(写真)新潟会長惠京仔1新潟華僑華人総会会長、一般社団法人留日華僑北省同郷聯合会顧問を務める惠京仔氏が、病気療養中のところ去る2月14日に逝去された。享年92歳。
惠氏は、医学博士であり、かつ新潟華僑華人総会会長、留日華僑北省同郷聯合会顧問、北京市と新潟市の名誉市民、初の「にいがた親善大使」などを務める新潟生まれ、華僑二世(祖籍山東)。父・惠葆禎氏は新潟華僑総会の初代会長。惠氏は中日両国を往来し、祖国の医療の発展、華僑華人活動、新潟県の国際交流、特に中日交流活動に尽力した。

惠氏は、1932年11月新潟市にて出生。57年3月に昭和医科大学を卒業し、58年6月新潟大学医学部第二内科教室入局、63年10月山東医院、一般内科を開院した。64年10月新潟華僑総会会長に就任した。71年5月医学博士号取得。73年11月新潟県下初の人工透析医療の専門医院となる。80年10月中国に初の人工透析医療を導入。首都医科大学附属北京友誼医院内に人工透析医療システムを設置。81年6月中国政府より首都医科大学附属北京友誼医院特邀教授の地位を授与される。88年6月故郷山東省、山東大学名誉教授に就任。97年7月1日香港回帰記念式典に中国政府国務院より正式招請を受け出席。98年10月新潟市内に山東第二医院を開設し、一般内科・人工透析専門医として医院の更なる拡大と医療の充実、研究に邁進した。99年に「北京市名誉市民」の称号を授与され、06年に「にいがた親善大使」に選ばれ、「新潟市名誉市民」を授与された。08年8月には第29回北京オリンピック開会式に北京市長より正式招請を受け出席。10年6月中国駐新潟総領事館の開館にも尽力した。

2010年12月新潟華僑華人総会初代会長に就任すると、中国駐新潟総領事館と「華僑華人留学生春節聯歓会」、「中日卓球交歓会」、「お花見交流会」を共催し、「新潟春節祭」では実行委員長となり、中国の文化交流に積極的に取り組んだ。また、11年の東日本大震災発生時には中国僑民の自主避難に協力した。

2015年9月3日、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念大会では、惠氏は海外華僑代表特別招待嘉賓5人のうちの一人に選ばれ、政府指導者、各国首脳・政府代表と共に天安門楼上から式典観礼閲兵に参列するという栄誉に浴した。

02年に自叙伝『祖国之鐘』を日本版と中国版、12年に『祖国之東風(かぜ)』を出版している。

通夜葬儀は近親者のみにて通夜葬儀は近親者のみにて執り行われることになり、生前親交の深い関係者のために2月17日午後4時より、新潟市内の公益社本町にてお別れ焼香の場が設けられた。喪主は惠盛良氏。

焼香の場には中国駐新潟総領事館の劉宏代理総領事ほか4名、東京華僑総会より陳隆進会長がお別れの焼香に訪れ、故人の冥福を祈った。