夢追い虫

2014年07月05日

悶々とした日々 2

前回の続きですが、日本人なら東南アジアの言語学か歴史学を専門に研究している人でなければまず知らないであろう「モン族」について、もう少しつらつらと書きます。

ところで、いきなり話題が変わりますが、6月22日にミャンマーから初の世界遺産が生まれましたね。↓
newsclip | ミャンマー初の世界遺産登録 「ピュー古代都市群」

↓こちらが多分日本語ソース最速
ミャンマー・日本語教室ブログ | やったあ〜 世界遺産だ〜

ピュー遺跡
上記のブログによると、今回登録されたのは

「1.ザガイン管区シュエボー県に位置するハンリン古都

2.マグエー管区タウンドゥイン郡のベィッタノー古都

3.バゴー管区ピー県モーザー村のタイェーキッタヤ古都」

の3つだそうですが、1つ目のハンリン古都は確かに綴り上は「Hanlin」なんですが、英語版のwikiだと「Halin」になっていたので、特殊な読み方で「ハリン」と読んだ方が良さそうです。

あと、3つ目のタイェーキッタヤ古都は地図上では「Sri Ksetra」と表記されています。



↓こちらは写真付のブログ
Myanmar Eye | ミャンマー史上初!世界遺産登録決定

ご存知かも多いと思いますが、世界遺産の登録は決してその遺跡の歴史的価値だけでは決まりません。オリンピックの開催都市を決めるときと同じく、その国の経済力・外交力・環境保護政策・紛争状態・国際政治における発言力など、いろいろな要素に加えて毎年UNESCOの会議では喧々諤々の議論が繰り広げられた上で決まります。裏の世界ですね。

そう考えると、ミャンマーから初めて世界遺産が生まれたということは、国際社会の中で近年のミャンマーの急速な民主化努力が高く評価されているってことでしょう。

日本では富岡製糸場の登録が騒がれていましたが、もういい加減これ以上登録数増やすのを止めてほしいです。

決して富岡製糸場の価値が低いというわけじゃないけど、このレベルで世界遺産になれるんだったら、他にも世界遺産になれそうな建物が何十個もあるでしょ?
知名度よりも、実際の歴史的価値を優先してほしい。
それに、あんまり登録数を増やし過ぎても、世界遺産のありがたみが「食べログ 話題のお店」シール程度にまで落ちるだけだと思う。

そもそも、もっと歴史の古い4〜6世紀の古墳群はなんで一つも登録されていないですかね。絶対宮内庁の圧力ですよね。いわゆる「仁徳天皇陵」とか、UNESCOの調査委員会に調べられたなんか都合の悪いものでも眠ってるんじゃないですか。

社会の先生が日本の世界遺産を教えるときも、数ばっかり増えて、どんどん面倒臭くなるんですよね。



さて、話をミャンマーの世界遺産に戻すと、これは3つともビルマ族(ミャンマー族)の古代遺跡ではなく、それよりもさらに古いピュー族の遺跡なんですね。

この「ピュー族」というのが、また日本人には聴き馴染みのない名前だと思うんですが、前回ご紹介したモン・クメール語族とともに、インドシナ半島に現在のタイ人やミャンマー人が入ってくる前の先住民族の一つです。
Wikipediaの日本語版にはまだ『ピュー族』のページがなかったので、英語版から簡単に抜粋して訳すと、

「ピュー遺跡群は紀元前2世紀から紀元11世紀半ばまでに、現在の上ビルマ(ミャンマー)に存在した都市国家遺跡である。遺跡を作ったのはチベット・ミャンマー語群に属するピュー族で、史実上ミャンマー最初の先住民とされる。

ピュー族の支配権は次第に南へ広がり、7〜8世紀には最大都市であるスリ・クセトラ(現タイェーキッタヤ)が造られた。

ピュー文化は、仏教や建築、政治制度において主にインドの影響を色濃く受けており、現在のミャンマー文化にも大きな影響を与えている(仏暦など)。

唐王朝(618〜907年)時代になると、現在の中国雲南省にあった南詔(なんしょう、Nanzhao)王国が繰り返し侵入し、上ビルマにパガン王国を建てた。ピュー族は次第に南詔のビルマ人に吸収され、ピュー語の使用も12世紀頃に途絶えた。」

ということで、ミャンマーに数多く点在する遺跡のうち、最も古いピュー遺跡群が最初に世界遺産に登録されたのは、なかなか的を射ていると思います。

面白いのは、インドシナの先住民のうち、ピュー族とモン族は上座部仏教を初期に受け入れたのに対して、クメール族はヒンドゥー教を信仰し続けていたところ。

AsSE_印・印支半島1


この辺はまだ勉強中なので、何が関係していたのかはよく分かりませんが、詳しく分かれば(&気が向けば)そのうち続きを書いていきたいと思います。

モン族の話を全然していませんが、長くなってきたのでこの辺で。


cozymonday at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年05月17日

悶々とした日々

久しぶりの記事で何を書けばよいのか分からないんですが、
ふらっと旅に出てきたつもりが、いつしか旅が人生の中心となり、
日本への帰国の方が自分にとっての『旅』となってしまっています。
この1年間本当にいろいろなことがあり、今もまた人生の大きな選択に直面しています。

まあ、そのことについてはおいおい書いていくことにして、
今日は、日本ではまず知られていない「モン族」について簡単に紹介します。


States of Myanmarタイとミャンマーの国境線は、約1800kmにわたって南北に続いています。

ミャンマー側でタイと接しているのが、

シャン州、

カヤ州、

カイン(カレン)州、

モン州、

タニンタイ管区


です。

(ミャンマーには7つの州と7つの管区がありますが、は主にビルマ(ミャンマー)族以外の少数民族が、管区はビルマ(ミャンマー)族が多数を占めます。)


そのうち、主にモン州に住む少数民族が、「モン族(Mon)」なわけですが、彼らは現在のタイ中部にも多く住んでおり、両国のモン族人口を合わせると70万人とも80万人とも言われています。
(wikipediaでは800万人となっていますが、明らかに間違いです。)



ちなみに、タイの北部に住む少数民族にもう一つの「モン族」(または「ミャオ族」)がいますが、こちらの英字表記はHmongで、発音も声調も違います。

見た目も全然違います。Hmong women in VietnamMon people

右の写真はどちらもwikipediaからコピーしてきましたが、
左が「モン族(Mon)」で、右が「モン族(Hmong)」です。

日本語でカタカナ表記をするときにはどちらも「モン」なので、ややこしいですね。

タイ人ならすぐ聞き分けられるんですが、外国人にはなかなか聞き分けられないかもしれません。

さて、今となっては少数民族となったモン族(Mon)も、かつてはインドシナ半島の広い地域を支配した民族だったんです。

言語学的には、モン語は「モン・クメール語群」に入るので、現在のカンボジアを作ったクメール人と同祖になると考えられます。

先史時代から13世紀頃までは、このモン・クメール語群の話者たちがインドシナ半島の覇者でした。

モン族は主に現在のタイからミャンマーにかけてさまざまな王朝を作り、クメール族は現在のタイからカンボジアにかけてを支配していました。

紀元1000年頃から、中国南部より「タイ・ラオ語群」「ビルマ諸語群」といわれる言語を話す民族グループがインドシナ半島に南下してきます。

彼らによって少しずつ領土を奪われたモン族の王国やクメール人のアンコール王朝は、次第に衰退していきました。

クメール人は今でもカンボジアという独自の国民国家を持っていますが、モン族はミャンマー国内のモン州にその名前を残すのみとなっています。

長くなってきたので、今日はこの辺で。

続きはまた気が向いたら書きます。


cozymonday at 18:33|PermalinkComments(2)TrackBack(0)