紹介。それは、食べ物に関する感覚だ。アメリカで外食すると、量がとても多いというのは有名だ。それでいて、誰かの家に食事に行くとそんなに大量に食事が出てくるわけじゃないから、これは一体誰を基準に考えているんだろう?と思う。そういう事実から、私は何も考えずに、アメリカ人は食べ物を大事にしないと考えていた。私は、食べ物は残さず食べるようにしつけられてきたし(それが出来ないときは、手をつけないようにしていた。そうすれば、取っておいて次の時に食べられるから)、特にお米は1粒でも残すことにとても抵抗がある。小さい頃、お米を1粒作るのに、農家の人がどれぐらい大変な思いをしているのかを聞かされて育ったからだ。
私は、この感覚は、少なくとも私の世代(30代)以上の日本人がある程度は持っている共通の感覚だと思ってきた。食べ物を無駄にしてはいけない、と。だから、アメリカのパイ投げ…はもう普通ではしないけど、マシュマロを使った玩具のピストルや銃なんかを見ると、どうしても抵抗がある。食べ物を玩具にして、そのまま捨ててしまうことが嫌なのだ。同じように、そろそろハロウィーンだけど、ハロウィーンでカボチャでランタンを作って、どれぐらいの人がくり抜いた中身を捨てずに食べるんだろう?まあ、用途はパンプキンパイにするぐらい(それでも十分だけど)しかないみたいだけど。

ともあれ、じゃあ、アメリカ人はどんな感覚なのか?というと…。ニコにマシュマロの話をした時のこと。私が「食べ物を玩具にするのは、私は賛成できないな」と言うと、ニコは不思議そうに「どうして?」と言う。それで「だって、食べられるものなんだよ。アメリカ国内にだって、食べ物が十分食べられない人達が沢山いるのに、子供が食べ物を無駄にするなんて・・・」と答えたら、なんと!ニコは「マシュマロは食べ物じゃないよ。全然美味しくないし、第一、貧しい人だってマシュマロを食べたところで栄養になんかならないよ」と言うのだ。ニコと私は、いろいろなことに関してとても感覚が近くて、何が大切か、というところで意見が食い違うのは稀だ。だから、こんなところで、こういう発言を聞くのは本当に驚きだった。だって、私が言いたかったのは、マシュマロそのものに関してじゃない。食べ物全般を玩具にすることに抵抗があるのだ。日本語の「いただきます」という言葉は、食事を作ってくれた人だけでなく、食材になっている全ての命あるものに感謝する意味があると聞いたことがある。日本には、動物だけじゃなくて、植物や、全ての天然のものに命があると考え、それを畏れつつ大切にする伝統があるのだ。でも、これを説明するのは難しすぎる気がして黙っていた。だけど、同時に、きっとこれがアメリカ人の普通の感覚なのかなとも思ったりした。まあ、メリーベスやブライアンは違う考えを持っているかもしれないけれど。

ところが、一番最初の話に戻って、私がクイズを見ていて知った衝撃の事実と言うのは、残飯の量は日本が世界一だということなのだ。調べてみたら、あまりニュースで取り上げられていなかったけれど、長野日報で少しそれに触れていた。
長野日報「残飯世界一、規範意識は最低 指導者からの警告」
日本の残飯は、アメリカよりも当然多いわけだ。どうして!?とびっくりしていたら、母親が「ああ、きっと外食産業での残飯が多いのね」と言った(後で調べたら、同様のことが別の記事にもちょっと書かれていた)。そういえば、アメリカではレストランで残った料理は必ず持ち帰ることが出来る。日本では、以前よく行っていたレストランで聞いたところ、食品衛生法の問題でそれが出来ないらしい。持ち帰った料理で食中毒を起こされたら困る、という理屈だ。でも、私はアメリカナイズされているのかもしれないけど、持ち帰った料理で食中毒になったら、それは自己責任だと思う。どうしてレストランがそこまで責任を負わなくてはいけないのか、良く分からない。持ち帰ったものをきちんと保存して、傷まないうちに食べるのって、大人なら普通に出来ると思うんだけど。

ともあれ、そうやって考えてみると、私の友達はみんな食べ物を大切にしていた。残ったものは必ず持って帰っているし、それを次の日のお昼に食べているのをよく見かける。私はと言えば、夜に食べるようなちょっと脂っこいものは、昼には食べる気がしなかったりして、それでいて夜に予定が入っていたりすると、結局持ち帰った食べ物を無駄にしてしまうこともあったりする。私は傲慢にも、「私は日本人で、食べ物を大切にしている。それに比べてアメリカ人は…」という考え方をしていたけれど、良く考えてみれば、日常で食べ物を粗末にしているのは、自分だったわけだ。それに気づいて、本当に恥ずかしいと思った。

いつまでたっても、物事をまっすぐ見るのは難しい。それは、個人に偏見や先入観がある限り(そして、それが全くない人はいないと思う)、不可能なことなのかもしれない。でも、常に、自分の偏見や先入観がないかを確認して、いろいろな視点で物を見られるように努力していきたいと思う。

最後に、そう言う意味で最近目から鱗が落ちた本をご紹介。

絵はがきにされた少年
絵はがきにされた少年


この本は、開高健ノンフィクション賞を受賞した本で、アフリカに特派員として5年半滞在した記者(?)の書いたエッセイのような本だ。もちろん、取材に基づいているからノンフィクションなんだろうけれど、それよりも、著者の経験を通じて、読者に何かを感じさせるエッセイという方が近いような気がする。私は、アフリカ人の友達が結構いることもあって、アフリカに関する本や映画をよく見てきたつもりでいたけれど、この本は今まで持っていた私の印象を覆してくれた。それは、私がこれまで読んだ情報は「アメリカやヨーロッパ、日本」側の視点に立って発信されたものだったからで、この本は「アフリカにすむアフリカ人」の視点を伝えようと工夫しているものだからだ。特に、冒頭の、ピュリッツァー賞を受賞した写真(うずくまる痩せた黒人の少女をハゲワシが見つめている)が、アメリカやその他の先進国で受け取られた意味とは全く違う状況で撮られたものだったという事実は圧倒的だった。「貧しい、飢えるアフリカ」「搾取されるアフリカ人」というイメージに合った写真を求める新聞社やニュース。そして、読者も無意識にそれを求めている。でも、アフリカはそれだけの国ではないのだ。久々に、ずっと手元に置いておきたい本に出会えたのが嬉しかった。根幹にあるテーマは重いけれど、エッセイ風で読みやすく、いろんな人に読んで欲しい本です。

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