2008年12月31日
2008年ゆく麺くる麺(ラーメンコラム)
ランキングエントリー中!
今日で一年が終わり、また新たな年明けが来る。
今年食べたラーメンは、blog記事にしていないものも合わせると、のべ500杯くらいにはなったと思う。
( ^ ^ ;)

平成2年より大分に住み、主に県内北から南まで色々なお店を訪麺させていただき、楽しませていただいたオイラである。
( ^ ^ )
ラーメンを通し、多くの方々と知り合え、また影響を受け、勉強させていただいた。
これも財産、オイラ的にはたいへん有意義なラーメンライフだったと思う。
元々、福岡から来たオイラが一番始めに食べたラーメンは、佐伯市の『天津』、これはblog記事でも今までに何度か書いて来た。
破格的に安価なラーメンだが、滋味系の実にホットする味に懐かしさと同時に嬉しささえも感じたオイラである。
( ^ ^ )
大分市内に住んでいる為、当時、足繁く通った店は『名代 長浜ラーメン』、こちらも安価で、ジャンキーさは福岡の『元祖長浜屋』ゆずり。
ボンビ〜なオイラは、味わうというより喰うという感じで楽しんでいたのだと思う。
(^。^ ;)?
その頃でも、あちこちラーメン店は回っていた。
他にも良い店は色々とあったのだが、いわゆる大分の老舗と言われるところのラーメンの味の美味さは、オイラには今一つわからないところが多かったのも事実である。
あれから19年、思い返してみれば大分県内にもたくさんのラーメン店が増えた。
県外から大分に出店してきた人達や二世三世の代で新しい味に挑戦した店。
他県で修行し、地元大分に新しい味を提供している店など様々である。
( ^ ^ )
そもそもが革新派のオイラだからして、新店が出来る度に喜び、いそいそと食べに出掛けていた。
(↑アンタ、革新派のわりには保守的な味を好むんだよな)
(^。^ ;)?
しかしながら、この度は年の瀬。
一年の終わりに向け、大分の老舗の歴史にもこだわってみよう。
(* ^^ *)
先ほども書いた通り、オイラが福岡から大分に来た頃、まだ大分の老舗の味が理解出来なかった。
一つには若いせいもあり、老舗には多い保守的なインパクトの少ない優しい味では物足りなさもあったのだろう。
そして、なによりも他県育ちのオイラには地に根付いた味というものを理解する為に必要な時間が足りてなかったというわけである。
( ^ ^ ;)
(↑今でも、オイラが尊敬する中の一人、県北に住むある方は、気の抜けたようなスープ‥と表現するが‥)
この度、CJOのラーメン本作りに微力ながらお手伝いさせていただいた。
監修は、ラーメンフリークの方ならテレビや雑誌でご存知の方もおられると思うが、あのラーメンマンこと石山勇人氏である。
その中で、ある日、あるホテルのラウンジで石山氏とお茶をしながら対談をしていると、オイラに「大分県のオイラ店を取材する中で色々と情報を下さい」とのこと。
たいした力添えなど出来るはずもないオイラだが、まぁ頼りなく少ない情報でも少しは大分県のラーメン本の為になるのならと、数時間にわたり対談させていただいたのである。
(^。^ ;)?
その後、石山氏とわかれたオイラは一人、知り合いの店で酒を飲んでいたのだが、「ところでオイラ、大分のラーメンの何を知っているのだろう?‥」
( ̄○ ̄;)?‥
「大分のラーメンは誰が作ったの?‥何処から来たの?‥」
などという単純な疑問が沸々と湧いて来る。
( ̄〜 ̄)ξ
今までラーメン店を色々と回って食べ歩いては来たが、これも年の瀬、よい機会にここで一つ整理をしておこうと思った次第である。
( ^ ^ )
まぁ整理といっても、これはあくまでもオイラの持論をふまえてのことで、内容を保証出来るものでは無いが、今まで大分のラーメン店を回った中、店主に聞いた話や歴史書、新聞、雑誌などの色々な書物を調べた中からオイラなりにまとめたものである。
(≧∇≦)ゞ
ご存知のように九州の中でも大分には「ご当地ラーメン」と呼ばれている物が無い。
福岡には「博多ラーメン」や「久留米ラーメン」「長浜ラーメン」、熊本の「熊本ラーメン」「玉名ラーメン」、鹿児島の「鹿児島ラーメン」、沖縄には「沖縄そば」があり、宮崎の「宮崎ラーメン」、佐賀の「佐賀系ラーメン」(こいつはちょっと微妙だが‥)、長崎にはその歴史も古く、1899年(明治32年)に中華料理の老舗『四海楼』で陳平順氏が考案した「長崎チャンポン」(当時は支那うどんと呼ばれていた)というその地方特色の麺文化が存在する。
大分にも古くから「ほうちょう」や「やせうま」という麺はあるが、これはラーメンのような形態の文化では無く、いってみれば郷土料理の一つに値する。
他に「日田焼そば」や「別府冷麺」という誇れる麺もあるのだが、決して日本中に有名な食べ物というわけではないだろう。
( ^ ^ ;)
九州のラーメンの歴史をさかのぼれば、1937年(昭和12年)、もともとはうどんの屋台をひいていた宮本時男氏が「支那そば」の噂を聞きつけ、横浜南京街へ出向き修行を積み、九州では初のラーメン屋台『南京千両』が久留米で営業開始したのはご存知の通り。
当時のスープは豚骨のみを煮込み、今の久留米ラーメンのような濃く白濁したスープというより、やや透明度のある茶濁に近いあっさりとした状態だったようだ。
( ^ ^ )
福岡では1941年(昭和16年)、福岡市博多区の今は無き玉屋デパート横に開業した「三馬路」(ここから「五馬路」が独立し、現在の「うま馬」になる)が福岡初のラーメン屋台。
澄んだ豚骨の清湯スープで、今の博多ラーメンというスタイルのものではなかったようである。
その後、1947年(昭和27年)に白濁豚骨スープの元祖『三九』が支那ソバ系の清湯スープで開店したものの、釜の火加減のミスから煮えたぎった白濁スープが生まれ、九州の白濁豚骨スープスタイルが定着したという話は有名なところ。
(●^o^●)
こうして生まれた『三九』の白濁豚骨スープが縁戚関係により、佐賀、北九州、大分、また熊本の玉名にと引き継がれていったわけである。
話はそれたが、では『大分ラーメン』という名前は無いまでも、県の北、南、西と食べ歩き、明らかにその傾向に違いが見えて来る。
オイラが感じるに大分のラーメンの系統、また老舗に関してみれば、大きく分けて3つに分かれるようだ。
その一つが、佐伯系と言われるラーメン。
独特なニンニクの香りに存在感のある太麺の組み合わせは、実に豪快である。
( ̄ー+ ̄)
今のところ代表的な老舗としては、『上海(閉店)』、『香蘭』、『藤原来々軒』などがあげられるが、残念なことにオイラが調べた中ではそれ以前の歴史がわからない。
(―.― ;)
ルーツはどうやら中華料理店にありそうな感じのことも聞いたがまだまだ謎、この佐伯系ラーメンの歴史にいたっては来年の課題としょう。
(=゜-゜)(=。_。)
続いて、県北を代表する昭和33年創業の老舗『中津 宝来軒』である。
!(b^ー°)
山平氏により始まる県北系の味は、豚骨、鶏ガラ、牛骨の三種の骨を使用する甘味のあるスープが特徴。
県内でも直営店は数店舗あり、暖簾わけの「宝来軒」も多数存在する。
親戚筋にある『宝来軒 万田店』の息子さんは東京の高田馬場に『大分宝来軒』を出店、電話で軽い取材をさせていただいたが、実に親切な方である。
(≧∇≦)ゞ
また別府の『宝来軒(閉店)』や、その後に続く創業昭和37年の『ニュー宝来』も『中津 宝来軒』の山平氏の縁戚にあたるらしい。
さらに大分市大手町の『宝来軒』も『ニュー宝来』と縁戚関係があり、『戸次 宝来軒』、『鶴崎 宝来軒』と続いている。
(↑味は違うが‥)
( ^ ^ ;)
また宇佐インター近くの『嬉屋』、豊後高田の『らーめん 五心(現在の本店は宇佐市)』も『中津 宝来軒』の出身で、昨年OPENした宇佐の『よーちゃんラーメン』は『嬉屋』の出身ということで、やはり『中津 宝来軒』の影響を受けているのである。
( ̄ー ̄)v
(↑『中津 宝来軒』の歴史を紐どけば福岡のある店を書かなければならないのだが‥)
西側の代表としては創業昭和29年、日田の『来々軒』だろう。
初代店主は先ほども書いた九州豚骨白濁スープの元祖と言われる久留米『三九』で働いていた方で、『三九』の店主杉野氏とは縁戚関係になるという。
あくまで保守的な久留米ラーメンの味だが、地元に根付いたあっさり味は時代を超えていまだに多くの人達に親しまれている。
石山氏も「大分県のラーメン本(仮名)」の取材を通し、本人のラーメンサイトに似たようなコラムを書かれていたが、この『来々軒』からの暖簾わけは県内外に50軒を越えるという。
また久留米の『三九 』の縁戚には『国東 来々軒』や『三久ラーメン』があり、佐伯の『皆来軒』や日田の『求福軒』もその系統であるらしい。
(* ^^ *)
そういうことを思い返してみれば、確かに「大分ラーメン」という言葉は無いまでも、しっかりと繋がった歴史のあるラーメン店から始まっていることがわかってもらえると思う。
古くから引き継がれた保守的な久留米豚骨スープの『来々軒』に、三骨を使い当時の大分では新しい路線を確立した『中津 宝来軒』、ニンニクに脂と太麺という力強いインパクトを持った「佐伯系ラーメン」という3つの方向性が大分のラーメン文化を代表するものであると感じるオイラである。
( ̄^ ̄)y-~~
しかも、最近では、この3つの系統に属さないニューウェブともいえるラーメン店が続々と出店している。
(* ^^ *)
新しいスタイルにチャレンジしている店や県外、本州から来た店主の店など様々。
いわば、これらの店がこの大分の保守3系統のラーメンに対抗し、また新しい息吹を吹き込んでくれているわけである。
(●^o^●)
「ラーメン」という物は、形の無い食べ物。
時代と共に進化し発展し、またかたくなに保守を貫く物もある縦横無尽なソールフード。
♪d(⌒〇⌒)b♪
ますます来年も楽しみな『大分ラーメン』、これからも目が離せないものである。
それでは皆様の来年が良い年でありますよう、お祈り申し上げ、本年、最後の記事にさせていただきます。
m(_ _)m
今日で一年が終わり、また新たな年明けが来る。
今年食べたラーメンは、blog記事にしていないものも合わせると、のべ500杯くらいにはなったと思う。
( ^ ^ ;)

平成2年より大分に住み、主に県内北から南まで色々なお店を訪麺させていただき、楽しませていただいたオイラである。
( ^ ^ )
ラーメンを通し、多くの方々と知り合え、また影響を受け、勉強させていただいた。
これも財産、オイラ的にはたいへん有意義なラーメンライフだったと思う。
元々、福岡から来たオイラが一番始めに食べたラーメンは、佐伯市の『天津』、これはblog記事でも今までに何度か書いて来た。
破格的に安価なラーメンだが、滋味系の実にホットする味に懐かしさと同時に嬉しささえも感じたオイラである。
( ^ ^ )
大分市内に住んでいる為、当時、足繁く通った店は『名代 長浜ラーメン』、こちらも安価で、ジャンキーさは福岡の『元祖長浜屋』ゆずり。
ボンビ〜なオイラは、味わうというより喰うという感じで楽しんでいたのだと思う。
(^。^ ;)?
その頃でも、あちこちラーメン店は回っていた。
他にも良い店は色々とあったのだが、いわゆる大分の老舗と言われるところのラーメンの味の美味さは、オイラには今一つわからないところが多かったのも事実である。
あれから19年、思い返してみれば大分県内にもたくさんのラーメン店が増えた。
県外から大分に出店してきた人達や二世三世の代で新しい味に挑戦した店。
他県で修行し、地元大分に新しい味を提供している店など様々である。
( ^ ^ )
そもそもが革新派のオイラだからして、新店が出来る度に喜び、いそいそと食べに出掛けていた。
(↑アンタ、革新派のわりには保守的な味を好むんだよな)
(^。^ ;)?
しかしながら、この度は年の瀬。
一年の終わりに向け、大分の老舗の歴史にもこだわってみよう。
(* ^^ *)
先ほども書いた通り、オイラが福岡から大分に来た頃、まだ大分の老舗の味が理解出来なかった。
一つには若いせいもあり、老舗には多い保守的なインパクトの少ない優しい味では物足りなさもあったのだろう。
そして、なによりも他県育ちのオイラには地に根付いた味というものを理解する為に必要な時間が足りてなかったというわけである。
( ^ ^ ;)
(↑今でも、オイラが尊敬する中の一人、県北に住むある方は、気の抜けたようなスープ‥と表現するが‥)
この度、CJOのラーメン本作りに微力ながらお手伝いさせていただいた。
監修は、ラーメンフリークの方ならテレビや雑誌でご存知の方もおられると思うが、あのラーメンマンこと石山勇人氏である。
その中で、ある日、あるホテルのラウンジで石山氏とお茶をしながら対談をしていると、オイラに「大分県のオイラ店を取材する中で色々と情報を下さい」とのこと。
たいした力添えなど出来るはずもないオイラだが、まぁ頼りなく少ない情報でも少しは大分県のラーメン本の為になるのならと、数時間にわたり対談させていただいたのである。
(^。^ ;)?
その後、石山氏とわかれたオイラは一人、知り合いの店で酒を飲んでいたのだが、「ところでオイラ、大分のラーメンの何を知っているのだろう?‥」
( ̄○ ̄;)?‥
「大分のラーメンは誰が作ったの?‥何処から来たの?‥」
などという単純な疑問が沸々と湧いて来る。
( ̄〜 ̄)ξ
今までラーメン店を色々と回って食べ歩いては来たが、これも年の瀬、よい機会にここで一つ整理をしておこうと思った次第である。
( ^ ^ )
まぁ整理といっても、これはあくまでもオイラの持論をふまえてのことで、内容を保証出来るものでは無いが、今まで大分のラーメン店を回った中、店主に聞いた話や歴史書、新聞、雑誌などの色々な書物を調べた中からオイラなりにまとめたものである。
(≧∇≦)ゞ
ご存知のように九州の中でも大分には「ご当地ラーメン」と呼ばれている物が無い。
福岡には「博多ラーメン」や「久留米ラーメン」「長浜ラーメン」、熊本の「熊本ラーメン」「玉名ラーメン」、鹿児島の「鹿児島ラーメン」、沖縄には「沖縄そば」があり、宮崎の「宮崎ラーメン」、佐賀の「佐賀系ラーメン」(こいつはちょっと微妙だが‥)、長崎にはその歴史も古く、1899年(明治32年)に中華料理の老舗『四海楼』で陳平順氏が考案した「長崎チャンポン」(当時は支那うどんと呼ばれていた)というその地方特色の麺文化が存在する。
大分にも古くから「ほうちょう」や「やせうま」という麺はあるが、これはラーメンのような形態の文化では無く、いってみれば郷土料理の一つに値する。
他に「日田焼そば」や「別府冷麺」という誇れる麺もあるのだが、決して日本中に有名な食べ物というわけではないだろう。
( ^ ^ ;)
九州のラーメンの歴史をさかのぼれば、1937年(昭和12年)、もともとはうどんの屋台をひいていた宮本時男氏が「支那そば」の噂を聞きつけ、横浜南京街へ出向き修行を積み、九州では初のラーメン屋台『南京千両』が久留米で営業開始したのはご存知の通り。
当時のスープは豚骨のみを煮込み、今の久留米ラーメンのような濃く白濁したスープというより、やや透明度のある茶濁に近いあっさりとした状態だったようだ。
( ^ ^ )
福岡では1941年(昭和16年)、福岡市博多区の今は無き玉屋デパート横に開業した「三馬路」(ここから「五馬路」が独立し、現在の「うま馬」になる)が福岡初のラーメン屋台。
澄んだ豚骨の清湯スープで、今の博多ラーメンというスタイルのものではなかったようである。
その後、1947年(昭和27年)に白濁豚骨スープの元祖『三九』が支那ソバ系の清湯スープで開店したものの、釜の火加減のミスから煮えたぎった白濁スープが生まれ、九州の白濁豚骨スープスタイルが定着したという話は有名なところ。
(●^o^●)
こうして生まれた『三九』の白濁豚骨スープが縁戚関係により、佐賀、北九州、大分、また熊本の玉名にと引き継がれていったわけである。
話はそれたが、では『大分ラーメン』という名前は無いまでも、県の北、南、西と食べ歩き、明らかにその傾向に違いが見えて来る。
オイラが感じるに大分のラーメンの系統、また老舗に関してみれば、大きく分けて3つに分かれるようだ。
その一つが、佐伯系と言われるラーメン。
独特なニンニクの香りに存在感のある太麺の組み合わせは、実に豪快である。
( ̄ー+ ̄)
今のところ代表的な老舗としては、『上海(閉店)』、『香蘭』、『藤原来々軒』などがあげられるが、残念なことにオイラが調べた中ではそれ以前の歴史がわからない。
(―.― ;)
ルーツはどうやら中華料理店にありそうな感じのことも聞いたがまだまだ謎、この佐伯系ラーメンの歴史にいたっては来年の課題としょう。
(=゜-゜)(=。_。)
続いて、県北を代表する昭和33年創業の老舗『中津 宝来軒』である。
!(b^ー°)
山平氏により始まる県北系の味は、豚骨、鶏ガラ、牛骨の三種の骨を使用する甘味のあるスープが特徴。
県内でも直営店は数店舗あり、暖簾わけの「宝来軒」も多数存在する。
親戚筋にある『宝来軒 万田店』の息子さんは東京の高田馬場に『大分宝来軒』を出店、電話で軽い取材をさせていただいたが、実に親切な方である。
(≧∇≦)ゞ
また別府の『宝来軒(閉店)』や、その後に続く創業昭和37年の『ニュー宝来』も『中津 宝来軒』の山平氏の縁戚にあたるらしい。
さらに大分市大手町の『宝来軒』も『ニュー宝来』と縁戚関係があり、『戸次 宝来軒』、『鶴崎 宝来軒』と続いている。
(↑味は違うが‥)
( ^ ^ ;)
また宇佐インター近くの『嬉屋』、豊後高田の『らーめん 五心(現在の本店は宇佐市)』も『中津 宝来軒』の出身で、昨年OPENした宇佐の『よーちゃんラーメン』は『嬉屋』の出身ということで、やはり『中津 宝来軒』の影響を受けているのである。
( ̄ー ̄)v
(↑『中津 宝来軒』の歴史を紐どけば福岡のある店を書かなければならないのだが‥)
西側の代表としては創業昭和29年、日田の『来々軒』だろう。
初代店主は先ほども書いた九州豚骨白濁スープの元祖と言われる久留米『三九』で働いていた方で、『三九』の店主杉野氏とは縁戚関係になるという。
あくまで保守的な久留米ラーメンの味だが、地元に根付いたあっさり味は時代を超えていまだに多くの人達に親しまれている。
石山氏も「大分県のラーメン本(仮名)」の取材を通し、本人のラーメンサイトに似たようなコラムを書かれていたが、この『来々軒』からの暖簾わけは県内外に50軒を越えるという。
また久留米の『三九 』の縁戚には『国東 来々軒』や『三久ラーメン』があり、佐伯の『皆来軒』や日田の『求福軒』もその系統であるらしい。
(* ^^ *)
そういうことを思い返してみれば、確かに「大分ラーメン」という言葉は無いまでも、しっかりと繋がった歴史のあるラーメン店から始まっていることがわかってもらえると思う。
古くから引き継がれた保守的な久留米豚骨スープの『来々軒』に、三骨を使い当時の大分では新しい路線を確立した『中津 宝来軒』、ニンニクに脂と太麺という力強いインパクトを持った「佐伯系ラーメン」という3つの方向性が大分のラーメン文化を代表するものであると感じるオイラである。
( ̄^ ̄)y-~~
しかも、最近では、この3つの系統に属さないニューウェブともいえるラーメン店が続々と出店している。
(* ^^ *)
新しいスタイルにチャレンジしている店や県外、本州から来た店主の店など様々。
いわば、これらの店がこの大分の保守3系統のラーメンに対抗し、また新しい息吹を吹き込んでくれているわけである。
(●^o^●)
「ラーメン」という物は、形の無い食べ物。
時代と共に進化し発展し、またかたくなに保守を貫く物もある縦横無尽なソールフード。
♪d(⌒〇⌒)b♪
ますます来年も楽しみな『大分ラーメン』、これからも目が離せないものである。
それでは皆様の来年が良い年でありますよう、お祈り申し上げ、本年、最後の記事にさせていただきます。
m(_ _)m
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コメント一欄
1. Posted by リア王 2009年01月14日 16:21
県民性にかなっているのかも?
ラーメンく〜た、麺堂香、宝来軒、丸優ラーメンなどが大分のラーメン文化を良くも悪くも引き上げてますね。
僕は、特にく〜たの影響が強いと思ってます。
く〜たが、チェーン展開をする事でラーメンが認知され他の店も盛り上がっていったのでは?と思います。
持論ですが。
2. Posted by ラーメン聖人 2009年01月14日 19:11
リア王さん
( ^ ^ )
く〜たさんも大きくなりましたからねぇ。
まぁ、これはあくまでもオイラの持論でして、様々なご意見もおありでしょう。
( ^ ^ ;)
しかしながら、確実に進化していますよ、大分ラーメンは!!
古き伝統の味を引き継ぎ、また新たな味に挑戦!
実に楽しみではないでしょうか。
(* ^^ *)
( ^ ^ )
く〜たさんも大きくなりましたからねぇ。
まぁ、これはあくまでもオイラの持論でして、様々なご意見もおありでしょう。
( ^ ^ ;)
しかしながら、確実に進化していますよ、大分ラーメンは!!
古き伝統の味を引き継ぎ、また新たな味に挑戦!
実に楽しみではないでしょうか。
(* ^^ *)
3. Posted by yasunori 2009年01月14日 20:56
大分ラーメンの勉強になりました。確かに大分のラーメンは近年レベルは上がってきまたね。
4. Posted by ラーメン聖人 2009年01月14日 21:06
yasunoriさん
( ^ ^ )
オイラの単なる持論ですからね。
アハハ‥
( ^ ^ ;)
お恥ずかしい限りです。
やはり、時代の流れに乗れるセンスがある大分のラーメン界は嬉しいですねぇ。
(* ^^ *)
またまた楽しみに一年食べ歩きますよ。
( ^ ^ )
オイラの単なる持論ですからね。
アハハ‥
( ^ ^ ;)
お恥ずかしい限りです。
やはり、時代の流れに乗れるセンスがある大分のラーメン界は嬉しいですねぇ。
(* ^^ *)
またまた楽しみに一年食べ歩きますよ。

