2021年01月07日
コロナワクチン接種
コロナのことです。今日からコロナワクチン接種、60歳以上が受付になりました。3日間の間に希望者は私立高校校舎へ接種に行きます。先週は75歳以上と警官、消防士の接種があり、接種を受けた知り合いが色々とその情況を知らせてくれました。面白いので今朝、私もそれを受けに行ったのですが、車列の長いこと、長いこと。早くても5時間待ちだそうです。もちろん接種を諦めました。全ての接種が終了した時点で後は未接種の希望者には有料$20ぐらいで出来るそうです。これは並びません。
ワクチン接種が始まって以来グアムは不安と怯えから開放されたかのように明るい気分になっています。たかが米国領土の1つでありながらかくも早く接種が始まるのはグアム選出の議員の米国議会での力量によります。我が国の政治家にこのような力量がある人は僅かしかいません。緊急事態宣言発令を見ればわかります。そしてそこに大きな問題がありますね。
グアムでは感染数も激減していて、ワクチンが落ち着けば、これで日本からのツーリストを(お互いが)安心して受けれることが可能です。コロナとはそんなものです。それにしても毎日々々コロナ災禍のことばかりで、虚しいですね。
ワクチン接種が始まって以来グアムは不安と怯えから開放されたかのように明るい気分になっています。たかが米国領土の1つでありながらかくも早く接種が始まるのはグアム選出の議員の米国議会での力量によります。我が国の政治家にこのような力量がある人は僅かしかいません。緊急事態宣言発令を見ればわかります。そしてそこに大きな問題がありますね。
グアムでは感染数も激減していて、ワクチンが落ち着けば、これで日本からのツーリストを(お互いが)安心して受けれることが可能です。コロナとはそんなものです。それにしても毎日々々コロナ災禍のことばかりで、虚しいですね。
Posted by kenhagaguam at
12:15
2021年01月01日
新年のご挨拶
皆様明けましておめでとうございます。屁理屈ばかりの私を長年お付き合いいただき心からお礼と感謝申し上げます。
新年が皆様にとって思いもかけぬ素晴らしい年になるように心からお祈り申し上げます。
今年もどうかよろしくお願い致します。こんな状態ではありますが機会があれば是非グアムへお出かけください。心からご歓待します。
新年が皆様にとって思いもかけぬ素晴らしい年になるように心からお祈り申し上げます。
今年もどうかよろしくお願い致します。こんな状態ではありますが機会があれば是非グアムへお出かけください。心からご歓待します。
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12:13
2020年12月28日
今年
今年はほぼ1年をコロナウィルスに煩わされ、なんら目立つニュースもなく終わりそうです。
思えば大型客船から始まり東京で800人を超える感染者に発展し、菅総理8人の会合とまあ話題だけは止まる事がなさそうです。このコロナ災禍で学んだのは我が国(だけではないが)の危機管理体制と危機という言葉の軽さとイメージのなさに驚くと同時に恐怖を感じた事でした。
大型客船ダイアモンド・プリンセスから始まりGo Toキャンペーンなど政府の打ち出す対策と支援はその全てに漏れが目立ち失望の連続でした。リーダーが辞職覚悟の決意と行動で危機に立ち向かうというのは映画の世界で、危機管理に弱い現代の日本(世界もかな)がよくわかります。
これは政府がかつての自民党のように強靭で権威ある組織ではなくなってきた証しでもあります。今の政治家は頭が良く周囲への配慮が抜群でありながら自身の熱意と覚悟に欠けています。責任ある立場にいながら変わらず専門家の意見を調整する能力しかない、つまりリーダーではなくコーディネイターなのであります。と同時に国民も平和ボケの中で一般常識や道徳観念と責任感が薄れ、何かにつけ他人任せになりあとは「文句言うのすけ」で(これは私ですが)似非一億評論家で何もできません。言ってみれば難破寸前の船の乗客であって、ただひたすら奇跡が起こるように祈るのみで大波にさらわれるのを待っているようなものです。
コロナなどは世界全体が被る迷惑だからいいようなもので、もし大きな国防、経済的危機が単発で襲ってきたら日本はどうなるのでしょう。流行に追われて見かけは国際人ながら中身が伴っていないとやがて起きる大変な混乱に腹を据えた対応が難しくなるでしょう。危機に対処するには外面的なもの以上にしっかり備える内面的な鎧がなければ中身から崩れていきます。前の東北大震災で犯した社会主義政権の惨めなうろたえぶりと無策無能な対応は、健全な一般人がまだいたから凌ぐ事が出来たけれど、国民も混乱し自己保存に執着していたら日本という国家は外国の餌食になっていたかも知れません。前は沈着冷静で済んだが次に起こる災害は他人任せでスルーするわけにはいかないでしょう。その兆しとも言える例がこのコロナウィルスの体験だったのだな、と感じます。
コロナ禍と世間が騒ぎこの世の終わりのような醜態を見せているけれどワクチンが行き届けば問題は霧散します。少なくとも心理的な恐怖がなくなりますからいずれ忘れます、つまり一過性の問題です。もし、これが日本、あるいはアジア周辺のみの災禍だったとしたら我が国は相当なダメージで窮地に立ったはずです。世界がムキになってワクチンの製造に走らなかったかも知れません。
危機は突然想像を超えたところからやってきます。危機に対応できるのはその時のリーダーの器に依存する事になります。であるからこそ真面目にやってほしいのです。器は生来決まっているから大きくは出来ません。であるから小さな器はせいぜい出来る限り器いっぱいの努力をしなければなりません。「他人の意見を参考に」などと言っているようでは政治世界は通用しません。コロナ災禍が天の啓示に聞こえるのは危機管理を通じて人の器量がわかり危機を肌で感じる体験が出来たことでしょうか。理の合わない情報や条件で混乱を極めながらもそこから学ぶ事があっても失うことはないようです。
それにつけてもなんです、いってみればなんともうっつけ者ではあってもトランプという大統領は浮かんでも沈んでも納得させるほどの強いリーダーでありました。虎の威を借る狐ではあっても虎の真似ができる器でした。これは現存する唯一の大物なのかも知れません。
思えば大型客船から始まり東京で800人を超える感染者に発展し、菅総理8人の会合とまあ話題だけは止まる事がなさそうです。このコロナ災禍で学んだのは我が国(だけではないが)の危機管理体制と危機という言葉の軽さとイメージのなさに驚くと同時に恐怖を感じた事でした。
大型客船ダイアモンド・プリンセスから始まりGo Toキャンペーンなど政府の打ち出す対策と支援はその全てに漏れが目立ち失望の連続でした。リーダーが辞職覚悟の決意と行動で危機に立ち向かうというのは映画の世界で、危機管理に弱い現代の日本(世界もかな)がよくわかります。
これは政府がかつての自民党のように強靭で権威ある組織ではなくなってきた証しでもあります。今の政治家は頭が良く周囲への配慮が抜群でありながら自身の熱意と覚悟に欠けています。責任ある立場にいながら変わらず専門家の意見を調整する能力しかない、つまりリーダーではなくコーディネイターなのであります。と同時に国民も平和ボケの中で一般常識や道徳観念と責任感が薄れ、何かにつけ他人任せになりあとは「文句言うのすけ」で(これは私ですが)似非一億評論家で何もできません。言ってみれば難破寸前の船の乗客であって、ただひたすら奇跡が起こるように祈るのみで大波にさらわれるのを待っているようなものです。
コロナなどは世界全体が被る迷惑だからいいようなもので、もし大きな国防、経済的危機が単発で襲ってきたら日本はどうなるのでしょう。流行に追われて見かけは国際人ながら中身が伴っていないとやがて起きる大変な混乱に腹を据えた対応が難しくなるでしょう。危機に対処するには外面的なもの以上にしっかり備える内面的な鎧がなければ中身から崩れていきます。前の東北大震災で犯した社会主義政権の惨めなうろたえぶりと無策無能な対応は、健全な一般人がまだいたから凌ぐ事が出来たけれど、国民も混乱し自己保存に執着していたら日本という国家は外国の餌食になっていたかも知れません。前は沈着冷静で済んだが次に起こる災害は他人任せでスルーするわけにはいかないでしょう。その兆しとも言える例がこのコロナウィルスの体験だったのだな、と感じます。
コロナ禍と世間が騒ぎこの世の終わりのような醜態を見せているけれどワクチンが行き届けば問題は霧散します。少なくとも心理的な恐怖がなくなりますからいずれ忘れます、つまり一過性の問題です。もし、これが日本、あるいはアジア周辺のみの災禍だったとしたら我が国は相当なダメージで窮地に立ったはずです。世界がムキになってワクチンの製造に走らなかったかも知れません。
危機は突然想像を超えたところからやってきます。危機に対応できるのはその時のリーダーの器に依存する事になります。であるからこそ真面目にやってほしいのです。器は生来決まっているから大きくは出来ません。であるから小さな器はせいぜい出来る限り器いっぱいの努力をしなければなりません。「他人の意見を参考に」などと言っているようでは政治世界は通用しません。コロナ災禍が天の啓示に聞こえるのは危機管理を通じて人の器量がわかり危機を肌で感じる体験が出来たことでしょうか。理の合わない情報や条件で混乱を極めながらもそこから学ぶ事があっても失うことはないようです。
それにつけてもなんです、いってみればなんともうっつけ者ではあってもトランプという大統領は浮かんでも沈んでも納得させるほどの強いリーダーでありました。虎の威を借る狐ではあっても虎の真似ができる器でした。これは現存する唯一の大物なのかも知れません。
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12:18
2020年08月15日
終戦の日
今日は戦争に敗れて75年目の節目の年になります。よく国会議員をゲストに招くある講演会でスピーチしその終わりに「我が国が戦争に負けた日」といったら発明家と称する年配のゲストから「あれは敗戦と言いません」と面前で皮肉られました。「終戦ですか」というと「その通りです」と満面笑顔。その時に「この集会はそういう人達の集まりか」と納得しました。あの戦争を頑なに肯定したがる人達、ということです。その席でも言いましたが、「我が国は敗れたのです。終わったのではありません。それを陛下が率直にそう明言されておられます。そしてそれを認めてこそ明日の日本があるのです」と。
終戦の勅書といっても興味がなければそれまでですが、しかし陛下のお言葉には深い意味があります。現代訳を紹介しますと、陛下「そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。」
左翼や平和主義者のいう「略奪を目的とした残忍な戦争」ではありません。東アジアの(民族解放)安定平和を願ったから、戦争の名称を「大東亜戦争」と名付けています。このことは極めて重要な、あの時代の気運でした。これだけは若人に伝えましょう。
陛下「私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。」
降伏を決めた事に陛下は多くの犠牲者に対して責任をお感じになられました。また台湾などの友好国に対しても同様に陳謝をしておられました。
陛下「それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。」
原爆は罪のない人々を殺傷したのです。それがきっかけで戦争が終わったと米国は言いますが、こういう残忍な事を「正義の元」に食らわす事に憤りがありますが、しかしながらここグアムでは一般市民が日本軍の犠牲になっている。海外に住むとそういう一面に直面するので善悪の色分けなど出来ないのもまた真実です。
陛下「これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。」
軍首脳部は当初の目論見と戦略が歪み始めると次第に愚かな戦術を持って自滅していったのですが、国民は一丸となって全力で戦いました。あれはつまり日本人の存続、生死を懸けた戦争でした。それを誰がそしり、あげつらう事が出来ましょう。
陛下「国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。」
と語られたその「道義心」が金銭の多寡にとらわれ薄らぎ、日本人としてあるべき「志」が消え失せ、米国が恐れた(侍精神を尊ぶ)「国の真価」が揺らぎ、経済を優先するあまり国防を軽視して「世界の流れから遅れ」をとっているのが現状です。
取り分けて、あの終戦の日の夕方、朝日新聞がその夕刊に「戦争に負けたが我が8千万の国民が一致して始めた戦争なのだからそれを潔く認め、今後は国の発展のために努力しよう」と戦争は国民の総意であると認めていました。それが後でGHQの締め付けにあうと「あれは軍部が勝手に始めた戦争」と決めつけ、それがその後の日本社会の空気になったのです。変節です。
あの戦争では多くの将兵が志を一つにして闘いながらそれを遥か離れた場所で指揮命令を下していた高級官僚の将官たちがいて、彼らは戦いに敗れる度に言い逃れをして責任を取らず、終戦後は大いに変説して罪から逃れました。変節漢、これがメディアやエリート軍人たちの得意とする生き様でした。そして不幸な事に今もそれは変わっていません。国民はあの戦争からそこだけは学んでいないようです。
グアムで闘い戦死した将兵はどのような気持ちで戦場へ赴いたのかと調べたら「訓練した事をそのまま活かせばいいと思った」と述べる生還兵が多かった。死ぬ恐怖を乗り越えたのが日頃の訓練だったそうです。では「どういう日本であって欲しかったか」というと「いい時代になったが、こういう国ではなかったと思う」と言いました。何をすれば先人の意志を受け継ぐ事ができるのか、と終戦の今日、まあいい歳をしながら模索しているのであります。
終戦の勅書といっても興味がなければそれまでですが、しかし陛下のお言葉には深い意味があります。現代訳を紹介しますと、陛下「そもそも日本臣民が平穏に暮らし、世界が栄え、その喜びを共有することは、歴代天皇の遺した教えで、私も常にその考えを持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定平和を願うからであり、他国の主権を排して、領土を侵すようなことは、もとより私の意志ではない。」
左翼や平和主義者のいう「略奪を目的とした残忍な戦争」ではありません。東アジアの(民族解放)安定平和を願ったから、戦争の名称を「大東亜戦争」と名付けています。このことは極めて重要な、あの時代の気運でした。これだけは若人に伝えましょう。
陛下「私は、アジアの解放のため日本に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。日本臣民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。」
降伏を決めた事に陛下は多くの犠牲者に対して責任をお感じになられました。また台湾などの友好国に対しても同様に陳謝をしておられました。
陛下「それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知れない。なおも戦争を続ければ、我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。」
原爆は罪のない人々を殺傷したのです。それがきっかけで戦争が終わったと米国は言いますが、こういう残忍な事を「正義の元」に食らわす事に憤りがありますが、しかしながらここグアムでは一般市民が日本軍の犠牲になっている。海外に住むとそういう一面に直面するので善悪の色分けなど出来ないのもまた真実です。
陛下「これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民みなの気持ちも、私はよくわかっている。けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して、未来のために平和を実現するため、道を開いていきたい。」
軍首脳部は当初の目論見と戦略が歪み始めると次第に愚かな戦術を持って自滅していったのですが、国民は一丸となって全力で戦いました。あれはつまり日本人の存続、生死を懸けた戦争でした。それを誰がそしり、あげつらう事が出来ましょう。
陛下「国を挙げて家族のように一致団結し、この国を子孫に受け継ぎ、神国(日本)の不滅を固く信じ、国の再生と繁栄の責任は重く、その道のりは遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に傾け、道義心を大切にし、志を固く守り、国の真価を発揮し、世界の流れから遅れないよう努力しなければならない。」
と語られたその「道義心」が金銭の多寡にとらわれ薄らぎ、日本人としてあるべき「志」が消え失せ、米国が恐れた(侍精神を尊ぶ)「国の真価」が揺らぎ、経済を優先するあまり国防を軽視して「世界の流れから遅れ」をとっているのが現状です。
取り分けて、あの終戦の日の夕方、朝日新聞がその夕刊に「戦争に負けたが我が8千万の国民が一致して始めた戦争なのだからそれを潔く認め、今後は国の発展のために努力しよう」と戦争は国民の総意であると認めていました。それが後でGHQの締め付けにあうと「あれは軍部が勝手に始めた戦争」と決めつけ、それがその後の日本社会の空気になったのです。変節です。
あの戦争では多くの将兵が志を一つにして闘いながらそれを遥か離れた場所で指揮命令を下していた高級官僚の将官たちがいて、彼らは戦いに敗れる度に言い逃れをして責任を取らず、終戦後は大いに変説して罪から逃れました。変節漢、これがメディアやエリート軍人たちの得意とする生き様でした。そして不幸な事に今もそれは変わっていません。国民はあの戦争からそこだけは学んでいないようです。
グアムで闘い戦死した将兵はどのような気持ちで戦場へ赴いたのかと調べたら「訓練した事をそのまま活かせばいいと思った」と述べる生還兵が多かった。死ぬ恐怖を乗り越えたのが日頃の訓練だったそうです。では「どういう日本であって欲しかったか」というと「いい時代になったが、こういう国ではなかったと思う」と言いました。何をすれば先人の意志を受け継ぐ事ができるのか、と終戦の今日、まあいい歳をしながら模索しているのであります。
Posted by kenhagaguam at
16:59
2020年08月11日
グアム戦争終焉の日
今日8月11日は76年前のグアム戦争終焉の日です。2万に近い我が日本軍将兵の内、わずか1300人ほどしか生き残れなかった戦争が終わった日です。あの時代の若き青年達は志も虚しく祖国を護持できると信じて尊い生命を山野に海浜に斃れました。
コロナがどうの、政治家の責任がどうの、経済がどうの、とこの世的な現象に口角泡を飛ばし現象に振り回されている間に足元を見ず、また今ある幸せの原点を忘れて「生命が大事」といいながら英霊の尊い犠牲を踏みにじっているのにさえ気づく事なく、相変わらず「自分さえ良ければいい」という功利的な生き方に執着する現代を思うと、たったの76年前のことが一幕の喜劇のようにさえ思えます。
あの時代、銃後の人たち(これが今の世相)と違い積極的に闘っていた戦場の将兵に安らぎがあったのでしょうか。彼らは何を信じ、何を愛し、そしてどういう世界を願っていたのでしょう。「戦争のない社会実現」は当たり前、生命を懸けるぐらいだからそれ以上の、もっと日本人にとって重要な理由があったに違いありません。それが何なのか?それこそがコロナ禍で儲ける時間を失い、考える時間を恵んでくれた天の計らいかもしれません。私らに課した大きな宿題なのだと思うと、英霊もきっと浮かばれるでしょう。

コロナがどうの、政治家の責任がどうの、経済がどうの、とこの世的な現象に口角泡を飛ばし現象に振り回されている間に足元を見ず、また今ある幸せの原点を忘れて「生命が大事」といいながら英霊の尊い犠牲を踏みにじっているのにさえ気づく事なく、相変わらず「自分さえ良ければいい」という功利的な生き方に執着する現代を思うと、たったの76年前のことが一幕の喜劇のようにさえ思えます。
あの時代、銃後の人たち(これが今の世相)と違い積極的に闘っていた戦場の将兵に安らぎがあったのでしょうか。彼らは何を信じ、何を愛し、そしてどういう世界を願っていたのでしょう。「戦争のない社会実現」は当たり前、生命を懸けるぐらいだからそれ以上の、もっと日本人にとって重要な理由があったに違いありません。それが何なのか?それこそがコロナ禍で儲ける時間を失い、考える時間を恵んでくれた天の計らいかもしれません。私らに課した大きな宿題なのだと思うと、英霊もきっと浮かばれるでしょう。

Posted by kenhagaguam at
17:00
2020年07月22日
2020年グアム解放記念日
昨日はグアム解放記念日。今から76年前の7月21日午前7時半、この写真のグアムの首都ハガニア市のあちら側アサン海岸から米軍海兵隊2万5千人以上が上陸を開始した記念すべき日です。
この日はあちら側彼方に見える(横井庄一がいた)有羽山近くのアガット海岸の9千人を含めて5万5千人が上陸し、我が守備軍(アサン1万2千人、アガット3千人)合わせて2万人近くと激戦を交わします。戦闘は昼夜を舎かず行われ守備軍は5日後に敗退し、後は抵抗しながら北部へ転戦していきます。
日米両軍の記録によると、その日は前日から快晴でやや靄がかっていた、とあります。ここグアムは今日も朝から快晴で猛暑なのですが、おそらく当日も同じであったはずです。
米軍は上陸前の徹底的に艦爆と空爆で守備軍を粉砕しやがて300の上陸用艇で海岸に上がり眼前の岸壁に走りました。ほぼ完璧に粉砕されながら守備軍は彼らを待ち構え激戦し、攻撃隊は負傷者が激増するのに根をあげて「彼らは生きている」と有名な捨て台詞を吐いて撤退し、その日は戦争を終了します。午後3時だったと記録にあります。
(下記に続きます)
写真・戦前のグアム最大の都市ハガニア(アガナ=明石)の風景。手前の右側に今のチャモロビレッジがある。

この日はあちら側彼方に見える(横井庄一がいた)有羽山近くのアガット海岸の9千人を含めて5万5千人が上陸し、我が守備軍(アサン1万2千人、アガット3千人)合わせて2万人近くと激戦を交わします。戦闘は昼夜を舎かず行われ守備軍は5日後に敗退し、後は抵抗しながら北部へ転戦していきます。
日米両軍の記録によると、その日は前日から快晴でやや靄がかっていた、とあります。ここグアムは今日も朝から快晴で猛暑なのですが、おそらく当日も同じであったはずです。
米軍は上陸前の徹底的に艦爆と空爆で守備軍を粉砕しやがて300の上陸用艇で海岸に上がり眼前の岸壁に走りました。ほぼ完璧に粉砕されながら守備軍は彼らを待ち構え激戦し、攻撃隊は負傷者が激増するのに根をあげて「彼らは生きている」と有名な捨て台詞を吐いて撤退し、その日は戦争を終了します。午後3時だったと記録にあります。
(下記に続きます)
写真・戦前のグアム最大の都市ハガニア(アガナ=明石)の風景。手前の右側に今のチャモロビレッジがある。

Posted by kenhagaguam at
16:14
2020年07月02日
コロナは時間がいかに大切か
考えたのです。日本はどこにいても何がしかの収入源が見えますが、グアムは観光業しか主たる産業がないので、それが完全に遮断されるとその道の者は誰も生き残れません。
この「どうしようもない」という閉ざされた状況にいながら何故か心が平静で要られます。平静なのは仕事上のことで頭を使う事がないという胃が痛むような不安や悩みがない、という事でありまして、実際は、時間が惜しげなく流れさるのは恐ろしいです。この数ヶ月、何かと上手に時間を費やしてはいるけれどそれはそれとして、歳を重ねて無為な時間のロスは実に悲しい話です。時間はお金で買えません、生命が買えないのと同じです。
私はグアムに来る前、6年近く日々を無駄に費やしました。起業して失敗し、40代だったので天職などなく仕事もなく、苦労しました。その時に時間がどれほど大切かを学びました。何かを果たさなければならない、という気持ちがなければそんなことを思わなかったのでしょうが、人にはきっとこの世に在る(生きる)には何か意義がある、使命があるのだ、とご大層に信じていたので日々流れ行く時間が怖かったし勿体なかったのです。
グアムに来ての日々は忙しく充実していますが、やはり失った6年は取り戻せません。もし、その時間をそのまま活かしていればどれほどの事を成し得たか、とまあ経験された方なら誰もが膝を打って頷かれるでしょう。これが唯一の慚愧の念に耐えない、という経験です。
この何も出来ない虚しさは、ここグアムでは戦跡めぐりツアーが催行出来ないということです。参加された全ての方が大戦中の若き日本兵士の心意気や覚悟に涙し、巻き添え犠牲になった住民に花を手向ける事ができないという事になります。ツアーそのものはどうでもいいのですが、大切な話を大切な人々に語る事が出来ないのは、話を聞くタイミングを失した(未来を担う)青年が、将来役立つ何かを知るきっかけを失うという事です。知ってほしい数百人の若者が「あの時代の兵隊」の祖国愛の深さを体感できないという事です。それが残念でなりません。そう人生には限りがあり、縁にも限りがあるからです。
コロナは時間がいかに大切か、この世にありながらきちんと自分の道を歩いているか、を考えるきっかけになっています。だから天の声かもしれません。
この「どうしようもない」という閉ざされた状況にいながら何故か心が平静で要られます。平静なのは仕事上のことで頭を使う事がないという胃が痛むような不安や悩みがない、という事でありまして、実際は、時間が惜しげなく流れさるのは恐ろしいです。この数ヶ月、何かと上手に時間を費やしてはいるけれどそれはそれとして、歳を重ねて無為な時間のロスは実に悲しい話です。時間はお金で買えません、生命が買えないのと同じです。
私はグアムに来る前、6年近く日々を無駄に費やしました。起業して失敗し、40代だったので天職などなく仕事もなく、苦労しました。その時に時間がどれほど大切かを学びました。何かを果たさなければならない、という気持ちがなければそんなことを思わなかったのでしょうが、人にはきっとこの世に在る(生きる)には何か意義がある、使命があるのだ、とご大層に信じていたので日々流れ行く時間が怖かったし勿体なかったのです。
グアムに来ての日々は忙しく充実していますが、やはり失った6年は取り戻せません。もし、その時間をそのまま活かしていればどれほどの事を成し得たか、とまあ経験された方なら誰もが膝を打って頷かれるでしょう。これが唯一の慚愧の念に耐えない、という経験です。
この何も出来ない虚しさは、ここグアムでは戦跡めぐりツアーが催行出来ないということです。参加された全ての方が大戦中の若き日本兵士の心意気や覚悟に涙し、巻き添え犠牲になった住民に花を手向ける事ができないという事になります。ツアーそのものはどうでもいいのですが、大切な話を大切な人々に語る事が出来ないのは、話を聞くタイミングを失した(未来を担う)青年が、将来役立つ何かを知るきっかけを失うという事です。知ってほしい数百人の若者が「あの時代の兵隊」の祖国愛の深さを体感できないという事です。それが残念でなりません。そう人生には限りがあり、縁にも限りがあるからです。
コロナは時間がいかに大切か、この世にありながらきちんと自分の道を歩いているか、を考えるきっかけになっています。だから天の声かもしれません。
2020年07月01日
グアムの近況
グアムの近況です。
せっかくコロナ感染者がゼロだったのに軍人自身の管理がお粗末だった事から感染者が出たそうです、夜の街からです。
グアムが主産業(というよりこれしかない)である観光を7月1日から開業させる、と女性知事が勇ましく宣言し、元知事が指名されて観光局のトップとしてコマーシャルを作りました。その内容、なぜそうなのか、誰が決めたのか、は置いといて、ココバードというぬいぐるみを着たツーリストらしき恐ろしく醜いダミーが空港で、迎えのバスで、ホテルで、ビーチでレストランで、マスクを厳守、あらゆる所での手洗い、そして距離を置いています、というもので味気ない。これでは「グアムに来るな」といっているようなもので愚かさここに極まれり、という感じ。政府はグアム空港の検疫を巡って大わらわだそうですが、笑止千万で、迎える体制がしっかりしても来る客は期待薄。正直な所、グアムの観光が少しづつ回復するにはここ数ヶ月かかりります。仮に今開業しても日本人ツーリストがやってくるのは恐らく秋も深まった頃でしょう。主となる日本が今も国内移動で大騒ぎしているからです。
さても、鳴り物入りで女性知事が初めてグアムの知事となり、その勢いで15名の代議士の中11名が女性となり、さらにグアムの政府機関の長が殆ど女性で占めるという事変がありました。そしてそれから2年のこと。最近その女性長官が次々に辞職し始めています。権力を握ったが使い方が台所(身の回り)優先だったが故に不公平が生じ、と同時に不平が巻き起こり、きちんと会話で対話すればいいのに上から目線での押し付けに部下すらいうことを聞かなくなる。にわか権力者にありがちなイメージだけのお偉いさんだったようですよ。ま、それが許されるのがグアムの哀しいところです。
混沌としたグアム観光。想像力が及ばず創造力のない観光局職員とグアムを食い物にしている日本の大手広告代理店は四苦八苦しているでしょう。この者たちはグアムがいかほどに日本と日本人の歴史に深いつながりがある事など興味がないし知らないでしょう。「空港ではマスクをしましょう」と言えば日本人が安心するだろうと発想するようではとても器じゃありません。コロナが観光の空気を変えればいいのですがね。
せっかくコロナ感染者がゼロだったのに軍人自身の管理がお粗末だった事から感染者が出たそうです、夜の街からです。
グアムが主産業(というよりこれしかない)である観光を7月1日から開業させる、と女性知事が勇ましく宣言し、元知事が指名されて観光局のトップとしてコマーシャルを作りました。その内容、なぜそうなのか、誰が決めたのか、は置いといて、ココバードというぬいぐるみを着たツーリストらしき恐ろしく醜いダミーが空港で、迎えのバスで、ホテルで、ビーチでレストランで、マスクを厳守、あらゆる所での手洗い、そして距離を置いています、というもので味気ない。これでは「グアムに来るな」といっているようなもので愚かさここに極まれり、という感じ。政府はグアム空港の検疫を巡って大わらわだそうですが、笑止千万で、迎える体制がしっかりしても来る客は期待薄。正直な所、グアムの観光が少しづつ回復するにはここ数ヶ月かかりります。仮に今開業しても日本人ツーリストがやってくるのは恐らく秋も深まった頃でしょう。主となる日本が今も国内移動で大騒ぎしているからです。
さても、鳴り物入りで女性知事が初めてグアムの知事となり、その勢いで15名の代議士の中11名が女性となり、さらにグアムの政府機関の長が殆ど女性で占めるという事変がありました。そしてそれから2年のこと。最近その女性長官が次々に辞職し始めています。権力を握ったが使い方が台所(身の回り)優先だったが故に不公平が生じ、と同時に不平が巻き起こり、きちんと会話で対話すればいいのに上から目線での押し付けに部下すらいうことを聞かなくなる。にわか権力者にありがちなイメージだけのお偉いさんだったようですよ。ま、それが許されるのがグアムの哀しいところです。
混沌としたグアム観光。想像力が及ばず創造力のない観光局職員とグアムを食い物にしている日本の大手広告代理店は四苦八苦しているでしょう。この者たちはグアムがいかほどに日本と日本人の歴史に深いつながりがある事など興味がないし知らないでしょう。「空港ではマスクをしましょう」と言えば日本人が安心するだろうと発想するようではとても器じゃありません。コロナが観光の空気を変えればいいのですがね。
2020年05月19日
観光客が戻らなかったら
観光が主なグアムに、もしツーリストが戻らなかったらどうなるか?息子たちが心配してくれています。そうなればグアムを諦めて他所へ移ればいい、という意見の中で末の兵庫にいる息子がグアム人を「グアムにはマウレックという言葉があって、それは他人が困っていれば自身が犠牲になっても助けるという意味。グアム人は損得よりも他人のためになる事ならなんでもしようとするのだよ」といい、私、感動しました。自分のことだけを考えるのは畜生と同じだから。
世の中は、戦後このかた欧米の功利的な民主主義で全てが損得感情、ギブアンドテイクが当たり前になっています。またフランス社会の個人主義がミー・ファーストとなって人と人の間に壁を作っています。戦前の日本人は他者優先、惻隠の情が底辺にあって「足ることを知り」贅沢に恥すら感じていました。インテリは大会社へ就職する事を目的に大学に行くのではなく、社会に役立てる仕事へ就けることが理想だったのです。
欧米の統治によってチャモロ人のオリジナリティが根こそぎ廃れ状態になりながら、その文明に毒されず「隣に困っている人がいれば自身が犠牲になってでも助ける」事を普通に身につけていたのが驚きです。そしてそれに気づいている息子は偉い、と思います。そんな在留邦人がどれほどいるのでしょう?そういう美徳はわが日本人の中にもあるはずです。それをこの世的な価値基準に振り回されている間に失いそうになっていました。コロナ感染はそういう意味でも天の計らいだったのかも知れません。この8、9月には終息を迎えるであろうその前に、今一度、この世のあり方をじっくりと考えたいものです。
世の中は、戦後このかた欧米の功利的な民主主義で全てが損得感情、ギブアンドテイクが当たり前になっています。またフランス社会の個人主義がミー・ファーストとなって人と人の間に壁を作っています。戦前の日本人は他者優先、惻隠の情が底辺にあって「足ることを知り」贅沢に恥すら感じていました。インテリは大会社へ就職する事を目的に大学に行くのではなく、社会に役立てる仕事へ就けることが理想だったのです。
欧米の統治によってチャモロ人のオリジナリティが根こそぎ廃れ状態になりながら、その文明に毒されず「隣に困っている人がいれば自身が犠牲になってでも助ける」事を普通に身につけていたのが驚きです。そしてそれに気づいている息子は偉い、と思います。そんな在留邦人がどれほどいるのでしょう?そういう美徳はわが日本人の中にもあるはずです。それをこの世的な価値基準に振り回されている間に失いそうになっていました。コロナ感染はそういう意味でも天の計らいだったのかも知れません。この8、9月には終息を迎えるであろうその前に、今一度、この世のあり方をじっくりと考えたいものです。
2020年05月18日
封鎖解除へ向かって
グアムは封鎖解除へ向かって段階を踏んでいて、小売店、理髪店のような顧客サービス、そしてショッピングモールも開きました。店は入口と出口をきちんと分けていて、買い物客はマスク着用。入場制限しながら入ります。これまでの自粛で「何がなくてもとりあえずは生きていける」事を学んだ庶民は店へ殺到して爆買いなどしません。どこかの国のおばさんとは違います。「必要な物を必要なだけ、食べたい物を食べられる分だけ」と消費の仕方が利口になりました。日頃不必要な物にどれだけ振り回され煽られて衝動買いしていたかの反省になっているようです。オーナーには悪いがそれでいい。
グアムは3月に封鎖を決めて2ヶ月経ち、感染者は出戻りを入れて150人。10数人を残して全て退院しています。封鎖とはこうあるべき、を体験しました。命令を素直に応じるグアム人であればこそ全米で一番効率よくコロナを抑える事ができています。島だからでしょう。ここは6月なかばに完全解除する予定で、そうなるでしょう。これは単純にいい話です。
問題はグアムには観光以外に収入源がない事です。政府も庶民も年収の80%近い収入源が断たれている恐怖を感じていないのがとても可笑しいし、そして恐ろしいですね。いくら島がオープンしても日本からツーリストが来ない。これからが本当の意味で正念場になります。写真は野鶏。およそ500年前にスペインがフィリピンから持ち込んだ鶏が自然に増えて町中にいます。「とって食えばいいじゃん」と敷地を持った地主に言ったら「買ったほうが安くつくから」と言いました。アメリカ的商業主義が定着した証拠であります。
グアムは3月に封鎖を決めて2ヶ月経ち、感染者は出戻りを入れて150人。10数人を残して全て退院しています。封鎖とはこうあるべき、を体験しました。命令を素直に応じるグアム人であればこそ全米で一番効率よくコロナを抑える事ができています。島だからでしょう。ここは6月なかばに完全解除する予定で、そうなるでしょう。これは単純にいい話です。
問題はグアムには観光以外に収入源がない事です。政府も庶民も年収の80%近い収入源が断たれている恐怖を感じていないのがとても可笑しいし、そして恐ろしいですね。いくら島がオープンしても日本からツーリストが来ない。これからが本当の意味で正念場になります。写真は野鶏。およそ500年前にスペインがフィリピンから持ち込んだ鶏が自然に増えて町中にいます。「とって食えばいいじゃん」と敷地を持った地主に言ったら「買ったほうが安くつくから」と言いました。アメリカ的商業主義が定着した証拠であります。