時蔵のこんな話あんな話

 IT関連の会社からメールがあり、地方に散らばっている支社の社員が東京のホテルに一同に会するので、そこでサプライズで落語を披露して欲しいとのこと。いつも通りに宴会中の落語はやらない旨の返事をした。まあ、大抵はここで諦めてもらえるのだが、今回だけは違った。

 先方からは宴会中に落語を演じてもらうのは確かに失礼なことです。宴会に入る前に演芸だけの席を設けるので、そこでやって欲しいとのこと。それならと応じることにした。そして、出来れば紙切りの芸人を一緒に呼んで欲しいというので、これも承諾した。

 すぐに知り合いの紙切り芸人に連絡を取り確保した。しかし、これだけではまだ安心できない。というのも席が丸テーブルということなので、どうしても普通の並びの席では後ろ向きの席が出来てしまう。だから、開演前に椅子を全部前向きにしてもらわなければならない。

 当日が近づいて来たため、そのことを伝えようとしたら、予め先方から、大きめの会場にしてもらい、丸テーブルの席の横のスペースに椅子を全部同じ方向に向けてその前に高座を作ってくれるとのこと。いや、素晴らしい。ここまで気を遣って下さる会合はまずない。こちらも大いにやる気になった。

 さて当日、会場に向かうとやはり、しっかりしたスタッフが揃っていた。直前に打ち合わせをし、35人ほどの前でアタシが落語を2席、間に紙切りを挟んだ芸を披露した。これほどまでに事前に根回しをして下さる集まりは珍しい。我々2人も気分よく仕事が出来、また先方も大いに楽しんでいただいたのは言うまでもない。

 土曜日の朝起きてから咳が出始めた。のべつ出るわけではないのだが、一度出るとなかなか止まらない。このところ急に寒くなって、布団を掛けずに寝てしまい、どうやら風邪をひいたらしい。1日置いて月曜日に敬老会があって、長めの噺を1席やらねばならない。

 翌、日曜日1日ゆっくり休めば何とかなるんじゃないかと、長年愛用の龍角散を舐めながら、様子を見ることにした。その甲斐あって咳はおさまってきた。熱があったり、頭が痛いという風邪の症状があっても何とかごまかせるが、咳の出るのは始末に悪い。我慢しようと思ってもどうにもならない。

 常磐線に乗って、敬老会の会場に向かう。最寄り駅には主催者の車が迎えに来てくれてすぐに会場へ。ここは市役所からホールまで関連施設が1か所にまとまっていて、すべてがここで間に合うようになっている。すぐに会場のホール楽屋へ。出囃子のタイミングの打ち合わせをして、めくりのセットをする。

 700人の会場に観客は半分ほど。75歳以上が対象ということだが、中には高齢で具合が悪く来られずに、家族がお土産だけをもらいに来ることもあるそうだ。会場を覗いてみると子供も何人かいる。アタシの前は高齢者の健康管理について飲料メーカーがキャラクターを使っての講演をしている。

 楽屋には弁当とそれとは別に赤飯、お菓子、地元の名産品のお土産が置いてある。何が入っているか楽しみだ。時間通り進んで高座へ。ところが懐中時計を忘れて、会場の時計も高座からは見えない。仕方がないので、手探りでマクラだくさんに長めの高座を務めた。

 途中、携帯電話が鳴ったが、会場が大きいのでさほど気にはならない。それより、目の前の席の高齢者同士のおしゃべりの方が気になった。それより何より、大声を出しても咳き込まなかったのが一番ありがたかった。高座前の龍角散も良かったようだ。今回ばかりはホント龍角散のお蔭だ。

 落語協会のまつり、謝楽祭が終わった。湯島天神に場所が移ってから4回目である。毎度この時期は台風の心配があるし、また今年の実行委員長は雨男で有名な菊之丞だったので、大いに心配していたのだが今年も何とか免れることが出来た。

 アタシは今年もちんちろりんの店を出したが、今年はカミさんと次女の助っ人があったので楽に切り抜けることが出来た。以前、1人で切り盛りをしていた時代には大変な労苦があったが、今やただ店番をするのと指示を出すだけなので何の気苦労もいらないのだ。

 昔は自転車にすべての荷物を積んだり、ぶら下げて運んでから1人で開店の準備をしたもんだが、今は予め商品を入れる段ボール箱も家で作って、それらをまとめてカミさんに車で運んでもらうのだから、こんな楽なことはない。準備にたっぷり2時間かかったものだが、今ではその3分の1ほどだ。 

 この店は売り上げよりも、いろんなお客さんがお出でになるので、それが一番の楽しみ。まずは毎度独演会にお越しくださる常連さん。毎年掘り出し物はないかと予め打診してから、その品をめがけて買取りに来るMさん、アタシが2つ目時代から学園祭に出演していて当時は理科大学の学生で今や教員になった先生方。

 高校時代に入院していた病室の同室の方、東洋大落研の後輩の連中(うち1人は新潟県の村上から駆け付けてくれたR)などなど、この謝楽祭がなければ逢えないような方々との、この日が同窓会のようなものになっている。ただ、ゆっくり相手をする時間がないのだけが残念。それだけにまた来年が楽しみとなるのだけれど。
 


 

 このところ不要品の買い取り業者からの電話がよくある。以前、母の形見の指輪、ネックレス、ブローチなどの宝飾品を処分しようと思い、訪問買取りの業者を呼んだことがある。その時に一番高価であろう金の指輪がいくらになるか楽しみにしていたら、そのような指輪はなかったと言い張られてしまった。まさか身体検査をするわけにもいかず、その時はあきらめた。

 その後、あまり腹がたったので警察に盗難届は出したが、それっきりとなっている。そんなわけで二度とこの手の業者を相手にすまいと思っていたのだが、今回はゴルフクラブを買い取ってくれるというので、呼んでみた。その結果、ビッグバーサのドライバーを含むフルセットが100円、もう一組のアイアンセットも100円、ゴルフバッグが2個で100円、KENNZOとGショックの腕時計が2個で100円の計400円で引き取ってもらった。

 もし、これらを処分するとして粗大ごみで出すと、ゴルフクラブは2組で800円、バッグも2個で800円である。だから大いに助かった。これも以前、女物の着物を処分しようとしたら、どれも1枚500円だという。あまりに安いので、結局、楽屋に持っていって女流講釈師に譲ったことがあった。

 苦労して買った品物でもいざ処分するとなると、こんな値段である。子供のころから集めた記念切手もたくさんあったが、売るとなると額面より安くなるというので、封書に貼って処分したこともあった。封筒の表に10円切手を8枚と2円切手を貼って出した。受け取った方はびっくりしたと思うが、かなりの数になった。

 処分の方法もいろいろだろうが、これからも買い取り業者をうまく利用してせいぜい不要品を処分したいと思う。でもアタシは捨てられない物が多すぎて、これからどうしようかと迷っているこの頃である。

 毎月第4水曜日は松丘亭寄席の開催日である。レギュラーは講釈師を含む5人、それに月替わりの前座が付く。木戸銭は1000円以上となっているが、それ以上払うお客さんはまずいない。そして、終演後に打ち上げがあるのだが、特に料金らしきものは取っていない。

 毎年8月は子供会の子供たちがお寺で寝泊まりをしているので、広間が使えないため打ち上げはない。そして、落語会も本堂で行なわれる。そんなわけで、今月は地元のお客さんの有志が駅近くの店を借りて我々芸人のために打ち上げをして下さる。

 講釈師は酒の席を好まないので先に帰ったが、前座を含む5人でご馳走になった。この日は以前1度行ったことのあるピザが美味しいと評判の店である。店に入ると、たまたま落語会のお客さんがご夫婦で来ていた。やはり近所でも人気のある店であろうことが分かる。

 この店で1時間半ほどご馳走になった後はいつものスナックである。この店に行くのはアタシとRだけ。他の仲間はそのまま帰って行った。このスナックは近くの外語大の女子大生が日替わりでアルバイトに来ている。このバイトも代々引き継がれて3月に卒業すると、後輩にバトンタッチされている。もう何人見送ったことか。

 それはそうとこの日、寺に向かう時に近所の寺でヘビを見かけた。70センチくらいの細いヘビで、真っ黄色のきれいなヘビである。こんな都会では珍しいことなのだが、あんなきれいなヘビだから野生のものではなく、飼われていたものかも知れない。ヘビを見ると縁起がいいと言われるが、アタシはもう見たくない。アタシは子年生まれである。

 先日のある落語会でのこと。アタシも高座の脇ではなく、楽屋のモニターで聴いていたので正確ではないのだが、高座のKが「浴衣をきがえる」と言っているように聞こえた。それから高座を降りて来たので、あれは「きがえる」ではなく「きかえる」が正しいんだよと教えた。

 これはだいぶ前のことなのだが、落語評論家が新聞で「若い噺家が着物をきがえると言っていたが、きかえるが正しい」という記事を見たのだ。それから調べたり、古い先輩方のテープなどを聴いてみると、志ん生師匠もうちの師匠も確かにそう発音している。そして、やはり「きかえる」が正しいと確信したのだ。

 ところが、先日あるCDを聴いていたら、「着物をきがえる」とはっきり言っているものがあった。古典落語であるから明らかに間違いだろう。しかし、今更CDになっているものを当人に注意しても仕方がない。一般の方からしたら大したことではないだろうが、アタシは噺家は言葉の職人だと思っているので、言葉は正確でなくてはならないと思う。

 うちの師匠が健在の頃、「他人の噺はよく聴いておかなくてはいけない。もし自分がその噺をやらなくても、あの人はこうやっていたと教えてやることが出来る」とよく言っていたが、若いころには言えなかったことが、最近になって、やっと他人に教えてやれるようになった。

 

 このくそ暑い中、謝楽祭の準備を進めている。先日、手拭いのご希望を募ったところ、何件か問い合わせがあった。しかし、なかなかご希望の手拭いは見つからない。というのも、ほとんどの方はかなりの落語マニアの方で、ほとんどの手拭いはお持ちなのだ。そんな中で求めて来るものはレアな物ばかり。

 それに最近は噺家が全員、手拭いを染めるかというとそういうわけでもない。ここ何年も染めてないという方も多い。それに近頃は正月に顔を合わせても「行ってこい」ということで手拭いの交換をしないことも多くなった。この方とはご挨拶をしなくては、というのが限られて手に入る手拭いが毎年同じものしかないのだ。

 そんなわけで、なかなかご希望に添えないのだが、ダメもとでもいいとおっしゃる方は是非ともお問い合せ下さい。ひょっとすると、見つかるかも知れません。また、今年は昭和49年から昭和61年までの正月だけの香盤(寄席の出番表で一般の方には手に入らない)になりますが、目玉として出品します。途中、何年か抜けてますが、懐かしい芸名もあります。お楽しみに。

 8月11日は三遊亭圓朝師匠の命日である。亡くなって今年で118年。亡くなったのが明治33年、西暦でちょうど1900年ということだから、計算はしやすい。今年も谷中の全生庵に落語協会員と一般のお客様が大勢集まった。

 午前10時、本堂において読経が始まる。向かって上手に落語協会員、下手にお客様方が陣取る。土曜日だったので、協会員も少ないかと思ったのだが、そんなことはなかった。みな大圓朝師匠のために大勢がご焼香に集まってくれていた。特に二つ目の数が多かったのは心強い。

 読経の後は恒例の奉納落語。今年は金原亭馬生師匠なのだが、司会の歌る多師匠が本堂に呼び込んでもなかなか現れない。すると情報が流れて、どうやらトイレに入っているとのこと。途端に誰かが叫んだ。「何をしてんだ。ホウニョウ落語じゃあねえぞ。」これには周りが大爆笑。

 演目は「安兵衛狐」だったのだが、演ずる時間は15分ほどに限られているはず。25分から30分ほどの噺をどう演じるかと思っていたが、そんな心配は無用、うまいことまとめてくれた。途中、お客さんと我々に問いかける場面もあり、和やかな雰囲気の中での一席となった。

 その後、扇子供養が行なわれて、会長の柳亭市馬師匠の挨拶があった。例年なら落語芸術協会会長の桂歌丸師匠が一緒に並んでご挨拶を頂戴するのが常であったが、その歌丸師匠の姿も今年からは見られなくなってしまった。やはり、毎年当たり前と思っていたことがなされないというのは淋しいものだ。

 供養の後は別室で協会による接待があり、例年通りの蕎麦、助六鮨、木村屋のあんぱんのセット、それにビール、スイカなどが供されて、これもいつも通りの賑やかな法要の締めくくりとなった。今年もお暑い中、みなさんお疲れさまでした。

 9月9日開催の落語協会主催・謝楽祭が近づいて来た。湯島天神での開催となってから、今回で4回目である。あと1か月となったので、ちんちろりんの景品集めの下準備を始めることにした。扇子、手拭いなどは落語協会員に声をかけて、どうやら本数が揃いつつある。

 去年は途中で景品が足りなくなって、早めに店を閉じるハメになってしまったので、今年はそんなことのないように少し多めに用意することにした。しかし、ちんちろりんはサイコロの出目によって景品が決まるので、平均して商品が出るとは限らない。偏ることも多い。

 今年は時蔵T シャツを少なめにして、その分他の品を増やした。お客さんはどちらかというと景品よりちんちろりんを楽しみたいという方が多い。常連さんの中には寄席チケットが目的で、それだけを狙って何回も挑戦してその結果、思い通りにならないなんてことも多い。そこがちんちろりんの面白いとこだ。

 先日、40年来通っている湯島の寿司屋に行って、謝楽祭のポスターを貼らせてもらおうと持参したら、もう、すでに何枚も貼ってあった。前日に町内の人が持って来て、貼っておいてくれと置いて行ったそうだ。どうやら、湯島の町内ぐるみの催しとなって来たようでうれしい。

 そういえば、湯島界隈の店という店には黄色い謝楽祭のポスターがやたらと目につく。今年は去年以上にお客さんが来てくれそうだ。アタシの手許にもいろんな手拭いが集まってきた。謝楽祭を前にご希望の手拭いをお分けしますので、ご希望の芸人の手拭いがあればお問い合せいただきたい。

 

 落語協会恒例の夏の寄合があった。午前11時に浅草演芸ホールを出発。全員が仲見世を通って、浅草寺本堂前で記念撮影し、本堂内で護摩を焚いてもらう。その後、浅草ビューホテル4階の宴会場へ向かう。全員で乾杯すると、すぐに中締めとなる。これも恒例だ。

 隣の席は同期のS師匠である。久しぶりの同席で、麦焼酎の水割りを付き合う。この師匠は未だに携帯電話やスマホを持たない。そして、落語に関してもおかしな現代風のくすぐりを入れるのを嫌う。古典落語を崩さずに演ずるのを旨としている。誠に潔い。

 時折、S師の前座の弟子が御用聞きに来て、そのたびに水割りを作ってはアタシの分まで運んで来るので、結局4杯も付き合ってしまった。料理はローストビーフ、小籠包、天ぷら、野菜サラダなどをいただく。仕上げにそばかチャーハンをと思ったのだが、先日のしゃぶしゃぶ事件を思い出し、やめた。

 前座の余興は師匠方の楽屋での所作を織り交ぜたかっぽれ踊り。これがことのほか動きの特徴をとらえていて面白かった。我々の前座時代、成田の宴会場でやった余興とはえらい違いだ。非常に格調が高い。S師匠共々大いに楽しんだ。午後1時50分、大締めとなった。

 第133回の独演会が終わった。それにしてもここ数日の暑さは異常だ。とにかく暑すぎる。連日35度の猛暑に近い暑さが続いている。そして、まだ7月だというのだから先が思いやられる。これじゃあ、お出でになるお客さんも足が遠のくだろうと思ったのだが、いつもと変わりなかった。ありがたいことだ。

 今回のスケはさん光とあんこ。アタシの演題は「松山鏡」と「鰻の幇間」。後者は略して「うなたい」なんて呼んでいる。前者はお客さんからのリクエストによるネタおろしだ。ごく短い噺だから、すぐに覚えられると高を括っていたのだが、ことのほか手こずってしまった。

 人にもよるだろうが、アタシにとっては何とも手にするのが難しかった。というのも、女房と尼さんという2人の女の田舎者の言葉の使い分けがむずかしいのだ。あまり乱暴な言葉にするわけにもいかず、かといって上品な言葉というわけにもいかず、完成まで時間がかかってしまった。

 それに本文が10分位しかないので、マクラをどのようにしようかと悩んだ挙句、植木等さんとのエピソードを使わせてもらうことにした。苦肉の策というわけでもないが、他に気が付かなかったのだ。植木さんが演じた花嫁のオヤジさんの役からヒントを得て花嫁の嫁入り道具の鏡から噺に入ったのだ。

 終わってから、あんことカミさんと近くの中華料理店で食事。珍しくあんこもウチに泊まることになった。翌朝、あんこが帰る前に洗面所を掃除していってくれた。きれいになった洗面所を見て、カミさんいわく。「たまにウチに泊まって、きれいにしてもらうのもいいわね」。

 

 立川流の真打からの依頼で病院での落語会に行って来た。病院での落語会は久しぶりである。駅で待ち合わせて前座、色物など出演者5人と医師の先生と病院に向かう。会場は病院の人工透析室である。部屋の片側に透析の機器がずらりと並ぶ。高座はベッドである。お客さんは近所の方や患者さん、病院関係者である。

 2時間ほどで落語会は終わり、近所の店で打ち上げがあるという。病院関係者も参加するというので、店からマイクロバスを回してくれ、乗り込む。看護師さんらを含め15人ほど。10分程で打ち上げ会場に到着。しゃぶしゃぶを売りにしている店のようである。

 まずはビール、コーラで乾杯。若い先生方は車で来ているため、コーラなのだ。しゃぶしゃぶとコーラ、変な取り合わせだが、当人の好みだからしょうがない。先付けやら、刺身やら、一品料理が出て来るが、なかなかしゃぶしゃぶが始まらない。1時間半の間、どんどん酒が進む。

 その後やっと、しゃぶしゃぶの登場。みそだれ、醤油だれでいただく。とにかく待ちに待った肉なので、みんなむしゃぶりつく。それまでにすでに充分飲み食いをしていた上にである。もうこれ以上食べられないとこまで、詰め込むだけ詰め込んでしまった。

 家に着いたのは午前0時頃。シャワーを浴びて床に就いたが、明け方4時25分、激しい腹痛に見舞われる。すぐにトイレへ。腹痛はたびたび襲って来るし、腹はグルグル、グルグル鳴っているが、なかなか出るモノが出ない。その間、オエーと嘔吐すること3回。こんなことは初めてだ。

 トイレにこもってから60分、やっと出るモノが出て、治まってきたが、いやあ実に長いつらい1時間だった。全身、脂汗でびっしょり、額からもぽたぽたと汗が流れる。また、いつ腹痛が襲ってくるのか心配でなかなか寝付けなかった。いやあ、参った。高齢者の自覚のないおっさんの哀れな1日となってしまった。

 

 年2回、アタシが隠れ家にしている居酒屋での落語会が開かれている。最寄りの駅からも歩いて20分ほどかかるので、決して便利がいいとは言えない。したがって、その店の常連さんとか、たまたま店に来て知ったとか、店の前のポスターを見たとかのいずれかしか知る方法はない。

 しかし、それだけの宣伝でもいつもいっぱいになる。そして、いつもは土曜日に行なっているのだが、今回は店の都合もあって日曜日に行なってみた。一番心配なのはお客さんの入りだが、何の心配もなかった。今回も大入りであった。

 店の座敷は大きくはないのだが、高座にする座卓の真ん前までお客さんが詰めかけてしまうので、すし詰め状態で身動きがも取れない。また、どうしても高座の目の前は遠慮して空いてしまうので、初めてのお客さんはそこに座るしかない。そして、アタシが高座に上がってしゃべり出すと、あまりの近さに思わず下を向いてしまうのだ。

 そんな状態で1時間近く聞かされる方も辛いと思うのだが、毎回こんな状態が続いている。つまらない、あるいは嫌なら来ないと思っているので、好きな人がいつも集まってくれているのだろう。それも3割くらいは新しいお客さんが入れ替わるのだから、これは店の努力としか言いようがない。

 居酒屋だから、始まる前に吞み始めているお客さんもいるわけだが、みな節度を守ってくれるし、酒を楽しみたいという方は後方のカウンターの方に集まっているので、落語をやるにも、ちっとも邪魔にはならない。お客さんと店の協力なしには、このような落語会は長続きはしない。いい隠れ家を見つけたものだ。

 桂歌丸師匠が亡くなった。ここ数年、入退院を繰り返していて、そのたびに今度は駄目だろうと言われていたが、そのたびに不死鳥のごとくに元気を取り戻して高座に復帰していた。それだけに、今度ばかりはあっけなく逝ってしまったので、まさかという気持ちの方が大きい。

 所属する協会が違うのと会長と平の協会員ということで、あまり接点はなかったのだが、それでもすみだまつりなどの大きなイベントに何度かお付き合いをいただいたこともあった。それとは別に寄席以外で何度かお姿を拝見したことがあった。それは歌舞伎座でのことである。

 アタシが師匠の正蔵から言われた最初の小言は「どうしてお前は芝居を見ないんだ」ということだった。「所作、衣裳、鳴り物など、寄席のすべての要素は歌舞伎にある。お前は学生のころ、いったい何をしていたんだ」とまで言われた。その時は「学生は歌舞伎を見るのが勉強なのか?」と思ったくらいである。

 それからは歌舞伎座に通うようになった。前座の頃はせっかくチケットを取っても、急用を頼まれて何度かチケットを無駄にしたこともあった。その後、真打になったころ、知り合いの方から3階席のチケットを世話してもらうようになってから、毎月の様に通うようになっていた。

 そんな時、よく歌丸師匠にお逢いしたのだ。直接、面と向かってお逢いしたわけではなく、幕間に遠くからお見かけしたのである。会長は1階席、こちらは3階席である。だから、お互いが近くの席に座ることもなく、近くで顔を合わせることもなかった。

 そして、それからまもなくして、師匠の演ずるものに変化が現れた。つまり圓朝物を演ずるようになったのである。歌丸師匠の趣味は釣りと芝居見物である。古くから見て来た芝居が圓朝物を扱うのに大いに役立ったに違いない。やはり芝居は見ておくべきである。心からご冥福をお祈りいたします。

 今年も落語協会の定時総会があった。会場は例年通り浅草ビューホテルである。11時の開会に合わせて落語協会員が続々と3階の祥雲の間に集まる。各机の前には弁当箱が用意されている。中身はいつも通り、たらこと海苔の佃煮のおにぎり2個とおかずの付け合わせが少々である。

 先日、黒門亭で顔を合わせたK師匠がアタシのすぐ後ろに座っていて声を掛けてくれた。約束した謝楽祭用の扇子と風呂敷を持参してくれたのだ。この師匠からは毎年のようにお世話になっている。すぐに査定をして、少し多めに現金で支払いを済ませる。 

 さて総会であるが、まずは市馬会長と正蔵副会長のあいさつ。その後、事務局長から昨年度の事業報告があった。相変わらず、寄席は右肩上がりで客が増えているようだ。そして、今年は理事及び監事任期満了による改選があったが、現体制で今後も進めることになった。

 その後、質疑応答に移り、会員から落語協会が所属している一般社団法人と落語芸術協会が所属する公益社団法人とのお互いのメリットがどのような点にあるのかという質問が出た。アタシも公益社団法人の場合は税金の優遇があるという位のことしか知らない。

 しかし、それほど大きな違いがあるわけでもなく、何となく理解させられるしかなかった。ただ、公益の場合は事務的な書類の記入や手続きが煩雑で事務員が手薄な落語協会にとっては難題となっているようだ。改めて落語芸術協会の事務員さんがまめで優秀であるという印象が強くなってしまったような気がする。

 東京スカイツリーの7階に「そらまち亭」という店がある。この店は客席の一角に高座があり、毎日午後6時半から寄席がある。アタシも数年前に出演しているが、そのころは1日2回公演だった。しかし、現在は1回公演となり、2つ目の噺家と色物の取り合わせとなっている。

 その日はカミさんが実家に行っていたのだが、電話があり、夜、そらまち亭で食事をしようという。同行するのはカミさんのすぐ下の妹とオヤジさんである。親父さんは97歳、一人暮らしであるが、至って元気である。妹が車で我が家まで迎えに来てくれたので、4人でスカイツリーへ。

 なぜ急に出かけることになったかというと、この日はたまたま、あんこが出演しているというので爺さんがぜひ行きたいとみんなを誘ったようなのだ。さて、店に入ると高座のすぐ目の前の席を勧めてくれた。あんこにとってはやりにくいだろうが、勧められるまま、その席に座る。

 食事を始めるのと同時に寄席が始まった。あんこはマクラだくさんの「つる」。アタシは食事はしながらも、しっかり高座の噺は聴かせてもらった。2つ目になってから1年と少し、前座の頃の芸とはだいぶ違ってきた。その後の色物は漫才の「ホームラン」である。目の前で聴かせてもらうため、事前に楽屋には挨拶に伺った。

 爺さんもあんこの芸には満足したようだ。漫才の2人はアタシら家族を引き合いに出しながら、当てぶりを交えて楽しい芸を披露してくれた。他のお客さんもよく笑ってくれて、客席も大いに沸いていた。この場はあんこにとって、経済力安定のいい稽古場となっているようだ。

 久しぶりに落語研究会に所属していた連中の同窓会があった。今回は柴又散策である。メンバーは浅草ビューホテルの元支配人のK、コピーライターで現在は地元伊豆で漁師のまねごとをしているKA,九十九里の大型酒店の親方I、化粧品などの容器を製造しているOとアタシの5人である。佐野のコンビニ社長のNは社員の手術に立ち会うために急きょドタキャン。

 まずは集合場所の東京駅大丸の喫茶店へ。アタシとIはみつ豆とあんみつ、残り3人はそれぞれ好みの飲み物とトースト1人前を分け合って食べることにした。まずは近況を話し合って、Nがなぜ来られなくなったのかの説明をKAから聞く。どうやら今回、社員とよんどころない事情が生じてしまったらしい。
 
 柴又駅前の寅さん像の前で記念撮影。この日はゑびす家が休みのため、迷わず川千家へ。全員、うな重の松を注文する。かなり、おまんまは多めである。ゆっくり食事を楽しんでから、まずはともあれ帝釈天へ。お詣りをして境内を散策してから山本亭へと向かう。

 ここでは何やら、TV・CMの撮影中。横をすり抜けて寅さん記念館へ。入場料500円だが、4人がシルバー料金の400円。アタシも初めて来たのだが、「くるまや」の店やタコ社長の「朝日印刷所」のセットが組まれていて、また数々の名場面の動画などもあって、結構楽しむことが出来る。

 すぐ隣には山田洋次ミュージアムもあり、こちらは監督の初期作品から寅さん映画、また時代劇3部作、正蔵も出演している家族シリーズなど、山田監督の今日までの足跡を辿ることが出来る。山田洋次監督や寅さん映画のファンにはたまらない場所となっていることだろう。

 この日は異常多動、多弁症のNがいなかったため、静かな散策となった。それにしても平日であったためか、川千家も寅さん記念館も、また帰りに寄った団子屋も高齢者ばかりだった。この街には若者が住んでいないのかと思う位。尤も今や寅さんを知らないという若者世代が多くなってしまったのも事実であろう。

 志ん輔師匠からの依頼で都内のお寺での落語会があった。ご住職から丁重なご案内の手紙を頂いたのだが、それによると7年前にも伺っているというので思い出した。最寄りの駅からは5分程でいただいた地図を頼りに向かったのだが、寺は向かいにある神社の先であったような気がして進んでいったら、少し行き過ぎてしまった。

 楽屋にしている部屋に入ると太鼓のケースが置いてある。どう見ても洋楽のドラムのケースであるが和太鼓の大きさにもピッタリ合うようだ。そういえば少し前、志ん輔師が和太鼓が欲しくてネットで探しているとのことだったので、どうやら気に入ったのがあって買ったらしい。

 その話を聞いた時に、ネットでそんなに和太鼓が売りに出ているものかと検索してみたら、結構いろいろな品が紹介されていた。これなら本来新品で10万円位する品がかなり安く手に入るはずだ。便利な世のなかになったが、どうもアタシはネットで買い物をしようという気がしない。やはり現品を見ないと不安である。

 この日は小菊さんも出ていて、そのために太鼓を持参したようだ。それも宅配便で送ったのかと思いきや自宅からタクシーに乗せて来たという。それも大変なことだと思ったが、この日は若い二つ目のKの出番があったので、彼に自宅まで来てもらって一緒に運んだのだという。

 うちの師匠の芝居噺の時なども師匠宅にあった太鼓のセットを持って行ったが、結構かさばって運ぶのに苦労したもんだ。志ん輔師も今のうちは買ったばかりだから、あちこち持参するだろうが、そのうちに面倒になって家に置きっぱなしになるような気がする。まあ、あれば便利ではあるのだが。

 さて、落語会も終わってから、ご住職も交えて近所の料理屋さんで打ち上げ。小さな店だがなかなか手の込んだ料理を出して下さる。トマトの中を抜いて、その中にサラダ類を詰めるというような手間のかかる料理を楽しみながら、お客さんとの会話も大いにはずんで楽しいひとときを過ごした。

 東京ディズニーランドが35周年を迎えたそうだ。別にそれにあやかったわけではないが、家族3人で急に出かけることになった。どうやら、家族の話では父の日のプレゼントという名目らしい。理由は何でもいい、ありがたくお受けして出かけることにした。

 11時過ぎに現地に到着。以前にはなかったが、入り口で簡単な手荷物検査。以前といっても、もう何年前か覚えていない。数年前に来たのはディズニー・シーだからランドの方は20年くらい来ていないのかも知れない。以前に比べると外国人の多いのに驚く。

 まずは待ち時間の少ない「カリブの海賊」から。まだ子供が小さいころ初めてランドに来て、いきなり、このアトラクションに入ったら恐怖におののいて、その後、どのアトラクションにも興味を示さず、ついにはミッキーのキャラクターにも近づかないほどにおびえてしまい、大失敗したことがあった。

 それにしてもベビーカーがやたらと多いのが目につく。自分の子供たちが小さい時はさほどに感じなかったのかも知れないが、当時もこんなにあったのだろうか。まあ、子供が楽しむ所だから当たり前か。食事をするにしてもレストランがいっぱいで、結局ハンバーガーをベンチで食べることになった。

 その後も順調にアトラクションを楽しんで、最後の締めは何といっても「イッツ・ア・スモールワールド」だ。内容が一新したと言うが何が変わったのか、全く分からない。その後はパレードや花火を鑑賞して午後9時近くまで、童心にかえって楽しい1日を過ごして来た。

 第65回の余一会ゴルフコンペがあった。いつものゴルフ5カントリーかさまフォレストが会場である。そして今回は27名もの参加者があった。早朝からわざわざ板橋から迎えに来てくれるので、このところはIの車に便乗して参加している。1時間半でゴルフ場に到着。

 スタート前に全員が集まって朝礼。今回は2つ目の参加もあって、少し平均年齢が下がったかもしれない。しかし、我が組は最終組のスタートで3人の合計年齢が224歳、平均年齢約75歳というロートルメンバーとなっている。もちろん、全員がゴールドティーからのショットとなる。ゴールドティーはレディ―スティーとほぼ同じである。

 レギュラーティーよりはかなり前からのショットとなるため、ずいぶんと有利と思いきや以前は入らなかったサイドバンカーに入ったり、それなりの攻略法を要求される。それでもロングホールやショートホールではかなり有利となる。だから、ショートホールのグリーンには乗せやすいと思うのだが、それがなかなかそうはならない。この辺がたまにしかゴルフをやらない我々の弱みだ。

 それでも、この日はアタシもショートホール4つのうち、1ホールだけワンオンした。それも何と80センチくらいだ。当然バーディーと思ったのだが、残念ながらパー。しかしながらファーストニアピンを獲得したので大いに潤った。この余一ゴルフはいかにショートホールにワンオンさせるかというコンペといってもいいくらいだ。

 宴会はいつもの寿司屋(寿司屋といいながら寿司が握れない変な店)が休みのため、中華の店へ。何しろ27名だから座敷はいっぱいになってしまった。こういう場では我々のしきたりで常に香盤順となるため、2つ目や若手の真打が率先して動かざるを得ない。2つ目の一門のIもかいがいしく働いていた。

 この日は天気予報では午後から雨模様の予報もあったのだが、降られることもなくそれほど暑くもなく楽しいゴルフとなった。一緒に回った余一会会長のH師は若手に交じって遊ばせてもらっているが、果たしていつまで出来るだろうと言っていたが、アタシとて同じ思いだ。

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