2016年12月21日

学生と戦争のこと

 神奈川県から修学旅行が戦跡ツアーに参加しました。10年以上も続いています。ツアー後に代表の学生が戦争を「軍人が大間違いを犯した」と発表したのには些か驚きました。教育とは教え方一つで「人道主義的な過ち」と「やむを得ない究極の選択」によって先人の行いの正邪がわかれます。私は教育とは学ぶこと、だと思っていて、であるがゆえに常に様々な見解を(教えるのではなく)伝え続けるものであるべきだと信じています。特に戦争は字義だけで捉えると深みが薄れ結果が全てになります。「戦争はあってはいけないこと」は当たり前ながら、そこには領土争奪だけではなく、宗教的なこと、異国に嫌悪を伴う生理的なこと、権利を奪い合う政治的なことなど様々な要因があるので、単純に幼児に躾けるような「してはいけない」だけでは本当の成人は育ちません。
 私の知る限り前の大戦では国際情勢にもまれながら軍人達はそれでも懸命に自国優先を求めていました。それがやがて追い詰められて祖国護持に変わり「身を以て太平洋の防波堤足らん」と覚悟していった様がわかっております。愚かな選択はいうまでもありませんが「大間違いを犯した」と決めつけたら浮かぶ背も無くなります。つまりそれをもって次世代の日本人とは縁が切れるということになるからです。「(戦争の選択が)正しいとは思わないが、君らの為なら喜んで生命を捨てる」といった若い軍人の愛情と気迫に満ちた遺言に悲哀を感じてなりません。IMG_0406
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Posted by kenhagaguam at 14:30

2015年09月23日

グアムローカル・日本軍将兵戦没者慰霊祭

 祭の模様、2015年9月4、5日
 ローカル慰霊祭(マンガン山にて)、日本軍慰霊祭(フォンテヒルにて)
マンガン山慰霊碑
マンガン山ローカル慰霊祭
慰霊祭2015日本軍司令壕
フォンテヒル日本軍慰霊祭清水さん大阪市90歳
平沼赳夫氏
フォンテヒル日本軍慰霊祭
  

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Posted by kenhagaguam at 15:36

2015年08月06日

戦後70年戦没者慰霊祭のお誘い

 日本は今年終戦から70年、ここ中部太平洋では71年になり時が経つことの早さには感慨深いものがあります。 護国神社の宮司によりますと、散華された場所での祭事が最も御霊のご供養になるそうですが、グアム島は、位置的に諸島のちょうど真ん中にあたります。
戦没者慰霊祭は、かつて我が祖国が存亡の時を迎えた時、これを護持するためにあえて生命の危険を顧みず戦い斃れたご英霊に感謝し、その遺志を引き継ぐための儀式でもある、と私は考えております。このことは見た目に小さな一歩に過ぎませんが、日本的なものがないがしろにされ、崩れ去られる現代において、とても大切な精神の輝きとなって、特に若い世代に伝播するきっかけになるであろう、と信じております。この慰霊祭の目的は正にそこにあります。
 昨年は、厳粛な雰囲気の中にも志の通う有志が集って和気あいあいとしたものがありました。こういう雰囲気の中に入ると我が国も捨てた物ではないな、とそう感じ入ったものです。
 過去の慰霊祭には自民党高市早苗様、山本拓様、当会会長であり次世代の党党首の平沼赳夫様、三宅博様が参加されております。高市様は国会の流れ次第という事、自民党牧原秀樹様、維新の党下地幹郎様、次世代の党からは田沼隆志様、杉田水脈様が参列される予定です。我が国の代表と共にご英霊へ感謝の誠を表し、また地元民犠牲者へ哀悼の誠を捧げます。
 我々在留邦人はグアムで仕事を得、ローカルとの交流もスムーズに進めていますが、思い起こせばこれも全て先人たちの尊い犠牲的精神と戦後祖国復興のために尽力してくれた父母世代のお陰であるといえます。そういう意味も含め、せめて節目の年の1日ぐらいは仕事の手を休め、先人へ感謝の気持ちを表しましょう、という気持ちの慰霊祭です。
 皆様におかれましてはご多忙の最中とは存じます多くの参加者とご一緒に勇気と喜びを感じ、感謝を共有しませんか?

                  記
戦没者慰霊祭日程
2015年9月4日(金曜日)
*午後 地元民犠牲者慰霊祭
ジョニャ村マネンゴンヒル収容所跡追悼碑前
2015年9月5日(土曜日)
*午前 日本軍慰霊祭
アサン地区日本軍師団司令部壕前(高品彪中将戦死地)または、
アサン海岸米軍上陸地点

旅 程
2015年9月3日(木)グアム着
午後 北部の戦跡ツアー
     4日(金)午前 激戦地ツアー・懇談会
          午後 グアム地元民犠牲者慰霊祭
           夜 食事会
     5日(土)午前 日本軍戦没者慰霊祭
          午後 懇談会
     6日(日)帰国


 太平洋戦争戦後70周年記念戦没者慰霊祭実行委員会
 戦争を風化させない会   代 表 芳賀 建介
           世話役代表 木原 利枝
           世 話 役 前河 智治
           事務局長 村岡 修次
              2015,8吉日
 以下は昨年の両慰霊祭のスナップ


 
ローカル受難碑の前で
ローカル慰霊祭での献花
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マンガン山記念碑、安倍総理から献花が届く
高市早苗自民党政調会長と救世教会岡田氏
ローカル主賓、元村長バッククルーツ氏と現村長グマタオタオ氏
靖国神社による祭礼
平沼赳夫氏
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Posted by kenhagaguam at 15:06

2014年05月22日

2015年度グアム戦戦後70周年記念慰霊祭のお知らせ

 グアムに住み着き長くなりました。そしてここでの戦没者慰霊に携わってきてからも長くなりました。
 今年はここ太平洋での戦後が70周年になります。日本は来年が70年となり時が早く経つ事に感慨深いものがあります。私はそこでこの年を節目として太平洋諸島に散華されたご英霊のご慰霊をまとめて行おうと思い立ち計画を建てました。護国神社の宮司によりますと散華された場所での祭事が一番御霊のご供養になるそうです。諸島の真ん中にグアムがあります。
昨年は厳粛な雰囲気の中にも互いに志の通う有志が集っているので和気あいあいとしたものがありました。こういう雰囲気の中に入ると我が国も捨てた物ではないな、とそう感じ入ったものでした。今年は昨年同様高市早苗様、維新の会の平沼赳夫様などなど国会議員が多数参加される予定です。我が国の代表達と共にご英霊へ感謝の誠を表し、また地元民犠牲者へ哀悼の誠を捧げましょう。
 太平洋戦争戦没者慰霊祭は、かつて我が祖国存亡の時を迎えた時、これを護持するためにあえて生命の危険を厭わず顧みず戦いを挑み滅び去ったご英霊のお気持ちに感謝し、その意志を引き継ぐための儀式でもある、と私は考えております。そしてこのことは見た目に小さな一歩に過ぎませんが、日本的なものがないがしろにされ崩れさられる現代においてとても大切な精神の輝きとなって、特に若い世代に伝播するきっかけになるだろうと信じております。この慰霊祭の目的は正にそこにあります。
 もしご都合がよろしければどうか奮ってご参加ください。ご招待します。
 興味がおありの方は詳細を送りますのでご一方ください。
kenhaga@teleguam.net
東京での窓口080−5658−5534(モリス喜美子)
御待ちします。
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昨年度慰霊祭
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昨年度慰霊祭
  

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Posted by kenhagaguam at 16:41

2013年04月04日

グアム島太平洋戦争戦没者慰霊祭へのお誘い

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グアム島太平洋戦争戦没者慰霊祭

事業計画書
主 宰
公益財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会
共 催
グアム戦争を風化させない会

主宰
            団体名 公益財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会
            責任者 代表理事 秋上 眞一
住 所 東京都千代田区五番町2 303号
電 話 03−6268−9037
F A X  03−6268−9038
E M L  bwz20719@nifty.com
H / P  http://homepage3.nifty.com/pwm/

共催
団体名 公益財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会グアム
グアム戦争を風化させない会
責任者 芳賀 健介


グアム島太平洋戦争戦没者慰霊祭

期日 平成25年6月29日ローカル犠牲者慰霊祭
       6月30日日米戦没者慰霊祭

  趣意書

 先の大戦後、未だに放置されている旧日本軍将兵のご遺骨は18,000柱余りと推認されており、埋葬地認定に欠かせない島民の記憶も希薄となっている今日、ご遺骨の母国帰還を願って早期の対応が求められています。
 先の大戦終結後、関係諸国に対し謝罪し、賠償請求に応じ、復興、開発に資する無償援助を含む資金供与、技術援助及び円借款等の施策を講じてきましたが、米領ではあっても、現地島民チャモロ人戦争犠牲者に対する日本政府代表による謝罪表明及び公式慰霊祭が過去行われたことはありません。この犠牲者に対する日本人の心情を行動によって表現することにより、グアム行政当局、島民代表団体、日本総領事館、在留邦人有志等の協力を得て、国会議員を中心とする日本からの式典参加者とグアム島民との友好関係構築に努力し、この人々の関係発展が両国国民相互の融和、尊重、扶助に寄与するよう尽力致します。
 より有意義な結果とするため、この慰霊祭は、島民に根強く意識されているメリッソ村ティンタ虐殺碑、マンガン山強制収用所跡にて実施します。地元教会神父による拝礼と地元民が伝える島歌「起て、汝チャモロよ」を地元合唱団と合唱する機会を造り実施します。これが初日(6月29日=土曜日)の予定。

 さらに日本守備軍が多数戦死した戦場で日本政府代表による公式で公な場所での慰霊式典を予定しております。直接被害を受けた地元民も高齢化が進む中、日本国国会議員を中心に、本趣旨に賛同される方々のご参加を得て、沈黙を保つ英霊を慰撫し、鎮魂、感謝の誠と戦没犠牲者が命じる不再戦の決意をお伝えします。米軍海兵隊主力が強硬上陸し、日本軍守備隊約 12,000 名以上を戦死させた戦場アサン海岸、ニミッツヒルを俯瞰する展望台にて実施するものです。(これが2日目=6月30日日曜日)

 旅程には参加者全員とグアム政府要人多数参加による夕食懇談会があります。思うことを言い合える機会がない今日、リラックスした中での会話をお楽しみください。
この式典を含めた特別企画の「戦跡巡りツアー」はすべて予約制となっていて、参加ご希望の方だけ式典ご招待となります。(6月28〜7月2日) 詳しいことはkenhaga4@gmail.comへ御尋ねください。
  

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Posted by kenhagaguam at 17:47

2011年07月06日

グアム慰霊祭と戦跡清掃のお知らせ

以下はグアムで行われる今後の慰霊祭予定表です。
どなたでもご参加ができますのでご参照ください。

◎7月9日(土曜日)礼装のこと
*内容
マンガン山強制収容所犠牲者慰霊祭
*場所
ジョニャ村
*集合時間
午後4時〜
*集合場所&時間
ハガニャ(SMストアー前)マクドナルド駐車場&3:00


◎7月10日(日曜日)礼装のこと
*内容
ジーゴ村平和寺慰霊
*場所
ジーゴ村
*集合時間
午前9:30
*集合場所&時間
現地(車で慰霊塔まで進入してください)&09:30

同日
*内容
マンギラオ慰霊祭
*場所
マンギラオ村
*集合時間
午前10:30
*集合場所&時間
現地&10:30(ジーゴへ行くので送れる可能性あり)

ランチ(近くの食堂で会食もあり)


○戦跡清掃(午後よりハガニャで)軽装のこと、懐中電灯、軍手の用意
今年から亡くなられた英霊の供養も含め、また気分一掃ということもあって
グアムの戦場や戦跡を一つづつ清掃することに決めました。

*内容
ハガニャ戦跡のごみ拾い
*場所
ハガニャ村
*集合時間
午後1:30
*集合場所&時間
ハガニャ(SMストアー前)マクドナルド駐車場&13:30


◎7月15日(金曜日)礼装のこと、2軒あり
*内容
チュングニアン犠牲者慰霊祭
*場所
ジーゴ村
*集合時間
午前10時
*集合場所&時間
弊社へ&09:00

*内容
メリッソ、犠牲者慰霊
*場所
メリッソ村
*集合時間
午前08:00
*集合場所&時間
ハガニャ(SMストアー前)マクドナルド駐車場&07:00


◎7月20日(水曜日)礼装のこと
*内容
米軍、ローカル合同慰霊祭(米軍主宰)
*場所
アサン村
*集合時間
午前10:00
*集合場所&時間
ハガニャ(SMストアー前)マクドナルド駐車場&09:30


興味のある方、ある日時をお知らせください。
kenhaga@teleguam.net
  

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Posted by kenhagaguam at 18:20

2010年07月26日

「チャモロ人受難碑」(Massacre Site) 哀話

*ブーニースタンプ」では7月31日に以下のメリッソ受難現場を訪問する予定。興味のある方は芳賀宛にご連絡ください。

 65年前の太平洋戦争のエピソードを書いてみたい。有名でありながら実話を知らない人が多いチャモロ人虐殺物語である。有名でありながら実話を知らない、とは、何も理解しないが気分だけは残酷、という「イメージを材料にする」、ということである。戦後になって65年経っても未だにその戦争が「なぜ起こり」「なぜ避けられなかったのか」を学習する人が少ないそうだ。「よくは知らないのだが批判だけはとりあえずしておく」、という風潮に慣れてしまうのがお国柄というのは余りに哀しい。

 ここに紹介するエピソードは地元チャモロ人を集団虐殺のことである。こういう事歴は放置しておくに限る、というのが心ない加害者側の意見にある。しかしここグアムでの事件は、あの南京大虐殺事件のように事実無根の事象とは違って、被害者がかろうじて生き延び当時の警察や住民に訴えていたので証言と史実がある。このようにしてグアムにはわかっているだけで4件の虐殺事件があったのだ。今回はその物語の一部「メリッソ村ティンタ村民虐殺事件」である。事件を書物、生還者からの聞き取り、当時の現場の雰囲気を実際踏査し想像しながら事実に即して書き記したつもりであるが、総て戦時中日本軍に関わる事跡で、今に至るも日本軍側からの正確な記述、反論がないのでありのままに書き記すしかない。
 戦時中とはいえ、実際に起こった事件となればよほど明確に説明しないと一般的に受け入れ難いし、また左翼側から見ると自国日本に対して絶好の批難誹謗の自虐的好餌となる。であるからして筆者はこの事件が誤解を招かぬように事実だけを紹介しておくことにする。
 メリッソ村は南部最南端に位置した漁師町のたたずまいであるが実際は漁を生業としている村ではない。彼方に有名なココス島、周辺には数々の観光史跡をもっているウマタック村と並ぶグアム南部の景勝地である。記録によると戦時中、このメリッソ村の周辺には日本軍海軍警備隊、陸軍1個小隊、第11連隊の小隊分隊、海軍開墾隊、地元日本人合わせて85人前後が駐留し敵兵の上陸に備えて縦横に展開出来るように備えていた、という。しかし「アメリカ軍上陸はどうやら島の中央部、フィリッピン海側に集中しそうだ」、という伝令を受け、彼ら駐留部隊は急遽味方の軍に合流しそこで迎撃することになった。アメリカ軍の上陸が予測される数日前(15〜16日)に僅かの兵隊(民間警察隊という説もある)だけをその村に残し、主力は前線へ向かって駆けだし、残留した僅かの日本人の手によって以下の忌まわしい悲劇が起きたのだった。

 テインタとは地域の呼称である。戦前は肥沃な土地と豊富な河川の水を利用した水田があった。しかし自給自足の必要がなくなった戦後からはずっと手入れをしないままの平地草原となっている。その草原に放牧された牛による牛糞がそこかしこにそのまま落ちたままになっている。人が(行事の時以外は)殆ど行き来しないせいで草ぼうぼう、そして牛の体重で掘られた穴ぼこだらけの草原が彼方へと広がっている。それがティンタ虐殺碑への道なのである。
 やがて小川が道を阻み行き止まりとなりくるぶしほどの水深の川を渡ることになる。そこを過ぎるとあとは殆ど小川に沿って道なりに右手に進んで行くことになる。ここはいわゆる湿地帯で沼地のように足元の安定が非常に悪い。かつて日本人がここへ入植し米の栽培を教えていた、といわれるが、成るほど水田にはもってこいの条件といえる。ここも放牧された牛が野方図に放たれていて、他に生き物らしいものは見当たらない、人気のない広大な大地、荒れ果てたままの広場がその景観のすべてである。湿地のあちらこちらにこんもりと小さな足場があり、そのちいさな足場を足探り?で探り当てながら少しずつ体重を移動していく。時に牛糞があり、それを避けると足が滑ってそのまま膝まで浸かってしまうことになる。振り返ると仲間の誰も彼もが難渋しながら続いている。小柄な年寄りには人が寄り添っているのだが、その付き添い人が足をとられ滑って転んでいる。
 彼方には雄大なシュローダー山が青々とした草原にくるまれて見える。その山の右側にある丘のようなこんもりした山、その彼方の丘上にアティタという平原地帯があって、戦時中日本軍は住民約300名を急遽追い立てるようにしてそこに住まわせていた、という。いわゆる強制収容所である。事件に巻き込まれた住民の一部がこの収容所から現場へと降りて来て災難に遭っている。
 山裾のような一面の平地、湿地帯は戦前までは主に米を生産していたという。乾季にはタピオカを生産していた、というから二毛作である。それらはその昔に日本人によって指導されたもので、従って現在でもその風景は日本の、どこにでもある山村の風景と少しも変わりがない。
 しかし66年前のメリッソは状況が異なっていた。7月の雨季のシーズンはさらに状況が悪く辺り一面、膝迄埋まる沼のような地帯であった。
 あちら側にもっこりした小山があり雑木林が行く手を阻んでいる。その雑木林をさらに進むと竹やぶに包まれた場所にでる。そのあちら側に奇麗に手入れされた墓地がある。これがティンタの受難墓地(Tinta MassacreSite)なのだ。戦時中、島のやや中央南東部にあるマンガン山強制収容所へ移動中の30人の扱いに窮した日本人がこの場所に彼等を集め、そこにある壕内に閉じ込め爆弾を投げ入れて男女合わせて16人を殺害した現場がそれである。
 周辺はきわめて涼やかで、丁度田舎の神社の境内といった雰囲気の場所でとても残虐な行為があったとは想像がつかない。惨事は場所を選ばないのだ。
 既にこの世の人ではないが、その時からくも難を逃れ九死に一生を得た生存者フィリップ・クルーツ氏は当時20才、生前その本人から直接聞いたという氏の実弟、元メリッソ村の市長のイグナシオ・バック・クルーツ(Ignacio Buck S. Cruz)氏の記憶によると・・・。
 クルーツ氏の父親と兄のフィリップ、村の長老達、教員、それに会社員と彼等の家族が混じった村人総勢30人は、その日の早朝(1944年7月15日)から普段は余り通らない畑地(水田)を「避難する」という名目で丘の上の収容所からの移動を命じられた。
 夕闇迫る頃、やがて小高い丘の中腹にある兵站用に作られた壕(小さな丘の斜面を利用したもので壕内は大人の腰ほどの高さ、入り口からややあって右横に曲がって突き当たるL字型であったという。30人の大人と子供がすっぽりと入れた)までくると男達に命じて中にある貯蔵品を取り出させやがて空にする。それから彼等にその中に入る事を命じ、手投げ弾を放り込んで「蓋をした」という。残酷なのはしばらく経ってから扉を開き中の様子を窺ってから再び手投げ弾を投げいれて「確認した」というのである。
 その時間、外は既に夕闇に包まれ始め、またおりから雨が降り出してきたという。かろうじて生き残った被害者達は閉ざされた扉をこじあけると周辺をそっと窺った。日本兵が徘徊していないか確認したのだ。幸い彼等日本兵はおりからの雨を避ける為にその場所から離れた場所で休息していた、という。夕闇と雨による正に天運というべきか、生き残り達は見つからぬように一人ずつ声を殺して闇夜に逃げ出したのだった。
 極限の状況である。理性を失った人間が惹き起こす事件、正に戦争という狂気の成す仕業(しわざ)なのであろう。遺族の一人、父親と親戚を亡くしたクルーツ氏は「我々民間人は日本人に抵抗するでもなく、この壕も掘り労働もし、収穫した食料もその僅かな部分だけ残して全て兵隊に差し出した、それなのに何故無辜(むこ)の人を殺さなければならかったのか?」と声をつまらせて訴えていた。 
 彼の実兄やかろうじて生き延びた14人の生還者達は、歳老いた大人達の懐に包まれるように庇われていたお蔭で「生き残れた」といっていた。奇跡的な生還だが哀しすぎる話だ。
 風聞によると、アメリカ軍を迎え撃つ準備をしていた日本軍は、それに先だって住民が反乱を起こす事態を考慮し、彼等を一カ所に集めて管理する手段をとった。それが後世に伝えられている「強制収容所」で数カ所あったという。
 このメリッソ村もその案件の一つで住民を移動するべくアティタへ一所に集め、さらに彼等を、前に述べたマンガン山強制収容所へ移動させる予定が、何を勘違いしたのか、あるいは恐怖に見舞われてか、ひとかたまりに移動して監視をする、という手間をとらずに(面倒なので)「殺害」という最悪な方法をとったのではないか、といわれている。
 今でも毎年、7月の半ばになると犠牲者の家族達が集まりささやかな法要を執り行っているが、時が長じるにつれてその痛みも僅かずつ変化し、現代人から見た場合、それは過ぎ去りし日々の戦争の1コマの感傷で終わってしまう儀式のように見える。(2004年7月の死去により唯一の奇跡的な生還者は絶えた)しかし既に戦後半世紀を経たからとはいえ「あってはならない行為」を時間に染みつけ、犠牲になった人々の冥福をいついつまでも祈り続けてあげたいものだ、思う。

 例年ここメリッソでは犠牲者の霊を弔う法要を行っている。その中心的役割を担い続けてきたのがクルーツ氏である。当時の犠牲者家族も年老い、彼等の子供、孫が集うセレモニーも年々数が減ってひっそりとした中にも厳粛な空気が漂っている。今年、このメリッソを含めて総ての犠牲者慰霊祭に立ち会った木村善行日本国総領事はその席上で個人の気持ちと断ってから「一人の夫として、一人の娘を持つ一人の父親として、そして、一人の人間として、犠牲になられた方に心より同情とお詫びを申し上げたい気持ちでいっぱいです。」と切々と語った。グアムの外交史上初めて、日本の総領事がそれぞれの場所で犠牲者の前で率直に謝罪した瞬間であった。そしてこの瞬間から被害者遺族に限らず列席した多くのグアムリーダー達、さらに米軍将校達の表情が晴れ渡ったように見えた。戦後のしこり、というか胸のつかえが下りた、と筆者は感じた。これまでビジネスが優先する余り精神的な交流がおろそかになっている、と思っていたからだった。
 余談になるが、木村総領事は各村での慰霊祭の他に、一般住民による戦争の生き残りの人達との交流にも心血を注いでいる。被害者と直接顔を合わせて痛みを労う、というのが目的で、その功あってか彼等決して多くはない生き残りの年寄り達の表情は明るくなんたように感じる。
 メリッソ村の神父(パスタ)が「戦時は混乱と狂気に溢れていて尋常な状態ではなかったであろう。であるから我々は日本兵を許してあげなければならない、と思う。しかし許すが決してこの事件の事は忘れてはならない」と締めくくる。クルーツ氏は「戦争は地獄だ、決して繰り返してはならない」と筆者にそう呟いた。
 クルーツ氏の希望は虐殺現場に慰霊碑を造ることだという。筆者は、慰霊碑は勿論、その現場へつづく参道を敷設してあげたい、と願う。いつの日にか、迷惑をかけた日本人の手によって、犠牲者家族が簡単に慰霊しやすくなるような道、1年を通して歩ける参道をこしらえてあげたいものだ。

*「ティンタへ参道を造ろう!キャンペーン」は地元を中心に広くグアムの村々と日本の有志によって企画されております。ご興味、ご意見のある方はグアム新聞社か芳賀(777−4545)へ直接ご連絡ください。  

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Posted by kenhagaguam at 17:08

2009年11月08日

300名の修学旅行、アリファン山の日本軍

Posted by kenhagaguam at 15:04

2009年07月14日

戦争戦没者慰霊についての独り言

 早いもので、私がグアムに移住して12年が経ちました。
 その時、ジーゴ村にある日本軍戦没者を祀った慰霊塔、「南太平洋戦没者慰霊塔」が汚れていることに端を発してペンキ塗りをすることから、それが慰霊と慰霊塔清掃をすることに発展し、次第に同志が増えてきてこれが年2回の恒例の行事となりました。
 私の希望は慰霊塔での掃除と慰霊を定例化することばかりではありません。同時に
ローカルの犠牲者を慰霊し遺族を慰撫すること、忘れ去られる戦跡や戦場に記念碑やサインを建立すること。それによって戦争の話を語り継ぎ、後の世代に引き継がれることも望みでした。
 そのためにも公式に基金募集を含めて活動できることを願い、それまで一緒に活動
していた同志(服部さん、という工務店の老社長)と語らって更なる同志を含めて法人「ピースリング・グアム」という組織を立ち上げたのです。
 でも折角組織にしておきながら、昨年末に「ピースリング」の仲間達と意見の違いから失望し、止むなく組織を脱会することにしました。
 これまで私個人や「ピースリング」を通じてグアム戦争に興味をもたれた方、また純粋な目的に賛同されて少なからずの喜捨をして下さった方へご報告とお礼を申し上げると共にこのことをご報告させて頂きます。

 人が一途な思いで素敵な目的に向かって邁進していると、必ずどこからかやっかみと嫉妬をする人がでてきます。どのような善行でも強い信念と実行力が伴わなければ「画上の餅」と同じで屁理屈だけでは物事は大成しないものです。しかも奉仕による慰霊行為は大切で尊い行為ですが、残念ながら物事とはそういう形而上的な部分、奇麗ごとだけで推移していくものではなさそうです。そのことが今回の経緯でよくわかりましたし、また不愉快な体験もしました。
「ピースリング」から身をひいても私は少しも変わりません。年2回の慰霊塔清掃は無論のこと、戦跡記念碑や虐殺犠牲者の慰霊塔の建立へ向けてのプロデユースは遅延することなく続けます。
 また慰霊塔掃除はこれまで通り引き続き協力してくれる有志と共に、慰霊塔建立などのプロジェクトは地元のリーダーや住民達と一致団結して完成させるので、どうかご支援をお続けください。今後ともよろしくお願い致します。


【ケン・芳賀とグアム島戦没者慰霊行為と足跡】

1998年:
ジーゴ村南太平洋戦争戦没者慰霊塔、通称「平和寺」の慰霊塔ペンキ塗り替えと掃除を企画し賛同する有志40名と行う。以降年2回の慰霊行事と清掃開始。

2000年:
マンギラオ村「太平洋戦争戦没者慰霊塔」での清掃を併せて開始する。

2002年:
「グアム島戦友会」との接触。清掃奉仕仲間を侮辱されたことから決裂絶縁。

2003年:
慰霊と清掃する集りを「慰霊と清掃の会」から「白雲の会」と命名する。

2005年:
「白雲の会」を自然解散し「ピースリング・グアム」を結成する。副代表。

2006年:「ピースリング・グアム」が非営利法人となる。日本で遺族が中心となり「グアム島戦友会」生還兵有志とで「ピースリング・ジャパン」が結成さる。

2007年:
両団体がジーゴ村に「太平洋戦争最後の戦い」記念碑を建立。

2008年:
両団体が中心となってアガット村に「アガット上陸戦戦没者慰霊碑」を建立する。民間が初めて建立した記念碑。靖国神社から坂禰宜、田中式典長が来島し式典を主宰する。
意見の相違から同会から離脱する。

2008年:
11月有志による慰霊塔清掃を再開する。
  

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Posted by kenhagaguam at 18:59

2009年07月13日

太平洋戦争慰霊行事

 今月は太平洋戦争に拘る慰霊行事が目白押しです。第二週だけで5つの慰霊祭が連日続きます。もし機会があればそのどれか一つに参加しませんか?
 すべて大戦中、日本軍(あるいは日本人)が惹き起こした虐殺事件ですが、65年も経った今日、それはむごたらしい陰惨な事件というイメージがなくなり、穏やかで荘厳に満ちた、そして勿論悲しみが漂う慰霊祭に変わってきています。こういう慰霊祭に日本人として参加するのは勇気と労りの気持ちがいります。彼等の痛みを共に分ちあおう、という気持ちがいります。そしてそのような気分で参加した後、何か大切なことを成し遂げたような「さわやか」な涼風が心の中を通り抜けます。そういう時にグアムに居て歴史に参加する意義を感じることができます。

7月
 14日 米軍上陸記念&慰霊祭
 15日 メリッソ村チャモロ人虐殺現場での慰霊祭
 16日 同村で慰霊式典
 17日 ジーゴ村チャモロ人虐殺現場での慰霊祭
 18日 アガット村チャモロ人虐殺現場での慰霊祭

お問い合わせは647−0280、777−4545へどうぞ。
  

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Posted by kenhagaguam at 13:22

2008年10月30日

Today’s PDN newspaper

fa6b5fca.jpg川崎高校平和学習の新聞記事。
「Japan students look to the past」
Copyright © Guam PDN, All Rights Reserved.

※画像をクリックすると、拡大した新聞記事が表示されます。  

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Posted by kenhagaguam at 12:31

2008年05月22日

We don't forget, but we forgive them

http://www.guampdn.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/200805190400/NEWS01/805190313


左:海側から/右:除幕
1海側から 2除幕


左:祭文/右:式典
3祭文 4式典


左:カプセル準備/右:合唱団
5カプセル準備 6合唱団


服部さん
7服部さん  

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Posted by kenhagaguam at 16:03

「アガット慰霊碑」日本語記事

5月14日共同通信社海外部より。

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 「アガット慰霊碑」の日本語記事を今朝がた配信しました。きょう14日付け夕刊用で、写真は以前に頂戴した建設中のものを配信しました。下記にお送りしますのでご査収ください。

 首都圏での共同通信の主な配信先は「日経」「産経」「東京新聞」「神奈川新聞」「埼玉新聞」「千葉日報」があります。このほかこういう社会面の話題はスポーツ新聞各紙にも送っています。多くの新聞が掲載してくれることを期待します。

取り急ぎご連絡まで。

*****

グアムに平和団体が慰霊碑/日米で多数の戦死者
 
米グアムで太平洋戦争中、日米双方に多くの戦死者を出した歴史を語り継ごうと、現
地の日本人有志でつくる平和団体「ピースリング・オブ・グアム」が激戦地の一つ、
アガット村の海岸に慰霊碑を建立、十八日に除幕式が行われる。
 
グアムは一九四一年から日本軍が占領。四四年七月、奪還を目指す米軍と戦闘となり
、日米で約二万人が死亡。先住民のチャモロ人も約七百人が犠牲になったとされる。

慰霊碑はこげ茶色の大理石で、高さ一・七メートル、幅二・四メートル。終戦後二十
六年あまりグアム島のジャングルで生き延びた元日本兵・故横井庄一(よこい・しょ
ういち)さんが生前に書いた「和」の文字が中央に大きく彫り込まれ、チャモロ人の
言葉で「平和がすべて」とも記される。

ピースリング・オブ・グアム副会長の芳賀健介(はが・けんすけ)さん(59)は「
多くの人に慰霊碑を訪れてもらい、日米だけでなく先住民も巻き込まれた歴史の痛み
を分かち合ってほしい」と話している。

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Posted by kenhagaguam at 15:32

2007年10月30日

284名が残した平和のリング

 去る10月24日小雨降りしきるグアム島を神奈川県立大原高校の生徒284名が「グアム島平和学習」でかつての戦場を慰霊して歩きました。これで2度目です。最初の訪問地「アガット」という戦場は横井庄一元伍長が闘っていた場所。グアムの法務長官、セネター(議員)、メイヤー(村長)が284名の生徒を前に訪問を感謝する言葉を述べると生徒側はお返しにチャモロ人の国家「ファギノ・チャモール(汝チャモロ人よ)」を合唱します。特別な儀式でもない限り戦場にグアムの政治家が来る事はないし、またかつての敵側に感謝の辞を述べることも初めて、さらに日本人の集団が地元の国家を戦場で歌うということも初めて、すべて初めてづくしの中で皆さんそれぞれが違った思いで感動していました。

 その後は戦前日本人が大砲敷設の目的で使役しその後に島民を虐殺した、メリッソ村にある「ファハ」の丘で慰霊をしました。長年にわたってグアム観光に携ってきた74歳のアンピンゴさんと、その現場で虐殺された元メイヤーの75歳のクルーツさん、現メイヤーが揃って「グアムで初めて学生集団がファハ慰霊に来た」ことに礼をいうと、生徒達は先ほどのようにグアム国家を合唱。今度はアンピンゴさんが戦前に教わったという「君が代」を斉唱すると生徒達がにわかに唱和して全員が感無量となりました。感激して涙まみれになったクルーツさんは「これで亡くなった父や兄の霊も静まるでしょう。私もようやく怒りの気持ちがなくなった。」といい、学校の先生は「これまでうちの生徒がこんなに真摯な気持ちで人の話を聞いているのを見た事がない、見直しました。」と感動していました。

 平和学習とは「そこで何が起こったのか」、という史実だけではなく、「人々はいかにして融和していけるか」ということをも合わせて学ぶこと、だということを知りました。いやあいい体験でありました。


なにしろ284名である
ohara1.jpg

アガットで法務長官、市長、議員
ohara2.jpg

アガットで挨拶
ohara3.jpg

あちら側に服部さんがいる
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国家を歌う
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Posted by kenhagaguam at 22:53

2006年11月08日

慰霊祭のお知らせ

ピースリンググアムからのお知らせです

 定例の年2回のグアム島戦没者慰霊塔の清掃と慰霊を来る11月12日(日曜日)に行います。
会員の方は勿論の事、会員以外の方も奮ってご参加ください。
なお、日本から同会(遺族会)の会員もご来島されまして前日に顔合わせ懇談パーティも予定しております。
同会の理事の他、ローカルの名誉理事ほか、有志多数も参加する予定です。そちらも是非ご参加ください。


     記

日時:11月11日(土)
    午後6時半・圓山中華レストランにて会食
    (グランドプラザホテル)

   11月12日(日)
    午前10時・ジーゴ、南太平洋戦没者慰霊塔に集合し清掃
    午前11時半・ジーゴ最後の戦場跡にて慰霊
    午前12時半・マンギラオ慰霊塔にて清掃と供養
    午後2時・同地にてランチ
    午後3時・全員でアサン展望台へ移動し慰霊
    現地解散
    午後6時半・会食と懇談

   11月13日(月)
    午前10時・ニミッツヒルの日本軍洞窟跡探検と慰霊
    参加希望者のみ

費用:11日パーティ会費1人$17(アルコールはつかない)
   12日ランチ$5(持参される人は別途)

備品:掃除道具はありますが、着替えのシャツ、軍手などはご持参ください



詳しい事、ご希望の方は以下へお問い合わせください。

芳賀:777−4545、飯塚:688−9070、坂元:687−3420、服部:687−2313  

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Posted by kenhagaguam at 17:28

2006年10月19日

集団慰霊の報告

神奈川県立大原高校生によるグアム島戦没者慰霊と犠牲者慰霊の報告

753a2f10.jpg 昨日10月18日、250名の生徒と15名の先生方総勢260余名をお連れしてアサン戦場跡展望台とティンタ地元民虐殺現場の碑をご案内しました。どちらもグアム島観光始まって以来集団で慰霊をしたわけです。
アサンでは祖国の為に生命を 抛って闘い戦死した勇敢な日本兵の御霊を慰霊し、ここで学生達が大声で「ふるさと」を合唱しました。合唱はもちろん、集団で慰霊合掌したのも初めてで 感動的でした。
ティンタでは地元の市長始め、アンピンゴ代議士、ピースリンググアム高木会長、ピースリンググアムの理事数名が待ち受け彼らを迎えまし た。簡単な紹介と挨拶が終わった後に会員のバート・アンピンゴ氏から特製のグアムマップ、ピースリンググアムからは参加バッジが贈呈されました。
生徒達はお返しにグアム国家をチャモロ語で合唱し居合わせた人々を驚かせまし た。
その後、ティンタ詣りはおりからの雨上がりで地面が予想通りにぬかるみ 大変なおもいで慰霊碑にたどり着き、ここでもアサン同様に千羽鶴と生徒達による焼き物などが添えられました。ここでもグアム国家をチャモロ語で唄い実に印象的かつ有意義な慰霊となりました。以下は地元の新聞に掲載されたものです。

 因にこの高校生徒は終始真面目で素直で率直で好感を持てました。流石は県立高校であります。
観光とはただばか騒ぎにくる事だけではなく何か意味のある目的を持っておくことがこれからの観光案内に必要だな、と感じました。


集団慰霊 集団慰霊  

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Posted by kenhagaguam at 23:26

2006年10月08日

グアムの近況です グアム島始まって以来の高校生による集団慰霊団のはなし

 1944年7月21日未明に始まったグアムにおける太平洋戦争上陸戦は米軍兵士約55,000人に対し日本軍兵士約20,000人が抵抗し、およそ7%以下の生存率しかなかったという、まさに激戦地であったのです。

 戦後62年。観光地として再生したグアム島は年間90万人の日本人観光客(全体の90%)によって潤いをもってはいますが、その殆どの観光客は前の戦争の事を知りません。

今回、地元の日本人有志による非営利法人団体「ピースリング・グアム」の有志の先導によりグアム島(日本でも)始まって以来、日本の高校生250名(神奈川県立大原高校)という大規模な集団による慰霊が来る10月18日に敢行されます。

 この慰霊は前の大戦で亡くなった兵士を慰霊するだけではなく、この戦争の巻き添えとなって亡くなった現地チャモロ人の慰霊供養が専らとなります。前の戦争ではおよそ700名近くの現地人が戦争犠牲者になっていると伝えられていますが中でも30名近くの大量虐殺現場として遺されているのがメリッソ村(現在住民2500人足らず)のティンタとファハの受難現場です。その中のティンタ受難碑は草深い寧土と小川を歩き、さらに竹の茂った丘の中程にある食料用貯蔵庫。ほとんど埋もれたその場所には現在地元の人が建てた記念碑が建っていて、周囲はうっそうとして訪れる人は少ないのです。

 1944年7月16日の夕刻時、集団移動を強制しているさ中、何を考えたのか、村の住民老若男女の40名近くを連行していた日本人の数人が、現場にあった食料壕の中へ押し込め手榴弾を投げ入れて殺害しました。この地獄の現場からかろうじて生き残った子供数人によってこの事件が知らされ今日まで伝聞されています。

 この事件を知り、この現場を発見した私は以来、同志を伴い年に数回慰霊を続けていましたが、この現場と事件を知っている日本人は数えるほどしかおりません。

 今回のこの集団慰霊の目的は、62年前から続く住民の哀しみを労り、その事実を確認しその霊を供養する行為によって戦争のもたらした悲惨さを学習しよう、というものです。

 おりから来年度から始まる沖縄海兵隊の集団移転問題にかんがみて、日本人がグアム島人に与える新たな問題と合わせて、日本人が海外に対するあり方を学ぶ機会を得る事になるのではないか、と期待すると共に、覚えなくして犠牲になった外国人への慰霊という大切な行為は地元住民の共感を得るものと察します。

 これを企画した学校と学生諸君を褒めてあげて下されば幸いです。  

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Posted by kenhagaguam at 18:15

2006年04月07日

ピースリンググアムの記事です(Peace ring of Guam report)

 グアムに太平洋戦争の歴史を私達在住日本人の手で検証し記念碑を建立する試みの第一弾です。
pr040701.jpgセネター、アンピンゴ、アグオン氏や各村から代表が集いました。
また前日には副知事が参列されました。
余りに立派な除幕式の為にみなさん驚かれましたが、同時に我々の意気込みに感動もされておりました。
記念碑は日本人の側からみた戦争実記です。

ケン・芳賀/Ken Haga

http://www.guampdn.com/apps/pbcs.dll/article?AID=2006603270304


pr040702.jpg

除幕式
除幕式pr040703.jpg

献花
献花pr040704_kenka.jpg

新聞
新聞pr040705_shinbun.jpg

パンフレット Cover & Inside
pr040706_cover.jpg pr040707_inside.jpg


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【追記】
ピースリンググアム地元の新聞掲載
今朝の新聞です

http://www.guampdn.com/guampublishing/lifestyle/2006/0407/islandstyle.htm  

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Posted by kenhagaguam at 04:00Comments(0)TrackBack(0)

2006年03月06日

慰霊塔清掃と慰霊碑除幕式のご案内(ピースリング・グアム)

 「ピースリング・グアム」年2回の行事「慰霊塔のおそうじ」を来る3月26日(日)に予定しております。

 今回はジーゴ、マンギラオの慰霊塔清掃の他に、アンダーソン空軍基地バックゲート近くの“太平洋戦争最後の激戦地“ に建設される戦没者慰霊碑の序幕式も執り行う予定です。
この慰霊碑は「ピースリング・グアム」と「ピースリング・グアム/ジャパン」(戦争遺児会で構成)が合同で建設するもので、この場所では約千名の日本兵が戦没しております。

 尚、遺児会より17名が来島予定です。
是非多くの皆様のご参加を期待しております。










DAY&DATE: SUNDAY, MARCH 26, 2006
TIME: 10:00 ジーゴ平和寺 清掃開始
11:30 空軍基地バックゲートに移動
12:00 慰霊碑除幕式
12:30 軽食
14:00 マンギラオに移動、慰霊塔の清掃
15:00 解散


詳しくは高木(475-4373),芳賀(647-0280),坂元(477-9754),服部(687-2313),飯塚(688-9070),櫛間(789-2261),薫(475-5867),若葉(646-3884)まで。

尚、軍手と雑巾は各自ご持参下さい。

以上
  

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ピースリング・オブ・グアムについて

特定法人
ピースリング・オブ・グアム

http://blogs.yahoo.co.jp/peace_ring_guam/


【特定法人/ピースリング・オブ・グアム賛助会ご入会のお願い】

「ピースリング・オブ・グアム」の主たる事業目的とは以下の通りです。

◎ 当会の歩み
「ピースリング・オブ・グアム」は1998年10月、ジーゴの「南太平洋戦没者慰霊塔」の清掃と供養をする事から始まりました。
その後マンギラオの慰霊塔を含めて年2回の定例清掃会を催し、これが2004年10月有志8名によって正式に組織化し、200年11月に法人「ピースリング・オブ・グアム」として政府から認可を受けました。

◎ 当会の目的
ピースリング・オブ・グアムは前の太平洋戦争(グアム)において戦没された方々を慰霊する事業を中心に、その慰霊碑の清掃と供養、戦没せられし戦場へ慰霊記念碑の建立、戦争に関わった地元民との戦跡共同事業と親睦、日本のグアム戦争遺児および遺族との親睦と事業協力、等々広く社会福祉の増進に寄与する事を目的とします。

◎ 当会の事業
目的を達成するために以下の事業を行う

* グアムにおける太平洋戦争戦没者の慰霊に関する事業(定例慰霊碑清掃と慰霊、戦場跡記念碑建立、メリッソ受難碑参道施設、ほか)

* 同上戦没者と遺族、地元民の被害、生存兵士の記録および名簿作成に関する事業

* 同上戦没者と遺族、会員を含む地元民、生存兵士との友好と親睦を積極的に発展させていく事業(戦跡巡りツアー、生存兵士による懇談、地元民との親睦パーティ、など)

* 機関誌とホームページの発行と改訂

* 目的達成に必要な事業


当会の趣旨にご賛同され、当会の活動をご支援ご協力、さらには運営に関しての適切なご助言、ご指導を頂くためにご入会をお願いしております。ご一緒に汗を流しませんか?


















会 費: 年間一口 個人$20(\3,000)、法人$100(\10,000)
機関誌: 慰霊碑清掃と供養の日、訪問者と共催する慰霊祭の催し、事業実施などその都度「会報」にてお知らせします。
申込先: 会事務局、日本事務局、および各理事へ入会をお申し出下さい。
入会用紙にお名前などをご記入頂き、下記へ郵送あるいは各理事へ直接お渡し下さい。
会費お振込方法については別途ご連絡申し上げます。
お問い合わせ先: Peace Ring of Guam #205 1024 Pale San Vitores Road.
Tumon Guam 96931 Tel#647-0281 Fax#647-0283

(日本の場合)〒115-0055 東京都北区赤羽西6-38-3-103 内藤寿美子方
電話&FAX: 03-3905-0880
  

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2005年10月03日

クリスマスキャロリン・ストリートコンサート

d2daee6b.jpg 毎年12月のクリスマスシーズンになるとグアムの町々からクリスマスソングが聞こえて参ります。
 バスの車中から、
 ホテルロビーから、
 そしてショッピングセンターから

 人々の明るい笑い声と共に愛情溢れたクリスマスソングが流れます。

 今年も12月21日から23日までの3日間、午後4時〜7時までグアムの町中であの【クリスマスキャロリン・ストリートコンサート】が開かれます。


【クリスマスキャロリン・ストリートコンサート】とは
 グアムには文化的なイベントが有りませんでした。
ツーリストと合体して楽しめるイベントもありませんでした。

 このシーズンになると閑散とした雰囲気に失望するツーリスト達に、1998年の暮れからローカルの明るい歌声を聞かせて一緒にエンジョイしよう、という目的で始めました。

 今では教会、学校、アマチュアなどのグループが沢山参加して人前で唄う事を楽しんで
います。因に昨年の参加者は日本からの高校グループも含めて約500名で27団体でした。

 ローカルの人達が1年中でこの期間だけツーリストと一緒にイベントが楽しめるローカル発信の唯一恒例の催しです。
これまで7年間に延べ25団体2.500人が参加しております。
あの2001年9月11日テロ事件があった年末や、史上最大の台風「ポンソナ」が来襲(2002年12月8日)した時も、被災者や救援部隊を慰問する為に一度としてイベントを中断した事はありません。


【クリスマスキャロリン・ストリートコンサート】はどんなイベント?
 毎夕異なった場所に集合し、予め決められたバスに他のグループと一緒に乗り込みます。
それからホテルロビーやショッピングセンターで各グループが順々にクリスマスソングを唄います。
その後はまたバスに乗り込んで次の目的地へ行き、そこで唄い、またバスに載って移動します。
そうして最後は最初の集合場所に参加者全員が合流し、そこで大合唱をするのです。


【クリスマスキャロリン・ストリートコンサート】への参加は?
 誰でも自由に参加できます。3〜5人のアマチュアでも構いません。参加料は無料です。
条件は皆さん揃いの格好をしている事。歌う曲目は1曲で構いません。
また、運営組織はボランティアによります。


【クリスマスキャロリン・ストリートコンサート】の運営は
 ボランティアによって運営されています。従って商業的なものはありません。
ただこれを支援、後援する企業による皆さんへのプレゼントがあります。
このイベントに参加したグループにはお礼としてT-シャツ、ソフトドリンク、菓子類など色々な商品が企業によって提供されます。


【クリスマスキャロリン・ストリートコンサート】を支援しているのは
 知事、副知事、複数のセネター、各村の村長を始めとして、資金援助はグアム政府観光局、JAL、COCACOLAを始め、学校、教会、等様々の機関と多くの店、ホテルが協賛しております。


 グアムに地元の人々による心に残るイベントが定着しつつあります。
遊びながら文化交流をしましょう。大きな目的の為にご一緒に小さな一歩を進めませんか?
 

<クリスマスキャロリン・ストリートコンサート実行委員会>
委員長:ケン・芳賀
U.S.Explore & Study, Inc.
電話:1-671-647-0281  

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平和の輪「ピースリング・グアム」

「ピースリング・グアム」は
 1998年、地元在住日本人有志による太平洋戦争戦没者慰霊塔を清掃し同時に供養する事を目的に始め、やがて2004年10月に正式に「ピースリング・グアム」として結成発足された任意の親睦団体です。

「ピースリング・グアム」は
 地元在住日本人有志の他、戦争に関わりのある遺児並びに関係者、グアム戦争体験者によって連携共同して慰霊行事を行います。
 さらには地元住民と平和の輪(ピースリング)を結び(リンク)、大戦中に起きた地元住民との不幸な出来事を直視し、共同で慰霊に関わる作業を通じて恒久的な信頼の絆を深めて参ります。

「ピースリング・グアム」の目的は
 年2回ジーゴとマンギラオに在る慰霊塔を清掃し供養する活動を専らとし、こうした活動を通じて我々日本人に関わりの深いグアム島での戦争とその遺跡を後世に正確に伝える事を主軸にし、加えて、未だ戦争の傷跡が癒えぬ地元住民に対して共同で、なにがしかの貢献をすることによって、真の意味での融和と協調、共生していく事を目的としております。
 
「ピースリング・グアム」は何をするのか?
 定例の慰霊塔を清掃し供養をする事の他に、必要に応じて、会が協力する事によって成し遂げる事が可能な前の戦争に関わる案件、たとえば、激戦地跡地への慰霊碑と説明版の建立と敷設、メリッソ村内のティンタとファファにある地元民受難碑までへの参道を布設する「ティンタとファファ受難碑参道施設」などを計画しております。
 また、メンバーによる戦場戦跡ツアーを順次敢行して往時の軌跡を散策します。
 
「ピースリング・グアム」の創立メンバー




























(会 長) 高木秀暢:(株)タカギアソシエーション(保険会社)社長、日本人会会長
(副会長&広報) 芳賀健介:(株)ユーエスエクスプロアー&スタデイ(出版社)社長
飯塚保:(株)イイズカ(レストラン)オーナー
(総 務) 坂元吉裕:(株)ナンボーインシュランス(保険会社)副社長
服部 章:(株)HOコーポレーション(工務店)社長
(書 記) 櫛間嘉代子:(株)近畿ツーリスト(旅行社)第一秘書
間 かおる:(株)スカイダイビング(オプショナルツアー)支店長
(会 計) タイタノ・若葉:(株)デロイトトーシュ(会計事務所)社長
(無 役) アンソニー・アンピンゴ:グアム上院議員、観光庁長官、米軍折衝長官
松本平太郎:日本代表
(以上敬称略)


連絡先
住所:Peace Rings c/o ken haga, # 205 1024 San Vitres Road FRNT, Tumon Guam 96931
電話:1-671-647-0280, 1-671-777-4545  

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