時蔵のこんな話あんな話

 今年も胃のバリウム検査の時期となった。いつも通り、同愛記念病院に申し込みをして出かけて行った。受付に行くと、例年にない問診用紙を受け取る。バリウムによるアレルギーがあるかとか、食事を摂らずに来たかとか10項目ほど。血圧も計るよう指示があったので、設置してある血圧計で測定すると148と98。降圧剤を飲んでいないので高めだ。

 レントゲン室で受付をして、すぐに検査着に着替えて検査室へ。検査台に乗ってから短い試験官に入った胃を膨張させる粉末を飲む。その際、げっぷが出そうになっても我慢するように指示されるが、これがむずかしい。どのようにしたら、げっぷが止められるかやったことがないからだ。

 バリウムを少しずつ胃に流し込んだ後に検査台が横に倒れて、台の上で腹這いになったまま5回ほど回転をする。これが結構手こずる。これも普段からやることのない動作だからだ。のそのそしていてはいけないと思い、必死のおもいで回転する。

 その後、検査台の上で横を向いたり、あおむけで頭が下がった状態になったり、胃を器具で押さえ付けられた状態になったり、息を止めたりと、げっぷを我慢しながらかなりつらい動作を強いられた。それでも胃カメラを飲むことに比べたらずいぶんと楽だ。

 検査はちょうど10分で終わった。体力のない人だったら動作も緩慢になり、もう少し時間もかかることだろう。以前は倍ほどの時間がかかったから、次第に検査も楽になっているのだろう。しかし、検査台の上で体を動かす動作は以前と比べるとかなり多くなっているように思う。

 

 もう先週のことになってしまったが、寄席で豆まきがあった。今年の節分の日はちょうど土曜日だったので、黒門亭でも豆まきがあった。たまたま、その当日、黒門亭の番頭を担当していたので、午前11時に落語協会2階の楽屋に行ってみると、蔵之助と金八が作業をしていた。

 毎年やっていることのようだが、2人は早めに来て福豆の袋詰めをしていたのだ。大入り袋と普通の封筒2種類に次々に詰めていく。その数、150個ほど。そんなにたくさん詰めなくてもと思うのだが、残ってもしかたがないので袋の豆すべてを詰めるのだという。

 黒門亭は1部、2部で満員になっても80名なので、福袋は必ずと言っていいほど手に渡る。その上、出演者の手拭いも撒くので、こちらも他の寄席に比べるとかなりの確率で手に入るはずだ。事実、1部は40名、2部は20名のお客さんであった。

 特に2部の方は手拭いが14本もあったので、7割の確率でお客さんに渡ることになる。他の寄席でもいつもよりお客さんの入りが良かったそうだから、福豆や手拭い目的のお客さんが多かったということだろう。節分の日に何らかの品を手に入れたい方はぜひ来年、黒門亭にお出でいただきたい。

 11日間にわたる浅草演芸ホール1月下席が楽を迎えた。普段より1日多いだけなのだが、ずいぶんと長く感じられた。29日には寄席を終えてから、師匠の命日であったため、池袋の寺まで墓参りに行って来た。その帰り、稲荷町の交差点で大きな声でアタシの名前を呼ぶ人がいるので、そっちを見ると正蔵だ。この辺りを旅番組でロケ中だという。

 そして、千秋楽。昼席のトリまで居残るため、自分の出番が終わってから湯島天神に向かい初詣。あちらこちらに受験生の合格祈願の絵馬があふれるまでに掲げられていた。みんな必死なのだろう。どちらかと言うと受験生本人ではなく、家族の方々が多く詣でていた。ここは9月に謝楽祭の会場となる所だ。

 時間があったので思いついて、すぐ近くの麟祥院に向かった。ここは東洋大学の学祖である井上円了が大学の前身である哲学館を起こしたところである。また、ここは春日局の菩提寺でもあるため、一緒にお参りをする。その後、浅草の寄席に戻る。

 楽ということで、一朝師匠の一門の若手が何人も残っていた。そして、楽屋で一朝師がトリで何をやろうか迷っていたので、「七段目」をリクエストする。この師匠の芝居噺は定評がある。歌舞伎座で笛を吹いていたこともある位だし、何しろおかみさんはもう亡くなったが、歌舞伎役者の娘さんである。

 ハネてから、稲荷町の居酒屋に行くという。29日に正蔵がロケしていた目の前の店である。この店では定期的に寄席が開かれていて、店のそこら中に噺家や色物のポスターが所狭しと張られている。後ほどトイレに行ったら、ここも壁にチラシやポスターがあふれていた。

 楽の打ち上げは下座さんや一門、それに一朝師のお客さんを含めて総勢14名。店は貸切となった。この日はアタシは柳朝に付き合って熱燗を頂く。彼は夏でも熱燗しか呑まないのだという。11日間の寄席を無事に勤め上げて、みんな満足そうだった。

 埼玉の製造会社社長さんからメールがあって25周年記念の宴会があるので、その席で落語をやって欲しいとのこと。社長さんの話では以前、寄席で落語を聴いたら、ことのほか面白かったので、ぜひやってもらいたいのだという。実際にそういう方は多いのだが、本当に呼んで下さる方はまずいない。

 初めの話ではアタシだけ行けば良いのだろうと思っていたのだが、前座と2人で来てくれとのこと。ギャラのことを訊ねてきたので、アタシのホームページをご覧下さいと返事。アタシのホームページには落語口演のすべての金額が明朗会計で記載されている。その結果、ぜひお願いしたいとのことなので、前座のYと連絡を取って2人で伺うこととなった。

 当日は駅まで車を回して下さるとのことなので、Yともそこで待ち合わせ。すぐに車で会場の料理屋へ。20分ほどで会場到着。すぐ宴会場の諸々をチェック。間もなく宴会場に従業員の方が40名ほどが入場して来る。高座は高さ50センチほど。実はもう少し高さが欲しいのだが、まあ仕方がない。

 Yは「転失気」、アタシは「居酒屋」でご機嫌をうかがうこと約1時間。なかなかのいいお客さんだった。終わってから宴会。この店は鰻と鯉料理が売りなのだという。鯉のあらいに鯉こく、それにうな重。鯉こくは久しぶりだが、実においしかった。さすがにうな重は食べきれずにおみやにしてもらう。Yは完食。

 この席の司会進行はこの会社の新入りで25歳の純情社員Nさんが行なったのだが、とにかく慣れないもんだから、我々から見ると笑わずにいられないことばかり。最後の締めのあいさつがうまくできず、結局、「青い山脈」を唄う羽目に。それも4番まで。会場は大爆笑だった。いやあ、N君のお蔭で久々に楽しいお座敷体験をさせていただきました。

 今月下席(21日から31日まで)、浅草演芸ホールの昼席に入った。本来は30日までなのだが、今月に限り31日まであるとのこと。そんなわけで31日の余一ゴルフ会には出席出来なくなってしまった。まあ、仕方がない。昼席のトリは一門の春風亭一朝師匠である。

 昼席なので午後4時半バラシである。21日、まだ表は明るいが、初日ということもあり打ち上げがあった。会場は寄席近くの我々もよく利用する料理屋である。お囃子さんや一朝師のおかみさんらも参加して、賑やかな酒席となった。総勢12名。アタシはホッピーをいただく。

 ほとんど一門なので気をつかうこともなく、たわいのない話に終始した。それにしても新真打のSはよくしゃべる。突っ込みを入れる間もなく、一人でしゃべりまくっている。まあ、その分、アタシらがしゃべる必要がないので、楽といえば楽である。

 この店はお通しが1種類でなく、10種類くらいあって、それが初めに出て来て、それをみんなでつまむことが出来るので、その日によってどんなものが出て来るのかが楽しみである。その他にみんなてんでに好きなものを頼んで楽しい打ち上げとなった。

 アタシもこのところ風邪気味だが、楽屋でもインフルエンザがはやっていて、落語協会の事務所から手を洗浄するものやら、除菌をするグッズが届けられた。みんな使っているようには見えないが、仲間の休席が増えると事務所では代演者のやりくりが大変なので、その対策という意味合いもあるようだ。

 

 今年も新春福笑があった。一度中断した時期もあったが、ここ3年は毎年行われている。例年通り、天心聖教本部のファミリーホールが会場となっていて、今年もほぼ満席の盛況である。遠方からのお客さんも多く、以前は終演が夜9時ということもあったが、現在は7時前には終わるようになっている。

 また、ここ数年は我々落語協会会員の出演が増えて来てうれしい。以前は落語協会からはアタシ一人ということが長らく続いてきたが、ここにきて半数ほどが協会員で埋まるようになった。これはアタシ側の希望ではなく、天心聖教側のご要望だから余計にありがたい。

 とにかく、この落語会のお客さんはみんなで楽しもうという気持ちがいっぱいで、演ずる方もこれほどありがたいことはない。3時から7時近くまでの4時間近くの長時間お付き合いいただいて、その上笑うという行為は、かなり疲れることであろうが、そんな様子は見えない。

 カミさんは例年の如く、楽屋で出演者の接待に当たっていたが、毎年参加しているM師匠から「ここの職員の人なんでしょ」と言われて苦笑していた。M師匠は毎年出演しているのに、未だにカミさんの顔を覚えようとはしないらしい。また来年も同じセリフが聞けるかもしれない。楽しみだ。ハハハ。

 終わってから、カミさんと次女、それにお客さんのA夫妻らと5人で巣鴨駅前の料理屋で食事。この夫妻は1年少し前にハワイに一緒に行った仲間で、年恰好もほぼ同じでみんな酒好き。そんなわけで、みんなすっかりいい心持になっちまったあげく、まだ時間があるというのでカラオケに行くことになった。

 このメンバーでのカラオケは初めてのことだったが、これからはガチンコの大歌唱大会。みんなマイクを持ったまんま、なかなか離さない。そのさなか、次女は1曲も歌わず、ただ聴いているだけ。昔だったら、ぐずってもう帰ろうとうるさかったのだが、そんなこともなくなった。いやあ、今や1人前の立派な大人となりました。めでたし、めでたし。

 

 独演会にも来て下さる古くからのお客さんから、去年のうちから年始にお出でよと誘われていたので、あんこと伺うことにした。最寄りの駅であんこと待ち合わせ。駅から電話すると、すぐに車で迎えに来てくれた。勤務先である事務所に着くと先客あり。立川流のR師とウチの協会でここの地元出身のKである。

 アタシら2人だけでの年始挨拶と思っていたのでちょっと驚いたが、アタシらがこの日、年始に来ることになっていたので、どうせならと、あらかじめ2人を呼び出したとのこと。まあ、仲間なら多い方が賑やかで楽しい。すぐに途中参加して乾杯。

 アタシの数少ないオダン(相撲で言えば谷町)ともいえる、このお客さんはもともと料理人なので、酒の肴はなかなかのものである。この日のモツの煮物などは店に出しても充分いける代物であった。しかし、この方は酒が一滴も吞めない。それにもかかわらず、昔からいろんな店に連れて行ってもらって、ご馳走してもらっている。

 それに話には聞いていたが、この事務所の中は落語博物館といってもいいくらいの逸品が揃っている。手拭い、色紙、口上書きなどが、すべて額に入って飾られている。色紙の数は100枚では下るまい。その他、落語関係の資料も膨大なものだ。趣味の噺家の墓巡りのスクラップブックもすでに3冊になっていた。

 むろん、話の中身も落語ばかりで、酒を仲間と酌み交わしながらの落語三昧はたまらない。R師が落語協会に所属していた頃はアタシより少し先輩であったが、一緒に勉強会をやっていた仲間でもあり、その頃の懐かしい話にも大いに花が咲いた。久々に楽しい正月の一コマとなった。

 

 元日。 平成も30年を迎えた。新年あけましておめでとうございます。例年通り、初席は浅草東洋館の5日間である。今年は11時50分上がり。初席は朝9時半に開演するのだから、早い出番の人は大変だ。それ以上に早いのは階下の浅草演芸ホールで、9時の開演である。普段の我々の生活からは考えられない。

 元日は客席が一杯になることはあまりないのだが、今年は大体埋まっていた。出足はよさそうである。持ち時間は10分なので「居酒屋」のいいとこだけをやって、すぐに下りる。1部のトリは木久扇なので、初日だけは最後まで残るのが常である。2階の小さな楽屋で時間をつぶす。

 2時過ぎにトリの出番が終わってから、助六の宿・貞千代に向かう。例年通りの仲間が3人、それに浅草の芸者さんが1人、この日は幇間連中はいなかったが、早速、社長に手拭いを差し出してご挨拶。日本酒で乾杯をして新年を祝い、早速おせち料理に手を付ける。4時間ほどお邪魔をして退散。

 
 2日、3日。 元日に紋付き袴で歩いたら、かなり疲れた。2日目からは作務衣を着込んで、着物は持ち歩く。2日、3日は東洋館の高座を終わってから根岸の三平堂へ向かう。昨年同様、三が日の3日間だけ三平堂で初席が行なわれるのだ。海老名家ではまずはおかみさんに挨拶をして大きな盃に入ったお屠蘇を頂く。

 次から次へと一門だけに限らず、仲間が顔を出すので来たもの順に次々に高座に上がる。ここも10分高座である。出番の終わった者は勝手に酒を呑んだり、雑煮をご馳走になったりで台所はてんてこ舞いである。アタシもご相伴に預かってご馳走になる。
 「向こうから坊さんが2人来るね」「オショウがツーだ」

 

 とうとう大晦日になってしまった。例年だと大晦日は町内の睦会の行事の準備で忙しいのだが、秋を迎えた頃に睦会を辞めさせてもらった。そのため、大掃除のし残したことをしたり、元日からの衣装の準備をしたりして、のんびりと過ごすことが出来た。

 朝には雪が降ったようだが、まったく気が付かなかった。しかし寒いのは確かだ。若いころは気が済むまで、たとえ大晦日でも掃除をしていたもんだが、そんな気力もなくなり、拭き掃除をしただけで今年は大掃除を切り上げた。掃除で無理をして腰でも痛めては何にもならないので、年相応にして、こんなもんでいいんだろう。

 今年もいろんなことがあったが、家族は大病をすることもなく、まずまずの1年であった。何よりである。来年がどんな年になるかは分からないが、あまりあくせくすることなく、気楽に過ごしたいと思う。今年1年、お付き合い下さりありがとうございました。来たる年が皆さんにとって、佳き年でありますよう祈念申し上げ、来年もよろしくお願い申し上げます。

 毎月、月初めに近所にある私設図書館の眺花亭からメールが届く。主に演芸関係のイベント情報が多いのだが、その中に懐かしい映画や映像の公開の連絡がある。今までに「月光仮面」や「少年ジェット」「怪傑ハリマオ」「まぼろし探偵」などの映像を懐かしく楽しませていただいた。

 今回は「歌って踊って3人娘で年忘れ」と題して1956年、杉江敏男監督作品の「ロマンス娘」の放映と相なった。主演は美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの3人娘である。そして、それを鑑賞するのは平均年齢69歳の団塊の世代のおじん、おばんである。

 みなてんでに好みの飲み物を持参せよとのことなので、ワインであったり、マッコリであったり、日本酒、焼酎と様々である。アタシは焼酎を持参し、氷とウーロン茶を提供して頂いてチビチビといただく。放映は午後7時からであるが、もっぱら酒を楽しみたいという者は6時前には集まって来る。

 だから、映画が始まる頃にはいい心持になっている者もいる。アタシもそのうちの1人であるが、映画が始まればガブガブ呑むわけにはいかないので、それまでにせいぜいピッチを上げて飲むわけだが、始まる前に語られる、ひとときのたわいのない話がまた面白い。今回は船で40日間海外を旅して来たという女性の話で盛り上がった。

 さて映画が始まると、この3人娘の中では美空ひばりのギャラがダントツに高いとか、演技もひばりが一枚上だとか、この役者は当時、誰それと付き合っていてどうなったとか、とにかく、様々のエピソードが語られて、普通の映画館では考えられないような会話が飛び交う。

 そんな中で、今回は現在、ギンザシックスとなった松坂屋の在りし日の雄姿を見ることが出来た。アタシが小学校3年生頃の映像であろうか。とにかく同年齢の連中なので、その頃の懐かしい映像とともに当時の世相が様々に語られるのが、また楽しいのである。

 

 東洋大学落語研究会の後輩で現在は越後に住んでいるKからすき焼き用の村上牛が届いた。ここ数年、お歳暮として送ってくれるのだが、ホントにありがたい贈り物である。そこに同封してあった手紙を見ると、何とも田舎らしい雄大な話が紹介されていた。

 何でも彼女の旦那が馬を買うと言い出して、つい先日、その馬が届いたのだそうだ。そして、急きょ、自慢の庭(彼女自身の言葉である)に重機が入って、あっという間に馬小屋を造ってしまったのだ。そして、馬だけじゃあ淋しかろうということで、一緒に山羊も買う羽目になったそうだ。

 何でも旦那は昔から会社に馬で通うのが夢だったんだそうで、何としてもその夢を実現したかったんだそうだ。そして、今しかチャンスはないと思い馬を購入したとのこと。何ともスケールの大きな話ではないか。今どき、乗用車でなく、馬というところが何ともすばらしい。しかし、毎日の世話は大変だろう。

 その馬と山羊の写真がメールで送られて来たが、何となくほのぼのとしたいい風景だ。都会暮らしのアタシたちにはちょっと思いつかない発想で、実に羨ましい限りだ。これからも夢を追いかける旦那と幸せに暮らしていくことを切に願うばかりだ。もちろん、すき焼きはおいしくいただきましたよ。

 東洋大学で文化講演会があった。会場は白山キャンパスの井上円了ホールである。ここでの落語会も何度か行なっているが、今回は文学部の学生を対象とした授業の一環とした落語会である。従って前回までのように観客の動員をすることもなく、その点では気が楽である。

 とはいっても、700席の客席が授業を受ける学生だけで、すべて埋まるはずもなく、また一般の客を呼んでもいいということなので、それなりの動員をかけた。その甲斐あって、客席のほとんどを埋めることが出来た。今までの講演会と比較してもよく集まった方だろう。

 実はこの講演会を企画したのは学生時代の同級生で、本学文学部のN教授である。その関係でアタシも今までに文学部の学生を対象にした1コマ90分の授業を任されたこともあり、そこで落語論を論じたこともあった。というと大変そうだが、学生は毎年変わるので、毎年同じ内容でもまったく問題はなかった。

 さて今回の出演者は本学の出身者で固めることにした。前座は柳家寿伴、2つ目はあんこである。あんことアタシは2席ずつ演ずることにした。今までの経験で学生にはガチの古典落語は理解してもらいにくかったので、分かりやすく「新聞記事」と「居酒屋」。あんこは「猫と金魚」と「悋気の独楽」。寿伴は「饅頭恐い」である。

 客の反応をみて、あんこは「猫と金魚」を「牛ほめ」に変更した。やはり、「猫金」は分かりにくいと判断したのだろう。まあ、こういう場ではとにかく分かりやすい噺が一番なんだと勉強になったことだろう。肝心の落語は一般のお客さん方の助けもあり、大いに受けた。中でも文学部長さんに予想以上に喜んでいただけたのがうれしかった。

 また環境落語の依頼があった。メールでの依頼がほとんどだが、ご縁のない、とんでもない所からのものもある。今回もネットでご覧になり依頼して来たものだが、森林組合という事務所から。なぜアタシの所に依頼して来たのかは分からないが、とにかく来るもの拒まずだから引き受けた。

 途中で何か森林とか、木材に関する話をして欲しいとのことなので、それならそちらで原稿を作ってもらって、それをもとにしゃべると返事したのだが、その件については後日、何の返事もなし。なので、いつも通り、「師匠と弟子」を60分ほど、「環境落語」を30分やることにした。

 当日は午後からの催しなので午前中に来てもらって、昼食を食べながら打ち合わせをしようとのこと。駅から車の迎えがあり、組合事務所に寄ってから店に向かった。事務所でいただいたものの中に小さな木箱があった。たて20センチ、よこ9センチ、高さ6センチほどの蓋付きの箱である。

 表に宝船の焼き印があって、これは何かと尋ねると「宝くじ入れ」なのだそうだ。宝くじをこれに入れて保管すると当たるということらしい。値段は3000円。これは売れないだろうな、とアタシは思ったが、先方もそう思って200個弱しか作らなかったのだそうだが、これを売り出すと即日完売になったそうだ。世の中平和だ。

 さて、昼食は鰻だったが、久々に食べた白焼きがおいしかった。蒲焼の方は皮がぱりぱりだったが、やはり、柔らかい方がアタシは好きだ。そこから会場の施設へと向かったが、組合の方々と一般の方々合わせて80人ほど。午後のひととき、環境問題を考えながら、おしゃべりさせていただいた。さて、例の木箱であるが、現在、「拡大鏡眼鏡」入れになっている。ハハハ。

 ずいぶん長い間逢っていない知人から、小学校で環境落語をやって欲しいとの依頼があった。というのも彼は今年、小学校のPTA会長になったとのことで、持ち回りで何らかの講演会を行わなくてはならなくなったとのこと。そのため、アタシの所へ依頼したのだという。

 例年はセキュリティやらのちょいとお堅い講演会を行なっていたのだそうだが、今年は少々趣を変えて笑いを取れるようなものにしたいとの要望。むろん引き受けたのだが、この講演会は生徒が対象ではなく、ほとんどは保護者が集まるのだという。

 詳しく聞いてみると、この地区の7校の小学校が合同で行なう催しで、各校の校長と生徒の保護者と関係者が対象なのだという。時間が結構とれるので、若手の仲間を連れて番組を組もうとも思ったのだが、どうやらアタシ一人でいいのだそうだ。それではと講演と環境落語という2本立てということで承諾いただいた。

 当日は午後からの講演なので、早めに来ていただいて昼食をご一緒にとのことで出向いて行った。駅前で待ち合わせたのだが、分からない。というのも20年近く逢わないうちにすっかり体重が増え、顔が真ん丸になってしまっていたのだ。おそらく20キロ以上は増えているだろう。

 校舎の体育館に着いてまずは打ち合わせ。よくあることなのだが、控室は大抵体育館から離れた所に用意されている。この日もその例に漏れず、体育館の上手の袖で着替えることにした。この時期は結構寒いのだが、この日は暖かかったのでありがたい。それでもストーブを用意して下さった。

 さて、講演に入ったが、どうも反応が鈍い。ウケているのは最前列の校長先生方ばかり。どうやら保護者の若いお母さん方は笑いに飢えてはいないらしい。まあ、そんなこともある。校長先生方をお相手に指定された時間を消化して無事終了。これだったら生徒たちに聴いてもらった方が良かったのかも知れない。

 落語協会主催の新作落語台本発表落語会があった。今年もお江戸日本橋亭で行なわれたが、チケット発売早々に完売してしまったそうだ。当日お出でになったアタシの友人も窓口で断られて、仕方なく帰ったと前座から知らされた。もっと早く言ってもらえれば何とかなったのだが、当人もこんなに盛況だとは思わなったのだろう。

 さて、今回の出演者は一之輔、アタシ、はん治、粋歌、円丈の5人である。アタシの演ずるのは「隣の男」というちょっとホラーがかった噺である。この噺を選んだ理由は落語台本の中に、アタシの本名を使った中川という男が登場するからである。作者は別に意図があって使ったわけではないだろうが、これによりアタシは一種の演ずる使命感を与えられた気がしてしまった。

 アタシは他の演者と違って、なるべく原作に近い状態で演じたいとする方なので、そのまま演じたいと思うのだが、それでも噺の流れの悪い所や落語には向かない無理な表現、もたもたした会話などは遠慮なく手を入れた。おそらく手を入れた原稿を見たら、削った所や書き込みの多さに驚くことだろう。

 それにしても稽古にずいぶんと時間をとられてしまった。古典落語30分物の倍以上の時間をかけただろう。とにかく初めは原稿を読み込んで何度も手直ししなければならず、かなりの時間を取られた。たぶん作者も、演ずるに当たり、演者はこれほどまでに苦労するものなのかと思うに違いない。

 しかし、覚える段階になると、何としてもこの作品で最優秀を取るんだという使命感と、無駄のない、絶対に面白い、これ以上に演じられない作品にしようという気持ちでいっぱいになった。だから、当日までの1週間はこの作品のことしか頭になかった位。こんなことは久しぶりだ。稽古は裏切らないというのは、やはり本当だった。

 

 墨田区在住の高齢者を対象にしたコミュニティカレッジが終了した。この集まりは去年が第2期の初年で、アタシは去年も参加をした。今年も6月から始まり、途中、夏休みを挟んで11月の半ばまで全17回行なわれた。アタシはいつも自転車で行くため、雨の日と用事のある日は休みとなるが、11回参加した。

 この集まりは以前は明治青年大学と称していて、そのころはアタシも講師として落語を披露していた。そして、現在は受講者として参加するという妙な因縁のある講座である。以前は別の会場であったが、参加する人数はもっと多かったような気がする。

 さて、先日のカレッジでは「外国人が感動する(おもてなし)の極意」と題する講座があった。これはNPO法人の女性講師が担当であったが、その中で、外国人が嫌がる日本人の行為としてどういうものがあるか、具体的な例をあげて下さいと言う質問があった。

 すると、ある女性が「おそばをズルズルとすすること」との意見があった。講師がそれに賛意を示して、「そうですね、その通りです」と返した。その後もう一人、手を挙げた方があって、「うどんをズルズルすすること」と答えた。講師もその方に恥をかかせまいと「そうですね」と返事をしていたが、アタシはおかしくてたまらなかった。

 この時思い付いたのは、学校寄席で「紙切り」芸人がお客さんから注文を取る時に、特に小学生が相手の時など「うぐいす」などの注文があると、その後すぐに「すずめ」などの注文が続くことがある。いわゆる連鎖反応で、紙を切る方もこれは困る。切った2枚を並べてみると、ほとんど変わりはない。 年をとると子供に返るというが、こんな所にもそんな現象が現れるようである。

 久しぶりに臭気判定会というものに参加した。これは墨田区の環境保全課が募集して、参加を希望する区民に判定を委嘱するものである。しかし、嗅覚に問題があってはいけないので、あらかじめ予備判定会があり、それに合格した人のみが参加できる仕組みである。

 あたしは数年前にも参加したことがあり、今回が2回目である。墨田区の環境審議会委員としてはうってつけの業務である。当初は7月に行なわれるとのことであったが、連絡がないため今回は見送りになったのかと思っていたが、先日封書が届いた。6名揃わないと行なわれないため、早速に申し込んだ次第。

 午後2時から4時半までということだが、これは前回よりも拘束時間が長い。指定された区役所の別室に6名が集まり、早速説明が始まる。方法は前回と同じ。3つの透明なセロハン袋に太いストロー状のものが刺してあり、栓がしてある。その栓を抜いて中の臭いを嗅ぎ、他の袋と異なる臭いのする袋を1つ選び用紙に記入するのである。

 判定が難しくても1つの袋は選ばなくてはいけないのが決まりである。ところが前回と比べると、かなりむずかしい。すべてで14回ほど行なったが、まったく自信がない。前回は明らかに異臭のする袋を簡単に選び出せたのだが、今回はそれがないのだ。他の方々もみな同様の反応を示していた。

 こんな判定で良かったのかどうか分からないが、皆が戸惑うような反応を示したことで、当局としてはそれで成功なのかも知れない。自信のないまま判定をして3時45分頃には終了した。果たして、こんな判定で良かったものかと思いながら、報酬を手にして引き上げて来た。

 今年から始まった銭湯寄席も今回で4回目になった。わずかだが地元のお客さんも何人かお見えになるようになって、どうやら形にはなっては来たが、欲をいえばもう少し人数が欲しい。でも人数は初めから変わらないのだから、こんなもんで、ちょうどいいとするしかないのだろうか。

 そして、今回あらたな問題が持ち上がった。というのは、この地区の浴場組合の組合長が急死して、銭湯寄席の席亭さんが組合長代理ということで、急に忙しくなって来たのだそうだ。そのため、近隣の銭湯に声をかけて協力を呼びかけざるを得なくなったそうだ。

 やっと軌道に乗って来た、とは言えないが、何とか形になって来たのに、この先どうなるか分からないというのは不安だ。せっかく機会が与えられたのだから続けていきたいのは山々だが、アタシの方でこうしてくれとは言えない。そのため、来年からはやり方が少し変わって来るかも知れない。

 これから先のことは席亭さんと近隣の組合の方々の手腕に任せるしかない。何にしても、この節は人を集めることが本当にむずかしい。我々の仲間もいろんな場所を探って、しゃべる所を確保しようとしている。アタシらクラスになると今さらあくせくすることもないが、これからの2つ目の連中は大いに苦労するだろう。

 

 お寺の行事で「献穀祭」というものがあって、そこで落語を演じてもらえないかとの依頼があった。関東近県の寺で、2つ目と2人で来てほしいとのこと。普段はなかなか捕まらない2つ目のKに連絡を取ってみたら、昼間は空いているというので、同行してもらった。

 久々にローカル線に乗って都内から2時間近くかかって最寄り駅に到着。駅前でご住職が出迎えて下さった。そこから寺までは20分ほど。山に向かって車を進めて行くと、道の脇のところどころに小さな穴が掘られている。これはみなイノシシによるもので、たまに集団で出ることもあるのだという。

 あいにく、この日は台風が関東に接近していて、雨が激しく降り続いていた。60数名の参加申し込みがあったというが、果たして何名ほどが参加することやら。とにかく、どのような寺で、どのような場所で行うのか、寺に着いてすぐに会場を見せてもらう。

 本堂の仏様に向かって高座が設えてあり、仏様を背にして檀家の方々が集まるという。本堂の後方に椅子が多数並べられており、これはおみ足の不自由な方のためという。その椅子をお客さんの後方のすぐ後ろに並べ替えていただくようにしてもらった。

 「献穀祭」というのは五穀の収穫と生産を祝うとともに、命を頂いて生きていることへの報恩感謝の法要を行なうことなのだそうだ。なるほど、祭壇にはたくさんの米やら作物が供えられている。そして、生産者の名前がそれぞれに書き記してある。

 時間に合わせてみな車で寺に集まって、総勢60名ほど。どうやら台風の影響はあまりなかったようだ。Kは迷った挙句に「金明竹」、アタシは「替り目」をやり、1時間ちょっとの落語法要を終わる。初めての試みだったそうだが、たくさんの皆さんに喜んでいただいて、こんなありがたいことはない。

 東洋大学の校友大会があった。この日は大学主催のホームカミングデーも同時に開催されて、大いに盛り上がるはずであったが、超大型台風が本州に接近していて参加者は例年の半分以下という淋しさだった。アタシも城東支部副支部長という身であるため、出かけて行った。

 本学教授の講演もあったのだが、むずかしい演題であったため、パスさせていただき、その後の懇親会から参加させていただいた。例年なら地下食堂いっぱいの参加者で埋まるのだが、やはり少ない。それでも青森の五所川原からのNさんは参加して下さった。太宰治の育った斜陽館を訪れた際には大いにお世話になった方だ。

 そんな懇親会の最中にすぐ隣で「植木等展」が行なわれていたので覗いてみた。バンドマン、コメディアン、俳優、文化人など、様々な顔を持つ本学のOBである植木さん。アタシもゴルフに3回ほどお付き合いして、その後も何かとお世話になった大先輩である。

 ゴルフ前夜、一滴も酒が飲めないにも関わらず、夜遅くまで酔っぱらいのお相手をし、ゴルフではキャディーさんを大いに喜ばせながらプレーをして下さった。そのサービス精神旺盛な姿は大いに勉強させられたものである。といってもアタシにはとてもまねの出来ることではない。 その「植木等展」で植木さんの残してくれた一文が目に留まった。

 人に対し、仕事に対し、常に誠意を尽くし、どうすればうまく行くか、どうすれば相手に満足してもらえるか、必死の気迫が周囲の人にも伝わって、協力が集まり事が成る。当たり前のことだが、この当たり前が難関突の基本である。 
 日々の仕事、人間関係を考える時、あらためて我が身を省みてみたい。
                      植木 等
   

 

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