あいだにあるもの

★★★ We are all ONE with the LOVE in the Universe ★★★

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「矜持」と「粋」。
このふたつの言葉を
見つめ直している最近である。

両方とも、とても理解がむずかしい。
他の言語には存在しない概念だと思う。
日本語が持っている固有の文化。
その歴史と伝統の中で、
漠然と、その意味するところが、
感覚として、DNAに刷り込まれて居るような。
日本語文化というのは奥が深いから、
ごたごたと言葉で説明されなくても、そうやって
漠然と、感覚としてとらえることが出来る。
そうなのだとおもう。
実は、それが出来るということ自体が、
文化的に洗練されている証拠なのではないか、
と、そういう考えもある。

しかしまあ、たかがロック馬鹿の戯れ言として
軽い気持ちで読んで頂きたい。
日本語文化固有の、と書いてるわりには、
カタカナ横文字を多用するとおもうし。
なんせトップの写真がジミー・ヴォーンだし。(笑)

「矜持(きょうじ)」という言葉に
あらためて着目したのは、
何を隠そう、ブレイディみかこさんの
デイヴィッド・ボウイーの追悼文である。
『ボウイのクールとは、邦訳すれば矜持のことだった』
と、彼女は書いていた。

これは、格好の話でも、ロックやアートの話でもない。
くちゃっと潰されたら、いとも簡単に
死んでいなくなってしまえる脆さ、
弱さと儚さを伴って、「いま」を生きている
この僕たち生身の人間の、
生き様、アティテュードの話だ。
そこにビっと貫かれている意志のことだ。

「矜持」という言葉を調べると、
それなりにいくつかの意味が出てくるんだが、
「自尊心」や、「誇り」、「自負」
それだけでは、ちょっと足りない気がする。
ぼくなりに感覚にフィットする言い方をすると、
人間の持つ「社会性」の中において
相対的に両立する「リスペクト」と「プライド」の感覚。
これは私的で感情的な、一方向的な感覚ではない。
社会と自分とのつながりの中にある感覚だ。
自分の視点から意識的に他所(よそ)を見る方向と、
同時に、他所(よそ)から見られていることを意識する方向。
その両方向から、相互にリスペクトとプライドが保たれて、
絶妙にバランスしたところにある美意識。

武将として名高い楠木正成が、
わずか七百の味方の兵を率いて
足利尊氏の五十万の兵を迎え撃つ際に、
「生と死の迷いと不安」を克服し、
平常心を保つにはどうしたら良いのかと、
広厳寺の明極楚俊(みんきそしゅん)和尚を尋ねた。
この時、明極和尚が曰く、
「両頭ともに裁断して、一剣天によって寒(すさま)じ」
生への執着も、死への不安も、
その両方の思いを一刀両断に断ち切って
そこに広がる天地を見よ、と説いたという。
「矜持」の美意識には、こういう滅私と悟りの感覚が、
リスペクトやプライドと共にに含有されているような気がする。

死を美化するつもりは毛頭ない。
日本語の「矜持」の持つ自尊心や敬意の表現が、
高度に洗練された精神とバランスしていることを
書こうとしているつもりだ。
しかし、潔いのかよくないのか解らないが、
いささか息苦しい話になってしまうな。

息苦しいといえば、さいきん世の中、息苦しいね。
よろしくないヴァイブがいたるところで溢れている。
そうおもいませんか。

弱者を攻撃したり、他をバカにしたり見下したり、
揶揄したり卑下したり、そういうことで
うすっぺらな自尊心を満たしているような、
そんな空気が漂っているように感じる。
個人の会話レベルなら、昔からある井戸端会議だ。
数人寄っては、そこに居ない人の悪口。
昔っから大嫌いだ。
それが今ではウェブ上で「拡散」「炎上」ってなことになる。
ツイッター等の「匿名性」ゆえの罵詈雑言。
広がり具合がとても広範囲でスピードがあるので、
悪いことに、民族や宗教や国っていう範囲にまで
簡単に、あっというまに広まってしまい、
やがてはテロや紛争や戦争の種にだってなりうるし、
また、そういうことを上手く操る輩が陰にいる。
陰にいる、ってところが、まったく大嫌いだ。

こういうことの根源には「感情」ってものがあって、
人の感情の根源的なところにあるのが
危険回避、危機回避のための「恐怖」の感情や、
その一歩手前の「不安」の感情だ。
いや、前言撤回。
実際、具体的な「恐怖」よりも、
じつは「不安」という
不確定要素の大きいものへの怖れ、
この「不安」の感情の方が、
人間社会をより大きく動かす、という事実を
冷静に見つめなくてはならない。
見えないこと、先のわからないことがあれば、
いとも簡単に「不安」は煽られてしまう。
それが集団となれば爆発的に増大する。
不安が募れば不満も募る。
それが集まれば、爆発するのは自然な流れだ。

しかし、考えてみよう。
いったい人の世に、先が見えた時代など
いまだかつて、一度たりとも、あっただろうか?
答えは明確にNOである。
ではなぜ、今この世の中は、
こんなに、不安に煽られているのかな。
操っているヤツらが陰にいるからだとしか
思えないな。

「矜持」と「粋」の組み合わせだったら、
ビッとしていても息苦しくなくて、
いい塩梅なんじゃないかな。
と、そんなわけで、
この言葉のコンビネーションを
考えていたわけである。
あはは、そんなわけねーだろ。

まあ、「粋」について言葉で説明するのも野暮ってもんだが、
ここも、私見なので軽く流してくださいね。
野暮もこなれて粋になる、ってもんで。

「粋」というのは、根底に「反骨精神」を持った、
洒落っ気、茶目っ気、色気、意気地、きっぷの良さ、
そういう諸々の格好良さが、よく揉まれて練れて、
洗練されて、堕ちて、余分なものが削ぎ落とされて、
そうなったときにはじめて出てくる、
抑制された「余裕」の美学ではないかな。
上方の「粋(すい)」の上品さに対しての、
江戸の庶民文化の「粋(いき)」だと思うんだな。
洗練されても上品なうちは「粋」とは言わない。
ちんまりと枠にはまっていては粋ではないし、
また、豪胆すぎても粋ではない。
あえてチラっとはみ出している、その色気と洒落っ気。

現代にあてはめて言うならば、
ミニマル・アート等の芸術よりも、むしろ
大衆音楽としてのブルーズやロック。
中でも、洗練されて、余裕で削ぎ落とされた
ジミー・ヴォーンみたいなやつ。

ふー、やっと出て来た。(爆) 

いやでもねー、この感じ、大事だとおもうんだよね。
先達へのリスペクトがあって、堂々としていて、
同時に、謙虚でもある。
そう、この謙虚さが粋だ。
そして、オースティンの親分としての矜持を感じる。
弟のスティーヴィー・レイ・ヴォーンは、
デイヴィッド・ボウイーの録音に参加して、
その後、大人気を博したけれども、
彼の、あの華麗な指さばきと流れるような音と比べたら、
兄貴のジミーの、このスッカスカな、スッピンの音。
もったもたした、無骨な指の持って行き具合。
なんでこんな、やりにくそうな指づかいなの。
どうしてこんなに、飾りっけのない、
スッピンな音で、へーきで弾けるの。
この男気、色気、余裕。

膨大な引き出しがあって、洗練された上でのコレなんだろうな。
だから、B.B.や、バディ・ガイなんかと並んでステージに立っても、
自然体で、一歩も退かない場所に立って弾けちゃう。
その場所に立って自然体でいられる白人ギタリストは、そうはいない。
しかも余裕で、この格好良さ。反骨精神バリバリ。
そしてユーモアとウィット。
粋だよなあ。

矜持と粋。
だいじ、だいじ。




 

CI0003
どうも腑に落ちない。
今回の皇室関連の報道である。

これまで、ひとえに国民の気持ちに
寄り添って来られた両陛下だ。
被災地や戦地ご訪問のお姿は
広く国民の心に残るところだ。
昭和天皇は、
現人神から人間天皇へと
激動の時代を歩まれたが、
今上天皇はご即位以来、
実に皇室始まって以来初の
人間天皇、象徴天皇であり、
常にそのお立場を熟慮され、
国民に対して誠実に
お気持ちを話されて来ている。
民間から皇太子妃となり、
戦後の日本の明るい話題を
提供した美智子皇后も同様だ。
両陛下がたどってきた道のりを思えば、
今回の報道の流れは、
どこかおかしいと感じる。

同様の腑に落ちない感じを
記事に書いている、
藤代裕之さんという記者さんのコラムが
時系列でわかりやすく読み解いているので
参考にしようと思う。

2016/07/14 00:13 配信
宮内庁次長は全面否定、天皇陛下「生前退位」ニュースの読み解き方

まず、7月13日の夜19時のNHKニュースが
どうしてここまでの大スクープを出せたのか。
そのニュースソースは、いったいどこなのか。
そこがハッキリとしていないのだ。

事実として、NHKがまず19時の時点で、
皇后陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの
同意も得ている、という具体的な内容まで出している。
そして同日20時33分には、
5年ほど前からその意向を示されていた、
という詳しい記事を出している。

直後、おそらく同時にだろうが、朝日や時事通信、
その他数社が宮内庁に裏をとりに動いたようだ。
結果、7月13日の夜21:50近辺には、
宮内庁次官から「そのような事実は一切ない」
という文言を引き出している。
読売や毎日は、やや違うニュアンスの記事を
それぞれ同時間帯に出している。


このようにニュアンスが異なる報道の場合は
「何かある」と考えるのが記者の常です。

と、藤代記者は書いている。


翌朝の各社朝刊を並べて書かれた記事がこちら。

2016/07/14 10:13 配信
天皇陛下「生前退位」報道、新聞を比較して自分の見立てを整理する

NHKのスクープに始まったこの話題に、
報道各社が続いてトップ見出しで出している。
この記事に大切なことが書いてあるので
抜き出しておこう。


ソーシャルメディアでも様々な反応が発信されています。多様な意見を見えるのは良い点ですが、弱点もあります。ソーシャルメディアの性質として俯瞰的に読み比べることは非常に難しく、一つの記事がシェアされて議論が進むことで、別の視点から書かれた記事が読めないまま偏ってニュースを受け取ってしまう、いわゆるフィルダーバブル問題が起きがちです。ヤフーニュースも最近は関連リンクを絞っており、多様な記事を比較することは難しい状況です。 関心が高いニュースをより深く理解するために、新聞やテレビ報道を比較し、記事の扱い(どのくらいの大きさか、何面で展開されているか)、見出し、内容などの異なる点を洗い出し、ニュースを俯瞰的に捉えて自分なりの見立てを整理してみることが大切です。


まったくその通りだと思う。

面白いことに、菅官房長官は質疑の中で、
「宮内庁次官がそう言っているのだから、そういう事実はないのだろう。」
「政府としても、陛下からそのようなお話しを受けたことはない。」
と、同日、そのように公式に発言している。

で、あるにも関わらず、
2016/07/16 23:43 配信の時事通報
退位問題、慎重に対応=政権幹部
の記事には、


安倍晋三首相は16日夜、首相官邸で菅義偉官房長官や杉田和博官房副長官らと会い、天皇陛下が生前退位の意向を示されたことを受けて非公式に意見調整を行った。皇室制度の在り方や憲法との整合性など法的問題も絡むことから、世論の動向を見極めながら慎重に対応していくことを確認したとみられる。
 

短い記事だが、首相と官房長官が
「天皇陛下が生前退位の意向を示されたことを受けて」
非公式に調整に入った、と記してある。
この矛盾は、いったいどういうことか。

この短い記事に重要なワードがある。

「憲法との整合性など」 法的問題も絡むことから
「世論の動向を見極めながら」 慎重に対応していく 

この部分だ。


最初に戻ると、気になる点は大きく2点。

NHKのスクープのニュースソースが不明であること
官房長官が「そのような事実はない」と明言しているにも関わらず政府は調整に入っていること

あとはすべて想像の範疇になるのでここには書かない。
が、腑に落ちなかった矛盾点はある程度絞り込めた。


肝心なのは、藤代記者が書いているとおり、
フィルターバブルに陥らず、落ち着いて
報道を読み解くことが大事だということだ。


あとは、陛下のお言葉を待つことにしましょう。


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 and Christine

雨が降って涼しかったせいか、

リラックスしていたのか、

昨日は、ひさしぶりに、良く眠れました。



さて、クリスティン。

その後、どうしてるんだろう。 



もともと、自身が表面に出るタイプの

アーティストじゃないだけに、



情報、まるでなし。



元気にしてるんだろか? 



J.J. の相方だったから、

っていう理由 「だけ」 じゃなく、

クリスティン、とても好き。



J.J. は元より、

レオン・ラッセル、エリック・クラプトン、

そこで一緒に演奏してるのが誰だろうと、
 


お構いなしの、ニュートラルさ。



こういう彼女だからこそ、

J.J. の相棒が務まったんだろうな。

なんて、まるっきりの、想像だけど。 



たぶん、合ってると 思う。


"Who Knows" - Christine Lakeland

"Everything Is OK" - Christine Lakeland

"Devil In Disguise" - J.J. Cale and Christine Lakeland



yasmine hamdan
ヤスミンのライブ映像を見ていて、
"GALBI" と連呼して歌う彼女と、
その音像表現が魅力的だったので、
はて、"GALBI" ってなんだろう、と思い、
いくつかキーワード検索をしてみたのだが、
「カルビ」という訳ばかり出てくる。
アラビア語の定形詩か、または詩人に
関係がありそうなページもあるんだが、
もはやイメージに「カルビ」が来ており、
匂いまで漂ってしまっているので
これ以上は無理である。
あー、焼き肉くいてー。

言葉がまったくわからなくて、
わかりたいと思うときの気分。
そのもどかしさ。
その辺りを味わうのには
メロディアスだし、いい音像だ。
ちなみにロンドンでのライブだが、
アラビックの意味がわかる観客が
相当数いるってことなのかな。
そのあたりにも興味がある。


 
 

marine girls

マリン・ガールズである。

このかんじが、とっても恋しい時がある。

強烈だったな。

これヤラれちゃあ、もう、誰も敵わない。


「ビーチ・パーティー」、

実は持ってないんだ。

やっぱり買っておこう。


正式に録音されたものが

このかんじで出せてた、ってのは、

実にすごいことだな。

やる側もすごいが、

契約した側もすごい。

a distant shore

トレイシー・ソーンの才能は、

"Night and Day" や、"Femme Fatale" を

カヴァーしたソロ ”a distant shore" から

その将来を予感させるものがあったが、


"Everything But The Girl" がWea/Atlantic配給で

アメリカでメジャーに大化けした

"Language of Life"

The_Language_of_Life_Album

ずっと前から目をつけていて、

録音のためにアメリカに呼んだ、という

トミー・リピューマも、さすがである。

 
あの時代のインディーズから芽を出してきた音の中で、

90年代、もっとも成功したサウンドのひとつ

では、なかろうか。 





で、最初の話に戻ると、

「ビーチ・パーティー」の直後、

まだ大学生だったトレイシーに、

当時、先端を行っていた英国のアーティスト達は、

きちんと目をつけていたのだな。

エルヴィス・コステロや、ポール・ウェラーなど、

 大喜びで大学まで探しに行ったと言う。

あの音から感じとれちゃう、というセンス。

そこ、さすがだな。

 

george hau bush roots

自分の中に、獏としてもやもやとした
「落ち着かないもの」があって困っている、
というようなことは、
誰しも、多かれ少なかれ、あるものだと思う。

なぜそれは「落ち着かない」のだろう。
おそらくそれは、人がものごとを考えるとき、
「言語」というツールを媒介にして
ものごとを理解する生きものだから、
じゃないだろうか。
これは、人が「社会的に生きる」上でのことだ。

社会生活は、ヒトという生きものが生存する上で
発達させた適応能力、生きる手段なわけだから、
これは、ほとんどの人にあてはまると思う。
物理的、精神的に、完全な「孤独」を
生きていける人は例外かもしれないが、
そういう人はそうそういるもんじゃない。

そういう癖がついているせいで、
内的な思考、つまり
自分の中で「考えていること」であっても、
人は、ほとほと呆れるほどに、「言語」に頼っている。
そのことは、ぼくがコミュニケーションについて、
人と人とのあいだに起こる様々なやり取りについて、
「多言語、異文化」というフィールドからの観点で
四六時中、突き詰めて考えるようになってから、
嫌というほど身にしみてわかってきた。

人は、自覚していても無自覚であっても、
ものすごいスピードで、多方向に、
何重にも重なったレイヤーの
表層から深層まで動きまわりながら、
ありとあらゆるものごとを、休みなく考えている。
もやもやとした「落ち着かない」ものは、
頭の中で、「言語化」される以前の状態にあるか、
あるいは、「どう言語化したらいいか」を、
探しあぐねているところのもの、なのかもしれない。

なぜそれは言語化できずにあるのか。

いろんな原因とか理由が複合的にあると思う。
はっきりと言語化する前例を知らない、
自分にとっての、新しいタイプの経験から来る
未知な領域にあるものごとだから、
ピタリとあてはまる言葉が見つからない、
ということかも知れない。
あるいは、自分のボキャブラリーの中にある
なにかの言葉をあてはめて、理解したつもりに
なってはいるが、どこかしっくり来ないなにかを
無自覚に感じている、ということもあるかも知れない。

もっと言うと、
自分はそのことについて「理解している」と
思っていたいがために、
本当は、あてはまる言葉が見つかっていないと
自分で自覚してわかっていながら、とにかく、
とある言葉をあてはめておかないと不安なので、
そのへんにある言葉をとりあえず
あてがっておいたら、いつしか無自覚に
その理解なのだと思い込んでしまっていた、
ということだってあるだろう。

あるいは、いろいろと面倒くさいので、
そのへんに流れて漂っている言葉の中から
いくつか拾いあげて、あてはめておいて、
うん、なんとなくこれかな、と
それで自分を落ち着かせておくのかも知れない。

ひとまず過去にあったとある言葉を
そのことにあてがってみて、
その落ち着かないものを「着地」させておこう、
という試みは、その日の気分を安定させるのに
一時的には、けっこう役に立つ。

しかし、自覚しておかなくてはいけない。
それは、あくまでも、その日の「対処」である。

ありとあらゆることがらの中で、
言葉がじゅうぶんな理解を与えてくれること、とは、
じつは、ほんの表層のごく一部のことがら。
【地面の上に形として見えている木の幹と枝葉の部分】
それだけなのであって、
【その木の、全体の、いのちを支えている地面の下】
つまり根っこの部分で起きている多くのこと、
その大部分について、人は、それを語るための
はっきりした言語を与えられていないのだ。

そして「感情」の多くは、この地面の下から
湧き上がってくる。


<BRAINWASHED>


今日のエントリーで話題にするのは、
外から、例えばマスメディアから入って来る
なんらかの波長が、
気分のいい波も、悪い波も含めてだが、
自分という「個」の中に、
どのように入って来て、
そこから受ける影響が、いったいぜんたい
自分に「なに」をもたらすのか。
そんなようなこと、だと思って、書いている。

ぼくの興味関心は、
自分の奥底と、自分の外とのあいだに、
なにがあって、いったいなにが起きているのか、
たぶんそこだ。

好きな音楽と絡めて書くのは、
そうして色んな影響から作られている自分を、
今日も、きちんと信じていられてるかな、と、
自分に問うため、かもしれない。


ひとまず、前置きを書いてみた。


どうして、人と人が、殺しあうのかな。
そういうニュースが飛び込んでくると、
とても悲しくつらくなってしまう。
人種や民族や宗教の対立。
とくに、人種のこと。
とくに、アメリカでのできごと。

自分には直接、関係のない
遠い、よその国の社会で
起きていることなんだから、
とりあえず見聞だけはして、
横に置いて、受け流して、
楽しいことを考えて、
ハッピーにしてることだって、
できなくはない。

でも、ここについては、それをしたくない。
自分の中の奥底の、根っこのところに、
厳然と、それは入り込んでくるし、
入り込んで来るのだな、ということに、
つねに、気づいていなくてはいけないな、と思う。

そこに気づいていることが、
必要なことなのだと、
そうおもうから、そうしている。
しっかりと想像力を働かせて、
自分で勝手に、入り込ませている。

それで、勝手にしんどくなっている。
自分で選んでやってることなんだから、
しかたがないんだよな。
これがわたしの生きる道。by PUFFY

憎しみからは、憎しみしか生まれない。
たぶんみんな、それはわかっている。
しかしそうかと言って、
仲間が、同胞が、
その人種だからという理由で
無抵抗な状態で殺されて、

もう21世紀だというのに、

声を上げずに黙っているわけにはいかない。
そりゃあそうだろう。
だから連帯して、声を上げる。

警察力というは、権力側が法的に認めた
組織的な暴力装置だとも言える。
もちろん通常は、犯罪を抑止するための、
または、取り締ったり検挙するためのものだ。

しかし、ちょっとまて。

この、落ち着かない気分は、
どこから来て、
どこに、どう繋がっているのだろう。
それについて、少し考えた。


仲間、同胞、と書いた。


英語の "Compassion" は、
同情、とか、哀れみ、とか、
思いやり、とか、
そんなような日本語に置き換えられるが、
本義的には、
"Com" + "Passion" であり、
抑えきれないほどの痛みの感情を共有する
というようなことだ。


湧き上がる痛みの感情の共有。


これは、良くも悪くも、
たいへんにパワフルなものだ。
そして、同胞意識が集合すると、
共通の敵へのむき出しの感情が
束になって歯止めが効かなくなる。

共通の敵。

権力が保持する、法的に認められた暴力。

しかし人間のやることには間違いがある。
責を負うべきは、犯罪的な行為だ。
この場合は、あの警察官だ。
彼の肌の色がなんであってもだ。

それが銃撃戦にまで発展して
多くの死傷者が出る。
市民が武器を持っていることの危うさ。
連帯感が生み出す
止められないうねり。
マスメディアや動画サイトという
ものごとを共有するためのツールと、
映像というパワフルな表現。

外部から個の中へと流入する波長が、
内部で膨らみ、集団で暴発する。
そこにある、意識の流れ。

意識の流れ。

ぼくの中の奥底にある根にも、
その意識の流れは繋がっている。
ひとしずくの波紋は、
あっというまに広がっていく。

それは、外から入り込んできて、
個の内側に影響し、拡張して
さらなる大きな波長を生みだして行く。


それが結果として、
ものごとを良い流れに変えることだってある。
けれども。


出発点よりも、
どこを通るか、なのかな。肝心なのは。


思ったとおり、とりとめのない、
あいまいなエントリーになってしまった。
この「落ち着かなさ」は、
つまり、ぼくが言葉に置き換えられる範囲の
外側にあるあからなのであって、
いうなれば、肝心なところを探っているから、
落ち着かなくて当然なのである。



ジョージは、ロックやポップ音楽の、
乱暴な表現を嫌っていた。
いいかげんに乱雑に作られた、
おかねを儲けるための音楽を嫌悪していた。

ここでいうロックの乱暴な表現、とは、
ちなみにだが、ロックンロールの
レコードのことではない。
上質なロックンロール音楽は
たいへんにシンプルでエレガントで美しい表現だ。

きもちの良い意識の波長を、
言葉ではなく、美しい音楽に昇華することを
ジョージは晩年まで実践し、実に彼の場合、
年齢とともに、その表現は成熟していった。

侵入してきた暴漢に妻と二人で応戦し、
自分が殺される寸前までのことを実体験しても尚、
これほど細やかな美しい波長のスライドを弾いている。

驚くべきことだ。

亡くなる前まで録音されていたテープを元に、
死後、発売された最終作は、
<BRAINWASHED>
メディアから受ける洗脳。
ジョージが、再三、静かに発していた警告のひとつである。

人は、こうして、ものごとを美しい波長に変換できる。
少なくとも、人間の中に、そういうことが可能だった人が、
確実に、ひとりは居た。
もちろん、他にも、いくらかいる。

そう思うと、今日も、救われるきもちだ。






<追記(オマケ)>

これがわたしの生きる道 /// PUFFY (TOUR! PUFFY! TOUR!)

https://www.youtube.com/watch?v=ixEL1CXwCP0

これすごくいい動画。(リクエストにより埋め込み不可)

 

lake street dive 2016 06 30 bose better sound session3
Bose Presents: Better Sound Sessions - Lake Street Dive (06/30/2016)


全画面表示でどうぞ。


彼らもたぶん、自分たち自身が、
ぼくらがそうであるように、
いろんな音楽に助けられながら、
やってきている、
そういう人たちなのだろうな、とおもう。


いま僕は、この4人に、
どれだけ助けてもらってるかな。
どうもありがとう、と
出来たら会って伝えたいものだ。


って、スゲーかっこいい映像なのに、
マイクその終わりのとこの真顔〜〜
やめれ〜〜(笑)
 
lake street dive 2016 06 30 bose better sound session

 
lake street dive 2016 06 30 bose better sound session2
「いちばん好きな音楽の聴き方は、たぶん、地下鉄で、ヘッドホンで聴くとき。」

https://youtu.be/UmrihwBHZdA
Lake Street Dive - Bose Better Sound Sessions
 

 

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