時蔵のこんな話あんな話

 家族3人で伊豆高原に行って来た。伊豆高原というと墨田区の高原荘があったのだが、おととし建物の老朽化に伴い取り壊しとなってしまった。本来なら建て替えとなるのだろうが、今や区の財政を考えるとそんな余裕はなく、結局建て替えはかなわなかった。

 そんなわけでどうしたものかと思っていたが、中央区が管理する同じような施設があって料金も同じくらいなので、そこに行くことにした。まず熱海に出て、ここで昼食。駅前にラスカ熱海という大きな施設が出来ていて、ここで食事をすることにした。

 アタシは刺身定食を頼む。恐らく夜の食事も同じようなものが出るだろうが、刺身が食べてみたかった。やはり、おいしい。熱海から伊豆急行で約1時間、伊豆高原駅到着。迎えのバスに乗り込み、まもなく中央区の伊豆高原荘に到着。墨田区の方はスリッパに履き替えるのだが、こちらは靴のまま部屋に。

 トイレも墨田区の施設は部屋の外の共同だったが、こちらは部屋にある。やはり夜中はこれでないと困る。それにこちらはベッドだから楽だ。まずは湯につかって晩御飯。予想通りの刺身と鍋などの料理である。アタシは日本酒を飲みながらの食事。料理は多いくらい。

 翌朝はおかゆをいただいて宿を後にして徒歩20分ほどの万華鏡館へ。ここはアタシが希望して決定した所。入館料500円。自宅の前の急ごしらえのような施設。郵便ポストやら公衆電話など、いろんなものが万華鏡になっている。説明の後、暗室のような所に入って世界最大を謳う万華鏡を覗く。

 帰りの昼食もやはりラスカ熱海に寄る。浜松餃子の店があったのだが、混んでいるので、この日はラーメン店に。てんでに好きな麺をいただく。もう少し素朴な味が欲しかったのだが、仕方がない。正月からのんびりと湯につかることが出来、充実した旅となった。

 しん平宅での新年会があった。集まったのは春風亭一門から3名、金原亭が1名、三遊亭が1名、柳家が1名、ウチの一門の2つ目が2名、未亡人1名、元文部官僚1名の10名ほど。寄席を終わってから来る者など、三々五々集まっての新年会である。

 乾杯をしてから、例によって仲間の噂話からたわいのない話まで、次から次へとよくもまあ、いろんな話が酒の肴になった。メインの料理はおでん。酒は日本酒が何本か並んでいて、アタシは「寿限無」という不思議な酒を初めていただく。

 そして、いつものようにX師匠の奇行が披露される。その一門の弟子たちの災難話である。毎年のように同じ話が言の葉に上るが、面白い話は何度聞いても笑える。しかし、そんな目に遭った当人にとってはこの上ない迷惑な話である。それがまた面白くて大笑い。

 その後、しん平の新作怪獣映画が大画面に映し出される。とにかく怪獣映画だから「ギャアー」とか「グワー」とかの大音響が流れるのだが、元官僚さんは座ったまま寝ていらっしゃる。しかし、この官僚さんは映画評論家でもあるのだから面白い。

 そして、ウチの一門の2つ目による形態模写と声帯模写の披露。これは夏の寄合でも披露されたのだが、これがまた面白い。正雀、喬太郎、馬石など。我々は見逃しているのだが、普段の芸人の癖を良くとらえていて感心しきり、思わず笑いを誘う。アタシは11時半においとまをしたが、午前1時半まで宴会は続いたいう。若い人たちは元気だ。

 新しい年を迎えました。今年もお付き合いの程よろしくお願い申し上げます。アタシは初席は今年も浅草東洋館の1部11時50分の上がり。木久扇が1部のトリなので、初日くらいは顔を合わせて高座を降りるまでお付き合いをする。しかし、今年は香盤よりも1時間ほど早く上がってしまったので、その分いつもより早めに宴会場へと向かった。

 会場はいつもの浅草の旅館である。午後1時半に向かうとその旅館の社長、小団治、勢朝、のん平、せん八、それに浅草の芸者さん、幇間の米七とその弟子2人が集まっていた。弟子のうちの1人は女幇間である。だいたいいつものメンバーであるが、せん八師匠は珍しい。しかし、すぐに帰ってしまった。

 乾杯をしてから日本酒を飲みながら、落語協会のこと、箱根駅伝のこと、果ては家庭事情のことなど、次から次へと話題は尽きない。しかしながら、いつものように勢朝の仲間話は面白い。彼の話は我々が聞いていても面白いのだが、内輪の話ばかりなので高座でやっても受けない。誠に残念である。

 そんなたわいのない話をしながら、1人去り、2人去りして残ったのは小団治、のん平とアタシの3人。これも例年のことである。結局今年も9時半まで、飲んで騒いで有意義な時間を過ごした。長いこと胡坐をかいていたので、足腰がだいぶ疲労した。それでも元気で今年も頑張ろうという気概だけは3人で確認した。果たして今年はどんな年になるのだろうか。

 毎月お世話になっている両国寄席の円楽一門の忘年会があった。会場は例年通り、銀座の鮨屋である。ここは現6代目の円楽師匠が懇意にしている店で、そんな関係で毎年ここで行なわれている。会費は取られるが、銀座の鮨屋だけに普通はそんな金額で食事が出来る訳がない。
 
 初めての時はカニがふんだんに出て、それこそ、あばれ食いが出来て大喜びしたのだが、2回目からは各自に1人前ずつ出て来るようになり、その翌年からは全く出なくなった。我々のカニに対する欲望があまりにも激しかったからだろう。今年はごく上品な料理が少しずつ運ばれてきて、最後に鮨がつまみ程度に出てお開きとなった。

 アタシの隣に座った若者には両国寄席では逢ったことがないので話しかけてみたら、何とあのマジックの山上兄弟の片割れであった。そういえば、何となく面影があるといった程度の認識しかなく、失礼をしてしまった。子供の時に人気が出てしまうと、大きくなってから何かと壁にぶつかって大変なのではないだろうか。

 そんなこともあり、今はどのような活動をされているのか聞きそびれてしまった。現在はマジシャンの数も多くなり、独自性を出すのも容易ではないだろう。しかし、そんなことを言っていたら噺家も同じことだ。東京だけで550人ほどの芸人がひしめき合っている。

 寄席の数が増えることはこれからもないだろうから、自らが演ずる場所や芸を磨く場所を見つけなければならない。その割にはやめる人間がほとんどいないのだから、それだけの魅力のある仕事なのだろう。まあ、みな好きでやっているからこそ続けられることが出来るのだろう。そう思うしかない。

 

 第2回「あんこの三者面談の会」が終わった。去年に続いての会だが、今回はアタシが仕掛け人だ。他の出演者は去年1回で終わらせるつもりだったようだが、今回は場所をお江戸両国亭に移しての会とした。ここなら家から歩いて行けるし、小屋代も安い。

 そんなわけでやってみたのだが、真剣に切符販売の活動をしなかったので、お客さんの入りは良くなかった。出番順も当日に決めるようなことだったのだが、急きょ、あんこをトリに回すことにした。前座の後にあんこの師匠のしん平が上がり、その後にアタシが上がって中入り、その後、あんこが上がって切りに三者面談という番組。

 面談は去年と同じ趣向だったが、何についてしゃべるのか決まらないうちに始まってしまった。いざ幕が開くと、しん平が一人でしゃべっていて、アタシとあんこの出番はほとんどなし。まあ、師匠だから、いろいろ弟子に注文もあるだろうし、言いたいこともあるのだろう。

 そんなわけで、アッという間に終わってしまった。面談中にしん平が来年、3回目をやるのかどうかお客さんに訊いていたが、お客さんは乗り気なのだが、我々の方としてはもう一つ乗り切れない。そんなわけで、成り行きでどうなるかは分からない。

 しん平が会の始まる前から「今日は焼き鳥が食いたい」と言っていたので、お望み通り駅前の店に。ここは焼きとんもあるのだが、時間も時間なので残り少なかった。それでも思い通りに焼き鳥をほおばって、しん平師匠は満足そうだった。そして、ここでも一人でしゃべりっぱなしだった。

 近所にある私設図書館で忘年会があった。月に1度、主に高齢者が集まって懐かしの映画などのDVD鑑賞を行なっている。今月は今年最後の会合とあって、14名の参加者があった。上映は午後7時すぎからなのだが、6時前から集まっててんでに好みの飲み物や肴を持ち寄っての会である。

 この夜は「粋な遊びで年忘れ 浅草料亭へご案内!」と題してお座敷遊びを紹介する映像であった。案内をして下さるのは今は亡き幇間の悠玄亭玉介師匠である。今から30年ほど前の映像で、弟子の玉八師匠の若き姿も見ることが出来た。

 中にはとてもテレビでは流せないような映像もあって、これはこれでなかなか貴重なものである。アタシも1度だけ向島の料亭でお客さんと一緒に玉助師匠のお座敷芸に接したことがあったが、売り物の屏風芸の他に部屋の灯りをすべて消して、男女の夜の会話のやり取りを演ずる芸に接したことがあった。

 集まった連中も客と芸者さんとの座敷芸に「ここまで遊べるようになるまでには、ずいぶん金を積むことになるんだろうな」と感心しきりであった。それにしてもこういう粋な遊びはこれからはいずれなくなってしまうのだろう。幇間が少なくなったことと、座敷での粋な芸者遊びをする方がいなくなったからである。

 この集まりの際にいつも落語会のチラシを持参するのだが、そのチラシを見た方からチケット申し込みがあった。こういうことがあるから、芸人はいろんな所に顔を出さなければいけないのである。こういう新たな出会いがお客さんの開拓のきっかけとなるかも知れないからである。

  例年は新年会として行なわれている議員さんのパーティーなのだが、何しろ来年春には統一地方選挙があるため、今回は前倒しで忘年会となった。いつもの都内のホテルであるが、毎回、アトラクションとして芸人を送り込んでいる。そして、何か珍しい芸をといつも言われる。

 しかし、毎回、毎回そんなに珍しい出し物があるわけがない。仕方ないので今回は腹話術と寄席文字を提案してみた。そうしたら案外簡単に通ってしまった。早速、手配して当日行なってみたら、これが結構受けた。特に腹話術でお客さんを舞台に上げての余技が面白かった。

 お客さんの口に口型の模型をあてがって、勝手な質問をして勝手な応答をするのである。そのたびごとに口型模型が動き、当人が答えるように見えるのだが、予想もしない答えをするので笑いを誘うというものなのだ。つまり、腹話術師が勝手な質問をし、腹話術師が勝手に答えるのだから、下ネタでも何でも構わない。

 当人の隠し子のこととか、夫婦間の不和のことなど、真面目な人ほどギャップがあって、ウケるのだ。酒の席なら絶対盛り上がるに違いない。寄席文字の方も本来予想した当選の当とか、選挙の選などは全くなく、全然関係のない照など、とんでもない文字の注文が出て、これも想定外であった。

 

 

 今年の納めの余一ゴルフ会が行なわれた。普段は31日の寄席のない日に行なわれているのだが、まさか大晦日にやるわけにもいかず、暮れは平日の良き日を選んで開かれている。今回は17名の参加。朝7時の集合だが、みな時間通りに集まった。

 と思いきや、Kだけが来ない。Kは前日にゴルフ場近くのホテルに泊まって、そこから来る手はずになっていた。だから、ゴルフ場には一番近くにいたはずなのだが、時間にになっても来ないのだ。後で分かったことだが、ホテルからクラブハウスに電話したら、10分で着くと言われて歩いて向かったんだそうだ。

 ところが、田舎のことだから、10分というのは車で10分という意味だったのだ。奴さんゴルフ場まで歩いて、結局35分かかったという。みんながスタートする直前になって、従業員の乗ったカートでスタート地点まで送ってもらい、事なきを得た。やはり、他人の話はよく聞かなければいけない。

 この日はもう一つ事件があった。終わってからゴルフ場を出る際に、Uのボストンバッグがなくなったというのだ。中身はほとんどが下着類だという。しかし、Uは元力士で体重は130キロほどある。もし、開けてみてパンツを見つけたとしたら、見た当人はそれを見て一体何だと思うだろうか、仲間の間で話題になった。

 その結果、まさかパンツと思わず、これはゴムの入った暖簾ではないかと思うのではないか、という結論に達した。そんなものを果たして届けてくれるかどうか心配したが、結局、ゴルフ場近くの打ち上げの寿司屋(といっても寿司職人がいないので寿司は出ない変な店)に仲間といた当人の携帯にクラブハウスから電話があり、無事届いたという。

 すぐに若い者がゴルフ場に車をとばしてバッグを引き取ってきた。まったく人騒がせな出来事だった。しかし、今年もみんなケガもなく、無事に余一ゴルフの納会もお開きとなった。この日の馬券が当たったTは帰りのパーキングエリアでみんなにアイスクリームをたかられる羽目となった。

 場所を移しての第2回目の銭湯寄席が開かれた。この銭湯はアタシが前座の頃、師匠である8代目林家正蔵と共に通った湯屋である。その後、建て替えられ、現在はサウナや露天風呂もある今様の銭湯となっている。営業時間も朝10時からとなっているので、かなりの数のお客さんが通って来るようだ。

 今までの銭湯寄席は銭湯が午後4時からの営業なので、その前に落語会をやって銭湯に浸かってその後に盃を酌み交わすという段取りになっていたが、ここはそれが出来ないので、従業員の休憩室を使っての落語会となっている。その部屋は落語会をやるにはちょっと狭い。

 それでも場所を提供して下さる店主のご厚意でやらせてもらっている。それはそれでありがたいことだ。お客さんもそこそこ来て下さるので、今後も続けて行くことになるだろう。今回も落語会が終わってからアタシも湯に浸かったが、とんでもないものを見てしまった。

 男湯だから当然男ばかりなのだが、洗い場で鏡を見ながら、かみそりで脇の毛を剃っている中年の男性がいる。その後、どうなることかとアタシもじっと見ていたのだが、今度は下の毛を剃り始めた。よく見ると下の毛はほとんどないのだが、ツルツルになるまで剃っている。

 何のためにそうしているのか分からないのだが、しばし見とれてしまった。結局、腕から足まで全身すべての毛を剃っていたのだ。その後、そのことを湯屋の店主に訊いてみたら、どうやらゲイバーの経営者らしいとのこと。思わず「ウーン」と唸ってしまった。やはり場所柄なのだろうか、いやあ、珍しいものを見せていただきました。

 

 今年も落語協会主催の「新作落語台本発表落語会」が行なわれた。場所はいつも通り、お江戸日本橋亭である。会場時には空席があったものの開宴直前には客席もほぼ埋まった。オープニングトークは丈二と世之介の2人である。過去の落語台本のエソードを面白可笑しく語ってくれた。

 今回は「記憶にございません」佐吉、「注文の多いラーメン屋」小ゑん、「笑い薬」正雀、「結びの神」なな子、「赤子通詞」小満ん、の5本である。審査員はアタシら16人。良いと思われる作品2本に印を付けることになっていたが、今年はずば抜けて優秀な作品はなかった。アタシは「結びの神」にのみ1票を投じた。

 結果はやはり「結びの神」が最多票を獲得し、優秀賞となり、今年は最優秀賞はなしということになった。この作品は昨年、アタシが演じて最優秀賞となった「となりの男」と同じ作者で、何と今年で4年連続で入賞となったという。まあ、落語の作り方をよく知っている方ということになるのだろう。

 終わってから、近所の居酒屋で反省会となったが、今回はあまり今回の作品については議論がなされなかった。やはり、あまりいい作品が集まらなかったということだろう。来年は佳き作品がたくさん集まるように期待したい。我と思わん方は是非ともご応募を。お待ちしております。

 

 校友会城東支部主催の歩こう会があった。これは城東支部に所属する5区が持ち回りで行なっている行事で、今年は我が墨田区の担当になっている。そして、歩くコースなどはすべて各支部の副支部長に任されている。アタシは4年前に地元の両国界隈を回ったのだが、周りに当たってみたら、また同じでもいいとのことなので再び回ることになった。

 朝10時にJR両国駅に集合。天気は上々、参加者は25名。安田庭園を抜けて都慰霊堂、八角部屋、錦戸部屋から三遊亭圓朝の旧居跡、河竹黙阿弥終焉の地、葛飾北斎の旧居跡と北斎美術館、勝海舟生誕の地から時津風部屋、吉良邸から大島部屋、塩原太助の旧居、横綱栃錦の住居から拙宅の前を通って、春日野部屋、回向院の鼠小僧の墓を見て、昼食のちゃんこ「巴潟」へ。

 食事は昼ちゃんこ小結で2050円也。てんでに好きな飲み物を飲んでの宴会。この歩き会にはたまたま広島の離れ小島から出て来た同級生と都内に住む同級生も2名参加してくれて、久しぶりに懐かしい学生時代の話に花が咲いて楽しいひと時となった。

 6月に続いて落語研究会の同窓会があった。今回は三ノ輪から吉原へ出て浅草に抜ける散策である。メンバーは元Aビューホテルの支配人のK、コピーライターのK、千葉九十九里の酒店オーナーのI、怪しげな化粧品の容器製造をしているO、そしてアタシの5人である。栃木のコンビニ店オーナーのNは今回も店の女性アルバイトとトラブルがあって、欠席である。

 いつも通り、東京駅大丸8階の喫茶室に集合して、一息ついてからの出発となる。コーヒーやビールを注文する中、Iは何故かチョコレートパフェの注文である。何を考えているのか分からない。まずは省線と地下鉄を乗り継いで三ノ輪へ出て、遊女の投げ込み寺である浄閑寺にお参り。

 吉原神社など神社を巡って旧吉原地区へ。夜と違って昼間は静かなもんだ。松葉屋のあったあたりも今やビルが建つ。見返り柳を右に見て、昼食場所の土手の伊勢屋に到着。ここはいつも行列が出来ている。しかし、平日なので待っている客は3人。椅子に腰かけて待つのだが、隣のけとばし屋に迷惑の掛からないようにと注意される。

 待つこと30分、やっとのことで店内へ。イ、ロ、ハ、3種類の天丼のうち、最上級2500円のハを注文。アタシだけはご飯少なめにしてもらう。アナゴ、大エビ、小エビのかき揚げ、旬の魚、蓮根、しし唐、茗荷がどんぶりからあふれ出ている。アタシは茗荷は食べられないので手を付けず。みんな大満足の超満腹。

 吉原土手伝いに歩きながら、落研でありながら落語を知らないコピーライターに廓噺をレクチャー。浅草寺、浅草神社に参拝して松が谷でお茶タイム。上野に向かう途中、ウチの師匠の長屋のあった横丁の前を通る。真ん前にあった同潤会アパートも今や立派なビルに。上野駅で再会を誓って解散。今回も大笑いの同窓会だった。

 

 都内の葬祭施設で友引寄席をやって欲しいという。この種の施設や寺院は友引の日は休みとなるため、その日に寄席を行ないたいというわけだ。出し物は前座と色物と真打という3本でお願いしたいという。お客さんはこの施設を利用している会員の方と近隣の方、また近くの高齢者施設の方々にも声を掛けたとのこと。本番数日前に連絡があり、すでに100人以上の申し込みがあったという。

 さて当日、会場に向かうエレベーターに乗り合わせた方は当然の如く高齢者ばかり。そして、会場を覗くとすでに早々と大勢の方々が会場を埋めている。会場はもちろん普段は式場として使用しているホールである。普段は真ん中に通路を設けるが、寄席仕様とあって、通路は両脇だけである。

 我々の控室は普段は遺族の方々が集まる部屋である。ちゃんと泊まれるように洗面所、トイレ、風呂もあり、押し入れには布団の用意もある。地方から出て来た遺族の方々にとっては、わざわざホテルや旅館を手配することなく、ここに泊まれるのだから便利なはずだ。

 前座、色物の高座を脇で見たら、皆さん反応が良い。毎年行なっている寺院のお施餓鬼の方たちとはえらい違いだ。こちらは菩提寺での行事で、笑うなどとんでもないという雰囲気があるのかも知れない。そんなわけで30分の予定だったのだが、40分たっぷりやらせていただいた。しかし、最後まで笑いが途切れることはなかった。

 終わってから食事までご用意いただいて、却って恐縮してしまった。それもなかなか結構な精進料理で、葬儀での遺族の方々と同じものを出していただいたようだ。帰り支度をして、先ほどまでの会場を覗いてみたら、高座はすでになく、そこにはいつも通り、立派な祭壇が飾られていた。

 福岡で「久留米環境衛生連合会大会」という催しがあって行ってきた。この会は毎年行われていて、毎回記念講演があり、その講演を仰せつかったわけだ。例年は環境についての研究者やそれにかかわる仕事をしてい方々が選ばれているのだが、今年は環境落語にしようというわけ。

 前日に久留米に赴き、夕食を兼ねての打ち合わせ。居酒屋の2階に4人が集まる。馬刺しは熊本だけかと思っていたが、ここにも結構なそれがあった。それに千葉だけが本場と思っていた落花生を茹でたゆで豆まであった。それに粒が大きくて、これがまた実にうまいのだ。

 当日の会場は石橋文化センターのホール。ここはブリヂストン創業者の石橋正二郎氏が「世の人々の楽しみと幸福のために」と寄贈された文化、芸術施設なのだそうだ。庭園、美術館、石橋正二郎記念館、などが併設されている。庭はバラとコスモスが満開であった。

 大会は様々な表彰に続いて記念講演という運び。持ち時間は60分。400席ほどの席はほぼ埋まっている。講演「師匠と弟子」に続いて「環境落語」。途中で帰るような方も少なく、最後まで熱心に聴いていただいた。例年のむずかしい話とは違って、地元の方々にも受け入れていただいたようだ。

 講演が終わってからサプライズ。前夜の居酒屋のおかみさんが店の子と共に会場から舞台の方へ。花束とおこしの菓子をいただいた。こちらはおこしも名物のようだ。60回の節目の大会もこうして盛会のうちに終わった。関係者の方々もホッとされたことだろう。

 去年お声がけいただいて落語を披露したお寺から、今年もお願いしたい旨のメールがあった。去年は2人で1席ずつであったのだが、今年は2席ずつやって欲しいという。今年も女流を1人雇って出向いた。朝7時発の常磐線に乗り、途中乗り継いで2時間近く、最寄り駅に着く。若ご住職が車で迎えに出てくれた。

 車で30分ほどで山奥のお寺に到着。それほど山に入っているとは思っていなかったのだが、携帯電話を覗くと電波が届いていないことを知り、かなり山深い所なのだと改めて認識した。お寺なので落語会が始まる前に法要があるのだが、ご焼香は後になさるという。

 というのも、たくさんの参拝者がいるため焼香の煙が本堂に充満して、噺をするときにむせてはいけないからという若ご住職の計らいなのである。こういう気遣いをされるのは実にありがたい。いやでも一生懸命に演じようとなるのは当然のことである。

 去年は台風の影響で雨が降っていて、参加者は60人ほどであったが、今年は晴れとは言えないが雨は降っていない。皆さん車でお出でになるのだから雨は影響ないと思うのだが、やはり億劫になるのだろう。今年は下足を数えたら80人を超えていた。口コミなどで増えたに違いない。

 本堂に座禅用の半帖の畳を何枚か積み重ねて80センチほどの高さにして、その上に金襴の座蒲団が置いてある、いかにもお寺らしいセッティングである。休憩をはさんで2時間ほど、無事高座を終えた。実に素直な檀家さんばかりで大いに楽しんでいただいた。

 終わってからご住職から「皆さん、笑顔でお帰り頂きましたよ」という何よりの一言をいただいて、こちらも大いに心が安らいだ。このお寺はご住職の気持ちが檀家さん一同に行き届いていて、また近隣の方々とも一体化していて、この地域では、このお寺がなくてはならない存在となっているようである。

 句会「季記の会」に久々に参加した。会場は上野広小路の老舗の天ぷら屋である。参加者は6名。全盛(?)のころの人数の半分である。何とも淋しい。やはり10名以上いないと選句するにも8句選ぶのは大変である。そのため今回は選句5句とした。

 今回の兼題は「龍田姫」「金柑」、そして席題が「鈴虫」である。「龍田姫」はアタシの歳時記には載っていなかったため、ネットで調べた。どうにも現実離れして、つかみどころのない季題である。事実、会場では席題の「鈴虫」の句が一番良かった気がする。やはり、あまりこねくり回したりしないで、素直に詠んだ方がいいようだ。     

 アタシが天に抜いたのが「鈴虫や 鳴いてなんぼの 裏稼業」という作品。作者はベテラン女優のIさん。久しぶりにお会いしたが、相変わらず一ひねりした面白い句である。現在は旦那の介護で大変なようだ。そういえばあまりテレビや映画でもお見かけしない。

 そして、何とアタシの句を天に選んで下さった方がいる。抜いて下さったのは武蔵野美大の名誉教授K氏である。「鈴虫に 村を奪はる 闇ひとつ」。以前作った句の改作である。何はともあれ、短冊を1本いただいて満足である。次回は来年1月であるが、参加するかどうか迷っている。

 

 毎月近所にある私設図書館で例会がある。定員は10名で平均年齢70歳ほどの男女が集まる。この例会では毎回、古い映画やテレビ番組、ドキュメンタリーなどの映写会が行なわれている。このところ、アタシも参加しているのだが、同じ団塊の世代なので懐かしい話が毎回のように飛び出す。

 今回は「花王名人劇場」の登場だ。桜井長一郎、前田勝之助、坊屋三郎、早野凡平、海老一染之助・染太郎、などなど、かつて有楽町の宝塚劇場の上にあった東宝演芸場や寄席の楽屋で、アタシが前座の頃にお世話になった方々ばかりである。

 そんな中でアタシが今回一番楽しみにしていたのが、波多野栄一先生である。現在は後継者が誰もいない百面相の芸である。その中で最も売り物にしていたのが、尾崎紅葉作の「金色夜叉」での寛一、お宮の熱海の海岸の場である。

 テーブルの上に紙芝居風の絵を飾り、その裏の左右から寛一、お宮の扮装をして顔を半分ずつ出すのである。扮装といっても上半身だけで体半分が寛一、もう半分がお宮になり、カツラも左右半分ずつ。そして、セリフを言いながら顔を出すのだが、途中、1回だけ間違えてお宮のカツラのまま寛一がセリフを言う場面がある。これが実に面白い。

 前座の頃、波多野先生が鞍馬天狗に扮装し、我々前座が捕り方役になり、太鼓の長バチを持って鞍馬天狗を斬ってしまったことがある。その時は楽屋で大目玉をくらった。「捕り方が鞍馬天狗を斬るやつがあるか!」と烈火のごとく怒られた。こんなに怒る先生を初めて見た。それにしても惜しい芸だなあ。誰かやらないものだろうか。

 芸協まつりに行って来た。大型台風が近づいていて雨と風が心配されたが、本格的な風雨は夜になるということで決行された。午後1時過ぎに花伝舎に着いたが、雨は降っていない。従って外のグランドの方のテントも通常通りのにぎわいだ。

 案内書をもらい、どこに行こうかとウロウロしていたら、談之助が近づいて来た。彼も何の目的もなくウロウロ組だ。落語会の会場に行くわけにもいかず、アタシのTシャツを頼んでいるアートワークのブースがあったので、顔出し。今年は歌丸師匠の追悼関係の商品が並ぶ。

 寄席や黒門亭の常連さんが介護所脇のテーブルと椅子が用意された所にたむろしていたので、そこに落ち着く。お客さんが美熟女バーのテントから酎ハイを買ってきてくれて、5人ほどの方たちと乾杯。その後、体育館で歌助たちが碁、将棋コーナーを設けていたので対戦しようとしたが、ちょうど歌丸師匠の追悼番組に参加するところで、対戦実らず。残念。

 ちょい飲みコーナー(?)にいると顔見知りのお客さんが次々に集まって来る。落語の話に花が咲きずっと居続けることに。その中に酔っぱらいのばあさんがいて、やたら話しかけてくる。噺家や色物の名前がどんどん出てくるので、かなりの寄席通だが、本物の酔っぱらい。

 4時までの予定が3時半にはお開きに。みな酔っぱらって7人ほどで新宿の駅近くの店で飲み直しということになった。駅までブラブラ歩いて20分ほど。途中、何となくはぐれてしまい、駅に着いた時にはT氏と酔っぱらいばあさんと3人に。駅前のバスターミナルの所でばあさん転んで荷物をぶちまける。

 ばあさんの希望で駅ターミナルの寿司店へ。3人で八海山で乾杯。幸いJRが午後8時でストップするというので早々に店を出る。ばあさんをJRの入り口まで送って解散。芸協まつりに行ったのか酔っぱらいの相手をしに行ったのか分からないが、顔見知りのお客さんととことん話が出来たから、まあいいとしよう。

 第134回目の独演会が終わった。珍しく雨になり出足を心配していたが、いつもと変わらぬお客さんの入りだったので一安心だ。それにありがたいことに初めてのお客さんが何人かいらっしゃった。その中には先日の謝楽祭にお出でになって、その際配ったチラシを見て来て下さった方が何人かあった。

 ウチの町内の私設図書館の例会でお逢いする方も複数でお出でになったし、それと先月、黒門亭に出演したK師匠の親戚で黒門亭が終わってから、K師匠と共に上野でご馳走になったお客さんも見えた。この方とは受付で話をしたのだが、方々の落語会に足を運んでいるんだそうだ。
 
 このお客さんは、これからもアタシの会に来ていただけそうだ。そして、他の落語会のチケットも購入いただいた。こんなに好意的な方はあまりいない。こういう方ばかりだと楽なのだが、現実はそう甘くはない。ちょっと怠るとすぐにお客さんは減る。とにかく落語会の数がべらぼうに多いのだから、みんな集客に必死なのだ。

 さて今回の会には「近日息子」と「抜け雀」を掛けた。前者は近ごろあまりやり手がいない。しかし、理由は分からない。後者は調べてみたら高座にかけるのは20年ぶり。その際にサゲ近くでやりそこなって嫌気がさして、その後やる気を失ったような記憶がある。しかし、どこをどうやりそこなったのかは思い出せない。

 そんなわけでとにかく20年ぶりなので、ほとんど忘れているだろうと思いのほか、久しぶりの割にはどんどん頭に入って来たのでありがたかった。スケはつる子、八ゑ馬の2人。二つ目も自分たちで高座を模索していかなくてはならないのだから、我々以上に大変だろう。

 

 

 

 IT関連の会社からメールがあり、地方に散らばっている支社の社員が東京のホテルに一同に会するので、そこでサプライズで落語を披露して欲しいとのこと。いつも通りに宴会中の落語はやらない旨の返事をした。まあ、大抵はここで諦めてもらえるのだが、今回だけは違った。

 先方からは宴会中に落語を演じてもらうのは確かに失礼なことです。宴会に入る前に演芸だけの席を設けるので、そこでやって欲しいとのこと。それならと応じることにした。そして、出来れば紙切りの芸人を一緒に呼んで欲しいというので、これも承諾した。

 すぐに知り合いの紙切り芸人に連絡を取り確保した。しかし、これだけではまだ安心できない。というのも席が丸テーブルということなので、どうしても普通の並びの席では後ろ向きの席が出来てしまう。だから、開演前に椅子を全部前向きにしてもらわなければならない。

 当日が近づいて来たため、そのことを伝えようとしたら、予め先方から、大きめの会場にしてもらい、丸テーブルの席の横のスペースに椅子を全部同じ方向に向けてその前に高座を作ってくれるとのこと。いや、素晴らしい。ここまで気を遣って下さる会合はまずない。こちらも大いにやる気になった。

 さて当日、会場に向かうとやはり、しっかりしたスタッフが揃っていた。直前に打ち合わせをし、35人ほどの前でアタシが落語を2席、間に紙切りを挟んだ芸を披露した。これほどまでに事前に根回しをして下さる集まりは珍しい。我々2人も気分よく仕事が出来、また先方も大いに楽しんでいただいたのは言うまでもない。

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