2011年04月18日

グアム秘境紀行 その40:グアムの竜宮城発見、ダブルリーフビーチ(Double Reef Beach)

 浜辺から僅か50メートル余り、水の透明度が高く、シュノーケルさえあれば誰でも楽しめる。水深およそ5〜7メートル、水底から枝サンゴの細部まで良く見えるのがダブルリーフである。
 ツーリストの多くはグアム観光といって連想するのが青い海と青い空であるが、海には約800種類もの魚が棲んでいることを知らない。話題の「魚クン」が遊びにきてその種類の豊富さと美しさにギョギョとなったのはつい最近のことである。ダブルリーフとはすなわちサンゴ棚が二重に重なっている状態のことをいう。つまりそれだけ魚が多く繁殖している、ということになるのだ。大きさも抜群で、これまでちまちました熱帯魚しか見ていない私にとってそれは正に驚異の光景、ギョギョギョである。この魚の群れを漁師が見たらヨダレが出るに違いないが金銭で計る事の出来ない価値ある自然の宝庫であり、グアムにとっても貴重な環境なのである。
 ダブルリーフビーチはグアム島北部にある海軍交信局の基地内を通過する。従って米軍の機嫌がいい時でしか入れない。機嫌がいいのは許可を得ることが出来る場合のことで、殆どの場合は許可が降りない。実に不愉快な話だが、グアムは領土であって独立州ではない。それに軍事基地が景観といい歴史的価値といい大切な場所を占めている。従って一般人は立ち入れない。皮肉な話になるが、グアム周辺の海岸といいリーフといい、形容しがたい程心を奪われる場所が随所にある。そのもっとも一般人にお見せした場所がほとんどといっていいほど米軍の敷地内になるのは、それこそ竜宮城の独り占めのようなものだ。このことは是非、読者に知って頂きたい。チャモロ人は、自分の産まれ育った島でありながら極端にいえば一生、その素晴らしい祖国の景観と歴史を目の辺りにすることができない、という悲劇に包まれている、ということ。我々日本人は仕合せなことに、というか幸運なことにそういう悲劇がない分だけありがたい。互いに戦争を経ておきながらこういう現実があるのをどのように表現していいのか苦しい限りだ。
 その基地内を進み、いい所で下車し、そこからは腰まで高い雑草で覆われた場所を歩く。ガイドがいないと完全に迷う。坂下まで車輪跡がくっきりと残っておりそれがずっと続いている。道中には「ヘビ捕獲」罠があったり、ノニの木があって実が鈴なりになっていたりして話題にこと欠かない。
 余談だが、グアムには元々ヘビはいなかった。戦中から戦後にかけて、アメリカ軍が兵舎などの倉庫を設営するのが目的で、東南アジア辺りから資材を運搬している最中、褐色のブラウン・ツリー・スネークが資材と一緒に入り込んだ、といわれている。天敵の居ないこの島で異常繁殖をしている。グアムに鳥の数が少ないのはその所為である。だ、日中このブラウン・ツリー・スネークを見かける事はまず無い。夜行性の生き物であるからだ。であるからヘビを苦手とする人でも安心してジャングルを徘徊できる。因にこのヘビは無毒である。

 なだらかな坂道をおよそ30分歩くと狭い広場があり、そこから腰の高さほどの雑草をかき分けて急な崖を降りる。道々に枯れ葉が重なりそれがクッションになり、歩くとサラサラと音がし、秋の日本の森林を思い出す。そのジャングルをだらだらと歩く。
 やがてグアムに僅かしか無い天然の淡水プールに出くわす。プールといっても水飲み場程度の規模で、ライムストーンに囲まれた天然の井戸の底に水が溜まっている。昔はここで多くのチャモロ人達が『休息をし、談笑した』、という説がある。日本兵の目を逃れながら此所へ辿り着いた米軍の通信兵ジョージ・R・ツィードもこの場所で飲み水の補給をしたという。彼の名前を冠した有名なツィードの洞窟(ツィードケーブ)はこの少し先にある。
 そこから先は雨水にさらされたトゲのように鋭利にささくれだったライムストーンの岩場の上を用心しながら歩く事になる。複雑な道順だったり道幅が狭かったりしていて足元に気をつけてばかりいると先頭グループを見失いそうになる。戦争中にはチャモロ人を始め、アメリカ兵、日本兵が逃げたり隠れたりしていたそうだが、通いなれない限り錯覚しそうな要所が随所にあって、それ程見つけにくく見つかりにくい道中なのである。ライムストーンの岩が途切れた辺りからかすかに潮騒が聞こえ始め、やがて末広がりに開いた海岸に出る。
 物音一つしない浜辺に張り出して伸びる南洋樹、マングローブの枝、彼方に立ちはだかる岩の壁と打ち寄せる波、その采配の妙に思わず歓声が挙がる。これまでの難儀な歩行から解放されて思わず出る歓声だ。実際、この海岸はジャングルの中に海が突き出ているような感じでなんとなく野生に引き戻されたような気がする。それにビーチは白く美しく渚に寄せる海水まで透けて見え、何処までが砂浜で何処からが海なのか見分けがつかない。
 ダブルリーフとは海岸側から見てサンゴ棚が海洋に向かって二段になっている状態を指す。実際、このサンゴ棚とサンゴ棚の継ぎ目にだだ広い裂け目のような海底があり、上から眺めるとそこだけコバルトブルーに変色しているのが見える。そしてこの部分こそが前述した、海底の神秘が存分に楽しめる所なのだ。
 このダブルリーフビーチは泳ぐ魚群と無数のサンゴ林からなる共生と景観が魅力で正にそれに尽きる。幅50m程の遠浅の海のあちら側に大きく裂けたような割れ目があり、そこだけ海底が深く砂が白い。そしてこのコバルトブルーに変色している割れ目までの間、深さにして僅か50cm程の間に実に沢山の彩り豊かな魚が遊泳している。
 「いそぎんちゃく」と「くまのみ」が共生している樣がよく見える。テレビでよく見るあの「くまのみ」が目のあたりでひらひらと泳いでいる。しかしこのクマノミは大人の拳程の大きさがある。よく観察していると掌大のシャコ貝が口を開けている。また、紫や青色の大ひとでがここかしこに見えて美しい。こんな浅瀬でこれ程多くの生物を観察出来るとは予想しなかった。贅沢の極みである。
 いよいよ珊瑚の割れ目の中に侵入する。なんという素晴らしい景観だろう。枝サンゴの一つ一つが完全な形で小山を築き、さらに珍しいサンゴがここかしこに居流れている。中には事務机4個分以上程もある球状のサンゴがあり、そこにはカスミ鰺やメガネモノ魚、ハナアイゴ等の大型の魚が群れながらゆったりと互いがまとわりつくように泳いでいる。海底は白砂で海面に泳いで作る波紋がゆったりと輪状に広がっていくのが映って見え、それが私を追い掛ける。
 広い海中をシュノーケルのままゆっくりと泳ぐ。チョウチョウウオやツノダシ、クロハギの大きいのが滑るようにして海底を泳ぐ。ハコフグやスズメダイが群れながらサンゴの中を出たり入ったりして遊んでいる。透明度が良いので地表にうごめくヒラメが手に取るように見える。竜宮城か大型水族館の水槽の中を遊泳しているような錯覚と興奮を覚えてくる。正にグアムの海の素晴らしい所を集約したような場所だ。


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Posted by kenhagaguam at 19:31

2011年01月10日

グアム秘境紀行 その39:南部でユニークな景観とユニークな滝、フィンタサ&ラオラオ・フォールズ(Fintasa & Laolao Falls)

 グアムに長年住んでいるローカル(長年住む、というのはおかしな表現である。地元の人というべきか)ですら、見た事も聞いた事もない景観や秘境が直ぐ傍にあることを知らない。灯台下暗しというのがそれで、よく言い当てている。でるから当然のことながら、ツーリストにとってグアムは未開の地であり、想像を超える程に魅力溢れたグアムの本当の姿を見る機会がないのだ。
 たとえば、ここで紹介するイナラハンの砂丘と滝のことなどは、地理的に突き止めるのはちょっと難解な場所だが、一度その場に足を踏み入れると景観に仰天し、一生忘れることができない秘境となるのだ。

 筆者がこの秘境を最初に訪れた時、そこがグアム島内に在ることが意外であり、軽い衝撃を受けたものだ。赤茶けた延々と続く砂漠、上部に緑の葉を見せるサボテンのような木々、そしてどこまでも続く真っ青なスカイ・・・これほど映像的に適した所があるなど誰が想像できたであろうか。眼前180度に広がる大パノラマに、不思議の世界がそのまま在るのだった。
 その場所へ辿り着くのには、いくつかの試練をパスしなければならない。背の高いソードグラスがしがみついたジャングルを、殆ど勘を頼りに上がったり下ったりしながら序々に坂を登って行くと、広い荒原に出る。その葉っぱのヘリがシャープなので身体中が切れる。覆い被さるように茂ったソードグラスの林を全身を使いながら通り抜けるだけで大変な思いをする。であるからジャングルを抜け出るとホッとすると同時に急に疲れが襲ってくる。ここで一息いれる。
 休憩しながらグアムの南部を内側から臨む。広い丘陵の彼方にパパイヤを栽培している農地栽培が見える。こなたは見渡す限り荒原のジャングルだ。荒原は背の高いソードグラスそのもので風に穂がなびいて美しい。気がつくと足元は乾燥した真っ赤な大地、雨が降ると川になるのであろうか、ここかしこに大きくえぐれた窪みがずっと下方まで続いている。時は乾季、従って大地が完全に乾ききり、草々も乾燥している。
 さらに坂を登っていく、大きな丘を登るという感じだ。やがて乾燥地帯特有のざらついた道に出る。ここにも激しい雨の流れによって出来た細い川と窪みがここかしこにあり、時々道を間違えそうになる。確信を持たずにただ勘だけを頼りに、茫漠と続く砂漠の中を漠然とただ歩く、というのは危険なことなのだ。道がないので楽な地形の上を歩いていると、いつしかジャングルへ迷い込む。であるから、歩いてきた道を何度も繰り返して見返る。こうすると迷わない気がするからだ。
 ゆっくり辺りを見渡すと彼方の緑豊かな山々とは対象に、こちら側は南部地区特有の赤土高原になっている。それこそ何もない砂漠地帯になだらかな丘陵が延々と続く。そしてその真っ赤な大地には、小高い丘状の台地のような小山がここかしこに、もっこりとある。これはなんと表現すればいいのであろうか、全く予想できない超異次元の世界がそこに存在しているのだ。
 だだ広い高原のあちら側に、横幅にして30m高さ15m程の大きな丼鉢を伏せたような台地が直ぐ目に付く。その台地は周辺の雰囲気を象徴して、乾き切った赤い山になっていて感動的でもある。これはなんと表現したらよいものか、これがグアムなのか、ホテルロードで呑気にショッピングしていては想像ができないグアムの大自然、この島の歴史的風景なのである。
  仲間達が一斉にこの山目指して駆け上がる。大人は子供のように歓声を挙げ、子供はてっぺんから滑り降りてくる。遊園地にある人工的な緑の小山と違って本物の遊び場、本物の醍醐味といっていいだろう。本物の迫力は、理知的で合理的にこしらえた遊戯場とは較べようがないぐらいに奥が深い。だから硬い台地を相手に色々な遊び方が工夫出来る。ここで休憩して後、フィンタサリバーへ向う。
 小山の前を横切ってさらに進むと細い水の流れがあって、そこを辿って行くとフィンタサリバーのサラサラ流れる川音が心地よく聞こえてくる。その川を下流に向かって歩くとフィンタサダムに突き当たる。1920年代に完成されたというから大正時代の造形物だ。3m四方もない川のせき止め用のダムがコンクリートで立派に構築されており、当時の水道管がドカンと横たわり、あちら側には横幅5m足らずのフィンタサ滝が隆々と川水を落としている。この川のあちらとこちらを鉄橋で結んでいるのだが、その長さは5mほどで半壊されているが往時にはかなり見栄えの良い橋であったであろうことが想像できる。橋の骨格が綺麗に遺っているのでその上を歩くのが勿体ない気がしてくる。誰かがこれは少なくとも第一次世界大戦頃の「ものであろう」と遠き昔を偲ぶような目つきで語る。
 滝つぼへはそのまま滝を下る方法と、滝横の崖をロープを使って降りる方法がある。その滝つぼの周辺は平たい岩場になっていて絶え間なく滝水が落ち続けマイナスイオンを辺り一面にまき散らしている。滝つぼの周囲はおよそ7m弱であまり深くはないが水苔がはり付いていて滑りやすい。滝壺周辺の風景はというと。背の高い草原にひょっこりと出現した水溜まりのような池のような感じで、さ程感銘を受けないが、水しぶきが幕を作り太陽の加減で虹を創る。そのしぶきと落ちてくる滝水にあたって身体を冷やしながら空を眺める。天高く真っ青に広がっている彼方に向かって思わず深呼吸をする。実にのんびりとする癒しの時間だ。
 来た道を戻る。先程の赤土の台地を越え、今度は方角を東にとる。この道は雑草と水溜まりが多く、またくねくねと曲がっているので道を失いやすい。視界のいい荒原といえども道を間違えると行き場を失う、似たような雰囲気なので判別がつかなくなる。普通の人は「とにかくとりあえず」と勘を頼りに方向を定めて歩き出すが、そうなるといよいよ引き返す決断がつかずにどんどんジャングルへ導かれやがて行き詰まりになる。これが一番危険な状態なのだ。ジャングルの獣道は道を作り踏みしめ固めても、しばらくすると自然の作用によって素早く復元し道をかき消してしまうことが多い。そうなると盲滅法にジャングルを彷徨うことになる。
 この道も同様に獣道を辿るしか方法がない。ある時は腰の高さまでのソードグラスをかきわけながら進むのだが、足元ばかりに注意していると前方を見失う。少しばかり急な坂道を用心深く降りるといきなりバナナ園に出くわす。その傍に小さなさびれた小屋がある。手前の川を越えて民家を横ぎり、歩くとラオラオ滝に出る。
 このラオラオ滝の景観は大変に素晴らしい。ジャングルの深みを左右に分断してその中央に広い河原が展開し、その先に落差のある滝が左右二つに分かれてある。河原のあちらこちらに大人の胸までが入る程の穴が点在してあってそこに川水が流れ込んで溜まる。人はその穴に身体を浸す。これが実にユニークで愉快なだ。水温は程良く低く、深さ広さ大きさと、様々な穴がって、その一つ一つを試すように次々と浸かり違いを楽しむ。
 仲間達があちらこちらに陣を取り寛ぎながら言葉を交わし合っている。なんとなく露天風呂のくつろぎで嬉しくなってくる。河川の向こう、左側の滝は水量が乏しくその分だけ岩壁が縦に鋭く裂けていてロッククライミングに向いている。右手の滝は、かつては水量の多い滝つぼが下方にあった。飛び込むのに最適な高さと広さをもつ滝つぼで結構深い。どちらの滝水も下流およそ30mの所で合流している。その合流点へ行くには左側の滝をロープ伝いに15m程降り河原伝いに下流へ向かう。滝の下は岩場の河原でそこから前方を見るとジャングルが折り重なるように河原を包み込んでいて、これまた見事な風景となっている。
 この滝は静動二つの違いと趣きがあり、そのどちらもが情感に溢れていて印象的だ。時を忘れるのに最適な場所である。


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Posted by kenhagaguam at 14:48

2010年12月25日

グアム秘境紀行 その38:アグファザンリバー(Agfayan River)

 ヒョウタンのようにながい形をしたグアム島は、南部の端っこで起こった 火山の爆発によって溶岩が吹き上げ流れ出し、それが凝固し島となり火山が再び活動すると今度は北部へ溶岩が流れ落ちてそれが凝固し北部を形成すると海中に没し、そして隆起する。今日のグアムはその繰り返しの結果完成したのである。グアムの南部は酸性の土壌、北部はアルカリの土壌となっているのは数えるのが億劫になってくるほどながい時間の果てに出来上がったものだ。
 南部は従って峻険な山があり、高い滝が集中している。当然の事ながら流れる川も深い谷に沿って流れ山肌を鋭くえぐり削っている。緑も深く、従って乾期に入ると何所かの荒原が自然火によって燃えくすぶっているのが日常のように見える。北部は、というと石灰質の土壌に覆われているので(海面に沈下、 隆起を繰り返したおかげで)平坦であり、南部のように目立って高い樹木は少なくフルーツも少ない。大戦中、北部へ撤退した日本軍兵士が食に飢えて南部に移動し、その途中待ち伏せしていたアメリカ兵に狙撃されたのはそういう理由による。

 さてここに紹介するアグファザンリバーは南部にある。南部タロフォフォ村を入った丘陵地帯で酸性の土壌そのままの風景で圧倒される。彼方に南部で最高峰といわれるササラグアン山をのぞみながら腰ほどもある草原を果てしなく 歩く。時々道と見間違う通路があって何気ない間にその通路を歩いてしまう。
 無用な説明だがササラグアン山とは悪魔の山のことだ。険しい谷間と足場の狭い山頂。それでいながら遠目に美麗な山なりである。一度このコースを体験すると魅せられたように何度も挑戦することになる。
 やがて歩き疲れて彼方を見ると目的の方向とはやや外れた場所に居ることに 気づき愕然とする。ジャングルで道に迷う時に似ている。時おり激しく降り注ぐシャワーによって雨が地面を洗い草根をはがして水道を作る。その流れは下流へ下流へと限りなく続き山肌を削り崖を造り、それを壊してそれまでの自然 の姿を一変させるのだ。トレッキングで難解なのはこういう水道が大小様々に あちらこちらにあり、そのどれもが目的地へ向かっているような錯覚を導き出 すことだ。そして安易な気持ちでこれに頼るとそれこそ後戻り出来ないほどの ジャングルに迷い込むことになる。自然とは面倒な世界なのだ。
 少しばかりの経験なのに、充分歩いたと錯覚して、山岳ガイドを生業とする 心得違いの若者が日本では増えているそうだ。グアムの自然も同じ様に、グア ムの山なり、グアムの天候、グアムを洗う波浪を熟知し、時おりみせる大自然 の野性むき出しの異常な変化を敏感に察し瞬時に対応していかないと楽しかる べきハイキングが地獄のさすらいになる事になる。大袈裟ではなく生命取りに なる。
 こうクダクダしく言うのも、どんなベテランであろうとも、迷うと、それらしい道を辿っている間にいつか来た道に戻ったりして、体力を消耗し冷静さを失い、と同時に自信がなくなることがあるからだ。これが一番危険な状態であ る。それでも経験は、本能がポイントを感じさせ、コンピューターのように経験を集中し道筋を引き寄せてくれるものだ。 
 
 道を探しながら勘を頼りに、荒原を歩く。このコースは全体に砂漠地帯と荒原が続く。彼方が見渡せる分だけ(視界が利くだけ)疲労を感じる。照りつける太陽によって疲労困憊になりながらそれらしい場所を目指して歩いていると、不意に風音で川のせせらぎが聞こえてきた。本能的にその方向へ走る。や がて眼下の崖下に、およそ30メートルの川幅に透明の川水が絶え間なく流れているのを発見する。
 その川面は、真っ白な岩石がひっつき、それが水に洗われて台地のように平たくなっているように見える。川床が白いのが驚きである。身体が水分を求め ているのであろうか、ためらうこともなく誰もがそのまま上着をなぐりすてる と平たい川内に身体を沈める。極楽の境地とは正にこの事をいうのだろうか、このコースの魅力は正にこれに尽きるといっていいい。
 この水流源を求めて上流目指して歩く。幾筋かの大きく曲がった川を辿っている間に、周囲がジャングルに覆われた高さ5メートルの滝と直径5メートルほどの滝壺に出る。
 辺り一面ひっそりとしていておだやかな空気がよぎる。滝壺に落ち行く水の音のみが静寂に逆らっているようだ。そしてその水温の流れる音がとても涼しく感じる。この滝壺は浅く身体を沈めるほどはない。しかしマイナスイオンの効果なのか妙に涼しい。ヒーリングに最適な場所なのかも知れない。
 そのまま来た道を戻ればいいのだが仲間がしきりに先に行く事を促すので従った。滝の上を歩き続ける。この川歩きは幾つものユニークな滝があることだ。飛込むには水深が浅くて不向きではあるが、自然の中に埋もれたような滝は野生の趣そのものだ。そして自然世界といいながらも、66年前に日本兵が通って行った形跡がある。不思議な島である。
 川を歩く。ゆるやかな流れとゆったりとした川幅はやがて流れの強いえぐり取られたような狭い川幅へと変わって行く。それにつれて逆らうようにして歩くと水圧がかかって歩行が少しづつ面倒になってくる。ややあって片面のゆるやかな崖をよじ登り平地に出る。再び荒原を歩くことになる、帰り道の目標はただ一つ、そうあのササラグアン山を目指して。


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2010年12月24日

グアム秘境紀行 その37:天保山、そしてその周辺のこと(Mt Temjo)

 グアムの南部は数十億年というその昔、火山が爆発し溶岩が吹き出て形を成し、やがて数百回にも及ぶ地盤沈下と隆起の果てに現在の山なりができたので、美しい容姿の山々が聳え、そのいずれに挑戦しても期待を裏切られる事がない。いってみればこれこそグアム島の本当の姿なのだが、なかなかわかってもらえない。理由は簡単、誰もが面倒くさがって暑い日盛りに探検しないからである。
 テンホー山(Mt.Tenjo、当時日本軍は天上山と称していた)は、グアム唯一の商業港であるアプラ港(同、大宮湾と称していた)の入り口近くに悠然と聳える景観豊かな山である。
 そのテンジョーを「ンホー」と発音する。チャモロ語で「首筋」という意味で、その意味が見た目に山の首筋に見えたのか、あるいはグアムの中央に在る、という意味からでたのか今もって不明である。文献によると、米軍の戦略によれば、このアプラ港よりやや南方にあるオロテ半島に埋伏している日本軍が戦場に飛び出して来るその前に、その半島の首根っこを抑えてしまおう、という作戦で戦闘は始まった、とある。そして、この「首根っこ」の後方に美景を誇示していたのがテンホー山である事から、案外この周辺の山々がなにかにつけ大事だった事は推測がつく。
 アサンの海岸から米軍が上陸して後、シグア川(同、肥後川と称していた)の上流のニミッツヒル(同、大田台、青葉山と称していた)からテンホー山にかけて日米両軍による熾烈な激戦が交されていた。当時の戦跡を訪ねてみると、「日本軍塹壕跡」はテンホー山登山口からやや上った飲料タンク近くの道路、その左手彼方に見える小高い山の中腹程に深い草むらの中にある。 
 保存状態はいいが、周辺が背丈の高い草々に覆われているので見つけにくい。間口1メートル程のぽっかりと空いた空間の中は奥行き1メートル強、周辺の壁が削り取られていて、カビのような苔のような白い斑点があちらこちらにこびりついている。左右にも掘られた跡があるが土盛りしてあって塞がれている。おそらく連絡用の穴なのであろうか。この周辺は日本軍が上陸する前に米軍の通信部隊も利用していて、そこからやや離れた平地にその営舎跡を見つける事が出来る。
 日本軍上陸と同時に彼等はこの場所を離れ、苦難の逃避行を現地人に助けられながら極秘通信を続けた、といわれている。最後に北部の洞窟「ツイード・ケーブ」で救出された時、生き残りは16人中たった1人、通信員、ジョ-ジ・R・ツイードがいた。彼は1941年12月9日、日本軍の上陸後にここを離れチャモロ人に匿われながら北部へ逃げ続けアメリカ軍へ情報を送って上陸を助けていたという。アメリカ軍側の英雄である。戦後、有名な戦争逸話の一つとして、本になり映画にもなっている。因みにこのジョ-ジ・R・ツイードが隠れていた洞窟が「ツイード・ケーブ」と呼称され現在でもダブルリーフ近くのジャングル内に残っている。
1944年7月、彼はそのダブルリーフから泳いで脱出し米海軍によって無事救出された。ここから米軍側のロビンソン・クルーソ的な英雄になった。
「ツィードは痩せこけた身体で長髪、肌は褐色でまさに十字架にはり付けにされる直前のキリストのようであった」長い間彼をかくまっていたアントニオ・アルテロはその印象をそう語っていた。 アルテロは、始めは危険を犯してまでもかくまう気はなかったが、キリスト教信者として見捨てるわけにはいかなかった、と後でそう語った。
 アルテロは戦後になって時の大統領ハーリー・トルーマン大統領から自由勲章を得ている。しかし、と同時に彼同様にツイードを匿っていた犠牲になったチャモロ人達は何も見返りをもらえずにいた。アルテロが白い目で見られたのは想像がつく。ツイードの彼らへの気配りと犠牲者への感謝がないことが原因しているのはいうまでもない。
 戦後有名な戦争逸話の一つとして、本になり映画にもなったツィードは1989年自動車事故に遭って死亡した、享年86歳であった。

 ツイードはしかし、グアム人にとっていささか雰囲気の違うとらえ方をされている。そこでツィードのことについて少し触れる。
 彼は逃亡中に多くのチャモロ人を犠牲にしている。チャモロ人達は彼を匿った、という罪で日本軍に捕らえられ処刑されたのだ。イナラハン村の若き神父ジェス・(ファーザー)デユェナスもその犠牲者の一人であり、その他にも義侠心にかられたローカルは沢山いた。逃亡中ツィードは差し出されたコーヒーをすすり、本を読み、ラジオを聞きながらなにかとローカルに指図していたという。迷惑をかけているという謙虚さがまるでなかったようだ。であるからその犠牲者のことを慮り「もういい加減に一人になったらどうですか」と教育界の大御所であったアガット・ジョンストン女史にたしなめられている。彼がダブルリーフの海岸から脱出に成功し、戦後に再来島した際、前述のアルテロと再会し、と同時にアガットとも再会した。だがアガットは少しも嬉しそうな顔をしなかったという。彼に犠牲者に対して少しも配慮や感謝がなかったからだ。彼はその空気を察知してか、自身の映画を撮影する際、そのロケーションにグアムではなくフィリッピンを選択した。そしてそれが益々ローカルの気持ちを硬化させてしまった。
 因みにこのジョージ・R・ツイードが隠れていた洞窟を「ツイード・ケーブ」と呼称し現在でもグアムの北西部海岸ダブルリーフ近くのジャングル内に残っている。洞窟というより洞穴という感じの大きく裂けた岩石のすき間がツイードの最後の隠れ場所であった。


  この小高い山の中の塹壕は日米両軍にとって重要な拠点であり、アメリカ軍上陸部隊によって掘られたフォックスフォール(狐穴)と呼ばれるタコ壷跡が現在でもあちこちに点々と見られる。僅かな彼我の距離で日米両軍が対峠し、戦闘を繰り広げていたのであろう。その狐穴は延々とテンホー山近くまで続いている。その荒れ荒んだ戦場跡から見やるテンホー山は、丸こくおっとりとして見える。
 テンホー山目指して歩く。途中に紀元前に噴火した溶岩跡の醜怪な塊のような岩山があり地球創世紀を感じさせるので記念撮影にぴったりの背景となっている。ジャングルや草原を通過するのだが不思議と疲労感は少ない、むしろ楽チンですらある。とはいえ、その当時、ここは両軍が血みどろの戦いをした戦場であって道中その激戦の跡を偲ぶ事が出来る。
 真っ黒な岩石の頂上に立てば眼下が彼方に広がっている荒原である事がわかるし、その足元には米軍が急ごしらえしたフォックスフォールが点在している。右手の彼方より上陸してきた米軍はこの下を展開しながら左手にそびえ立つアルトム山を目指して日本軍を駆逐して行ったのである。遥か彼方にレオパレスリゾートが見える地点までここは戦場だったのだ。
 テンホー山は双子の山のようによく似た山成の片割れである。が、一方が地肌も露な殺漠とした景観の山であるのと比較すると、こちらは深く濃い緑に覆われた樹木の衣を着た山で、誰もがその清楚とした佇まいに目を見張ってしまう。山頂まではわけない距離である。このソードグラスがそそり立つ草深いジャングルに分け入ってみる。巨大な洗いざらしたような岩石がのぞけ、その岩に1927年12月25日と刻まれた落書きがあった。1914年ヨーロッパで勃発した第一次世界大戦はヨーロッパのみならず太平洋にも及び、1917年アメリカも参戦して翌年まで戦争が続いた。この岩に刻まれた落書きはその頃の米軍将兵によるものだ。彼らはここでその後のドイツ軍の警戒をしており、その落書き岩と反対側の薮の中には当時彼らが寄宿していたコンクリート製の宿舎がある。また、この山の反対側(フィリッピン海を見渡せる)には旧日本軍による砲台の跡が遺されてあり興味がつきない。おそらく当時、米軍の上陸時にはそこで日本軍将兵が敵前砲撃をしていたのであろう。
 再び山のこちら側(太平洋側)からなだらかな荒原を見下ろす。そこからは東部にイリグ川、レオパレスリゾート等々が、西部側はアプラ港がよく眺望出来る。ここから眺める大地は限りなく広く、余りに広々としているお蔭で物の大小がわかりにくくなってくる。真向かいの足元に展開するジャングルでさえ簡単に登坂できそうに感じてくる。草原が限りなく広がり風に煽られて斑色してたなびいている。アラジンの「魔法の絨毯」とはこういう物だったのだろう、きっと。


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2010年10月24日

グアム秘境紀行 その36:険しい岸壁トレッキング、北の入り江フェディアンコーブ(Fadian Cove)

 グアムは孤島である。この淡路島ほどの大きさの島は太平洋とフィリッピン海の二つの外洋に囲まれており、その御陰で二つの異なった海なりを楽しむ事ができる。フィリッピン海はグアムで最もスパンの長いタモン湾があって有名だが、サンゴ棚が遥か彼方にある遠浅海岸、穏やかで安全性に優れている事からその昔はチャモロ人が住み着き、今ではホテルが立ち並んでいる事から、いかに安心して泳げるかを立証している。
 魚が棲息するための条件として、それなりの海流がある事、サンゴがあり餌となる小動物や藻などが簡単に得られることを挙げられる。暖流のためにプランクトンが少ないがこの周辺には常に多種類の魚が遊泳している。

 では太平洋はどうであろう。常に激しい波浪と海流が流れる太平洋は大型の魚が住み着いてはいるが遊泳に適当な海岸が少ない。紹介する北東部にあるフェディアンコーブは荒波も届かない入り江(Cove)で、漁業以外滅多に訪れる人がいない忘れられた場所である。
 このコースはその殆どがラクダのコブのような険しい山道の上がり下りにあるのが特徴である。それでも往きは下りの部分が多く、周囲のグリーンの変化を味わいながら歩くから気がつかないが、復えりは、恐ろしい高さと険しい壁を登坂するので十分スタミナを温存しておく事を勧めたい。マンギラオゴルフコース近くの私道に入りかなり複雑なあい路を通り獣道を歩くのだ。
 いうまでもないが、ベテランのガイドと一緒に行動する事。ガイド経験が浅いと道に迷う恐れがあり、地面が砂礫状であることから滑って落下し怪我をする事が多いので要注意。
 急勾配の道を木々に寄り掛かり、砂利道を腰を落としながら滑り込むように前へ前へ進むと見晴らしのいい場所に出る。そこから眺める太平洋はおだやかで遥か眼下に見下ろせるフェディアンコーブが猫の額ほどに見える。そこからさらに勾配の急坂を下る。
 その勾配を歩くのに、木の根や草の根を掴み足元を確かめながら下る坂もあれば、腰程ある段差の高さの岩石に足かけながら降りる所もある。ぐっしょりと汗をかき「かなり歩いた」、という疲労がでてくる頃、目の前にフェディアンコーブが展開する。
 潮風は涼しく、渚に寄せるさざなみの音色が優しくこれまでの苦労が瞬時に吹き飛ぶ。早速仲間達が思い思いの木陰に散って海水に浸かる準備に取り掛かる。水が温かい。潜ると海水と淡水の交わる樣が見える。淡水は冷たくゼリー状で海底に沈んで行き、温水(海水)が表面の波間スレスレに流れる。慣れてくるまで居心地が悪くて仕方がない。
 この湾はおよそ200m四方で入り江の口を波が激しく岩礁を叩いている樣が見える。恐ろしい景観である。2mが最深で、海底はまろやかな岩場が殆どである。入り口を岩で塞がれ天然プールのような海中に遊泳する魚は大型で黒く、鯛のような体型の魚が目立つ。縞鯛も多くいる。
 磯で休憩を取っていたらリーダーのマークが『大戦中、日本兵が食物を隠していた場所がある』と目の前の小さな洞穴を指差した。そこには魚獲り用のネットが無造作に投げ出されてあった。地元民が時折ここへ降りて来て魚を獲るのだ、という。因にこの周辺には多くの洞窟があり、大戦中、戦争に敗けて逃走迷路を駆けていた日本軍兵士はこういう洞窟に隠れ援軍を待っていたという。やがて掃討作戦で米軍に追いまくられあえなく射殺されていった。マンギラオゴルフコース場近くに「マンギラオ太平洋戦争戦没者慰霊塔」が建っているのはこういう経緯があってのことである。
 この近くに神秘の池シンクホールがある。
 1時間程海岸磯線に沿って歩く。打ち寄せる荒波をほんの肩先に感じながら岩場を歩いていると彼方に激しい大海が茫々とし此方は鏡のような静かな海面を眺めることができる、奇妙なバランスにスリルと快感を味わいながら北上するのだが、これがこのコースのハイライトである。
 やがて100m四方程に開けた入り江に出る。その端の方に工事の為に道路を拡張する工事現場がある。レース場がそれだがここからは窺い見る事が出来ない。近くには巨大なライムストーンの壁と丘があり、そこだけが深閑とした緑の林にぽっかりと白い頭を出している。緑に囲まれた白い湖のようである。そしてこの林の一方に目指すシンクホールがある。

 シンクホールは深く閉ざされたジャングルの中、急斜面の下方に在る。
 殆ど未開のジャングルなので勘を頼りに進まなければならない。鬱蒼としたジャングルが行く手を阻み、進路をさらに困難にしていく。木々は数百年を経て緑濃く、道端の潅木は朽ちてもろく、足元はささくれだったライムストーンと苔蒸した大きな岩山ばかりである。不気味というより凄惨な感じすらする。やがて木立の間からポッカリとシンクホールがのぞけて見える。直径およそ50mばかり、淡水で水深1mほどの、およそ愛嬌も情緒も感じない神秘のロストポンドだ。辺りは水を打ったようにシーンとしており、ジャングルの懐に入っているような風景は実に厳かで静とした圧力を覚える。もし此処に日本で見かけるような小さな祠が在ったとしたらきっと誰もが威厳と幽玄を感じて神妙な気持ちになるに違いない。当然太古の昔にはここでチャモロ人が暮らしていたのだろう。人の営みの力強さを痛感する。

 復えりはそのまま来た道を引き返すのだがこれが実に厄介である。急勾配で足元のおぼつかない砂利坂を、か細い草木の根を掴みながら必死になって這い上がる。たいした距離ではないのだがこのまま果てしなく苦しみが続くのではないか、と一瞬気持ちがこわばってくる。スタミナを温存しておかなければ戻って帰れない峻険な道程だ。
 フェディアンコーブは不思議な入り江だ。泳ぐのに心地よく、岩礁を歩くのにスリルと豪快さがありながら何故か人が寄り付こうとはしない。きっと、その優美な入り江を堪能するには道中余りにも峻険な所が多いからであろう。しかし、それだからこそ勇気ある者の開拓心をかきたてる最高の試練場でもある・・。


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2010年10月23日

グアム秘境紀行 その35:太平洋戦争後の66年間、眠ったままの孤島・バンギ島

 あえて戦跡を散策するつもりではなかったが、こんなに間近にあって誰も気づかぬ戦跡があったので紹介しておきたい。長い間、散策されなかった理由は、個人私有地である事に起因している。
バンギ(英語ではbongiでOの発音をアとする)島なアガット湾に浮かぶ湾にもっとも近い島で遠浅ゆえに深い所でせいぜい70センチ程度であるから楽に歩いて行ける。
 この島が日本軍にもたらした意味合いは相当深く、きっとバンギ島により強い興味を示されるであろう。

 その小さなバンギ島を日本軍は番庄崎と呼んでいた。この小島からアガット村入り口のアパカ岬がアガット守備軍の防衛区域で後背の山岳地帯も含めて広大な地域に迎撃軍が待機していた。米軍はアパカ近辺の旧アガット村が集中していた海浜地帯をホワイトビーチと呼称し、バンギの手前をイエロービーチと呼称し、その両地帯から一気に上陸を敢行したのだった。
 上陸戦当時のバンギは米軍の視野にはなかった。注目してはいたがここでは重要な戦いはない。ただ、艦砲射撃からの被弾はあった。米軍が上陸し即日激戦が交わされ、翌日になるとここかしこが戦場となり白兵戦が展開されていた。当然のことながらバンギを守備していた将兵もこれに参加した。

 アガットの「ガアンポイント」公苑をさらに南に下っていくとややあって右側に3つの小島が海上に見える。その中で道路に近い島がバンギである。見た目に小振りの島ではあるがその敷地は広く平たい、従って兵士が滞陣するのに理想であった。
 この島へは浅瀬の海浜を歩いて渡る。南洋だから海水が温かい。深い所で膝ほどしかなく殆どはくるぶし程度である。その距離は僅か10分程度、島は遠くないのだ。従って島と本土との交通は徒歩、荷物は手渡しで十分賄えた。島の高さは2メートル内外、であるから上陸に難儀しない。
 この島は私有地である。であるから60有余年もの間、この島で日本兵がどのような生活をしていたのか、を調査することができなかった。アガットでの戦闘を語る時、日米両軍が必ず指摘していたにも関わらず、である。
 バンギ島のこちら北側の海上をアガット湾といい、反対南側を竹矢湾(Taleyfac)という。北側にオロテ半島が傍観でき、南側にはハーバーが臨める。この港はグアムで一番大きなヨットハーバーである。バンギ島から北側の海に向かって砲台の基礎がある。その背景には2.5メートルほどのコンクリートの壁がコの字型に建っている。丁度大砲を囲むように巨立しているその壁面の下方にはくりこまれた穴があり、煤で汚れている。この島の所有者はその昔、年に1度一族がこの場所に集り、ここでBBQをよくしたそうだ。その時の煤であろう。
 このコンクリートの壁の下にトンネルがある。兵隊が待機していたのだ。
 南側の島にかなり完全な形のコンクリートの通路がある。コンクリートと自然石を上手に組み合わせている。今は天井が破壊され壁が吹き飛ばされたような格好で、往年の姿は見られないが現存する床張りと銃眼からその頃の技術の高さを想像することは容易だ。島を探索する際に海岸沿いを歩くが、その一部がコンクリートで出来ている。通路に銃眼がある。
 島のぐるりは幾つもの大小様々な洞穴で護られている。深い洞窟もあって空爆や艦砲射撃に身をさらさないで済む。漁師もこの穴倉の中で日中に陽射しを避けていたのだろう、容易に想像がつく。それら総てが海洋に向かってあるのが不思議だ。本土沿いを守備する必要がないからだろうか。
 島内は大きな起伏もなく、鬱蒼としたジャングルに包まれているので日よけに最適である。長い時間そのまま放置していた所為で島の中は足の踏み場がないほどびっしりと草やツタが絡み付いていて文字通り足の踏み場がない。足元に砲弾が落ちていた。長さ30センチほどの砲弾は赤錆てグズグズと砕けやすくなっている。時間が鉄分を溶かしてしまったのだ。
 海洋を眺める。右に小ぶりの島(正式な名前がないところがグアム的だ、米軍も名前を付けなかったのであろう)、そして彼方に4倍以上はあろうというアルトム(Alutom Isl)島がある。こういう所で戦争が起った事の方が不思議だ。


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2010年05月31日

グアム秘境紀行 その34:都心の中に眠り続けるスペイン時代の遺構、スペインダム

 ハガニャが都心というのであれば、正にその都会のど真ん中に巨大で広大な沼があり、500年近く前にスペイン人が住んでいた遺構がある。すんなり書くとそれだけのことだが思いを巡らすとこれはただごとではない発見なのだ。
 ハガニャは古くはチャモロ人が集結していたちょっとした都会で、丁度島の中央部に位置しているので地理的な条件の良さもあった。それが最大の理由なのか、スペイン人は16世紀の後半には南部から次第に西側へ移動し、やがて現在のハガニャ市内にスペイン住居を造成し町を形成していった。以下に紹介するスペイン堤防(地元民はこれを橋という)もその頃に造ったものらしいが、どういう具合か、地元の者は当然の物としてたいして気にもとめていなかったようだ。「灯台下暗し」というが正にそれである。因にハガニャとはチャモロ語で「血」を意味する、グアム島の中央部心臓部にあたるこの都市をハガニャと愛称した理由がそこにある。

 ハガニャショッピングセンターはこのハガニャ市のシンボル的なショッピングセンターで、グアムで最初にマーケットとして開業したという歴史を持っている。戦後、米軍によってカマボコ兵舎が建てられ、その後、そこが大型スーパーマーケット(タウンハウス)として注目され、以来ローカルは遠くの町からここへショッピングにでかけてきていた。当時、数少ない在留日本人の女性が「店内は暗くランプ灯り、地面がむきだしだった。でもそこに日本の醤油を見つけた時には思わず大声を出し、全部買い占めたのを覚えている」といっていた。買い占めれば店主が自信をもって益々日本製品を仕入れると単純に思い付いたからだ。地元と結婚しても愛国心だけはいじましいほど意気盛んだった。この女性、ロベルト・勝子さんは鹿児島県出身、子供の頃に家族でロタ島に移住し戦後、米兵と結婚するべくここグアムへ住み着いている。日本から希望と野心を持って来島する日本人青年を献身的に世話した秘話は限りなく多いし、その彼女の名前を知らぬローカルは少ない。3年前に骨癌を煩い他界している。以上は余談。

  このショッピングセンターの後方から始まって、ずっと彼方まで言葉に尽くせぬほど広大なジャングルがずっと見渡せる沼地がある。おそらく地質的にそうなのであろう、そこが盆地になっていることも原因して雨季になると想像を超える雨水が集中し、乾季になっても蒸発せずに一種の湿地帯をつくり出している。手つかずかつ未開であるから当然のように水牛、鹿、野ぶた、大トカゲなどが棲息し、乾季になるといたるところで鉄砲を撃つ音が聞こえてくる。余談だが、ここには大戦中の戦車も埋もれているという、戦時中にこれを見ていたというローカルの証言によると「日本兵は追いかけて来る米軍の戦車の攻撃から逃れるようにしてその戦車からころげ落ち、沼地に足をとられながら逃げて行った」という。これは日本人の歴史のである。
 この沼地、乾季になると少しだけ道らしい道ができる。その中、果てしない雑木林をくぐり抜けるようにして行くといきなり石垣のフェンスが現れる。もし道を外れていれば間違いなく見つけ出すことは不可能なぐらいな場所に在る。
 その石垣は石灰岩や岩石のぐり石を重ね合わせて築いたもので間にセメントのようなしっくいで固定してある。オロテ半島に現存するスペイン井戸と同じ造りだ。高さは高い所で2メートル、150センチが平均、石垣上の道幅は1メートルほどでこれは変わらない。この石垣上を歩くと左右が池状であることに想像がつく、つまりこれは堤防なのだ。堤防のここかしこが区切れている。その隙間はおよそ50センチ、広いもので1メートルはある。
 雨季には水をまんまんと溜める池の真ん中を分断して堤防を造ったのにはわけがある。彼等スペイン人達はこの場所に雨水を溜め、その水を導入して畑地を造っていたからだ。堤防のその隙間に遮断板をはさみこみ、乾季に水量を調整しながら畑にそれを流していたという。考えたものである。今でも行き場を失った深さ2メートルもある池がところどころにあり、水面近くに魚影が見える。
 堤防は、現在は使われずことなく放置されたままで、もう500年近くもそのままだ、という。ローカルがここへ来るのは時たま釣りに来る時だけで、そこには1メートル近くのナマズやウナギがいたという。そして、その魚釣りももうしなくなった、ともいう。現代っ子にはゲームやコンピューターという手軽なおもちゃがあり、モーターサイクルがあるのでわざわざジャングルに分け入って釣りなどする必要がないからだ、と案内してくれたローカルが嘆いた。時代の流れは次第に歴史や文化を遠ざける、という例がここにもある。
 堤防の長さは50メートル、60メートルと順繰りに出来ている。そしてそれがジャングルをくぐり抜けるようにずっと向こうまで続いている。俯瞰するとそれがあたかも十字架状に張出している、といわれる。おそらく理屈理論に従って建設している間にそういう形状になったのであろう。この堤防はスペイン文明のほんのさわり程度の技術であり労力であるに違いない。頑丈であること、水が洩れないことを条件に造り出した堤防が、その見事な技術と発想によって完成している。これがスペイン文化なのである。そしてそれがこうして21世紀に突然姿を現し、往時の暮らしぶりを想像させている、これが歴史発見というものだ。
 話題を現代に戻す。この沼地のあるモンモンという地域に住むグレゴリオ・クルーツさんは1980年頃から何かに導かれるようにしてこの沼地に植わっている大振りな木を切り倒し大きな十字架をこしらえた。そして島の南部にあるフムヨン・マングロウ山へ持ち出した。彼はその十字架を家族の者に担がせ山の頂上へと登りそれを立てかけた。これが最近グアムの名物、習慣として定着してきているグッドフライデーの十字架脚行である。
 今では周辺の家族と教会がこれを継承し、毎年イースターの前日に登頂している。キリストが十字架を背負って歩いたゴルゴダの丘を模したもの、という噂もあるが、彼は「ただ天に一番近い高い山の頂上にこれを立てて信仰心を示したかった」という。
  さて、この全長200メートルほどのスペイン時代の堤防は、朽ち果て変わり果て、そして使用されるどころかそのままジャングルに人知れず放置されたまま遺されていく。歴史という時間と時代の流れの中にその当時の技量が文化となっていた往時を偲ぶこともままならない。
 歴史は普遍なのだが不思議なもので、そこには人の面影も生き様もなにも残っておらず想像もできないでいる。人の世のはかなさをひしと感じる。


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Posted by kenhagaguam at 11:59

2010年03月24日

グアム秘境紀行 その33:知られざる秘境・スペイン時代遺跡セラ湾(Sella Bay)

 グアム島は珊瑚礁が島周辺を囲っているので遠浅部分が多く、泳ぐのに安全であり、海水の透明度は抜群、魚の種類も豊富な事で知られている。ホテルが群集しているタモン湾が海水浴客に人気があるのも、ちょっと遠浅の海に足を踏み入れるとここかしこに、まるで水族館のように魚が群れているのを楽しめるからだ。かつてこの島に本格的リゾートホテルを創造し建築したリゾートホテルのはしりである「フジタタモンビーチホテル」のプランナーでありGMも勤めた小林正典さんは1968年8月に未開地でありうっそうとしたジャングルであったタモンビーチを歩き「水は奇麗で波打ち際まで熱帯魚が寄って来た。まるで巨大な水槽の中にいる感じがした」(「グアムライフ」10号)とその頃のビーチを回想している。このようにこの島の特徴の一つともいえる透明度の高い海と熱帯魚群は現在でも少しも変わっていない。
 そこでタモンビーチ同様、海水浴プラス名所旧跡も一緒に見学したい人にお勧めなのがこのコースである。

 マリンドライブを南下しなだらかな丘陵と山々を楽しみながらウマタック村目指してだらだら道を登って行く途中にセラ湾へ降りる為の駐車場がある。ここからの眺望も素晴らしいが、やはり両湾を海岸間近の方から眺めるのとでは雲泥の違いがある。 この山の上からの眺望では真下にあるセラ湾を見ることはできない。おおぶりな山のジャングル道、大雨の時に出来たような川底坂道をだらだらと降りて行くと、ややなだらかな休憩所の丘があり、そこからは遥か彼方に訪れるセラ湾の入り江とココス島のラグーンが見える。後方には十字架を背負ったフムヨン・マングロウ山を中心として高低様々な山が山脈となって連なり美しい景観を見せている。グアムに遊びに来てこれを見ないのは勿体ないような気がする。グアム島はその全体を覆っている大自然の景観こそが世界に誇れる観光名所なのである。
 道中殆ど乾いた硬質な酸性の土壌、背の低い雑草群がわらわらと周辺に張り付いているかのように見える。その彼方、目を遠くにやれば蒼青としたジャングルが屏風のように見える。
 勾配のある坂道をトントンと歩くこと40分。その鬱蒼としたジャングルに吸い込まれる。そのジャングルの中を、今度はアミューズメントパークに迷い込んだような気分になって急な坂道を下っていくとやがて左方に小川が見え神秘のスペイン古橋のたもとに出る。
 ここが目的地セラ湾である。この古橋はスペイン統治時代にスペイン人によって作られたものでアガットにある古橋の姉妹古橋でもある。スペイン人はオロテ岬(現在米海軍基地)に石の階段と井戸を、ハガニャとアガットには観光名所として有名な古橋を、そしてこのセラ湾入り江にも同型の眼鏡橋を建造したのである。もっともこのセラ湾古橋の場合は余り、というより全く観光遺跡として紹介していない。従って保存状態は完璧である。
 この橋はセラ湾の近くに在り、背後に連なる険しい勾配の山野ばかりの難関な行路から想定して、よくもまあ「こんな所に」作ったものだとあらためて感心するのだ。これは現代人ではとうてい考えつかない発想と根気の成せる術であって当時のスペイン人の情熱に讃嘆する。
 このスペイン橋は殆ど往時の時代の趣を持っている。ハガニアやアガットの橋よりも保存状態がいい。 当時のスペイン人達は海岸線に沿って商業を押し進めていたとの事だが、そうだとすれば彼等は気の遠くなるような事業を試み実際それを成し遂げたのであるから偉大だ。この橋に触れる事だけで此所へ来た甲斐があるというものだ。
 その道の先にはかつての街道があり、その途中の旧大通りにはスパニッシュオーブンがある。おそらく営業用だと想像されるがこの大きなオーブンをどのように使ったのか、いつ創ったのか誰に提供していたのかが謎のままだ、難しいことはともかく、実演する処を思わず見たくなってくる。地元古老に尋ねると、オーブンはレンガと粘度でこしらえてあり開口は一つ。その洞へ燃える素材を入れて火をつける。完全に燃焼して熱したところでその燃えかすを全部出す。床面をきれいに拭き取り、食材(おおくは練ったパンとかクッキー)を入れてふたをする。そのまま待つ事数十分で焼き上がる、という話だ。出したり入れたりと面倒臭いことをしていたものだ。

 スペイン橋は風情と気品に溢れ且つ頑丈で、実用性を兼ね備えた見事なシェープをしている。道幅は2メートル足らず、その仕様は街道筋にあるスペイン古橋と似ている。橋の下には清水が流れ、ひんやりとした清流にはタラピアが泳いでいる。そしてその川は雨期になるとすぐ傍のセラ湾へとつながる。
 この湾にはあまり人が来ないのでヤシの実が散乱し、人影に驚いて大きなヤドカリが大慌てで隠れ家を探す。あちらこちらに木陰があり、ヤシの根元に寄り掛かりながら休息をする(ヤシの実が落ちて来ないように事前に確認をすること)。仲間の一人がヤシの実をどこからか見つけて来て、これを海岸の岩角で叩き割り皮を剥ぎ実のジュースを回し飲みする。生暖かいのだがこれがすこぶる美味い。ヤシのジュースを美味しく飲むのはこの方法が一番良いのだという事をこの時初めて知った。
 ヤシの実はこの島ではなくてはならない常食の一つだ。そのジュースは肝臓にいいという。実の白い果肉はコプラといって、柔らかければこそぎ取ってわさびショウユに付けて食べるとマグロのトロのような味がする。これを考案したのは「自分である」という人が数名乗りを挙げているのだが、勿論、その根拠はない。「ない」がしかし実にユニークな試みだ。やや固めの肉はそのまま齧れば好い。スタミナ源になるそうだ。果肉を絞ればココナッツミルクが出てくる。これを煮物に使うと味がまろやかになる。外実もよく叩いて藁状にすれば編み物に使えるし、燃やせば虫除けにもなる。トレッキングをしているその途中にこれを食べると、疲れた身体にとてもよく馴染んでちょっとしたスナック代わりになる。というわけでヤシの実は捨てるところがない。

 セラ湾の入り江は海水と川水が交叉する河口である。従ってそこの水中にはタラピア等の淡水魚やおたまじゃくし、海水には小アジ等が棲息していて面白い。潮が満ちるとつながって、両方の魚が入り交じって泳ぐことになる。この入り江からやや離れた小川近くには古代チャモロ人が住んでいた空間がありラッテストーン遺跡がある。
 散策を終えて川に入る。この川の水溜まりで身体を沈めると気持ち良い。それから適当にぬくもりがあって肌に心地良い海へ飛び込み岩の隙間にある深み、透明度のいい海底へ魚達を探しに出かける。 遠浅の先には深い海溝(天然プール)があり大きな熱帯魚がヒラヒラと泳いでいて思わずこちらの方がたじろんでしまう。捕獲されないので自然に大きくなっているのだろうか醍醐味がある。海水はところどころに寒暖があり海流を感じる。
 セラ湾。誰もいない海があり、時間の中に埋没したまま未だに世上にでる事なくぼんやりと横たわっている橋があり、そしてどの場所にも豊富な食物が簡単に手が届く。そんなこんなでなんとなく原始時代に引き戻されそうな感じになるのがこのコースの不思議さだ。

 帰り道、息を切らしつつ、来た道を登りながら再び昔のスペイン人の事を考える。彼等は一体「この文明と隔絶されていた島をどのような世界にしたかったのだろうか」、と。
 せめてあの絶妙な均衡を保ったスペイン古橋の建設技術だけでも残しておけば、今のグアムはアメリカ文明にばかり偏らないスペインの風土を伝える独特な技術を持った島になっていただろうに、と思いつつ空想は果てしなく広がっていく。
(セラ湾へは必ず同伴者、ガイドを同行すること。ここで迷子になり惨事になる寸前だった事例があるので注意)


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2010年02月03日

グアム秘境紀行 その32:グアム島中央部にそびえるアルトム山とアルトム滝

 アルトム山は戦前までは日本人の間で「火の山」と呼ばれていたグアムのど真ん中に位置するスラリと高い山である。グアムのヘソの部分といえばわかりやすい。このアルトム山はグアムの中央部、ニミッツヒルの近くにあり、頂上にはラジオ通信やテレビアンテナ、その他グアムの中枢となる通信施設がある。たとえば空港辺りからでもよく見えるので親しみのある山である。

 アルトム山の存在は昔からチャモロ人にとって日本の「富士山」のように親しまれ愛されながらも時として運命の岐路となる役目を負っていた。
 この山の頂きからは遥か彼方にアプラ港がくっきりと見えるのだが、古代チャモロ人はその近くに波穏やかな磯(パセオ湾)がある事を伝え聞いて、遥か南方からこの山を目指して集って来た。目印の役目を負っていたのだ。
 また、近年では、60年余り前の1944年の7月8日あたりからおよそ13日もの間、アメリカ軍艦535隻が約13万人の乗員を乗せて、そこから陸上に張り付く日本軍兵士めがけて一斉に艦砲射撃をした。こうして太平洋戦争グアム戦のひぶたが切って落とされたのだ。現在は穏やかな日和の下、のんびりと進行して行く輸送船を見ていると、そんな歴史が嘘のように思える。

 その山頂から道の反対側を、鉄分をたっぷりと含んだ粘土質の小道を滑るように下って行く。急な斜面をパームツリーの葉などを掴みながら進んで行くと、やがてなだらかな草原地帯に出る。
 ここで一休みしながら見渡す限り360度の眺望を楽しむ。
 眼を見渡せば、遙か彼方にはテンホー山を始めとする雄大な山々、眼下には鬱蒼としたジャングルが広がり、そこにはヤシの樹など南国特有の広葉樹が群集する。そこに目指すアルトムフォールが在るのだ。さらに行くとやや下辺にシグア川上流の滝(アッパーシグアフォール)が細々と見えている。
 そのシグア川上流の滝を目指して道無き道を、つまり腰の高さ程もあるソードグラスの中を分け入るように進む。急勾配の道をどんどん降りると滝から落ちる水流が真っ白にはじけて真綿のように見える贅沢な光景が目に入る。グアムの中心部から僅か一時間余りで全く風景の違った世界、非日常の世界がそこにあるのだ。

 水の流れ出る音を頼りにこけつまろびつしながら降りて行くとアルトム川に行き当たる。
この川の流れをせき止めるのがアルトム滝で高さはおよそ5m,滝つぼの周囲3m以上はある。この滝つぼは深さがあっておよそ3m近い。周辺はジャングルに囲まれ水音だけが絶え間なく聞こえて来る。暑さと体熱に疲れた身体をその滝つぼで冷やすとしんまりとした冷気が肌を突く。思い切り深呼吸をすると滝つぼに漂うマイナスイオンが一時に肺深くに入り込み瞬時にして生きている実感を覚える。
 今度は下流に向かって行く。その突端に緑濃いジャングルのパノラマが目前に現れる。足元はすくむほどの崖、その下は遥か下方なので見下ろすことができない。開けた開放感と爽快感、それと反する恐怖と戦慄のパノラマが感動をもたらす。
 その崖を降りる。かなり急な崖をジグザグに降りて行く。ロープにもたれかかりながらロッククライミングの要領で降りる。ロープを使いながら降りて行く(登る)には要領がいる。両腕と両膝を伸ばしきり、ロープにもたれるように体重を預けながら両足を開き突っ張るようにして足場を確保するのだ。これはテコを利用した降り方で疲れることも危険性もない。

 さて、苦労しながら100mほど下っていくと、左手近くにおびただしい水を激しく落下させる滝つぼの傍に出る。これがアッパーシグア滝である。アッパーシグアの滝は決して上品でも優しくもない。粗雑で激しくまるで何かを怒っているかのようでもある。
 滝の高さは真下から推し測るとおよそ100mはあろうか。上流はあちらこちらから流れて集まる支流があって川幅はそれぞれがおよそ1m足らず、それが合流し斜面を怒濤のように落ちていく。滝つぼめがけて流れ落ちる水量は多くはないが落下する水の勢いは激しく荒々しい。滝つぼの周囲はおよそ15m程、深さは1m弱、従ってここでは泳ぐというより水に浸かる事になる。
 各々が滝つぼ周辺の岩場に空間を見つけてランチをとる。ここまでの厳しかった道のりの感想を述べ合っているとなんとなく共に闘ってきた戦友のような親近感を覚えてくる。
 泥まみれになりながら、助け合い、励まし合いながら急勾配を弱気も出さずに降りて来て、今、全員が此所へ集まっている事が奇跡のように思えたりするものだ。自然を媒体としてこうして一つの目的の為に全員が一丸となって気持ちを合わせるという経験は、下界に居てはなかなか味わえないものだ。なんとなく贅沢な気もするし、また、踏破してきたという達成感が胸にこみ上がってくる。

 来た道に向って滝の上流目指して坂道を上がる。前夜に降った雨のせいで足元が滑りやすい。手助けしようとしても要領を覚えない者は何度もころぶ。ときには来た方向、泥の斜面10mをあっという間もなく滑り落ちたりする。足が萎えて支えきれないのだ。誰もが慎重になり、声も出ない。早く上に行きたい、と思えば思う程、身体が強張ってきて難渋する。やがてシグア川の滝の真上に出る。苦労して来ただけにそこから眺める景観は絶景である。
 「グアムの滝を初めて見た」と初めて参加した若い女性が感動の面持ちでポツリとそう言う。グアムに生まれ、グアムで育ちながら、この大自然の美しさと豊かさを知らないローカルはかなり居る。長年に亘って淡白で通俗的な西洋文明に固執してきた余り、彼等は自分の国の本来の美しさ、生命の本質である稔り豊かな自然の存在に気付いていないようだ。この国を訪れる観光客も同様で、この島の表面だけを撫でて通る観光ばかりしている。勿体ない話だ。

 帰り道、斜面の厳しい草原地帯をあえぎ登り、やがてしばし歩を休め遥か彼方の来た道を振り返る。それがどんなに困難で厳しいものだったのかを思い出す。
 岩場の上に立ってシャツの下に風を通しながら周囲の山々を見渡す。ジャングルの足下からは、自分なりの歩き方で来た道をこちらに向かって登って来る仲間達の姿がちらほらと見える。皆、それぞれのペースと姿勢でこつこつとこちら目指して登ってくる。「我が道を行く」とはこの事かも知れない。つい、声を出して励ましてしまうのだった。


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Posted by kenhagaguam at 17:55

2010年01月31日

グアム秘境紀行 その31:アグエコーブ・素晴らしい景観とスリリングな入り江(Ague Cove)

 戦後のグアムという観光地はこれまでに様々な人々を受け入れ、そしてその人々によってこの國の象を作って来た。無論、その頃は観光などという浮いた事業など考える余地がなく、この島を行き来する人々はそれまでと同様に物資を移動する途中の中継地点でしかなかった。
 それが日本のハネームーンブームによって刺激され、にわかに南洋の孤島グアムが注目されだしたのはそう遠い昔の話ではない。しかしそのブームも南洋という言葉に踊らされていただけで、一端ブームが去ると想像を絶するほど町が閑散としてしまう。グアムという孤島は、未だに、どこに自分の魅力があるのかわからず戸惑い続けているのだ。サービス業は水商売というが、どこからか始まったボタンの掛け違いが現在では修復しにくくなるほどグアム観光が誤解されたままになっているのが寂しい。

 おそらく幾つかのコースを除いて、海の美しさに心から感動し深い印象を残すのはこのアグエの入り江であろう。現在は厳しい管理で立ち入りが禁止されているが、来年あたりからは完全に沖縄海兵隊の移転に伴ってここは立ち入り禁止となる予定だ。この広大な土地を実弾射撃場に使うそうだが哀しい。この場所は旧日本帝国陸軍の将校達を処刑した軍事裁判所跡でもある。かつて太平洋戦争時、捕虜となった兵隊はアガニャの収容所へ一時収容し労働に使役され、その後テニアンの捕虜収容所へ移送されるかあるいは戦争犯罪人として兵士達はこのアグエ近辺に移送された。従ってここには軍刑務所と軍事裁判所があった。
 ここグアムの法定で審議された日本人将兵は109名で有罪101名(死刑が20名)であった。
その死刑囚(銃殺刑1名)の中に唯一の海軍将校、海軍提督・阿部孝壮がいた。優秀でかつ心優しい将軍で多くの将校や兵卒から信望を得ていた阿部孝壮中将は、かつて司令官を勤めていたエゼリン島に於いて行われた戦闘の結果が災いし、グアムに戦犯として収容されていたのだった。戦後になってその責任を問われ、稚拙な栽判にかけられ明治25年産まれの古武士はこの異国の地から祖国日本を仰ぎ見乍ら、昭和22年6月19日午後8時(推定)処刑されたのだった。現在、その地な広大として目的場所も掴みにくくなっている。車道が大きく右折するその曲がり角はちょっとした荒原になっていてその後に潅木が繁っている。その辺りであったであろう、という記事があるし証言もある。そこから先はかつての刑務所と担当官が居住し、左手に広がるジャングル地帯の真ん中に鉄柵がありあちら側には証言者や関係者が滞在していた、とある。ローカルや他国民にとっては興味も関わりもない場所であるが、日本人にとってはそれが仮に、戦争未体験者であろうとなかろうと意味深い場所となって映ってくる。ここもやがては沖縄からの移転に伴う軍人の家族が居住する空間となり、歴史的遺物も完全にこの世から姿を消してしまうのであろう。

 アグエコーブへは峻険な崖をそろそろと下っていく。大きな枯れ木や灌木、さらにツタがからまるジャングルを滑るように降りて行く。と、やがて大波が岸壁にぶち当たる潮騒が聞こえ始め、古代チャモロ人が生活していた、というだだ広い草むらの空間へと出る。辺り一面がくるぶし程度の高さの雑草で覆われている50坪ほどの空間で、別段これといった風景もない。が、よく観察すると、足元に薄茶色をした土器の破片が周辺のあちらこちらに散乱していて、それは古代チャモロ人が使ったものだとわかる。少なくとも3000年以上も前の遺品なのだが、何気なく散乱しているので直ぐには実感が湧いて来ない。歴史に触れるということは、その触れる手が少なくとも時代を読み、時代を感知し、現実との乖離を楽しむゆとりがなければならない。でなければ歴史はただの時間の流れに一部でしかなく、この土片も価値をもたない。
 このような土器はグアムの山々、海辺、ジャングル奥深く、何処にでも確かにある。それだけに往々にしてそこら辺にころがっている小石同様、どうでもいい存在になってしまっている。しかしそれは大変な見当違いで、この土器はラッテストーン時代よりさらに古く、2〜3000年前には使われていたらしい、というそれこそグアムの歴史、チャモロ人の文化の程度を窺い知る決定的な証拠品なのである。
 古い土器は薄い物であったがやがて時代の推移と共に厚くなり1cm程になっていく。始めは貯蔵の目的であったが、やがて火の中に入れて煮物をする目的に変わっていき、自然と厚い頑丈な物になっている。素焼きで赤土と黒砂で出来ており、その形状も大小様々、洗面器のような物から壷のような物まであったらしい。表面はシンプルな物から縄文のように装飾されている物もある、時代の流れによって装飾されてきたものだ。
 現代人の我々の中には、この、何千年という長い歴史を生き延びて来たちっぽけな遺品にさして興味を示さない人がいる。ばかりかこれを小馬鹿にする人もいる。自分に関係があるなしに関わらず、そういうウエットな感覚に無縁なのか、時代の推移に鈍感なのかは知らないが、こうして土器を手にすると、歴史の重みが俄に湧き出て来て、遺品その物よりもその背景が想像できて気持ちが昂揚するものだ。
 そういう意味で「人類の歴史が自然の中に埋もれている」、という事実を発見出来る喜びがこのグアムには沢山ありそれがこの島の最大の魅力となっている。

 この古代チャモロ人集落跡近くは岸壁の真上にあり、そこから眼下に瀟洒な砂浜と磯、奇怪な形をした岩、それに海の底までがのぞける綺麗な浪が入り江に寄せているのがよく見える。写真を撮るのに絶好のアングルである。それも、両手を拡げると丁度収まってしまう空間の中に、左右に様相が異なる荒々しい巌が突きだし、あちらこちらで浪がしぶきを飛び散らし、入り江は、と見るとネコの額程の浜が奥にだだ広く食い込んでいて何ともデリケートな砂場を設けている。そこに足跡を残すのが惜しいような気になってくる。
 そのデリケートな砂場のある海岸へ降りてみると、まるでありとあらゆる美景を集めて来た箱庭のようで環境そのものがとても素晴らしい。猫の額ほどの浜に打ち寄せる浪はかなり強い。周辺には浪に洗われてギザギザした岩石がここかしこに立ちはだかっていて崖のぼり好きを喜ばせる。大人も子供も先を争って眼鏡橋のような巌にとりつき、3mの高さから真っ青な水底めがけて飛び下りる。そして大きな水飛沫が立つ度に歓声が湧く。
 どの場所に立っても絵になる所ばかりだ。これこそ「苦労して来た甲斐がある」というものだ。
 特に大波が岸壁に豪快にぶち当たる樣は、えもいえぬ程美しい。白波が飛沫を飛び散らす樣は瞬間なので写真におさめるのに苦労する。この海辺はリーフ棚が幅広くないので単独で遊ぶのは危険ではあるが、適当な水深がある岩場やサンゴの間には大きくて綺麗な魚が群遊していて感激する。穴場に違いない。それにグアムでもサンゴが特に美しい事で有名な所でもある。

 サンゴについて少し書いてみたい。その形状が海草のように見える処から海草の一種として勘違いしてしまいがちだがサンゴは植物ではない。クラゲ、イソギンチャク同様に刺胞動物門類に所属する。18.000年前頃から現在のような形状のサンゴとして発生しており、温暖な海にその多くが自生する。
 オーストラリアが世界で最大の発生地(グレートバリアリーフ)でありその種類はおよそ800種類以上あるという。そこから海流に沿ってグアムには400種類程のサンゴが自生しているが、ハワイになると数がぐんと減って200種類(沖縄も同数といわれる)ぐらいしか見つからないそうだ、であればこそ、この島に世界中から多くの海洋学者が訪れてくるのだ。
 グアムの海岸に棲息するサンゴは造礁サンゴと呼ばれるものに代表される。海底の動物プランクトンや種類によっては植物のように体内に有機物を合成しながら棲息するものもある。石灰質の骨を塊として大量の骨が生産されその死後は塊となりこれらが他の造礁生物の作った骨や殻とくっつき堆積して岩礁となりサンゴ礁と呼ばれている。形状が異なるのは潮や海流の流れや動きによって変化していくからで、特徴的な枝サンゴ等は動きのゆるい潮の中で枝をいっぱいに広げて光りを吸収する貴重なサンゴといえる。この美形なサンゴはここアグェコーブだけでなく、フィリッピン海に面した至る所に見つける事ができる。因みにアグェコーブには「紫枝サンゴ」が群集しており必見の余地がある事を付け加えたい。
 余談になるが、サンゴが白くなるのはサンゴがストレス(寒暖の差による)を起こすからで塩分などの調整をしていて白くなったり元に戻ったりするそうだ。もっとも砂浜に打ち上げられてしまっているサンゴには生命がない。
 再び海に潜る。海底に幾層ものサンゴが連なっているのだが、中でも紫色をしたサンゴが目を惹く。また、海底の岩礁に張り付いたような丼を逆さにしたような巨大なサンゴがあちらこちらに見える。これらは全て海流によって形状が変わったものだ、という。海とは実に不思議な世界である。


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2009年12月16日

グアム秘境紀行 その30:幻想的世界と神秘的な山野、イナラハン・フォールズ(Inarajan Falls)

 グアムの魅力はマリアナ諸島の中でもここにしかない大自然の景観、スリリングなジャングルトレッキング、そして密林に隠された4000年以前の古代チャモロ人の文化発見だ。
 南部のジャングル奥深く分け入ると。そこには想像を絶するラッテストーンと呼ばれる高床式の石柱があり、食べ物を保存していたと想像される土器の破片が散乱し、穀物か薬草をすり潰す道具に使っていた火鉢大の石塊に大人の握りこぶしぐらいの丸い穴が空いている岩石メディスンストーンを散見出来る。4000年という時を隔てていながらそこは厳粛として古代チャモロ人達が居住していた様子が伝わってくる。 グアムとはまさに不思議な島なのだ。
 そうしたチャモロ人の遺跡に興味がある向きにはイナラハンの古代チャモロ村がもってこいの場所である。
 道中、やや上り坂になっている草原を歩き飽きてきた頃、突如として赤茶けた砂漠に出くわす。映画「レイダース」に出てくる、あの茶褐色の岩肌と味気ない荒野の砂漠だ。幻想的というより映画のセットに紛れ込んだような雰囲気で、誰もが砂漠の荒野を連想するに十分な異空間に驚嘆し夢中になる。グアムのイメージから連想のしようもない空間、現実世界と遊離している世界にいるとなぜ不安になってくるのだ。
 ここから彼方の丘に上り眼下に生えている背の高いソードグラス目指して降り、背の高い
グラスをかき分けながら100メートル程寄り道するとさらに小高い丘に出る。このように幾重もの小山を上り下りして今度は草原地帯を歩く。平地を歩き疲れた頃ようやくジャングルに足を踏み入れる事になる。ジャングルはゆるやかだが結構な起伏があり、道中、周辺頭上とありとあらゆる所から草やツタ、それにヤシの木に広葉樹、ソードグラス等が複雑に絡み合って行く手を阻む。その細い道を辿っていると不意に道の左右に巨大な岩石がごろごろと、文字通りごろごろと居並んでいるのに出くわす。
 よく注意して路傍にころがっている岩を観察すると、これが、その昔、古代チャモロ人達が使用していたラッテストーンである事がわかる。そこからさらに50メートル程進むといきなり視界が広がりここかしこにラッテストーンが転がっているのを発見する、ここにかつてチャモロ人が住んでいたのだ。 見渡すと確かにそこは豊かな広がりをふくんだ原野で、ラッテストーンらしき物があちこちに散乱している。その風景に何とも形容し難い一種の感動を覚える。彼らは正にこの場所で「生きていたのだ」という実感がふつふつと湧いてきて感傷的になる。考えてみれば我々日本人は現地、ツーリストに限らずグアムの事を余りにも知らなさ過ぎる。彼らの目には歴史というものは「歩けば突き当たる」程度にしか考えていない。従ってそういうものがない限りツーリストは興味を示さず、歴史は商品にならない、とそう断言する。俗物なのである。
  是非この場所を俗物に見せたい。ここには平和がある。かつて古代チャモロ人達はここかしこで生活し、動き廻り、喋り合い、笑い合い、喧嘩し、そして夕焼けと共に一日を終わらせる。やがて朝日がさす頃、鳥の鳴き声とともに一日が始まる。平々凡々とした毎日の中で敢えて刺激を求めず、浅薄な野望を抱かず、食物の豊作を祈り、家畜の餌や小川の水量に気を配り、ある時は仲間の死を痛み、ある時は新しい生命の誕生にどんちゃん騒ぎをする。隣人達が集い、食物を分け合い、旅先で見知った発見を大袈裟に話して話の種をまき散らす。
 ここにある時間は彼等を中心に廻っていたのだ。生まれ、育ち、学び、子供を持ち、精魂こめて働き、やがて老い、そして計られたように生命を閉じていく。周辺の樹木や小動物のように自然が織り成す法に従って一日を、一ヶ月を、一年を、そして一生を淡々と過ごしていくのだ。
 その昔、誰もが体験した平和で邪気のない時代が確かにここにもあったのだ。そして、こんな所にラッテストーンという歴史を遺し、露のように消えていったのだ。こうして現代人に発見されようとは思ってもいなかったのだろうし期待もしていなかったであろう。ただ淡々と生きては死に、死んでは生きていたのだ、まるで大自然の法則に素直に従うように。
 この無気味な環境の中で立ち尽くしていると遺跡から歴史を学んでみようという意欲が少しばかり揺らいでくる。結局、ラッテストーンから彼らの生活工夫を知り得ても、彼等の生き方までは推察しようがないのだから。学問とはそんなものかも知れない。

 ジャングルをさらに進み、背丈よりも高いソードグラスに覆われた小山の急斜面を下って行くと、突然イナラハン滝のてっぺんに突き出る。見渡せば辺り一帯は鬱蒼としたジャングルの屏風。様々な緑の梢が自然の美しさを華麗に演出する。見事な風景だ。筆舌に尽くし難いとはこの事をいうのだろうか。この40メートルは有にあろうかという崖上から、滝の側面の足場をロープ伝いに滝壺の方へと降りていく。これが実に面白い。降りる段取りも降りる方法も人それぞれ違うのだ。ただ下へ行けばいいわけなのだが、こういう場合ほど人柄が出てしまうのも面白い風景となる。慎重過ぎて一歩も先に行けない人もいれば、左右に自在に飛び跳ねながら落ちるように下って行く人、怖い怖いといいながらさっさと滑るように降りる人、また、ロープを持ちながら全然ロープを利用しない人、実にユニークな人達ばかりだ。こういう場合は人のやるのをじっくり見てから安全な方法を真似するのが一番楽で確実である事を知った。
 サワサワと心地良い小川の水音が集まる下流の滝壺の中で身体を浸して束の間の休息をとる。
熱く火照った身体を冷やす為に満々と湛えた水風呂の中で身体を横たえていると、町内の朝風呂に浸かっているようなのんびりとした気分になり、南国のジャングルの中に居る事を忘れさせてくれる。古代人が住んだ空間の中で異国の文明人同士がより親しくなる時間だ。


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2009年11月19日

グアム秘境紀行 その29:竜宮城・海底天然プール人間水族館とジャンプロックの爽快感を味わう イリグベイ & タガチャンビーチ (Ylig Bay & Tagachang Beach)

 グアム島は日本でいえば淡路島とほぼ同じ程度の大きさの島だという。とすれば当然のことながら島内には様々な歴史的遺物や史跡があり、想像を絶する自然の景観があって不思議がない。
 残念なことに、この島を訪れる99%に近いツーリストはその事実を知らないし、知らされる(訪れる)機会がない、というのが現状だ。
 トレッキングというと人はすぐに山散策を連想する。またビーチといえば歓楽街に横たわるタモン湾のビーチを連想する。グアムを知らないのだ。グアムでのトレッキングは草深いジャングルと灼熱の草原、突如現れる池を連想するが、実際はそれだけではない。地下の大洞窟や壮大な滝、そして人知れぬ海浜や磯がここかしこにある。

 イリグベイは南部の入り口ジョーニャ村を縦走する道路から少し入った海岸のことを指す。イリグベイそのものは殆ど人が立ち入らないことを理由に、ビーチのここかしこに流木や灌木、それに浮遊物が散乱している。乾季の晴天が続く日は海藻の悪臭が漂う。だから益々人が立ち入れないようになっている。このビーチは日本軍が造った簡素なトーチカと戦後間もない頃に米軍が敷設した排水用のパイプがある。ただそれだけの史跡しかない。後は見渡す限りの遠浅海岸が印象に残るだけだ。
 が、このコースの面白さはその見渡す限り幅広い海岸にある。
 その海浜を北に向かって歩き始めるとすぐに日本軍が構築した天然仕様の掩蔽壕を見つけることができる。開戦前、日本軍はここ太平洋一帯のここかしこにこのような掩蔽壕、作戦壕、砲台を設置していた。実際には米軍の上陸は西側のフィリピン海から行われたのでこの周辺では戦闘がない。
 最初に体験するアトラクションが俗に「カメ岩」といわれるカメが宙を泳いでいるような形の岩上から眼下の海面に飛込む「タートルジャンプ」である。およそ10メートル上の崖から真っ青な海にジャンプするのだが、岩盤上に立って足元を眺めると足がすくむ。この岩上からであればどこへジャンプしても必ず深い海底へ落ちることができるのだがなぜか緊張する。そして一度体験すると度胸がついて、今度はジャンプのポーズを工夫しながら飛込む。こういうのを爽快ジャンプというのだろう。その海面下は深くえぐれたような海溝ながら透明度がよく大小様々な魚群が遊泳する仲間達と追いかけっこをしている。

 しばらくジャンプし遊泳した後、いよいよタガチャンベイ目指して出発する。
 このイリグ海岸と彼方のリーフ棚まではかなりの距離がある。そこで先ずはリーフ棚のある波打ち際に向かって歩き、そこから今度は方向を北に変え北上する。リーフ棚に向かって歩く道はくるぶし程度の浅瀬あり、腰まで浸かる深みがあって結構大変だ。その深みの溝に星形をした大振りの青ヒトデがうごめいている。子供達が面白がってそれをつかみ出そうとするが抵抗されてなかなかつかみ出せない。大人がそれを手伝い大声をだしながら引っ張りだし歓声を挙げながら記念写真を撮っている。こちらでは海ナマコの大柄な奴をつかみ上げて皆に見せている女性群がいる。そのナマコが勢いよく水を放出すると周囲の者が一斉に驚声を挙げ面白がって騒ぎだす。 どこにでもある、しかしどこかユニークなビーチ風景だ。
 波打ち際は太平洋の荒波がそのまま大音響をけたてて真っ白なしぶきを大空に舞い上げている。その迫力にさきほどまで騒いでいた仲間が大人しくし、そそくさとそのしぶきを避けながら粛々と歩き続ける。激しいしぶきがその波が寄せる都度、足元の水流を掻き回して寄せては返すその岩肌を歩き続ける。やがてその岩肌が大きく裂け、小部屋ほどの海溝をみることができる。海面下の天然プールである。
 こういう磯にできた海面プールは島のあちらこちらにある。西側にはセラベイ、東側はイパンビーチ、イナラハンのベアロック周辺が特徴的、しかしながらその総てが毎日の潮流と満ち干によって変化していて毎回必ず楽しめる、というわけにはいかない。
 ここイリグベイの海面天然プールはあちらこちらにあって、その形や大きさ、深さがそれぞれ違うのが楽しい。細長いプールでは大型の魚を追いつめることができるのでハンティングしている気分になれるし、広く大きなプールでは競泳ができる。その下には色とりどりの熱帯魚が群れを作って泳いでいる。また海溝が海底でつながっているプールがあり、その中を潜水して彼方まで達することもできる。水族館で人が魚をガラス越しに眺めるのではなく、魚が人を眺めている風景を連想すればいい。人も魚も水泳を楽しんでいる風景を連想すればいい。数種類のサンゴが一同に集まっている稀有な珊瑚礁があれば、天然記念物の紫サンゴが鮮やかな色彩で波に揺られているのも珍しい。これほど大きな紫サンゴは初めて見た。
 
 このコースは海面天然プールを散策遊泳するだけで殆どの時間を費やす。それほど見応えと遊び応えがあるコースだが、タガチャンベイ近くの磯伝い歩きがまた面白い。このコースは太平洋沿岸スレスレに歩くので大波を間近に感じる醍醐味とスリルを味わえるし、またブローホールでは小さな岩穴を強烈なしぶきがくぐり抜ける勢いを体感できる。
 因に公共施設があるタガチャンビーチは砂が流されてしまっていてビーチではない。おおぶりのグリ石がごろごろころがっていてとても泳げる状態ではないし、潮が引くと歩くのにさえ苦労する。従ってこのビーチで遊泳する夢は持たない事。
 グアムで遊ぶ来島者の多くは海に来て海を知らずに(遊ぶ)落胆して帰ることが多々ある。
 タモン湾ではイパオビーチがもっとも遊泳に適した海岸であるが感動を得る、という点では意見が異なる。また、あえて大枚を払って海洋にでてシュノーケルするのは勿体ない。折角、四方を海に取り囲まれておりながら本当のグアムの海の素晴らしさや痛快さを体験しないのは勿体ない限りだ。是非、知っていながら知られていない海で遊んで欲しいものだ。

*グアムの海は天候不順だけではなく強い海流があるので注意が必要だ。仮に浅瀬で楽しんでいても時に数メートルの大波が海岸を洗うことが度々ある。また、磯や海浜は尖った石灰岩、サンゴや貝の破片、で覆われているので簡単に肌を傷つけることがあるから気をつけて欲しい。また、残念ながら車上泥棒が多いので金品、貴重品は絶対車に残しておかないことをお勧めしたい。


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Posted by kenhagaguam at 23:00

2009年09月13日

グアム秘境紀行 その28:パガット岬と最後の秘境地帯、幻のチャモロビレッジ探訪(Pagat Point & Villages)

 本物のグアム、歴史が窺えるグアムを求めるツーリストが最近目につくようになってきた。と同時にローカルの間でも自分の島について興味を持ち始めるようになってきたようである。
 この島は4.000年以上前から人が住み着き、長い歴史の中でチャモロ文化が形成されてきたことは誰もが認めることである。が、しかしながらそれを具体的に明示し、その文化、歴史を辿って説明できる人が少ないのも残念ながら事実なのである。自分の国の歴史を知らない、ということは自分のルーツを知らない事と同じで、やがて時が経つとそれが大きな喪失感を招くことを歴史が証明している。
 そのことに関連するのだが、ここ最近になってグアム島北東部の海岸地帯がにわかに注目されだしてきている。その理由は北部の海岸線に向かって米軍が射撃訓練するために広大な地域を接収する、という噂が真しやかに流れているからだ。そしてそれは実際米軍の視野に入っている、という。政治的な意味合いや軍とグアム政府との軋轢や交渉状態などはとりあえずさて置いて、問題なのはこの周辺には4.000年からのチャモロ人の歴史と文化が埋もれていること、であり人知れぬ間に2度とチャモロ人のみならず世界の歴史上からも姿を消してしまう恐れがあることに恐怖を覚える。

 海兵隊移転に伴ってグアムの秘境や文化村が奪われ、永遠に取り戻すことがなくなる前に「できるだけ多くの名所を見ておきたい」、という気持ちになって早速その幾つかノミネートされている秘境を探訪してみることにする。
 筆者が一番気になっているのが紹介するパガット村と神秘の洞窟。ここは有史以前から人が住みつき、ラッテストーン時代を迎え、スペイン人と争い、やがて村を放棄して現代人に変身していったその所為で村そのものが遺棄されてしまった忘れられた幻の空間であること。大袈裟にいえば(住居跡が想像できる、という意味で)グアム唯一の現存する場所なのである。

 パガットはデデド村から少し入ったジーゴ村の入り口付近にある。具体的にいえば向かって左側の太平洋側にある。一帯は荒原に覆われた石灰岩である。従って、草木が生えずに周辺は雑草が茂った広大な大地、足元はゴツゴツした感じのする獣道で太陽の照り返しが腹が立つ程に暑い、暑くてたまらない。石灰岩の地盤というのは目立った立ち木をもたず、食になるフルーツもない。ただ所々にゴミが捨てられていて、まるでゴミ捨て場を歩いているようで不愉快、無惨な感さえある。
 かなり歩いた果てにパガット岬が俯瞰できる小さな広場へ出る。ここは私有地であって所有者がトタン板で小屋を作った物置がある。この小屋が崖の淵にあり、木陰を作っている。ここから眺める眺望は素晴らしいので勧めたい。太平洋の荒波、碧い大海原、彼方北方にパガット岬が見え南遥かにパゴ湾が望める。眼下に切立った崖、そのあちら側はうっそうとしたジャングル地帯である。そのジャングは迷えば二度と戻ってこられないだろう、という恐怖感を漂わせている。

 第一のチャモロ村はその真下にある。かなり急な崖を用心深くおりていくと勾配の要所々々にグアムの花やフルーツが咲き乱れ実をたわわにして道を塞ぐ。時折香しい香りが周辺に漂い足元の緊張感を和らげてくれる。やがて道半ばではあるが平坦な道に辿り着く。この辺りに幻のチャモロ部落があるはずだ。行く手を圧倒する鬱蒼としたジャングルに分け入り、少しばかり迷った後にようやく目標のチャモロ人の壁(フェンス)を発見する。「I FOUN IT!」思わず誰かが大声をだし、それに釣られるかのように散っていた仲間達が声の方へ集中する。
 そのフェンスは岩の塊のようでずっと彼方へ繋がっている。跡をたどると時に腰程の高さになり、また膝ほどの高さに戻る。距離にしておよそ300メートルはある。それが蛇行しながらジャングルを貫いているのだ。そのフェンス、右手ややあってそのあちら側は切立った崖下になっている。左手はそのまま鬱蒼としたジャングルが続き、その向こうは崖の上となる。それが何故そこにあるのか、どういう理由でそこにあるのか、は誰も知らない。ただその形状がフェンスである、ということ意外想像の余地がない。
 そのフェンスの行き止まりにラッテサイトが在る。腰ほどの高さのラッテストーンが数基崩れたままの姿でそこに在る。余りに突然姿を現したので居合せた仲間達が思わず通り過ぎて声を挙げて立ち止まった。およそ1200年前、この周辺に古代チャモロ人達が住んでいた。彼等はその後この先にある第二のチャモロ村へ移動し、そこでスペイン人達と戦争をし、やがて村を追い出されるようにして移動していった、と想像される。
 そのラッテサイトからさらに南へ向かう。かなり段差の激しい岩壁をゆっくりと移動していく。右手には真っ青な太平洋の荒波がうねりをもって岸壁を叩き付け時々そのしぶきが真っ白なシルクの束になって舞い降りて来る。豪快痛快な景観だ。

 第二のラッテサイトは太平洋岸の崖上地帯を、第一のラッテサイトからゴツゴツ岩をかなり歩き、ややあった右手ジャングルの中にある。
 そのジャングルの入り口は幹が太く背の低い南洋プラントで阻まれ踏み入れにくい。少しばかり迷った後、ようやく通路らしきものをみつけて中へ入ってみる。そのジャングル空間は、木立が多く涼しい日陰になっていて身体を冷やしながらその中を進むことができる。足元の要所々々にグラインドストーン(メディソンストーン)といわれている大型火鉢のような岩石があるのが直ぐわかる。苔むしたようなグラインドストーンのその真ん中には大きな穴が空いてあって、その中で草々や木の実を入れてすりつぶしていただろう、という説明がすんなりと理解できる。その周辺を見渡すと、辺りはだだ広い空間、しかも目的になりそうな物が何一つみえない。だから迷子になりそうになる。ここで迷えば生還するのは難しかろう。
 周辺を探検する。もっこりずんぐりした岩石がポツンと立っている。これがラッテストーンであることは、朽ち果て加減ですぐわかる。
 その昔、世界が未知のまま謎めいていたその時代。そこに住むチャモロ人達は海を眺め、魚を釣り、木陰のジャングルの下でひっそりと暮らしていた。木の実を採り臼でひいて粉にし、これを団子にして葉っぱでくるみ火に焼べて食していたらしい。この村の下方には地下大洞窟(パガットケーブ)があってそこで飲み水は補充できていたのであろう。時に子供や青年達は狩りに行くと称してジャングルを離れ、海岸に群れているココナツクラブを捕り、大柄な大とかげを捕らえていたかも知れない。老人は雑木を拾い集め薪にし、女達は葉っぱや木々を使って編み物細工をし、料理を作る道具に使っていたのだろう。彼等はゴツゴツトゲトゲした岩場を歩けるような草履を作り、蟹や魚を捕まえる罠と網、それを入れる道具をハイビスカスやタコの木の皮をはいで紐状にし編んで作ったようだ。
 ここのラッテサイトは人々が住む空間としては申し分のないほど広く、木々が少なく、平地がずっと続いている。ただ現代人には蒸し暑いのがやりきれないぐらい。腰を屈めるようにして少しずつあちら側に見えている谷底へと向かう。

 岩場を下ると谷底に到達する。そこには2つの巨大な洞穴が左右にあり、一つは広々とした空間の洞窟。そしてもう一つは地下に繋がっていてその先にはドーム状の真水洞窟がある。洞窟を恐る恐る下っていくと気付かぬ間に地下水に足を踏み入れることになる。その水の冷たいこと、思わず大声が出てしまう程だ。歩く間に水かさが深くなりせまい入り口をくぐり抜けると目の前に超巨大な洞窟が現れてくる。進む間に水深が深まりやがて背が立たなくなってくる。その真水は透明度が高く、ロウソクで足元を照らすと足先がよく見えるぐらいだ。
 かつて古代チャモロ人はここで水浴をし、この水を飲料や煮炊きに使っていたのだろう。口にふくむとやや塩辛い(塩分0.3%)。周囲およそ70メートルはあろうか、という真水の洞窟。窟内にろうそくが陽炎のようにゆらゆらと揺れて幻想的な世界をつくり出す。このコースのハイライトである。火照った身体を真水に沈めて癒していると世情の煩わしさが彼方へ消えてなくなる。グアムの自然に魅了された多くのツーリストがグアムの魅力を感じたのはこういう時なのだろうか。自然体であろうという自分とすべてが自然の動きの為すままに,という現実。色々なことを考えさせ思い出させてくれる島、それがグアムの真の姿なのだ。

 そのグアムがやがて地勢地形的な配置が魅力だけの軍事基地に変わっていく。
 沖縄県からの米軍海兵隊移転(兵士あわせて40.000名といわれる)によってこれまでの軍事基地40%近くがより拡大されていくのだ。筆者は反戦運動家ではないしむしろ国防を最優先する立場にあるから移転について賛否はない。しかし、移転によって確実にこれまで以上にグアム人は混乱をきたし勝ち組負け組の色分けが鮮明になっていくであろうと予想する。勿論、その中には観光業を生業とする海外業者も含まれている。移転による人心荒廃をいかに最小限にとどめるかが興味あるところである。
 移転問題はグアムの自然破壊に直結している。グアム等で唯一歴史的遺物遺構が保存されているのが実はジャングル内であることを歴史学者ですら知らないことが多々ある。これまで人知れず数百年も放置されていたお陰でグアムの誇りは失われずにきていたことをローカルは無論、ツーリストも気付いて欲しいと願う。早い話がこの稿に紹介しているパガット村もその一つであるのだが、ここも含めた広大な敷地がやがて海兵隊の射撃場に利用されることを知っている者は少ない。かなり少ない。一度米軍の敷地に指定されればもう二度とローカルの手に戻らないことぐらいは歴史が証明している(その少ない逆の例が沖縄島返還であった)。
 古代パガット村は知っている人が少なく伝説で終わろうとしていた。しかし偶然に発見されたお陰でチャモロ人は誇りを持って自分の歴史を見直すことができ、同時にその誇りを指定記念物とする前に、領土として支配されたまま再び伝説の世界へと消え隠れそうになっている。歴史とは厄介なものらしい。


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2009年06月16日

グアム秘境紀行 その27:意外な所に意外な発見、そして川水が涼しいフォンテリバー(Fonte River)

 グアムという島をあらためて見てみると様々な表情があって時に膝を正して取り組まなければならないことがある。歴史もそうであるし文化もそうである。勿論、マリアナ諸島の中で唯一地形と変化に富んだ大自然もその魅力の一つである。
 さらに無視ができないのが太平洋戦争の現場であった、ということでありその残滓というべき戦場戦跡もそこに在る。

 マリンドライブ上、右手にグアム知事執務室が在る交差点を左折したすぐ左の所に旧日本陸軍の戦車が一輌破壊されたまま放置されている。
 この戦車は「チハ95」という軽戦車で世界に僅か3輌しか現存していないその一輌である。因みに3人乗り。周囲には当時日本軍が使用していた機関砲や重機関銃が錆び付いたまま放置陳列されてあって、国のために生命を捨て亡くなっていった英霊達への哀れさを感じる。
 この場所から斜め対面側には戦争博物館が在る。個人が収集した戦争遺品が展示してあって、中でも珍しいのは当時の日本の三輪車、それと日本側の展示場に「故・小畑中将の軍刀」というのが展示されてあること。これは古刀であって、それだけでも珍しいのだが、これを所有していた(らしい・・・、あくまでも想像)将軍は1944年8月10日に北部ジーゴ村で戦闘中爆死している。筆者がこれに接した時の率直な感想は「霊が乗り移ったような感じがして気味が悪い」ということ。この軍刀を祖国靖国神社へ寄贈しよう、ということで少しばかりお手伝いしたのだが条件が多くてなかなか現実のものとならないのが残念である。因みに、ここの博物館内の日本語説明を頼まれて製作したのだが、確認で中に入るとなんとなく寒気がし鳥肌がたつ。これまで何百回となく戦跡を案内してきたが、ある場所以外はこういう体験がなかっただけに気になって仕方がない。早く日本へ戻してあげたいものだ。この会館外に展示してある高射砲は日本軍戦艦から取り外したもので、ついこの間まではタモンビーチにあった名門「フジタホテル」のプール際にあったものを移築している。久しぶりにこれを見つけた時は嬉しくて何度もなで回したものだ。

 話戻って、この博物館前の道路は戦時中捕虜になった日本兵が苦心して作った道路である。
 なだらかな坂道に上っていくその途中の右方には、有名な旧日本軍の洞窟司令部があり、その手前の路端で南太平洋の軍総司令官、高品毅中将が敵の戦車砲にあって壮烈に爆死した場所がある。その坂道を登りきった場所が出発地点となる。
 登りきればなだらかな平地に出る。その左手に変電所があり、そのあちら側に坂道、電柱に沿ってずっと下っていく。ここは見晴らしがよく彼方にグアムの中央部にそびえ立つアルトム山がよく見える。下って行くと周囲がだんだんとソードグラスの林に包まれ、やがて背丈よりも高いグラスの中に埋もれてしまう。小さな石柱に目印が刻まれている、ボーイスカウト用らしい。
 その看板に従って道を歩く。かつてジャングル道であったものが、軍基地の子供が歩けるように、刈り込まれていて興味が激減する。地元の人の財産ともいえる大地をアメリカ人は我欲のために開墾してしまう。 数千年の歴史を抱えた大自然はそのまま放置しておくに限るのだが、僅かな数の外国人が、その便利さ安全のために歴史という悠久の時間を削り取るのは余りにも残酷な気がしてならない。最近、沖縄県からの海兵隊移転に伴う、やたらと目につく現象である。
 さて、無粋な道を歩いて行くと、左の方にパームツリーの木々が浮いているように見える。そこから20分足らずでジャングルへ入っていく。
 酷い湿気で一気に汗が吹き出てくる。で、そこをさらに進入すると、ジャングルの途切れた辺りで急に視界が開け、右方の遥か彼方に先ほど俯瞰した大韓航空の墜落現場がよく見える。
 そしてそのあちら側のはるか遠方の山の頂きに黒いモニュメントが見える。それが1997年8月6日の早朝未明に起きた大韓航空801便が墜落した現場の慰霊碑なのである。

 大韓航空機墜落事件は、瞬時に膨大な犠牲者を出したグアム史上最大の大惨事で戦時以外では初めての事件である。その日早朝の01時42分、254名のうち229名(生存者24名)もの犠牲者を出した現場へ駆けつけた仲間の一人は、あちらの方を指差しながら「低空でアプローチしてきた機体が手前の丘に右翼をこすりつけそのまま大きく転回して激突した」様を説明する。その規模が拡散し拾集に苦労した話をすると期せずして全員が死者に黙祷を捧げていた。

 長くなだらかな坂の真下に出てジャングルの中をしばらく歩くと野生化したバナナの林と等身大のタロ芋の大葉が道を遮るようにしなだれがかりその中をくぐり抜ける。度重なる大型台風の影響で再生したバナナの木々が辺り一面に群生している。潅木を潜り歩いていると突如アメリカ全盛時代を偲ばせるフォンテダムが現れる。高さにして7メートル、幅5メートル程のレンガとコンクリート作りのいかにも頑強なシェープをしたこのダム(1910年に完成)に思わず驚嘆の声が洩れる。100年前のジャングルは当然の事ながら現在と似ているようで全く違う。第一今日のように直ぐそこまで人工的な歩道はなかったし、電柱ですら立っていなかったはずだ。
 当時そこら一面は壮大な湖で、ダムとして使用されなくなって以来序々に周辺は荒れ果て湖面は渇き様々な樹木が足を伸ばして遂にうっそうとしたジャングルに変化してしまった。そこはかつて64年前に、戦場であり集団となって待機していた日本軍がアメリカ軍に狙い撃ちされた所でもある。渓谷であることから戦時中はそのまま日本軍簡易捕虜収容所でもあった。
 それにしてもここのダムを施設することを発想した人間は誰だったのか?
 このダムの下流に位置するハガニャ市への水源を確保する、という理由は理解できるがそれにしてもよくこんなジャングの中に水源があることを見つけたものだ。否、そればかりか、ここへ資材を運び込む搬送用の道路だってなかったであろうし、ダンプカーやクレーン車のような気の利いた大型車輌もない。となれば全てが人力に頼るしか方法がなかったものと想像できる。当時のアメリカ人はきっと忍耐と創造力に富んだ民族なのだろう。
 今でも大池から満々と雨水を溜めた水がダムから心地よげに滑り落ちている。何億年と変わる事のない水が100年前の人工的なダムの上を通過している。その様をたとえるならば「白いレースの滝」とでも表現しようか。なんともいえぬ文明の香りがする。このコースで見逃せない大切なポイントだ。

 そのダムの下流を川下目指して歩く。時に川に滑り落ち、膝まで浸かりながら歩く。川床が滑りやすいので気をつけながら歩くとなんとなく「探険ゴッコ」をしている気分になってくる。
 この川(フォンテリバー)は川幅にして約4〜5m内外、川底は深い所でせいぜいが大人の膝ぐらい。それがほぼ真っ直ぐ下流へ向かって流れ行く。その川をじゃぶじゃぶと歩くのだが時に小さな滝になっていて迂回を面倒臭がる者はそのままザンブと飛び降りる。
 次第に川幅も狭まり斜面も急になってくる。大きな岩があちこちに現れ風景が少しづつ変化してくる。これが痛快だ。
 やがて行く手を阻む滝が現れて誰もが言葉を飲み込む。ここからジャンプしなければ迂回するしか方法がないのだが滑りやすい斜面を行くので実に面倒臭いのだ。と思う間もなく仲間の誰も彼もが「ままよ」とばかり滝つぼめがけて次々にジャンプを始める。叩きつけるようなザンブという音と絶え間ない笑い声が辺り一帯に鳴り響いて時間を失う。このコースの魅力はこれかも知れない。
 この下流をそのまま下るとやがて大きな岩の斜面に出くわしさらに下ると巨大な岩の下辺に出来た洞窟を発見する。周囲約10m程の滝壺の所で休憩しランチをとる。
 子供達が小エビを追いかけたり、鍾乳洞を探検している。大きな身体をした仲間がその狭苦しい穴につかえたような芝居をして周囲の仲間が腹を抱えて笑っている。まさに大人が子供に戻る空間なのだ。

 今度は岩壁を伝いながら丘の頂き目指してよじ登る。
 岩と土で出来上がった巨大な岩肌にこびりついたようにのぞけて見える小さな岩に指を添え、足をかけながら登りつめると爽やかな風が頬を過る。
 山頂から辺りを望む風景はまた格別である。眼下は鬱蒼としたジャングルで川面がくねるようにしてハガニャの町へ流れていて、彼方にはハガニャハイツ、そのあちら側には国際空港の滑走路が、またそのあちらには戦前「春日山」と呼ばれたバリガダハイツが展望出来る。そしてその遥か彼方には「高原山」と呼ばれたサンタロサ山がみえる。あれは北方の先端だ。
 その景勝に誰もが感動して声も出せない。おそらく自分という不自然な生き物が大自然の中にじんわりと溶け込んだ快感を楽しんでいるのだろう。グアムの自然美が人間を包み込む瞬間でもあるのだ。
 この道を下ると洋蘭があちらこちらに愛らしく咲いている。ほのぼのとした気分になってくる。一輪、時に2輪しか花を咲かす事のない野性の洋蘭は日本では時価にして70.000円以上もするそうだ。物知りがそう説明すると周囲の声がドッと湧いた。この時ばかりは人間界の価値の評価で納得したみたいだ。
 うっそうとしたジャングルに包まれた雰囲気の中、のどかでゆったりとした時が流れていく。帰り道にあちらこちらに咲き乱れる洋蘭や胡蝶蘭を見るのもこのコースの楽しみの一つに違いない。


左:フォンテダム/右:川を歩く
フォンテリバー1:フォンテダム フォンテリバー2:川を歩く

フォンテリバー3 フォンテリバー4

フォンテリバー5 フォンテリバー6

フォンテリバー7  

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Posted by kenhagaguam at 18:00

2009年04月19日

グアム秘境紀行 その26:シグアリバー、ジャングルリバーを徘徊する面白さ(Sigua River)

 「グアムの自然を旅する」というと、最初に思い付くのが、先ずは青い空と青い海という海辺のイメージが思い付く。しかし海はいつも青い・・とは限らないで、時に雨や風でその豊かな自然が一変して陰気な世界に変わってしまう。グアムが青い海、としか想像できないかぎり本当の魅力に気がつかないのかも知れない。
 グアムの自然の魅力とはなんなのだろうか? それはタモンの商業地区だけにいては決して気がつかない全島のおよそ80%近くも占めている肥沃な土地とうっそうと繁るジャングル、そして河川、洞窟などが往時のままそっくりそのまま在る、ということかも知れない。
 この島は島が形成されるまでの知られざる地質学的な経緯と背景がある。例えば高低様々な山脈、平原、そして河川の多い南部地区、海面にあって波に洗われた平坦な台地とユニークな形状の洞窟、リッチな半島と海岸、そして意外な名所が隠れている北部地区。さらにこの島の中央部にも広大な自然、秘境が隠されている事がわかる。グアムは島全体が謎に包まれた秘境といって言い過ぎではない。
 その中でトレッカーにもっとも人気がある川巡りの内で、中部の山奥の真ん中を流れているのが紹介するシグアリバーである。

 マリンドライブのハガニャ市街を通り抜けピティ地区を通り抜け、左折してアルトム山の山頂近くをめざして進むと赤土がまるだしの山道になる。そこからコースが始まる。
 道なりに辿って行くと右手に溶岩が噴き出したままの岩場がごろごろと見える。この岩場こそグアムの地質と歴史を知る上において絶好の資料となっている。
 グアムはマリアナ14諸島の一部、最南端に位置する。20億年以上前に火山の一部として存在し、やがて大地の隆起と沈下の繰り返しがあり今日の形状となる。
 グアムの南部は火山の流失した豊富な鉱物により土地が肥沃になり(酸性の土壌)、北部は後期火山の流出による石灰質の土壌とサンゴの繁殖と死滅の繰り返しの堆積によって形成された土壌(アルカリ性)、したがって南北全く異なった土質の組成になっている。この島の南部近くを有名なマリアナ海溝が横たわりグアムがぽっかりと浮かぶ感覚を覚えるのはその為だ。
 この溶岩で出来た大きな岩場は、最大のものでその高さにしておよそビルディング3階程もあるほど巨大だ。その壁面に触れてみると脆そうで崩れず、硬そうで壊れやすい感じがする。何万年もの間にそれは徐々に風化され、今でも白いシミのような苔のような、あるいはカビのような物が随所に張り付いている。この巨岩群が生きているような錯覚を覚えるのは、漆黒の岩が周囲の雰囲気に馴染まず往古の姿をそのまま如実に表していることだ、脆そうで崩れないのは老いた人間の生き様に似ていなくもない。不思議なのはその近場で休むと妙に涼しく感じること。きっと、古代チャモロ人達も此処で休んでいたのだろうな、と連想する。時間がゆっくりと通り過ぎる感じがして心地良い。
 このまま道を辿れば自然にテンホー山に行けるのだが、シグアリバーへは左手の坂道をゆったりと下って行く事になる。
 まるで道とは思えないような、雨が山を切り裂いたような川の跡、丘陵をそのまま下る。やがて左手彼方の山裾が見えてくる。周辺が濃い緑に包まれたジャングルである。そのジャングルは川の流れに沿って下方へと続いている。因にこの頂点の上流にあるのがシグアフォールである。
 ジャングルの下方目指して道無き道を進む事2時間余り、ようやくシグアリバーの下流へ出る。
 シグアリバーの下流には幾つもの滝があるが、どの滝も年間を通して水量が多いので滝から落ちる水は散々に砕け、とても爽快である。山上から下方へ勢いよく流れる川距離が短い事、狭い所から流れ落ちるので水の勢いが強い。従って水の透明度も良い。勿論、記念撮影にも絶好の場所となっている。

 坂道を駆け下りるようにして川へ降り、そこからシグアリバーの上流目指して川の中を進む。
 このシグアリバーは色々な形状を持っていて、グアム島中央部をほぼ貫通して東部の支流へと流れていく。それらが次々に形を変えるのでチャレンジ精神を煽ってくれるのだ。
 例えば、川の姿だが、次から次へと、くるくると目まぐるしく変わるから飽きる事がこない。幅が10メートルもあるかと思えば2メートルしかない場所もある。雨期に入っている所為もあるが、川幅が広くくるぶし程の水深かと思えば、急に狭くなり膝まで浸かるかと思えば腰まで浸かる程深くなる所もある。川幅と水深が一定していない場所もあって、見た目と違って時に浅くなったり深くなったりするので難儀が続く。
 また、足元が砂礫のようなさらさらした土質もあれば、細かい砂利や大きなごろ石、苔や積土や落葉でぬるぬるになった岩石や川面に突き出した大きな岩があったりして落ち着かない。
 始末が悪いのは、砂礫の土は靴の中に容赦なく浸入し、苔や積土でぬるぬるになった岩石は足にまとわりついて滑りやすい。だから何度も何度も川の中でころぶ。こけつまろびつという状態が続く場所も多くこれが歩行をさらに困難にする。
 周辺を見渡すと、樹木で覆われた鬱蒼としたジャングルもあれば視界の広い草原もあり、簡単に歩ける場所もあれば岩場で行き先を遮られそうな難所もある。水深が深い所はバッグを頭に乗せて歩くのでその姿はもう戦争風景そのものだがこれが実に面白い。
 1時間程歩いた全行程の1/3ほど川が曲がりくねった平坦な所で小休止になる。
 「これで終わりなら最高のトレッキングだね」、と仲間の一人が美味しそうに水を飲みながら呟く。グアムの川がこれ程長く続くとは誰も予想出来ず、ここら辺りで終わりだろうと自分で納得しているから、つい、軽口が出る。しかしながら実際に難行を強いられるのはこれからである。

 このコースの魅力は正にこの川を歩きながら楽しむ川べりの風景である。さらに上昇する体温を下げるのに川歩きは実用性があって最適だし加えてスリルと興奮と期待感も湧いてくる。

 丁度その時、上流から12歳ぐらいに見える地元の子供達がやってきた。見るからに軽装。中にはゴムサンダルの子供までいる。まるでちょっと近くへ「探検ごっこ」をしに行くといういでたちである。疲れ果てて青息吐息でぐったりとしていた我々とは無縁な連中らしい。我々を見るとそこそこに挨拶を交わしながらそそくさと下流目指して降りていく。仲間達が呆れ顔で互いの顔を見合わす。これまでの苦労を比較すると狐につままれたように感じる。子供にとってのトレッキングは風景がついた遊び場なのだろう。

 そこからさらに上流を目指して川の中をもたれ込むようにして進む。互いに滑る足元や木々の枝に注意を促しながらただ黙々と進む。何度も何度も滑って川面に身を投げ出す間に、いつしか足に踏ん張りが利かなくなり気力だけで歩くようになってくる頃、ようやくアッパーシグアホールの滝つぼへと辿り着く。
 誰もが無言でその滝つぼに入り、滝に打たれながら天を仰ぐ、まるで修業僧みたいに黙々と滝に打たれ続けるのだ。
 シグアの川は、毎日同じことの繰り返しで刺激に乏しく、何をするにも考えるにも無気力になってしまった都会人に様々な形でチャレンジ精神を奮い立たせてくれる。際立った目的が無くても、一度自分にチャレンジする事を思い立った者に、困難を克服するチャンスと克服した後の喜びを教えてくれる修行の場所なのかも知れない。 


シグアリバー1 シグアリバー2


シグアリバー3 シグアリバー4


シグアリバー5 シグアリバー6  

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Posted by kenhagaguam at 17:32

2009年04月09日

グアム秘境紀行 その25:原始ラッテストーンが遺っているハプトビーチの魅力(Haputo Beach)

 ハプトビーチは米軍の基地内にある。この基地はマイクロネシアモールをさらに北上して初めての信号を左折し、そのまま北上を続けると左方にマクドナルドがあり、此所の手前を左折して米軍通信基地に入る。基地に入って直ぐの所を左折するとハプトビーチ入り口の看板が見える。
 例の9:11テロ事件の後、ただでさえ厳しい米軍基地散策であるからして、現在では「遊び半分で基地内見学」はとうてい許されない。ローカルの要人でさえ余程の許可がなければ入れないのであるから一般では至難の技となる。
 余計なお世話ではあるが、自国の所有地を自由きままに歩けないとは惨めな話である。

 時々感じることだが、ここハプトに限らず、米軍基地内のどこへ行っても、敷地内は奇麗に芝が刈り込まれ、ゴミなど一つとして落ちていない。史跡は完全に保護され、看板などが立っていて「どこの国かしらん? 」と思わせるほどに大切にされている。つまり、基地外とは大違いなのである。訪れる人がいないので、人が見ないクリーンな史跡、と人でごったがえしていて史跡がゴミ捨て場に見える、のとどちらがいい、と聞かれれば困る。グアムまさにその典型である。

 さて、紹介するハプトはその、人が訪れない、忘れられたような海岸地帯である。
 海岸線に降りる為にかなり険しい階段のある斜面を降りて行く。途中、眼下にこれから行くハプトビーチを遠望できるし、また、ジャングルの鬱蒼とした雰囲気も体感できる。真っ青な海洋と白砂の海岸、それに深緑のジャングルの対比はまことに見事で一見の価値がある。
 海岸に出る。結構広々とした空間だ。静かで綺麗でロマンチックな海岸だ。
 この1キロ程の沿岸のド真ん中辺りのジャングルに分け入ると、閑散とした空間が現れ真っ青に苔蒸した高さ2m足らずのラッテストーンを発見する。周辺にも幾つかあるのだが、完全な形で残っているのはこれだけ。原形のまま現存しているのは珍しい。
 ラッテストーンはその昔、紀元600年前にこの島に棲んでいた(アジア系移民と思われる)チャモロ人によって作られた、といわれている。その形状は礎石となる円柱状の土台石を埋める為に深さ約30〜50cm程の穴が掘られ、そこに円柱の石灰石を置く。そしてさらにその上にキャップストーンと呼ばれる逆さにした丸サンゴの塊を台座として置く。形態が風変わりなのでこれを、例えばその上に社を置いて社殿にした、という説、また、民家だった、食料を保管する倉庫だった、とかの俗説が後をたたない。
 昨今、なんとなく理解されてきたのがこのラッテストーンは高床式の足場石であろう、という説で、であればこれは家屋の基礎石となったものだからして当然、その上には人が住む住居があったであろうという事になる。彼等の生活は漁獲が主体で狩猟は2義的だったらしい事から、例えば食料を保存するのにこの小屋は最適であったろうと容易に想像ができる。そこに住む事の出来るのは部落の豪族クラスであったろうともいわれている。
 豪族とは酋長クラスのリーダーの事である。当時の村々はそれぞれ部族が支配しており、そのリーダーをマタオと称し、リーダーの下に側近ともいうべき士族アチャントが居り、さらにその下に平民アチャングが居たという。これらの組織というか形態は厳しく峻別されていたらしい。
 クラスの事をいうと、カヌーを操ったり、漁業が出来るのはマタオとアチャントだけでアチャングは水に入る事すら許されていなかった。この階級差は歴然としていたらしく、それにより結婚も生活形態すらもそれぞれの階級以外と一緒になる事はなかった。封建時代がここにもあったという事だ。

  ハプトビーチに出る。
 かつて64年前の太平洋戦争中、開戦直後に日本軍の追跡から逃れたアメリカ通信兵がいた。その数名の一人がジョージ・R・ツイードという通信員であった。彼は他の戦友が射殺、あるいは捕獲されたにも拘らず、ローカルの犠牲に助けられながら、遂に開戦中にアメリカ海軍によって助けられたのである。そのまさに奇跡の生還といわれる逃避行の果てに海上に漂う味方戦艦へ向かって泳ぎ始め、遂に脱出に成功する。彼が戦艦に向かって泳ぎ始めた海岸がここハプトビーチだといわれている。
 この海岸は遠浅であるが海溝が大きくサンゴ棚に食い込んでいる。従って様々なタイプの魚が棲んでいる。また様々な種類のサンゴはそれぞれ独特の色合いを持っていて実にユニークで美しい。この夢幻のような海溝に遊泳する魚群と一緒になって戯れる事を勧めたい。これがこのコース最高の贅沢と思えるからだ。新聞紙4ツ折大のオニハタダテやツノダシ等などは彩りの美しさを堪能させてくれるしクロハギやカスミアジ等の大型の魚を間近に見ると海中にいるような錯覚を感じさせてくれる。5m程の水深でも海底がくっきりと見えるし、底にうごめくウミウシやヒトデが手に取るように見える。
 そしてシュノーケルを楽しんでいる私の周囲には小指程の大きさの小魚達が群れを成して遊泳し、キラキラとうろこを返しながら戯れている。時を忘れる贅沢さだ。
 このビーチのいい所は潮の流れが少ない事だ。従ってどのような場所で泳いでも流されたりする心配がない。それに風変わりな小山のような岩山が海中に立っていて美しい。まるでお伽の国のようにメルヘンティックだしその景勝はやすらぎになる。ここは時を忘れる楽園ビーチだ。

 もしここが米軍の敷地内でなく、誰もが楽しめる公共のビーチだとしたらどうだろう?
 きっと海岸でBBQをし、そのまま跡片付けもせずにそのまま置いておくのだろうか?
 あるいはまた、海岸傍で大騒ぎをし、群がる小魚を蹴散らしてしまうのだろうか?
 公共施設を尊重し大事に使わないローカルと、ストイックなまでに環境保全にこだわり、人もまた自然の一員であることを無視ししてやたらルールで締め付けようとするミリタリー。
 文化文明とは面相臭いものらしい。


ハプトビーチ1 ハプトビーチ2


ハプトビーチ3 ハプトビーチ4


ハプトビーチ5 ハプトビーチ6  

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Posted by kenhagaguam at 00:24

2009年03月10日

グアム秘境紀行 その24:果てなきリバーウォークの面白さラサ・フウア・リバー(La Sa Fua River)

 この島の中央から南部にかけて幾筋もの川が西へ東へと流れている。島を横断する川もあれば、島を縦断するとてつもなく長い川があり、大自然の脈々とした生命を感じることがある。乾季になると乾燥地帯特有の干涸びた川となり、雨季には川幅が広がり夥しい雨が流れ落ちて乾季とはまた異なった趣を見せてくれる。激しい嵐が襲えば景観が一変し、草々の繁茂によって状況がかわり情景が変わりそして全体の風景が変わっていく。川は生きているのである。
 これまで筆者が体験した「川歩き」で印象に残るのはこの長いジャングル水道をうねうねと果てしなく歩く「シグア川」。時に胸まで浸かりながら歩き続ける戦いのようなシグア川と、そしてこの「ラサ・フウア・リバー」である。このラサ・フウア・リバーは全体的に水深にたいした高低差がないのが特徴でうねうねと蛇行しながら序々に上流まで登りつめる面白さがある。
 場所はグアム南部の南端、ウマタック村に入る手前にある。当然のことながら奥深いジャングルの彼方にあるので道路傍からは眺望もかなわない。

 ラサ・フウア・リバーへ行くのには先ずは小高い丘を超え、その急な斜面、崖を降りて行くところから始まる。なにしろ急な斜面なのでたいして草深くもないがゆえに足場、捕まえ所がないのでかなりな忍耐が必要とされる。
 その川、ラサ・フウア・リバーは透明度が高く深さが余りないので足元の滑りやすささえ気を付ければ不安はない。川へ降りる。ちょっとした水たまりを見ると魚が気持ち良さそうに泳いでいる。大きさが5〜7センチほどテラピアのような形状でグアムの湖や池でみかけるグッピーとは違う。その傍、川の本流に逆らうように泳いでいる大きなサイズの魚も見える。この青色の背をした魚は人間が珍しいのだろうか、人影を見ても逃げようとしない。
 ここが長い川歩きの出発地点となるのだが、この下流を辿ること30分余りで有名な「男根岩」フーアロックとフウア海岸へ出る事ができることを知らせておきたい。
川の上流を目指してすぐのこと、横幅20メートル以上、高さ5メートルの滝が出現した。この滝の景観はタロフォフォ滝に似ている。周辺には幾つものユニークな形状をした川壺があり、川の水をそのまま溜めている。身体をその川壺に沈める。川水が静々と流れ入ってきて実に快適だ。深いものでは肩ほどまで水深があるのがあるのだが、仲間達が面白がってその様々な深さの川壺に入って快適さを較べている。常に水が流れ込む所為であろう、水温が低く火照った身体を瞬時に冷やしてくれるのだ。

 川の上流目指して探検をする。くねった川は時に、人が入るのを拒むのか、流れを遮断するかのように竹をはじめとする様々な立ち木や流木が行くてを塞いでいる。こういう場合は体力の消耗を考えて仕方なく迂回をするのが懸命である。しかし迂回を決めたにしてもなるべく川に沿って道を選ぶようにしたい。獣道に頼って見境なく歩くととんでもない所まで行ってしまい戻ることが難しくなってしまうからだ。グアムのジャングルは未開の場所が多いから注意が要る。
 このラサ・フウア・リバーを歩くと戦後まもなく築いた小さなダムに遭遇することができる。このダムを通過してから本格的な探検川歩きがはじまるの。
 この川は川幅、水深よりのことよりも上流に向かって歩いている気がしない、という不思議さがある。流れはどこまでもゆるやかで深い所でせいぜい膝か腰まで浸かる程度であるが,特徴をいえばよく歩くことだ。どこまでも歩く、歩いても歩いても終わりがない気がしてくるほど歩くのだ。
 その途中には幾つかの滝がある。飛込める滝つぼもあれば身体を沈める程度の滝つぼが無数ある。不思議なもので、川中を歩いているので火照りも疲れもないのだが、滝つぼに身を沈めると力が湧いてくる様な気がしてくる。マイナスイオンが多いから、だと友人が教えてくれたがマイナスイオンというものを筆者はこれまで一度もみたことがないのだ。ここで夢中になって水泳すると後でまたガックリと疲れがでてくるから水泳は時間を考えて しなければならないので用心する。
 川の曲がりが多く、時として周囲のジャングルにうっかり気を取られていると前を失う事がある。川がいきなり二股にも三つ又にも分かれるからだ。道を間違えてもしばらくは気付かずに、その水源が始まる所まで行ってしまう。それからあわててまた来た道へと戻るわけだが、これを何度か繰り返す。繰り返しながら本流へと戻り、川藻に足を取られたり、砂底に足を踏み入れたり、川苔に滑り、突然深みに落ちたりしながら歩き続けるのだ。

 さわやかな川の流れる音を彼方で猪がささやきこなたで竹やぶが風に浮かれてこすりあい音をたてて興趣を高める。
 平和な静寂の中に人間のけたたましい水しぶきの音がかぶさる。「戦争しているみたいだね」と仲間がそういった。人間が自然にさからっているようなものだ。そしてこの戦争は人間に勝ち目がないことだけは確かなようだ。
 ラサ・フウア・リバーの旅は人間の作った巨大な水道管をくぐりぬけて終わる。
(グアム新聞に連載中)


ラサ・フウアリバー1 ラサ・フウアリバー2


ラサ・フウアリバー3 ラサ・フウアリバー4


ラサ・フウアリバー5 ラサ・フウアリバー6


ラサ・フウアリバー7 ラサ・フウアリバー8


ラサ・フウアリバー9 ラサ・フウアリバー10


ラサ・フウアリバー11 ラサ・フウアリバー12  

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Posted by kenhagaguam at 21:56

2009年02月11日

グアム秘境紀行 その23:トレッキングの醍醐味、ジャングルと名滝、そして丘陵ここにあり、サン・カルロス・フォールズ(San Carlos Falls)

 「グアムトレッキングに何を期待するか」、とアンケートをお願いしたらダントツに多かったのが滝つぼへのジャンプとジャングル歩きであった。日本人の意識の中には南海の孤島といえばジャングル、ジャングルといえば迷路と獣の声、そして迷路の先には流れ落ちる滝が常に頭にある。そのジャングルのタロ芋やバナナ、背よりも高い常緑樹の中を汗だくになってかいくぐって歩くと突然目の前に巨大な滝が見える。とまあいかにもドラマチックな冒険映画のような光景に出くすのがグアム。南国トレッキングはヒマラヤの山登りとは違うイメージなのだ。
 グアムには数多く滝がある。つまりそれだけこの島を縦断、横断している川が多くある、ということになる。無論、この島に紺碧の海とショッピングしか期待していないツーリストにはそれだけのことで、それ以上望むべきものはないのだが、もし本気になってグアムを知っておきたいと考えるのであれば、それこそアナタの知らないグアムがジャングルの奥深くにあることを断言し保証しよう。
 サン・カルロス・フォールズはつい最近まで公式に命名されていなかった。この滝がグアム中央部に流れるロンフィット・リバー下流の草深いジャングルに埋もれていたからで、素晴らしい景観をもったこの滝は他の多くの滝同様に公式な呼び名を付けられることがなかったのだ。
 サン・カルロス・フォールズへは戦前日本軍が「的野台地」と命名していたマカノ山の東側に流れているロンフィット・リバー目指して歩くことから始る。ロンフィット・リバーはシグア・リバーと並ぶ有名な川で蛇行を重ねたうえで名前を変えながらグアム東側にあるパゴ湾へと流れ出る。この川とシグア・リバーの間に立ちはだかっているのがアルトム山で丁度グアム島中央部に位置し、戦前は「火の山」と呼ばれていたシンボル的な山であった。戦場だったのである。
 先ずはロンフィット・リバーを目指して歩く。コンクリートの照り返しに耐えながら30分余り歩き、やがて道の切れ目か辺りから荒原に入る。その丁度あちら側、はるか左手の山上に一筋の滝が見える。雨季になると夥しい雨水が流れ落ちているのだが乾季に入ると見事に途絶える、グアムでは季節の変わり目になると厳しい変化によって大雨や自然発火の山火事が起こりその為に地形すら変わってしまうことがある。
 ここら辺りの風景は全道路が完全にススキ(ソードグラス)の林に覆われ隠れてしまっている。ススキ草原は時に背が高く前を歩いていた者を呑み込む。従って迷子にならないようにお互い声をかけあってススキのジャングルへ飛込むしか方法がない。
 やがて見晴らしのいいトップハットと呼ばれる小高い丘に達し、そこから彼方のジャングル窪地目指して丘陵を延々と歩くの。前方よりやや右手にアルトム山、そしてその右手にチャチャ山が聳える。かつて日米両軍はあの山の山間で激しい銃撃戦を繰り返ししていた。その戦場は見渡す限り広大で、全体を掌握するのが大変であったろう、と想像する。見た限り草原地帯のようだが、実際のその場所は背の高いジャングル地帯でそこに立つと我彼の見分けがつかなくなったであろう。敵が目視できない状態で進軍するのは大変な勇気がいったはずである。今はそのその草原の上を風がそよとよぎっているだけだが、時々風にあおられて毛布が風になびくように草原が大きな波を打って行く様が見える。おだやかで平和なヒトコマである。
 ロンフィット・リバーを見つけ出すには彼方の鬱蒼とした密林を目安に行くといい。緑の濃いジャングルの足元には必ず水源があるはずだからだ。
 その水源(川)を求めてさらに歩く。小高い丘陵から崖下目指して少しづつ下り、かなり厳しい崖を降り始めると遥か下方で川が流れているような音がする。ようやく冷たい水に触れる事ができるとわかると誰もがにわかに緊張する。暑いグアムのジャングルの中では川のせせらぎがどれほど救いになっているのか、とその瞬間に気がつく。そして早くそのせせらぎへ降りようと懸命になって道を探し始める。
 グアムに流れる川がどこでも同じであるように、その川端へ降りる道を探すのがまた一苦労なのである。背丈以上もあるソードグラスをかいくぐりながら安全な場所を見つけ出す。目つけた仲間が大声で「あったぞお!」と叫ぶと老いも若きもその場所へ一目散に走り出す。やがて一列に並んで順々に崖を降りて行く。その時の緊張感もまた川歩きの魅力の一つなのだ。
 ロンフィット・リバーは近くを流れるフォンテ・リバーよりも川幅がなく、シグア・リバーよりジャングルに包まれている。そしてアサン・リバーのように水量はいつも少ない。その川の下流に目的のサン・カルロス・フォールズがある。この滝はつい最近まで名前知らず、従って「名無しの滝」と呼ばれていた。
 滝の高さは12メートル以上、その滝つぼの周囲はゆうに30メートルはある。つまり巨大な滝なのである。
滝から流れ落ちる水は途中の岩石に微塵に砕かれて白糸のようになり、その水粒が水蒸気のようにさんさんと舞い落ちるように降って来て身体を冷やしてくれる。人はさほど広くはない滝つぼへ飛込み、遊泳する。正に楽園なのである。
 このコースはここだけでは終わらない。
 さらにロンフィット・リバーを下っていくと、川床がやがて真っ白な岩石へと変わっていく様が楽しめる。曲がりくねった川はどこまでも清く奇麗に澄み、川底が青く見える。透明度の高い川でも知られているのがよく理解できる。
 この川の途中に大きなプールがある。どういう具合でここまで透明度が高いのか見当もつかないほどに澄み切った巨大なプールである。そのプールへ大量の川水が注ぎ込むのだが、やや小高いその岩場の上に立ち、水深のあるそのプールへ頭から飛込むのがここでのチャレンジだ。
 澄み切った滝つぼの中にジャンプした人間の様がそのまま眺めることができるので誰もが我先にとジャンプして評価をしあっている。のどかな風景である。
 このコースは歩くことから始まり歩く事に終わる。途中体験する豪快かつスリル満点の滝つぼジャンプや川歩きは疲れきった身体と精神を呼び覚ますのに効果があるが基本はやはり(というか当たり前に)歩くことに尽きるようだ。思わずこれまで歩いて来た長い自分の道のりを思い出すのだった。


サン・カルロスフォール1 サン・カルロスフォール2


サン・カルロスフォール3 サン・カルロスフォール4


サン・カルロスフォール5 サン・カルロスフォール6


サン・カルロスフォール7 サン・カルロスフォール8  

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2009年01月24日

グアム秘境紀行 その22:ゆったり感を楽しみながらジャングル生活をかいま見るテナグ・リバー(tinago river)

 グアムの南部は北部同様広大なジャングルが多い。とはいえ、南部の特徴は緑深いジャングルと渓谷、山脈が多く。景観の見事さは較べようがないほど充実しているのだ。
 テナグ・リバーはイナラハン村にある。この村の特徴は秀麗な滝、高さのある滝、広くて深い滝つぼのある滝、等々ユニークな滝が多くあること。その他の特徴としての砂漠地帯、広大な草原地帯が壮大な規模で展開し圧倒するので名滝の数々がかすんでしまうのが欠点とはいえる。
 テナグ・リバーには幾つもの滝がある。その下流でマロマロリバーの支流と合流している。マロマロの滝は昔から多くの人に知られていて、従ってこの本流にある滝はどれもがユニークなスタイルで滝巡りが好きな人にはもってこいの場所になる。
 テナグ・リバーへは平坦な道、草原地帯を歩く。かなり歩く。場所は異なるが横井さん(庄一元日本軍伍長)が発見された、という場所の環境、雰囲気がよく似ている。 この平坦な草原は見晴らしよく、南にササラグアン山、そして西側にラムラム山、ここからは見えないがその谷間にはフィナ湖があるのだろうか、横井さんはそこで発見された。その手前に砂漠地帯で有名なフィンタサが見える。そして東の彼方には太平洋の海原が見える。ここかしこに丘があり、地肌が露なものもある。これだけ見晴らしのいい場所でありながら人がいない。畠もなければ人っこ一人見えないのが不気味でありかつ開放感を感じさせる。
 雨に洗われた大地は赤く、時々銃弾の薬莢を見つけることができる。日本軍が使用したものだ。こんなのどかな場所で戦争が行われていたとはにわかに信じられない気がする。さらに米軍の野砲の弾丸であろうか、錆び付いてボロボロになった鉄片がここかしこにまとまって落ちている。
 獣道を頼りにゆるやかな山道を歩いて行くと彼方で水がながれる音がする。炎天下の草原がにわかに涼しく感じられて来る。やがて道の行き詰まった草むらのあちら側に、1メートルも川幅のない小川があるのを見つける。さきほどの川の流れはここから発していたのだろうか? その小川をジャブジャブ渡って行くそのあちら側に滝のような急流を見る。その滝がテナグ・リバー第一の滝である。小川の流れをまとめて流れ落ちる割にはこの滝はかなり高い。見下ろすだけで吸い込まれそうになりゾッとする。
 滝を降りるにはその横を上手に腰を降ろして下っていかなければならない。急斜面であり地面が常に湿り気を帯びていて落ちやすいので細長いロープを巧みにつかみながら下っていく。
 その川縁は広くゆるやかな斜面になっている。誰かが時々くるのであろう、あちらこちらに愛らしい花の鉢植えがある。上段のテナグ・リバーの滝つぼは周囲10メートルほど。かなり深い。水が冷たく熱くなった体熱が急激に下がってくるのを感じる。疲れがどっとなくなるのが滝水のありがたさなのだがこれを知っている人はトレッキングおたくである証拠。その滝つぼ辺りから段差がずっと下方まで続き、その下方にもう一つの滝つぼがある。これが第二のテナグ・リバーだ。この滝は高さがさほどないのだが滝つぼ周囲はかなり広く30メートル以上はあるだろう。昔は狭く細く高かった滝が、時代の推移によって少しづつ水量が増え、やがてそれが押し広げられて現在の滝になったのだ。数世紀をかけてここまで大きくしたのだ、と想像すると胸が高まってくる。
 第三のテナグ・リバーはその下流にある。ここはさらに大きく広い滝つぼで、飛び込んだり水泳するにはもってこいである。このテナグ・リバーの面白さ、魅力はなんといっても3種類の滝つぼを眺め遊泳することにある。それぞれスケールと遊ぶ内容が異なり、透明度や温度も異なる。
これだけ違った条件の遊泳を殆ど距離差もなく楽しめるのはここしかない。グアムには愛情豊かな自然がたくさんある。知っているのはこの島を創造した神だけかも知れない。


テナグ・リバー1 テナグ・リバー2


テナグ・リバー3 テナグ・リバー4


テナグ・リバー5


テナグ・リバー6 テナグ・リバー7


テナグ・リバー8 テナグ・リバー9


テナグ・リバー10 テナグ・リバー11  

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2008年12月28日

グアム秘境紀行 その21:容艶な滝ターザン・フォールズ(TARZAN FALLS)

 観光に訪れる日本人客のほとんどがこの島の真の姿、観光史跡をしらない、というデータがある。知ろうとしない方が悪いのか、あるいは知らないから知らせようがない、という方に問題があるのか定かではないが、これまで若年層のツーリストばかりが目立った観光地(ショッピングはその目玉)であったので、この島の本来もっている歴史的、文化的、そして大自然の本当の姿を知らる機会がなかったのは仕方がない。昨今、若年層対象の宣伝を続けていてはビジネスが危うくなると察知した業界数社が「それでは他に」と探し求め、今頃になってグアム大自然の魅力に気づき、これを紹介し始めた。それによってどのぐらい来島者数が増えるか、は想像がつかないが、ローカルにとって名誉な話である。自分の国の歴史を放たらかしておいて、ラチのないどこにでもあるような(例えば大型アミューズメントパークのような)アトラクションや商品をこれしかない風に目玉にされるのは失礼な話なのである。ツーリスト側からグアムの観光史跡を知りたい、と問い合わせが多いのは昨今の本物志向のブームの影響よりも体験者の報告(つまり口コミ)によるというから、業界はもっと真剣に観光業を考える時代にきているのかも知れない。

 さてグアムの自然の中でも人気なのが山中の渓流とジャングル、そしてそこに流れおちる滝と滝つぼである。中でも滝つぼはそのスケールに関わりなく飛込んだり泳いだりできるので人気が集中している。滝は景観に堪え得るだけでも「20近くある」、というからグアム中に川と滝が在る、という事になる。
  観光コースで有名なのがタロフォフォの滝であるが、車で行けるのでジャングルイメージとはほど遠い。山中を彷徨している間に眼前に「突如として現れて感動する」、という物語のようなメルヘンチックな雰囲気はない。滝はやはり自然の環境の中へ「忽然と現われる」方が趣があるものだ。
 そういう視点でいうと、紹介するターザン・フォールズは、ある程度まで車を利用出来、かつ、山道を歩くのでトレッキングの面白さを味わえるお勧めコースである。

 このコースはグアムの東西を横断するRT17の途中にある。車を置いてそこからハイキングコースに従って歩けばいいわけだがこれが曲者で、まず、獣道のような道がここかしこに目立つから正道がわからない。それにこの道自体が元々火山の熔岩だから粘土質で滑りやすい。地質学的には地肌が露われていて興味深いが、とにかく足下がしっかりしていない。また、道が時々二またに分かれているので行き先に特に気をつけて歩かなければならない。間違えば途方もなく歩かされるし、迷ったら戻るのに命がけとなる。
 30分ほど歩いたらいきなりターザン・フォールの滝上に出る。そこから下の滝つぼを眺めるとゾッとする程足下が低い。滝の脇に下ろされている綱を使って下へ降りる方法が一番手っ取り早いし、スリルと興奮を味わえるから体力に自信のある方には絶対お勧めだが、不器用な人は途中で滑ってそのまま滝壺へズンブと落ちてしまう(大けがをする可能性がある)ので崖のような側道を滝つぼへ沿って降りて行く。無理を承知で挑戦すると必ず事故に遭うので絶対に過信をしないのがポイントだ。
  側道はジャングル特有の足の長いカヤの中をかき分けながら進むことになる。躊躇しないで歩く事。滝つぼの近くへ来るとやにわに急斜面が続き、さらに足下が滑りやすくなってくる。しっかりと野草を掴みためらわずにかがんで滑り降りればなんということはなく簡単に止まる。子供の時を思い出せばいいだけだ。

 ターザン・フォールズは高さ7メートル幅30メートル程ありその姿は秀麗である。何処の滝よりも気品と優雅さがあり、流れ落ちる水もそのままサワサワとしていて非常に美しい。このコースの魅力の一つだ。滝つぼの大きさは15メートル四方で、水深は深い所で1.5m弱。遊泳はもちろんのこと、魚や海老が泳ぐのを楽しむ事もできる。着の身着のままで滝つぼに飛び込むのも野趣に溢れていて楽しい。
 泳いだり、飛び込んだり、滝に打たれてはしゃぎ、遠い昔の子供時代に戻っていく。まるでハックル・ベリーフィンの世界みたいだ。子供はまた子供らしく自然に抱かれて存分に甘える。
 喧噪な都会にはない静かな環境、誰も彼もが無心になれる貴重な時間がそこに在る。水に浸かっていると、道中の厳しさが癒され、地肌に染み着いた暑さがサアーとひいていくのを感じる。しばし深緑がしみついたような涼しさとジャングル特有の風の匂いを楽しむ。木陰に居ると太陽を緑が覆ってその岩場に様々な葉影パターンが映し出す。水遊びに興じる大人達のはしゃぎ声を聴きながら葉影パターンを眺めるのは最高の気分休めである。
 ターザン・フォールズからさらに先を探検する。この滝下に流れる川に沿ってさらに下流に行くとターザン・フォール程ではないが2つの滝がある。誰もがためらわずにターザン川に沿って下流をめざす。途中川を横切らなければならない。この川は乾季でもかなりの勢いがある。従って雨季ともなると激流になり流れの弱っている場所を見つけ出さなければならないのだが、これが面倒になる。茶色に濁った川をロープを使って渡る姿は戦争写真のスナップのようだ。横切ると今度は2メートルほどの滝を下る。上の滝から下の滝めがけて流れに任せて滝下りするのは豪快で野趣に富んだゲームである。水は冷たく、水深もそこそこにあって、深い所で3メートル弱。下から上方の滝や水流を眺めるのも結構絵になる風景だ。その先に飛込める大きな滝つぼがある。周辺が荒涼とした荒原の中にゴウゴウと音を立てて水が走る。そのあちら側の丘からさらに先へ進むとテンホー山の裾野へ出られるコースになっている。
 グアムには冒険を体感できる場所がここかしこにある。
 ターザン・フォールズはこれまで見て来た滝の内でも抜群に美しい景観を持っている。これを見なければグアムの自然は語れないし、見ないのはもったいない、と得心する。因に参加者の中には70才近いお年寄りもいるのだから弱気にならぬ事。


ターザン・フォール1


ターザン・フォール2 ターザン・フォール3


ターザン・フォール4 ターザン・フォール5


ターザン・フォール6  

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2008年12月06日

グアム秘境紀行 その20:太平洋戦争 激戦地の中の魅惑的なアサンフォールとトニーフォール

 アサン地区のニミッツヒルはグアム島の丁度中央部分、グアム島知事室のあるアデラップから真向かいの坂道を登りきった所にある。登りきった場所がフォンテヒルでその手前右手に当時日本軍が使用していた作戦用の掩蔽壕がある。そしてこのフォンテヒルよりさきの広大な地域が今から64年前にそこで日米両軍が激しい戦いをしていた場所として知られている。
 今日、毎日多くのツーリストがアサン展望台に立ち、そこからの絶景を写真に撮っているが、掲示板があるにも拘らず、かつてそこで行われた戦闘を想像する人は少ない。むしろ戦争を知らない現代人達は海岸地帯からさ程離れていないその場所が、グアムの自然探検を十分に堪能出来る事を知って軽い驚きを持つぐらいなのだ。
 今から7年ほど前初めてこのアサンの戦場を歩いた時の衝撃、私有地という事もあって訪れる人もなく荒れ果てた草地が広がっているだけであった。鬱蒼としたジャングルと荒涼とした荒原を汗びっしょりになりながら歩いていると、足元に当時の戦闘の名残りである両軍の銃弾が散乱し、激しい艦砲射撃の砲弾の破片までがそこら辺に落ちていたものだ。 その砲弾は地上で炸裂すると大人の靴ほどの大きさほどにこなごなに砕けてずっしりと重たい破片となり、日本兵めがけて勢いよく飛んでいく。しかし日本兵は逃げなかった、逃げようとはしなかったそうだ。その破片を掌に持つと、なんとも説明しようのない感動と虚しさ、哀しさが胸をついてしばらくはその場を立ち去り難く感じたものであった。そう、64年経た今でも戦争がそこにあり、沢山の英霊がここかしこに草むしている気配を感じたものであった。筆者がこのグアムでトレッキングガイドを成業にしようと思い立ったのは正にその時の衝撃と尊敬と義務感からであった。この島の歴史、とりあけて日本人には戦争という体験を通じて、それを理解してもらい、紹介するには大自然探訪が一番いい方法と思ったからであった。
 
 その頃と較べると今のアサン川への道はずいぶんと変わってしまった。あの草深いジャングルは開拓され造成地と変わりあれほど苦労として辿り着いていたコースの入り口も難なく見つけることができる。その分だけ感動も薄く、また探検気分もない。なだらかな丘を目指してゆるゆると歩く事およそ20分余り行くと真っ赤な色の土壁にでくわす。そこからは彼方にアサン海岸が臨まれ、眼下に段々と下っていく丘陵が見える。その風景はまるで変わっていない。
 この真っ赤な大地こそ64年前に日米両軍が激しい戦闘を行っていた場所なのである。
 従ってこの広々とした戦場には、かつての日本人の勇猛さと果敢さと祖国への忠誠心が埋もれている。
 丘陵の裾野に、まるでその部分だけが集中してココナツが群生しまるで蛇のように曲がりくねっているのが見えてくる。アサン川である。アサン川は落差のある崖の下にある。注意しながらその川べりへ降りる。そこから川下に向かって進むと泡が吹き出ている大人一人分の穴がある。面白がってそこに入るとこれが意外に深く大人の首筋まで浸かってしまう。川から流れ落ちる激しい水流がその穴へ落ち、泡を造ってボコボコと音を立てている。水温が低く、泡が弾ける爽快感がなんともいえない。「マイナスイオン風呂」のようだね、と誰かがいう。「いや泡風呂だよ」よもう一人がいった。後は笑い声だけが響く。
 アサン滝は落差のある流れの厳しい滝である。滝つぼへ降りるのにはロープを使い、水流に抗いながら岩壁を伝い降りる。その高さはおよそ10m程なのだが結構スリルがあって面白い。激しい水の流れに抗いながら滝を下るので時として流れに押されて滑り落ちそうになる。足元を確認しつつ、さらには手元のロープの強弱緩急を巧みに使い分けながら少しづつ降りる。緊張し過ぎたり気を緩めたりするとたちまち流れに身体ごと持って行かれそうになる。全身汗と川水でびっしょりになりながら水流と闘いつつ滝壷に降りていく。痛快感で身体がしびれそうになる。
 滝壷に近づくと今度はそれより下に足がかりになるものが一つも無い事に気付く。そこで迷わずに飛び込む事にする。水流と一緒になってズンブと滝壺にジャンプすると、滝壺で遊んでいる仲間達が一斉に拍手と歓声で迎えてくれる。困難を克服した時、さわやかな連帯感が胸にこみあげいいようのない感動でいっぱいになってくる。滝壷は周囲およそ15mあり、深さも2m弱と水に漂うには理想的だ。が、足元がごつごつしていて泳ぐのには適さない。滝壷から今降りてきた岩場を眺めると、激しい水流とはじける飛沫が周辺の岩壁に飛び散ってとても魅惑的だ。
 次々に降りてくる仲間達が必死になってロープと岩場にしがみついている様を見ながら、大声でアドバイスと励ましの声を挙げる。面倒臭くなったのか、あるいは力尽きて滑り落ちる仲間が轟音を残しながら滝壺に落ちる仲間を見てさんざんに笑う。いい時間だ。愉快な時間だ。ジャングルに包まれながら岩場で涼をとっていると心が和む。ちょっと贅沢な異次元世界なのだ。

 トニーズフォールへは来た道を川に沿って戻る。
 くるぶし程の川を歩くとそこここに川うなぎや手長エビが泳ぎ回り、川端にジャングル特有の広葉樹、パームツリーが繁り覆いかぶさる。戦時中はこのここを日米の兵隊が歩き廻った。
 静かな環境を滑って転んだ仲間の一人をはやしたてるために突如として騒がしくなり、赤とんぼが逃げ、うなぎも慌てて姿を隠す。それを見た仲間が大声で注意し、そのために魚が隠れ、手長エビが大慌てで隠れ場所を探している。ために他の仲間がまた大声で注意をする。
 しばらくだらだらした勾配のある川を上流に向かって歩く。と、やがて繁みの中から第一の滝が突然顔を出すあちら側に高さ6メートルほどの滝があり、周囲20メートルほどの滝つぼに川水を落し続けている。その緑に囲まれた情緒豊かな滝つぼに誰誘うともなく次々と飛び込むと、大きなしぶきが辺り一面に弾け飛ぶ。滝つぼに入って天空を仰ぐと濃い緑の葉陰から真っ青な空がのぞける。なんという快感だろう。この贅沢さをどう表現したらいいのだろう。
 第一の滝からさらに上流めざして登って行く。
 第一の滝の上へ行くために道を迂回する。自生したパイナップル、珍しい形と彩りの蘭が咲いている。再び川に降りるとそのあちら側にトニーズフオールがある。滝幅およそ10m程、高さにして10m以上の滝、11年前の超大型台風が去った後、地元の少年、不登校生徒でもあったトニーが偶然見つけた滝がそれである。従って理由もないまま地元では彼の名をとってトニーズフォールと愛称している。
 トニーズフォールはグアムに数多くある滝の中でも滝つぼが広く豊かでしかも充分な深さのある秀逸な滝だ。しかもここから滝つぼめがけてジャンプするのに理想的な条件を備えている。
 深さが充分であり、透明度があり、飛び込む高さを選ぶことができるからだ。
 早速仲間達が滝つぼめがけて次々にジャンプする。足からジャンプする者が多い中で回転にひねりを加え頭から飛び込むひょうきん者がいる。ここには老若男女、洋の東西はないのだ。社会の荒波にもまれ疲れた者、勉強で頭がガチガチに凝り固まった者、会社のトップ、学校の責任者として常に緊張を強いられた者達が「元気を取り戻す為」に非日常の世界、子供時代に戻る時間なのだ。
 想い出作りに最適な環境と条件を備えたグアムの大自然の中で夢のような時間を遊ぶ。
 それぞれが思い思いにその時を面白く演出していくのだ。


touch to the fall

アサンフォールとトニーフォール1 touch to the fall


アサンフォールとトニーフォール2 アサンフォールとトニーフォール3


アサンフォールとトニーフォール4 アサンフォールとトニーフォール5


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2008年10月13日

グアム秘境紀行 その19:パガットケーブ (Pagat Cave) 神秘、真水の大洞窟プールと太平洋絶壁の絶景

 グアムのホテルロードは西海岸フィリッピン海に面している。その所為でツーリストは常に波穏やかで遠浅のタモン湾で遊ぶことができる。タモン湾はグアムの中でもっとも海浜地帯が広く遠く、しかも波の影響がないことから昔から多くの人々が集っていたのである。
 しかしその反対の東側の太平洋は常に高波荒波が打ち寄せていて人が入り込む余地がない。グアム探検トレッキングのコースは概ねグアム島の中央部から南部に集中しているが、これから紹介するパガットは北部に位置する人知れぬ場所である。

 パガットへ通じる道は少ない。総て獣道だが、その上を4輪駆動が駆け抜けて行ったようなワダチの跡が所々にある。この道のあちら側は極端に狭い隘路になっていて周囲の険しい岩石の上にしがみついた荒原の草々に覆われている。おそらく荒原を走り抜けた先で行き止まり、さりとてUターンもできぬままに立ち往生したことであろう。行き詰まる、とはこのことをいうのだ。パガットの荒原は左右に果てしがないように続く。北部一帯は石灰岩、アルカリ性の土壌で覆われているので食物が自生しない、ことが実感できる。実に殺風景な風景なのだ。いずれにしろベテランガイドが同行しない限り、もし道に迷ったら恐ろしい事態を惹き起こすであろうことぐらいは容易に想像がつく。
 車道ほどの広さの斜面をダラダラ降り始める。やがてそれが細くなり急斜面になり樹海の密林トレックが始まる。流行のバーチュアルリアリティで装ったアミューズメント・パークのノリで面白い。しかし、幅広く肉厚の南洋樹、しっとりとまとわりつく空気と雰囲気はやはり本物のノリである。第一漂う風の匂いが違う。
 くだる事1時間余りで「石灰岩の林/ライムストーン・フォーレスト」と称する岩石と木々に包まれた広場に出る。広場には2つの洞窟がある。地元の人が「洞窟の劇場」と呼んでいる、ジャンボ機内の広さぐらい、高さにして15mぐらいの洞窟。足元はライムストーン状の石ころが敷き詰められていて人が度々使っていた事がすぐにわかる。「洞窟の劇場」の由来は、窟内に小高いステージと客席、それに対面の岸壁の空間にロイヤルボックスのような見事な装飾が張り付いてある洞穴が幾つもあるからだ。ユニークな空間である。それに空気が涼しい。
 古代チャモロ人達が神聖視していた場所として洞窟「水飲み場」はもう一つの洞窟だ。
 「水飲み場」の洞窟の入り口は化け物が大口を開けているようで気味が悪い。それに滑りやすい。滑りやすい坂を用心しながら入って行くと足下の清水を冷たく感じる。知らない間に足元に水があった、という感じだ。さらに奥へ入ると、水面の上に突き出た岩上に誰が点けたのかロウソクの炎がチラチラと周辺を照らしている。腰程の水深をさらに奥に進んで行く。腰をかがめながら頭上の狭まった所を抜けると、今度はだだ広い空間がそこにある。その息を飲む程の見事な景観に思わず声が出る。
 そこは「洞窟の劇場」以上の広さを持っている「天然真水のプール」なのだ。ステージ部分は水面上の小山。なだらかな石灰岩で出来ている。この小山のいたる所にローソクが立ち並び周囲を照らしている。幽玄の世界だ。
 プールは深い所で2m近くあり透明度は抜群。のっそりと突き出た岩場がプールの中程にあり、ここにも何本かのローソクの炎が水面と水面下をユラユラと照らしている。なんとロマンティックな雰囲気だろう。心と身体がスーッと静まっていく気配を感じる。修行僧ならずとも瞑想に耽りたくなる瞬間だ。きっとこんなに程よく冷えたプールはグアムの何処にもないだろう。大人も子供もわいわい言いながら泳ぎ回る。なんとも形容し難い新鮮で痛快な気持ちになってくるから不思議だ。まるで命の泉の中を泳ぐような感じだ。きっと昔もそうだったのだろう?因にこの真水は、過去火山活動が盛んな頃に洞窟ができ、数万年の間に石灰岩から滲み出て来たものだそうだ。つまりこの水は数万年前の水、という事になる。さらにこの水を求めて日本から人が来る。癌の治療や身体の毒気を抜くのに最高だそうだ。グアムの探検トレッキングのベスト10に必ず入る名物コースである。
 この広場の逆側の崖をよじ登る。
 途中、古代チャモロ人達が生活していた、という場所に出くわす。そこはジャングルといっても木々がまばらに散在し、強い日ざしにもかかわらず一面に繁った葉の下にあって涼しい。かなり広い敷地があり、かつて此所に「古代チャモロ人達が生活していた」、という話がストレートに了解できる。此所で生き延びるのはさして不自由ではなさそうだ、それに、近くには良質の水池もあるし・・。うっそうとした樹海の空間のあちらこちらに当時、彼等が使っていたらしい石のウスがころがっている。メディシン・ボールという薬草や食料をすり潰す時に使っていた道具だ。貴重な文化遺跡が放たらかしのように間近に散在しているので、昔と現在の線引きが解らなくなってくる、時間の流れが読めなくなってくる。
 しばらくジャングルを歩いているといきなり太平洋に出くわす。
 とげとげとした溶岩の上を用心深く歩くと、眼下に、浪によって大きく抉られたような岸壁に、荒浪のうなりがぶつかり砕け散る殺伐とした光景に出くわす。このいかにも豪快、勇壮この上ない景観いっぱいの太平洋岸、この紺碧の海とささくれだった岸壁こそ「もう一つのグアムの海」なのである。
 その岸壁の下に渦巻く水はかなりの水深がありながら清く水底までがのぞけて見える。なんという光景だろうか。激しさと雄々しさと、荒々しさを持った浪のうねりが幾重にも重なって打ち寄せてくる。何処までも蒼い空と紺碧の海、古代人もそこにロマンを感じていたのかも知れない。


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2008年09月09日

グアム秘境紀行 その18:生活住居タロフォフォの洞窟(東南部)(Talofofo Caves)

 最近トレッキングを体験した人からグアムの自然について、その不思議さや意外な発見をした、と聞くことが多い。日本では絶対に味わえない大自然の壮観さ、ユニークさ、そして親しみやすさが日本に戻ってからも忘れることができないそうだ。大自然を散策するのはビジターだけではなく地元の人にとっても有意義なことであると確信し、勧めているのだがこれまた体験した人でないと理解ができないもどかしさがある。
 もっとも自然をただ歩くだけでは体躯的、生理的にはいい運動になるのかも知れないが余り続かない。筆者の経験からいって知的生活に慣れ親しんだ人にとって、山野渓谷を用心深く歩き汗をかくのはせいぜいが「自然散策程度」のものであって、これを習慣的に継続できる人は少ない。しかしその一歩を踏み入れ、踏み入れし学んでいく、つまり学習や知的体験が加わるとこれはエンドレスな興味になる。現在筆者が案内できるコースはおよそ50コース(全体の2/3程度)だが、これでも月に一回づつコース歩きをすると2年以上はかかることになる。であるから、ただ歩くこと以上に、そこから何かを感じ取ってもらえればグアムにおけるトレッキングは益々この島の魅力に近づくことができる、ということになるのだ。

 さて、これまで多くのビジターと一緒にグアムの自然を散策していて誰もが一度は行ってみたい、というコースの中に「洞窟探検」がある。そこで一度に一カ所、多くの洞窟を探索する事にした。
その中で、どれもこれも(洞窟)がユニークな意味あいを持っている事から得をした気になってくるのが紹介する「タロフォフォケーブ」である。

 太平洋岸のイパンビーチを通過した辺りから右上の崖を見上げると崖の山頂、とげとげした部分の岩石が見える。それがここで紹介するタロフォフォケーブの一つ「キッシングケーブ」である。
 急なカーブの窪みにちょっとした開けた空き地があり、そこがこのコースの出発点となる。
 周囲はそれこそ鬱蒼とした山野で道は獣道が一本あるだけだから迷う心配はない。駐車してゆるやかな坂道を登って行く。段々急になってくるが僅かな距離なのが救いになっている。ジャングルの中ではあるが有名な場所だから地元の人もいるらしく自然と道が仕上がっているので、足元ばかりを見ないで熱帯樹林を観察し雰囲気を楽しむ事をお勧めする。珍しいのは道の真ん中にぽっかりと空いた穴、猪のねぐらがあること。そこは小道というより獣道であることを思い知らされる。途中、険しいジャングルの中を寄り道して岸壁の上に出て眺めるタロフォフォ河口、イナラハン村は素晴らしい。アングルを変えて眺望する民家周辺のたたずまいからは「平和の時間」を感じ取る事が出来る。このように普段ドライブしている景観を上面から眺めるのは面白い。この島の大きさと島民の暮らし向きが匂ってくるようだ。
 元に戻って平たんな場所に出てから直ぐの所、左方に狭い通路がありそこを歩く。と、20mも進まない間に始めの洞窟「ジャングルケーブ」に達する。このジャングルケーブは入り口が極端に狭く、ちょっと見には風穴ぐらいにしか思えないので中に入るのをためらってしまう。それがこれまで余り多くの人に知られず良好な状態で保存されていた理由である。入り口が小さいので初めての人は戸惑い、中に入る事を躊躇し断念してしまうが、実際には、中はかなり広くここかしこに小洞穴へ続く道がある。うっかりすると迷子になってしまいそうな程だ。
 洞窟内が乾燥している状態なのでザラついて足元がこけてしまいそうになる。子供が遊ぶにはもってこいの場所かも知れない。この洞窟内にはスリムな女性の胴ぐらいの太さの石筍(せきじゅん)が石柱のように突っ立っている。これから推理して何億年前の物である事がわかる、という。歴史の芸術を無造作に触れていると時間の経過がピンとこなくなってくる。現代人の我々人間はせいぜい長くて100年の寿命だが、この自然の造作はその何万倍も生きているのだ。仲間の一人が茶化すように「あの」と石筍の上の方を指差しながら「あたりに俺たちが居るわけだね」という。時間に引き戻されたように一斉に皆が笑う。ジャングルケーブの名のように、ロープを使って登って行く穴、狭い石筍をすり抜けてあちら側に入ると広い空間をもった洞穴があり、かと思うと足元が下がっていて、そのあちら側に小さな洞穴がありずっと潜っていける洞窟がある。そう、洞窟の中に洞窟があり洞穴があるのだ。

 ジャングルケーブを出てから左方の小道を進むと今度は岩壁の足元に小さな2つの洞窟を見つける。ここが古代チャモロ人が住んでいた場所であった事は洞窟内にある象形壁画文字でわかる。3000年以上も前に描いたといわれる壁画はグアムが誇れる数少ない遺跡の一つだ。こんな重要な文化遺産が無造作に、しかもむき出しにさらされている事に恐ろしさを感じる。日本であれば周囲を囲んで出入りを制限するか、あるいは頑丈で汚しにくいプラスティックの板で保護するであろう。鷹揚というか無分別というか、人事ながら心配と憤りを感じてしまう。
 余談ながら、グアムにはこの種の文化遺産、遺跡があちらこちらに点在している。人類が遺した文化的な遺跡、例えばこの壁画文字のようなきわめて特異な遺跡は他にイナラハン村にある「ガダオ洞窟」の象形文字が有名である。有名ではあるが、観光客が行く事はまれだし、また、旅行会社や現地民でさえ知っている人が少ないのが現状である。従って、そこは太古以来手つかず状態のまま放置してある。もっとも手つかず、といっても魚釣やハメを外した若者が、遊びがてらにやって来る事がままある。ガダオ洞窟を尋ねるときまって食べかすやソフトドリンク、ビール等の空缶が散乱しているもでそれがわかる。
 ガダオ洞窟の壁画はリティディアン・ポイントにある洞窟内の壁画と同様、歴史的、考古学的にも重要かつ古代チャモロ人の生活や文化程度を知る上でも大切な手がかりを持っている。特にこのガダオ洞窟の壁画は、その描かれているデザインがきわめてクリアーでわかりやすく、人型とその指先までが丹念に描かれているので親しみすら湧いてくる。私が心配するのは、その傍に、誰がいたずらをしたのか、落書きが多く残されている事だ。よく調べると、「筆跡や筆力からその時代がわかる」、と考古学に造詣の深い仲間の一人、ローガンが説明してくれる。
 歴史と文化を尊重し大切に保護するという事は、その国(あるいは自分自身)のルーツを知り、継続している歴史の流れの中に自分が居るという事を実感させてくれるものだが、残念ながらそれを意識する人は多くはいない。特に、今日、こうも物質主義が往来し、「心を開く」教育が廃れていく現状に慣れてくると、歴史だの文化だのといっている事自体が醜悪で愚かな話に感じる。いわんや他人の国に居て他国の歴史や文化遺産をとやかくいうのは筋が違っているのかも知れない、と自嘲気味になる。
 しかし、そうは思ってみても、昨今の若者(或いは成長しない大人)の無責任、悪ふざけ、公共心のなさには無性に腹が立つ。これは国の体制や習慣だけの問題ではないように感じる。歴史や文化を軽んじる軽薄さに何故か苛つくのだ。
 そう感じているのは「自分だけ」か、と諦めていたら、同行している仲間達も一様にそう感じている事がわかって安心した。彼等も周辺の落書きとゴミ捨てを率直に非難し、大袈裟に嘆いてみせていた。他国であろうと先人が遺したものを大切にしよう、他人が使うかも知れないので綺麗にしておこう、使い捨てするとゴミ捨て場のような環境になってしまうから必ず持ち帰ろう、というささいな公共心は文明国に住む文化人の自然な反応なのだ。「この島には文化がない」と自嘲気味に口を歪める者にこそ文化を護り育てる文化がない、のだという事を、数々の壁画と、山野に散乱しているビールの空き缶から学んだ。トレッキングの面白さのもう一つの発見である。

 さて、タロフォフォ洞窟の事。この象形文字のある洞窟は元々「キッチン用に使ったらしく、その隣の洞窟が寝室だったらしい」のだが、なんとなく生活臭さを感じて親しさを覚える。自然に保存した方が生活感があっていいのかも知れないと感じた。
 このコースの見所はこの先にある。ここを出てさらに進むと周囲の環境が全部岩山で囲まれた感じの場所に出る。周囲を岩壁に覆われた通路をアミューズメントパークの趣きで楽しみながら歩いて行くと、突如として眺望の素晴らしいポイントに出る。此所がいわゆるキーホールケーブである。ここからは太平洋岸一帯、イパンビーチ、グアム大学校舎が一望出来る。太平洋の勇壮な荒波と眼下のおだやかなたたずまいの住居がタモン湾とは異なった風景を見せている。のけぞるような高さの岸壁の上の広場には小さな洞穴風の洞窟があって、丁度寝室のようになっている。その壁伝いにはもう一つの岩陰があってそこで料理をしていたらしい跡が遺っている。いかにも昔のグアムの自然な営みを象徴していて此所にグアムの生活の匂いを感じる。つまりこのコースの魅力の一つがこれで、今日のグアムを俯瞰すると、こうした風景が普通の営みだったのだろう、と想像できる。自然の中で自然に営む、という姿に感動してしまう。それに涼風が首筋に通ってとても気持ちいい。

さらにもう一つ「風の洞窟 /Wind Cave」を探検する。かなり大口な洞穴へ辿り着くのに少々ジャングルを歩かねばならない。足元に見下ろすようなこの洞窟は「風の洞窟」と呼ばれている。
この洞窟は複雑な洞穴があってその一カ所から強い風が吹き出している。風の洞窟という名の由来がそれである。この洞窟を探検する。
洞窟へは狭い入り口を這いつくばって進んでいく。ややあると中は高さがあり広さも充分にあって、洞窟の不思議さに驚嘆する。丘のような岩をよじ登るとやがて崖の上に出てしまう。さわやかな風と眼下の絶景がこの洞窟の魅力だ。
 帰り道にもう二つ洞窟を見つける事が出来る。それらは谷底のように暗くて深い。上からのぞくだけでもゾッとする。直ぐ下の平坦な足場へ降りてみる。足元が不如意で滑りやすく居心地は最低だ。ここから太いロープが途中まで垂れているのだが誰も試してみる者がいない。途中でロープが無くなったとしたら、その先はどうなるのだろう?奥底はかなり深そうだ。それに往きはいいけど復となるとスタミナの自信がまるでない。ゾッとする恐ろしさに身体がブルッと震える。こんな風に涼を味わうのは久しぶりだ。
 洞窟には生活臭さが漂っている。チャモロ人が、日本軍人が、現代人がなにがしかの理由でその中で生活したり物品を保存したり、また、休憩場所に使っていたのだろう。それだけに親しくもあり無気味な場所でもある。


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Posted by kenhagaguam at 18:43

2008年07月12日

グアム秘境紀行 その17:恋人岬の主人公、その後の伝説秘話を訪ねて(Ritidian & Two Lovers Cave)

 グアムに伝わる伝説やお伽話は壮大で幻想的ではあるが、余りにも現実味からかけ離れているのが特徴である。その中で現代的なテーマを未だに持ち続け、老若問わず多くの人の胸をキュンとさせているのが「恋人岬」物語の主人公達である。
 叶わぬ結婚に絶望し「あの世で一緒になりましょうね」と誓い合いお互いの髪を結び断崖絶壁から飛び下りる話は、世界中何どこにでも在る心中物だから共感を呼ぶのだろう。その主人公の二人が実は飛び下りた後も生存していたらしい、という真しやかな仮説につられてその跡地を見に行く事にした。

 その前にその珍説について少し述べておきたい。
 通常伝わっている物語では、その昔、今から100年以上前のスペインが統治していた時代の話。その頃のこの島の首都は現在のハガニャで総督はスペイン人であった。二枚目であったらしい総督がにわかに恋を覚えたのが愛くるしい瞳をした村娘、彼はその娘が酋長の娘であることを知るとある夜のこと、正装してその娘の父親(酋長)の前で求婚を告げ許可を求める。酋長はこの青年をたいそう気に入り快諾する。さてこのことを告げられて困惑したのが娘と彼女のボーイフレンド。二人はすでに成さぬ仲になっていて今更別れるわけにはいかない。といって父親に打ち明ければボーイフレンドに何をするかわからない。そこで迷った挙げ句の果てに思い付いたのがロタ島へ脱出することであった。
 友人に頼んでタモン湾に船を待たせて二人は夕刻が迫った頃に脱出を図る。しかしこの作戦は既に提督に知られることとなり、怒り狂った提督は部下に命じて二人を追いかける。犬の鳴き声で追っ手に気付いた二人は狂ったように逃走したので道を間違えやがてあの「恋人岬/Putan Dos Amantes」と呼称される岬近くで行き詰まる。前は絶壁後は追っ手、思いあまった二人は互いの長い髪を結びつけると「あの世で一緒になりましょうね」とつぶやき、やがて身を翻して漆黒の闇に海へとジャンプする。とまあ少々長いがこれまでの通説を紹介しておく。
 そして以下が珍説である。
 提督が酋長の娘に恋をしたのは本当である。本当ではあるがこの提督すでに妻帯者であった。その頃西洋では海外へ派遣する人員(特に上官)は総て妻帯者が条件であった。これは土地の提督(管理部長以上)がやさ男の独身者であれば地元の有力者は権益を求めてあの手この手の懐柔で役人を放っておくはずがないし、またいかがわしい女と関わりを持ち、身を持ち崩すかも知れない、という配慮から、地元民と癒着しないために妻や家族を人質にしていた。苦肉の策である。
 この提督は結婚していたにも拘らず求婚した、というからおそらく娘の親父も納得の上で勢力を得るために愛人として差し出した、と考えられる。権力欲は時として理性や常識という垣根を超えてしまうものだから不思議はない。不幸なのは彼女だけではなくそのボーイフレンドで、権力者の下では文句のつけようもなく二人は遂に夜逃げを考えだす。グアムからロタ島まで小さな船で半日程度で行けるものと考えた二人は早速友人に頼んで船の用意をし、タモン湾で待ち合わせる。しかし不幸なのはこの逃避行が提督に知れることになり、提督とその配下の者が一丸となって二人の行方をかぎ回り追いかけ始める。
 当時タモン湾へ抜ける道は現在のオールド・サンビトレス・ロード(ハッピーランド)ただ一つ。しかしこのマリンドライブ沿いにある小道は獣道程度の道幅しかないので夕闇の中で見失い。二人は遂に追われるままにあの「恋人岬」へと来てしまったのだ。追っ手が既に背後まで迫ってきたその時、クリスチャンであった二人はためらいもせずに崖下の深海目がけて身を翻したのだった。この「クリスチャンであった」というところが本編の大事なポイントだ。なぜならクリスチャンは自殺を禁じられているので二人は自殺ではなく脱出を図った、と考える方が自然である。もっともこの話をローカルでツーリズムの権威者にしてみたら苦笑いで「でもその話はしない方がいいよ。悲劇的な方が感動が深いから」といった。名言である。

 その二人が暫くの間隠れていた場所がある、というので早速探索してみることにした。因にこの洞窟のことを知っているローカルは年輩が多く筆者も地元の人から聞いている。
 神秘の洞窟跡へ行くにはグアム北部のリティディアン岬から海岸伝いに南下するのが一番わかりやすい。このリティディアン海岸はグアムでは珍しく、アメリカの自然動物観察保護区に指定され管理されている。従って公園(閉園時間は午後5時なので注意)内は目立たぬようにクリーンアップされている。因みに、リティディアン岬へは迂回路を行かずにやや細くなった道を直進し、突き当たりを下車して10分程歩く。するとケーブル用のタワーがあってそこに展望台がある。そこからは眼下に公園全体と遥か彼方の海にロタ島が見渡せる。ここまで来たら手前のジャングルにひっそりと聳えるテンサムの巨木を見る事を勧める。これはグアムに唯一ここだけにしか生息していない珍しい木で天然記念物に指定されている。

 この公園には古代チャモロ村跡があるし、またウミガメの産卵地帯として保護区域があり、海岸は美しい白浜が続いていて遠浅の海はコバルトブルー色に輝く、正に理想的な海岸地帯である。
 此処の海岸は遠浅で彼方にリーフ棚が横たわり、週末になると釣りに海水浴にとローカルのファミリーがやってきて1日中、BBQなどをしてにぎわっている。ここで軍人ファミリーの多くがビーチリラクスゼーションしているのもうなずける。とても快適なのだ。もっともサンゴ棚と海岸の距離が狭く、その直ぐ外海は海流が早いために海水浴客や漁をしにきた地元民が大波に襲われ事故死しているので海に入る際は特に気をつけた方がいい。

 このリティディアン海岸の見所は白砂の海岸の底抜けな美しさと、グアムに数少ない歴史的な遺跡が遺っている事が特徴である。前述の神秘の洞窟、それに同じ洞窟でもそれよりもさらに遡った有史以前の物だろう、といわれているカレンダーのような象形文字壁画が残っている洞窟、そしてラッテストーン時代の遺物、さらには太平洋戦争中の飛行機の残骸等などがそれである。

 この海岸を南下する。極微細な白砂に足をとられながら40分も歩いて行くとやがて行く手を岩壁に阻まれる(生死に関わるのでベテランガイドなしでは決して近付かない事)。この岸壁の下をくぐるようにしながら腰元まで海水に浸かりつつ壁に沿って先を急ぐと猫の額ほどの瀟洒な浜辺に出る。人を寄せつけぬ程の高波をくぐり抜け、うち寄せる荒々しい波から逃れるように岩壁を張り付きながらようやくこの浜辺にたどり着くと、それまでの苦しかった難行を思い出すと、そこがまるで楽園のように見えてくる。
 この浜辺のやや先を進み、左手のジャングルを分け入った所に厚さ25センチばかりの石の板で出来たラッテストーンが散在している場所に遭遇する。その高さおよそ1m50cm、幅は1m弱。石板の上にあるはずのサンゴで出来た頭部があちらこちらに散在する。
 このラッテストーンの石柱群は周辺に4〜5体も在り、1体の石柱が8本建てとなっているので「これはかなり珍しい物である」とナビゲーター役のマークがいう。もっとも私にとって、石板のラッテストーンそのものが初めてなので珍しずくしだ。このコースの目玉なので決して見逃さない事。

 この古代チャモロ村からさらに歩くと海岸に突き出た岸壁があり再び行く手を阻んでいる。とげとげしたライムストーンの岩場に気をつけながら再び岸壁の周囲を波に足を取られないように張り付きながら進む。その岸壁のあちら側がさらに岸壁となっており、その中間の入り江、砂州のような場所の壁際に大きな洞穴と洞窟がある。開口穴は幅およそ3m程で高さ5m、深さは7m内外、さらに奥ばった所が窟内にありそこだけがサラサラとした砂地になっておりベッドみたいになっていて居心地が良い。ここがあの「恋人岬」から飛び下りた二人がしばらく身を隠した、という秘密の場所だ。
 そう言われて改めて洞窟内を見回して見る。気がついたのは窟内のコンディションが抜群によろしい事。奥行きといい高さといい、住むのに十分な広さと空間である。それに場所が突き出した岸壁の狭間にあって潮の流れが此処に近づくのを難しくしているし、海側からアプローチするのが一番安全なので暫く身を隠すのには最適といってもいい。
 話によると、あの二人はやがて仲間の船によって救い出され、目の前に横たわるロタ島へ逃げた、という事だ。彼等が生きていた証拠として、この洞窟内にその時彼等が身にまとっていた衣服が残されていた、という、真に心和むエピソードが伝えられている。おとぎ話とはこういうジ・エンドであって欲しいものだ。
 潮と砂でぐっしょりとなった身体を休める為に、仲間達が洞窟のあちらこちらに座り込みしばらく休憩をとる。穴内から見渡すフィリッピン海は、雨期シーズンの所為か天気晴朗なれど浪高く、窟内には涼やかな微風が間断なく肌をよぎる。持参した半冷凍の真水を咽に通しているとすぐそこに、あの二人がひっそりと肩を寄せ合い彼方の海を見つめているような気がした。なんともロマンチックなコースなのである。


タモンビーチ
タモンビーチ

左:Hagatna/右:Hagatna Old House
Hagatna Hagatna Old House

リティディアン
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Posted by kenhagaguam at 23:42

2008年04月13日

グアム秘境紀行 その16:捨てられた戦車群、タンクファームと雄大で古典的なグアム最大の滝ロウアー・シグア・フォールズ(グアム中央部)(Lower Sigua Falls)

 グアムで探検トレッキングを体験した人はグアム大自然の規模の大きな景観、想像を絶するジャングの彼方にある渓谷、大小様々な洞窟、おだやかな磯のあちら側にひっそりと静まり返るラッテストーンの部落、そして多彩な景色をもっている川と滝に感動する。この島には90近くも景色の異なるコースがあり今でも観光客の訪れを待っている。

 ここで紹介するのは100を超える滝の中でもっともスケールの大きな滝、グアム島の丁度中央部に位置している「ロウアー・シグア・フォールズ」と大戦中に取り残されそのまま放置されたアメリカ、シャーマンタンクの廃棄場であるタンクファームである。
 タンクファームへはグアム島のヘソ部であるアルトム山の近くからアプローチする。こ五月蝿い野犬をかわしながらかつて第一次世界大戦の時に造営されたテンジョー山に向かって歩く。奇怪な岩石の山を超えると今度は舵を左にきり東方面に向かう。気分としてはグアム中央のジャングルへどんどんと向かっている感じだ。
 高低差のあるガサガサした草原と地肌がむき出しの岩石上を歩く。狭い道の周辺には地元民が4輪駆動で遊んだ轍の跡がここかしこに見える。野草が車輪に削り取られ無惨に枯れ散っている。辺りにはペットボトルとビール缶が散乱していて週末にここで遊び回っていることがわかる。
 
 グアムの山野は中央部へ進む程その深さ濃淡の味わいに驚嘆する。彼方は南方の山脈、見渡す限りの雄大さとジャングルの深い緑が真っ青な空と好対照で息をのむほど美しい。
 歩き続ける。左手の渓谷にはシグアリバーが横たわっている。彼方の少しくびれたジャングル辺りがアッパー・シグア・フォールズであろう。そのあちら側にアルトム山が見える。右手は広大な草原の丘、その向こう側の深い谷間にはマグアグアフォールズとロンフィットリバーがあるはずだ。 歩き続ける。丘陵を歩くと風が頬をよぎり快適快感でそのまま時間が過ぎて行くような気分になってストレス持ちの人には最高の気分休めとなっている。

 やがて小高い丘のあちら側に小振りながら枝ぶりのいい松の木が見えてくる。あの向こう側に目指すタンクファームがあるはずだ。後を振り返ると彼方からここまで仲間達が縦に長く続いている。誰かが手をしきりに振っているのは休憩を求めているのだろうか? 
 ややあってあちら側に大きな赤さびたシャーマンタンクが見えてくる。これが第二次世界大戦の遺物、アメリカ軍実際に使っていた戦車なのである。1944年7月21日早朝、アガット、アサンの両海岸から上陸した米軍は苛烈な日本軍の迎撃を受けながらその防御線を突破して大陸中央部から一気に北部へ向かって日本軍を追いつめていった。そのもっとも頂点となった戦場がここなのである。勢いきって上り詰め追いつめた挙げ句力尽きて佇んだ場所、終焉の地なのである。このシャーマンタンクは米軍主力の重戦車だったのである。
 グアムにおける日本軍の戦車隊について少し書き記しておきたい。日本軍の戦車はグアム島に中型戦車11輌、軽型戦車25輛が温存され、第29師団戦車隊、戦車第9連隊第一、第二中隊がそれぞれ勇猛果敢な中隊長に率いられて戦場を駆け巡った。装甲僅か6ミリ程度ながらアメリカ重戦車装甲3センチ相手に日本戦車は必死に戦ったのだ。戦車群の戦闘は上陸戦において早くも接触し、それからは一方的に撃破されていく。残る戦車はさながらジャングルを縫うように這うようにしながら走り抜けては敵の背後に廻って少なからぬ損害を与えている。その唐突な日本軍戦車の出現と攻撃にアメリカ軍は一度ならず多大な被害を被った、と戦記にある。頑張ったのだ。一方、シャーマンタンクはその馬力と重量でジャングルをなぎ倒し、陣地を破壊しながら突進を続けた。遂に日本軍はその年の8月10日、グアム島北部のサンタロサ山へ追いつめられ残された軽戦車は敵戦車の砲弾によって無惨に撃破され、ここに日本軍の敗北が決したのだった。
 このタンクファームに放置された戦車はその戦争の初戦の頃のもので周辺には装甲車も含めて数輛ある。戦車はまるで大型の生き物のように縦横に走り回りたっぷりと飲食をし、困難なジャングル開拓をし、やがて用が済むと捨てられ、置き去りにされ、やがて声もなく忘れられていくように見える。破壊された方がまだしも雄々しく感じるが放置されると悲哀がつきまとっているように感じる。象の墓場のようだ。辺り一面は赤土の地肌もあらわで松の木々がここかしこに立ち尽くしている。感無量というか物悲しい風景である。この場所そのものが戦争遺物記念公園という感じがし、同時に戦時品というものは戦争時以外、ただの無用の長物という観がして虚しい気持ちになる。

 そこから左手、深い渓谷の下が目指すロウアー・シグア・フォールズである。
このロウアー・シグアフォールは日本語で「低い場所にあるシグア滝」という意味で深い意味はない。ただ、グアムに100ある滝の中でここは最大規模の滝として有名だ。
 ロウアー・シグア・フォールズへは急で峻険な崖を下っていく。深くえぐれたような ジャングルを直下していく。途中からロープがあり、それを辿っていくと迷う事無く目的地へ降りて行ける。全身の体重をロールに任せて落ちるように降りて行くとやがて落下する水流の音が絶え間なく聞こえてくる。ロウアー・シグア・フォールズへ辿り着いたようだ。
 この滝の壮大さに思わず息をのむ。誰もがその圧倒する偉容さに声が出ない。この滝は広さにして200メートル、高さにして30メートルはあろうか、5階建ての建物と同じ面積がザックと割れて岩石をもろに出し、その前を激しい音をたてながら川水が落下していく。実に壮観である。この雰囲気を例えるならば、正にナイアガラフォールのアメリカ滝に酷似している。広さと高さのスケールが小さいだけでその圧倒する景観は人を畏怖させるものがある。そしてこれこそがグアムの本当の魅力なのだ。
 水深は2〜5メートル、透明度はよくはない。子供や大人が競って滝の中腹へよじ登りそこから勢いよくジャンプする。飛び降りる度に周囲の人々が歓声を挙げる。しかし落下する水音にその大声もかき消されていく。ただ屈託ない笑い顔だけがその興奮、その感動を表現している。まるで映像のように奇麗に映っている。
 ここへはローカルやミリタリーもよく来るらしい。ランチ持参でゴザを敷いて日中ここで遊ぶのだろう。日本の大型アミューズメントプールのようだ。
 遊び疲れて帰途につく。あの峻険な崖をよじ登っていかなければならない。そしてそこからさらに90分以上かけて駐車場まで歩くのだ。一瞬の興奮の為に大汗をかく。これもまたグアムトレッキングの魅力なのかも知れない。


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2008年03月13日

グアム秘境紀行 その15:南部の名山、感動のシュローダー山(Mt.Schroeder)

 グアムの南部をツアーする時、多くの旅行者は常に海岸地帯に目を奪われその逆の山岳の景観を見落としてしまう。もったいないことだ。全島80%近くを占めるジャングル地帯、その中でも取り分けて山野渓谷が集中しているのは中央部から南部にかけてである。従ってドライブしている間、少しばかり気にかけて内陸を見ていると次第々々に美しい山なりと緑濃いジャングルが目に映るはずである。

 南部地帯は太古の昔、海中火山が爆発して吹き出した溶岩によって地盤が形成された。その溶岩が酸性土壌であった為に地盤は堅く、従って度重なる沈下隆起にもかかわらず南部には山がそびえ立ち山脈丘陵をここかしこで眺めることができる。

 紹介するシュローダー山はグアムの山々の中でも筆者が一番美しいと断言できる秀麗かつ雅な山である。その昔、第一次大戦時にドイツが一時占領していた時のドイツ将校名前から採ったと言われるその名前は語感を表わすようにさびさびとした丘陵とゆったりとそびえ立つ優雅さを併せもっている。この山の麓に米軍のアンテナ群が巨立しその下方にプリーストプールが在る。

 この山へとりつくのはさほど難しくない。難しいのは麓を過ぎて山腹に到達した頃である。その先の頂上へは遥かに険しい道のりとなる。かなり登山しているのに山頂を臨むと遥か彼方に見える。あきれるぐらい遠いので気持ちが萎えて落伍する者が増えて来る。しかしこれまで辿ってきた此方を見やると随分と下方のあちら側に出発点が見える。あそこからここまで来たと思えば少しばかり勇気が湧いて来る。さらにこの中腹から眺めるココス島は素晴らしい。

 海洋にゆったりと横たわる雄姿は小島のようで、昔そこを「長島」と呼称していた気分が横溢している。コバルトブルーと紺碧がパッチワークのように織り成し、リーフと大洋の渚が白く泡立っている。ココス島が心細く海のあちら側に横たわり、彼我の間を白い糸を吐き出すように波をけたてて遊覧船が走る。天気晴朗、南国特有の大きく真っ白な雲が天上をゆったりと通過する。

 ココス島に人が居る気配を全く感じない。ただ自然のままゆったりとそこに在り、大洋から押し寄せる波を受け止め、ゆったり広々としたリーフ内にかすかなさざ波を送りだしている。まるで生きている島のように見える。太古の昔から全く変わらない情景だったのであろう。グアムになくてはならない風景である。その「長島」へ向かう遊覧船がおもちゃのように見えるので仲間達が歓声を挙げている。 

 シュローダー山を目指して登る。柔らかい雑草に包まれ、緑の衣を羽織ったように柔和でおっとりとして見える、美しい山成りなのである。その秀麗な姿を間近に見る事が出来るだけでもラッキーといえる。

 2段になっている山頂目指してさらに登る。足元は涼やかなのだが勾配がきつくて喘ぎながら登って行く。ようやく2/3程進んで後を振り返る。
再び今来た道を見下ろすと、道程の細長い道跡と周辺の雑木林、その中程を仲間達が登ってくる樣がよく見える。山の稜線を伝ってみんな行儀よく一列に並んで「よいしょ、よいしょ」と登ってくる。その樣が彼方の青い丘陵の背景と重なってまるで浮き絵のように見える。感動的なシーンである。

 やっとの思いで山頂に到達する。その山頂からの眺望、空気の美味さ、そして心地良い疲労感が僅かな時間で手に入るのだ、なんと簡単で贅沢で安上がりなスポーツだろう。

 山頂から眺めるとココス島が正面に見え、右手にウマタック村と湾、それにソレダッド砦が小さく見渡せる。背景を見やると大草原とササラグアン山が彼方にあり、山脈が連なる。 山裾のジャングルには岩肌も露な峻険な崖が両手を広げたその中にすっぽりと収まるようだ。

 実に雄大な景勝だ。この景勝こそこのコースの目玉なのである。

 脳裏にふと、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の冒頭シーンがよぎる。そう、まさにあの青い山々と丘陵、そしてそのだだ広い草原で走り回る主人公のあのシーンが目に浮かぶのだ。言葉を見失う程の爽快感なのである。

 軽い昼食を終えて、目の前の坂道を降りて行く。大人の背丈以上に生い茂ったカヤの中をくぐりながら滑るように降りて行くとむっとした湿気の中に入り込む。ジャングルの中である。

 そしてそこをさらに降りて行くとラジオのアンテナを大空いっぱいに広げた広場へ出る。さらにゆったりとした山道を下っていく。すると、ジャングルの隙間から山間の岩から流れ出た清水が一つの水流となっていく様を眺めることができる。その水流やがて小さな滝へと集中する。これがプリーストプールである。


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2008年02月28日

グアム秘境紀行 その14:グアム古代伝説の定番、幸運を招く男宝巨岩フ〜ナロック(Fouha Rock)

 グアム島は酸性とアルカリ性の土壌によって形成されている、と機会がある度にくどいほど説明している。従って南部の土壌は赤く、北部は白い土色に分けられている。鉄分と石灰分の違いがそのまま色合いとなっているのだ。その違いがグアムでの生活を大きく左右していることはこの島の歴史をひも解けばすぐにわかることだが、我々日本人にとっても太平洋戦争中、その土質の為に多くの兵士が苦しむのであった。

 この島は南部グアムの遠海深くに横たわったマリアナ海溝に強く影響されている。つまりその海溝の深い部分から吹き出た溶岩が南部へ吹き出、さらに北部へ移動して島が構成されているからだ。ここで地質学的な話をするのは、これから紹介するコース、「フ〜ナロック」の背景説明に重要な意味があるからなのである。

 「フ〜ナロック」は南部最南端のメリッソ村よりやや南西上、ウマタック村からやや上方に在る。そしてこの巨岩こそ、おそらくグアム島最古の露出した岩石である、といえるであろう。ということはとりもなおさずミクロネシア最古の酸性の溶岩ということになる。

 近代の地質学上で説明できるこの巨岩のユニークさを古代人は当然知らない。知らないが彼らなりにこれが特別な存在であり、であるがゆえに現在でも信仰の対象になっている。「フ〜ナロック」とはつまり男根の形をしていることから性のシンボルとなっている。

 伝説の「フ〜ナロック」とは、民家が立ち並ぶ頃の南部の村ウマタック(ヒューマ・タックといわれていたらしい)に、瞳の大きな絶世の美女フーナが現れ多くの男性の憧れ、性の対象となっていった。

 その頃の女達は昼夜働きずくめで働き家庭を支えていた。男が真面目に働かず(真面目といっても働く対象がなかったのが現実だが)遊んでいるしか能のない連中を無視するように真剣にその日の食料を求め、家事(といってもたいしたことはないのだが)に熱中する女達に男達は色気を感ぜず、嫌気がさしていた。フーナはそのことに気付き、男達が女達に何を求めているかを調べた挙げ句、目立たぬように質素に暮らしていた女達に魅力が失せていることを見抜いた。やがて彼女はまるで気がつかなかった彼女らの美貌、と気にもしなかった色気を表面に出すような工夫と秘術をそっと授けてあげた。しばらくすると男達はやがて自分の間近に素敵な女性が数多く存在していた事に気付き、それからは彼女らに気に入られようと真面目に働くようになった。

 その秘術工夫とはそれとなく働いている自分の身体に触れてくるようなポーズを作る事、その為に長髪の手入れと化粧をする事であった、というのが伝説の起源である。そして今では女性が男性に形を変えて、そのシンボル的な巨岩に触れると男性はいつまでも若く逞しく、女性は望む数だけの子供を授かることができる、という。そういう理由があるからではなかろうが、村民の中で成人式を迎える者は男女を問わずこの巨岩に触れることを慣習にしている。

 「フ〜ナロック」へはフィリッピン海側の南部ウマタック村外れから歩くことになる。(*私有地を通るので必ず許可が要る)彼方にソレダッド砦が傍観できる秀麗な海岸地帯である。 海岸のやや広い場所に出てみると、周囲は特有のココナッツ林に囲まれたおだやかな海浜地帯が延々と続いている。その海浜のあちら側にはかつて古代チャモロ人が生活していたジャングルが緑濃くのびている。海岸のややおだやかな磯を歩く。ささくれだった岩の間から少しばかり大地が残っているのがわかる。そこから彼方を見ると「フ〜ナロック」をはっきりとらえる事ができる。それを目標に岩壁伝いに用心深く歩いていくと山裾の岸壁に大人1人がやっとくぐれる程の奇妙な横穴が開いた岩が突き出ている。まるで風にえぐられたようである。これが地元の人に「女岩」と呼称されている岩穴である。昔からこの中を男がくぐり抜けると理想の女性に巡りあえるという説があるが、女性がくぐり抜けると男性に惹かれるようになる、という説もあってまちまちだ。どちらにとってもご利益があるのだから筆者も早速その中を通り抜けてみた。

 散策コースに最適な磯をぐるりと廻って小さな川を通り抜けると直ぐ目の前に目的の「フ〜ワロック」が見える。この巨岩の周辺、というか海浜は真っ白なサンゴと貝殻で埋め尽くされていて感動を覚える。そしてその向こう側の台地はうっそうとしたジャングルで今にも古代人が飛び出してきそうな不思議な空間である。そのさらに向こうには「古代人の住処」であったセッティベイがある。

 美女フーナが化身となったのがこの「フ〜ナロック」で、「フ〜ナロック」は地元では男根岩と呼称される。異様な姿が男のシンボルそのままだからだ。高さにしておよそ5m、グアムの地層でも最古に近い岩石がそのまま巨立しているようだ。女性がこの巨岩に触れるといい縁に恵まれるとか安産にいいと昔から伝えられている神秘的な岩なのである。

 巨岩の周囲はおよそ15m、岩全体はサラサラとした細かい岩石で覆われている。覆われているよりもサラサラが積み重なっている感じ、といった方が適切だ。よじ登っていると腰の辺りから崩れていきそうな不安が残る。デリケートなのだ。 その巨岩には小さな松の根がしがみつき、枝が低く這うように伸びている。雑草が日陰部分に集中し、限りなく灰黒色をしていて雑草の緑といい色のコントラストをなしている。

 この巨岩の真ん中部分へ登り腰をかけてしばし彼方の景色を臨む。そこからはゆったりとした波のうねりと海浜波打ち際のさざ波が穏やかな気分に誘い込む。そしてあちら側にはソレダッド砦が傍観できる。かつてこの島を発見(1561年3月)したというマゼランは、あのソレダッド砦の手前の入り江を滑るように侵入した、と言い伝えがあるが定かではないそうだ。

 この巨岩といいソレダッド砦といいグアムは往時を偲べるスポットが今でも変わる事なく残っている。

フ〜ナロック1 フ〜ナロック2


フ〜ナロック3 フ〜ナロック7


フ〜ナロック5 フ〜ナロック6


フ〜ナロック4  

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2008年02月04日

グアム秘境紀行 その13:ロタ島、マリアナ諸島最後の楽園(Paradise Rota)

 これまでサイパン島からの行き来が一般的だったせいか、ロタ島について語られることがなかった。またグアム、サイパン、テニアン島が一般的に馴染み深い島であったが為にロタと聞いてもピンと来ることがなかった。つまりロタ島とは日本人にとって(ということは他の民族にとっても)気にもかけられない島であったのだ。

 それが幸いしてか、ロタ島は忘れられているマリアナ諸島最後の楽園島なのである。

 この東京山の手線円周内とほぼ同様の大きさしかない島はしかし、グアムでは決して体験できない自然と野生動物を間近に見る事ができる魅力がある。自然を切り拓いて町を作るのではなく「自然の中に申し分程度に人が住んでいる」というのがこの島を紹介する枕詞になるだろう。道を走れば対向車のドライバーが手を上げて挨拶を交わす。島中いたる所にキングフィッシャーが飛び交いかしましくさえずる。信号機が皆無なのは車の量が少なく、また視野が開けているので運転する上で事故の心配がない、ということらしい。海岸線に沿って走れば彼方にサンゴ棚の浪しぶきが見える。そこを眺めて「松島のようだ」と誇張する人がいるが共感を覚える。かつて日本人が生活していた、というソンソン村はそのまま放置されて久しく、従ってもの佗しさの中にこの島の歴史の深さと厳しさを感じることができる。

 この島はグアムから飛行機で僅か20分余り、グアムの北方に位置するわずか86平方キロの島である。その島で暮らすのはチャモロ人と外国人合わせて3.000人余り、その中に日本人が20人ほどいるだけで孤島というより小島という方が的をえている。気候はグアムと同じ、チャモロ人が固有の住民で歴史や文化的にもグアムとさほど変わらない。ロタはサイパン同様、かつてスペイン領であったものを帝国の衰退に伴ってこれをドイツに売り渡し所有権を放棄した。1898年、アメリカとスペインが戦争をし、スペインは惨敗する。グアムもそれに伴ってアメリカ領土となっている。しかしロタはドイツ帝国の統治による階級秩序と衛生面、さらには産業も発展して往時はかなりな規模の産業を興している。砂糖キビとココナツオイルの生産を始めたのもドイツであり、それに伴う村落の発展がこの島をただの小島にしなかったのだ。

 1915年から始まった第一次世界大戦は1917年に終焉しこの戦争のもう一方の当時国であるドイツ帝国は壊滅する。あのアドルフ・ヒットラーが1兵卒としてこの戦争に従軍していた。
 日本がロタ島を統治できたのは第一次大戦に連合国側について参戦したからで、戦後、国連によりグアム島以外の島々の統治を任されていた。つまり日本の領土の1部であったのだ。日本は明治維新後、職をなくした食い詰め武士達による貿易商社「南洋貿易(後に南洋興発)」の設立により南洋(特にサイパン)での交易が盛んで、その頃から始めた砂糖キビとココナツオイルの貿易が発展しやがて現地で栽培することを覚え、第一次世界大戦後は栽培と収穫、生産までするようになり、著しく発展していった。

 当時ロタの南部ソンソン村では、1920年代にはチャモロ人の人口800余人に対して軍人、民間人合わせて日本人がおよそ6.000人も居たという。それだけロタが産業の島として重要視されていた事がわかるし、また日本人との縁の深さが感じられる。現在は往時の賑やかさは完全になくなり面影すら殆ど残していない。戦後ロタ島は北マリアナ連邦に属し自治領となっている。

 この島は時の刻みを必要としない。自然の中に人間が介在している、という雰囲気があちらこちらで目に付く。車という近代の合理的造型物が少ないので便利さがない。ない分だけ自然が人間世界を圧倒している。

 グアムでは鳥が伸びやかに飛翔している姿を見る事が少ない。頻繁に飛来するキングフィッシャーという翼が緑で嘴が黄色いカワセミのような鳥もいない。ロタ島を歩くと島中いたる所にキングフィッシャーを含めて色々な種類の鳥が飛翔し自然の風景にとけ込む様子をいつでも目にする事が出来る。

 バードサンクリチャ(bird sanctuary)は鳥が棲息する場所であり、切り立ったクリフの真下に両翼2〜3m近くもある茶色のノディーや白い翼に黒や赤のストライプがはいったトロピカルが悠然と飛翔し、間近に飛来する。高さおよそ10m以上の松の木の真上に巣をこしらえているのを真下に眺めるのが面白い。

 この島にはラッテストーンにまつわる遺跡が2箇所ある。
空港近くに通称「石切場」(as neivis)といわれる場所と、おそらくマリアナ諸島でもこれほど完全に近い形で取り残されたラッテサイトは他にはないのではないのか、と思わせるほど見事に遺された場所「モチャング」(mochong latte stone village)がある。「石切場」は学者の説明によるとラッテストーンを作る為の作業場であったであろう、という。削られたような壮大な穴を見るとラッテストーンの頭の部分(俗にキャップストーンと称される)がのぞけてみえる。幾つかある。外枠に沿って切り削られたキャップストーンらしき物はかなり大きい。

 溝の幅はおよそ1〜2m内外で深さは深い部分で2mはない。途中で投げ出したのかそれとも事変でもあったのか、どれ一つとして完成あるいはそれに近い造形物はない。何故わざわざ地面を掘り下げて切り出す必要があるのだろうか?また、この巨大な造形物をどのようにして地上に持ち上げ、それを現場まで運搬するのだろうか?という疑問が残る。

 地上に持ち上げる工夫は既に一つの発想として絵図が残っているのだそうだが現実的にいえば、それこそ崖や岩場をくりぬいた方が合理的であるし作業の手間も楽であるはずだ。ここのラッテストーンはそのままそこに残して土台とみなし、その上に家を作るという目的ではなかったのか?この神秘な遺構に立つとそんな様々な想像が頭を走る。

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Posted by kenhagaguam at 23:34

2008年01月08日

グアム秘境紀行 その12:スターサンドの砂浜とラッテストーン村そして神秘の大池 ヒランビーチとロストポンド(Hilaan Beach & Lost Pond)

 昨年来にわかに印象深いツアーとして注目されだしたのが「探検トレッキング」。ただジャングルを歩くのではなく、歩くついでにこの島の歴史も神秘さも発見してしまおう(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、というインテリ向きのツアーだからである。

 実際グアムを歩くとタモン界隈では決して窺うことのできない神秘的な文化、感動的な景観がかなりある。因にこういうトレッキングスポットは全島に90カ所もありその半分近くが米軍基地内にあるとはいえ、多くがその気になれば探検することが容易だ。グアムとは本来、こういう自然の恵みと西洋と東洋が微妙に絡み合った歴史と文化がゆったりと横たわっている島なのだ。

 グアムで唯一世界中に知られている伝説悲恋物語である「恋人岬」へ通じる路地を通り過ぎたその先にもそのひとつ、ここで紹介する魅力の一端を窺える楽しいコースがある。

 誰もいない海浜とロマンチックな散歩道、それだけではなく、そこには古代チャモロ村跡、さらには「失われた池」と呼ばれる透明度の高い淡水の池もある。

 このコースは「タンギッソンビーチ公園」から始まる。注意しておくことは、ここではよく車上泥棒や破壊、破損があることだ。従って駐車は勧めない。

 この公園は大昔、古代チャモロ人の村落があちこちにあり生活していたらしい。ここはまたココナッツオイルの精油場としても長い間利用された土地であり現在では発電所になっている。

 アメリカが公園に指定し、長寿の樹木を大切に保存し、芝の緑を大きく広げ、海水浴場(ガードがいないので水難事故に注意)として、憩いの場所として愛用されるように施設も充実していたが、残念なことは前述したような車上置き引きや施設破壊が頻繁に起こり、従って常に奇麗に管理できていないことである。

 コースはここから始まる。そのまま海岸に出て海岸線に沿って歩く。砂浜がサンゴのかけらと珍しい貝殻のピンク色、それに白い砂に色分けされていて美しい。さらに渚近くに突き出した岩礁の形に趣きがあり、渚と寄せ来る波と、彼方に見えるタモン湾の風景とが絡まって一幅の絵葉書のように見える。まさに南国の情緒いっぱい、といったところだ。この海岸線を、ある時は砂浜を、ある時は岩礁の上を、またある時は波打ち際のジャングルの中を伝い歩くわけだ。スターサンドとは☆の形をした砂粒のことである。実際はサンゴが浪に洗われて小粒になったものだがロマンチックな響きがしていい感じだ。砂粒に混じったスターサンドを探す人の心と調和している。丁度四葉のクローバーを見つけるようなスリルがある。

 やや行くと右手奥に小さい朽ち果てたラッテサイトの遺跡を発見する。大人の腰程の高さのラッテストーンが現存したまま1基、そして足元に幾つかのラッテストーンが散乱している。苔むした遺跡が往時の生活を偲ばせる。薬草をすり潰す為に使っていた、という一抱え程の穴の開いた石「メディシングストーン(グラインドストーン)」がある。この石とラッテサイトが一つの場所にまとまってあるのを見た事がないので興味が湧く。

 グアムを訪れる旅行者の中でラッテストーンの話を聞かされた人は幸運である。意外かも知れないが、このマイクロネシア特有の住居の支柱の話を知らない人が多い。知らないのではなく知らされないことに問題があるのだが、旅行関係者に地元チャモロ人が極端に少なくなっていることに原因があるらしい。自分の国、という誇りをもっているチャモロ人と戦後移住してきた新島民との間では、その国に対する歴史や文化に抱く感情や愛情に温度差があるのは当然であろうが、それがグアム観光に影響すると本来観光史跡として必ず紹介されなければならない場所やシンボルでさえ無視されてしまう。それが哀しいし残念である。

 さてそのグアムの象徴ともいえるのがラッテストーンである。7世紀の始め頃から小笠原諸島周辺から徐々に伝承されていく間にグアムに辿り着き、当時の酋長達がこぞって海浜近くのジャングルの中にこれを建て始めた。ラッテストーンは通常6〜8基の石柱が並びこれが並列に立っている。石柱の上に丸珊瑚を逆さにして置いてある。従って海辺近くに建っている。初期の頃は膝ぐらいの高さしかなくやがて3メートル近くにもなっていった。権力の象徴、といわれるのはつまり権力を背較べしているようなもので「隣の芝生が気になる」のと変わりない。いつの時代にも見栄っ張りがいるものだ。ハガニャ市にあるエンジェルサントス公園のラッテストーンは元々現在海軍基地のあるオロテ岬から移築したもので時代的には新しい。しかしここで紹介しているコースのラッテサイト(ラッテストーン住居)は腰の高さほどしかない古い方の時代の遺構である。こういう数千年も前の遺構がうっそうとしたジャングルの中にひっそりと佇んで人知れず、いつの日にか発見されるのを待っている、というのはロマンチックな物語だ。単なる住居の支柱とはいえ、かつてその時代の日本は紙と木で家を作ったことと比較して、チャモロ人は石と木で家を建てていたことに興味をもって欲しい。単純素朴とはいえ、そこには同じアジア人の血と発想が流れていることにきっと感銘を受けるはずだ。

 ジャングルを通り抜けて再び海岸に出る。遥か彼方の海中に、サンゴ棚と海岸の間が30m程にわたって裂けてその部分だけが淡い碧色になっているのに気が付く。これが俗に「シャークスホール」といわれている場所だ。このシャークスホール近くの海岸の右手小道を入る。鬱蒼としたジャングルのくねくねとした獣道を歩いていくと間もなくロストポンドと呼ばれている淡水の池が忽然と現れてくる。50m四方程の巨大な池である。透明度抜群のこの池にはメダカのような小魚、グッピーが群れて泳ぎ、周囲はココナツやシダ類や古木が水面にもたれかかり、ジャングルを一層魅力的に演出している。ヤブ蚊が群生してたかってくるので子供も大人も池めざして一斉に飛び込み泳ぎだす。静寂と躍動感が渾然一体となって魅了される。まさにこの瞬間こそがこのコースの最大の魅力である。(この池からしばしば細菌が発見されているので遊泳注意、必ず調べておくこと)

 しばしロストポンドで遊んだ後、シャークスホールの見える砂浜で休憩をとる。漁師が網を肩に担って軽く会釈して通り過ぎる。「あの辺りは水流に身体を持っていかれるから危険だよ」と注意してくれる。見るとシャークスホールのあちら側のサンゴ棚は途切れておりそこへ海流が逆流しているのがわかる。実際、無責任な雑誌社の雑誌に紹介されたことから遊びにき、そこで溺死寸前になったツーリストがいた。シャークスホールとはシャークが棲んでいるのではなく、そこへ入ったら海流に巻き込まれて死ぬ危険がある場所、という意味だそうだ。というわけで海水で遊ぶよりも真水で遊ぶ事に決めたのはいうまでもない。

ヒランビーチ

ヒランビーチ ヒランビーチ


ヒランビーチ ヒランビーチ


ロストポンド

ロストポンド ロストポンド  

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Posted by kenhagaguam at 18:11

2007年12月27日

グアム秘境紀行 その11:ポピュラーなあまりにポピュラーな滝プリーストプール(南部/Priest's Pools)

 グアムの南部をドライブしていると海岸線に沿って山々が連なり、南国特有の樹木や草原がそこに見渡せる。つい海や海岸にばかりに目がいってしまうものだが、反対側の自然、この、グアムならでは、の風景を知らないのは勿体ない。

 紹介するプリーストプールは南部メリッソ、シュローダー山の麓、彼方にココス島が臨める風光明媚な場所にある。このプリーストプールは2通りのコースが選べる。一つは民家の庭を通過するコース。これは目的地の近くの通路なので極めて楽である。従って休日になると地元の子供達が遊びに訪れる、が私有地通過がよそ者にとっては面倒である。
もう一つのコースは戦時中に日本人によって地元民が虐殺された「ファハ」の丘を通るコースで感動的な景観を楽しめる。メリッソ村の公道を走ると丘側に墓場がある。その裏側の側道を上がった山腹に戦時中日本軍によって使役し、その後「情報が漏れるのを恐れるあまりに」その屈強の島民36人の島民が虐殺されている。

 少しの間慰霊供養をし、そこから稜線伝いに彼方に聳えるシュローダー山を目指して歩く。

 稜線上を歩く、という快感は言葉に言い表し難いものがある。歩幅僅かに1m足らず、稜線伝いの左右はなだらかな草原がサアーッと下っている。かと思えば岩が露出してあって、今度はその左右の坂の深さが峻険で恐ろしい。風に吹かれて恐る恐る辿って行くのだが実にスルルがあって面白い。この稜線が上り下りしてあって歩いている快感にしびれてくるのだ。そこから眺める彼方の山、シュローダー山を左手、ササラグアン山を右手に見やるとまるで巨大な空間にポツンと取り残されたような気持ちになる。これがこのコースの魅力である。
彼方にそびえるドイツ軍将校の名前から「拝借した」、というシュローダー山は柔らかい雑草に包まれていて、それは緑の衣を羽織ったように柔和でおっとりとして見える。美しい山成りである。その秀麗な姿を間近に見る事が出来るだけでもラッキーだ。

 疲れがで始める頃になると稜線は下りはじめ、やがて今度は荒原に出る。その荒原を突っ切ると目の前に岩山が現れてくる。山間の岩から流れ出た清水が一つの水流となりやがて小さな滝になっているスポットへ出る。これがプリーストプールである。 プリーストプールは滝というよりも水が落ちている場所、という雰囲気だ。しかし滝壺の深さはかなりある。プリーストプールの由来は、この滝で宣教師が信徒を洗教に使っていたから・・・という説がある。周囲の雰囲気からして決しておごそかではないが滝壺周囲に村人が取り巻く姿はなんとなく往事のイメージが湧く。
汗がしたたり疲れを休む間もまたず参加者全員がプリーストプールへ飛び込む。疲労して熱く火照った身体を冷やすように、各々が勝手な格好で滝つぼへ飛び込む。流れに沿って幾つもある滝つぼだが、周辺およそ3m以上もある滝壷は2mの高さから飛び込んでもなんともない。水はお世辞にも透明度抜群とはいえないが結構冷えていて身体に気持ちよく染み渡る。

 滝壺にジャンプして大いに騒ぐ者がいれば、その滝壺のもう一つ下の滝壺でじっくりと涼を楽しむ者もいる。大人が4人塊になって入れる2m程の深さがある滝壺がそれである。底なしの水風呂温泉といった感じだがこれが実にユニークかつ快適だ。あちらこちらに数千年の時間をかけてできた自然の滝壺があり、その滝壺の中で休んでいる仲間の声がする。さらにはそこから眼下に流れて落ち行く川とそれを取り囲むジャングルのグリーン、そして遥か彼方に見えるのがココス島だ。これはもう楽園の雰囲気である。誰も自分の発見した滝壺が「最高だ」、と自慢げに誘いかける。こうなると子供も大人もない、思い思いに好きなだけ水遊びをする。もし、これが温泉だとしたら、日本の遥か田舎の渓流近く、松林の隙間に見える寒々とした山を眺めながら「露天風呂に浸かっている気分だな」、とふと日本の田舎を思い出した。グアムとは歴史の中に息をしている大自然そのものだ。

プリーストプール1 プリーストプール2

プリーストプール3 プリーストプール4

プリーストプール5 プリーストプール6

プリーストプール7 プリーストプール8  

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Posted by kenhagaguam at 01:19