April 2008
April 21, 2008
読経…
昨日は古い友人を訪ねて東京まで行きました
友人の23回忌。
本当に早いものだ…
お寺で会った懐かしい面々、みんなの髪には白髪が目立ちます
変わらないのは、22年前、山で死んだ友人の写真だけ…
ザイルを肩にして笑っている、彼の写真はまるでタイムカプセルのように、写真と会話していると、彼と、時を共有した、近いようで遠い遠い、あの頃へ戻ることができる
時間になり、宮沢賢治の物語のような、とても心地よい読経が始まった
読経が響く、空気の冷たさと温かさが同居する、広いお堂の中で、絡みあう、断片的な記憶と記憶、そんな細い糸を紐解きながら、思い出を辿った…
山で死んだのだから、当然、山の事が思い浮かんでくるのだけれど、努めて、山以外の思い出も紐解こうと思った…
「遠い遠い22年前、俺だって若かった…」
読経が佳境になった頃…
「そういえばあの頃に抱いていた夢を、奴にだけ話したことあったよな」
閃くように思い出した…
法事の後、会食にも招かれ
家族から、生前の○○との思い出を教えてほしいということになり、彼の所属していた山岳会の人たちから順々に思い出を語っていった
かつて、葬式の時、号泣しながら、家族に詫びていた、その時のリーダーは、再び泣きながら、思い出を語った。
彼と一緒にヒマラヤを目指した人は、ヒマラヤの、目標の山、挑む事ができたそうだ。
しかしながら、現地で、天候やいろいろなことがあり結局登れなかった…苦笑しながら語った
その苦笑に、長い時を経た今も尚、悔しい気持ちがあるんだな。言葉と表情で、その気持ちが伝わってきた。
山岳会の方々の思い出話に、お寿司屋さんの二階にあるお座敷は楽しく盛り上がった。
そして家族の人から
「最後、お願いします。」
順番がまわってきた。
話すことは沢山あるけれど、読経の時、思い出した夢の話をした。
「 彼とは、高校の時出会い、それからの山仲間です
考えてみれば、まる7年、今の生活からすれば、本当に短いつきあいでした。
だけど、今でも尚、彼は、山という趣味を通し、喧嘩もしたし、お互い愚痴も言い合った。そして、信頼しあった、最高の友だと信じています。
さっき、読経の中で、自分は、不謹慎にも、お経とはまったく違うことを考えていました。
「なんで、奴とこんなに親身な友になれたんだろう?」
って…
彼と自分、性格も違えば、考えも違う。よく一緒に行った山のこだわりだって全然違いますが。
高校二年生の頃だったか…
町田に、昼は喫茶店、夜はスナックって店に、たぶん山の計画を立てる為に、昼からいたんですが、夜までいたもんだから、注文したら、もう珈琲は無いって言われ、仕方ないから、用意できるって言う、お酒も嗜みながら話は盛り上がり(笑)、気がつけば、おたがいの夢の話になったんです…
「どういう形であっても、山で生きる。山のプロになる!」
性格も考えて方も、体力の差も違ったけれど、夢は同じだったんですね。
だから、一緒に山行くこともあれば、張り合うことも多かった…
夢を素直に語れる友がいたってこと。
夢があるから、がむしゃらになれたあの頃…
自分は幸せでした。
彼も悩みがあったとはいえ、楽しかったと信じています。
大学は違ったけれど、暇な時は、よく会って、何処に行くとか、情報交換してました
しかし彼は、すぐ学校を辞め、思いきって、山で生きる決心をした。
その頃、しばらく、会うことがなかったような気がします。
おそらく、その頃が、彼にとって、最初の修行時代だったんでしょう。
しばらくぶりにあった時、凄く逞しく変わっていましたからね。
と、いうよりも、自分の方が、あの時話した、夢を失いかけていたのかもしれません…
そして、いつだったか、今、自分が住んでいる街がよく見える山に、これでもかっていう位の、酒とつまみを持って上りました。
さしずめ「スナック雁坂峠」ってところです。
2人とも、思いきり酔っ払って、奴は、
「ラインホルト・メスナーなんて目じゃないぞ!」
あの目は本気でした(笑)。
そして、剣山や冬の難コースの話を熱く語ってましたね…
その日は、星も夜景も綺麗でした。
まさか、その時、自分がその夜景の中で生活するなんて、これっぽっちも思わなかった…
山から見れば、夜景も空の星も、よく似てました…
…今、自分は奴の倍生きています。
だけど、今日、ちょっと、彼に説教された気がします
「いろんなことがあった」
と言うならば
「いろんな夢があった」と語れって…
あらためて、やっぱり奴は幸せを掴んだと思います。
人生は、生きた時間より夢を見た時間なのかもしれません。
だから、自分も、もう一度、夢を見よう
夢っていう山を登り続けてみよう…
永遠に生意気な、奴に無理やり言わされました(笑)
…………………………………
気がつけば、大粒の涙がいくつも落ちていた。
山へ登るかどうかはわからない。
でも、良い夢はこれからも見たいと思った…
奴のところには、あの頃のように、行きも帰りも、世田谷線に乗った。
電車は綺麗になっちゃって、ガタガタ揺れたあの頃とは大違い
だけど、なんとなく帰り道は楽しかったな…
今年は、スナック富士にぷらっと行こう…
そんなことを考えていたら、優しい雨が降ってきた…
友人の23回忌。
本当に早いものだ…
お寺で会った懐かしい面々、みんなの髪には白髪が目立ちます
変わらないのは、22年前、山で死んだ友人の写真だけ…
ザイルを肩にして笑っている、彼の写真はまるでタイムカプセルのように、写真と会話していると、彼と、時を共有した、近いようで遠い遠い、あの頃へ戻ることができる
時間になり、宮沢賢治の物語のような、とても心地よい読経が始まった
読経が響く、空気の冷たさと温かさが同居する、広いお堂の中で、絡みあう、断片的な記憶と記憶、そんな細い糸を紐解きながら、思い出を辿った…
山で死んだのだから、当然、山の事が思い浮かんでくるのだけれど、努めて、山以外の思い出も紐解こうと思った…
「遠い遠い22年前、俺だって若かった…」
読経が佳境になった頃…
「そういえばあの頃に抱いていた夢を、奴にだけ話したことあったよな」
閃くように思い出した…
法事の後、会食にも招かれ
家族から、生前の○○との思い出を教えてほしいということになり、彼の所属していた山岳会の人たちから順々に思い出を語っていった
かつて、葬式の時、号泣しながら、家族に詫びていた、その時のリーダーは、再び泣きながら、思い出を語った。
彼と一緒にヒマラヤを目指した人は、ヒマラヤの、目標の山、挑む事ができたそうだ。
しかしながら、現地で、天候やいろいろなことがあり結局登れなかった…苦笑しながら語った
その苦笑に、長い時を経た今も尚、悔しい気持ちがあるんだな。言葉と表情で、その気持ちが伝わってきた。
山岳会の方々の思い出話に、お寿司屋さんの二階にあるお座敷は楽しく盛り上がった。
そして家族の人から
「最後、お願いします。」
順番がまわってきた。
話すことは沢山あるけれど、読経の時、思い出した夢の話をした。
「 彼とは、高校の時出会い、それからの山仲間です
考えてみれば、まる7年、今の生活からすれば、本当に短いつきあいでした。
だけど、今でも尚、彼は、山という趣味を通し、喧嘩もしたし、お互い愚痴も言い合った。そして、信頼しあった、最高の友だと信じています。
さっき、読経の中で、自分は、不謹慎にも、お経とはまったく違うことを考えていました。
「なんで、奴とこんなに親身な友になれたんだろう?」
って…
彼と自分、性格も違えば、考えも違う。よく一緒に行った山のこだわりだって全然違いますが。
高校二年生の頃だったか…
町田に、昼は喫茶店、夜はスナックって店に、たぶん山の計画を立てる為に、昼からいたんですが、夜までいたもんだから、注文したら、もう珈琲は無いって言われ、仕方ないから、用意できるって言う、お酒も嗜みながら話は盛り上がり(笑)、気がつけば、おたがいの夢の話になったんです…
「どういう形であっても、山で生きる。山のプロになる!」
性格も考えて方も、体力の差も違ったけれど、夢は同じだったんですね。
だから、一緒に山行くこともあれば、張り合うことも多かった…
夢を素直に語れる友がいたってこと。
夢があるから、がむしゃらになれたあの頃…
自分は幸せでした。
彼も悩みがあったとはいえ、楽しかったと信じています。
大学は違ったけれど、暇な時は、よく会って、何処に行くとか、情報交換してました
しかし彼は、すぐ学校を辞め、思いきって、山で生きる決心をした。
その頃、しばらく、会うことがなかったような気がします。
おそらく、その頃が、彼にとって、最初の修行時代だったんでしょう。
しばらくぶりにあった時、凄く逞しく変わっていましたからね。
と、いうよりも、自分の方が、あの時話した、夢を失いかけていたのかもしれません…
そして、いつだったか、今、自分が住んでいる街がよく見える山に、これでもかっていう位の、酒とつまみを持って上りました。
さしずめ「スナック雁坂峠」ってところです。
2人とも、思いきり酔っ払って、奴は、
「ラインホルト・メスナーなんて目じゃないぞ!」
あの目は本気でした(笑)。
そして、剣山や冬の難コースの話を熱く語ってましたね…
その日は、星も夜景も綺麗でした。
まさか、その時、自分がその夜景の中で生活するなんて、これっぽっちも思わなかった…
山から見れば、夜景も空の星も、よく似てました…
…今、自分は奴の倍生きています。
だけど、今日、ちょっと、彼に説教された気がします
「いろんなことがあった」
と言うならば
「いろんな夢があった」と語れって…
あらためて、やっぱり奴は幸せを掴んだと思います。
人生は、生きた時間より夢を見た時間なのかもしれません。
だから、自分も、もう一度、夢を見よう
夢っていう山を登り続けてみよう…
永遠に生意気な、奴に無理やり言わされました(笑)
…………………………………
気がつけば、大粒の涙がいくつも落ちていた。
山へ登るかどうかはわからない。
でも、良い夢はこれからも見たいと思った…
奴のところには、あの頃のように、行きも帰りも、世田谷線に乗った。
電車は綺麗になっちゃって、ガタガタ揺れたあの頃とは大違い
だけど、なんとなく帰り道は楽しかったな…
今年は、スナック富士にぷらっと行こう…
そんなことを考えていたら、優しい雨が降ってきた…
April 13, 2008
April 10, 2008
April 07, 2008
二つ大人になる
ちょっと忙しくてちょっぴり濃い週末でした。
「あ〜、胸くそ悪かった?」
実は、週末、上司の家族のお葬式を巡って、「勘違い」から「やっかみ」の渦に巻き込まれちゃいました
もう!やっかみ星人に、理不尽な事言われて、ホント悔しくて悔しくて(笑)
要は葬式出たいが、仕事で出れないからって、出席の段取ったおらにそいつ、ブチブチいってきたんです
でも、そいつ、会社違うんだよ
確かに総務では、代表でおらともう一人、お通夜と告別式、交互で行くよう言われたけど、他の人も仕事に支障無いんだもん、行きたいって言えば、行ったっていいじゃん。
まっ、ただ、うちの従業員が、11時からの告別式、13時からやると、時間を間違えて、そいつに言ったもんだから、おらと一緒に行った、嘱託の人、13時からシフト入っていたから、それをネタに
「その人が抜けて、仕事回るんかよ!いいかげんだな!」
「ムキ〜!てめ〜に言われなくてもグルグル回るよ!」
なんて言いたかったけど、その前に、何でそんな事言ってくるのか、意味がわからなかった。
我慢しましたよ。
まったく親会社ぶりやがって…
でも、言い返して、
同じ穴の狢(むじな)
なんて言われたくないっすから。
その後もそいつのネチネチが続いて、その日は、気分ボロボロになっちゃっいましたよ〜
正直、本当に悔しかった
誰かに聞いて貰いたくって、会社の、もう一人の嘱託のおじさんに電話して愚痴っちゃったさ。
涙目で(笑)
したら、おじさんに
「チャレ山、よく我慢したな〜!」
って言われた時には、ホントにウルッと来ちゃいました
続いて、おじさんに言われました
「そういう時、我慢した方が、1つ大人さ。
だけど、チャレ山〜!
これからは、1つでなく、2つ大人になれ!
そういう人間もいるんだから。割り切れ!
割り切れば、悔しくなんかないだろう〜
向こうだって悔しいと思ってるんだから、2つ大人になれば、お前なら、違う言葉が出るんじゃないか…」
おかげさまで
週末の、悔しい思いは
週末の、心に響く言葉に変わりました。
「あ〜、胸くそ悪かった?」
実は、週末、上司の家族のお葬式を巡って、「勘違い」から「やっかみ」の渦に巻き込まれちゃいました
もう!やっかみ星人に、理不尽な事言われて、ホント悔しくて悔しくて(笑)
要は葬式出たいが、仕事で出れないからって、出席の段取ったおらにそいつ、ブチブチいってきたんです
でも、そいつ、会社違うんだよ
確かに総務では、代表でおらともう一人、お通夜と告別式、交互で行くよう言われたけど、他の人も仕事に支障無いんだもん、行きたいって言えば、行ったっていいじゃん。
まっ、ただ、うちの従業員が、11時からの告別式、13時からやると、時間を間違えて、そいつに言ったもんだから、おらと一緒に行った、嘱託の人、13時からシフト入っていたから、それをネタに
「その人が抜けて、仕事回るんかよ!いいかげんだな!」
「ムキ〜!てめ〜に言われなくてもグルグル回るよ!」
なんて言いたかったけど、その前に、何でそんな事言ってくるのか、意味がわからなかった。
我慢しましたよ。
まったく親会社ぶりやがって…
でも、言い返して、
同じ穴の狢(むじな)
なんて言われたくないっすから。
その後もそいつのネチネチが続いて、その日は、気分ボロボロになっちゃっいましたよ〜
正直、本当に悔しかった
誰かに聞いて貰いたくって、会社の、もう一人の嘱託のおじさんに電話して愚痴っちゃったさ。
涙目で(笑)
したら、おじさんに
「チャレ山、よく我慢したな〜!」
って言われた時には、ホントにウルッと来ちゃいました
続いて、おじさんに言われました
「そういう時、我慢した方が、1つ大人さ。
だけど、チャレ山〜!
これからは、1つでなく、2つ大人になれ!
そういう人間もいるんだから。割り切れ!
割り切れば、悔しくなんかないだろう〜
向こうだって悔しいと思ってるんだから、2つ大人になれば、お前なら、違う言葉が出るんじゃないか…」
おかげさまで
週末の、悔しい思いは
週末の、心に響く言葉に変わりました。