東日本大震災
2011年04月13日
支援のカタチ 2
石巻から帰った翌日 3人のお客様(女性)がいらっしゃいました。
先週お電話をいただいていた方で、FAXで地図をお送りしておいたので 迷わず約束の時間どおりに到着されました。
60前後かな? と思われましたが、再生した箪笥を見ていただいている間に用意した お抹茶を
とても喜んでくださって、若い頃習っていたお茶のお稽古の話で盛り上がり キャッキャと少女に戻ったかのように楽しげでした。
特別、直したい箪笥があるというわけでもないようだし、ちょっと興味があって見に来てくださったんだな・・と思っていたら、帰り際 一人の方が 『 この人ね、福島で地震にあって・・ 一人暮らしで心配だったから 私達二人で迎えに行って連れてきたのよ 』
『 家は まだ住めるかもしれないけど、そんなのしばらく放っておきなさい! って言ってさ 』
『 少しでも元気が出るように いろんなところを連れまわしてるのよ〜 』
三人は学生時代からの親友で、お一人だけ福島に嫁がれたのだそうです。
何故一人暮らしなのか? お子さんはいないのか? ということは あえてお聞きしませんでしたが、これから二人でこの方の面倒をみるおつもりなのだということは わかりました。
『 私たち、この人一人を助けることにしたの 』 あっはっはぁ〜 と照れ隠しなのか 素なのか? 豪快に笑うその女性を なんだかカッコイイと思いました。
とても分かり易くて、暖かくて・・ こういうカタチも有りだなぁ〜 と 嬉しくなりました。
支援のカタチは それぞれで、押し付けにならないように、邪魔にならないように、相手の気持ちになって・・ と 考えれば考えるほど難しく思えますが、何が正解ということはないのだと思います。
2011年04月12日
石巻へ
週末、ありんこ支援隊に同行させていただき 石巻へ行ってきました。
この1ヶ月 毎日被災地の悲惨な映像を見ていたし、実際現地に足を運んでいる友人からも沢山の話を聞いてはいましたが、自分自身が現地に入り その場に立ってみると お腹の底から震えがくるようでした。
石巻市内は道路にも建物にも 津波の大きな爪痕は残っていますが、泥は片付けられ 自衛隊や復旧作業のため全国から入ってきている作業車が多く見られました。
土曜日は牡鹿半島に点在する小さな避難所に支援物資をお届けしたのですが、山道を走り
海が見えてきたな・・ と思うと瓦礫の散乱した漁村がある。
ようやく片付けたと思われるガタガタの道を進み 道が登りになるとまた数キロ続く山道、そして
また同じような瓦礫の街・・ それがずっと続くのです。
半島の各処々にこのような現状があり、その何十倍、何百倍もの被災地が この太平洋沿岸に
広がっているのだと思うと、愕然としてしまうのでした。

ここでは このお寺以外 全てのものが流され何も残されていませんでした。
街の避難所となっていた施設( ↑ 写真左上) へ逃げ込んだ方は全員亡くなられたそうです。
お寺へ続く道の周りには かつて建っていた家々の基礎部分だけが残り、確かにここに街があったと証明していますが、この瓦礫の中で その姿を想像すると また震えがきました。
ここには沢山のお年寄りの方が避難されていて、この急な階段をどんなふうに逃げ登ったのでしょう?
『 近所の顔見知りが 流されていって・・ 』 『 次の日、明るくなったら 遺体がいっぱいだったの 』 その日のことを淡々と語る おばあちゃん達の話に マスクの下で歯を食いしばりました。
そうしていないと涙が溢れてきそうでした。 そんなことが何度もありました。
でも、どの避難所にもリーダーとなる しっかりとした方が居て、皆さんをまとめているのがわかりました。 ご自分達で作った仮設のトイレや ドラム缶を使った五右衛門風呂、洗濯物の干し場
その生活の場が整然と片付けられゴミなど落ちていないのです。
皆さん疲れてはいるのでしょうが、努めて明るく淡々と この状況を受け止めようとしているように見えます。
現地で被災者の支援をされている方々の明るさ、ご自分達のお家も大変な状況なのに 他の人のために行動しようという強さにも 感心するばかり・・ 私が現地に行くことは 何かの役に立つんだろうか? と考えたこともありましたが、何でも、どんな小さな仕事でもやるんだ! という気持ちであれば いくらでもできることはあると思います。
帰ってきて洗濯機を回しながらお風呂に浸かった時、有難いような 申し訳ないような気持ちになり、被災地の方が 一日も早く この普通の生活に戻らなくてはいけないと強く思いました。
2011年03月25日
支援のカタチ

今日、ある会議に参加してきました。
会議の内容は全く別のことでしたが、予定されていた時間の何割かは この度の震災について。
そして現在 福島から避難されてきている方たちの 受入れ体勢についての説明がありました。
教育委員会に対して 国からは約2週間後に迫った新学期に 避難してきた子供達をしっかり
受け入れるように! と 強い通達があったようです。
でも、これから先どうなっていくのかわからず不安な被災者の方に
「 どうする? 何処の学校に行く? 」 と 急きたてるようなことは言えない。
『 長岡市の教育委員会としては 万全の体制で 何時からでも受け入れられるように用意を
進めますが、1週間遅れでも 2週間遅れでも・・ 5月からでも、柔軟に対処します。
こちらに合わせてもらうのではなく 私達が要望に添うように合わせていく努力をします。
他の市がどうであれ、長岡市としては その気持ちで動いていきます 』
・・・ と 言い切ってくれました。
当然のことなのですが、少し ホッ としました。
支える側のカタチとしては そうあるべきだと思いました。
でも、帰りの車の中で 『 ホントだろうな! 』 『 絶対そうしろよ! 』 と
思ったりもしたんですけどね (泣)
2011年03月17日
過剰な反応

2月はあんなに暖かかったのに・・ よりによって こんな時に寒波がやってきてしまいました。
暖房をしていても いつもより室温は上がらない・・ すぐに口から 『さぶっ』 と声がでますが、
今は避難所のことを考えます。
小さな子供も 高齢の方も 殆ど暖房のないところで 毛布を被って耐えています。
いつもの室温まで上げるのではなく、ここで少し我慢をしましょう。
できるだけ皆で同じ部屋にいましょう。
これは 日頃の生活を見直す良い機会だと思います。
東北電力でも計画停電が予定されていますが、2日目の今日も回避が決まりました。
こうして皆が少しずつ節電すれば、大きな差が出てくるのだから、この少しの我慢を
極々普通のこと思えるようになれば 良いと思うのですが・・
スーパーに行くと 電池・トイレットペーパー・カップラーメン・パン・米・・と 売り場の棚が
空になっていて驚きました。
今、私達が買いだめまでする必要があるんですか? と聞きたくなります。
普通の生活ができているじゃないですか! あ〜〜 なんだか情けない!
情報は不安を煽るようなことこもありますが、沢山の情報の中から自分なりに判断する力を
持ちたいものです。
過剰に反応して 被害のないところでまでパニックを起こすなんて 一番愚かなことです。
一方ではコンビニの義援金BOX に、沢山の募金が集まっているという話も聞きますが
買いだめをした釣銭を募金する・・ みたいな人はいませんか?
自分の行動を良く見直して 冷静に対処していきたいものですね。
自分達が・・ 自分の家族が被災したと考えれば、どうするべきかが見えてくると思います。
2011年03月15日
持続しよう!
11日の震災から4日が経ち、その被害の大きさと共に犠牲者の数に驚くばかりです。
自分になにができるか? どんなことが役に立つのか? と考えていますが、節電も義援金も 私にできることは本当に小さなことです。
でも、この復興は長丁場です。
今すぐにできることは小さくても、この気持ちを継続することで・・
小さな支援を続けることで、違ってくると思うのです。
私はカード決済で募金をしましたが、いつも使っているカードのポイントも 募金にかえられます。
恥ずかしいくらい微々たるものですが、なんとなく貯まっていたポイント・・
こんな時こそ使いましょう。
また少し余裕ができたら いつでも、どんなカタチでも 支援する方法はあると思います。
12日の早朝には長野県北部を震源とする震度6の地震も起きたこともあり、沢山の友達から
励ましの電話・メールをいただきました。 本当にありがとうございました。
今回の地震では 私の住む街では大きな被害はなく、余震も殆どカラダに感じない程度のもの
しかありません。
メディアでは あまり伝えられていませんが、震源地に近い新潟県十日町市、津南町、長野県
栄村では かなりの被害を受けていて、避難生活をされている方もいらっしゃいます。
2004年の中越地震も経験されている方たちなので、なんとか自分達のチカラで・・ と頑張って
いらっしゃいます。
こちらは比較的メールも電話も繋がりやすいと思いますので
お知り合いの方が居るという方は 是非、励ましの声を掛けて
欲しいと思います。
『心配してくれている人がいる』 というだけで、『忘れられて
いない』 というだけで、どれ程大きなチカラになるか。
私自身も何度も経験したことです。
携帯のエリアメールは 日に何度も警報音を発しますが、
大きな揺れはこないことが多く 最初の頃の緊張感がなくなって
きています。(これがイケナイんですよね)
左助だけが 生真面目に机や椅子の下に非難しています。
自分になにができるか? どんなことが役に立つのか? と考えていますが、節電も義援金も 私にできることは本当に小さなことです。
でも、この復興は長丁場です。
今すぐにできることは小さくても、この気持ちを継続することで・・
小さな支援を続けることで、違ってくると思うのです。
私はカード決済で募金をしましたが、いつも使っているカードのポイントも 募金にかえられます。
恥ずかしいくらい微々たるものですが、なんとなく貯まっていたポイント・・
こんな時こそ使いましょう。
また少し余裕ができたら いつでも、どんなカタチでも 支援する方法はあると思います。
12日の早朝には長野県北部を震源とする震度6の地震も起きたこともあり、沢山の友達から
励ましの電話・メールをいただきました。 本当にありがとうございました。
今回の地震では 私の住む街では大きな被害はなく、余震も殆どカラダに感じない程度のもの
しかありません。
メディアでは あまり伝えられていませんが、震源地に近い新潟県十日町市、津南町、長野県
栄村では かなりの被害を受けていて、避難生活をされている方もいらっしゃいます。
2004年の中越地震も経験されている方たちなので、なんとか自分達のチカラで・・ と頑張って
いらっしゃいます。

お知り合いの方が居るという方は 是非、励ましの声を掛けて
欲しいと思います。
『心配してくれている人がいる』 というだけで、『忘れられて
いない』 というだけで、どれ程大きなチカラになるか。
私自身も何度も経験したことです。
携帯のエリアメールは 日に何度も警報音を発しますが、
大きな揺れはこないことが多く 最初の頃の緊張感がなくなって
きています。(これがイケナイんですよね)
左助だけが 生真面目に机や椅子の下に非難しています。
2011年03月12日
心配つづく・・

その後も度重なる余震、そして大津波が続いています。
時間を追うごとに 想像を超える甚大な被害が確認されて
テレビのニュースでは目を疑いたくなるような現場の映像が
流れ続けています。
地震の多いこの国では 巨大地震が常に心配されていましたが、言われていたことが実際に 予測されていたより大きな
被害をもたらしていることに ショックを受けています。
たった今、連絡のとれなかった親戚家族が皆無事だと連絡が
あり ひとまず安心しましたが、気持ちは晴れません。
自分の知り合いが みんな無事だと分かっても、この重たい
気持ちは晴れることはないと思います。