2017年11月13日

2017年 11月の声

 先月末頃から今月は米国トランプ大統領が日本、アジア歴訪のたびに出て、特に北朝鮮のミサイル核開発について諸国と意見交換を続けています。日本は憲法で専守防衛のみ武力対抗できることになっているから、北朝鮮から発射され本土着弾するまで何もできない縛りがあります。であるから米国の防衛力に頼らざるを得ません。ことの是非は戦火に巻き込まれたら出るでしょう。
年末に近づくと今年逝去した知り合いの顔を思い浮かべます。
日本ではこれまでグアム慰霊祭に参加され日本での「戦争を風化させない会」の大阪会合では事務所を提供してくださった三宅博前衆議院議員(次世代の党)が4月21日に亡くなり、ミスター・ツーリズムと愛称されたバート・アンピンゴさんが5月18日、そして戦禍の炎と呼ばれたイグネシア・バック・クルーツさんが去る11月1日に逝去しました。バートは共にグアム観光のあり方を話し合った方で、彼は初代の観光局長でもありました。バックは父と兄を日本人兵士に虐殺された経験を持つ人で、そのことを私につぶさに話すことができるほどあの時代を語ってくれたもので享年90歳。亡くなられたご三方は私にとってかけがいのない友人であり、また、存命していれば必ず日本に貢献されたはずなのに、実に惜しい思いでいます。
 とりわけてイグネシア・バック・クルーツさんの思い出が長く深いのでご紹介しましょう。ここに記すことによって、氏の情熱と貢献が多くの日本人の心へ残ることを祈願します。

 太平洋戦争が始まった時、クルーツさんは15歳で彼の父と兄が(16名の住民と共に)日本軍によって殺されるなどして日本人にいい印象を持っておらず、戦争が始まった7月になると毎年決まって彼がマスコミに登場し日本軍との苦い思い出を語っていたものでした。 
 氏の父は政治家であり教師であったこともあって氏も海軍入隊後にメリッソ村村長になり受難に遭った村民の為に慰霊碑を建て毎年慰霊祭を行なっていますが、悲惨な経験にも関わらず氏はいつも穏やかな目で接し長い間グアム現代史の注目人物だったのです。

(その1)知り合ったのは私がジャングル歩きを始めた頃で、クルーツさんに受難場所の一つであるティンタという森の中の慰霊碑を紹介してくれたのが最初で、村主催の慰霊祭へ初めて伺った時には、不審顔で見る村民を押しのけるようにして私を抱き込み、式典後の会食では村民の前で皿をとって初めに手をつけるように勧めてくれたものです。慰霊祭の締めくくりでは、軍人や被害者遺族の前で「戦争は地獄だ、もう決してあってはならない。私たちはこの忌まわしい事件を忘れてはいけないが、もう日本人を赦そうではないか」と語り酷く感動したのを覚えています。先だって某所で行った講演で私がこの事件の話をしたら「案内してくれた地元の日本人によると、そういう事件はあったけれど犠牲者は僅でしかも事故だった、と言っていました。話を誇張していませんか」と反論がありました。もしその場にクルーツさんが居れば憤怒するでしょうし、警察沙汰になり、慰安婦捏造問題より遥かに深刻な事件を惹き起こしたでしょう。チョモロ人に世話になりながら彼らの痛みや悲しみを理解しない同胞がいることに呆れます。

(その2)クルーツさんが地元の天皇陛下のお誕生日会に招かれた時、最初に陛下のお写真の前で低頭して敬意を示していたことを忘れません。同胞ですらしないのです。氏はもう時代を乗り超えていたのですね。私が主催していた日本軍の慰霊塔清掃にもよく参加してくれ、また修学旅行生徒の前で戦争の話をしてくれました。若い日本学生の前で戦争がなぜ悲劇なのかを声を枯らしながら語っていました。風化の会が主宰した日本軍戦没者慰霊祭に参列して玉串奉納を快く受けてくれたものです。慰霊祭に参加された方は覚えておられるでしょう。
 最後に会ったのが神社建立のことを知らせに行った今年の春で、その時偶然副知事のテノリオ氏がいました。そしてそれが最後でした。あれから直ぐ愛妻を亡くし、後を追うようにして亡くなりました。奥さんとは中学時代に知り合い、彼を「バック」と愛称し、それが恋をするきっかけだったとはにかんでいた姿を今も忘れません。
 クルーツさんは私に「他人を赦すこと」「思っていることを愚直に邁進すること」を教えてくれました。敬愛できるチャモロ人と出会うきっかけがあったが故に今の私があります。クルーツさん本当にありがとう。出会いに感謝します。                   
                             合掌
http://www.guampdn.com/story/news/2017/11/03/former-merizo-may
or-ignacio-buck-cruz-dies/828209001/

 このコーナーではトレッキングと戦跡ツアー参加者の感想文を紹介してきましたが、弊社では直接ガイドと参加者の意見が交わせるようにUsesグアムトレッキングニュース(US Explore News, Trekking News)をフェイスブックに設けています。今後は月に1回の皆様の声を月末に更新するのではなく、できれば毎回ご感想をいただいた後にそのコーナーでご紹介したいと考えてのことです。
US Explore & Study, Inc. Trekking News をご覧ください。

なお、トレッキングと戦跡ツアーの感想と参加者のスナップはそのままここでご紹介します。


【10月トレッキングツアー参加者の感想】

日本人のグアムに対するイメージは夏のビーチやショッピングのイメージが強いと思う。私自身そのつもりだったが、山やジャングルなど、海以外の自然も豊かだった。写真を見せた、家族や同僚も同じ反応だった。もちろん海もきれいだったが、山頂で眺める景色や、風の感じ、身長より高い草原など自然を体感できることが多かった。トレッキング終了後にグアム鎮魂社に連れて行ってくれた。そこで、グアムと日本の関係性について学ぶことができた。是非、他の若い人達にも知っていただきたい事実・歴史だった。全てのトレッキングに何かしらの形で歴史を組み込めればいいのでは、と思った。ダイビングやシュノーケリングに比べて、コースが豊富で、一回では物足りない。是非またやりたいと思う。また、最近日本でもトレッキングなどのアウトドアが人気なので、もっとアピールが必要だと考える。
(熊本県熊本市 20代男性 医療職)


【10月戦跡ツアー参加者の感想】

国の為に20810人の軍人が気力で腹を決めて死ぬつもりで立ち向かったことを風化させてはいけないと思った。愛国心に感謝。文明の違いに気づき、負けるとわかっていながら戦った敢闘精神が特に印象に残った。机上で聞くより、実際の現場で聞いた方が全然感じ方が違った。アサン展望台で見せてもらった砲弾の破片を手に持った時に戦争の恐怖を感じた。終戦後にマッカーサーの概念を変えた昭和天皇の考え方に感動した。メディアの力より戦争を止められなかった国民の「無知」にも原因はあると思った。これからも太平洋戦争について勉強し続けて多くの人達に伝えたいと思った。義務を感じた。これからもグアム島に通い続けてグアムの歴史についても勉強しようと思う。
(埼玉県川口市 40代男性 会社員)

芳賀さんが仰られるように、日本人は余りにも第二次世界大戦(太平洋戦争)の事を知らなすぎで、小学校から正しい知識を子供達に教えないといけないと思います。グアムもパラオ・ペリリュー島のように、戦跡を遺産として正しい歴史をいつでも誰でも見れる、知れるような島にして欲しいと思います。
(京都市右京区 50代男女自営業)

グアムでの日米の対義の知識はほとんど無かった。戦争がブームかした現代の一部として、ほとんどの日本人は教育されていないと思います。日本が開戦してからの、代表的な戦いしか本にもなっておらず、興味を持っている者等一部の人しか分かっていないと感じます。帰国して少し勉強したいと思いました。
(山梨県南都留郡 50代男性)

30まではグアムはただのレジャーする場所だとしか思っていませんでしたが今回グアムの見方が変わりました。戦争を体験していない自分はどんな感じなのかを知ることはできませんが話を聞いてるとそんな体験はしたくないと思いました。だからこそ戦争には参加反対ですし、するべきでもないと思いますが結局廻りの風に流されて自分が嫌でも勝手に戦争へと流されて行くことになれば人事ではすまされなくなってしまうのも事実だなと思いました。そして上に立つ人たちがバカだと下はそれに振り回されてしまう事がとても悲しく思います。何とか戦争を回避することを考えてほしいと思います。
(東京都杉並区桃井 30代男性 理容師)


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Posted by kenhagaguam at 15:21