その他
2011年09月10日
昨日のブログで・・・
頑張ってるって本当に頑張ってる時しか言っちゃダメな言葉かもしれないっていつも思う。
自分への“期待”と“戒め”みたいな意味も含めて、『この行為は“頑張ってるとは言えない普通のこと”なんじゃないか?
自分が“頑張れ”ば、もっと高いレベルの領域に辿り着けるんじゃないか?』なんて良く言えば貪欲/悪く言えば自信過剰=自分ならもっとできるっておごってる。
6歳でいじめを受けて人生が一転してから、21年間ずっとそう思ってやってきた。
というような話を書きました。
そういう思考を形成したのは、確実に家族の影響と家庭環境にあったんだろうとしみじみと思ったので、きょうはそれにちて触れたいと思います。
あたしは祖父母と両親と兄の6人家族で育ちました。
小さい頃はとにかく警戒心が強く人見知りも激しくて、毎日不安で泣いてた記憶しかない。
当時は大人に見えた(子供の6年差はデカイ)兄は普段超穏やかだけどたまにキレるし日曜の朝にカンチョーをかます意地悪だった父や「いつも泣いてるねーこの子は」って何気なく周りの大人に言われる言葉が怖くて、味方は本当に母しかいないと思ってた。
それが6歳のトモコからいじめを期に、母さえも助けてくれなくて・・・
というか小学校内の問題だったから当然母は四六時中ついてるわけにもいかないし今思うとその状況ですら母はママチャリで毎日送り迎えとか相当サポートしてくれてたけど本当にツライ場所である教室にいてくれなかったことが子供だったあたしにはそう写った。
世界がいじめる人間といじめられる人間にわかれるなら、いじめる人間になってやる!と悟ったのが小1の秋。
それ以来、本当に人間が変わったんだよね。
いじめる側の人間になるには、強くなきゃならない。
全員に好かれる必要なんてないんだから、周りの人間の顔色ばかり伺っていてはダメ。
強くなるには自信を持たなきゃならない。自信を持つには根拠が必要。
小1の秋にそう感じて以来、その“根拠”を与えて続けたのは他ならぬ家族だったと思う。
7年前(21歳のとき)亡くなった祖母は、自分は控えめだと言いつつなかなか強烈な主張を繰り返しかましてくる人でした。笑
「時代は亭主関白だったから、おじいちゃんには逆らわないのよ」と言いながらいざ些細な口喧嘩でも「あんたちゃどうしてそうなの?知らんちゃ・・・勝手にしられ」とか言い放って、完全に口答えしちゃってるでしょ!とツッコみたくなる光景でしたけど。笑
そんな祖母は、いつも絶対評価で溺愛してくれていたと思う。
テストや通知表でいい評価だと「かたいねぇ!(方言で“良く出来た子”の意味)」だし一番成績の悪かった中2の春でも「ちょうどいい!出来すぎると妬まれるんだから。」だし、どんな結果であろうと常に◎の状態に子供ながら、矛盾してんなと感じつつも子供にとっては褒めて自信を与えてあげることが本当に大切なんだと今は実感している。
そうやって「自分は良いんだ」という太鼓判を得て、更に色んなことを頑張れる。
頑張れば頑張るほど自信を持てる根拠を得られるから、どんどん人が集まってくる。
その人達に“自分はこうである”と胸を張りたいから、また頑張る・・・の繰り返しで気付けば常にリーダー格。
本当に誰かをいじめたかったわけじゃないけど、
“合わない”類の友達:エジリとの接触を避けただけでいじめ番長と勝手に認定された。
単に自分が不快な思いをしたくなかったから自ら遠ざかっただけなのにリーダー格だったワタシの影響力は絶大で、みんなそいつを避けるようになってワタシをに近づいてくるようになったもんだから、あらぬ濡れ衣・・・。
「嫌われる方にも原因はあるのに、分け隔てなく仲良くしろなんて所詮キレイゴトでしょ」小5のとき担任にそうはむかって、ビンタされ泣かされたこともありましたよ。。。
また、ワタシは唯一の兄妹である兄とは6歳も年が離れていて“末っ子の女の子”として本当にやりたい放題の環境だったと思う。
ワタシの夫は5人兄妹の長男で、子供の頃から常に弟・妹達のことを考え“譲る”という習性が未だに濃く残っているけど、ワタシはまるで逆の“主張する”という習性。
例えば、旦那様の頼んだメニューがすごくおいしかったら「食べる?」と旦那様はくれるけど、ワタシはいつもう一口もらおうか狙ってる・・・みたいなね。笑
まぁ、“譲る派”と“主張派”はどっちにも良し悪しがありますけどね。。。
でもそんな風に伸び伸び暮らせて、やりたいことをやりたいだけやれる経済力や主張を認めてくれる(認めさせた!?)環境は、とても有難いことだとやはり実感するのです。
世の中、やりたいことが見つからない人がいる。
やりたいことが見つかっても、できる環境じゃない人がいる。
でもワタシは人生80年じゃ足りないかもと思ってるくらいやりたいことがありすぎる上に自分の努力次第ではそれが叶えられるかもしれない環境にあるわけです。
そんなの、頑張らなきゃ損じゃんね?
いろいろやってみて思うこと。
頑張り方には人それぞれあるし、状況にもよるけど、全力で走ったときに得られる成長はただ単に頑張ったときの成長の比じゃないってこと。
だからどうせ頑張ると決めたなら、できる限り全力を目指したいと。
そしてそれは家族や友達:大切な人達に支えられていてこそ成し得ること。
2011年05月08日
2010/02/23(水)
フィジー時代のクラスメイトだった、マイミク:スカーレット3号に海外就職が決まったという報告を受けて、なんだかものすごく救われたような気がした日のこと。
ワタクシゴトですが、6年勤めた業界から一転無職となり、旅人となり・・・早3年が過ぎようとしています。
もちろん自らの意思として覚悟して始めた人生の1ページ。
日本社会に染まり、ごく普通に暮らしてる知人たちにとって、こんな生き方をするあたしはやっぱりどこかちょっと特別扱いされる事が多い。
それを恥じるわけでも嫌がるわけでもなく、むしろ誇りに思うことでもあると思うのですがそれでもやっぱり3年という時間は長い。
やってみてわかったことは、
『3年間好きなこと“だけ”やり続ける』というのも、物凄くパワーがいる事だって知った。
それは『(好き・嫌い以前の問題で)将来を考えてやっておいた方がいい事』すら放棄するということでもあるわけです。
好きなことを好き勝手に長期間やり続けると言う事は、とても恵まれた環境でありしかし常に自分自身をコントロールしなければならないということでもあるわけです。
何かをするための原動力も自分。
実行するのも自分。
言い訳をしてサボるのも自分。
尻拭いするのも自分。
責任を取るのも自分。
喜びや価値を見出し、実感するのも自分。
自分自身を落とすのも、あげるのも自分自身。
これらは当たり前の事ですが、簡単に状況や誰かのせいにしてしまうことだってできる。
流れに身を任せたり、誰かから指示をもらう事はとてもラクで最高の言い訳になる。
それが全くない3年間。
自分とだけ向き合う3年間に、最近ちょっとパワー切れ。。。
いくら前向きで行動力がぶっ飛んでるといわれるあたしでも、不安はある。
同業界の人間が頑張ってる姿を見たリ聞いたりしたとき、自分のブランクに焦りを感じるし収入がない状態が続いて資金面の不安だってつきまとう。
父は60を過ぎ(自営業だから定年は無いけど)、母も60近い。結婚とは縁遠い兄もいる。
昨年12月でもう27になった。 残された時間は少ない。突っ走るしか道はない。
そんな中、久々に目標を見失うことなく頑張っている人のステキな発展の報告を聞いてあぁやっぱり走り続ければ未来は捨てたもんじゃないと、パワーをもらいました。
本来ならおめでとうと言うべきとこを、ホント勝手にありがとうって気持ちだと伝えたら、『誰がなんと言おうと私はアナタを信じている』って強いメッセージが返ってきた。
フィジー時代、正直彼女とは特別仲がよかったわけではない。笑
でも今こうして気持ちの一部を共有してる。
認め合って、バカやりあえて、時にグチこぼしあって、でも尊敬しあえて・・・
そして当たり前に信じてる。
あたしはオマケのようなワーキングホリデービザだけど、彼女のはホンモノの就労ビザ。
それを勝ち取った彼女の努力と熱意と思い続ける持久力が、あたしの励みになりそう。
菊のパスポート+ナース免許が彼女にとって世界への通行手形なら、あたしだって技術を武器に世界の舞台で戦えるだけの自信と経験はある。
あたしはあたし。 目標を作るのも成し遂げるのも挫折だと決めるのもあたし自身だ。
ほんとうにありがとう、そしておめでとう。
もう既に国際ナース(?)としてシンガポールで躍進する彼女に、更なる活躍を期待します。
数ヵ月後にはあたしもあなたに負けない報告が出来るように、今後に乞うご期待。
明日からまた英語だけの世界を、へこたれずに頑張りまっす!
2011年04月17日
このブログをメッキリさわってなかったのですが、帰国後から先日まで少し旅をしたり、相変わらず猪突猛進な嫁は帰国2週間後にはフィリピンへ旅立ち英語の勉強へ。
その後マレーシアで俺と合流してパキスタンの旅を終え、早くも再び旅立ちました。
今度はカナダに1年間のワーホリです。
その前に友人と2週間アメリカを周るらしいんですけどね。
今日からは嫁のフィリピンブログとパキスタン旅のブログを少しづつあげて行きたいと思います。
ではでは以下より嫁のブログです。↓
2011年1月16日
世界一周も一区切りつき、日本で3年ぶりとなる年末年始を過ごしました。
さて、ワタシは今フィリピンに居ます。
今朝から、成田→マニラ→イロイロシティ(離島)と、移動してまいりました。
明日から8週間英語学校に通います。
結婚5年目にして、日本:夫⇔フィリピン:あたし の遠距離婚。
大きな興味と意欲、ほんの少しの不安もありますが・・・すべて自分で決めた道ですからいつも通り、好きに生きていきたいと思っています。
フィリピンで英語学校に通おうと思ったのは、 イランで世話になった青年の奥様がフィリピン人で、非常にキレイな発音だったから。
それ以前から世界各国を旅するに際して、国際社会の多様化を肌で感じていたし将来の選択肢を広げるために英語が必要だと思い、英語圏で一定期間生活することを考えていた時期でもあった。
春からはカナダのワーキングホリデービザ(昨年10月に取得済)を使って カナダで1年ほど生活する予定です。
というのもカナダの特定の州では、あたしが持ってる「あん摩マッサージ指圧師」の免許が 無試験で州指定の「指圧プラクター」という免許に書き換えが可能だから 海外での治療家キャリアがつめるいい機会だと思ったのです。
日本で一時帰国してる間は
専門バレー時代の友人:奈美子・コンに会って。
私立高校時代の友人:恭子に会って。
小学校から高校まで一緒の幼馴染(?):千恵に会って。
都立高校時代のクラスメイト:梓とマリリンに会って。
フィジー時代のクラスメイト:Sueに会って。
それぞれ充実した生活を話すことで、あたしも負けらんねぇ!ってパワーもらった感じ。
“類は友を呼ぶ”って本当うまい言葉で、あたしの周りには人生の目標を持って生きる人ばっかりだから、充実した話が聞けるだけでこっちも楽しい気分になれる。
やっぱ刺激しあえる仲の友達は、本当に一生モンですよね。。。
もうひとつ、すごいなと思ったのは、元職場であるシンコシ院長の丸ちゃんから
年賀状の返信が来たとき。
『世界を旅した黒須を羨ましいと思いつつ、やりたい事・興味のある事を日々持てる私も
充実・幸せです!』って言葉。
世界一周を羨まれることはもはや日常で慣れたけど、それと負けないくらい充実してるって自分の生活を自慢されたのはすごく新鮮。
院長みたいに45歳を過ぎてもそんな風にあり続けられるのは羨ましいし、
あたしも死ぬまでそうありたいと思った。
こうして日々色んな刺激で自分の中に夢が芽生えて、夢へのルートを現実的に考え出したとき、その夢は目標へと変わる。
そしてその目標をひとつずつ達成していく。
そんな人生の通過点として、このフィリピン生活も糧にしていきたいと思います。
日本語を話すのは成田が最後。明日からは日本語を忘れるくらいの日々を過ごす予定。
あたしの英語力がどの程度発達するか、どうぞお楽しみに。。。
2011年03月09日
すっかり日本のぬるい環境に染まりきった俺です。
まず興味があるかどうか、自分ごととして捉えられる?
日本って環境的に興味も関心も持ちづらいとは思うんだよね。
俺だってこの年になってようやく、興味がでたくらいだもんね。
海外を旅して、外からの視点で日本を見て経済的に色んな問題をこれだけ抱えてる理由ってなんだろうと考えてたら、日本の政治がいけないんだとつくづく思った。
日本で普通に仕事してたら、現実の毎日があるなかではきっと考えなかったと思う。
今、どれほど日本が駄目な国かを本当に危機意識を持ててる人ってどんくらいいるんだろう?
政治に興味を持てば持つほど、あー本当日本の政治って駄目だな~と思うことばかり。
選挙にお金がかかりすぎるのがまず問題だと個人的には思う。
もっと色んな人が立候補できるように、費用もかからないようにしなきゃ駄目だよね。
だって、高学歴の人達が政治家になって国を運営してる結果が今の借金大国、企業力低下の日本でしょ。
だったら誰がやったって正直一緒なんだから、みんながもっと立候補できるように選挙制度も変えなきゃね。
今の政治家なんて、どこの党でも野党になると与党を解散だの総選挙に追い込む為に一生懸命。
本当は与党でも野党でも協力して日本を良くしていかなきゃいけないのに、自己の利権の為に動いてて、日本の将来の為に働いてるとは思えない。
結果コロコロ総理大臣が変わって諸外国から信用もさがり、なめられる日本になってく。
前原さんの辞任もねぇ~、やっちゃいけない事だけど、自民党の西田議員は本当に正義感や将来の日本の為に発言したのか?
個人的にはそー思えん。
外交担当する大臣がこのタイミングで変わるって事がどれだけのダメージを日本に与えるかを考えたら、今じゃなくても良い気がするんだよね。
まー前原さんがこの献金以外にも爆弾抱えてるならしゃーないけどね。
国をこれだけ駄目にした人達に何ができるんだろう?
会社だったらこれだけ借金したら、当然破産してるし社員全員クビなのに、議員は未だに議員でいるもんね。
会社員ならこれだけ会社を駄目にした人をいまだに雇ったりしないよね。
なんとかできないもんかと悶々とするわ~。
有名企業の幹部達が新党結成して、日本を変えてくれないかと思う。
企業の人達の方がよっぽど日本を経営する力もあるし、本当に正しくやりたい事をやろうとする時に、自分や家族を守る資金も人脈もあるだろうしね。
結局政治にヤバイ系の影響はあるから、それに潰されない力も必要だしね。
企業も人もドンドン日本から出て行ってしまってる現状。
俺も日本好きだけど、このままだったら移住しようと本気で考えてるもんね。
都知事選も近い事だし、良い機会だからみんなで政治&日本の将来トークでもしながら飲みましょう!
そんときゃもーちょい深い話をね。
とは言え、明後日には一旦日本から脱出してこの腐った政治と大量の花粉環境から脱出しまーす。
あー思ってること書いたらすっきりした。
2009年11月09日
日本は豊かです。
これはもう何度も何度もブログにしてきてるけど。
でもやっぱり豊かな国とそうでない国は“余裕”が違う、と感じずにはいられない。
例えばこの今いるオマーンという国。
ここに来てから一人も浮浪者を見ていないし、一度も「バクシーシ」という言葉を聞かない。
同じイスラム教圏でもモロッコやエジプトではバクシーシという名のおめぐみ攻撃を要求されない日のほうが少なかったのに。(エジプトのダハブにいた時だけ)
とはいえ、オマーンもめちゃくちゃ栄えてるってほどではない。
でもそれだってある程度安定した物価水準の上に国民の生活が満たされているから人に恵んでもらうことばかり考えなくてもそれなりに収入を得られるんだろうし、前回のバスの運ちゃんみたいに心からの親切を与えられる心の余裕も生まれる。
日本人はそれ以上に、生きていくのに充分すぎるほど満たされた生活を知っているから“その先”を求めることができる。
まぁ日本人っていう根がマジメな気質っていう素因ももちろんあるけどね。
今の日本の会社を見てみると給料とか福利厚生とかの諸条件以上に「やりがい」とか「人材育成」についてうたって募集を促してる会社がどんどん増えてる(そうじゃない会社もまだ多いけど)。
それは就職希望者も諸条件以上にそういったことを求めてるってことの表れだと思う。
今まであたしは30ヶ国以上の国を見てきたけど、日本ほど仕事に対してキッチリ責任を持って取り組んで、お客様をもてなすことを考えてサービスを提供してる国は他にない。
それに更にプラスして、働いてる人間たちも自己成長を望んでる。
でも海外で働いてる人たちで、働くことにやりがいや意味を感じて一生懸命に働いてる人はゼロとまでは言わないけど・・・圧倒的に少ないのが現実。
彼らにとっての仕事は生きていくための義務であり、それ以上のことを全く求めてない。
日本では考えられないけど、スーパーのレジは片肘ついて携帯で電話しながら接客するし観光案内所の人も、観光に関係すること尋ねても話しかける時点で露骨に嫌な顔をしたりめんどくさそうな態度で責任感もなく「知らない」を連発したりする。
あたしは提供者側として、人をおもてなしすることの楽しさや大切さ、そしてそれに伴う責任を知ってるつもりだし、また被提供者側としてももてなされることの気持ちよさを知ってるから、海外の人たちの働きぶりを、あまり肯定的にはとらえられない。
仕事にやりがいを見出せるのって本当に幸せなことだから、むしろそれがわからないことをもったいないとも可愛そうとも思う。
だって、人間は仕事に人生の時間のどれくらいを費やすと思う?
大部分は仕事でしょ。
だったら楽しくやって成長できなきゃ損じゃない。
…とあたしら日本人は思えても、西洋系の人たちにとっては日本人みたいにプライベートを犠牲にしてまで仕事するのを全く理解できない人が多い。
彼らにとって一番大切なのは家族であり友達であり・・・仕事はだいぶ優先順位が下だからきっと日本人にありがちな「過労死」なんて全然意味がわかんないんだろうね。
もちろん彼らみたいに家族や友達を最優先にした生き方も否定できないけど・・・
東洋人と西洋系の人間の文化や人生観は理解しあうのは本当に難しいって感じる。