2006年03月16日

クライフの英国滞在記-第10回 -周辺諸国への旅-

ウィーンは非常にいいところだった。

まず、見所といえばシェーンブル宮殿。

まあ贅沢の限りを尽くした宮殿で、当時の王朝の盛況ぶりがわかる。

まあ、女帝マリアテレジアは悲劇的な最後を迎えるのだが。

まあ、日本で言うと時代は異なるが平家の盛衰みたいなものか。

あとは、あれだな、あの名作 第三の男の舞台となった有名な観覧車とか。

ちなみに普通はドイツ語を皆使ってるが、英語は、殆どの人が話せるな。

タクシーの運転手も、きちんとした英語が話せていたし、ちなみに向こうのタクシー

はほとんどちょっと古めのベンツだった。

しかし、なんとポルシェのタクシーを見つけた時は驚いたな。

さて、この後どこに行くかというとパリに行く。

次回はパリの話





2006年02月22日

クライフの英国滞在記-第9回 -周辺諸国への旅-

ええ、えらいお久しぶりです。

申し訳ありません。

まあ私は非常に気まぐれなので、ええ。

まあこれからは、もう少し間を空けないで書きます。

さて、当時の日本人駐在員がどのように現地で過ごすかというと2パターンあります。

外国に駐在する場合、日本で同じ地位の場合、あちらの生活水準に合わせるため、企業は、少し余計に給料を払います。

その給料の使い道ですが、大体駐在員の場合2パターンに分かれます。

ひたすら現地にじっとして給料を溜め込むパターン。

なかなか、日本に帰ると海外旅行等がおおごとになるので、こちらに住んでるうちに
色々な国に旅行に行くパターン。

当時英国はポンドがどんどん下落していたので、ためても仕方が無い、また、私の父の場合、もう上は、役員クラスなのでこの駐在が海外は最後であろうということで、
旅行に使うことにしました。

で、最初に行ったのはオーストリアのウィーン
非常にいいところでした。
まず、とまったところがヨハンシュトラウスホテルという粋な名前のホテル。
こじんまりしていますが、なかなか格式がありそうなホテルでした。

飯も旨い、肉団子のスープなど非常にうまい
あとは、子牛のシュニッツェル 所謂、薄いカツのようなものですが、非常においしい。

私は、クラシックもロックも好きなのですが、クラシック好きにはたまらない場所です。

ヴェートーベンのお墓や、モーツァルトに関する史跡も多数あり、

有名な宮殿などもありました。

詳しいことは次回また書きます。




2005年12月24日

クライフの英国滞在記-第8回 -英国のTV事情-

 さて、今回は当時の英国のテレビ事情である。当時日本だと東京でチャンネルは12あり、そのうち見れるのは1NHK3NHK教育4日本テレビ6TBS8フジテレビ10テレビ朝日の前身12東京12チャンネル。
というところで、7チャンネルが視聴可能でした。
勿論もう既にカラーテレビが各世帯の標準的なもので、テレビは電器屋やデパートで買うものであった。で、放送も大体朝の6時半頃から深夜のかなり深い時間までやっていた。

で、英国であるが、テレビは買うものじゃありません。リースするものでした。
そして、チャンネルはロンドン中心部において3つ。

BBC日本で言うとNHK BBC2日本で言うところのNHK教育、唯一の民間放送がITV。

で、あさは11時頃まで放送しておりません。女の子が○×(こどものころよくやったでしょう)をやっている写真の静止画。

なんというやる気の無さ。

根本的にテレビというものは、文化的じゃないものという判断らしい。


まあ、いまはアメリカ資本が入っているから、こういうことは無いと思うけど。

で、新聞なんだけど、所謂高級紙、日本で言うところの朝日、読売、毎日、日経、産経といったところは、ラジオ欄とテレビ欄が無い。

金を払ってテレビプログラム まあザ・テレビジョンみたいなものを買う。

で、内容だが、夏ごろになるといかにファシズムに打ち勝ったかという第2次大戦中を題材にしたドキュメンタリー番組、ちなみに向こうは右も左も反日的ということでは、わが国の隣国にも勝るとも劣らない。

で、わたしは、英語がわからなくてもわかりやすい、サッカーに夢中。
特に週末のマッチオブザデイなる番組は、司会のあごの長い司会者(元サッカー選手らしい)が魅力的。

当時の大スターはリバプールのケヴィンキーガンその後ドイツのハンブルガーSVに移籍

で、リバプールは黄金期で、1部リーグ(現在のプレミア連覇中だった)。
私の好きだったマンチェスターユナイッテッドは、優勝争いはしているんだが、肝心なところでこけることが多かった。

ちなみにイングランド代表は低迷期で、監督がよく更迭されていた。


サッカーとはあんまり言わないでフットボールが一般的。

サッカースタジアムはあんまり柄がいいとはいえない場所でした。当時は。

で、そんなところですかね。

次回は、英国に住んでいるときに行った国々について書きたいと思います。







2005年12月18日

クライフの英国滞在記-第7回 -イギリスの自動車免許取得事情-

 日本人駐在員は、英国で初めは国際免許を使って運転する。幸いなことにイギリスは車は左、人は右なので、他の欧州諸国と違い、その点では日本と同じである。
が、国際免許も期限があるので、結局現地で自動車免許を取得することになる。

で、教習所を探そうとするわけだが、ありません。いきなり路上教習になるのである。

で、教習官は、英国政府が許可した教官免許を持つ人を家庭教師と同じように、こちらで選択し、その人に教習料なるものを払うことになる。

で、車なんだが、自前の車か、教習官が乗ってる車で教習することになる。
勿論補助ブレーキなどはついていない。

教習は、車に大きくLとかかれた表示板かステッカーを貼って行うことになる。

Lern の LかLessonのLか、よくわからない。

で、親に聞いた話だが、日本の教習とはだいぶ異なるようだ。
まず、所謂たすきがけ クロスハンドルは禁止事項である。送りハンドルが基本である。

で、なにより重視されるのは、運転技術よりも丁寧さ、他の車や、歩行者などに対する配慮である。

教習はかなり厳しい、普通3回くらいは落ちるようだ。

女の人の方がどうも合格に要する期間が短いようだ。

どうも日本の男性の運転はかなり、荒くうつっているようで、この荒い運転というのは、向こうの教官等にはもっとも嫌われるようである。

英国の住宅街における小さな交差点などはラウンドアバウトといって、小型ロータリーなるものが信号の代わりに車の流れをコントロールしている。

このロータリー内では、明確に優先順位が決まっているので、流れをストップすることなく、行きたいところに行ける。

この独特の交差点のルールを覚えるのも重要な教習の目的である。

次回は当時の英国のテレビ事情などを書いてみます。



2005年11月27日

クライフの英国滞在記-第6回 -新しい生活の場所-

さて、

ロンドンでの新しい生活の場所は、ロンドン北部郊外の所謂高級住宅地にあたるところであった。

父は、現地においては、銀行を代表する立場であったので、それなりの役宅と、待遇で処せられていたのであった。

まあ、札幌は、土地も安いこともあり、社宅としてはかなり広いアパートでくらしていたわけだあったが、この住宅の天井の高さと、一面天然芝の庭の広さに驚いた。

ただ、つくりは、非常に簡素である。地震の多い日本ならまず建築基準法にひっかっかるだろう。なにしろ、レンガをただ積み重ねただけのような代物なのだから。

で、最寄り駅は地下鉄ノーザンラインのゴルダースグリーンという駅である。

ノーザンラインというのは日本でいうと東京の日比谷線という感じで、郊外の住宅地と都心を結んで走っている路線である。
有名デパートのハロッズのあるナイツブリッジなどを通り、終点のエッジウッドの陶器で有名なエッジウェアという駅を結んでいる(当時)。

で、このゴルダースグリーンというのは、所謂ユダヤ人街なのである。
だから、この町は金曜日になると、丸い独特の帽子をかぶり、黒い背広をきた人たちでにぎわうことになる。

さて、ロンドンの交通機関だが、大体こんな感じである。
自家用車、タクシー、地下鉄、バス(バスも有名な二階建てバスのほかに地域の住宅地を回っているバスがある。これをミニバスと呼ぶこともある。)

一番安いのは二階建てバス、未成年ならどこまでのっても5ペンスという超破格値である。

ただし、あんまり柄のいい人間にはお目にかかることは無い。

普通のビジネスマンは、地下鉄を利用する。地下鉄は、バスに比べるとかなり高い。

初乗りで15ペンスくらいである。(ちなみに当時一ポンドは600円くらい、100ペンスで一ポンド)。

で、地下鉄のことはUndergroundという。subwayではない。
しかし、これは、正式表記であり、普通はそのトンネルの形状からチューブと呼ばれる。

日本の地下鉄と比べるとかなり地上から距離がある。
そこで、エスカレータを何本も降りることになる。
このエスカレータもかなりの年代ものである。
ちなみにエスカレータはあっても階段は無い。
だから、自然に急ぐ人のために片側を空けて乗る。
日本の場合は必ず普通の階段が横にあるので、べつに片側を空ける必要も無いとおもうのだが。どうなんだろう。

ミニバスだが、これは高い、ただし、例えば自分の住所を告げるとその場所までいってくれる。

一律50ペンスくらい。

タクシーだが、これは、日本の初乗り料金とを比べると安いかも知れないが、運転手がかなりプロ意識が強いので、こちらの要求が多かったりすると露骨にチップの値上げ交渉に入ってくる。

日本人は気前がいいという評判があるらしく、日本人というだけでかなり吹っかけてくる例もあるらしい。

自家用車についてだが、これは免許制度等もかなり日本と異なっていて面白いので、次回書くことにする。








2005年11月13日

クライフの英国滞在記-第5回 -ヒースロー空港で-

さて、

いったいいつになったら英国のことが出てくるんだという方も中にはいらっしゃるとおもいますが、そろそろですから、ご安心を

で、コペンハーゲンに行く途中、機内食を5回ほど出され、胃も心もすっかりお疲れモードになったため、もうなにかするという元気もなく、トランジットのコペンハーゲンでは、歩き回る元気もなく、睡眠時間に当てて、いよいよ、最終目的地ロンドンに向かった。

ロンドンのヒースロー空港上空からみたロンドンの印象は、一言で言うとオレンジ色である。

どういうことかというと、ヒースロー空港に到着する時間が夜の10時ごろで、当然のごとく、漆黒の闇なんだが、霧の多いロンドンでは普通の街灯が、ふつうの白色水銀灯ではなく、オレンジ色なのである。

で、ヒースロー空港について出口を探したんだが、こいつがわからない。
はじめ、EXITというのを探していたんだが、そのような表示は全くない。
どうもEXITというのはアメリカ的表記のようである。

で、出口はもっと非常に直裁的表現の Way Out

これが、当時中学1年生だった私にわからなかった。
このとき、あのThisi is a pen 式英語教育の無力さを思い知らされたのだった。

で、当時の英国の社会的状況を少し書いておきます。

まず政権は労働党で、高負担高福祉政策というのをとっていました。
で、経済状態は、不況のまっただなかであります。
労働者が長期にわたるストライキを行うので、経済がまわらないわけです。
ストライキやるたびに賃金が上がっていくので、そりゃやるわなあ。
で、いわゆる英国病といわれる状況ができあがっていました。
金持ちから税金をごっそりとり、労働者に再分配しているという、状態がまかりとおっていたわけです。
で、この労働者は、労働意欲がゼロ。
生活保護を受けた方が一ヶ月働く賃金より高かったら、そりゃ働かないわなあ。
で、シティー(ロンドンの金融街)で働いているビジネスマン等は少しでも税金が安くなるようにと、保守党を支持してたんだけど、サッチャーがでてくるまで、保守党も長期低落傾向で、政権を奪回できない状況でした。
対外的には、イランで、中世に逆戻りするようなホメイニ革命なるものが起こり、(この政体が現在まで続いているとは驚くしか他はない)当時英国に留学していたようなイランの学生たちは国に帰ることができなくなってしまっていた。

とまあ、このような状態の英国で暮らすことになったのですが、いろいろと驚かされることがありましたので、いろいろ書いてみたいと思います。







2005年10月28日

クライフの英国滞在記-第4回 -アンカレッジ空港にて-

さて、アンカレッジ空港に到着した。

いわゆるトランジットというやつである。

トランジットとは、給油や、乗組員の交代のために一時的に空港に待機することである。

乗客は機内から空港内に出され、空港で1時間ほど滞在することになる。

さて、時期は真冬で、場所はアラスカ。

しかし、さすが最古の近代国家であるアメリカ合衆国、機内から外気に触れることなく空港内に入れた。

しかも空港内は暖房がきっちり効いていて、寒さなど全く感じることはない。

後に経験するモスクワ空港でのトランジットとはえらい違いである。

空港内のしかもゲート周辺の行動しかできないけれど、初めての外国である、好奇心に胸をふくらませ、免税店などをうろうろしながら、すごしていたが、閉口したのは、静電気である。

下がじゅうたんの上に、空気が乾燥しており、外気との温度差がはげしいため、金属製の手すりや、取っ手などに触ると、バチっと言う音とともに火花が出るほどの静電気である。

これは、英国などでも経験したが、かなり不快である、指は痛くなるし。
で、1時間はすぐ過ぎ、機内に戻り、今度はコペンハーゲンに向かった。




2005年10月17日

小泉首相 靖国参拝

小泉首相が靖国神社に参拝した。

なぜ、この事柄が大騒ぎになるのかさっぱりわからない。

日本人の宗教的というか、なんと言うか感覚だと、死んだ人間は、生前どのような人物であっても、それなりの配慮を払うというのが礼儀だとされている。

例によって、中韓が激しく反発しているが、全く顧慮しなくてもいい、ノムヒョンの北一辺倒政策などまったく、相手にしてもこっちが損するだけである。

中国なんか人のこといえたもんか、文化大革命で何人死んだんですか。あれは、弾圧ではないんですか。

チベットで起きていることよりも、首相の靖国参拝が問題とは恐れ入る。
こんな国とはまともに付き合う必要も無い。

適当にあしらっておくのがベターじゃないか。

私人と公人って、明確に分けられもんじゃない。

昨日まで、普通に参拝していた人間が、総理大臣になったとたん、参拝もできなくなる、というのが不自然ではないかね。


日本のマスコミはなんで、中韓の顔色ばかり伺うのか、そっちの方が理解不能である。



2005年10月13日

クライフの英国滞在記-第3回 アンカレッジへ向かう機内で。-

さて、我々家族3人、母、妹、私が乗った飛行機はひとまずアンカレッジに向けて離陸した。

さすがにやや経済成長率が低落したとはいえ、まだ高度成長期にあった日本の経済状態を反映しているように、機内はビジネスマンと思しき日本人乗客でほぼ満席。

アンカレッジまでは約5時間くらいだっただろうか。

機内の様子を見てみると、たいていの人は寝ている。

勿論私は、目がさえて眠れない。もともと乗り物の中では寝られない体質の上、好奇心旺盛な年頃、座席のそばのボタンをいじったりしていた。

まあラジオで落語を聞いていたりしてたんだが、で、映画もやっていたが、タイトルは残念ながら失念した。


しかし、どうも国際線というのはやたら、機内食というものを食わせる。
アンカレッジに到着するまでに2回も食事の時間があった。
うーん。なんで?
ただ、後に乗ったアエロフロート機は、全く何も食わせなかった。殆ど貨物扱い。
まあ、そのときの経験はまた別に書くことにする。
いろいろ面白い体験談があるので。

で、味なんだが、私はねえ、札幌にいたわけですよ。普段からうまい食材にあふれているわけですよ。それに母親が食いしん坊でねえ。
というわけで、がきの割りに口がおごっている私には、いまいちの内容。
ただ、キャビアとか珍しいもんが出てた。
我々が乗ったのはエコノミークラスよりは上のクラスだったようだ、向こうで暮らす駐在員の家族用のファミリークラスって言うのがあっって、それだと思う。

さて、いよいよあと40分くらいでアンカレッジに到着というとき、機内アナウンスが入った、左手の空にオーロラが見えますという。

早速左手の機内の窓の外を見てみると。漆黒の闇にスーと箒で黄金の砂を履いた時にできるような、薄く金色に光る、スカートのひだのようなものがあった。
それがオーロラである。

それは、まるで、この世のものとは思えない神秘的な神々しい光景であった。
いまでも、明確に強烈に記憶に残っている光景なのだが、
なかなか的確に表現できない自分がもどかしい。

そして、飛行機はアンカレッジ国際空港に到着した。

次回はアンカレッジ空港での様子を書くことにしよう。






2005年10月06日

なぜこんなに馬鹿が増えたのか。

とにかく馬鹿が多いなあ最近は。

まず高速道路のエアガン野郎ども、なんだか知らないが便乗しているようなエアガンや野郎ども。最低限のルールも守れない奴らは、さっさとくさい飯を食ってくれ。

某巨大掲示板に殺人予告する馬鹿、くだらねえ、じつにくだらねえ、その理由もくだらねえ、早く逮捕されろ。

催涙ガスを撒き散らすやから。

ルーレット族。

かったっぱしから捕まえろ。

犯罪者なんだから彼らは。

最近警察力落ちてないか。

和歌山のエアガン野郎は、もうそろそろ捕まっていいと思うんだがなあ。






2005年10月02日

クライフの英国滞在記-第2回 ロンドンへの道のり-

さて、札幌からロンドンへの道のりだが、これが長いのである。

まず渡航手続きだが、通常のパスポート取得、我々の場合は観光ではないので、長期滞在ビザが必要なのである。

まあその辺は、父の勤め先の銀行の方である程度のことはやってくれるのだが、あとは予防注射である。

いまは、必要としないが当時は予防注射が必要だったのである。

そして、予防注射をいたしましたという英文の証明書(通称イエローカード、用紙が黄色いのでそう呼ぶ。)をパスポートに貼付して、一応の手続きは完了である。

で、家具などは向こうの備え付けを使うので、ある程度処分して出発することになった。確か1月だったと思う。札幌は雪が積もっていたのを覚えている。

で、ロンドンまでのルートだが、札幌(千歳空港)→東京(羽田空港)→都心のビジネスホテルに1泊し、夕方箱崎でリムジンバスに乗り成田空港へ、午後7時くらいのJALの北周り(北極回り)である。

当時欧州に飛行機で行くルートとしては北極周りとモスクワ周りがあったが、当時モスクワはソビエト連邦、身の安全が心配だったので、北極回りに決まった。

しかし、この北極周りの飛行機に乗ったことで、生涯忘れえぬ光景を目撃することになった。

で、勿論この頃は国際線はJALしかなく、当時最新鋭機だったボーイング747は、北周りの場合、燃料の関係で直接ロンドンまでいく航続距離はなかった。

そこで、2回のトランジット(アメリカのアラスカ州アンカレッジとデンマークの首都コペンハーゲン)が、給油などの関係で必要であったのである。

延べ14時間程の本当に長い旅なのである。

さて、次回は初めて乗った国際線の飛行機の中の様子などを書いてみましょう。

ちなみに私たちのロンドン行きが決まった後、学校の友達などにロンドンへ行くことになった。と話したら、早速 あだ名が付いた。 

ノーカット という。 説明はしない。まああの頃の男子生徒諸君は本当に馬鹿ですな。



2005年09月30日

阪神タイガース優勝 1

阪神タイガースが優勝した。

わがドラゴンズは現時点で77勝、例年だと優勝してもおかしくない数字ではあるが、今年の阪神はすでに83勝をあげていて、非常にレベルが高かった。

うーむ、交流戦がなかったらなあ、あと、終盤に来て読売巨人軍に3連敗したのが非常に痛かったなあ。

やっぱり連覇というのは難しいんだなあ。

来シーズン阪神は優勝争いはすると思うけど、連覇はどうかなあ。

中日の巻き返しに期待したい、巨人も黙ってないだろうし、広島、ヤクルト、巨人は新監督になるし、来年は結構面白いかもな。

とにかく中日には頑張ってほしいな、私が生きているうちに日本一になったところを見せておくれ。



2005年09月23日

クライフの英国滞在記-第1回 ロンドン行き決まる-

1970年代の冬のある日、父が勤め先から帰ってきて、話があるからみんな来てくれと家族全員を集めた。

私は、ああ、また転勤だなと思っていた。銀行員の父に転勤はつきものであるし、もう何回も経験していることなので今度は、東京か、横浜だろうなあと予想していた。
札幌での生活ももう慣れて、意外と垢抜けているこの街が気に入っていたが、転勤なら仕方がないと腹をくくってはいた。

ロンドンに赴任することになった。と父は言った。

そして、家族会議の結果、父が先に現地に赴き、準備が整ったら家族を呼ぶということになり、家族皆ロンドンに行くことが決まった。



2005年09月22日

クライフの英国滞在記(1970年代のある年から3年程度) --序--

1970年代のある年から3年程の英国滞在で起こった出来事や体験をできるだけ思い出して書いてみようと思います。


お楽しみに。


もう20年以上も前になるのかあ・・・・

2005年09月20日

野球のこと3

私は中日ファンなんだが、今年は惜しいところでだめみたいだな。

阪神の優勝は、動かないだろう。

うーむ。まあできるだけ苦しめては欲しいものだな。

で、パリーグなんだが、私はアンチ巨人なんだが、巨人の王さんは別格で大好きな選手だった。

私にとってのヒーローは長嶋ではなくて王なのだ。

まあ世代的にそうなんですけどね。

だから、ダイエーにはなんとか5ゲームつけて優勝してほしいなあ。

でもあれだなあ。これでプレーオフで3位のチームが勝ったら、あのゲーム差というのは何だったということになるなあ。

20ゲーム以上離れているチームがプレーオフに出る資格があるのがちと疑問ではある。

セリーグにも導入しようという話があるようだが、個人的にはやめてほしいなあ。

2005年09月19日

今日もHTMLとCSS JavaScript も

うーん。

なかなか自分の思い通りにならないサイト構築だが、

メニューの下にづらづらっとサブメニューをつけるということをやりたいんだが、

どうもうまく行かない。

どうもJavaScriptを使うとうまくいくらしいんだが。

うーむまだまだ修行が足りんのう。



2005年09月18日

HTMLについて

昨日からサイトのてこいれしてるんだけど。

HTML文書を書くとき最初に宣言文を書くわけだけど、厳格なやつと、適当なやつと、フレーム使うやつの3種類あるやつね。

あれで、厳格なやつで定義すると、非常に困ったことがあるんだなあ。

それは、画像の枠線を嫌ってborder="0"ってやるんだけど、

これが認められていない、

あと、target= "_blank"このタグも厳格なやつだと認められない、で、結局適当なやつで宣言したんだけど、どうも納得がいかんなあ。

なんで認められないのか。

まあわしのようなHTMLについて素人同然の人間の疑問なんで、阿呆なこといってるかもしれないんだけど。





2005年09月17日

サイトの再構築3

長期間 ほったらかしにしてあったサイトを再構築

まだまだ不完全だが、これからいろいろやっていくことにする。

まあ、結構時間がかかるな。

能力の問題かな。

今回はCSSを結構つかっている。

まあ、その手の本の殆どパクリなんですがね。

まあ、教育書だからその点は、著者も覚悟の上なんだろうけどな。

とりあえず、

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