時蔵のこんな話あんな話

 東洋大学で文化講演会があった。会場は白山キャンパスの井上円了ホールである。ここでの落語会も何度か行なっているが、今回は文学部の学生を対象とした授業の一環とした落語会である。従って前回までのように観客の動員をすることもなく、その点では気が楽である。

 とはいっても、700席の客席が授業を受ける学生だけで、すべて埋まるはずもなく、また一般の客を呼んでもいいということなので、それなりの動員をかけた。その甲斐あって、客席のほとんどを埋めることが出来た。今までの講演会と比較してもよく集まった方だろう。

 実はこの講演会を企画したのは学生時代の同級生で、本学文学部のN教授である。その関係でアタシも今までに文学部の学生を対象にした1コマ90分の授業を任されたこともあり、そこで落語論を論じたこともあった。というと大変そうだが、学生は毎年変わるので、毎年同じ内容でもまったく問題はなかった。

 さて今回の出演者は本学の出身者で固めることにした。前座は柳家寿伴、2つ目はあんこである。あんことアタシは2席ずつ演ずることにした。今までの経験で学生にはガチの古典落語は理解してもらいにくかったので、分かりやすく「新聞記事」と「居酒屋」。あんこは「猫と金魚」と「悋気の独楽」。寿伴は「饅頭恐い」である。

 客の反応をみて、あんこは「猫と金魚」を「牛ほめ」に変更した。やはり、「猫金」は分かりにくいと判断したのだろう。まあ、こういう場ではとにかく分かりやすい噺が一番なんだと勉強になったことだろう。肝心の落語は一般のお客さん方の助けもあり、大いに受けた。中でも文学部長さんに予想以上に喜んでいただけたのがうれしかった。

 また環境落語の依頼があった。メールでの依頼がほとんどだが、ご縁のない、とんでもない所からのものもある。今回もネットでご覧になり依頼して来たものだが、森林組合という事務所から。なぜアタシの所に依頼して来たのかは分からないが、とにかく来るもの拒まずだから引き受けた。

 途中で何か森林とか、木材に関する話をして欲しいとのことなので、それならそちらで原稿を作ってもらって、それをもとにしゃべると返事したのだが、その件については後日、何の返事もなし。なので、いつも通り、「師匠と弟子」を60分ほど、「環境落語」を30分やることにした。

 当日は午後からの催しなので午前中に来てもらって、昼食を食べながら打ち合わせをしようとのこと。駅から車の迎えがあり、組合事務所に寄ってから店に向かった。事務所でいただいたものの中に小さな木箱があった。たて20センチ、よこ9センチ、高さ6センチほどの蓋付きの箱である。

 表に宝船の焼き印があって、これは何かと尋ねると「宝くじ入れ」なのだそうだ。宝くじをこれに入れて保管すると当たるということらしい。値段は3000円。これは売れないだろうな、とアタシは思ったが、先方もそう思って200個弱しか作らなかったのだそうだが、これを売り出すと即日完売になったそうだ。世の中平和だ。

 さて、昼食は鰻だったが、久々に食べた白焼きがおいしかった。蒲焼の方は皮がぱりぱりだったが、やはり、柔らかい方がアタシは好きだ。そこから会場の施設へと向かったが、組合の方々と一般の方々合わせて80人ほど。午後のひととき、環境問題を考えながら、おしゃべりさせていただいた。さて、例の木箱であるが、現在、「拡大鏡眼鏡」入れになっている。ハハハ。

 ずいぶん長い間逢っていない知人から、小学校で環境落語をやって欲しいとの依頼があった。というのも彼は今年、小学校のPTA会長になったとのことで、持ち回りで何らかの講演会を行わなくてはならなくなったとのこと。そのため、アタシの所へ依頼したのだという。

 例年はセキュリティやらのちょいとお堅い講演会を行なっていたのだそうだが、今年は少々趣を変えて笑いを取れるようなものにしたいとの要望。むろん引き受けたのだが、この講演会は生徒が対象ではなく、ほとんどは保護者が集まるのだという。

 詳しく聞いてみると、この地区の7校の小学校が合同で行なう催しで、各校の校長と生徒の保護者と関係者が対象なのだという。時間が結構とれるので、若手の仲間を連れて番組を組もうとも思ったのだが、どうやらアタシ一人でいいのだそうだ。それではと講演と環境落語という2本立てということで承諾いただいた。

 当日は午後からの講演なので、早めに来ていただいて昼食をご一緒にとのことで出向いて行った。駅前で待ち合わせたのだが、分からない。というのも20年近く逢わないうちにすっかり体重が増え、顔が真ん丸になってしまっていたのだ。おそらく20キロ以上は増えているだろう。

 校舎の体育館に着いてまずは打ち合わせ。よくあることなのだが、控室は大抵体育館から離れた所に用意されている。この日もその例に漏れず、体育館の上手の袖で着替えることにした。この時期は結構寒いのだが、この日は暖かかったのでありがたい。それでもストーブを用意して下さった。

 さて、講演に入ったが、どうも反応が鈍い。ウケているのは最前列の校長先生方ばかり。どうやら保護者の若いお母さん方は笑いに飢えてはいないらしい。まあ、そんなこともある。校長先生方をお相手に指定された時間を消化して無事終了。これだったら生徒たちに聴いてもらった方が良かったのかも知れない。

 落語協会主催の新作落語台本発表落語会があった。今年もお江戸日本橋亭で行なわれたが、チケット発売早々に完売してしまったそうだ。当日お出でになったアタシの友人も窓口で断られて、仕方なく帰ったと前座から知らされた。もっと早く言ってもらえれば何とかなったのだが、当人もこんなに盛況だとは思わなったのだろう。

 さて、今回の出演者は一之輔、アタシ、はん治、粋歌、円丈の5人である。アタシの演ずるのは「隣の男」というちょっとホラーがかった噺である。この噺を選んだ理由は落語台本の中に、アタシの本名を使った中川という男が登場するからである。作者は別に意図があって使ったわけではないだろうが、これによりアタシは一種の演ずる使命感を与えられた気がしてしまった。

 アタシは他の演者と違って、なるべく原作に近い状態で演じたいとする方なので、そのまま演じたいと思うのだが、それでも噺の流れの悪い所や落語には向かない無理な表現、もたもたした会話などは遠慮なく手を入れた。おそらく手を入れた原稿を見たら、削った所や書き込みの多さに驚くことだろう。

 それにしても稽古にずいぶんと時間をとられてしまった。古典落語30分物の倍以上の時間をかけただろう。とにかく初めは原稿を読み込んで何度も手直ししなければならず、かなりの時間を取られた。たぶん作者も、演ずるに当たり、演者はこれほどまでに苦労するものなのかと思うに違いない。

 しかし、覚える段階になると、何としてもこの作品で最優秀を取るんだという使命感と、無駄のない、絶対に面白い、これ以上に演じられない作品にしようという気持ちでいっぱいになった。だから、当日までの1週間はこの作品のことしか頭になかった位。こんなことは久しぶりだ。稽古は裏切らないというのは、やはり本当だった。

 

 墨田区在住の高齢者を対象にしたコミュニティカレッジが終了した。この集まりは去年が第2期の初年で、アタシは去年も参加をした。今年も6月から始まり、途中、夏休みを挟んで11月の半ばまで全17回行なわれた。アタシはいつも自転車で行くため、雨の日と用事のある日は休みとなるが、11回参加した。

 この集まりは以前は明治青年大学と称していて、そのころはアタシも講師として落語を披露していた。そして、現在は受講者として参加するという妙な因縁のある講座である。以前は別の会場であったが、参加する人数はもっと多かったような気がする。

 さて、先日のカレッジでは「外国人が感動する(おもてなし)の極意」と題する講座があった。これはNPO法人の女性講師が担当であったが、その中で、外国人が嫌がる日本人の行為としてどういうものがあるか、具体的な例をあげて下さいと言う質問があった。

 すると、ある女性が「おそばをズルズルとすすること」との意見があった。講師がそれに賛意を示して、「そうですね、その通りです」と返した。その後もう一人、手を挙げた方があって、「うどんをズルズルすすること」と答えた。講師もその方に恥をかかせまいと「そうですね」と返事をしていたが、アタシはおかしくてたまらなかった。

 この時思い付いたのは、学校寄席で「紙切り」芸人がお客さんから注文を取る時に、特に小学生が相手の時など「うぐいす」などの注文があると、その後すぐに「すずめ」などの注文が続くことがある。いわゆる連鎖反応で、紙を切る方もこれは困る。切った2枚を並べてみると、ほとんど変わりはない。 年をとると子供に返るというが、こんな所にもそんな現象が現れるようである。

 久しぶりに臭気判定会というものに参加した。これは墨田区の環境保全課が募集して、参加を希望する区民に判定を委嘱するものである。しかし、嗅覚に問題があってはいけないので、あらかじめ予備判定会があり、それに合格した人のみが参加できる仕組みである。

 あたしは数年前にも参加したことがあり、今回が2回目である。墨田区の環境審議会委員としてはうってつけの業務である。当初は7月に行なわれるとのことであったが、連絡がないため今回は見送りになったのかと思っていたが、先日封書が届いた。6名揃わないと行なわれないため、早速に申し込んだ次第。

 午後2時から4時半までということだが、これは前回よりも拘束時間が長い。指定された区役所の別室に6名が集まり、早速説明が始まる。方法は前回と同じ。3つの透明なセロハン袋に太いストロー状のものが刺してあり、栓がしてある。その栓を抜いて中の臭いを嗅ぎ、他の袋と異なる臭いのする袋を1つ選び用紙に記入するのである。

 判定が難しくても1つの袋は選ばなくてはいけないのが決まりである。ところが前回と比べると、かなりむずかしい。すべてで14回ほど行なったが、まったく自信がない。前回は明らかに異臭のする袋を簡単に選び出せたのだが、今回はそれがないのだ。他の方々もみな同様の反応を示していた。

 こんな判定で良かったのかどうか分からないが、皆が戸惑うような反応を示したことで、当局としてはそれで成功なのかも知れない。自信のないまま判定をして3時45分頃には終了した。果たして、こんな判定で良かったものかと思いながら、報酬を手にして引き上げて来た。

 今年から始まった銭湯寄席も今回で4回目になった。わずかだが地元のお客さんも何人かお見えになるようになって、どうやら形にはなっては来たが、欲をいえばもう少し人数が欲しい。でも人数は初めから変わらないのだから、こんなもんで、ちょうどいいとするしかないのだろうか。

 そして、今回あらたな問題が持ち上がった。というのは、この地区の浴場組合の組合長が急死して、銭湯寄席の席亭さんが組合長代理ということで、急に忙しくなって来たのだそうだ。そのため、近隣の銭湯に声をかけて協力を呼びかけざるを得なくなったそうだ。

 やっと軌道に乗って来た、とは言えないが、何とか形になって来たのに、この先どうなるか分からないというのは不安だ。せっかく機会が与えられたのだから続けていきたいのは山々だが、アタシの方でこうしてくれとは言えない。そのため、来年からはやり方が少し変わって来るかも知れない。

 これから先のことは席亭さんと近隣の組合の方々の手腕に任せるしかない。何にしても、この節は人を集めることが本当にむずかしい。我々の仲間もいろんな場所を探って、しゃべる所を確保しようとしている。アタシらクラスになると今さらあくせくすることもないが、これからの2つ目の連中は大いに苦労するだろう。

 

 お寺の行事で「献穀祭」というものがあって、そこで落語を演じてもらえないかとの依頼があった。関東近県の寺で、2つ目と2人で来てほしいとのこと。普段はなかなか捕まらない2つ目のKに連絡を取ってみたら、昼間は空いているというので、同行してもらった。

 久々にローカル線に乗って都内から2時間近くかかって最寄り駅に到着。駅前でご住職が出迎えて下さった。そこから寺までは20分ほど。山に向かって車を進めて行くと、道の脇のところどころに小さな穴が掘られている。これはみなイノシシによるもので、たまに集団で出ることもあるのだという。

 あいにく、この日は台風が関東に接近していて、雨が激しく降り続いていた。60数名の参加申し込みがあったというが、果たして何名ほどが参加することやら。とにかく、どのような寺で、どのような場所で行うのか、寺に着いてすぐに会場を見せてもらう。

 本堂の仏様に向かって高座が設えてあり、仏様を背にして檀家の方々が集まるという。本堂の後方に椅子が多数並べられており、これはおみ足の不自由な方のためという。その椅子をお客さんの後方のすぐ後ろに並べ替えていただくようにしてもらった。

 「献穀祭」というのは五穀の収穫と生産を祝うとともに、命を頂いて生きていることへの報恩感謝の法要を行なうことなのだそうだ。なるほど、祭壇にはたくさんの米やら作物が供えられている。そして、生産者の名前がそれぞれに書き記してある。

 時間に合わせてみな車で寺に集まって、総勢60名ほど。どうやら台風の影響はあまりなかったようだ。Kは迷った挙句に「金明竹」、アタシは「替り目」をやり、1時間ちょっとの落語法要を終わる。初めての試みだったそうだが、たくさんの皆さんに喜んでいただいて、こんなありがたいことはない。

 東洋大学の校友大会があった。この日は大学主催のホームカミングデーも同時に開催されて、大いに盛り上がるはずであったが、超大型台風が本州に接近していて参加者は例年の半分以下という淋しさだった。アタシも城東支部副支部長という身であるため、出かけて行った。

 本学教授の講演もあったのだが、むずかしい演題であったため、パスさせていただき、その後の懇親会から参加させていただいた。例年なら地下食堂いっぱいの参加者で埋まるのだが、やはり少ない。それでも青森の五所川原からのNさんは参加して下さった。太宰治の育った斜陽館を訪れた際には大いにお世話になった方だ。

 そんな懇親会の最中にすぐ隣で「植木等展」が行なわれていたので覗いてみた。バンドマン、コメディアン、俳優、文化人など、様々な顔を持つ本学のOBである植木さん。アタシもゴルフに3回ほどお付き合いして、その後も何かとお世話になった大先輩である。

 ゴルフ前夜、一滴も酒が飲めないにも関わらず、夜遅くまで酔っぱらいのお相手をし、ゴルフではキャディーさんを大いに喜ばせながらプレーをして下さった。そのサービス精神旺盛な姿は大いに勉強させられたものである。といってもアタシにはとてもまねの出来ることではない。 その「植木等展」で植木さんの残してくれた一文が目に留まった。

 人に対し、仕事に対し、常に誠意を尽くし、どうすればうまく行くか、どうすれば相手に満足してもらえるか、必死の気迫が周囲の人にも伝わって、協力が集まり事が成る。当たり前のことだが、この当たり前が難関突の基本である。 
 日々の仕事、人間関係を考える時、あらためて我が身を省みてみたい。
                      植木 等
   

 

 毎月、近所の私設図書館での集まりがある。ここは伝統芸能や映画関係の図書や資料が豊富で、それらに関心がある方々が覗きに来る。そして、月1回、映画やドキュメンタリーの映像を放映している。この日は昭和30年に公開された川島雄三監督作品の日活映画「銀座二十四帖」。

 この映画はその当時の銀座の景色を残したいという監督の思惑もあり、戦後から10年たった東京都心の映像がたっぷり楽しめる。主演は月丘夢路と三橋達也である。そして、若かりし頃の北原三枝や浅丘ルリ子の姿も見ることが出来る。

 浅丘ルリ子は銀座で経営する三橋の花屋の店員の役で出ているが、当時15歳。きれいと言うより、まだかわいいという表現がぴったりだ。しかし、アタシは出演している役者よりも周りの景色の方がやたらと気になる。当時の銀座の服部時計店やデパートの建物がとにかく懐かしい。

 東京の真ん中の銀座の街も人通りも少なく、車の量もごく少なく、国産車よりも外車の方が目立つ、そんな風景を見ていると、やはり今よりはまだ世の中がのんびりしていた様子がよく分かる。道行く女性は丈の長いフワッとしたスカートをはいていて、そんなファッションが手に取るよう分かるのも映像の強みだ。

 この日はいつもの深川落語会の常連さんのKさんご夫妻も見えていて、その他も60代のおっさん、おばさんばかり。映画の放映中もこの景色はどこどこだとか、これは懐かしいだのと、口をはさむものだから、静かに映画を楽しもうという向きにはおすすめ出来ない。

 しかし、このような映像をわざわざ遠くまで出掛けなくても、近所で楽しめるのはホントにありがたい。どちらかと言うと映像よりも同世代が集まって、酒を酌み交わしながらワイワイガヤガヤやっている感があって、そちらの方が本当の楽しみなのかも知れない。

 第17回深川落語俱楽部が終わった。今回はいつものレギュラーメンバーが揃わず、そのために新たな人選に及んでトリには権太楼師匠にお願いをした。こんな時にでもないとお声を掛けることもないので、頼んでみると快く引き受けていただいた。

 出し物も「火焔太鼓」ということで、いつものメンバーの出し物とは色合いの違ったネタを頂戴できてありがたかった。それに久方ぶりにぴっかりも都合がついて、いつものクイツキに出てもらうことになった。出し物も「任侠流山動物園」という、これはどうやら白鳥ネタらしい。

 このところやたらと女流が白鳥ネタを高座に掛けているが、白鳥が女流を集めて落語会をやっていて、女流を意識しての出し物作りをしているのかも知れない。いずれにしても女流向きのネタを提供しているのだとしたら、それはそれで大いに結構なことだ。

 アタシは久々に「近日息子」を掛けてみたが、思いのほかウケた。近頃あまり聞かないし、却って新鮮だったのかも知れない。花緑師匠はアタシの指名で「野ざらし」をやってもらい、三三師匠は「橋場の雪」という「夢の酒」に似た珍しい出し物を選んでくれた。

 権太楼師はどうやら風邪気味でコンディションは良くなかったようだが、いつものような独創的な演出を見せてくれて、客にもよくウケていた。やっぱり頼んでみて良かったと思う。ここ数回でお客の入りも安定し、やっと軌道に乗ってきたと言えるような会になったのが一番ありがたい。

 「やまぐちエコパークまつり」というイベントに呼ばれて「環境落語」をやって来た。前日に新幹線で新山口まで行き、駅前のホテルに一泊。当日の朝、新山口から山口に向かったのだが、山口名物のSLの出発が遅れたとのことで電車の到着も遅れた。
 
 向かった施設は今年20周年を迎えるという。館内には様々なリサイクル品などの展示物が飾ってあり、2階が落語の会場となっている。高座をなるべく高めに言っておいたため、80センチほどのテーブルが用意され、ビロードのテーブルクロスが掛かっている。申し分なし。

 まずは出囃子のCDを流してもらって、音量などのチェックを終え控室へ。土地の食材を生かした結構な松花弁当が用意されていた。惣菜だくさんのごく上品な逸品である。早速いただいた後、身支度を整える。開演に先立ち、市長さんのあいさつ。

 会場に入った時に館内のお客さんは多くなかったので、期待はしていなかったが、どこから現れたのか、50人ほどが集まっていた。いよいよ開演。しかし、CDが鳴らない。大人5人がかりでセットしたCDが言うことを聞かないのだ。モゾモゾやっているが、一向に鳴らない。諦めて高座に上がる。

 いつものように冒頭で携帯電話、スマホの電源を切るよう案内をして、しゃべり始めて10分ほど、いきなり館内放送が響く。たまらず噺をストップ。館内放送がされないように確認してから、噺の続き。何とか30分しゃべり終えた。トラブルにもかかわらず、お客さんの反応はすこぶる良かった。

 これで反応が今一つだったら、最悪の高座となるところだったが、なんとか救われた。事前に準備を怠らず備えたつもりでも、いざという時に予期せぬ出来事は起こるものだ。しかし、我々の仕事はお客さんに笑って喜んでいただくのが一番。その意味では何とか目的を果たせたと思う。

 今年から始まった葛飾区の銭湯寄席も3回目が終わった。店主はあまり乗り気ではなかったのだが、とにかくやってみましょうと押し切ってしまったのだ。アタシは当初、年2回位のつもりでいたのだが、1回目が終わるなり、2か月後の日程を問い合わせてきたので少し慌てた。

 しかし、店主の方でやる気があるのなら、断る理由もなく言われるままに日程を組んで無事3回目が終わった。今回は開演15分前になっても誰も来ないので、どうなることやらと思っていたが、時間前になってゾロゾロと入って来て、いつも通りの入り。といっても20人ほどの席しか用意していないので、人数はたかが知れている。

 毎回、新顔の方がいて、どうやらこの銭湯のお客さんのようだ。店主が気を遣って集めて下さったようだ。近所の校友会の方も毎回来て下さっているが、きょうは少なかった。秋口はどうしてもイベントや集まる機会があって、この手の会は集まりが悪い。

 2席で50分ほどしゃべってお開き。その後、銭湯に浸かってから近所の行きつけのファミレスに向かう。この銭湯寄席は毎回ここが打ち上げの場所となっている。きょうはアタシを含めて4人だけ。してみると銭湯のお客さんがいかに多かったかが分かる。

 湯に浸からずに落語会だけを楽しむ方もいらっしゃるようで、そういうお客さんも大事にしなければならない。今年はもう1回あるが、来年はどのように進めていくのか店主と話し合いもしなければいけないだろう。いずれにしても落語会を継続するのは大変なことである。

 

 今年の新作落語台本の最終決定選考会があった。アタシは仕事で出席出来なかったが、先日の先行会議で残った作品を記しておこう。
 
 1、「ヤタガイ」 2、「隣の男」 3、「お江戸オールスターズ」 4、「夢」 5、「タワーマンション24階の悲劇」 6、「オロチ退治」 7、「空き巣」 8、「恋愛シンギュラリティ」 9、「ギョウセイダイシッコウ」 10、「中学生老人」 11、「かかあ天下」 12、「夫婦の豆腐」 13、「水の女」の13本で、このうち、まげ物は 3、4,6,11、12の5本であった。

 そして、最終選考に残ったのは次の5本で演者もそれぞれに決定した。
    
     1、「夢」            春風亭一之輔 
     2、「隣の男」          林家時蔵
     3、「かかあ天下」        柳家はん治
     4、「水の女」          三遊亭粋歌
     5、「ギョウセイダイシッコウ」  三遊亭円丈

 あたしは欠席したので、どのような過程で最終決定されたのかは分からない。アタシが1番に推薦したのは「隣の男」で、演じるのも希望したのだが、最終的に残ったということは他の何人かも推奨してくれたに違いない。残念ながら本選には残らなかったが、アタシが他に推薦した作品を挙げておこう。

 「弟子志願」 「ハモ医者」 「認知賞」 「虫歯の行方」 「夫婦の花道」 「七福神」 「悲しい忘れ物」 である。
以前にも書いたが、募集規定は15枚までであるが、寄席の高座15分で出来るように設定したものである。従って、10枚以下のものは選ばなかった。結果的には47本あったが、他の委員も選ぶ者はいなかった。発表会は11月25日、お江戸日本橋亭行なわれる。

 「たばしお寄席」があった。といってもお分かりがないだろう。正式には「たばこと塩の博物館」の主催で行われる寄席である。といってもそんな博物館は聞いたことがないとおっしゃる方がほとんどだろう。この博物館は3年前に墨田区横川に出来たもので、我が家からは自転車で20分もかからない。

 もともとは渋谷にあった博物館なのだが、なぜかこちらに移って来たのである。以前は大きな倉庫があった所で、それを潰してこの地に出来たものである。そして、目の前にはJTの大きな建物がある。これがたまたまなのか、わざわざ移って来たのかは分からない。

 さて、この日は台風が接近していたので、自転車で行くのを諦めて墨田区の循環バスで行くことにした。区役所に行く時にたまに使うバスである。しかし、この日は大幅に遅れていた。というのも、牛島様の祭りの最終日にぶつかって、神輿による通行止めをくらったのだ。

 従って、博物館に到着するのも大幅に遅れてしまった。楽屋にはこの日の共演者である浮世絵学会の研究者であるS氏がすでに到着していた。S氏とは古くからの知り合いで、この日はアタシの出し物に合わせた浮世絵と対談のお相手を務めて下さることになっていたのだ。

 出し物は博物館の希望で「環境落語」と「佐野山」の2席である。「環境落語」を一般のお客さんの前でやるのはあまりないことだ。でも反応は悪くはなかった。「佐野山」はちょうど場所中であったので、今場所の横綱3人の休場などをネタに大いに盛り上がった。

 その後の対談で驚くべきことを知った。谷風と対戦をしたのは佐野山ではなく他の力士であったというのだ。谷風と佐野山は同時期の人物ではなかったとのことだ。これは番付などでも立証済みだそうだが、しかし今更力士の名を変えてやるわけにもいかない。史実とは違うようだが、そのような事実があったのは確かなのだから、良しとするしかないだろう。

 今年の新作落語台本は担当する委員5人が338本の全作品を読み終えて、その結果の選考会議が行なわれた。今年は毎年参加をしている円丈師匠が読み手には加わらなかった。そして全作品から例年通り十数本に絞り込んで、その作品を他の委員たちに読み合わせてもらう段取りとなっている。

 今年から提出する作品を1人2作品までとしたが、例年以上に多くの作品が集まった。選ぶ委員によって、選考基準に多少の違いはあるだろうが、400字詰め原稿用紙15枚までとしてあるのに、中には6枚やら8枚といった作品もあった。小噺の募集ではないので、アタシはこの手の物は採用しない。12枚位から15枚までの物を対象とした。

 全体に、ただ筋を追って最後に申し訳程度の地口のサゲを付けたような作品が多すぎる。つまり、途中にくすぐりの全くない物が多いのだ。これでは募集の趣旨としている「笑いを中心とした寄席で演じられるような優秀な作品」には該当しない。となると、おのずと作品はある程度絞られて来る。

 さて、5人がそれぞれ演じるに値する作品を選んでもらった結果、今年はかなりばらけた。それでも個人的にこれは絶対いい作品になるといった物も加えて選んだ結果、13本の作品が選考に残った。アタシがイチ押しにした作品は他の委員にも賛同して頂いたが、何としてもこれは自分で演じたいと思う。もっとも他の委員が適当でないと判断したら、それまでの話だ。

 作品は現代物とまげ物に分けてあって、そのバランスをとるように半々にしたいのだが、どうしてもまげ物の方は少ない。今年は現代物8本、まげ物が5本という結果になった。後日の最終選考会で5、6本に絞られるが、どのようなことになるか楽しみである。発表会は11月25日に日本橋亭で行なわれる。

 10時開場の前からフライイングのお客さんが入っていたが、いったん帰宅したカミさんも開場前に戻って来た。隣は去年と同じく正太郎の似顔絵の店である。この店は行列が出来て、こちらの商売がしにくいので今年は場所を変えたのだが、また隣になってしまった。しかし、角店なので片方は空いている。これなら何とかなりそうだ。

 開場と同時にドッとお客さんがなだれ込んできた。初めは遠巻きにしていたお客さんも我が店に集まってきた。昨日、大阪の彦八まつりに参加して、きょうは湯島天神にやって来た常連のM氏が現れた。さる真打の引き出物やら扇橋師匠の句入りの湯のみを引き取ってくれた。

 その後、かつてアタシが高校時代に入院していた時の患者仲間の方が現れた。十数年前、謝楽祭の前身の圓朝まつりの際にいきなり現れて、何と37年ぶりの再会を果たした方である。杖は突いていたがお元気そうだ。こういう出会いは謝楽祭ならではのものである。その後、アタシの会のご常連も続々お見えになった。

 また、かつて2つ目の頃から大学祭に出演させていただいた東京理科大の学生さん、といっても今は皆さん教師となって、教壇に立つ先生方も何人かお見えになった。例年のこととはいいながら、元気な姿を拝見出来てうれしい。17日のたばこと塩の博物館の独演会にもお出で下さるという。

 普段の落語会で顔を合わしていても、こういった交流の出来る機会はめったにない。やはり、謝楽祭はお客さんとの交流の出来る貴重な場となっている。他の店のお客さんもそれぞれの贔屓の噺家と交流して、大いに楽しんで喜んでいるに違いない。

 今回は先月の深川落語倶楽部の際にアタシがチラシを大量にばらまいておいたお蔭で、その関係の方が大勢お見えになった。そして、折角だからとちんちろりんにも参加して頂いた。これも大きな収穫であった。こういうお客さんがまたリピーターになって下さるからだ。とにかくいいことずくめの1日だった。いやあ、謝楽祭って本当にいいもんですねえ。

 いよいよ謝楽祭の本番を迎えた。一番気がかりだったのは台風だ。直接、影響はないだろうと思ってはいたが、とにかく大型だと聞いていたので進路が西に向かないように願うばかり。幸い予定通りのコースを進んでくれたので、ひとまず一安心だ。

 実は2日前にぎっくり腰をやってしまって、どうにも思うような動きが取れない。当日の商品を運ぶのにも一苦労だ。そのため一番量のかさばるTシャツを今年は少し減らした。それでもバカでかのキャリーバッグと普通のバッグと計3個に手拭い、扇子、Tシャツなどを詰め込む。

 今年も荷物のバッグ類はかみさんがカーシェアして湯島天神まで運んでくれることになった。これだけでも大助かりだ。朝7時半に出発。予定通り8時前には現地到着。すぐに販売ブースにバッグ類を運び込む。腰は相変わらず痛むが、きょうばかりはそんなことは言っていられない。

 すでに飲食の連中は仕込みに大わらわだ。物販の仲間も準備に追われていた。アタシもすぐに荷を広げて出品の準備に取り掛かる。一番手間のかかる商品の入れ物にする段ボール箱はすでに家でカットして、それぞれの大きさに切り分けて作成して来た。

 1時間かけて商品を見やすく並べて9時には準備完了。すでにお客さんがちらほら見えて各店舗を覗いている。品定めをしているのだ。本来は10時開場だが、9時半ころには開場同然。しかし、我がちんちろりんの店は遠巻きにするようにしてなかなか人が寄ってこない。

 しかし、2,3人が店の前に集まると群がってくる。人が集まっていると何だろうと、覗きに来るのだ。群集心理というのは面白いもので、こうして、今年のアタシの謝楽祭が始まった。今年は一体どんなドラマが待っているのか。いよいよお客さんとの駆け引きが始まった。

 新たな銭湯寄席が始まるため、その銭湯の下見に行って来た。今度の銭湯は台東区の稲荷町である。稲荷町といえばアタシの師匠の8代目林家正蔵の住まいのあった所である。そして、その銭湯こそが亡き師匠と通った湯屋なのである。何という偶然であろう。

 今から40年以上も前のことである。師匠の住んでいた長屋には風呂がなく、銭湯通いをしていた。主に夕方、弟子がいれば、一緒に行くことになっていた。師匠だからということで背中を流すこともなく、これといって手のかかることもなかった。ただ、下駄箱の扉が開いていると師匠は機嫌が悪く、すべて閉めて回るのが弟子の仕事であった。

 そんな思い出の銭湯と今回ご縁があって、落語会をやることになったのだ。店主はこの間まで世話になっていた東京スカイツリーの真下にあった銭湯の店主である。今度、こっちに移って来たのである。先日、下見をしたところ、40年前の面影は全くなく、きれいな店となっていた。

 店主にご案内いただき、そのリビングルームで行なうことになった。現在は店主が自分の部屋として使っているため私物がたくさん置かれていたが、すべて片付けてくれるという。それでも20人も入ればいっぱいである。いずれにしても、妙なご縁を感じてやらない手はない。地元の方にも是非お出でいただきたい。初回は11月である。

 

 近所にある私設図書館の眺花亭に出かけた。この日は月1回行われる映像によるイベントの当日だったのだ。懐かしの映画やドラマ、テレビ番組などが放映される。今回は昭和35年ごろのテレビ番組から「まぼろし探偵」と「少年ジェット」の2本立てである。

 「まぼろし探偵」には吉永小百合が出演するというので、どんなもんかと申し込みをしたわけである。以前、ここでは「怪傑ハリマオ」やら「月光仮面」も見たが、今回改めて見てみると、やはりその頃のテレビ番組は映画と違って、いかに金を掛けずに安直に作られていたかがよく分かる。

 それに知った役者はほとんど出てこない。冒頭に藤田弓子さんの名前があったので目を凝らして見ていたが、女子事務員としてほんの1カットだけである。当人と確認するほどにはっきりとは顔が確認できない。それにセリフもないから、本当に当人なのかは分からない。

 「少年ジェット」が丸の内のビル街を颯爽と愛犬シェーンと駆け抜けるシーンがあったが、当時のビル街は実に立派である。現在のビル街とは比べるまでもないが、当時の官庁街は重厚で落ち着いた雰囲気があって、見ごたえがあった。車の数も驚くほど少ない。

 それにしても他に役者がいないのかと思えるほど、素人に毛の生えたような役者が多い。監督はどんな演出をしていたのか訊いてみたいほどだ。それにストーリーも実に簡単。子供だから、すべて納得して見ていたのだろう。それに比べたら、今のテレビドラマの格調がいかに高いかがよく分かる。ああ、そうだ。吉永さんはかわいかったですよ。

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