時蔵のこんな話あんな話

 校友会城東支部主催の歩こう会があった。これは城東支部に所属する5区が持ち回りで行なっている行事で、今年は我が墨田区の担当になっている。そして、歩くコースなどはすべて各支部の副支部長に任されている。アタシは4年前に地元の両国界隈を回ったのだが、周りに当たってみたら、また同じでもいいとのことなので再び回ることになった。

 朝10時にJR両国駅に集合。天気は上々、参加者は25名。安田庭園を抜けて都慰霊堂、八角部屋、錦戸部屋から三遊亭圓朝の旧居跡、河竹黙阿弥終焉の地、葛飾北斎の旧居跡と北斎美術館、勝海舟生誕の地から時津風部屋、吉良邸から大島部屋、塩原太助の旧居、横綱栃錦の住居から拙宅の前を通って、春日野部屋、回向院の鼠小僧の墓を見て、昼食のちゃんこ「巴潟」へ。

 食事は昼ちゃんこ小結で2050円也。てんでに好きな飲み物を飲んでの宴会。この歩き会にはたまたま広島の離れ小島から出て来た同級生と都内に住む同級生も2名参加してくれて、久しぶりに懐かしい学生時代の話に花が咲いて楽しいひと時となった。

 6月に続いて落語研究会の同窓会があった。今回は三ノ輪から吉原へ出て浅草に抜ける散策である。メンバーは元Aビューホテルの支配人のK、コピーライターのK、千葉九十九里の酒店オーナーのI、怪しげな化粧品の容器製造をしているO、そしてアタシの5人である。栃木のコンビニ店オーナーのNは今回も店の女性アルバイトとトラブルがあって、欠席である。

 いつも通り、東京駅大丸8階の喫茶室に集合して、一息ついてからの出発となる。コーヒーやビールを注文する中、Iは何故かチョコレートパフェの注文である。何を考えているのか分からない。まずは省線と地下鉄を乗り継いで三ノ輪へ出て、遊女の投げ込み寺である浄閑寺にお参り。

 吉原神社など神社を巡って旧吉原地区へ。夜と違って昼間は静かなもんだ。松葉屋のあったあたりも今やビルが建つ。見返り柳を右に見て、昼食場所の土手の伊勢屋に到着。ここはいつも行列が出来ている。しかし、平日なので待っている客は3人。椅子に腰かけて待つのだが、隣のけとばし屋に迷惑の掛からないようにと注意される。

 待つこと30分、やっとのことで店内へ。イ、ロ、ハ、3種類の天丼のうち、最上級2500円のハを注文。アタシだけはご飯少なめにしてもらう。アナゴ、大エビ、小エビのかき揚げ、旬の魚、蓮根、しし唐、茗荷がどんぶりからあふれ出ている。アタシは茗荷は食べられないので手を付けず。みんな大満足の超満腹。

 吉原土手伝いに歩きながら、落研でありながら落語を知らないコピーライターに廓噺をレクチャー。浅草寺、浅草神社に参拝して松が谷でお茶タイム。上野に向かう途中、ウチの師匠の長屋のあった横丁の前を通る。真ん前にあった同潤会アパートも今や立派なビルに。上野駅で再会を誓って解散。今回も大笑いの同窓会だった。

 

 都内の葬祭施設で友引寄席をやって欲しいという。この種の施設や寺院は友引の日は休みとなるため、その日に寄席を行ないたいというわけだ。出し物は前座と色物と真打という3本でお願いしたいという。お客さんはこの施設を利用している会員の方と近隣の方、また近くの高齢者施設の方々にも声を掛けたとのこと。本番数日前に連絡があり、すでに100人以上の申し込みがあったという。

 さて当日、会場に向かうエレベーターに乗り合わせた方は当然の如く高齢者ばかり。そして、会場を覗くとすでに早々と大勢の方々が会場を埋めている。会場はもちろん普段は式場として使用しているホールである。普段は真ん中に通路を設けるが、寄席仕様とあって、通路は両脇だけである。

 我々の控室は普段は遺族の方々が集まる部屋である。ちゃんと泊まれるように洗面所、トイレ、風呂もあり、押し入れには布団の用意もある。地方から出て来た遺族の方々にとっては、わざわざホテルや旅館を手配することなく、ここに泊まれるのだから便利なはずだ。

 前座、色物の高座を脇で見たら、皆さん反応が良い。毎年行なっている寺院のお施餓鬼の方たちとはえらい違いだ。こちらは菩提寺での行事で、笑うなどとんでもないという雰囲気があるのかも知れない。そんなわけで30分の予定だったのだが、40分たっぷりやらせていただいた。しかし、最後まで笑いが途切れることはなかった。

 終わってから食事までご用意いただいて、却って恐縮してしまった。それもなかなか結構な精進料理で、葬儀での遺族の方々と同じものを出していただいたようだ。帰り支度をして、先ほどまでの会場を覗いてみたら、高座はすでになく、そこにはいつも通り、立派な祭壇が飾られていた。

 福岡で「久留米環境衛生連合会大会」という催しがあって行ってきた。この会は毎年行われていて、毎回記念講演があり、その講演を仰せつかったわけだ。例年は環境についての研究者やそれにかかわる仕事をしてい方々が選ばれているのだが、今年は環境落語にしようというわけ。

 前日に久留米に赴き、夕食を兼ねての打ち合わせ。居酒屋の2階に4人が集まる。馬刺しは熊本だけかと思っていたが、ここにも結構なそれがあった。それに千葉だけが本場と思っていた落花生を茹でたゆで豆まであった。それに粒が大きくて、これがまた実にうまいのだ。

 当日の会場は石橋文化センターのホール。ここはブリヂストン創業者の石橋正二郎氏が「世の人々の楽しみと幸福のために」と寄贈された文化、芸術施設なのだそうだ。庭園、美術館、石橋正二郎記念館、などが併設されている。庭はバラとコスモスが満開であった。

 大会は様々な表彰に続いて記念講演という運び。持ち時間は60分。400席ほどの席はほぼ埋まっている。講演「師匠と弟子」に続いて「環境落語」。途中で帰るような方も少なく、最後まで熱心に聴いていただいた。例年のむずかしい話とは違って、地元の方々にも受け入れていただいたようだ。

 講演が終わってからサプライズ。前夜の居酒屋のおかみさんが店の子と共に会場から舞台の方へ。花束とおこしの菓子をいただいた。こちらはおこしも名物のようだ。60回の節目の大会もこうして盛会のうちに終わった。関係者の方々もホッとされたことだろう。

 去年お声がけいただいて落語を披露したお寺から、今年もお願いしたい旨のメールがあった。去年は2人で1席ずつであったのだが、今年は2席ずつやって欲しいという。今年も女流を1人雇って出向いた。朝7時発の常磐線に乗り、途中乗り継いで2時間近く、最寄り駅に着く。若ご住職が車で迎えに出てくれた。

 車で30分ほどで山奥のお寺に到着。それほど山に入っているとは思っていなかったのだが、携帯電話を覗くと電波が届いていないことを知り、かなり山深い所なのだと改めて認識した。お寺なので落語会が始まる前に法要があるのだが、ご焼香は後になさるという。

 というのも、たくさんの参拝者がいるため焼香の煙が本堂に充満して、噺をするときにむせてはいけないからという若ご住職の計らいなのである。こういう気遣いをされるのは実にありがたい。いやでも一生懸命に演じようとなるのは当然のことである。

 去年は台風の影響で雨が降っていて、参加者は60人ほどであったが、今年は晴れとは言えないが雨は降っていない。皆さん車でお出でになるのだから雨は影響ないと思うのだが、やはり億劫になるのだろう。今年は下足を数えたら80人を超えていた。口コミなどで増えたに違いない。

 本堂に座禅用の半帖の畳を何枚か積み重ねて80センチほどの高さにして、その上に金襴の座蒲団が置いてある、いかにもお寺らしいセッティングである。休憩をはさんで2時間ほど、無事高座を終えた。実に素直な檀家さんばかりで大いに楽しんでいただいた。

 終わってからご住職から「皆さん、笑顔でお帰り頂きましたよ」という何よりの一言をいただいて、こちらも大いに心が安らいだ。このお寺はご住職の気持ちが檀家さん一同に行き届いていて、また近隣の方々とも一体化していて、この地域では、このお寺がなくてはならない存在となっているようである。

 句会「季記の会」に久々に参加した。会場は上野広小路の老舗の天ぷら屋である。参加者は6名。全盛(?)のころの人数の半分である。何とも淋しい。やはり10名以上いないと選句するにも8句選ぶのは大変である。そのため今回は選句5句とした。

 今回の兼題は「龍田姫」「金柑」、そして席題が「鈴虫」である。「龍田姫」はアタシの歳時記には載っていなかったため、ネットで調べた。どうにも現実離れして、つかみどころのない季題である。事実、会場では席題の「鈴虫」の句が一番良かった気がする。やはり、あまりこねくり回したりしないで、素直に詠んだ方がいいようだ。     

 アタシが天に抜いたのが「鈴虫や 鳴いてなんぼの 裏稼業」という作品。作者はベテラン女優のIさん。久しぶりにお会いしたが、相変わらず一ひねりした面白い句である。現在は旦那の介護で大変なようだ。そういえばあまりテレビや映画でもお見かけしない。

 そして、何とアタシの句を天に選んで下さった方がいる。抜いて下さったのは武蔵野美大の名誉教授K氏である。「鈴虫に 村を奪はる 闇ひとつ」。以前作った句の改作である。何はともあれ、短冊を1本いただいて満足である。次回は来年1月であるが、参加するかどうか迷っている。

 

 毎月近所にある私設図書館で例会がある。定員は10名で平均年齢70歳ほどの男女が集まる。この例会では毎回、古い映画やテレビ番組、ドキュメンタリーなどの映写会が行なわれている。このところ、アタシも参加しているのだが、同じ団塊の世代なので懐かしい話が毎回のように飛び出す。

 今回は「花王名人劇場」の登場だ。桜井長一郎、前田勝之助、坊屋三郎、早野凡平、海老一染之助・染太郎、などなど、かつて有楽町の宝塚劇場の上にあった東宝演芸場や寄席の楽屋で、アタシが前座の頃にお世話になった方々ばかりである。

 そんな中でアタシが今回一番楽しみにしていたのが、波多野栄一先生である。現在は後継者が誰もいない百面相の芸である。その中で最も売り物にしていたのが、尾崎紅葉作の「金色夜叉」での寛一、お宮の熱海の海岸の場である。

 テーブルの上に紙芝居風の絵を飾り、その裏の左右から寛一、お宮の扮装をして顔を半分ずつ出すのである。扮装といっても上半身だけで体半分が寛一、もう半分がお宮になり、カツラも左右半分ずつ。そして、セリフを言いながら顔を出すのだが、途中、1回だけ間違えてお宮のカツラのまま寛一がセリフを言う場面がある。これが実に面白い。

 前座の頃、波多野先生が鞍馬天狗に扮装し、我々前座が捕り方役になり、太鼓の長バチを持って鞍馬天狗を斬ってしまったことがある。その時は楽屋で大目玉をくらった。「捕り方が鞍馬天狗を斬るやつがあるか!」と烈火のごとく怒られた。こんなに怒る先生を初めて見た。それにしても惜しい芸だなあ。誰かやらないものだろうか。

 芸協まつりに行って来た。大型台風が近づいていて雨と風が心配されたが、本格的な風雨は夜になるということで決行された。午後1時過ぎに花伝舎に着いたが、雨は降っていない。従って外のグランドの方のテントも通常通りのにぎわいだ。

 案内書をもらい、どこに行こうかとウロウロしていたら、談之助が近づいて来た。彼も何の目的もなくウロウロ組だ。落語会の会場に行くわけにもいかず、アタシのTシャツを頼んでいるアートワークのブースがあったので、顔出し。今年は歌丸師匠の追悼関係の商品が並ぶ。

 寄席や黒門亭の常連さんが介護所脇のテーブルと椅子が用意された所にたむろしていたので、そこに落ち着く。お客さんが美熟女バーのテントから酎ハイを買ってきてくれて、5人ほどの方たちと乾杯。その後、体育館で歌助たちが碁、将棋コーナーを設けていたので対戦しようとしたが、ちょうど歌丸師匠の追悼番組に参加するところで、対戦実らず。残念。

 ちょい飲みコーナー(?)にいると顔見知りのお客さんが次々に集まって来る。落語の話に花が咲きずっと居続けることに。その中に酔っぱらいのばあさんがいて、やたら話しかけてくる。噺家や色物の名前がどんどん出てくるので、かなりの寄席通だが、本物の酔っぱらい。

 4時までの予定が3時半にはお開きに。みな酔っぱらって7人ほどで新宿の駅近くの店で飲み直しということになった。駅までブラブラ歩いて20分ほど。途中、何となくはぐれてしまい、駅に着いた時にはT氏と酔っぱらいばあさんと3人に。駅前のバスターミナルの所でばあさん転んで荷物をぶちまける。

 ばあさんの希望で駅ターミナルの寿司店へ。3人で八海山で乾杯。幸いJRが午後8時でストップするというので早々に店を出る。ばあさんをJRの入り口まで送って解散。芸協まつりに行ったのか酔っぱらいの相手をしに行ったのか分からないが、顔見知りのお客さんととことん話が出来たから、まあいいとしよう。

 第134回目の独演会が終わった。珍しく雨になり出足を心配していたが、いつもと変わらぬお客さんの入りだったので一安心だ。それにありがたいことに初めてのお客さんが何人かいらっしゃった。その中には先日の謝楽祭にお出でになって、その際配ったチラシを見て来て下さった方が何人かあった。

 ウチの町内の私設図書館の例会でお逢いする方も複数でお出でになったし、それと先月、黒門亭に出演したK師匠の親戚で黒門亭が終わってから、K師匠と共に上野でご馳走になったお客さんも見えた。この方とは受付で話をしたのだが、方々の落語会に足を運んでいるんだそうだ。
 
 このお客さんは、これからもアタシの会に来ていただけそうだ。そして、他の落語会のチケットも購入いただいた。こんなに好意的な方はあまりいない。こういう方ばかりだと楽なのだが、現実はそう甘くはない。ちょっと怠るとすぐにお客さんは減る。とにかく落語会の数がべらぼうに多いのだから、みんな集客に必死なのだ。

 さて今回の会には「近日息子」と「抜け雀」を掛けた。前者は近ごろあまりやり手がいない。しかし、理由は分からない。後者は調べてみたら高座にかけるのは20年ぶり。その際にサゲ近くでやりそこなって嫌気がさして、その後やる気を失ったような記憶がある。しかし、どこをどうやりそこなったのかは思い出せない。

 そんなわけでとにかく20年ぶりなので、ほとんど忘れているだろうと思いのほか、久しぶりの割にはどんどん頭に入って来たのでありがたかった。スケはつる子、八ゑ馬の2人。二つ目も自分たちで高座を模索していかなくてはならないのだから、我々以上に大変だろう。

 

 

 

 IT関連の会社からメールがあり、地方に散らばっている支社の社員が東京のホテルに一同に会するので、そこでサプライズで落語を披露して欲しいとのこと。いつも通りに宴会中の落語はやらない旨の返事をした。まあ、大抵はここで諦めてもらえるのだが、今回だけは違った。

 先方からは宴会中に落語を演じてもらうのは確かに失礼なことです。宴会に入る前に演芸だけの席を設けるので、そこでやって欲しいとのこと。それならと応じることにした。そして、出来れば紙切りの芸人を一緒に呼んで欲しいというので、これも承諾した。

 すぐに知り合いの紙切り芸人に連絡を取り確保した。しかし、これだけではまだ安心できない。というのも席が丸テーブルということなので、どうしても普通の並びの席では後ろ向きの席が出来てしまう。だから、開演前に椅子を全部前向きにしてもらわなければならない。

 当日が近づいて来たため、そのことを伝えようとしたら、予め先方から、大きめの会場にしてもらい、丸テーブルの席の横のスペースに椅子を全部同じ方向に向けてその前に高座を作ってくれるとのこと。いや、素晴らしい。ここまで気を遣って下さる会合はまずない。こちらも大いにやる気になった。

 さて当日、会場に向かうとやはり、しっかりしたスタッフが揃っていた。直前に打ち合わせをし、35人ほどの前でアタシが落語を2席、間に紙切りを挟んだ芸を披露した。これほどまでに事前に根回しをして下さる集まりは珍しい。我々2人も気分よく仕事が出来、また先方も大いに楽しんでいただいたのは言うまでもない。

 土曜日の朝起きてから咳が出始めた。のべつ出るわけではないのだが、一度出るとなかなか止まらない。このところ急に寒くなって、布団を掛けずに寝てしまい、どうやら風邪をひいたらしい。1日置いて月曜日に敬老会があって、長めの噺を1席やらねばならない。

 翌、日曜日1日ゆっくり休めば何とかなるんじゃないかと、長年愛用の龍角散を舐めながら、様子を見ることにした。その甲斐あって咳はおさまってきた。熱があったり、頭が痛いという風邪の症状があっても何とかごまかせるが、咳の出るのは始末に悪い。我慢しようと思ってもどうにもならない。

 常磐線に乗って、敬老会の会場に向かう。最寄り駅には主催者の車が迎えに来てくれてすぐに会場へ。ここは市役所からホールまで関連施設が1か所にまとまっていて、すべてがここで間に合うようになっている。すぐに会場のホール楽屋へ。出囃子のタイミングの打ち合わせをして、めくりのセットをする。

 700人の会場に観客は半分ほど。75歳以上が対象ということだが、中には高齢で具合が悪く来られずに、家族がお土産だけをもらいに来ることもあるそうだ。会場を覗いてみると子供も何人かいる。アタシの前は高齢者の健康管理について飲料メーカーがキャラクターを使っての講演をしている。

 楽屋には弁当とそれとは別に赤飯、お菓子、地元の名産品のお土産が置いてある。何が入っているか楽しみだ。時間通り進んで高座へ。ところが懐中時計を忘れて、会場の時計も高座からは見えない。仕方がないので、手探りでマクラだくさんに長めの高座を務めた。

 途中、携帯電話が鳴ったが、会場が大きいのでさほど気にはならない。それより、目の前の席の高齢者同士のおしゃべりの方が気になった。それより何より、大声を出しても咳き込まなかったのが一番ありがたかった。高座前の龍角散も良かったようだ。今回ばかりはホント龍角散のお蔭だ。

 落語協会のまつり、謝楽祭が終わった。湯島天神に場所が移ってから4回目である。毎度この時期は台風の心配があるし、また今年の実行委員長は雨男で有名な菊之丞だったので、大いに心配していたのだが今年も何とか免れることが出来た。

 アタシは今年もちんちろりんの店を出したが、今年はカミさんと次女の助っ人があったので楽に切り抜けることが出来た。以前、1人で切り盛りをしていた時代には大変な労苦があったが、今やただ店番をするのと指示を出すだけなので何の気苦労もいらないのだ。

 昔は自転車にすべての荷物を積んだり、ぶら下げて運んでから1人で開店の準備をしたもんだが、今は予め商品を入れる段ボール箱も家で作って、それらをまとめてカミさんに車で運んでもらうのだから、こんな楽なことはない。準備にたっぷり2時間かかったものだが、今ではその3分の1ほどだ。 

 この店は売り上げよりも、いろんなお客さんがお出でになるので、それが一番の楽しみ。まずは毎度独演会にお越しくださる常連さん。毎年掘り出し物はないかと予め打診してから、その品をめがけて買取りに来るMさん、アタシが2つ目時代から学園祭に出演していて当時は理科大学の学生で今や教員になった先生方。

 高校時代に入院していた病室の同室の方、東洋大落研の後輩の連中(うち1人は新潟県の村上から駆け付けてくれたR)などなど、この謝楽祭がなければ逢えないような方々との、この日が同窓会のようなものになっている。ただ、ゆっくり相手をする時間がないのだけが残念。それだけにまた来年が楽しみとなるのだけれど。
 


 

 このところ不要品の買い取り業者からの電話がよくある。以前、母の形見の指輪、ネックレス、ブローチなどの宝飾品を処分しようと思い、訪問買取りの業者を呼んだことがある。その時に一番高価であろう金の指輪がいくらになるか楽しみにしていたら、そのような指輪はなかったと言い張られてしまった。まさか身体検査をするわけにもいかず、その時はあきらめた。

 その後、あまり腹がたったので警察に盗難届は出したが、それっきりとなっている。そんなわけで二度とこの手の業者を相手にすまいと思っていたのだが、今回はゴルフクラブを買い取ってくれるというので、呼んでみた。その結果、ビッグバーサのドライバーを含むフルセットが100円、もう一組のアイアンセットも100円、ゴルフバッグが2個で100円、KENNZOとGショックの腕時計が2個で100円の計400円で引き取ってもらった。

 もし、これらを処分するとして粗大ごみで出すと、ゴルフクラブは2組で800円、バッグも2個で800円である。だから大いに助かった。これも以前、女物の着物を処分しようとしたら、どれも1枚500円だという。あまりに安いので、結局、楽屋に持っていって女流講釈師に譲ったことがあった。

 苦労して買った品物でもいざ処分するとなると、こんな値段である。子供のころから集めた記念切手もたくさんあったが、売るとなると額面より安くなるというので、封書に貼って処分したこともあった。封筒の表に10円切手を8枚と2円切手を貼って出した。受け取った方はびっくりしたと思うが、かなりの数になった。

 処分の方法もいろいろだろうが、これからも買い取り業者をうまく利用してせいぜい不要品を処分したいと思う。でもアタシは捨てられない物が多すぎて、これからどうしようかと迷っているこの頃である。

 毎月第4水曜日は松丘亭寄席の開催日である。レギュラーは講釈師を含む5人、それに月替わりの前座が付く。木戸銭は1000円以上となっているが、それ以上払うお客さんはまずいない。そして、終演後に打ち上げがあるのだが、特に料金らしきものは取っていない。

 毎年8月は子供会の子供たちがお寺で寝泊まりをしているので、広間が使えないため打ち上げはない。そして、落語会も本堂で行なわれる。そんなわけで、今月は地元のお客さんの有志が駅近くの店を借りて我々芸人のために打ち上げをして下さる。

 講釈師は酒の席を好まないので先に帰ったが、前座を含む5人でご馳走になった。この日は以前1度行ったことのあるピザが美味しいと評判の店である。店に入ると、たまたま落語会のお客さんがご夫婦で来ていた。やはり近所でも人気のある店であろうことが分かる。

 この店で1時間半ほどご馳走になった後はいつものスナックである。この店に行くのはアタシとRだけ。他の仲間はそのまま帰って行った。このスナックは近くの外語大の女子大生が日替わりでアルバイトに来ている。このバイトも代々引き継がれて3月に卒業すると、後輩にバトンタッチされている。もう何人見送ったことか。

 それはそうとこの日、寺に向かう時に近所の寺でヘビを見かけた。70センチくらいの細いヘビで、真っ黄色のきれいなヘビである。こんな都会では珍しいことなのだが、あんなきれいなヘビだから野生のものではなく、飼われていたものかも知れない。ヘビを見ると縁起がいいと言われるが、アタシはもう見たくない。アタシは子年生まれである。

 先日のある落語会でのこと。アタシも高座の脇ではなく、楽屋のモニターで聴いていたので正確ではないのだが、高座のKが「浴衣をきがえる」と言っているように聞こえた。それから高座を降りて来たので、あれは「きがえる」ではなく「きかえる」が正しいんだよと教えた。

 これはだいぶ前のことなのだが、落語評論家が新聞で「若い噺家が着物をきがえると言っていたが、きかえるが正しい」という記事を見たのだ。それから調べたり、古い先輩方のテープなどを聴いてみると、志ん生師匠もうちの師匠も確かにそう発音している。そして、やはり「きかえる」が正しいと確信したのだ。

 ところが、先日あるCDを聴いていたら、「着物をきがえる」とはっきり言っているものがあった。古典落語であるから明らかに間違いだろう。しかし、今更CDになっているものを当人に注意しても仕方がない。一般の方からしたら大したことではないだろうが、アタシは噺家は言葉の職人だと思っているので、言葉は正確でなくてはならないと思う。

 うちの師匠が健在の頃、「他人の噺はよく聴いておかなくてはいけない。もし自分がその噺をやらなくても、あの人はこうやっていたと教えてやることが出来る」とよく言っていたが、若いころには言えなかったことが、最近になって、やっと他人に教えてやれるようになった。

 

 このくそ暑い中、謝楽祭の準備を進めている。先日、手拭いのご希望を募ったところ、何件か問い合わせがあった。しかし、なかなかご希望の手拭いは見つからない。というのも、ほとんどの方はかなりの落語マニアの方で、ほとんどの手拭いはお持ちなのだ。そんな中で求めて来るものはレアな物ばかり。

 それに最近は噺家が全員、手拭いを染めるかというとそういうわけでもない。ここ何年も染めてないという方も多い。それに近頃は正月に顔を合わせても「行ってこい」ということで手拭いの交換をしないことも多くなった。この方とはご挨拶をしなくては、というのが限られて手に入る手拭いが毎年同じものしかないのだ。

 そんなわけで、なかなかご希望に添えないのだが、ダメもとでもいいとおっしゃる方は是非ともお問い合せ下さい。ひょっとすると、見つかるかも知れません。また、今年は昭和49年から昭和61年までの正月だけの香盤(寄席の出番表で一般の方には手に入らない)になりますが、目玉として出品します。途中、何年か抜けてますが、懐かしい芸名もあります。お楽しみに。

 8月11日は三遊亭圓朝師匠の命日である。亡くなって今年で118年。亡くなったのが明治33年、西暦でちょうど1900年ということだから、計算はしやすい。今年も谷中の全生庵に落語協会員と一般のお客様が大勢集まった。

 午前10時、本堂において読経が始まる。向かって上手に落語協会員、下手にお客様方が陣取る。土曜日だったので、協会員も少ないかと思ったのだが、そんなことはなかった。みな大圓朝師匠のために大勢がご焼香に集まってくれていた。特に二つ目の数が多かったのは心強い。

 読経の後は恒例の奉納落語。今年は金原亭馬生師匠なのだが、司会の歌る多師匠が本堂に呼び込んでもなかなか現れない。すると情報が流れて、どうやらトイレに入っているとのこと。途端に誰かが叫んだ。「何をしてんだ。ホウニョウ落語じゃあねえぞ。」これには周りが大爆笑。

 演目は「安兵衛狐」だったのだが、演ずる時間は15分ほどに限られているはず。25分から30分ほどの噺をどう演じるかと思っていたが、そんな心配は無用、うまいことまとめてくれた。途中、お客さんと我々に問いかける場面もあり、和やかな雰囲気の中での一席となった。

 その後、扇子供養が行なわれて、会長の柳亭市馬師匠の挨拶があった。例年なら落語芸術協会会長の桂歌丸師匠が一緒に並んでご挨拶を頂戴するのが常であったが、その歌丸師匠の姿も今年からは見られなくなってしまった。やはり、毎年当たり前と思っていたことがなされないというのは淋しいものだ。

 供養の後は別室で協会による接待があり、例年通りの蕎麦、助六鮨、木村屋のあんぱんのセット、それにビール、スイカなどが供されて、これもいつも通りの賑やかな法要の締めくくりとなった。今年もお暑い中、みなさんお疲れさまでした。

 9月9日開催の落語協会主催・謝楽祭が近づいて来た。湯島天神での開催となってから、今回で4回目である。あと1か月となったので、ちんちろりんの景品集めの下準備を始めることにした。扇子、手拭いなどは落語協会員に声をかけて、どうやら本数が揃いつつある。

 去年は途中で景品が足りなくなって、早めに店を閉じるハメになってしまったので、今年はそんなことのないように少し多めに用意することにした。しかし、ちんちろりんはサイコロの出目によって景品が決まるので、平均して商品が出るとは限らない。偏ることも多い。

 今年は時蔵T シャツを少なめにして、その分他の品を増やした。お客さんはどちらかというと景品よりちんちろりんを楽しみたいという方が多い。常連さんの中には寄席チケットが目的で、それだけを狙って何回も挑戦してその結果、思い通りにならないなんてことも多い。そこがちんちろりんの面白いとこだ。

 先日、40年来通っている湯島の寿司屋に行って、謝楽祭のポスターを貼らせてもらおうと持参したら、もう、すでに何枚も貼ってあった。前日に町内の人が持って来て、貼っておいてくれと置いて行ったそうだ。どうやら、湯島の町内ぐるみの催しとなって来たようでうれしい。

 そういえば、湯島界隈の店という店には黄色い謝楽祭のポスターがやたらと目につく。今年は去年以上にお客さんが来てくれそうだ。アタシの手許にもいろんな手拭いが集まってきた。謝楽祭を前にご希望の手拭いをお分けしますので、ご希望の芸人の手拭いがあればお問い合せいただきたい。

 

 落語協会恒例の夏の寄合があった。午前11時に浅草演芸ホールを出発。全員が仲見世を通って、浅草寺本堂前で記念撮影し、本堂内で護摩を焚いてもらう。その後、浅草ビューホテル4階の宴会場へ向かう。全員で乾杯すると、すぐに中締めとなる。これも恒例だ。

 隣の席は同期のS師匠である。久しぶりの同席で、麦焼酎の水割りを付き合う。この師匠は未だに携帯電話やスマホを持たない。そして、落語に関してもおかしな現代風のくすぐりを入れるのを嫌う。古典落語を崩さずに演ずるのを旨としている。誠に潔い。

 時折、S師の前座の弟子が御用聞きに来て、そのたびに水割りを作ってはアタシの分まで運んで来るので、結局4杯も付き合ってしまった。料理はローストビーフ、小籠包、天ぷら、野菜サラダなどをいただく。仕上げにそばかチャーハンをと思ったのだが、先日のしゃぶしゃぶ事件を思い出し、やめた。

 前座の余興は師匠方の楽屋での所作を織り交ぜたかっぽれ踊り。これがことのほか動きの特徴をとらえていて面白かった。我々の前座時代、成田の宴会場でやった余興とはえらい違いだ。非常に格調が高い。S師匠共々大いに楽しんだ。午後1時50分、大締めとなった。

 第133回の独演会が終わった。それにしてもここ数日の暑さは異常だ。とにかく暑すぎる。連日35度の猛暑に近い暑さが続いている。そして、まだ7月だというのだから先が思いやられる。これじゃあ、お出でになるお客さんも足が遠のくだろうと思ったのだが、いつもと変わりなかった。ありがたいことだ。

 今回のスケはさん光とあんこ。アタシの演題は「松山鏡」と「鰻の幇間」。後者は略して「うなたい」なんて呼んでいる。前者はお客さんからのリクエストによるネタおろしだ。ごく短い噺だから、すぐに覚えられると高を括っていたのだが、ことのほか手こずってしまった。

 人にもよるだろうが、アタシにとっては何とも手にするのが難しかった。というのも、女房と尼さんという2人の女の田舎者の言葉の使い分けがむずかしいのだ。あまり乱暴な言葉にするわけにもいかず、かといって上品な言葉というわけにもいかず、完成まで時間がかかってしまった。

 それに本文が10分位しかないので、マクラをどのようにしようかと悩んだ挙句、植木等さんとのエピソードを使わせてもらうことにした。苦肉の策というわけでもないが、他に気が付かなかったのだ。植木さんが演じた花嫁のオヤジさんの役からヒントを得て花嫁の嫁入り道具の鏡から噺に入ったのだ。

 終わってから、あんことカミさんと近くの中華料理店で食事。珍しくあんこもウチに泊まることになった。翌朝、あんこが帰る前に洗面所を掃除していってくれた。きれいになった洗面所を見て、カミさんいわく。「たまにウチに泊まって、きれいにしてもらうのもいいわね」。

 

このページのトップヘ