10月31日(金) 晴れ
最低気温8℃ 最高気温12℃
サルたち来苑時間…サルたち公苑不在
12日(日)〜15日(水)サルたち公苑不在
16日(木)12:40
17日(金)サルたち公苑不在
18日(土)14:50〜17:00
19日(日)8:30〜17:00
20日(月)〜23日(木)サルたち公苑不在
24日(金)11:30〜17:00
25日(土)8:30〜17:00
26日(日)サルたち公苑不在
27日(月)11:30〜17:00
28日(火)8:30〜17:00
29日(水)〜30日(木)
【10/12~10/25の期間、サルたちの様子】
10月に入り、サルたちの不在が多くなっています。
10月の下旬となった現在、食べ物の実り具合のピークは超えているようで、お腹を空かしていてスタッフのエサを頼りにしている様子が感じ取れます。
これによってサルたちの出勤率も高くなってきています。
ただし、ピークを超えたのであり、「食べ物シーズンの終わり」ということではありません。
また、発情が進んでいて、こちらは現在が最も盛んな、ピークの状況です。
お腹が空いていても、発情が盛んになって「それどころではない」という気持ちになってしまい、エサそっちのけで行動してしまう事もあります。
慌ただしい季節はまだ続きます。

【風が吹けば桶屋が儲かる】
風が吹いくと、土埃が立つ→土埃が舞うと、目に入って眼病を患う人が増える
→眼病を患い、出来る仕事が限られると、三味線弾き(三味線の演奏家)を選ぶ事が多い
→昔は、三味線に猫の皮が使われていたので、三味線の需要が増えると猫の皮が不足し、必要となる
→猫が減る原因となるので、猫が減った分ネズミの増える原因となる→ネズミが桶を齧り、桶の需要が高まる
→桶屋の桶が売れて、儲かる。
…というのがいわゆる「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺です。
この諺、現代では2通りの意味があるようで
1つは、「関係な出来事が、色々と出来事が連鎖していくと予想外のところへ影響を及ぼす」という例え。
2つ目は、「関係のない物事を強引に結びつける理論や当てにならない期待に期待する事」という皮肉めいた例えとして使う例。
となるそうです。
*おそらくは1つ目の意味が主であり、2つ目の意味はそこから転じて意味が変わってしまった例なのかと思われます。
私は、1つ目の例としてこの意味を捉えていますし、サルたちや野生動物との関わり合いの中では、これが割と重要だと思っています。
例えば、お伝えしています様に、秋のシーズンはサルたちが公苑にいないことが多くなっていますが、これは原因として「山の食べ物が豊富になる実りの秋」である事が大きな理由となっています。
山の食べ物が豊富なシーズンではありますが、その年によって生り年(豊作年)と不作の年とに分かれます。
イメージ的には生り年だから山に食べ物が沢山あって公苑に来ない事が増えて、不作で山に食べ物が不作だから公苑によく来る…と想像されます。
確かに一理ある考え方なのですが、一概に「そうだ」と言い切れるものではありません。
生り年→食べ物が豊富だから行動するエリアを広げる必要がない→公苑周辺で過ごす事も増える=公苑に来る確率が上がる…
不作→食べ物を求めて広く広く移動する→公苑から離れた場所に行きがちになる=公苑に来る確率が下がる…
という流れになる事が言えます。
直結的に事象同士でも、俯瞰して視野を広げてみると複雑に物事が転じた上で結果に至っていることは少なくありません。
様々な植物や昆虫や動物たちがそれぞれ「懸命に生存しようとしている」のが山の中の生態系ですから、彼らとの関わり合いには、風が吹けば桶屋が儲かるという考え方は、大袈裟なものではないと思います。
最低気温8℃ 最高気温12℃
サルたち来苑時間…サルたち公苑不在
12日(日)〜15日(水)サルたち公苑不在
16日(木)12:40
17日(金)サルたち公苑不在
18日(土)14:50〜17:00
19日(日)8:30〜17:00
20日(月)〜23日(木)サルたち公苑不在
24日(金)11:30〜17:00
25日(土)8:30〜17:00
26日(日)サルたち公苑不在
27日(月)11:30〜17:00
28日(火)8:30〜17:00
29日(水)〜30日(木)
【10/12~10/25の期間、サルたちの様子】
10月に入り、サルたちの不在が多くなっています。
10月の下旬となった現在、食べ物の実り具合のピークは超えているようで、お腹を空かしていてスタッフのエサを頼りにしている様子が感じ取れます。
これによってサルたちの出勤率も高くなってきています。
ただし、ピークを超えたのであり、「食べ物シーズンの終わり」ということではありません。
また、発情が進んでいて、こちらは現在が最も盛んな、ピークの状況です。
お腹が空いていても、発情が盛んになって「それどころではない」という気持ちになってしまい、エサそっちのけで行動してしまう事もあります。
慌ただしい季節はまだ続きます。

【風が吹けば桶屋が儲かる】
風が吹いくと、土埃が立つ→土埃が舞うと、目に入って眼病を患う人が増える
→眼病を患い、出来る仕事が限られると、三味線弾き(三味線の演奏家)を選ぶ事が多い
→昔は、三味線に猫の皮が使われていたので、三味線の需要が増えると猫の皮が不足し、必要となる
→猫が減る原因となるので、猫が減った分ネズミの増える原因となる→ネズミが桶を齧り、桶の需要が高まる
→桶屋の桶が売れて、儲かる。
…というのがいわゆる「風が吹けば桶屋が儲かる」の諺です。
この諺、現代では2通りの意味があるようで
1つは、「関係な出来事が、色々と出来事が連鎖していくと予想外のところへ影響を及ぼす」という例え。
2つ目は、「関係のない物事を強引に結びつける理論や当てにならない期待に期待する事」という皮肉めいた例えとして使う例。
となるそうです。
*おそらくは1つ目の意味が主であり、2つ目の意味はそこから転じて意味が変わってしまった例なのかと思われます。
私は、1つ目の例としてこの意味を捉えていますし、サルたちや野生動物との関わり合いの中では、これが割と重要だと思っています。
例えば、お伝えしています様に、秋のシーズンはサルたちが公苑にいないことが多くなっていますが、これは原因として「山の食べ物が豊富になる実りの秋」である事が大きな理由となっています。
山の食べ物が豊富なシーズンではありますが、その年によって生り年(豊作年)と不作の年とに分かれます。
イメージ的には生り年だから山に食べ物が沢山あって公苑に来ない事が増えて、不作で山に食べ物が不作だから公苑によく来る…と想像されます。
確かに一理ある考え方なのですが、一概に「そうだ」と言い切れるものではありません。
生り年→食べ物が豊富だから行動するエリアを広げる必要がない→公苑周辺で過ごす事も増える=公苑に来る確率が上がる…
不作→食べ物を求めて広く広く移動する→公苑から離れた場所に行きがちになる=公苑に来る確率が下がる…
という流れになる事が言えます。
直結的に事象同士でも、俯瞰して視野を広げてみると複雑に物事が転じた上で結果に至っていることは少なくありません。
様々な植物や昆虫や動物たちがそれぞれ「懸命に生存しようとしている」のが山の中の生態系ですから、彼らとの関わり合いには、風が吹けば桶屋が儲かるという考え方は、大袈裟なものではないと思います。





















