女2人アメリカレンタカー旅
2011年07月24日
2011/04月頃の精神状態を振り返って・・・2011/6月末
(前回のつづき)
そんな不安な状況を、旅立つまで、ワタシは誰にも言わなかった。 夫にさえも。
夫に言わなかったのは、今までさんざん好きにやってきて、夫の反対を押し切って突き通したこともあるなかで今更自分が決めたことなのに“不安でしょうがないんです”なんて打ち明けたところで当然夫が答えを持っていないことだとわかっていたし、サスガにいくら夫婦とは言えそんな失礼な話は無いと思っていたことが、まず第一。
ただ夫以外にも誰にもこのことは話しておらず、それについては言葉にすることで不安が全て現実となって表面がしてしまうことを恐れていたから。
よく、人は本当に悩んでいる最中は打ち明けられず、打ち明けられるようになった頃には悩みのピークを越えている・・・なんて言われるけど、まさに、そんなカンヂ。
コンとアメリカ旅行をしていたとき、ワタシは始めての友人との長期旅行を楽しむことで今後カナダで待っているであろう現実から逃れていた。
だから楽しいんだけど、心の底から楽しんでる時も、片隅ではどうしても不安が拭えなくて今思うと旅の前半は多かれ少なかれカラ元気だったような気さえする。
でも旅が進むにつれてカナダという現実がどんどん迫ってきて、ついに高速を運転中何の脈絡も無く、突然助手席のコンに打ち明けた。
『・・・あたし実はカナダ行きたくないんだよね』
しかしこのときでさえ、何度も言ってしまおうかという思いを飲み込んではくすぶり・・・の繰り返しで、一体何度目のくすぶりのときに言葉に出来たのかはわからないほどだった。
鍼の勉強がしたいこと・英語力が不安なこと、このとき始めて言葉にした。
コンはワタシからそんなこといわれるなんて当然予想もしてなかったから、それはそれはテンパリまくりで。笑
でも落ち着いてからはじっくりとワタシの話や考えに耳を傾けてくれて、これからフリーインストラクターとして自分も頑張りどころであるのと同時に不安なことも分け合ってくれた。そしてそれでもなんとか自力で頑張っていこうとしていることも。
以前の日記にも書いたことがあるけど、日本での生活に縛られて日本社会の秩序の中で生きていくことは、制約が多いけど楽な面もたくさん存在している。 例えば、グチや不満を言うこともそうだ。
ただ、今回のワタシは3年間自分の思う道を走り続けてきた挙句、更に次の創作した道へ足を踏み入れるという作業が、心の疲弊度と比べると重すぎたんでしょうね。
それでも『自分で決めた道だから、不満なんて言っちゃいけない』という自分との約束がそれに拍車をかけ、更に大きなプレッシャーを生んだ。
そんなワタシを救ったのは、畑は違えど目標に向かってひたむきに頑張る同士だった。
話したからといって不安が解決するわけではない。
でもワタシの気持ちは、コンに自分の不安を少しおすそ分けすることで(スマン。笑)、
ほんの少し前に進めた気がする。
そしてこの一歩がきっと新たな始まりの一歩であることも実感していたわけです。
旅の最後に、ソルトレイクの空港でコンが自分のフライトに向けて旅立つとき、一枚のポストカードをくれた。
コンが去ってからそれを開けたんだけど、そこには今回の旅の思い出と『カナダに行っても、今野はゆりちゃんを応援し続けます!』の文字。
思いっきり泣けてしまった。
今まで張り詰めていたものが全部流れ落ちるかのごとく、障害者用の空港ベンチでひとり30分くらい泣いてやったぜ・・・。
ソルトレイクに不安要素は全部流して来たので、これからカナダと向き合うことしか考えず正面から自分へ勝負を挑んでやりたいと思います!!
★コンへ★
言葉に出来ない思いを、本当にありがとう。 あの時あんたが隣にいてくれて良かった。
PS:POSITVE yuririnのスペル、間違ってたよ。笑 正:POSITIVE 誤:POSITVE
感動のポストカードにオチまでつけるなんて、あなたにはかないません。
2011年07月22日
2011/04月頃の精神状態を振り返って・・・2011/6月末
“別にカナダになんて行きたくない”
実は4月ごろのワタシの本音はここにありました。
一番大きな変化は、世界旅が終わったこと。
年末で世界旅に一区切りついたんだけど、その時点で既に3月のパキスタン旅行にリベンジするって決めてたから、それが完全に終わるまではまだ旅への思いが強かった。
1月16日からの2ヶ月間英語の勉強のためにフィリピンへ行ったのはカナダで英語学校に行くよりも安く、会話中心の授業が受けられると思ったこととワタシが持つワーキングホリデービザでカナダにいられる期間は最長で1年ということ。
その1年という時間を最大限に生かすため、これが最善の策だった。
もうひとつは治療家として、そろそろ真剣に鍼の勉強をしたいという欲が高まったから。
ただ、語学を勉強したことのある人なら誰でもわかると思います。
たった2ヶ月英語学校に通ったからとて、目を見張るほどの変化は難しいということが。
もちろん自分でも努力もしたつもりですが、やはり障害はまだまだ大きい。
その現実に負けてしまいそうだった。逃げ出してしまいたかった。
『英語圏でネイティブに混じって仕事をする』ということに対するプレッシャー。
特に私の場合“英語環境”というのが最優先事項ではあったけど、それに次いだ希望は“セラピストとして働きたい”という条件だった。
その場合 症状を聞き出したり、治療方針を話したり、生活上のアドバイスをするなどの英会話を考えると、単なる日常のやり取りですら危ういのに・・・と先が真っ暗に思えた。
プロフェッショナルであるというセラピストとしてのプライドと、現実とのギャップ。
とにかく不安でたまらなかった。
アメリカに旅立つ直前母と名古屋に行ったとき、ワタシは偉そうに母に語った。
「英語圏で暮らしたって、日本人と関わって日本人社会にいたら、そこはもはや日本語の世界でしかないでしょう。 そんなの海外でわざわざ暮らす意味なんてない。
だからワタシは住む場所も、働く場所も、日本人がいない場所を出来る限り探す。」と。
この考えは今でも変わらず、すっと根底に持ち続けていること。
でもこの時こう発言していたのは、とにかく海外の日本社会に飲まれてしまうことが怖くて仕方なかったわけだ。
今なら抗う手段を考えられる余裕があるけど、このときは一度飲まれたら終わりだと、それに抗うだけのパワーは自分に残されていないと不安ばかりが先行していた。
世界旅のときと違って、諦めるという選択肢が存在しなかったわけではない。
むしろ諦めるという選択肢はいつも隣にあった気がする。
不安で押しつぶされそうになる時、いつか『やっぱやめた!』の言葉が出て来そうだった。
・・・でもワタシは自分を知っている。
今、ここで、この不安に押し負けてカナダ行きを中止しても、必ず英語欲は再燃する。
そうなったときに次に長期で渡航するチャンスは来ないだろう。
夫は1秒でも早く出産を望んでいる。 妊娠してしまったら、もうそこに自由は無い。
今、無理するか。
今、逃げ出してゼロで諦めるか。
そんなの、前者しか選択肢は無いじゃんね・・・。
日本にいた4月最初の10日間はすごく楽しかったから、尚更旅立ちは辛かった。
そんなワタシの不安をどこかで母は感じ取っていたのか、それとも単に母親としての優しさがそうさせたのか、旅立ちの直前家の門の前で『ダメだと思ったら、見切りつけて帰ってきなさい。家はあるからね。』 そう、言った。
今までは、危ないことするなとか身体に気をつけろとか、そんな風に言ってたのにね。
「はいはい、じゃーね!」と、いつもの調子で出て行ったワタシだけど心が見透かされたようで一瞬ドキッとした。
いつもだったら「何言ってんの、決めた事だから帰ってこないよ!」とでも言っただろうか。
でもこのときばかりはありがたく母の言葉を頂戴した。
直接何も伝えてないけど、きっと母は、ワタシが目指す成功の誇らしい帰国姿でも・挫折に苦しんだ帰国姿でもなく単に娘の心の幸せだけを一心に願っているんだろうなと思うと、未だに何度もあの母のフレーズを思い出しては、「サスガ母親だな~ありがたいわぁ」と思いつつも、「そう言われると絶対オメオメ帰るもんか!」という気持ちが混在するワタシです。笑
(次回につづく)
2011/04/24(日)
昨日載せ忘れた、ウェストイエローストーンでのオマケ写真。
右と左で間違い探し。今野はどこにいるでしょう?
最後の朝。
泣いても笑っても今日で最後、今夜にはふたりとも別の目的に向かって旅立ちます。
友達と二人きりでの2週間の旅行なんて長いと思ってたし、実際すんごく濃かったけど終わってみればあっという間。
今日はアイダホフォールズからソルトレイクシティの空港まで走る予定しかなかったのでのんびりと移動。
最後の食事はデニーズで。 駐車場で愛車とお別れのシメの一枚を撮影。
夕方過ぎに空港に着いて一緒に時間をつぶし、22時過ぎにコンは次の目的地であるニューヨークに旅立つために去っていった。
コンはこれからニューヨークでピラティスの尊敬する先生に教えを請いに行く。
(そしてその先生から愛を持ってボコボコに言われる未来が待っている・・・)
ワタシはこれからバンクーバーを目指すため、明朝シアトルに向けて飛び立つ。
我々は、フィールドも目指すものも違うけれど自分の決めた道に誠実であることは確か。
お互いの挑戦に向かって行く気持ちを痛いくらい理解しあった旅だったかも知れない。
コンと2週間旅が出来て楽しかったです。
たくさんの笑いと、ハプニングと、感動と、忘れられない思い出を本当にありがとう。
あなたに胸を張って良い報告が出来るように、バンクーバーでガンバリ倒してきますよ!
最後はレンタカーの情報。
【レンタカー屋さん情報(2011/02時点)】
1.Avis:http://www.avis-japan.com/ 日本語対応
「現地通貨建て」を選択すれば、料金の下調べができる。
ただし出てくる料金は最安のもので、フルカバー保険を望む場合は要問い合わせ。
対応は丁寧。
2.トラベルジグソー:http://www.traveljigsaw.co.jp/ 日本語対応
安い。 結局ここでお願いしました。
気になる点は、見積もり依頼をやり取りするとその情報が現地に送られるようで見積もり担当者からの返信の他に“4月はトップシーズンだから、急かして申し訳ないが早めの予約を勧める”と現地担当者から現地情報に関する連絡が来た。それは客に好条件な内容のアドバイスであり全く構わないのだが、そのアドレスは送信専用で返信が出来ず、見積もり担当者に返答をしても話が通っておらず理解されない・しかもその後こっちの返答内容が現地担当者に伝わっていないという「内部での連携ミス」が多く、そのおかげで同じことを2回説明しなければならなかったと言う事態が2~3度起こり、その都度面倒くさい思いはあった。最終的に私は「それについては申し込み時に既にお話したはずですが・・・」と連携ミスを指摘、しかし誠実な謝罪メールがあり、対応自体はかなり親切であり非常に迅速である。
2011/04/24(日)
11:00発 ウェストイエローストーン発
19:30 ソルトレイク着
【233.5マイル(走行距離累計:4682.5マイル)】
⇒給油1回 US5(給油料累計:US438.68)
2011年07月20日
2011/04/23(土)
翌朝はイエローストーン公園もうひとつの鑑賞ポイントへ。
実はこっちのほうがメインで、昨日は天候が悪かったから敢えて選ばなかったんだけど、今日は見事に晴れてくれたのでとっても気持ち良い散歩DAYとなりました~。
プチ間欠泉の集合地帯みたいに、あちこちでボコボコ沸いてましたよ。。。
片道約90分の散歩を経て最終的に辿りついたのが、モーニンググローリー。
イエローストーンもジャクソンと同じようにまだまだ寒くて、こんな不思議な光景も。
これ、雪じゃなくて霜なんですね。 葉っぱと枝に霜が張り付いてる感じ。
陽が当たる方角だけ霜が溶けてる現象も激写。
あ、ちなみに本日もバッファロー?の行列に遭遇。
カメラ目線頂きました。笑
小島でくつろぐバッファローも遠目から鑑賞。
マックでまたちょいと一休みして、高地を降りました。
(ただし、まだ寒い地域だからかいつものフラペチーノは売ってなかった…クスン)
今回は節約型の旅行だったので、自炊とスーパーのお惣菜と冷凍食品ばっかり食べててアメリカらしい食事がほとんど無かったので、最後3日くらいラストスパートで外食三昧。
とあるファミレスで、ある日のランチ。
(ふたりともなんとなく頼んだのに、コンのだけ“黒い”ってところがサスガですよね・・・笑)
最後の夕食は少し奮発してステーキ屋さんへ。
とは言え、デザート付でUS13なら全然アリでしょ! ま、多くて食べ切れなかったけど・・・。
ミディアムレアのステーキと、タピオカプディング。
2011/04/23(土)
9:00-13:15 イエローストーン公園観光
15:00 ウェストイエローストーン発
17:00 アイダホフォールズ着
【195.6マイル(走行距離累計:4449マイル)】
⇒給油1回 US25(給油料累計:US433.68)
2011年07月19日
2011/04/21(木)~22(金)
人体の不思議展を堪能したあとは、予定通りジャクソンへ。
ここから結構な山道を登るので標高も上がるし天候も不安になるだろう・・・と予想通り、くねくねの山道に加えて、ちらほら雪が・・・雪が・・・ものすごい吹雪いてますけどっ!?
夕方にいったん晴れたものの、やっぱり雪は降り続いて翌朝また車が雪に埋まった。
ブライスキャニオンの時とは違って凍りついてなかったから、掃ってすぐ落ちたけどね。
朝から4月下旬には開いてるって言われてたグランディトン公園に行ってみたけど雪がひどすぎて今日は入れないらしく、雪の積もった道を入場口から500mくらい進んでみたけど、吹雪で景色鑑賞どころじゃないのにタイヤがハマったらマジで何の意味もないので、とっとと退散。
あージャクソン来た意味なかった・・・。
次はこの旅最後の観光地:イエローストーン公園に行くのですが、夏場なら2時間ほど(?)で行ける道(山越え)が現在は積雪のために通行止めになっていてアイダホ州に戻ってぐるっと迂回しなきゃなんないのです。
そのお陰でもう一回人体の不思議展の道を通らないとならず、実は昨晩買ったお土産をワクワク気分でチェックしてたら一部負傷があることが発覚。
せっかくなのにこんなの嫌!と思ってたけど、偶然にも通るし時間に余裕あるしってぇんでまたアイダホの人体の不思議展に再来した二人。
追加でお土産買い足したりして・・・笑
満足して人体の不思議展に最後の別れを告げた後は、ウェストイエローストーンの街へ。
順調について今日は少しだけイエローストーン公園を観光。
入ってしばらくしてバッファロー?に遭遇! 悠々と列を成して歩いてた。
もんのすごい小さいけど(ほぼどこだかわからない)、キツネっぽいものにも遭遇。
そして今日の観光ポイントに到着。 曇り空でイマイチ・・・。
公園内は非常に広いので、陽の差す景色の綺麗な道を見つけて、また路上V字。
左が初心者・右がインストラクターのお手本。
今回のアメリカレンタカー旅V字シリーズ最後の写真です。
2011/04/22(金)
7:30-8:30 グランディトン公園観光
10:30-12:00 人体の不思議展再訪・ランチ
14:00 ウェストイエローストーン着
14:00-18:00 イエローストーン公園観光
【336.2マイル(走行距離累計:4253.4マイル)】
⇒給油1回 US30.89(給油料累計:US408.68)