前回はバフェット氏が、39歳にして、バフェット・パートナーシップ・リミテッドの解散に踏み切ったところまで扱いました。


「あれ、26歳でセミリタイアしたんじゃなかったっけ? またセミリタイア?」

そういうことです。

成功する人というのは、セミリタイアしたように見えても、いつの間にか次の仕事に移って、気がついたらフルタイムで働いているものなのです。

「え? じゃあ39歳でセミリタイアしたあとは、バフェットは何してたんだよ?」


実はバフェット氏には1965年、35歳の時にバフェット・パートナーシップ・リミテッドを通じて経営権を掌握していた投資先がありました。

その投資先が――いまでは時価総額の世界ランキングでトップ5入りしている超大企業――バークシャー・ハサウェイです。


「そっか、それからバークシャーを経営して大きくしていったんだ!」

いや、ちょっと違います。


1971年、41歳のときには自身の投資先の「オマハ・サン」という新聞社を通して、オマハの児童施設問題を扱うようになります。

簡単にいうと、児童施設が不正行為をしていたため、それをスクープして報道したのです。

その結果、オマハ・サンはピューリツァ賞を受賞しました。

バフェット氏は完全に新聞社の編集室長的な仕事をしていたわけです。

どこにも「世界最高の投資家」の面影はありません。バフェット氏は二度目のセミリタイアをしたのです。



そうかと思えば同じ年の1971年には、ワシントン・ポスト紙のIPOに際して、同社株の大量購入に動いたりします。このへんは非上場会社、投資会社の経営者の動きです。

39歳で二度目のセミリタイアをしたはずですが、41歳になるころにはやはりうずうずしていたわけです。


ワシントン・ポスト紙の社主キャサリン・グラハム氏には、上流社会のパーティに招かれるようになりました。元駐英アメリカ大使のウォルター・アネンバーグと会わせてもらったこともありました。

決して、セミリタイアして日々無為に過ごしていたわけではありませんでした。


そして転機が訪れます。


1977年、47歳のとき、奥さんのスージー・バフェット氏が家出したのです。

バフェット氏は相変わらずネブラスカ州の田舎のオマハに住んでいましたが、奥さんは大都会のサンフランシスコに住むようになってしまったのです。

個人資産7,200万ドル(※1)を誇るバフェット氏は、奥さんに夜逃げされた47歳の田舎のおっさんになってしまいました。

子供は3人いましたが、みんなもう大人になり独立してしまっています。

文字通り、「あいつもとうとうひとりになった月曜日の夜 よってたかって 『しょうがねえやつだ』なんてからかいながら、だれもが我が身ふりかえる」状態。



セミリタイアしてもなかなか大変です。

いくら資産をもっていても、「ぼっち」になってしまうときついものです。


この年からバフェット氏はバークシャー社で「Letter」を書くようになります。

そう、「バフェットからの手紙」「会長からの手紙」と呼ばれる、株主向けの取締役会長直筆の事業報告書です。

この事業報告書は、投資家のバイブルともよばれるくらい、今では有名なものになっています。

しかし、この「手紙」を書き始めたきっかけは、奥さんに夜逃げされて「ぼっち」になってしまった寂しさを紛らわすためでした。

2008年には世界一の大富豪に上り詰めた「世界最高の投資家」バフェット氏ですが、47歳の時点では、寂しさを紛らわすために事業報告書を書く、奥さんに夜逃げされたみじめな田舎のおっさんだったのです。


しかも、今では「世界最高の投資家」ですが、下記の(※1)で計算しましたように、個人資産は大富豪としては少ない281億円です。

「47歳で281億円?」
「その年齢でもっと資産もっている大富豪って、Forbesのランキングとかみるとたくさんいそうじゃん」

そうです。

全然「世界最高の投資家」っぽくありません。

それどころか、セミリタイアと「ぼっち」な生活のせいで、やたらみじめな田舎のおっさんに成り下がってしまいました。


しかしここで、ジョセフ・ジョースターなみの奇跡をおこします。

エイジャの赤石でカーズを宇宙空間に葬り去ったときと同じくらいの奇跡をおこします。

なんと、お手伝いさんのねぇちゃんのアストリッド・メンクス氏と同居を始めたのです。

アストリッド氏は1946年生まれ(※2)。このとき31歳です。

セミリタイアして奥さんに逃げられた47歳のおっさん(注:「世界最高の投資家」ウォーレン・バフェット氏のことです)は、こうして31歳の美女と「一つ屋根の下」で過ごし始めたのです。

こうなるともう、おめかけさん以外なにものでもありません。

ちなみに約30年後の2006年、バフェット氏は76歳にして60歳のアストリッド氏と結婚しています。







以降のバフェット氏は仕事に打ち込みます。

1980年代、50代のバフェット氏はバークシャー社の一株当たり純資産を年率29.0%という猛烈なスピードで成長させ続けました(※3)。

1990年代、60代のバフェット氏はバークシャー社の一株当たり純資産を年率24.4%という猛烈なスピードで成長させ続けました(※3)。

1989年、59歳のときにはバークシャー社をニューヨーク証券取引所に上場させます。

上場会社の社長です。

もはやセミリタイアどころではありません。

こうして今のバフェット氏につながっていったわけです。



(※1)「スノーボール(下巻)」P70より。
ちなみに、1977年の平均の消費者物価指数は60.6でした。
現在(2014年4月)の消費者物価指数は237ですので、7,200万ドルの現在の価値は以下のようになります。

72,000,000×(237÷60.6)
=281,584,158ドル
=281億円

(※2)「スノーボール(下巻)」P75より。

(※3)このリターンは、以下のバークシャー・ハサウェイの年次報告書から計算しました。
http://www.berkshirehathaway.com/letters/2013ltr.pdf