イブラギモヴァのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ

Sonatas & Partitas for Solo Violin
Sonatas & Partitas for Solo Violin

イブラギモヴァは無伴奏のリサイタルを先月宗次ホールでやっていたのですが、月曜日の公演でさすがに私は行けなかった。でも、事前にこの録音を聴いていたらあらゆる不義理を押し通してでも行ったかもしれないな。

名フィルのアンコールで1曲披露したときも驚くほどちいさな音で弾いていた。この録音で全曲通して聴いてもそういうちいさな声で個人的に楽器と対話したいだけ、みたいな部分がとくに印象に残った。いま、こういう演奏をする人にとても好感を持ってしまう。たぶん自分の中の傷みたいなものに自覚的な人なのではないかと思う。実はショスタコーヴィチのライブを聴いているときもああいう内側に凝集していくところを見ていたら「心の傷」というキーワードが浮かんできた(我ながら陳腐なキーワードですけど他に適切なのが思い浮かばない)。

このバッハも内面世界への旅でありますがとても客観的に冷めた感じがする。そういうのは重音の際にも決して音を濁らせることなく和音を大切に響かせるところに出てる。ガンガン殴りつけるように彫琢していくクレーメルあたりと大きく違うところであり、さらにクールな感性が現れてるところかも。こういう演奏をする人はこれからポツポツ現れるような気がするな。とくに日本で。ま、決してしんみり独白一辺倒でもなくパルティータの3番なんて技術的な切れ味がいいから、とっても小気味よく軽快な音楽になってる。

こういう無伴奏を聴いているとこの曲集だけは古楽奏者の進化もまだ道半ばという感じがします。実際とても難しい曲なんだと思う。いまさら管弦楽組曲をモダンオケで録音しようなんて誰も思わないだろうけど、無伴奏だけはこうして録音がまだまだたくさん出てくるわけで。ここにだけは幸せな共存が保たれてる。

そういえば・・・
はじめてこれをハイペリオンのサイトでダウンロード購入してみた。FLACやApple Losslessも選べるのにiTunesより安いってどういうことさ。円換算で最終的にいくらになったか見てないからなんともいえないけど。手続きに一抹の不安を感じたものの普通に購入できた。わたしはApple Lossless版で購入。CDプレイヤにUSB端子があってそこにiPhoneつないで聴いてます。ダウンロード時にはブックレットのPDFも落ちてきます(というか楽曲買わなくてもこのPDFは落とせますけどね)。面白いのは楽曲解説のテキストデータがiPodの歌詞の部分にも表示されること。なかなか親切。

オランダ・バッハ協会のロ短調ミサ

バッハ ロ短調ミサ
演奏:オランダ・バッハ協会
指揮:ヨス・ファン・フェルトホーヴェン
ソプラノ1:ドロテー・ミールズ
ソプラノ2:ヨハネッテ・ゾマー
アルト:マルゴット・ネイツィンガー
テノール:チャールズ・ダニエルズ
バス:ピーター・ハーヴェイ


長久手文化の家でのオランダ・バッハ協会のロ短調ミサ曲。この場所で以前にも彼らの演奏によるヨハネ受難曲を聴いたと思う。あれも独特の世界でたしか「演劇的演奏」というような感想を書いた気がする。今回も一筋縄ではいかない演奏だった。普通なら合唱に割り振る部分も声楽ソリストで歌わせる。OVPPのようなこじんまりとした音楽になる、そうかといって一応コーラスは10人が別に後方に居る。でも彼ら合唱隊は全合奏で鳴らす音楽ぐらいしか参加しない。そのせいか総体的にはこじんまり、でもトロンボーンやティンパニが入る楽章は普通に立派な音楽が聴けるとコントラストの大きな演奏になってた。

声楽ソリストはこのメンバーなら鉄壁。ドロテー・ミールズはいっぺんナマで聴いてみたかった。ヨハネット・ゾマーとのツートップはかなり魅力的。ミールズはなんというか看護婦みたいなソプラノだな。献身的でやさしく慈愛に満ちた(理想像として)のナース的ソプラノっぽい。よく声が通ってきたのはテノールのチャールズ・ダニエルズ。職業的歌手として素晴らしいというよりは彼は演劇的な意味で個性的な舞台俳優みたいな存在感。KylieやCredoの出だしなど歌というより言葉のインパクトで迫ってくる。

トータル的にはなんというか、BCJの峻厳さや賛歌的なミンコとは対極にあって「意欲的な活動」というのがほとんど感じられない。最初のKylie Eleisonもどこか「憐れみ」というタレが染みこむのをじっくり待つような演奏。こういう音楽によく表れていたけど、今日の演奏は晩年の思うに任せるようには動けなくなったバッハが頭の中で鳴らしていた理想郷としての音世界をそのままそっと形にしたようなものといったらいいかな。5人の主要登場人物がかわるがわる心情を吐露していくモノローグ的世界。とくにCrucifixusのエンディングをソリストのみのコーラスが小さく小さく消え入るようにディミヌエンドしていくところはとても美しかった。詠嘆的なところに引き込まれたけれど、後半のサンクトゥスやホザンナは諦観を忘れて管弦楽としても立派なものでした。


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サンフォニー・イマジネール

004ラモー:シンフォニー・イマジネール

ひと月ほど前にずーっと懸案だったSACDプレイヤーを買いました。今頃かよという話もありますが、一足飛びにネットワークオーディオというわけにもいかずそれなりにSACDソフトが資産としてあるのでやっぱり穏当にパッケージメディアにしておいた。とりあえず手持ちのハイブリッドのディスクをここんところ引っ張り出しては聴きなおしてました。そのおかげで最近ほとんど新しいCDを買いに行く必要がなかった。

SACDはソフトにもよるけれど想像していたよりも大きな喜びをもたらしてくれました。でも、その反動として、これから普通のCDを買うのを躊躇するようになるのは困ったことだけど。インディペンデントなのにいい仕事をしているお気に入りのレーベルでもSACD出してないところはたくさんあるし・・・。

しかし、このドドーンと拡張される音場の中に身を浸すのはたまりませんな。1枚だけ最近新たに買ってみたのが例のユニバーサルから出てるSHM-SACDで再発されたミンコフスキのラモー。1枚4500円もしやがるご立派なディスクでありますよ。どこまでがSHMの恩恵かはわからないけど変貌振りが面白かった。いままではとてもウチで飼えなかった図体のデカい爬虫類がウッス!とやって来て、部屋をのたうちまわるのが見られるようなものでじつに楽しい。オーディオって大きい液晶テレビを買うのとは本質的な違いがあってそれはこういうところかもしれない。部屋のサイズ以上のものが仮想的に楽しめてしまうから。

ただ演奏そのものが天地がひっくりかえるほど驚嘆するものに変わったかというそれはまた別問題なんだけどね。ひさしぶりにミンコフスキのラモーを聴いてアレっと思うところもあったり。総じて先を急ぎすぎてるように感じたのはなぜなのかなぁ。前はそんなこと思わなかったんだけど。

それはともかく。

こんなふうに新たな聴取環境になって結構マジメに音楽を聴くようになってます。一時期iTunesからの再生に堕落してましたから。マジメに聴いているからといっても、ブログが再度マジメに更新されるようになるかというとそれはまた別の話でありまして。多少は更新する勢いはつくかもしれないけど期待しないでほしいです。次は半年後かもしれないし、もしかすると明日かもしれない。

最近Twitterもためしにやってみてるんだがこれがまったく面白いと思えなくて困ってます。ほとんど無内容だけどいちおうアカウントを書いてみる(@kimatakthr5)。

ビオンディのストラヴァガンツァ

12 Concerti Op.4 La Stravaganza Concert12 Concerti Op.4 La Stravaganza Concert

久々のCDネタ。

以前も申し上げたかもしれないが、書くことを忌避しているわけではなくずっと書いてないのはキーボード付のPCに触る機会がほとんどなくなったからであります。今日はたまたま膝の上にノートPCがあるから書いてみる(本当は仕事上の課題を書き留めなくてはと思って持ち出したんだけど・・・)。

このCDを店頭で見かけたとき、過去録音の再発だなと思わずスルーしそうになった。Virginのいかにも古そうなデザインセンスだったからね。録音は2008年の正真正銘新譜。

これはたしかにエウローパ・ガランテらしいワイワイガヤガヤした演奏なのだが、エルコレ以降録音条件がよくなったみたいで昔のようなドライでとげとげしいイメージもなくて、適度に湿度があってカラフルに繁茂した楽園風景を見せてくれる。

ストラヴァガンツァはヴィヴァルディの中ではかなり自由な作風な気がしますが、ビオンディのソロはなんというかな。。。とてもカプリッチョ的な風情が魅力的なのである。あたかもソロの譜面は真っ白で、その場のインスピレーションだけで音を埋め尽くした感すらある。モダンでエッジの効いたカルミニョーラはいつも驚異的だと思うんだけど、出てくる音符はなんとなくあらかじめ決められたもののように感じられるから。

この曲集は長らくポッジャーのばかりを聴いて過ごしてきたんですが、思いもよらず心地よいカウンターパンチを食らった気分ですねぇ。

自炊でつまみ食い

もの食う人びと (角川文庫)
もの食う人びと (角川文庫)
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最近、本の自炊を始めました。もともと本に関してはそれほどのジャンキーではないので量そのものはないんですが、いかんせん住環境に恵まれていないため、棚からこぼれ落ちたものが部屋の隅に堆積した状況がどうにも許せなくなってきてたわけ。まぁ、昔の本を読み返す機会なんてほんとにないもんですね。でも、本を裁断してスキャナーに送り込む際にパラパラ見てると、「おー、これ結構面白いなぁ」なんて、そこまでの状況になってはじめて再発見したり。

辺見庸の「もの食う人びと」、学生の頃に買って読んですごく衝撃を受けた記憶がありますが、これをスキャンしてるときにチェルノブイリの章が目に留まって、そこでしばらく読みふけってしまった。事故後8年経ったあとにチェルノブイリ周辺住民の食の状況を取材したルポですがね、今読むと実に味わいがあります。いまの日本のテレビではチェルノブイリのことをそれほどの被害者が出なかったとして総括してる先生方がいらっしゃいますがね。しかし、このルポルタージュに出てくる原発周辺の森に住んできのこをムシャムシャ食べてるおばあちゃんやらがホントに調査対象になってたのだろうか・・・。

今の日本の状況は報道やネットメディアに目を通しても、なにかコトが至近距離にありすぎてわけがわからなくなっているので、時間と場所がすこし離れたこのチェルノブイリの状況を読んでいるとすこしクールになれます。ネットメディアに浸りきりになった合間におすすめ。
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