2011年04月

2011年04月26日

16歳を思い出す

甥っ子の誕生日・・  まだ お祝いのケーキを喜んでくれることが嬉しい(笑)

シュンタ16歳!

ふと 自分の16歳の誕生日って・・? と思い出してみたのですが  う〜〜ん??
確か高知県丸亀市で行われたインターハイから合宿所に戻る日だったような?
身心共に鍛えられた高校の3年間、甘々だったところから 少し甘め・・ くらいまで
引き上げてもらった というのが正しいかもしれないけど、確かに この頃から
少しずつ道が太くなってきたような気がします。

何かに一生懸命取り組んでも、なんとなく過してしまっても、同じ3年。
楽しんで欲しい 大切な3年です。


2011年04月25日

桐のくすり箱

3月にお誕生日を迎えた ずっとずっと年下の友達・・
この春から初めての一人暮らしを始めるので 何か役に立つものをあげたいな〜と
アレコレ考えているこちらの方が 楽しかったりしました。

薬箱 2薬箱 3






薬箱 4薬箱 1







くすり箱・・  
今はプラスチックのものが多いですが、昔は富山の置き薬屋さんが
桐のくすり箱をチェックに来たものです。
私も実家で使っていた くすり箱に英字新聞を貼って使っています。
今回は 新しい桐でつくりましたよ、新生活ですから 
周りは英字新聞、引き出しの表面(緑色)も新聞、ツマミは皮をビスで留めました。

仕事を始めたばかりの頃、お客様から 『材料の足しにしてください』 と
古い薬箱を渡され 困ったものです・・
( 板が薄すぎて 全く足しにはならないのです  )
少し余裕のある時は 和紙を貼ったりして オマケに差し上げたこともありましたが
いくらキレイにしても 正露丸や ヨーチン(ヨードチンキ) の匂いが取れないんですけどね。

2011年04月13日

支援のカタチ 2

ブログ2 009~1

石巻から帰った翌日 3人のお客様(女性)がいらっしゃいました。
先週お電話をいただいていた方で、FAXで地図をお送りしておいたので 迷わず約束の時間どおりに到着されました。
60前後かな? と思われましたが、再生した箪笥を見ていただいている間に用意した お抹茶を
とても喜んでくださって、若い頃習っていたお茶のお稽古の話で盛り上がり キャッキャと少女に戻ったかのように楽しげでした。

特別、直したい箪笥があるというわけでもないようだし、ちょっと興味があって見に来てくださったんだな・・と思っていたら、帰り際 一人の方が  『 この人ね、福島で地震にあって・・  一人暮らしで心配だったから 私達二人で迎えに行って連れてきたのよ 』
『 家は まだ住めるかもしれないけど、そんなのしばらく放っておきなさい! って言ってさ 』
『 少しでも元気が出るように いろんなところを連れまわしてるのよ〜 』
三人は学生時代からの親友で、お一人だけ福島に嫁がれたのだそうです。

何故一人暮らしなのか? お子さんはいないのか?  ということは あえてお聞きしませんでしたが、これから二人でこの方の面倒をみるおつもりなのだということは わかりました。
『 私たち、この人一人を助けることにしたの 』  あっはっはぁ〜 と照れ隠しなのか 素なのか? 豪快に笑うその女性を なんだかカッコイイと思いました。
とても分かり易くて、暖かくて・・  こういうカタチも有りだなぁ〜  と 嬉しくなりました。

支援のカタチは それぞれで、押し付けにならないように、邪魔にならないように、相手の気持ちになって・・ と 考えれば考えるほど難しく思えますが、何が正解ということはないのだと思います。


2011年04月12日

石巻へ

石巻

週末、ありんこ支援隊に同行させていただき 石巻へ行ってきました。
この1ヶ月 毎日被災地の悲惨な映像を見ていたし、実際現地に足を運んでいる友人からも沢山の話を聞いてはいましたが、自分自身が現地に入り その場に立ってみると お腹の底から震えがくるようでした。
石巻市内は道路にも建物にも 津波の大きな爪痕は残っていますが、泥は片付けられ 自衛隊や復旧作業のため全国から入ってきている作業車が多く見られました。

土曜日は牡鹿半島に点在する小さな避難所に支援物資をお届けしたのですが、山道を走り
海が見えてきたな・・ と思うと瓦礫の散乱した漁村がある。
ようやく片付けたと思われるガタガタの道を進み 道が登りになるとまた数キロ続く山道、そして
また同じような瓦礫の街・・  それがずっと続くのです。
半島の各処々にこのような現状があり、その何十倍、何百倍もの被災地が この太平洋沿岸に
広がっているのだと思うと、愕然としてしまうのでした。

長観寺日曜日は北上川河口の十三浜で避難所となっている長観寺へ。
ここでは このお寺以外 全てのものが流され何も残されていませんでした。
街の避難所となっていた施設( ↑ 写真左上) へ逃げ込んだ方は全員亡くなられたそうです。
お寺へ続く道の周りには かつて建っていた家々の基礎部分だけが残り、確かにここに街があったと証明していますが、この瓦礫の中で その姿を想像すると また震えがきました。

ここには沢山のお年寄りの方が避難されていて、この急な階段をどんなふうに逃げ登ったのでしょう?  
『 近所の顔見知りが 流されていって・・ 』  『 次の日、明るくなったら 遺体がいっぱいだったの 』  その日のことを淡々と語る おばあちゃん達の話に マスクの下で歯を食いしばりました。  
そうしていないと涙が溢れてきそうでした。  そんなことが何度もありました。

でも、どの避難所にもリーダーとなる しっかりとした方が居て、皆さんをまとめているのがわかりました。 ご自分達で作った仮設のトイレや ドラム缶を使った五右衛門風呂、洗濯物の干し場 
その生活の場が整然と片付けられゴミなど落ちていないのです。
皆さん疲れてはいるのでしょうが、努めて明るく淡々と この状況を受け止めようとしているように見えます。

現地で被災者の支援をされている方々の明るさ、ご自分達のお家も大変な状況なのに 他の人のために行動しようという強さにも 感心するばかり・・   私が現地に行くことは 何かの役に立つんだろうか? と考えたこともありましたが、何でも、どんな小さな仕事でもやるんだ! という気持ちであれば いくらでもできることはあると思います。

帰ってきて洗濯機を回しながらお風呂に浸かった時、有難いような 申し訳ないような気持ちになり、被災地の方が 一日も早く この普通の生活に戻らなくてはいけないと強く思いました。

2011年04月05日

春は やって来ました。

前回のやすらぎ堤ブログ更新後、今年最初の大波(?)がやって来て、
ホントに忙しい10日間が過ぎていきました。
・・・と言っても、私のレベルでの大忙しなので  他の人から見れば ちょっと忙しい程度なのかも(笑)
なんとかお客様にも友達にも 迷惑をかけることなく仕事が
終わり、ホッとしています。

不思議なもので3月の20日を過ぎた頃から 箪笥の引き取り、直した箪笥の納品を依頼する電話が急に鳴り始めます。
お彼岸を過ぎて少し暖かな日が続くと、ようやく片付けをする
気になるという気持ちは 私自身もよ〜くわかりますけどね。
( これは秋にも言えることで、秋のお彼岸の頃 朝晩少し
 涼しくなると、電話の数が増えるのです )

私は毎年、この時期にバタバタしだすと 『 春が来たなぁ〜 』 『 動き出したなぁ〜 』 と 実感します。  スタートです。

先週行った やすらぎ堤(新潟市)のチューリップも 例年より遅れているようですが、
着実に葉を伸ばしていましたよ。

数日おきに家を空け、昨日戻ってみると クリスマスローズはグッと背を伸ばし、中越地震の後
伐採された椿の枝を拾ってきて挿し木したものが 初めて開花していました。  
植物たちも春の日差しを感じて成長しています。
今年は本当に厳しい冬でしたが それでもちゃんと春はやって来ました。

被災地の方にとっては 今が一番厳しい時だと思いますが、春は必ずやって来ると信じて 
前に進んで欲しいです。  みんなで応援しますから 頑張って欲しいです。

椿クリスマスローズ(白)クリスマスローズ(赤)