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2017.11.2 本エントリーを加筆修正しました



ogerman
クラウス・オガーマン[Claus Ogerman]
(アレンジャー/作曲家 )

惜しくも2016年に亡くなった名匠。もしかしたら、ソウルミュージックを中心に愛聴される方にはあまり馴染みのない名前かも知れません。ましてやサム・クックとは程遠いイメージでしょう。
しかし、彼の偉業はジャズ/フュージョン/ボサ・ノヴァに留まらず、ポップスヒットディープソウルにまで及ぶ事は実はあまり語られてはいません。

おそらく、ジャズボサ・ノヴァといった音楽をお聞きになる方には瑞々しくも美しいアレンジの虜になってしまった方もおられるかと思います。本邦でもジャズ/フュージョン/和モノGrooveそしてルパン三世やその他テレビ番組の音楽で知られる大野雄二氏が敬愛する存在だと聞きます。


 
 

Astrud Gilberto / Fly Me To The Moon (1965)

ワタクシにとってのオガーマンというと「アメリカで大流行したボサ・ノヴァ」の世界観を盛り立てた重要な一人というイメージがあります。

ボサ・ノヴァのアイコンといった感のあるアストラッド・ジルベルト。ブラジルの曲ではない素材をブラジル流儀で演奏するというのもある種象徴的ですね。オガーマンによる清廉で美しいストリングス、有機質なギターやピアノの音色に寄り添いながら華を添える管楽器。ただただ美しい音楽だなぁと感じさせるアレンジや演奏ですね。
他にも複数のジョビン作品ジョアン・ジルベルト作品シナトラ&ジョビンのコラボレート盤で二人を繋ぐようににオガーマンはボサ・ノヴァ系の仕事を行なっています。
ブラジル音楽ルーツ論は門外漢ゆえにさておき、アメリカの大衆音楽史において5〜60年代から大流行することとなったボサ・ノヴァの背景にオガーマンの仕事が浮かび上がってきます。






ジャズ界での仕事

しかし、以前に彼にはそれ以上の歴史的名盤での仕事があります。
ジャズ界隈において50年代から活躍していたオガーマンにとって、極めて重要な仕事の一つは、やはりビリー・ホリデイの超名盤「レイディ・イン・サテン」ではないでしょうか。

Billie Holiday / I'm A Fool To Want You (1958)


ホリデイ晩年の録音。彼女の過酷な人生が刻み込まれた歌声とは逆に、あまりにも美しいオーケストラ・アレンジが、かえって深い情感を浮き彫りにします。。涙無くして聴く事のできない一曲ですね。。
レイ・エリスのオーケストラとレイ自身による指揮、そして(当時はクレジットに記載されてないが)アレンジを担当したオガーマンによる歴史的名作ですね。。



George Benson / Breezin' (1976)
 
そして70年代。AORファンにも名高いジョージ・ベンソンの大ヒット作「ブリージン」。表題曲はボビー・ウォマック作ガボール・ザボ初演として知られています。ベンソン版のこの爽やかで印象的なイントロ、そしてアルバムを通してのアレンジもまたオガーマンの素晴らしい仕事ですね。

この「ブリージン」の成功によるものか、同年にオガーマンの美しいリーダー作「夢の窓辺に」が録音されました。ギタリストとしてベンソンも参加しています。



Micheal Franks / Antonio's Song ( The Rainbow) (1977)
 

さらにその翌年にはAOR名盤マイケル・フランクスの「Sleeping Gypsy」のアレンジ。と、オガーマンにとってはノリにノっていた時代なのかも知れませんね。曲は日本でも大変人気の高い「アントニオの歌」。アントニオはもちろんアントニオ・カルロス・ジョビンの事ですね。

ジャズ界隈の仕事に戻りますと、時代は前後しますがファンキー・オルガンのジミー・スミス作品、またビル・エヴァンスのウィズ・オーケストラ名品を手がけたオガーマン。後のマイケル・ブレッカー「シティスケイプ」等もまた名匠オガーマンの素晴らしい仕事として名高いかと思います。
そして次はヒットチャートにおけるオガーマンの仕事について。


 


ヒットチャートでの仕事

オガーマンのジャズやボサ・ノヴァでの功績はともかく、意外に語られる事のない60年代のヒットチャートでのオガーマンの功績について紹介したいと思います。

Lesley Gore / It's My Party (1963)

レスリー・ゴーア。彼女の名を知らずともこの曲を耳にした事がある方も多いかと思われます。
この「涙のバースデイ・パーティ」はまだティーンエイジだった彼女のデビュー曲にしてPOP1位R&B1位という逆クロスオーヴァーヒット。日本でもオールディーズ定番曲として、また当時から知る方も多かった事でしょう。
この曲はクインシー・ジョーンズがはじめて1位をとったプロデュース作品であり、何よりも取り仕切ったクラウス・オガーマンによるアレンジや指揮が大きく貢献した作品といえます。



Solomon Burke / Cry To Me (1962)

ディープな歌声に強めのビート、華やかなアレンジ。R&B5位となったソロモン・バークの初期代表作としてソウルファン、殊更ディープソウルファンには周知の大ヒットですね。バート・バーンズ制作のこの名曲をアレンジ・指揮したのも実はオガーマンでした。

他にもベン・E・キングドリフターズリトル・エヴァジーン・ピットニー等、R&B〜ロックンロールといった若者向けポピュラーミュージックのアレンジにいくつも関わっていました。

そして60年代当時は自身の名義でも若者向けと思しきダンサブルなレコードを何枚も残しています。
 

 
Claus Ogerman and His Orchestra / It's Not Unusual(1965)


ご存知トム・ジョーンズの名曲のカバー。美しいアレンジの名匠としてのイメージとは全く異なる楽しいオガーマンの一面が見えて面白いですね。これらはあくまで氷山の一角に過ぎませんが、オガーマンの偉業を垣間みることができましたら幸いです。







サム・クックとオガーマンの謎

さて、問題のサム・クックとオガーマンの謎について。2016年に惜しむらく亡くなったオガーマンですが、彼の死後すぐにこんなアルバムがひっそりと配信のみでリリースされていました。。。


Claus Ogerman / Shake (1966)




なんと!サム・クックのトリビュート・アルバムがありました!
タイトルは「A Salute To Sam Cooke」(サムへ敬礼)となっています。アルバムはサムのレパートリー12曲から構成されておりますが、何のインフォもなく唐突にリリースされているので全く背景はわかりません。。オリジナルリリースは1966年とありますが、そんなアルバムがリリースされた形跡はなく、おそらく66年録音ながらも未発表作品という事でしょう。
タイトルは当時決められたものかは不明ですが、当時のスター達によりキング牧師へ捧げられた企画盤「The Stars Salute Dr. Martin Luther King」(65)をワタクシは想起してしまいます。ちなみに、この企画盤にはサムの「A Change Is Gonna Come」が収録される予定でしたが、何故か外されました(「A Change〜」を好まなかったアレン・クラインの妨害だという周辺からのウワサも)


お聞きの通り、先にご紹介した若者向けのダンス企画アルバムと同時期の録音である事はそのアレンジから推し量ることはできますが、未だサム・クックとの明確な接点は見えてこないクラウス・オガーマン。例えばサムの実弟であるL.C.サムのバックで吹いたキング・カーティスモータウンやその他影響をはっきり受けたミュージシャンによる追悼であれば当然理解できますが、なぜオガーマンがサムのトリビュート盤を録音していたのかという疑問。





そのミッシングリンクを繋ぐかもしれない一曲。それが実はあります。

しかし、結論を申しますと、その一曲はオガーマンの仕事ではありませんでした。




Sam Cooke / I'm In The Mood For Love (1965)



サムの死(1964年)の翌年に発表された大ヒットラスト・アルバム「Shake」より。リリース予定だったであろう録音に加え、一部過去の録音で不足を補ったと推察されるアルバムです。その中でも当時新録だったこちらは、名スタンダードをボサ・ノヴァ・アレンジで歌ったものサムのキャリアでも唯一のボサ・ノヴァ風味の異色の録音。素晴らしいアレンジです♪


この録音時のスタジオデータは残念ながら全くもって不明です。しかしこのオーケストレイションといいオガーマンでは?と思わせるような一曲です。ストリングスや管楽器をはじめ、全体にオガーマンの特徴をヒシヒシとワタクシは感じておりますが、いかがでしょうか?オガーマン好きの方々の賛同をもし得られるならば大変嬉しく思います



【Mr.Pitiful先生にタレコミいただきました】
この曲のアレンジはTorrie Zito(
トリー・ジトー)という人でした。

ジャズのアレンジャー/ピアニストであり、ヘレン・メリルの夫だった人。ジョン・レノンの「イマジン」のストリングスアレンジも彼の仕事だという。

 




サムは50年代からのキャリアを通してルネ・ホールにかなり多くのアレンジを委ねていましたが、名匠ドン・コスタやその他のアレンジャー達との仕事も当然いくつか存在し、また「I'm In The Mood For Love」がホールによるアレンジではない事はそのサウンドにより明白ですね。。


当時、多くのアメリカのミュージシャンがそうであったように、1964年頃のサムもまたブラジルからやってきたボサ・ノヴァに心酔していました。

スター憧れの名門クラブ、コパカバーナ(コパ)でのライブが控えていた当時のサムは、ボサ・ノヴァの名曲「イパネマの娘」が大好きで、ポータブルプレイヤーでゲッツ&ジルベルトを持ち出して聞くほど。しかも、コパに向けて「イパネマの娘」を歌おうとして他のクラブで試験的に歌ったりしたようです。(しかし、アレン・クラインによると評判が悪く却下したとの事)

一方、60年代当時ヴァーヴ・レコードの仕事を中心としながらも、サムが在籍していたRCAでも仕事をし、後に自身のリーダー作をRCAよりリリースしていたオガーマン。ニアミス感がありますよね。。。 



当時お気に入りだったボサ・ノヴァを録音してみたいサムと、ジョビンの仕事及びRCAの仕事をしていたオガーマンの結びつきによりサムの唯一のボサ・ノヴァ・アレンジ作品「I'm In The Mood For Love」が生まれたのではないかとワタクシは推察しています。

ビリー・ホリデイがシナトラ作品におけるレイ・エリスとオガーマンの仕事を聴き、彼等の演奏を切望したというように、サム本人がオガーマンを切望したのでしょうか?今となっては鬼籍に入った人々ばかりで、その確証をつかむことができないストーリーです。。。



推論は見事に外れましたw


しかし、もしサムが64年に銃殺されずに生きていたら、オガーマンのアレンジが光るシナトラの名盤「シナトラ&ジョビン」よりも先にサムとオガーマンによるボサ・ノヴァ企画アルバムがもしかしたら誕生していたのかも。。。という夢を見てしまいますね。


 

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「シナトラ&ジョビン」録音時のオガーマン、シナトラ、ジョビン











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余談。
オガーマンのサム・クック追悼盤のアートワークがいかにもイラレで手を掛けず作ったようなチープなデザインなので、60年代当時をイメージしたジャケットを勝手に作って差し替えて聞いています。。。。
A Salute to Sam Cooke







iTunes[mp3]



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ビル・エヴァンス・トリオ・ウィズ・シンフォニー・オーケストラ
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スリーピング・ジプシー
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ロックン・ソウル
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I'll Cry If I Want To
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