日常生活では2人の女の子。
周りも見守ってほしいですね。

<a href="http://japanese.joins.com/article/260/182260.html?servcode=600%C2%A7code%3D600" target="_blank">http://japanese.joins.com/article/260/182260.html?servcode=600%C2%A7code%3D600</a><フィギュア>浅田真央「キム・ヨナ、友だちのような関係」

2014年02月26日09時30分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

   日本フィギュアの看板選手・浅田真央(24)が1990年生まれの同年齢ライバルだったキム・ヨナ(24)について「友だちのような関係」と明らかにして目を引いた。

  浅田はソチ冬季オリンピックを終えて帰国した25日、東京で行った記者会見でキム・ヨナに関する質問を受けて「リンク場の外では話も交わして友だちのような関係」と答えた。これに先立ち浅田は23日、日本のTBSのある番組に出演して、ソチ冬季オリンピックを終えた後のキム・ヨナとの短い対話内容を伝えて「ヨナが日本語で私に『お疲れさま』と言った」と笑って話すこともした。

  2人の対決はいつも熱かった。1990年、2人の同い年のフィギュアスケーターの対決はジュニア時代から韓国や日本だけでなく全世界の関心を集めた。10年間で16回の正面対決を繰り広げたキム・ヨナと浅田のライバル関係は、2000年代中盤以降、世界のフィギュア界を熱く盛り上げた。あまりにもホットな対決のために韓国と日本の間の感情的な争いも繰り広げられた。

  それでも互いのライバルのような存在は良い刺激になった。そしてアジアフィギュアが共に成長する契機になった。辺境だった韓国フィギュアは、キム・ヨナのおかげで「キム・ヨナキッズ」が誕生したし、日本フィギュアもやはり国際的な競争力を維持できた。

  浅田はソチ冬季オリンピックでフィギュア女子シングルのフリープログラムを終えた後、キム・ヨナについて「とても素晴らしい選手」としながら「ジュニア時代から同じアジア人として多くのファンたちの注目を浴びたが、そうした点で私が成長できる部分もあった。大変なこともあったがスケート人生で1つの良い思い出だと考えている」と明らかにしていた。

  キム・ヨナも浅田に向けた胸の痛む思いも表したことがある。キム・ヨナは22日、浅田について「似ていた点が最も多い。その選手の心情を理解できるようだ。フリープログラムで体をほぐしにきた時に浅田の演技をテレビで見たが、涙声で話していた時に私もぐっときた」と放した。銀盤では激しい競争をしていたが誰よりも互いの気持ちをよく分かっていただけに尚のことだった。それと共にキム・ヨナは浅田に向けて「その選手は私のように今回で引退はしないようなので、私は何か言葉をかけられる立場かは分からない。これまで苦労もたくさんしたようだ」と激励の言葉を送った。


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<ソチ五輪>演技終了後、氷上で涙の浅田真央、控室で涙のキム・ヨナ―中国メディア
Record China 2月24日(月)9時43分配信

2014年2月22日、新文化報は、フィギュアスケート・女子フリーでの日本の浅田真央と韓国のキム・ヨナの滑走後の姿を伝えた。浅田は演技終了後の取材に遅れたことを記者に謝罪していた。

フリーは上位の選手が後の方で滑走することになっており、前日のショートプログラムに失敗した浅田真央は開始から30分あまりで登場した。高難度の技を次々と決め、日本だけでなく、世界中のフィギュアスケートファンが温かい拍手を送った。演技終了後、浅田の目からは涙がこぼれ、観客席からはたくさんのぬいぐるみと花束が投げ込まれた。

取材エリアでは日本と欧米の記者、テレビカメラが浅田の登場を待ち構えていた。普通、選手は演技終了の5分後には取材エリアに姿を現すが、浅田は別のテレビからインタビューを受けており、約10分後にようやく姿を見せた。各国記者の取材に対し、前日の失敗が響いて大きく減点されたが、できるだけの演技をした、と話し、「みなさんをここでこんなに長い間お待たせしてしまって、本当にすみません」と謝罪した。

キム・ヨナは最終的にロシアのソツニコワを上回ることはできず、結果発表後はぬいぐるみを抱いてこわばった笑みを浮かべていた。控室に駆け戻っていったキムは、部屋の近くでコーチの姿を目にし、そこではじめて涙を流した。壁にもたれかかり、目をこすりながらうなだれて何かを話していた。

キムへの取材は想像を上回る困難さだった。殺到する韓国人記者に阻まれ、他の記者はなかなか前に進めない。少なくとも100人の記者が彼女の登場を待ちわび、小さなスペースは蒸し風呂のようになっていた。インタビューに対し、キムは落ち着いた様子で「今回は私にとって最後のオリンピック。今日の演技は確かにライバルに及ばなかった。少し残念ですが、受け入れられます」と語った。(翻訳・編集/岡本悠馬)

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浅田真央が明かすキムヨナの「意外」な一面 「日本語で『お疲れ様』と言ってくれた」2014/2/25 18:17

   浅田真央と金妍児(キムヨナ)――。ふたりの女子フィギュアスケーターの「ライバル物語」は、ソチ五輪をもってひとつの区切りがついた。

   演技終了後、浅田選手はある興味深いエピソードを明かした。キム選手から日本語で「お疲れ様」とねぎらいの言葉がかけられたというのだ。日本語を話す姿は、これまであまり見られなかった意外な一面かもしれない。

内田アナに日本語で「お腹がすいた?」

   キム選手はソチ五輪での記者会見で、浅田選手について聞かれた際に「私たちほど常に比較され、試合をしてきた選手はいないと思う。お互いに立場を理解でき、彼女の涙を見たときは私もこみあげてくるものがあった」と共感を示した。さらに「これまで本当にお疲れ様と言いたい」と続けた。

   これはリップサービスではなかった。2014年2月23日放送の「S1」(TBS系)でシドニー五輪の女子マラソン金メダリスト、高橋尚子さんと対談した浅田選手は、ソチで交わされたキム選手との会話を明かした。浅田選手の方から「おめでとう」と声をかけ、一緒に写真を撮ったのだという。すると、

「お疲れ様って……日本語で『お疲れ様』って(言ってくれた)」

と笑いながら話した。ジュニアのころから否応なしに比べられ続けてきたふたりだけに、この短いやり取りで十分だったかもしれない。

   キム選手が日本語を話すのは珍しい気がするが、実は過去に出演したテレビ番組で披露していた。2009年5月に放送されたトーク番組「グータンヌーボ」(フジテレビ系、2012年放送終了)に登場した際、初対面だったフリーアナウンサーの内田恭子さんに日本語で「こんにちは」とあいさつ。しばらく英語で会話した後、内田さんから「コーヒーでもどうですか」と勧められるとまたも日本語で、

「お腹がすいた?」

とたずねたのだ。内田さんは日本語を予期していなかったようでびっくりしつつ、大笑い。しかし「日本語が分かるんですね。今、私が何を話しているか分かりますか」と問いかけると、「えっ」とやや困り顔になって黙ってしまった。その後も、トークの最中にいきなり「違う」と口にしていたキム選手。長いセンテンスは分からないが、単語レベルなら多少理解していたようだ。

ふたり並んでトーク番組に出演したことも

   2007年には、浅田選手とキム選手がふたり並んで出演した貴重な番組があった。テレビ東京のトーク番組だ。このときが「初共演」で、その後もこういった形ではテレビに出ていないのではないか。当時はお互い16歳で、前年に開催されたトリノ冬季五輪には出場していなかったが、既に世界大会などで競い合い日韓両国のメディアから「ライバル」と書き立てられていた。

   それぞれ少々緊張気味で、ふたりの間で長い会話が交わされることはなかったが、「ふたりの共通点」をアナウンサーから聞かれたときにこんなやり取りがみられた。「身長や誕生月が同じ」との話題が出た後、キム選手が何かを言いかけた。そのとき浅田選手が「ん?」と顔を向けると、キム選手は小声で「ワンちゃん、犬」と日本語で返したようだった。それを聞いて「あ、ワンちゃん、そうだ」と浅田選手。するとふたりは顔を見合わせて微笑んだ。

   韓国在住の記者に聞くと、キム選手の「日本語力」は一部ファンの間では知る人もいるが、いわば「単語レベル」でもあり、報道で大きく取り上げられているわけではないそうだ。

   子どもの頃から比較され続け、ふたりとも「五輪で金メダル」を背負わされた境遇だけにお互いへの感情は長らく複雑だったかもしれない。だがソチ五輪でキム選手は完全引退を表明しており、「ライバル関係」という構図は終止符が打たれた格好だ。2007年当時、浅田選手はキム選手と「時々ふたりでしゃべります。英語なのであまり話が続かない」と明かしていた。ジュニアのころは屈託のない笑顔で一緒に写真に収まっていたふたりが、これからは英語や、時には日本語で楽しく語り合い、気がおけない友人になる日がくるだろうか。