時蔵のこんな話あんな話

 5月中席の新宿末広亭夜席は5代目柳家小さん師匠の17回忌特別興行である。連日、一門のお弟子さんたちが日替わりで工夫を凝らした番組を組んで行なわれている。それにちなんで巣鴨の高岩寺会館では小さん師匠の写真展が開かれている。

 これは落語協会専属のカメラマンであるYさんが撮りためた、5代目の師匠の懐かしい生前の写真を展示するものである。会館と言うので巣鴨駅から行って高岩寺の手前の会館かと思ったら、ここは信徒会館とのことで、寺の先の会館を教えてもらった。ここは初めてである。

 受付にはYさんご夫妻がいて、丁重なおもてなしを受けた。聞くところによると、展示に当たっては様々な制約があって、思い通りの写真が飾れなかったようだ。それでも懐かしい写真のいくつかを見ることが出来た。そして、改めて小さん師匠の高座での目力に圧倒された。剣道の達人らしく、いかに真剣勝負で高座を務めていたかがよく分かる。

 そのほかY氏の出版された写真集が何冊か並べられていたが、手に取ると今は亡き高座の師匠方の姿が生き生きと残されていた。中でも花緑が入門当時に祖父の5代目さんから角帯を締めてもらっている写真など、ほほえましいものもいくつかあった。やはり写真は後世に残すべき貴重なものになることを改めて教えられた気がする。

 

 毎月10日前後に落語協会の2階で黒門亭会議が開かれる。毎週、土、日に行なわれる黒門亭の問題点を話しあったり、翌月の顔付けが行なわれる。この日は先日、黒門亭を抜いた(出演日に来なかった)人がいて、その方への今後の取り扱いが話し合われた。このところ高齢出演者による物忘れのヌキが増えてきた。

 その後、翌月の顔付けが行なわれたが、6月は5週まであるので少し時間がかかった。黒門亭委員が一斉に電話をするのだが、その日によって、すぐつながる時とそうでない時がある。そして、折り返しの電話がすぐにかかって来ることもあれば、なかなかかかって来ない時もあって、簡単においそれとはいかない。

 それでも10時に始まって、お昼過ぎには終わった。その後、すぐに秋葉原の雀荘に。高校時代の同期生との顔合わせである。このところ、だいぶ間が空いてしまい、今年になって初めての手合いである。久しぶりのため、ルールの確認をしないと分からなくなっているメンバーもいる。

 夜10時近くまで囲んで、この日は終わった。途中、チョンボしたりコップを倒したり、とにかく大騒ぎである。聞くところによると、頭と手を使うためボケ防止には麻雀はいいようだ。しかし、以前囲んでいたメンバーの一人のように、病のためにいつか卓を囲めなくなる日が来るはずである。

 身内の祝賀会があるので、その席で落語と色物をお願いしたい旨のメールがあった。先方は音響のことやら食事の用意はどのようにしたら等の心配をしているのだが、そんなことより、果たしてどのような状況下で演芸を披露するのかをこちらは知りたいのだ。

 取り急ぎ、高座を設けてもらって座蒲団の用意をしていただきたいこと、そして、食事している場では落語は出来ない旨伝えた。それから数日たってから返事が来た。今回は見送るとのこと。どうやら先方では食事を楽しみながら演芸も楽しもうとのことだったようだ。

 昔から、この手の仕事を頼まれて何度かやったことはあるが、食事中の落語はまず聴いてもらえない。二つ目時代にはいくらかにでもなれば、と引き受けたのだが、今はとてもやる気にはならない。楽しんでもらいたいと思って演じた噺を聴いてもらえないのでは意味がないからだ。

 最近、ホテルなどでも食事と落語を楽しむような催しがあるが、ほとんどは落語をやってから食事をするというものである。あるいはまれに食事をしてから落語を聴く場合もあるが、いずれにしても食事をしている最中に落語をやることはまずない。どうか食事をしながら落語を聴きたいというような贅沢なお考えはお止めいただきたい。

 今年も黄金週間がやってきた。例年通り、5月の上席は浅草演芸ホールの昼席である。昼席のトリが木久扇、夜席のトリが小三治師匠である。今年は正雀との交互出演となっていて、お互いの話し合いによって、アタシは奇数日の出演となった。

 そして恒例となった初日の打ち上げは稲荷町のKというとんかつ屋と決まった。かつて稲荷町に住んでいたアタシの師匠の八代目林家正蔵の長屋からもすぐの所にあって建物はきれいになったが、味だけは昔のままである。この店にはよくお遣いに通ったものである。

 当時は主にメンチカツとコロッケを買いにやらされたのだが、明治生まれの人間にとってはメンチやトンカツは洋食だと思っていた節があって、久々に贅沢なご馳走をいただくんだというような感覚があったようだ。だから、買い物に行くといっても年にせいぜい数回であった。

 浅草演芸ホールの専務と一門の出演者、それに師匠のおかみさんと娘さんらで総勢15名ほど。現在店は昼だけの営業のようで、この時間帯は特別に開けてもらっているので、いつも貸切となっている。昼の営業時間は近所のサラリーマン等で大いににぎわっているようだ。

 ビールで乾杯して、とんかつ、メンチ、コロッケ、サラダなどみんな遠慮なくいただく。買い物に来ていた前座の頃はそんな贅沢な食べ方は出来るはずもなく、メンチとコロッケが半分ずつというような質素なものであった。噺家の暮らしも食べ物だけは昔とは違って、だいぶ豊かになったきたようだ。

 先日の黒門亭で番頭を務めていた時のことである。中入り近くなっても、中後のKが来ない。まさかと思って自宅に電話すると、なんと、当人が出た。とにかく支度をしてすぐ来てくれと伝えたが、40分はかかる。中入りを少し長めに取り、トリのSに先に上がってもらい、Kが来るまでつないでもらうことにした。

 Sはネタ出しをしていたのだが、それに加えて長めに高座を務めてくれと頼む。高座に上がって20分ほどしてからKが楽屋入りした。高座のSにはすぐに知らせた。その後に上がったKには15分程の高座を頼んで、無事、穴を開けることなく終わった。

 Kはいろいろ言い訳をしていたが、忘れていたのは事実である。しかし、そこで考えたのは、これはアタシにも充分当てはまるということなのである。とにかく物忘れがひどくなった。以前なら当然記憶しているようなことを覚えていないのである。

 一番困るのは薬を飲んだかどうかが分からなくなることである。そういう時は飲んだことにして、飲まないようにしているのだが、これには困る。以前、E師匠が「朝ご飯を食べたかどうかを忘れることがある」と言っていたが、その時はそんなことがあるわけがないと思っていたが、なるほど、近ごろではそんなこともあるかも知れない、と思うようになった。

 これからも、そんなちょっとしたことを忘れたり、思い出せないことがどんどん増えてくるだろう。また、よく聞くことだが、本来行くべき所と違う寄席に行ってしまったりすることがあるらしい。われわれにとって、これは軽い認知症のはじまりのようだ。気を付けるに越したことはない。

毎月1日に、近所にある私設図書館のWさんからメールが来て、いろいろな会の催し案内が届く。そして、ここでは毎月1回映写会がある。映画だったり、ドキュメンタリーだったり、ドラマであったり、様々である。今回は落語だというので、すぐに予約を入れた。

 毎回10名で締切となるのだが、だいたい、いつもメンバーは同じである。夜7時から始まるのだが、常連さんは早めに来て酒を酌み交わしている。アタシも40分ほど前に行ってみたが、すでに7名ほどが席に着いていた。深川落語倶楽部の常連さんのKさん夫妻もすでに呑み始めていた。肴はWさんの奥さんの手料理である。

 あたしも自分の飲み物を持参したが、鹿児島の焼酎があるというのでいただくことにした。クセのないものだったのでありがたい。ちょうどいい心持ちになったころ、いよいよスクリーンが出されてこの日の映写会が始まった。落語三題である。志ん生師匠の「風呂敷」、先代馬生師匠の「金明竹」、志ん朝師匠の「愛宕山」である。

 馬生師匠の「金明竹」は今まで聴いたことがなかった。若いころは結構やったのだろう。きわめて品のいい与太郎である。この3人に共通するのは所作の美しさである。志ん生師匠の所作はいい加減のように見えて実は基本は出来ているので、あくまで計算しつくされた上でのいい加減さなのである。

 ここに集まる高齢者の素性はまったく分からないが、話を聞いていると、映像や芝居関係の仕事をしていたような感じの方が何人かいるようだ。過去にあった映画の放映時などにそれらしい解説をしていたので、そんな気がしたのだが、本当のことは分からない。素性の分からない同志の団塊の世代がああでもない、こうでもないと言っているのを黙って聞いているのも、たまには面白い。

 家族3人で鎌倉に行って来た。アタシにとっても久しぶりである。ここ最近行ったのは句会でのことで、最近といっても、もう7,8年はたっているだろう。錦糸町で待ち合わせをして横須賀線で1時間ちょっと、鎌倉駅に到着。平日にもかかわらず駅は混んでいた。

 行楽地に行くと毎度のことだが、とにかく外国人が多い。特に鎌倉などは東京から近いので、ついでに寄る外国人も多いのだろう。まずは昼食ということで、ビルの2階にあるどんぶりご飯の店に入る。マグロ丼やらシラス丼が売りらしい。アタシはマグロ丼をいただく。

 それから小町通りを行く。以前来た時は本通りの方しか行っていないので、この通りは初めてである。狭い通りの両側に飲食店やら土産物、小間物を扱う店がひしめいている。ここもが外国人が多く、アイスクリームやら団子類を食べながら、そぞろ歩きを楽しんでいる。

 鶴岡八幡宮にお参りをした再び小町通りへ。アイスやわらび餅を食べながら、アクセサリーショップなどを覗く。アタシは小間物屋で匂い袋を2つ買う。あとは干物の詰め合わせの美味しそうなのがあって、これも買い求める。通りを外れて古本屋があったので覗いてみたら、店頭に落語のカセットテープがあった。

 主なものは圓生師匠と志ん生師匠のものであるが、ポツンと先代柳朝師匠ものが1本あった。収録されているのは「佃祭」と「付き馬」である。NHKから出されたセット物のバラシのようだ。早速買い求めた。300円。こんな掘り出し物があるとは思わなかった。やはり鎌倉に来てよかった。

 深川落語倶楽部も無事終わった。毎回、中入り前が4本、中後が2本の番組であるが、中後(直後の出番)のクイツキには2つ目を起用している。それを今回はアタシがクイツキに廻り、前座の後に2つ目を配置してみた。というのもアタシは毎回受付でお客のモギリ(チケット切り)などの接客をしていて、前座が上がるやいなや楽屋に入って、高座の準備をするわけである。

 これが意外と骨が折れる。何しろ開場前からお客に整理券を渡したり、当日売りのチケットの手配をしたり、すでに入金したお客のチケット渡しをしたりと結構面倒なのだ。カミさんと友人の女性が手伝ってはくれるのだが、すべてチケットのことはアタシだけが把握しているので、結局はアタシの所に最終判断が来るわけだ。

 そんなアタフタした状態から、すぐに楽屋で着替えをして高座に上がるのが意外と大変なのだ。とにかく、入場時間直前になると百人以上のお客さんが、いっぺんにロビーにたまって、それが一斉に入場する。その興奮が冷めやらないうちに出演体制を整えるというのは思いのほか、思った以上に大変なのである。

 まずは呼吸が整わない。いつも高座直前に深呼吸を繰り返すのだが、そんな短時間ではとても平常心には戻れない。それほどまでに入場時には混雑をきわめているということになる。それに普段から金を扱うことに慣れていない。これも結構な負担となるのだ。

 そんなこんなで今回から出番を遅くしてみたのだが、やはり、この方がはるかに気が楽だ。それでも合間に付帯設備の支払いだとか、出演者の謝金の手配などがあり、ただ高座にだけ集中すればいいというわけではない。改めて落語会を運営することは大変なことだと思う。でも終わってしまえばこっちのものだ。いつもの通り、近くの居酒屋では美酒が待っていてくれた。とにかく無事終わって良かったと思う。

 立川左談次兄さんが亡くなった。ここ数年、入院、手術などをしていたそうなので、具合が悪いことは知っていたのだが、やはり、亡くなってしまったかという感が強い。食道がん、67歳である。噺家としてはまだまだこれからの年齢である。
 
 町屋斎場での葬儀には多くの参列者があったが、とにかく同業関係者以外の方の数が多いのには驚いた。大体、アタシらの葬儀というと何らかのつながりがあって、知らない方というのはそれほど多くはないのだが、一般の方がこれほどまでに多いとは思わなかった。それほどまでに付き合いが広かったということだろう。

 焼香を終えて、お清めのために階上に上がると、ここも一般の方々が多い。隅の1つのテーブルで噺家仲間が固まっていた。いずれ、仲間が一堂に集まるだろうと隣のすいている部屋で何人かで献杯をした。そこで30分ほどしてから、隣の部屋にどうぞと声が掛かった。

 移動して勧められた席は恐れ多いことに元文科省官僚で、このところワイドショーでもよく目にするT氏だ。彼は落語協会の外部顧問もしていらっしゃるので、知らないわけではない。そういえば、T氏は左談次師匠とは古くからの付き合いで、昔、新宿ゴールデン街でよく一緒にいるのを見たものだ。

 さて、こちらの席に移ってからは立川流、円楽党、落語芸術協会、落語協会の四派が集まって昔話で大いに花が咲いた。さあ、こうなると周りのことはいっさい気にならない。一般の方々は三々五々席を立つが、我々のテーブルの周りは噺家ばかりで固まって来る。

 こうなると話は止まらない。あることないこと、次から次へと四派まみれての大爆笑話が次々に繰り出される。とうとう午後8時20分過ぎになり、係の方が8時半には閉めさせていただきますと声をからしている。帰り際に左談次兄さんのお顔を拝見した。恐らくガリガリであろう顔を予想していたのだが、それほどでもなかったのだけが救いだった。

 毎年、3月下席の昼席は落語協会で募集した新作落語を主として演じる恒例の10日間となっている。日替わりでトリが変わり、アタシはその初日のトリを勤めることになった。出し物は去年の11月に行なわれた新作落語台本発表会で最優秀賞を頂いた「隣の男」である。

 この日は3月下旬だというのに雪の降る寒い1日となってしまった。そのため、お客さんの入りも良くないと思っていたのだが楽屋入りして、すぐに客席を覗いてみると、ほぼ満席というありがたい光景に出会った。そして、新作落語に対するお客さんの反応もすこぶる良かった。

 楽屋の雰囲気は普段から新作を得意とする連中は余裕をもって、ネタ帳を見ながら何を演じようかと色々と思いを巡らすのだが、アタシのように普段は古典落語しかやらない者にとっては、ただただ新作の1作品に集中して間違いなく演ずることしか頭にない。

 新作落語台本は15分程度のものを募集しているため、トリの時は何らかのマクラを振らないと持ち時間が持たない。やはり25分程はやらないと形にならないので、新作台本の近頃の様々な傾向や今回の噺に関連したホテルや旅館の話をマクラでふることにした。

 その結果、心配していた初日も好意的なお客さんのお蔭で何とか乗り切ることが出来た。初日のトリを終えればあとは2日間、15分という普段の持ち時間となるので特に問題はない。その他に独演会と黒門亭と松丘亭でもこの噺を高座に掛けることにしているので、何とか練り上げてある程度満足のいく噺にしたいと思っているところである。

 

 北海道でクールチョイスセミナーという催しが行われた。当初、環境落語とパネルディスカッションをとの話であったが、ディスカッション参加なしで環境落語のみを長めに40分演じることになった。普段は30分でやっているため、最後に簡単なレジ袋の作り方をやることにした。

 今年は北海道も雪が多いらしく、当日に何かあるといけないということで、前日ホテルに前泊することになった。新千歳空港からJRで札幌まで約40分。ホテルに入ったのは午後10時を回っていた。晩御飯は羽田で済ましたので、テレビを2時間ほど見て、シャワーを浴びて布団に入る。

 朝6時に目が覚めてうつらうつらしながら、9時過ぎに階下のレストランで食事。このホテルは朝食がサービスとなっている。飲み物とパン、サラダだけという簡単なものだが、それでもレストランは結構混んでいた。まあ、朝食はみんなこの程度の簡単なもので済ます人が多いからだろう。

 10時チェックアウトなので1時間延長して11時にホテルを出て、市内をブラブラしながら、会場のホテルへと向かう。雪は道路わきに片付けられているが歩道はシャーベット状になっていて、東京の田舎者には気を付けないと滑りかねない状態。慎重に歩く。

 会場のホテルにてマイクテスト、出囃子などの打ち合わせを済ませてから準備に取り掛かる。高座の高さはいいのだが、高座前後の幅がない。我々は噺の途中で羽織を脱ぐことが多いのだが、このような場合は脱ぐと後に落ちてしまうので、座布団の横に置くしかない。

 120名ほどの募集に対して入場者はその半分くらい。セミナーと名が付いているので、机が並べられていて2人掛けになっている。これは一番笑いがおきない並べ方である。なぜか分からないがスクールタイプの会場はウケが悪い。しかし、お勉強をするわけだから仕方がない。

 時間があるので、マクラでいろいろ世間話をしながら本題に入ってしゃべっているうちに気が付いたら40分近くになっていて、あわてて噺を終えて風呂敷で簡単なレジ袋の作り方を伝授する。近頃は昔の話をするといろいろ思い出してついつい長話になってしまう。これも古希になった所為かも知れない。

 先日、古希を迎えての記念旅行をすることになった。参加者はカミさんとアタシの学生時代の友人のK夫妻、それにその当時のマドンナだったHさん、Tさん女史の総勢6名。今回は海外へ足を延ばそうと台湾へ。アタシはカミさんの家族らと3年前に行って以来である。

 今回はアタシの希望で故宮博物院と九分を中心に回る予定。それに今回は羽田発なので楽と思いきや10時5分発なのだが、2時間前が集合時間となっている。機内食はすき焼きご飯をいただいて4時間後に台湾松山空港に到着。気温27度で湿度が高い。こっちからの冬の服装では蒸し暑い。

 バスでホテルに直行。荷物を置いて、近所を散策。しかし6人で入れるような喫茶店らしきものが見当たらない。やっとのことで落ち着く場所を見つけて、時間をつぶして食事をしに双城美食街という夜市の屋台へ。しかし、肉類は香辛料が臭くてアタシは食べられない。焼きそばをつまみながら、コンビニで買った日本酒を持ち込む。ホテルでは蚊に悩まされる。

 2日目。この日はガイドの案内で観光。気温は20度くらい。過ごしやすい。8時前にホテルをバスで出発、故宮博物院へ。ガイドの案内で1時間の鑑賞。すっかり有名になった17センチの白菜は大人気。忠烈祠での衛兵交代式を30分ほど。その後、店に立ち寄りお茶セミナー。みなお茶を買い込む。昼食は小籠包。これはおいしい。

 行天宮にお参りして中正紀念堂へ。ここは前回見学したので中までは入らず。ここで雨が降って来て九分へ。雨が激しくなり、九戸茶語というレストランで食事。ここの食べ物はおいしかった。というのも臭くないから。雨の中、九分の民芸店などで買い物。前回は混雑に驚いたが、今回はあいにくの雨となってしまった。

 台北に戻ると雨も止んでお菓子の製造直売店へ。みなパイナップルケーキなどを買い込む。この手の店に立ち寄るとどうしても買い物をするようになってしまう。それがガイドの仕事でもあり、それがないと手間賃が入らないのだろう。翌日も何軒か民芸店に寄ることになる。

 3日目。ホテルからタクシーで再び故宮博物院へ。時間をかけて隅々まで鑑賞。しかし、35年前に見たお目当ての象牙の細工物がない。季節で展示品も変わるようだ。残念。ここで4人は中正紀念堂へ。アタシとカミさんは台北に戻り、モスバーガーで時間をつぶして6人でホテルで待ち合わせて予約したレストランへ。その後、ホテルのアタシらの部屋で飲み会。

 最終日。ホテルで朝食後、みな別行動。カミさんは女同士で足裏マッサージ、アタシは勝利生活百貨という雑貨店で買い物。祝儀袋や小物類を買い込む。その後、バスで空港へ。また2時間前の集合。空港で軽食。機内食は鶏肉の炒めものとご飯。機内食だけは味に癖がないので安心だ。

 それにしても夜市などで販売していた異様なにおいの臭豆腐だけはとても食べる気にならない。酢豆腐そのものだ。それと台湾では弁当の表示が便が当たると書いて便當と書く。これも何となくイヤな漢字がする。飛騨高山・下呂温泉名物の下呂饅頭もゲロ饅頭としてあったら、食べる気にならないだろう。

 

 とうとう70歳になってしまった。古希である。まさかとは思っていたが、こればかりは自分の意思ではどうしようもない。なってしまったのだから。それに伴い、いろいろ生活にも変化が現れる。まずは特典としてのシルバーパスである。実は先月、手続きに出かけたのだが、空振りとなってしまった。

 というのは、誕生月から使用可能とのことだったので、2月に手続きをしなければと出かけてみたら、3月1日生まれの人は2月の手続きで良いのだが、2日以降生まれの人は3月からの受け付けになるというのだ。アタシは2日生まれ。1日違いで門前払いとなってしまった。

 改めて誕生日に出かけてみたら、すんなり受け付けてもらった。アタシは低所得者なので、1000円である。ただ、9月30日までしか使えない。つまり、1年間有効なのではなく、初年は誰もが9月までしか使用できないのだという。だから9月生まれの人は1ヵ月しか使えないのだ。つまり生まれ月によって差が付くわけだ。

 しかし、アタシは都営大江戸線の沿線に住んでいるので、その各駅からバスに乗り換えれば、都内なら結構あちこち行くことが出来る。これは助かる。しかし、70歳になってみて体のどこがどうということもない。だが、先日、両肩を少し回してみたら、なんとコキ、コキと音がした。なるほど、納得。ハハハ。

 林家ライス師匠が亡くなった。先月、根岸の海老名家での新春寄席でご一緒した時には、元気に新年のあいさつを交わしたばかりで、また高座でいつものライス・カレー子の夫婦漫才をはつらつと務めていらっしゃったのを目にしたばかりだったので、正直驚いた。

 アタシが現在演じている「環境落語」は師匠なしには存在しない。だいぶ以前のことになるが、お二人が「環境漫才」というものをやっているとの情報を得て、何とかアタシも環境落語をやりたいという希望があったため、恐る恐るソデで聴かせていただけないかと申し出た。

 お二人は落語関係の団体には所属してはいなかったため、それまで顔を合わせることもなく、アタシも根岸の三平一門ということだけしか知らず、もちろんアタシのことなどご存じなかったはずだ。にもかかわらず、事情を説明すると快く引き受けて下さった。

 それからは都内近郊での舞台がある時にお邪魔して、何度か「環境漫才」を聴かせていただいた。そして、いくつかのネタやくすぐりにヒントを得て、作り上げたのが今日の「環境落語」である。お蔭様で今日では年に何度か高座を務めさせていただいている。ただただ、感謝である。

 またお宅に何度も呼んでいただいて鍋料理をご馳走になりながら、若いころの苦労話などを聞かせていただいたことも佳き思い出となっている。余談ですが、享年76歳はアタシの理想とする没年齢です。ライス師匠、長いこと本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 2月中席に恒例の国立演芸場での鹿芝居があったので、今年もひやかしに出かけてみた。楽屋に顔を出すと、アタシ同様に見物の二つ目がいた。かゑる、花飛、それにあんこ。今年の出し物は落語の「子は鎹」である。脚本はいつも通り、竹のすずめ、すなわち正雀である。

 芝居は中入り後となっていて、中前の番組は落語が何本かあって、獅子舞で中入りとなっている。獅子舞もいつも通り菊春と世之介の名コンビである。だんだん年を取って来ると倒立が出来なくなってくるだろうが、今のところ大丈夫そうである。楽屋に訪ねた時はちょうど終わった時で、お客さんからいただいた祝儀を腹掛けから取り出しているところだった。

 中入りが終わってから、二つ目連中と一緒に客席に。国立演芸場は立ち見が出来ないため、客席後方のガラス張りの特別室に入る。目の前のガラス窓を開けて、大向こうよろしく掛け声をかける算段となっている。客席下手の通路から馬生師匠が現れたので、「木挽町!」と声を掛けるも、かゑるの声に圧倒されてかき消されてしまう。

 それにしても毎年、大家役の馬楽師匠ははまり役だ。こんな因業な大家の役を出来るのは他にはいないだろう。実にいい雰囲気を醸し出している。ちょうど冬季オリンピックの最中とあって、芝居の中ほどでなぞかけを披露する余興が挟まれていた。そのなぞかけは後ほど。

 この日も客席は大入り満員でアタシも大入り袋を頂戴した。いつもながら、ありがたいことだ。この芝居10日間すべて大入りというのだから、すっかり演芸場に定着した興行となっている。最後まで大いに楽しませていただいてお客様共々三本締めをして、めでたく終演。
 さて、劇中のなぞかけです。オリンピックとかけまして、藤井六段の将棋と解く。そのココロは金、銀取って角(格)が上がります。

 

 今年も胃のバリウム検査の時期となった。いつも通り、同愛記念病院に申し込みをして出かけて行った。受付に行くと、例年にない問診用紙を受け取る。バリウムによるアレルギーがあるかとか、食事を摂らずに来たかとか10項目ほど。血圧も計るよう指示があったので、設置してある血圧計で測定すると148と98。降圧剤を飲んでいないので高めだ。

 レントゲン室で受付をして、すぐに検査着に着替えて検査室へ。検査台に乗ってから短い試験官に入った胃を膨張させる粉末を飲む。その際、げっぷが出そうになっても我慢するように指示されるが、これがむずかしい。どのようにしたら、げっぷが止められるかやったことがないからだ。

 バリウムを少しずつ胃に流し込んだ後に検査台が横に倒れて、台の上で腹這いになったまま5回ほど回転をする。これが結構手こずる。これも普段からやることのない動作だからだ。のそのそしていてはいけないと思い、必死のおもいで回転する。

 その後、検査台の上で横を向いたり、あおむけで頭が下がった状態になったり、胃を器具で押さえ付けられた状態になったり、息を止めたりと、げっぷを我慢しながらかなりつらい動作を強いられた。それでも胃カメラを飲むことに比べたらずいぶんと楽だ。

 検査はちょうど10分で終わった。体力のない人だったら動作も緩慢になり、もう少し時間もかかることだろう。以前は倍ほどの時間がかかったから、次第に検査も楽になっているのだろう。しかし、検査台の上で体を動かす動作は以前と比べるとかなり多くなっているように思う。

 

 もう先週のことになってしまったが、寄席で豆まきがあった。今年の節分の日はちょうど土曜日だったので、黒門亭でも豆まきがあった。たまたま、その当日、黒門亭の番頭を担当していたので、午前11時に落語協会2階の楽屋に行ってみると、蔵之助と金八が作業をしていた。

 毎年やっていることのようだが、2人は早めに来て福豆の袋詰めをしていたのだ。大入り袋と普通の封筒2種類に次々に詰めていく。その数、150個ほど。そんなにたくさん詰めなくてもと思うのだが、残ってもしかたがないので袋の豆すべてを詰めるのだという。

 黒門亭は1部、2部で満員になっても80名なので、福袋は必ずと言っていいほど手に渡る。その上、出演者の手拭いも撒くので、こちらも他の寄席に比べるとかなりの確率で手に入るはずだ。事実、1部は40名、2部は20名のお客さんであった。

 特に2部の方は手拭いが14本もあったので、7割の確率でお客さんに渡ることになる。他の寄席でもいつもよりお客さんの入りが良かったそうだから、福豆や手拭い目的のお客さんが多かったということだろう。節分の日に何らかの品を手に入れたい方はぜひ来年、黒門亭にお出でいただきたい。

 11日間にわたる浅草演芸ホール1月下席が楽を迎えた。普段より1日多いだけなのだが、ずいぶんと長く感じられた。29日には寄席を終えてから、師匠の命日であったため、池袋の寺まで墓参りに行って来た。その帰り、稲荷町の交差点で大きな声でアタシの名前を呼ぶ人がいるので、そっちを見ると正蔵だ。この辺りを旅番組でロケ中だという。

 そして、千秋楽。昼席のトリまで居残るため、自分の出番が終わってから湯島天神に向かい初詣。あちらこちらに受験生の合格祈願の絵馬があふれるまでに掲げられていた。みんな必死なのだろう。どちらかと言うと受験生本人ではなく、家族の方々が多く詣でていた。ここは9月に謝楽祭の会場となる所だ。

 時間があったので思いついて、すぐ近くの麟祥院に向かった。ここは東洋大学の学祖である井上円了が大学の前身である哲学館を起こしたところである。また、ここは春日局の菩提寺でもあるため、一緒にお参りをする。その後、浅草の寄席に戻る。

 楽ということで、一朝師匠の一門の若手が何人も残っていた。そして、楽屋で一朝師がトリで何をやろうか迷っていたので、「七段目」をリクエストする。この師匠の芝居噺は定評がある。歌舞伎座で笛を吹いていたこともある位だし、何しろおかみさんはもう亡くなったが、歌舞伎役者の娘さんである。

 ハネてから、稲荷町の居酒屋に行くという。29日に正蔵がロケしていた目の前の店である。この店では定期的に寄席が開かれていて、店のそこら中に噺家や色物のポスターが所狭しと張られている。後ほどトイレに行ったら、ここも壁にチラシやポスターがあふれていた。

 楽の打ち上げは下座さんや一門、それに一朝師のお客さんを含めて総勢14名。店は貸切となった。この日はアタシは柳朝に付き合って熱燗を頂く。彼は夏でも熱燗しか呑まないのだという。11日間の寄席を無事に勤め上げて、みんな満足そうだった。

 埼玉の製造会社社長さんからメールがあって25周年記念の宴会があるので、その席で落語をやって欲しいとのこと。社長さんの話では以前、寄席で落語を聴いたら、ことのほか面白かったので、ぜひやってもらいたいのだという。実際にそういう方は多いのだが、本当に呼んで下さる方はまずいない。

 初めの話ではアタシだけ行けば良いのだろうと思っていたのだが、前座と2人で来てくれとのこと。ギャラのことを訊ねてきたので、アタシのホームページをご覧下さいと返事。アタシのホームページには落語口演のすべての金額が明朗会計で記載されている。その結果、ぜひお願いしたいとのことなので、前座のYと連絡を取って2人で伺うこととなった。

 当日は駅まで車を回して下さるとのことなので、Yともそこで待ち合わせ。すぐに車で会場の料理屋へ。20分ほどで会場到着。すぐ宴会場の諸々をチェック。間もなく宴会場に従業員の方が40名ほどが入場して来る。高座は高さ50センチほど。実はもう少し高さが欲しいのだが、まあ仕方がない。

 Yは「転失気」、アタシは「居酒屋」でご機嫌をうかがうこと約1時間。なかなかのいいお客さんだった。終わってから宴会。この店は鰻と鯉料理が売りなのだという。鯉のあらいに鯉こく、それにうな重。鯉こくは久しぶりだが、実においしかった。さすがにうな重は食べきれずにおみやにしてもらう。Yは完食。

 この席の司会進行はこの会社の新入りで25歳の純情社員Nさんが行なったのだが、とにかく慣れないもんだから、我々から見ると笑わずにいられないことばかり。最後の締めのあいさつがうまくできず、結局、「青い山脈」を唄う羽目に。それも4番まで。会場は大爆笑だった。いやあ、N君のお蔭で久々に楽しいお座敷体験をさせていただきました。

 今月下席(21日から31日まで)、浅草演芸ホールの昼席に入った。本来は30日までなのだが、今月に限り31日まであるとのこと。そんなわけで31日の余一ゴルフ会には出席出来なくなってしまった。まあ、仕方がない。昼席のトリは一門の春風亭一朝師匠である。

 昼席なので午後4時半バラシである。21日、まだ表は明るいが、初日ということもあり打ち上げがあった。会場は寄席近くの我々もよく利用する料理屋である。お囃子さんや一朝師のおかみさんらも参加して、賑やかな酒席となった。総勢12名。アタシはホッピーをいただく。

 ほとんど一門なので気をつかうこともなく、たわいのない話に終始した。それにしても新真打のSはよくしゃべる。突っ込みを入れる間もなく、一人でしゃべりまくっている。まあ、その分、アタシらがしゃべる必要がないので、楽といえば楽である。

 この店はお通しが1種類でなく、10種類くらいあって、それが初めに出て来て、それをみんなでつまむことが出来るので、その日によってどんなものが出て来るのかが楽しみである。その他にみんなてんでに好きなものを頼んで楽しい打ち上げとなった。

 アタシもこのところ風邪気味だが、楽屋でもインフルエンザがはやっていて、落語協会の事務所から手を洗浄するものやら、除菌をするグッズが届けられた。みんな使っているようには見えないが、仲間の休席が増えると事務所では代演者のやりくりが大変なので、その対策という意味合いもあるようだ。

 

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