あいだにあるもの

★★★ We are all ONE with the LOVE in the Universe ★★★


これ欲しいんだけどまだ買ってない。


おもしろい世界観。


持って行かれるメロディー。


Bedouine


L.A.拠点のSSWらしい



"mind's eye" は、大切なキーワードのひとつ。



bedoine
facebook の "About" によると
シリアのアレッポで生まれ、
子供時代をサウジアラビアで過ごした後
アメリカに移ったとのこと。


"bedouine" は
砂漠の放浪の民、nomad(ノマド)
みたいな意味らしい。




突然ギアが入ってしまった。

すごいな。

音を良くしてあるんだな。



そうそう、こういうバランスだった。



63年のスウェーデンいいな!(笑)








最高!♬


I wish you peace when the cold winds blow
Warmed by the fire's glow
I wish you comfort in the, the lonely time
And arms to hold you when you ache inside

I wish you hope when things are going bad
Kind words when times are sad
I wish you shelter from the, the raging wind
Cooling waters at the fever's end  

I wish you peace when times are hard
The light to guide you through the dark
And when storms are high and your, your dreams are low
I wish you the strength to let love grow on
I wish you the strength to let love flow




i wish you peace - the eagles (1975)


1975年生まれだけどイーグルスのファン。
って言ってたな。
旅に出るにはあまりにも早い。

かける言葉のひとつも見つからない。
せめて安らぎを祈るのみである。

I wish you peace when times are hard 
The light to guide you through the dark 
And when storms are high and your, your dreams are low 
I wish you the strength to let love grow on 
I wish you the strength to let love flow


rest in peace


ぼくら一人ひとりの中には、それぞれが過ごしてきた人生の中で、瞬間、瞬間に体験したことが積み重なって形作られているモノの見え方や尺度、価値体系、考え方、などがある。だから、当たり前だけど、ぼくらはそれぞれが固有の体験をして来ているので、一人ひとり、少しずつちがう。

この当たり前のことを、もう少し突っ込んで考えてみた。

瞬間、瞬間に体験したことが積み重なって、と書いたが、この「瞬間の体験」ということを、もっと具体的に、詳細に考えてみると、大きくわけて「その瞬間に起きた事実」そのものと、「そこで自分が感じとったこと」に、分かれるように思う。

ぼくらが「体験」として認識・記憶し、自分の尺度や価値体系やモノの見方、考え方により大きく影響を残していくのは、客観的な「そこに起きた事実そのもの」より、むしろ、そのとき自分のこころの目は何をどう見たか、こころの耳は何をどう聴いたか、それによって「どのような感情が、どのように湧き上がったか」、こういった主観的なことがらの比重の方が、ずっと大きいように思う。

主観的に見て聴いて感じることの奥底には、そのことについての自分なりの背景やストーリーなど様々なものごとがあるわけだから、それによってまた、見え方も聴こえ方も、感じ方も変わってくる。
dR136bB
例えば、ちょうど昨日思い出していた、ブルース・スプリングスティーンの初来日のこと。ぼくは初日の公演を見たあと、クタクタだったので2日めは休みにして、3、4、5日めは警備会社のアルバイトで会場に入っていて、運良く、サウンドチェック前にふらりと会場を歩き回る彼を、目前で見る機会を得た。(ちなみに手ぶらだったので写真とは雰囲気まったく違う風景。)

客観的事実としては、ひとりの人気のあるロックスターが、とあるアリーナを10分程度かけて歩き回っている姿を見た、ということだけど、この白黒写真がその「事実」だとすると、ぼくの感情と記憶に鮮明なオールカラーでくっきり色鮮やかに残っている彼の表情、間近で聴いた声とも息ともつかない "Hi..," の一言に、「一昨日のショウ見たんだ、最高だったよ!」と言いたかったのに、緊張と英語力のなさに「ひと言も」出せなかった自分の情けなさ、ゆっくりと歩き回るその情景、ブーツの踵の響き、それを聴きながら見ながら思ったことや湧き上がった感情、そしてこの体験を含む数日間が自分の人生に与えてくれた影響の全体は、とても言葉では語りきれない。

ちなみに、よもやこのようなことが起こるかもと淡い期待もあって、関係者通路の出入り口付近の警備担当を申し出ていたのでこれが実現したわけで、言ってみれば思いが通じた場面でもあったのですが、その後ポーっと眺めていた時に、とあるご年配の関係者らしき日本人の女性から「お手洗いは近くにありますか」と聞かれ、出入り口のすぐとなりがトイレだったもので自分が見ているから大丈夫と思いご案内したところ、某イベンターの大物氏からそのことで激怒され、胸ぐらを掴まれて2メートルほど先の壁まで投げ飛ばされましたが、そんなことはまるで無かったことのようにすっかり浮かれていたのでまったく動じませんでした。(爆)

まあ、そのように考えてみると、感情というのは、そのとき、そのときの、ものごとのプロセスの仕方、つまり「思考」に大きく左右されるわけで、「体験」という、客観的事実のように聞こえるものごとの真実は、実は、その人がそのとき何を考え何を感じているか、そこに支配される部分がかなり大きいと言える。逆から言えば、その人が考えていることが、結果として、その人の体験を作り出しているとも言える。もしも僕がロックンロールに何の興味もなく、単なるアルバイトでこの場面に出くわして、ああ人気のあるロックスターが歩いているんだな、ぐらいに思って見たのだとしたら、この体験はまったく別のことであり、もはや何十年も前で自慢話のタネにもならないほどの話にすぎない。


というわけで、思考が感情を作りだし、それがその人の体験を作っている。考え方や受け止め方が変われば体験そのものが変わる。上半期のまとめとして記しておこうと思います。



Darkness On The Edge of Town (1978)
地味だけど好きな曲だな。最初に買ったLPのタイトル曲。


ida jenshus bw
いい目をしているな。

この人は、まだ若いけれど
そうとう深いものを持っているように思う。

オスロのイダさん。
2010年と2015年の2作品が届いた。

ida_jenshus-noguarantees
No Guarantees (2010)

なにしろ情報がほとんどノルウェー語なもんで、
確かなことはよくわからないんだが、
オスロ出身、1987年生まれ、30才。
2007年、ハタチでプロになり、
2008年にデビューアルバムを出したらしい。
まだ若い世代のSSWだ。

ida_jenshus-startingoveragain
Starting Over Again (2015)

この2015年作が想像以上にスケールが大きくて
びっくりした。
前回エントリーを書いたときは
まだアルバムを聴いてなかったんで、
透き通った魅力的な声とサウンドだな
ぐらいにおもっていた。
おもえば、このアルバムからの音源は、
ウェブにもSpotifyにも、ひとつも載っていない。

前作から5年のインターバルの後に
出したアルバムが、全6曲。
トータル39分ちょっとしかなくて、
1曲目でもう、9分超えの長尺。

ぜんぜん歌がはじまらない。(笑)

そんなの、好きにきまっているじゃないか。(爆)


なんか、教会みたいなとこで一人でやってるバージョン。
あんまり良い録音じゃないけど
タイトル曲 "Starting Over Again" ありました。
片鱗は聴こえるかも。


想像でしかないけど、イダさん。
2010年の、アコースティックで聴きやすい
"No Guarantees" を出した後、
いろいろと突っかかって苦労して
あれこれ乗り越えたところで
この2015年 "Starting Over Again" を
制作したんじゃないかな。

そんな感じのスケール感。
リズムのアプローチや、音像の広がり、
もうぜんぜん違っちゃってる。

ラスト前の "Martha Mercy Me" 録音リハのリズムトラック。
そうそう、ぜんたいにこういうマレットの
リズムアプローチが効果的に使われてる。

歌詞の世界観も、とても美しい。
ちょうど、そう、
Spotifyで作ってるプレイリストに
深い蒼の、湖の写真を載せているけど、
イメージぴったりだな。

たぶんこの写真の場所が、その湖。

ida_presse2
Ida Jenshus Official Site biography page 



70年代のアメリカンSSW路線を
継承してるのは間違いないんだが、
北欧の雰囲気に加えて、
空間系の広がり、
デッドみたいな浮遊感、宇宙感と、
ミニマルで私的な秘密の部屋、
その両方を、どすんと大きなスケールで
聴かせて魅せてくれている。
深みのある、とても良いアルバム。
ラストの "My Last GoodBye" には
J.D. Southerが作詞曲から全面的に参加。
いい曲です。

2017年発売の "Live"
まだ情報来ないけど、楽しみです ♪

ida jenshus live

Daniel Lanoisさんとの絡みとかも、あるんだよな。
もうちょい情報が、ほしい。(笑)

20170626 ida jenshus


Tusk_single
1979年のフリートウッド・マックだから、この曲をシングル・カット出来たんだろうな。このヘンテコなインパクトの強いリズム、これっきゃないメロディー、こんなシンプルでミニマルな構成の曲をシングルで出せるほど水準の高い「文化」を、当時のフリートウッド・マックがポップ・ミュージック界で築いていたということだと思う。

ずいぶん昔の曲だし、あまり話題になった記憶もないんだけど、歌詞もすごく良いんだ。


Why dont you ask him if hes going to stay?
Why dont you ask him if hes going away?
Why dont you tell me whats going on?
Why dont you tell me whos on the phone?
Why dont you ask him whats going on?
Why dont you ask him whos the latest on his throne?

Dont say that you love me!
Just tell me that you want me!

Tusk! tusk! tusk! tusk!
Tusk! tusk! tusk! tusk!
Tusk! tusk! tusk! tusk!
Tusk! tusk! tusk! tusk!
Tusk!

ボリュームのある2枚組スタジオ・アルバムの最後の2曲がシングルのA/B面。アルバム全体に流れるポップでふわふわと耳に心地よい空気感を、最後の最後で破壊するこのパワフルなリズムと歌詞、A→A’→A’’というゴリ押しの構成、"Just tell me that you want me!" と吐き捨てるように投げつける歌詞に込められた反骨精神たっぷりなメッセージ、そして "Tusk!!"(牙) の連呼。アーティスト・ステイトメントとしてアルバム・タイトルに使われている言葉とイメージとビート感がここにある。だから、ジャケットは上のようなものになる。

まだまだ上っ面をナメてた日本のレコード業界。自戒の念も含めて載せておこう。

FLEETWOOD_MAC_TUSK+-+WHITE+LABEL-651263

76年グラミー・アルバム・オブ・ザ・イヤーの前作からシングルカットされた "Dreams" も、曲を通してほどんど変化がなく、歌の部分ではメロディーに沿ったコード進行というものがない。ひたすらF→Gをくり返すベースの上に、巧妙な分数コードを進行させる。かろうじて間奏のギターソロで、一箇所だけ、いわゆるルート音のAマイナーにベースラインが動くので、この曲がそのマイナーコードの上に成り立っていることが感じとれる。グラミーアルバムからのシングルでこれをやった前科者のマックなわけだが、"Dreams" の場合はそこまで音を抑制した中で見事イメージの基軸となっている「夢」を表現していて、逆にメロディックなサビでコードが動いていないことが驚きなぐらい広がりのある世界を作り出している。


70→80→90年代と3つの10年間を通して北米ツアーのアリーナ・クラスを満員に出来たのは、アメリカではフリートウッド・マックとグレイトフル・デッドの2バンドのみ、というのが通説だけれど、特に79年頃のマックは、他の多くの60年代後半〜70年代初期デビュー組のバンドがPUNK〜NEW WAVEの渦とデジタル化の中で藁をも掴もうとあがく中、成熟したバンドらしい雰囲気や大人なニュアンスも保ちながら、コアなところではガツンとしたロックや人間の本性を聴かせる素晴らしいアルバムやライブ演奏を残していたんだなと思うと、今さらながら見事だ。

ぼく自身の個人的な感覚としては、ロックやポップ・ミュージックを必ずしも「アート」だとは思わない。ポップ音楽はあくまで大衆音楽としてあって、その中に少しだけアートのテイストを持ち合わせている、という程度だからこそ身近にあって自分の中の「私」を投影できる、そんなものじゃないかな、と思っている。ま、どうでもいいことだけど。

それでも、時代や世代の感覚を共有したり、あるいは牽引したり、影響を与えたりするという意味では、アートもポップ音楽も同様に価値ある大切なものだ。

先日、偶然聴いた Ani DiFranco の "Grand Canyon" の歌詞も、その後、じっくり読んでみた。知らなかったんだが、この曲(というかポエム朗読と即興演奏)は、discography を見てみると、2004年の "Educated Guess" という、あまり評価されなかったアルバムに入っていたんだな。

アルバムのバージョンを聴いてみると、なるほど、半端なフリージャズみたいで、あんまり良くない。eTownからYouTubeに出たコロラドの Paramount Theater 4/28 のライブ映像は本当にすばらしいのに、なんでだろう?即興演奏が詩の朗読に偶然フィットしたのか? 

いや違う。この曲が、今のアメリカが抱えている気分(と、それを見ているぼく個人の気分)に、フィットしているからだ。だから、グッと入り込んで来た。そういうときに、そのことについて深く知らずに、上っ面だけ舐めてやり過ごしてしまっては、もったいないのだ。

the culture map2週末に、Ani のロング・インタビューを3つ見た。「多様性こそアメリカの強み」「本来そこにチェック・アンド・バランスの機能が働いている(べき)」ということについて。シンガー・ソングライターとしての自分と、活動家としての自分について。「自分の両親は移民の一世で、苦学して父はエンジニアに、母は建築家になり一家を為した。税金を払うことは  "privilege"(権利、特権)というメンタリティーがあった。」ということについて。結婚と二児の出産、バッファローからニュー・オーリンズへの移住、子育て、等などを経て、また活動家としてSSWとしての自分に戻ってきた、「ひとまわりしたように感じる」と、最近のアニは語っている。「愛国心(patriotism)」についても、よく語っている。昨年11月の大統領選以来、米国人の多くが、様々、複雑なものを抱えながら、できるだけさり気なく日々をやり過ごそうとしている。活動家としてのアニ・ディフランコもまた同様だ。「以来、アップダウン、ローラーコースターよ。私は人前に立って歌うし話をするし、いろいろ期待もされているし、批判も受けるしね。」と、しんどい心のうちを告白しながらも、その立ち位置に居る自分に対して、少しずつ冷静に客観的になってきているのが、少しインターバルをあけたインタビュー動画で見てとれた。

Yes, I love my country
By which I mean I am indebted joyfully
To all the people throughout its history
Who have fought the government to make right
Where so many cunning sons and daughters
Our fore mothers and forefathers
Came singing through slaughter
Came through hell and high water
So that we could stand here
And behold breathlessly the sight
How a raging river of tears
Is cutting a grand canyon of light

"Grand Canyon" の、最初と最後の一節。



この行進の場面に "Grand Canyon" を被せた動画は、アニ自身がRightous Babe から昨年11月に発信したものだ。ここに流れている波長、実は、僕にはあまりピンと来ない。なにか違うと感じる。それが、不思議に、4月のコロラド Paramount Teather では、まったく違う波長に変化している。

4月のコロラドが、メイヴィス・ステイプルスとの共演だった影響も、あるかもしれない。

culture map communicatingR1512E_MEYER_COUNTERPART
エリン・メイヤーの「異文化理解力」(原題:the CULTURE MAP)が、その後、評判が良いそうで、ちょっとネタにして多様性について考えてみた。

上の図は「正確でクリア、1から10まで出来るだけハッキリと表現する」コミュニケーションのしかたに価値を見る "Low Context" コミュニケーションを好む文化と、その逆に「情緒的で曖昧、互いに行間を読み合い、ハッキリと表現しない」コミュニケーションのしかたに価値を見る "High Context" コミュニケーションを好む文化の指標。USは左端、日本は右端で、両極にある。

下の図は、横軸が「対立する/しない」、縦軸が「表現する/しない」を表していて、意見が食い違った場合、とことん議論を闘わせ、自分を表現することを(どちらかというと)好む文化が上の左、意見の食い違いを(どちらかというと)回避することを好む、表情に出さない文化が下の右にある。日本はみごとに最も右の下に位置している。USはやや上の左だが、そう極端な場所ではない。

そうなんだ、とか、単純にそう思ってはいけない。

ここに、「多様性」という尺度を加味すると、一気に納得がいく。つまり「アメリカ人」とは、とある性質をもった国民のことではなく、アメリカに住んでいる多様な市民のことだ。数世代前まで、彼らはヨーロッパ人であったり、アフリカ出身であったり、アジア人であったり、中南米ラテン・アメリカ人であった。その混合体が「アメリカ人」という特性でもある。だから "Low Context" であるのも必要性あってのことで、右の図で真ん中あたりに位置しているのは、それぞれの性質を平均したところ、その位置に来た、ということだ。北欧系と中南米系では性質がぜんぜん違うのだ。

また、日本人という括りも、これは著者である白人のアメリカ市民の視線から見た位置づけだということを念頭に、もう一度「ほんとうにそうか?」と、考える必要がある。

もちろん、その個人の育った環境や、親や周りの人の影響、都市部か郊外か田舎か、などによっても違いはプラスされる。時間の経過によっても違ってくる。ただ、総じて、日本には民族の多様性が極端に少ないので、その点についてなかなか意識できない環境にあるのは確かだ。

その分、ある分岐点で、簡単に無意識に排他的にもなる。ここには注意が必要だ。

中南米ラテン・アメリカ系移民の第二世代アニ・ディフランコの表現の中にぼくが感じ取る波長も、たった昨年11月から今年4月で、これほど変化した。

こういうところの上っ面を舐めて「日本人は黙っているから良くない」とか言ってしまうのは、つまり明治の文明開化から続く西洋崇拝から抜けきれてないわけだ。僕らは、僕らなりの訴え方、表現のし方で、なにをどうやるのか、しっかり考えて行動しなくてはいけない。

ときには、牙を見せなくてはいけない、という話題だった。忘れるところだった。(笑)


Yes, I love my country.
そう、私は自分の国を愛している。

By which I mean I am indebted joyfully
To all the people throughout its history
Who have fought the government to make right


25699_show_portrait_large
表現者としての歌い手。
意味がわかろうがわかるまいが
血管の中に入り込んで自分の中に流れる。
細胞の中に入り込んで来て、
自分の一部となって共に生きる。

アニ・ディフランコの中にも、
メイヴィス・ステイプルズの細胞が
たくさんあるのだろうな。


25699_show_landscape_large_01
2017.4.28 Paramount Theater
Denver, Colorado


ボーダーレスな表現者の歌。
メイヴィスの野太い声と表現には
つねにアタマが下がる。


25699_show_ani
アニ・ディフランコが覚えている一番古い音楽の影響は、
意外にもビートルズの「イエスタデイ」なんだそうだ。
小学校に上がったばかりのアニがギターを爪弾いて
"Yesterday, all my troubles seem so far away"
と意味もわからずに歌う姿が、
周りの大人たちを大いに楽しませた。
家族が自分に注目して笑顔になった記憶として
こころに残っているらしい。


Woe Be Gone

そう言われてみれば、このシンプルな音の中にも
ビートルズの遺伝子はたしかに聴こえる。
まあ、もっともそれは、ほとんど誰の中にでもあるんだろうけど。


Grand Canyon

すばらしいパフォーマンスだな。
表現者の歌は、
見えないものを見せてくれる。
それは、言葉が語るものとも違い、
メロディーが響かせるものともまた違う。
もっと遠いところにある何かを
ひっつかまえて、グイっと流し込んで来る。
意味がわかろうがわかるまいが
不思議とあまり関係ないように思う。


For What It's Worth


デンバーという土地の音楽シーンも良いな。
標高が高いんだなきっと。
空気とか、何か特殊なものがあるような気がする。


このページのトップヘ