2006年11月

2006年11月17日

Interview with Angela Aki

海外において日本の音楽を紹介してくれているサイトJaME(Japanese Music Entertainment)にアンジーへのインタビュー記事が載っている。実は、海外にもアンジーのファンが集うコミュニティーが多数存在していて、その中の一つに属するメンバーとふとしたことから知り合いになり、彼からインタビューのことは事前に知らされていた。何か彼女に訊きたいことがあればインタビュアーに伝えておくよ、と言われたので、質問を何個か用意して彼に託したが、残念なことに、その質問はされなかった。しかし、今回の記事は、アンジーの今後を示唆する非常に興味ある内容となっており、日本のファンにも是非読んでもらいたいと思った。そこで、英語で書かれたものを日本語に直して、このblogに転載してもよいかどうか確認したところ、リンクさえ貼っておいてくれればいいよ、と快くOKしてくれたので、ここに転載する。オリジナルを読みたい方は以下のサイトにアクセスしてください。なお、記事の著作権はJaMEにありますので、記事を無断で他に転載することはご遠慮ください。

JaME(Japanese Music Entertainment) America
Interview with Angela Aki

記事を日本語化するにあたり、普通の標準語に直したのではつまらないので、おそらくアンジーならこういう言い方をするだろうな、と推察しながら、阿波弁っぽくしてみました。管理人は英語のプロではありませんから、誤訳があるかもしれませんし、徳島県人でもありませんから、阿波弁が間違っているかもしれません。そのあたりは、洒落ということでお許しください。



Q:あなたのことをまだ知らない読者たちのために、簡単な自己紹介をしてくださいますか?
A:アンジェラ・アキと言います。シンガー・ソングライターです。
Q:音楽をずっと勉強してこられたわけですけれども、どうやってこの幸運を手に入れたのですか?
A:メジャーデビューするまで、ほんまに長い時間がかかりました。私はまず、アメリカでインディーズ活動をして、その後も音楽を続けるために日本に帰ってきました。私は、ほんっまに一所懸命音楽に打ち込んできたんです。それが重要なことなんです。それに、私は決して(音楽を)あきらめませんでした。ある人が2〜3ヶ月で済ませるところを、10年もかかってしまったんですけども。
Q:あなたは初めてのインディーズ・アルバムを、2000年にアメリカでリリースしていますが、どうして次のアルバムまで、5年も待っていたのですか?
A:5年の間ただ待っていたというわけではないんですよ。その間も地道な活動はしていました。スタジオでレコーディングするためには、ほんまにたくさんのお金と時間がかかりますから。私はたくさん曲を書き、何度もライブをおこないました。レコーディングさしてもらうための確固たるものを得るまでには、何年も要したんです。
Q:メジャーになってから、何かが変わりました?
A:私は自分のことを、「手渡し」タイプのミュージシャンだと思ってます。私にとって最優先されるべきことは、良い音楽を書くことで、これは絶対に変わりません。もちろんビジネスのことも考えとかんとあかんのですけども。
Q:メジャーになりましたからね。
A:ええ、かなりね。
Q:初めて買ったアルバムは何ですか?
A:日本で育ったんでぇ、多分日本のアーティストのものだったと思います。
Q:それが何だったか憶えていますか?
A:宮沢りえさん(笑)の「DREAM RUSH」かな?(注:これはシングル盤)
Q:お母さんはイタリア系アメリカ人ですよね。服装の好み(眼鏡の選択も含めて)にイタリアの血の影響はありますか?
A:あははは・・・ ありますか? よくわからないです。ただ、眼鏡に関しては、戦いに望む際の「盾」のようなものだと考えてるんです。つまり、戦うための「武器」のひとつだと。眼鏡は、いろぉんなものから私を守ってくれます。だから、眼鏡を取られるということは、裸にされることと同じなんです。私は寝る時までずうっと眼鏡をかけてるんです。
Q:ワオ!とってもおもしろいですね。眼鏡をかけることは、あなたが決めたんですか?
A:ええ、もちろん。
Q:誰が眼鏡を選ぶんですか?
A:昔はこの安物をかけてたんですよぉ、自分で買ったヤツ。最初は茶色や赤っぽいものを選んでたんです。2005年に日本でインディー・アルバムをリリースした時は茶色の眼鏡やったんです。ほなけんど、デビューシングル出す時にぃ、写真写りのことなんかを考えて黒にしたんです。
Q:黒という色は「盾」になると思いますか?
A:黒の眼鏡をかける理由は、ただ単に自分がどういう風に見えるか、だけなんです。むかしは茶色の眼鏡をかけてたんですけど、私の髪は黒いんでぇ、眼鏡も黒の方が似合うんちゃう?と思ったんですよ。
Q:近い将来、またアメリカに戻ろうと考えていますか?アメリカでおこなったコンサートで、最も想い出深いのはどれですか?
A:アメリカでは、ほんまに長いこと演奏活動してたんです。大学に入学した1996年から、2003年に日本に帰ってくるまで、7年間ずぅ〜っと。アメリカでは、いろんぉんな場所、いろぉんな人の前で演奏しました。スターバックスとかぁ、本屋さんとかぁ、バーとかぁ、ほんまにいろんなところで。いちばん楽しかったんは、Sixpense None The Richerのオープニングアクトを務めたことですね。それは、ほんっまに素晴らしいショウでした。彼らは最っ高のバンドで、彼らの前で演奏できたことを、すごく誇りに思ってます。またアメリカに戻りたいか、ですかぁ? もちろん、私の音楽を聴いてくれる人がおるんやったら、どこででもプレイしたいですけどもぉ、日本でもっと確固たるものを確立して、何もかもやり尽してからでないと、戻る気はないんですよ。
Q:あなたはもうそれを成し遂げていると思いますよ。本当にアメリカに戻ろうと思っていますか?
A:アメリカに戻る前に、もう少し日本で活動したいんです。まだここで音楽的な基盤を固められてないと思ってるんで。
Q:ヨーロッパはどうですか? ヨーロッパでも同様にプレイしたいと思っていますか?
A:そりゃ、もちろんです。私の好きなアーティストのひとりRufus Wainwrightはヨーロッパでプレイするのが好きでぇ、私は彼の、フランスではどぅやった、イギリスではどぅやった、っていうインタビュー記事を読むのが好きなんです。だから、私がそこでプレイしたらどぅやろな?って思うしぃ、できたらそうしたいな、て思います。ちっちゃなギグでもいいんで。
Q:あなたもヨーロッパの血をひいてますしね。
A:ええ、その通りです。そうなったら、イタリアのルーツも訪れてみたいですねぇ。
Q:好きなアーティストは誰ですか? 日本でも外国でもいいんですが。
A:いっぱいいますけどぉ、日本の女性アーティストの中では椎名林檎ですね。アメリカでは・・・ ん〜、いっぱいいるけど、やっぱりフィオナ・アップルかな。最近彼女のライブを観て、しかもその時に直接会うチャンスがあったんですけど、それはもう夢のような体験でした。その気になったら、もっといろいろ彼女とお話できたんですけど、あまり時間をとらせたくなかったんで、「あなたは私の女神です。」て言うのが精一杯でした。フィオナ、サラ・マクラクラン、ベン・フォールズ、アメリカには好きなアーティストがたくさんいますねぇ。
Q:アルバムのブックレットの写真についておしえてくれますか? すごくナチュラルでシンプルに見えます。おそらくあなた自身がそうなのでしょうが。
A:ファーストアルバムをリリースした時、私は28歳だったんですが、その後すぐ29歳になりました。2000年にインディーズアルバムを出した時、私ほんまに若くて、大学を卒業したばっかりで、あれもこれも、やりたいことがいっぱいあったんですが、20代も後半になってくると、もうそんなには思わないじゃないですか。音楽に入っていくのに、私は、ほんまにシンプルなやり方をとりたいんです。
Q:ファイナル・ファンタジーX兇離董璽泙魏里錣譴討い泙垢諭どういう風に依頼されたんですか?
A:まだメジャーデビューしてないのに、植松さんの方からアプローチがあったんで、ほんまにびっくりしました。彼は、どこからか私のデモテープを入手していて、私の歌声を聴き、彼女こそが自分の書いたテーマを歌うべき人だって、そう言ってくれたみたいです。ほんまに光栄なことです。
Q:その他にゲームや映画関連の音楽を歌う予定はありますか?
A:映画音楽のテーマを歌えたら、それは素晴らしいことだと思います。テーマが流れてくる特別な瞬間っていうのは、その映画の一部なんだって、いつも思いますから。ゲームもおんなじです。音楽がストーリーやプレーヤーの感情と密接な関係にありますから。機会があれば是非やってみたいです。
Q:ピアノ、ギター、ヴァイオリン、ドラムなど、これまでにいろいろな楽器を演奏してこられたわけですが、どれが最も好きですか?また、その理由は?
A:もちろんピアノですよ。ピアノは私のパートナーですから。他の楽器に関してですが、もちろんギターを弾いたり、それで作曲したりしますし、ドラムもたたくのも好きなんですが、これまで何事につけピアノがずっと私のパートナーでしたから。
Q:ソングライティングに関しては、ピアノで作曲するのとギターで作曲するのと、どちらが簡単ですか?
A:ピアノです。手の大きさがキーボードにぴったりなんですよ。ほなけん、絶対にピアノですねぇ。
Q:ギターはよく弾くんですか?
A:そんなに弾きませんでしたね。大学時代はよく弾いてたんですけど。2000年にリリースしたアルバムでは、半分をギターで作曲したんです。
Q:ピアノで作曲する時、メロディーと歌詞のどちらかが先に浮かんでくるんですか? それとも、同時進行なんですか? 
A:ピアノを弾き続けてるうちに、突然メロディーがひらめくんです。それから、そのメロディーを口ずさんでいると、そのうち歌詞が「天から降ってくる」んです。ほとんどの曲は、こうやって書いています。
Q:たくさんの曲をカバーしていますが、どれが一番好きですか? また、今後どんな曲をカバーしたいですか?
A:スマッシュ・パンプキンズの『Today』がね、ほんまに好きなんですよ。私が日本語でカバーしたことによって、また違った光を当てられたかなあって思います。フィオナ・アップルでさえ、この曲をカバーすることは夢のようなことでしょうからね。
Q:あなたの夢が叶うことを期待してますよ。
A:フィオナと一緒に歌をつくることができたら、わたし、死んでしまうかもしれないです。
Q:カバー曲だけのアルバムをつくる予定はありますか?
A:そう、まさにそれを考えてたとこなんですよ。けど、その前にもっとオリジナル曲を書いとかんとなあって思ってます。誰かのカバーをするのは楽しいんですけど、まだまだ早いなって。
Q:家族は今の成功をどう感じていますか?
A:驚いてます。私がまさか成功するなんて思ってなかったし。マジで。私のことをずぅっと信じてくれてましたけど、ここまで来るのに10年以上もかかってしまったんでぇ、今はとにかくめっちゃ喜んでくれてます。私がどんだけ一所懸命やってきたか、みんなわかってますから。
Q:音楽に関わっていない時は何を一番したいですか?
A:音楽は私の生活の大部分を占めているので、音楽なしの自分って、想像しにくいですねぇ。休日でさえピアノを弾いているんですから。ほとんど病気やと思いません?(笑)
Q:日本語以外で歌うことには興味がありますか? たとえば全曲英語のアルバムとか?
A:全曲英語のアルバム?いいですねえ、ぜひやりたいです。今それを言おうとしてたんですよ。ただ、それは今するんじゃなくて、いつか将来って言いたかったんです。「クロスオーバー・アルバム」をつくるのは、日本で確固たる基礎を固めてから、と思ってますから。私は、アメリカが一番で日本が二番とは思ってないんです。両方とも同じマーケットじゃないかと思うんです。もちろん、(世界には)英語の歌を聴いている人の方が多いのは事実なんですけどもぉ、次のステップにすすむ前に、私は日本での基礎をガッチリ固めておきたいんです。日本のファンも英語のアルバムを喜んでくれると確信してますけど。
Q:歌っている時、自分以外の人には何を求めていますか?
A:一番感じるのは "connection" です。私の歌を聴いてくれている人とつながってたらぁ、それが1000人でも、3人でも、10000人でも、1対1の "connection" を感じるんです。私が歌う理由はそれなんです。
Q:それは本当に素晴らしいことですね。
A:私にはそれが一番大事なことなんですよ。
Q:哀しい歌と楽しい歌と、どちらを歌いたいですか?
A:できれば楽しい歌をたくさん歌いたいんですけどもぉ、実は私、ある意味メランコリックな性格なんです。シャンパンみたいな人間なんですよ、奇妙でしょ、体の中には皮肉がたくさん渦巻いてるんです。自分では楽しい歌を歌いたいと思っているのに、私の歌の80%は哀しい歌なんです。もしかしたら90%かもしれない。何故だかわかりませんけど。植松さんの曲を聴いて、最初に頭に浮かんだタイトルが "Kiss Me Good-Bye" だったんですよ。
Q:ライブをたくさんされていますが、聴衆の前に立った時に、何を一番望みますか?今のやり方を続けてゆきたいですか?
A:もういっぺん言いますけど、自分にとって最も大切なことは、オーディエンスと自分との "connection" であり、ライブで歌うっていうことは、私にとっては「酸素」みたいなもんなんです。だからこれは、私の音楽人生にとって不可欠なことだしぃ、ライブが自分の酸素だってことは、それがないと死んでしまうっていうことと一緒なんですよ。ライブが自分にとって酸素であり、生きていく源であるので、私はずっとライブをやりつづけていくつもりです。聴いてくれる人が、たとえ1人でも、10000人でもね。
Q:海外のファンに何かメッセージを。
A:海外に住むたくさんの人が、自分のウェブサイトで私のことを書いてくれているのは知っています。彼らは私の歌の歌詞を英語に直して楽しんでくれていて、それを知った私は、ハートを射抜かれたような気持ちになりました。それは、ほんまに光栄なことやと思ってます。彼らがJ-POPに興味を持ち、私の音楽にも興味を持ってくれていることに対して、私はとっても感動しますし、心からありがとうと言いたいです。ほんまにほんまに、ありがとうございます。


Contents
自分がこれまでに行ったアンジェラ・アキさんのライブレポートです
(インストア・ライブを除く)

管理者:Ken

My Treasures
アンジェラがこれまでにカバーしてきた名曲のオリジナルアナログ盤を集めてみました。

A Whiter Shade Of Pale










サードシングルに収録されているカバー曲。オリジナルがヒットしたのは1967年。以来、実に様々なアーティストにカバーされている。1988年には日産シルビアのCMにも使われた。原曲のイントロはハモンドオルガンで、バッハのカンタータ、あるいはG線上のアリアのコード進行をモチーフにしたと言われている。関連記事

Will You Dance











1977年、つまりアンジェラの生まれた年にリリースされ、その年のTBSドラマ「岸辺のアルバム」のテーマに使われた曲。オリジナルには『Will You Dance?』とクエスチョン・マークが最後に付いている。

A Song For You











オリジナルのリリースは1970年。この曲も実に多くのアーティストにカバーされていて、1988年にはアサヒビールのキャンペーンソングにもなった。彼はジョー・コッカーなどのプロデュースをする傍ら、ソングライターとしても才能を発揮していて、この曲以外にも、カーペンターズがカバーした『Superstar』や、ジョージ・ベンソンなどがカバーした『This Masquerade』を書いている。

We're All Alone











スティーブ・ミラー・バンドのギタリストであったボズが、前作の「Slow Dancer」からAORに路線変更し、1976年にリリースしたアルバム「Silk Degrees」に収録されている。今でこそ彼の代表曲となっているが、当時アメリカではシングル・カットされておらず、1977年にリタ・クーリッジがカバーし、全米7位になってはじめて注目されるようになった。この曲がこんなに有名になったのは、リタのおかげなのだ。