二〇一三年睦月三十一日

麻辣商人&有木屋

 吾輩が好きな店が2軒ほど閉店しました。
1軒は“麻辣商人”。
ここは広島の汁無し担々麺の祖である“きさく”で目覚めた吾輩をさらにその先へと連れて行ってくれた店。
そんな輩は多いと思う。
卓上調味料の豊かさやその発想は素晴らしかったモン。
昼飯時近くを通ったら必ずと言って良いほど食ってたし、昼営業が長いので昼飯食いそびれたら必ずと言って良いほどここだったモンなぁ…
 ただ2年くらい前かな?
西区から繁華街の流川に移転して足を運ぶ機会がパタッと無くなった。
 味自体は良かったし、サービスも悪くなかったから何だかの大人の事情とかもあるのかも知れません。
それに聞いた話だけどこの“麻辣商人”を始める前も結構繁盛していた飲食店を畳んで始めたらしいから…まぁそう言う性格の主だったもかも知れない。
だったらまた何だかの飲食店で復活して我々を楽しませてくれるでしょう。


 で、もう1軒は“有木屋”。
実はこの店には特別な思い出があって、以前どっかにも書いたけど始め有木屋は尾道市ではなく広島市でやっていたんですよ。
時系列に沿って書くと
・ 尾道市から広島市に通いでラーメン屋を始める。
・ その内軌道に乗ったら嫁、家族を呼ンで広島市に移住を考えていた。
・ しかしやはり尾道市からの通いでの極上ラーメンを作るのは当然ではあるが相当身体がキツイ。
さらに身内に不幸や病気が重なって心身共々疲れ果てる。
・ “有木屋”閉店を決意。
・ たまたまその頃、吾輩が喰いに行くと閉店準備をしている。
・始めて主と話をする。
上記の話もこの時に聞く。
「身内の不幸やら病気で…」
「そうですか…でも尾道でもラーメン屋するんでしょ?」
「…もう………何も考えてないですよ。
…やるつもりも…どうでしょうかね…」
「駄目だ!!!この味を絶対に無くすな!!!!!」
・いきなりそんな事言われて有木屋店主ビックリ。
・言った本人もビックリ。
だって昼営業のみだったし、上記の様な状況で閉店しがちだったでなかなかチャンスが無かったから5回程度…10回絶対に食ってない常連でも何でも無かったから。
・結局尾道市にて“有木屋”再開。
・ その2〜3年後、尾道に行った際に入店。
主が顔を見るなり挨拶。
吾輩覚えられている事自体にビックリ。
・「恩人の顔を忘れないですよ。」
と言われ2度ビックリ。
結構あの一言影響あったんだ…

 結局それも含めて2回ほど行ったのかな。
味は広島時代と変わっちゃてたけどそれは尾道市民の舌に合わせた結果だし、何よりも“尾道ラーメン”の地で真逆のラーメン出してそれで繁盛していた。
地元民に愛される…これ以上望む事はないでしょう。
第一広島時代の命を削った鬼気迫るあのラーメン作っていたら死ンぢゃう。
まぁ何で閉店したか知らないけど“身体壊して”ってんぢゃ無い事だけを祈りましょう。
 ホント…商売は解らないッス。

crazypierrot_00 at 02:02│TrackBack(0)食い物・酒関連 

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