Red Priest's Vivaldi's Four Seasons

レッドプリーストのヴィヴァルディ「四季」。

こういう変り種の「四季」、きっとそのうち中古でたくさん出回るだろうと思って「待ち」の姿勢を取ることにした。するとなるほど、やっぱり出てくる出てくる・・・(笑)。

こういう亜種を「繰り返し聴くCD」として所有することの難しさはたしかにあるでしょう。腕達者な奏者を揃えているという売りがあるにしても、これを愛聴盤として登録する人はやはり少ないかもしれない。

でも彼らの演奏、これが1回きりのライブであるなら、いくつかのディテールをずっと記憶し続けられるかもしれない。それが録音となると逆に所有し続けるのが難しかったりする。この難しさはただ「圧倒的多数決」によるのではないかと思うことにしてみる。

もし発売される「四季」の録音すべてが、彼らと同等程度に「楽譜から逸脱しなくてはいけない」というルールだったらどうなるか。彼らももう少し平均的なポジションを与えられそうな気もするし、そもそもそのようなルールの元では繰り返し聴かれる録音の数はたいへん少なくなる気もする。楽譜と実際の音の間に横たわる「演奏習慣」というものの存在は案外大きいし、なんとなくできあがった習慣によって価値基準が出来上がっているような気もする。

別の宇宙にはレッドプリーストが死ぬほど普通で退屈なパラレルワールドがあったりするかもしれない。

どうしてこのような妄想に走ってしまったかというと、私はこのアレンジがあまり好きになれなかったから・・・(笑)。(思考をもてあそんでみただけです。)

こういう試み自体は嫌いじゃないが、なかなかいいのに当たるのは難しい。こういうアレンジモノのポジションは原曲を「りんご」としたときの「アップルパイ」のようなものではないかと。魅力はまったく別のところにあると思うのですが、いかんせんそういう試みのサンプルが少なすぎ。