2017年04月12日

トランプの逆襲

 トランプ大統領のシリア爆撃が社内で話題になっています。我々は「平和」を強く求めています。毒ガスを放ったシリア軍人も核ミサイルを他国に発射する北鮮人も、それを阻止しようという米国民や会話を持って理解を深めるべきだと主張する中国人も、自分さえ良ければいいという良識ある我が国民も、皆んな争いのない状態「平和」を願っています。全てが平和のための平和主義者による戦争なのです。もちろん「平和」という言葉は地球規模どころか宇宙規模まで及ぶ大切な希望です。かの三島由紀夫は「これほど言葉が氾濫するとその言葉の意味が同じではなく通用しなくなる。例えば平和と言えば誰もが異なる平和をイメージする」と言葉の氾濫、幻を平和という言葉を使って説明していました。平和という言葉は無闇矢鱈に使うべきではないのかも知れません。。その目的としているゴールがそれぞれ思惑とは違っているからです。我が政治家やおばちゃん達を見ていればそれがわかります。
 我々は戦争に懲りたから「平和」、それも永遠なる平和を希求しています。戦後当時願った平和は国民が共通した価値観と体験から得た教訓の平和でした。しかしその平和を維持するには争いがあることをも覚悟してもいました。なんでもかんでも諸手を挙げて相手の言いなりになる「平和」ではなかったのです。先人が強靭な平和への意思を持っていたのは平和と争いは表裏にあって、それを守るためには戦わざるを得ないことを会得していたからです。だから言葉に説得力と信念がありました。また平和を語る時、先ず自分の意見や信念、想念があり、それを基準にして平和を犯すことの是非を述べていました。身の回りの安全、原発騒ぎの時のような混乱を防ぐことだけが平和の目的ではないはずです。全てが国家の中の安心であり安全が大切で、それを守るためには時として他国と争そわなければならなくなります。まともな国のまともな国民ではそれを当たり前としています。平和は念じて達成できる次元ではないからです。
 さて、あれほどトランプに批判的であったアメリカ人がトランプの英断を賞賛しています。彼の「子供や赤子にさえ毒ガス兵器をしようする残忍さ」は万人に理解されています。これまで平和、平和と平和という言葉を使って争いを避けている間に、弱小軍団は核兵器をもち、「相手の誠意に依存していた」が大国ロシアや中国は着々と軍威を整えいつでも戦争する段階にきています。ロシアのウクライナ侵略もシリアの毒ガス、北鮮のミサイル準備も察知しながら国民の嫌う戦を避け続け、平和という言葉で面等向かうべき勇気と誠実をごまかし続けてきたオバマ政権の欺瞞性が露わになっています。それだけでも彼を支持していた「平和」という言葉に酔い、何も考えない野党の存在など(なんとかの)つっかえにもなりません。
 もし米国が北鮮を攻撃するとして、我が国民は何を考えるのでしょう?政治家はどのような行動をとるのでしょう。またぞろ米国を批判し抗議するのでしょうか?それともこれまで口先抗議とおためぼかし交渉をしてきた日本的なやり方を悔やみ反省するのでしょうか?米国が彼らを叩こうとする、その気持ち、その戦略がわかるのでしょうか。いやきっとまたぞろ他人事のように批評するだけなのでしょう。我々は戦争から実際は何も学んでいないのですから。
Posted by kenhagaguam at 16:37