あいだにあるもの

★★★ We are all ONE with the LOVE in the Universe ★★★

evelyn glennie 1

最近では画像検索をすると、
いろんなプロショットの写真が出てくる。
それぞれカッコいいし素敵なんだが、
相変わらずぼくは、こういう
屈託のない笑顔の彼女が大好きだ。

エヴェリンからインスパイアされる
いろんなものごとは、
今では、ぼくの日常の一部分となっている。
数年前まではまったく存じ上げなかった人だ。

彼女の話題はカテゴリーにわけられない。
今の彼女の活動から見るに、
今後も良い影響をもらい続けると思うので、
ひさびさに新規カテゴリーとして追加した。

つまるところ
エヴェリンから教えてもらっていることは、
「自分の個人の体験として」
ものごとを捉えることが大事だよ、
っていうことに尽きるんだろうと思う。

音楽は多様性を肯定する。

と、たった一文でこう書いても、
おそらくここで僕が伝えたいことは
誰にも伝わらないだろうと思う。
なので、伝えるための努力をしようと思う。

「多様性を肯定する」って
すごくパワフルなメッセージだし、
芸術とかアートとか言われるものが
世の中に普遍的に必要なのは、
そういうことのためなんだろうと思う。

エヴェリン・グレニー (Evelyn Glennie)は、
クラシック音楽の世界では、
かつては楽団の一員として後方に在って
ヴァイオリニストやピアニストといった
メインのソロ楽器奏者をバックアップする
「パーカッショニスト」というポジションを、
ソロイストという立場でいちばん前に出した
世界初のソロ・パーカッショニストだ。

スウェーデンの権威ある音楽賞だという
"Polar Music Award" というのを、
Emmylou Harrisと共に、2015年に受賞した。
Wikiってみたら、第一回の受賞は、
1992年、我らがPaul McCartneyだった。
その後、ポピュラー音楽の世界で
名のしれたところでは、
Dissy Gillespy, Quincy Jones,
Elton John, Joni Mitchell,
Bruce Springsteen, Ray Charles,
Ravi Shankar, Stevie Wonder,
Bob Dylan, Bart Bacharac
などなど、そうそうたるメンバーが
受賞している。

でも、エヴェリンの旅の目的地は、
ソロ・パーカッショニストとして
成功することや、こうして世界的な
音楽賞を受賞することではもちろんない。

でも、とっかかりとして見やすいので、
ここから見ていこう。
受賞のスピーチ動画があった。
エヴェリンのママや、
彼女の人生を変えたという
最初のパーカッションの先生も
同席して感涙している。



そりゃあ感涙するだろう。
彼女が完全に聴力を失ってから
音楽家を志し、それを支えた人たちだからね。

これはたぶん、授賞式の前のオフショット映像。
13才の時の先生と二人でインタビューを受けている。



人とのめぐり合わせ、出逢いが、
いかに人生にとって尊いものかと感嘆しますね。

次はテレビ番組のトークショーのようだが、
4:45あたりからの会話に、
ティーンの頃に、この先生から
「エヴェリン、からだのどこで音をかんじている?」
「補聴器を、ためしに取ってごらん?」
などなど、そういう会話の後、
「聴く」ということへの「別のドアが開いた」
「そして、自分の人生が完全に変わった」
と、そこへ至るあたりの過程について語っている。

同席している数名が、最初の方、
「この人は何を言っているんだろう」
って感じの表情になってるのが
ちょっぴり可笑しい。



補聴器が音をあまりにもブーストしてしまって、
何の音がどこから聴こえているのか
わけがわからない状態だったみたいだ。
補聴器を外すことにも、不安があったようだが、
先生の後押しで、外してみた。
そこから、からだのいろんな場所で
音を感じ取っている自分を発見していく。

こうして、エヴェリンの旅が始まったわけだ。

彼女はいま、
"Evelyn Glennie: Teach the World to Listen"
という活動を自分の根幹に置いている。

Our mission is to improve communication and social cohesion by encouraging everyone to discover new ways of listening. 

「ひとりひとりが、それぞれの、新しい 『聴き方』 を発見すること、それによって、より良いコミュニケーションや、社会がひとつになることに向かって前進していくこと」(やや意訳)

We want to inspire, to create, to engage and to empower.

「私達は揺り動かしたい、創造したい、勇気づけたい、そしてちからを与えたい」(やや意訳)

こういう「ミッション・ステートメント」にも、
エヴェリンが旅のどのあたりにいるのかが、
端的に表れている。


さて、
「多様性を肯定すること」と、
「個人の経験として物事を捉えること」は、
どのようにつながるのか。

ここは僕の個人的な理解である。

「音は耳で聴くものだ」という、
一般的な、観念的な理解が
ふつうのこと、として我々にはある。

そこの壁を打ち破ってこっちへ来てごらんよ、
それぞれに、違う聴こえ方があよ。
エヴェリンはそう言っているように思う。

「そこの壁を打ち破る」

そのために必要なのは、
観念を、個人的な経験に着地させることだ。
自分、という土壌の、その地中に、
見聞きしたものごとを、
しっかりと自分の手で植え込む。
そういう作業のことだ。

例えば、ぼくらの日常には、
ありとあらゆる「音」が存在している。
BGMの音楽や、テレビの音のことではない。
通常ぼくらが「音」として知覚しない、
あらゆる音という音。
街に出れば雑踏、人々が歩く靴音、
クルマや電車の音や、振動。
風に揺れる木の枝葉の音。
しんと静まった夜中にさえ、
自分の呼吸や鼓動、体内からの音。
そのすべてに振動、リズムがあり、
それぞれに音程がある。

我々の観念は、それらの音を、
音として体験することから遠ざけている。

そういうものに集中して、
自分のからだで、音として感じとってみる、
そういう試みを、してみたらどうだろう。
さらに、からだの「どこ」で
そのひとつひとつの音をもっとも良く感じるか。
そういう、ふだん考えもしないようなことを、
自分の「からだ」が
体験から教えてくれるかも知れない。

そうして体験的に知覚したものごとは、
観念を超えたところで
自分という土壌と、その外側にある
すべての物事が繋がっていることに
気づかせてくれる。
表面の違いは、ますます興味深いものとなり、
しかし、コアなところでは、
すべてが「ひと繋がりに」なっている、
というようなことを、発見させてくれる。
そういう可能性が高まる。

「個の経験として捉えること」
または、
「個の経験として捉え直すこと」
が、
「多様性を肯定すること」
のために、とても役に立つ。


エヴェリンのインタビューの中に、
"Experiment" とか "Experimental"
という言葉が頻繁に出てくる。
何かを発見するための探索と試み、実験。
実際に体験的にやってみること、である。

特別なことを、おかねをかけて
やる必要など一切ない。
個人の旅の中で起こることすべてがそれなのだ。

出逢いだってそうだ。

好奇心、興味、ワクワクすること。
それはいったいなんだろう、
それはどういうことなんだろう、
と思ってみること。
探索し、発見し、互いに体験していくこと。


フレッド・フリスなんていう、
一風変わったギタリストを
ぼくの人生に持ち込んでくれた悪友が、
中学3年の同級にいてくれたおかげで、
ぼくはエヴェリンと出逢うことができたわけだ。
悪友には感謝である。
彼が持ち込まなければ、
絶対に自分からは聴いていなかったと思う。
ふつう聴かないよフレッド・フリスは。
中学3年生は。(笑)


これは約1時間あるけど
すごく良いドキュメンタリーです。
変態ギタリストのおっちゃんに
もとい(笑)
音の新しい捉え方に興味のある方は、
ゆっくり時間のある日にぜひご覧ください。

中ごろ、24分ぐらいから
日本での撮影場面も出てきます。
「生きる」=「息きる」、「息を錬る」訓練の話など、
すごく良いです。

'Touch the Sound " documentary
Evelyn Glennie & Fred Frith




tony joe white 70
雨だけど。


雨音が、いい感じに響いているのだ。

ひと頃より、だいぶ良いかんじに
なって来ているな、自分。
そう感じる。


なんの根拠もない自分のアンテナを、
ちゃんと信頼できているか?
そう問いかけてみたとき、
しばらくのあいだ、「う〜〜ん」
って感じだったけど、
最近はわりと、「うん」
と、素直にそう言える。


9月の末頃に、
あ、潮目、かわってきたな。と、
そうかんじたときがあった。

実際、10月のはじめに、
リッキー・リー・ジョーンズの
ライブに行った頃からこっち、

ぐいぐい良いかんじになって来ている。

ゆかりさんの筋トレにも
ちょうどその頃のやつに、
「ばしっとアウトラインが定まる」
「始まりのタイミング」
などと書いてあるじゃないか。 

ちなみに星占いは
先のやつはあまり見ない。


自分のアンテナがいつも優先。

良いかんじだ。



 
Tony Joe White - Rainy Night in Georgia



George Harrison - Thirty Three & 1-3

どーしようもないことは、どうにもならんのだ。

それは、わかっている。
しかしだ。

ただ、そのどーしようもない状況がとおりすぎるまで
じっと目を閉じて我慢しているよりも、

そのどーしようもない状況を
べつの角度から見ようとしてみたらどうなんだろうか?


その状況がいま、自分に訪れていることが、
自分に、なにを運んで来ているのか。
そのことから、 
いま自分は、なにを学んでいるのか、


そういうことが、いくらかでもつかめたならば。


ちょっとは積極的な心持ちになれる
かも知れない。

 
もちろん、それは
じたばたと、やみくもにあがくこと、とは
わけがちがう。
ひとつひとつのもやもやを
落ち着いてクリアにしていく作業、のようなことだ。

こころの中にひっ絡まって来た
蜘蛛の糸みたいなものを、
丁寧にとりのぞいてやる、そんなようなことだ。

言うのは簡単だが、
しかし、いやいや、けっこう難しいんだ。


Tibetan Singing Bowl


そういうことに、たいへん役立のだな。
本日、発見した。

集中していると、良い具合に、
高い場所から、ぜんたいがクリアに見える。
そういう気がするってことだ。

ほんとうはどうなのか、なんて
誰にも、わかりっこない。

でも、見え方が変わると、感じ方が変わる。
 それは、確かだ。

自分と、ぜんたいが、どうなっているのか、
どこがどう繋がっているのか、
そう、自分とぜんたいが、
「ひとつながり」になっている、という、その感覚。
そこがクリアになるんだ。
不思議だなー。

なんとも言葉ではうまく言えないが。

20171107 singingbowls

これとの出逢いを運んでくれて、本当にありがとう、なのだ。

明日のBGMは、ジョージにしよう。



steal time back

"giving back" - steal time back

The timebandits believe that everything is interconnected and in constant interplay. We feel this unity the most when fully immerse into the present. The strangely pleasant feeling of oneness makes us want to better the world and ourselves. Our sense of compassion and love grow while the illusion of separation fades away. We believe in the saying that it takes a village to raise a child. We consider the whole world as one village and donate a profits to children in need.


すべては相互につながりあって、常に相互に作用し合っている − タイムバンディッツはそう信じます。「ひとつに繋がりあっている」 そのかんじを最もつよく得るのは、私たちが 「今、ここ」 に、しっかりと根をおろしている時です。この不思議に心地よい 「ひとつになっているかんじ」 は、この世界を、そして私たち自身をより良いものにしたいという気分にさせてくれます。あいだを隔てているものがあるのだ、なんていう、そんな幻想が消えていくとき、私たちの中に共感や愛といった感覚が育ちます。子供が育つには村がひとつ必要だ、と言いますが、そのとおりだと思います。私たちは、この世界ぜんたいが、「子供が育つためのひとつの村」であると考え、収益の一部を子供たちのために寄付しています。


http://www.stealtimeback.com/ 



などなど、ここんちって、チラっと読むと、良いこと書いてあるんだ。
この文章には書いてないけど、収益の 「半分」 を、教育基金に回してるんだそうだ。
すごいね。

手書き風の文字や、さっぱりしたサイトの見た目も好きだな。


"giving back"

いいね。




Jeff Lynne's ELO - The Sun Will Shine On You



(注) 曲とウェブサイトはまったく関係ないです。単なるワタシの好みです。


雄牛ママ
2006年、10年前か。シャーリーン、元気かな。
ブログも更新してないし、
もうどこに住んでるのかも、わからなくなっちゃった。
しかし、このエントリーは、いま読んでも笑える。



ところで、彼女がブログの中で、日本語とスペイン語を このように書いているのですが、

So, Yuji-san, a heartfelt irasshaimase!! (いらっしゃいませ)
I am honored to have you as Nihon no tomodachi!!(日本の友だち)
Ki o tsukete - domo arigato gozaimashita!
(気をつけて、どうもありがとうございました)

スペルチェックをすると当然のことながら全部引っ掛かるのです。

で、面白いのは、第一修正候補を並べて文を作ると笑えるということに
気づいたらしく、こんな具合にエントリーされてます。

irasshaimase ~ Irishman's ~ welcome
Nihon ~ Nylon ~ Japan
tomodachi ~ tomatoes ~ friend
(ki o) tsukete ~ tuxedos ~ take care
domo arigato gozaimashita ~ doomed alligator cosmonaut ~ thank you very much
buena suerte ~ boner surge ~ Good Luck


So, to Yuji, I must apparently say:

Irishman's! I am honored to have you as Nylon tomatoes.
Tuxedos - doomed alligator cosmonaut.
And boner surge studying Spanish!

直訳: 
アイルランド人!あなたをナイロンのトマトとして誇りに思うわよ。
タキシード、運命のワニ宇宙飛行士。
それと、アホの殺到が スペイン語勉強してる!

My goodness, that's inappropriate. But awfully funny.
(あら〜…これじゃ品がないわね、でもすんごく笑える。)

というエントリーとなっていたので、コメントに、

Don't touch my mustache, ox mama!

直訳:
オレのヒゲにさわるなよ、雄牛ママ!
=do itashimashite, okusama! (どういたしまして、奥さま)
=You're welcome, ma'am!

と、返しておきました。

Ox Mamaは、職場の別の友だちのアイデア なんですが、彼女も気に入ってくれたみたいで。

Yuji - that was so funny!!! Hope you have a great day! -Ox Mama : )

と、最後には自分のことを『雄牛ママ』と名のってました(笑)
 


シャーリーン、なつかしくなった。FBで探してみよっと。
(^ ^)
 

日本補助犬情報サービスセンター
今週のはじめに、たまたまこの話題が仕事上の必要から自分に飛び込んで来るまで、正直、日本にこのような問題が存在することすら知らなかった。

現在、日本の法律上、正式に認められている補助犬は、「介助犬」「盲導犬」「聴導犬」の三種類で、いずれも厚生労働省が管轄する「身体障害者に関する法律」に付随する「補助犬法」で規定されている。つまり、身体的に障害があり、障害者手帳を保持している人のみが、これらの補助犬を使うことができる、ということだ。

この法律も、正直いって読んだことがなかった。厚労省は「いろんな場所で会おうね ほじょ犬」というやわらかいページを作っているが、現実にはまだまだ社会に浸透しているとは言えない。そして、使われている言葉はやわらかい表現になっているが、基本的な考え方として、これらの犬(やその他の動物)は「人間のために働く」ものであり、つまり「人が犬を使う」ための規定でる。公共施設や医療機関に対しては、これらの犬を同伴した人を受け入れてることを推奨するにとどまっている 義務づけているが、一般社会へは「受け入れてくださいね」というニュアンスに見うけられる。

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そういう法律が成立し施行されたのがざっくり言って十年前ぐらい。それにともない、それらの補助犬を育成したり、リタイアした補助犬を支援するための非営利法人組織の活動を規定する法律など諸々が整ってきたのは、ほんの数年前。つい最近のことである。

トップの写真は、特定非営利活動法人日本補助犬情報センター(Japanese Service Dog Resourse Center, JSDRC)のホームページである。その他、人のために働いてリタイアした犬を支援するNPO、日本サービスドッグ協会など、さまざま非営利法人組織が、人と補助犬のために尽力されている。が、補助犬を同伴した身障者が、法律を知らなかった店員から入店を拒否されるなどの問題も、まだまだ起きているのが現状だ。

<追記: 飲食物を扱う店に補助犬を伴った方が入店しようとして、法令を知らなかった(あるいは補助犬と気づかずにペットだと思ってしまった)店員に入店を拒否され問題となったケースが、たまたま同時期に日米のとある場所で起きた、という記事を読んだが、日本では、『今後は従業員に法令を周知徹底します』という謝罪文を店側が出すことで収束した。これに対してアメリカでは入店を拒否した従業員が『即刻解雇』された。無論、それぞれの社会では様々な問題について、法整備も浸透度も、社会的・文化的背景も異なるので、その在り方の是非についてここで云々言うつもりではない。ただ、極端ではあるが補助動物の社会での受け入れられ方の比較事例として参考になった。>

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アメリカの補助犬認定証(ID)の例
"full access to all public places"
すべての公共エリアへの立ち入りが保証されている
「救急搬送の際には患者と動物を一緒に搬送するように」との注意書きもある


さて、「このような問題」と冒頭に書いたのは、「精神障害補助」を目的とした「サービスドッグ」という補助犬のカテゴリーが、日本にはまだ存在していない、という件だ。


精神障害福祉に関する法律も、ある意味では次々に改正され、改善されて来てはいる。とは言え、補助犬の存在は、あくまでも障害者福祉の「身体障害者支援」のカテゴリーにのみあり、「精神障害の補助のための犬」は、考え方からして存在していない。

アメリカで一般的になってきている精神障害補助のサービスドッグとは一体どういうものなのか、偶然とあるめぐりあわせから、今週、いろいろと調べたり考えたり、問い合わせたりする機会に恵まれた。


そこで、ひとつ大きな発見があった。


精神障害補助のサービスドッグの場合、「犬が人のために働く」という関係ではなく、「犬と人がお互いに愛情を注ぎ合いながら関係を築いていく」、動物と人間の相互扶助の関係が基本にある、ということだ。


こう一文にしてしまうとたいへんに陳腐なのだが、様々、実例を調べてみると、スゴイことなのだ。

身体障害者支援のカテゴリーに属する補助犬の制度とは、考え方からして、まるで違う。

相互、という関係性がすごいのだ。

犬がヒトの役に立ってくれるという話ではないのだ。

目から鱗が落ちるとはまさにこのことだと思った。 


適応障害だとか、社会不安障害だとか、自閉症だとか、様々な病態と病名があるが、乱暴に要してしまえば、何らかの要因でうまく社会生活を営めない「こころの問題」を抱えている状態、その状態の人たちを支援、補助しながら、同時にその病状そのものを治癒するために役立ってくれるのがサービスドッグのワンコたちなのだ。

同時に、「こころの問題」を抱えた人=飼い主であるヒト自身にとっても、それらの犬にたっぷりと愛情を注いで共に暮らしていく過程そのものが、自身の症状を治癒して行く過程となる。飼い主は犬たちに、自然なかたちで愛情をしっかりと注いで育てていくことによって、社会とのつながりや信頼を構築したり、平べったく言って、「自分はやっていける」という自信、そういうものを築いていくわけだ。

実例を調べてみて、たいへん驚いた。精神科の医師の指示でその人に元にやって来るこれらの犬は、その人が愛情を注ぐ対象であり、家族であり、親友であり、そして驚くべきことに薬でもあり、医師そのものでもあるのだ。

つまり、必要だった薬の量や通院の回数が効果的に減り、同時に症状も改善されていく、ということだ。


愛情を相互交換すること「そのもの」が、このカテゴリーの本質だった。


それがアメリカでは社会的に制度として認められている。こんな素晴らしい制度が、残念ながら日本には存在していない。写真のJSDRCにアメリカで正式に認定されたサービスドッグの日本での扱われ方についてサイトから問い合わせをしたところ、代表の方からたいへんに詳しい返信メールを頂いたのだが、残念ながら米国政府で認定を受けたサービスドッグであっても、日本では「ペット」として扱われざるを得ないのが現状、とのお話であった。


日本、遅れている。

なんとかしたい。


そういう思いが、文面から伝わってきた。そんな思いが沁み込んだ文を読むことが出来たことも、ぼくにとっては恵みだった。と同時に、これはめぐり合わせかも知れないという思いにかられた。

かつて自立支援医療の法律にお世話になったこともある自分である。その時期に何となく書き始めたこのブログなのだが、つねに探し求めて来ているのは、「いま、ここ」の次元で、その瞬間に、同時相互に交換される波長のことだ。それは、コミュニケーションの「ほんとうのこと」でもある。

「あいだにあるもの」の裏テーマが、めずらしく音楽以外のことでカラダを突き抜けて行った。

恵みの雨が沁み込んでいくのを感じている。


evelyn glennie mission statement
EVELYN GLENNIE Official Site

Evelyn Glennie (エヴェリン・グレニー)は、
いま世界中でもっとも会ってみたい
アーティストのひとりだ。
彼女の語ること、奏でる音楽、音楽に向き合う姿勢、
そのパフォーマンスや、多様なプロジェクト。
音楽や表現への成熟した考え方、
そして子供のような情熱。
そのひとつひとつから刺激を受けている。
演奏する姿、語る姿を目の前で観てみたい。

50 for 50 project

エヴェリンの50歳の誕生日のお祝いに、
50人の作曲家が、
50小節の音楽を作る、というプロジェクト。
ステュワート・ウォーレスという作曲家が書いた
この曲を紹介するエヴェリンの熱さが素敵だ。
ミニマルな楽器で、音と音のあいだに
スペースを広くとることで、
「次はどんな音が響くだろうとワクワクする」と、
ああ、そんなことを語っているところを
生で観て感じてみたいんだ。

作曲家James Keaneと、ダンスチームとの
コラボレーション・ステージ・パフォーマンス。


AniMotion Show

ロシアのアーティストMaria Rudとの
コラボレーション・パフォーマンス。
実にすばらしい。


2016・04・01に発売された
マーク・ノップラーとの共作、
映画 "ALTAMIRA" サウンドトラック・トレイラー。


英国王立音楽アカデミーという
歴史あるクラシックの音楽学校で
教壇に立っているエヴェリンだが、
活動のレンジが実に広い。
そしてブレがない。


"Our misson is to improve communication and social cohension by encourage everyone to discover new ways of listening. We want to inspire, to create, to encourage and to empower."

彼女の主催する活動 
"EVELYN GLENNIE Teach the World to Listen" の
ミッション・ステートメントだ。

彼女が聴力を失ってから
自ら実践してきている「新しい聴き方」、
これを、より良い人間同士のコミュニケーションや
社会的な結び付きに役立てること。
くったくのない笑顔からも、
その真っ直ぐな志が見て取れるのだ。


さて久しぶりに最近ブログを更新しているのだが、
「私の人生を変えた一曲」が、
意外と言えば、意外なところだった。
ぼくよりひとつ下の学年だから、
この曲が売れた78年頃は12歳ぐらいかな。
流石に影響力のある人だな。

Kate Bush - Wuthering Heights

https://www.evelyn.co.uk/blog/

ケイトが、シングル盤のジャケット写真を嫌ったため、
差し替えることになり、発売の時期が
77年11月から78年1月にズレたんだそうだ。
結果、ウイングスの「夢の旅人」(‘Mull of Kintyre’) 
あの英国ポップ音楽史上最も売れた曲と
チャートの時期がぶつかり、
この曲のNo.1は4週でストップした、とある。
さすがに「人生を変えた一曲」だな。
よく覚えてるもんだ。

Blog書くのにWikiったか。(笑) 


日本語のWikiによると(Wikiってるのはおれだ・笑)
12歳でほぼ聴覚を失ったとある。

この曲は耳で聴いたんだろうか。 
それとも、どっか別のところで聴いたのかな。



 

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