バッハ ロ短調ミサ
演奏:オランダ・バッハ協会
指揮:ヨス・ファン・フェルトホーヴェン
ソプラノ1:ドロテー・ミールズ
ソプラノ2:ヨハネッテ・ゾマー
アルト:マルゴット・ネイツィンガー
テノール:チャールズ・ダニエルズ
バス:ピーター・ハーヴェイ


長久手文化の家でのオランダ・バッハ協会のロ短調ミサ曲。この場所で以前にも彼らの演奏によるヨハネ受難曲を聴いたと思う。あれも独特の世界でたしか「演劇的演奏」というような感想を書いた気がする。今回も一筋縄ではいかない演奏だった。普通なら合唱に割り振る部分も声楽ソリストで歌わせる。OVPPのようなこじんまりとした音楽になる、そうかといって一応コーラスは10人が別に後方に居る。でも彼ら合唱隊は全合奏で鳴らす音楽ぐらいしか参加しない。そのせいか総体的にはこじんまり、でもトロンボーンやティンパニが入る楽章は普通に立派な音楽が聴けるとコントラストの大きな演奏になってた。

声楽ソリストはこのメンバーなら鉄壁。ドロテー・ミールズはいっぺんナマで聴いてみたかった。ヨハネット・ゾマーとのツートップはかなり魅力的。ミールズはなんというか看護婦みたいなソプラノだな。献身的でやさしく慈愛に満ちた(理想像として)のナース的ソプラノっぽい。よく声が通ってきたのはテノールのチャールズ・ダニエルズ。職業的歌手として素晴らしいというよりは彼は演劇的な意味で個性的な舞台俳優みたいな存在感。KylieやCredoの出だしなど歌というより言葉のインパクトで迫ってくる。

トータル的にはなんというか、BCJの峻厳さや賛歌的なミンコとは対極にあって「意欲的な活動」というのがほとんど感じられない。最初のKylie Eleisonもどこか「憐れみ」というタレが染みこむのをじっくり待つような演奏。こういう音楽によく表れていたけど、今日の演奏は晩年の思うに任せるようには動けなくなったバッハが頭の中で鳴らしていた理想郷としての音世界をそのままそっと形にしたようなものといったらいいかな。5人の主要登場人物がかわるがわる心情を吐露していくモノローグ的世界。とくにCrucifixusのエンディングをソリストのみのコーラスが小さく小さく消え入るようにディミヌエンドしていくところはとても美しかった。詠嘆的なところに引き込まれたけれど、後半のサンクトゥスやホザンナは諦観を忘れて管弦楽としても立派なものでした。


(久しぶりに演奏評書いてなんかすっきりした。Twitterでこんな込み入ったこと書けるわけがない。)