2013年02月01日
2012/07/02(月):第96カ国目アルバニア
正直、クルナ自体は観光客もまばらなせいか
全く活気も感動も無かったし、そうであることはある程度
予想がついていて、行くかどうかを迷っていた。
それでも行く結論に達したのは
さほど遠くないために経済的負担は大したことないので
何もせずに宿にいたってアルバニアを感じる可能性は低いけど
行けば何かが起こるかもしれない、そう思ったから。
そんな期待は現実となり、
帰りのミニバスでとてもいいカップルに出会った。
彼らは数少ない日本人観光客であるワタシをとても歓迎してくれて、困ったことはない?聞きたいことがあれば何でも聞いて!と心配してくれただけでなく、ティラナに戻るバスの運賃までウェルカムギフトだから!!と支払ってくれたのです。
たかが200円、されど200円。
アルバニアはヨーロッパ内で最貧国といわれる国のひとつ・・・
日本人の200円とアルバニア人の200円はきっと同じ価値ではない。 それを当たり前にしてくれる、そんな気持ちがたまらなく嬉しかった。
これだけで今日クルナに来た価値があったと思えた。
やっぱり旅のメインは、観光地でも買い物でもなく、
“出逢い”なんだよね。
さて、アルバニアの歴史について少し解説しましょう。
第二次世界大戦前後はイタリアとドイツの占領政策に翻弄され、戦後ソ連の援助によって独立。共産主義政権が成立した。
当時親密な関係にあった隣国ユーゴスラビアが共産主義を廃止す傾向を示したことにより、ユーゴスラビアと断交。
その後共産主義を徹底するアルバニア政府は、軟化政策をとりつつあるソ連と次第に不仲になり、1970年代にはソ連を仮想敵国とした極端な軍事政策を取った。
国民ほとんどに行き渡る量の銃器を保有する国民皆兵政策という異例の事態が発生。
現在もほとんどの国民はそれを有しているという・・・。
ソ連と袂を分かつ一方で中国に接近して各種援助を受けたものの、近隣諸国とはほぼ鎖国状態のままであり、経済状況は次第に悪化した。
また1967年に中国文化大革命に刺激され無神国家を宣言、 一切の宗教活動を禁止した。
1976年に中国で文化大革命が収束し、改革開放路線に転換すると中国を批判。
当時の経済状況から決して多くなかった中国の援助もなくなり、1980年代には欧州一の最貧国とまで揶揄されるに至った。
1991年に国名を「アルバニア共和国」に改称。
1992年の総選挙によって、戦後初の非共産政権が誕生した。
民主化後は、共産主義時代の残滓の清算や市場主義経済の導入、外国からの援助導入などを政策化し、国際社会への復帰を加速させた。
しかし、急速な自由経済の導入は他の旧東側諸国と同じく混乱と経済犯罪の発生を招き、市場主義経済移行後の1990年代にネズミ講(無限連鎖講)が大流行し社会問題と化した。
一方で当時のアルバニアは周辺国の紛争に対して武器を密輸する事で、不当な形ながら多くの外貨を獲得しており
ネズミ講で集められた資金がこうした非合法事業の資金源として機能することで、一定の利益を還元する事ができていた。
経済の成長を急ぐ政府は“武器密輸”と“ネズミ講”という
二つの不法な経済行為をどちらも黙認するという選択をとったのである。。。
ところが1997年1月に周辺国の紛争が終結に向かうと武器密輸のビジネスは破綻し、同時に国民の半分以上が参加していたネズミ講への利益支払も頓挫した。
国民の3分の1が全財産を失い・・・
大量の破産者が街に溢れかえり・・・
詐欺から国民を守れなかった政府への不満から暴徒化し・・・
これによって政権が転覆。
無秩序状態となるという暴動が発生した。
こうしてもともと脆弱を極めたアルバニアの経済は一瞬で破綻したのであった・・・。
・・・政府も、国民も、アホすぎて、日本人間隔では考えられないこの事態。
でもこれが実際に起こった国、それがアルバニア。
しかもたった15年前の出来事。
どこからが間違いだったのか(むしろ正解の選択なんてなかった気さえする)・・・
自業自得とはいえ、政府の方針による鎖国で海外の情報が入ってこない社会で生きていた国民としては、正しい経済の流れを判断できずにネズミ講という甘い話にのってしまったのも同情に値する。
ハイ、あなたの財産今日からゼロ!と言われたときの絶望感はどんなものだっただろうか。
暴徒化する気持ちもわからんでもない。
だってもう命以外失うものはない!と言ってもいいようなもんなんですから。
現在のアルバニアはだいぶ立ち直っているのだろうか。
旅行者として、表面的な部分を見る限りでは、周辺国と比べて特別治安が悪いだとか人々がやさぐれている、なんて雰囲気は感じなかったけど。
きっと旅行者の目には見えない水面下で、
まだいろんなことが続いているのでしょう。。。