おでかけ
2012年10月19日
高田に行ってきました
朝起きたら あまりにも良い天気
だったので、バタバタと用意をして出掛けました。
行こう、行こう・・ と思いながら なかなか行けなかった高田のcafe 『 たびのそら屋 』 さん
ブログで突然 閉店のお知らせがあり オオーw(*゚o゚*)w 今度こそ行かなきゃ! と。

ランチの時間にほぼ一番乗りでしたが、店内は閉店を惜しむ常連客で あっという間にいっぱいになり ゆっくりしていたら申し訳ないようだったので、日頃 自分ではあまり作らないクリーム系の
パスタをいただき、店主Sawaさんと記念撮影(笑)をして・・ 今度はゆっくりねと挨拶をして
早々に失礼しました。
常連さんたちが閉店を惜しむ気持ちは よ〜く分ります、とても居心地の良い場所だし 何よりも
Sawaさんの人柄が 客と店主という関係だけでない大きな輪を作っているのでした。
でも私は 彼女の新しい Start のことの方が 楽しみでなりません。
高田は私が高校3年間暮らした街ですが、近いようで遠い街。
3年ぶりの合宿所 (まだ残っていました ρ゚∩゚ )
この小さな家に18人で暮らしていたなんて・・
すごい3年間でした。
本当にダメダメだった私を叩きのめしてくれた3年間でした(笑)
突然思い立って出掛けたので 心の準備ができていなくて 監督にはご挨拶しないまま帰ってきてしまいましたが(ゴメンナサイ) 3年前には 監督に連れられ(?) この合宿所の中にも足を踏み入れたのです。
昔のまま保存されているこの場所は ご高齢になった監督にとっても 失くしてしまうことのできない場所なんでしょうね。

最後は合宿所からの通学路を辿って高校まで行ってみました。
お堀の蓮は もうすっかり枯れていて、体操着を着た学生たちがお堀の周りを走っていました。
そうだ〜 この時期 体育の授業はマラソンだっけ・・ 嫌いだったな〜 (T_T)
もう30年も前のこと。 あの3年間がなかったら 私の人生はどんなふうだったんだろう?
本当に大変で、本当に大切な3年間だったように思います。
近いうちに、また行かなくちゃ。

行こう、行こう・・ と思いながら なかなか行けなかった高田のcafe 『 たびのそら屋 』 さん
ブログで突然 閉店のお知らせがあり オオーw(*゚o゚*)w 今度こそ行かなきゃ! と。

ランチの時間にほぼ一番乗りでしたが、店内は閉店を惜しむ常連客で あっという間にいっぱいになり ゆっくりしていたら申し訳ないようだったので、日頃 自分ではあまり作らないクリーム系の
パスタをいただき、店主Sawaさんと記念撮影(笑)をして・・ 今度はゆっくりねと挨拶をして
早々に失礼しました。
常連さんたちが閉店を惜しむ気持ちは よ〜く分ります、とても居心地の良い場所だし 何よりも
Sawaさんの人柄が 客と店主という関係だけでない大きな輪を作っているのでした。
でも私は 彼女の新しい Start のことの方が 楽しみでなりません。

3年ぶりの合宿所 (まだ残っていました ρ゚∩゚ )
この小さな家に18人で暮らしていたなんて・・
すごい3年間でした。
本当にダメダメだった私を叩きのめしてくれた3年間でした(笑)
突然思い立って出掛けたので 心の準備ができていなくて 監督にはご挨拶しないまま帰ってきてしまいましたが(ゴメンナサイ) 3年前には 監督に連れられ(?) この合宿所の中にも足を踏み入れたのです。
昔のまま保存されているこの場所は ご高齢になった監督にとっても 失くしてしまうことのできない場所なんでしょうね。

最後は合宿所からの通学路を辿って高校まで行ってみました。
お堀の蓮は もうすっかり枯れていて、体操着を着た学生たちがお堀の周りを走っていました。
そうだ〜 この時期 体育の授業はマラソンだっけ・・ 嫌いだったな〜 (T_T)
もう30年も前のこと。 あの3年間がなかったら 私の人生はどんなふうだったんだろう?
本当に大変で、本当に大切な3年間だったように思います。
近いうちに、また行かなくちゃ。
2011年08月25日
時は流れて〜
久しぶりに 『 着物を沢山収納できる箪笥 』 を作ることになったのは7月初めでした。
月末には納品できるように・・と 仕事を進めましたが、お客様のご都合で納品は1ヶ月伸びて
しまい 一昨日、ようやく東京へ納品に行ってきました。

でも、そのおかげもあって 京都の藍染屋(嬉染居)さんの
スパイラル出店初日に お邪魔することができました。
毎年、この時期に開催される東京出店ですが なかなかタイミングが合わず、最後の打ち上げだけ参加させてもらったことも・・
お客様の邪魔にならないように(?) 立ち話は盛り上がり、
今年の藍甕の状態がイマイチ・・ みたいな話では モノづくりをする人間の日々の苦労や 気持ちの持ち様が痛いほどわかり
良い刺激になりました。

話ばかりしていて写真を撮り忘れたので これは京都のお店
私の働いていた街(青山)は めまぐるしく変化していて 最初に通勤していた20歳の頃から
続いている店も 随分減ってしまい、新しくできたビルも 次に見る時にはテナントがガラリと
入れ替えられていたり、ビルの持ち主が替わってしまうことも 珍しくありません。
戦っているんだな〜 と感じさせられます。
夕方はいつもの焼鳥屋(鳥平)へ・・
ここの開店は午後4時半。 カウンターだけの小さなお店で 7時半頃にはガラスの
ショーケースに詰め込まれた串が完売してしまう。
2年前には 東京出店が終わった嬉染居さんを誘ったこともあったので、彼は 『行きたいなぁ〜』
と悔しがったけれど、8時まで仕事の人を待つわけにはいかない(笑)
三軒茶屋の駅からR246を 狭い歩道に行き交う自転車を避けながら下ると 小さな店に対して
驚く程大きくボロボロの赤提灯が見えてくる。
新潟に帰ってきてからは 年に1〜2度顔を出すのが精一杯だったけど、縄暖簾から少し中を
覗き、店の親父とママさんが揃っているのを確認してから ガラッと勢い良く引き戸を開ける。
『 こんばんわー! 』 『 おぉ フジイ! 』 『 あらフジイさん、いらっしゃーい 』
もう四半世紀も変わらず この挨拶。
お店の蓮向かいに住んでいた頃は 呆れられる程通った。
遅い時間に行くと 『 もう今日は終わり〜 なぁ〜んにもないよ 』
でも私は ショーケースの端っこに 必ず少しだけ肉の欠片が取ってあることを知っている(笑)
それは親父の愛犬のためのものなんだけど・・
ネギ、シイタケ、ししとう等の野菜の串(これがまた美味しい) の残りを全部と ママのぬか漬け
そして 『 コレ! 』 と、その肉を注文する。
『 オマエ〜 うちの犬が痩せちまうよ!! 』 と言いながら その肉をササッと串に刺して
焼き台に乗せながら 刺身用のササミも焙ってくれたりする。
レバー と ウズラ(卵) だけはタレ。 あとは黙っていても塩で焼いてくれる。
そんな 何時行っても変わらないはずの場所が・・
最近は 親父も歳をとってきたので 『 やってるかなぁ? 』 『 やってるよねぇ? 』 と
話しながら歩く。 50m程手前で 赤提灯が点いていて ホッとするのだが・・
『 ねぇ 赤提灯が見えないよ 』 『 えぇ〜? ボロすぎるから外したんじゃない? 』
でも、今回は本当になかった。 赤提灯ばかりでなく、看板も
外され、引き戸もドアに交換されていた。
引き戸の横にあった小さな窓に 閉店を知らせる張り紙だけが
あり、私達はしばらく そこから動けなかった。
私が新潟で新しい生活を始めてから 親父は
『 俺もカラダが動くうちに店閉めて、田舎で犬と暮らしたいよ 』 と言っていたので、いつかは店がなくなるのだとは思っていたけど こんな風に終わりを知るとは・・
親父の自宅連絡先は 家に置いてある大きな住所録でしかわからないので 私達はうな垂れながら三軒茶屋まで戻り、友達が行ってみたいと言っていた別の焼鳥屋に入った。
さすがに友達が気になっていた店だけあって、入っていくのを躊躇してしまうほど個性の強い
その店は 常連客で溢れかえり、私達が上げられた(そこしか空いてなかった)小上がりは
超常連の場所らしく 小さなテーブルで バッグを膝の上に乗せたまま飲んでいる他の客達が
チラチラと私達を見た。
そんな店には その店の注文の仕方ってものがあるものだけど、私達には分からない。
生ビールは置いてないようなので とりあえず瓶ビールを注文し 次に壁に貼られた焼きネタを
どんどん頼んだ。 愛想笑いを全くしない店のお兄さんが 『20本ですよ!』 と聞き返した。
一人10本(10種類)・・ 何故聞き返したの? とばかりに 『 はい、後はまた頼みますので 』
『 鳥平 閉店 』 のショックを引きずりながら しばらく店の様子を観察し お通しに出された
大根と人参をポリポリやりながらビールを飲んだ。
20分くらい経った時、銀メッキの楕円皿に山盛りにされた串が 目の前に置かれ、狭いテーブル席の客達が 『 おおぉ〜 』 と声を上げ 私達のテーブルは注目された。
『 一度に出てくるんだね・・ 』 と小さな声で確認しあい(笑) 周りの視線を振り払うように串に
手を伸ばした。 ( 鳥平では お客の食べるペースを見ながら 順番に焼いてくれるので・・ )
同じ小上がりに居た超常連であろう叔父さんたちに 『 すごいね 』 と言われたが、ニッコリ
笑って 『 美味しいですね 』 と言った。 ホントに美味しかった。
鳥平とは違う焼き方、違う雰囲気、違う美味しさだった。
私達の生活は変わらないようでいて 確実に変化しているもので・・ 特に私なんかは ある時
突然バキッと方向を変えてしまったりするので 他人のそれをどちらかと言えば 楽しんで見ている方なのだが、今回はかなりショックだった。
なんだか自分が新潟へ帰ってきた時のことも思い返したりもした。
引っ越してしまってから連絡をした友達も多かったなぁ〜 と。
ネット検索してみて ある方のブログから 鳥平の閉店が4月半ばだったことや、親父が今も
元気で 二代目愛犬(黒ラブ) と 黒いランクルを大切にしていること、
『 店を そっと終わらせたかった 』 ということ等が分かった。
時間と共に 親父の第三の人生(第二が焼鳥屋への転身だったから)が どんな風か?
少し楽しみにもなってきた。
最後の数年は目を悪くして お店を娘さんに任せていたママさんをランクルに乗せて、
もちろん愛犬も連れて・・ 新潟へ遊びに来ないかと誘ってみようと思う。
なんだか 全くまとまらなくなってしまいましたが、この他にもイロイロと・・
時間が経過したことを痛感した3日間でした。
私も次の自分を楽しみに、進んでいきたいと思います。
月末には納品できるように・・と 仕事を進めましたが、お客様のご都合で納品は1ヶ月伸びて
しまい 一昨日、ようやく東京へ納品に行ってきました。

でも、そのおかげもあって 京都の藍染屋(嬉染居)さんの
スパイラル出店初日に お邪魔することができました。
毎年、この時期に開催される東京出店ですが なかなかタイミングが合わず、最後の打ち上げだけ参加させてもらったことも・・
お客様の邪魔にならないように(?) 立ち話は盛り上がり、
今年の藍甕の状態がイマイチ・・ みたいな話では モノづくりをする人間の日々の苦労や 気持ちの持ち様が痛いほどわかり
良い刺激になりました。

話ばかりしていて写真を撮り忘れたので これは京都のお店
私の働いていた街(青山)は めまぐるしく変化していて 最初に通勤していた20歳の頃から
続いている店も 随分減ってしまい、新しくできたビルも 次に見る時にはテナントがガラリと
入れ替えられていたり、ビルの持ち主が替わってしまうことも 珍しくありません。
戦っているんだな〜 と感じさせられます。
夕方はいつもの焼鳥屋(鳥平)へ・・
ここの開店は午後4時半。 カウンターだけの小さなお店で 7時半頃にはガラスの
ショーケースに詰め込まれた串が完売してしまう。
2年前には 東京出店が終わった嬉染居さんを誘ったこともあったので、彼は 『行きたいなぁ〜』
と悔しがったけれど、8時まで仕事の人を待つわけにはいかない(笑)
三軒茶屋の駅からR246を 狭い歩道に行き交う自転車を避けながら下ると 小さな店に対して
驚く程大きくボロボロの赤提灯が見えてくる。
新潟に帰ってきてからは 年に1〜2度顔を出すのが精一杯だったけど、縄暖簾から少し中を
覗き、店の親父とママさんが揃っているのを確認してから ガラッと勢い良く引き戸を開ける。
『 こんばんわー! 』 『 おぉ フジイ! 』 『 あらフジイさん、いらっしゃーい 』
もう四半世紀も変わらず この挨拶。
お店の蓮向かいに住んでいた頃は 呆れられる程通った。
遅い時間に行くと 『 もう今日は終わり〜 なぁ〜んにもないよ 』
でも私は ショーケースの端っこに 必ず少しだけ肉の欠片が取ってあることを知っている(笑)
それは親父の愛犬のためのものなんだけど・・
ネギ、シイタケ、ししとう等の野菜の串(これがまた美味しい) の残りを全部と ママのぬか漬け
そして 『 コレ! 』 と、その肉を注文する。
『 オマエ〜 うちの犬が痩せちまうよ!! 』 と言いながら その肉をササッと串に刺して
焼き台に乗せながら 刺身用のササミも焙ってくれたりする。
レバー と ウズラ(卵) だけはタレ。 あとは黙っていても塩で焼いてくれる。
そんな 何時行っても変わらないはずの場所が・・
最近は 親父も歳をとってきたので 『 やってるかなぁ? 』 『 やってるよねぇ? 』 と
話しながら歩く。 50m程手前で 赤提灯が点いていて ホッとするのだが・・
『 ねぇ 赤提灯が見えないよ 』 『 えぇ〜? ボロすぎるから外したんじゃない? 』

外され、引き戸もドアに交換されていた。
引き戸の横にあった小さな窓に 閉店を知らせる張り紙だけが
あり、私達はしばらく そこから動けなかった。
私が新潟で新しい生活を始めてから 親父は
『 俺もカラダが動くうちに店閉めて、田舎で犬と暮らしたいよ 』 と言っていたので、いつかは店がなくなるのだとは思っていたけど こんな風に終わりを知るとは・・
親父の自宅連絡先は 家に置いてある大きな住所録でしかわからないので 私達はうな垂れながら三軒茶屋まで戻り、友達が行ってみたいと言っていた別の焼鳥屋に入った。
さすがに友達が気になっていた店だけあって、入っていくのを躊躇してしまうほど個性の強い
その店は 常連客で溢れかえり、私達が上げられた(そこしか空いてなかった)小上がりは
超常連の場所らしく 小さなテーブルで バッグを膝の上に乗せたまま飲んでいる他の客達が
チラチラと私達を見た。
そんな店には その店の注文の仕方ってものがあるものだけど、私達には分からない。
生ビールは置いてないようなので とりあえず瓶ビールを注文し 次に壁に貼られた焼きネタを
どんどん頼んだ。 愛想笑いを全くしない店のお兄さんが 『20本ですよ!』 と聞き返した。
一人10本(10種類)・・ 何故聞き返したの? とばかりに 『 はい、後はまた頼みますので 』
『 鳥平 閉店 』 のショックを引きずりながら しばらく店の様子を観察し お通しに出された
大根と人参をポリポリやりながらビールを飲んだ。
20分くらい経った時、銀メッキの楕円皿に山盛りにされた串が 目の前に置かれ、狭いテーブル席の客達が 『 おおぉ〜 』 と声を上げ 私達のテーブルは注目された。
『 一度に出てくるんだね・・ 』 と小さな声で確認しあい(笑) 周りの視線を振り払うように串に
手を伸ばした。 ( 鳥平では お客の食べるペースを見ながら 順番に焼いてくれるので・・ )
同じ小上がりに居た超常連であろう叔父さんたちに 『 すごいね 』 と言われたが、ニッコリ
笑って 『 美味しいですね 』 と言った。 ホントに美味しかった。
鳥平とは違う焼き方、違う雰囲気、違う美味しさだった。
私達の生活は変わらないようでいて 確実に変化しているもので・・ 特に私なんかは ある時
突然バキッと方向を変えてしまったりするので 他人のそれをどちらかと言えば 楽しんで見ている方なのだが、今回はかなりショックだった。
なんだか自分が新潟へ帰ってきた時のことも思い返したりもした。
引っ越してしまってから連絡をした友達も多かったなぁ〜 と。
ネット検索してみて ある方のブログから 鳥平の閉店が4月半ばだったことや、親父が今も
元気で 二代目愛犬(黒ラブ) と 黒いランクルを大切にしていること、
『 店を そっと終わらせたかった 』 ということ等が分かった。
時間と共に 親父の第三の人生(第二が焼鳥屋への転身だったから)が どんな風か?
少し楽しみにもなってきた。
最後の数年は目を悪くして お店を娘さんに任せていたママさんをランクルに乗せて、
もちろん愛犬も連れて・・ 新潟へ遊びに来ないかと誘ってみようと思う。
なんだか 全くまとまらなくなってしまいましたが、この他にもイロイロと・・
時間が経過したことを痛感した3日間でした。
私も次の自分を楽しみに、進んでいきたいと思います。
2011年06月06日
新緑の三俣へ

だけど、来られる? 』 の電話。
三俣の四季を描く会 の皆さんがいらっしゃるということで、
私も今まで出来るだけ参加していたのですが 今回はすっかり忘れていました

レイクサイドロッヂは 冬のスキーはもちろん、春スキー、
山菜取り、山登り、沢登り、テニス、釣り・・ etc.
お客さんがやりたい! という遊びは何でも来い(?) の
楽しく過激

久々に九十九里からやってきた

日曜日・・ 午前中スケッチに出掛け、昼に山菜ピザを食べ、絵を仕上げ、野点を楽しみ、
絵の発表会をして・・ と大忙し

ここの過激なスケジュールにも慣れたものです(笑)

いたら 『 雲行きが怪しいから すぐお茶始めるよ〜! 』 と
言われ、焦って着替えました。
バタバタと始まったお茶会ごっこは 大自然の中 風に吹かれ ながら、ホントに楽しく和やかでした。
意外だったのは 結構みなさんから質問が出ること。
「喋っててイイの?」 「お菓子はいつたべるの?」
「シャカシャカするまで 前置きが長いね〜」
そしてお決まりの 「何回まわして飲むの?」
やっぱり お抹茶というだけで堅苦しいイメージがあるんですね。
楽にしてもらって 自由にお茶を飲んでもらうと みなさん 『美味しい!』 という感想。
それが一番なんですよね。 堅苦しいお茶ではなくて、楽しいお茶会ごっこは LakeSide の
遊びのひとつです。
夏の開催が決定した 第2回 勝手に Garden! でも やりたいね〜 なんて声が聞こえましたが、それは遠慮したいと思った私でした

LakeSide Lodge では、これからも楽しいスケジュールがめじろ押しです。
興味のある方は是非、お問い合わせの上 参加してみてください。
2010年11月18日
秋のドライブ

クラフト展などでお会いしてはいましたが 工房にお邪魔するのは本当に久しぶりで・・
おおぉ〜〜! Σ(・ω・ノ)ノ 薪ストーブが新しくなってる!
『 どうしたんですかぁ〜? 』 ( って失礼な発言 )
『 いやぁ 貰ったんさぁ 』 ( やっぱり )
昨日は暖かくてストーブを焚く程ではなかったのですが、
やっぱり火を見ながらいただくコーヒーは格別でした。
モノ作りをする人の工房にお邪魔する楽しみは
新顔に出会う刺激です。

きていて、野鳥の餌場や 巣箱が六つも・・
庭(以前はただの原っぱだった) には 沢山の山野草。
そして ベランダに寄り添うように 程良く枝を伸ばす木々。

津南はこれから ものすごい凄い雪に覆われるわけですが
来春が楽しみです・・ 5月くらいかなぁ?
昨日は寄るところが多かったので 左助は留守番


だったのですが、散歩の時間が気になります。
この季節、5時・・というと もう真っ暗。
4時半くらいには 家に着きたいから〜 3時には御暇しようと思っていたのですが・・

キャー急がなくちゃ〜! と帰路につきましたが、
どうにもならない一本道 R117 ( ̄‥ ̄)=3
いつにも増してトロットロだなぁ〜


誰も乗らないし 降りないから 停留所でも抜けず・・
イライラしてもしょうがないので CDと共に熱唱(笑)
津南の紅葉は もう終わりに近付いてきていて 茶の中に
モミジの赤、黄色・・
足元の大きなホウの葉を踏むと サクッと大きな音がしました。
いろんな意味で 良い気分転換になった1日でした (^_^)

2010年09月30日
2010年05月26日
苦あれば楽あり
2年前の5月に亡くなったレイクサイドロッヂのオーナー ゴリさん。
先週末、3回忌の法要を兼ねたケルン祭に行ってきました。
( ↓ ゴリさんを偲ぶケルン )
先週の私は・・と言えば
来シーズンの薪づくりと この夏の我が家の食料源となる
畑づくり で大忙し。
チェーンソー → 薪割り機 → 耕運機 とエンジンをかける右肩が筋肉痛になり、腰が悲鳴をあげ・・
本当にキツイ1週間でした。
こんな時は食べるもので精をつけて
と言いたいところですが、この時季 田舎ではタケノコと山菜が飛び交い(笑)
食べても食べても終わらない程いただくのです。
少しずつなら有難いものの、こうも続くと拷問に近いかんじ
「肉が食いたい〜」 と久々に思いました。
そんな状況も何とか乗り切り、金曜の夜から三俣へ。
いつものことながら ここにはお客さんが持ってきてくれる美味しいスウィーツがテーブルの上に
テンコ盛り
美味しいコーヒー・・ いつものメンバーとの話に花が咲きます。
11時、12時 と仕事を終わらせた常連客がクルマで到着・・ 随分久しぶりの懐かしい顔にも
会えて 大盛り上がり。 気が付くと深夜3時
慌ててお風呂に入る者、お風呂はパスして布団に潜り込む者、まだまだ飲む者 とイロイロ(笑)
土曜日
メインは夜のバーべキューなので、いつもの大忙しとは違い スタッフの半分はお客様も巻き込んで(こちらも)畑づくり。
厨房に残ったスタッフは昼と夜の準備と、デザートづくり。
特に今回はパティシエ修行中の桃ちゃんが 本格的に腕を振るいます。
クロカンブッシュと仏壇・・ なんだか変な取り合わせですが、外でのバーべキューの後 戻ってきた女性&お子ちゃま達は ここに群がります。
(実際は 酒を片手のオジサン達も群がっていましたが
)
みんな甘いモノも辛いモノも ごちゃ混ぜで ホントに楽しそう。
あぁ〜〜 キツかった1週間の後には こんなに楽しいことが待っていたのね〜。
ゴリさんの姿は消えてしまったけど、ゴリさんをダシに何かと集まるこのファミリーは
みんなにとって 掛けがえのないものなのですね。
次は何回忌? とか関係なく 第3回ケルン祭はもう決まっています
先週末、3回忌の法要を兼ねたケルン祭に行ってきました。
( ↓ ゴリさんを偲ぶケルン )

来シーズンの薪づくりと この夏の我が家の食料源となる
畑づくり で大忙し。
チェーンソー → 薪割り機 → 耕運機 とエンジンをかける右肩が筋肉痛になり、腰が悲鳴をあげ・・
本当にキツイ1週間でした。
こんな時は食べるもので精をつけて

食べても食べても終わらない程いただくのです。
少しずつなら有難いものの、こうも続くと拷問に近いかんじ

「肉が食いたい〜」 と久々に思いました。
そんな状況も何とか乗り切り、金曜の夜から三俣へ。
いつものことながら ここにはお客さんが持ってきてくれる美味しいスウィーツがテーブルの上に
テンコ盛り

11時、12時 と仕事を終わらせた常連客がクルマで到着・・ 随分久しぶりの懐かしい顔にも
会えて 大盛り上がり。 気が付くと深夜3時

慌ててお風呂に入る者、お風呂はパスして布団に潜り込む者、まだまだ飲む者 とイロイロ(笑)
土曜日

厨房に残ったスタッフは昼と夜の準備と、デザートづくり。
特に今回はパティシエ修行中の桃ちゃんが 本格的に腕を振るいます。
クロカンブッシュと仏壇・・ なんだか変な取り合わせですが、外でのバーべキューの後 戻ってきた女性&お子ちゃま達は ここに群がります。
(実際は 酒を片手のオジサン達も群がっていましたが

みんな甘いモノも辛いモノも ごちゃ混ぜで ホントに楽しそう。
あぁ〜〜 キツかった1週間の後には こんなに楽しいことが待っていたのね〜。
ゴリさんの姿は消えてしまったけど、ゴリさんをダシに何かと集まるこのファミリーは
みんなにとって 掛けがえのないものなのですね。
次は何回忌? とか関係なく 第3回ケルン祭はもう決まっています

2009年10月23日
紅葉始まってます

出掛けました。 行き先は三俣


朝はかなり冷え込みましたが、太陽が昇るにつれて気温も
上がり、気持の良いドライブでしたよ。
クルマの多いバイパスを避け、山沿いの道を行くと 青空に
色付き始めた木々が浮かび上がります。
湯沢に近付くと赤い木がポツポツと目立つようになり、
R17を登っていくと 紅葉は更に進んでいました。
三俣の紅葉の見ごろは もう少し先でしょうか?
でも、今年は赤が鮮やかで 本当にキレイでした。
ここのところバタバタ忙しかったので、今日はとても良い気分転換になった一日でした。
年末までの仕事量を考えると オオーw(*゚o゚*)w

頑張れそうな気がしています

2006年11月30日
2006年02月15日
津南に行ってきました。

週末はまた

津南のモリクラフト(木彫作家・山田和雄さんの工房です)に
寒中見舞いに行ってきました。
津南までの国道117号はしっかり除雪され、問題ナシ!
津南に入り『松之山温泉入り口』の看板を右折・・・
ここから雪の壁がグッと高くなり、モリクラフトの入り口は
その前に来るまで全く見えず。
「入っていけるのかなあ?」と徐行しながら覗き込むと・・

入っていくのが怖いくらいでした)

(工房は完全に雪に埋もれていました)
津南もここ2日間 積雪はなく、毎朝6時からの雪掻きもお休みできたそうです。 でも、この工房前の坂道を山田さん一人で除雪してるんだからスゴイ! 坂道の下にクルマを停めて腰くらいまで積もった雪を掻き分けながら歩いて登ってきて、工房に置いてある除雪機を出動させるんだって。
一日中降り続いている日は、帰りにも除雪しないと下りていけないって・・ 聞いてるだけで 溜息が出ます。 津南で生まれ育った山田さんですが、「年々カラダがキツイ」と言ってました。
年齢的なところは私も身にしみておりまする

早く春がくるとイイね〜 山田さん
