2017年04月12日

トランプの逆襲

 トランプ大統領のシリア爆撃が社内で話題になっています。我々は「平和」を強く求めています。毒ガスを放ったシリア軍人も核ミサイルを他国に発射する北鮮人も、それを阻止しようという米国民や会話を持って理解を深めるべきだと主張する中国人も、自分さえ良ければいいという良識ある我が国民も、皆んな争いのない状態「平和」を願っています。全てが平和のための平和主義者による戦争なのです。もちろん「平和」という言葉は地球規模どころか宇宙規模まで及ぶ大切な希望です。かの三島由紀夫は「これほど言葉が氾濫するとその言葉の意味が同じではなく通用しなくなる。例えば平和と言えば誰もが異なる平和をイメージする」と言葉の氾濫、幻を平和という言葉を使って説明していました。平和という言葉は無闇矢鱈に使うべきではないのかも知れません。。その目的としているゴールがそれぞれ思惑とは違っているからです。我が政治家やおばちゃん達を見ていればそれがわかります。
 我々は戦争に懲りたから「平和」、それも永遠なる平和を希求しています。戦後当時願った平和は国民が共通した価値観と体験から得た教訓の平和でした。しかしその平和を維持するには争いがあることをも覚悟してもいました。なんでもかんでも諸手を挙げて相手の言いなりになる「平和」ではなかったのです。先人が強靭な平和への意思を持っていたのは平和と争いは表裏にあって、それを守るためには戦わざるを得ないことを会得していたからです。だから言葉に説得力と信念がありました。また平和を語る時、先ず自分の意見や信念、想念があり、それを基準にして平和を犯すことの是非を述べていました。身の回りの安全、原発騒ぎの時のような混乱を防ぐことだけが平和の目的ではないはずです。全てが国家の中の安心であり安全が大切で、それを守るためには時として他国と争そわなければならなくなります。まともな国のまともな国民ではそれを当たり前としています。平和は念じて達成できる次元ではないからです。
 さて、あれほどトランプに批判的であったアメリカ人がトランプの英断を賞賛しています。彼の「子供や赤子にさえ毒ガス兵器をしようする残忍さ」は万人に理解されています。これまで平和、平和と平和という言葉を使って争いを避けている間に、弱小軍団は核兵器をもち、「相手の誠意に依存していた」が大国ロシアや中国は着々と軍威を整えいつでも戦争する段階にきています。ロシアのウクライナ侵略もシリアの毒ガス、北鮮のミサイル準備も察知しながら国民の嫌う戦を避け続け、平和という言葉で面等向かうべき勇気と誠実をごまかし続けてきたオバマ政権の欺瞞性が露わになっています。それだけでも彼を支持していた「平和」という言葉に酔い、何も考えない野党の存在など(なんとかの)つっかえにもなりません。
 もし米国が北鮮を攻撃するとして、我が国民は何を考えるのでしょう?政治家はどのような行動をとるのでしょう。またぞろ米国を批判し抗議するのでしょうか?それともこれまで口先抗議とおためぼかし交渉をしてきた日本的なやり方を悔やみ反省するのでしょうか?米国が彼らを叩こうとする、その気持ち、その戦略がわかるのでしょうか。いやきっとまたぞろ他人事のように批評するだけなのでしょう。我々は戦争から実際は何も学んでいないのですから。  


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Posted by kenhagaguam at 16:37

2016年03月29日

春場所と横綱

 相撲界の事です。
 3月春場所の相撲をみながら・・感じたのです。私はちょっと偏見がありまして強い人間がどうも好きになれない。大鵬がそう北の湖がそう、そして白鵬しかり、と。
 そこで千秋楽の大一番で日馬富士を変化でかわして「相撲にしなかった」ことに館内のファン同様私もブーイング・・・をしました。白鵬が勝負を逃げたのです。横綱が勝利にこだわって相撲道である勝負師としての美しさを微塵も考えない幼さに腹がたちました。真剣勝負にからきし弱い稀勢の里と「あわよくば優勝争いを」、と願っていました。私、この稀勢の里の隠れファンなのですからして。
 その白鵬、優勝杯授与の際に思わず嗚咽していました。勝たねばならぬ、という自覚が「勝つためなら何をしてもいい」というおよそ相撲の美意識とは別世界の勝負だけの世界に誘惑されたのでしょう。その結果、横綱らしくない術を弄して勝ち、優勝杯を抱き、そして泣きました。(実際は親父の優勝回数を超えたことが原因だったようでしらけるのですが)
 さてこの31歳になる白鵬、この若さで相撲界の仕きたりに沿い、横綱としての役目を果たし、日本の伝統という実質それがどのようなものかがわからない世界(これはおそらく他の力士も親方もわからない)を護る為に責任を身体一杯で感じ、なおかつ常勝しなければ己に合点がいかない、というメンツにこだわる性格。これは31歳の青年にとっては極めて過重な負担です。彼は日本人じゃあないのです。
 そういう事を総合してみると白鵬という人は偉い。大震災の時の彼の活躍や被災者への労り、力士たちに見せる相撲取りとしての自覚、それらを土俵以外でも目一杯尽していました。彼が相撲道に責任を自覚するその気持こそ評価しなければ哀れです。彼は日本人じゃあないのですから。
 その彼が「勝ちを焦って」小賢しい勝負をしたこと、彼が悔いていたように、きちんと横綱らしい立ち会いをしてこそ、それがこの世界の文化なのです。この世界に限りません。日本の文化には「羞恥」というのがあります。そしてそれは他人にいわれるのではなく己に課した道なのです。さらに「恥じない生き方」は先祖への尊敬でもあります。「名こそ惜しけれ」と侍はそのことに生命を懸けていました。英霊たちのようにです。
 白鵬はそれをうすうす感じたから自分の相撲に涙したのでしょう。涙するそこに美しさがありました。己に負けた涙のようでした。
 とまれ「民進党」という魂の抜け殻のような政治集団が結成されました。「恥」とはどういものかのかを知らない連中ばかりで美しさがありません。この烏合の衆の中の誰でもいい、せめて若干31歳の白鵬の生き様を真似てもらいたい、とそう願うのですがどうかな。  

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Posted by kenhagaguam at 18:20

2012年09月10日

いわゆる従軍慰安婦事件についての真相は?

 今回は知られざる問題、「従軍慰安婦」について書きます。
 前に石原都知事が「なんの根拠も証拠もないではないか、あるなら出してみろ」といっていました。根拠があるない、は韓国側が出すべきで当方は、まあ無視するしかないのですが、米国ではこれが結構なニュースになっているようです。で、何もわからないが、なんとなく不信感を抱いている方に、私が知っていることを書きましょう。少しは合点していただければいいのですが。

 私の父は戦時中満州に野砲兵第四十二連隊隊と共に従軍しておりました。いわゆる衛生伍長でありました。父は(後に南方へ従軍して戦死した)陸軍西沢勇雄砲兵中佐(後に少将)に可愛がられていて、当時、書記もしていたことから部隊の様々なことを把握していたそうです。
 さて、慰安婦のこと。先ず、当時慰安婦はほとんどが日本からの職業慰安婦達で、彼女らは「兵隊さんは生命をかけて国を守ってくれているのだから、自分達は自分達でできる部分で協力をしたい」ということで、無償で従軍していたそうです。彼女らは船代も宿泊代も手弁当だったそうです。こういう日本人もいたのです。胸を打ちます。
 慰安婦だからといって年から年中奉仕をさせていたわけではありません。彼女らの健康を一番気遣い、かならず充分な休息と余裕を与え、健康診断はほぼ毎週行っていたそうです。いかに戦時中とはいえ、それほどまでに手抜きをせず、健康管理には万全尽くしていた、といっていました。
 父が韓国の言い分を一蹴したのは、先ず、強制的に連行する必要がないのが当時の情況だったそうです。強制も連行もあり得ないのが当時の雰囲気で、軍はこと他国との折衝にはことさら気を使っていたようです。ここら辺が官僚的です。韓国の売笑婦もやむを得ない場合に限り雇用したそうですが、彼女らこそビジネス本意の職業売春婦、しかもかなり貧しかったので安心して雇用ができた、といっていました。貧しければ金銭目的であることからスパイになり得なかった、ということ。これは韓国は極端に貧しく治安が悪い為に現地人を雇用する必要が(女性問題に限らず)あった、といっています。
 一番気をつけなければならないのは、慰安婦を擬してスパイ行為する危険があったことです。親しくなって情報を盗む痴話によるスパイ。それとあえて性病を持ち込み混乱させること。これが一番恐かったそうです。これはドイツでもロシアでも、またベトナムでも同様ですね。
 当時の世相は、今でいう売春など、とても考える余地余裕がなく、特に、日本軍はそういう部分ではきわめて厳しく、違反者は厳罰に処したそうです。これは治安を大事に考えていたからです。 
 余談ですが、ここグアムでの慰安婦について、あるローカルがいっていましたが「慰安婦を侮蔑し、つまらぬことから口論になり、彼女らに暴言を吐いた兵士がいて、それを慰安婦の親分が訴えたことから上官が怒り、翌日、(花街のある)町の通りに慰安婦を立たせておいて兵士を行進させた。その中に不届き者がいたら、その者を指差せと命じたのです。その兵士はすぐに見つかり、上官は彼を引き出して、女達の前で彼を殴打した」そうです。いかに敵地といえども女を侮辱したことに義憤したわけです。
 こんなどうでもいいような、感じの話であっても、日本軍はこと性の処理にたいして相当神経を使っていたことが伺えます。
 ま、何も慰安婦をかばう必要はないのですが、しかし父の証言にもあるように、当時日本軍は、兵隊の慰撫を安直に考えていなかったし、戦略的見地から安易に外国の女を雇用などしなかった。無論強制的に連行などして恨まれるような愚をあえて犯す理由がなかった、ということが総てだと思いました。特に性病を罹患させる、痴話から情報を得るなどの行為は極めてありえる話ですから、女だからいいだろう、軽んじてはいなかったでしょう。これが当時の日本軍の気風だったようです。
 勿論、さりながら例外もあったであろうし、見えないところで不届き者もいたかも知れません。日本軍の酷さをテーマにした戦争映画では度々兵隊と女が面白そうに、不可欠のように出てきます。そして顰蹙をかいます。私達は当時の世相も気風も何もしらないから描かれた内容をそのまま鵜呑みにし、それを全て真実と信じ込みます。僅かな例外であっても映画はそれを取り上げ盛り込まなければならない宿命があるので、それが一般的のように錯覚してしまいがちです。無知というのは簡単に洗脳ができるいい例です。しかしそれでは父のように神経を使って誤解が生じないように苦労していた人は浮かばれません。我々は冷静に事象を判断する責任があるのですね。
 韓国人が懸命に食い下がるのですから何か不穏なものがあったのかも知れません。そのことを言下に否定したら話になりませんが、であるからこそ石原さんではありませんが「証拠をもってこい」となるのです、そしてそれが正論です。我々の常識で、問題がない、と決めつけて無視していたことから相手はそれに乗じてことを複雑にしてきているわけですが、政府(まあ後数ヶ月ももたないでしょうが)は、日本人の名誉をもっと明確かつ厳然と相手国に宣言しなければなりません。誇りというものを失うと人は卑屈になってしまいます。それが現在の我々の姿です。

 さてこの父の証言ですが、よく自民党の議員が取材にきていたそうです。父は他界したのですが、こういう事情に明るい生還兵がおられたら出て来て証言して頂きたいものですね。

 さて、私ごとですが、この10月初旬に東京へ参ります。
 その際、ここでお知りあいになった皆様と懇談ができれば面白いな、と思い立ちまして、そこで呼びかけてみることにしました。テーマは自由で自由討論(といってもきっと真面目な話になるでしょうが、自分の力で日本が変えられるか?というのはどうでしょうね)、席上できれば私の知りあいもご紹介したいし、所属している財団法人「太平洋戦争戦没者慰霊協会」の代表理事もご紹介しておきたいです。場所は東京になると思いますがいかがでしょう?希望をいえば呼びかけ人になって下さる方が挙手してくださると助かるのですが、いかがでしょう。ご興味がおありの方で、希望の時日をいってくだされば参考にできます。
 私の滞在期間は10月7日から12日までです。
  

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Posted by kenhagaguam at 16:14

2012年03月13日

たわけ者・・・の巻き

 東北大震災の1周忌が終わり、私は黙祷した後に天皇陛下の追悼の辞を拝聴しながら、あの忌まわしい時間に想いを馳せておりました。
 あれから1年も経ちながら被災地の状況は目に見えて変わっていない。あのガレキはなぜ今もそこにあるのだ、と。人は国難だといい、絆を見せる時だといい、頑張れ!といいます。私が思わず「何が絆だ、偽善者達奴!」と。
 今頃になって、あの原発、がなぜこのような被害と絶望をもたらしたのか、をTVや雑誌から知るようになりました。そこに見えてきたのはなんといっても東京電力(東電)の対応と反応の鈍さ、それから政府首脳と周辺政治家達の愚かさでした。東電は簡単にいえば無責任な企業だったのであります。彼らは原子力発電が人を(精神まで)殺す、ということまでは考えが及ばなかったのでありましょうか? 愚かといってこれほど愚かなエリートはおりません。
 同じ人災でも、当初は政府の動きが鈍く総てがそこから始ったものだと思っておりましたが、政府首脳達のコミュニュケーション不足や官僚どもの危機意識が鈍いことを考慮しても東電の動きの方が遥かにお粗末なものだったようです。政府が彼ら大手企業の驕りや狡さに怒り告訴しないのが未だに不思議でなりません。考えてもご覧なさい、東北地方、とりわけて福島原発周辺の住民は故郷を失ったのですよ。これは恐ろしい現実なのです。
 アメリカ政府は大地震の時から原発の情報を寸刻みに入手し、丹念に調査していたそうです。それもメルトダウンを察知して在住アメリカ人を80k圏外に逃げ出すようにまで指示していました。私はもちまえの祖国愛から「卑怯者奴」と怒りました。しかし80kは大袈裟であっても、それぐらい深刻であったのです。また日本政府には援助まで申し出ていたそうですが、政府はこれを断った。フランスからの協力も断った。断った挙げ句が未曾有の大事故、巨額な損害はいうに及ばず、罹災に遭った人は半世紀足らず放浪の暮らしを強いられることになったのです。こんな馬鹿げた政府はないし、こんな悪魔的な企業もない。こんな連中を黙認している国民はどうかしているのではないでしょうかね?首をひねって「困った、困った」というだけでは救いなんか絶対にないではありませんか。
 なぜあの時、菅直人氏は米仏の専門家を抱き込んで一緒にことの解決を計らなかったのか?なぜ米国の協力を素直に受けて後に責任の半分を押し付けなかったのか?この人達は結局、政治戦略というものを知らないのですね。たわけ者です。

 ご存知でしょうが「スピーディ」という英語の綴りを合わせた最新型コンピューターは原発がメルトダウン(これは既に始っていたそうです)した翌日から放射能が流れている方向と濃度を示していました。東電はこれを告知しなかったし、保安委員もしなかった。政治家達も始めは存在すら知らなかったが、細野議員は後で知って、しかしながら「国民が同様するから」と知らせなかったそうです。酷い話です。そしてあろうことか、原発が爆発した時点で退避を勧告した方向が「スピーディ」が明示した危険区域の方向ですからこれはもう喜劇です。失態ではなく犯罪です。このことについて後に細野議員が「レポートを受け取った時点で東電側がパニックを避けるために・・」と語りましたが、この人達は護送船団方式でお互いが肩を叩きあって慰め合っているのではないかな?
 で、いつものように過激なことをいいますが、この担当者達は全て裁判にかけるべきですね。リーマンショックを惹き起こした銀行役員は全部、今でも刑務所にいます。そう、社会を混乱に巻き込んだリーダー達はアメリカ同様に、首相も取り巻き議員も、東電幹部もまとめて全て告訴し、裁判にかけるべきですよ。原発暴発事件は人災なのですから、ことの善悪を問わなければ被災者は勿論、心ある人は納得できないでしょうし、こういう「仕方ない」という根拠のない責任逃れは(特にリーダー達には)あってはいけません?第一子供が莫迦にします。小沢一郎が根拠明白ながら世間が煩く責任を追求するのであれば、暴発に慌てふためき無策のまま時間を費やして大事故にしてしまった責任者達こそ遥かに罪が深いはずです。
 こういう責任問題をあきらかにさせようともしない「日本の体質」とは何なのでしょう、遥かに罪深く、悪質なはずなのにマスコミも一般も関心を示さない。いや全く理解に苦しみます。もうナアナア社会は止めてもらいたいものです。

 このように人ごとながら悲憤慷慨するのは、福島原発でいわれなく犠牲になった人々がいて、罹災者は未だに悲惨な状態で辛抱を強いられているからであります。これは福島県のみならず、宮城県しかり岩手県しかりでして、急いでこしらえた仮設住宅は本当に仮設で総てが間に合わせ状態、寒さ対策など十分にできているわけではないこと。グアムにきた被災者の一人が「中にはよくできた住宅もありましたが、業者は急がなければいけないという言い訳を利用して酷い小屋を風が吹くように建てていきました」と語っていました。東北人はノホホンとしているように見えながら本心は悲鳴だったのです。哀れなのは「それが酷い代物でも(奉仕でしてくれているという有り難さがあって)文句をいえない後めたさがあった」、ともいっていました。これまで真正直に税金を払ってきた市民に何の後めたさなどありえましょうか、東北人の実直さが哀れに思えました。
 市役所は業者にまともなお金を支払いながら、酷い小屋を造るのを黙認し、それを納品させていたのですからこれも立派な犯罪です。そこに住まざるを得ない住民の心の中、虚しさや怒り、不安や不条理を政府や東電、役人はどのように考えるのでしょう?除染も含めて殆どが「アナタ任せ」のあり方は尋常な姿ではありません。役所に任せれば「総てを平等にしなければならないから」、という言い訳ばかりで全く人情など入りこむ余地がないといいます。こういう非常事態であっても役人体質は変わらない、まさにたわけ者達です。
 おそらく幹部以外の普通のまともな東電社員と家族の多くはきっとその事に気を病み、肩身の狭い気持でいるはずです。政治家やその家族の中にも「こういうことではいけない、気が済まない、申し訳がない」と忸怩とした思いをしている人が必ずいるはずです。
 そして無論、彼ら直接関わっていなかった人達に責任はありません。が、真に正義や義憤を感じるのであれば驕りを捨て去り、政治家であれば卑怯者や責任逃れの議員や官僚を殴り倒すほどの気概と信念をもち、社員であれば首を覚悟で本社役員に抗議をして、捨て身で迷惑をかけた人々の世話に献身して頂きたいものです。そうでないと正直者が惨めな想いをするという世の中を助長させることになります。国難とはまさに総ての国民がなにがしかの形で、そういう悲嘆に明け暮れる人々を金銭的には無論、精神的にも貢献しなければ救済の余地がない状態をいいます。悲惨が深い、ということなのです。まさに国家国民としての真偽が問われているのです。
 最初に述べましたようにガレキ処理はどうすればいいのです?放射能処理はどのように片付ければいいのでしょう?万事人任せ,政治家任せではラチが開かないのは自明のことです。
 大多数の国民は保身の塊、ミーイズムに犯されているので自己犠牲を申し出ることをためらうのでしょうか。インタビューすると「真に気の毒で言葉がありません。せめて私にできることがあるなら何か役立ちたい」思い入れたっぷりの芝居をします。しかし、「ではガレキを引き受けてあげませんか」というと即座に「それは困る」とにべもありません。石原都知事のように「あるべき姿を」自然にいいだし実行するリーダーは少ないようであります。またリーダーをせっつき、悲惨な状況を一緒に分かち合うように、と隣人に呼びかける運動もないようであります。
 傷みを分かち合うことを面倒に感じる、惜しいと感じる、という風潮は時代がそうしたのだ、と人はいいますが、私は時代の所為ではないような気がします。戦争に負けて、日本人であることを恥じるようになって以来「武士の情け」「惻恁の情」という日本人の美質を失しなってしまったからではないか、と思うのであります。
 かつては国という共通の意志と価値の元に生命を捨ててでもそれを護ろうとした人々が我が国には沢山おりました。国民の共通した喜びの根源はいい国作りがあってこそ、であります。その頃の国民は他人に同情し、そのために命を捨てることさえできたのです。美しい生き方を大切にしていたのです。その共通の価値観を失った今、我が国は未曾有の国難すらひとごとにしてしまうほど似非国民になってしまったように見えます。 
 もし、そうだとすればあの大震災から何も学んでいなかったということであり、災害で命を亡くした犠牲者は文字通り犠牲者で終わってしまいますね。これではいけないのです。天災と謙虚に受け入れ、今後に活かしていけば亡くなった方の霊魂も浮かばれるのでありましょうが、どうもそういう話になるとヒステリックになる人がいて、天からの啓示を小馬鹿にします。そして相も変わらぬ「自分さえよければいい」という日本的な慣習に潜り込みます。救われませんね、これでは。
 せめて罹災者がその傷みを癒される迄、傷みや哀しみを分かち合いましょう。ガレキ処理のことだって、身勝手な小市民だけが国民の声ではないはずです。心を伴った一人々々が発奮して有志同士を集め、できる助けは是非行動に移しましょう。市民一人々々の発言や行動がやがて大きな運動に発展してく様を何度も海外のネットで見て来たはずです。そしてそれが今、この時なのです。関係者の無責任を糾弾し、真から怒り、この世的な政治家の政治遊戯に翻弄されない、あるべき姿に向かって変革を始めていきたいものです。

  

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Posted by kenhagaguam at 15:48

2012年03月08日

3月の声 

 あの大震災が起きて早くも1年が経過しました。時間が時の哀しみや傷みを押しやってくれるといいますが、私はあの時の悲惨を今でも忘れることができません。いわんや地元罹災者であればなおのことでしょう。震災で犠牲者をだしたご遺族の方へ慎んでお悔やみを申し上げます。
 月日の経つのは早いもので、日本は未だに大雪の被害に遭っているようです。昨年からずっと気候の変化と、そのもたらす災害に悩まされているのですが、不安に心が縛られて本来の自分らしさが消沈しないようにしたいものであります。

 今年は色々な所で知人や有名人が他界していきました。先月お亡くなりになった中でも、とりわけてグレッグ・カルボ爺さんの逝去は哀しかったです。カルボ爺さんは戦後始めてグアムリトルリーグ結成の時の代表を務め、日本遠征を何度も体験した元のジーゴ村とタムニング村の村長でした。カルボ爺さんは私と逢う度に、日本の企業がリトルリーグ維持する為の資金援助をしてくれないだろうか、といっていました。私は日本の大金持ちとは無縁なので、残念なことにいい返答ができないままずっと時間を費やしてしまいました。でもカルボ爺さんは、そういう面倒臭いことよりも本当は、私の所でいいたい放題をだべり合うことを楽しみにしていました。
 カルボ爺さんと話していた時に、彼がジーゴ村にある戦没者平和記念碑の崖下にある司令壕(実際は衛生壕)を日本軍の命令で掘ったご本人である事を知り大いに驚いたことがありました。あの今では歴史的ないわれのある壕が、実際はチャモロ人達数名が請け負って掘っていたことなど知り得ようもありません。ですから当時のことを聞いて感動したものです。まあこの経緯は拙著「どうか彼らを誇りに思ってほしい」(太平洋戦争グアム戦線を歩く)、に詳細に書きましたので楽しみにしてください。
 カルボ爺さんは町角で出会うと必ず周辺の友人に私を紹介してくれました。嬉しそうに紹介してくれる姿が忘れられません。神様のような人だったのです。享年88歳心からご冥福をお祈りします。
 それと先月以来、これまた年寄りの友人、ミスター・ツーリズムことバート・アンピンゴが倒れて未だにリハビリ中なのが気になります。観光誘致に熱心でおもいやり深く心優しいバート爺さんです。早く元気になって戻ってほしいものです。
 
 2月には実に多くの卒業旅行の集団がトレッキングに戦跡ツアーに参加してくれました。アンケートが多過ぎて整理がつかないほどです。
 その中で印象的だったのが航空自衛隊隊員の参加でした。演習にきているその休暇の合間を縫って戦跡ツアーに、あるいはトレッキングに参加して、当時の雰囲気やグアムらしさを満喫されました。これまで多くのゲストを迎えてジャングルを歩きましたが、その中でも自衛隊の人達は誠実で真摯で、そしてなにごとにつれ精一杯の敬意をもって接しておられました。同じ同胞でこのような高潔な若者達がまだ存在していること事態が驚異でしたね。そして大変嬉しい発見でもありました。まあ長年戦跡巡りやジャングル歩きを希望する方とお付き合いしてきて、その殆ど全ての人に共通しているのは礼儀正しさ、そして思い切り純粋なことであります。それこそありとあらゆる種類の業界、企業、団体、それに全国の都道府県からやってきたインテリジェントの人達ですが、そして年齢や背景も異なっているのですが、皆さん心が美しいのであります。その中でも一番輝いてみえたのが自衛隊の隊員諸氏でした。なぜでしょうね?これは直接接触してみないと感じえないことなのかも知れません。
 ここグアムで多くの人から戦争体験談を聴き、戦跡を野ネズミのように歩き廻り、悲惨な話や勇敢な話を見聞している私にとって「あの戦争」は肌で実感する国防という高次元なものです。戦争の「善し悪し」などと世迷いごとをいいながら、少しも直面する国防のこと、尖閣諸島や北方4島、竹島などの国境紛争という現実を真面目に考えない人にはとても理解のできない次元なのであります。
 我々一般人は、政治不信だ、政治家が悪いなどと偉そうに文句をいいながら、していることといえばソファーに寝そべりながらTVを見ているだけ。でもその時ですら、日本という国家を護っている防人がいるということは事実なのであります。そして、まさにその現代の防人達がグアムの戦場を訪れ、前の大戦で犠牲になった米軍兵士も含めて英霊を慰霊し、チャモロ人犠牲者慰霊碑前で深く哀悼の意を表すことは真に感動的でありました。ひょっとして明日にでも国家の盾になり、国民の犠牲になる、という現実に近い想定に生きている人達なのでありまして、それだけ美しいのであります。
 気になったのは、どのジャンルに限らず、隊員諸氏が余りに酷い待遇の中で暮らしていることであります。前年、東北震災の時に人を介して支援物資を管轄する自衛隊に届けた際にも感じたことですが、自衛隊は国家公務員であるから他者からの支援を直接受けるのははばかる、とメディアが取材するのを遠慮していました。まあ、公務員の中には下品な連中が山といるので、癒着を防ぐ意味、という点で神経質になるのは理解できます。しかしそれはあくまでも規律も常識もぶったるんでいる一般公務員の方で、犠牲を強いられながら活動している自衛隊や消防隊、警察隊にはあてはまりません。ですから一般から感謝の気持を受けるのになんら不思議はありません。いわんやあの非常事態での献身的な活躍を見ているのですから「何か感謝を形で表現したい」と思うのは人情なのであります。であればこそ、自衛隊が世間体をはばかり、扶けにならない法に縛られるのはいいことではありません。あの戦前に日本を狂気の時代に駆り立てた軍部とは依って立つ意味合いが異なるのです。我々自体が大人になり国際的な常識と見解をもたなければ国家が存在できない時代になってきたのです。
 比較するのも哀れなのですが、アメリカは軍人を異常に思えるぐらいに好待遇しています。給与は役所の平社員並みでありながら、税金も含めてありとあらゆるところで配慮考慮をしております。彼らがアメリカという国家を、命を捨てて護る防波堤だからです。全く以外なことながら、日本の自衛隊隊員は、国民自体が護る、という観念が足りない所為で、かつ万事人ごと人任せであるから余り興味をもたれません。従ってその待遇も存在も他の国家公務員より下に見られる傾向があります。なんとしてでも私達は、彼ら国防の防人達が命をかける価値ある国家にしなければなりません。
 さて、これまで接触してきた航空自衛隊、海上自衛隊、潜水艦隊、そして陸上自衛隊の若き武者達は全てがエリートであります。しかしながら縁が少ないこともあって未婚で花嫁募集中の隊員も結構おられます。ですから、もし、「我が娘にどうか」、という方がおられましたら是非声をかけて下さい、私マッチメーカーになります。
 
探検トレッキングへの質問と予約は・・
東京03−5410−6027へどうぞ


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それでは先月参加されたゲストのご感想をどうぞ・・・。

<探検トレッキング・参加者意見(2012年2月)>

「友人に誘われて参加しました。短い距離の中で、ジャングルと海を感じる事が出来る島なんだということ、タモン周辺では穏やかな海しか見ていなかったので、荒々しい海の様子に驚きました。先日、戦艦大和ミュージアムに行った所だったので、文面や資料で見た戦争を身近に感じる事が出来ました。あまりガイドブックでは大きく取り上げられていないですが、体験すれば大変満足してもらえる内容だと思います。」
(大阪府・会社員・女性)

「海は何回か行ったので、違った事がしたくて、ジャングルや滝など自然な場所が好きだったので参加しました。川や山の中に入った時、ヤシの木など少し枯れているんじゃないかと思ったところも新しい芽が出ていたり、小さい虫たちが懸命に生きている所に力強さを感じました。サイパンに行った事があるのでだいたいの歴史は知っていましたが、グアムにもまだまだ戦争の跡が残っていて心が一杯になりました。英語が全然駄目だったんですが、話を聞いて何か言葉ではないものを感じました。日本語OKだと思ったけど英語で話を聞けたのも良かったです。すごく優しく、手をとってくれたり話をしっかりしてくれました。私がもっと英語が分かればいっぱい話をしたかったです。楽しかったです。ありがとうございました。」
(愛知県春日井市・美容師・女性30代)

「トレッキングが好きなので参加しました。まず海とジャングルがとても近い事に驚きました。そして自然の美しさの裏側にチャモロの文化、戦争など歴史的なものの一部に触れられて、知る事ができてよかったと思いました、空、海の青さだけでなく、歴史についても思い出せるよう帰国後に本を読んで学びたいと思っています。ランチ場所の海の色と岩、波の激しさは最高でした。ガイドは親切にしてくれて、また盛り上げてくれたので楽しかったです。」
(中級コース参加・女性)


 少しばかり言い訳をしますが、アンケートを頂きながら時間の余裕がない、という嬉しい悲鳴でもって今回のブログを切り上げます。今、3:11のことを書いております。

 ではグアムでお会いしましょう。


  

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Posted by kenhagaguam at 13:43

2012年02月07日

2月の声

 あれよあれよという間もなく31日が足早に過ぎ去りましたね。こういうことだとこの365日も「あっと言う」間なのかも知れません。誰かがTVでいっていましたが、「福島原発が落ち着く頃(つまり40年ぐらい先ですが)とても生きては居ない、であるからこれがどのように解決できたのか、を見る事ができない」と嘆いておりました。一寸先は闇なのですが、それでも人はその先に灯明を期待し希望をもつものであります。私なんぞも結構いい年齢なのですが、それでもまだまだやりたいことがあって、いつかな悟ることがないのであります。

 年齢といえば、これも誰かがいっていましたが、ここグアムで戦死していった兵士は皆若かった。でも彼らはまるで成熟した大人のように振る舞い、立派な覚悟をもっていた、と。これは太平洋戦争時代に限りませんのでして、明治維新にもその前の時代でも、日本の青年は精神的に成熟していたのであります。日本が国難を迎えた時、突如としてしていかにも雲が湧くように登場してきた例えば、松平容保(33)59歳、吉田松陰29歳、西郷隆盛(41)51歳、大久保一蔵(37)49歳、坂本龍馬33歳、高杉晋作29歳、大村益次郎46歳、桂小五郎(35)45歳、山岡鉄舟(36)53歳、榎本武揚(36)72歳、勝海舟(45)72歳、福沢諭吉(34)68歳、近藤勇35歳、土方歳三38歳などなど、ざらっと名前を挙げて年齢を見るといずれも若い。『注(*)はいずれも維新前後の年齢』上記の英傑の多くは戦火の中で倒れていったので享年がいずれも若いのですが30〜50代の若さの中でそれぞれが燃えるように生き、そして志半ばで倒れていったのでありました。このこととはまるで関係がないことなのですが、背丈のことをいいますと、勝海舟は154cm、桂小五郎158cm、坂本龍馬でさえ156cm、西郷さんはなんと183cmあったそうです。郷里鹿児島では西郷さんのことを愛称こめて「うどっさあ〜」と読んでいたそうですが、母がボーとっした大男のことをウドといっていましたので、維新の時代、西郷さんはウドの大木のような大男にみえたことでしょうね。因みにグアム島に上陸したマゼラン一行の平均身長は160cmでありましたこれは余談。
 筆者は既にいい歳でありまして、で、若き頃の自分と英傑の年齢を較べてみるといかにも小者でしかありません。これは反省です。なにも偉い人と較べる必要もないのでは、という方もおられるでしょうが、偉人に限らず常に先人の為して来たことと自分のしてきたことを較べるのは私にとっては大切なことなのであります。大きなことはできないまでも、せめて多少は人に役立つ、国に役立つ人間でありたい、と願うのは心情でして、であるがゆえに先人の行為行動はいつも標になっておりました。
 さてグアムでの戦争とその散って逝った年齢を調べていると彼らは若い。横井庄一さんがグアムに移動してきた時の年齢が28歳。それでもご本人にいわせると既に熟年兵に達していたそうです。彼を指揮した末長常太郎大佐は当時51歳でした。
 まあいってみれば、今の私どもの方が稚児じみていて、いい歳をとりながら未だに大人になりきれていない成人がごまんとおります。モンスター・ペアレントが日本。グアムではモンスター・ツーリストがやってきて、常識外れなことをしでかし醜態をさらしながらも、本人はいたって普通顔であります。こういう人間が我々の社会に棲息していることに恐怖を感じたりしております。
 現在の国会の代議士で有能に感じる世代が若き50代前後であるのを比較するとこの年頃が一番思慮分別の熟した年齢なのでしょう。大いに期待したいし、もしそれが叶わぬとしたら、もう日本に光明は期待できなくなるのでしょう。
 戦後産まれは成熟しきれないのでしょうか?戦前の人々の方が異常に成熟していたのでしょうか?ここら辺のところを最近、よく考えるようになりました。

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それでは先月参加されたゲストのご感想をどうぞ・・・。

<探検トレッキング・参加者意見(2012年1月)>

「荒れ地が広々とある事におどろいた。なぜ田んぼが使われなくなったのか、なぜカンガイ用水がそのままになってしまったのか知りたいと思った。」
(宮城県仙台市・40代後半女性・会社員)

「子供に自然の面白さ素晴らしさを体験させたいと参加を思いつきました。ビーチだけではない観光の一つになると思います。2度目の参加ですがグアムにはまだ自然がたくさん残っているんだなあと改めて思いました。前回参加した時と比べ、息子(7歳)がどんな道(川)も自分でがんばって進んで行こうとしている姿に成長を感じました。親子3人、いい体験ができ、ありがとうございました。次回も参加したいです!」
(愛知県名古屋市・40代男性・会社員)

「車ですぐのところにジャングルが広がっていて日本との違いを感じました。はがさんの戦争の話も大変ためになり涙が出そうになりました。是非はがさんには今後も続けてほしいと思います。トレッキングは楽しかったのですが雨が残念。ランチはおにぎりよりハンバーガーがいいのでは?」
(東京都練馬区・30代後半女性)

「グアムの観光は海のアクティビティに目を向けがちだが、本当のグアムを知るにはその歴史を知るべきだというケンさんの言葉に心を打たれました。今回教えてもらった
歴史をふまえ、日本人がなぜ年間何万人もグアムに訪れるのか、考えてみると面白いかも知れません。今回話してもらった歴史の話は本でも読みたいと思いました。ぜひ本にまとめ販売してもらいたいと思います。グアム旅行の意味、価値を変えるものだと思います。グアムのビジターズセンターにはもっと広めてもらいたいです。」
(神奈川県川崎市・30代男性・会社員)

「今回のトレッキングで一番印象に残っているのは・・・選べません!!全て写真で見ていた以上のものでした。道中、アリザーさんが色々な花、虫、植物を見つけてくれたり、海もとってもキレイでしたし洞窟の中で泳ぐという貴重な経験もできました。英語がわからない私にも親切に説明してくれて楽しい探検でした。グアムといえば海やショッピングのイメージだったので、グアムの手つかずの自然や文化、歴史を楽しめるこのツアーは誰にでも好かれると思うので何度でもグアムへ来る人が増えると思いました。またグアムを訪れた時には違うコースもチャレンジしたいです。ありがとうございました。」
(京都府相楽郡・20代後半女性・会社員)

「自然の偉大さを感じ、日常の悩みなどが吹っ飛びました。グアムは海もあり緑もありで、大変豊かな国だと思いました。グアムに車ではリゾートというイメージが強かったのですが、チャモロ文化など歴史的な知識がつきました。ガイドはとてもハンサムで色々と説明を惜しまずにしてくれて好感です。これまでのグアムのイメージは余りにもショッピングと海だけが強調されていてジャングル探検もできるのだ、というアピールが足らないのではないでしょうか?あまり知られていないのがもったいないですね。」
(東京都国分寺市・20代後半女性・会社員)

「ガイドブックで海やショッピングがあることを知って興味をもった。正直、最初は『ちょっと山道を歩いて川で泳ぐ』程度だと思っていた。なぜなら服装やくつが軽装だったから。それに滝つぼジャンプにすごく興味があった。だけどトレッキングの前にケンさんのお話が一番印象に残るツアーになった。グアムで戦争があったことはばく然とは知っていたが、始めて日本が占領した外国とか激しい戦争については無知。ケンさんのお話でグアム旅行がただの観光ではなく、グアムについてもっと日本人が色々と知らなければいけない事があることを気づかせてくれる旅行になった。昔ここで何があったか日本人は知るべきだし、広めたい! トレッキングは『よくこんな所に道があったなあ』という所を歩き、全身ヘトヘトになりながら、ガイドの明るいトークといたずらに励まされながらとても楽しめた。滝を見ながらのランチや楽しみにしていた滝つぼジャンプは期待を裏切らなかった。また途中でながめた山々もステキでした。英語が話せないので細かい話はできなかったが、面倒がらずに優しく接してくれ、危険な所もよくサポートしてくれて安心した。」
(神奈川県川崎市・30代半ば女性・会社員)



戦跡巡りツアーの印象談

2昨年から本格的に始めた戦跡巡りツアーですが、意外に反響がありまして、ほぼ週に2〜3回ツアーに出ております。こういってはなんですが、このツアーをできるのはおそらくグアムには私しかおりません。そして私自身は多忙を極めておりまして、必ずしもご希望の日にご希望通りの催行ができるとは限りません。そのことを是非事前にご理解頂けると幸いです。
 さて、参加された方からツアーの感想を頂いております。皆さんおしなべて好意をもって下さりますのでここで紹介しきれない分も沢山あります。ご勘弁とご了承下さい。ツアーの感想は概ね以下の質問によるもので、感想を書きまとめて紹介しております。

(b)「戦跡巡りツアー」をお選びになった動機は何でしょうか?もし前の大戦に関係し
 ておられていれば是非、そのことも教えてください。
(c)これまでグアム観光業界はグアムの歴史や史跡、戦跡を無視し、日本との関わり
 も軽視する傾向がありました。そこで、この「戦跡巡りツアー」がグアム観光に  
 何か特別な意義や効果をもたらす、とお考えになるとお思いであれば是非観光業界へ
 メッセージを送ってください。ご意見を集約して届けます。
(d)さて「戦跡巡りツアー」はいかがでしたか?
  ご感想をお願いします。貴方がイメージしていたグアムと違っていた部分はありま
  したか?貴方にとっての戦争、日本人にとっての戦争とはなんだったのでしょう?
  特に印象に残っているのは何でしたか?



「私は戦後産まれで、大戦のことは何も知りません。大戦の大きな犠牲のもとに今の我々の幸せがあると思い、少しでも知りたいと参加しました。通常の観光ツアーには戦跡は含まれません。1カ所でも入れて説明してほしいですね。
 グアム7度目にして夢がかないました。個人的にガンビーチやトーチカなどわかる範囲で見ていました。旧日本軍の戦車を見た時、おもちゃのようなもので良く戦ったなあと涙が出てきました。」
(栃木県小山氏・50代後半男性)

「グアムで大東亜戦争の時、大変な犠牲者が出たということで、ずっと来たいと思っておりましたが、今回このツアーがある事をネットで知り、是非という気持で参加したいと思いました。観光としてではなく、日本国民として祖国の為に戦った方々に感謝を込めてお参りするのは当然の事です。
 大変意義のあるツアーでした。芳賀さんの説明は良かったです。日本の戦没者の慰霊碑が(公共の場に)ない事におどろきを感じました。戦争は知りませんが、今の日本の繁栄や豊かな生活は、祖国の為に戦って下さった方々の賜物と思います。日本国内でもその事を重要視されていない事に怒りを感じます。若い人の中には日本の学校教育に対する不信感を抱いている人があります。良くも悪くも本当の事をしっかりと教えるべきだと思います。余りにも知らなさ過ぎ、知らせなさ過ぎだと思います。」
(東京都大田区・女性・主婦)
*日本兵士の戦没者慰霊碑も含めての慰霊塔はアガット村の役所の傍にあります。これが唯一の公共の慰霊塔です。民間の手で2008年に完成しました。希望としては最大の死者をだしたアサンの戦場に造って差し上げたいですね。

「スピルバーグの『Ocean Pacific』を見て興味を持ちました。空港にパンフレットを置くなどして、このような過去があった事だけは来た人全てに知らせるべきだと思います。暑い中、食べるものもない状態で、祖国の為に戦って下さった方々をもっと大切にしなければいけないと思いました。また修学旅行などに積極的に取り入れて頂けたらと思います。わかりやすくとても勉強になりました。ありがとうございました」
(30代後半女性)
*本当にもっと来島者に理解して頂きたいですね。残念なことにここは全てが金銭と欲がらみですから観光局ですら公共の場所に公共のためになるから、といっても資料を置く事が許されません。であるなら観光局が無駄な散財をやめて有意義と思える資料を作り配布していけばいいのですがこれも巧く運びません。役所がすることは結局役に立たないことばかり、というのが印象です。でも日本の観光局は努力をしているのですがねえ。残念ながら欲得のしがらみが耐えない間は理想的な観光紹介は望めませんね。

「グアムで日本軍、日本人は何をし、どういった体験をしたのか是非共知りたいと思い参加しました。日本の観光産業は、日本の関わった歴史を軽視し、レジャー(買い物、グルメetc)の提供だけのために事業を営んでいるように思えてなりません。
これはグアムに限りません。市民レベルでも諸外国から真正面に関わろうとすると両国間のこれまでの歴史、文化伝統、現在の政治的、経済的関係を抜きにしては不可能だと考えます。観光産業はその足場となるべきものであり、その役割は重いはずです。こういった視点からのツアーの企画を観光局にはお願いしたいものです。
 このツアーはそういう点でとても印象深いツアーでした。何よりも芳賀さんの解説に感動を覚えました。(米軍上陸戦があった)アサン湾を見下ろしながら、圧倒的な軍事力の差を目の辺りにしながら死闘を繰り広げた兵士たちの姿が浮かんできました。これは現地に行き、芳賀さんのお話を聞いたからこそできた体験だと思っています。戦時の政府、軍の指導者たちは、本当なら国民をここまで過酷な状況に追い込む戦争をやってはいけなかったのではないか、彼らこそ国を想う気持に欠けていたのではないかと感じています。自らの去就しか考えられなくなった時、人は簡単に大義を捨ててしまいます。外国で日本人がやったこと、そこと日本の関係といったものに興味を持ち、ここ数年旅しています。職業がら日本人の精神史を考えていく材料にできればと考えています。
 現地の人が、あの戦争について、また日本や日本人についてどういった想いを抱いているのかをお聞きできる機会があったからよかったと思っています。この度は本当にお世話になりました。またグアムを訪れたいと思います。その時はよろしくお願いします。」
(愛知県名古屋市・40代後半男性・精神科医師)

「素晴らしい案内に感謝です!日本の有史以来とも言える良くも悪くも国民一丸となっての戦争を、ただ『戦争反対』というありきたりな一片の言葉で片付けてしまうことの愚かさを思っています。少しでもその事実を知りたい、そこで何があったのか?と、遅まきながら興味を持ち戦跡を巡るようになりました。
 そんな中、グアムにて芳賀さんに案内して頂きこれ以上のない旅になりました。そして熱き言葉で全ての参加者の皆さんに語られる姿には感銘しました。
 グアムに遊びに来ただけで、芳賀さんの説明に「何や?このおっさん・・・」と、その場では聞き流している若者も、きっと心の片隅に残る物があっただろうと思います
今後とも健康にはくれぐれも留意され、益々のご活躍を祈っています。ありがとうございました。」
(東京都・70代男性)

「私も齢40にして、ようやくグアムの地にお線香を父と母そして息子達とともにあげることができました。漫画ばかり読んでいた次男は、「大きなおじいちゃんが死んじゃった島なんか、僕は歩けない。」と、出国前に話をしておりました。が、芳賀様の魂の叫びが響いたとみて「芳賀さんは、兵隊さんだったの?」とも申しておりました。
正直必ずこの島のどこかに眠っている祖父を偲ぶと、いたたまれない気持ちで滞在しておりました。しかし今は、芳賀様がグアムにいらして祖父達は幸せだと思える自分がいます。
 戦跡ツアーにご案内いただく前には祖父の最期だけこだわっておりましたが、地元チャモロ人への虐殺をも知り勉強不足を痛感いたします。一生お勉強ですね。
 グアムだけは観光で訪れる場所ではないと二の足を踏んでいる遺族の方々は、是非芳賀様のツアーに参加されることを願います。最後になりましたが、グアム離陸の直前に涙雨に降られてしまいました。どうやら、孫と曾孫がかわいいのですかね?」
(千葉県松戸市・30代後半女性)


*グアムには未だに帰還されていない英霊の御霊が18.800柱以上あります。英霊は水漬く屍、草蒸す屍となって地下に埋もれたままです。最近フィリッピンで遺骨収集しているという噂の団体がやってきて、ここグアムとサイパンでも始めたいと協力を要請してきました。祖国の護持を願って戦死された英霊の帰還を怪しげな団体に委ねるのは真に哀しく虚しいものがあります。ここの私有地にある慰霊塔の掃除と慰霊もそうですが、英霊の気持を食い物にしてはいけませんね。怪しげな者や団体が真しやかに慰霊する様を見る度に、日本の悲劇を痛感します。


 貴重なご意見をありがとうございました。
 仰る通りにグアムに限らず戦後未だにあの戦争を正しく伝えられていないのが日本の現状です。しかしグアムで戦死された遺族方、それと戦争をまるで知らない人がツアーに触れてなにがしかの感慨を持たれて帰国されるのは大切なことだと考え、真面目に取り組んでおります。
 戦争は総てが否定してかかるものではない、そこから学ぶことが必ずあるのだから、と私は思っています。その学ぶ気持があれば、もう愚かな戦争はしないでしょうし、かりにやむを得なく戦争になっても、清々しい気持で立ち向かえることでしょう。
 戦争は望むと望まずとに関わらず起こる時は起きます。ですから要は気持次第です。このことが前の戦争から学ぶべきことでしょう。あってはいけないことを惹き起こした政府や軍の愚かな要人達は結局、驕りと先入観、偽善、そして自分を中心とした世界観しかなかったのですね。政治家がしっかりとした自分の哲学をもたないから、権力欲の強い単純馬鹿に付和雷同して軍部に媚びへつらう。そしてその狂気のような時代を冷静に見直すことなく軍部にすり寄っていたマスコミの罪の深さも決して見過ごしてはいけません。これは人災で最悪の事態を惹き起こした昨年の東京電力の放射能汚染事故と似ています。東電幹部職員の驕りと、彼らからの膨大な広告料に首根っこを押さえられたマスコミ大手と政治家の族議員や天下りの癒着を見てもよくわかります。いつも迷惑を被るのは庶民の方です。
 グアムにおける戦争で私にとって大切なことは、祖国護持を頑に信じて生命を捧げた英霊もですが、やはり戦争によって巻き添えになった犠牲者への労りを行動で示す事と永久に続く陳謝です。会社で働くローカル社員を見ながらいつもそのことを忘れないようにしております。ですから私はいい日本人の見本でなければならないのです。チャモロ人の為にいうことはいい、するべきことを行う。いつも我が身を棄てて彼らの側に立った見方、考え方を忘れてはいけない、ということです。
 偉そうではありますが、これは誰もができることです。その気になって本気になればいいだけのことです。私は戦争の話をする時、高品師団長が遺した言葉を心にとめております。「生命を祖末にするな」そして「(戦場に赴く)彼らのことを誇りに思ってほしい」という労りの言葉がそれです。戦争で亡くなった英霊を誇りに思える時に始めて日本という国がどうあるべきか、がわかるのではないでしょうかね。

 ではグアムで!  

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Posted by kenhagaguam at 16:18

2011年10月15日

10月の声

 3月の東北大震災から早くも7か月が経ちました。復興とは名ばかりで、TVで見る限りは、殆どガレキを片付けている最中のシーンばかり。政治家達は何をしているのか!あの義援金3000億円をなぜまだ配っていないのだ? 国難といいながら正直者が損をしている様な社会はいけません。西郷隆盛のようなスーパーヒーローはでてこないのでしょうかね。

 と、相も変わらぬ間に時は過ぎ行き10月。日本でも修学旅行のシーズンでしょうか?弊社でもいよいよ多くの学生諸君に取り囲まれるシーズンがやってきました。
 今日はこの頃頻繁に催行している「戦跡巡りツアー」について少々書きましょう。
私が戦跡ツアーのガイドを始めたのは最近なのであります。トレッキング参加者がまとまった数になったので、少しばかり横道逸れを覚悟でトレッキング前に話を始めたのがきっかけでした。
 太平洋戦争上陸戦のあったその戦場を俯瞰できる場所でトクトクと見聞したことを話しをするようにしたのでありますが、私の義務は生還兵の皆さんと約束した「1人でも多くの人に戦争のことを聞かせてあげてほしい」ということ。それが強い義務感となっていました。
 今でもそうですが、話している最中に目を腫らす方、涙を拭う方、様々な方が戦争談話に反応してくれました。最近こそ「子供に聞かせてもしかたない」から話を中断させようとする日教組の方や、あるいは全く関心がないのでソワソワする若者が目立つようになり、それからはあえて話をしないように決めました。我々日本人にとって海のあちら側で聞く先人達の話は極めて大切だとは思いましたが、忙しい時間を割いてまで、あえて目的が違う人達の前で喋る虚しさを感じたのであります。思えばそれまで他にも色々なことをして虚しい思いをしてきたものです。
 とまれ、それまでのそういう語り部に興味をもった人達がツアーとして継続するようにと要望を受けたのがこの「戦跡巡りツアー」です。今では毎月何本もの予約が飛込みまして正直唖然としております。
 この戦跡巡りツアーは1人からでも参加ができるようにし、その替わりに料金を$150と設定しました。人数が多ければ$110と安くなります。あえていえば高ければ申し込みがないだろう、という楽観だったのです。がしかし、1人であろうが2人であろうが参加者希望者が絶えません。これはつまり、皆さん「あの戦争」のことを知りたいのであります。

 最近では特に印象に残ったのが全盲の方を含めたグループでの参加でした。この人達はトーチカに潜り、洞窟内の燭台に触れ、そして展望台での激戦談話に涙を流して聞いていました。そしてその想像力は深く実在的で、その触手は我々健常人と異なりかなり具体的でした。同行しドライブしていた社員のジーンが驚きの声を挙げたほどでした。そう、彼らには戦争が見えるのです。その激しい戦闘だけではなく、そこで倒れた兵士の声まで聞こえるのでしょう。感動しました。
 私にとって嬉しかったのはジーンが問われ頼まれたわけでもないのに全盲の方へ肩を貸し、その不自由さをそれとなく補っていたことです。今ではいわれなければ力になれない目明きの人が普通です。日本人の美徳であった労り、という感情が失われて久しいですね。それが同じオリエンタルのジーンの手で素直に表現されていたことが印象的でした。ま、このジーンに限らず、ここ戦争で少なからず犠牲にしてしまった地元チャモロ人、その彼らチャモロ人が日本軍兵士の慰霊祭や墓掃除に参加し、ごく普通に手伝ってくれるのですが、その彼らをどう表現し、どのように感謝していいのか、思案に暮れているところであります。お返ししなくてはなりません。

ここでお知らせです。
来たる2012年は横井庄一上等兵が発見されて丁度40年目にあたります。そこで「横井庄一復活の旅」と題して、あの横井ケーブをトレッキングする企画を立てました。横井さんが発見されたのは南部フィナ湖の近くのタロフォフォ川、「タロフォフォフォールと横井ケーブ」と宣伝されているその場所ではありません。この場所は完全に真っ赤な偽物でして、レプリカといって偽物を上手に装ったモノともまた異なっております。本物はかなり奥地にあります。
この「横井庄一復活の旅」はあのケーブ(現存していません)へ4輪駆動で訪問し、その発見された場所から彼が立ち寄ったメイヤーのオフイス、そしてハガニャの警察署、2週間滞在したグアム病院跡、知事邸、そして彼が帰国した旧国際空港ゲートを訪れます。ご興味のある方、お問い合わせください。

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それでは先月参加されたゲストのご感想をどうぞ・・・。

<探検トレッキング・参加者意見(2011年8月)>

「On behalf of all of us who participated in the WWII Tour on September 26, I would like to send our special thanks to Haga-san and Gene, for taking such good care of us during the tour and educating us of the history between Guam and Japan. Haga-san's guide was fun, informative, dramatic, and interesting. I was able to see the scenery come to life with Haga-san's words and was swept away by what the soldiers experienced in what is now a beautiful sunshine resort. The gap between the two are overwhelming, but we see that it's the hard cold truth. And as Haga-san mentioned, we feel fortunate to live in peace.
I think this was a spectacular event during our English tour/camp. I personally felt that we should study more about our past history and to learn from them.
We all miss Guam and miss learning more about it with your comprehensive explanations. We all look forward to coming back again and being more knowledgeable about Guam and its people.
Again, many thanks for your kind hospitality and knowledge. May the bridge between different backgrounds and cultures be accepted among all in a peaceful world.」
(東京都・30代男性・教師、弁護士)

この方は光を感じることのできる全盲の方です。この方に限らず参加者4名(他2名はガイド)はいずれも方向感覚が抜群で従って全体的な地図と自分の立ち位置がわかっていました。全盲者も含めた英語の研修所を経営しているとかで、その英語力も抜群でした。何かを学び取りたい、という意志の強さは大切で軟弱な若者に教えてやりたいものです。

「We were really impressed by your tour. We could understand what happened in Guam.
Especially I could feel the core point "what is important for human". I found my own answer for that. The text books which we learn in Junior Senior high school says just the fact as a history. And we can't feel the heart from book. Of course we can imagine but that is not real.
This time you told a lot of real truth what soldiers felt. That was valuable for us. We were moved to tears at your story and will never forget that. Our memory is great souvenir and treasure in our life.
Thank you for your hospitality. We really appreciate your kindness and Jesse's warm heart.
Also I want to say thank you to Chieko. She gave us the great chance. Chance, Chance is the most important for recent me and every meeting while traveling is my pleasure. I wish this world will be a better place with heart caring for each other.」
(東京都板橋区・30代女性・介護インストラクター)

「マリンスポーツ以外のものを探していて見つけ、挑戦したいと思って参加しました。最初の方で戦跡(巡り)ツアーの方々とちょうどグッドタイミングで一緒に廻らせて頂けたのがよかったです。戦争の話、グアムで起ったことを聞いた上で参加すると『ここを日本兵は進んでいったんだな・・・』とチャモロ文化とは違う視点で感じることもできたので感慨深かったです。ぜひトレッキングでもハガさんのお話が聞けるといいのですが・・・。とてもよいスタッフとガイドさんでした。参加者を楽しませようと一生懸命な姿がとても好印象でした。(このツアーは)ビー地やマリンスポーツ以外の新たな目玉観光となり得るものだと感じました。」
(愛知県名古屋市・30代女性・会社員)

*ありがとうございました。そうですね、公平にいってもグアム=マリンスポーツとはいうのは短絡的で観念的ですよね。いわんやグアム=ショッピングタウンというのだからどれほど地元が本当の魅力を理解していないかがわかりますし、自虐的でもあります?まあ灯台下暗し、というから自分の美点は見えないのかも知れません。だとしたらチャモロ人以外のグアム人がそれを見いだし教えてあげるべきですね。どうかドシドシ宣伝して下さい。

「面白そうだったのでチャレンジしました。ガイドさんがついていると単独では入れないような自然の中に入って行く事ができて楽しめた。日本の山では道が舗装されており、人が踏み入って地面が荒れてしまっている所が少なからずあるので、このように自然の中に入っていける機会はとても良かった。しかもガイドさんがいろいろなことを教えてくれるのでそれも良かった。あの横井さんが名古屋市中川区(千音寺)とは知らなかった。おそらく横井さんを知らない人が多くのなったのだろう。年をとりました。」
(岐阜県大垣市・40代女性)

「海以外のグアムに触れたかった。グアムの自然の深さを満喫できた。あんな厳しいジャングルの中を戦時に兵隊が走り回り戦い合ったことが本当に信じられないし、どれだけ過酷な状況だのかをほんの少しだけ感じることができた。雨が降りしきる中で、泥道ですべったり転んだりする中でガイドの丁寧な安全なインストラクションの下で楽しむことができた。写真で前もって見せてもらった滝に比べると水量も多くて滝に打たれるのも命がけ??でしたが、大変良い思いでとなりました。今度は天気の良い日に参加したいです。ありがとうございました。ガイドはパーフェクトでしたし、新しいグアムを知るよい機会だと思います。海だけではない山のグアムも充分に楽しめます。」
(神奈川県横浜市・30代男性・会社員)

グアムは1年の半分が乾季であり半分が雨季です。9月も雨季の最中です。でも、グアムの雨は1日中降り続く事がないのが普通です。とはいえ、この時期の来島者はマリンスポーツでは楽しめませんね。ジェットスクーは雨は頬に当って痛いし、海中はぼんやりとしてわかりにくい。やはりトレッキングはいいですね。雨でもどうせ濡れるし、陽射しが弱いから疲れません。
 私は雨のトレッキングが大好きです。日本では考えられないほど面白いですよ。

「今までトレッキングというものを体験したことがなかったのと、どんなものか興味があったから参加しました。今までぐアムといえばマリンスポーツやショッピングが楽しめる場所というイメージでしたが、今回このトレッキングに参加してみて、グアムの大自然に驚き、魅了されました。はじめ、コースの出発地点に着いたときには、こんなところに入っていくのか!という不安と同時にどんな場所がまっているのだろうか、というワクワク感で本当に冒険しているような感覚でした。道なき道をどんどん進んで行くと、パァーッと視界が開け一面に空と海が見えた時には自然と笑顔がこぼれ、感動的な景色が印象に残っています。秘密基地のような洞窟の中での水遊びは最高でした。洞窟を出るとジャングルの所々に歴史を感じさせる先住民が実際に浸かっていた貴重な道具や住居の跡地を肉眼で見る事ができ、このトレッキングに参加しなければ気付けなかった本当のグアムに少し触れられたような気がしました。
 この体験をきっかけに戦争で多くの日本人が犠牲になったグアムの地、歴史、文化についてもっと知りたいと思うようになり、今の時代に日本で生まれたわたしたちにとって改めて戦争について考えさせてくれる機会に巡り合わせたことに感謝しています。次回はもっと英語力とグアムの知識をつけて参加させていただきたいです。ガイドの方はとても親切で英語のわからない私たちに伝えようと一生懸命に対応して頂きました。このツアーは、今まであまり知られていなかったグアムの自然や歴史、また戦争の傷痕を感じさせる、その貴重な体験を通じて個々に考えさせてくれる、グアムのことをもっと知りたくなるようきっかけになると思いました。
(千葉県船橋市・20代女性・薬剤師)

*このコースはパガットケーブといいます。古代チャモロ人村落跡や真水の洞窟が魅力です。トレッキングの魅力はなんといっても達成感と感動です。仲間が多ければ多いほど後々まで話題に尽きません。歩いているとどんどん自然の風景が変わっていき、チャレンジする部分が続き、疲れがでるかな、という時に休息し、目的の場所に着くと笑顔が自然にでてきます。終わってバスの所まで来ると達成感で自信が湧いてきます。これまでで1人も落伍者はおりません。皆さん自分にチャレンジしているからなのですね。

「探険、という普段体験できない事をしたかった。グアムと日本の歴史など全く知らなかった事を教えてもらい、グアムだけでなく日本にも興味を持ちました。トレッキングは雨で地面がすべりやすく、次々に人がすべったり転んだりしてトラブルがあり、ただ歩くのではない楽しい行動ができて楽しかった。ガイドは楽しく親切だった。歴史も知るにもいいと思います。」
(滋賀県大津市・40代男性・会社員)

日本にも興味をもった、とは嬉しいことですね。旅は結局自分と自国の発見が目的でしたから。
場所を変えて遊びほうけるのは日本の若者だけです。いつも心が外を向いていて本来の観光のずいぶん先を歩いているような不気味さを感じることがあります。グアムに限らず外国は他国です。その他国を自分の住んでいる住環境と同じ程度、同じ目線で旅をするのは贅沢というより愚かきわまりない。これは何も旅行者の問題ではないのかな? 巷に溢れる本とかTVとかの情報はショッピングと食い物ばかりが目立って、肝心のその国の歴史や文化の特徴を載せている雑誌は極端に少ない。全てが雰囲気をイメージしたものばかりです。何かが多過ぎて逆に何かが失われつつあるのかな?

「ケン・ハガさんのグアムの歴史、戦争の話しを聞いてグアムの印象がすごく変わった。今回もグアムに遊びにきたが、いいお話が聞けてよかったです。いっぱい歩いて大自然を満喫できました。」
(滋賀県東近江市・40代男性・会社員)

「もともと歩くのは好きでどこの国でもツアーに参加していました。今回グアムは初めてで、日本人がよく来る買い物天国?そして海?だけのようなイメージでした。そして山もあるなら歩きたいと参加したのでした。そしてこのツアーによってそれまでの印象ががらりと変わりました。きれいな山道を歩くのではなく、服も靴も汚れるし・・・でも5、10分と歩くうちにそんなことどうでもよくなって最後にはグチャグチャになりました。滝に飛び込むのもエキサイティングでした。あとでインターネットを調べて色々なコースがあることを知り、今度は下調べをして再度チャレンジしてみたいです。本当に楽しかったです。ガイドさん(名前を忘れました)、グッドナビゲートでしたよ。グアムの(昔もふくめて)歴史を知る意味でも刺激になるツアーだと思います。」
(大阪府豊中市・女性・医師)


 アンケートのご協力ありがとうございました。まだまだあるので次号に持ち越します。このアンケートは参加する方へ大いに役立っているそうです、ヨカッタ。
 お元気で、またグアムでお会いしましょう。
  

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Posted by kenhagaguam at 00:31

2011年09月22日

9月の声

日本に活気が少しずつ戻ってくるようにグアムもようやく観光業が復活してきました。なにごとも辛抱と忍耐が必要でして、じっと忍耐をしているといつの間にか東から朝日が昇るが如く景気が回復してきます。

この8月は雨続きの日が続きました。従ってコース変更も度々あって面倒が続きました。とはいえ、トレッキングは自然が相手ですから他のツアーがキャンセルでも全く問題なく催行したので、ツアーを期待されて来られた方からは感謝の言葉が多々ありました。

 戦跡巡りツアーのこと。
 最近は「戦跡巡りツアー」が流行しております。半日がかりではありますが、あの1941年12月からのグアム戦争の顛末を多くの証言と資料、それに実地踏査して得たグアム戦争の「語られなかった本当の戦争話」を私、芳賀がガイドしております。いい加減なお茶濁し的ツアーがどこでもはびこる時代に衝撃が走っております。本物、本当の話にこだわる方には最適なツアーですからご参加下さい。特に、最近のグアムは土地開発が進んで折角保存してあった戦跡や史跡が破壊され始めています。戦争裁判所跡、グアム戦争最後の戦跡などは完全に破壊されて痕跡を遺すのがやっとのことであります。多くの戦跡が破壊され消え去るのも時間の問題と察しております。どうかお早めにご予約を・・・。


さて、お知らせです。
来たる2012年は横井庄一上等兵が発見されて丁度40年目にあたります。そこで「横井庄一復活の旅」と題して、あの横井ケーブをトレッキングする企画を立てました。横井さんが発見されたのは南部フィナ湖の近くのタロフォフォ川、「タロフォフォフォールと横井ケーブ」と宣伝されているその場所ではありません。この場所は完全に真っ赤な偽物でして、レプリカといって偽物を上手に装ったモノともまた異なっております。本物はかなり奥地にあります。
この「横井庄一復活の旅」はあのケーブ(現存していません)へ4輪駆動で訪問し、その発見された場所から彼が立ち寄ったメイヤーのオフイス、そしてハガニャの警察署、2週間滞在したグアム病院跡、知事邸、そして彼が帰国した旧国際空港ゲートを訪れます。ご興味のある方、お問い合わせください。
探検トレッキングへの質問と予約は・・
東京03−5410−6027へどうぞ


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それでは先月参加されたゲストのご感想をどうぞ・・・。

<探検トレッキング・参加者意見(2011年8月)>

「海でいかにもと言うだけでなく、トレッキングでいい汗をかいて体をとにかく動かしたかったのと、サイトで拝見して、童心に返って遊べる気がしたから。特に印象に残っているのは、弾が何発も残っていたこと。見つけると嬉しい反面、何だか人を撃ったものなので、切なくなりました。戦争があったんだと改めて考えさせられました。オリエンテーションでもお伺いしたジャングルの占める面積。あんなにも多くの未開の地があるとはイメージしていませんでした。日本のハイキングロードのようにある程度人の手が入っていて多少整備されている道と違って、自然のまま、本当にありのままの大地を踏みしめ探検できたので、無心で汗を流すといった感じでとにかく夢中になれました。  滝を見に行った事は何度もありますがあんなに至近距離で、しかも滝に打たれたのは初めてだったので気持ちよかったです。ちょうど日本で終戦特別番組の「硫黄島からの手紙」を見たところで、上のコメントにも書いてありますが、それだけ用意に弾が見つかると言う事は、そこではかつて日本とアメリカの激戦が繰り広げられていて、私たちが水浴びした場所なんかは、兵士さん達の飲料水になっていたり、ジャングルは基地や戦場になっていたのだなぁ、と複雑な心境になりました。一緒に参加したご家族4人の方々も本当にいい人達で、楽しく一日を過ごす事ができました。
 オリエンテーションの女性の方も親切でよかったですし、芳賀さんも朝お会いできてよかったです。ジョシュア、本当にありがとう!!楽しかったです。車の中でも退屈せず、トレッキングも最高でしたよ!何度も何度も滑りそうなときや危険な場所で手を貸していただいてありがとうございました。グアムの魅力をもっと知るいい機会になり、またグアムに来るきっかけにもなると思います。リピーターが増えるのではないでしょうか?夫婦や家族や友人関係がより結束するチャレンジになると思います。 
(兵庫県尼崎市・30代・夫婦)(アサン川とトニーズフォールコース)

「都会育ちの子供達にたくさんの自然と触れ合い、美しい環境のありがたさを学んで欲しかった。川や滝壺など、私たちがごく普通のことと考えている経験すらない子供達に『探検を味わってもらいたい』と考えていました。沢山の興味あるお話を、また大自然と触れ合う機会をありがとうございました。戦争の貴重なお話には正直言って驚きました。12歳、10歳、5歳の子供にとって戦争の話は教育に出てくる昔話。戦争はしてはいけないと口に出して言いますが、本当の戦争は知らない。子供達にどの様にして戦争の恐さ、愚かさを教えるのか親として難しいと考えていました。もちろん芳賀さんの仰る『愛国心』もとても大事と思います。これがなければ日本はこのまま駄目になる。これから子供たちが世界と戦い(戦争ではなく)生き抜いていけるように教育して行きたいと思います。最後になりましたが、このトレッキングはグアムの自然と触れ合うだけでなく、日本人の歴史を教えるすばらしい企画です。どうぞ末永くお続けになって下さい。ありがとうございました。」
(大阪府吹田市・40代男性・会社員) (アサン川とトニーズフォールコース)

「日本では経験できない秘境探検(ジャングルのような場所)をしてみたかったから参加しました。ぬかるんだ泥道、滑りやすい岩道、川歩きで自然の良さを再確認しました。歩きやすい舗装された道ばかりを歩いていると、何か忘れているような気がします。自分で考えながら道を選び、時には転んだり助けてもらったり等など、貴重な体験が出来ました。特に印象に残った場面は、川に飛び込むシーンでした。少し怖かったけれど1度飛び込むと病み付きになりました。また、戦争時の弾丸が所々にあり、歴史を感じました。そして若いガイドの方が詳しく戦争の話をしてくださったのでびっくりしました。今の日本の若者は、戦争の話が出来るかしら。と考えさせられました。」
(富山県富山市・40代女性・主婦)(フォンテリバーコース)

「昨年、今年とお世話になりました。今年のコースは昨年よりハードではありましたが、川遊びが2度も出来て大満足でした。日本でもこんな遊びは出来ないので、子供(8歳)は一番グアム旅行の中で楽しい思い出になったと言っておりました。ジョーのガイドは楽しかったですと子供も喜んでいました。芳賀さんの戦争のお話、日本海軍の洞窟なども、心に深く刻まれました。またこちらへ来た折には参加したいと思います。
(東京都練馬区・40代男性・会社員)(マロロの滝コース)

「又、西表島でも同様のトレッキングで子供が喜んだため、グアム政府観光局のサイトで知り、海とは違うグアムを体験したく色々調べました。
 歴史では知っているが、スペイン、米国、日本と、統治する国が変わった悲しい出来事を実感できて、また本当に第二次世界大戦での激戦がここにあったことが分かったのは非常に大きかったと思います。ほとんどの人は沖縄の延長線上のような感覚だと思いますが、違う国、違う文化、そして『海』以外もあるのだということを実感する為に是非体験した方がいいと思います。日本人の持つ、「海、買い物、食事」とは違う、歴史や文化なども含めた違うグアムが体験できると思います。同じツアーの方々とも気軽にお話できた雰囲気は中々日本では得られない体験でした。(あんなスコール二度と体験できないかも)」
(神奈川県横浜市・40代男性・会社員)(アサン川とトニーズフォールコース)

「違う目線でグアムを知りたかったから、インターネットで始めてトレッキングを知りました。初めは体力的に大丈夫かなと思ったのですが、参加して本当に良かったです。 芳賀さんには戦争のお話を沢山聞きました。歴史に興味がない私も感動しました。リゾート地としてのグアムの印象が強かったですが、初めて戦地だったということを実感しました。のんびりするだけでなく、自然を満喫できるし、過去の戦争に触れたような気がします。きっと皆さんもそう感じて平和がどんなに幸せか再認識できたと思います。」
(埼玉県越谷市・40代女性・会社員)(フィンタサ滝コース)

「4年前にフォンテリバーに行き、滝壺にジャンプした爽快感が忘れられず再びチャレンジしたいと思ったから。前回もお聞きした芳賀さんの戦争の歴史、グアムの歴史を改めて心に留め置きました。すばらしい祖先のお陰で現在の自分がある事を思い知りました。トレッキングでは滝壺ジャンプ中に雨の為川の水量が増し激流の中、戻ることに。子供5人を含む10人のグループだったので子供の安全を最優先に、途中危ないと思われる場面もあったが、2人のガイドさんの適切な誘導のお陰で無事コースを完走でき、ほっとしました。落ち着きと、ユーモアがあり、頼もしかったです。チャモロ人の陽気な笑顔と対照的な歴史と、一歩内側に入ると密林、厳しい自然、グアムの二面性を見る思いでした。素晴らしく荘厳な自然を直に感じられる、感動的、達成感を味わえるいいものでした。芳賀さんありがとうございました。」
(兵庫県川西市・40代男性・会社員)(アサン川とトニーズフォールコース)

「運動をしたかったからと水に飛び込む所が面白かったからです。グアムには3回も行っているけれど、1度もこの自然を体験した事がなかったです。なので、今回トレッキングが出来てとても嬉しいです。歴史や文化がわかって勉強になりました。」
(富山県富山市・9歳.学生)(アサン川とトニーズフォールコース)

「(地球の歩き方子供篇)『子供と行くグアム』でツアーを知り、HPで調べた所、皆さんのコメントを読み、より参加したくなったからです。
 久々に沢山歩いて疲れたけれど心地良い疲れです。グアムと言えば、海、買い物というイメージでしたが、手つかずの自然が沢山残っているのを経験できました。子供達もジャングルの中を歩き、太平洋を見たり洞窟の中で泳いだりと、普段出来ないことを体験させる事が出来よかったです。私は洞窟の水が冷たいのと、周りが暗かったのであまり泳がなかったので、太平洋を臨みながらランチを食べたことが良かったです。ただ、HPで書かれていた芳賀さんがガイドでなかったため、言葉の疎通がうまく行かず、グアムと日本との戦争中の話が聞けなかったのが残念でした。ガイドのジョーさん、英語が出来ない私達にいろいろ話しかけてくれて気配りしてくれました。」
(愛媛県松山市・40代女性・パート職員)(フォンテリバーコース)
私のことを期待してくれていてありがとう。私は出版業の方が多忙で余りトレッキングには行けません。でも時々は途中までグアムの話をするためにバスに便乗するのです。もし、グアムや戦争の輪に興味があるのであれば事前にそのことを申し出てくださいね。忙しくても時間が許す限り顔をだしましょう、こんな顔でよければ・・・。
 それと日本語のことなのですが、時々、今でもガイドが日本語ができないことを言い出す方がおられます。私もイタリアに行って英語が通じなければ困るのでお気持ちはよくわかります。でも、ガイドは一生懸命に日本語を学び、なんとかコミュニュケートしております。自分の国を紹介するのに外国語を話すのもおかしな話なのですが、それでも役立てばと真剣に取り組んでおります。彼らの気持も汲んであげて下さいね?

「ケン芳賀氏によるグアムでの戦争の歴史など深い部分を伺うことが出来、現在を生きる自分のあり方など考える機会となりました。5回ほどグアムを訪れておりますが、グアムのイメージは(ショッピング、マリンスポーツ)でショッピングに魅力を感じなくなったので今回の参加となりました。日本の修学旅行は京都、奈良、広島、長崎が定番ですが、可能であればグアムでの戦争の歴史を中学、高校生にも学んで欲しいと思いました。ガイドの方の対応は満足しております。こけて滑って水面から上がれなくなった時もサポートしてくださり感謝しています。単なる免税ショッピングの島ではなく、歴史を考える、そして自然と向き合ういい機会になると思います。
(神奈川県川崎市・40代女性・会社員)(フィンタサフォールコース)

「普段しない事へのチャレンジとグアムの自然に触れてみたいと思ったです。
  いきなりのトレッキングではなく、導入として観光スポットを案内してもらいよかったです。世界大戦の爪痕が十分残っていることを改めて感じました。野生のバッファロー(カラバオ=水牛)も見ながらピクルスをかじらせてもらいました。すっぱかったのが印象的です。また、ランチタイムでの景色も水平線が広がり改めて地球の自然を感じました。やはり、ロウソクのかすかな明かりだけで洞窟の中で泳いだ事は忘れないと思います。米軍駐屯が進んでいる事で何となくものものしさを感じました。リゾートの中にある緊張感がなんとなく違和感を作っているように思います。ガイドのジョーさんはラストジョブと伺いました。楽しいひと時でしたとお伝え下さい。日本語が流暢と言うわけではありませんでしたが、十分な対応をして頂きました。休息も気を使ってもらい安心しました。」
(愛媛県松山市・40代男性・会社員)(パガットケーブコース)

「戦跡ツアーに参加しました。まるで見たい映画の二本立てのようで期待通りどころか大変印象的で感動しました。芳賀さんはグアムでの戦争を物語のように語ってくれて涙が溢れてきて困りました。グアムでは2万名の日本軍が戦死して遺骨がそのままになっていたり、また地元の人もたくさん犠牲になったそうで日本国をあげてのい慰霊をしていないこと。芳賀さんはそのことがとても気になっています、といっていました。グアムで太平洋戦争があり、そこに多くの物語があったことをグアムにくるまで知りませんでした。そしてグアムには日本人にとって、こんな大切な話があることも知りませんでした。昔はたくさんいたという勇敢で祖国愛の強い日本人によって今の私達がいることに感動しました。ご一緒した他の家族やカップルの人達も大感激でした。
 他でも戦争の跡地をまわるツアーがあると聞きましたが、戦争のことを知りたければ絶対このツアーを勧めます。見せかけのツアーはたくさんですから。芳賀さん、ドライバーのジーンさんありがとうございました、今度は仲間を誘って参加しますね。」
(静岡県沼津市・30代男性・公務員)(戦跡コース参加)

「前回参加して感動したので2回目の参加です。8歳の息子はどうしてももう一度行きたいと強く希望していたので3年ぶりのチャレンジです。前回は息子が発熱していたので参加を危ぶんでいましたが、芳賀さんの『大丈夫!』という一言で足を踏み出し、実際大自然の力を借りて元気に帰ったのを記憶しています。今回は天候に恵まれず、雨と風の中を進みましたが、逆に自然の厳しさを目の当たりにした気分です。また、洞窟の中では真っ暗でロウソクの灯をともしますと神秘的に揺らいでいました。子供はおおはしゃぎでジョーさんと戯れていました。自然の花や実についても説明してもらい、筋肉痛にはなりましたが楽しい時間を過ごしました。日本では出来ない体験なので、毎回新しい発見をしています。今回も記憶に残る感動を頂きました。家族の絆も深まる気がします。またグアムに来る機会がありましたらきっと参加させて頂くと思います。ありがとうございました。」
(千葉県八千代市・40代男性・会社員)(パガットケーブコース)

「歴史・戦争を遠い他人事ではなく身近な現代の事として考える機会となりました。芳賀さんの情報はご自身で集められたものが多く、新鮮でした。戦後教育やマスコミが操らせたために本当の日本人としての『心』や次世代に伝えるべき『絆』が強くなっていると感じて参加しただけに価値観が共有できたようで嬉しかったです。観光で訪れると、あまりに平和である為にグアムで実際に戦闘があったこともついつい忘れてしまうくらいですが、今回は中二の息子も参加し親子で感動いたしました。特に丘の上でどのような戦いだったか伺った事と、洞窟の中に実際に入ったのが印象的でした。」
(東京都世田谷区・40代男性・金融)(戦跡コース参加)

 いつもは冒頭のメッセージにダラダラと私感を書かせてもらっていますが、ここまで読み通すのが大変だと気がつき割愛させて頂きました。
 戦跡ツアーが忙しくなったのはグアムにとっても英霊にとっても嬉しいニュースですが、その分だけ私の時間が足りなくなり閉口しております。私の時間と健康の許す限り続けていく心つもりですが、興味のある方は少しばかりお急ぎください。このガイドは他に適任者が見つかりません。ただ話せばいい、というのでは味も素っ気も、またお亡くなりになった」英霊や地元民の心に触れる事ができません。知っていることを伝える以上に、当時の人々の心境を話すことができなければ、またぞろ「戦争反対」で終始してしまいます。戦争がもたらした心臓にはり付いたようなシコリは言葉で説明ができない、と生還兵がいっていました。


 ではグアムでお会いましょうね。  

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Posted by kenhagaguam at 11:28

2006年10月08日

ご意見拝聴 NHKは本当に公共事業団体なのか?

 NHKの国際放送は世界各地に居住する日本人社会へオンタイムで番組を放送しています。ここグアムでも10年以上も前からグアムに1社しかないTV放送会社のマリアナズケーブルビジョン(Marianas Cablevision P.O.Box24728 Tel:671-635-4MCV)によってNHKの国際放送が放送されています。日本でのニュースをオンタイムで楽しめるのは海外に居住する我々にとっては大変重要であり、また子弟への教育面も含めて役立っております。

 この放映機関として配給しているマリアナズケーブルは実は5年前に彼らの配給基本料金(当時$19/月)に含まれていたのですが突然NHK受信料金として請求される事になり、当時の日本人会の会長(JALグアム支店長井上氏)が会を代表して抗議した経緯があります。因に抗議虚しく以降は受信料を支払っております。

 今回、私がお知らせしたいのは、去る7月からこのマリアナズケーブルによるNHKの放送番組の途中にそれこそ唐突に地元の商業コマーシャルが入って、番組の継続を中断させている事です。マリアナズケーブルによりますと既にNHKから了解をもらっており各会社からは放映代金を徴収していない(3ヶ月間の試験放映を経た後に有料となります)、との事ですが、それにしても何故日本の国民の税金と使用料で賄うべき放送番組に不細工なコマーシャルを挿入する事をNHKは認可するのでしょうか?

 このマリアナズケーブルの運営の詳細は以下に記しますが、問題となるのは繰り返しますが日本の公共放送に民間の商業コマーシャルを介在させている事です。しかも他局の有線放送(例えば米国HBOなどのペイテレビ、あるいはクラッシク映画、韓国、中国の公共番組等々)にはコマーシャルが挿入されておりません。関係者によりますと大本の放送局が認可しなかったからだそうです。NHKは許可した、といいます。

 私達がこのマリアナズケーブルとNHKに対して不愉快に感じるのは、機関となる有料の基本放映料を支払い、さらにその上にNHK放送受信料を支払った上で見たくもない民間のコマーシャルまでも見せつけられなければならない事情。特に、この民間コマーシャルの挿入方法が全くNHKの方針と外れていて日本でいう午後7時、9時のニュース番組であろうが大相撲、報道特集などであろうが番組放送中に突然放送が途切れて無粋にコマーシャルが介入してくる、という事です。

 こういう「公共の為のNHK精神」とは誠にかけ離れた民放的な手法が、海外だからという理由で認められていいのかどうか?今、日本の関係者各位が早い段階でこれに疑問を持たなければ、あるいはこれをそのまま認可してしまえば、マリアナズケーブル当局は益々増長して更なる民間コマーシャルを介在させるであろうし、そこに権益を求める業者も出てくるでありましょう。ただでさえ時おりニュースの合間に映像権の理由によって映像が途切れる事が多々あり不愉快な思いをしているのに加えて最も大切なニュース時間に突然これが途切れてコマーシャルが入るような無粋な介入を許すNHKの職員は何を考えているのでしょうか日本の視線からそれた遠い海外で大きく商業的なビジネスを展開しているとは驚きの一事に尽きます。折角大きな親切で「NHK番組を海外にいる人々に見せましょう」、精神を持って始めた企画であれば、こういう不信感を抱かせるような(目の届かない所での)海外放送局とのなれ合いを排して頂きたい。また、日本人は「金があるから」、というだけの偏向で日本人だけの特別受信料徴収(基本料金は除く)を今一度地元TV局と協議し速やかに撤廃して頂きたい。

 こういう希望を聞き届けてくれる機関があるのでしょうか?

マリアナズケーブル使用料明細:
月間使用料     $50.08
コンバーター使用料 $3.50
有線チャージ    $04
NHK放映料    $9.97
税金        $2.55 
合計        $66.14/月(地元新聞$18/月)  

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Posted by kenhagaguam at 18:11

2006年08月21日

パシフィックデイリーニュースに掲載されたものです


 以下はグアムの新聞PDNに掲載されたものです。
ケン・芳賀



http://www.guampdn.com/apps/pbcs.dll/article?AID=2006608150311

 グアムはさ来年あたりから沖縄海兵隊他家族も含めて20,000+20,000(関係者)が大挙して移住してきます。
この数字の圧倒さに驚く他は無いのですが、米軍も政府も住民のライフラインは何も考えておりません。勿論観光業もです。
この数がタモン界隈を歩くと最早グアム観光は成りたくなりますね?
しかも地方の住民の生活基盤は少しもよくはならない。
私は、日本からの6.000億円もの支援金の一部でもいいから住民のライフ基盤(電気と水=これは米軍が保有していました、汚水処理とゴミ処理など)に廻すべきだと考えて行動しております。

 もっとも深刻なのは観光業で、グアムの60%は観光業で成り立ち、その90%近くが日本人観光客で占めているのですが、今日に至る迄誰もこの件について未来像を語る者がでてきていません。
観光局は日本へ航空業界に申し入れしに100万円近い金を費やしてフライトの増便要請に行くのだと、張り切っている始末です。これが限界なのですね。

 考えてみると、グアムはベトナム戦争以来の基地のある観光地になり、しかもこれまでショッピングやマリンスポーツの顧客獲得に力を注いできただけに他になにも対案がない状態です。
このままでいくとグアムの一般生活は確実に埋没しかねません。
なぜグアムの大自然、この島のユニークな歴史と文化を強調しこれを活性化しないのでしょう?
トレッキングと史跡観光に力を注いでいる私ははがゆくてなりません。

 とまあこれがグアムの近況であります。  

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Posted by kenhagaguam at 02:11

2006年06月16日

沖縄米軍移転問題、押すボタンを間違えるな!

 以下はグアムの新聞PDNに掲載する記事です。新聞には英訳されたものを掲載します。
ケン・芳賀



 沖縄から米軍8.000人とその家族の受け入れがほぼ現実的になってきた。既に巷ではそれによってグアムが潤うであろう、と大期待を寄せているのだが本当に潤うのであろうか?現状のままでは確かに米軍を取り巻く企業とアメリカの大手建設会社、そしてそこから地元建設会社へ落ちてくる僅かな仕事と不動産業界だけが潤うかも知れない。しかし、島全体に直接かかわりを持たせないと、米軍が移動してくる2008年頃には島全体が経済的に潤う、という甘い期待は裏切られ島民は不満と不平を持つ事になるだろう。米軍やアメリカ政府が何かをしてくれるであろう、という甘い期待はしてはいけない。根拠のない期待は必ず裏切られるものである。

 移転に伴うおよそ10兆円($10.3 billion)もの予算の内、アメリカ政府が供与する資金はおよそ4兆円($4 billion)で日本がおよそ6兆円(Over$6 billion)受け持つことになっている。6兆円もの資金を出すのが日本国である事に注目しよう。しかもアメリカ政府の場合は、その用途として軍事施設とそれに関するインフラに限られるので、基地外でのインフラや建築に期待があるならばそれは日本政府に、であってアメリカ政府ではない。これが日米で確約した条件であり、グアム島民はこの事実を知らないと後で後悔する事になる。なぜなら島民がもしこの件で恩恵を得ようとするのであればアメリカ政府にではなく日本の政府と交渉するべきだからである。


 先月、沖縄に行って来た。なぜ沖縄島民がそれほどまで必死になって米軍の移転を(それも6兆円ものお金を払ってでも)希望するのか、に興味があったからである。何か大きな問題が隠されているのではないか?という疑問であった。そしてそれは同時にグアム島民にとって非常に重要な意味を持つのだ。

 沖縄で感心したのは本土と離れていながら島自体が日本本土と同様に経済的に潤い、インフラ面に関しても基地内外の区別が全くなかった事である。区別がない、とは基地を含めた沖縄全土にわたってインフラが完備されていて大型台風が来ても断水や停電が全然ない、という事である。また、ゴミ処理場、病院、学校、公共施設、交通網、モノレールなどが充実していて、グアム同様に孤立した島であるにも関わらず人々が活気に溢れていたのだ。さらに感心したのは年間7百万人もが来島する観光事業は全土にわたって公平に充実しており、ローカルの産業がひしめきあい、工業地帯まである、という事であった。沖縄はグアム同様に首都から一番遠くにありながらその繁栄ぶりはどこも都会並みであった。

 この沖縄の多くの年配の人達が私に「グアムは沖縄のように同じ間違いを決して犯してはならない」と忠告してくれた。生活がどんなに楽に見えようとも「それは決して満足している、という事ではない」と語った。

 1972年それまでアメリカ領土であった沖縄県が日本に返還された時以来日本の政府はこれまで多額の、重工業も含めた産業への資金援助と、病院、学校、公園などの公共施設、インフラ完備に力を注いできた。それは日本全体にある米軍基地の75%が沖縄に集中している、という痛みに対する日本人の同情も含まれていた。しかし、その援助を得る為に沖縄県民は決して日米政府間のやりとりを見守っていたのではない。彼らは「誇りある自分の島」に基地を認める条件として、住民からみて基地内外の区別がない事、その為には産業を起こすことも含めての本土からの資金のみならず技術的、人的な援助を得る事を条件に対話による交渉を長年にわたってし続けてきたのである。県民の団結とその代表である知事が明確に要望を突きつけていなければおそらく今日の沖縄はなかったであろう。

 今回の沖縄からのグアム移転問題は実はグアム島民にとって歴史的なステップアップの機会なのである。これはただある種類のビジネスが好景気を迎えるという程度のものではない。グアム全体が変革する大きな機会といっても言い過ぎではない。


 限られた資源と収益しかないのに言葉巧みに希望を並べたてて島民の感心を煽る政治の時代は去った。経済的な裏付け、生産的な希望、そして台風などの災害にめげないインフラが充実してこそグアムに本当の未来がある。
その工夫と交渉方法を親切にも沖縄県民がアドバイスしてくれているではないか。この移転問題を長年にわたって交渉し続けてきた、この問題で今もっとも注目され国会でも強い影響力をもっている沖縄出身の国会議員がわざわざグアムへその下見調査の為に来島したのはその意味も含まれていたに違いない。

 沖縄県民にとって、受け入れる側のグアム島民の心情はどうなのか、を知る事は、経験した者だけが感じる事のできる心配事であり友情なのだ。

 グアム政府は日本が投入する資金の使途範囲を決定してしまうその前に、グアム島全体のレベルアップの援
助を具体的に交渉するべきである。さらに日本が関与する業者に関してもグアム政府がこれに関与し、公平無私、かつ島民に優先権が回るように主張するべきである。繰り返すが6兆円もの公共投資をするのは日本国政府であってアメリカ政府ではない。この認識を誤ると大きなミステークを犯すことになる。
グアムが政治的に経済的に自立できるこの機会を見逃してはならない。お願いをするのではなく島全体の公平なバランスを会話を通じて要求しなければならないのだ。グアムと沖縄両市が協力しあってお互いの政府と交渉し、この大事業を押し進めていくことに政治家は躊躇してはいけない。
今こそ自信をもって日米両国と交渉に望める強いリーダーが必要である。変革の時代に応える事のできる柔軟で思慮深く、公平感をもっている強いリーダーを必要とする時がきたのだ。

 沖縄県民がアドバイスしてくれた事をグアムは100年前に既に体験しているではないか?もう同じ過ちを繰り返してはならないのだ。  

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Posted by kenhagaguam at 20:25

2006年04月13日

料金改定のお知らせ

2006年4月1日より、トレッキング『EASY COURSE/イージーコース』の料金が改定されました。

「アサンリバーとトニーズフォール」「フォンテリバー」「タロフォフォケーブ」
料金:大人$80 中高生$70 小学生$60

「フムヨンマングロウ山」
料金:大人$90 中高生$80 小学生$70  

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2006年03月07日

「男の隠れ家」4月号 トレッキング特集

シニア向けの雑誌「男の隠れ家」4月号にトレッキングが特集されております。
思い出したら是非ご覧下さい。  

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2005年12月22日

東京新聞朝刊・記事掲載のお知らせ

12月5日の東京新聞朝刊に、ピースリング・グアムについての記事が掲載されました。

東京新聞  

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2005年12月06日

掲示板を設置しました

ホームページ掲示板を設置しました。
画像も投稿できますので、是非ご利用くださいね。  

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