時蔵のこんな話あんな話

 今年初めての独演会が終わった。そして、今回から会場が江戸東京博物館の小ホールに変わった。開場が午後6時過ぎなので、その時間に合わせてお客さんがお出でになるのだが、ちょうど博物館の閉館時間に当たるため蛍の光の曲が流れ、これからお客さんを迎えようとしている身には何か変な気分になる。

 コロナの影響で事前にお客さんからキャンセルのメールや電話が5本ほどあったが、こんなに多いのは初めてである。ご自分の体調が悪かったり、感染者が急に増えたので何となく気持ちが悪いので取りやめるとか、家族に止められてといった方がほとんどであった。

 実際にどの位のお客さんがお出でになるのか分からなかったが、予想よりもはるかに少なかった。何とかツ離れはしたが、今までで一番少なったのではなかろうか。まあ、仕方がない。ただ、今までほとんど来なかった落研の後輩が来てくれてうれしかった。茨城在住だから、しょっちゅう来られるわけではないので、ありがたかった。

 数日前にホールから電話があり、午後8時終演に協力してほしいとの要請があり、この日は中入りなしで行なうことにした。「子褒め」は20年以上やっていなかったが、やはりブランクは大きく、褒められる出来ではなかった。キリの「らくだ」はネタおろしであったが、まあ、何とか納得のいく出来であったと思う。どうぞ今年もお付き合い下さいませ。

 

 

 右肩の痛みがなかなか取れず、原因も分からないのでMRIを撮ることになった。年明け早々の予約で混んでいるものと思っていたが、去年の暮れに、すんなりと予約が取れて朝一番で同愛記念病院に向かった。検査着に着換えてから、すぐに呼ばれてMRIのベッドへ。

 例によって狭い所に押し込められて、周りから工事現場のような様々な音が聞こえてくる。MRIは確か3回目か。じっと待つこと15分位か、やっと狭い所から解放された。人によっては狭い所が苦手でMRIが受けられない方がいるらしい。

 受付に声を掛けて今度は整形外科へ。T先生には長いこと診察をしてもらっているが、初めて手拭いを差し出した。珍しいものをと喜んで頂いた。すぐにMRIの読影をしていただいたが、どうもMRIというものはレントゲン撮影と違って、どこのどういう映像なのかさっぱり分からない。

 説明によるとどうやら腱が切れているらしいとのこと。その部分を見せていただいたが、よくは分からない。黒いものがポツンと映っているだけである。処置としてはヒアルロン酸ナトリウムの注射を3回ほど行なって、その後の様子を見ることになった。どうもはっきりしないが、T先生の見立てだから仕方がない。もうしばらく、夜間痛に悩まされることになるようだ。

 

 明けましておめでとうございます。新たな歳を迎えたが、去年からのコロナを引きずっていて、とてもじゃないが佳き年とは言えないだろう。年賀状を見てもコロナを何とか終わらせたいという願望のものが目立った。終わりの見えない敵を何としても早く撲滅せねばならない。

 さて初席はいつもの通り、浅草の東洋館の1部に出演している。きょうは3日目であるが、元日から悲惨な毎日が続いている。アタシの上がり時間は11時50分であるが、例年なら元日はわずかに空席はあるが、2日目、3日目は立ち見が当たり前となっている。

 ところが今年は3日間ともつ離れがしない。つまり、10人未満ということである。そして、アタシの出番の後もお客さんの数は増えないのだそうだ。2日目は8人だったのだが、アタシの後の出番の圓十郎が出演した後に2人帰ってしまった。つまり、その2人は圓十郎のお客さんで、彼と一緒に寄席を出て食事に行ってしまったのだという。

 寄席の表で呼び込みをしている寄席の従業員の方たちも、どうしようもないお手上げ状態だと言っていた。寒い中呼び込みをしていても、まったく張り合いがないだろう。この分だと、すべての出番が終わってから、果たしてどんなワリが出るのか戦々恐々である。

 昨日テレビを見ていたら、日本橋のたいめいけんが店を閉めたという。しかし、閉店というわけではなく、日本橋の再開発のためで遠からず再開するようだ。このたいめいけんは、かつて師匠が毎月第2水曜日に二水会という落語会を開催していた会場で、アタシら弟子も出演をさせていただいていた。

 また、師匠の年回忌の際などにも、会食に利用させていただいた会場でもある。そんな様々な思いの詰まった場所がまた一つなくなってしまった。今年はコロナの所為で、アタシが知っている店も何軒かは店を閉めてしまった。誠に淋しい限りである。

 そんな様々な不幸があった年もきょう限りである。決していい年を迎えられるとは思っていないが、お上からの補助金などに頼らずに暮らしが成り立つようなそんな年を迎えたいと思う。今年一年お付き合い下さった皆様方には心からお礼を申し上げます。

 今から14年前のお話。当時は映像の仕事をしていて、主にテレビの再現ドラマやTV・CMなどに出演していた。その日は調布の日活撮影所で映画の仕事があり、夕方に撮影所のセットに入った。アタシの役は屋台のおでん屋のオヤジという設定。
 
 映画の題名は「黄色い涙」。犬童一心監督の作品で、共演するのは嵐という男性5人のグループだというが、どんなグループかまったく知らない。映画のシーンは若者たちがおでんを注文して食べるという場面。たしか「いらっしゃい」という一言のセリフだったが、犬童監督からは声が大きすぎると何度も注意された。

 メンバーは本番までの少しの時間を惜しんで、踊りの振りを何度も何度も繰り返していて、あまりの熱心さにダンサーの男性グループなのかなと思っていた位。その後、リハーサルを何回か繰り返し、本番のOKが出て帰宅した。家にはカミさんと下の娘がいて、その様子を話した。

 「嵐というグループと一緒だったんだけど知ってる?」と訊いた時、2人は顔を見合わせて「エーッ」と驚いた。今ならアタシでも嵐といえばグループ全員の名前を言えるが、当時のアタシは全く知らなかったのだ。その娘は現在、嵐のファンクラブに入っている。

 今年最後の松丘亭寄席が開かれた。この落語会の最寄りの駅は西武是政線の多磨駅である。以前は多磨墓地という駅名であったのだが、こちらへ移転してきた外語大などから、駅名の変更を求められ現在の駅名となったものである。
 
 そして、その多磨駅も現在改装中で、ちょうどこの日に新しい駅舎が出来あがった。しかし、すべてが終わったわけではなく、まだ駅周りの工事が残っている。新駅舎は改札口が階上となり、エスカレーターやエレベーターはあるものの、以前よりも寄席のある寺からは遠回りになってしまった。

 この寄席はコロナ禍の所為で4、5月のふた月は休んだものの、6月からは復活し、この日今年最後の会を迎えたわけである。これもすべて永福寺のご住職の英断のお蔭である。そのためのコロナ対策も考えられることはすべて行なっているように見える。

 さて、この日はお客さんの数もデイスタンスをとった椅子席がほぼ埋まり満席に近かった。ありがたいことである。そして、最後には笑点カレンダーが抽選で配布された。こんなサービスがなされるのもこの会の特徴である。しかし、打ち上げはこの日も自粛された。1月でも早く元のようにお客さんとの楽しい宴会が行なわれることを祈るばかりである。

  そういえば、打ち上げが終わってから毎回寄っていた駅近くのスナックが、このコロナの影響でお客さんが激減して先日、とうとう店を閉めたという。カラオケで歌ったことのない鯉昇に無理やり歌わせていた「七色仮面の歌」も、この店で聴くことも出来なくなってしまった。淋しい限りである。

 9月ごろからだろうか右肩が痛い。四十肩とか五十肩とかいうんだろうが、原因は分からない。右肩をあげると痛いということから始まって、その内に肩を回すと痛みが出て、やがて夜寝ている時に痛みが出るようになった。これを夜間痛というらしい。

 月1回、整形外科に通っていて、右膝にヒアルロン酸注射をしてもらっているので、先月、肩にも注射をしてもらったが、これといった効果がなかった。そのため、来年早々MRIを撮ることになった。2ヶ月前には右肩のレントゲンを撮ってもらったのだが、これといった異常は見つからなかった。

 先月からは近所の接骨院にも通い始めたが、治療してもらった時は具合がいいのだが、やはり、夜間痛は続く。特に朝方がひどく、痛みで目が覚めるようになった。しかし、朝方だからまだいいのであって、夜中に痛み出したら始末に悪い。

 MRIで果たして原因が分かるかどうかは分からないが、何が原因なのかはっきりして欲しい。一番困るのは加齢に依るものですというもので、すべてこれで済まされると、ホントはどこが悪いんだと言いたくなる。何から何まで今年は本当に佳き年ではなかった。年男だったというのに。

 今月の黒門亭の会議があった。都の予算が付かなくなり、ワリが立たなくなるため今後の運営が危惧されていたが、今度は文化庁の給付金が下りることとなり、何とか中止を免れることになった。ただ、正月公演には間に合わず、1月16日からの再開となった。何はともあれ、一安心だ。

 そんなわけで、この日はすぐに顔付けを開始し、1時間ちょっとですべての番組が決まった。しかし、相変わらず客席は10名限定という条件付きである。そして、検温と手の消毒が義務付けられ、2公演が終わった後にも念入りに掃除を行なうようになった。そのため、手伝いのおばちゃんの仕事が増え、帰りの時間も遅くなった。

 また、1公演が終わるごとに以前には行なわれなかった手すりやトイレの消毒なども行なうため、以前より休憩の時間を多めに取ることになり、持ち時間もわずかながら短くなった。まあ、コロナがおさまるまではしばらくこの状態が続くが仕方がない。

 ともあれ、一時はどうなるかと思った黒門亭の続行が決まり、これからも今まで通りの公演が続けられるのは何よりだ。当分の間は電話による予約によりご来場いただくことになるが、お早めにご連絡をいただきたい。ただ、キャンセルの場合も早めのご連絡をお願いしたい。他のお客さんのためにも。

 

 江戸東京博物館での深川落語倶楽部の会が終わった。今回は全席自由席で座席のデイスタンスもなく、最前列も開放されたので、最前列に座る方も多かった。しかし、皆さん心得ていて席の間隔を空けて、気を遣って座っていただいたことが分かり、ありがたかった。

 今回はアタシは「小粒」といあまり高座にかけられない噺を出してみた。この噺は前座の頃、同期で同じ稲荷町で修業をした才賀師(当時の桂文太)に稽古をしてもらったもので、前座の時に何度かやっただけでそれ以後演じたことのないものだった。

 この噺を再び演じることになったのは、先日、終活の一環で身辺整理をしていてこの噺のノートが出て来て、そのままにしておくのはもったいないと思ってやることにしたのである。しかし、40年以上やっていないので中身もすっかり忘れていて、思い出しながらの稽古となったものである。

 それにやらなくなった噺の理由として受けない、面白くないといった例にもれず、果たしてどういう反応をお客さんが示すのかまったく予想がつかなかった。だが、やってみると思いのほか受けた。演じ方に迷いながらの進行だったので出来は良くはなかったが、とにかく受けたのだ。

 この日のお客さんが良かった所為もあるが、もう少し手をいれれば何とかなるかも知れない。40年ぶりにやったものでも、何とか現在のお客さんに受け入れてもらえるところが古典落語の強さかも知れない。

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 師走になって、早速木久扇から歳暮が届いた。木久蔵ラーメン・東京醤油ラーメンの生めんである。お中元には冷やし中華やスパゲティが届いたこともあるが、やっぱりラーメンは熱々のものがおいしい。この生めんは世間ではいろいろ言われているが、なかなかうまい。

 以前は値段も手ごろなので、羽田空港や東京駅の地下街で買い求めて、仕事先にお土産として持参したこともあった。また、木久扇がトリの時の寄席興行では入り口で販売することも多い。しかし、今年はコロナ禍の影響でそんなこともなくなってしまった。

 まだ木久蔵ラーメンの店として都内で営業をしていた頃には地方に行ってもラーメンがらみの仕事も多かった。アタシがよくやったのはラーメンの早食い競争の司会であったが、これはあまりきれい事ではなかった。というのも汁や麺や飛沫が飛び散って、今の時代では絶対に出来ないイベントであった。

 しかし、今では営業する店もなくなってしまい、個包装のラーメンを売り出すようになってからは、そんな仕事もなくなった。その当時、木久扇から「時ちゃん、君も何か自分のものを売ったら」と言われたのがきっかけになり、時蔵Tシャツを売り出すようになった。当初はちょいとした小遣い稼ぎになることもあり、ありがたかった。

 

 毎月第4水曜日開催の松丘亭寄席はコロナ禍の中、4月、5月の2回休んだだけで今月も行なわれた。こんな会は珍しいだろう。この落語会の会場である永福寺のご住職の方針で、どのようなことがあろうとも落語会は続けていきたいということのようだ。

 そのために入り口にはアルコール消毒液が置かれ、住所と連絡先を記入するように用紙と筆記具が置かれている。また、会場も大きな座敷から本堂に移された。ここでは我々は仏様にお尻を向けて座ることになるのだが、演者とお客さんの間には仏殿シールドが張り巡らされている。

 このシールドは縦2メートル、横4メートルほどの大きなビニールで、完全に客席と高座が仕切られている。大きな声でしゃべっても飛沫は完全に仕切られていて、このシールドにはご住職の並々ならぬ覚悟が感じられ、我々出演者はそれほどまでして開催して下さるありがたさを感じている。

 しかし、この会の最大の特徴である終わってからの無料宴会はコロナ禍の騒ぎになってから自粛を続けている。そのためかコロナ禍のためか、客数は少なくなった。といってもこの日も25名ほどのお客さんにお出でいただいた。それも近所の方というわけではなく、遠方からの方も多いようだ。

 来月は今年最後の会となるわけだが、終わってからの打ち上げがなくなったのは淋しいが、我々出演者も気合を入れてお客様方の期待に応えられるような会にしたいと思う。そして、ひと月でも早くコロナがおさまり、本来の松丘亭寄席となるように願っている。

 黒門亭に出演した。この前日には番頭を勤めたが、その日は真打(この場合はトリのこと。こういう言い回しをすることもある)が高座があることを忘れていて来ず。急きょ、鈴本に電話し高座を終えたばかりのSに来てもらい事なきを得た。とはいってもトリの師匠の高座を期待していた方には申し訳ないことである。

 10月に再開してからお客さんを10人に絞り電話予約で受付をしているのだが、ほとんどは当日を待たずに満席となっている。それでも当日にキャンセルがないかどうか電話で問い合わせて来る方がいるそうだ。ありがたいことである。

 アタシが出演した日も定員いっぱいであったが、皆さん陽気なお客さんで何事もなく高座を終えた。以前は変に構えたお客さんがいたこともあったのだが、この節はそのような方も少なくなり、常連さんが多い時でも安心して高座を勤めることが出来て、仲間の評判もいい。

 来年からは黒門亭が継続できるかどうか分からないのだが、お客さんからは続けて欲しいとの声が圧倒的に多く、我々もその声にぜひとも応えたいし、そうなることを願っている。しかし、10人ではワリが立たず(給金が払えず)、何らかの援助がないと継続はむずかしいというのが現状である。

 

 今年は新型コロナウイルスの影響で、落語界にも多大な影響があった。100年に1度といういうような大きな出来事であるが、仕事はおろか生活にも及ぶような大きな出来事であった。その影響は現在にも及び、それがいつ収束するかわからない。これが一番困る。

 そんなことで5月の独演会を休まざるを得なくなってしまった。そして、その他の会も観客の数を大きく減らす結果となってしまった。アタシの会などはもともとお客の数はたかが知れているが、大きな会にとっては多大な影響を及ぼしただろう。

 さて、そんな中にあっても独演会が今年最後の会を迎えたのだ。例年の観客数から見ると約半分といったところだが、これは仕方がないだろう。3月頃からのコロナの影響でそれ以後、全く姿を見せなくなってしまった方も何人かいらっしゃる。当人は来たいという気持ちがあっても家族に止められることもあるようだ。

 そのため、会場である両国亭の方でも万全の態勢で臨んだ。体温測定、手の消毒、換気など、今まで行なったことのないことばかりであるが、やらないわけにはいかない。換気のために表のドアを開け放しにしていて声が聴き取りにくいこともあったようだ。いつ収まるか分からないこのコロナであるが、一日も早く収まり特効薬が出来ることを祈るばかりである。

 東洋大学で文化公演があった。毎年行なわれている公演会で僧侶による声明(しょうみょう)であったり、新内であったり、長唄であったり、内容は毎年いろいろである。そして、今年は落語であったわけだが、今回は東洋大学出身の噺家だけで番組を組んでみることにした。 

 以前と同じようにアタシが二席演じることにして、二つ目のあんこと市寿にスケを頼み、前座も本学出身者をと思っていたのだが、この公演の直前に前座から二つ目に決まってしまった者がいて、残念ながら今回は他大学出身の扇ぽうに頼むことになった。

 当初はこのコロナ禍の中で今年は中止になるものと思っていたのだが、ありがたいことに開催して頂いた。ただ、このような状況の中なので、700人収容の井上円了ホールに観客は80人だけの募集となり、当日、会場を覗いてみると70人ほどの方々が最前列から最後列まで均等にばらばらに散らばっていて、何とも淋しい限り。

 それでも無観客で行なわれるのとは違って、数は少なくともお客さんがいらっしゃるだけでありがたいものだ。というのも生身のお客さんの前で実際に演じているのだから、それなりの反応が確かにあるからで、無観客では絶対にこうはならない。

 今年はこのような貴重な高座の経験をさせていただいたが、次回からは通常通りの募集がなされ、たくさんの観客の皆さんの前で演じることが出来るような通常の状況に戻って欲しいというのが出演者共通の願いであろう。

 

 先週、黒門亭会議があった。毎月1回委員が集まって、黒門亭の問題点や翌月の顔付けを行なっている。この日は顔付けに先立って、黒門亭の今後の運営についての話し合いがあった。今年はコロナ禍の中での開催で何かと問題が多い。

 この黒門亭は文化庁の芸術団体人材育成支援事業公演という援助を受けて始まったのである。そのため、40名限定という少数のお客さんでも何とかワリが立っているのである。ワリとは我々の給金のことで、前座、お囃子さんは定給と言って定額の給金をもらうのだが、二つ目以上はお客さん一人につき、いくらという額で決まるのである。

 そのため、このような助成金がないと立前座の1700円という定給にも及ばなくなってしまう。そして、今年はコロナで黒門亭の休演が続き、10月から再開された時にはお客さんを10人限定とした。10人ではとてもじゃないがワリが立たない。そのため今回は東京都からの補助金を受けることになり、何とか運営されることになっていたのである。

 ところが、その補助金が今年いっぱいで切れることになり、来年からはどうするかという問題が持ち上がったのである。おそらく、またしばらくの間、休演となってしまうのだろう。残念なことではあるが仕方がないだろう。

 区の環境審議会があった。本来は4月に行なわれる予定であったのが、新型コロナウイルスのために延びに延びてこの時期になってしまった。そして、会議も朝9時半から11時までの予定であったのが、10時半までの1時間に短縮されてしまった。これもコロナの影響である。

 そのため審議の内容も制限を受けることとなり、担当の環境保全課の管理担当者からの説明も時間を短縮され、また質疑の時間も大幅に削られてしまった。そんなわけで質問や意見も思うようにならず、いつものように他の方々からの意見も聞かれずじまいだった。

 それでもアタシはその間隙をぬって質問させていただいた。というのもごみ減量化のペースがこのところかなり落ちていて、その原因の一つに区内に新規転入する新たな区民への適正分別排出への普及・啓発が十分ではなかったという評価があった。

 そのために区としてはどのような施策をしたのかを訊ねたところ、外国語版の数種のパンフレットを作成したり、ホームページによって周知徹底を図ったとの返答があった。果たしてどの程度の効果があったかは時間の都合で訊くことが出来なかったが、区の考えと方針をを知ることは出来た。

 このような些細な質問であってもしておかないと、何の質問、指摘もなかったということで区の施策がそのまま見過ごされてしまうのである。これからも小さなことでもコツコツと質問していきたいと思う。

 

 家族旅行に出かけた。今回も去年の秋と同様に新潟である。参加者は今年100歳になるカミさんのオヤジさんとウチの夫婦、それにカミさんの妹夫婦の5人である。妹夫婦の車でオヤジさんを拾って、我が家まで迎えに来てもらい、一路関越道へ。

 今回のホテルも去年と同じ十日町のリゾートホテルで、偶然かどうか知らないが同室である。夜の料理はホテル内の郷土料理「ぶな」という店。去年は妻有ポークの出汁しゃぶをいただいたのだが、量が多すぎたので、この日は味覚会席にした。

 それでも土地の八海山を飲みながらではやはり量が多い。前菜、椀物、造り、温物、焼物、揚物、酢物、食事、水菓子と出てきたが、焼物あたりで腹8分目。手の込んだ料理だけに何とか手を出して、賞味させていただいたが、食事のふのりそばまでは手が回らなかった。

 翌日はカミさん姉妹と親父さんは今回の目的である墓参りとそば祭りに出かけ、アタシら婿殿2人はゴルフ。何しろホテルの部屋の目の前がアウトコースのスタートホールだから、便利この上ない。スコアはともかく天気はすこぶる良く、久々の青空でのスポーツを楽しんだ。

 終わってからホテルに戻って来た墓参り組と合流して、たくさんの土産物を積み込んで東京に向かったが、途中のひどい渋滞で6時間もかかってしまった。しかし、墓参りを済ませた100歳爺さんは満足そのものだったから、良き旅であったといえるだろう。

 

 高校の落語鑑賞会に行って来た。今年の春、歌舞伎教室の予定であったのが、コロナの影響で中止となり、それなら落語にしようとなったのだという。誠にベストな選択である。それもソーシャルディスタンスを取るため、午前、午後の2部制にするとのこと。これもありがたい。

 しかし、まるまる2回分の報酬をいただくわけにはいかず、学校教育の一環ということもあり相談の結果、当然の如くサービスをさせていただいた。持ち時間は90分なので、2、3人で伺おうと思っていたのだが、普通の落語ではなく、「環境落語」をやって欲しいとのこと。

 どうやら、今年からレジ袋も有料となり、エコに関する落語をやってもらいたいのだという。そして、諸々の解説を40分ほどやって欲しいというので、これを午前、午後2回あたし一人でやるのはとても無理なので、2つ目一人にスケを頼むことにした。

  その結果、頭でアタシが「伝統芸能としての落語」と題しておしゃべりをして、その後に若手の古典落語、休憩をはさんであたしが「環境落語」を演ずることにした。そして、最後に風呂敷を使った簡単なレジ袋の作り方をやることにして、全員に風呂敷かスカーフを用意してもらうことにした。

 ところが、風呂敷がない家庭が多いとのことで、学校で風呂敷を用意してくれることになった。アタシらの商売からすると、風呂敷なんぞは余るほど家にあるのだが、そんな家庭は今ではめずらしいようだ。しかし、全員に用意して頂いたので、難なく行なうことが出来たのは助かった。

 そんなこともあったが、何の問題もなく、2回の落語会を無事に終えたのだが、最後に質疑応答があり次から次へと質問が出るのには驚いた。噺家になったきっかけやら、上手な話し方やら、虫が登場する噺はあるかなど、予期せぬ質問もあったが、これも熱心に聴いていただいた証だと思いたい。

 

 10月から黒門亭が再開した。それに先立って9月の初めに黒門亭委員会が開かれ、顔付けが行なわれた。委員10名ほどで手分けをして協会員に電話をして、翌1か月分の番組を組むのである。この委員会が開かれるのも半年ぶりである。

 最近は協会員も仕事がないため在宅が多く、すぐに電話が繋がることも多い。そのため、午前10時に開会してから差し当たっての問題点の話し合いが終わってから、10時半頃から電話連絡して1時間ほどですべての番組が決まった。

 ただ以前同様といったわけにはいかない。本来の定員は40名であるが、ソーシャルデイスタンスを取るため、10名という定員である。そのため、お客さんはすべて電話による事前申し込みとなった。そのため、すぐに定員に達してしまい、入場出来ないお客さんも多いようだ。

 そして、7か月ぶりに番頭の役目が回って来た。この日は1日雨であったため、電話申し込みしてもお出でにならない方があると思っていたのだが、皆さん時間通りにご入場いただいた。入場に際して番頭がお名前をチェックして検温し、手の消毒を促す。幸い高温の方はいなかった。

 また、1部と2部の休憩時間を多めに取り、消毒液で手すりの消毒、また換気を長めに取るなど、仕事も増えた。しかし、待ちに待ったお客さんも多く、また出演者も同様で会自体は以前よりいい雰囲気で笑いも多かった。1日も早く、以前同様の黒門亭に戻ってほしい。

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